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出版翻訳家への道1(マジ、目指します)


 翻訳家になりたいと思って会社を辞めた。辞めてもうじき2年になる。その間、わずかながら仕事が来るようになった。まだ糊口を凌ぐまでも届かない。蓄えを崩しながら、どうにかこうにか暮らしている。ほんと、質素な生活を送っているので、お金はあまり使わない。今のペースなら、しばらくやっていけそうだ。それに少しだが収入もあるし。だから余裕がまだあるうちに、本道を進まなくてはならない。ワインディング・ロードをぶらつくのは楽しいが、目的に視線を向け、ちゃんと近づいていかなくてはならない。出版翻訳家を目指すのだ。

 今の仕事はいわゆる実務翻訳である。主に英文で書かれたホームページの和訳をしている。これはこれで面白い仕事である。翻訳をするには翻訳内容をある程度、理解できなくてはならない。だから下調べが必要だ。たとえば去年はある難病を解説するホームページを翻訳した。100ページぐらいあった。症状や治療法、病因などが書かれてあった。図書館に通い、遺伝子関連や生理学の本を何冊か読んだ。社会的な意義も感じることができたし、知識も得ることができた。準備や訳をしながら、充実感があった。
 でも、これが目的ではない。会社を辞めてまで目指したものは、これではない。

 昨年はそれなりに、ほんとそれなりにだが、出版翻訳を目指して動くことは動いてみた。海外のサイトで訳したい本を見つけ、アマゾンで取り寄せて読み、企画書を書いた。正直に言おう。企画書を書いたのはたった2つだけだ。そのうちひとつは、合気道の仲間から紹介してもらった出版社に持ち込んだ。小さな出版社だったので、相手をしてくれたのは社長であった。感触は悪くはなかった。社長は販権がまだ買われていないかどうかを調べてくれた。もしまだだったら、出版化を考えくれそうな感じであった。しかし残念。販権は買われていた。
 もう一つの企画書はある病気の人の自伝についてであった。その病気関連の本を出版している出版社をネットで調べた。数社あった。片っ端から電話をかけた。1社が会ってくれることになった。喜び勇んで、その出版社に出かけた。これまた感触はよかった。もしやと期待した。しかし担当者から、後になって断りのメールが入った。
 当然、出版社は売り上げの見込みを考える。私には面白い本と思ったが、また担当者も面白いと思ってくれたようだが、それだけでは出版に結びつかない。ある程度、売れる見込みがなくてはならないのだ。その本の著者はアメリカではそれなりに有名な文化人である。でも日本ではほぼ無名だ。数冊が翻訳されているが、あまり売れた形跡はない。担当者はプロの判断で、断りを入れてきたのだ。仕方ない。
 2つの企画書を仕上げ、両方とも出版社に売り込みに行き、そして挫折をした。たった2社だ。もっと回れば結果は変わったかもしれない。でもこの方法で良いのであろうか。この方向で間違いがないのだろうか。逡巡した。そして方法を少し変えてみることにした。企画書でなく、翻訳そのものを持ち込む方法にだ。

 私は実務では、少しばかりの経験を積むことができた。でも出版はまったく未経験だ。もしそれなりの本を見つけ、それなりの企画書を仕上げたとしても、出版社は私に翻訳を任せてくれるだろうか。いわば素人の私に翻訳を依頼するだろうか。
 出版社はリスクを感じるだろう。ならば出版社のリスクを軽減してやろう。そう考えた。翻訳そのものを持ち込めば、内容もダイレクトに知ることができるし、私の実力も分かる。出版社のリスクを軽減できる。
 それとこれは出版社だけにメリットがあるのではない。私にもメリットがある。経験を積めるというメリットだ。果たして私は一冊の本を翻訳し終えることができるのだろうか。私自身が知りたかった。
 そして昨年の夏から秋にかけ、翻訳した。あるサーファーの自伝だ。やり終えました。一冊。ちゃんと翻訳できた。さあ、これをどこかの出版社に持ち込もう。
 そう思ったのだが。勇気が出なかった。いや、勇気じゃないかな。なんだか勢いがなくなってしまったのだ。言い訳だが、その頃から自動車免許の一発試験を受け始めた。不合格の連続だった。なんだか、意識がそちらに行ってしまった。そうそう、実務で大きな仕事も入った。年末からついこの前まで、ほぼこれで忙殺された。それで、そのまま。まる一冊翻訳した原稿はまだ私のPCの中にある。私以外、誰も目にしていない。

 いかん、いかん。これでは。もう会社を辞めて2年だ。2年目にはきっと一冊ぐらい翻訳できるのではないかと、甘い考えを持っていた。でもただ待っているだけでは、出版の機会はやってこない。こちらから歩まねば。
 この本も持ち込もう。きっと厳しい意見を言われるだろう。それも勉強だ。それともっと本を探そう。そして企画書を書こう。どんどん持っていこう。ちょっと恐ろしいし、不安だし、それに面倒だけど。

 ということで、「出版翻訳家への道」をスタートします。年内に出版を目指します。年内は無理だとしても、期間無制限で出版翻訳を実現させます。その軌跡を記していこうかと思います。このぐらい、自分に発破をかけないと、愚図ですから、おれ。これを奮起の材料に、出版翻訳家を目指していきます。


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忙しいのに捗らない


 仕事があまり進まない。来週の水曜日締め切りのトライアルがある。トライアルとは仕事を取るために、訳者が提出する試訳のことだ。これでクライアント、あるいは翻訳会社が認めれば、仕事が成約する。今回の仕事は医療関連の本、まるまる一冊の翻訳である。試訳はその本のうち、6ページ程度。分量は多くないが、専門分野なので下調べが必要である。2月は28日しかないので、あまり間がない。早く進めなければならない。ところがそれが進まない。出版翻訳なので、ぜひ取りたい。でも進まない。

 昨日は一日のほとんどを航空券の手配に費やしてしまった。3月末からローマへ旅行に行く。新婚旅行だ。昨日、ネットで調べると、ほとんど空席がない。安くて、直通便で、なるたけ羽田発で。それで調べると、全滅。まず羽田発のローマ直通便は存在しない。成田からもJALとアリタリアの2社のみだ。毎日、出航しているわけではない。なのでこちらのスケジュールとの関係もある。
 探しに探して、ようやくひとつだけ見つけることができた。成田発のアリタリアだ。本当は3月26日に出発する予定だったが、26日は土曜なので埋まっていた。25日なら空いているというので、それで押さえる。結局、7泊8日の予定だったが、8泊9日に延びた。喜ぶべきかもしれないが。
 料金も予想より、ちょっと高めだった。ネットで以前調べたところ、最安値では5万円程度からある。アリタリアも8万円程度だ。それが買えたのが13万円のもの。よく調べると、ネットで記載されているのは運賃のみ。実際には空港使用税だとかサーチャージだとかがかかる。私が買ったのも運賃だけだと9万円程度だったが、諸費を合計すると13万円になるのだ。
 安く買えたと考えるべきかもしれない。直通だし。結果オーライである。でも、たどり着くまでには疲弊した。ネットをいじくり回し、最後は直接電話をした。久しぶりに航空券の手配をしたが、実に手間がかかるものだ。もう少し早く始めれば良かった。

 今日はホテルの予約をするつもりだ。今回の旅行はちょっと贅沢にいこうと考えている。宿泊は原則5つ星ホテルにするつもりだ。その中でもハイグレードのものだ。一泊、4万円程度を考えている。350ユーロぐらいだ。円高のおかげで、以前は10万円ほどしたホテルにこの価格で泊まれることができる。一生の思い出に、ちょっと奮発する。帰ったら、また質素に暮らそう。それもまた楽しだ。

 そんなこんなで、仕事がはかどらない。明日は甥が遊びに来る。明後日は妹夫婦も来る。日曜は合気道の稽古だ。これじゃ、いつ仕事ができるのか。
 仕事ができる男は、要領を知っている。優先項目を定め、そこに集中するらしい。私もそうすべきだとは分かっている。でもなぜか集中できない、環境が私を取り囲む。環境に絡め取られて、ただ忙しさに埋没している。そして忙しいのに、肝心のことは捗らない。これこそが、駄目男の典型的な行動パターンであろう。
 戒めねばならない。



結果は自ずとついて来る


 昨日、締め切りだったトライアルに応募した。ある医学書の出版翻訳のトライアルである。前にもちょっと触れたが、6P程度で分量はそれほど多くない。しかし専門用語の連続で、下調べに時間がかかった。また700P超の大部の抜粋なので、全体像がつかめない。そこを想像しながらの訳となった。ゆえに1週間まるまる費やしてしまった。
 自己評価としてはそこそこの出来だと思う。1週間、自分としては精一杯努めたつもりだ。今の自分の実力が反映されている訳文だと思う。後は結果を待つだけだ。

 トライアルに合格して仕事が来たら嬉しい。初めての出版になるのだ。しかし不合格であったとしても、それは良しだと思っている。ちょっと以前だったら、そうは思わなかったはずだが。
 いくつか実際の仕事をこなしてきて、分かってきたことがある。訳者はクライアントが求めるクオリティー以上のものを作らなくてはならないということを。そうしなけらばクライアントに迷惑がかかる。仕事はあくまでもクライアントありきなのだ。訳者の生活や気持ちは関係ない。
 一昨年、昨年と数少ないがトライアルを受けた。課題文が難解であったり癖があったりしたら、翻訳会社(そのときはクライアント直ではなかった)の意地の悪さに憤った。そして何とか書き上げた訳文には、随分な自信を持った。こんな素晴らしい訳を落とす奴らはバカだと。もし落としたなら、それは翻訳会社の目がないのだと真剣に思った。そしてトライアルには落ち続けた。
 バカは翻訳会社でなく自分であった。私以外に、どんな人が何人トライアルを受けたのかは分からない。しかし翻訳会社の目から見たら、少なくても私はトップではなかったのだ。仕事を請けるためにはトップでなくてはならない。翻訳会社、クライアントが得られる訳者の中で、最高のクオリティーを提供できる訳者でなくてはならない。

 だから今回、落ちたとしても仕方がないと思う。私よりうまい訳者がいたということだ。私が訳すより正確で読みやすい訳文ができたのなら、完成した本を読む学生も喜ぶというものだ。私はちょっと落ち込むだろうが、そんなことは出版という実業の中では意味をなさない。出版社も学生も最大のメリットを享受できることこそが、善なのである。

 もっと学ばなくてはならない。英語力はまったく不十分である。日本語もあまりうまくない。語彙も少ない。表現のレパートリーも足りない。クライアントのためにも、出版社のためにも、そして読者のためにも、技術を向上させなくてはならない。
 ようは一番になればいいのだ。トライアルを受けた訳者の中で最高の訳文を仕上げれば、結果は出るのだ。結果自体に気を病んでも意味がない。そんな暇があれば、良い文章をたくさん読み、原書を多読し、文章を書こう。すれば自ずと結果がでてくるはずだ。

 本日は最近、仕事をくれた会社の社長と飲んでくる。私の訳文を誉めてくれた人だ。でもまだ不十分であることは自分でも分かっている。そんな不十分な私に仕事をくれた社長に感謝しなくてはならない。次はさらに良い仕事をしたいです、社長さん。
 しかし飲んだら、きっと偉そうなことを言うだろうな、おれ。


トライアルの結果


 先週、応募した医療関係専門書の翻訳トライアルの結果が出た。不合格だった。なんだか「一発試験合格への道」のときみたいな書き出しである。あの頃も、辛い日々だったが、今日もちょっと落ち込んでいる。前回のブログでは、「結果は自ずとついて来る」と格好いいここを書いた。本心でそう思っているつもりだったが、やはりそれでも落ち込む。う~ん。でも何かすでに落ち込みは解消してきた感じがする。結果をサイトで見つけたときはガッカリしたが、今これを書き始めたら、「過ぎたこと、また受ければいいじゃん」という気持ちが湧いて来た。今、まさに立ち直り始めた。不思議。
 それにあのブログでも書いたが、やはり自分より良い訳を書いた受験者がいて、その人が仕事を取ったのだから、出版社や読者にとってはめでたいことだと思う。自分が力不足だっただけだ。

 さて、出版とは別に実務であるが、別会社が訳者を募集していた案件にいくつか応募している。そのうちひとつが、書類先行を通った。これからトライアルを受けることになる。海外の翻訳会社なのだが、と~ってもギャラが安い。インドや中国の田舎から出てきた出稼ぎ労働者並の賃金である。翻訳って、儲からないよ!、と散々言われたが、実際こういう額を提示されると驚いてしまう。こんな世界があるのかという驚きである。
 でも駆け出しの翻訳者は実績が欲しい。そして実践を通じての経験が欲しい。なのでトライアルを受けようと思う。
 今回のは実務だし、ギャラが安いし。力を抜いて受けられるのではないだろうか。でも、勿論精一杯の訳は出すつもりだが。

 今日は天気がよい。今、書斎でPCに向っていると、東からの日差しがまぶしい。そろそろカーテンを閉めなくてはならないほどの強い日差しだ。このブログを書き上げて、ラジオ英会話(ネットで)を聞いたら、確定申告に行こう。去年は鎌倉税務署まで1時間かけて、テクテク歩いていったが、今日は愛車(プジョーだよ、はるきママさん)で、行こうかな。明るい太陽の下、ちょっとしたドライブになりそうで、楽しそうだ。
 税務署から帰ったら、一昨日JIAAからもらった仕事の続きをしよう。気を使ってもらって、すっごく納期が長いのだが、それに甘んじていると、あっという間に時間ばかりが過ぎてしまう。早めに済ませましょう。



