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内山先生の七段昇段と達人のはなし

 私が通う文京合気会の内山会長先生が七段に昇段された。大変、おめでたいことである。内山先生、ご昇段おめでとうございます。
 内山先生は小学生の頃から合気道を始められ、合気道歴は50年以上。翁先生に直接教わったこともあるという(子供のときだそうだが)。恐らく、直接翁先生から指導を受けた最後の世代だと思う。さすが翁先生直伝であって、正統派の綺麗な合気道をされる(生意気なことをいってごめんなさい)。人柄は円満で、多くの弟子から敬愛を受けている。良い先生に教わることができ、私は大変幸福である。

 さて、内山先生が翁先生に直接教わった話がでたので、ちょっと脱線すると。よく翁先生に稽古を付けてもらった世代と、それ以下の世代の相違が話題に出る。塩田先生、斉藤先生、山口先生、藤平先生、多田先生など。いわゆる名人、達人といわれる方々はみな翁先生に直接指導を付けてもらっている。しかしそれ以降は名人、達人が出ない。真偽のほどはさておき、そのぐらいの断層が、このふたつの世代に存在するということだ。
 この直接の指導、さらにいうと直接手を触れた経験というのは合気道にとって非常に重要なファクターになる。例えば名人の演武、今なら多田先生の演武は演武会で直接見ることができる。また本部では指導されることがあるので、そこへ行けば稽古を付けてもらえる。しかし中々、受けを取らせてもらうところまではいかない。でもこれが違うんだな。などと書くと、私が多田先生の受けを取ったことがあるように誤解されてしまうかもしれないが、勿論そのような貴重な経験はない。でも違いは分かる。
 例えば内山先生の技を見るのと、投げられるのとでは雲泥の差がある。もっと言えば、投げられなくてもよい。転換のとき、ちょっと手首を握ってもらう。それだけでよいのだ。それだけで、なんとも違う世界があるということが、その触れた皮膚を通して感じることができる。力強いが柔らかい、その不思議な感触が接点から伝わるのだ。
 ではほかの武道ではどうだろうか。例えば剣道などでは皮膚に触れることはないが。やはり同じだと思う。剣を交え、あるいは相手の前に立つだけで、何かを感じることができるとはずだ。
 以前、香取神道流の畑山先生に稽古を付けていただいていた。剣を持った畑山先生からはいつも不思議な磁場のようなものが感じられた。前に立たれると、自分は動くことができず、仮に動けたとしてもそれは先生が誘導した方向に自然と体が動いたにすぎず、どうすることもできなかった。畑山先生は日本ではほとんど無名でおられたが、海外では武道雑誌の表紙に載るほどの評価を受けておられた。世界中にお弟子さんがいた。名人の一人であると思う。名人に直接稽古をつけていただいた経験があることを、これまた私は幸せに思うのだ。

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何が足りなかったのか by Paul Krugman

何が足りなかったのか by Paul Krugman
ニューヨークタイムス 2010年1月18日掲載

 最近、オバマ政権の政治方針についての批判を多く目にする。オバマ大統領は多くのことに手を出しすぎている、経済分野に集中すべきで医療制度改革はひとまず置いておくべきだ、と世間は考えているようだ。
 
 私はこの意見には不賛成だ。オバマ政権が直面している困難さは、多くのことを望みすぎたことが原因なのではなく、政策的および政治的な判断ミスが原因なのだ。景気刺激策は不十分であり、銀行に対する措置は甘すぎる。そしてロナルド・レーガンが実施したことをオバマ大統領はやっていない。レーガンもまた政権初期、景気の後退に直面したが、その責任は前政権にあるということを国民に説明し、自らへの批判をうまくかわした。

 景気刺激策だが、これは実に効果が期待できる政策である。刺激策をまったく取っていなければ、失業率は今以上に高いものであっただろう。しかし2009年、現政権が実施した刺激策は十分な雇用を創出するには小さすぎるものであった。

 オバマ政権の刺激策ではなぜ不十分なのだろうか。多くの経済学者(私も含まれる)は現政権が示したものより、相当大きな刺激策を訴えてきた。しかしオバマ大統領のもっとも信頼する経済および政治アドバイザーであるニューヨーカー誌のライアン・リッツァは2008年12月、これ以上大きな刺激策は経済的に必要なことでなく、また政治的にも実現可能なことではないという結論を下した。

 彼女らが下した結論は政治的には正しいものなのかもしれないし、あるいは正しくないのかもしれないが、経済面から見ると正しくないことは明らかである。彼女らの判断ミスの原因が何であれ、焦点を当てた問題点自体は間違ってはいない。2008年の末および2009年の初め、オバマチームは経済問題の解決に集中して取り組んだ。同政権は散漫な対処はとらなかった。しかしそれが誤りだったのだ。

 誤りは銀行に対する政策についても言える。オバマ政権が銀行に対して強硬な手段を取らなかったおかげで銀行の経営が健全化に向かったと擁護する経済学者もいる。しかし金融業界への甘い対応は、金融危機を引き起こしたその当事者の身を匿い、救済された銀行は帳簿上の赤字が減ったにもかかわらず、貸し出し額を回復させてはいない。そしてこのことはさらに政治的な大失敗を招いてしまった。銀行への救済措置が銀行員の多額のボーナスとして使われ、そのことへの国民の怒りが政府に対しても向けられたからだ。

