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大人から始める合気道(道場の選び方)


 合気道を始めてちょうど10年になる。まだまだ初心者だが、自分なりに一生懸命やってきたと思う。始める前は武道がこんなに面白いとは、こんなにのめり込むとは想像もしていなかった。この10年で、少しは経験を積んでこれたのではと考えている。机上の稽古の方も結構熱心に行ってきたし。それで僭越かもしれないが、合気道をこれから始めようとする人、あるいは始めて間もない人のために、自分の経験や知識、考えを書き纏めていこうと思う。まず第一弾は道場の選び方である。

 先ず最初に道場を見つけなくてはならない。自分の場合はインターネットで調べてみた。当時は東京都文京区に住んでいたのだが、グーグルで“合気道”を検索すると一番上に“文京区合気道連盟”のホームページが現れた。こここそが、現在も通う我が道場である。
 これはまったく、まれなケースだと思う。“合気道”と検索して、第一位に出てくる道場が自宅のすぐ近くにあるとは。たまたま先生のひとりがITに詳しくて、早い時期からホームページを立ち上げており、さらにページも充実していたので、そのようなことになったのだが。ちなみに現在も“合気道”で検索すると、「本部道場」、「wikipedia」、「文京区合気道連盟」の順で、第三位である。
 神戸女子大の内田先生(合気道六段)がよく自分の武運についてブログで語っているが、自分もやはり武運があるのだと思う。内田先生の場合はたまたま自宅からすぐのとろこで多田宏師範という名人の道場があったことを誉れとしているが、自分もたまたま近くの道場がグーグルの検索一位でありこれは武運であると言祝ぎたい。しかし近くに名人の道場がなくても、グーグルの検索上位に来る道場がなくても、心配はいらない。良い先生にめぐり合える、道場で気心の通じる仲間に出会えるなど、どれも武運だと思えばよいというだけの話だ。

 さてその後、合気道の道場をいくつか、ほかにも空手や剣術、棒術などの道場にも行く機会があった。そのほとんどはホームページを持っていなかった。ホームページを持っているケースの方がはるかに少ないのだ。しかし最近はホームページに力を入れる道場も増えてきた。ホームページを持っているということは、外に対して門戸を開いているということであり、新人を受け入れる意思があるということでもある。地元の道場をネットで調べてみるという選択肢はやはり有効であると思う。

 では他の方法にはどのようなものがあるのだろうか。確実なのは最寄りの体育館やスポーツセンターに問い合わせてみる方法だろう。柔道場があるところなら、大抵は合気道をやっている。それも複数の団体が稽古をしている場合もある。それらの情報を体育館やスポーツセンターは丁寧に教えてくれるだろう。
 もうひとつ挙げるとすると、やはり紹介だ。友人、知人で合気道をやっている人がいたら、その人が通う道場に連れて行ってもらう、あるいはその人の紹介で地元の道場を訪ねてみる。本当はこれがもっとも確実な方法かもしれない。道場の雰囲気を、知人を通してうかがい知ることができるのだから。しかしそうした知人をもつ幸運が誰にもあるわけではない。そうした幸運がある人は、これはまた武運があるということなのだろう。それともうひとつ、区市町村の運動振興課のような部署に問い合わせることもできると思う。

 さて、地元の道場の場所は分かった。さぁ、次は見学だ。
 まず、見学したいと申し出て、受け入れてくれなければ困ってしまう。これは当然ですね。先方が受け入れる意思がないとしたら、それは無理だ。
 そのような道場がはたしてあるのかというと、結構あるのだ。どうして受け入れてくれないか、入門したことがないので想像するしかないのだが。
 文京区の道場の例だと、見学してから実際に黒帯までゆける人は40人に一人の割合だ。残りの39人は途中で辞めてしまう。文京はそれを織り込み済みで、初心者を受け入れている。僕も初心者を指導することがあるが、すぐに辞めてしまうとやはり脱力感を感じる。見学不可の道場はそうした非効率を避けているのだろう。それだけ熱心だとも言える。しかしながらいくら熱心でも門戸を開いていないのなら、そこはご縁がなかったということだ。選択肢から外さなくてはならない。
 また見学をするためにはまず入会を求める道場がある。以前、そのような道場に通ったことがあるが、そこはとても良い道場だった。矛盾するようだが、まったくの初心者はあえてそうした道場を選ぶ必要はないのではないか。入ってみたら、まったく合わない、あるいは合気道自体に興味が持てないというケースもある。初心者が無駄になるかもしれない入会金を払うというリスクを取る必要はないと思う。
 文京では見学は無料。それどころか、本当にやり続ける自信が持てるようになるまで、入会を強要することはない。最長なら3ヶ月ぐらいは入会せずに参加することができる。このような道場は他にも結構ある。現在、同時に通う逗子の道場も最初の1ヶ月ぐらいは無料で通わせてもらった。
 3ヶ月間無料というのは極端かもしれないが、初心者はせめて1,2回の体験稽古を認めてくれる道場を選んだほうが無難である。それは入会金のリスクを避けるためだけではない。そうした初心者フレンドリーな道場は、色々な面でフレキシブルであり、おおらかな傾向にあるからだ。例えば仕事が忙しくて来られない期間が続いたとしても理解してくれる。上下関係が緩やかである。老若男女、様々な人が来ている。そしてここが大切なのだが、初心者が多い。
 入ってみたら上級者ばかりで初心者は自分だけというのは心細い。同程度の人間がいて、お互いに励ましあうことは心の支えになる。また自分より後輩が入ってくるというのもよい。後輩と稽古することにより、自分の技の上達を知ることができる。

 道場を見つけ、体験稽古も受けてみた。さて、そこの道場は自分にあっている道場なのだろうか。通い続けるべき場所なのだろうか。ひょっとして一生のお付き合いになるのかもしれない。隣町にも同じような道場がある。そちらの方が良いのではないか。当然、そうした疑問や不安は沸いてくるだろう。次の回では、そこのところを書いてみたい。

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大人から始める合気道(道場の選び方2) 


 前回は道場を調べる方法と体験入門について書いた。今日は、その道場があなたに合った道場なのかどうかを判断する方法について書いてみたい。

 まずちょっと極端というかケースによってはまったく当てはまらないこともあると思うが、今自分がもっとも興味をもち、また精度の高いと考えている道場の選び方を最初に紹介する。
 それは道場主の体型によって判断する方法だ。ずばり、自分と体型の似ている道場主の道場を選ぼう。
 合気道は体術である。自らの体をもって、敵の体を投げ、押さえつけ、きめる。自らの体は武器であり、場であり、対象である。自らの体の運用によって技を出す。つまり体が総てなのだ。当然、間(ま)というものがそこには介在するが、それも体から派生したものである。また間には敵との距離や技のスピードやタイミングが含まれる。こう考えると合気道は体にすべてが集約できる。合気道は体自体であると極言することもできると思う。
 体というものは場であると書いたが、この場合の場とは制約を有する空間である。当然、敵を含めた場なのだが、あくまでも中心は自分にある。自分の手足が動く範囲が一義的には場となる。二義的には視線の届く範囲や、さらに自分が属する組織や地域までも武道的な場といえると思うが、まずは一義的な意味に集約して考えたい。
 一義的な場では、体のサイズが大切なポイントになる。手足が長ければ、制約された場は広くなるし、短ければ狭くなる。背が高ければ場の空間は高くなるし、低ければ場も低いものとなる。
 体はまた対象である。対象とは自分が運用する道具であり、そこには力(パワー)や技の巧拙、体重、腕の太さなどが含まれる。筋力が強ければパワーがあるだろうし、体重が重ければ、それを利した技も可能である。
 つまり体型によって、合気道は変わってくるのだ。僕は身長170センチ、体重60キロ、日本人としては若干小柄かもしれないが、まぁ平均的な体型だ。こうした平均的体型の男は、平均的体型の師範の技が盗みやすい。大きな先生に教わり、大変参考になることもある。しかしどうしても体のサイズの制約から理解が難しいケースが多い。一方、体型が似ている師範の技は理解が比較的容易である。今はできない技であっても、それがいつかはできるのではという感じをもつことができる。
 僕の場合は幸いにも平均的なサイズなので、文京の道場でも逗子の道場でも道場主は似た体型の方である。体幹力や呼吸力などのような武道的な力には大きな差があるが、例えば握力や背筋力、腕力など物理的な力は僕とそう変わらないと思う。
 例えば僕が身長185センチの外国人と稽古をしていて、どうしても一教がかからないとする。そんなときは道場主がその外国人を相手にした場合、どのような一教でさばいているのかを研究する。仮に僕はリーチの差がネックとなり一教ができないと考えていたとしよう。ところが同じリーチ差があるはずなのに、師範は軽々と抑え込むことができる。どうしてなのか。僕は師範の技を分析し、解を導くことに努める。同体型の方が師範の場合、そうしたアプローチが可能になる。
 このように道場主の体型と弟子の体型が似ている場合、技を咀嚼するうえでその弟子は非常に有利となるのだ。
 では道場主とのサイズが違ったとしても、他の師範や上手な先輩の中に似た体型の人がいた場合はどうだろうか。その場合は、きっと似た体型の人の技が一番参考になりやすいと思う。しかし道場主のカラーは道場全体に染み出てくるものだ。もし選択することが可能ならば、できれば体型の似た道場主がいる道場をここでは薦めたい。

 しかしこれは道場がその人にあっているかどうかをみる一つの指標に過ぎない。それも“技”に限定をしての場合だ。
 合気道を始める目的はひとそれぞれであろう。健康のため、会社以外のひととの交わりを求めて、ただ楽しみたい、いろいろな目的があり、普通はひとつではないだろう。いくつもの目的や理由があり、それが漠然と一体化して、合気道を始めようと考えたはずだ。ならば、技の上達だけを考えて道場を選ぶことは避けるべきかもしれない。それ以外の要因もまた同時に考慮しなくてはならない。ではそれ以外の要因については、どうであろうか。それについてはまた後日触れてみたい。
 その前に、技についてもうちょっと。これもまた道場主の体型というは一つの要因にすぎないのだ。ただ非常に重要な要因ではあると思うが。

 道場を選ぶポイント。まず“技”からとらえた側面として、一番目に道場主の体型を挙げた。しかし“技”からのみ捉えてみた場合でも、考えてみればその前に知っておいた方がよいことがあった。それは合気道の背景である。次は道場を選ぶ上で抑えておいた方が良い合気道の流派と特徴について触れてみたい。