忙しぶっている日々


 最近の私は忙しぶっている。現実的に時間に追われているので、忙しいとも言えるが、そう言い切ることには躊躇を覚える。最近の私が忙しいのは翻訳のトライアルに追われているからだ。
 先月末あたりから、トライアルに応募するようになった。昨年までもいくつか応募してみたが、ことごとく書類選考で落とされた。ところが今年になって応募したものがすべて書類選考を通過したのだ。どうしたわけだろう。
 昨年までと今年の履歴書の違いを比較すれば、なぜだが少し見えてくる。違いはふたつである。
 ひとつは私に書くべき実績ができたこと。昨年、特に一昨年は実績がゼロであった。だから履歴書は翻訳の実績は書けずに、新聞社時代や銀行員時代の職歴を書いた。でもそれだけじゃ、翻訳者としての履歴書としては不足なので、仕方がないのでやる気とか、興味のある分野などを書いていた。まるで学生時代の履歴書である。しかし今年のものは翻訳者としての実績をベースに記載して、付加的に新聞社時代の仕事内容と、趣味で読んでいる経済書や科学関係の本、それと関係ないかもしれないが箔付けみたいなものだけど、好きな宗教関係の本や哲学書なんかを列記した。すると自分でいうのも何だが、それなりの履歴書ができあがった。
 それともうひとつ。これが実は大きいのではと思っているのだが。履歴書がこなれてきたように思う。実際、昨年までのものは学生時代に書いたものとさほど代わり映えしないスタイルであった。こちらの都合だけを強調して、相手のデマンドを考慮していなかったのだ。今年は少し頭を使うようになった。相手の求めるものを最初に書くようにしたのだ。例えば経済関係の翻訳者を求めている翻訳会社に出す履歴書なら、新聞社時代に書いた投資や金融関連の記事を履歴書の最初で紹介した。メディカル関係なら、昨年翻訳した難病のサイトについての説明を書いた。あとはコンパクトであることと、読みやすさを心がけた。忙しい翻訳会社の担当者が一目で私の実績や実力が分るように書いてみた。きっと、これが大きいと思う。
 これが私の側の変化である。しかし相手の立場の変化もあったと考えることもできる。今までよりも採用基準を甘くしたのかもしれない。あくまでも可能性としての想像だが。
 一流の、あるいは一流まではいかなくてもプロとしての実力のある翻訳者は翻訳料が高い。今は翻訳会社自体が価格競争に巻き込まれているので、安い翻訳者を求めている。だから多少、腕が悪くても安い人の需要がある。それでギャラが安い新人を探し始めたのではないか。

 で、忙しい話の続きだが。2月の終わりから多分、4つのトライアルに申し込んだ。ひとつは前にも書いたが、不採用であった。残りの3つは書類選考を通った。落ちたものは書類選考がなかったので、書類選考だけでみると3戦全勝だ。書類選考自体は、まったく仕事に結びつかないので、あまり自慢できないが、昨年までほぼ全敗だったことを考えると、自分としてはとても嬉しい。
 先週からそのトライアルの翻訳を続けている。昨日、ひとつを提出した。17ページもあるもので1週間近く、かかってしまった。後は分量が短いものだが、それでもひとつで丸一日はかかる。
 それとこの間、産経時代の知人からもらった記事の仕事がある。これは歴とした仕事である。ギャラもちゃんともらえる。これにすでに3日ほど費やした。できれば明日中に終わらせたい。
 それと4月から日本出版クラブというところでセミナーを受ける。「出版翻訳プロの条件」というもので、すでにプロの、あるいはプロを目指す人向けの、ちょっと上級のセミナーである。この課題を仕上げなくてはならない。
 もひとつ。出版翻訳のトライアルを別に見つけた。これも来週中に出す予定だ。これは分量もあり3日ほどかかる。そんなこんなで、毎日とても忙しい。

 忙しくしているのは良い。なぜならテレビを付ける暇がないからだ。テレビを付けると不安になる。そして被災者を目にするといたたまれなくなる。だから忙しくてちょうどいいのだ。前のブログにも書いたが、今できることを精一杯やる。それが遠回りだが、今私が今回の災害に対してできる最良のことだと思う。

 もうひとつ、この理由も書かなくてはフェアではない。格好のいいことばかりを書いてはいけない。来週の金曜から新婚旅行に行くのだ。この大変な時期に何を考えているのだと、言われそうだが。
 それでも私は行くことに決めた。もっとも安い方法でエアチケットもホテルも押さえたので、キャンセルは効かない。つまり全額、戻ってこない。これが大きい。でもそれだけでは、ない。
 私達の判断と行動を見て、不快に思う人がいるかもしれない。不快にさせてしまうのは申し訳ないと思うが。私はこの時期もたんたんとしていたいのだ。仕事も今までと変らずに続ける。むしろちょっと頑張り気味で励む。そして夜は晩酌をし、週末は天気が良ければかみさんと近くの丘まで散歩する。そして楽しみにしていたイタリア旅行は、やっぱり行く。あまりはしゃげないかもしれなが、それでもそれなりに楽しむ。そんなふうに、今まで通りに生活を送りたい。生活を楽しみたい。かみさんは学校の先生なので、職場では悪く言うひともいるかもしれない。ちょっとかわいそうだが、それでも我慢してもらいたい。やはりたんたんと、そして楽しめるところは、これはそれなりに楽しむ、そんな生活を続けたい。

 それで今週、来週が忙しいのである。はい。

慌しい一日


 昨日は初めて、時間指定のトライアルというものを受けた。米国の某大手マスコミが在宅翻訳者を募集していて、書類選考には通り、トライアルまで漕ぎつけたものだ。 
 トライアルは通常は課題が送られてきてから、1週間程度で送り返せばいい。しかしここは、受験者が日時を指定して、その時間に課題が送られてくる。そして2時間後に翻訳文を送り返す仕組みだ。まるで試験と同じである。受ける前からビビッた。

 一昨日は少し早めに寝た。指定時間を午前10時にしていたので(午後は計画停電の予定であった)、体調を整えるためだ。かみさんを6時過ぎに駅まで送っていき、戻ってから机に向かった。まだ時間がある。ノンビリしようかと思ったが、その前の日に訳しかけていたニューヨークタイムズのコラムがある。続きをやることにすると、面白くて止まらなくなった。つい、1時間以上、みっちり頭を使う。終了して、これから本当にノンビリしようかと思っていたら、他のトライアルも明日(23日)が締め切りであることを思い出した。ちょっと見直そうかという気持ちになった。そこで改めてトライアルを見ると、なんと締め切りは22日の午前10時ではないか。あと、2時間しかない。週末に、大雑把に訳はしてあった。しかし見直しが必要である。見直してみると、随分修正が必要だ。焦りまくり校正し、できあがったのが、9時半である。完成原稿をなんとか10時前にメールで送る。

 という感じで、結局、本番のトライアルの前に、ニューヨークタイムスのコラムと、他社のトライアルの翻訳をして、頭はパンパン状態になった。そして時間がやって来た。2分前に原稿がメールで届いた。内容は経済関係のニュース記事であった。A4で2枚程度。結構な量である。終わるだろうか。
 訳し始めると、それほど難解ではない。普通、トライアルは難文というか悪文というか、読みにくい文章が多いが、これはとてもまともである。ただニュース原稿なので固有名詞が多い。人名や会社名、組織名はすでに日本語で定着している発音や訳がある場合は、それを採用しなくてはならない。それでネットで探す。すぐに見つかるものもあるが、ないものもある。ない場合は、自分で発音等を考えなくてはならない。
 一部、ビジネス英語ならではの表現に迷うものもあった。時間さえあれば、日本語の新聞記事や専門家の文章を探すことができる。しかし2時間という制約があるので、それができない。あてずっぽで訳していく。結局終わったのは12時ジャスト。それも見直しをしないでだ。きっと誤訳、訳抜け、誤字脱字があるだろう。しかし時間厳守が優先だ。きっと評価のひとつであるはずだ。断腸の思いで、下手くそな訳を送り返す。それでも3分ほど遅れてしまったが。

 昨日はそれから、産経時代の知人がくれた仕事を完成させた。これも午後一杯かかってしまった(計画停電は中止であった)。とても慌しい一日であった。しかしお陰で、懸案の仕事はほとんど昨日一日で終了した。終わってみれば、充実した一日であった。
 あと残るのはプロ翻訳家向けセミナーの課題だけである。実はもうひとつ、出版のトライアルがあるのだが、これは時間がないので諦めた。セミナーの課題は本日、終了しよう。

 本日はまた別のノルマがある。スーツケースを買いに行くのだ。ひとつ持っているのだが、押入れから引っ張り出してみると、キャスターの車輪が壊れていた。直せるのではと思い、車輪を外して、近くにある道具屋さんに持っていくと、こういうものは全て特注なので、替えはないとのこと。この道具屋さんは、道具についてはとても詳しいプロだ。私は彼を信頼している。だから、きっとどこに行ってもないだろう。車輪だけが壊れていて、他は問題ないのだが、仕方がない。捨てることになる。もう20年、使っているから。寿命なのだろう。

 店が開く時間になったら、車で大船まで買いに行くつもりだ。帰ってきたら、また翻訳をする。

トライアルに初合格


 受けていた翻訳会社のトライアルの合格通知が、イタリア旅行中にメールで届いた。今までトライアルは何度も受けたが初めての合格だ。
 以前のブログでも少し触れたかもしれないが、企業の財務状況などを分析した財務レポートの翻訳である。機密保持契約を結んでいるので詳しくは書かないが、いわゆる格付けレポートである。財務諸表の分析や経営者の経歴などが数ページから20ページ程度にわたり記載されている。経営学や経済学は好きな分野なので、訳していて楽しそうな仕事である。
 
 自分の翻訳ペースが分らないので、当初は週に1本程度でも訳していこうかと考えている。慣れてきたら1日1~2本は訳したい。これも前に書いたと思うが、ギャラがものすごく安い。あまり具体的には書けないが(個人的には公表しちゃいたいんだけど)、数ページから20ページのレポートを1本訳して、ギャラは定額。その金額はコンビニでまる1日バイトした額よりちょっと安い程度だ。つまり一週間に1本しか訳せないと、1ヶ月では4本。コンビニで3日働いた賃金ぐらいしか1ヶ月で稼げないことになる。これでは生活ができない。1日に1本程度こなせるようになれば、コンビニで20日程度働いたのと同額である。これなら、今の私なら生活がなりたつ。だから当面の目標は1日1本だ。
 1日1本はしかし、かなりハードな目標でもある。例えばレポートの分量が20Pであれば、1日で20Pも訳さなくてはならない。10時間働けば、1時間で2ページの計算だ。できればこの仕事は1日5時間程度で済ませたいと思っている。10時間もかかってしまえば、本来の目的である出版翻訳まで手が回らなくなってしまう。1日5時間で計算すれば、1時間に4Pだ。
 今の私のレベルではとても達成できないスピードだ。しかし少し算段はある。レポートはきっと書式が決まっている。例えば財務諸表などは、どのレポートでも項目は同じはずだ。財務諸表のページが10ページあれば、この10Pは翻訳しなくて済むかもしれない。過去の翻訳が使える。
 そこでマクロを勉強しようかと考えている。なるたけパソコンに任せられることはパソコンを利用する。人間が訳すのは、機械では手に負えない部分に限る。
 まだ実際に始まっていないので、この手段が可能なのかどうか分らない。どちらにせよ、なるたけ効率的な方法を模索するつもりである。

 イタリア旅行の前に3つのトライアルを受けた。旅行前に1つ、不合格通知が来た。旅行中に1つ、合格通知が届いた。後1つの結果はこれからだ。実は残った最後のトライアルが本命である。これに合格できたら、一気に私の財務基盤は磐石となる。内容もジャーナルであり、過去の実務経験が生かせるし、興味の持てる分野だ。
 受かっていたら、いいのだが。でもあまり期待しないことにしている。落ちたら、ガッカリするから。2つ目のトライアルも期待していなかった。これもガッカリ防止で、自己暗示をかけていたのだ。この自己暗示は結構効果があって、合格通知が届いたときは嬉しくも悲しくもなかった。ただ漠然と、「受かったのね」と認知しただけだ。一緒にいたかみさんの方が、喜んでいた。
 しかし最後のトライアルに合格できたら、素直に喜んでしまいそうだ。すると、不合格だとやっぱり、落ち込むだろうな。



トライアルの結果と衣張山


 期待していたジャーナル系のトライアル結果のメールが届いた。メールを開くときには手を合わせた。神仏に祈るのは意味がないし、卑怯だと思う。でも思わず祈った。当然、そんな神通力は通じず、結果は不合格だった。
 このトライアルに落ちたら、きっと落ち込んでしまうだろうと予想していた。そして予想通りに落ち込んだ。心の準備はしていたのだが、それ以上にインパクトは大きかった。暫く茫然自失となり、何も手につかなくなった。こういうときの私は、立ち直りに時間がかかる。まる1日、何もできなかったり、昼間から酒を飲んでしまったり。
 しかし昨日の私の回復は早かった。30分ほど、ボーっとしていたが、すぐにいつもの仕事に戻ることができた。落ち込んでいる暇はないのだ。
 結果を知ってから数時間、いつもの予定をこなしてから近くの衣張山に登った。やっぱりそれでも気分転換がしたかった。山道を歩きながら考えた。この失敗を糧にしたい。どうすれば最も効果のある糧にすることができるのだろうか。