 もうひとつオバマ大統領の犯した誤りは、国民への説明がないことだ。経済に関して発表されるオバマ大統領の言葉をレーガン元大統領のものと比較することは示唆に富んでいる。あまり多くの人は記憶していないかもしれないが、レーガン大統領により実施された減税の後、失業率は急激に上昇した。しかし同大統領は批判に対し予め答えを用意していた。現在起きている悪しき問題のすべては前政権の無策が原因であると。実際、政権獲得後の最初の2,3年間は、ジミー・カーターへの批判を繰り返し続けた。

 オバマ大統領も同じようなことをすることができたし、むしろその方が公平であったと私は思う。現在も続くアメリカ経済の混迷はブッシュ政権時代に起きた金融危機の結果であり、その金融危機の原因の一部はブッシュ政権が銀行への規制強化に拒否をし続けたことであると、オバマ大統領は繰り返し指摘すべきだったのではないか。

 しかしオバマ大統領はそうはしなかった。彼はふたつの党の間の橋渡しを夢見ているのかもしれない。現在の問題を前任者の責任とすることは民主党員として(共和党員はそんなことは考えもしないだろうが)見苦しいことであると、識者に指摘されることを恐れているのかもしれない。理由はどうであれ、現在直面する経済問題は、自分が政権を担当してから始まったことではないということを国民に思い出してもらうことは簡単にできたのだ。
 
 では拡げすぎた政策課題への不満をどういった形で収束させるべきなのか。医療改革に手を付けなければ、オバマ政権は経済政策を途中で軌道修正することが可能であっただろうか。おそらく、難しかったであろう。今まで以上に大きな景気刺激策を進めるにあたり、認識していなくてはいけないこと、それはチャンスは2度訪れるものではないということだ。もしこのまま失業率が高い水準を維持した場合、国民はおそらく景気刺激策は効果がなかったという結論を下してしまうだろう。刺激策の必要性はすでに明らかであるにも拘わらず。

 また、次のことも覚えておくべきである。民主党が基盤とする人々にとって、医療改革は非常に重要な政策であるということを。上院で可決されるための妥協案に幻滅を抱く議員も少なくないが、しかし彼らとてこの法案自体を放棄してしまえば、さらに幻滅を抱くに違いない。

 また政治は選挙に勝つためだけに行うものではない。医療改革によって次の選挙に負けたとしても(そんなことはありえないと思うが)、その行い自体は正しいものなのだ。

 さて、次はどうするべきか。

 現在のところオバマ政権は新規雇用の創出に成功していない。しかし金融改革を強行に推し進めることは可能であり、そうすることにより国民の怒りを別の方向に向けることができる。それは共和党こそが改革の敵であると、国民に示すことにもなる。そしてそれは事実なのだ。

 医療改革法案の成立のため、民主党は最善を尽くさなくてはならない。医療法案を通したとしてもそれは民主党を政治的に救済するものではないかもしれない。しかし通さなければ、党に政治的破滅を確かにもたらすだろう。

