スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

神経鞘腫体験記(1)


 神経鞘腫(しんけいしょうしゅ)の体験記を書く。普通、病気について個人的な体験をつづる場合、“闘病記”とすることが多いと思う。僕も最初は「神経鞘腫闘病記」というタイトルをつけた。でも何か違うと思った。大袈裟だ。事実を伝えていない。なぜなら、僕は神経鞘腫と戦いはしなかったからだ。
 病気を告げられたときはショックを受けた。家族に病気を伝えたときは申し訳ないと思った。会社に病気の説明をし、長期休暇の願いを出したときは敗北感を感じだ。検査は痛かった。手術は怖かった。術後はものすごく痛かった。でも僕は戦っていない。ただ流れに身を任せていただけだ。
 だからこれから書くのは体験記である。僕が神経鞘腫という病気を通じて得た経験、そして感じたことを書いていく。

 神経鞘腫とは病気の名前である。以前、僕が患った病気の名前だ。とても珍しい病気らしい。。どのぐらい珍しいかというとあるサイトによると10万人に一人の発症率だそうだ。1億2千万の1万分の1だと1200人。日本に1200人しか患者のいない病気なのだ。しかしこれは後からわかったことなのだが、実際は年間の発症数が1200人ということで、患者の数はもうちょっと多いと思う。どちらにせよ珍しい病気であることには違いがない。
 さて病名を告げられてから慌ててネットでこの病気について調べてみた。しかし情報は少なかった。ただし幾つか医者や病院の発表する記事を読むことができた。これはこれで大変参考になった。それと同時に患者の書いた体験記もいくつか見つけることができた。実はこれが非常に多くの情報を与えてくれた。
 そこで僕もこの病気を患っている患者やその家族の一助になることを願い、また自分の備忘のためにも神経鞘腫の体験記を記すことにする。
 なので普段のブログとは趣を異にする。興味のない方もおられるだろう。その方には申し訳ないが、今日はお休みということにさせていただきます。なお、何回かシリーズで書いていくつもりである。いつ2回目を書くかは未定だ。主にブログのネタがないときに書いていくつもりだ。


 2006年の夏。背中が痛み始めた。激痛ではない。鈍痛というか、特に意識しないと気付かないような痛みだ。だから初めのうちは気にもとめなかった。ただなかなか痛みが止まない。少しずつ気になるようになってきた。
 僕は酒が好きなので、恐らく肝臓かすい臓あたりが弱ってきたのが原因でないかとひとり推測をした。以前、上司でひどく酒好きな人がおり、よく背中の痛みを訴えていた。僕ら周りの人間は、きっと酒の飲みすぎで内蔵のどこかがやられたんだよと噂をした。結果は案の定、肝臓を病んでいるようだった。今回の自分も同じケースでないかと想像した。

 2006年秋。相変わらず鈍痛は続く。そのころ会社で定期的に健康診断を受けていたのだが、肝臓、すい臓ともに悪い数値は出ていなかった。しかし急激に悪くなったことも考えられる。やっぱり肝臓かすい臓だろう。再検査をしてもらうことにしよう。そこで勤め先のビルの地下で開業する渡辺内科というクリニックで診察を受けることにした。
 まずは問診を行った。渡辺先生は肝臓やすい臓の病気ではないだろうと言う。なぜなら僕が痛みを訴える場所は肝臓、すい臓の位置ではないからだ。一応その日は血液検査も行った。
 2、3日後、結果が出た頃を見計らって再度、渡辺内科へ向かう。血液検査の結果は肝臓、すい臓ともにシロであった。しかし痛みは続くのだ。念のためにCTスキャンを撮ることとなった。渡辺内科にはCTの設備がないため、CTやMRIを専門に撮影する病院を指定され、そこで撮影することにした。

 さらに2、3日後。銀座にある専門の病院でCTを撮る。実はこの病院は何度か来ている。
 数年前から咳が続き、胸の撮影をするために、やはり渡辺内科から指定を受け、来ていたのだ。咳の方は結核やら肺がんやらを心配して撮影をしたのだが、結果は咳喘息であった。咳喘息とは軽い喘息の一種のようなもので、たまに悪化すると本物の喘息になってしまう。だからなめてはならない病気なのだ。そこでステロイド系の薬で治療をすることになった。それがちっとも良くならない。2年ぐらい咳が続いたと思う。なかなか治らず苦慮した咳であったが、その頃住んでいた東京の本郷から、今住んでいる逗子に引っ越したら、パタッと止んでしまった。
 さて、CTの撮影についてだ。CTの撮影自身はなんということはない。簡易ベッドのようなカプセルのようなものに寝転んでいればよいだけだ。20分程度で終了したと思う。

 それからさらに2、3日後。仕事中に携帯へ渡辺先生から連絡が入った。
 「今、仕事中ですか」
 「はい、そうですが」
 「今から来られますか」何やら不穏な雰囲気である。恐らく緊急を要する事態が判明したのだろう。行かなくてはならない。
 「はい。今すぐ行きます」
 仕事を途中にして、病院に飛んでいった。診察室に入ると先生と看護婦さんが待ち構えるようにして、CTのフィルムを見せてくれた。
 「ここです。大きな異物が写っているでしょ。これ腫瘍なんですよ」
 「え、腫瘍ですか」
 「はい。おそらく神経鞘腫という腫瘍でしょう」
 初めて聞く名前だった。その後の先生の説明によると、神経鞘腫とは脳や脊椎などの神経にできる腫瘍で悪性と良性がある。悪性であればそれはすなわち癌ということで、大変危険な病気である。良性の場合は大きなおできみたいなもので、手術すれば完治する。ただしこれも単発で終わる場合と群発性のものがあり、群発性の場合はひとつを切除してもまた別に生えてきてしまい、これもやっかいな病気であるとのこと。
 「それで僕はどのケースなんですか」
 「CTを見ただけでは分かりません。おそらく良性で単発性であると思いますが。組織を採取して調べてみないと分からないんですよ。それととても珍しい病気なので正直申し上げて、ここではこれ以上のことは分からないんです。専門の病院を紹介しますから、すぐに行ってください」
 
 渡辺先生は脊椎の治療では国内有数の病院である九段坂病院に紹介状を書いてくれた。後日、僕はそこで8時間にも渡る大手術を受けることになる。

 神経鞘腫体験記(2)へ


スポンサーサイト

神経鞘腫体験記(2)


 神経鞘腫の続きである。

 「九段坂病院には中井先生って脊椎の手術では有名な先生がいるんですよ。知り合いだから紹介状を書いてあげますよ」
 「はぁ」
 「中井先生に頼めば大丈夫。うん」
 気落ちする僕に渡辺先生は励ますように言った。

 その日は会社に戻った後、仕事が手に付かなかった。さっき見せられたレントゲンには大きな腫瘍が写っていた。それはとても大きなものだった。鶏の卵よりも一回り大きいサイズだという。あんなに大きな異物が脊椎に生えているなんて。
 過去に見たドラマや映画を思い出した。腫瘍で苦しむ患者を主人公にしたものばかり。激痛、車椅子、包帯をぐるぐる巻きにされた頭、そして死。
 その日から死について、自分の人生について真剣に考えるようになった。
 
 翌日、紹介状を手に九段坂病院へ向かった。
 病院についたのは始業直後の9時ごろ。初診なので色々と手続きをすませ、ようやく整形外科の窓口に行けたのは10時近くになっていた。すると今日の当日受付は9時前に終わってしまったと言う。明日、早い時間に来るか、予約をしてから後日来て欲しいと。
 ええ、始業直後に着たのに間に合わないなんて。そんな殺生な。僕はあわてた。それに急を要する患者なのだ、僕は。脊椎にでっかい腫瘍ができているんだ。そんな悠長なことをいってられるか。それに一応、仕事もあるし。二日続けて休むわけにはいかないよ。
 「そこをなんとかできませんか。なんだか腫瘍があるらしいんですよ。すぐに診てもらえって、他の病院で言われて来ているんです」
 看護婦さんはとてもいい人だった。入院後も何度も感じたことだが、九段坂病院のスタッフはみな親切なのだ。同情してくれた看護婦さんは「ちょっと待ってください。なんとかしてみます」と僕の切迫した表情を見て言ってくれた。
 その日の担当医は2名だった。どちらかに許可を得ているようだった。ひとりが快諾してくれた様子で、一番最後に診てくれることになった。ああ、助かった。
 2時過ぎに診察の時間がやってきた。その先生とは後日仲良くなり聞いたのだが、診察は本来午前中のみなのだそうだ。当然、僕の診察が済むまで昼食も休憩も取れなかったそうだ。
 それは若い先生だった。
 持参したCTのフィルムを見せた。
 「腫瘍ですね。そうですね、多分神経鞘腫でしょう」
 「はぁ」
 「でも組織を採取して、調べてみないとはっきりとしたことは分かりません」
 若い先生は、組織を調べてみないと神経鞘腫なのかどうか、そして悪性か良性かが分からないと言う。そして組織を調べるには手術が必要なのだそうだ。つまりいきなり手術になるわけだ。
 手術はどの程度のものかと問うと、もっとよく調べないと分からないが、腹から、あるいは背中から開き、脊椎に付着している腫瘍を切除するものだが、3時間程度で済むという。

 結局、よく分からないのだ。腫瘍がなんなのか。悪性なのか良性なのか。単発性か群発性か。治るのか治らないのか。
 そして次のことも言われた。手術を受けるとしても、手術の予約が3ヶ月先まで入っているので、その後でなくては手術をできないのだそうだ。そしてそれさえも今すぐに手術の予約をした場合でだ。
 そんな先で大丈夫なのだろうか。もし悪性だったら緊急を要するのではないか。そこを問うと、恐らく良性だろうから、その場合はかなり後でも問題はないらしいと応える。ええ、だって手術しないと良性か悪性か分からないのでしょ。その手術が最短でも3ヶ月先だなんて。もし悪性だったら、僕どうなっちゃうのぉ。
 そしてもうひとつ大事なことを言われた。手術をするとした場合、執刀するのはその若い先生になるのだそうだ。初診で診た先生が、その患者の主治医となるルールがあるのだそうだ。手術を行うのは有名な中井先生ではないのだ。