 衣張山からは数多くの丘を望むことができる。私は衣張山を今、登っているのだ。しかし隣の丘の方が眺望が良さそうだ。あっちの丘に向おうか。そう思って、隣の丘を目指したとする。すると途中まで登った衣張山を降らなくてはならない。隣の丘を目指すには、また麓からの頂を目指さなくてはならない。私が試みていたことは、隣の丘への浮気ではなかったか。
 私が本気で望んでいるのは出版翻訳あるいは書籍の出版である。本を出したいのだ。ジャーナルの仕事は確かに翻訳料が高かった。仕事も面白そうなものだった。
 あのトライアルに合格していたら、きっとそれに、はまり込むだろう。時間も労力も奪われるだろう。その見返りとして生活の安定はあるかもしれない。でも衣張山は降らなくてはならない。

 落ちたことは残念である。しかしただ落ちたことで塞いではいられない。落ちたからこその高みに臨みたい。私の高みは衣張山なのだ。今まで結構、登ってきたはずだ。頂上はもうすぐかもしれない。
 落ちたことで、隣の丘に向わずにすんだ。そう考えると、気持ちが晴れやかになった。落ちてよかったじゃないか。
 それに合格したトライアルもある。仕事は少しずつ来るようになっている。なんとか生活はできる。

 そんなことを考えながら山道を歩いていると、直に山頂にたどり着いた。山頂からは鎌倉市街が見下ろせる。中世日本の中心地だった街を見下ろしながら深呼吸をした。うぐいすが鳴いていた。ショックはすっかり癒えていた。
 ただひとつ残念だったこと。カメラを忘れたことだ。衣張山からの眺望をブログでアップできなかったことは残念である。


藤岡セミナーと洋書の森


 土曜日は藤岡セミナーに参加してきた。藤岡セミナーは正式名称「財団法人日本出版クラブ主催 2011年度 藤岡啓介 出版翻訳プロの条件 連続セミナー」という。出版翻訳の世界で長年活躍されてきた藤岡先生のもと、プロの出版翻訳家を目指す有志が集まり研鑽を積むセミナーである。今回は2回目であった。初回は4月にあった。しかしブログでは特に触れることはなかった。
 それには理由がある。なんと書けばよいのか分らずに躊躇していたからだ。このセミナーは翻訳学校の授業とはかなり違う。初回はそのことに戸惑い、感想がまとまらなかった。

 藤岡セミナーでは、講義中にいわゆる読解はしない。毎回、課題が与えられ、その詳しい解説はある。しかし、それは紙の上でのみ行われる。課題は事務局からメールで送られ、訳文もメールで先生へ送る。訳文に対する、先生の感想もまたメールで返送される(先生は生徒の訳文を添削しないそうだ。生徒の自主性を尊重してくれてのことだ。先生が書かれるのは感想である。う~、重い感想である)。課題に関するやり取りは、ほぼ全てメールで行われ、講義中に取り上げられることはほとんどない。では、講義は何をするのか。ここに前回は戸惑ってしまった。
 
 講義は先生のお話しで終始する。先生のお話しは、一見世間話である。取りとめがない。先生の過去の仕事の実例から、出版社の仕組みについて。お住まいになられている鎌倉の話から、内外の文豪についての先生の感想。そうしたお話しが、まるで前後脈絡がないように、先生の口からほとばしる。生徒は(特に私は)、どう対応すればよいのか分らない。おろおろしている間に、4時間の講義は終了する。
 この講義は非常に難解である。大人向けというか、玄人向けというか。
 対応の仕方によれば、生徒は楽チンである。課題さえ事前に提出しておけば、それですむ。講義中に誤訳を指摘されたり(今回は一部、ありましたが)、難しい英単語の意味を尋ねられたりすることはない。先生のお話しをただ拝聴してさえいれば、よいのだから。
 しかし対応の仕方によれば、緊張を強いられる。一見、脈絡のない話に、聞き捨ててはおけないエッセンスが散りばめられているからだ。ウトウトしていたりしたら、それを聞き逃す。先生の話しは縦横無尽だから、いつエッセンスが飛び出すか分らない。真剣に4時間、耳を傾けていなくてはならないのだ。
 しかし話は興味深いものの連続で、実はそんなに固くなっている必要はない。自然と身を乗り出し聞き入ってしまう。しかし面白い話だと、軽く聞き流すと、実はそこに捨て置けない、プロ翻訳家としての秘訣があったりするので、なかなか厄介ではあるのだが。

 生徒は約30人いる。その内かなりが既に翻訳家として仕事をしている人であり、そうでない人も長年の学習者が多い。みな英語の実力は備えている人ばかり(私以外)なので、課題に対する解釈は確かに必要がない。ドキュメントで、しっかりした回答を先生から事前に受けているのだから、それを読み込んでおけばいい。もし不明があれば、それは自ら先生に伺えばよい話だ。その当たりのことを、先生は見越して、セミナーの構成をされているのだろう。
 ここに気が付くのに、1ヶ月を要した次第である。

 要領を得た今回の講義では、かなり啓発された。やる気が出てきた。最近、実現できるのかどうか分らない出版翻訳よりも、実際の仕事がある実務翻訳にウエートが傾いていることに、自分でも気がついていた。しかし、進みたいのは出版翻訳である。このままで良いのか、どうすれば良いのか分らずに、苦慮していた。その結果、ただ立ち止まるような状況が続いている。

 先生は未だに、企画書を自分で書き、出版社に持ち込んでいるそうだ。数多くの出版をこなしてきた一流の翻訳家さえ、自ら企画を売り込んでいるのだ。そういえば、今回席が近かったSさんという方も、すでに翻訳家として活動されているが、最近出版社に企画を持ち込んだという話しをされていた。今回のセミナーで最高齢、おそらく60代後半だろう。そういう方も臆せず行動されている。一冊も出したことがない、自分が怯んでいてどうする。

 昨年、丸一冊翻訳した本がある。あれをまず持ち込もう。実はここ2週間をかけ、再度読み直し校正しているのだが、改めて面白い本だと思った。編集者に私の訳文を読んでもらうことも、それ自体意味のあることだろうし。


 日曜日は藤岡セミナーの会場である日本出版クラブへ再度、出向いた。同クラブには“洋書の森”というのがあり、そこへ行ってきたのだ。洋書の森は販権が決まっていない洋書が保管されており、それを閲覧することができる。会員になれば、1ヶ月間借りることもできる。会費無料で、私は前回のセミナーで登録をしてあった。そこで合気道の稽古で、都内に出たついでに行ってきたのだ。
 2冊ばかり借りてきた。これからリーディングをして、面白そうなら企画書を書くつもりである。書くことができたら、これも出版社に売り込みに行きたい。
 ※洋書の森は土日は休館であるので、ご注意を。私は土曜のセミナーに参加した際に、事務局の人にお願いしてあったので、借りることができた。

目標、分析、戦略


 昨日も終日、甥っ子と行動を伴にする。日中は勉強or仕事。夕方からはスポーツジム。夜は坐禅。

 甥っ子は子供の頃から勉強熱心な子供だった。中学は地元の公立へ行き、千葉県で一番偏差値の高い高校を受験した。自信があったらしく滑り止めの私立は受けなかった。ところが試験を受けて自己採点をすると、合格点に届いていないことに気が付いた。それから受けられる私立を探したが、ほとんどない。通えそうな都内の私立をひとつ見つけ、あわてて受験した。結果、3年間をその私立で過ごすこととなった。不本意な3年間だったようだ。
 昨年度は国立大学を一校のみ受験した。また同じ轍を踏むのではと周囲は反対したが、甥っ子は意志強固であった。結果は周囲の心配どおりとなった。

 今回、数日間を伴にして、何が原因であったのかを二人で考えた。私は次の三つを整理させた。
(1) 目標の明確化
(2) 状況の把握、分析
(3) 戦略の立案

 目標の明確化は簡単だ。今年度こそ志望校に合格することだ。そこで志望校を確認すると、昨年度の国立よりもレベルの高い国立を目指すという。実は子供の頃からその大学を志望していたが、受験の直前になって不安になり志望校を変更したという。再度、初心に帰り、挑戦したいという。私は賛成した。
 昨年度と同じ大学なら、単に入学が一年遅れたに過ぎない。志望大学を変更したのなら、そこにプラスアルファが生まれる。
 つづいて(2)について。受験科目を尋ねた。国立だからセンター試験がある。その科目は英語、数学、国語、物理、化学、日本史だそうだ。ちなみに甥っ子は理科系志望である。配点は詳しくは忘れたが、大雑把にいうと英語200、数学200、国語200、物理100、化学100、日本史100だ。
 二次試験は英語、数学、国語、物理、化学。一次と二次の配点だが、たしか1対4だそうだ。
 また、現在までの勉強の進み具合、模試や前回の入試の結果を聞き、甥っ子の現時点の科目ごとの学力を推定した。
 最後に(3)の戦略だ。これから毎日8時間、週6日勉強すると仮定する。すると合計で約1000時間の勉強時間を確保できる。この1000時間を(2)の分析を元に科目ごとに時間を割り振った。結果は英語200時間、数学200時間、国語200時間、物理150時間、化学150時間、日本史100時間。
 この科目ごとの勉強時間を元に、具体的な勉強方法を決めていった。詳細は企業秘密なのでここでは語らない(本当は面倒くさいだけです)。

 そしてこれが肝心なのだが、ふたりで百円ショップへ行き、手帳を買ってきた。この手帳に具体的なスケジュールを書き込ませたのだ。そして今後は、実際に勉強した内容を簡単に記帳させる。
 日々、手帳に書き込むことにより、スケジュールの進捗を確認できる。たとえば甥っ子は数学が好きなので、どうしても数学の勉強時間が多くなりがちだ。そして苦手な日本史は勉強しない。そこで手帳を活用する。数学が先行しがちで日本史が足りなければ、日本史に重点を移す。一ヶ月ごとに集計を出し、アジャストを次の月で行い、最終的に目標時間を達成できるようにする。

 こうした作業を二人で話しながら進めていると、思わぬ産物がもたらされた。甥っ子のやる気と自信がアップしたのだ。実は私と話し合うまでは、志望大学の変更には躊躇していたそうだ。しかしモチベーションが上がり、変更に自信が持てたという。

 この作業をしながら、私は反省をさせられた。自分のプランはどうなっているのだ。ひとのことについては客観的に、偉そうに、分析したりプランを立案したりできる。しかし自分については、何もしていない。行き当たりばったりである。
 ということで、私もノートをつけることにした。手帳はもったいないし、面倒くさいので買わない。古いノートでも使おうかと思っている。
 最近、色々なことに手を出しすぎている。改めて目標を明確化しなくてはならない。私の目標は、やっぱりり出版翻訳の実現である。今年度内に出版の目処をつける。なんだか俺もやる気がでてきたぞ。

少しずつ前進


 今日で8月は終わりだ。忙しくもあり、忙しくもない夏だった。
 まず甥っ子が遊びに来た。8日間、毎日、勉強し、ジムへ行き、海で泳いだ。18歳の若者はまるで春の野草だ。最初はうまいが、食べ過ぎると腹を壊す。甥っ子との生活も最初は楽しかったが、最後はパワー負けして疲れた。このブログを読んでいるかもしれないのであえて書くが、それでも総体的には楽しかった。また来て欲しい。
 元産経で新規就農をしたkozawanさんの家へ遊びに行った。3泊4日もさせてもらった。これもまた楽しい日々だった。私は農家を知らない。4日は驚きの連続だった。Kozawanさんの畑の野菜、まじうまかったな。
 かみさんも結構長い休みが取れたので、毎日のように近隣に遊びに行った。主に食料の買出しが目的だったが、ふたりとも食いしん坊なので、何かを仕込んできては夕食を作った。美味しい毎日であった。
 と、プライベートでは忙しく過ごした。しかし仕事の方は。

 正直に書いて、ほとんど仕事はなかった。でかけない日は仕事と称して机に向かったが、実際には英語の勉強をした。英文法の問題集、英作文をじっくりやってみた。自分の実力のなさに情けなくなった。でも少しは実力がアップした気になった。いや、きっとアップしたと思う。やはり基礎は大切だ。勉強はこれからも続けたい。

 こんな8月だが、後半になって少し仕事の方でも動きがあった。トライアルに一件合格した。随分前に受けていたので、すっかり忘れていたのだが。いきなり翻訳者の登録フォームが送られてきて、思い出した。
 ちょっと前に登録しておいた翻訳者ディレクトリーというサイトから仕事の依頼が一件来た。400文字程度の和文英訳で小さな仕事だが、新規の仕事はありがたい。今日一日、その仕事に取り組んだ。久しぶりの仕事だった。
 以前も大きな仕事をくれたクライアントがまた、仕事を発注してくれた。今回も比較的に大きな案件である。納期は10月初旬まで。私の実力だと、9月はほぼこれで手一杯になる。
 こんな感じで仕事的にはまったく暇な8月だったが、最後になって動きがあった。9月からアルバイトにでも出かけようかと考えていた矢先である。アルバイトに申し込まなくてよかった。ありがたい。

 もう一件ある。産経の先輩がこのブログを見て連絡を取ってくれたのが1週間ほど前。その後、何度かメールのやり取りをした。先輩は顔が広いので、もしや出版社に知り合いがいれば、と尋ねると、うんといるという。どんな出版社が希望かと聞かれたほどだ。正直いってどこでもよい。どんなところでも本が出せれば、万々歳なのだ。なので「先輩にお任せします」と答えると、ある某大手出版社を紹介してくれることになった。そして早速、その出版社の某幹部に私の出版企画書を送ってくれた。

