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初めての確定申告

 昨日、生まれて初めて確定申告というものをしてきた。鎌倉税務署ということころに行ってきた。
 事前に書類を用意してあったので、提出しただけだった。ネットで調べると8時半から受け付けると書いてあったので、その時間にでかける。確かに受付はしてくれたが、質問、相談は9時からとのこと。30分待つのもなんだし、正直内容に自信はなかったがそのまま提出する。
 一応、ネットで調べたり元の会社の人事部に電話をかけたりしてから書類を書いたのだが、なんといっても初めてで自信はなかった。というのも源泉徴収の割戻しが、極端に多いのだ。源泉徴収された分のほとんどが戻ることになる。私の計算だと2009年度に納める所得税は1万円以下となってしまう。いくら今年の収入は低いとはいえ、こんなものなのか。確かに勤めていたのは3月までで、その時点では1年間働くことを予定して年収を計算している。高めになることは分かるのだが。
 税金が安くなることは嬉しいことなので、そのまま出してしまう。誤りがあれば後ほど連絡があるらしいが、あのまま通ることを祈る。払い戻しが出たら、うまいものでも食べに行こう。

 それと確定申告のついでに青色申告の申請と、開業届けを出してきた。これでいよいよ私もフリーの翻訳者だ。青色申告にしたのは控除が65万円受けられるからだ。基本控除も38万円あるし。合計すると103万円。それと今年になってから本やら文具やら電気代やらの領収書をためている。これらは経費として計上できるので、合わせると150万円ぐらいになるかもしれない。この金額までは、無税だ。そう考えると、あまり稼がないほうが得なような気がしてくる。もちろん、たくさん稼いだほうが得に決まっているのだが。個人で確定申告をすると不思議な感覚が沸いてくるから、不思議だ。
 実際はそのうちうんと税金を納められる立場にならなくてはいけない。

 あまり早く申請が終わったので、鎌倉市役所の前にあるスタバに行ってきた。前から気付いていて、一度行ってみたいと思っていた。というのはすごくカッコいいスタバなのだ。店内は比較的広く、大きな窓がある。窓の外はテラスになっていて、こちらで座ることも可能。犬連れの人などがいた。その前はプールのような池のようなものがあり、店内から窓を眺めるととても開放的なのだ。運よく窓際の、ふんわかシートを確保できたので、そこでのんびりと小一時間ほど過ごす。豆乳を温めたのを飲んだが、これも美味しかった。
 しかしさすが鎌倉ですね。スタバまで他とは違う。

 スタバの写真を撮りたかったのだが、忘れてしまった。かわりに今日のフクちゃん、大ちゃんを掲載する。

フクちゃんと大ちゃん


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リストラについて

 リストラについて考えてみた。私は希望退職制度を利用して昨年3月、産経新聞社を辞めた。これは広義に捉えればリストラされたと言えると思う。ただし狭義ではリストラではないとも思う。
 なぜ広義にはリストラに該当するかといえば、希望退職制度(希望という部分に注目です)という会社としては人員削減を目的とした制度を利用して辞めたのだから、会社から見れば私はリストラのメンバーであり、その面からすればリストラの構成要素であり、リストラされたといえる。一方、狭義には否、というのは私自身の視点からすれば会社の動静とは関係なく、個人の人生観で組織を離れたいと思っており、たまたま希望退職制度というものが目の前に出現して、それに主体的に参加したのだから、これはリストラされたとは言えない。
 だから私個人としては当然、会社をうらんでいないし、むしろ退職の仕方としては感謝している。それなりの退職金を受け取ることができ、人生の再スタートの原資を得ることができたのだから。
 ところが広義でなく狭義の意味でもリストラを断行された人がいる。この狭義のリストラについて考えてみたい。