 その日は不安な気持ちがむしろ増して、手術の予約も入れずに帰ってきた。渡辺先生にもう一度相談してみようと考えた。


 神経鞘腫体験記(3)へ


神経鞘腫体験記(3)


 今日は神経鞘腫の続きである。過去2回分はカテゴリー“神経鞘腫”に収録されています。読まれていない方はよろしかったら、そちらから読んでください。

 しばらく考えた。あの若い先生に手術をお願いすべきか。良さそうな先生である。こちらの質問に一生懸命に答えてくれる。それに九段坂病院のルールなのだ。最初に見た医師が主治医になるのは。他の患者もみなそのルールに従っている。若い先生に診てもらった後、看護婦さんに聞いてみたら、若い先生があなたの主治医で、今後も変更されることはないと断言された。やはり若い先生に手術を任せるしかないのだ。
 それから2,3日ぐらいだろう、考えに考えた。ネットで情報を漁りまくった。それで知ったのだが、神経鞘腫って、ほんと珍しい病気らしくて、あまり関連サイトがないのだ。少ないネット上の情報と、渡辺先生、九段坂病院の若い先生から聞いた情報をもとに判断しなくてはならない。
 僕がそのとき持っている情報は以下のような感じだ。神経鞘腫は神経にできる腫瘍である。十万人にひとりといわれる珍しい病気だ。腫瘍ができる場所には傾向があり、主に脳、脊椎、手の神経である。僕の腫瘍は背中(腰椎なので、医師は腰という表現をしていたが、僕の感覚としては背中である)の内側にある。腰椎の内臓側にはみ出した形でくっついている。だから大きさにも拘わらず、外見的には分からない。手術をする場合は、腹部からか、あるいは背部からとなる。背部の場合、背骨が邪魔をしているので、一部を削除しなくてはならない。削除した骨はもとに戻すことができない。つまりそこの部分の背骨が欠落するので、もしかしたら背骨の強度が下がるかもしれない。また腫瘍には良性と悪性があり、良性であれば進行は遅い。悪性であれば、それはすなわち癌であり、急を要する。群発性と単発があり、群発であれば、そのほかに複数ある可能性が高い。また切除しても、後から生えてくるとことも考えられる。若い先生の見立てでは、恐らく良性であり、単発性である。しかし組織を採取するまでは断言はできない。そして組織を採取するためには手術が必要となる。つまり手術まで悪性かどうかは診断できない。
 これだけの情報で判断をしなくてはならないのだ。
 そして僕は判断を下した。やはり中井先生にお願いしたい。
 病院のルールなんか、なんだ。こちらは命がかかっているのだ。そんなことに気を使っていられるか。できるだけのことをして、それでも駄目だったら、若い先生に任せよう。もちろん九段坂病院の外科医である。一流の脊椎手術の専門家であろう。しかし、より高い確率を望みたいのだ。背中の真ん中に、鶏卵より大きな腫瘍があるのだぞ。背中といっても脊椎の腹部側だ。手術をするとしたら、腹から裂くのか、背中から背骨の一部を削除して行わなくてはならないのだ。少しでも腕のいい医者に頼まなくてはならない。
 決心した翌日、会社のビルの地下にある渡辺外科に相談にいった。
 「せっかく紹介状を書いてもらったんですが、最初に診てくれたのが若い先生で、その先生が僕の主治医になるルールなんだそうです。それで手術もその若い先生がするみたいなんです」
 「そうなんだ。あら中井先生じゃないんだねぇ」ええ、先生しらなかったのぉ、と思ったが口には出さなかった。
 「そこで相談なんですが、もう一度中井先生当てに紹介状を書いていただけませんか。強く中井先生の手術を望むって書いて欲しいんです」ちょっと図々しいかと思った。2回も紹介状を書いてもらうなんて。それにルールを曲げることになるし。医者同士としてはまずいのかもしれない。しかしあっけなく、
 「いいですよ。やっぱり中井先生がいいよね、そりゃ」と快諾してくれた。
 「ありがとう、ございますう」

 僕は喜び勇んで九段坂病院に予約の電話をかけた。するとここでまた問題が生じた。中井先生は大人気で、診察の予約も2ヶ月も待たなくてはならないのだ。そして、診察後に手術の予約を入れることになるのだが、中井先生はとてもとても大人気なので、手術はその3ヶ月、あるいはもっと先になってしまうという。
 それでも良いですかと、病院の事務の人に聞かれた。そんなぁ。どうして背中にでっかい腫瘍がある病人が、そんなことを判断しなくちゃならないんだよ。ちょと殺生じゃない、と思った。が、これももちろん口には出さなかった。
 若い先生でも手術は2,3ヶ月先になるのだ。2,3ヶ月も半年も同じだ。きっと良性だよ。ならば急がなくてもいいんだ。初志貫徹でいこう。ということで、多少気持ちが揺れたが中井先生で予約をお願いした。予約の電話を入れたのは2006年の10月だったと思う。診察の予約が取れたのは12月の中旬だった。

 神経鞘腫体験記(4)へ


神経鞘腫体験記(4) いよいよ中井先生の診察


 今日は神経鞘腫の続きである。過去3回分はカテゴリー“神経鞘腫闘病記”に収録されています。読まれていない方はよろしかったら、そちらから読んでください。

 12月の診察日がやってきた。正直いって、随分待たされたと思った。96年の夏に背中に痛みを感じ、渡辺内科に行ったのが10月ごろである。すぐに神経鞘腫だといわれ九段坂病院へ駆け込んだのが、その翌日だ。最初に見てもらったのが若い先生で、不安に感じ、名医の評判が高い中井先生(九段坂病院院長)の診察予約をすぐに入れた。予約を入れてから2ヶ月が過ぎていた。そしてようやくその日になった。待望の中井先生の診察日だ。

 九段坂病院の整形外科はものすごく人気のあるところだ。朝、9時から診察が始まるが、8時ぐらいから患者が押し寄せる。日本全国から来るそうだ。9時には待合席が一杯になり、他の科の席にまで整形外科の患者が溢れる。
 そのぐらい人気なのだが、診察室は結構しょぼい。古い診察室は白いカーテンのような布で仕切られているだけだ。だから診察室の前に行くと、医師と患者の声は筒抜けだ。
 予約はたしか10時ごろだった。そのちょっと前に行き、一般の待合室で待った。看護婦さんが僕の名前を呼んだ。待合席から白い布で間切られた診察室の前の席に移らされた。医者の声が聞こえる。おそらく中井先生だ。大きく力強い声だ。いわゆる滑舌の良いというやつだ。
 その滑舌の良い声が大きく僕の名を読んだ。「はい」こちらも少し大きめな、でも病院なので多少控えて返答をした。
 例の白い布をめくって、診察室に入った。思ったより若い。50代前半ぐらいだろうか。額が大きく横広で、いかにも頭の良さそうな顔をしている。顎もしっかりとはっていて、自信に溢れた顔だ。この顔だ。僕が待っていたのは。

 部屋に入ると中井先生は僕のCTを見ていた。
 「神経鞘腫だね」
 「はい」
 「大きいね」
 「はい」
 「違和感ない?」
 「少し痛みます」
 「だろうねぇ。これだけ大きければ」
 「これ、けっこう古いよ。随分前からあるみたい」
 中井先生の説明では、腫瘍を避けるように背骨が発達している。たまにガードレールを避けて成長した桜などの街路樹があるが、あれと同じ理屈で僕の背骨は腫瘍を包み込むように、そこの部分がえぐれて形成されている。つまり成長期にはすでに腫瘍があったと思われる。
 「うん、これだけ大きくなるには期間が必要なんだよ。良性の腫瘍は成長が遅いからね」
 「え、良性なんですか」
 僕は心の底から驚いた。一番、心配していたことがさらりとクリアされてしまったからだ。だって若い先生は細胞を採取してみなければ分からないって、何度も言っていたのに。それであれだけ悩んだのに。
 「あの、でも○○先生は手術してみなくちゃ分からないって言ってましたけど」僕の声は喜びとともに多少、○○先生への非難が込められたものだったろう。
 「そう。でもこれ、良性だよ」中井先生は、僕の嬉しさも非難もすべて包み込むようにニコニコしながら答えた。
 やったー、心の中でガッツポーズを取った。それさえ分かれば、こっちのもんだ。もう、何ヶ月だって待ってやる。今、聞いた話では10代のころからあったかもしれない腫瘍なのだ。焦る必要なんか、全然ない。やっぱり中井先生だ。
 「これ取ったほうがいいよ」と言って、中井先生は説明を始めた。
 この神経鞘腫は良性だが取ったほうがよい。なぜなら今でも成長を続けているからだ。このままにしておくとどんどん大きくなって、しまいにはハンドボール大までなってしまうこともあるらしい。今はそれほど悪さをしていないようだが、神経に直接生えている腫瘍は色々な障害をもたらす。だから症状が出る前に取るべきなのだ。また小さいほうが手術も軽くて済む。

 「神経がね、遮断されちゃうんだよ」ちょっといいかな。と言って、僕をベッドに寝るよう促がした。そこで足を延ばしたり曲げたりさせられ、筋力を調べられた。問題はないようだ。続いてズボンを脱がされ、針で左足をつつかれた。
 「感じますか?」針といっても先の丸いもので、そんなに痛くはない。ほんのちょっとチクチクする程度だ。膝の辺りから徐々に上に向かい、針を当てる。すると膝からわずか3センチぐらいのことろで、「あれ」と思った。感じないのだ。
 「感じません」
 信じられない。僕は知らなかった。自分の左脚の膝からすぐ上が針で突かれても何も感じない状態であることを。針を色々な場所に当てて分かったことは、僕の左脚の太もも前面はほぼ全て感覚がなくなっているという事実だった。
 中井先生は理科の教室にあるような人体模型の、背骨の部分を持ち出して説明してくれた。僕の腫瘍は第2腰椎と第3腰椎の真ん中から生えていて、そこから体に伸びる神経の機能を阻害している。阻害されている神経は左脚へ伸びているもので、その結果左脚の感覚が麻痺している。一度死んだ神経は蘇生することはない。ゆえに僕の左脚の腿の感覚は手術をしても治らない。手術が遅れると、腫瘍がさらに大きくなって、他の障害が生じる可能性が高い。