大人から始める合気道(歴史について)


 天気がよいがとても涼しい、気持ちのよい朝だ。洗濯を済ませ、家に入るとクモがいっぴき壁に張り付いていた。朝のクモは縁起がいいという。それでそのままにしていたら、僕の視線に気付いたフクちゃんが近寄ってきて、パクンと食べてしまった。はたしてこれで縁起の良さは消滅してしまったのだろうか、ちょっと気になる。

 さて今日は合気道の話の続きを書く。前回の最後に流派について書くと予告していたが、流派の前に歴史に触れておいたほうがよいかと思い考えを改めた。今回は歴史について。

 合気道は案外新しい武術である。合気道という名称で体系化したのは植芝盛平(うえしばもりへい)であり、植芝盛平は明治16年生まれで、主に活躍したのは昭和に入ってからなので、昭和から生まれた武道といえる。袴を穿き、神棚に拍手を打つ様子に古来からの武道のように思えるが確立されたのはとても新しい。といっても柔道も加納治五郎からであり、剣道も近代剣道として確立されたのは大正の天覧試合からであるといっていいと思う。空手であれば船越義珍を近代空手の祖とするならば大正、昭和期になるわけで、剣道、柔道、空手、合気道の四大武道は全て明治以降に生まれたものといえるのだが。(それぞれの源流は近世、あるいは中世まで遡れるらしいが、詳らかではない)

 合気道は植芝盛平が作り出したものだが、そこには非常に近いお手本があった。武田惣角の大東流合気柔術である。植芝盛平は青年期に農地を開拓するため北海道に渡っている。同時期に武田惣角も北海道で大東流を指導しており、たまたま盛平が開墾していた村に惣角が現れ技を伝授されたようだ。
 合気道は植芝盛平が創始してものである。しかしそれは植芝盛平が北海道時代に武田惣角から学んだ合気柔術が元になっている。盛平はそれ以前から武術の習得に熱心で、相撲や起倒流柔術、新陰流剣術もかなりの腕であったようだ。そこで大東流にそれまで身につけた剣術の理合をブレンドして独自の武術として体系化した。しかし他の武術がブレンドされはしたものの、中心となった大東流の要素はかなりしっかりと残っている。僕自身は大東流の経験者に技を一度かけてもらったぐらいしか実際の経験はないが、ビデオを見たりテキストで読む限りでは、基本は大東流とほぼ同じだ。諸説はあるようだが、合気道の直接のルーツを大東流合気柔術であるとしても構わないと思う。

 ではその大東流だが、こちらのルーツははっきりとしていない。ただ武田惣角自身は会津藩において数百年の間に発達し伝承されてきた技であると明言しているのだが。
 今、僕の手元に『武田惣角と大東流合気柔術』という本がある。合気ニュース社のスタンレー・プラニン氏が惣角の息子である時宗氏や大東流の達人、佐川幸義にインタビューをして作った本である。この本によると大東流は会津藩で伝承された柔術を武術の天才、武田惣角が独自に加工して作り上げたもののようだ。
 惣角は鉄兜を叩き切ることで有名な直心陰流の榊原鍵吉の内弟子であった。およそ二年半を榊原道場で過ごしている。榊原道場では、剣のみならず棒、槍、弓、鎖鎌、薙刀も習っている。榊原鍵吉にはよく目をかけてもらったようで、榊原の紹介状をもとに頻繁に他の道場にも出かけている。当時剣豪として名を馳せていた桃井春蔵の道場へも大阪まで足を延ばしている。桃井は惣角の見事な技と俊敏さに目を見張らせた。また実戦の方にも熱心で、暴漢4,5人の足を切り払ったり、山賊を切り殺した話しが残されている。
 このように武田惣角は体術家である前に剣術家であった。それも幕末から明治にかけて多くの凄腕の剣術家が活躍した時代にあって、傑出した剣術家のひとりであった。会津藩に伝わる合気柔術に、この剣の達人の技がふんだんに加えられ、“惣角の大東流合気柔術”は作り上げられたのだろう。

 では会津藩に伝わったとされる大東流合気柔術だが。これは武田家に代々伝わった武術であるといわれている。しかし会津藩は武田家とは直接繋がりがない。いやまったくないわけではないのだが、ちょっとクッションが入っている。それは保科家である。
 保科正直は武田信玄の家臣で猛将として知られる。武田家滅亡後、徳川に使え下総国の領主となる。
 ここからちょっと複雑なのだが、二代将軍徳川秀忠には隠し子があった。正之である。恐妻家であった秀忠は正之の存在を妻に知られることを恐れ、正之を秘密裏に保科正直の養子として送り出す。武田家と徳川家の関係性構築の意図もあったようだ。秀忠没後、三代将軍家光はこの密かな弟である正之を信頼し大変可愛がる。そして正之を会津藩の初代領主に据えるのだ。それ以来、幕末まで徳川家由来の譜代として会津藩は栄えることになる。
 つまり会津藩の城主は徳川家の血筋なのだが、最初の領主正之は保科家の養子であり、表面的には保科家が会津藩の城主となった。会津藩城主は三代目で松平姓に改姓しているが、二代までは保科が会津の領主である。その保科は元、武田信玄の重臣である。そこで、会津に武田の伝統が残っているというのだ。
 これって、かなりの紆余曲折だと思いませんか。歴史は常に紆余曲折の連続ではあるが、これだけ入り組んでいて、そこに奇跡のように大東流が受け継がれていたとは。ちょっと信じがたいというところが本当である。
 ちなみに大東流の祖は武田どころでなく、その大本の源氏であるともいわれている。それも源氏としてもとっても古くて、元祖はなんと源新羅三郎義光である。新羅三郎義光のお兄さんは八幡太郎義家で、鎌倉幕府を開いた源頼朝の4代前の人だ。

 冒頭に合気道は案外新しい武道だと書いたが、ここまで遡るととても古い武術である。まさに神話の世界である。もうそれが事実であるのかどうかは想像するしかない。残っている文献をもとに、これが史実かどうかを解明することは今となっては難しいだろう。解明できないとすると、すなわち史実ではないと断定されがちだが、僕はあえてこれを史実だと信じたい。
 僕らが今習っている合気道の祖は源新羅三郎義光であると考えると楽しいではないか。それに古い伝承は真実を伝えていることが多いのも事実だ。馬鹿にはできないのだ。あのシュリーマンもギリシア神話を信じて発掘を続け、ついにはトロイの遺跡を発見したのだ。

 頭の整理のため、今度は一番古い伝説から概略を下る。大東流合気柔術は源新羅三郎義光が元祖である。その後、武田源氏の秘技として連綿と伝承される。武田家は徳川によって滅ぼされたが、武田家の重臣である保科家に伝わる。保科は会津藩に命脈をたもち、大東流は徳川時代を密かに生き残る。幕末、会津藩士であった武田惣角が技を継承する。惣角は剣の理合を取り入れ、独自に発展させた武田惣角流の大東流合気柔術を作り上げる。その後、植芝盛平に伝わり、盛平もまた独自のエッセンスを加え、これは上には書かなかったが大本教という神道系の教えを精神的にプラスして、現代に伝わる合気道を創始する。

 さて、思い切ってはしょった合気道の歴史であったが、理解していただけたであろうか。会津藩以前の歴史は、伝承によるもので信憑性は高くないといわれているが、あえて記してみた。

受身の効用


 柔道もそうだろうが、合気道も黒帯ぐらいになると受身がうまい。どのぐらいうまいかというと、かなりうまい。説明になっていないかな。
 合気道や柔道、あるいはプロレスなんかの経験がない人(普通、プロレスの経験がある人は少ないと思うが)と、黒帯クラスの受身の差は、猫と犬の受身(と言うのかな)レベルの差ほどあると思う。変なたとえだが。
 僕はよくフクちゃんや大ちゃん(猫)をポーンと放り投げる。頭を下にして投げても、背中が下になるように投げても、必ずきちんと足から着地する。見事なものである。まさにニャンコ大先生で、“ニャンパラリン”ときれいに受身を取る。僕は猫を観察して、少なからず受身の妙を会得したように思う。
 ちなみに、それって虐待!?と、思うなかれ。猫は喜ぶのだ。とくにフクちゃんの方は投げられるのが好きで、何度も投げて~、と擦り寄ってくるほどだ。
 一方、犬は受身ができない。と思う。犬も飼っていたことがあるが、放り投げたことはない。当然だけど。でもプロレスごっこなどをしていて、押さえつけたり、ちょっと投げ飛ばしてみたり。そんなとき、犬は受身ができないことを知った。例えば1メートルの高さから、背中を下にして落としたら、きっと犬はそのまま背中から落ちるだろう。

 では人間はどうかというと。合気道、柔道の黒帯クラスなら、1メートルの高さから投げ落とされても、きちんと受身を取り怪我をすることはないと思う。もちろん、畳の上で。

 以前、合気道の道場の年配(70歳近く)の先輩が酔っ払って2階の階段から1階まで落ちたことがある(聞いた話だが)。先輩はまったくの無傷であったそうだ。
 僕も去年、ある経験をした。逗子駅近くの舗道をロードレース用の自転車でゆっくりと走っていたときのことだ。前から小学生ぐらいの男の子が近づいて来た。僕の自転車に向ってまっすぐ歩いて来る。舗道は結構広く、僕の横にはスペースがある。男の子が避けるのか、どうか僕は躊躇した。男の子が避けてくれれば、僕は避ける必要はない。でもまっすぐ来るのなら、避けねばならない。
 どんどん距離が縮まっていった。このまま行けばぶつかる。そう思った瞬間、僕はブレーキを踏んだ。そして足を地面に着こうとした。ところが僕の自転車は足が固定されているタイプで、すぐに抜けない。自転車は男の子の前で止まった。このままでは自転車が倒れる。足を着かなくちゃ。でも抜けない。ゆっくりとスローモーションのように、僕の自転車は横に倒れていった。僕も一緒に。
 倒れる瞬間、周りにガードレールや他の自転車などぶつかると危険な物体がないかを確認した。何もない。でもロードレース用の自転車は結構、車高がある。腰の位置で地上約1メートル。頭はさらに50センチは上だ。その位置から僕はゆっくりとアスファルトに落ちていった。
 まったく恐怖は感じなかった。足が固定され、自転車とともに横倒れするにもかかわらず、受身が取れると思ったからだ。そして僕は受身、といえるのか、真横にそのまま落下した。全身の力を抜いて、着地面積が大きくなるように、手を拡げ。頭を守って。
 結果、僕はまったくの無傷であった。ヘルメットを被っていないにも拘わらず。痛みもほとんどなかった。
 周りには人が結構、いて。驚いて僕の様子を見ていた。

