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退職して気付くこと

今日は午前中、ハローワークへ行ってきた。いや、すごい人だった。もう立つ場所がないほど、人、ひと、ヒト。世の中、本当に不況なのだ。
今日は一日、好天で逗子では小鳥が囀り、新緑がまぶしい。逗子から金沢八景へ京急で行き、一歩ハローワークの中に入ると、そこには春の清々しさはない。失業者から発せられるもわっとした空気で満ちている。逗子の長閑か春の陽気と、ハローワークの物悲しい陰鬱さと、両方とも事実である。そして僕はその両方の住人なのだ。世の中、複雑で面白い。

さて、ハローワークから戻ってから、今日は新聞社時代の知人に大勢連絡を取った。3年ぶり、4年ぶりに連絡したひともいる。みな突然の連絡に驚いた様子だった。
連絡したのは、退職の挨拶と、できれば久しぶりに直接会って、自分の現状の報告をし、もし将来機会があれば翻訳の仕事を紹介してもらいたいと思ったからだ。
電話で連絡をしたのだが、不在の方、電話番号が変わっていた方もいたが、うまく通じたひとは全員、こころよく時間の都合をつけてくれることになった。ありがたい話である。

今週から週に1度は上京しようと思う。そう、逗子に逼塞していると、東京へ出るのは、上京という感覚なのだ。

逗子はここちよく、勉強も楽しい。だが、やはり外との接触は必要だ。どうしても情報が固定化してしまう。直接ひとから得る情報はネットや書籍からの情報とは違う。それはなにかフレキシブルで固定化していない情報のように感じる。ひとが発する気がプラスアルファとして含まれているからかもしれない。そしてその気を僕の頭と体が求めてきたのだ。まだ退職して1ヶ月も経たないのだが、その気のストックがきっと枯渇してきたのだろう。

久しぶりに多くのひと、それもビジネスでつながりのあるひとと電話で話し、ちょっと頭脳が疲れ気味だ。以前は一日、会議や来客、訪問などで話しっぱなしの日もたまにあった。そんな日は今日のような、ちょっとした頭痛というか、頭がおなか一杯という状態になった。この感覚は懐かしい。机で一日勉強した疲労感とは違う。会社員のころはこの疲労感が嫌いだった。いや、今でもあまり好きではない。でもたまにだと、これもそう悪くない。退職してみて、気付くことってやっぱりある。

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反省

 暫くぶりでブログを再開。
 前回の更新からいろいとあった。本当は毎日が休日の僕には関係ないことなのだが、世間はこの期間、ゴールデンウイークであった。それが僕にもやはり影響して、結構忙しくブログ更新を怠ってしまった。
 29日は母方の法事。母は盛岡出身で、お墓は盛岡にあった。そこに代々、といっても曽祖父あたりからだが、のご先祖様が眠っていた。眠っていたと書いたのは、現在は盛岡にいないからだ。母の兄弟は全員どういうわけか現在千葉県在住で、不便ということで、お墓自体を千葉に持ってきたのだ。そのお墓の引越しと昨年亡くなった祖母の法要を行う。
 新しいお墓はいわゆる狭小住宅のように狭い。周りは森と畑の田舎なのだが、それでもお墓は狭い。盛岡のお墓は寺の境内にあり、そこそこ広かった。今度の墓は私設の墓地で、あまり風情がない。ご先祖様はどう思っているのだろう。母方の墓で、僕は参るだけの立場である。手を合わせ、引越しのご苦労をご先祖様に慰労する。
 30日は高校の同級生と飲む。今回、僕の退職を機会に集まってもらった。参加したのは全部で6人だったのだが、驚いたことにそのうち僕を含め3人が会社を辞め、自営をしていた(僕はまだ仕事はしていないので、正確には自営でなく失業者だが)。
 僕が今回の退職を報告すると、他の2人がさりげなく「俺も辞めたよ」とのたまう。早期退職、起業、独立は今は珍しいことではないようだ。
 1日から4日は逗子でゆっくりとGWを過ごす。繰り返すが、僕にはGWもなにもあったものではないのだが、世間に合わせ休みを取る。少し罪悪感を感じる。
 5日は高校の同級生で30日に会ったKが逗子に来て、飲む。Kの奥さんの妹が結婚して逗子でご主人と中華料理屋を経営している。その店でご馳走になる。店構えはちょっとイタリアンのようなお洒落なデザインだ。マスターのご主人は横浜中華街の聘珍樓で修行していたひとで、味も良い。気さくな人柄で、また行こうと思う。店の名は「喰う喰う」。
 6日は産経の仲間のOが逗子の拙宅まで知人を連れてくる。Sちゃんがイタリアンを作り、皆で食す。昼間からワインなど飲んで、気持ちよくなる。まぁ、ゴールデンウイークだからいいか、とゴールデンウイークには関係のない僕は、思った。
 そして問題の7日。この日は以前、仕事などでお世話になったひとに挨拶に回る。始めはJRのグリーン車に置いてある雑誌「ひととき」の編集長のSさん。続いて日経BPのこれもSさん(もちろんS編集長とは別人)。最後にJT広報のMさん。
 Mさんと会ったのは夕方だったので、その後Mさんは気を利かせ、僕とMさんの共通の友人Iさんを呼んでくれ、ご挨拶終了後飲みに行く。3人とも飲む方で、おいしくお酒が進む。
 その帰りに事件が勃発したのだ。Mさんと別れ、僕とIさんで銀座線に乗った。そんなに混んではいなかったが、座席は埋まり、つり革もほぼ人で埋まっている状態だった。Iさんと僕が電車に乗り込むと、元から車両にいた若い男に少し僕の体が触れた。するとその男がいきなり僕を不機嫌な顔で、さらに舌打ちしながら、突き飛ばしたのだ。ほろ酔い気分が一瞬で醒めた。実は僕は電車に乗るとき、その男に気付いていた。長髪でサングラス。年齢は30歳ぐらい。不機嫌そうな顔で、僕はそいつの方には行きたくなかった。なんか、嫌な感じがしたからだ。でも生憎、人の流れでそいつの側にいってしまった。
 突き飛ばされた瞬間、僕の頭に閃光が走った。うん、閃光、漫画みたいだが、ほんとうにそんな感じのものが走った。次の瞬間、僕はその男の長髪を掴み、引き倒すように、実際には床に倒すまではしなかったが、押さえつけた。このときの力の掛け方は合気道の三教表です。ああ、先生、こんなところで合気道の技を使ってしまってごめんなさい。でもそのときは、なんだかよく分からない状態で引き倒してしまった。
 必死に抵抗する男。髪は離してやったが、腕をつかみ「何をするんだ」と怒鳴った。乗客がいっせいに二人を見る。熱くなった僕は彼らの視線が気にならない。その後は大きな声で、何か怒鳴りあったと思う。でもよく覚えていない。興奮してたのだ。
 電車は込んでいて、その中で怒鳴りあうより他はなかった。と思った。でもそんなこと、本当はしない方がよかったのだが。電車の中でなかったら、おそらく僕はもっと攻撃的な対応をしていたと思う。電車の中でよかったのかもしれない。そして怒りで一杯の僕はその男に、次の駅で降りるよう言った。
 しかし、その男は降りて来なかった。僕とIさんのみが降り、それで終わった。
 今は反省しますよ、もちろん。あの男が最初突き飛ばしたのが原因なのだが、やはりもう少しましな対処の仕方はあったと思う。あの男については謝る気はまったくないが、他の乗客に対しては申し訳なく思う。これを読んでいる方はいないと思うけど、「申し訳なかったです。不快な気持ちにさせてしまって」

 実はその前、Mさん、Iさんと飲んでいる席で僕は退職後の開放感を語った。その中で、今までなら喧嘩に巻き込まれても手が出せなかったけど、今は自由に反撃できる、という意味のことを話した。なんだか子供っぽい発言だが、酔っ払った勢いもあってそんな話をした。それが現実になったのだ。
 最近、電車でマナーの悪い奴が目に付く。少し焼を入れてやろうか、と何度か考えた。いやむしろ、ちょっと腕を試したいと思ったこともある。はい、正直に申し上げて。でも会社員時代は身分を考え、もし怪我でもしたら、もしかしたら怪我でもさせたらと、そんな考えを封印していた。ここのところはちょっと大人でしょ。しかし退職後、実はこれからは喧嘩も堂々とできると、思っていたのだ。46歳でこんなこと、ちらりとでも考えるなんて馬鹿です。反省してます。そんなこと、考えたこと自体も含め。
 それが現実になった。考えていることは自然と現実となるのだ。身をもって、この不思議なサークル(考えたことは本当に実現するってことね)を実感した次第です。
 嫌な場面に遭遇させてしまった、Iさん、それと電車の乗客の皆さん、ごめんなさい。これからは心を入れ替えて、飲んでも大きな気持ちにならないよう、自制します。

失業給付金の不適格者について

 今日から一人称を僕からわたしに変更する。これまでのブログを読み返してみて、ちょっと違和感を感じる。なんだか若ぶってるみたいで。なので、歳相応にわたしにするので、ご了解ください。 
 昨日紹介した「ホームレス入門」の中で書かれていたことで、わたしも以前から同じように考えていたことがある。それは失業保険(今は雇用保険というそうだが、一般には失業保険という表現を使うことが多いと思うので、ここでは失業保険とする)の、ある受給資格についてだ。手元にハローワークからもらった冊子がある。その中に次の表記がある。失業保険を受けることができる人は「失業状態にある人、つまり積極的に就職しようとする意思といつでも就職できる能力があり、仕事をさがしているにもかかわらず、現在職業に就いていない人に支給されます」。そして失業給付を受けることができない人として①病気やけが等で今すぐ就職することができない人、②妊娠、出産、育児、看護等で今すぐ就職することができない人、③定年等により退職し、しばらくの間休養する60歳以上の人、④結婚、転居、旅行などの予定があり、その後でなければ就職するつもりのない人、⑤昼間、学校などに通っている人、⑥家事に専念する人、⑦現在就職している人、⑧会社の役員等に就任した人、⑨自営業を開始している人(開業の準備を開始している人を含みます)。
 ①病気、②妊娠は他の保険がカバーするようである。だから問題なし。③定年、④旅行、⑥家事は、本人が現時点では働く必要性を感じていないのだから、これも納得できる。⑦就職済み、⑧役員は、これはすでに仕事をしているのだから、もちろん失業保険の対象にはならないだろう。問題は⑦学校と⑧自営だ。
 まず⑦の学校だが、失業期間中になぜ、学校に通い、学んではいけないのか。失業期間中はただ求職活動だけが許され、求職のために新たな、またはさらなる知識を得る行為が、なぜ許されないのか。わたしには解せない。ちなみにわたしも翻訳学校に通っているのだが、学校は土曜日のみなので、これは許されるようだ。ハローワークで確認済みである。
 実は翻訳学校を選ぶときに、月金で開校されるコースも考えたのだが、失業保険がもらえなくなるので断念した。
 ハローワークに理由を聞いたところ、「いつでも就職できる能力があり」に該当しないからだそうだ。しかしこれが厚生労働省が運営または許可する職業訓練学校や類似の学校の場合は、かえって奨励される。そしてこれらの学校は無料なのだ。
 自ら見つけ、自腹で授業料を払う民間の学校だと、それが再就職のためのスキルアップを目的としても、NGである。NGとは失業保険が支払われなくなるということだ。しかし職業訓練学校等だと、通学中も失業保険がもらえる。
 さらにだ。職業訓練学校は結構長期に及ぶのだ。長いものだと3年にもなる。するともし3年間のコースを受講した場合は失業保険がなんと、その期間延長されるのだ。つまり3年間、無料で学校に通え、さらに失業保険で生活も補償される。
 随分な差だと思うのはわたしだけであろうか。なぜ自分で探してきた学校(職業訓練の対象外)だと自腹で、まぁ、これは納得できるが、さらに失業保険の受給資格が奪われてしまうのか。この点について、明確な説明ができる方、ぜひ教えて欲しい。ほんとに、疑問です。
 もうひとつ、これも腑に落ちない。それは⑨の自営についてだ。自営ですでに開業してるひとについては分かる。これは転職したのと、同じような状態なのだから。問題は準備期間中のひとだ。このひとたちも給付NGになるのはなぜ??。だって、これって転職活動と同じ状態ではないか。収入がない期間、食いつなぐのが目的の失業保険でしょ。転職を希望しようが、起業を希望しようが、収入を得るまでの期間は同じように不安的で、不安なのだ。食べるものや家賃だって、同じだけ費用がかかる。それどころか起業の方が、転職より普通は金がいる。なのに転職は金がもらえ、起業は給付停止。
 国は起業が盛んに行われることを望んでいるのではなかったか。シリコンバレーに見習えと、補助金を出すケースもあるではないか。日本のグーグルやアマゾンを心から待ち望んでいるじゃないか。なぜ現代は松下や本田が生まれてこないかを歯がゆく思っているのではないのか。
 しかし失業保険受給中は起業活動はできない。いやできるが、したら失業保険の受給がストップされる。だから、現実的にはほよど資金的に余裕がなければ、冒険はおかせない。あー、やっぱりおかしい。
 わたしが通っているハローワークの方々は結構熱心で、親切。だから彼らには全然、不満はない。最近は忙しすぎて、ちょっと対応が雑な感じがするが、他の役所に比べて良心的だと思う。でも、制度がねぇ。
 ちなみにわたしは翻訳家をめざしているが、それは転職を通じてのものである、とここでは言っておく。それに本当に、オンサイト翻訳にアプライしているのである。だから、正当な適格者であることを、ここでまた改めて述べておく。起業は失業保険受給中はしない、つもりである。
 求職活動については、ブログで今後報告します。

痛恨の挨拶状

 今日は勉強の他は挨拶状を書いた。1ヶ月ほど前に退職の挨拶状を作ったのだが、暫く忙しくて書いていなかった。うん、これは嘘だ。正直にいうと、そんなには忙しくなかったのだが、ある事情があって書けなかったのだ。
 その事情とは、このブログだ。挨拶状の中に「近況報告中」としてこのブログのURLを載せている。挨拶状を読んだ人が、このこのブログを読むかもしれない。そう思うと、恐ろしくて書けなかったのだ。それに先月はブログの更新を怠りがちだったし、まだ量も書いていなかった。せめてコンスタントに書き始め、バックナンバーもちょっとはあって、形になってから出そうと思っているうちに、一ヶ月が過ぎてしまった。
 それで今日、改めて書き出したのだが、印刷されている文面を読んで青くなってしまった。文頭が「拝啓 新緑の香りが清々しい季節となりました」で始まっているのだ。6月で新緑はちょっとヤバイ。正直、出すのを止そうかと考えた。しかし、この挨拶状はさる方が無償で実は作ってくれたものなのだ。出さないわけには行かない。勇気を出して、季節遅れの時候の挨拶入り、挨拶状を出すことにする。
 挨拶状を受け取った方、ごめんなさい。退職しても僕は相変わらずルーズです。反省します。

 

禊は二度必要か

 今日は月に一度のおつとめに行ってきた。ハローワークだ。なんだか人がかなり少なくなったような気がする。失業率は上がる一方の状況だが。きっと3月に解雇された人の雇用保険が6ヶ月で切れたからだろう。僕は幸いに11ヶ月間出ることになっているので、まだ通っているが。
 ちなみに僕は翻訳をボランティアで今のところしていて、現状は求職中である。そうでないと失業保険がでないからだ。

 さて今日は散々な一日だった。それはハローワークとは関係のない話なのだが。逗子駅まで自転車で行き、西口の無料駐輪所に自転車を止めて金沢八景のハローワークまで京急に乗り行ってきた。帰り、無料駐車場で自転車を探すと止めたはずの場所にない。しらばく探すと、かなり離れた場所に置いてあった。嫌な感がした。感は当たってしまった。

 自転車は3ミリ程度の細いワイヤーがばねのように巻いているタイプのワイヤーキーでロックしておいた。このロックがいい加減なのだ。ワイヤーがドライヤーのコードのようにバネ状になっている。これが伸びるので、自転車をそのままかなりの距離を移動できるのだ。さらに動かすと、車輪にワイヤーが巻き込んでしまう。
 見つけた自転車は案の定、ワイヤーが車輪に巻き込んだ状態だった。幸い壊れた箇所は見つからなかったが、ワイヤーをほどくのに30分もかかった。汗だくで解いていると、まだ柔らかいガムがペダルに押し付けられているのを発見した。それも素手で取った。その間は、見つかってほっとしたことと、早くワイヤーを解くことで頭が一杯だったが、帰り自転車に乗っていると怒りが湧き起こってきた。そして考えた。

 もしそいつ(犯人)を現行犯で見つけていたら、ぜったい張り倒していただろう。相手の出方次第では、それこそボコボコにしてやる、なんて考えた。年甲斐もなく。
 そして考えた。こんな考えが起こるのも、僕がフリーの状態だからだ。もし会社員時代だったら、そんなことを避けて、相手をどう叱責するかを考えていたはずだ。
 そしてまた考えた。やっぱり失業は人を荒んだ心理状態にする。僕は自分は失業中という認識はないのだが、でも会社というストッパーがないと軽はずみな行動を起こす可能性が高くなる。
 そしてまた考えた。だから失業者が多い国や地域は犯罪が多いのだ。ありきたりな感想なのだが。

