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町の個性と逗子市の敷地分割制限

 逗子市から「建築物の敷地面積の最低限度の指定に向けたアンケート調査」(“の”が3つ続いてるよ。あまりよいネーミングのタイトルじゃないねぇ、正直)というものが届いた。なんでも逗子市住民、逗子に通う非住民、逗子市にある会社や商店などを対象に無作為に3000通出したそうだ。それが僕のところにもきた。こういうアイディアがあることはちょっと前から知っていた。
 そのアイディアとは、ある面積を最低限度として(逗子市は例として165平米をあげている)、それより小さくは敷地面積を分割できなくする規則を逗子市で設けるというものだ。今現在すでに小さい敷地はそのまま住むことができる。将来の分割を規制するルールなのだ。ちなみにこの案が通ると、僕の家は約200平米だから、将来二分割して販売しようとしてもできなくなる。

 この案についてだが、はっきり書こう。賛成である。確かに将来、家を売ろうとしたときに、販売形態は限定される。だから家は多少売りにくくなるだろう。すると資産価値が落ちるかもしれない。でも、いいじゃん。そんなこと。
 賛成の理由はいくつかある。まず町の景観だ。
 実は僕の住む地域には住民の自主協定があり、今現在より家を細分化して売ってはいけないことになっている。しかしあくまで住民の自主協定であり、罰則はない。さらに住民の自主協定だから、住民でない業者が介在すると、意味を成さない。この地域は約40年前に造成された住宅地で、住民の多くが70代、80代になっており、最近自宅を販売するケースが多い。個人に売る場合は比較的ルールは守られるが、業者に売るとほぼ確実にルールは無視される。この地域に元から建つ住宅は60坪から100坪が中心で、それをそのまま販売すると価格がかなり高くなる。それでは売れないということで二分割、三分割の建売で売ってしまうのだ。その結果、この地域の景観は変わってきた。まだそうした分割住宅の割合は少ないので、まだましなのだが。これも時間の問題で、このまま放置すれば確実に住宅地は細分化され、景観は大きく変わるだろう。きっと、全世帯がいつかは分割されると思う。だって、売れないから。
 せっかく東京まで電車で1時間以上ゆられるのを覚悟して逗子に住み、さらに逗子駅から徒歩30分の場所に家を買ったのに。都内と同じようにごみごみした場所に僕は住みたくない。なんて、今は失業者ですから通勤は関係ないんですけど。
 ほか、防災上の問題、騒音の問題、日照の問題など沢山あるが、そうした面からの意見はすでによく聞かれることなので、僕が考えるもうひとつの意見を述べる。

 それは町の個性の問題だ。僕は人に個性があるように町にも個性があってよいと思う。どこの町も似たようでは、むしろない方が良いと思う。住む人もその土地の個性が気に入って住めばよいわけで、そうすることによりさらに個性は磨かれ保たれる。それが結果的によい町づくりにつながると思うのだ。
 最近、格差社会の弊害が叫ばれることが多いが、僕はあまり同意できない。ちょっと前まで声高に叫ばれていた、なんでも平等社会の方が僕には恐ろしいものに思われる。これはシンプルに同列化して論じることはできない問題だとは思う。だからそのことについてはここでは書かない。ただ美しく見える平等には、大きな負担が伴うこと、その負担は個人にのしかかるということを頭の片隅に置きながらこうした論議はすべきだと思うことだけ、ここに書いておく。
 それで逗子だが、確かに分割制限をするといわゆる狭小住宅はこれ以上建てられなくなり、新しく転入する人を結果的に所得制限することになるかもしれない。思い切って書くが、それでよいのではないか。僕は貧乏だから、もし今逗子に住んでいなかったら、このルールの制定後には逗子に住めないだろう。でも運よく、会社員時代に借金をして中古で家を買えた。確かに運が良かったと思う。(ローンはあと26年残っているが。どうしよう、収入ないのに。まぁ何とかなるよ、きっと)
 運の良し悪しは誰でもどこでもあるわけで、それは仕方がないことだ。もし僕が今東京でアパート暮らしをしていたら、きっと逗子には将来住めない。でもそんなものだ。世の中や人生ってのものは。
 分かりにくいかもしれないが、これが僕が住宅地分割制限に賛成する理由だ。逗子は逗子らしくあって欲しい。どうしたった鎌倉にはなれない。葉山にもなれない。それは当たり前のことだ。住みたいと思う人をすべて受け入れることはできない市になるかもしれないが、それでよいのだと思う。
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ブログのタイトル変えました