 狭義のリストラを改めて定義するなら、個人の意志にかかわらず組織の経済的都合で一方的に解雇された、ということになるだろう。この一方的解雇には、たとえば上司からの執拗な退職勧奨や、いわゆるタコ部屋への異動の結果の自主退職なども含む。世間を見渡せばむしろその方が多いだろう。昨年2回行われた産経新聞社での希望退職においてもそういう意味でのリストラメンバーはいたのではと思う。

 会社とは現代の社会の中核をなす組織であり、共同体である。そのほかの代表的な共同体は勿論、国家と家族である。
 私たちは現在、リストラをなんの違和感もなく眺め、そして受け入れている。しかし会社を改めて共同体として見つめなおすと、リストラは明らかに異常な行為だ。
 会社を国家、たとえば日本国と置き換えて考えてみる。日本国政府が国家財政が厳しいという理由で、ある国民は怠け者だから国外追放してやろう、とは考えないだろう。民主的な現代日本だから、そんな非情なことをしないのではない。どこの国家であれ、そんな行為はタブーである。歴史を振り返ってもそうだ。
 江戸幕府や平安朝廷であれ、そんなことはしなかった。島流しがあるだとう?、といわれるかもしれない。しかしあれは島嶼部というあくまでも国内への配流であって、会社でいえば超辺鄙な支店への左遷みたいなものだ。
 では家族ではどうか。これも離婚とか勘当とかあるじゃないか、とお考えの方。これもちょっと違うのだ。離婚は両者の合意のもとに行われるのが原則であり、民法にそれは明示されている。また親子間の勘当は法律上は認められていない。つまり勝手に勘当したと、親や子が主張することはできるが、それは法律上の根拠ある行為ではない。

 では次に現代の会社に該当するような中核共同体を例えば徳川時代で探してみよう。それは庶民では地域社会が該当し、武家では藩が該当する。
 では地域社会でリストラがあったかというと、やはり否である。村八分があるが、しかしこれも現代のリストラとは大きく異なる。村八分は対象者が庄屋の奥さんと不倫したとか、村共有の池から勝手に水を自分の田んぼに引き込んだとか、対象者に落ち度や罪が必ずある。村の財政が厳しいから、あの家族を村八分にしようとは考えることはできない。さらに通常はその土地に住み続けることは許され、追い出されるわけではない。
 では藩ではどうか。追放行為は結構あったようだ。しかしこれも村八分と同様に個人に責任がある場合に限定された。藩財政が逼迫したために、50人ばかり追放した、なんて史実は聞いたことがない。村八分や追放は今なら懲戒解雇に該当する。リストラではない。
 つまり過酷なイメージのある徳川時代でさえ、中核共同体において共同体の経済的都合で一方的に構成員を追い出すようなことはしていないのだ(と思います。疑わしい方はお調べください)。

 なぜであろうか。共同体にとって一番大切なものはまさに構成員だからである。構成員なくして共同体は存在できない。つまり共同体にとって構成員はレゾンデートルなのだ。それは裏返せば、構成員を自ら排除するということは共同体の存在意義を自ら否定することになる。

 現在普通に行われているリストラという、構成員の排除行為は共同体として異常であり、残酷な行為であると私は思う。リストラはかなり滅茶苦茶な行為なのだ。共同体の取る行為としては支離滅裂である。まったくもってどうしようもなく、やになっちゃう選択である。ほんと、そうです。
 こんな支離滅裂な行為を続ける共同体にどんな未来があるのか。これだけ多くの企業でリストラが続けられてる現状を見ると、その結果は一様ではないだろう。まさかリストラを実施している企業が自らの存在意義に背いた結果、須らく淘汰されるとは私も思わない。しかしリストラが財務基盤を強化し、その結果会社という共同体の体力を単純に高める、そう楽観的には考えらないのだ。
 10年、20年という単位で俯瞰すれば、恐らく大胆なリストラを断行した企業はその反動を受け止めなくてはいけないであろう。もちろん会社経営の要素は複数あり、この部分ではのみ測ることはできないが、しかしその影響は確実に出る。
 会社を希望退職した暇な男はそう考えるのである。これは決して希望的観測ではないですよ。