 合気道を続けていて、本当によかったと思った。合気道の効用は他にもたくさんある。しかし現実的、具体的に得た大きな効用であった。


大人から始める合気道(普段の生活への応用、入り身)


 久しぶりに合気道について。
 禅に行住坐臥(ぎょうじゅうざが)という言葉がある。禅的な生活を意味する。禅は坐禅をしているときだけ、意識すればよいものではない。坐っていようが寝ていようが、飯を食べているときだろうが掃除をしているときだろうが、禅は常に生活全般に生きてこなくてはならない。坐禅のときだけの禅では、本当の禅とはいえないのだ。坐禅は禅的な生活の入り口である。しかしそこから先にある禅的な生活こそが大切なのだ、という教えの言葉である。
 合気道も同じであると思う。道場にいるときだけ合気道を意識すればいいというものではないと思う。いや、道場にいるときのみ合気道に意識をすればそれで良いという人を否定するものではない。そんな考えも当然あって然るべきであると思う。ただ個人的には、せっかくの“大人から始める合気道”である。ちょっと応用を利かせてみてもよいのではと思うのだ。するとより面白味が加わり深みも増してくる。
 
 例えばだ。これは作り話のように聞こえるかもしれないが、本当に自分で実践していることである。
 トイレのドアを開け、トイレに入るとき、私はよく“入り身(武道的な身体技法のひとつ)”を意識する。ドアを相手と想定し、開かれるドアとギリギリのところを入り身でかわし、すばやく相手の、つまりドアだが、後方へ入り込む。
 これが中々難しい。ひょっとして稽古で人を相手にするとき以上に難しいかもしれない。なぜならドアは円形に移動するし、こちらの動きに合わせて動いてくれないからだ。人間は普通、直線的にこちらに向ってくる。しかしドアは半径1メートル程度の小さな円で移動する。この急激なカーブをギリギリのところでかわすのが難しいのだ。どうしても距離があいてしまう。それに人間は本当にぶつかりそうになれば、自然と身をかわしてくれるが、ドアはそうはいかない。
 これが本当に入り身の稽古になるのか。疑わしく感じる方もいると思うが、私は稽古になると思うのだ。それは入り身という普段、使わない身体技法を体に馴染ませるために効果があると思うからだ。習うより慣れろ。まずは数をこなして、体に武道的な動きを馴染ませなくてはならない。
 それに最初から入り身でかわそうと考えやる余裕がいつもあれば、それはそれでよい。ただその余裕がない場合。たとえば自由演武で。相手の動きが予想できず、さらに途中で変化するような場合。考えてから入り身をしているのでは間に合わない。
 トイレの出入りは普段の生活である。これを意識せずに入り身でこなすことができようになれば、かならず自由演武でも無意識に入り身ができるようになるはずだ。入り身という非普段的な動きを無意識にできるようにするためには、非普段的な動きを普段行えばよいわけである。

 入り身の稽古をもうひとつ。これはやっている人がいるとたまに聞くのだが。一応、紹介する。
 駅などの混雑しているところを同じく入り身でかわしながら進むの稽古だ。先方から一人の男性が近づいてくるとする。ここではその人の目を睨みつけてはならない。なぜなら変人あるいは狂人だと思われる恐れがあるからだ。なので視線は相手の胸元。それも胸元に集中させることなく、同時にあたりを大きく俯瞰するように見る。相手はその男性のみではないのだ。後ろからは別の人が近づいているし、右からも左からも違う人が歩いて来る。全体を見なくてはならない。
 全体を俯瞰しながら自然に相手に近づく。そしてこれもぶつかりそうなきわどいところで、入り身でかわす。ただこの際はトイレのドアほど近づかない方がよい。当然ぶつかったら相手に迷惑がかかるし、ぶつからなかったとしても相手に不快感、あるいは恐怖感を与えてしまうからだ。相手にこちらが意識的に入り身の稽古をしていることを感じさせないことも修行のひとつである。
 混んだ駅は本当に稽古の場となる。次から次への相手が現れるからだ。これを相手に恐怖心を与えないよう配慮しながら、入り身の稽古をするのだ。これがなかなか面白い。

 混んだ駅でのより高等な稽古法もある。物理的な入り身をせずに相手の動き、あるいは相手の気を感受する稽古だ。相手がこちらに向ってくるとする。普通、人は相手はぶつかりたくないので、かなり事前に方向をすこし逸らす。その方向を読むのだ。これだと相手に多少もの恐怖感を与えることなく稽古ができる。

 またこれの応用もある。相手の動きを読むのでなく、相手の動きを導く稽古だ。正面から来た男性を右に、あるいは左に、こちらが意図する方向へ相手の動きを促す稽古だ。人間というのはとても繊細なセンサーを持っているようで、意識せずともセンサーを起動しながら生活をしている。こちらのちょっとした動きや気配を相手は無意識にキャッチするのだ。この無意識のセンサーを利用する。例えば歩く速度。ちょっとした方向の変化。視線や首の動き。そうした動きに相手はきちっと反応する。この反応を利用して、相手の動きをコントロールする。これは結構、容易にできる。子供でも女性でも老人でも、人は他者の動きに敏感に反応するものなのだ。何度も繰り返すと、相手のコントロールの精度が増してくる。
 もうひとつ。ちょっと上級編だ。今の相手の動きを導く稽古だが、これをこちらの気持ちの変化のみ、あるいはこちらの動きを最低限に抑えてやってみるのだ。こちらは視線も歩く速度もほとんど変えない。それで相手を右に左に動かしてみる。
 これは難しい。しかし可能である。私の経験からいうと、7,8割の確立で、相手はこちらの気をキャッチするように思う。嘘だと思ったら試しにやってもらいたい。少なくとも5割を下回ることはないと思う。
 開祖植芝盛平翁は門徒の心を読んだそうだが、達人でなくとも以心伝心というのはあるようだ。普通の歩行者がこちらの気持ちを無意識にちゃんとキャッチしてくれるのだ。

 上記、普段の生活での稽古方法。トイレや混んだ駅での入り身についてだが。トイレの場合は家族に、駅での場合は通行人に、くれぐれも変な人と思われないような配慮が肝要である。ここのところが一番、難しいかもしれない。

大人から始める合気道(武道と宗教の共通点)


 武道は宗教と似ていると思う。
 武道では始祖を頂点とし、始祖の技を最終地点として日々、稽古をする。例えば合気道では開祖というが、いわゆる始祖は植芝盛平翁であり、我々は少しでも翁の技に近づくべく稽古をしているわけである。開祖の技は動画として残っている。合気道を始めて数年は、開祖の技は古臭く見えた。特に高齢になられてからは、大袈裟でスローに思えた。しかし経験を積んでくると見方が変ってきた。これがやはり合気道の原点であり、最終目標地点なのだと気付いた。
 また以前、少しの間だが香取神道流の稽古をしていたことがあるが、香取神道流の始祖は飯篠長威斉という室町時代の剣術家だ。香取神道流を学ぶものは、これも同じく長威斉の技を目指すべく稽古をしていた。当然、長威斉を知っている人は存在しないし、ビデオも残っていない。それでも伝承を、あるいは型からその姿を思い、その技を想像する。
 目指す地点が始祖であるので、どんなに稽古をしても始祖を上回ることはできない。あくまでも近づいていくのみである。そう考えるとこれは微分の世界だ。目的地点には着実に近づいているとしても、決して目的地点には到達しない。むしろ近づけば近づくほど遠のくような錯覚に陥ることさえある。
 宗教も同様だ。例えば日本曹洞宗の始祖は道元である。曹洞宗に帰依する者は皆、道元に近づくべく日々修行している(はずだ)。現代でも道元が書いた正法眼蔵こそが、曹洞宗の最高の教えの書であり、その後書かれた書物はみなそれを元にした解説本のようなものである。しかしその道元とて、メッセンジャーにすぎないとも言える。何を伝えるメッセンジャーかというと、釈迦の教えを運ぶメッセンジャーである。あらゆる仏教諸派の始祖は釈迦のメッセンジャーなのだ。例え現代最高の高僧といえども、その僧が帰依する宗派の始祖を超えることはできず、さらに釈迦は当然、その彼方だ。

 対してボクシングやレスリングなどのスポーツは科学と類似していると思う。ボクシングやレスリングの始祖は知られていない。おそらくいないのであろう。自然発生的に生まれ、時代を経ながら改良が加えられてきたと思う。改良を重ねてきたのだから、現代に近づけば近づくほど原理的には強くなっているはずだ。格闘技は強さの基準を数値化できないので、単純には比較できないが、きっとそうであると思う。他の数値化できるスポーツ、例えば陸上競技や水泳を見れば一目瞭然だ。確実に記録は伸びているのだ。30年前の天才ランナーでも、現代の競技会に出場すれば確実に負けてしまうだろう。
 科学もそうだ。ニュートンは天才であるが、万有引力の法則は今では小学生でも知っている。アインシュタインの相対性理論を理解できる高校生もいる。科学もスポーツ同様、進化するのだから。

 ここまで書いて気が付いたことがある。すると柔道や剣道は、この基準で見る限り、スポーツに入るのかもしれないと。始祖といわれるひとはいない。加納治五郎は柔道を体系化したが、始祖とは呼べないだろう。剣道においては、大日本武徳会という組織が諸派あった剣術のエッセンスを抽出して剣道を体系化した。
 昔の柔道家と今の柔道家、あるいは昔の剣道家と今の剣道家のどちらか強いのかは難しいところだ。木村政彦は「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」といわれたほど傑出した柔道家であったが、今のルールでオリンピックに出場して勝てるのかどうかは分からない。剣道の持田盛二は剣聖といわれるが、やはり今の全日本剣道選手権に出場したらどうだろう。勝てそうな気もするが、もしかして通用しないかもしれない。
 どちらにせよ、今の柔道家は可能治五郎や木村政彦を最終地点として稽古をしているのではないだろう。現代の剣道家は例えば榊原健吉や持田盛二を至上の目標として修行しているのではないと思う。