 気持ちは複雑だった。中井先生はCTの写真を見ただけで良性だと断言してくれた。これはとっても嬉しい。一方、嬉しくない事実も明らかにしてくれた。僕の左脚の太ももの神経は蘇生しない。手術が成功しても、一生そこはなんにも感じないのだ。
 でも考えてみればその日、針を当てられるまで気付かなかったようなことだ。大した問題ではないのではないか。太ももの触感がなくて不便な機会などそうはない。クラブのお姉さんが左隣に座って、手を腿の上に置かれても気付かないことぐらいじゃないか。そんな機会はめったにないしね。
 当然、そのときはクラブのお姉さんのことまでは気が回らなかった。だから複雑ながら、嬉しい気持ちが勝っていた。しかしもうひとつ気になることがある。それはこの自信たっぷりの中井先生が僕の主治医になってくれるかどうかだ。その日はあくまでも診察をしてもらうだけの予約だった。今後、中井先生が主治医になるという話ではない。九段坂病院のルールではあの若い先生が僕の主治医であり、その日はいわばセカンドオピニオンとして、中井先生に診て貰っただけだ。

 僕は渡辺先生に書いてもらった紹介状を鞄から出し、中井先生に手渡した。先生はすぐに封を開け、紹介状に目を通した。読み終えた頃を見計らって、単刀直入に中井先生に言ってみた。
 「中井先生に主治医になってもらいたいんです」


 今日のサービスショット。この写真は昨日の夕方撮影したもの。夕日の当るキャビネットの上で、外を眺めるフクちゃんを撮ろうとしたら、カメラに気付きカメラ目線に。

 神経鞘腫体験記(5)へ

神経鞘腫体験記(5) さきはまだ長い


 今日は神経鞘腫の続きである。過去4回分はカテゴリー“神経鞘腫体験記”に収録されています。読まれていない方はよろしかったら、そちらから先に読んでください。

 中井先生は黙って紹介状から目を離した。そして言った。「渡辺先生、元気?」
 え、そんなことなんで今聞くの? そう思ったが、勿論口には出さなかった。
 「はい、元気です。中井先生によろしくお伝えくださいと言われました」
 「そう、元気か、良かった」
 「あの、ところで、僕の主治医なんですが、やっぱり変更するのは難しいんですか」
 「あ、ごめん、それね。いいですよ」
 まじかよ、と思ったが、勿論これも口には出さなかった。そして再び、心の中でガッツポーズである。
 「あの、それって手術も中井先生にお願いできるってことでしょうか」
 一番、聞きたいことを聞いた。主治医って、どういうものか僕には良く分からない。それより直接、手術をこの名医の手で行ってもらいたいのだ。
 「ああ、いいですよ」中井先生は僕の喜びを察知してか、満面の笑みで答えた。
 「ほんどうですか。ありがとうございます」不幸中の幸い、泥中の蓮、災い転じて福となす、地獄に仏、なんて言って表現していいのか分からない。とにかく、救われたと思った。危機一髪である。まずは一歩前進、それも最高の一歩を踏むことができたと思った。

 その日の診察はそれで終わった。この数ヶ月、心配で胃が痛くなるほどだった悩みの幾つかが今日、解決をした。
 僕は悪性腫瘍ではない。背中に生えているのはでっかいが良性の腫瘍だ。サイズが大きいだけで癌ではない。だからすぐに手術は必要ない。そして手術はあの中井先生がしてくれることになった。
 最近、調べまくって分かったことは、手術の結果は医者の腕次第だということだ。腕が悪ければ、盲腸で死ぬこともある。反対に腕がよければ、難手術も高い確率で成功に導ける。
 患者である僕ができることは良い病院と良い医者を選ぶこと、これだけだ。あとはせいぜい、心配しすぎずに心の安静を保つぐらいだ。まずは最初の難関を突破したといえる。考えうる限り、最高の病院と最高の医師をゲットしたのだ。患者としての第一歩は、上出来の第一歩である。

 診察室を出ると、九段病院に初めて来た日に対応してくれた看護婦さんが立っていた。この看護婦さんは朝早く来たにも拘わらず、その日は予約が一杯で、翌日再度来なくてはならないと言われた僕の窮状を見て、便宜をはかり、その日の一番最後に診察を押し込んでくれた恩人だ。その後、中井先生に主治医になってもらいたいことについても相談をしていた。それで早速報告をした。
 「中井先生が手術をしてくれることになりました」
 「ほんと、良かったわね」看護婦さんは自分のことのように喜んでくれた。

 その後、事務管理を担当する係りの人に病室の空き情報と中井先生のスケジュールを伺った。その日は12月の末であったが、病室は2月一杯まで満室。さらに中井先生は4月末までスケジュールが入っているとのことだった。それを聞き、すぐにでも予約を入れたかったが、一応仕事の予定もある。会社に戻り、上司と相談してから予約を入れることにした。

 病院を出ると外は冬の青空だった。冷たいが気持ちの良い風を頬に受けながら、まずは第一関門を突破した喜びを改めて感じた。そして同時に、これはまだスターとなのだとの思いを新たにした。乗り越えなくてはならないことはたくさんある。まだまだ先は長いのだ。
 時間は昼前だった。会社には1時ごろ出社すると連絡してある。まだ時間は少しある。そうだ、あそこに行こうと思った。九段坂病院の氏神様、僕が勝手に決めたのだが、にお参りをしてこよう。今日の報告と、これからのことを祈ってこよう。
 九段坂病院のすぐ近くには靖国神社が静かに大きく鎮座している。冒頭、僕はこの文章は病気との闘いの記録ではないと書いた。しかしそれは、後から余裕を持って思ったことだ。当時としては、何が何でも勝ち抜いてやるという切羽詰った闘争心が僕の中にはあった。
 僕は戦いの神、靖国に行って、戦いの心構えを誓い、そして勇気と運を授けてくれるよう祈りに行こうと思った。

 神経鞘腫体験記(6)へ

神経鞘腫体験記(6) ついに入院


 今日は、うーんと久しぶりに神経鞘腫の続きである。前回は6月だから半年近くほったらかしであった。最近、“神経鞘腫”や“九段坂病院”、“中井先生”で検索してこのブログにやってこられる方が多い。前回は中井先生の診察で終わっている。まだ入院もしていないのだ。せっかく“神経鞘腫体験記”を目当てに来ていただいた読者に申し訳ない。ひさしぶりに神経鞘腫体験記を読み返し、そのことに気付き本日あわてて書くことに。
 過去5回分はカテゴリー“神経鞘腫体験記”に収録されている。読まれていない方はよろしかったら、そちらから先に読んでください。

 今、2007年の手帳を開いている。1月12日に入院予約とある。そして1月23日、再度中井先生の診察を受けている。29日には循環内科の診察も受けている。しかし、正直これらのことは忘れてしまった。入院前の検査だったのだろう。
 ちなみに病気とは関係ないのだが、2月18日、合気道の昇段試験とある。2段を受けたのだ。結果はめでたく合格。合格が不合格は、このテーマとは関係ないが、関係あるのは入院が決まったのに、相変わらず合気道は続けていて、さらに昇段審査まで受けていることだ。左脚腿の知覚神経がなくなってしまったことは書いたが、そのときも勿論左腿の知覚はなかった。背中の鈍痛は続いていた。でも昇段審査を受けられる程度だったということだ。そんなに大したことはなかったのだ。
 そのほか、久しぶりに会社員時代の手帳を読んで気付いたことは、当時はよく飲み歩いていたということだ。毎週2,3度は飲みに行っている。背中が痛くても、お構いなしに飲み続けていたのだ。我ながらそのバイタリティというか酒への誘惑にたいする意思の弱さには驚かされる。

 ついにやってきた。入院の日が。5月7日である。1月12日に入院の予約を入れて、約4ヵ月後である。中井先生のスケジュールに合わせた結果である。先生はとても人気があるので仕方がない。こちらから望んだ入院時期である。
 さて当時、僕は勤め先の同僚や後輩に対し、「入院日誌」というのをメールで送っていた。入院当初はよく書いていた。まだ調子がよかったので。術後はそれどころでなくなってしまい、途絶してしまったのだが。全部で8回書いている。それを暫くは転記する。

----------------------------------------------------------------
【入院日誌】2007年5月7日

 本日、九段坂病院に入院しました。かなりの荷物を担いで、逗子からひとり横須賀線に乗り、ひとりで入院の手続きをしました。こんなときは独り身はちょっとさびしいです。
 本日の検査は肺活量、心電図とレントゲン、他でした。肺活量は4200程度で、一般より18%多いそうです。が中学生のときに確か4500CC程度あったと思いますので、歳のためかと、少し消沈しました。そのほかは問診と脚や腕を押したり、引っ張ったりの検査でした。また屈伸や、柔軟のような体操をさせられたのですが、もとよりまったく自覚症状のない健康体(自覚的には)ですので、なんなくこなし、少し得意げになりました。ひとつベッドをはさんで、隣のご老人はどの検査も苦戦しており、その直後でしたので、思わず胸をはってしまいました。

 皆さんはご興味ないかもしれませんが、本日の献立です。

昼食 卵のあんかけ、白菜のおひたし、味噌汁、ご飯200グラム
夕食 ブリの照り焼き、筑前煮、豆の甘いやつ、グレープフルーツ半分、ご飯200グラム

以上です。正直、うまかったです。5分で平らげました。あまり早く食べると、後で腹が減ると途中で気付いたのですが、とまりませんでした。さっき夕食を食べたばかりですが、なんだかもう腹が減ってきた気がします。早く朝食が食べたい。