 結局、人のお陰だな。今までの仕事もそうだった。会社を辞めてから、どうにか食いつないでこれたのも、いつも人の助けがあったからだ。「前進」なんて偉そうなタイトルをつけたけど、自分の力というより、人が背中を押してくれたり、手を引っ張ってくれて進めたのだ。進んだときには、いつも人の助けがあった。忘れないようにしよう。

「出版翻訳プロの条件」の最終回


 藤岡啓介先生のセミナー「出版翻訳プロの条件」の最終回が先週の土曜日に開かれ、参加してきた。全部で6回の講義であった。多くのことを学ぶことができたセミナーだった。楽しかった。
 ところで最終回であるにもかからわらず、課題を提出することができなかった。それについては、とても無念だ。
 単なる自分のだらしなさが主因だが、他の小さな要因もある。課題の提出締切日は12月3日だった。3日は土曜日だったので、金曜にでも取り掛かろうと考えていた。だから金曜日には予定を入れずにいた。ところが1日に納品した仕事があったのだが、その修正を求められてしまったのだ。しかも大量に。納期に間に合わせるためには、金曜日を終日使っても間に合わない。土日はまた、友人が子供を連れて泊まりに来る予定だ。いまさらキャンセルはできない。結果、セミナーの課題を犠牲にした。
 といってもこれはほとんど理由にならない。なぜなら、いつも課題はギリギリあるいは、締め切りを過ぎてから提出してきたからだ。つまりだらしがないのだ。
 翻訳の仕事は納期を厳守しなくてはならない。絶対条件である。それがこの様だ。他の生徒は僕以上に忙しいのにもかかわらず、みなきちんと課題を提出し続けた。自分のいい加減さを再認識させられる。
 学校時代から、宿題はしない方だったが、まったく進歩の跡が見られない。

 ところで、自分でケチをつけてしまった最終回だったが、先生の講義、それとセミナーの後の打ち上げというか、クリスマスパーティーという名目であったが、その集いはとても良かった。
 先生のお弟子さんなのか、知人なのかは確認できなかったが、原田さんというプロの翻訳家がクリスマスパーティに参加された。その方が、なんとこのブログの読者だという。う、うれしい~。随分と誉めていただいた。先生もそのときに近くの席におられたが、読みたいとおっしゃられた。こちらは少し怖い。
 他の生徒さんもブログを読んでくれているという方がおられた。ブログは僕の備忘録であると、公称している。しかし、本当の日記ではない。誰でも読める環境にあえて、記事を書き続けている。やはり読んでくれている人がいると分かると、胸が躍る。とても励みになる。

 この6回のセミナーに参加して得たことは数多い。もちろん翻訳のテクニックを数多く学んだ。しかしそれは、普通の翻訳学校でもある程度、学ぶことができる。
 実は当初は、そのどこでも学べる翻訳テクニックを少しでも多く獲得することが、僕の主題であった。しかし先生は講義中には、あまりそのことに触れない。そこが最初は不満であった(テクニックについては、十分な解説をペーパーにして渡していただいた。プロが中心のセミナーである。テクニックは自分で復習すらばよい)。やはり同じように感じている生徒はいたようだ。途中で来なくなった生徒の数は、2,3ではなかった。途中、僕自身も挫けそうになったことはある。しかし、回を重ねて参加するうちに、先生の狙いを少しずつ理解し始めた。先生は僕らに、プロ翻訳者としてのテクニック以外に必要なものを伝授されようとしていたのだ。
 それは何かというと、翻訳者の生活である。実はこれが肝なのだ。
 翻訳者は、どのような家に住み、どのような生活パターを繰り返し、どのような辞書を使い、どのように編集者と付き合い、どのように生活の糧を得ているのか。それを先生は、時間一杯語り続けた。
 先生の話しはいつも、とりとめがない。一見、世間話のようにも聞こえる。しかし実はひとつの目的に向って、重畳的、波動的に、しかも螺旋を描くようにして、進められる。一見無秩序だが、どの話も、意味が込められ、目的地に向う。
 このことに気づくようになってからは、講義が実に楽しいものとなった。こんな内容の濃い講義は、他の翻訳学校では考えられない。さすが出版クラブ主催のセミナーだ。

 今回のセミナーはプロ、ないしプロを真剣に目指す人が対象であったから、すでに本を出している人が何人か参加していた。またこのセミナーの期間に出版を決めた生徒もいた。
 僕も実はセミナー参加期間に出版に漕ぎ付けたいという野望を持っていた。しかし途中で野望は、より冷静な計画に変わった。計画は、熟考を経て、企てられる。熟考の結果、今は時期ではないと思うようになった。
 先生は繰り返し僕に言われた。「山本さんは翻訳には向かない。それは文章が出来上がっているから。よほど山本さんに向いた作家の作品でなくては、山本さんの力は出せないよ。それより、自分の作品を書くべきだ」
 このことについて考えている。僕は作家に向いているのだろうか。本当だろうか。最初は、ちょっと得意になって聞いた先生のアドバイスだが、とても恐ろしい暗示のように感じる。
 しばらくこの助言を、心の奥で寝かせておくつもりだ。どう醸成されていくだろうか。

翻訳の企画書


 本がアメリカから届いた。アマゾン・コムで昨年末に頼んでおいた本だ。200P超の本で、30Pほど読んだ。
 この本は藤岡先生から紹介されたものだ。藤岡先生は販権エージェントから、企画書(シノプシス)作成の打診を受け、それを僕に回してくれたのだ。
 昨年末に先生のご自宅にお邪魔した際に、3つの候補が出版エージェントから来ており、そのうち1件はさる生徒さんが手を上げ決まっており、先生は残りの2件を示された。
 僕は非常に不出来な弟子である。課題の提出は期限を過ぎる。ときには出さない。出したとしても、かなり自由気ままな訳を書く。いつも先生は対応に困っておられたと思う。
 そんな不肖な弟子であるにもかかわらずに、興味があれば持って行っていいよと、2件を見せてくれた。
 そのうち1件は、あるアスペルガー症候群のライターの自伝だった。昨年、別件でアスペルガー関係の本を見つけ、企画書を仕上げ、出版社に持ち込んだことがある。結果はボツになってしまったが、その際にアスペルガーについて、少々調べてみた。興味深いものだった。
 
 届いた本はまだ30P程度しか読んでいないが、作者は自分の障害を客観視して、たんたんと語り、それがなかなかユーモラスである。先を読みたくなる本だ。先日、先生には、「企画書作成をやらせてください」とメールを書いた。
 僕は遅読なので、時間がかかるが、まず一読を済ませ、それからじっくり企画書を作成するつもりだ。他の仕事との関係があるが、できれば月内に書き終えたい。

 ここまで読んでこられて、出版エージェントとは何か?と思われた方がいるだろうから、少し説明をする。実は僕もあまり知らないのだが、知っている範囲内で簡単に。
 海外の作品を日本で出版するには、海外の出版社(あるいは権利者)と日本の出版社の間に販権エージェントといわれる会社が入る。日本には大きなところが3社ある。イングリッシュ・エージェンシー、ユニ・エージェンシー、タトル・モリ・エージェンシーである。
 出版においては、日本は基本的には輸入国なので、輸入代理店みたいなものだ。たとえば海外でTシャツを作っているメーカーが日本で売りたい場合に、直接日本の百貨店や店舗へ売り込むことはできない。そこで輸入代理店を経由して、日本に売り込み、流通に乗せる。それと同じことが、出版でも行われているのだ。
 販権エージェンシーには情報が集まる。海外の出版社は日本で出版したい本があれば、販権エージェンシーに売り込む。販権エージェンシーが、その本に興味を持てば、販権エージェンシーが日本の出版社へ持ち込む。そして日本の出版社が、自らのリスクを鑑みても、出版する価値があると判断して、ようやく日本での出版が成立する。
 出版エージェントは日本の出版社に、ただ原書を見せて売り込むわけではない。編集者は必ずしも原語に精通しているわけではないし、仮にそうだとしても、いちいち原書を読むのでは効率が悪い。そこで翻訳者、あるいは出版翻訳者を目指す僕のような人間の出番である。原書を読み込み、企画書(日本語)を作成するのだ。出版社の編集者はその企画書を読むことで、効率的に原書に対する判断を下せることになる。

 そこで問題となるのは、企画書の質だ。正確に原書の内容を伝えなければならない。また企画書は単なる荒筋ではない。本のセールスポイント、読後感、日本で受けるかどうかの判断なども織り込む必要がある。
 どうしても訳者は、出版したいがために、甘めの採点をしがちになる。本来はB評価(こんな単純な評価はつけないが、たとえばの話で)であるのだが、B評価であれば、出版は受けられないだろうからと、A評価を下す。甘い評価の企画書を元に出版社が判断を下し、その結果、本が出される。そして案の定、まったく売れなかったとしたら。
 損をするのは日本の出版社だ。今は本を売るのが難しい時代だから、そうそう売れる本はない。本の売れ行きに対し、企画書作成者や翻訳者が責任を問われることはないだろう。しかしできあがった日本語の本と、企画書を読み比べて、あきらかに企画書がいい加減であることが分ったとしたら。きっとその企画書を作成した人間と、二度と付き合いたくないと考えるだろう。

 そうならない企画書を作成しなくてはならない。

下手の考え休むに似たり



 小林秀雄の随筆「常識について」に以下の文がある。

 「たとえば碁打ちの上手が、何時間も、いきいきと考えることができるのは、一つあるいは若干の着手をまず発見しているからだ。発見しているから、これを実地について確かめる読みというものが可能なのだ。人々は普通、これを逆に考えがちだ。読みという分析から、着手という発見に到ると考えるが、そんな不自然な心の動き方はありはしない。ありそうな気がするだけです。それが、下手の考え休むに似たり、とうい言葉の真意である。」

 この文書は今朝、見つけたものだ。久しぶりに小林秀雄が読みたくなって、日焼けで変色した古い文庫本を取り出して読んでいる。以前に読んだのは、きっと大学生のころだ。内容はすっかり忘れている。
 読んでいて、はっとさせられた。まるで諭すように書かれている。最近、考え続けていることへのアドバイスのようだ。

 仕事について考えている。産経新聞社を辞めて、今月でまる3年になる。出版翻訳家をめざし、歩み始めた。1、2年目にはいくつかの企画書を書いた。出版社に持ち込み、編集会議に挙げられたものもある。しかし3年目になってからは、まともな企画書をひとつも仕上げていない。
 当初はしばらくの間、実務翻訳で糊口をしのぐつもりでいた。しかしそれが、本職となってしまっている。3年目になってからは、とくに夏以降は実務翻訳の仕事に追われ、肝心の出版翻訳に手が回っていない。
 こんなんでよいのだろうか。私が今、立っている場所は正しい場所なのだろうか。
 そしてもっと言うと、出版翻訳自体が、私の目指す道なのだろうか。

 もう3年が過ぎた。1月に誕生日を迎え、49歳になった。50歳は目の前だ。不惑はとうに過ぎ、知命にすら王手がかかっている。それなのに、この揺れ具合だ。

 文庫本の巻末に小林秀雄の略歴が載っている。22歳の東大在学中から精力的に批評を書き始めている。24歳で鎌倉、逗子に移住とある。30歳で明治大学の講師に就任、36歳で教授に昇格。私の歳の49歳には、「小林秀雄全集」により芸術院賞を受賞している。49歳で全集を出しているのだ。
 不世出の天才と比較しても、仕方がないか。

 小林は24歳で逗子に来た(すぐに鎌倉へ移住したようだが)。わたしは43歳のとき、逗子へ引っ越した。19歳遅い。そうるすとものすごく、滅茶苦茶な論理だけど、小林秀雄の人生から19歳引いたところで、小林と比較したらどうだろう。49-19=30だから30歳。30歳は明大の講師に採用され、「正宗白鳥」を時事新報に発表。「現代文学の不安」を『改造』に、小説「Xへの手紙」を『中央公論』に発表とある。
 やっぱり駄目じゃないか。全然、追いつけない。小林秀雄と比較するのは止そう。なんだか辛くなってきた。

 今日、書こうと思ったことと随分と逸れてしまった。書きたかったことは、「碁打ちの上手が、、、若干の着手をまず発見しているからだ」という箇所だ。
 どういうことかというと、思い切って端折って言ってしまえば、立ち止まって考えてばかりいてはいけない。まず自分が着手していることを手掛かりに、ことを進めなさい。つまり、ことを進める方法は、今着手していることに、真剣に取り掛かること以外にない。ということだろう。

 前も、二宮尊徳の言葉を書いた。「この秋は雨か嵐か知らねども、今日のつとめに田草取るなり」。
 自分で書いていながら、まったく身についていない。二人は同じことを言っていて、それに触れた私は、その都度、感心している。それなのに。

 碁打ちの着手のように、今日の仕事をしよう。

久しぶりに、「出版翻訳への道」


 出版翻訳について書こうと思う。このブログに「出版翻訳への道」というカテゴリがある。カテゴリを立てたのが2011年2月13日だ。あれから1年と9か月近くが経過した。
 もちろん出版は成功していない。進歩もしていない。むしろ退化していると言っていいぐらいだ。
 2年前は本を見つけ、出版社に持ち込んでいた。といっても大した数ではないが。担当の編集者が気に入って、編集会議までいったものもある。小さな出版社では社長が興味を持ってくれて、版権を調べてみたら、すでに売れていたケースもあった。
 あの頃はそれなりに動いていた。しかしその後、まったく行動を起こさなくなってしまった。
 ひとつには実務が軌道に乗り始めたことがある。やはり日々の糧を得るには実務翻訳が手っ取り早い。貯金がどんどん減ってきて、最後には後2か月収入がなければ、底をつくという段階まで行った。ネットで塾教師のアルバイトを探したりした。しかし運よく、その直後から実務の仕事が来るようになった。去年の今頃は、実務の翻訳に追いまくられる日々を過ごしていた。
 実務の仕事も次第に、慣れていった。それでも出版翻訳に対するモチベーションは上がらなかった。