 そしてもうひとつ、考えた。実は先週末、産経新聞の後輩の結婚式があり、式から参加し二次会も出た。二次回で乾杯の挨拶をしたのだが、それまでに飲み続けていてべろべろ状態でなさけない挨拶になったしまった。それが、とても申し訳ない。実は週末、ずっと後悔の念にかられていた。
 僕は結構、こういう失態が多いのだ。それで、失敗は織り込み済みで僕に乾杯の挨拶を頼んだと思うが。それでも、実際やらかすとちょっとね。後輩は苦笑いで許してくれたのだが。とういか、その話題には触れず。ああ、でも暗くなった。46歳で、あの挨拶かよ。情けない。
 で、思ったのが、これは一種の禊だなということだ。僕のヘボい挨拶が災いして自転車を移動させられ、ガムをペダルに付けられた。
 もっと大きな迷惑を誰かに掛けていたら、例えば二次回で泥酔して、絡んだり、喧嘩しちゃったりしたら。きっとその自転車移動犯人を目撃していて、それで喧嘩になって、どちらかが怪我をするうことになっただろう。
 そんなことにならなかったのは、まだヘボい挨拶程度のミスフォーチュン(結婚した二人にとってのね)だったから、この程度のミスフォーチュン(今度は僕のね)で済んだのだ。
 自転車に乗りながらの道、そんな自分勝手なこと、あーこの程度で良かったって、を考えていると、お気楽なことに怒りのストレスがスーと引いた。つくづく馬鹿なのだ、僕は。
 しかし神は僕の馬鹿さを、そんなには軽く考えていなかったようだ。家に帰ると、もうひとつミスフォーチュンが舞い降りてきた。
 帰りにユニクロで1000円の伊達メガネを買い、テーブルに置いて昼食を作っていたのだが。大吉(猫)がそれを、見つけて引きずり回し、僕が発見したときはレンズが傷だらけになっていたのだ。

 神は結構、シビアな評価を下すものだ。あのヘボい挨拶を、軽く考えてはならないのだ。その罪の重さは、自転車にぐるぐるまきのワイヤー+それにペダルにガム+さらに1000円の伊達メガネが傷だらけ。これだけの罪価値があるとの評価がくだされたのだ。さて、ほんとにこれだけで良いの?

 僕としてはこのぐらいで禊は十分な気がするが、いかがなものでしょうか。神様。。

ちょっとでも思うと、その通りになる、場合もある

 Tさんから久しぶりにメールが届いた。簡単な近況報告だった。Tさんとは1994年に僕がアメリカのバーモント州に留学したとき、向こうで知り合った。当時僕は31歳。Tさんは47歳だった。
 Tさんはある大手メーカーに勤めていて、社内ではうだつがあがらず(Tさん曰く)、何とか人生を切り開こうと思い留学を試みた。会社から派遣されたのではない。会社にちょっと変わった提案をし、それが認められてやってきたのだ。その提案とは、Tさんが自費で米国の大学院に留学する。その間、給料は受け取らない。というものだった。その提案は社内で募集されたコスト削減策のひとつとして出されたものだ。会社はTさんが留学中の2年間は人件費を削減できる。2年後には社員一人に修士を取得させられる。コストゼロの社員教育だ。

 そんなTさんは、大学でかなり目立っていた。まず非常にケチだった。ガムテープでサイドミラーが留めてあるような車に乗っていた。それは僕が今まで見た車でもっともボロかった。日本人はめったに住まない超安アパートに住んでいた。食費は徹底的に切り詰めていた。よくホームレスを支援するボランティアに参加し、自分もホームレス用の食事を食べていた。もちろん、服は日本から持ってきたものだけを着続けていた。留学費は全額自費で賄い、さらに当時は日本に家族を残していたTさんとしては、当然の切り詰めであった。
 常に笑顔を絶やさずに人見知りしなかった。気さくな人柄で日本人からも米国人からも人気があった。お金がないのは皆知っていたので、よくTさんは人の家に食事に招かれていた。向こうの大学では、毎週末のように誰かの家でパーティが開かれる。Tさんは、人の家に招かれるか、そうでないときはどこかのパーティに必ず顔を出していた。もちろん会費制のパーティには行かなかったのだが。そんな場でいつも人気者だった。
 勉強はまぁまぁしていたと思う。特別、熱心だったとは思わないがよく図書館で会った。でも成績はあまり芳しくなかった。もう歳だから、覚えられないとよくこぼしていた。
 そんな感じで、2年のはずの留学が3年を過ぎた。もとから厄介払いの感があった会社はこれ幸いと、契約違反を理由にTさんを解雇した。Tさんはまったく動じた様子はなかった。むしろ嫌いな会社に戻らなくて済むと喜んでいるようだった。
 そんなTさんを僕は好きだった。ちょっとだけ、あんな生き方もいいな、と思ったりした。ちょっとだけ、思った、つもりでいたが、本当は相当印象的で、強く心に刻印されていたのかもしれない。
 というのは僕の今の状況がTさんと似ていると思うからだ。僕は解雇されたのでなく、自分から辞めた。僕も当時、大学院に通っていたが、Tさんが3年以上かかったのに比較して、僕は1年半で修了した。でもなんだか似ているような気がする。
 会社という組織に馴染めず、自ら身を引いている。金銭に執着がない。気ままな生活が好きである。女性が好きだ(Tさんはモテるのだ。当時、日本に妻子がいたにもかかわらず、アメリカ人の彼女がいたし、日本からはガールフレンドが遊びに来ていた)。会社が嫌いで、会社ではうだつがあがらない。
 こうした嗜好の近さからか、あの当時のTさんの軌跡を僕は無意識に追っているのではと思うことがある。

 今、Tさんは英語関連の書籍をたまに上梓し、それで生活をしようと試みている。2,3年に一度、売れない本を書いても生活は苦しい。それで実際は本を拾ってきて、アマゾンで販売し糊口を凌いでいる状態のようだ。あ、そう、奥さんとは何年か前に別れたそうだ。
 そんな気ままな一人暮らしを今はしている。ただし、僕はこの部分はあまり憧れを感じない。本を拾ってきて、それで食いつなぐほど僕は線が太くない。きっと潰れてしまうだろう。だから今のTさんと同じような人生が自分の前にあるとしたら、それはちょっと勘弁して、という感じだ。

 今回、Tさんからのメールには、この夏はヨーロッパに遊びにいったと書いてあった。貧乏でもこうしたことは余裕があるのだ。米国から帰国した後も、ほぼ毎年、数ヶ月単位でアメリカに残した彼女(2名)の家で過ごしていたそうだ。僕よりずっとこの点はリッチだ。さらに今回のヨーロッパも最近、知り合ったばかりの女性2名と同伴したそうだ。
 やっぱりちょっと羨ましい。でも僕には無理だな。Tさんのような60代は。僕のような常人ではとても過ごせないタフな生き方だと思うのだ。

今日は1月の認定日である。

 本日はハローワークの認定日。これで確か10回目。あ2回で終了になる。つまり失業保険はあと2回で打ち切りだ。この10ヶ月を振り返ると、失業保険だけでは生活することができなかった。つまり持ち出しだ。できれば残したいとさえ思ったのだが、実際にはかなり貯金を使ってしまった。それでも貴重な収入であり、随分助かった。3月以降は完全に貯金の切り崩し生活が始まる。さてどうなるのか。

 ハローワークの認定日には必ずすることがある。最初は意図していなかったが、自然と恒例になった。
 まずは行く途中、日経新聞を購入する。以前はもちろん産経新聞を購読していたが、退社を決意してすぐに止めてしまった。産経はもちろん中々良い新聞だと思うのだが、キオスクで買う段になるといつも日経を買ってしまう。このたまに買う日経というのが、良いのだ。今日の日経はちょっと薄かったが、それでも40ページぐらいあった(今、手元にない)。これを数日かけて、じっくり読む。隅からすみまで読むと、結構な読み応えである。月一、まあ実際はもうちょっと買うが、かりに月一だとしても、これで十分、世の中の動きを把握できる。普通の人は毎日新聞を読んで、でもちょこっとだけ読んで、それで分かった気になっている。しかし本当だろうか。月一でもしっかり読んでいる人と比べて、あなたはよりニュースを、あるいは社会を理解していると言えますか。この際、そこのところを考えてみてもよいのではと、思いますよ。ほんと。新聞社には悪いけど。
 ハローワークの帰りには、ハローワーク近くにあるQBカットでの散髪。僕は結構、いいかげんなペースで髪の毛を切っていたが、失業者はただでさえむさくるしい風貌になりがちだ。なので毎月一度散髪することにした。よって失業してからの僕はいつもさっぱり綺麗な髪をしている。QBだけど、まったく問題なしなのだ。結構、かっこいいと、言われることも多い。今の髪型。
 次はハローワーク近くにあるユニクロで買い物。これも失業者は野暮ったくなりがちなので、気をつけている。QB,ユニクロとここのあたりは失業者然としていて、なかなか宜しいと自分では思っている。身の丈を出ない自重が必要なのだ。そうそう、今日ユニクロで驚愕の事態が発覚した。たしか10月の認定日だと思うが購入した偽ものレザーのジャケットが、本日は安売りされていたのだ。10月には1万円弱の値段であったと思う。それがなんと2900円になっていたのだ。これには大きなショックを受けた。ユニクロで安い買い物ができたと得意がっていた自分の愚かさが悔しい。そうなのだ。ユニクロって結構、ディスカウントするのだ。その事実に気が付き、最近はディスカウント品ばかり購入しているが10月の時点では知らなかったのだ。返す返す、悔しい。それに、10月の時点ではかっこいいと思って買った偽ものレザーのジャケットが、なんだか派手すぎてあまり着たくない気分になっているのだ。それで今まで3回ぐらいしか来ていない。ああ。
 つづいて銀行に寄って通帳を記帳する。この時点ではまだお金は入金されていないのだが、銀行のある場所に行く機会が少ないので、これもいつも行っている。そして減り行く貯金を確認し、意を新たに自分を奮い立たせるのだ。
 そして最後がメインエベントだが、美味しいものを食べるのだ。最初は逗子駅でラーメンなんか食べていたが、それもなんだかもったいないような気がしてきて、最近はスーパーでお惣菜を購入して家で食べる。僕は完全自炊派なので、惣菜を買うことは、この日を除いてない。それで、ちょっとだけ手抜きをして惣菜を購入するということは、僕にとっては贅沢なのだ。これも失業者然としてて、よいでしょ。今日はイカと竹輪の天ぷらを買った。合わせて280円なり。これを家に持ち帰り天ぷらそばを作った。美味なり。
 さて僕にとってはハレの日である今月の認定日は終了した。楽しい一日であった。天気はいいし、懐は豊かだし、美味しいご飯は食べられたし。満足満足なのだ。
 そうそう、帰りにラジオ英会話のテキストも買った。今日からラジオ英会話もやるぞ。
 といった一日でした。まだ午後3時半だけどね。とにかくとても大切な一日だったのである。さて、これからラジオ英会話でも聞くとするか。

リストラについて

 リストラについて考えてみた。私は希望退職制度を利用して昨年3月、産経新聞社を辞めた。これは広義に捉えればリストラされたと言えると思う。ただし狭義ではリストラではないとも思う。
 なぜ広義にはリストラに該当するかといえば、希望退職制度(希望という部分に注目です)という会社としては人員削減を目的とした制度を利用して辞めたのだから、会社から見れば私はリストラのメンバーであり、その面からすればリストラの構成要素であり、リストラされたといえる。一方、狭義には否、というのは私自身の視点からすれば会社の動静とは関係なく、個人の人生観で組織を離れたいと思っており、たまたま希望退職制度というものが目の前に出現して、それに主体的に参加したのだから、これはリストラされたとは言えない。
 だから私個人としては当然、会社をうらんでいないし、むしろ退職の仕方としては感謝している。それなりの退職金を受け取ることができ、人生の再スタートの原資を得ることができたのだから。
 ところが広義でなく狭義の意味でもリストラを断行された人がいる。この狭義のリストラについて考えてみたい。

 狭義のリストラを改めて定義するなら、個人の意志にかかわらず組織の経済的都合で一方的に解雇された、ということになるだろう。この一方的解雇には、たとえば上司からの執拗な退職勧奨や、いわゆるタコ部屋への異動の結果の自主退職なども含む。世間を見渡せばむしろその方が多いだろう。昨年2回行われた産経新聞社での希望退職においてもそういう意味でのリストラメンバーはいたのではと思う。

 会社とは現代の社会の中核をなす組織であり、共同体である。そのほかの代表的な共同体は勿論、国家と家族である。
 私たちは現在、リストラをなんの違和感もなく眺め、そして受け入れている。しかし会社を改めて共同体として見つめなおすと、リストラは明らかに異常な行為だ。
 会社を国家、たとえば日本国と置き換えて考えてみる。日本国政府が国家財政が厳しいという理由で、ある国民は怠け者だから国外追放してやろう、とは考えないだろう。民主的な現代日本だから、そんな非情なことをしないのではない。どこの国家であれ、そんな行為はタブーである。歴史を振り返ってもそうだ。
 江戸幕府や平安朝廷であれ、そんなことはしなかった。島流しがあるだとう?、といわれるかもしれない。しかしあれは島嶼部というあくまでも国内への配流であって、会社でいえば超辺鄙な支店への左遷みたいなものだ。
 では家族ではどうか。これも離婚とか勘当とかあるじゃないか、とお考えの方。これもちょっと違うのだ。離婚は両者の合意のもとに行われるのが原則であり、民法にそれは明示されている。また親子間の勘当は法律上は認められていない。つまり勝手に勘当したと、親や子が主張することはできるが、それは法律上の根拠ある行為ではない。

 では次に現代の会社に該当するような中核共同体を例えば徳川時代で探してみよう。それは庶民では地域社会が該当し、武家では藩が該当する。
 では地域社会でリストラがあったかというと、やはり否である。村八分があるが、しかしこれも現代のリストラとは大きく異なる。村八分は対象者が庄屋の奥さんと不倫したとか、村共有の池から勝手に水を自分の田んぼに引き込んだとか、対象者に落ち度や罪が必ずある。村の財政が厳しいから、あの家族を村八分にしようとは考えることはできない。さらに通常はその土地に住み続けることは許され、追い出されるわけではない。
 では藩ではどうか。追放行為は結構あったようだ。しかしこれも村八分と同様に個人に責任がある場合に限定された。藩財政が逼迫したために、50人ばかり追放した、なんて史実は聞いたことがない。村八分や追放は今なら懲戒解雇に該当する。リストラではない。
 つまり過酷なイメージのある徳川時代でさえ、中核共同体において共同体の経済的都合で一方的に構成員を追い出すようなことはしていないのだ(と思います。疑わしい方はお調べください)。

 なぜであろうか。共同体にとって一番大切なものはまさに構成員だからである。構成員なくして共同体は存在できない。つまり共同体にとって構成員はレゾンデートルなのだ。それは裏返せば、構成員を自ら排除するということは共同体の存在意義を自ら否定することになる。

 現在普通に行われているリストラという、構成員の排除行為は共同体として異常であり、残酷な行為であると私は思う。リストラはかなり滅茶苦茶な行為なのだ。共同体の取る行為としては支離滅裂である。まったくもってどうしようもなく、やになっちゃう選択である。ほんと、そうです。
 こんな支離滅裂な行為を続ける共同体にどんな未来があるのか。これだけ多くの企業でリストラが続けられてる現状を見ると、その結果は一様ではないだろう。まさかリストラを実施している企業が自らの存在意義に背いた結果、須らく淘汰されるとは私も思わない。しかしリストラが財務基盤を強化し、その結果会社という共同体の体力を単純に高める、そう楽観的には考えらないのだ。
 10年、20年という単位で俯瞰すれば、恐らく大胆なリストラを断行した企業はその反動を受け止めなくてはいけないであろう。もちろん会社経営の要素は複数あり、この部分ではのみ測ることはできないが、しかしその影響は確実に出る。
 会社を希望退職した暇な男はそう考えるのである。これは決して希望的観測ではないですよ。




再就職支援会社について

< 本日、産経新聞社が再就職支援を依頼しているパソナキャリアへ最後の面談を受けに行ってきた。そこで再就職支援会社の役割について改めて考えさせられた。
 私の場合は再就職といっても他社への転職は補足的な道にすぎず、翻訳の道へ進むことが大命題である。よってフリーでも、翻訳会社への就職でもどちらでも構わない。そうした理由からパソナキャリアの一般コースでなくセカンドライフ・コースに所属した。セカンドライフ・コースは海外移住、起業、就農、ハーフリタイアなどを希望する人の相談に乗ることを目的とするコースである。
 私の担当者はそのセカンドライフ・コースの責任者で○部長という起業コンサルの専門家だった。この方とのやりとりで色々考えさせられたのだ。
 本日は最後の面談であったが、私にとっては2度目の面談だ。1年間の契約期間だったが、面談の必要性を感じずに今まで過ごしてきたのだ。翻訳の仕事をするうえでとくに起業の知識の必要性を感じていなかったからだ。しかし先日初めての確定申告をして、いくつかの疑問点が沸き、そのときの疑問を質問しながら面談を進めた。