 ブログの名称を変えることにした。新名称は「湘南貧乏物語」です。どうですか。なんか語呂がいいでしょう。前のタイトル「きょうも逗子は翻訳日和」もそれなりに気に入っていたのだが、どうも名と実体がマッチしていない感があった。翻訳にかかわる話題が少ないんだから。もとから翻訳に特化したブログにするつもりはなかった。思ったこと、書きたいことはテーマを選ばず書くつもりでいた。それでも翻訳が話題の中心になるだろうと思い、タイトルをつけたが、そうはならなかった。これからもそうならないだろうと、約半年続けて思う。ということで、もっと生活全般にかかわるタイトルにしたわけだ。
 しかしそれがなぜ「湘南貧乏物語」なのか。まず、最初の「湘南」という部分だが、これは正直迷った。「逗子貧乏物語」にしようかと思った。しかしどうも語呂が悪い。やっぱり日本語は七五調でなくてはならない。それで「鎌倉貧乏物語」もよいかと思ったが、これでは事実と異なる。僕の住んでいる場所は鎌倉との市境まで30メートルほどのところだから、まぁよいかと思ったが、行政区的には僕は明確に逗子市民である。なのでこれは没。湘南だとエリアが広く、逗子も当然含まれる。逗子と狭めてしまうより、広い分、検索に引っかかって見に来てくれる人も増えるのではとの下心も勿論ある。
 そして後半分の「貧乏物語」だが、これは正直パクリである。オリジナルは真尾悦子の「阿佐ヶ谷貧乏物語」だ。たまたま逗子図書館で見つけ、タイトルに引かれ借りてきた。居並ぶ本の背表紙の中で、特別力をもったタイトルに思えた。迷わず借りた。読んでみて面白かった。やはりよいタイトルを付けられる作者はよい中身を書く。僕のブログも中身はこれから精進するとして、せめてそのタイトルパワーにあやかりたい。それで「湘南貧乏物語」とした次第だ。
 貧乏ということろは、これはまさに僕の現実なのだから問題ないだろう。それに僕は貧乏ネタが好きだ。金持ちの自慢話より、貧乏の苦労話の方が百万倍面白いということに、異論のある人はまずおられまい。また僕は本当に貧乏だから、この手の話題は事欠かない。まぁ今回も話題を貧乏に固定しようという気はないのだが、自然に貧乏ネタになるだろう。
 経済に、つまりお金の話ね、まったく触れないことなど現代では不可能であり、僕の身の回りを何らかの形で表現すれば、そこにはどうしても若干の貧乏の影がさすはずだから、そういう意味でまさしく僕のブログにふさわしいタイトルなのだ。
 ということで、今後はこのタイトルでいきます。以後、よろしゅうお願いします。

ちょっとでも思うと、その通りになる、場合もある

 Tさんから久しぶりにメールが届いた。簡単な近況報告だった。Tさんとは1994年に僕がアメリカのバーモント州に留学したとき、向こうで知り合った。当時僕は31歳。Tさんは47歳だった。
 Tさんはある大手メーカーに勤めていて、社内ではうだつがあがらず(Tさん曰く)、何とか人生を切り開こうと思い留学を試みた。会社から派遣されたのではない。会社にちょっと変わった提案をし、それが認められてやってきたのだ。その提案とは、Tさんが自費で米国の大学院に留学する。その間、給料は受け取らない。というものだった。その提案は社内で募集されたコスト削減策のひとつとして出されたものだ。会社はTさんが留学中の2年間は人件費を削減できる。2年後には社員一人に修士を取得させられる。コストゼロの社員教育だ。