 ところで武道と宗教だ。武道は宗教のごとく最初の地点を目指している。だから現代人はいつまでたっても最高点には立つことができない。これは考えてみれば、武道を学ぶものとして幸せな宿命であるように思う。常に師は存在するという幸せである。イチローは誰を目指しているのだろうか。目標となる先人はいるのだろうか。きっと特定の人を目標とするレベルは超越しているだろう。するとそこにある世界は孤独だ。一方、武道を学ぶものはいつまでも絶対的な孤独にはならない。いつでもお手本になる、あるいは依存できるといって良いかも知れない存在があるのだから。


合気道をすると字がうまくなる、かもよ


 現代人には鬱病が多い。要因は色々あるのだろうが、大きな原因のひとつに体のバランスの不調整があるように思う。現代は学業にしろ、仕事にしろデスクワークの時代である。デスクワークのみだと体のバランスが崩れる。そしてその結果、心のバランスも崩れる。
 古くからある仕事、例えば左官や大工、農業を考えてみて欲しい。どれも体を使う仕事だ。こうした仕事に従事していると体を使う。体を使いながらバランスを調節している。
 左官なら鏝(こて)を使う。平らに土を塗るには微妙な手さばき、体さばきが必要だ。壁と自分の体の位置関係も重要である。鏝を使いながら、体の位置を調整し、鏝と体と壁が一体化を心がける。と想像する。やったことがないのだが、多分そうだろう。
 農業も同じだ。たとえば葡萄農家なら。剪定をする鋏と葡萄の木、そして自分が一体化しなくてはならない。そうすることでバランスのよい剪定ができ、立派な葡萄が実る(と想像しますが、どうですかkozawanさん?)。
 こうした外物との一体化は、すなわち自分の身体のバランス調整と表裏一体である。外物とのチームワークが整うと、体の中心が整い、中心が定まる。体の中心が定まってくると、体に引きずられるように心の中心も定まるのだ。

 坐禅も同じことを目指しているのではと思う。坐禅の目的は心の平静であろう。しかしいきなり、心に照準を定め、こころの坐りを求めることは難しい。こころは目に見えないものだし、手で触れることのできない対象だからだ。そこでまず体という目に見え、触れることができるものの調整をする。正しく坐ることで、体のバランスをアジャストする。結跏趺坐あるいは半跏でできるだけのシンメトリー状態を作る。息を整える。息は可能な限りゆっくりと、そしてできるだけ同じリズムで行う。こうした体という物体を整えると、その物体にこころが付いてくる。そして、こころの平静が訪れるのだ。

 現代人は大抵、デスクワークなので仕事を通じ、体と心のアジャストをする機会を逸している。そこで合気道だ。さっき坐禅に触れたから、文脈上、坐禅なんじゃないかと思うかもしれないが、とにかく合気道である。
 合気道はまさにバランスの武道であると思う。筋力は極力使わない。使うのは合気力、あるいは気と呼ばれる力であり、これはバランスが生む力だ(と、私は思う)。バランスには沢山の意味が含まれている。相手との関係のバランス、自分の体のバランス、間という時間のバランス、そしてこころのバランス。この調整こそが合気道の稽古だ。
 だから合気道は鬱病に良いのだ(思い切った理論展開ですね)。そしてもうひとつ、思い切った展開。体と心のバランスの調整が進むと、合気道のみでなく、他の日常生活もバランスが整ってくる。例えば私は包丁捌きが結構、うまい。と自分では思う。切れ味の良くない包丁でも、人よりもきれいな切り口で大根(たとえば)を切れる。これはバランスの結果だと思う。そして文字だ。私はあまり字がうまくないが、それでも合気道を始めて字がうまくなったと自認している。多分、事実だと思う。そして字を書くのが楽しくなった。今度は逆に、字を書くことを通じて、体のバランスを確認できるからだ。
 つまり全て繋がっているのだ。合気道をすることで体とこころのバランスが整う。心と体のバランスが機能することで、包丁捌きがうまくなる。包丁捌きがうまくなることで、さらに体と心のバランスが調整される。またその結果、字がうまくなり、そしてまた体とこころの、、、。終わりがない。バランスの調整の連鎖である。
 
 山岡鉄舟は江戸を代表する剣の達人であったが、弘法大師流入木道(じゅぼくどう)という書道の家元であり、書の名人であった。そして坐禅では、長年の厳しい修行の結果、悟りを得ている。また明治維新の影の立役者であり、明治天皇の教育係としても皇室から大きな信頼を得ていたことでも有名だ。これだけ多くの道に通じていたのはバランスのおかげだ。全てがリンクし、バランスの連鎖を生んだのだ。どれも関連しているのだ。独立して剣が強くなったり、人格者になったりしたわけではない。
 山岡鉄舟だけではない。昔の偉人は政治家であっても剣の達人であったり、書の名人であったり、詩人であったりすることが多い。これは体の捌き、心の捌きを体得していた結果、つまりバランスが良かった結果である。
 いやいや偉人ばかりでない。左官も大工も百姓も、日々の仕事を通じ、体と心のバランスを整え、精神の安定を得ていた。だから鬱病にはならなかった。

 今、我々は仕事を通じてこれらのアジャストができなくなっている。合気道はひとつの選択肢である。坐禅でも書道でも、庭いじりでもよい。なんでも良いから体を通じ、調整をするのだ。するとバランスのサークルが起動し始める。そしてひとつひとつのバランスの良さが、一体化し、全体的なハーモニーを奏でるまでになる。と、思う。

 私は当然、そこまで全然行ってないが、でも目指したいと思っている。

型(カタ)は強い


 最近、“型”の重要性が空手の宇城憲治の活躍で見直されてきたが、それでも型稽古の評価は低い。型稽古は上達に時間を要する。さらに上達の理解すら、時間がかかる。つまりうまいのか下手なのか、初心者には分りづらい。だから型稽古の評価ができない。インパクトのある試合系が好まれる。

 型は何も複雑なものばかりではない。剛柔流の三戦立ちのような立ち方(スタンス)や、剣術の素振りも型である。
 剣の素振りもいろいろあるが、ただ上段から振り下ろすのも型のひとつだ。この上段から振り下ろす、それだけの動きが難しい。そこには数多くの情報が含まれているからだ。

 以前、ほんの少しだが香取神道流の畠山先生に習っていた。畠山先生の素振りは、他のお弟子さんたちとまったく違っていた。どこがどう、違っていたのかを言葉で表すことはできない。あえて試みるならば、バランスが絶妙といいたい。
 振り降ろす剣は限りなく絶対に近い直線であった。神業のような直線を実現したのは、先生の体全体のバランスが完全であったからだと思う。足の指先から頭の先まで、ぶれがなかった。

 スペースシャトルの先端部分は日本の職人が作っているというニュースを見たことがある。機械で研磨するよりその職人の手わざの方がスムーズな面を作れるそうだ。凹凸があると、超高速で飛ぶと摩擦が生じ、危険である。日本の職人の技が精密機械を上回ると判断したNASAの研究者は、スペースシャトルの安全をマックスにするため、職人に先端部分の研磨を依頼したのだ。

 畠山先生の振り下ろす切っ先も、職人の研磨と同じなのだろう。限りなく正確に近い直線であった。
 先生の素振りの正確さも、職人の研磨技術も日々の型稽古(職人は毎日の仕事が型稽古みたいなもの)の賜物だろう。

 稽古するうえでの型稽古の楽しさは3つあるように思う。ひとつは、型稽古は稽古すればするほど上手くなることだ。上達に限界がないのだ。
 ふたつめは、型稽古はそれぞれが連関しあっていることだ。ひとつの技がうまくなれば、それに引っ張られて他の技も上達する。
 みっつめは、型稽古の上達は累進的であることだ。上級者になればなるほど、技の上達速度が速くなる。これは学問も一緒だと思うが、会得した技(知識)が日々の稽古(学習)を助けてくれるからだ。

 型稽古は実は楽しい。そしてとても効率的なのだ。


筋トレはするべきでないのか


 合気道には筋トレは必要ないという意見がある。いやいや、むしろ筋トレはするべきでない、という意見も強い。さて、どうだろう。考えてみたい。

 筋トレ不要論を説く書物や人たちの意見をまとめると主に次のようになる。(1)合気道は力を必要としない。(2)一方の筋肉が、他の筋肉の邪魔をする。(3)動きが鈍くなる。
 説明が必要だろう。まず(1)だが、合気道は力をあまり必要としない。当然、肉体を維持し、動かし、相手を制するのだから、ある程度の力は必要である。しかし大きな力は必要としない。なぜなら合気道は相手の動きに同調することを旨とする身体技法からだ(相手の動きに自分の動きを同調させるように見せかけて、実は自分の動きに相手を同調させているのだが、ここは力を使わないことの説明なので、割愛する)。
 同調する、あるいは同調させるには力はいらない。力でなく相手の動きを啐啄同機に感知するセンサーと、それに対応する柔らかさが求められるのだ。筋トレ不要論の論者は、力はこのセンサーと柔軟さを阻害すると考える。力があると、自然と力に頼ってしまう。センサーと柔軟さが育たないと考える。
 次の(2)だが分りにくい表現なので、実例を挙げる。例えば上腕二頭筋を鍛えたとする。上腕二頭筋は肘と肩の間の筋肉で、力こぶの部分だ。腕を曲げるときに使う。柔道は相手の襟や袖を掴み、引き付ける運動が主なので、ここの筋肉を使う。しかし合気道は腕を前に突き出す運動が主なので、むしろ上腕三頭筋を使う。上腕三頭筋は腕立て伏せで使う筋肉で、上腕二頭筋の裏側の筋肉だ。力こぶの筋肉、つまり上腕二頭筋を鍛えると、上腕三頭筋を使おうとしたときに、反作用で動きがセーブされてしまう。そう筋トレ不要論者は考える。
 最後の(3)だが、例えば腕立て伏せをすると、胸の筋肉、大胸筋が鍛えられる。大胸筋が大きくなると、胸が盛り上がる。胸が盛り上がると、腕の可動域が狭まる。腕の可動域が狭められると、運動に制限が生じる。だから動きが鈍くなる。さらに体が重くなる。これも動きが悪くなる要因となる。

