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朝から泣いてしまいました


 久しぶりに泣いた。いやいやそれは嘘である。僕はテレビや映画を見てもすぐ泣くたちなので、そんなに久しぶりではないかもしれない。でも数ヶ月ぶりに泣いた。

 前にも書いたかも知れないが、僕はほぼ毎日、「ラジオ英会話」と「入門ビジネス英語」と「実践ビジネス英語」を聞いている。この3つともNHKのラジオ番組だが、インターネットで前週分を聞くことができる。なのでいつも1週間遅れの放送を、ネットで聞くことにしている。

 今朝聞いた「ラジオ英会話」の題材はマッチ売りの少女だった。これ、改めて聞くと強烈に悲しい話ですね。聞き始めて、すぐにウルウルきた。最後の、女の子を生前かわいがってくれたお婆さんに抱かれて死んでいくシーンでは涙腺がついに決壊した。今日の「ラジオ英会話」では、ストーリーを3回も読んだので、3回も泣くことになった。番組が終了したときには、なんと泣き疲れていた。ああ、今この文を書いているだけで、あのシーンを思い出す。かわいそうう。

 こんな悲しいストーリーなのに、ラジオ英会話に出演する遠山顕氏もケイティ・アドラー氏も、ジェフ・マニング氏も泣いていなかった。ジェフなんて、結構泣き虫な感じがするのだが。
 仮に僕がこの番組を担当していたら、番組中でも駄目だろうな。徳光さん状態になること確実である。
 しかしよく考えてみれば、ラジオ英会話を聞いて泣く中年男がこの世に存在することの方が稀有なことなのかもしれない。おそらくラジオ英会話を聞いて泣いたことがある40代の男性は日本でただひとりだろう。そう考えると、僕というのは貴重な存在なのかもしれない。
 いろいろな個性がいて、社会は面白みを増すものだ。僕のレーゾンデートルもここに証明されたと言っても過言ではなかろう。

 まあ、バカな話をしてしまった。
 ところでアンデルセンて、英語だとアンダーセンとういう発音になるんだね。アンダーセンと読むと、なんかコンサルみたいな感じがして、いきなり$$$がたくさん頭に浮かんで来てしまうのは、これもまた僕だけであろうか。

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スポーツジムに行ってみる


 逗子アリーナというところにトレーニングルームがある。いわゆるジムである。そこに昨日、行ってきた。
 半年前に一度行き、登録カードを作っておいた。公営の体育館でよくある仕組みで、ジムを使う前に講習を受けなくてはならないのだ。逗子の場合、講習、といってもトレーナーがマンツーマンで教えてくれるのだが、を1日だけ受ければ登録カードを作ることができる。それを半年前に作っておいた。
 このジムはいわゆるフリーウエートがなく、どちらかというと高齢者の健康維持が目的の施設で、講習を受けた段階で行く気をなくしていた。それで半年、行かずに過ごした。

 僕のジム歴は結構長い。産経が法人契約していた後楽園のスポーツセンターには10年程度通ったと思う。その間、平均して週2日は行っていた。多いときは週5日程度、通ったと思う。31歳から32歳の約2年間、アメリカで過ごしたが、その間は週5日、一回2,3時間のトレーニングを励行していた。でかいアメリカの大学生に混じって、ベンチプレスなんかをガンガン挙げていた。体重は今より20キロ近く重かった。だからジムにはちょっとうるさいのだ。高齢者の健康維持向け施設じゃなぁ~と、思ったのも仕方がないでしょ。。

 今は毎日、家で終日を過ごす。体がなまるので、簡単なトレーニングを自宅で行っている。通販で購入した懸垂マシーンを使って、懸垂10回程度を3セット。拳立てプッシュアップを30回。バーベルを使用してのショルダープレス10回程度。それと四股を200回。このメニューをゆっくりこなして45分程度。ほぼ毎日行っている。
 でも最近は暑い。暑くて、トレーニングができない。それで梅雨明けをしてから、自宅トレーニングを完全にサボっていた。
 終日家で、パソコンや本に向かい、話し相手はフクちゃんと大チャンのみ。こんな生活を続けていると、どうも鬱になってくるようだ。この間、西友に買い物に行って、レジの人と話そうとしたら、うまく声がでない。これはやばいと思った。やはり、外にでなくてはいけない。話す機会はなくても、外に出て、体を動かさなくては。