 今日は検査のほかは読書とDVD鑑賞をしました。木村さんに薦められ、DVDをそろえてよかった。本日の鑑賞はイングリッド・バーグマン主演のガス燈でした。途中で検査が入ったり、シャワーを浴びたりしたのですが、それでも十分楽しめました。しかしイングリッド・バーグマンって清楚な顔をしてるわりに、豊乳です。元気な病人にはちょっと刺激的でした。

 他、読書は古典の知恵袋(小堀桂一郎)を少し読みました。そこで面白かった話。「ふるまいとは進退の二字なり。身の振り回しをふるまいといふ。今時は人に食物を食わするをふるまいといふは誤りなり。人に食物くはするはもてなしという」(貞丈雑記)
 ちょっとためになったでしょ。では、元気があればまた明日書きます。
----------------------------------------------------------------

 一回目の入院日誌だ。なにか楽しそうである。そう、実は入院は楽しかった。辛かった記憶はほとんどない。痛かった記憶はあるが。総じて入院生活を楽しんだと思う。この入院日誌を読んで、その感想を新たにした。
 暫く「神経鞘腫体験記」は入院日誌を中心に書いていくつもりだ。

 神経鞘腫体験記(7)へ


神経鞘腫体験記(7) 幸いは突然現れる


 本日は7回目の神経鞘腫体験記である。前回に引き続き、入院中に書いた「入院日誌」を転載する。今回は2007年5月8日に書いたものだ。病気には関係のない話が中心だが、入院生活の一端がうかがえるので、全文掲載する。

 過去6回分はカテゴリー“神経鞘腫体験記”に収録されている。読まれていない方はよろしかったら、そちらから先に読んでください。

----------------------------------------------------------------
【入院日誌】2007年5月8日

 本日大変喜ばしいことがありました。
 昨日の入院通信に“ごはん200グラム”とあったのを覚えてますか。なぜ200グラムと分かるのか疑問に思いませんでしたか? その答えは食事と一緒に毎回、「山本拓也」の名前が記された紙切れがトレーに乗っているのですが、そこにはっきり“ごはん200グラム”と書かれているからです。それで昨日の入院通信には、不満を世間に訴えるつもりも多少は込めて敢えて200グラムと書きました。
 本日、栄養士さんが新規の入院患者に食事の説明にきました。自分は“常C”というランクだそうです。例の紙切れをよく見ると確かに“常C”と書かれています。一般の食事が可能なCレベルの量という意味だそうです。“常”は糖尿病などのように種類に制限がない一般の食事という意味ですので喜ばしいのですが、問題は“C”の方です。自分は身長から類推して“C”の量が適当であると病院側は決め付けてきたのです。それで僕のごはんは毎回200グラムなわけです。
 しかし身長でごはんの量を決め付けるのはちょっと拙速な感じはしませんか? こういう施策を病院側が厳格に励行した場合、トラブルになる可能性もあると思うのです。たとえば背の高い人と低い人が同室に半数ずついた場合、かなり険悪な雰囲気になりかねません。別の部屋に分けて入れた場合は部屋同士の抗争になるかもしれません(なわけないですが)。
 それに身長170センチでやせている人もいるし、柔道の古賀のような筋肉隆々の男もいます。それを画一的に“C”でくくってしまうとは。

 そこで僕は「ちょっとそれってないんじゃないですか?世間には痩せている人もいるし、筋肉隆々の柔道の古賀みたいな人もいますよ。なに、古賀を知らない。しかたないな。じゃあ、キッド山本、あれなら知ってるでしょ。あんなふうに小さくてもモリモリしてるのもいるんですよ。さらにですね、自分は毎週末合気道の稽古に励んでいるし、毎日往復4キロの山道を歩いているんですから」
 とは勿論言いませんでした。ただ「あ~、身長で決めたんですか。もうちょっと高めで申請しておけばよかったかなぁ」と冗談っぽくささやいてみたまでです。前日の検査で身長だけは自己申告だったことを思い出してのことです。
 すると栄養士さんは、「ご飯の量を増やすことは可能ですよ。おかずは無理ですけどね」と天使のような笑顔で言ってくれたのです。

 ということで今夜から僕のご飯は250グラムになりました。ねぇ、大変喜ばしい話でしょ。ちなみに今までは1850キロカロリー。明日からは2090キロカロリーパーデーです。入院中、ちょっと太っちゃうかもしれません。


本日の検査
1 検尿
2 採血
3 耳たぶをカットしての血の固まる速度検査
4 採血検査再び
5 造影剤を注射してのMRI(ちょっと辛かったです)

本日の食事
【朝食】 高野豆腐(二切れ)、大根と人参の酢の物、カボチャとモヤシの味噌汁、ごはん200グラム
【昼食】 ハヤシライスのルー(なんとかソースっていうやつ)、キュウリと白菜とレタスの和え物、ごはん200グラム、オレンジ半分
【夕食】 白身魚の味噌煮、小松菜と人参の胡麻和え、大根おろし、豆の甘いの、ごはん250グラム(!!)



 今日見た映画は「モロッコ」でした。昨日の清楚なイングリッド・バーグマンとは打って変わって主演は妖艶なマレーネ・ディートリッヒです。1930年の作品で、見る前は古すぎて退屈ではないかと危惧していましたが、結果はオーライでした。ディートリッヒって写真で見ると全て大作りで、ちょっとエキゾチック過ぎるように見えますが、動いている姿はチャーミングというか、かわいらしくさえ見えました。
 相手役の俳優はゲーリー・クーパー。実は今この文章を書くためにDVDのキャストを読んで初めてゲーリー・クーパーだってことに気付いたのですが、「ローマの休日」のゲーリー・クーパーとは全然違って、気障でこれも中々かっこよかったです。

 今日もビールものまず、日本酒も啜らずの悲しい夜です。昨夜は同室の方々のイビキの合唱が始まってしまい、どうにも眠られずナースセンターまで行き、睡眠薬をもらいました。
本日は、できれば飲まずに眠りたいと思います。
 明日は造影剤を注射してからCTを撮るかもしれません。この造影剤は直接脊髄に注入するらしいです。かなり痛いと評判です。あ~。
 昨夜はあまり寝てませんし、今日は検査が沢山あり疲れました。そうそうに寝ます。では。

 神経鞘腫体験記(8)へ

神経鞘腫体験記(8) 初めてのお出かけ


 今日は一年ぶりの検査で、九段坂病院に行ってきた。今も年に一度、検査を受けているのだ。
 本当は、今日はMRIを受ける予定であった。前回の検査のときに、中井先生にそう言われていた。そして予約のときに、その旨を伝えるようにも言われていた。ところがそれを忘れていた。それが今日、思い出し、「そういえばMRIを受けるように言われているんですが」と、受付の看護師さんに言ったところ、MRIには予約が必要で今日は無理だと言われた。しかし1年に一度の検査だし、待っても構わないので何とかならないかとお願いしたところ、では中井先生に確認してみると言われた。しばらくして看護師さんが中井先生の回答を持ってやってきた。
 結果はNGであった。そこで私が思ったこと。それは、“さすが中井先生、妥協やアンフェアーは許さないんだな”、であった。こうでなくては、あれだけ人気の病院の院長は務まらない。かえって感心した次第である。

 さて、本日もまた「入院日誌」の続きである。あらかじめ申し上げておきますが、病気以外の話題が中心でちょっと長いです。

 ----------------------------------------------------------------
【入院日誌】2007年5月9日

 本日は初の外出をしてきました。今日は採血も検尿も放射能や電磁波も浴びることなく、つまりなんの検査も幸いにありませんでした。脊髄のCTが明日に延期になったのです。
 そこで外出を申し出てみました。実は昨日も申し出てみたのですが、検査の時間が確定せず、許可はおりませんでした。本日は検査がないことから、すんなりと許可が出て、外出とあいなりました。
 たった3日ぶりですが、シャバはやっぱ良いものですね。特に今日は27度もあるらしく、ここ九段坂は照り返す夏の日差しと、皇居や北の丸公園、靖国神社に繁茂する木々の息吹がいつにまし、シャバのありがたさを感じさせてくれました。
 久しぶりのシャバですが、なんの予定もなくブラブラとまずは神保町まで。神保町は僕の愛用の街角ナンバーワンなんです。そのナンバーワンが病院から徒歩10分にあるとは。自分の幸運をかみ締めながら、暑い日差しのなか古書店をめぐりました。大抵は、2,3冊は何か購入するのですが、今回は荷物になるため、初めから1冊と決めました。最初に気に入った本があればそれで打ち切り。神保町を離れようと思ったのですが、本日はなぜか1冊にめぐり合えず、10店ほど覗いてようやく見つけました。
 その1冊とは「ターニング・ポイント」(フリチョフ・カプラ)です。カプラの本は以前読んだことがあります。「タオ自然学」という本で、いわゆるニューエイジサイエンスの代表的な本です。ニューエイジサイエンスとは物理学や科学を東洋哲学で説明するもので、たとえばデジタルの二進法を易経の陰陽から解説してみたりします。カプラは物理学者なのですが、物理学に明るくない僕のような浅学にも分かりやすく、本当は難解な物理学のテーマを取り上げます。そのアプローチは斬新で、少なからずショックを受けました。その著者の作ということで、購入を即決しました。
 購入後は神保町を後にし、靖国神社で手術の無事を祈願し、ぐるっと千鳥が淵をまわって帰ってきました。
 帰ってすぐに木村さん、なますくん、鈴木さんが見舞いに来てくれました。入院してから3日しか経っていないのに、久しぶりな感じでした。3人ともありがとう。今夜、さっそく錦松梅を振りかけにして食べました。錦松梅とはセンスいいっすね。セレクトは生須ですか?
 しかし今日はいい天気でした。街を行く人の装いは先週とまったく変わっていました。僕が入院した月曜日の朝は結構寒くて、上着をもう一枚羽織るか迷ったほどですが。今日はみんな半袖またはノースリーブです。僕は半袖は退院の時用に1枚しか持ってきていなかったので、長袖のシャツで出たのですが、途中で暑くてシャツは脱いでしまい、下着のTシャツで歩いてしまいました。
 病院で消毒液の香りとパジャマ姿の老人に囲まれて過ごす身には、道中、初夏の装いで闊歩するフェロモン系にはちょっと圧倒されました。
 しかしここはアカデミズムと聖域の街です。そこには奥ゆかしさが当然のごとくあります。ここが道玄坂でなく九段坂でよかったと改めて思いました。