 さて私の意見だ。(1)についてだが、確かに合気道は力をあまり必要としない。むしろ、できるだけ力を使わないことを目指す。実はこれが難しい。普段の運動ではない、体の運用方法だからだ。ある動きをしようとすると、どうしても人は、無意識に力を使ってしまう。意識して、力を抜こうと思っても、これがやはり力を使ってしまう。合気道の稽古は畢竟、この力を使わない方法の習得であると言っても言いすぎではないように思う。
 力を使わない身体運用を目指しているのだから、力が元からない方がよい。と考えるのは分る。しかし元から人には筋肉が備わっている。完全に筋肉を無くすことはできない。どうにかできたとしたら、今度は体がまったく動かなくなってしまうのだから、これも困る。つまりある程度の筋力はどうしても必要なのだ。ある程度、筋肉が必要ならば、筋力の多少は無視しても良いのではないだろうか。
 次の(2)だが、確かに使うべき筋肉の反対側の筋肉を鍛えすぎてしまえば、本来使うべき筋肉の作用を邪魔するだろう。しかし筋トレは普通、体の筋肉を満遍なく鍛える。もしかしたら力こぶを大きく見せたくて、上腕二頭筋だけ鍛える人もいるかもしれないが、それは例外だ。普通は上腕二頭筋を鍛えれば、同時に上腕三頭筋もトレーニングする。真面目に筋トレをやったことがある人なら、みな知っているが、筋肉はバランスを必要とする。ある筋肉だけを特化して鍛えることはできない。上腕二頭筋を鍛えるためには、腕全体をささえるために上腕三頭筋がしっかり機能していなくてはならない。さらに腹筋や背筋も、そして下半身の筋力も必要なのだ。だから実際は上腕二頭筋を鍛えるためには、上腕三頭筋も鍛えることになる。すれば筋肉自体は均衡し、他の筋肉を邪魔することはない。
 さて、(3)だ。可動域が狭まったのならば、ある程度はストレッチで補うことができると思う。たしかにヨガをする人のようにはいかないかもしれない。柔軟性だけを考えれば、あの体型がベストなのかもしれない。しかし、ストレッチで柔軟性を高めれば、かなりの効果は期待できる。
 体が重くなる方だが、これは確かに動きとしては不利な条件である。しかし体の大きなプロレスラーでも敏捷な人がいるように、力を付けることで、かなり敏捷性を高めることができるはずだ。

 まとめとして。合気道がうまくなるため、あるいは強くなるためにも、確かに筋トレは必要ないかもしれない。普段の稽古で、充分に必要な筋肉は付く。筋トレは不要な筋肉を増強するだけかもしれない。筋トレをする時間があれば、普段の稽古をした方が、きっと合気道はうまくなる。しかし「筋トレを行うべきでない」、とは言い切れないと考える。

 このコーナーは「大人から始める合気道」である。もちろん、強くなりたい。うまくなりたいと私は思っているし、このコーナーを読んでくれている方々も、同じだろう。しかしそれだけが合気道を続ける目的ではない。楽しむこと、そして健康に良いこと、こうしたことも目的のはずだ。
 筋トレは結構楽しい。一人でできるのも良い。ちょっと続けると、たちまち体型が変る。引き締まり、筋肉が盛り上がった自分の体を鏡でみることは楽しい。
 毎日、合気道の稽古に行ければよいが、毎日稽古を行っている道場は少ない。ジムは大抵、毎日やっている。自分の部屋でも筋トレはできる。稽古がない日に、ただビールを飲んでいるより、筋トレを行う方が、健康的だろう。
 
 毎日稽古を積んでいる、さらに若い頃から修練を続けている師範達は逞しい体をしている。私もあんな体に憧れる。しかし週に1,2度の稽古だけでは、そう体は変らない。しかし筋トレをすれば、すぐに体型は変る。ならば、そうした選択肢ありだろう。大人から始めた合気道なのだから。

 大人から始める合気道は臨機応変でよいと思う。楽しく、健康的に。そして何と言っても、続けること。そのためなら、筋トレも悪くない。

風から“気”を頂戴する


 夕べから風が強い。昨夜は風の音で目を覚ましたほどだ。今も窓から風の音が聞こえる。これだけ風が強いと鳥達も静かだ。今、窓からはトンビもカラスも見えない。どこにいるのだろうか。風が強いからといって、餌を探さないわけにはいかない。人間のように食料が冷蔵庫に保存されている訳ではないのだから、毎日食べる分を捕食しなくてはならない。彼らはその日暮らしなのだ。しかし、決して気ままではない。トンビなんて、いつも気ままそうに見えるのだが。

 今朝も散歩にでかけた。よく行く場所に向かった。そこは自宅から歩いて10分ほどの小さな丘の頂上だ。頂上からは相模湾が見下ろせる。空気の澄んでいる日は、大島や伊豆半島も見渡すことができる。
 この丘にくるといつも軽いストレッチをした後に、深呼吸をする。最近、文京区の合気道道場でならっている地面から“気”を吸い込み、天に向かって放出しながらの深呼吸だ。師範はそうはっきり言っているわけではない。ただ師範の深呼吸の型を見ていると、地面から気を吸い込み、天に放出しているように見えるのだ。だから私は、そういうイメージをしながら深呼吸をしている。

 いつも風の強い日には感じる。大気の強い“気”を。以前はよく台風が来ると近くの海まで車ででかけたものだ。海からパワーをもらうために。
 今日も丘から相模湾を見下ろしていると、強い“気”を感じた。そして深呼吸を始めると“気”はより強く体に刺激を与えた。
 この丘の上で深呼吸をすると、普段も少し“気”を感じることができる。気のせいかもしれないが、そう思っている。今日はその“気”がいつもに増して、強いものだった。
 地面から“気”を吸い上げるイメージで吸気する。吸気は比較的短い時間でよい。そして上腕と体を天まで伸ばすイメージで吸気を最大限にもってくる。腕が頭の真上にきたときがクライマックスだ。そのタイミングで強く“気”の放出をイメージする。
 それからゆっくりと、これは時間をかけて空気を吐き出す。その際には体を少しずつ前屈させる。最後は腕をだらんと前にたらす。
 そして再び地面から“気”を吸い込むイメージで、空気を体内に取り入れる。これをゆっくりと5回繰り返す。
 
 今日は1回、2回と繰り返すうちに、後頭部に温かさを感じた。初めての経験である。“気”を頭から天に向かって放出するのだが、“気”が頭を通過するときに、ホワンと温かくなった。5回を繰り返すと、余熱がしばらく残るほど、後頭部に暖かみを感じた。
 深呼吸の5回目はとくに力強く呼吸をしたのだが、その瞬間不思議なことに突風がやってきた。飛ばされるほどの風だった。その突風から、非常に強い“気”を感じることができた。

 風と“気”は何か関係のあるものだろうか。不思議な経験をした。

稲村ガ崎
丘からの相模湾。稲村ガ崎も見える。


ふたつの道場に通う難しさ


 昨日もほぼ予定通り、仕事が進んだ。20ページの仕事だが、18ページの半分まで終わった。残りはあと1ページ半。今日の午前中には終えて納品できるだろう。
 未知の世界の1日2000ワードの仕事だったが、なんとかこなすことができそうだ。今日は納品後、スポーツジムに行けそうだ。あと、少しだ。もうひと踏ん張り。

 昨日は5時過ぎに仕事を切り上げ、合気道の稽古へいった。ここのところ毎週木曜日の夜は地元の道場へ通っている。
 今、逗子の道場と本籍の文京区の道場の2箇所に定期的に通っている。始めたのは文京なので、僕の技は文京で習ったものだ。
 他の道場へも通ったことがあるし、講習会で他の先生に習うこともある。演武会で師範達の演武を見ることもある。そうした経験から見て、文京の技はオーソドックスだと思う。
 比べて逗子の道場は多少ユニークである。逗子の道場は湘南合気道連盟という大きな団体の下部組織で、湘南合気道連盟の一番上の先生は、武田義信先生といって、大変実力のある先生だ。日本中を見回して、現在活躍する師範の中で、もっとも技が柔らかく美しい演武をする名人のひとりだと思う。
 逗子の道場に武田先生が来ることはないが、そのお弟子さんが師範として稽古をつけてくれる。主に先生は二人いるが、お二人とも力強くて柔らかい、とても参考になる技をなされる。

 昨日は“後ろ両手取り入り身投げ”という技をやった。ここで少し戸惑った。後ろ両手取りは、本来“受け”が“取り”と攻防のすえ、後ろに回りこみ両手を押さえるという展開である。ところが逗子の道場では、“取り”が“受け”を内側に吸収するようにして巻き込み、最後は入り身投げをするという見解であるらしい。
 長年、オーソドックスな技を使ってきたので、これができなかった。
 そしてここが難しいのだが、逗子の技を体で覚えてしまうと、オーソドックスな技を体が忘れてしまう。それを考えると、技を覚えるのに躊躇してしまう。
 複数の道場を掛け持ちして稽古することの、難しい面だ。

 当然、“後ろ両手取り入り身投げ”だけでなく、他の技も道場によって多少は異なる。ただ今までは、どの技も納得できた。だから体が素直に動き、覚えることにも躊躇がなかった。自分の今まで使ってきた技を、向上させる方向で、技を咀嚼できた。
 ところが昨日については、どうしても納得がいかない。それゆえ、体が言うことを利かない。
 さらにだ。昨日、その技を一緒にやられた方は道場生で師範ではない。師範クラスだと、私がまったく違ったタイプの技を繰り出しても、適当にあしらってくれる。そのあしらいを見て、自分の至らなさに気づき、技の改良に専心することができる。しかし昨日の場合、相手の技がまったく効かない。一生懸命に教えてくれるのだが、技が効かないので、こちらは理解できない。
 せっかく教えてくれた方は、きっと気を悪くされただろう。僕も納得がいかず、すっきりとしなかった。

 複数の道場へ通う効用は大きい。同じ技でも、スポットの当て方が違うので、技を立体的に理解できる。しかし昨日のような、問題が生じることもある。
 やはり複数の道場に通う場合は、その道場に対して敬意を持たなくてはならない。こちらは教えていただく立場なのだ。道場に一歩足を踏み入れたなら、謙虚な気持ちでその道場および道場の方々に臨まなくてはならない。

 だが、やはり納得したい。納得したうえで、技を吸収した。しかし謙虚でなくてはならない。難しいバランスだ。
 これからも二つの道場に通うつもりだ。自分の中で解決しなくてはならない問題である。