訳:山本拓也

愛するということ by フロム

 久方ぶりに、本について。
 エーリッヒ・フロムの『愛するということ』を読んだ。なぜ読んだかというと、訳が鈴木昌によるものだからだ。私は鈴木さんのブログのかなり熱心な読者で、毎日のように鈴木さんのブログを楽しみにして読んでいる。ちょっと前に、ブログでこの本が鈴木さんの訳によるものであることを知った。それでこの有名なユダヤ人心理学者による愛の書に興味を持ち、読むことにした。
 読み終わったのが先月で、図書館で借りてきて読んだため手元になく、内容はほとんど忘却の彼方に飛んでいってしまった。なのであまり書くことはできない。ただメモを取った部分が2箇所あるので、そこのところについて触れることにする。
 たしか最後の章だと思うが、「愛する技術」という章があったはずだ。その中で、“愛する技術”には3つあるとフロムは訴える。1規律、2集中力、3忍耐力である。
 人を愛するためには技術が必要で、フロムによるその技術とは規律、集中力、忍耐力である。なぜ私がこの部分をあえてメモしておいたかというと、この3つの技術というのが、愛することに限らず、生きていく上で必要な普遍的技術であると思ったからだ。人間、この3つなくして、どうして人の世を生きて行けようか。もちろん、生きて行けるかもしれないが、きっと社会とは軋轢が生じ、人生における事業、例えば愛情溢れる家庭を築くとか、仕事で成果を残すとか、は達成できないだろう。つまりこの3つは生きていくための要諦なのだ。
 離婚を経験し、会社も辞め、ひとり自宅で翻訳などボソボソとやっていると、自分の人生を振り返り、反省することがある。どうして私は今、このような情況にあるのか。それは過去を失敗と見ているわけではない。ただ漠として、振り返り、今の状態への経路を考証しているだけなのだが。そして、今後の行く末をどう歩いていくべきかと逡巡する。そんな中でこの3つの“技術”をフロムから提示され、“愛する技術”として参考とするのは、まぁ機会があれば、それに超したことはないが、そんな機会に恵まれなくとも、生きていく上での参考になると思いメモを取ったのだ。
 私ほど、規律のタガが外れている人間はそう多くないと思う。特に組織から与えられる規律に対しては、積極的に反抗して生きてきたと思う。法律に反することは、ほとんどしてきていないと思う。それは私が順法精神に厚いからではなく、おそらく法律や国家といったものが、あまりに大きく遠い存在だからだと思う。そうした目に見えないような相手に対しては、反抗心は生まれない。しかし会社とか上司とかが与えるそんな目に見える規律の場合は、反抗心がムクムクと頭をもたげる。学校時代もそうだったと思う。勉強は嫌いでなかったが、宿題はほとんどしていかなかった。今の子じゃ、考えられないかもしれないけど。
 私の集中力は、常に気まぐれだった。必要と思われるときにちゃんと集中力が発揮されるときもあったが、期待を裏切ることも多かった。他人事にようだけど、本当だ。この気まぐれな集中力を自分の意思でコントロールできていたら、かなり違った人生を歩んでいたはずだ。
 忍耐力、これもかなり気まぐれだった。そして気まぐれな忍耐力はきっと忍耐力とは呼ばないのだろう。そうすると忍耐力はあまり、なかったのかもしれない。
 規律については、今は組織に属していないので、あまり拘束を感じないが、これは外部からの規律についてである。しかし規律でより大切なのは自らが果たすものだ。これは現在のようなフリーランスの立場では絶対必要なものである。集中力、忍耐も同様である。
 この年になって、規律、集中力、忍耐力が必要なのを再認識するとは、恐れいった幼稚さだと我ながら思うが、まぁよい。
 さて、もうひとつメモを取った部分がある。それは客観性についてだ。フロムいわく、客観的に考える能力とは、それは理性のことである。そして理性の基盤となるのは謙虚さだ。子供時代は誰しも自らを全知全能と考える。子供の可能性は無限である。子供は白昼夢の中でスターにも、王様にも、神にすらなることができる。それが謙虚さを身につけていくにしたがい、そうした全知全能感から距離を置くことになる。理性の目覚めだ。理性を身につけると、そこに客観性が生まれる。
 よく客観性の重要性が唱えられる。このデータは客観的なものなのか。その分析は客観的になされたのかと。その大切な客観性を得るためには、私たちは謙虚でなくてはならないのだ。フロムはそう訴えるのだ。
 実感できる話しではないか。あえて自分の人生を振り返らずとも、読んでいて、あるいはこのブログを書いていて、首肯できることではないか。
 「愛するということ」は、ちょっと中年チョンガーにとっては恥ずかしいタイトルであるが、この本は読んでいて決して恥ずかしくなる本ではない。愛についてはもちろん、それ以上人生についてしみじみ思いをめぐらせる機会を与えてくれる本であると思う。

クルーグマンの翻訳

 ポール・クルーグマンがニューヨークタイムスに掲載したコラムを翻訳掲載します。クルーグマンはプリンストンの教授で2008年ノーベル経済学賞を受賞している世界的な経済学者です。ニューヨークタイムスに掲載される彼のコラムは非常に注目度が高く、アメリカの世論へ与える影響は少なくありません。日本で彼の著作物は多数翻訳されていますが、オンタイムで彼のコラムを読むことは相応の価値があること考えます。私自身、ほぼ毎朝ニューヨークタイムス(電子版)を読んでいますが、クルーグマンのコラムが掲載されていると楽しみで、まず最初に目を通します。英語が苦手な皆さんにも、同じ機会を持っていただければと思い、思い切って掲載します。おそらく著作権的にはNGだと思います。ニューヨークタイムス、クルーグマン教授本人、あるいは関係者から削除の要請があれば速やかに対処します。この掲載目的は私的な興味と日本の読者の利便性であり、商業目的では一切ありません。


ヨーロッパから学ぶこと(N.Y.T. 2010.01.10)
By: Paul Krugman


 医療改革が終盤戦に近づき、保守派の間では嘆きの声が渦巻いている。また私はここでティーパーティ(訳注:オバマの政策に反対する運動。重税反対を唱える。1773年のボストンティーパーティ事件、イギリスの過重な茶税に米国市民が立ち上がった故事から)について、言及するつもりはない。保守穏健派でさえ、オバマはアメリカをヨーロッパスタイルの社会民主主義に変えてしまうつもりだ、といった脅しめいた忠告を発し始めている。それはヨーロッパが経済的ダイナミズムを失っていると、誰もが考えている証である。
 
 しかしその誰もが考えていることは、実は正しくない。ヨーロッパが経済的苦境にあって、アメリカがそうでないというのは本当だろうか。我々が長い間、信じ込まされてきたこの物語、つまり高い税率や気前の良い社会保障が国民のやる気を奪い、成長を滞らせ、あるいはイノベーションを阻害し、その結果経済は沈滞し続けているという物語は、実際は真実とかけ離れたものなのだ。ヨーロッパの現状は、保守主義者が訴えていることとは真逆である。ヨーロッパは経済的に成功を収めており、社会民主主義はちゃんと機能しているのである。

 実際、ヨーロッパの経済的成功は統計を見なくても明らかだ。アメリカ人がパリに行って、そこに貧困や後進性を感じるだろうか。フランクフルトやロンドンではどうだろうか。公式統計と自分の目で見た実感が異なり、どちらを信じるべきか迷った場合、さてどちらを信じるべきか。答えは自分の目を信じなさい、である。

 また多くの場合、統計は目で見た事実の裏づけにもなる。

 この10年、合衆国の経済成長がヨーロッパを上回っていることは事実である。1980年以降、わが国の政策は右傾化し、ヨーロッパはそうでなかった。アメリカの実質成長率は平均3%であり、旧社会主義国まで拡大する前のEU15カ国では、2.2%成長したに過ぎない。アメリカの勝ちだ!