本日の検査
なし

本日の食事
【朝食】鮪のそぼろ、白菜の煮物、キャベツの味噌汁、牛乳200CC,ごはん250グラム
【昼食】サトイモとこんにゃくの味噌田楽、竹輪の天ぷら、キャベツの千切り、ごはん250グラム、バナナ1本
【夕食】豆腐と肉の煮込み、ほうれん草とキュウリの酢の物、切り干し大根、ごはん250グラム


 今日の映画鑑賞は「アラバマ」。またグレゴリー・ペック主演です。今日のペックさんは中年のお父さんでした。昨日の「モロッコ」では若いプレーボーイでしたが、今日はお父さんで弁護士です。どの役も決まってます。彼のようなオールランドプレーヤーは最近いなくなったように思いながら見ていました。しかしいなくなったわけは、単に人材がいなくなってきたのか、時代が求めていないのか、どちらなのでしょうか。
 映画の内容というか感想は後で少しだけ述べますが、まず見ていて気付いたのは映画の中の住民が住む家の造りです。ペックさんが住んでいる町の家々が、現代のアメリカのちょっと郊外にある家々とまったく同じスタイルの建物なのです。1階または2階家で、屋根の軒が大きく張り出し、1階には庭に面してベランダがあります。色はモノクロ映画なので断定できませんが、きっと白または薄いブルー、またはピンク、クリームといったところでしょう。
 最近、自分は家を購入したばかりなので、わりと家には関心があるのですが、日本の住宅は古ければ古いほどデザインも質も高いように思います(耐震は別ですが)。逗子にも新築がちらほら建っているのですが、よほどの高級住宅でないかぎり、住んでみたいと思うような家はありません。目を引くのは古い家ばかりです。日本の家は耐震は別として、レベルダウンしているのではないでしょうか。
 それに比べてアメリカでは60年前の映画と同じ町並みが今も作られています。だからアメリカの方がよいという結論は単純すぎことは承知していますが、住宅についての哲学は現代に限ってみれば、彼我の差があると言わざるを得ないように思いました。
 最後に映画のできばえですが、今まで見た3本のうち、一番良かったです。これはお勧めです。DVDの画質もまったく問題ありません。ストーリーは家族愛、正義、倫理、人種問題、障害者差別となかなか複雑に織り成されています。それでいて決して過激ではありません。人が殺されたり、法廷シーンなどもあるのですが、全体的に長閑で優しげなトーンです。機会があれば、見てみてください。ご希望の方はお貸ししますので、九段坂までどうぞ。

 最後に昨日のごはん話の続きを少し。
 好事魔多し、油断大敵とはこのことです。昨日、200グラムから250グラムにごはんの量をアップしてもらった話は書きました。みなさんきっと、「入院通信」を読んでいて、自分のことのように喜んでくれたのではないでしょうか。さっそく読者の方々から「よかったですね」との祝福のメールを多数受け取りました。
 200グラムのごはんとは、どのていどの量かみなさん、おそらくご存知ないと思います。200グラムとははだいたいどんぶりに軽く1杯といったところです。社食のごはんの量と思ってください。で、250グラムとは? これは凡そ、どんぶりで軽い大盛りです。社食でおばちゃんがごはんをよそってくれたときに「もうちょっとお願いします」というと、しゃもじに半分程度を追加してくれると思いますが、あの程度の量です。
 みなさんご存知かどうか。大抵、僕は外で注文するときはごはんは大盛りです。まあ無料の場合ですが。有料の場合はおかずによって、大盛りにしないケースもあります。
 だから大盛りについてはなんら抵抗感のないタイプの男です。むしろ好意的に受け取る傾向すらあります。だから250グラムへの変更は、自分としては至極当然であり、まったくの確実な選択であったと考えていました。
 しかしです。そこには大きな、そして重苦しいような落とし穴が待ち受けていたのです。なぜか。僕が通常大盛りをお願いするのはランチの定食家です。ここで定食家の方にはとくに注目する必要はありません。ときには洋風なレストランのときもあるし、喫茶店のときもあるのですから。注目してほしいのは“ランチ”の方なのです。僕がいつも大盛りを食べるのはランチでなのです。というかランチでしか大盛りは食べないのです。朝は家で玄米ごはんですが、どんぶりで軽く一杯です。夜はビールなど飲みますので、これも軽く一杯です。相撲取りや中学生じゃあるまいし、毎食大盛りを食べているわけがありません。
 ところがです。ここの病院は3食とも250グラム、つまりどんぶりで大盛りを3食とも出してくるのです。とんでもない話だとは思いませんか。
 いくらこちらがベースアップを要求したからといって、そこまできちんと答えてくるとは。給料のベースアップなら100%回答は嬉しいばかりですが、ごはんのベースアップはそこそこの妥協点で回答してくるべきではないかと、思いませんか。
 僕は今朝からずっとごはんの大盛りを食べ続け、正直常時おなか一杯の状況です。
 病院に入るといろんなことが見えてきます。自分の浅はかさとか。

 神経鞘腫体験記(9)へ


神経鞘腫体験記(9) 造影剤って、痛いの?



 神経鞘腫の話になる前に、現在の話。今日は4時起き。布団の中は湯たんぽで暖かいけど、出ると寒い。外は真っ暗。出たくない。でも起きなくては。
 今日は9時から鎌倉青色申告会のマンツーマン講義、最終日である。本当は4回の予定であり、昨年で終了のはずであったが、お願いして一回延長し、今日が最後だ(出来が悪いので、4回では終わらなかったのだ)。
 早起きしたのは(いつもよりちょっとですが)弥生会計に最後の入力を済ませておくためだ。未記入であった12月の支払いや、過去の分の再確認に2時間程度費やす。これですべて入力は終了した。あとは鎌倉青色申告会の人に確認をしてもらい、出力をしておしまい。完全な損益計算書と貸借対照表ができあがるはずだ。できあがってしまえば、3月の確定申告にその数字をもとにした書類を出せばよい。早く終わって、助かる。
 これから歩いて鎌倉へ向う。ノートPCをリックに入れて、いつもの大町経由で45分。テクテク歩いて行く。今日も天気が良いので富士山が見えるだろう。ハイキングのようできっと気持ちがいい。

 さてここから神経鞘腫の話だ。相変わらず以前書いた入院通信のコピー&ペーストだ。久しぶりに読み返すと、変にハイテンションで恥ずかしい、これも入院と検査の日々が影響かもしれないので、正直にあえてそのまま掲載する。では、お読みください。
 
----------------------------------------------------------------
【入院日誌】2007年5月10日
ハロー、みなさん。

 本日は、ハロー、おはようさんです。なぜなら本日は午後6時から検査が予定されていて、以降メールを書けないと予想されるからです。だから、まだ午前中ですが、このメールを書き始めています。

 本日の検査は例のやつです。ついに来てしまいました。脊髄に造影剤をズブリと注入し、脊髄に造影剤を行き渡らせてからCTスキャンを取ります。痛そうです。
 昨日、検査の説明にナースさんが来たときに、ストレートに「その検査っていたいですよね」と聞いてみました。すると「造影剤を注入する前に痛み止めの麻酔を注射するから大丈夫だと思いますよ」とのこと。しかしそんなの背骨の中の神経まで麻酔は届くのだろうか? 僕が不安げな顔をしていると何か言わなくちゃと思ったらしく「そうですね。今まで外に悲鳴が聞こえるほど痛がった患者さんは一人もいません」となんだか慰めだか、脅しだか分からないような説明をしてくれました。
 本日はその検査に行ってまいります。
 ちなみに検査の後は自分で動いてはいけない、または動けないらしく、車椅子で病室まで帰還するそうです。ナースさんは「車椅子なんて乗ったことないでしょっ」とこれも喜ばせてくれるつもりで付け加えてくれました。大変、待ち遠しくなった次第です。


本日の検査
1 脊髄に造影剤を注入してのCTスキャン

本日の食事
【朝食】たまねぎの卵とじ、海苔、おふと菜っ葉の味噌汁、牛乳200グラム、ごはん250グラム
【昼食】イカの煮物、インゲンの胡麻和え、サトイモの蒸かし、ごはん250グラム


 本日の映画鑑賞は「ブリジットジョーンズの日記(きれそうなわたしの12ヶ月)」です。実は本日の検査は造影剤が強いため、検査後に大量の水分を取らなくてはなりません。その水分は水でもお茶でもコーラでも何でもよいらしいのですが、自分で用意するよう求められました。それで病院の2階にある売店で先ほどペットボトルのミネラルウォーターを買ってきたのです。そこで偶然、レンタルDVDを発見。たまには新しい映画もよいかと思って借りてきました。全然、新しくないって声が聞こえてきそうですが、日々50年以上前の映画を観ている身からしては、十分新しい映画です。

 とここまで書いていて、コールが来てしまいました。では、言ってきます。明日、元気があれば結果を報告します。

チャオ!