 自分なりに分析すれば、理由はふたつある。ひとつは出版翻訳の道に迷いが生じていたのだ。物を書く仕事はしたい。でも翻訳が僕の仕事なのだろうかと。
 去年通った翻訳教室の先生から、「山本さんは翻訳よりも、自分で文章を書くのが向いているよ」と何度も言われた。自分としても、それで少しその気になった。
 実は小説を書きたいと思ったことがある。おもに20代の頃だ。いくつか下手くそな作品を書いた。新人賞に応募したこともある。でも出す前から結果は分かっていた。とても人に見せられるレベルではなかったから。才能がないのだと思う。小説自体、ほとんど読まないのだから当たり前な話だ。
 去年、先生からそんなことを言われ、昔の色気が復活した。もう一度、目指すべきでないか。色々考えた。大人向けの小説は、自分自身興味がないのだから、子供向けが良いのではないかとか。
 小説作法のガイドブックを読んだり、新人賞を探したりした。大まかなプロットを組んでみたりもした。
 そして気が付いた。どんなタイプでも、自分には小説は書けない。書いたとしても、良いものはできない。
 物語に興味がないのだから、当然だ。人が頭の中で空想したストーリーに、のめり込むことができない。どうせ作り事だろ、と思ってしまう。そんな男が、人を感動させるような物語を紡ぐことができるはずがないのだ。
  もうひとつの理由は、やはり合気道だ。去年は三段を受けるために準備をした。僕は二段を取ってからすでに5年以上経っており、以前から資格はあった。一昨年も去年も受けようかと思った。でも万全を期すつもりで、時期を待った。そしてとうとう決意し、受けることにした。
 稽古はかなりやった。二か所の道場に、できる限り足を運んだ。久しぶりに本を読み、名人のビデオを沢山みた。相当、打ち込んだと思う。
 しかし結果はご存じのとおりだ。落ちた後は、がっかり来て、何もやる気が起きず、ただ漫然と日々を過ごした。そしてようやく最近、復調した次第だ。

 さて出版翻訳だが。今、やっとやる気になってきている。長い間、のんびりし過ぎたと反省している。昇段試験に落ちたことも、奇貨としようじゃないか。合気道に費やした時間を仕事に向けようじゃないか、そんな気持ちになってきている。
 そして具体的に動き始めた。2か月ぐらい前から、本を仕入れている。ビジネス関係の本で、なかなか良い本だ。
 一冊は企画書を仕上げた。そして知人の伝手で、編集者に見てもらった。結果は版権が既に売れていて、NGだった。自分としては面白いと思える本だったので、もしやと思い、翻訳も開始していた。しかし版権が売れていては、可能性はない。翻訳した部分は無駄になってしまった。
 しかし不思議とがっくりとこなかった。最初の一冊でうまくいくほど、世の中は甘くないのだ。翻訳を先に進めたことだって、マイナス面はなにもない。書籍化を意識して、真面目に訳したのだから、とても勉強になっただけだ。
 すでに二冊目は読み始めている。当初は来月あたりに企画書を書くつもりでいたが、一冊目がボツになったので、急遽企画書を作成することにした。遅くとも来週中には仕上げようと思っている。今週末はリーディングに費やすぞ。
 書籍化が実現するまで、毎月1本は企画書を作ろうと思っている。来年中には実現したい。
 

今年2本目の企画書の結果


 1か月ほど前に知り合いを通じ、翻訳出版の企画書を某出版社に提出していた。昨日、結果が出た。市販するには難しいという返答だった。残念。
 自分としては、内容は面白いものだと思う。そう思ったから売り込んだのだ。しかし分量が書籍としては少なかったかもしれない。原文で100P弱。日本語に訳せばページ数が増えるようだが、それでも書籍としては少ないのかもしれない。

 某出版社へは2回目の企画書提出である。1回目はすでに版権が取られていることが判明し、ボツとなった。2連敗だ。
 しかしどういうわけかまったくガッカリしていない。こんなもんだろうと感じている。たまたま知り合いが出版社の編集長を知っていて、その人のつてで企画書を持ち込んだ。これだけでもかなりの幸運だ。さらに1回か2回の企画書持ち込みで、成約するほど世の中は甘くない。それぐらいのことは僕も知っているのだ。
 しばらく出版翻訳への意欲が失われていた。しかし意欲は回復した。この程度の挫折は軽々と乗り越えなくてはならない。
 何とか来年中に出版にこぎつけたい。そしてその後は継続的に出版したい。できれば年間3冊程度。
 僕はまったく無名の新人翻訳者である。出版社から翻訳を依頼される可能性はない。年間3冊をこなすためには、年間3つの企画書を通さなくてはならない。そのためにはその何倍もの企画書を提出する必要がある。これからずっと、この状況が続くのだ。このぐらいで挫けるわけにはいかない。

 次の企画書のネタは仕入れてある。今はリーディングの段階だ。この本も面白い。分量も300P弱と十分だ。今回ははじめてキンドル版で購入した。この方が早く手に入るからだ。
 キンドル自体はまだ手元にない。注文はしてあるのだが、来年まで待たなくてはならないようだ。今はPCで読んでいる。
 そういえば今回断られた本もアマゾンで注文したのだが、間違えて2回注文していたようで、本が届いたら2冊だった。これにはがっかりした。とんだ散財だ。しかしこれは良い予兆かとも感じた。出版するには普通、原本が2冊以上いる。訳している最中にいろいろ書き込んで、汚れるからだ。企画書が通れば、2冊目を注文しなくてはならない。アマゾンで頼めば、本が届くのに1か月ぐらいかかる。元から本が2冊あれば、安心だ。だから2冊誤って注文したことを成約の前触れだと思ってしまったのだ。
 そういうところ、僕は楽天家というか、おっちょこちょいである。
 本は2冊あるし、せっかくだから他の出版社にでも持ち込んでみようか。
  

今年の目標


 平成25年、最初のブログだ。約2週間ぶりの更新である。
 先週の金曜日が仕事始めの方が多かったと思うが、自分は今日から普段の生活が始まる。かみさんに合わせてのことだ。
 年末、正月ともに例年通りに過ごした。年末は大掃除、正月は酒である(年末も飲んでたけど)。1日は自分の、3日はかみさんの実家へ挨拶に詣でる。4日には甥っ子が友人を連れて遊びに来た。6日まで泊まっていった。その間、ずーっと飲んでいた。さすがに2週間も飲み続けると、もう一杯といった気持ちだ。以前は1年365日、飲み続けて、それが平気というか、望ましい状態だったが、少し酒から離れることができてきたようだ。今日からはまた昨年同様に平日は飲まない。そう思うと、むしろ気が楽だ。そして仕事がしたい。

 今年こそはと思っている。昨年もそんなことを書いたかもしれないが、ちょっと違う。今年はなんだが、待ちに待ったというか、ダムが決壊しそうというか、とにかく事を成したいという気持ちのレベルがかつてない値に達しているように感じる。
 会社を辞めて3月で丸4年になる。つまり今年で5年目だ。そして今月末に50歳を迎える。随分と長い雌伏のときを過ごしてきた。休養は十分に取ってきた。寝過ぎで気持ちが悪くなった朝のような気分である。そろそろ、いっちょやったるかという気持ちに、遅ればせながらなってきた。

 まずは大目標を達成する。いや、これだけが今年の目標である。そのためには、他の全てを犠牲にしなくてはならない。
 それは本を出すことだ。
 昨年も出版翻訳を目指していた。でも正直に書くと、今一つ乗り気でなかった。一昨年通っていた翻訳セミナーの藤岡先生に、「君は翻訳よりも、自分のオリジナルな文章を書く方が向いているよ」と、アドバイスを受け、それがずっと頭にあった。そのことを考え続けていた。俺は翻訳家には向いていないのだろうか。それよりも自分の本を書くべきなのだろうか、と。1年考え続けてしまった。そしてようやく結論に達した。
 結論は両方を目指すということだ。

 今年はまず翻訳で本を出したい。そのためには、昨年から続けている1か月に1本ずつ企画書を作成するというノルマを続ける。それで出版にまで漕ぎ着けることができるのかどうかは分からない。もしかしたら、そんなに甘くはないのかもしれない。しかし企画書を書き続ければ、そしてもし失敗し続けたとしても、何かが見えてくるのではないか。その結果、足りないことに気付き、そこを補足していけば、結果が付いてくるのではないだろうかと考えている。
 そして、もうひとつ。大胆な目標を掲げたい。それは、オリジナルな書籍を書き上げることだ。翻訳でなく、自分の文章で本を一冊、書き上げたい。こちらの方は、今年は出版までは目指していない。とにかく、書くこと。1冊書き上げることが、まずは目標である。
 書き上げた暁には、出版社に持ち込みたいとは思っている。それが出版にいたるかどうかは、正直分からない。自信もない。自分で、本当に本を書けるのかどうかを、まず試してみたい。
 テーマについては、実は決めてある。これから関連書籍を読み漁り、ある程度、形と自信が見えてきたら、発表したい。

 昨年の1月のブログをいくつか読み返してみた。そうしたら昨年の目標は、現金を獲得できる仕事をすることだった。この目標は、なんとか達成することができたようだ。昨年は会社を辞めてから初めて、収支がとんとんまで漕ぎ着けることができた。今年も最低限、昨年レベルの収入は稼がなくてはならない。
 しかし今年は、収入を目的にした活動は、新たに起こさない予定だ。今までお付き合いをいただいたところからの仕事を受けることだけに専念する。そして他の時間は、すべて大目標に当てる。

 今までかなり意識してインプットを行ってきた。30代、40代は自分の時間のほとんどを読書と合気道に費やしてきた(飲酒時間は除く)。それなりにストックはできて来たのではと感じている。そろそろアウトプットがしたい。
 インプットはこれからも続けるつもりだ。同時にアウトプットを行う。50代からは循環型人生を目指す。

ラ・マーレ・ド・茶屋にて


 昨夜は藤岡先生のお供をしてラ・マーレ・ド・茶屋へ行った。葉山にある有名な日影茶屋の姉妹店である。同じく葉山にあり、フレンチレストランとバーで構成されている。
 藤岡先生は昭和9年のお生まれだが、未だ精力的に仕事をこなされている。つい先日はディケンズの「ボズのスケッチ」を翻訳し、未知谷という出版社から刊行された。先生は以前、岩波から「ボズのスケッチ」を出版されているが部分訳で、その後10年をかけついに今回、完訳にたどり着けたわけだ。全800ページの大著である。大変な精神力だと思う。
 昨日は先生ご夫妻が未知谷の飯島社長をお招きしての会食だった。そこにどういうわけか一番下っ端の弟子すぎない僕が呼ばれ、同席させていただいた。たまたま場所が葉山で家が近く、運転手を仰せつかったからだとは思うが、非常にありがたい話である。

 昨日はどうもたまたまらしいが、鎌倉の花火大会が催されていた。そこで先生は席をバルコニーに予約され、花火を遠方に眺めながらの豪華なフレンチとあいなった。
 ラ・マーレ・ド・茶屋は二回目である。日影茶屋がやっているだけあって、和のテーストが濃い日本人好みのフレンチだ。美味しくいただくことができた。
 ところで昨日は運転手を仰せつかっていたので、アルコールはご法度だ。ノンアルコールで夜の会食をすることなど何十年ぶりだろう。正直、最初はとまどった。どうやって時間を過ごせばいいのか。会話は成立するのだろうかと。
 ところがノンアルコールの夕食も悪くないことに気が付いた。途中で手が震えることもなかった(当たり前か!)。
 まず食事の味をしっかりと堪能することができる。アルコールはそれはそれで、食事のスパイスにはなる。しかし僕の場合、アルコールがどうしても主役になりがちだ。昨夜はしっかり料理が主役を務めてくれた。
 会話の方だが、これも何とかなるものだ。いやむしろ、失言がなくて良いかもしれない。僕は飲むと、つい気持ちが大きくなって、余計なことをいう癖がある。
 昨日の席は、先生ご夫妻とその客人の会食の席である。失言がなかったことに(多分)、心底ほっとしている。

 そして飯島社長だが、これぞ出版社のオーナー社長、という感じの方であった。
 まず博識である。それも広く深い。多少は僕も参加できる話があり、会話に加わるのだが、すぐに付いて行けないレベルにまで深まり、置いていかれてしまう。そして聞くだけの状態に回る。しかも内容が興味深いものなので、好奇心を掻き立てられ、聞き入ってしまう。会話の妙も際立っていた。
 そしてとてもエネルギッシュである。さすが会社を一人で立ち上げ、切り盛りしてきた人は違う。考えてみれば、僕の知人はほとんどがサラリーマンである。オーナー社長のオーラとパワーは、今までにあまり感じたことがないものだった。
 見た目も業界人そのもので、カッコいい。63歳でいらっしゃるとのことだが、まったくそう見えない。自転車のレースによく参加されるとのことで、日に焼け、筋骨も逞しい。パイプをくゆらせる様は、LEONのグラビアのようだ。