 いや、多分違う。米国の人口増のスピードはヨーロッパより速やかったという事実を見逃してはならないからだ。1980年以降の国民一人当たりのGDP成長率(生活実態を見る場合はこちらがより大切な数字となるが)はアメリカとEU15カ国ではほぼ同じで、アメリカが1.95%、EU15で1.83%だった。

 技術分野を見るとどうだろうか。1990年代後半の情報技術革新はヨーロッパを素通りしたといった議論が見られるが。しかし実際のヨーロッパは多くの分野で米国にちゃんと付いてきている。特にブロードバンドでは、普及率はほぼ互角であり、速度と料金では上回る。

 雇用についてはどうだろうか。この分野では間違いなくアメリカが上だと思うかもしれないが。ヨーロッパの実質失業率は大体においてアメリカより高く、人口当たりの就業者の割合はアメリカより低い。ただし働く意志のない者や麻薬依存者などを除いた主要就業年齢に焦点を当てると、様子は変わってくる。2008年のEU15の25歳から54歳の就業率は80%だ(フランスは83%)。この数字は合衆国とほぼ同じである。若年および高齢者のヨーロッパ人はアメリカ人と比較して働くことに積極的でないが、それってそんなに悪いことだろうか。
 
 ヨーロッパは生産的であるともいえる。彼らは我々より少ない時間しか働かない。しかしフランスとドイツの時間当たりの生産高は合衆国と変わらない。

 ここで指摘したいのは、ヨーロッパはユートピアであるといったことではない。合衆国と同様に、現在経済危機と格闘中である。また合衆国と同様に、ヨーロッパの主要な大国は深刻な長期の財政問題を抱え、合衆国の多くの州と同じように、多くのヨーロッパの国々の財政は火の車状態である(カリフォルニアの財務状況はギリシャと同じようなものといえる)。しかし長期的視点で見た場合、ヨーロッパ経済はうまく機能している。全体的に見るとわが国と同じように、ダイナミックでさえある。

 ではなぜ多くの識者はヨーロッパに対して誤った認識を持つのか。ここで私が言及しているのは共和党員のみでなく民主党員の識者も含めてだが。それはヨーロッパ式の社会民主は完全な失敗であるといった、わが国に広まっている定説のためである。また人は自分が見たいように、物事を見る傾向にあるからだ。

 ただしヨーロッパの経済は崩壊状態であるという報告はひどく誇大されているが、高い税率と気前の良すぎる社会保障に関する報告はそうでもない。ヨーロッパの主要国のGDPに対する税の割合は36%から44%にもなるが、合衆国のその数字は28%である。国民皆保険制度は文字通り、国民皆が加入している。社会保障関連の支出はわが国に比べて著しく大きい。

 多少なりとも富裕層に対して重い税率を課し、低所得者層に社会保障を厚くするようなことがあれば、ただちに国民は働く意欲を低下させ、投資と技術革新は停滞するだろうという思い込みと、ヨーロッパは凋落し、ヨーロッパ経済は衰退するだとうといった伝説がいまだにわが国を配している。しかしそれは、現実ではないのだ。

 ヨーロッパは警戒すべき訓話としてしばしば取り上げられ、もしヨーロッパのように経済活動において冷酷さに欠き、また不運な同輩に対し同情の手を差し伸べるようなことがあれば、わが国の経済発展も力を失うとされる。しかしヨーロッパの経験はむしろその反対のことを教えてくれる。社会的公正と経済発展は同時に達成可能であるということを。