試練は続く


 3日は朝から午後2時まで、猛ダッシュで仕事。仕事を終えてからは、友人が出場する湘南国際マラソンの慰労会に参加。本当は沿道の応援から参加したかったが、仕事がタイトで断念。
 久しぶりに外で飲んだが、楽しかった。2次会はこれまた久しぶりにカラオケに出陣。30代1名、40代3名の構成で、僕が最年長だったが、僕に合わせてくれたのか、彼らの好みなのかは知らないが、僕の知っている曲が続き、これも楽しい。最近、カラオケはちっとも面白くない。知らない曲ばかりで。それに僕の歌いたい曲はみなが知らず、しらけさせるのも不本意である。自分もいよいよ本格的なおじさんになったのだといつも思い知らされるのだが、今回はただただ楽しかった。

 4日はかみさんが休みであった。なので食事は作らずに済み、一日仕事に専念できた。しかしパソコンが相変わらず調子悪い。真剣に新しいものの購入を考えさせられた。でもなあ。我が収入を考えると、あまりに大きな負担である。しかし先行投資はすべきだと、先輩方はみな一様に口を揃える。年内に買うか。

 5日(土)も仕事。普段の土曜日は仕事はしない。しかし現状、そのような悠長なことを言っていられる状況ではない。なので、朝から夜までずっと仕事。それでも多少、寝坊はしたし、土曜もかみさんがいたので食事は作らずに済んだので、いつもよりはずっと楽であった。そしてなんとか、1件の仕事を終えて、納品できた。大きな仕事(僕にとっては)は、残るすところあとひとつ。これは木曜までに仕上げなくてはならない。来週も、このハイピッチペースは続く。
 さらに財務レポートの仕事が、2件も来てしまった。客観的にみて、とても終えることはできないと判断した。そして初めて、仕事を断るという蛮勇を奮った。翻訳会社に怒られるのではと、恐る恐る断りのメールを送ると、形式的な「キャンセル受領」のメールが返ってきた。翻訳会社としては、日常茶飯事なできごとに過ぎないのだろう。考えてみれば、当たり前だが。

 そして6日(日)がやってきた。この数ヶ月間、ずっと頭にあったビッグイベントの日である。第25回文京区民合気道演武大会の開催日である。
 演武自体は別に問題はない。いつものとおり、普段の稽古どおりの演武をすればいいだけだ。合気道を始めた最初の頃は、格好をつけようとして悪あがきをした。普段、使ったこともないような派手な技を演目に入れて、失敗してかえって恥をかいたりしたものだ。でも最近は、無理はしない。今の実力通りの技を見せるだけである。それどころか、技を予め決めてもおかない。ただ受けのひとに、最初の5本は片手取りね、とか横面打ちね、とかお願いしておくだけだ。後は、自分の体が動くのにまかせている。やはり僕にとっては合気道は武道なのである。ささら踊りではないのだ。なるべく、実践に近い状況を想定したい(実際は、全然実践とは違うけど)。
 演武は下手くそながら、無事にこなすことができた。さて問題は、司会である。今年からメイン司会を引き受けることになったのだ。
 僕は軽口叩きの男で、普段は比較的おしゃべりな方であると思う。そこで司会などもうまいのではと、誤った想像をされ、よく結婚式の司会やスピーチを頼まれる。スピーチぐらいは、最近はどうにかできるようになったが、司会は常に散々な目に会ってきた。僕は自他共に認める上がり屋で、なおかつ滑舌がよくない。モゴモゴ籠もった声でしゃべって、さらに上がってしまってどもったり躓いたりして。アドリブもできない。ジョークもいえない。かつて僕に結婚式の司会を頼んだ友人知人は、みな後悔の念にかられ、結婚式のビデオは押入れの奥にしまいこまれる、といった運命に陥るのだ。
 さて昨日はどうだったかというと、それほど酷いものではなかったと思う。アドリブができないので、あらかじめ参加者にコメントを記入してもらい、演武中はそのコメントを読み上げた。さらにさる美人女子が、サブ司会を飛び入りで引き受けてくれた。ひとりだと、きっとはちゃめちゃな状態になったところ、美人女子がフォローを入れてくれたりして、どうにかこうにか無事に終えることができた。
 終わったあとは、色々な方から、「よかったですよ」と声をかけていただいた。お世辞であったとしても、涙が出るほど嬉しかった。自分が下手なのは分っている。しかし会にとって年に一度の大イベントである。文京区長や他団体の先生方も参加されている。司会が下手で、ぶち壊すことは避けたかった。そこそこのできで充分である。まずは胸を撫で下ろした次第である。
 しかし師範の先生からは、少々きつめの講評をいただいた。「ちょっとフランク過ぎでしたね」。はい、おっしゃるとおり。ただ僕はコメントを読んで、ちょと感想をいれただけなのだが。たしかにふざけ気味のコメントもあり、それをそのまま読んでしまった。臨機応変に飛ばすなり、表現を変えるなりしなくてはならないということでろう。
 そして「来年はもっとがんばってください」と最後は締めくくられた。「?、来年もって」。
 よき師とは、常に試練を与えてくれるものなのだなあ。ありがたく拝受しなくてはならない。

中心を合わせる


 夕べは久しぶりに逗子の道場で稽古をした。ここしばらく仕事が立て込んでいて、行けなかったのだ。今も途中の仕事があるが、無理をして出かけた。外は寒いし、仕事はあるし、出かけるまでは行きたくない気持ちもあったが、いつも稽古が終わった後に感じることだが、稽古に行ってよかった。

 昨日はちょっとした気付きがあった。それは自分の中心と相手の中心を合わせる効用である。逗子の道場は中心を合わせることを重視していて、普段も意識して稽古をしている。ところが自分では意識しているつもりだが、先生に注意されて改めて中心が外れていることを思い知った。
 中心を合わせるといっても、合気道未経験者や、意識した稽古をしたことがない人には、分りづらいことだと思うので、説明をする。

 まず相手の中心について。例えば相手が自分の手首をつかんできたとする。手首を解こうとしても相手に力があれば解けない。普通の人は、手首を解こうとするときに、つかまれている自分の手首とつかんでいる相手の手に意識を集中する。こうして手を振り回したり、引っ張ったりする。しかし相手に力があれば外すことはできない。
 ここで武道経験者なら、手首を捨てる。つまり手首への意識を捨てるのだ。つかまれていた手首を捨てると、突然に自由が訪れる。考えてみれば、つかまれているのは例えば左手であれば、右手は自由である。右手で相手の顔や喉元に突きを入れることができる。あるいは両脚が空いているので、蹴りを入れることもできる。
 これが恐らく最初のステップだ。逗子の稽古はさらに一歩先に歩を進める。手を引っ張るのでもよい。突きを入れるのでもよい。つかまれている手を使って、相手を投げてもよい。そのときに相手の中心線に集中して技をかけるのだ。例えばつかまれている手をただ引っ張っても、相手の方に力があれば、相手は動かない。しかし相手の中心線、できればより焦点を絞り、おヘソのした辺り(臍下丹田)に、こちらの力が直接に伝わるようにすると、相手は崩れる。突きの場合も同じだ。合気道だと、突きはあくまでも振りで、真剣に殴るわけではないのだが、ゆっくりと押すような突きであっても、臍下丹田に力が直接届くような突きであれば、相手は崩れる。

 ここまでは昨日の稽古ではできていたと思う。しかし自分の中心がずれていた。本来なら、相手の中心に力を加えるときは、こちらの中心から力を発さなくてはならない。しかしこれが難しい。なぜなら、相手も自分も常に動いている。中心のベクトルを常に合わせることは、とても難しいのだ。そしてちょっとでもずれてしまうと、相手はこちらの技からリリースされてしまう。とくに自分よりも上級者とやる場合は、まったく無力となってしまう。
 昨日も先生と稽古をしていて、途中までは崩すことができた。しかし途中で中心の繋がりが切れ、先生が体(タイ)を立て直してしまう。そのときは、自分では理由が分からなかった。中心は繋がり続けていると思っていた。先生に指摘され、ようやく気が付いた。その後、修正して、なんとか投げることができるようになった。

 稽古が終わってから振り返ってみた。そして、思いついた。これって普段の人間関係でも同じではないか。
 相手と話をする。一緒に何かをする。ただ場を共有する。どのような場合でも、相手の中心と自分の中心を繋げておくと人間関係はスムーズに行く。中心の繋がりが切れてしまうと、相手は思うように動いてくれない。普段の人間関係は合気道以上に複雑で難しい。しかし作用に共通点は多い。
 常に人間関係を円滑に持っていける人がいる。こういう人は無意識に相手と自分の中心点をつなげているのではないか。中心点が繋がっていると、簡単に相手を動かすことができる。相手は動かされていることに気づかない。自ら進んで動いているように感じる
 力技で無理やり動かそうとすると、相手は力む。仮に相手を力技で動かすことができたとしても、こちらは疲れるし、相手には不満が残る。
 合気道の本当の上級者は、中心線のつながりを相手に意識させない。それでいて常に相手を自在に投げ、決め、飛ばすことができる。投げられた方に不快感は残らない。自らの意志で飛んでいっているようにさえ思う。相手が自分を補助してくれているように感じる。実際は投げられているのに。
 人間関係でも達人みたいな人がいる。周りは自然と、その人の意識の上をトレースするように動く。それは不快でなく、むしろ愉快な行為となる。

 う~ん。どちらも遠い世界だな。

一日中、稽古


 今朝起きると、体がぎしぎしいっていた。今も筋肉痛で、節々が痛い。両腕は青あざ、赤あざで腫れあがっている。

 来月の初めに合気道3段の昇段試験を受けることにした。2段を取って6年が経った。今まで何度も昇段審査を受けようかと思ったが、まだいいだろうと思いつつ、6年が経過してしまった。
 合気道の昇段審査は試合があるわけではない。相手のいる約束組手はあるが、相手はリアルファイトでかかってくるわけではない。それでも審査のときは互いに真剣であり、普段以上に集中を要する。3段になると試験時間もひとり30分ほどあり、消耗もする。
 昇段したい気持ちもあったが、段が上がっても、それで別に強くなれるわけでもない。段を受けずに、強い人もたくさんいる。形より中身だと、かっこをつけて避けていた。試験も面倒だし、まだいいかと引っ張ってきたが、ようやく心の準備ができた。
 付け焼刃で稽古をしても今更、技がさえるわけではない。それでも審査にそなえ、稽古にいそしんでいる。