 面談の最初の雑談で○部長が「山本さんは個人事業主になるのだから、200万円ぐらいだったかな、そのぐらいの売り上げなら、いろいろ控除だとかあるから確定申告は必要ないですよ」と言った。はて、そんなことがあるのか。私は税についてまったくの素人だが、本年度の確定申告にあたり少しだけ勉強をした。私の知識の中にそのような規定はない。そこで「それって本当ですか?」と失礼だとは思ったが問うと、ちょっとむっとされたようだが「ちょっと待ってください、資料を持ってきますから」とおっしゃりパソナキャリア作成の<個人事業主が納める税金の種類>という書類を持ってきた。
 ○部長は一生懸命の書類に目を通していたが、なかなかその規定が見つからない。私もその書類を見て、ある箇所に目がとまった。恐らくこのことをうろ覚えをしていて間違えたのだとピント来た。「事業税は290万円まで一律控除とありますが、これじゃないですか」と、聞くと「ああ、そうかもしれません」。
 確かに個人事業主に対する事業税は290万円が一律控除される。しかし個人事業主は所得税と地方税も支払わなくてはならない。両税にも控除はあるがもっと少ない。それにだ。かりに控除が売り上げを上回ったからといって、確定申告しなくていいのだろうか。

 私はこの時点でかなり○部長のコンサルとしての専門知識に疑問をもった。実は以前、電話で確定申告について相談をしたときにも“白色申告”という言葉を知らずに、驚いたこともあったことも思い出した。
 しかしここまではまだよい方だった。その後、私の担当者、つまり○部長に対する “評価シート”を私が書き、封筒で糊付けして○部長に渡し、また面談に戻った。そこから○部長の態度が少し変わったように思う。

 「山本さん、銀行口座は事業用と個人用は分けておいた方がいいですよ」とおっしゃった。そうかもしれない。しかし私の個人的な体験からいうとそうとも言えない。なぜなら個人で仕事をしていると例えば個人のカードを使って、仕事用のパソコンや書籍を購入することがある。カードの引き落としは個人用の銀行口座からだとすると、その分を事業向けの銀行口座に後から入金しなくてはならない。また売り上げは事業用の銀行口座に入金されるので、どうしても生活費などは事業用の銀行口座から個人用銀行口座に入金する必要がある。そうするとふたつの口座間で頻繁に現金を移し変えなくてはならず非常に煩雑だ。ロジックとしては事業用と個人用の銀行口座を分けていたほうがシンプルに見えるが、現実はそうとも言えない。
 結局は年に一度、あるいは毎月の方がベターだが、領収書を整理して経費をまとめ、あるいは売り上げがあった場合はその数字もまとめておく必要がある。なので銀行口座をふたつ作ろうが、ひとつだろうが手間は一緒だ。煩雑な現金の出し入れをしなくて良い分、ひとつの方が簡易であるとも言える。
 そのことを言うと、「しかしルールですからね」という。ルール?、またもや面妖なことをおっしゃる。そこでちょっと意地悪だとも思ったが、「ルールとおっしゃると、税法に載っているということですか」と聞くと、「そうです」とおっしゃる。「ほう、税法に明記されているのですか」というと、「いや、明記はされていないかもしれないが、そんなニュアンスのことが書いてある」という。
 そんなやりとりのあと、「しかし山本さん、税務署がそう言ってるんですから」となぜか発言を変える。「先ほど、税法に載っているとおっしゃい、今は税務署が言うと、おっしゃる。まぁそれはいいとして、それは財務省の通達ですか」とまたちょっと意地悪な質問をする。するとまた、「はい、そうです」という。この時点で二人とも、かなりうんざり状態であった。
 最後の方は「しかしなんでこんなことを気にするのかな」とかなりご立腹の様子。
 この、口座を分けるべきかどうかの激論(?)、をしている最中に、またもやもしや、と思うことがあった。なんとなく○部長が言っている税法だか通達だかの根拠がおぼろげに見えてきたのだ。それは青色申告の申請書に備付帳簿を書く項目があったことを思い出したからだ。その項目の中に預金出納帳がある。預金出納帳とは銀行の預金通帳のことである(友人の税理士がそんなことを言っていた)から、きっとそのことを○部長は言っているのだろう。
 「ああ、なんか思い出しました。青色申告の申請書の備付帳簿のリストの中に預金出納帳がありましたが、それですね」と聞くと、またもやさらりと「そうです」という。
 青色申告の申請書の備付帳簿のリストが税法に明記されているのか、そんなニュアンスが書かれているのか、あるいは財務省からの通達なのかは知らない。しかし、それはあくまで備付帳簿として管理しておけばよいのであって、事業用と個人用の口座を別々に分けなくてはならないというルールがあることを示すものではないと思うのだが。
 これも一応、言ってみました。しかし○部長はかなりご立腹ムードで、「しかし、なんでなんなにこだわるんですかね。初めてですよ、山本さんみたいにこだわる人は」とうい反応。

 私も正直、くどいかなと、感じていた。しかし相手は起業のコンサルタントである。専門家である。そして私が○部長と話した場は私が辞めた会社が大金を支払って(ひとり100万円ぐらいだという噂を聞いたことがある。事実は知らないが、大金だと思う)公に設けた面談の場だ。さらに質問の項目は税務に関する問題だ。こだわって当然ではないだろうか。あやふやなままにすませるべきではない場、テーマではないであろう。

 面談最後の方には「山本さん、好きにしてくださいよ。はっきりいって、私には関係ないんだから」とまでおっしゃっていた。「しかし○部長、先ほど税法に載っているとおっしゃいましたよね。するともし○部長のおっしゃるとおり、ルールとして口座を分けておかなくてはならないのなら、私はルール違反、つまり違法行為あるいは脱法好意になるのではないですか。そして○部長はその違法行為だか脱法行為だかを勧めていることになるのではないですか?」と問うと、「いや、そんなことはないと思いますよ、むにゃむにゃ」とのご返答だった。
 なんだか矛盾だらけで、疑問ばかりが心に残る最後の面談であった。

 今、多くの企業で希望退職制度というリストラが行われている。その中で多くは割り増し退職金とともに“再就職支援”を謳い、公表している。企業からすると“我が社は退職金を割り増しした。さらに再就職支援までしているのですぞ”というエクスキューズの機能をこの再就職支援は果たしている。
 再就職支援とはパソナキャリアのような再就職支援会社へ大金を支払って、希望退職者を預けることだ。
 今朝、○部長の面談で、まだ話がこじれる前に「しかし景気が良くないですね。私の元同僚もみな再就職で苦労していますよ」と私がいうと「そうですか、うちは昨年の200倍の相談者が来てますよ」と、おっしゃっていた。つまり私のように元勤め先から送り込まれてきた希望退職者が200倍も増えているということだ。再就職支援会社は未曾有の好景気に沸いているというわけだ。

 元勤め先が実際いくらパソナキャリアに支払ったのかしらない。しかし2回の面談(電話は毎月かかってきたが)とあいまいな専門知識によるコンサルタント。対外的には再就職支援を行っていると謳えるメリットは大きいかもしれない。しかしその分を退職金に上乗せして欲しかったというのが正直な感想である。


再就職支援会社について(2)

 パソナキャリアの○部長に言われたアドバイスでどうしても腑に落ちない点が他にもあり、本日調べてみた。
 部長は「山本さん、そういえば自宅を家賃として経費計上できますよ」という非常に魅力的なアドバイスをくれた。「そうですか、それはありがたい。しかしうちは持ち家ですが、それでも可能ですか」。すると部長は「はい(断言してました)。ご自宅を仮りに賃貸で借りたとして相場を調べ、仕事で使っている部屋の面積とご自宅の総面積の割合で計算した額を賃料として、ご自分に支払ったことにすればよいのです」とのこと。「でも私は個人事業主で、個人事業主が個人につまり同一人物に支払ったことになり、矛盾しませんか」「いえ、個人事業主と個人は別の“格”になりますから大丈夫です」

 上記のように部長は言った。まとめると(1)自宅の家賃を経費として請求できる。(2)自宅が自己所有でも可。(3)自己所有の場合は、家賃相場から適正と思われる家賃を算出する。(4)仕事部屋の面積から家の総面積を割り、家賃相場と掛けて、仕事部屋の家賃を算出する。(5)個人事業主でも可(つまり個人事業主が本人に不動産を貸し出し、それを経費として計上できる)


 以上のようになる。こんなことが可能なのだろうか。個人が個人に貸し出してそれを経費にして計上することができるなんて。とても信じられず、何度も確認したが、またもやちょっとうんざりしたようは表情で、可能ですと断言した。
 念のために、今さっきネットで調べてみた。調べた結果は、部長の誤りであった。正解は以下のとおり。(1)自宅の家賃は経費として計上できる。しかしそれには条件が2つある。(2)条件1は、自宅が賃貸であった場合。つまり自宅が自己所有の場合は不可である。(3)条件2は、仮に自宅が自己所有であっても、法人であれば可能。つまり個人所有の場合は不可。

 当然だろう。自宅が賃貸であれば、他者に賃料を支払っているのだから、それを経費として計上できるであろう。また自宅が個人所有であった場合も、借りているのが法人であれば、個人が法人に貸し出すわけで実際にお金も動いているのだから、問題ない。その場合はもちろん、家賃は個人の収入になり、その分確定申告が必要になる。

 前々回、パソナキャリアの○部長の思いつきのような、誤りの多いコンサルタントの様子を紹介した。今回、また明らかな誤りを思い出したのでご紹介させていただいた。彼の無知はコンサルタントとうい業務上、笑って見過ごせるものではない。もし私が彼の発言を信じて、面倒くさい計算をして、それを経費として計上してしまったら。もちろん税務署から誤りを指摘される程度で、脱税行為として罰せられるようなことはないと思うが、それでも大きな手間が増えることになる。税務署からの信用もなくすであろう。前々回紹介した、「個人事業主の200万円だかそこらの売り上げなら、確定申告をする必要はありませんよ」というのはさらに罪が深い。発言を信じて確定申告をしなかったなら、これはもしかして脱税行為に当るのではないか。

 これから自分がフリーの翻訳家になれるのか、どこかの翻訳会社に就職できるのかは分からない。しかしどちらにせよ、今までのような大きな組織に属し身の安全の保障をされていた身分とは異なる生活になる。覚悟はしているが、やはり自分でしっかりと足場を確認しながら歩まなくてはならないのだ。いいかげんな○部長の対応を通じ痛感させられた。

 それにしてもいい加減なパソナキャリアのコンサルタントであった。

ユニクロ的な世界について

 今日はハローワークに行ってきた。最後の認定日の予定であった。ところが延長給付ということで30日間支給が伸びることになった。うん、ラッキー。

 延長給付で気をよくして、いつものユニクロに行く。ハローワークの後のお決まりのコースである。
 もう金沢八景のユニクロには何回来たであろうか。一年近く来ているので11回目かな。最初の頃は普通の商品を購入していたが、最近は知恵が付いてワゴンセールの品を中心に物色。今回は980円のシャツを購入した。
 レジではカードを使用した。支払いを済ませた後、財布の中を確認すると千円札が一枚もない。これはしまった。これからQBで散髪をしようと思ったのに。千円札がないとQBで散髪ができないではないか。
 そこでレジのお姉さんに一万円の両替を頼む。するとここではできない、地下にあるダイエーのサービスカウンターへ行ってくれと申し訳なさそうに言われた。そんなもんかな、と思った。が一応、でも今商品を買ったばかりだから、なんとかできませんかと聞くと、ちょっと思案顔。そしてカードでの支払いを取り消してから、再度現金で支払うことができると教えてくれた。それでその通りにした。
 でもなんだか変な感じである。だってカードの取り消しって、結構面倒な手間がいるのだ。もう一度カードを渡して、再度カードリーダーで読み込ませる。出てきたレシートに再度サインをしなくてはならない。それからまた、初めから現金にて支払いを行う。あ、それとなんだか上の人の承認がいるらしく、場内アナウンスでマネージャーのような人を呼んでいた。これすべてに要した時間は10分程度。
 こんな面倒なことしないで、ただ一万円札を両替してくれればいいのに。よっぽど簡単に済むではないか。
 でもユニクロでは両替サービスをしないルールがあるのだろう。だからレジのお姉さんはしたくてもできないのだ。それで良心的に裏技で対応してくれたのだ。
 ユニクロは非常によく使う店である。最近着ている服の90%ぐらいはユニクロで購入したものだ。安いし質はよいし、それなりにお洒落に見せられるし。失業者の強い味方なのだ(失業者は普通、毎月ユニクロで買い物はしないかな)。ついでにQBも、失業者の強い味方だ(これも失業者は毎月、散髪はしないのかな)。だから悪口は言わないけど。でももうちょっと融通を利かせられてもいいのではないか。QBだって、何が何でも千円札を持ってこないと受け付けないって、ちょっと頑なだよね。千円札のおつりはいっぱいあるのに。
 この徹底した合理主義、厳格なルールの遵守があって、安くて高品質の商品を私たちは入手できるわけなのだが。でも、やっぱりなんだか変である。

 ユニクロ、あるいはユニクロ的な世界といってよいかもしれない。それにはQBも含まれる。そうしたユニクロ的な世界によって享受できるものは多い。今まででは考えられないほどの安価な商品。画一したクオリティーとサービス。
 しかしユニクロ的な世界では提供できないサービスもあるのだな。当たり前だが、世の中ユニクロ的な店ばかりでは、こりゃまずいことになると、本日わたくし、再認識させられました。そしてユニクロに勤めるユニクロ的でないお姉さんの機転に感謝した次第であります。

最後のハローワーク

 今日がハローワーク、最後の認定日。今、帰ってきたところだ。先週行ったばかりだが、支給日が4、5日しか残っていなくて、本日も行ってきた。幸いにも緊急対応策とかで1ヶ月ばかり延期されたが、これでおしまい。雇用保険の支給は本当におしまいである。本日から自分で稼がないと、干上がってしまう情況に本格的に突入する。
 今朝はなんと夜中の1時に目が覚めた。しばらく布団で頑張っていたが結局2時ぐらいに起き出した。私は実に気の小さな男である。1時に目が覚めると、すぐに頭をよぎったのは本日が最後の認定日であるということだ。きっと寝ている間も、脳のどこかで考え続けていたのであろう。
 雇用保険が切れることはずっと前から分かっていた。それを前提に資金計画も立てている。それなのに、なぜ? この不安感は。
 実は不安な要素がいくつかある。まずこの春、受注予定だった大きな仕事が流れた。それを期待して、今年の収入を計画していた。そして、以前から出版の企画書を出している出版社から返事がなかなか来ない。どうしても出版したい本がある。つてがあるのはその出版社のみだ。そこで受けてもらえないと、他をこれから探さなくてはならない。その出版も収入計画に、これはプラスアルファとしてだが、入っている。
 だから収入計画を見直さなくてはならないのだ。今のままではあと1年ちょっとしかもたない。なんだ、結構余裕があるじゃないか、と思う方。いえいえ、そうでもないんです。というのは、出版の場合は収入に結びつくまでに時間がかかるのだ。まず本を探し、企画書を作成して、出版社に売り込み、成約したら、翻訳する。それから実際の出版まで数ヶ月かかり、それが売れて、そのお金が回りに回って、印税として入ってくるのにはさらに数ヶ月から1年。だから最初の本探しから考えると1、2年はかかるのだ。だからその1、2年の間、食いつなぐ資金がないと、デッドロックしてしまう。ということはですね、もうそろそろ1つぐらい企画を通さなくてはならない時期なのだ。
 やぁ真剣ですよ。今年1年、実務翻訳をしながら、のんびり本を探し、1冊でも出版の企画が通ればいいと考えていた。でも実際に実務翻訳を少しばかりやってみて、同時に出版翻訳も企画書作りや試訳をして、自分には出版翻訳が向いていると分かってきた。いや、もっとはっきりいうと、どうしても出版翻訳をやりたいことに気付いたのだ。
 余裕資金はないことが分かってきた。実務という回り道を経ずに、出版に進みたいという気持ちも明確になった。すると答えはひとつ。なんとしても近いうちに出版の企画を通さなくてはならない。

 外は桜が満開だ。逗子は桜の多い地域である。私の住む住宅街の街路樹はみな桜。家から見える丘には山桜が点在する。そうした景色を眺められる逗子の春は良い。今日は天気もよくて、爽やかな日和である。あまり心配ばかりしていられない。最後の認定日にこんなに綺麗な桜を見られたんだから。きっと幸先の良い兆しであろう。今年度はほんに、頑張らなくてはなりません。