中国で、巨大ヘビが捕獲される

 また「へんてこニュース」を書いてみました。ちょっとネタは古く昨年の8月の出来事です。オリジナルのニュースは人民日報のウエブ版に掲載されていたようですが、その後続報は見ないので、フェークネタだと思います。


 中国遼寧省撫順市で全長17㍍弱、体重300キロの巨大ヘビが見つかったことを17日、ニュース・サイト「ウィアード・アジア・ニュース」が報じた。
 同サイトによると森林を切り開き道路を建設中の作業員がショベルカーで土を掘り返している最中に異物を発見。目を凝らすと巨大なヘビが二匹おり、一匹はショベルカーで傷を負って横たわり、もう一匹は運転手を睨みつけていた。異様さに気付いた周りの作業員達は恐怖のあまりその場からいったんは逃げ出し、その後現場に戻ると運転手がぐったりとしていた。傷ついたヘビはまもなく死亡、もう一匹は丁度ジャングルへ逃げ込むところだった。作業員たちは運転手を病院へ運んだが、運転手はその病院で死亡。死因は恐怖のための心臓発作だと推測される。
 この事件に関し地元の役場は、現地では巨大ヘビの生息は認められておらず、作業員達の手の込んだいたずらであると発表した。しかし同サイトは1938年に発見されるまでシーラカンスが今も生きているとは信じられていなかった。巨大ヘビも第2のシーラカンスになる可能性はあると報じている。

巨大ヘビ



 こんな記事です。地上最大のヘビはアマゾンに棲むアナコンダで10メートル弱だったと思いますので、これが事実なら大ニュースです。でも、違うでしょうね。
 前回の人工処女膜同様、中国はやってくれます。「へんてこニュース」を書くには、チャイナサイトは見逃せません。

中国で処女膜ビジネスが大盛況

 最近、スポーツ紙に掲載する海外物の“へんてこニュース”を書いている。英語のサイトを覗いて笑えそうなものや、ちょっとエッチなもの、動物の可愛いのものなど、スポーツ紙チックなニュースを探してきて翻訳、スポーツ紙用に書き直している。まだ採用されたことはないのだけど、結構面白いものもあるので下に掲載します。

 バッグや時計、さらには自動車までも模造品が横行する中国だが、ついにとんでもないまがい物が登場し、人気を博している。それはなんと処女膜の模造品だ。
 「ウィアード・アジア・ニュース」が報じたところによると、中国の都市部では路上で人工処女膜が260元(約3500円)程度で売られており、初夜を迎える女性に大人気なのだそうだ。
 中国は本来、お堅い儒教国家で貞操観念は厳しい。ところが最近の経済発展で西洋文化が流入し若者の生活スタイルも欧米化、婚前交渉も普通になってきている。そこのところまでは日本も同じ歴史を歩んできたが、ここから先中国は独自の文化を花咲かせる。中国男性は、独身時代は恋人と西洋的な付き合いを楽しんでも、結婚する相手には儒教的貞操観念を求める。そして中国人女性は模造品の処女膜で男性の希望にこたえるのだ。
 さて使い方だが、初夜の当日新婦はこっそりと自らの秘部に模造処女膜を挿入するだけ。そうとはしらない新郎に見事突破されるとちゃんと赤い液体が流れ出る仕組みだ。説明書にはきちんと「処女の頃を思い出し、痛がること」と演技指導まで書かれている親切さだ。
 同サイトによると「たった5分であなたもバージンに」、「高性能、これで秘密の過去も帳消しよ」、「260元でバージンがカムバック」「手術も薬も不要、副作用も心配なし」なんて広告が中国のあちこちで掲載されているとのこと。