神経鞘腫体験記(10)へ

神経鞘腫体験記(10) 同室のKさんの話


 今日はまた神経鞘腫体験記だ。入院日誌の続きである。久しぶりに読み返すと、相変わらず軽いのりで、こうして改めて転記するのは恥ずかしい。ただどれも当時の正直な気持ちの記録である。
 軽いのりは、明るく振舞いたい気持ちの表れだ。正直、当時は死を意識していた。医師に相談すると、笑い飛ばされた。しかし始めての経験である自分にとって、脊椎から腫瘍を取り除く手術は100%、安全だとは思えなかった。何かのトラブルが生じ、そのままあの世へ行ってしまうかもしれないという気持ちは、どうしてもぬぐうことはできなかった。そんな気持ちが底部にあることに免じて、一人よがりの日記をお読みください。

----------------------------------------------------------------
【入院日誌】2007年5月11日

 脊髄に造影剤を注入する検査を受けてきました。その様子は後日、機会があればお伝えしたいと思います。興味を煽っておいて、こんな書き方はメールを読んでいただいている方への失礼になってしまうのは重々承知していますが、病人のわがままと諦めご容赦ください。そうはいってもひとこと結果のみは報告いたします。
 ものすごく怖かったです。注射針が背中に当たっただけで、ビクンと反応してしまいました。しかし恐怖はそこまでで、麻酔注射もさして痛くなく、造影剤の注入はいつ始めて終わったのかも分からないほどの感触でした。脊髄に液体を注入するという信じられないような行為をほとんど無痛で行ってくれた現代の医療レベルとスタッフの方の技術は驚くほどです。

 今日は他の、でも造影剤についての話です。
 僕の同室に、僕と同じ日に入院された70代後半のKさんという方がいらっしゃいます。「入院通信No.1」で少し触れた年配の方です。最初の検査で脚を押したり、引っ張ったりで筋力を診断したのですが、その男性は痛がっていらっしゃり、うまく力をこめられませんでした。僕はその方と比較して、自分の筋力を誇り(簡単な検査ですから健康な男性なら、だれでもできる検査です)、自分が得意げになったことを書きました。
 kさんと僕は同日に入院したので、なんとなくお互いに意識しあう関係だと思います。この病院では各フロアにシャワールームが1室のみあり、交互に使います。ナースセンターの前にホワイトボードがあり、シャワーを使いたい人は名前を記入します。使用した後は、次の順番のひとに通知します。
 なぜだか入院後の数日間、僕の後の順番はKさんでした。そこで僕はシャワーのあと、「シャワーあきましたよ」とKさんにお伝えしました。その時Kさんは「いつもありがとうございます」と入浴道具を抱えながら深くお辞儀をしてくれました。Kさんはそんな方です。
 同日に入院したので、造影剤の検査も同じ昨日でした。検査はKさんが先でした。僕はKさんが検査に呼ばれたことは気付きませんでしたが、車椅子で戻ってきたKさんを見て、「あ~、そういえばKさんも今日だったな」と思い出した程度です。

 僕も無事検査を終え、車椅子での帰還とあいなりました。車椅子で戻ったあとは、4時間の静養。その間は、ベッドにて1リットルの水分を採らなくてはなりません。
 その際、水分が冷蔵庫にある場合はナースコールでナースさんを呼び、水分(僕の場合はミネラルウォーター)をコップに注いでもらい飲むことになります。1リットルも飲めばトイレも近くなります。この水分補給は造影剤を尿として排出することが目的ですので当然です。ただトイレはやはり自分の脚で行くことはまかりとおりません。毎度、ナースコールで車椅子に出動してもらい、それに乗ってトイレへと向かいます。
 車椅子を使わなくてはならないほど、足かふらついたり、立ち上がれなかったりするのかというと、そんなことは通常ないのではと思います。ではなぜ、そこまで慎重にするのか。ナースさんに伺った内容と自分なりのアテズッポですが、ふたつ理由があるようです。
 ひとつは痛み止めの麻酔が暫く効いているため。麻酔は背中の局部だけでなく、多少は体全体に循環してしいます。その結果、脚がもつれる恐れがあります。頭で感じる感覚は問題ないので、きちんと踏み込んだつもりでも、脚が動いていずに転倒するケースがあるようです。
 もうひとつの理由は。注入した造影剤の方で、これはなるべく早く体外に排出しなくてはなりません。そして注意しなくてはいけないのは、造影剤が脳に進入することです。脳に入ると副作用で気分が悪くなったり、頭痛がしたり、頭がカーッと熱くなったりします。
 そこで水分を採りながら、検査後4時間は安静にしていなくてはならないのです。
 最初の1回はナースさんを気軽に呼ぶことができました。ナースさんが様子を伺いに来てくれたものですから。しかし2回目は、中々呼ぶ勇気がもてません。ご存知だと思いますが、ナースさんって忙しいのです。いつも誰かに呼ばれて、走り回っています。そんな姿を目にしていますので、自分で歩けるのにもかかわらず、たかが小便のため車椅子を呼ぶことは憚られてしまいます。
 1回目のトイレから1時間ほどして、かなり尿意が高まってきました。ナースさん、なんかの用事で来ないかなっと思いながら、気を紛らわせるべく、本を読んでいました。
 するとその時Kさんが、すっと立ち上がり、トイレに向かいました。Kさんのベッドは窓際で自分は出入り口の脇、必然的に自分の前を通ります。
 「もう時間は過ぎたのですか」と僕が伺うと、
 「いや、まだですけど。でも全然、歩けるんですよ。トイレにお呼びするのも悪いし」とおっしゃいます。
 「そうですよね。でも呼ばれた方がいいんじゃないですか。僕がお呼びしましょうか」と僕は尋ねました。するとKさんはちょっと申し訳なさそうな顔をされて
 「あ~、でも自分で呼べます。どうもすみません」とおっしゃいました。そしてベッドに戻り、ご自分でナースコールをされました。ナースさんはすぐにが来てくれKさんは車椅子にてトイレに向かいました。
 僕は尿意を抑えながらじっとKさんの帰りを待ちました。そしてちゃっかりと、Kさんが乗って帰ってきた車椅子に今度は自分が乗りこみ、欲求を解消したのです。

 お気づきだと思いますが、僕はKさんを利用しました。kさんがひとり歩いてトイレに行ってしまうと、僕は自分でナースを呼ばなくてはなりません。それはできれば避けたい。それに年配のKさんが歩いてトイレに向かっているのに、若年(といってもKさんと比較してですが)の自分が車椅子を使うのはどうも都合が悪い。少し言い訳させてもらえば、Kさんに体調も考えなかったわけではありません。ただし直接的な動機は自分のことです。
 その後僕は2回ほどナースコールを利用し、トイレに行きました。規定の4時間はちゃんと車椅子を利用しました。
 一方、Kさんの方はナースコールを使ったのはその一度きりです。その後は、ひとりでトイレに歩いて行かれました。
 二人とも4時間は経過し、消灯の9時になりました。僕は気分もすぐれ、眠ろうかとした矢先です。見回りにが来たナースにKさんが気分が悪いともらされている声が聞こえてきました。僕は「だからいったじゃない」とは流石に思えませんでした。なんだか悲しく、そして申し訳ない気分になりました。

 しかしそんな気分も長くは続きませんでした。睡眠薬の力ですぐに眠りについてしまったのです。

 翌朝、つまり今朝は風が強いものの、良い天気でした。僕はいつもどおり、階段を駆け上がり、屋上に行きいつものトレーニングをこなしました。そして爽快な気分で部屋に戻ったのです。
 部屋に戻ると、Kさんは今朝は気分がそう悪くなさそうです。よかったです。
 ところが、ここでも好事魔多しなのでした。病室に戻った後から、頭痛と軽い吐き気、頭のほてりが襲ってきたのです。造影剤がまだ体内に残っていたようです。
 現在、正午ですが。頭痛は続いています。軽い吐き気を抑えながら、僕はPCに向かっています。Kさんはスヤスヤと寝息を立てています。


本日の検査ほか
1 手術の説明
2 手術の必要物品説明
3 絆創膏のテスト
4 手術前日から翌日の経過にていての説明

本日の食事
【朝食】竹輪と豆の煮物、大根おろし、ナスの味噌汁、牛乳200cc、ごはん200グラム
【昼食】卵焼き、小松菜のおひたし、とろろ昆布のお吸い物、ごはん200グラム
【夕食】メンチカツ、キャベツの千切り、パスタ少々、ポテトサラダ、おしんこ、ごはん200グラム

 昨日は検査でお伝えできませんでしたが、ごはんを200グラムに戻してもらいました。ちょっとバツが悪かったですが、年中腹いっぱい状態は避けねばなりせん。
 今度はちょっと物足りない気もしなくはありませんが、正直肩の荷が下りたような気がします。病院生活は色々と勉強させられるものです。


 今日の映画鑑賞は「ナルニア国物語」でした。本日も売店でDVDをレンタルしてきました。子供のころ「ライオンと魔女」だったかな、を読みました。ライオンがかっこいいと思った記憶があるのですが、今回も同様の感想を持ちました。自分の記憶を懐かしく感じたと同時に、この程度の感想しかない成長しない自分に少々悲しくもなりました。

 明日は土曜ですね。ここにいるとまったく曜日の感覚がなくなってしまいます。あるのは検査のスケジュールと手術までの日程感覚のみです。みなさんには待ち遠しかった週末ですね。よい週末をお過ごしください。自分は週末も「入院通信」は書くつもりです。会社のメールで読まれている方は、また来週。

神経鞘腫体験記(11)へ


神経鞘腫体験記(11) 怖い話


 今日は神経鞘腫体験記の続きである。今回の入院日誌は、ちょっと背景の説明が必要である。

 この日(2007年5月13日)、私は朝から頭痛に苦しんでいた。吐き気もしていた。それはそれは、とても気分が悪かった。それには理由があった。
 その2日ほどまえ脊椎に造影剤を注入してCTを撮影した。造影剤を注入すると脊髄の圧が通常より高くなる。脊髄は脳と直結しているので、刺激が加わると脳内の圧も高まる。脳内の圧が高まると、気分が悪くなるらしい。そこで安静が求められるわけだ。ところが私は、脊椎注射をした翌日、そのときは気分が悪くなかったので、屋上まで階段を駆け上がり、屋上で腕立てと四股のトレーニングを数十回したのだ。入院から毎日、続けていたトレーニングで、その日もいつも通り実施したのだが。
 そうしたらバチが当った。医者からは安静を求められていたのにも拘わらずに、勝手な行動をとった報いが来たのだ。
 トレーニングの数時間後から猛烈な吐き気と頭痛が襲ってきた。吐き気と頭痛は、その後1週間も続くことになった。
 さて、そんな無茶な背景があることを念頭に、5月13日の入院日誌をお読みください。