桜の街路樹

山桜(あまりよく撮れてないけど、ほんとはきれい)


猪子寿之さんについて


 先日、「森は知っている」を逗子図書館に返却に行ったついでに「東洋経済」を読んでいたら、猪子寿之チームラボ代表取り締役社長のインタビュー記事が載っていた。猪子さんはチームラボの社長だが同時に私が以前在籍していた産経デジタルの取締役でもある。それで何度か見かけたことがある。

 始めて会い、そして話す機会があったのは産経デジタルの設立パーティの席であった。産経デジタルは産経新聞社のデジタル部門を分離してできた産経の子会社で、トランスコスモス社から資本提携を受けている。それで産経とトランスコスモスから役員が送り込まれていたが、その中にどういうわけか猪子さんも入っていた。猪子さんは産経やトランスの社員、役員ではない、と思う。おそらくトランスと関係のある人だと思うが、産経の一社員であったにすぎない自分には、そこのところは不明である。
 さて、猪子さんを始めて見掛けたときの印象は大変、インパクトのあるものだった。今でもよく覚えている。私は人の顔を覚えるのが苦手だが、猪子さんとそのとき同時に紹介されたトランスの役員で産経デジタルの役員にも就任した森山さんの顔は一度で覚えてしまった。
 ふたりは確か少し遅れて入ってきたと記憶している。会場にはすでに産経の社員やアルバイトが大勢いて、すでにアルコールも入っていた。その中に現れた二人は、明らかにその他のメンバーとは異質であった。森山さんは身長180センチ近く。そして猪子さんは190センチぐらいではないか。立ち並ぶと、小柄なおじさん達の中で、聳え立つように見える。またふたりとも背中までの長髪、ヒゲ面、ノーネクタイ、ジーンズ。まぁ、しかし産経のアルバイトにも似たような風貌の人間がいなくはない。しかしなんといっても雰囲気が変わっていた。ちょっと不思議な感じの人なのだった。

 森山さんのことは別の機会で書きたいと思う。今日は猪子さんについて。

 猪子さんは会場に入るとすぐに、産経のお偉いさんの方へ挨拶に行き、その後もずっとその近くにいた。パーティは立食だったので、私は産経デジタルの社員として、始めてみる猪子さんのもとに挨拶へ伺った。おそらくそのとき猪子さんは30歳ぐらい、私は40を過ぎていた。しかし立場は猪子さんが役員、私は平社員に過ぎず、当然こちらからの挨拶となる。
 私は少しばかり期待していた。若い猪子さんが、産経デジタルを、つまり産経のデジタル部門に新風を巻き込んでくれるのではないかと。新風を巻き込むためには、実体を知る必要がある。私はそのとき、産経デジタル部門の最古参の社員のひとりで、産経Webの立ち上げメンバーであり、“ichimy”という当時としてはわりと画期的なニュースサイトの企画者であり、唯一人の運営担当社員であった。きっと私の話しを聞きたいはずだ。産経が今までどのようなデジタル運営をしてきたのか。そうすれば、何が問題で、強みはどこなのかが見えてくるのでは。きっと役員からは散々、話しを聞いているであろう。しかし産経の役員は元記者ばかり、デジタルについては素人である。デジタルの現場は見ていない。だから現場を一番長く経験している私から話を聞いてみたいと思うのではないか。と、思った。それで少し意気込んで挨拶に行った。
 しかし猪子さんはそっけなかった。軽く会釈するだけで、また産経の役員連中や森山さんたちとの輪に戻ってしまった。きっと大切な話しの途中であったのだろう。しかし、正直いってがっかりした。
 わたしが猪子さんと話しができたのは、あれが話といえばだが、その一回のみだった。役員なのでたまに社内で顔を合わせることはあったが、その後話をする機会はなかった。長髪をなびかせて、長身でさっそうと歩く姿を廊下で見かける程度だった。

 猪子さんはなぜ30歳ぐらいの若さで産経デジタルの役員になったのか。私には本当のところは分からない。ただ推測するにすぎないが。
 猪子さんは東大卒。卒業と同時にチームラボという会社を立ち上げている。チームラボという会社が何をする会社なのかも分からない。色々な人に聞いたり、ネットで調べたりしたが、どうもよく分からない。ネット関連の会社であることは分かる。“サグール”という検索エンジンを開発した。何とかというネット関連の賞を獲得した。そのぐらいだ。きっと旧来の人間が理解できる枠の外にある会社なのであろう。
 東洋経済によって、多少新しいことが分かった。猪子さんは“ぐるなび”の母体であるNKBの役員だったそうだ。有名な滝久雄社長に見初められ、会った3回目でいきなりNKBの役員になるよう懇請された。

 それを読んでなんとかく分かったような気がした。猪子さんは、必殺のジジ殺しなのだ。悪口で言っているつもりはない。誤解のないように。
 私が始めて猪子さんを見たときのインパクトを滝社長や産経の住田社長、産経デジタルの阿部社長は感じたのだろう。東大卒の肩書き(もちろん実力も)。オシャレなファッション。チョイ悪風の風貌。見上げるような体躯。何かしてくれそうな気がする。平凡なわが社の社員では、考えも及ばないアイディアを出してきそうだ。そう、老経営者に感じさせる何かを猪子さんは持っている。

 ちょっと話しを変える。東洋経済の中で猪子さんは自分の過去について少し語っている。
 高校生のときに「日本経済を再生せよ」という電波が落ちてきたそうだ。さて、どうやって再生するのか。大企業に入って内部から再生しよう。しかし一社員として入社したら、再生できる立場になるまでに時間がかかる。そのとき鹿島建設の社長が3代続けて婿養子で、3人とも東大卒であったことを知る。そうだ、その手があると、「逆玉」を狙うことを決意。しかし通っていた高校の大学進学率は50%程度。決して進学校ではない。そこから東大へ進学することは至難の業。と、普通の人は考えるとこだが、猪子さんは違った。まったく意に返さず、東大を受験。そしてしっかり一発で東大理一に合格してしまう。
 東大に入学後、インターネットの存在を知る。そして硬直化した旧来の産業では日本を再生できない。ダイナミックなネット産業こそ自分の、そしてこれからの日本の生きる道だと確信する。そして、あっさり大手企業への逆玉戦略を捨てる。
 ではネット産業をどう構築すべきか。猪子さんはそれを「おしゃれハイテク」と「おもしろハイテク」というふたつのキーワードで語る。
 さて、私が知る猪子さんの具体的な産経デジタルでの実績だが、それは産経デジタルが運営する“iza”というサイトへのアドバイスだ(役員だから現場には直接降りてこない。アドバイスは役員会でする)。どの程度、猪子さんのアドバイスがizaに反映されているのかは知らない。あまり反映されていないのかも知れない。東洋経済にも産経デジタルでは、やりたいことの20~30%しか実現できないといっている。
 そうであろう。なぜなら“iza”に「おしゃれハイテク」や「おもしろハイテク」というコンセプトが散りばめられているとは正直、思えない(ちょっと辛らつでごめんなさい)。

 東洋経済を読んでいて分かることは猪子さんが日本の政府、古い体質の会社は駄目だと感じていることだ。目指すのはアメリカ型である。とくに目標とするのはグーグルとアップルである。
 私も猪子さんにはぜひグーグルやアップルを目指してもらいたい。
 猪子さんは経営者に何かを期待させる特殊な才能がある。そしてそれをうまく利用してきた。あの若さでNKBや産経デジタルの役員に就任した。
 しかしNKBの役員はもう辞められたそうだ。産経でもやりたいことの2,3割しか実現できていない。もう、ご自分でも気付いていられると思うが、大企業の中では猪子さんの本当の才能を開花させることはできない。
 スティーブ・ジョブスやラリー・ペイジ(この人ともパーティの席で話したことがある。10分以上サシで話せたので、これは話したと言っていいと思う。とても印象深い話しができた。いつかこのことについても書きたいと思います)のように、自らアイディアを生み出し、自らそれを実現し、そのためには自ら組織を作り上げていく。
 もう、本当の目標は見えているのではないか。たしかにすでに成功している企業の経営者から声を掛けられて、悪い気がするわけはない。もとから逆玉を狙ったこともある人だから、少々その気はあるのだろう。それも戦略上、悪いことではない。しかし戦略はときと場合により変更すべきだ。
 東洋経済に掲載されていた写真を見ると、あのパーティで受けた精悍なイメージと比べ、頬がふっくらとし表情も穏やかな様子だった。猪子さんが見限ったおじさんたちとちょっと似てきているように見える。
 日本を引っ張っていく企業を作り上げるのには時間が必要である。さらに経営者としての若さとパワーが。そろそろ腹を決めた方がよいのではないだろうか。それだけの才能と強い意思を持ちながら、社内政治と保身で雁字搦めになった組織で浪費するのはあまりに惜しいと思うのです。
 (産経デジタルが特にそうだといっているのではありません。組織とはすべてそういう性格を持っているものだ。できあいの組織に横から入って改革する、その非効率が問題ではないかと思うのだ)


本日より窮乏生活に入ります


 昨年4月から今年3月まで、預金通帳に記載されている支出をすべて書き出してみた。そうしたら恐ろしいことが判明してしまった。このままだと、思ったより早く資金がショートしてしまう。
 大体、収支については把握しているつもりだった。家計簿みたいなものは付けていないが、ざっくりと頭の中で計算をしていた。現実の数字とはそんなにかけ離れていないだろうと思っていた。ところが結構、かけ離れていたのだ。
 このブログはかなり知り合いの人も読んでいるし、自分の実名、写真も公表しているので正直な数字を書くのはちょっと憚られる。でも、知りたいでしょ。みなさん。そこで出血大サービスで数字を公表してしまいます(ざっくりだけど)。

 昨年、僕が使った金額はローンの支払いや税金、年金など全て含めて約500万円であった。
 どう思われますか。多いと思われますか。少ないと思われますか。普通のサラリーマンなら、きっと平均的な支出額だろう。でも僕は失業者なのだった。それにひとりものだし。僕としては予想以上の額であった。おそらく400万円以下で抑えられたと思っていたのだが。
 昨年度は税金の額が大きかった。というのも皆さんご存知の通り、地方税は前年度の収入から計算される。それと健康保険も結構な額になる。これもまた前年度の所得を基にした数字になるからだ。それと昨年は翻訳学校にも通っていた。開業一年目であり、プリンターやデジカメなどちょっとした小物は購入した。こうした要素があり、ある程度は覚悟していたが、500万円はちょっとかかりすぎだ。
 僕と同時期に退職した人との話しを総合すると、家族構成で多少は異なるが、何も贅沢はしなくても毎月3,40万円はかかるらしい。例えば40万円で計算すると年間480万円だ。大体僕の昨年の支出と同じである。でも僕は一人暮らしなのだ。彼らは大抵子供が2,3人いる。その分、税金は安いかもしれないが、僕より相当掛かってあたりまえだ。
 それに昨年はどこにも旅行にもいかず、大きな買い物もしなかった。車も持っていない(免許も失効してるし)。どちらかというと慎ましく暮らしているタイプなのだ。
 正直、なんでこんな額になったのか想像がつかない。預金通帳にはもちろん明細は書かれていない。ATMで10万円引き出したとか、VISAカードで52、000円使ったとか、そんなザックリした数字だけだ。本当はATMで引き出した10万円が何に使われているのかが大切なのに。大切なそれが、分からんのだ。メモなんかしてないし、覚えていないんだもの。
 ということで本日から、家計簿を付けることにした。といってもちゃんとしたものは面倒なので、手帳に書き込んでいこうと思う。

 できれば今年は250万円で過ごしたいと考えている。いきなり半分なんて、そんな無茶なと思われるでしょ。僕もそう思う。でも計算上は不可能ではない。普通のサラリーマンって、小遣いはいくらぐらいだろうか。僕は現役のときは結構ルーズな生活をしていたから10万円ぐらいだったが、普通なら3万から5万円ぐらいだろう。その程度の小遣いで、自炊しながら慎ましく生きていけば250万円は可能な計算だ。なので、友人の皆さん、しばらく僕は付き合いが悪い男になります。それはこのような理由があってのもので、みなさんと縁を薄くしたいと思っているものでは決してありません。いつの日か、収入がそれなりになった暁は、がんがんお付き合いさせていただきますので、それまではご容赦のほどを。

 さぁ、サブタイトルにあるように本当に今後、僕はどうなるのでしょうか。みなさん、楽しみではないですか。僕はマジで楽しみです。自分自身のことですが、暫く暖かく見守っていく所存です。

その手があったか“フリーガン”


 昨日だか一昨日だかのニューヨークタイムスで“フリーガン”のルポが載っていた。ネットで調べたら、日本でもテレビが放映したようだ。だからご存知の人が多いかもしれない。

 フリーガンはフーリガンではない。ちょっと似ているけど。フリーガンとはフリー(自由、無料)と完全菜食主義者のビーガンを掛け合わせた造語で、スーパーなどで廃棄された食品のみで生活する人をいう。彼らが集めるのは、廃棄物とはいっても食べ残しではなくパッケージやラップされたままの商品だ。賞味期限を越えていない食品が主な対象で、果物や肉、乳製品など、あらゆる商品を収穫することができるらしい。そのラインナップは店内の陳列棚そのものだということだ。すごいね。

 フリーガン自体の歴史はわりと古く、1960年代からと言われている。反グローバリゼーション主義と環境主義が合体してできあがったライフスタイルのようだ。ヒッピーだとかカウンターカルチャーの流れなんだろう。その後、ヒッピーがファッショナブルでなくなったように、流行に敏感な若者の間でフリーガンもカッコいい生き方でなくなり、数は少なくなっていった。しかし不況も後押しして、信奉者が最近増えている。

 ニューヨークタイムスが紹介していたケースは食べ物だけではない。住まいまでもただで見つけている。そのフリーガンが集団で住んでいる場所は、ニューヨーク州のバッファローでナイアガラの滝がある街だ。かつては工業で栄えたらしいが、今はすたれ多くの廃屋が存在する。不法占拠しているその家は100年ぐらい前の大邸宅で3階建て。部屋は10を越える。
 当局が察知し、立ち退きを迫ろうとしたのだが、なんと近隣の住民が立ち退きに反対したそうだ。
 そこは以前、売春や麻薬売買の場所として、よからぬ人たちが出入りしていて、住民の頭を悩ませていた。しかしフリーガンが住み着くようになってから、よからぬ人たちが近寄らなくなり、治安が向上したそうだ。さらにフリーガンは建物を修繕するので、外観もよくなり、町の美観にも貢献している。
 このフリーガンはなんでもフリーでやってしまおうというポリシーの持ち主だ。彼らの目的は過度の消費社会からの離脱である。だから食べ物だけでない。衣類も家具も、電化製品もみな拾ってきて生活しているのだ。パソコンルームなんてのもちゃんとあって、パソコンが何台か並んでいる。それらパソコンは、拾ってきた部品で自ら組み立てたそうだ。さらに驚いたのは、インターネットに無料で接続していることだ。これは違法だと思うが、近くに大学があり、そこが発する無線LANの電波にただ乗りしているのだ。
 図書室もあって、かなりの本が揃っている。結構、勉強家なのだ。
 自転車ルームもあったな。彼らは車に乗らないから、自転車が足なのだ。これも拾ってきたり、組み立てたりしたものだ。
 そこには世界中からバックパーッカーが集まり、1,2泊なら自由に泊まれるのだそうだ。その世界の若者の間では有名みたいだ。ユースの乗りだね。

 ここ数年、フリーガンを志向する若者が増えてきている。無職の風来坊みたいのが多いのだが、ちゃんと仕事をしていて持ち家や賃貸の部屋に住んでいるのもいる。彼らは食品だけのフリーガンであるが。

 そうか、その手があったのかと、ちょっと考えてしまった。いや、冗談ですよ。と僕が言っても冗談には聞こえないだろうなぁ。

確定申告の記帳指導を受けてきた


 「パソコンによる会計ソフトを利用した記帳指導」というのに本日、行ってきた。今日は2回目。
 鎌倉税務署が希望者を募り、費用を負担し、民間に指導を委託したものだ。民間の機関はいくつかあるようだが、私は社団法人鎌倉青色申告会というところに行ってきた。

 とても親切に教えてくれた。自分は経営学部出身なのだが、簿記はまったく苦手である。確か簿記の成績は“C” であったはずだ。今でも試験のことは夢にでる。
 そんな簿記音痴の自分だが、今年度は青色申告を行わなくてはならない。それも複式簿記で。青色申告は複式簿記と単純な決算書の2種類が選択できる。単純な方だと控除額は10万円だが、複式簿記で提出すると65万の控除が受けられる。そこで昨年度の申告の際、今年度は複式簿記で申告することを選択しておいたのだ。だから簿記が苦手だなんていっていられないのだ。必ず複式簿記で申請しなくてはならない。
 