 新聞社にいた頃は、頻繁に会食があった。さまざまな人と食事を共にしてきた。あの頃はそれが日常で、特に何も感じずにやり過ごしていた。それはそれで、良かったと思う。毎回、刺激を受けてばかりいたら、身が持たない。
 ところが今回は久しぶりに、少しばかり緊張をさせられた席だった。聞いてばかりだったが、刺激的な経験であった。こんなことを書くなんて、ちょっと子供っぽいかな。それだけ社会の垢が抜けた証かもしれない。いいのか悪いのか分からないが。
 ところで先生はというと、さりげなく飯島社長に次の本の企画を持ちかけていた。さすがだ。飯島社長も興味を示されていた。来年辺り、書店に並ぶかもしれない。
 先生はこの1年でディケンズだけでなく、何冊も上梓されている。さらに今後の企画もいくつか頭にあるようだ。
 感心ばかりしていないで、俺も何とかしなくちゃぁ、いかんのだな。

少し前進


 会社を辞めて4年以上になるが、未だ進む道を模索している。実務翻訳者として日々の糧を稼いではいる。しかしこれ一本に打ち込む気持ちはない。良い仕事ばかりいただいていると思う。ただこれが会社を辞めて、たどり着いた最終点だとは思っていない。
 翻訳は続けたい。しかしできれば軸足を出版翻訳に持って行きたい。収入が比較的に安定している実務は続けつつ、出版に挑戦したい。
 現在、翻訳を終えた本をある出版社に持ち込んでいる。代表に電話をかけて、まわしてもらった編集部の男性に企画書と訳文を送ったのはもう1か月も前のことである。一度、確認のメールを送ったが、まだ訳文は読んでいないという。ただ企画書の感じからは、まったく歯牙にもかけない、といった様子ではないようだ。訳文を読んでから、社内で検討するとのことであった。もう少し、待つことにしよう。

 今日のことだが、ある方から共訳の話をいただいた。こちらの方が可能性は高い。出版社は出版の意思があるようだ。これが通れば、初めての訳書の出版になる。共訳といえども、嬉しい話だ。

 と、翻訳は少しだが進んでいる。今年の始めのブログに書いたと思うが、今年中に何かひとつでも出版のきっかけをつかみたい。自分で訳し終えた本も、共訳の企画も、どうにか出版まで漕ぎ着ければと思う。

 翻訳と並行して挑戦したい分野がある。それはオリジナルの文を書くことだ。いくつか書きたいテーマはある。実は少し前から、具体的に取材を始めたものがある。
 僕の場合、まったく実績がなく、大した履歴も持ち合わせていないのだから、企画だけでは出版社は取り合ってくれないだろう。これも思い切って、書き上げてしまおうかと思っている。書き上げたら、訳書のときの同じように、出版社に売り込むつもりだ。

 オリジナルの文として、もうひとつ考えている分野がある。それはエッセーだ。無名の人間で、さらに男性のエッセーなど読む人はいないらしい。もっとも実現が難しい分野であるようだ。しかし僕としては、もっとも実現させたい分野でもある。
 このブログもその準備という面がなくもない。会社を辞めてからすぐに書き始めたので、もう4年以上になる。毎月10本以上は書いているので、500本ぐらいは書いたことになる。なんとなく書きたいテーマは見えてきた。
 そこでこれも売り込んでみた。出版社に持ち込んでも門前払いだと考え、ちょっと違った場所に持って行った。知人から紹介を受け、ある業界の会報誌に載せてもらえないかと聞いてみたのだ。3か月ぐらい前のことである。その返事が先週来た。採用してくれるそうだ。
 その会報は季刊なのだが、冬号から載せてくれるようだ。原稿の締め切りは11月である。
 エッセーのタイトルは「サラリーマンはもう嫌だ」だ。実はこういう内容を書きたかったのだ。企画ではエッセーだけでなく、海外ニュースの要約などもあった。しかし心中、あまり書きたいとは思っていなかった。もっと身の回りのことを書きたかった。
 このエッセーでは、会社を辞めるまでの心境や準備、辞めてからの貧しいながらも楽しい生活などを綴るつもりである。
 翻訳、ノンフィクション、エッセーと、それぞれ少しずつだが前に進んできたようだ。

あと2か月だ


 今しがた出版関係の方から電話があり、共訳の話が流れたという連絡があった。ちょっと連絡が遅れていたので、もしやとは考えていたが、その通りになってしまった。
 年内に何とか一冊ぐらいは、出版の形だけは作りたいと思っていた。この共訳で、そのノルマが辛うじてクリアできると安心していた。しかしこれで、今日10月30日現在において、出版の目途は何も立っていないことになる。
 ただあまり落ち込んではいない。企画が流れることに慣れてきてしまったのもあるが、やはり今回は共訳であったということが気になっていた。それも企画者は自分ではない。棚ぼた式に、何も努力をせずに念願の出版が叶うなんて、ちょっと調子が良すぎるのではないかと考えていた。むしろ今回は流れてよかったのかもしれない。
 共訳といえでも、今回は下訳ですべて自分が訳す予定になっていた。もし出版が決まったら、これから3~4か月はそれにかかりきりにならなくてはならない。やはり自分の名前で本は出したい。同じ労力なら、自分の力で企画を進めたい。

 最近、ようやくお尻に火が付いて、動き始めている。今年中に何とか、とっかかりだけでも付けなくてはならないと、本気で考えている。
 共訳は期待していたが、流れることも予想していた。それにうまくいったとしても、後を続けなくてはならない。そこで他の企画も進めている。
 ひとつは以前翻訳したサーファーの本を、今も出版社に売り込んでいる。1か月ほど前に、サーフィン関連に強い某出版社から断りの連絡があった。いや、こちらから聞いたから答えてくれたのだが。
 企画書と翻訳原稿は2か月ほど前に送ってあった。なかなか返事が来ないから、メールを書いた。それでも返事がない。今度は電話をした。すると申し訳なさそうに、「難しい」との返答をもらった。若い編集者で、ちょっと調子が良い感じの人だった。こういう人は過去の経験からいうと、そのまま放っておかれることが多い。日にちばかりが過ぎていくのではと危惧していた。その通りになってしまった。
 続いて宗教関連に強い某出版社に電話をかけた。電話に出たのは年配の編集者だった。すぐに今の厳しい出版事情では冒険はできないと、断られた。しかし本の内容を説明すると、気が変わったらしく、送ってくれという。メールで送ったのだが、もしやと期待した。しかしこちらもまた、ボツとなった。
 今は大手の某社に当たっている。ここは電話すると、メールでなくプリントアウトしたものを郵送して欲しいと言う。印刷すると170ページにもなったが、プリントアウトし、郵送で送った。今は返事待ちの状態である。

 今までこの本の企画を送ったところは以下の通りだ。
 A社(知り合いの経営している小さな出版社)
 B社(知り合いの元同級生が編集長を務める大手)
 C社(人文系で渋い良書を出し続けている中堅出版社)
 D社(アウトドア系が強い準大手)
 E社(宗教系が強い中堅出版社)
 F社(海外物を得意とする大手)

 ということで現在までに6社に当たったことになる。最初のうちは伝手を頼っていたが、今は飛び込みで売り込んでいる。
 これだけ断られるということは、ビジネス的に見て劣等な本であるということだろうか。それとも僕の売り込みが下手なのか。あるいは僕が無名翻訳者だからだろうか。
 たしかに僕は無名だが、知り合いの翻訳者たちは自分と同じように無名でも、それなりに企画を決めている。売り込みだって、少しずつ成長しているように思う。ということは、最初のビジネス的な評価が問題なのだろうか。
 でもそうだとしても、まだまだ諦めるつもりはない。なんといっても完訳しているのだ。いつでも出せる状態にあるのだ。そして内容も、僕は良いと考えている。ヒットにはいたらないだろうが、ロングテールで読み継がれる本だと感じている。

 新しい企画もある。これはどうして翻訳されていないかと不思議なくらい、良い本である(売れそうという意味で)。出したら確実に売れるだろう。海外では大きな評判を呼んだ本で、テーマは日本に関係のあるものである。
 原書の出版は4年も前だ。なぜ翻訳が出ていないのだろう。きっと何らかの理由があって出版されていないのであって、一介の無名翻訳者が企画を持ち込んでも、相手にされない問題作かもしれない。それでも、トライをしてみようかと思っている。
 オリジナルの本の用意も進めている。これも諦めていない。翻訳の新しい企画とこのオリジナルは、来年のテーマになる。
 そうそう、ひとつ進んだ件もある。某業界機関誌にエッセーを売り込んでいたが、これが決まったことは書いたと思う。先日、原稿を書き上げた。12月に発行される。

 共訳が流れて、時間ができた。これからも毎日、こつこつと続けていこう。

今井雅之と夢


 先日、あるバラエティー番組を何となく眺めていたら俳優の今井雅之が登場していた。あいつも色々な仕事をしているのだなぁ。
 今井とは法政のESSで一緒だった。ふたりとも大学一年の4月にESSに入って、夏前には辞めてしまったので短い間だったが、よく一緒に過ごした。
 ESSとはEnglish Speaking Societyの略で、どこの大学にもある英語のサークルだ。ESSは4つのグループに分かれ、それぞれのテーマをもとに英語を学ぶ。そのグループはLiterature、Drama、Debate、Discussionである。
 Literatureは英語の本を読んで、それについて英語で語り合う。Dramaは英語で芝居を演じる。Debateは二組に分かれて、あるテーマについて英語で討議(ディベート)を戦わせる。Discussionはグループでひとつのテーマについて、英語で議論(ディスカッション)を行う。
 僕はLiteratureで今井はDramaに属していた。あの頃から、やはり個性が表れていたというか、進むべき道に、ふたりとも顔を向けていたのだなと思う。
 僕の場合はさておいて、今井は当時から明確に将来のビジョンを描いていた。彼はご存じの人も多いかと思うが、法政に入学する前には自衛隊に所属していた。2年間ほど自衛隊でしごかれ、その間に学費をためて、大学に入学した。大学に入ったのは役者になるためである。
 なんで役者になるために大学に入ったかというと、英語を学びたかったからだ。今井の夢はハリウッドスターになることだったのだ。
 今井から夢の話しを聞いたときに、僕はちっとも荒唐無稽だとは思わなかった。むしろ嬉しくて、背筋がゾクゾクとざわめいた。僕は今井ほどには明確に夢を描けていなかったが、物を書く仕事につきたかった。そのためには何をすべきか模索をしている段階だった。しかし今井ははっきりとした進むべき道筋を理解していた。ちょっと前を歩むその今井の姿に、僕は共感を覚え、多少の焦りを感じたのだ。
 今井は相当に変わっていた。当時あいつは表参道のぼろアパートに住んでいて、毎朝代々木公園をジョギングしてから大学に通っていた。天気の良い日は法政までも走ってきた。
 今も逞しい体をしているが、自衛隊を辞めたばかりの今井は筋肉質の素晴らしい体をしていた。マッチョなボディーにタンクトップを着て、汗をしたたらせて昼のミーティングに参加する今井は、ESSでは浮きまくっていた。
 僕はというと、これもかなり浮いている方だったと思う。ESSと同時にサーフィンのサークルにも加入し、茶髪にロン髪、サーファールックに身を包んで、英語の読書会なんかに参加していたのだから。
 そんな浮いている僕と今井は、自然につるむようになっていった。しかし超がつく真面目な人ばかりのESSに、ふたりは馴染むことができなかった。結果、夏前に僕も今井もESSに顔を出すのを止めてしまった。
 そして今井は劇団にのめり込み、僕はバイトと遊びに忙しく、連絡も途絶えていった。

 大学を卒業してからしばらく経ってのことだ。写真週刊誌のFocusに今井の記事が載った。自衛隊出身の役者が小さな劇団で奮闘している、といった内容だったと思う。当時の今井はまだメジャーにはなっていなかった。記事を読み、まだ頑張ってるんだなと僕は思った。
 それから彼のことはすっかり忘れていた。しかしいつからだろうか分からないが、今井雅之という俳優のことは知っていた。それがあの今井だと気づかずにいたのだ。何かのインタビュー番組で、自衛隊出身だと語っているのを見て、ようやく気がついだのだ。

 今井は今もハリウッドスターにはなってはいない。しかし着実に夢に向かって進んできている。
 対して僕の方はどうだろうか。紆余曲折ばかりではなかったか。長いくねくね道を、這いつくばるばかり、どれほど前に進んで来たのだろう。
 活躍する今井の姿をみると、昔と同じように共感を覚える。しかし不思議と焦りは感じない。夢に向かっては亀の歩みではあるが、少しは大人になってきたのかもしれない。人生は色々だから、面白いのである。
 

出版の仕事の現状


 昨日の続きをちょっと。昨日の数字はアメリカの新築住宅の延床面積であった。あの書き方だと古い建物も含まれるように取れる。不親切な書き方であった。
 ついでに追加の情報も書いておく。米国の新築住宅の平均敷地面積は400坪である。ニューヨークタイムスには平方フィートで書いてあったが、換算するとだいたいそうなる。そして新築の平均価格は4000万円弱である。うらやましい数字である。