 そんなTさんは、大学でかなり目立っていた。まず非常にケチだった。ガムテープでサイドミラーが留めてあるような車に乗っていた。それは僕が今まで見た車でもっともボロかった。日本人はめったに住まない超安アパートに住んでいた。食費は徹底的に切り詰めていた。よくホームレスを支援するボランティアに参加し、自分もホームレス用の食事を食べていた。もちろん、服は日本から持ってきたものだけを着続けていた。留学費は全額自費で賄い、さらに当時は日本に家族を残していたTさんとしては、当然の切り詰めであった。
 常に笑顔を絶やさずに人見知りしなかった。気さくな人柄で日本人からも米国人からも人気があった。お金がないのは皆知っていたので、よくTさんは人の家に食事に招かれていた。向こうの大学では、毎週末のように誰かの家でパーティが開かれる。Tさんは、人の家に招かれるか、そうでないときはどこかのパーティに必ず顔を出していた。もちろん会費制のパーティには行かなかったのだが。そんな場でいつも人気者だった。
 勉強はまぁまぁしていたと思う。特別、熱心だったとは思わないがよく図書館で会った。でも成績はあまり芳しくなかった。もう歳だから、覚えられないとよくこぼしていた。
 そんな感じで、2年のはずの留学が3年を過ぎた。もとから厄介払いの感があった会社はこれ幸いと、契約違反を理由にTさんを解雇した。Tさんはまったく動じた様子はなかった。むしろ嫌いな会社に戻らなくて済むと喜んでいるようだった。
 そんなTさんを僕は好きだった。ちょっとだけ、あんな生き方もいいな、と思ったりした。ちょっとだけ、思った、つもりでいたが、本当は相当印象的で、強く心に刻印されていたのかもしれない。
 というのは僕の今の状況がTさんと似ていると思うからだ。僕は解雇されたのでなく、自分から辞めた。僕も当時、大学院に通っていたが、Tさんが3年以上かかったのに比較して、僕は1年半で修了した。でもなんだか似ているような気がする。
 会社という組織に馴染めず、自ら身を引いている。金銭に執着がない。気ままな生活が好きである。女性が好きだ(Tさんはモテるのだ。当時、日本に妻子がいたにもかかわらず、アメリカ人の彼女がいたし、日本からはガールフレンドが遊びに来ていた)。会社が嫌いで、会社ではうだつがあがらない。
 こうした嗜好の近さからか、あの当時のTさんの軌跡を僕は無意識に追っているのではと思うことがある。

 今、Tさんは英語関連の書籍をたまに上梓し、それで生活をしようと試みている。2,3年に一度、売れない本を書いても生活は苦しい。それで実際は本を拾ってきて、アマゾンで販売し糊口を凌いでいる状態のようだ。あ、そう、奥さんとは何年か前に別れたそうだ。
 そんな気ままな一人暮らしを今はしている。ただし、僕はこの部分はあまり憧れを感じない。本を拾ってきて、それで食いつなぐほど僕は線が太くない。きっと潰れてしまうだろう。だから今のTさんと同じような人生が自分の前にあるとしたら、それはちょっと勘弁して、という感じだ。

 今回、Tさんからのメールには、この夏はヨーロッパに遊びにいったと書いてあった。貧乏でもこうしたことは余裕があるのだ。米国から帰国した後も、ほぼ毎年、数ヶ月単位でアメリカに残した彼女(2名)の家で過ごしていたそうだ。僕よりずっとこの点はリッチだ。さらに今回のヨーロッパも最近、知り合ったばかりの女性2名と同伴したそうだ。
 やっぱりちょっと羨ましい。でも僕には無理だな。Tさんのような60代は。僕のような常人ではとても過ごせないタフな生き方だと思うのだ。