中国製“人工処女膜”の商品

デジカメを買った

 またサボり癖がでて暫くご無沙汰をしてしまった。でも今数えたら1月は9本ブログを書いている。去年よりはましな感じだ。今月は何本になるのか。

 デジカメを買った。デジカメは3代目だ。しかし新しいのを買うたびに技術の進歩に驚愕する。今回のは2万円以下の手のひらサイズだが、なんだかすごい。まだ使いこなしていないので、どうすごいか説明できないのだが、なんだかすごそうなのだ。さっき近くの山で鳥の写真を取った。遠くのほうに居たのを無理元で撮ったのだが、今見たらちゃんと写っている。パソコンで普通に見ても小鳥はまるで点なのだが、拡大するとはっきり見える。ここでそれをお見せしたいのだが、拡大した部分だけを切り取ることが私のPC環境ではできない。




富士山と鎌倉


 朝、ごみを捨てに外にでると空が真っ青で高い。せっかくデジカメを買ったのだし、裏山へ散歩に出かけることにした。
 今年の冬は実に冬らしい冬だ。日本海側では連日の大雪らしい。そしてこちら太平洋側は連日の晴天だ。空は晴れ渡っているが、気温はちゃんと低い。裏山の小道は日影に入るときちんと霜柱が立っている。そうここ数年の冬は霜柱さえ立たなかった。
 霜柱をさくさく踏んで歩きたいと思ったが、この裏山のすぐ近くには幼稚園があって、子供たちが遊びに来る。子供たちの楽しみを奪っては申し訳ない。霜柱は見て楽しむことにする。
 裏山といってもそこは綺麗に整備されていて公園のようになっている。景色のよいところはベンチなどもある。この裏山で景色が良いというのは海が見えるか、富士山だ。その両方がよく見える場所があるので、写真を写した。
 下に見える鎌倉の街だ。街に面するのは由比ガ浜。そしてその左手に相模湾が広がるのだが、この写真では見えない。右手はもちろん富士だ。富士は腰のあたりまで雪化粧を施し、一年で一番のおめかしをしている。富士の左には箱根も控える。
 逗子の冬はとても良い。ひょっとして一年で一番かもしれない。晴天の日が続き、空はどこまでも青い。朝晩は冷え込むが、日中は日当たりの良い部屋は暖房いらずだ。山を歩いても汗はかかず、虫は出ず、落葉樹はすっかり葉を落とし、見晴らしはとてもよい。
 日本海側の人には申し訳ないが、この冬をひとり、いや猫2匹とともに楽しんでいる。右が福ちゃん、左が大吉。

福ちゃんと大吉

正しいことを行え

ちょっと前に訳出したのだが、アップするのを忘れていたので今更だがアップする


正しいことを行え by Paul Krugman
ニューヨークタイムス 2010年1月21日掲載

 下院の民主党議員へのメッセージとして。“今こそ真実が試されるときだ。正しいことを行え、つまり上院において医療保険改革法案を通過させなくてはならない。さもなければ安易な道に流され、ただ言い訳をし、そして歴史という試験で不合格を突きつけられるであろう”

 火曜日に実施されたマサチューセッツ州上院議員補選での共和党の勝利は、民主党は医療保険改革の修正法案を上院へ差し戻すことが不可能になったことを意味する。これはまったく残念な事態である、というのは上院と下院の協議による修正案は、すでに上院を通過した法案より優れたものであるからだ。しかしながら法案がまったく通らないことに比べれば、上院案でもはるかにましである。そしてこれから法律化に向け、唯一できることは、下院においても同じ法案を通し、オバマ大統領のデスクへその法案を持っていくことだけだ。

 ナンシー・ペロシ下院議長は上院法案を通過させるための票決は行わないと現時点では述べている。しかしこれ以外の選択肢は残されていないのが現実だ。

 共和党の支持を期待し、民主党案を縮小するべきだという議論もある。しかしそんな方法が通じるなんてまともに信じている人間は、他の惑星でここ何年間かを過ごしていたに違いない。

 実際のところ、上院案は共和党との妥協点をさぐった中道案である。またわずか2,3年前にミット・ロムニーがマサチューセッツ州に諮った案と酷似している。しかしロムニー案は共和党の横並び意識から反対を受け、そしてそのことは民主党に医療改革を進めるには共和党の同意を得ることは難しいことを教えた。それがどうして今更、共和党の心変わりを期待できようか。