 さて今日のお題だ。現在の出版関連の仕事の状況を記そうと思う。
 まずサーファーの本の翻訳を某大手出版社に持ち込んでいる。最初に電話をかけたのが10月である。未だ回答はなし。たまにこちらから電話すると、まだ忙しくて読んでないとのこと。もうそろそろ読んでいただきたい。もしこのブログを読んでいたら、担当の方、ぜひ思い出して読んでください。ほんと、お願いします。
 ある先輩に企画の持ち込み方を尋ねたら、その人は数社に股かけて持ち込むという。どうせほとんどがボツになるのだから、それで大丈夫だという。しかし僕は小心者でそれができない。なので一社でスタックすると、それで前に進めなくなる。
 次にオリジナルの本についてだ。これはある出版関係の方に企画書を渡してあるのだが、その方は現在出版社には勤務していない。その方から紹介していただく所存だ。その方には口頭で企画は説明してあり、内容に興味を持っていただいた。紹介をこころよく、引き受けてくれた。
 この企画は年初めに渡した。あれから2週間。こちらも連絡はこない。一度、確認の電話をかけたら、まだ読んでいないとのこと。ただこの方は、必ず動くと言ってくれてあるので、今は待つ時だろう。
 オリジナル本に関してはこのように、企画を売込み中であるが、ただ時間を浪費してもなんなので、現在資料を渉猟している。本を読んではカードを作り、書きとめている。すでに数百枚はたまっている。しかしこれでも、まだまだである。おそらく現在までの倍の資料は読み込まなくてはならない。するとカードは1000枚ぐらいになるかもしれない。本は夏ぐらいまでには書き上げたい。かなりきついスケジュールである。
 もうひとつ翻訳の企画がある。昨日、本を読み終えたばかりだ。この本は「洋書の森」で見つけたものだ。かなり面白い。いままで洋書の森で借りた本の中で、一番出版が実現する可能性が高いと思える本だ。
 今週中に企画書を書き上げ、出版社に売り込みを開始したい。
 ところで翻訳書のリーディングだが、僕はかなり読むのが遅い。本の内容や構成によるのだが、僕の速度は1時間にだいたい10ページぐらいである。一日に出版翻訳に当てている時間は3時間だ。すると読めるのは一日30ページ。今回借りてきた本は220ページだったので、10日ぐらいかかった。
 今、他にも読まなくてはならない本がいくつかある。とくに昨年から読んでいる本は、おそらく1000ページぐらいある。おそらくというのは、キンドルで読んでいるから、ページ数が分からないのだ。この本は、いつ読み終えられるのか、見当もつかない。そして翻訳をするとしたら、何年ぐらいかかるのだろうか。
 この本はとても良い。ぜひ翻訳をしたい。しかしきっと不可能だろう。というのは、時事性の高い内容だからだ。今でもちょっと古い。3年ぐらい前に出版された本なのだが、そこで取り上げられている数字、たとえばGDPなんかが、2009年のものであったりする。これから翻訳を初めて、たとえば3年かかって、出版が2017年になったとすると。いくらなんでも数字は差し替えなくてはならなくなる。筆者がそれを受けてくれるだろうか。きっと難しいだろう。
 しかし本当に良い本なので、企画は持ち込みたい。すると僕には手に余るということで、他の翻訳者、あるいは翻訳者グループに回されるかもしれない。そうなったら残念である。しかしそれでも日本で出版されることになれば、本を見つけてきたものとしては、これは本望といえる。

 話が戻ってキンドルについてだが、あれはやっぱり読みにくい。目に優しいし、文字もきれいであるが、まずサイズが小さい。文字は拡大できるから良いのだが、図は拡大できない。表や地図なんか小さくて、よく読めない。それとページ表示がないのも、分かりづらい。いったい今、僕は何ページまで読んだのかが、分からずに読み進めるのは大儀なものだ。たしかにパーセントで進捗状況は表示される。しかし全体のページ数が表示されていないので、いまいちピンとこない。

興味はありますから


 昨日、サーファーの本を大手出版社に売り込んでいるとブログに書いたが、あれから出版社に電話をかけた。昨日は3回電話をして毎回担当の方が不在で、4回目にようやくつながった。
 まだ読んでいないらしい。もしかしたらこのブログでは書き忘れているかもしれないが、たぶん書いたとは思うが、もう一度書く。サーファーの本はすべて訳が終わっている。それでこの本は企画書でなく、全訳を送っているのだ。それもプリントアウトしたものを。その全訳をまだ読んでいないという。
 プリントアウトは10月25日に郵便で送った。その後、確認の電話を4回している。昨日は5回目の電話であった。さすがにこのぐらいしつこく電話をすると、僕のことを覚えていたようだ。今回、初めて会話らしい会話ができた。
 「まだ読んでないんですよ。すみません。でもかならず読みます。興味はありますから」
 恥ずかしながら、僕は舞い上がってしまった。「興味がありますから」。
 電話を切った後、嬉しさがこみあげてきた。
 まだ読んでいないのである。タイトルを見て、あるいはちょっとアマゾンかなんかで書評を確認して、それで「多少はおもしろいかも」と思った程度に過ぎない。そんな程度の「興味」ではあるのだが、それでも僕は嬉しいのだ。
 この本はすでに何社かに企画を出している。どの社もきっと本を読んでいない。電話の対応でだいたい分かる。今回、はじめて本を読んでもらえる可能性がある。
 本を訳してかなりの時間が経った。その間、何度か自分の訳を読み直している。最初に読んだ頃よりも、良い本だと思うようになった。うん、悪くない本なのである。バカ売れはしないだろう。でもサーフィンに興味のある人、海が好きな人、自然に畏敬を感じる人。そんな人たちの間に、じっくりと時間をかけて読み広まる本ではないかと思うようになった。

 洋書の森で借りた本の企画書を昨日、仕上げた。その本は人間の思考に関する本なので、「思考の本」と仮に呼ぶ。
 「思考の本」の企画書を、これから某大手出版社(サーファーの本とは別の出版社)にメールで送ろうと思う。この出版社には以前も、別の企画を何本か送ったことがある。担当の方(といってもかなり偉い管理職であるが)は、なかなかビジネスライクでクールなひとである。僕の長ったらしいメールに対して、いつも短い文面で、「すでに版権が抑えられています」とか、単刀直入な返答がくる。しかし企画には目を通してくれる。それに回答が早い。
 一番困るのは、企画を読んでもいないのに、回答を引っ張って、最後はうやむやにフェードアウトしようとする出版社である。電話をすると、申し訳なさそうにする。対応はやわらかである。
 きっと忙しいのだろう。しかしこちらが望むのは真剣勝負だ。ダメならダメと、ちゃんと企画を読んで判断し、はっきりと告げてもらいたい。その点、この担当者はむしろ誠意がある。ちゃんとはっきりと、ダメ出しをしてくれるのだから。それも即答で。
 ということで、今回のこの自信の企画は、この出版社に最初に送ることにする。

作戦変更


 同じことを続けることも必要だが、変わることも必要である。
 このブログのURLは名刺にも刷っていているので、きっと読まれてしまうかもしれないが、敢えて隠すこともないだろう。相変らず、出版社の反応はよろしくない。
 大手A社には原稿を送ってある。昨年のことだ。何度か電話をしているが、先日も改めて電話をかけた。まだ読んでいないそうである。あの原稿は3か月間、どこに大切にしまわれているのだろうか。
 大手B社には企画書を2週間前に送付した。電話をすると、こちらにもまだ読んでいないそうである。いい企画だと思う。切実に読んでいただきたい。
 オリジナル本の企画を提出した出版関係者にも、電話をかけた。こちらは電話に出てもらえない。メッセージを残したが、ノーリターンである。きっと企画書を読んでいただいていると、信じたい。
 
 一連のことから、無名の翻訳者の存在というのは、出版社から見ると塵よりも軽いということがよく分かる。大手新聞社に勤めていては知ることができないことだ。50を過ぎて知る世間の厳しさだ。
 正直に書くと、電話をかけた当日はがっかりした。年も変わり、何かが動き出すのではと予感していただけに、失望はあった。
 しかし失望は、こちらの単なる感情である。失望したからといって、世間になんのインパクトを与えるものではない。ただ自分の体調が悪くなったり、不機嫌になったりするだけだ。考えると何もそこにメリットは見出せない。そこで考えた。
 原稿や企画書に目を通してもらえないのは、自分が彼らにとって魅力的な存在でないからだ。例えば僕が山形浩生のような著名翻訳家であれば、先方からベストセラー候補を抱えて、逗子までやって来るに違いない。だから著名翻訳家になった方が得だ。しかし今は著名翻訳家ではないのだから、これは先のことで、今はどうすることもできない。
 今すぐに著名翻訳家になることは、どうすることもできないことだが、できることもある。まずは著名翻訳家になるための、ステップをひとつずつ踏むことだ。
 第一は、まず一冊を出版する。当たり前である。これについては、今現在、鋭意努力をしている最中である。
 つづいてだが。これに今まで気づいていなかったのだ。
 一冊を翻訳しても、すぐに著名翻訳家にはなれるわけではないのだ。まず一冊と考えていて、先のことを考えていなかった。これでは将来に明るい展望を抱くことはできない。
 少なくても10冊。いや10冊ではまだ新人の部類だ。少なくても30冊は訳さなくては、世間に知られる翻訳家にはなれないだろう。ならばまず30冊を出そう。そのためには、どうしたら良いだろうか。それは今のペースを打破することだ。
 今、僕は3冊の本を売り込んでいる。これでも以前よりはずっと進歩している。これでいいのだ、と思っていた。しかし現状を鑑みると、あまり良くはないようだ。なぜなら、企画書を出したとしても、大抵の場合その企画書は編集者の机の上、あるいはPCのハードディスク上に収まっている。編集者の目に触れるのには時間を要するのだ。すぐに見てくれる編集者はまれで、大抵は見てくれるだけで2,3か月を要する。運よく編集者の琴線に触れたとしても、その後社内の会議を経なくてはならない。これも数か月を要するだろう。
 例えば編集者の目に触れるのに3か月を要し、さらに出版会議にも3か月を要したとしたら。合計で半年が経過する。しかし半年でもよい。もし出版が決まったのならば。問題は半年後にボツが判明した場合だ。同じことをまた一から始めなくてはならない。
 3冊の企画を抱えていても、今の僕の環境では、うんと時間がかかることに、ようやく気が付いたのだ。ならば、どう対処すればよいか。
 答えは自明である。もっと企画書を書くことだ。そしてもっと多くの出版社に売り歩くことだろう。
 僕は小心者なので、同じ企画を複数社に送付することはできない。ひとつの企画は、同時期には原則一社に提案することを守りたい。
 ということで、4つ目の企画を今月中に仕上げたいと思う。昨日からある本のリーディングを始めた。想像以上に良い本である。
 実はまだま他にもストックはある。1か月に1企画は簡単なことではないが、しばらくはやってみようかと思っている。
 そうすれば、いくらなんでもそのうちに、決まっていくのではないだろうか。

未だ埃にもなりえず


 進展はないのだけれど、仕事について書いておく。
 出版社からは連絡が来ない。相変わらず、僕の存在は埃よりも軽い状態が続いている。
 何度も確認の電話をかけているので、こちらから連絡するのは気がひける。しかし遠慮していても事態は前に進まないだろうから、来週にでもまた電話をかけてみようか。しかしせっついたからといって、出版社が動くとも思えない。さて、どうしよう。また来週になったら考えることにしよう。
 自分でできることは進めている。先月企画書を某出版社に提出した本は翻訳を始めている。リーディングのときは気付かなかったが、精読すると原文は難解である。心理学や哲学の話題が多いのだが、例えばディビッド・ヒュームやフロイトなんかが登場するが、用語の取扱いは注意が必要だ。専門用語は訳が確定している場合があるので、そこを間違えると専門家から指摘される恐れがある。裏を取りながら、ゆっくりと訳している。現在20ページを超えた辺りまできた。毎日、2ページが目標だが昨日は1ページもできなかった。このペースだと半年以上はかかるだろう。
 リーディングも進めている。毎月1本の企画書を書くと以前のブログに書いた。ずっと前にもそんなことを書いたことがあるように記憶している。毎回、言うだけで実行しないとカッコ悪い。それに前回のブログは「洋書の森」のブログに紹介されている。それで仕方なく、というわけではないが、やはり今月中に一本仕上げたい。
 ところでこの本だが、予想以上に面白い。ちょっと話題が古いのが気になるが、内容的にはすこぶるグッドである。アメリカのアマゾンでの評価が高いのだが、うなずける内容である。今週中に読み終えて、来週には企画書を作成する。そして売り込む。
 オリジナルの本についてだが、ちょっと止まっている。飽きたわけではない。時間が足りなくて、これが犠牲になっているのだ。もし出版社から声がかかったら、当然ばりばりと書く所存である。資料はかなり読み込んである。
 実はもう一件進めているものがある。アメリカの歴史の勉強である。ずっと先になると思うが、この分野でも何か書ければと考えているのだ。このことは以前、ブログで触れたかもしれない。それで資料を読んでいるのだ。ちょっと放っておいたのだが、思い直しまた資料の読み込みを再開した。
 それでだ。アメリカの歴史について、再度勉強をし直そうと思っていて、なのだが。ちょっと考えることがある。
 放送大学に入学しようかどうか逡巡している。大学を卒業する気はない。ただ単科をいくつか取ろうかと考えている。自分で資料を乱読するよりも、これの方が効率が良いのではと思うようになったのだ。放送大学の資料を取り寄せると、ちゃんとレポートの提出と試験がある。これなら意志の弱い自分でも、完遂できるだろう。
 しかしあまり手を広げるのも、危険な感じがする。今月28日が願書の受付締め切りである。まだ一週間あるので、ゆっくり考えてみたい。