禊は二度必要か

 今日は月に一度のおつとめに行ってきた。ハローワークだ。なんだか人がかなり少なくなったような気がする。失業率は上がる一方の状況だが。きっと3月に解雇された人の雇用保険が6ヶ月で切れたからだろう。僕は幸いに11ヶ月間出ることになっているので、まだ通っているが。
 ちなみに僕は翻訳をボランティアで今のところしていて、現状は求職中である。そうでないと失業保険がでないからだ。

 さて今日は散々な一日だった。それはハローワークとは関係のない話なのだが。逗子駅まで自転車で行き、西口の無料駐輪所に自転車を止めて金沢八景のハローワークまで京急に乗り行ってきた。帰り、無料駐車場で自転車を探すと止めたはずの場所にない。しらばく探すと、かなり離れた場所に置いてあった。嫌な感がした。感は当たってしまった。

 自転車は3ミリ程度の細いワイヤーがばねのように巻いているタイプのワイヤーキーでロックしておいた。このロックがいい加減なのだ。ワイヤーがドライヤーのコードのようにバネ状になっている。これが伸びるので、自転車をそのままかなりの距離を移動できるのだ。さらに動かすと、車輪にワイヤーが巻き込んでしまう。
 見つけた自転車は案の定、ワイヤーが車輪に巻き込んだ状態だった。幸い壊れた箇所は見つからなかったが、ワイヤーをほどくのに30分もかかった。汗だくで解いていると、まだ柔らかいガムがペダルに押し付けられているのを発見した。それも素手で取った。その間は、見つかってほっとしたことと、早くワイヤーを解くことで頭が一杯だったが、帰り自転車に乗っていると怒りが湧き起こってきた。そして考えた。

 もしそいつ(犯人)を現行犯で見つけていたら、ぜったい張り倒していただろう。相手の出方次第では、それこそボコボコにしてやる、なんて考えた。年甲斐もなく。
 そして考えた。こんな考えが起こるのも、僕がフリーの状態だからだ。もし会社員時代だったら、そんなことを避けて、相手をどう叱責するかを考えていたはずだ。
 そしてまた考えた。やっぱり失業は人を荒んだ心理状態にする。僕は自分は失業中という認識はないのだが、でも会社というストッパーがないと軽はずみな行動を起こす可能性が高くなる。
 そしてまた考えた。だから失業者が多い国や地域は犯罪が多いのだ。ありきたりな感想なのだが。

 そしてもうひとつ、考えた。実は先週末、産経新聞の後輩の結婚式があり、式から参加し二次会も出た。二次回で乾杯の挨拶をしたのだが、それまでに飲み続けていてべろべろ状態でなさけない挨拶になったしまった。それが、とても申し訳ない。実は週末、ずっと後悔の念にかられていた。
 僕は結構、こういう失態が多いのだ。それで、失敗は織り込み済みで僕に乾杯の挨拶を頼んだと思うが。それでも、実際やらかすとちょっとね。後輩は苦笑いで許してくれたのだが。とういか、その話題には触れず。ああ、でも暗くなった。46歳で、あの挨拶かよ。情けない。
 で、思ったのが、これは一種の禊だなということだ。僕のヘボい挨拶が災いして自転車を移動させられ、ガムをペダルに付けられた。
 もっと大きな迷惑を誰かに掛けていたら、例えば二次回で泥酔して、絡んだり、喧嘩しちゃったりしたら。きっとその自転車移動犯人を目撃していて、それで喧嘩になって、どちらかが怪我をするうことになっただろう。
 そんなことにならなかったのは、まだヘボい挨拶程度のミスフォーチュン(結婚した二人にとってのね)だったから、この程度のミスフォーチュン(今度は僕のね)で済んだのだ。
 自転車に乗りながらの道、そんな自分勝手なこと、あーこの程度で良かったって、を考えていると、お気楽なことに怒りのストレスがスーと引いた。つくづく馬鹿なのだ、僕は。
 しかし神は僕の馬鹿さを、そんなには軽く考えていなかったようだ。家に帰ると、もうひとつミスフォーチュンが舞い降りてきた。
 帰りにユニクロで1000円の伊達メガネを買い、テーブルに置いて昼食を作っていたのだが。大吉(猫)がそれを、見つけて引きずり回し、僕が発見したときはレンズが傷だらけになっていたのだ。