-----------------------------------------------------------------------------
【入院日誌】2007年5月13日

 昨日は頭痛が止まず、このメールを書き終えることができませんでした。今日は続きを書き、お送りします。

 一昨日、回診でナースさんがやってきたときです。
 「手術のことで質問があるのですが」僕は以前から疑問だったこと、でもなんとなく聞くことが憚れていた質問をぶつけてみることにしました。
 「ちょっとあるひとの書いた文章を読んだのですが」
 「なんですか」いつもの笑顔です。ここのナースさんは大抵笑顔で患者と接するのです。
 「あのですね。あるネットで読んだのですが」僕は入院が決まってから、病気のこと入院のこと、手術のこと、そんなことを調べるためにかなりの数の病院や医者、患者のホームページやブログを読んできました。そのなかのひとつに、ある患者の体験談がありました。

 「麻酔が途中で醒めるってことがあるようですが、本当ですか」
 体験談の方の病名は忘れてしまったのですが。なにかの大きな手術を受けられたときの話です。
 その方は手術を何回か受けたことのある、いわば手術というか被手術のベテランです。だからといって気軽に手術を受けた訳ではないと思いますが、それでも割りと冷静に準備を整え、ベッドに乗せられ、全身麻酔を打たれて、手術室に向かったようです。
 暫くして、意識が戻ってきたとのことでした。この方は被手術のベテランですから、自分が手術を終えて全身麻酔から醒めるときの感覚を知っているのです。それで、「あ~、手術が終わったんだな」と朦朧とする意識の中で思ったそうです。ところがです。なんだかいつもとちょっと様子が違う。いやいや、かなり様子が違うことに気付きました。なぜなら体が痛い。術後で痛むのは当たり前で慣れてはいるものの、いつもの痛さと違うのです。ものすごく痛いのです。それは我慢のできないほどの激痛だったそうです。
 そこでその方は状況を悟ったそうです。まだ手術中だという状況を。
 そこの辺りはあっさり書いてあるのですが、これはこの上ない恐怖だったと思います。目覚めると誰かが自分の腹を割いているですから。
 その直後、何やらバタバタした気配を感じたようです。きっと意識が回復しつつあることに周りが気付き、麻酔を追加したのでしょう。じきに覚醒の世界に戻っていきました。
 その体験談は底知れぬ恐ろしさを僕に与えました。そして自分の身には絶対起こって欲しくない。

 それで聞いてみたのです。「麻酔が途中で切れることなんか、ないですよね」と。
 「えっ、そんなことはないと思いますよ」軽くおっしゃります。
 「でも、読んだんですよ。それに僕はどうも麻酔が効きにくいタイプみたいなんですよ」
 「ふうん」ぼくは食い下がりました。 
 「いや、本当です。以前、親知らずを抜いたときも麻酔注射が効かなかったんですよ」
 そうなのです。僕は下の親知らずを2本とも手術で抜いたのですが、麻酔が効かず2本も余計に注射されたのです。その間の痛かったこと。きっと僕は麻酔の効きにくい体質なのです。
 すると「大丈夫ですよ。ちゃんと麻酔医も立ち会いますから。それに手術中麻酔が切れたなんて、聞いたことないですよ」と、嬉しいことをおっしゃる。そうなのか。ナースさんが聞いたこともないことなのか。じゃあ、心配する必要もないとこなんだな。ナースさんに聞いてよかったと安心した次第です。

 ナースさんが去ると、隣の隣のベッドのKさんがベッドに横たわりながら、ニコニコして話しかけてきました。
 「山本さん、随分心配してますね」
 「あ、はい。なんかそんな話をインターネットで読んだもんで。しかしそんなことめったにあるわけじゃないみたいです」と、自分の臆病さが恥ずかしくなって、Kかんの温顔に答えました。
 「やぁ、わかります。心配になりますよね」なんだかKさん、嬉しそうにおっしゃいます。
 「でも心配してもしかたないですよね。そんなありえないようなことを」僕もベッドに横たわりながら答えました。するとKさんは僕の目をみて、少し表情を厳しくしました。
 「ありゃ、痛かったです」
 「は?」僕は聞き返しました。
 「わたしも以前、手術中に麻酔が切れたことがあるんですよ。ありゃ、痛いですよ」と驚がくの発言をされました。
 Kさんによると、Kさんの場合は局部麻酔だったようです。途中で麻酔が切れてどうにもたまらず、麻酔注射を追加してもらったそうです。
 現実はすぐ近くにありました。杞憂なんかじゃない。
 Kさんはニコニコと怖い話をされ、話し終えると背中を向け眠ってしまいました。



12日の検査
検査はなし。術後の食事と洗面の練習あり。

本日の検査
検査なし。
術後のコルセットのつけ方練習。側臥位・起立の練習。絆創膏テストの判定。


12日の食事
【朝食】スクランブルエッグ、カリフラワーほかのサラダ、トースト2枚、マーガリン、牛乳200cc
【昼食】煮魚(ムツ?)、白菜の煮物、キャベツの味噌汁、ごはん200グラム
【夕食】豚肉のすき焼きみたいなの、インゲンの胡麻和え、ごんぶ巻き、ごはん200グラム

本日の食事
【朝食】ロールパン2つ、ツナサラダ、野菜スープ、牛乳200cc
【昼食】三色ごはん200グラム、なすの煮物、豆腐の味噌汁
【夕食】豚肉とピーマンの生姜炒め、カボチャと野菜の煮物、オレンジ半分、ごはん200グラム


 昨日は頭痛で映画鑑賞する気になれず、映画鑑賞はなしでした。
 本日は「ハリーポッター(アズガバンの囚人」です。みなさん、内容はよくご存知だと思いますので、内容についてのコメントは書きません。ただひとつ気付いたこと。ハリーくんて、この回は13歳らしいのですが、なんだか“ヨン様”化しているように思いました。映画を見ていて、終始ヨン様とオーバーラップしてしまい、困りました。

 今日もまだ頭痛が残っています。早く直るといいのですが。では、また。

神経鞘腫体験記(12)へ

神経鞘腫体験記(12) 頭痛な日々


 神経鞘腫体験記の続きである。とても短い。医者の言うことを聞かずに、体を動かした結果、頭痛で書く意欲がなくなったのだ。

------------------------------------------------------------------
【入院日誌】2007年5月14日

 木曜日も脊髄検査以来、頭痛が続いています。横になっていると楽なのですが、おきると後頭部から首の後ろが傷みます。こうしてPCに向かっていても、痛い。起きてPCに向かっていられるのは10分が限界です。
 寝ていれば楽なので、今日も“寝”中心でいきます。


本日の検査
なし

本日の食事
【朝食】高野豆腐&インゲン、野菜の煮物、おふの味噌汁、ごはん200グラム、牛乳200CC
【昼食】煮魚、サトイモの煮っ転がし、枝豆、ごはん200グラム
【夕食】大根と豚肉の煮物、もやしとキュウリの和え物、ごはん200グラム、蜂蜜ゼリー


 今日もレンタルDVD。昨日の続きの「ハリーポッター」でした。サブタイトルはメモを忘れましが、Vol.4です。昨日のVol.3と比べると、こどもって成長が早いのが分かりますね。
 この子達を見ていると「小さな恋のメロディ」のマーク・レスターやシドニー・ロームを思い出します。あの子達は大人になってから見なくなってしまったけど、ハリー君たちはどんな俳優になるんでしょうね。

神経鞘腫体験記(13)へ

神経鞘腫体験記(13) ふんどしのはなし


 約3ヶ月ぶりの「神経鞘腫体験記」だ。初めて読む方のために、簡単に経緯を説明する。私は4年前に神経鞘腫というあまり発症例の多くない病気にかかり手術をした。結構、大掛かりな手術で、入院は1ヶ月。その後、3ヶ月の休養を取り、会社は合計で4ヶ月間休んだ。
 そのときの体験と感想を、そのときの日記などを交え、当ブログにシリーズで書いている。同病の方への参考に、そして自分自身の記録のためだ。
 今回は日記の転載である。手術を間近に控えた、ある日の話だ。
 (「神経鞘腫体験記」はカテゴリーを設けてあり、最初からまとめて読めます)

------------------------------------------------------------------
【入院日誌】2007年5月15日(推定)


  まだ起き上がると頭が痛いので、ベッドに寝ながらお腹の上にPCを乗せて書いています。

 今日は手術時とその後の集中治療室に必要なものの確認がありました。必要なものとは。
1 浴衣 1枚
2 バスタオル 1枚
3 T字帯 1枚
4 ビニール風呂敷 1枚
5 ストロー付きコップ
6 小タオル 1枚
7 パジャマ 2枚
8 下着(シャツ、パンツ) 2枚

 手術のときは浴衣を着るそうです。裸にするのが楽なためみたいです。浴衣の下はT字帯のみ。
 T字帯というものは、今まで知りませんでしたが、ふんどしのことです。ふんどしは拡げるとT字になりますよね。だからT字帯です。これも簡単に脱がせられるからなのでしょう。きっと。そこのところは質問し忘れましたが、浴衣と同じ理由だと思います。
 すると日本古来の着物はみな脱がせやすい構造になっているということですね。
 この間、トロイの遺跡で有名なシュリーマンの日本滞在記を読みました。シュリーマンは幕末の江戸や横浜の様子を手記にしていますが、庶民は春から秋まで、ほとんどふんどし一丁で過ごしていたようです。子供などは素っ裸です。武士や貴族は別ですが、庶民は1年のうちの半分程度を裸に近い格好で生活していたのです。寒くなかったのでしょうか。
 浴衣やふんどしがワンタッチで脱げちゃうのは、脱ぎたがりの国民性にあるかもしれません。または脱がしたがりの国民性かもしれませんが。