 昨日は朝9時半から12時まで都内の道場で、3時から4時半までは逗子の道場で稽古をした。都内の道場に9時半に間に合うためには、家を7時半に出なくてはならない。都内の稽古が終わり、逗子に行くと、もう逗子の稽古の時間だ。稽古がすべて終わり、家に戻ったのは夕方の5時を過ぎていた。ほぼ一日中、稽古と移動で過ごしたことになる。
 昨日は気温も湿度も高く、逗子の稽古では体温が上昇してしまい、気分が悪くなってしまった。朝から稽古を続けていて、さすがにオーバーヒートの状態であったようだ。
 水分を意識的に取っていたのだけど、危なかったと思う。熱中症になったら大変だ。

 稽古を続けていると、体力の低下をあまり感じることがない。しかし来年で、半世紀も生きたことになる。やはり無理は効かない。

 審査まであと2週間。梅雨の体調管理に留意しながら、稽古を重ねていきたい。

合気道三段昇段審査


 週末は色々、あった。まず土曜日は文京区の道場に稽古へ行った。日曜は審査だったので、1時間ほど早く道場へ行き、一緒に三段を受けるオランダ人Fさんと稽古をした。
 その後、普段の稽古を終え、帰る。が、家には帰らずに、鎌倉駅で降りる。鎌倉駅周辺をぶらぶらと歩く。鎌倉に出かけても、足早に目的地へ向かうことが多い。しかし土曜日は時間があったので、ゆっくりと歩く。いつもは通り過ぎても、気づかずにいたが、良さそうな店をいくつか見つける。普段、鎌倉に出かけることが少ないのだが、せっかく近くに住んでいるのだから、たまには出かけるべしと思う。鎌倉駅の雰囲気は逗子駅とはまったく異なる。賑やかで派手やか。そしてしぶい。

 歩いて向かったのは八幡宮裏にあるフレンチのレストラン「レネ」である。かみさんの誕生日祝いだ。夜は6時に開店のようで、我々は6時に待ち合わせ。私は6時前に到着。かみさんもすぐに着いた。
 レネのディナーは基本がコースのみ。といってもとても安い。前菜、メイン、デザート、飲み物のセットで、4700円(だったと思う)だ。
 我々はフランス産の白ビールというのを1本ずつ、それと白ワインを1本頼む。
 料理もビールもワインも、とてもうまかった。この店は夫婦で営まれているが、シェフはフランス人である。奥さんは日本人。二人はフランス語で話なんかをしている。味は本場のものだし、店内の雰囲気もフランスである。帰りはバスですぐに着ける位置にある。バスで行ける、フランスなのだ。
 とても楽しむことができた。

 さて日曜日は合気道の審査だった。前週は初段以下の審査だったが、今回は3段のみ(2段の受験者はなし)。3段受験者は5人いたはずだった。いたと過去形にするのは、結局3人しか受けなかったからだ。
 1人は体調を崩し、辞退をした模様。もう一人は、稽古日数が足りずに、審査を受けさせてもらえなかった。そのもう一人が、土曜に一緒に稽古をしたオランダ人のFさんである。
 Fさんとは、その前の週も、さらにその前の週も、一緒に審査向けの稽古をした。本人に受けられなかったことを尋ねると、「ダイジョーブ、デスネエ」、なんて言って笑っていた。
 Fさんは、合気道歴はすでに25年ぐらい。とうに3段どころか、4段になっていてもおかしくないキャリアと腕だと思う。本人はとても奥ゆかしく、進んで審査を受けたがらない。今回は私が受けるということで、受ける気になったようだ。たしかに2段に昇段した後は、子供が生まれ、以前のように頻繁に稽古はしていなかった。でも既定の300日に届いていないのだろうか。週1日でも年間で50日になる。300日には届いているように思えるのだが。
 審査当日に受けられないことが、知らされて、気の毒であった。

 本番の審査だが、可もなく不可もなくといったところだった。審査に出ると思われる技は、事前に何度も練習をした。日頃の稽古ではあまりやらないような技が多い。審査は師範が技の名称を口頭で言い、その技を行う。普段、あまりやらない技ばかりなので、戸惑ってしまう人が少なくない。私はFさん他と、かなり事前に稽古していたので、戸惑うことはなかった。
 ただやはり緊張はしており、体が硬かった。そのために中心線がぶれてしまい、普段よりもバランスの悪い技が多かった。

 審査が終わり、ほっとしていると、先輩方から声をかけられた。特に5段のYさんや、合気道だけでなく空手、柔道、剣道の有段者で、銃剣道と日本泳法では師範の資格を持ち、全部の段を合計すると30段とか言われるFさんに、褒めていただいたのは、嬉しかった。「落ち着いていて、とてもよかったですよ」と、おっしゃっていただいた。自分では緊張で、技が硬かったイメージだが、どうにか最低限の技ができたようだ。
 もしそれなりの審査ができたとしたら、それは普段の稽古の積み重ねだと思うが、はやり事前の審査向けの準備は大きかったと思う。それとシュミレーションも。
 シュミレーションとは、事前に合気道の高段者の演武をかなり見続けたのだ。審査の前の週は、毎日1時間程度、ユーチューブや手持ちのDVDを見た。いわゆる達人の技は、華麗すぎて、かえって混乱の基なので、オーソドックスな技を使う、現役の師範たちの技を見た。これが良かったのではと思っている。

 と、安心してしまっているのだが、審査は受けただけだ。結果が出たわけではない。落ちているかもしれない。
 ただ審査の結果は、人事みたいなものだ。本人の意思や希望とは無関係なものだ。結果のことは、今は考えないようにしよう。今はただ、意外とプレッシャーだった審査が終わって、ほっとしている。

 審査の後は、親父軍団が慰労の意味を込めて飲みに誘ってくれた。思い切り汗をかいた後のビールは、至高の味だった。

ラ・マーレ・ド・茶屋で、お祝い


 文京の合気道場の友人であるオランダ人のFさんが転職をした。そのお祝いに葉山のフレンチレストラン 「ラ・マーレ・ド・茶屋」へ行ってきた。
 お祝いといったら本人が招待を受けるものであり、友人の僕が招待すべきなのだが、関係は反対であった。Fさんご夫妻が、僕ら夫婦を招待してくれたのだ。というのも、少しばかりいきさつがある。

 Fさんはシンガポールに本社がある船会社でITマネージャーとして働いていた。しかし日本の不景気は長期化するばかりで回復する見込みはない。さらに追い打ちのように大震災が襲った。船舶輸送の日本の地位は低下するばかりだ。その船会社は日本から撤退することを決断した。
 Fさんはその会社に、奥さんとともに働いていた。つまり夫婦そろって失業の危機に瀕したのだ。
 その話を聞いて、僕は驚いた。一大事である。Fさんの奥さんは中国人である。夫婦ともに不慣れな日本の地で路頭に迷うことになる。
 その話を聞いてから、お節介とは承知の上で、僕は知人にFさんにふさわしい仕事がないかを聞いて回った。FさんはITの専門家だからすぐに見つかりそうに思ったが、なかなか見つからない。Fさんの日本語が、お世辞にもうまいといえるレベルではなかったからだ。
 今は会社を辞め、社会との接点が少ない僕である。それほどコネクションがあるわけではない。Fさんには済まない気持ちでいた。Fさんと道場で会うたびに、求職の話をしたのだが、肝心のFさんはいつも平気な顔だった。
 「ダイジョーブデスネエ。ヘイキヘイキ」。なんて、まるで他人事だ。こちらが一生懸命探しているのに、正直いって腹が立つこともあった。しかしこれはFさんのキャラクターである。常に平然としているのだ。Fさんに「アマリ、シンパイシナイホウガイイデスヨ。キット、ナントカナリマス」、なんて慰められちゃったりもした。

 5月の全日本合気道演武会のときだ。僕が文京とともに通う逗子の道場のB先生を、Fさんに紹介することができた。B先生もオランダ人なのだ。
 日本では数が少ないオランダ人同士の二人は、すぐに打ち解けて話し始めた。オランダ語なので意味は分からないが、地元の話や世間話をしているようだ。B先生を紹介したのは、もちろんオランダ人同士で会話を楽しんでもらいたいと思ったからだが、それだけが理由ではない。日本滞在が40年近いB先生は日本語もペラペラで、僕以上に顔が広い。Fさんに仕事を紹介してもらえないかと考えからだ。しかしFさんは世間話ばかりをしていて、肝心の就職の話はしていないようだ。
 そこで痺れを切らせて僕がB先生にFさんの窮状を訴え、仕事を紹介してもらえないかと尋ねた。Fさんは相変わらず他人事のように、にこにこ笑いながら、聞いていた。

 そこからトントン拍子に話が進んだ。B先生は世界的規模のドイツメーカーに勤めていたのだが、そこが業務拡張で人材を募集しているといる。とくにITの専門家を探している。B先生はすぐに会社に当たってくれて、面接までたどり着くことができたのだ。
 面接日が終わり、Fさんに電話で様子を尋ねた。「ダイジョーブデスネエ」とFさんは答えた。心の中でガッツポーズを取った。
 その数日後に逗子の稽古があり、B先生にFさんの面接がうまくいったようだという話をした。すると普段でも赤鬼のようなおっかない顔のB先生が、さらに赤い顔をして怒りだした。理由を聞くと、せっかく会社にFさんを紹介したのに、Fさんがやる気を見せない。会社側も本当にこの人は転職するつもりなのかと不安になっているという。
 慌ててB先生にFさんの人の好さと、日本人以上に謙虚な態度について説明した。B先生は納得してくれたが、問題は会社の方だ。
 まさか僕が会社に電話をかけて、「Fさんはいつもヘラヘラしているようですが、とても真面目な男です。ああ見えて、闘志もあります。腕っぷしも強いです」なんて、説明することはできない。すぐにFさんに電話をして、会社側は誤解しているようだから、すぐに電話をしてやる気を示した方が良いと、少し強い口調で指示を出した。「ソウデスカア。ヘンデスネエ。デモ、ツギノメンセツヲシマスノデ、ソノトキデ、ダイジョウブデス」、なんて相変わらずの返事だったが。
 しかし僕の心配は杞憂であった。Fさんの言った通り、「ダイジョウブ」だった。日本ブランチの面接は無事に通過しており、次の海外支社の上司とのテレビ電話による面接もパス。結局、Fさんの言うとおり、「ダイジョウブ」な結果で合格をした。

 そういう理由で、Fさんご夫妻が僕らを招待してくれたのだ。僕らの家が遠いいことを配慮して、わざわざ東京から葉山まで来てくれた。ものすごく可愛い娘のEちゃんを連れて。

 ラ・マーレ・ド・茶屋はなかなか良い店だった。もっと高級志向かと思ったが、外見よりは庶民的な店だった。味は日本人好みのフレンチで、うまい。店員のサービスもよい。楽しいお祝いの席となった。