 神は結構、シビアな評価を下すものだ。あのヘボい挨拶を、軽く考えてはならないのだ。その罪の重さは、自転車にぐるぐるまきのワイヤー+それにペダルにガム+さらに1000円の伊達メガネが傷だらけ。これだけの罪価値があるとの評価がくだされたのだ。さて、ほんとにこれだけで良いの?

 僕としてはこのぐらいで禊は十分な気がするが、いかがなものでしょうか。神様。。

初めてのメディカル翻訳

 今、メディカルの翻訳をやっている。ある大学病院の仕事だが、難病を紹介するホームページの訳だ。1ヶ月で40Pなのだが苦戦している。

 対象となる読者は難病患者やその親なので専門的でない、と思っていた。最初の数ページはサクサクとできた。これなら1ヶ月もかからないなっと、調子よく訳していった。ところが段々と内容が専門的になってきた。メディカル用語、表現のオンパレードだ。専門用語は辞書でだいたい分かるのだが、簡単な動詞や名詞の訳で悩む。
 たとえば“base”という名詞だが、普通は“基礎”とか“底”となる。ただそうした訳だと文脈上、意味がおかしくなる。ちょっとひねって“主成分”と訳してみたが、見直しのときやはりひっかかった。そこでネットで色々しらべ、ある日本語のサイトで“塩基”という表現を見つけた。これだと意味がばっちりだ。これが分かるのになんと1時間近くかかった。そんな感じでのろのろと調べながら訳すので、昨日今日でできたのはわずか1ページ。とほほ、である。
 今、念のため今、もう一度辞書でbaseを調べてみた。なんだよ、、ちゃんと載ってるじゃない、“塩基”って。くそ。僕って、なんなの。。
 もうひとつ、タンパク質の動詞で“produce”というのが頻繁にでてきた。これをそのまま“生産と”すると、タンパク質を生産する、となる。なんか、へん。で、これもネットでタンパク質をプロデュースする際の動詞を調べまくった。結果たどり着いた訳は“生成”である。これもかなり時間がかかったな。
 さてボキャブラリの訳は、こんな感じで時間をかけると何とかなるのだが、問題は全体の文章の正確度だ。訳としてはこうなんじゃないかと、かなり自信が持てても、内容的に正確なものなのかは確信が持てない。やっぱりある程度は、訳者が意味を把握していないと、翻訳はできないものだ。
 なので同時に、この難病について調べる。でも非常にまれな病気なので日本語で紹介するサイトはほとんど見つけられなかった。断片的に論文の中で触れられていたりする程度で、それも論文なので難しくて、読んでも意味が分からない。その意味を調べるため、違うサイトに行って調べる。すると、前の論文でちょっとだけでも理解したつもりの内容を忘れてしまう。何を調べていたのかも、分からなくなってしまうのだ。やっぱり僕って、頭が悪いのだ、ということだけは分かったりして、でも肝心の難病の理解は深まらない。

 このようにものすごく苦労しているが、これが楽しい。訳したり調べたりすることが楽しい。結構、ぴったりとした訳になったときは快感である。翻訳は時間を忘れる。気が付くと夕方だ。でもこちらが楽しむだけじゃ、続かない。だって下手くそな訳ばかりやってると、次の仕事が来なくなっちゃうから。いまのところ、お情けで仕事が、たま~に、ぽろっと降ってくるが、このお情けも今のうちだけだろう。早く実力を挙げなくては。