 日本ではふんどしがあるので、手術時に“ふんどし”という発想になったと思いますが、欧米はどうなんでしょうね。ちょっと興味があります。それとこれも聞きたかったけれど、ナースさんに聞けなかったことですが。女性はどうなんでしょうか。ふんどしは男の着衣です。女性は昔は腰巻でしょ。しかし腰巻じゃ、手術時に不便だし。やっぱりふんどしなのでしょうか。疑問です。

 手術まであと二日となりました。大きな検査は全て終わり、あとは本番のみです。以前想像していたより、今は緊張していません。直前になればまた、別でしょうが。

 先週の月曜日に入院して、1週間以上経ちました。その間、一滴もアルコールは飲んでいません。今日などは検査もないし、まだ手術までは2日ほどあるし。ちょっとぐらいいいような気もしますが、どうもNGみたいです。今日聞いたわけではないのですが、以前ナースさんに夕食時にビールがあると寝つきがいいのですがと訴えたことがあります。表情ひとつ変えず、却下されました。よくある質問みたいです。

 昨日、同室に二人の新人が来ました。二人ともよくしゃべる人で、今までの静かな雰囲気と随分変わってしまいました。まだ入院しばばかりで興奮しているのかもしれませんが、慣れてくると少しは静かになるのかなぁ。
 

今日の検査ほか
検査なし。手術の運備品確認。

今日の食事
【朝食】納豆、ごぼう&インゲン、野菜の煮物、おふの味噌汁、ごはん200グラム、牛乳200CC
【昼食】卵焼き、ベーコンと野菜の煮物、ごはん200グラム、グレープフルーツ半分
【夕食】 


 今日の映画鑑賞は「血と骨」、北野武です。武は随分とがんばって太ったみたいですね。この前の「ブリジットジョーンズの日記」の女優もそうでしたが、役のためによく太れるなぁと感心します。僕も以前、留学したときに毎日プロテインをとって筋トレを2時間していたら、1年で10キロ以上増えたことがありますが、太るのって、結構難しいです。僕の場合、落とす方がずっと楽です。今は留学時の最高ウエートより20キロ痩せています。それはそうと、映画は良いできでした。全編、飽きることなく2時間超が過ぎました。たまの邦画はいいですね。
------------------------------------------------------------------

 以上である。日記を久しぶりに読み返し、あの当時のことを思い出した。ちょうど今の季節だ。新緑が窓から眩しかった。大部屋で、同室の人とはみな仲良くなった。上に書いた新人二人とは、最初はちょっとギクシャクした関係だったが、すぐに打ち解けた。
 入院生活は楽しかった。検査は痛いし、手術は怖かったが、看護婦さんは可愛かったし、飯もうまかった。本は沢山読めたし、映画も毎日のように見た。当時はまだ勤めていたが、会社での生活よりも随分楽なものだと、思ったものだ。
 ああ、今思うとあれは大きなきっかけであった。会社を辞める。入院中もそうだが、休養期間の3ヶ月は実に快適だった。この生活こそが、「俺が求めている生活だ」と思いついた。自分のペースで生活をし、仕事(当時は読書だったけど)をする。
 それで、辞めることを本気で考え出した。
 42歳の厄年であった。今、思うと人生の転機だった。


神経鞘腫体験記(14) 手術前日



 今日はまた、ものすごく久しぶりの神経鞘腫体験記である。これは2007年に、当時勤めていた会社の後輩や仲間達に病院から書いたメール日記の転載だ。病気とは関係のない話が多く、ちょっとまどろっこしいが、あえてそのまま掲載する。


------------------------------------------------------------------
【入院日誌】2007年5月15日(推定)

 いよいよ明日は手術です。本日は剃毛、爪切り、シャワー、そしてリストバンドの着用があります。
 僕は背中の手術ですが、背中をみてもらったところ毛が生えていないとのことで、剃毛はなしです。生えていないといわれましたが、少しは生えているはずですが、とにかく必要なしだそうです。剃毛の話は手術をした人からよく聞く話なので、ちょっと楽しみにしていましたので残念です。少しは生えているはずだから、剃って欲しいといってみましたが、駄目なんだそうです。ナースさんは忙しいですから。
 あ~、ただヒゲは剃らなくてはいけません。明日、自分で剃ります。ここ10年間はヒゲを生やしていますので、10年ぶりのヒゲなしです。こちらはそんなに望んでいないのですが。剃毛の方が良かったなぁ。

 リストバンドはいわば名札です。誤って違う手術をしてしまった記事を読んだことがありますが、リストバンドはそれの防止目的です。僕ら患者の立場になれば、そんな誤りは信じられませんが、医者の立場になれば毎日手術を繰り返すわけですから、誤りも起こりえます。

 今日はこれから手術の具体的説明があります。最近良く効くインフォームドコンセント(これであってる?)ってやつでしょう。体の中をいじくり回されるのですから、その様子は聞いておきたいものです。この制度があってありがたいです。なければ仮に成功しても、結局自分の体はどうゆう状態であって、それをどう修理したのか分からないわけですから。


本日の食事
【朝食】鮭の煮物、煮野菜の胡麻和え、カブの味噌汁、ごはん200グラム、牛乳200CC
【昼食】カレーライス、ふくじん漬け、サラダ、バナナ
【夕食】

本日の検査
なし
コルセットの採寸


 今日見たのはリチャード・ギアの「シャル・ウイ・ダンス」です。ストーリーは和製とだいたい同じでした。ただちょっとインパクトはなかった。薄味でした。
 ひとつは役者の力というか個性です。主役のリチャード・ギアとジェニファー・ロペスは良かったです。ただ脇が。ふたり以外はすべて物足りなさを感じました。
 もうひとつはエンディングです。和製のストーリーも覚えているわけではないのですが、なんだかもっと盛り上がって終わったような気がします。米製は消化不良みないな気持ちにさせられます。
 理由を考えてみたのですが、米製は「家族」の存在に気を使い過ぎているようです。それまでのストーリーがリチャード・ギアのダンスへの取り組みを追っているものなのに、最後でいきなり奥さんや家族のことにウエートが移ってしまう。
 アメリカという国は「家族」を過剰なほど意識的に取り扱わなくては、成り立たない国なのかな。不足しているものに対して、国は意識を向けざるを得ない宿命にあります。米国では家族がそれなのかもしれません。しつこいほど強調しなければならない不確かな“もの”なのでしょう。

------------------------------------------------------------------
 翌日は手術である。メール日記は、悠長な感じで綴られているが、実はそうとうにビビッていた。4年前のことだが、今でもあの緊張感は思い出すことができる。
 先生は絶対ないと言っていたが、実は“死”も少しだが、考えていた。麻酔が効いて、意識がなくなって、そのまま意識のない世界に留まってしまうことも、ありえない話しではないと考えていた。それに痛みに対しての恐怖もあった。
 ただ病院の中というのは不思議な世界で、手術は日常である。毎日、ウイークデーは数人の患者が手術を受ける。まるでベルトコンベアに載せられているように、自然と自分も手術室へ運ばれる。
 僕は大部屋に入っていたが、毎日のように誰かが手術室へ運ばれる。みんな恐れている様子は見せない。だからそんな状況下で、恐怖はかなり薄められることはできた。あの淡々とした検査や、手術の説明、準備は、淡々と進められることに意味があるのだろう。機械的に進められることで、手術という患者にとっては大イベントが、日常になってしまうのだ。

 そうはいっても、手術の前日は、やはり不安で一杯だった。

九段坂病院へ行く


 2年ぶりに九段坂病院へ行ってきた。神経鞘腫の手術後の診断のためだ。本当は毎年、来るようにいわれていた。しかし去年はなんとなく、タイミングを逃し、結局行かずに済ませた。
 僕の主治医は院長の中井先生なので、予約に時間がかかる。普通の診察でも2か月以上前に申し込む必要がある。院長が学会なので長期に離れていると、さらに時間を要する。それで昨年は自分の都合と調整がつかずに、結局行かなかった。

 今年は久しぶりにMRIで調べてもらった。手術を受けたあたりに痛みがある。それで詳しく診てもらうことにした。結果はまったく再発の気配はないとのことだった。
 痛みは手術を受けた箇所の筋肉が再生できずにいて、他の場所の筋肉とのバランスの悪く、それが原因らしい。
 診断まではかなりの時間、待たされた。予約をしても時間がかかるのだ。MRIは朝の10時に受けたのだが、その後待合室で1時まで待たされた。それだけ待って、しかし診断は5分もかからなかった。
 院長がMRIのフィルムを見て、「まったく大丈夫です」。これで終わりだ。後は何もなし。
 あまりにあっけないので、ふたりで黙って暫く座っていた。すると院長がフィルムを指さして、「きれいな椎間板です」といった。向こうも待ち時間の割に、短いことを苦慮したのかもしれない。「そうですか」と答えると、さらに「全然、老化していません」。
 当然、嬉しかったが、やはりちょっと複雑ではあった。医者から見れば、僕の体は当然、老化が始まっているということだろう。自分でも気づいているが、医者からそういわれると、ガクンと来る。まあ、いいか。

 長い待合時間であったが、本を読んで過ごしたので、苦にはならなかった。さらにある人を見られたので。
 大男といってよいほど背の高い老人がいた。腰を曲げて歩いているのにもかかわらず、他の人よりも頭ひとつとび抜けている。何気なく顔を見ると、往年の野球選手だった。超大物ですよ。大物中の大物。
 最近、テレビで顔を見なくなったが、腰を患っていたのだな。
 
  

プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
最新トラックバック
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。