だめな私

 昨日はブログをさぼり、翻訳もさぼってしまった。理由はふたつあるように思う、と人ごとのように分析すると。ひとつは今週は日曜日から仕事を始めていた。それでなんだか飽きてきてしまった。普段はサラリーマン時代の習慣で、月~金で仕事(勉強)をしている。それが今週は今年最初の週ということで張り切って、日曜から始めた。そうしたら息切れをした次第である。
 もうひとつ、こちらが主原因と思われる。それは一昨日の晩、電話をしたりして夜更かしをしてしまい、朝起きるのが遅くペースが乱れたからだ。でも夜更かしといっても11時には寝て、朝遅いといっても7時には起きたのだが。つまりいつもとペースが乱れると、一日尾を引いてしまうということだ。やっぱり朝は大切だ。スタートをうまく切れると、一日を好調に過ごせる。朝、躓くと一日悪影響が及ぶ。朝の肝要さをを再認識する。
 それで昨日は何をしていたかというと、図書館に行っていた。家で机に向かう気分でなく、図書館にいったのだ。しかしあまり楽しい時間は過ごせなかった。雑誌を読んだり、適当に本を見つけパラパラと眼を通したい。しかし罪悪感のためかどうか、楽しめない。
 周りをみると受験生らしき高校生と定年を過ぎた老人が中心。それと失業者らしき中年もちらりほらり。雑誌や新聞を読むのは老人&失業者らしき人ばかり。高校生は自習コーナーで参考書や問題集に集中している。この老人&失業者チームと高校生チームは雰囲気を異にする。明らかに前者は退廃的というか時間つぶし的というか、そんなダラ~とした雰囲気を発散しているが、後者は覇気があるというか輝きがあるというか、正のオーラを発しているのだ。ダラ~チームの構成員として雑誌コーナーで『格闘技通信』など読んでいたのだが、なんか芯からダラ~としてしまいそう。
 平日昼間の図書館が好きだったのだが、しばらくは行きたくない気持ちになった。
 さて気分一新、図書館を3時過ぎに出て、ダッシュで家に帰る。ぎりぎりラジオ英会話を聞くことができる。昨日のせめてもの充実の時間だった。たった15分だったけど。
 その後はやはり気分一新、机には向かう、ということは当然できず、テレビを見る。だいたいCNNを見たが、他もザッピングしたりして過ごした。そしてあることに気付いた。
 BSのNHKでABCニュースを放映していたのだが、それが面白かったのだ。いつも向こうのニュースはCNNを見ている。私のCATV契約ではBBCが見られないのだ。CNNはテンポが速くて良いのだが、ニュースが大抵ぶつ切りの短いものだ。一方ABCではいわゆる調査報道ものをやっていて、これが良かった。これからはABCも要チェックである。
 さて今日はというと、朝も5時に起きてニューヨークタイムスを読み、その後は順調に翻訳を進めている。天気もよくて10時ぐらいからは暖房を消しても部屋は暖かい。足元の猫もウトウトしていて、なんとも長閑である。すいすいと翻訳を進めることができた。でも、集中していて気付いたら12時を回っていた。11時半から大抵トレーニングをする。それで時間が過ぎてしまい、また怠け気分が復活し、トレーニングをサボることになった。
 朝はうどんを作って食べたのだが、150グラム麺を茹でて食べて、お腹がいっぱい。昼はご飯を炊いて正月に実家からもらってきたチャーシューをのせて即席ブタ丼にしたが、これも大盛り。またまたお腹一杯。トレーニングもせず、ランニングも中断中のまま、なんか腹回りの細胞が脂肪を蓄積していく様子が、感じられるようだ。
 そんな今日、昨日であった。今はまだ午後2時前だけど。

青木VS廣田ほか

 昨日はハローワークに行って休んだが今日はトレーニングを再開。懸垂10回3セット、拳立て20回、ショルダー10回はいつもの通り。四股は200回した。200回したのは初めてだったが、なんとかこなす。
 その後、こちらから出さずに来た人へ書いた年賀状を出しに郵便ポストまで行く。わずか3分の道のりだが、右足首が痛くてヨロヨロ、フラフラと普段の倍の時間をかけていく。中年の女性に多数、抜かれる。僕と同じ速度であるくのは推定70歳以上のお年寄りばかり。ヨロヨロ歩く爺さん、婆さんたちを見ながら、自分もヨロヨロと歩くと、なんだか自分も老人になった気がしてくるから不思議だ。立ち止まって咳をするときなど、そうとう老人っぽい仕草であったと思う。そこで感じたこと、それは膝や腰をさすりながらあるくご老人へのシンパシーでした。老人には席を譲りましょう。本当です。
 三浦国際まであと丁度2ヶ月になった。それまでに治るだろうか。参加料を払ってしまっているし、こちらから声をかけて一緒に参加する人も何人かいる。キャンセルするわけにはいかない。早く治って欲しいのだ。練習もしたいし。ああだけど、四股もこれはこれでよいのだが。
 
 今朝のニューヨークタイムス(ネット版)の一面に、築地で新年最初に競り落とされた鮪に177,000ドル(1630万円)の高値が付いた記事が載っていた。通常のうん十倍の値段だそうだ。落札したのは日本の老舗すし屋と香港のすしチェーン店オーナーのタッグチームだそうである。名前は忘れてしまったが、確か記事には載っていたと思う。昨夜、テレビでもニュースを流していたが、これはいい宣伝だ。1630万で広告を打っても大した露出はない。朝日や読売で広告を出せば、全面カラー広告1回で、このぐらいすると思う。テレビだってプライムタイム15秒で100~200万ぐらいだと思う(かつては仕事で詳しい分野だったけど、今は違うかな)。その何倍の効果があるのか。テレビのニュースで取り上げられ、さらにニューヨークタイムスだ。こりゃすごいよ。
 毎年話題になるようなので、来年もきっとパブリシティ効果を狙って高値で落札するものが現れるだろう。
 