ビバリーヒルズ高校白書

 まさに台風一過。昨日は雨を眺めながらブログを書いたが、今日は台風が過ぎ去った後の不自然なぐらいの日差しを見ながらこれを書いている。
 昨日は雨あめ、触れふれ、と書いたが、世間の人は大雨の中を通勤だ、通学だと動いているのに不謹慎かと後から思ったりしたが、それでもやっぱり雨は、それも台風は部屋から眺めているのは楽しかった。

 さて今は午後2時過ぎだが、さっきまで『ビバリーヒルズ高校白書』を見ていた。ケーブルで月曜から金曜まで毎日やっている。多分、春ぐらいから始まって、ずっと見ている。
 僕はあまりテレビを見ない。特に逗子に越してからはテレビがない生活をずっとしていた。だから前回のワールドカップも冬季オリンピックも見ていない。3月にテレビを買ったから北京オリンピックは見たが。
 なんでテレビを買ったかというと、会社を辞めて時間ができたら、テレビで英語を勉強したいな、と思ったからだ。この辺りはいわゆる難視聴エリアで、ものすごく高いアンテナを立てるかケーブルにつなげなくてはテレビが見られない。それでケーブルをつなぐことにした。ケーブルならCNNとかFOXとかが見られて、英語の勉強になると思ったからだ。

 『ビバリーヒルズ高校白書』は15年ぐらい前、アメリカに留学したときに見ていた。リスニング能力に難があるのであまり意味が分からなかった。で、今もあまり分からない。どのぐらい分からないかというと、主人公格の双子のきょうだいの名前を聞き分けられない程度だ。たしかカタカナで書くと、ブランドンとブレンダだと思うが、英語で聞くと、同じように聞こえる。ケリーだがキャリーだかもよくわからない。ドナかドラかもだ。はっきり分かるのはスティーブンぐらいだ。あ、もしかしたらスティーブ?、やっぱりよく分からん。
 こんな感じで見ているので、そう30パーセントの理解だと思う。それでも、絵を追ってると意味はだいたい分かるので、毎日楽しく見ている。それと4月から見始めて、ちょっとはリスニングが上達したみたいで、ときには50%ぐらい分かったりして、そんなときはさらに楽しい。
 40代の中年おやじで、毎日昼の2時から『ビバリーヒルズ高校白書』を見ているのは僕ぐらいなものだろう。これも幸福感を呼ぶ。

 ずーっと見てればいつかは完全に理解できるようになるだろうか。答えは分かっている。ならない。でもちょっとはましなことも分かっているので、この習慣は続けるつもりだ。いい習慣だな。

雨の日

 朝から雨だ。台風18号が近づいている。明後日も雨らしい。今日より降るだろう。
 そうだ、降れ降れもっと降れだ。
 雨はあまり好きでなかった。通勤でスーツが濡れるでしょ。特に逗子に越してきてからは駅まで30分近く歩くので、雨だと大変だった。まぁバスがあるので、そんなときは乗ることもあったが。でもバスを待っている間にやっぱりスーツが濡れる。
 でも学生のときは雨は嫌いでなかった。僕はだらしない学生だったので、雨が降ると、とくに台風なんかで大雨が降るとよく大学を休んだ。もっとも子供の頃は流石に雨で休むことはなかったけど、近くの学校に通ってたので雨はあまり気にならなかった。
 それより、ひとりで家の窓から雨を眺めるのが好きだった。特に用事もなく、本なんかをそばに置いて。なんとなく外の雨を感じるのが好きだった。外は雨。でも家の中は濡れなくて。そんな家の中の安心感が心地よかった。
 今、こうして家の窓から外を見ていると、当時の気持ちを思い出す。こんな感じだったな。今は雨が嫌いじゃない。スーツを着て、革靴がビショビショになりながら、駅に向かわなくてもすむから。外の雨をただ傍観することができるから。でもあの時は、家にひとりでいるといっても一時で、母や妹が買い物やら、何やらからすぐに戻ってきて。それはまた、安心感があった。
 今は誰も帰ってこない。いつまでたっても、この家には僕と猫が二匹いるだけだ。中年になった僕は、でも寂しくない。雨の音を聞きながら、翻訳をして、飽きたら猫を撫ぜにいく。ひとりで昼飯を作って、ひとりで食べる。そしてまた雨の気配を感じながら、翻訳をする。
 晴れた日に、明るい日差しを感じながら机に向かうのも好きだが、雨の日はことさら幸福感を感じる。会社を辞めてよかった。今も会社の元同僚から連絡がよく来るが、会社の近況を聞くと余計、そう思う。
 雨の日に家の窓から外を眺めている感じる安心感は、たとえるなら母の子宮から外を感じる子供の安心感のようなものだろうか。
 こんなことを思うのは僕だけだろうか。