 鎌倉青色申告会は会計ソフト“弥生”を使った。他の製品のことは知らないが、よく出来ている。簿記の知識がなくとも、簡単な数字の入力で損益計算書と貸借対照表ができてしまう。当然、日々の売り上げや経費は入力しなくてはならないのだが、簿記はその後が面倒なのだ(今日、知ったばかりの知識です)。これを機械がやってくれるのだから、ありがたい。

 指導はマンツーマンであった。指導員はこちらの疑問に丁寧に答えてくれた。今日のところまではよく理解できた。明日になったら忘れているかもしれないが。

 税務上の決算(個人事業主)は12月31日の締めである。 もうひと月ちょっとで締めとなる。そろそろ準備を始めても良い頃だ。今年は残念ながら、売り上げはちょこっとだけ。どれだけちょこっとかというと、きっと青色申告の控除額に届かないぐらい。恥ずかしい話なのだが。
 そうなのだ。今年度の税金額はゼロになりそうなのだ。嬉しいような、嬉しくないような。さあ来年は控除額を超えるべく、頑張らねばならない。


 指導の後に鎌倉図書館に寄ってきた。はじめてである。私は図書館が好きなのだ。だから期待して行った。古都鎌倉の図書館だ。素晴らしいに違いない。
 場所は良いところであった。駅から10分ながら閑静な住宅地にあり、近くには紅葉の森が迫る。しかし中は思ったほどではなかった。逗子の図書館の方が立派であった。ちょっとがっかりした。古いし、いや古い図書館はむしろ好ましいのだが、古いというより古臭い、あるいは侘しいといった方がよいかもしれない。地方の役場の雰囲気である。蔵書数もあまりない。それに椅子が悪い。どれもパイプ椅子のようなものばかりであった(違うのもあったかもしれないが)。椅子こそが大切なファクターなのだ。図書館にとって。そこに気が廻らないとは、残念である。
 鎌倉市は大船に立派な武道館をお持ちである。東京都武道館よりも立派かもしれない(日本武道館とは別)。しかし図書館はそれほどではなかった。図書館の方も、もうちょっと頑張ってくれても良いかな、というのが正直な感想だ。
 
 その後、鎌倉中央図書館の隣に建つ鎌倉市立御成小学校の前を通り、帰ってきた。この小学校はすんばらしい。建物の威容、広い校庭、正面に広がる森。どれをとっても羨ましい風貌であった(中身は知らないですが)。私が知る限り、最高の設備と環境を有する小学校であった(あまり小学校を見たことはないのですが)。逗子の小学校も恵まれていると思う。近くにある久木小学校の校庭の広さは半端ではない(中学校と合同であるが)。しかし全体的に御成小学校と比較したら、慎ましいといわざるを得ない。小学校は鎌倉に軍配ありであった。

御成小
御成小の校舎。もしかしたら現在は使われていないかもしれない。鉄筋の校舎も他にある。



それぞれの道


 夕べは産経新聞社時代の同僚二人と東京で酒を飲んだ。ひとりが長野へ越すために、その送別会が目的だった。

 長野へ行くのはKさんという。Kさんはいつもキノコ狩りへ行く、キノコ仲間だ。これからはキノコ狩りは一人で行かなくてはならない。もう水上や秩父など、遠方にはキノコ狩りに行けなくなるだろう。
 Kさんは私よりひとつ年下だが、入社は2年早い先輩でもある。昨年、私同様、希望退職制度を利用して、産経を辞めている。辞めてから約一年、こつこつと準備を行い、着実に確実に計画を進めてきた。これから農家になるのだ。
 移住先は長野県の東御市(とうみし)というところだ。軽井沢の先である。産経の保養所が軽井沢にあるのだが、保養所に遊びに入った際、足を伸ばし、以前から注目していた土地であるという。東御はブドウの産地だ。日照時間は日本一長い土地のひとつで、雪も少ない。北方に湯の丸や浅間が控えている広大な南斜面の土地でもある。清涼で広々とした新天地で、ブドウ農家として新しい人生を始める。

 昨夜のもう一人の仲間はYさんだ。Yさんは私と同じ歳で、入社はやはり私より二年早い先輩である。Yさんも希望退職制度で辞めており、現在はIT系の会社を経営している。産経時代はデジタル部門にいたので、その知識と経験、人脈を使っての起業である。
 Yさんはクローン病という国から特定疾患に指定されている病気の患者でもある。病気と闘いながらの起業だ。昨夜も食事制限があり、温野菜などの消化に良いものを中心に食べていた。酒も控えて飲んでいた。
 
 翻訳家を目指す私と、農家になるKさん、起業をしたYさん。産経の希望退職組みでは珍しいタイプの3人である。ほとんどの人はまた他企業へ就職しているから。
 転職に比べるとリスクの高い船出である。海の先は嵐もあるだろうし、凪もあるだろう。それでも小さな船を自分で浮かべ、自分で操舵する喜びは大きい。

 いつか日焼けし逞しい船長となった3人で、また飲みたい。

源泉徴収は諸悪の根源


 まだ確定申告の時期には早いが、平成22年度の私の収支決算は終わった。たまたま実際の自分の売り上げや支出をもとにしたレクチャーを鎌倉青色申告の会で受けていたからだ。鎌倉青色申告の会は税理士や税務署のプロではないが、それなりの専門家である。その目を通してあるので、きっとあの数字で大丈夫だろう。
 
 私は幸か不幸か、22年度の税額はゼロになる。これは勿論、幸か不幸かといえば、不幸なことである。しかし決算をしながら、とても得をしたような気がした。だから、決算中はちょっと幸福な気分になってしまった。
 決算をしながら改めて思ったが、税金は高い。私の税額はゼロだから、私にとっての昨年度の税金は高くないのだが。一般的には高い。昔は五公五民が一揆の起きる限界点だと言われていたようだが、今の日本はそれに近い。最高税率は50%であるが、それには社会保険料は含まれていない。さらに我々は消費税も支払っている。関税もある。これをならせば、一般庶民でも5割近くが税金で持っていかれる計算になるのではないか(私のような低所得者は別ですが)。
 こんなに税金が高いなんて、フリーになる前は知らなかった。いや、頭では分かっていたが、体感できていなかった。なぜって、給料は源泉徴収で税金や社会保険料は天引きされているから。
 税額は給料明細には載っていた。しかしむしろ、その欄は見ないようにしていた。見ると気分が悪くなるから。何年も、何十年も見ないように努めていたら、あら不思議、税金も社会保険料も概念的にはなくなってしまったのだ。だから、少しずつ給料が上がって、税金はそれ以上の率で上がっても、全然痛くも痒くもなかった。税金が高いなんてことを言う奴はバカだと思っていた。あれはないものと思えばいいのだ。そうすれば心安らかに生活ができる。それができてないなんて、心の修練ができていない奴だと考えていた。ところがバカモノは実は私の方だった。

 確定申告をするようになって、どれだけ今まで高い税金を支払ってきたのかを認識させられた。平均的な給与所得者であったが、過去23年間のサラリーマン生活で、払った税金はかなりの額になる。
 タイトルで「源泉徴収は諸悪の根源」と書いたが、これはサラリーマンが税金の支払いをないものと信じ込むことが悪であるという意味ではない。これはヘビに睨まれたカエルが気絶して、その場の恐怖を逃れるのと同じで、弱者の生きる方途である。問題は、税金の使われ方に関心を持たなくなることだ。これこそが、政府が仕組んだ罠だ、きっと。
 毎日、ニュースでは政治関連の話題が取り上げられる。土日は朝から政治家がテレビに出てくる。庶民は政治の話題が好きだ。でも庶民が好きなのは、権力争いやスキャンダルの話題である。国会の最大テーマである予算についてはあまり関心がない。予算内容よりも蓮舫議員がカッコよく、官僚を言いこめる姿に関心を向ける。これはすべて、源泉徴収のせいだ。

 米国や多くの国でやっているように、もしサラリーマンも確定申告をするようになれば事態は変ってくるだろう。こんなに高い税金を払わされていて、なんでさらに赤字国債を発行する必要があるのか。90兆円も越える国家予算を有しながら、いったい何に使っているのか。福祉関連費ばかりが増えるが、福祉が充実しないのはなぜなのか。人口が減りつつあって、労働人口も減っていて、人不足を危惧する声がありながら、失業者が増え続けているのはなぜなのか。これらはみな税金にしっかりリンクした問題だ。各自が確定申告をすれば、こうした政治本来の問題により視線を向けるようになるだろう。投票率も上がるだろう。
 
 確定申告って、ちょっと面倒だけど、そんなに悪いものではない。今年一年間の自分を振り返ることができる良い機会である。サラリーマン時代は、なんだか恐ろしいものと思っていたが、経験してしまえば、それほど恐ろしくもない。恐ろしいというのは、仕組まれたイメージに過ぎない。本当に恐ろしいのは関心を持たないことである。

 源泉徴収は知らないうちにされたロボトミー手術であるのだ。

忘れていたビジネスマンの眼光


 昨日は東京へ仕事ででかけた。JIAA(インターネット広告推進協議会)という業界団体のセミナーの手伝いに行ってきたのだ。
 産経新聞社時代、私はネット業界の真ん中ともいえるような場所に長年いた。1995年から確か2007年まで、12年間ネット業界の住人であった。12年間の前半は制作・編集の分野におり、後半は広告の業界に身を置いていた。その後半のときJIAAと出合った。
 JIAAは日本全国で活動するネット広告周りの企業で作る業界団体である。メディアとしては産経などの新聞社やヤフーやグーグルなどのネット専業の媒体、電通や博報堂のような広告代理店やサイバーエージェントやオプトなどのネット系代理店、またIMJなどの制作会社などが会員社となっている。
 私はJIAAのあるひとつのワーキンググループの構成員であった。もう4年ほど前のことだ。

 4年前にもかかわらず、事務局や他のメンバーは私のことを覚えていてくれていた。そして今回仕事を発注してくれた。
 正直、会議などの発言は苦手。ワーキンググループの活動も決して積極的には参加していない。もっぱら元気なのは飲み会のときだけであった。そんな私であったが、なぜか覚えていてくれた。そしてありがたいことに仕事を発注してくれた。本当に、嬉しい話である。

 さて仕事の内容は書くことは控えるが、セミナーについては感じることがあったので、簡単に感想を述べる。セミナーは「新領域ケーススタディVol.4『ソーシャル・コミュニケーションと進化するメディア』」という難しそうなタイトルであった。広告におけるソーシャルコミュニケーションの現状と可能性について2人の演者から講演があり、パネルディスカッションが行われた。
 講演内容やディスカッション内容は専門的なのでこれも割愛する。ちょっと違う、私の感じたことを書く。

 久しぶりに広告業界とネット業界の人に囲まれて、その雰囲気にクラクラした。会場に足を踏み入れた途端に、体の変調に気が付いた。体の芯が緊張している。でも何故かは分からなかった。しばらく会場に佇み、様子を伺っていて、理由が分かってきた。そこにいる人たちが逗子のスーパーや立ち飲みにいる人々と違うのだ。当たり前だが。
 着ているスーツが今風である。若い人は当然だが、年配も今風。髪型も今風。物理的に今風にできない年配はスキンヘッド。スーツにスキンヘッドである。迫力に満ちている。
 そして眼光が鋭い。しかし武道家の鋭さとはまったく異質の鋭さだ。どう違うのだろうか。今書いていて、思い出しながら考えているのだが。武道家は相手を前面から制する気構えが目に現れている。業界人のは、もっと複雑な視線である。前面からも挑むが、横から後ろから、そしてあとからジワジワと滲みこんでくるような視線なのだ。
 武道は、特に私が行っている程度の稽古だと、相手と面するのは道場の中だけ。それも稽古をしている相手とだけ、対峙する。しかし組み手が終われば、その人は敵ではない。まして道場を一歩でれば飲み仲間である。一方、ビジネスは違う。JIAAのメンバーは同志であり、決して敵ではない。だがビジネスに身を置く以上、常に勝負が求められる。同志といても、普段の眼光が現れる。だから全方包囲のネットリ型の視線である。それでいて、底知れずに鋭い。

 ちょっと今日は歯切れが悪いと、自分でも思う。なんだろう。うまく表現できない。あの会場で感じたものは何なんだろうか。正直、うまく表現できない。ただ今の生活ではあまり体感できない異質なものを感じた。

 セミナーが終わったあとは、古い友人達が飲みに誘ってくれた。わざわざ逗子から出てきたと言って、声を掛けてくれた。厳しいビジネスに身を置く皆さんだが、飲みの席では、みな人の良い古い友人に変った。なんだ、それじゃ合気道の仲間と変らないじゃないか。そうなのだ。だからよく分からないのだ。
 無理やりの結論だが、日々厳しいビジネスの、それもネット広告という日進月歩の業界の最先端に身を置き、戦い続けているビジネスマンの目を感じ、そして友人に戻ったときの目を感じた。そうか、逗子の立ち飲み屋で酔っ払っているオジサンたちも、会社ではあんな目をしているのだな。立ち飲み屋に来て、ホッと自分本来の目に戻っていたのだな。

 すると再認識させられたのは、業界人の異質さではない。自分が変ったということだ。ビジネスマンの目つきを忘れていた自分に、今驚かされている。書籍とネットの世界。お話しをするのはフクちゃんと大吉。そして妻だけ。そんな環境こそが、異質なのだろう。でも、そんな環境が好き。



同期の仲間のその後


 最近、フェースブックを始めた。そこで知人のフェースブックを眺めていたら、共通の知人がいた。大学卒業後に最初に入社した銀行の同期の仲間だ。彼のフェースブックを見て、昔のことを思い出した。

 私が入社した銀行はHSBCという。現在、世界最大級の銀行である。当時は香港上海銀行と言っていた。
 同行は実は日本最古の銀行である。日銀よりも古い。日本に支店を構えたのは、確か江戸時代の末期である。横浜に日本最初の銀行支店を開業したのだ。
 そんなに古い銀行だが、私が入行する以前は細々と業務を行っていた。主にアジア向けの輸出入と送金業務であった。しかし私が入行する4,5年前から日本での業務を拡大する方針に転換した。外国為替や個人客の開拓に力を入れ始めたのだ。
 当時の外銀は今とは様子が随分と違っていた。行員はほとんどが高卒だった。管理職はみな外人で、下はみな日本人というスタイルであった。入行して最初に感じたことは、「植民地に来た」、というものだった。
 しかし業務拡大方針を打ち出してから、大卒を採るようになった。私が入行したときは、だから高卒のオジサンたちと大卒の若手社員という日本人の構成だった。

 たしかに外銀は派手な世界である。当時もそうした面はあった。オジサンたちの間にも実は何人かの大卒がいた。その人たちはみな邦銀からの転職組みであった。彼らは高給取りであった。フェラーリとポルシェを持っている人や、結婚歴が何度もある人がいた。一方、プロパーのオジサンたちは、昔の事務屋の装いだった。白いワイシャツを腕まくりして、タイプライターを打ちまくっていた。恐ろしく早く、そしてまったくミスをしなかった。

 複雑な職場環境であった。植民地支配のために本国から派遣されてくるイギリス人(HSBCは英国の銀行である)がトップに。邦銀から転職してきた大卒のオジサンたちが次ぎに。プロパーの高卒オジサンと新人の大卒組が混在して最下層に。ああそれと、専門卒、高卒の女の子達もいた。

 私は入行と同時に転職を決意した。こんな植民地にいたら卑屈な人間になってしまうと考えたのだ。同期の4人とはよく、将来の不安を嘆きあったものだ。

 当時は月の半分が半ドンであった。半ドンの土曜は結構、楽しみであった。12時に終業すると、同期の4人で銀座なんかに昼飯を食べにいった。その日も、そんな土曜日であった。
 ある男がいきなりランチの席で泣き出した。「もう辞めたい」。みんなで慰めたが、複雑な気持ちだった。だって、同じことを考えているのだから。
 その男は入社一年目の秋に公務員試験を受け、冬には退職していった。埼玉県庁に採用されたのだ。実は私も、こっそりと入社試験を受けていた。産経新聞社だ。結局、私も3月に退職し、丸一年の銀行員生活にピリオドを打った。

 先日、フェースブックで懐かしい顔を見たのは、残りの二人のうちの一人である。今は別の外銀に勤めているようだ。履歴が掲載されていたが、20年間もHSBCに勤めていたらしい。よく頑張ったな。元気そうな写真を見て、嬉しくなった。

 さて4人のうちもう一人だが。風の噂によるとまだHSBCに残っているという。ということは4人のうち、3人が辞めたのだ。一つ上の代とも仲が良かったので、たまに連絡を取るが、一つ上の代は全員、すでに転職している。だから当時の新人大卒君のメンバーで生き残った(その上の人は知らないが)のは彼ひとりである。

 唯一の生き残りとは、当時毎日一緒に昼飯を食べていた。部署が同じだったので。大人しい男だった。ガッツを感じさせるタイプではなかったが、でも粘っこさがあった。同じ部署の、結構かわいい女の子と結婚した。

 彼は今、HSBCの日本人トップに上り詰めているという。世界最大の銀行の日本人トップである。いつも一緒に昼飯を食べていたあの大人しい男が。僕らは大抵、同じ店に行き、いつも一番安い定食を食べていた。今は、きっと毎日ホテルなんかでランチを取っているのだろう。

 ランチはいつも一緒だったが、帰りは別だった。私は7時には会社を出ていたが、彼はいつも最後まで残業をしていたから。

年功序列は悪い制度なの?