いつもと違う散歩道


 まだ、ぼーっとした生活をしている。昨日は一昨日よりは、少しはましだった。最低限のやることは終えることができた。しかし出版が決まっていない本の翻訳だとか、出版が決まっていない本の資料の読み込みだとか、そんな先が見えない仕事には取り掛かることができなかった。
 一昨日は結局、ユーチューブを一日見て過ごしたことは、昨日のブログで書いた通りだ。昨日もまた、ユーチューブ地獄に落ち入りそうだったので、重たい体を動かすことにした。
 まず筋トレをした。筋トレも1週間ぶりぐらいである。腕立てと懸垂をした。たった1週間で、筋肉がたるんでいることが分かる。筋肉と精神はどうやらつながっているらしい。そして四股を踏んだ。四股は不思議だ。
 四股を継続的に踏むようになって3か月ぐらい経った。これが悪くない。筋トレも好きだが、四股は筋トレでは得られない爽快さを与えてくれる。筋トレといっても今、僕がやっているのは自重によるトレーニングだけで、なおかつ回数は少なく、体の中心線を意識したもので、これも筋力のアップというよりは精神的な側面が強いのだが。
 四股を踏むと、少し気分が晴れてきた。そこで思い切って、散歩に出ることにした。散歩は毎日、出かけているのだが、昨日はちょっと遠出をすることにしたのだ。
 向かった先はまずブックオフである。普段は読まない小説でも買おうかと向かったのだが、数冊を眺めて買うことを諦めた。ちっとも興味が湧いてこない。大抵の作家は今の僕よりも年下で、その本を書いている。彼らが書いた作り話に、どうしても身を浸すことができないのだ。ならば老齢の作家が書いた本を買えばよいのだろうが、いまひとつ良い本を見つけることができなかった。
 僕はストーリー性のある小説は読まない。推理小説やホラー、エンターテイメント系は読まないのだ。純文学と言われるものも、奇をてらったものは読まない。現実離れしていると、気持ちを投入できないのだ。
 村上春樹もデビュー当時の「風の歌を聴け」や「1973年のピンボール」は夢中になって読んだ。しかし背景や人物が非現実的なものになっていったそれ以降は、読むのが辛い。エログロな「1Q84」は、ただ時間の無駄にしか思えなかった。
 そんな男なので、読める小説が限られている。実はブックオフでは買いたい作家がいた。田中小実昌である。数少ない安心して読める作家のひとりだ。しかし小実昌の小説は一冊も置いていなかった。すでに忘れ去られた作家なのかもしれない。僕の趣向もきっと世間から乖離してしまった証拠だろう。
 ブックオフを手ぶらで出た僕は、実は帰るつもりでいた。長距離の散歩に出たつもりが、田中小実昌で打ちひしがれ、もう散歩がどうでもよくなってしまったのだ。
 そこの角を曲がって、うちに戻ろう。そう思い、角に望むと、中学生が蟻んこのように群れて歩いていた。大声ではしゃぎながら、蟻んこたちが向かってくる。さらに角の先の道は細い。あの小道をエネルギーに溢れた中学生と逆行して歩くことは、そのときの僕には苦行であった。そこで再び踵を返し、人の少ない別の路地に入り込んだ。そして人が少ない方、少ない方と進んでいった。
 着いた先は海だ。逗子海岸の端っこに、着いたのである。逗子海岸への道は精通しているつもりだった。でもこんな道があることは知らなかった。とても良い散歩コースを見つけたようである。蟻んこ中学生に感謝をしなくてはならない。
 そして逗子海岸を端から端まで、ゆっくりと歩いた。逗子海岸に来たのは数か月ぶりだ。近いと案外来ないものなのだ。
 いつも山ばかり歩いているからか、海の風は心地よい。遮るもののない明るい風景は、心を涼やかにさせる。鬱々とした気持ちは、潮風に吹き飛ばされていった。
 それからまた路地ばかりを選んで家へ戻った。3時間の散歩だった。
 今日もまた行こうかと思ったが、外は小雨が舞っている。今日は傘をさして、いつもの森を歩くことになりそうである。
 今日は少し気分がいい。

今、やっていること


 以前、月に一本ずつ出版翻訳の企画書を作ると書いた。その後の経過を書いていない。お気づきだと思うが、2月を目標にしていた企画書は書いていない。
 2月中にリーディングは終わっていた。良い本だと思う。売り込みやすい切り口ができそうなので、企画書を仕上げたら、興味をもつ出版社が現れるかもしれない。
 リーディングが終わっているので、企画書はすぐにでも書ける。でも書いた後の持ち込みが億劫になってしまった。
 2月後半から、やる気が起きないでいた。すでに企画を持ち込んでいる出版社とのやり取りに嫌気がさし、投げやりな気持ちになってしまったのかもしれない。ひとごとのようだけど。
 こんなことは何度も経験している。こうしたことを乗り越えてこそ、先に進めるのだとは頭では分かっている。でも気分が、、、。
 そこで早くも戦略を変更した。ブログで書かなかったのは、あんまりにもみっともないと思ったからだ。でも、こうした心の経緯も記録に残しておいた方が良いと思い、恥を忍んで書いている。

 新たな戦略とは、3月中に本を一冊書き上げることだ。出版の目途はまったく立っていない。でも、書き上げちゃおうと思う。
 2月後半のウジウジ状況から、何が何でも抜け出したかった。それで3月の頭に急に思い立ったのだ。企画が通らないのなら、現物で勝負しよう。
 すでに翻訳も一冊書き上げている。どこも出版するとは言ってくれていないのに、勝手に書き上げた。
 出版翻訳者としては、当然僕は未経験者の扱いになる。しかし一冊書き上げたという事実は、僕の小さな自信となっている。
 オリジナル本も同様に、まず勝手な実績を作ってしまおうと思ったのだ。

 考えてみれば昔の作家の多くは、そうだったはずだ。プラトンだってマルクスだって、出版の目途など考えずに、書きたいことを勝手に書いたに違いない。『資本論』はマルクスの死後、知人によってまとめられ、出版されているのだ。
 マルクスをここで持ち出すなんて、大げさな話である。あくまでも例えである。
 マルクスみたいに命がけならばいいのだけれど、そこまでは行きつけていない。もっといい加減で、打算的な発想なのだ。
 本当のことを明かすと、ある賞に応募しようと思っている。締め切りは4月の頭だ。賞を取れれば、少しは違った展開が訪れるかもしれない。ウジウジしているよりも、正面突破で行ってしまおう。
 書き上げれば、300ページぐらいの分量になる予定だ。3月に入ってから急に思い立ち、毎日せっせと書いている。今現在、80ページまで来た。毎日、12ページのペースで行くと、なんとか月内に書き上げることができる。
 たまの気分転換である。今月中に書き上げたら、やっぱり元の生活にもどるつもりだ。
 4月になったら、また月に一本ずつ、企画書を仕上げていこう。すでに翻訳を始めた本の続きも書いていこう。オリジナル本を書き終え、この翻訳が終われば、3冊の本を仕上げたことになる。独りよがりではあるけれど。

 まあ、そんな感じで、色々なことをやっています。

もうひとつの理由


 昨日の続きだ。2週間近くもブログの更新をサボってしまったが、その二つ目の理由を説明したい。
 以前も書いたが、3月はある長い文章を書いていた。以前、ブログで「一冊の本を書き上げる」なんて、生意気なことを書いた。なんでそんなことを書いたのだろう。明らかに誤りだ。ただの文章である。本になればいいなあ、とは思っているが、ただの原稿である。それに取り掛かっていたのだ。
 3月の頭に、ある公募賞に応募することを思いついた。理由は以前のブログで書いた通り、いくら企画書を出版社に持ち込んでも相手にされないからだ。ここは正攻法で公募賞に応募して、コンペティションに勝ち抜いて、出版にまで持ち込めたら、これ幸いと思ったのだ。
 公募の締め切りは4月の始めだった。なので構想も含めて、書く期間は1か月のみ。
 枚数は400字換算で300ページ以内。300ページ以内であれば、10ページでもいいらしいが、過去の受賞作を見ると200ページから300ページだった。それで300ページを目標に校正を組み立てた。つまり1か月で300ページを書かなくてはならなかったのだ。
 なんとか300ページのまとまった文章を書き上げることができた。過去の最長は修士論文で200ページだった。それを100ページ上回ったことになる。修士論文は英語で書いたので、どちらがしんどかったかは比較できない。でも今回も相当にしんどかったのは事実である。
 3月27日のブログで書いた通り、なんども挫折しそうになった。単純計算でいえば、1か月で300ページだから、一日10ページ書けばいい。でもゼロページの日が続き、10ページ以内の日も続き、気づけば一日30ページは書かなくては、終わらなくなってしまった。それがさらに恐ろしいことに、あれからまたサボってしまったのだ。結局、最後の二日間は一日40ページも書かなくてはならなくなったのである。
 一日40ページは、まったくの未知の世界だった。このブログでは、毎日400字換算で5ページぐらいを書いている。一時間程度で書き上げている。そのペースで書ければ、8時間である。でもブログはあんまり頭を使わないし、資料も探さない。だから単純に8時間では、終わらなかったのである。結局、朝から晩まで書き続けることになった。起きている間は、ずっと書いていた。それでようやく終えることができた。

 結果は8月中に発表されるらしい。佳作以上に選ばれれば、書籍化される可能性がある。応募数は毎年1000点以上。後は人事を尽くして天命を待つばかりなのである。

 書き上げての感想だが、やればできるのだな、というものだ。やはり追いつめられることは必要なのだ。今の生活は制約がほとんどない。一か月に一度、企画書を仕上げる計画を立てて挫折しても、誰も咎めない。今年こそは本を出すぞと誓ってできなくても、恥をかくだけだ。
 人間は、とくに僕の場合はだが、とても弱い者なのだ。この弱い自分には、多少の制約が必要なのだ。そう、今回の応募で思い至った。
 5月にも2つばかり、応募しようかと今、考えている。ひとつは30枚、もうひとつは5枚で、両方とも書籍化はされない。でも何もないと、また無為に時間ばかりが過ぎてしまう。僕の場合は、自分でオブリゲーションを与えた方が、良いようなのである。

 翻訳の企画書も今月は1本書きたい。今、出版社に出している3本の企画も、ダメならダメで、結果を知りたい。近々、催促の電話をかけてみよう。
 やっぱり今年中に最低一冊は、なんとしても実現したいのである。

中間発表


 企画書を送ってある出版社、ならびに関係者に先週末、連絡を取ってみた。その報告をしたい。
 まずノンフィクションの翻訳出版企画を今年1月に某大手出版社へ出してあったのだが、その後の経過を電話で問い合わせてみた。
 結果はボツだった。なかなか良い本である。出せば、それなりに売れるんじゃないかと、素人なりに読んでいた。ボツになったのは、とても残念である。
 ちゃんと検討してくれたのであろうか。ただ机の上に積んでおいて、時間の経過を待っていただけではないのだろうか。
 いやいや、そんなことはないだろう。いみじくも伝統ある大手出版社の編集者である。きっと社の路線に会わなかったのだ。きっと、そうであるに違いない。
 これからも、くじけずに他社に売り込みたい。実は翻訳にすでに取り掛かっている。

 次にサーフィン関連の本の翻訳出版企画である。これは別の大手出版社に提出してある。結果を問い合わせたところ、担当者が海外出張であった。今週中に帰国の予定であるそうだ。また問い合わせてみたい。

 次にオリジナルの自著企画をある出版関係者に渡してあった。この方はとても忙しいようで、まったく連絡が取れない。いつも取れない。しかし避けられているのではないと信じている。が、今回も連絡が取れない。
 留守電に要件を入れておいた。連絡待ちの状態である。

 以上である。この3企画をできたら年内に実現化したい。できたら、とても嬉しい。
 しかしたった3本の企画をポーンとどこかに投げておいて、後は待つだけだというのは、自分のような無名の翻訳家にとって、賢明な策とは思われない。建設的、積極的、創造的に取り組み、二の矢、三の矢を次々に放っていかなくてはならない。
 まず今月中に3本目の翻訳出版企画の企画書を書き上げる。そしてまた、どこかの出版社に売り込もう。
 3本目の翻訳企画は最近の異常気象に関する本だ。現在の気象業界のメインストリームとなっている地球温暖化理論と真逆の理論を展開している本である。
 科学全般に言えることだが、最近の気象や健康に関し、人気の高い学説には、一般大衆が理解できるよう単純化されたものが少なくない。しかし科学は単純化することで、道を大きく逸れてしまうことがある。
 気象というのは、実は現代でもほとんど解明されていない分野であるらしい。なぜなら天気に影響をあたえている要素はあまりに多く、複雑だからだ。それを単純化して、結論をショートカットで導き出すことの危険性を説いた本である。
 4本目の翻訳企画も考えている。「家族の幸福」に関する本だ。これは5月中に企画書を仕上げる予定だ。
 個人の幸福に関する本はあまたある。しかし家族の幸福に関する本は多くはない、と思う。どこかが出版してくれると、思っている。

 企画以外では、この前応募した300枚の某文章がある。この結果は8月に出る予定である。
 今週中には別の公募賞へ応募する予定の文章を書き上げたい。枚数は5枚である。
 来週はまた別の公募賞へ出す文章を書く予定である。枚数は30枚以内である。
 それと某機関誌で連載しているエッセーの締め切りが近づいてきた。これは月内に書く予定である。

 仕事に関する現状は、こんな感じである。
 「この秋は雨か嵐かしらねども、今日のつとめに田草取るなり」の心境で、日々淡々と机に向かう所存である。

 仕事以外では、最近は毎日、実際に草むしりをしている。春になって、庭の雑草がいっせいにニョキニョキ生えてきたのだ。昨日は2時間やり、終わった後、一日背中が痛かった。どうも一時間が僕の限度の様だ。
 今日も一時間ほど、草むしりをしようかと思っている。

プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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