中川昭一元議員死去から思ったこと

 中川氏が死去した。死因はいまだ不明だが、他殺、自殺とも可能性はないと報道されている。ここで、中川氏の死、そのものについては触れない。多少、思うことはあるが、誰もが感じることの範囲を超えない程度だと思う。書いてもしかたないだろう。
 書こうと思うことは別なことだ。これももしかしたら、誰でも感じていることかもしれないが、まだそうした内容の報道には触れていないので、書いてみる。

 繰り返される中川さんの死亡ニュースで出てくるのは、あのサミットでの朦朧会見と、もうひとつ死亡した自宅だ。朦朧会見はもういい。それより自宅なのだ。僕が気になったのは。ちょっと質素すぎないか。
 かりにも8回連続で衆議院選挙に当選し、農林水産大臣、経済産業大臣、財務大臣、内閣府特命担当大臣を歴任。父親はあの北海のヒグマ一郎氏だ。血筋も経歴もどうみたって、豪邸クラスだ。でも住んでたのは都内の一等地だろうけど、普通の家だ。

 僕は逗子の前には文京区に住んでいて、すぐ近くにあの鳩山邸があった。あれはまさに邸宅だった。アメリカだって、あのクラスの邸宅はめったにない。角さん邸も近くて、隣にあるプールによくいったが、あれも豪邸だった。政治家って、あんな感じの家に住んでいるものと思ってた。ところが中川さんのうちは悲しいほど、普通だった。

 あの程度の家は、外資系の銀行に20年も勤めていれば買えるよ。僕は新聞社の前にはHSBCって銀行に勤めていて、あの業界には友人が多いから知ってるけど。渋谷区とか大田区にあの程度の家に住んでるやつは普通だ。外銀じゃなくてもいわゆる一流会社に勤めていたり、それどころか蓄財がうまければ、普通の会社員でも買えるかもって感じの家だ。

 しかし政治家ってのは割りにあわない商売だね。あれだけ叩かれて、あの家か。これじゃ、政治家を目指す若者が出てこないはずなのだ。
 僕は今まで政治をつまらなくした大きな原因のひとつに世襲を考えていた。しかし違うんだな、きっと。世襲が政治を堕落さたんでなく、政治がつまらない、金にならないから、世襲議員しかなり手がないんだよ、きっと。世襲議員しか政治家になれないような、政治風土、システムに問題があるんだ。
 こんなこと、みんな分かってたのかな。きっと分かってるんだろう。しかしバカな僕は、中川さんの家を見て、初めて気付いた次第です。

 鳩山邸とは言わなくとも、日枝邸(CX会長、ホリエモン騒動でテレビに映ってた)程度の家に住んでてもらいたかったな。ちゃんと選挙で8回も勝ったんだから。かたや内規を無視して(多分、68歳ぐらいだと思う。いられるのは)、トップに居座り続けているだけのただのサラリーマン社長なんだから。これじゃ、一流大出がみんな政治家でなくテレビ局に入りたがるわけだ。

 いや日枝さんの悪口を書いてるわけじゃありませんよ。ただ比較で出しただけですので、一応。



プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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