 今日はいままで書きたかったけど2ヶ月間さぼって書かなかったテーマを少々。
 大晦日の格闘技イベントについてふたつ。まずはミノワマンVSソクジュについて。あれは八百長だなと見ていて思ったが、後ほどネットで調べると八百長疑惑がやはり出ているようだ。そうすると過去ミノワマンが勝ったボブサップとかチェホンマとかの試合もイカサマだったのかもしれない。総合系は八百長がない、あるいはかなり少ないと思っていたけれど、プロレスラーは習慣から抜け出せないものなのだろうか。ちょっと残念。
 もうひとつは青木真也VS廣田瑞人戦。えぐい試合だった。見ていて気持ち悪くなった。UFC、ストライクフォースから全日本剣道選手権まで見ている僕ですが、こんなふうに気持ち悪くなったことはあまりない。いやな試合だった。
 見ていない人のために簡単に解説すると、ゴングすぐに青木が廣田をコーナーで倒し、そのままグラウンドに入る。青木は廣田の右腕を決める。この決め方がちょっと変わっているのだが、よく警察とかが犯人を捕獲するときに腕を犯人の背中のほうに曲げて決めているでしょ。分かる?、説明が下手で申し訳ないが。これって一般人に対しては有効な決め技だけど、プロでは効かない技だと思っていた。プロというよりむしろマットの上では、かな。なぜなら決められたほうが回転すれば簡単に外れてしまうからだと。しかし青木はうまかった。廣田が動けないように体を固定して、回転を防いだ。最初はそれでも腕は押さえているだけで、ガードできない顔面へのパンチ攻撃が中心だった。しかし次第に右腕の決めが厳しくなり、ついに右腕は頭のほうまで曲げられてしまった。画面で見ていて、なんか腕が尋常でない位置まで来ているのが分かった。つまり間接が抜けたか、骨折したか。あまりに腕が異様な形になったので、レフリーがストップし、そこで試合終了となった。
 よく見えなかったが、廣田はギブアップしていないと思う。レフリーストップで決まったように見えた。というのは廣田は右腕を決められ、さらに左腕も押さえつけられていてタップできない状態に見えたからだ。もしかしたら口で言ったかもしれないが、そこはよく分からない。
 後ほどネットで結果と勝者青木のコメントを読んだ。やはり骨折していて、さらに間接も損傷していたようだ。青木は廣田の腕がミシミシと音を立てて折れるのが分かっていたそうだ。むしろわざとそうしたそうだ。
 以前、吉田がホイスと対戦して、吉田の袖車絞めにホイスが落ちそうになったとき吉田は力を弱め、その直後にレフリーストップが入ったことがある。レフリーストップの直後、ホイスは意識を戻して、レフリーにレフリーストップの無効を訴えた。せっかくの吉田の勝利も、どうも後味が悪いものになった。そしてホイス側の執拗な抗議の結果、数年後だが再戦になったのだ。吉田があとのき、力を抜かずに完全に落としてしまえばよかったのかもしれないが、僕はそうは思わない。確かに閉め落としてしまえば試合は明確に決着がついたと思うが。完全に無抵抗な状態の相手をさらに痛めつけることを避けた吉田に僕は好感をもつ。吉田は良い選手だと思う。
 それと比較して青木は。現在、70キロクラスでは日本最強ともいわれているようだが、あの試合を見てしまった以上、今後応援することはないと思う。

今日は1月の認定日である。

 本日はハローワークの認定日。これで確か10回目。あ2回で終了になる。つまり失業保険はあと2回で打ち切りだ。この10ヶ月を振り返ると、失業保険だけでは生活することができなかった。つまり持ち出しだ。できれば残したいとさえ思ったのだが、実際にはかなり貯金を使ってしまった。それでも貴重な収入であり、随分助かった。3月以降は完全に貯金の切り崩し生活が始まる。さてどうなるのか。