 Fさんの新しい職場は横浜だ。現在、住んでいるマンションは都内の北部なので、ちょっと遠い。逗子葉山地域は子育てに良い場所である。都内に比べれば土地も安い。自然も豊富だ。外国人も多く住んでいる。職場が横浜なら、通勤にも悪くない。しきりに僕は、引っ越しを勧めた。
 Fさんが引っ越してきて、B先生の教える逗子の道場に一緒に通えたら。そりゃきっと楽しいだろ。と、自分勝手な妄想を膨らませてしまった。

合気道三段審査の結果


 昨日は都内の道場に稽古へ行った。そこの道場での稽古は約2か月ぶりだ。久しぶりの懐かしい顔を拝み、汗を流すと、いつもの清々しい気持ちになった。

 実は書かなかったことがある。7月の最初のブログで合気道三段の昇段審査を受けたと書いた。その結果を書いていない。ブログを読んでおられる方は、もしかしたら不思議に思われていたかもしれない。書こうと思った。でも書けなかったのだ。
 7月のブログの最後の箇所に、このような記述がある。「審査の結果は、人事みたいなものだ。本人の意思や希望とは無関係なものだ」。
 この通りだった。期せずして、予言をしていたのだ。結果は本人の意思や希望とは無関係なものだった。

 僕は特別、人事のセンスがない。会社員時代はいつも痛感していた。今回は、僕の異動はないだろうと、思っていると、異動する。そろそろ異動があるのではないかと感じていた部署では、異動がない。次の部長は誰だろうと予想していると、毫も予想をしていない人物が昇進する。まったくセンスがないのだ。
 このセンスのなさの理由は、今は分かる。人事に関する僕の尺度と会社の尺度が違っていたのだ。どんなに正確に測っているつもりでも、尺度が違えば正解は異なるに決まっている。僕は抜けているから、営業成績だとか、企画力だとか、取材力とかで、人を判断する。当然、会社もその部分は評価するだろうが、それだけではない。そのプラスアルファーの部分が、僕には見えないのだ。
 合気道の物差しに関するセンスもないのかもしれない。

 今まで結果について書かなかったのは、ショックが予想以上に大きくて、書けなかったからだ。不覚にもまったく予想だにしていなかった。ブログでは、落ちることがあるかもしれない、と書いたが、あれは嘘だった。地元の道場の先生にも、四段でも問題なく受かりますよと太鼓判を押され(勇気づけてくれたのだろう)、すっかりその気になっていた。だから、審査に落ちたことを告げられた日は、漫画の登場人物が落ち込んで、顔に縦線が入ったように、ちょっとオーバーなぐらい、放心状態になってしまった。
 妻には言えずにいた。その1か月ほど前からの、僕の稽古ぶりや、家でのトレーニングを知っていたので、恥ずかしくて言えなかったのだ。1週間ぐらい経ってから、「実は落ちたんだ」と言うと、「そう思ってた」と言われた。知っていたのだ。
 
 僕が落ち込んだのは、実は審査に落ちたこと、そのこと自体が理由ではない。大学受験や就職試験で、落第には慣れている。落ち込んだのだのは、自分にセンスがないことを知ってしまったからだ。
 実は今も、落ちた理由が分からないでいる。合気道三段は二段允可後、2年以上、300日以上稽古することが求められる。僕は二段允可後、すでに5年が経過している。都内の道場は週に一度程度しか通っていなかったが、地元の道場他には行き続けており、週平均3日程度は稽古をしている。5年間で稽古日数は600日以上あると思う。既定の倍以上だ。だからその点は問題がないはずだ。そうすると、やはり技が未熟であったということだ。でも、どう稽古すれば良いのか、分からなくなってしまった。
 今回の審査では僕以外に落ちた人もいたが、受かった人もいた。そこにきっと解がある。この2か月間、考え続けてきた。しかし未だ解けない。
 解けなければ、上達はできない。どちらの方向に進めば良いのかが、分からないのだから。進みようがない。

 しかしきっと今は、ただ稽古を続けることに意味があるのだろう。どちらに進めばよいのか分からないが、ただ歩き続けることが必要な時なのだろう。もし方向が誤っていたとしても、それでも脚力は鍛えられるし。それに、仕事もそうだったが、自分の好きな方向にしか進めないのが、自分である。誤った方向でも、立ち止まっているよりはいいだろう。
 今はそう思っている。日曜は猛烈に暑く、汗だくになったが、爽快だった。あの爽快さだけは、未熟な自分でも実感できる。それだけでも、十分じゃないか。
 

久しぶりのスーツ


 日曜日は合気道の道友の結婚式に参加した。久しぶりにスーツを着た。
 若い頃は結婚式に出るときはタキシードを着ていた。それがカッコいいと思っていたのである。カマーバンドまでして、すっかり気取っていたのである。若気のいたり。
 それが中年になって恥ずかしくなり、スーツを着るようになった。一般的には黒の式服だろうが、なんとなく自分としては、式服は葬式のイメージがある。同じものを着ていくのに抵抗を感じる。それとも他の人は、葬式と結婚式の式服は分けているのかもしれない。自分は一着しかもっていないので、あれは葬式用なのである。
 それで日曜はスーツを着て行った。10年以上前に買ったものだ。ブルックスブラザースの紺のスーツでオーソドックスなスタイルだ。僕は会社員時代は着道楽で、スーツは3、40着ぐらいは持っていたと思う。ブランド物が好きで、ディオールとかアルマーニとか、カルバンクラインだとか、ポロとか、ケンゾーとか、ワイズとか、とにかく色々持っていた。でも会社を辞めて、みんな人にあげてしまった。
 ブルックスのこのスーツだけはとっておいた。一番、オーソドックスだったからである。
 ところが久しぶりにこのスーツを着て、がっかりした。うんと古臭いのだ。細身のパンツと思っていたが、ツータックでやたら太い。ジャケットは肩幅が広い。当時としては細身のタイプだったが、今のスーツと比べると、なんだかバブリーなのだ。
 もういつも通り、ジーパンで行っちゃおうかと思ったぐらいだ。
 それとネクタイも、僕は白を持っていない。だから明るいベージュのものを締めて行った。全体的にみて、ちょっと浮くのではないかと不安になりながら、会場の椿山荘に向かった。
 約2年ぶりに会う先生方や道場の仲間との邂逅は、とてもなつかしい。みな優しく、勝手に行かなくなったにもかかわらず、疎外感はまったく感じなかった。
 ところでスーツに対する不安だが、みんなそんなものは気にしていない。考えてみれば当たり前である。中年の男のスーツの形なんて、誰も気にしないものなのだ。僕自身も、ぜんぜん気にならなかった。
 それよりも久しぶりに会うみなさんに言われたのは、僕の髪型についてだった。当時は刈り上げの短髪だが、今は肩にとどくロングである。どことなく記者会見以前の現代のベートーベンに似ていなくもない。こちらのインパクトが強かったみたいだ。
 
 今は完全に逗子に籠った生活だ。スーツを着る機会は、たまの結婚式ぐらいしかない。こんな生活に以前は憧れていたように思うが、なってみればどうってことはない。かえって、たまのスーツもいいもんだと思ってしまう。
 スーツを着ると、身が引き締まる。これからは、仕事でスーツを着る機会を作りたいものだ。

久しぶりの更新


 一か月近くも更新を怠ってしまった。ブログを始めてから、はじめてのことだ。
 リハビリを兼ねて、取り留めもないことを書く。
 8月の頭に水上と谷川岳に行ってきた。文京の合気道のメンバーと一緒に行ったのだ。久しぶりに僕は参加したのだが、違和感なく楽しめることができた。合気道のメンバーは、大人である。
 こんなことがあった。水上駅の近くの蕎麦屋に入った。入ったときに、店のおばあちゃんと客が何かもめているのは知っていた。その客が出た後は、比較的広い店で客は僕らだけだった。
 接客はおばあちゃん一人がやっていた。僕らのテーブルは醤油のこぼした汁などで、汚れたままだった。そこで我がグループの師範が、店の布巾をどこからか探して、テーブルをふき始めた。他のメンバーは水をどこからか人数分、用意した。
 ビールが運ばれ、蕎麦ができても、メンバーの動きはとまらない。よたよた給仕をするおばあちゃんを労わるように、リレー方式でコップや皿を運ぶ。食べ終わった後は、お盆をどこからか探しだし、自分たちで片づけた。
 この動きにおばあちゃんは、いたく感謝をした。半分空いた焼酎の瓶をサービスで持って来てくれた。手作りの梅干しも出してくれた。
 聞くと、前の客に誤った料理を出してしまい、散々に怒られたという。次に団体客が来て、オロオロしていたところ、文句も言わずに自分たちでおばあちゃんのフォローをしたもので、感動したという。
 我が合気道の親父チームは推定平均年齢60歳超である。このメンバーと飲みに行くと、店からサービスを受けることが多い。どこに行っても、腰は低く、優しく明るいので、歓迎されるのだ。
 2年近くも稽古に行っていない。帰ってからかみさんにこの話をした。夢中で話したようだ。「また始めたら」と言われた。同感であった。

 谷川岳からの眺望は素晴らしかった。僕は何度も対面に聳える武尊には行っている。頂上は登ったことはない。キノコ狩りで麓を徘徊するだけだ。武尊山麓からいつも眺めていた谷川岳は、想像以上に美しい稜線が拡がっていた。

 水上ではラフティングをした。初体験だった。これもまた、楽しい。平均年齢60歳超のメンバーが、子どものようにはしゃぎまわった。

 今、かみさんは夏休み中だ。そこで毎朝、二人で早朝散歩を楽しんでいる。4時半に目覚ましをかけ、5時から出発をする。朝の空気はまだひんやりとして、膚に気持ちがいい。
 近くの丘からは富士山と大島が眺められる。僕は毎日、見ていたのだが、かみさんは久しぶりだ。夏休み感を味わっているようだ。

 かみさんがおさんどんを受け持ってくれるので、毎日楽ちんである。普段は、常に食事のことが心の片隅にひっかかっている。三食、何がしかの工夫をするということは、気づかないがプレッシャーになっていたようだ。それがない生活が、こんなに快適であるとは。
 かみさんには申し訳ないが、しばらく甘えさせてもらう。
 その分、毎日、机に向かっている。今月も某賞に応募しようと考えている。
 

プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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