 年功序列制度は日本の組織の弊害のように、かなり以前から言われている。しかし、そうだろうか。
 なぜ今更、こんな話題を取り上げるかというと、最近読んだ本に「タイやスリランカの仏教界は、完全な年功序列社会だ」と書いてあったからだ。それが機能しているという。
 小乗仏教の組織は年功序列である。1日でも先に出家した方が、生涯上位に来る。つまり最高位は最高齢なのだ(厳密にいうと、出家の日時が問題であり、年若く出家した方が有利だが)。
 これが仏教社会ではうまく機能している。仏教修行者は“悟り”を目指す。悟りには年齢や修行日数は関係がない。数年で悟るものもいれば、数十年の修行でも悟れないものもいる。いやむしろ、ほとんどの者は生涯“悟り”まで至らない。
 ゆえに“悟り”という基準から見たら、年齢など関係がないのだ。そして地位も関係がない。真面目な僧侶は賢明に修行をする。そして悟りを目指す。そこに年齢や地位は影響を与えない。そんなものは、どうでもよいのだ。
 地位に重きを置いていないから、簡明な基準で地位を決めることに抵抗がない。それが年功序列である。「まあ、あの爺さんは悟ってないけど、一番古いから管長にしておけ」、という具合だ。

 で、日本の年功序列についてだが。年功序列に弊害があるというのならば、対抗策が必要となる。そこで登場したのが能力主義だ。まず、この能力主義について考えたい。
 概念で論じるとややこしくなるので、具体例で話しを進める。私は数年だが、能力主義を標榜する人事考課の元に働いた経験がある。
 私が以前、勤めていた会社では、“今期目標シート”(ちょっと違う名称だったが、あえてこう呼ぶ)というのを期初に配って書かせた。内容は部署全体が目指す今期の目標と、個人が設定する目標のふたつであった。
 例えば部署全体では「経費を1割削減」とか、「新規事業を積極的に立ち上げる」とか。個人としては「現在、担当している部門の売上げを1割アップさせる」とか、「新規の顧客を10社獲得する」とかである。
 この目標に対して、期末に評価を行う。達成度を測るのだ。

 この方式は私が属していた会社のオリジナルではない。どこの会社でも導入している、一般的な能力主義の評価方法である。私は前社を否定する者ではない。前社が導入していた、能力主義を標榜する評価方法に、その制度に疑問を感じる者である。
 それで、あえて書くが、これっておかしい。
 一見、個人の意志で目標を決めさせる自由でリベラルな方法に見えなくもない。でも矛盾を抱えている。達成度で測るのなら、「予め目標は低くしておいた方が得だ」、と人は考えるものだ。
 組織は組織の目標を低く見積もる。個人は個人の目標を低く見積もる。それが期末の評価の際のリスクヘッジになる。
 先ほど個人の目標で「売上げ1割アップ」と書いたが、利口な社員は普通、こんな目標は設定しない。だって、自らを苦しい立場に追い込むことは目に見えているのだから。心の中では1割アップを目指していても、シートには5%と書き、そして、密やかに1割を目指す。
 しかし人間とは不思議なもので、密やかに1割を目指していても、シートに書いた数字が低ければ、期中には心の目標もシートの数字と入れ替わる。
 つまり“今期目標シート”は自然と、目標を低下させる働きがあるのだ。

 もうひとつ具体例を。能力主義はリベラルでフェアーをうたっているから、結果をディスクローズする。つまり人事評価を個人に伝える。そして結果が、収入に直結する。
 これって、とってもいやなものだ。例えば目標に達しなかった場合。当然、自分でも結果は分る。しかしそれが、他者の評価として現れたら。その時点で評価は、自分の働きの結果から、上司の恣意的な好き嫌いと変化する。自分でも、「今期は頑張りが足りなかった」と思っていても、「部長が俺を嫌っているからだ」となる。結果、上司に対して個人的な恨みの感情が残る。

 実際、仕事の成果や能力を評価することは簡単ではない。完璧な評価は不可能だともいえる。常に評価は不完全なものだ。だからどう評価されても、評価される方は不満が残る。以前の人事制度ならば、その部分は曖昧にすることで逃れることができた。しかし今は、そこを白日にさらす。

 能力主義、あるいは能力評価主義は、評価結果を個人に伝えることで、個人のやる気を引き起こせると考えている。前回は“A評価”だったが、今回は“B評価”だ。次回はもっと頑張ろう。あるいはボーナスが10万円減ってしまった。次回は頑張ろうと。

 能力評価主義はあまり人間を分っていない。人間はそんなに単純なものではない。給料が上がったからさらに頑張るだとか、下がったから、次回は挽回しようとか、そんな単純思考で人は動くものではないのだ。
 また、能力評価主義は仕事を見下している。仕事とは崇高なものなのに。たとえば原発事故に対応している作業員を考えて欲しい。彼らは命を懸けて働いている。それはなぜだろうか。査定を良くするためだろうか。そんなはずがない。100%断言できる。査定のために被爆を覚悟で働いている作業員は一人もいない。
 では何が彼らを突き動かしているのか。それは家族や日本の将来のため、であろうか。きっとそれもあるだろう。しかし私はそれだけではないと思う。もっと身近な要素がある。それは仕事に対する誇りと責任感だ。家族は離れたところに住んでいて、原発の被害を受けないかもしれない。日本の将来には、貢献したい気持ちはあるだろうが、あまりに遠大でピンとこないかもしれない。でも、原発現場に向う。それは日々従事している仕事に誇りを持っているからだ。自分が与えられた仕事に責任を感じているからだ。

 原発作業だけではない。普通のサラリーマンだって原則は同じだと思う。みな仕事に誇りと責任感を持っている(差異はあるだろうが)。それこそが仕事へ対する原動力だ。

 さて本題の年功序列についてだが。
 冒頭にはちょっと極端な話を書いたが、最近までどこの組織でも採用していた日本の年功序列制度って、実際年齢だけで人事考課をする制度であっただろうか。そんなはずはない。それだけじゃ、いくらなんでも長い年月を渡れない。
 たとえば役所のように、今も年功序列が残るといわれる社会がある。しかしそこでも能力はそれなりに影響する。事務次官にまで上り詰めるのは、同期に一人だけだ。その一人を決めるのは能力である(おそらく)。そしてそれは、長年かけて人物を見極めた能力評価の結果である。
 そうなのだ。日本の年功序列は時間をかけた能力評価主義でもあるのだ。
 
 現在、各社が競って採用をしている能力評価主義はショートタームで人を評価をする。一方、年功序列は10年、20年の単位のロングタームで人を見極めていく。

 もうひとつ年功序列制度の特徴は、評価者が複数であるということだ。ロングタームの評価であるから、上司は複数になる。たまたま気が合う上司もいるだろうし、合わない上司もいるだろう。つまりどうしても恣意的になりがちな評価を客観的に変える力が年功序列にはある。

 古くて現在の社会に対応できていない制度はある。そうした制度は改良すべきだろう。しかし古い制度がすべて悪とはいえない。古いということは、長い風雪に耐えてきたということだ。それだけ安定しているともいえる。その長い間に、マイナーチェンジは繰り返しているのだろうから、精度は上がっているし。

 年功序列にも問題はある。しかし日本の社会はそれにかなりの改良を加えてきた。名称は年功序列だが、実際にはかなり能力主義を取り入れた制度である。名前に惑わされてはいけない。
 能力主義はよい名称だ。でもこれも名前に惑わされてはいけない。能力を正確にくみ取ることに、能力主義は未だ成功していない。未熟な制度だ。
 
 賢明な日本人のことだから、もうすでに気付いていると思う。こんな私でも感じているのだから、多くの優秀な経営者は理解しているはずだ。だから変っていくのだろう。今の能力主義は、あまりに稚拙である。
 年功序列は名称を変えた方がよいだろう。換骨奪胎は日本のお家芸である。年功序列がさらに磨きをかけて、カムバックする日は遠くないだろう。

はたして老人は弱者なのだろうか


 逗子の市報によく“オレオレ詐欺に注意”のお知らせが掲載されている。銀行に行けばポスターが貼られ、ATMではCautionが流される。随分、沢山の老人が騙されているみたいだ。

 オレオレ詐欺は許しがたい犯罪である。知力の衰えた老人を騙すなんて。とんでもない奴らだ。でも、老人って、そんなに騙しやすい対象だったの?

 常々、不思議に感じていた。老人って、騙しやすいのだろうか。

 ちょっと前までは、老人は知者として捉えられていた。若者が人生の岐路に立つとき、困難に出会ったときは、老人に相談をしたものだ。なぜなら、老人は豊富な経験と智恵を備えていたからだ。
 でも、今の老人ってどうも違うようだ。

 確かに今の老人は、辛い立場にある。例えば職業だ。今の職業は大抵、古い経験が生かせない。私の前職はネット関連であったが、ネットの世界はドッグイヤーである。10年前の知識はすでに時代遅れだ。新しい知識をどれだけ有しているかが鍵である。私は1994年にアメリカに留学をして、黎明期のインターネットビジネスを学んできた。当時のブラウザーはMozaicであった。画像情報はほとんどなく、文字ばかりだった。当然、スクリーンはモノクロだ。当時のネット系企業の雄はアメリカオンラインやプロディジーだ。今はもう両社ともない(アメリカオンラインはあるんだっけ?)。そんな経験や知識は、今やただの自慢話にしかならない。仕事としては生かせない。
 昔の人の主な職業といえば、農業だろう。それも人力中心の。農業も技術革新があるのだろうが、例えば昭和30年代ぐらいまでの農業は、江戸時代とさほど変っていなかったと思う。そうすると、過去の経験が宝となる。いつ種をまくべきか。イナゴが発生したら、どう対応すべきか。日照りが続いたらどうしたらよいのか。そうした問題の解決策は、老人が知っていた。だから老人は尊敬された。
 昔の家の主な形態は、大家族だった。大家族の長は、偉かった。なぜって、家の所有権を握っていたから。そして長はたいてい老人である。家を継ぎたい息子や娘は、爺さんや婆さんに頭が上がらなかった。機嫌を損ねて、家を相続できなかったら困る。

 今は前述のごとく、仕事上で経験を若い人に伝授する機会は少ない。ほとんどの職業において、古い経験は役に立たなくなっている。
 またスタンダードな家族形態は核家族である。親の威光は子供達が住むマンションまでは届きにくい。

 こうしたことは現代の老人の立場を弱くしている。でも、それにしても、である。ちょっと最近の老人って、ひ弱すぎないだろうか。

 昔は騙されるのは社会経験の乏しい若者と相場は決まっていた。年寄りは海千山千で難攻不落。誤って老人を騙そうとしたりしたら、手痛いしっぺ返しを受けることを覚悟しなくてはならない。
 たしかに歳を取れば体力は低下する。脳細胞も萎縮する。しかしそれを相殺する智恵と経験を老人は蓄えていたはずだ。

 今、長谷川町子といえば「サザエさん」だろう。でも以前は「サザエさん」と同じぐらいに「いじわるばあさん」の人気があった。でも今は、あれを見ても現実感がない。あんな婆さんはいないから。いや、意地悪な婆さんはいるだろう。でも智恵のある婆さんがいない。
 昔の年寄りならば、オレオレ詐欺に今のように易々とひっかかる人は少なかったはずだ。いじわるばあさんよろしく、若者犯罪者を懲らしめる猛者もいただろうに。

 今の老人のひ弱さを嘆いてばかりいても仕方がない。老人をこれからタフにすることは難しい。現状は受け入れ、やはり社会が保護し、手を差し伸べていく必要がある。
 しかし、これからの年寄りは、まだ対応が打てる。そう、我々以降の年代は準備期間があるのだ。我々は先輩の失敗から、学ばなくてはならない。
 ただ漠然と今と同じように生活をしていたら、20年後にはオレオレ詐欺の良いお客になること間違いない。今から対策を打つべきだ。

 私が思うに、今の老人が社会的弱者になった一番の要因は、仕事である。そんな研究や記事は読んだことがないが、オレオレ詐欺の被害者は仕事を持っていないのではないか。つまりリタイアした人たちだ。現役で働いている老人でオレオレ詐欺の被害者になった人がどれだけいるだろうか。きっとほとんどいないに違いない。

 サラリーマンには定年がある。某新聞社の会長のように会社規定を曲げて居座る権力と図々しさがないかぎり、必ず定年は訪れる。普通は60歳から65歳。今、オレオレの被害に合っている方々は60歳定年組みだろう。被害に合ったのが80歳として。20年間も仕事から離れている。仕事から離れているということは、社会的責任から開放されているということだ。社会的責任を20年も持たなければ、たしかにひ弱になるはずだ。
 そこで我々世代、ないしさらに若い人達の解決策だが、それは単純である。ただ仕事を続けることだ。今は法律で65歳まで雇用を継続しなくてはならないことになっている。でも65じゃ駄目だ。生涯、働き続けなきゃ。
 そんなの、いやだって? でも昔はみんなそうだったんだ。死ぬまで畑に出ていたし、算盤を弾いていた。女性は孫や曾孫の面倒を見て、嫁達を統率していた。ボケる暇なんてなかった。
 それに働くことは決して苦役ではない。それはキリスト教の思想である。日本人は働きに生きがいを感じていた。また元に戻ればいいだけの話しだ。
 ただ、会社が雇用を90歳まで延長してくれるとは考えにくい。いつかは当然、会社を辞めなくてはならない日が訪れる。
 ならば早いうちに生きがいを持てる、新たな何かを見つけてみてはどうか。その何かは、仕事が一番だが、趣味でも良い。ただ責任があるものでなくてはならない。だからゲートボールなんかはNGである。プロを目指すのなら別の話だが。社交ダンスなんてのも、お勧めできない。これもプロを目指すのなら別であるが。ボランティアでもよい。町道場で武道を教えるのでもよい。絵を描いて、個展を開いて、販売してもよい。新たに商売を始めてもよい。なんでもよいから、何かを責任があることを始め、続けるのだ。

 そうしたら老後は楽しいものになる。やはり頼られる生活は張り合いがある。脳細胞もそんなには収縮しない、多分。
 私は白川静とか鈴木大拙とか、高橋竹山とか、レヴィ=ストロースとかが、好きだ。彼らの共通点は長命なこと。それと生涯現役であったことだ。竹山は88歳、白川静と大拙は96歳まで、超一流の仕事を続けていた(レヴィ=ストロースはなんと100歳まで生きたが、晩年の仕事振りは知られていない)。
 きっとこのスーパー爺さんたちにオレオレ詐欺が電話をかけたら、返り討ちにあったことだろう。

神様がやってきた


 先週の金曜日、産経時代の先輩が家に遊びに来てくれた。先輩のことを私は“営業の神様”と呼ぶ。
 神様はいつもニコニコ笑顔を絶やさない。高圧的なクライアントに対しても、頭の悪い上司に説教されても、生意気な部下に逆切れされても、常にニコニコ、自分のペースを崩さない。

 有能な営業マンとはどのような人のことを指すのであろうか。一般的には抜群の営業成績を残すセールスマンのことを言うだろう。私もその定義には異議を唱えるつもりはない。ただ自分が目指す営業マンではなかった(私は産経新聞社時代の数年間、ネット広告の営業をしていた)。
 私は広告を担当していた時代、結構、数字を上げる営業マンであった。しかし誰も私を優秀な営業マンだとは思っていなかっただろう。ただ運がいい、あるいは要領がいいと捉えられていたと思う。私は自分のことを要領がいいとは思わないが、運は良かったと思う。そして優秀な営業マンであったと、微塵も思っていない。
 私は当時、産経Webとフジサンケイビジネスアイ(FBI)の広告を担当していた。私が担当してからは常に、この2サイトは前年比で50%以上を売り上げていた。約2年間、担当していたと思うが、最初に引き継いだ数字の5倍ぐらいまで、この2年間で売上げを伸ばしたと思う。
 なぜ私が売上げを上げられたかというと、新技術を次々と採用したからだ。その点、私は躊躇がなかった。数字を上げられるのならば、古い習慣は簡単に切り捨てることができた。アフィリエイトやネットワーク広告を新聞社系サイトで最初に採用したのは、多分私だと思う。以前、グーグルのラリー・ペイジと話したことがあると書いた。それはグーグルが日本で最初に提携した新聞社が産経で、それを担当したのが私であり、そこでグーグルが私をあるパーティに呼んだからだ。グーグルに限らず、いくつも新聞業界初という提携をした。
 私が数字を上げたのは、たまたまネット広告の隆盛時であったからだ。さらに保守的な新聞社が手を出さない新技術を積極的に取り入れたからに過ぎない。これはちっとも有能さとは関係がない。
 優れた営業マンとは決して、一定の期間、数字を上げる人のことを言うのではない。有能な営業マンは先輩(以下、神様)のような人のことを言うのだ、と私は思っている。