 ハローワークの認定日には必ずすることがある。最初は意図していなかったが、自然と恒例になった。
 まずは行く途中、日経新聞を購入する。以前はもちろん産経新聞を購読していたが、退社を決意してすぐに止めてしまった。産経はもちろん中々良い新聞だと思うのだが、キオスクで買う段になるといつも日経を買ってしまう。このたまに買う日経というのが、良いのだ。今日の日経はちょっと薄かったが、それでも40ページぐらいあった(今、手元にない)。これを数日かけて、じっくり読む。隅からすみまで読むと、結構な読み応えである。月一、まあ実際はもうちょっと買うが、かりに月一だとしても、これで十分、世の中の動きを把握できる。普通の人は毎日新聞を読んで、でもちょこっとだけ読んで、それで分かった気になっている。しかし本当だろうか。月一でもしっかり読んでいる人と比べて、あなたはよりニュースを、あるいは社会を理解していると言えますか。この際、そこのところを考えてみてもよいのではと、思いますよ。ほんと。新聞社には悪いけど。
 ハローワークの帰りには、ハローワーク近くにあるQBカットでの散髪。僕は結構、いいかげんなペースで髪の毛を切っていたが、失業者はただでさえむさくるしい風貌になりがちだ。なので毎月一度散髪することにした。よって失業してからの僕はいつもさっぱり綺麗な髪をしている。QBだけど、まったく問題なしなのだ。結構、かっこいいと、言われることも多い。今の髪型。
 次はハローワーク近くにあるユニクロで買い物。これも失業者は野暮ったくなりがちなので、気をつけている。QB,ユニクロとここのあたりは失業者然としていて、なかなか宜しいと自分では思っている。身の丈を出ない自重が必要なのだ。そうそう、今日ユニクロで驚愕の事態が発覚した。たしか10月の認定日だと思うが購入した偽ものレザーのジャケットが、本日は安売りされていたのだ。10月には1万円弱の値段であったと思う。それがなんと2900円になっていたのだ。これには大きなショックを受けた。ユニクロで安い買い物ができたと得意がっていた自分の愚かさが悔しい。そうなのだ。ユニクロって結構、ディスカウントするのだ。その事実に気が付き、最近はディスカウント品ばかり購入しているが10月の時点では知らなかったのだ。返す返す、悔しい。それに、10月の時点ではかっこいいと思って買った偽ものレザーのジャケットが、なんだか派手すぎてあまり着たくない気分になっているのだ。それで今まで3回ぐらいしか来ていない。ああ。
 つづいて銀行に寄って通帳を記帳する。この時点ではまだお金は入金されていないのだが、銀行のある場所に行く機会が少ないので、これもいつも行っている。そして減り行く貯金を確認し、意を新たに自分を奮い立たせるのだ。
 そして最後がメインエベントだが、美味しいものを食べるのだ。最初は逗子駅でラーメンなんか食べていたが、それもなんだかもったいないような気がしてきて、最近はスーパーでお惣菜を購入して家で食べる。僕は完全自炊派なので、惣菜を買うことは、この日を除いてない。それで、ちょっとだけ手抜きをして惣菜を購入するということは、僕にとっては贅沢なのだ。これも失業者然としてて、よいでしょ。今日はイカと竹輪の天ぷらを買った。合わせて280円なり。これを家に持ち帰り天ぷらそばを作った。美味なり。
 さて僕にとってはハレの日である今月の認定日は終了した。楽しい一日であった。天気はいいし、懐は豊かだし、美味しいご飯は食べられたし。満足満足なのだ。
 そうそう、帰りにラジオ英会話のテキストも買った。今日からラジオ英会話もやるぞ。
 といった一日でした。まだ午後3時半だけどね。とにかくとても大切な一日だったのである。さて、これからラジオ英会話でも聞くとするか。

パームオイルについて

 今日はいつも通り5時起き。まだ真っ暗でとても寒い。拙宅は築40年の木造なので夏涼しく、冬寒いという構造である。なので夏は快適だが、冬は精神鍛錬に良いが体には堪えるのだ。
 まぁ、家の造りはともかくとして5時に起きて、その後翻訳のお仕事。といっても本を読んでるだけだが。
 昼に懸垂10回を3セット、拳立て20回、鉄アーレを使ってショルダープレス10回をする。それからジョギングに行きたいところだが、まだ踵が痛いので代わりに四股を踏む。200回やりたかったのだが、調子が悪く150回で断念。その後昼食。
 昼食のあとCNNを見ていると“EcoSolution”という番組でパームオイルについてやっていた。なんでもパームオイルの世界的需要が急増しているらしい。それでインドネシアでは熱帯雨林の原生林をどんどん切り開いてパームオイルの原料となるアブラヤシを植えまくっているのだ。そのためそこに本来住んでいた動植物が住む場所を奪われ、特に絶滅が危惧されているオラウータンはさらに種の存続の危機に迫られているとのこと。
 パームオイルというのはチョコレートやお菓子の、あるいは石鹸、洗剤、さらには化粧品などの材料として用途が広い。お菓子に使われる理由は、味は勿論のこと乳製品より健康的だということ。石鹸や化粧品に使われるのはローカロリーで健康的であることと、石油由来の原料よりエコロジーだと考えられているからだ。僕も以前は食器洗い用洗剤にパームオイルを原料としたものを使っていた。しかし今は使っていない。なぜかというと、表示を良く見たらどうも色々な化学薬品が添加されていて、なんだかしらけてしまい使用を止めたのだ。まぁそれはとにかく、本来エコロジーであって、環境に優しいと考えられていたパームオイルが実はあまり環境に優しくないらしいのだ。番組はそんな内容だった。
 そこで思ったこと。石油由来の製品でもパームオイル使用の製品でもつまりエコロジカルでない。じゃぁ環境に配慮する消費者はどうすれば良いのか。答えはチョコレートやお菓子は食べず、石鹸や洗剤は使わずに水で洗い、化粧には庭でそだてたユズやアロエ、あるいは小鳥用の水のみ場を作ってうぐいすをおびき寄せ、その糞を採集して自家製の化粧品を作ればよい。う、しかしどうもこれの実践は簡単でないような感じがする。じゃあ、ではどうすべきか。現実的な回答は使用を止めるのではなく、なるべく減らすように努力するということ。このあたりが現実的な回答であろう。それとエコロジーとかサステナブルとか言う言葉が跋扈して、そしてそれをうたったコマーシャルが行きかっているが、どうも簡単には信じない方が良いように思う。大人の世界には裏があるのだ。あと、政府の消費奨励。なんかストンとこないな。