 もうひとつの方法として、医療保険改革案を細分化して、人気がある部分のみに絞った法案だけを成立させるべきだと訴えるものもいる。しかしその方法の提唱者は、大切な政治の問題点について気付いていない。

 医療保険改革は3本足の椅子であると、考えてみて欲しい。もし3本足の椅子のうち、1、2本はいらないから安くして欲しいというものがいたら、あなたは嘲るだろう。医療保険改革のうち人気があるもののみを切り分けて法律化すべしと訴えるひとも同様に嘲りの対象になるに相応しいのだ。基本的な点をすべて含む法律でなければ、現実には機能しないものとなってしまうのだ。

 例えば、過去の医療歴による差別は禁止するべきだと考える人の意見を議会が聞き入れ、その法案が通ったとしよう。するとどういうことが起こるだろうか。きっと医療保険改革の専門家はほとんど同じ意見だろうが、もしそれと同時に健康な人も保険に加入するように議会が強制しなければ、それは“死のスパイラル”に直結することになる。健康なアメリカ人は保険に入らず、保険に加入している人は高い保険料を払わなくてはならなくなり、するとさらに比較的健康な人はさらに保険に入らなくなり、というスパイラルが続くのだ。

 では“死のスパイラル”を防ぐために議会が健康な人も保険に加入しなくてはならないと決めたとしたら、低所得者への財政支援が必要となる。そしてそれは上院案とさして変わらないものとなるはずだ。つまりこれ以上、医療改革案を軽量化する方法はないのだ。

 共和党を説得することはできずまた、国民受けの良い部分だけ抜き出す法案も不可能である。であれば医療保険改革法案の成立を、上院で予算を通すことと引き換えにしてみてはどうだろうか。これがうまくいけば議事妨害を回避できる。

 これはかなり現実的な選択肢であり、この方法が必要とされる可能性はある(後から上院案を変更することも可能であるし)。しかしこうした取引は通常、税と歳出の問題についてのみ可能であり、改革法案のような重要な法案の成立のためには使えない。実際に、医療歴による差別を禁止する規制だけでも、こうした取引をすることができるのかは不透明である。

 その結果、民主党の一部からは法案自体を完全に諦めようとするものも出てきた。

 これは政治的センスのまったくないものの考え方だ。もし完全に投げてしまったら、民主党は将来にわたって“社会主義者”の医療保険改革を推し進めようとしたという謗りを受け続けるだろう。思い出して欲しい。改革自体は両院ですでに通過しているのだ。民主党は哀れで無駄なことをした政党であると国民に刷り込むことになるだろう。

 そしてところでだが、政治の使命は選挙の再選より大切なことなのである。アメリカは医療保険制度を絶対的に必要としているのだ。民主党が中間選挙における負けを少しでも抑えたいがために、そんな理由で改革案を断念したとしたら、それは国民へ対する裏切り行為となるだろう。

 火曜日の補選から明らかになった民主党の問題は、オバマ大統領が意を決して立ち上がることをむなしく待ち続けてきたことである。

 しかし国民に仕えるためにワシントンへ送られてきた連邦議会議員である以上、大統領が消極的であるからといって、その背中に隠れてよいはずがない。

 医療保険改革が失敗に終わったとしたら、保険料はさらに法外となり、医療保険を最も必要とする人こそ加入を断られ、病気になったときにどうすることもできないといった、今以上に悲惨な情況がやってくること、そしてそれにもかかわらず保険会社はそんな事態も織り込み済みであるという事実を頭に入れておくべきだ。そして有権者はそのことを忘れずに、そんな状態を引き起こした政治家を許しはしないだろう。

 すべての米国民のみなさん、わが国は今岐路に直面しています。ただ悲観するばかりでなく、今は求められる行動を取るべきときなのです。

訳:山本拓也

プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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