 神様はぶれない。このぶれない、ということは一定期間、数字を上げることよりも重要である。これはどの分野においても該当する。昨今、ぶれない政治家が渇望されているようだが、政治家もしかり。そして人間ばかりでない。機械もでもそうだ。あるときは爆発的な力を発揮するマシーン、というのがあったとしたら、そんなものはかえって信用が置けない。常に同じペースで同じ基準の製品を作り続けるマシーンこそが優秀な機械なのだ。
 ところが、これがなかなか難しい。とくに対人関係においては困難を極める。営業なんてものは、ほとんど100%が対人関係の連続である。この日々の業務において、常に同じペースでいられることが、どれほど難しいことか。
 普通の人は、日々変化する。腰が据わっていない。相手によって、相手の機嫌によって、こちらも機嫌が良くなったり、悪くなったり。すると回りもそれに引きずられて、精神状態が不安定になる。ところが常に安定した対応ができれば、周りも安定するのだ。
 神様はまさに周りを安定させるスキルを持っていた。激昂する相手に対して、常にニコニコ。怒りはそう持続できるものでは、ない。やがて神様の術中にはまり、相手は神様のペースに落ち着く。やたらと調子の良い人というのもいるが、これは曲者のことが多い。このようなハイテンションの相手に対しても、神様は常に泰然自若、決して軽はずみな行為には出ない。
 だから神様は結構、チャンスを逃す。営業には潮目があり、何をやってもうまくゆくときというものがある。しかし神様は、この潮目にも悠然と構える。その結果、乗り遅れることも結構、ある。
 やたら熱い上司が自分の上に来ることもある。そんなとき、普通の人は上司のペースに巻き込まれて、無意味な残業したりする。こんな場合も、神様は自分のペースを決して崩さない。自分が決めた終業時間には、ニコヤカに背広を翻して帰っていく。
 これが神の所業だ。

 金曜日、神様は拙宅に泊まっていった。最初から泊まっていく予定だったので、じっくり腰を据えて二人で飲んだ。相変わらず、神様は泰然自若であった。
 談論風発、口角泡を飛ばし話が盛り上がったことは言うまでもない。しかし今、思い返してみると、好き勝手なことを言ったのは私だけで、神様は常にニコヤカに受身であったように思う。神様の柔らかな受身の術中にはまり、しこたま飲み、最後はすっかり酔っ払ってしまった。
 翌朝、二日酔いで目が覚めると、神様はすでに起床されていた。酒はまったく残っていないとのことであった。神様は酒にも強いのだった。

空は青く高いぜ


 「盤上のアルファ」という小説を読んだ。最近、小説現代長編新人賞を取った作品である。新人で荒削りだが、非常に力のある作品だ。ほぼ同時期に読んだ花村満月の「裂」より数段、面白かった。ちなみに満月氏は、小説現代長編新人賞の選考委員である。
 この小説の中で、33歳無職の主人公が次のように語る場面がある。「たまに夜寝られへんときがある。急に不安になるんや。そういうときに限って普段は貧弱な発想が活発になりよる。五十歳ぐらいの自分の姿がリアルに浮かぶんや。一人でな、部屋の中でポツンと立ってる。西日の強い寂れた部屋や。もうやり直しきかんやろ。このまま死ぬんやろなって思うと、気ぃ狂いそうになる」

 俺は主人公に言ってやりたい。五十歳ぐらいになって、仕事がそんなになくても、それほど悪いもんじゃないよ、と。
 俺も会社を辞める直前は、この主人公のように想像した。蓄えはやがて底を着き、ローンが残る家は手放し、四畳半一間のアパートで侘しく暮らす。家族はいない(当時は独身だった)。尋ねてくる友もいない。いるのは台所を這いずり回るゴキブリぐらいだ。
 しかし同時に、いや違う、という思いも生じた。それは心がけ次第だ。そう思えば、そうなるのだ。人は自分が顔を向けた方向に、必ず進む。
 俺はそっちに歩を進めるつもりはない。自分の行きたい方向に視線を向けて歩くのだ。経済的な挫折を味わうかもしれない。世間の風の冷たさに身震いすることもあるだろう。しかし南に向って歩きさえすれば、そんな侘しい気持ちは湧いてくることはないはずだ。
 実際、俺は侘しさを感じることはない。たまに落ち込むこともあるけども、総じて明るい。わが経済は宜しくない。生活は厳しい。将来は不確定だ。主人公の想像と、そう差異がある生活をしているわけではない。でも、気持ちが違う。俺の中にはたそがれは、存在しない。

 やる気さえあれば、何とかなるよ。俺はたまたま翻訳と出会い、それによりかろうじて糊口を凌ぐことができている。今のところ、ローンも滞納なく払い続けている。
 たしかに不安定である。先月は仕事がドサっと来たが、今月はスカスカである。来月はまったくの未知の世界だ。
 しかし空は青い。そして高い。この感覚が分るだろうか。
 サラリーマンとのきと、空の青さが、空の高さが、違うのだ。今日は晴れている。ここ逗子は南関東に位置し、冬の天気はすこぶる良い。俺の南向きの書斎は日差しが強すぎて、今はカーテンを締めているが、開ければそこには空がある。その空は青く高いのだ。
 この自由感はサラリーマンでは味わえないものだ。いや、命がけで仕事に取り組んでいるサラリーマンは違うだろう。仕事を心から楽しんでいるサラリーマンは、きっと空が高く青いだろう。しかし俺は違った。俺のサラリーマン生活は、灰色な雲が低く垂れ込んでいた。だから誰にでも当てはまる定義ではない。しかし俺の場合は、今の方が空は青く高い。

 会社を辞める数年前に、かつての上司でその後も仲の良い先輩と飯を食っていたときに言われた。「山本、絶対会社を辞めちゃいかんぞ。辞めたらしまいだ。どんなに辛くても辞めるな」と諭されたことがある。別に会社を辞めたいと相談していた記憶はないのだが、きっと俺の言動からそう推測して言ってくれたのだろう。
 しかし俺は思った。「分ってないな、このおっさん。世界は広いんだ。あんたが知っているのは、この産経新聞社という小さな社会だけだろう。しかし実はその外に、違う世界が広がっている。きっと。俺もよくは分らないけど、多分そうだ。このまま低く垂れ込めた雲の下で、一生終えたくはない。忠告はありがたいが、俺は俺の道を進みたい」
 元上司は好意で言ってくれた。だからそんな失礼なことは、当然口には出さなかった。そして、感謝を今もしている。現在でも連絡をたまにとる、敬意を抱く先輩である。

 今朝、リビングでこの小説を読んでいるときに、フクちゃんと大チャンが膝の上に来た。最近は寒いので、ここが彼らの定位置である。
 猫の頭を撫ぜながら、思う。やっぱり俺の選択は間違っていない。

膝の上の福ちゃん、大チャン
あくびするフクちゃん

膝の上の大福





俺って勝ち組なの?


 以前、会社(産経新聞社)の後輩から「山本さんて最高の勝ち組ですよね。みんなそう言ってます」と言われたことがある。はっきり言って、耳を疑った。
 私はそのときまで自分のことを勝ち組だと意識したことは一度もない。それに、もとから勝ち組だとか負け組だとかの概念が自分にはない。そこで無理して考えてみても、どうしても自分が勝ち組だと思われているのかが想像さえできない。そこで尋ねてみた。「どうして?」

 後輩が答えた理由を分類すると以下のようになる。(1)有給休暇をたくさん使っていた。(2)疾病休暇もたくさん使っていた。(3)選択退職制度を利用して退職金をたくさんもらった。(4)バツイチなのに若い奥さんをもらった。以上。

 この4点である。この話を聞いて、思ったこと。このブログはその後輩も読んでいるかもしれないが、正直に書く。「しっかりせよ、後輩」
 こんな理由で俺は勝ち組なのか。そして君らの人生の価値基準とはこの程度のものなのか。

 勝ちとか負けとかは、どうでもよいと思っている。そんなこと、他人や社会が決められることではない。個人の気持ちの持ちよう次第だ。
 こうした概念が存在することは、もちろん知っていた。そこであえて一般に流布する基準で自分を評価するとしたら、自分は間違いなく“負け組”だろうと思っていた。
 だって世間的に見れば、俺って下降している。最初に入った会社は超高給会社で、そこから普通の給料の会社に移って。それでも最初は、結構どういう訳か上司から嘱望されていた。それで留学制度に合格することもできた。その結果、修士を取ることもできた。産経の留学制度で修士を取った人は、たぶん自分しかいない。帰国後はまだ、多少は期待されていたかもしれない。大きなプロジェクトも任されたりした。でも、段々と自分と会社の指向する方向が乖離しはじめた。結果、なんとなく風当りが強くなってきたことに気付くようになった。
 同期のうちに出世するものが現れ始めた。もとからプロモーションにはまったく興味がなかったが、それでも鈍な自分でも気づくようになった。「ああ、俺ってラインから外れたな」。
 産経を辞めた時点の自分の肩書はなし。つまり平だった。早いやつは後輩でも、局次長になっていた。
 それがだ。俺って会社の後輩からは産経一の勝ち組と思われているらしいのだ。まあ、ほんの一部の連中が、きっと飲みながらでも、面白おかしく話した結果だと思うけども。

 たしかに有給休暇を、だいたい全部使い切っていた。入社して最初のころから、結構使っていた。それでも最初は遠慮して、半分ぐらいしか使っていなかったが。それでも多く使っている方だった。入社して10年ぐらいしてからは、ほぼ全てを使い切っていた。他の会社もきっと同じだと思うが、会社からは毎年20日(たぶん)の有給休暇を新規でもらった。累積できるのは40日だった。入社して数年で40日は届いた。それ以降は新規でもらった有給休暇は、40日を限度に自動的に切り捨てられる。
 有給休暇は社員の権利だ。名称も有給とついている通りに、これって給料の一部みたいなものだ。かりに20万の給料を毎月もらって、それで15万円しか使わなかったからって、5万円を返却する人はいない。同じように休暇でも考えた。そこで計画的に毎年20日の有給休暇を消化した。
 たしかに私のように毎年の有給休暇を使い切る社員は、まわりにはいなかった。ひとりもいなかった。自分では、自分が使い切っていることはあえて人には言っていない。でも未だに後輩たちの間で、自分の話題が出るということは、相当目立ってたんだね。知らなかった。
 でも言わせてもらえば、それは産気新聞社の特殊性かもしれないよ。だってその前に勤めていたHSBCという英国系の銀行では、みんな有給を100%消化していたもんな。
 まあきっと、産経が特殊なんでなく、HSBCが特殊だったに違いないが。

 疾病休暇だが、これは神経鞘腫を手術したときに使った。全部で4か月休んだと記憶している。これは、本当はもっと休めた。ただそうすると、休職中の給料が下がる。最後はゼロになる。でも1年ぐらいは休めたと思う。
 いや違う、違う。こんなことを書くと、休むために休んだように思われてしまう。あれは本当に病気で休んだのだ。仕方がなかったのだ。でも休日も出勤するような後輩達には、うらやましく思えたのだろう。
 病欠をしているときはちょうと夏だった。神経鞘腫の手術で背骨の一部を切断して、しばらくは動くこともできなかった。だからリハビリが必要だった。でも内臓なんかは元気なままである。だから気持ちは元気なのである。そこで元からトレーニング好きな私は、思い切りリハビリにいそしんだ。毎日、海まで歩いていき、海水浴をしたのだ。晴れている限り、毎日海へいった。
 その結果、筋力はめきめき回復した。4か月後には、普通に歩くことも泳ぐこともできるようになった。走ったり、合気道の稽古は無理だったが、普段の動きはまったく支障なくできるまで回復した。さらに変わったことがあった。信じられないぐらいに真っ黒になってしまったのだ。
 4か月の疾病休暇を取得した私は、会社復帰第一日目で多くの仲間や先輩、そしてとくに上司から、とても冷ややかな目で、会社復帰を祝福された。そりゃそうかもしれない。ハワイ旅行へいった社員よりもずっと真っ黒だったんだから。
 でも私は別に負い目は感じなかったよ。そうでしょ、悪いことは何もしてないもん。

 選択退職制度だが。これは何度かあったようだ。私はその中で最初の制度を利用して、会社を辞めた。その結果、その後の制度で辞めた人よりは退職金が多かったらしい。
 これも前から辞めたかったから、よい機会だと思ってやめたまでだ。ただ、おそらく今回が最高額になるだとうはと予想していた。
 退職制度が発表になると、すぐに他社の動向を調べたからだ。当時はリーマンショックの後で、多くの会社が選択退職制度を実施していた。調べると初回目の退職金が、どこの企業も一番高いことがわかった。
 でも利に走って、一回目にしたわけではない。それよりも、早く辞めたい気が強かった。

 最後の嫁さんについて。これは単なる縁だもんなあ。別に若ければいいってもんじゃないし。
 結婚を決めたときにはまったく歳のことは意識しなかった。かみさんはどうかは知らない。でも自分にはなかった。彼女の歳がもっと上でも、下でも、結果は同じだったと思う。たぶん、いや。今、ちょっと考えてみたけど、もしかしたら違ったかも。
 それでも、そのときは本当に、若いからこいつがいい、なんてことは思わなかった。今、一緒にいると確かに若いことは良い、と思うことが多い。でも、仮に同年代の女性と結婚しても、俺はきっと、同年代でよかったと思うだろう。

 ということで、自分の中では、とくに意識しないで選択してきたものばかりである。ここには努力とか計画とかはない。だから、これをもって勝ち組と言われることには、戸惑いを覚える。

 ただもうひとつ、正直に告白しなくてはならない。この発言を聞いて、思ったことがもうひとつあるのだ。
 それは、「なんだか嬉しいぞ」、というものだ。やっぱり俺は俗人である。
 

若い証券マン


 今さっきインターホンがなった。僕は2階の書斎で仕事をしている。インターホンの受話器は1階にしかない。階段を駆け下りて出ると、証券会社のセールスマンだった。
 うちには証券会社のセールスマンがたまに訪れる。1階まで駆け下りて、セールスマンだと分かるとがっかりするが、それも運動だと考え、なるべく横柄にならないようにしている。というのも証券会社のセールスマンは大抵新入社員で、とてもおどおどしているのだ。
 今日のセールスマンは若い男性だった。昨日は同じ証券会社の女性がやってきた。別の証券会社も、この1年で2人来た。ひとりは男性、ひとりは女性である。みな若い。

 何度も来るので、仕事がないときには相手をすることもある。それで色々と話を聞いた。ある証券会社のセールスウーマンとは、特に話し込んだ。というのは、相当な美人であったからだ。
 その子は有名女子大を出て、某大手証券会社に入社して2年目の女性だ。仕事にとても燃えているという。化粧もちゃんとしていて一見派手目だが、中身は相当しっかりとしている。高校時代は新体操、大学ではコーヒーショップのバイトに明け暮れていたそうだ。新体操でもそれなりの成績を残し、コーヒーショップでは、そこは世界的なチェーン店だが、バリスタの大会があり、神奈川県で優勝だか準優勝をしたそうだ。何でも一生懸命に取り組むタイプだ。今は証券業務の仕事と勉強に打ち込んでいるという。
 その子に聞くと、せっかく大手の証券会社に入社しても、1,2年で半分ぐらいは辞めるそうだ。そうだろう、と思う。
 飛び込みで住宅街を回るのはしんどい。僕はなるべく不遜にならないようにしているが、それでも忙しいときには、インターホンで「忙しい」とはっきり断る。あの女の子に聞いたが、1日100件ぐらいまわって、話を聞いてもらえるのは5軒程度だという。昼食はどうしているのかと聞くと、パンを買って公園のベンチで食べているという。雨の日はと、尋ねると、傘をさして食べるらしい。冬は寒く、夏は蚊に悩まされる。
 今まで大学で、コンパだ旅行だと遊びまわっていた大学生が、厳しい就職戦線を勝ち抜き、やっと入った大手の証券会社。しかし仕事は外回りの営業で、インターホンで冷たいあしらいをうける。そりゃ、辞めるだろう。

 今の若い子はこれだけの就職難の時代であるのに、1,2年でかなりの率が会社を辞めてしまうらしい。証券会社でなくても、どこも仕事は厳しい。世間の風に当たれば、ひ弱な心と体である。一時退却したくなるのも無理はない。
 僕はこの子たちの諦めの良さを責める気にはなれない。むしろ辞めて当然だと思う。若いとはそういうものだし、仕事を選択することは、とても難しいことだからだ。
 むしろ問題は企業にある。人材の流動性の悪さに問題があると思うのだ。
 日本の企業の美質に終身雇用がある。僕もこの制度には賛成だ。しかしドロップアウトしてしまった人にも、同時にチャンスをもっと与えて欲しい。いや最近は転職者を採用する企業も増えているではないかと、反論される方もいるかもしれない。しかし同じ会社がまた同じ人を採用することはないだろう。これも励行して欲しいのだ。
 とくに若い人には。冷たい雨の中、公園でパンを食べていて、突然会社を辞める決心をしてしまった子に、もう一度チャンスを与えて欲しい。もしその子が、もう一度その会社でやり直したいと考えた場合は。
 きっとその子は、前に益して意欲的に働くはずだ。

 別の会社に転職する場合も、同じだ。1,2度の転職者には今の企業は寛容であると思う。しかし3度、4度となると別だろう。そんな子は、どうせまたうちの会社も辞めてしまうだろうと判断して、採用を控えるだろう。しかし20代は特別対応で良いのではないだろうか。30代になっても、腰が落ち着かないのは、それは明らかな欠陥だ。しかし20代ならば、それは人生の模索であると考えて欲しい。
 僕も最初の会社は1年で辞めた。次に入った新聞社は結局20年以上勤めたが、それはたまたまの偶然である。実は新聞社に入社して2年目あたりで、一度会社を辞めると上司に訴えたことがある。その時は上司に諭されて、残ることにした。さらにもう一度は、会社に内緒で大学院を受験したこともある。落ちてしまったので、会社を続けたが、受かっていたら辞めていた。みな20代の頃の話だ。
 あの若い証券マンたちは、何を思いながら仕事をしているのだろうか。

働き方で社会は変わる!?