2010年の目標

2010年の目標

 明けましておめでとうございます。今年こそは真面目にブログを更新しますので、どうぞ皆さんご期待を。
 しかし閲覧数ほぼゼロなのだ。だから「皆さんご期待を」なんて、なんだかむなしいし、無駄だ。でもさらにしかしだ。ゼロではないのだ。だから、こんなことを書いてもバチはあたらないはずだ。うん。
 年も改まったので、ブログ再開を約したついでに今年の目標も書いてしまおう。こんなことを公開の場で書いていいのだろうか。書いてもよいだろうが、書かないほうが無難な大人の対応だろう。年齢は十分すぎるほど大人だが自他共に認める幼稚な自分であるから、差しさわりのない程度に書いちゃう。

1. 毎月2冊、年間24冊の未翻訳本を探し出し、企画書を書いて出版社に売り込む。
2. 年内に最低3冊、出版化の目処をつける。
3. 年収150万円を達成する。
4. ブログを毎日(ほぼ)つける。
5. ランニングを続ける。
6. 3月の三浦国際マラソン(ハーフ)と11月の湘南国際マラソン(フル)に出場、完走する。
7. 合気道三段の審査を受ける。
8. 合気道の稽古にもっと行く。
9. ラジオ英会話を続ける。
10. 自動車免許を取得する。

 1~3はマジですよ。昨年は実務翻訳でちょっとしたデビューが実現した。まぁデビューとあえて言うほどのものではないのだが、実際にお金になる仕事が結構できた。そして今年こそは本来の目標である出版翻訳に注力する。今年も実は実務で仕事が来ているのだが、あえて生意気な態度を取ることにする。自分からトライアルは受けない。今までお世話になった人から頼まれた仕事だけ受ける。そしてその他の時間は出版に費やす。ということで1,2、3なのだ。1,2は結構すごいでしょう。とくに2は無謀かもしれない。でも目標は高く。それと出版は予想収入が少ないのでこのぐらいこなせないと生活ができなくなる。蓄えもあと1年ちょっとで尽きそうな計算なので、やはり今年年内になんとか出版のきっかけだけでもつけたい。3はちょっと控えめと思いますか。いやいや僕としては結構、現実的な数字です。これだけいけば、なんとか生きていける。つまりそんなに質素な生活なのだ。僕は。
 4は特に説明は必要ないでしょう。5以下は、なんか勢いというか、こういうものはやはり10個は必要であろうという僕的な常識として、かなり無理やりにひねり出したものだが。一応、説明を
 5,6はこれは去年から考えていたことだ。これは目標というより、希望というか。なぜランニングが希望かというと、相変わらず足が痛むのだ。今は右踵が痛くてビッコをひいて歩いているような状態である。でも毎日快晴で。本当に走りたいのだ。でも走れない。なにで今日はトレーニングとして四股を踏んだ。四股も良いのだが、天気の良い日はやはり走りたい。ということで希望になる。6もその延長。
 7は思わず書いてしまった。本当はこんなこと自分で言うことではなく、師範から勧められて初めて言えることだが。しかし機会がもし訪れたら挑戦してみたい。8はそのためにも是非励行したい。昨年はあまりに稽古にいけなかった。これは後悔している。
 9はこれは頑張りたいな。昨年12月から初めて非常に効果が感じられた。翻訳家を目指す男がなぜ今更“ラジオ英会話”かと訝る向きもいらっしゃるだろう。それは恐らく“ラジオ英会話”を見くびってのご判断ではないだろうか。一応、僕はアメリカで通算3年弱生活をして、向こうで修士を修了しているが、毎日、勉強になるフレーズに出会える。もちろんリスニングの勉強にもなる。さる有名な大学教授(英語のね)でも聞いているらしい。なので9はかなり本気な目標である。
 さて10だ。え、自動車免許を持ってないの? と思った人。はい、持ってません。今はね。僕も人並みに以前は持ってました。しかしちょっとしたことがあって、これは機会があれば後ほど説明しますが、今はもってません。それで10をしようかと。しかしこれは正直迷っている。なぜなら免許の、あるいは車のない生活にすっかり慣れてしまって、あまり不便さを感じていないからだ。それに今更また教習所に通いたくないし。教官に叱られるのが嫌だし。一発試験は自信がないし。なので乗り気ではないのだ。でも、ではなぜ、10なの?と、思われますよね。それにはちょっとした理由があるのだ。
 実は犬を飼わないかと誘われているのだ。犬が来たら車がいるでしょ。病院にだって連れて行くのが大変だし。あ、ネコの病院はケージに入れて手で運んでます。幸い動物病院が近くにあるので、なんとかなってます。でも犬は。普通は歩いて連れていけばよいのだが、もし歩けないような事態になったら。ちょっと犬、それも結構でかい種類なのだ、はケージで担いで持っていくことができない。それとこっちがより大きな理由だが。実家に帰るときはいつも猫は家に置いておくのだが、犬の場合はトイレの必要があって、まさか例えば2日間とか家に置いてきぼりにすることができないと思う。車があれば一緒に連れて行ける。
 さて、こうして10個もの目標を立てた。そして衆目にさらした。これで今年はきっと素晴らしい年になるだろう。なんだかこれだけで十分な充足感が得られてしまった自分。
 目標は目標。現実は現実。年齢的に十分大人な僕はそこのところの住み分けはできるのだ。うん。
プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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