 今回で6月は10回目の更新。前回は22日に更新したから、約1週間ぶりだ。
 最低、月に10回は更新したいと思っている。今日でようやくノルマを達成した。ふうふういいなかがら、どうにかの達成だ。
 何でだろうなあ。最近、力が湧いてこない。長い中だるみが続いている。

 さて、よく訪れるブログに、「ノマドライフ 年収300万円からの資産形成」というのがある。介護施設で働いている男性が、低収入ながら、支出を抑え、投資に励んで、アーリーリタイアを目指すお話しだ。
 そのブログに、年収100万円で生活ができる。消費を抑えた、圧倒的なローコストライフが、これからの生き方になるという内容が書いてあった。
 僕も会社を辞める前には、年間100万円ぐらいで、生活ができるのではないかと予測していた。しかし僕の場合は、とても無理なことが判明した。どうしたって、最低でも年間300万円はかかってしまう。
 僕自身も、相当な節約生活を励行しているが、それでも結構な額が毎月飛んでいく。たしかに食費と光熱費だけなら、月々10万円でおつりがくる。しかし生活には住居費がかかる。これが結構、大きい。うちは持家だが、ローンの支払いがある。ノマドライフのブロガーさんは、市営住宅に住んでいて、市営住宅は収入によって家賃が変動するらしく、毎月1万だか2万だかしかかからないそうだ。しかし失業したからといって、銀行は借金を棒引きしてくれるわけではない。これが多分、一番大きい支出である。固定資産税もかかるし。
 それと、交際費ですね、比較的に大きいのは。外で友人と飲めば、それなりにかかる。親戚付き合いも僕は重視しているので、外すことはできない。実家には数か月に一度、帰るようにしている。帰れば手土産を持っていく。盆と正月には親戚の集まりがある。墓参りもたまにだけど、出かける。実家にはお歳暮を贈る。知人の結婚、出産もなるべく祝いたいと考えている。
 これは交際費とは言えないけど、合気道の費用もちょっとばかりかかる。文京と逗子の会費が月々別にかかる。文京への交通費は、一回で2000円ぐらいになる。稽古の帰りに食事や飲みに誘われることも多い。忘年会や演武会の後の打ち上げなんかもある。
 でも、交際費といったら、月に5万円はかからないぐらいだろうか。これぐらいは普通に社会生活を過ごしていれば、仕方がない。別に文句はないし、これ以上節約するつもりもない。
 他に前回も書いたが、僕は家の修繕積立金制度を採用していて、これが毎月3万円。それと同様の制度を自動車にも採用している。某銀行の口座を開設して、これも毎月3万円入金している。ガソリン代や高速代、保険、税金なんかの自動車関連費はすべてこの口座から引き落としている。年間に36万円プールすることになるが、実際には半分程度の支出ですんでいる。なので、ちょっとずつ預金額は増えている。100万円を超えたら、次の車を買おうかと思っている。ちなみに今の車は14歳で、あと2回ぐらいの車検が寿命かなと考えている。
 他にも積立金をしている。それは家電積立金。冷蔵庫とかエアコンって、突然壊れるでしょ。そして高い。エアコンなんて20万円ぐらいはする。ぎりぎりの生活を続けていて、いきなり20万円は痛い。なのでこれも積立をしている。毎月、1万円。
 まだありますよ、積立金。僕はすでに会社から退職金を受け取ってしまっている。なのでもう、だれも僕に60歳になったからといって、退職金はくれない。そこで誰もくれないなら、自分であげようと決意し、これも積立金をしている。金額は内緒。
 こう書いてみると、純粋な支出はたしかに多くはない。ほとんどは積立金だな。この制度を止めれば、相当に生活費を抑えることができる。でも結局は、突発的な出費は避けられず、同じかな。

 なんだか細々とプライベートな支出を書いてしまったが、本当は今日のテーマはこんなことではなかった。経済についてだ。ノマドのブロガーさんが書いていた通り、消費を抑える生活がこれからは、見直されるのではと思うのだ。
 ところが、消費の抑制は経済の活性化を阻害すると考えられている。経済学者や政治家は、しきりに消費を奨励したがる。僕も少しばかり経済学を学んでいたので、理論は分かる。しかし腑に落ちないのだ。例えば上杉鷹山は節約で藩財政を再生し、今も名君として名高い。二宮尊徳も個人に節約の美徳を説いているが、戦前までは生き方のモデルケースとして扱われてきた。
 たしかに時代が異なるのだろう。江戸時代は国家も、藩や村落も、さらに家庭さえも、経済的にクローズドな組織だった。原則が自給自足だから、経済の流通は今のように重要な要素でなかったのかもしれない。
 しかし時代は、エクスパンドからサステナブルあるいはシュリンクな社会への移行している。

 消費の促進は、富の回転であり、分配に通じる。大切なのは消費と、そして労働だ。つまり富の分配方法だ。現代は格差社会だと言われる。収入の格差が拡大しつつある。そして失業率の上昇が問題になっている。
 ようやく書きたいテーマまでたどり着いた。つまりだ。現代は国全体が創出する富の絶対値が、国民が必要とする富の合計額を上回っている社会なのだ。しか有り余っている人がいる一方、欠乏している人もたくさんいる。分配がうまく機能していないからだ。
 もうこれ以上、個人の労働時間を増やして、さらなる富と積み増しても、分配を受けられていない人たちの経済状況は変わらない。GDPが増えても、失業者や低賃金労働者の生活が改善されるわけではない。 分配の方法を変えなくては、ならないのだ。
 ではどういう方法で、分配したら良いのだろうか。年金や生活保護の充実は、社会の沈滞を招く。やはり人は働いて、自ら糧を稼ぐ必要がある。しかし社会はこれ以上の労働は求めていない。働き手は足りている。
 ならばワークシェアリングしか、ないのではないだろうか。労働時間は1日8時間を限度としよう。残業厳禁だ。夏休みは、1か月は取得しよう。週休2日は絶対だ。ドイツやオランダは、20年も前から行ってきたことだ。当時は、これは欧州の没落の始まりだと囁かれていた。しかし未だにこれらの国の国民の生活レベルは日本よりも高い。
 そうだ、ワークシェアリングである。そうすれば人々に仕事は行き渡り、働く人の肉体的精神的負荷は軽減され、さらには観光や教育なんかの産業も元気になる。
 いいことずくめのような、気がするんだけど。

逆累進課税


 最近、台湾旅行やフレンチレストランなどリッチな話題が続いた。しかしこれはやはり非日常であり、足元を見れば、僕は決してリッチではない。いやむしろ今風に表現すれば下流社会の構成員かもしれない。
 最近、その下流社会と人たちのブログを読んでいる。本人が下流だと言うので、失礼かもしれないが、下流社会の人たちと呼ばせてもらう。
 その人たちのブログを読み、さらにここ数年、自分で確定申告をしてきて、感じたことがある。日本は下流社会でまともに働く人に対しては、逆累進課税を押し付けているのではないかということだ。

 例えば時給800円で、介護施設で働く人がいる。介護業界はパート従業員に依存しているようで、実際にこのぐらいの時給で働いている人は多いらしい。1日8時間、1週間5日働き、1か月を4週間で計算すると、この人の月給は128,000円だ。12か月間、祭日も正月もお盆も休まずに働いても、年収は1,536,000円にしかならない。(僕が読んでいるブログの管理人は、交通費も自己負担なので、実際はそこに交通費の負担が生じる)
 この人の、社会保険料と税金はいくらぐらいになるのかというと、逗子の場合だと以下程度だと思う。この数字は、以前自分のものを計算したときの数字の流用である。
 国民年金と健康保険で約40万円。住民税は約10万円。所得税が約5万円。合計、55万円だ。さらに消費税も当然かる。年間、80万円支出したとすると4万円。合計、60万円だ(59万だけど、だいたい60万円)。
 さらに家を持っていたりしたら、固定資産税もかかる。家の価値によるが、10万円ぐらいかな。これも含めれば、税金と社会保険料の合計は70万円だ。150万円程度の収入で70万円はかなりしんどい金額だ。

 翻訳者もこのぐらいの収入の人がゾーンとしては一番多いのではないだろうか。かくいう私もついこの間まで、このぐらいの年収だった。翻訳で月、10万円を稼ぐのは結構大変なことだ。
 毎月、10万円ちょっと稼いでいて、年度末に70万円をまとめて支払うのが、どれほど難儀なことなのか。想像は難しくないと思う。(例えばの話で、実際にはまとめて請求されるわけではないが)。

 以前、サラリーマンをしていたときには、低所得者の税金の低さに不公平感を持ったことがある。当時は収入が年間300万円だか、そのぐらいまでは無税だった。
 しかし今はどんなに少ない収入でも税金は徴収される。不公平感はむしろ、低所得者こそ感じていると思う。
 警察や消防、水道や道路など、公的サービスは誰もが受けているのだから、税金は支払って当たり前である。それはその通りだ。しかし現実として、毎月10万円ちょっとの収入でありながら、年度末に70万円の請求書(例えばのはなし)が送られてきたら、面食らうものだ。

 今は僕の収入も、多少だけど増えてきた。うちは奥さんに定職があるので、実際には生活は安定している。だから最近のブログのような、ちょっとリッチ風な生活を送ることができている。
 しかしまともに働いても、生きていくことが精一杯で、さらに公的負担で押しつぶされそうな人は多い。一方、巷間話題になりことが多いが、生活保護の不正受給者もいる。
 一元的な制度改正で、こうした問題をすべて解決することはできないだろう。しかし今の制度、および社会環境は、改善の余地が大きいように思う。
 下流社会の住人のブログを読んでいて、思ったことでした。

小規模企業共済に入った


 小規模企業共済というのをご存じだろうか。僕のようなフリーの人間や、個人事業主、規模の小さな会社の経営者が加入する退職金の積み立て基金だ。
 当たり前だがフリーの人間には退職金はない。まあ退職金だけでなくて、ボーナスもさらには月給だってないのだけど。
 そこで小規模企業共済に加入した。毎月、いくらかを積み立てて、廃業するとき、あるいは65歳を超えた任意の時点で積立金を降ろすことができる。退職金みたいな感覚で、お金が入ってくる。
 なぜこれに加入したのかというと、節税になるのからだ。積立額は全額、控除することができる。積立金の最高額は月額7万円である。年間だと84万円だ。この加入金を所得から差し引くことができるのだ。
 仮に所得税率が最低の5%だとしても、住民税の10%と合計して15%の税金がかかるので、84万円の15%だから、126,000もの節税効果がある。
 僕は全然届かないが、仮に800万円の所得があるとすると、所得税率は23%だから住民税率の10%と併せて33%。控除額は277,200円にもなるのだ。84万円の貯金で277,200円のリターンだ。すごいでしょう。
 僕の場合はそんなに余裕がないので、もっと少ない額で加入したが、それでもそれなりの節税になる。

 去年は所得が少なすぎて、経費を差し引き、青色申告控除などを除くと、所得がなくなってしまい税金をまったく払わなかった。今年はちょっとだが払うことになりそうだ。そこで節税対策として、先手を打つことにしたのだ。
 退職金がもらえるのも、悪い話ではない。自分の貯蓄と同じなのだが、気分は退職金だ。
 僕はサラリーマン時代に、会社に言われるままに、財形をやっていた。会社が契約している保険会社がモデルケースとして示した額を、そのまま財形として貯蓄していたのだ。
 これが退職時にものすごく役に立った。結構な額になっていたのだ。
 退職金と財形の解約金のおかげで、住宅ローンのかなりの額を返済できた。さらに翻訳業のスタートアップ資金として、それなりの金額を残すことができた。これがなかったら、僕はとうに干上がっていただろう。
 
 65歳のときに、自分がどのような状況であるのかは分からない。しかし退職金があっても悪い話ではないだろう。65歳のときの自分への仕送りである。
 今から積み立てていくので、それほどの額になるわけではない。それに積立額も少ないし。将来、余裕ができたなら積立額を増額することもできる。なるたけ増やして、65歳の自分に送ってやろう。
 

稲妻が瞬く瞬間


 ある人のブログを読んでいたらチャールズ・エリスの著書「敗者のゲーム」について書かれていた。僕は知らなかったが調べると、株式のインデックス投資に関する古典と言われるぐらい有名な本らしい。
 インデックス投資とは、個別の株式に投資するのでなく、日本ならば東証1部の全銘柄を網羅する投資信託に投資するなど、個別株のリスクを平均化する投資スタイルだ。
 著書の中でエリス氏は株式の値動きには「稲妻が瞬く瞬間」があるという。どういうことかと言うと、株価は長い目で見れば上昇傾向にあるが、なだらかに平均的に上昇するのではない。上昇するのはある期間に限られているということだ。当たり前に思えるかもしれないが、この“瞬間”というのが、非常に急激である。この瞬間を逃すと、株価の上昇をキャッチできない。
 例えば1980年から2008年にはS&P500は年利換算で11%上昇しているらしい。すごい。ところがだ、上昇率ベスト30日を除外すると、その利率は年利5.5%に減ってしまう。
 もう少し長いスパンで見てみよう。1971年から2008年までMSCIワールドというインデックスタイプの投信に投資し続けたとする。すると元本はなんと、約4倍にもなるのだ。これまた、すごい。ところがだ、上昇月のベスト5か月を逃してしまうとリターンは約半分に急落する。この上昇率のベスト期間が、「稲妻が瞬く瞬間」だ。日本株式は、きっと今がその瞬間だろう。

 なるほどである。僕は株式投資や投信にかれこれウン十年も挑戦しているが、平均すると負けている。怖くて計算したことがないけれども、きっと。
 平均で4倍も増えている環境で、なぜ負けることができるのか。改めて考えると、恐ろしいほど僕はセンスがない。
 もし20代からコンスタントにインデックスに投資し続けていれば、当に住宅ローンも繰り上げで完済できていたはずだ。そしたら、うんと楽なんだけど。
 そして、ふと思った。これって何もお金の話だけではないなと。例えば合気道でもそうだ。技の上達には、「稲妻が瞬く瞬間」というのがある。上達の上昇グラフはやはりなだらかな曲線や直線ではない。階段上の折れ線グラフになる。ある瞬間、一挙に上達するのだ。英語もそうだ。英語の上達にも「稲妻が瞬く瞬間」がある。
 仕事もそうだろう。同じ仕事を頑張って続けていれば、かならず「稲妻が瞬く瞬間」が訪れる。それを着実に掴んでいけば、仕事ができるようになる。昇進なんかもそうかもしれない。
 つまり続けることこそが大切なのだ。その点、僕はまさに「敗者のゲーム」のお手本のような人生を歩んできた。
 転職は1度だけだが、銀行から新聞社である。まったく前職のキャリアが生かせなかった。さらに産経に入ってからは、10回ぐらい局が変わった。同じ新聞社でも局が変われば仕事が変わる。変わるたびに、一からやりなおしだ。僕の局間の異動回数は、同世代では最多クラスだった。そして結局、退社をして、46歳から翻訳家を目指している。49歳にして、未だ新入社員みたいなものだ。

 まだまだ僕の人生には稲妻が瞬く瞬間は訪れないだろう。だって始めたばかりだもの。
 今後、何歳まで仕事を続けられるかどうか分からない。しかしなるべく長い期間、続けなくてはならない。そうしないと、一回も「稲妻が瞬く瞬間」が訪れないで仕事が、そして人生も終わってしまうかもしれない。そりゃ、困る。

プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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