 ということで昨日、逗子アリーナまでチャリで飛ばし、トレーニングルームで汗をかいてきた。
 マシーンばかりだし(つまりフリーウエートがないということ)、マシーンもベンチプレスや立つタイプのスクワットのような、大きな筋肉に直接負荷がかかるマシーンはない。ベンチプレスの代わりはチェストプレスで、スクワットは腰掛けてやるタイプだ。
 でもきちっと反動を付けずにゆっくりやると、当然のようにきく。高齢者用だと舐めてはいけない、と反省をした。それにもうジムトレーニングを10年近く行っていないのだ。最盛期より20キロも軽い体だ。それと、年齢も高齢者用マシーンに相応しいものになってきているのかもしれないし。
 とにかく、結構楽しかった。
 マシーンは10種類程度あったが、全マシーンを10回3セットずつゆっくりやると1時間以上がかかった。
 逗子アリーナからの帰りの自転車は、行きよりもペダルが軽かった。家は山の上にあるのだが、延々と続く坂も、気持ちよくペダルを踏むことができた。

 本日は筋肉痛である。胸、背中、腕とまんべんなく筋肉痛だ。とても心地よい。筋肉痛って、なんか好きである。
 体調はいいし、気持ちも明るくなったように思う。これからはたまに行ってみようかと思う。今日は大雨なので、行かないが。



かわいい子とあまりかわいくない子


 僕は子供がいないので聞いた話だが、自分の子でもかわいい子と、それほどかわいくない子がいるらしい。つい最近までそんな親について、とんでもない親だと思っていた。自分の子に優劣をつけるなんて、親として失格である。そんなふうにも考えていた。
 ところがだ。猫を二匹飼って、親の気持ちが分かってきた。まあ、一部なのだが。
 二匹いれば、必ず性格は異なる。性格の異なる二匹と生活をともにしていれば、二匹に対し必然的に違う気持ちを抱く。

 うちの二匹は性格が違う。フクちゃんはお人よしである。体が大きく、本気で喧嘩をしたら勝つと思うのだが、大抵は負けている(プロレスみたいな、じゃれあいだが)。食事も、すぐ譲ってしまう。大吉は早食いなので、いつも先に食べ終わり、フクちゃんの餌を横から“くれくれ”をする。するとフクちゃんは、途中でも食べるのを止めて、大チャンに譲る。
 フクちゃんは嫉妬をしない。大吉を可愛がっていても、まったく気にせずに、マイペースでいる。一方、大吉の場合、フクちゃんを可愛がると、「俺も~」とやってくる。
 大吉は人に見えないところで、悪戯をする。ゴミ箱をあさったり、テーブルに乗ったりするのは、いつも大吉だ。大吉は僕が気付いていないと思っているようだが、僕はちゃんと知っているのだ(猫よ、人間をなめてはいけないのだ)。
 だからフクちゃんの方をどうしても可愛いと思ってしまう。同じ子供達なのに、差別はいかん、と思うのだが、どうしようもない。

 おそらく人間の子供に対しても、同じなのだろう。人間は猫以上に個性があるのだから、きょうだいといってもまったく違う人格を有している。子供のころから、その差は明確に現れるだろう。

 子供っていうものは、結構ずるいし、嘘はつくし、残酷である。
 自分の子供時代を振り返って、思うのだが。近所の駄菓子屋ではよく万引きをした。北浦和(当時住んでいたのだ)のデパートまで遠征をして、オモチャ売り場にあったボクシンググローブを付けたまま出てきたこともある。
 いっときはカエルやザリガニに爆竹をしかけ、爆破する遊びに凝っていた。ハナアブの羽をむしって、蟻と戦わせたりもした。
 一方、マジメな子も当然いた。万引きをしたことがない子の方が、万引きをしたことがある子より多いだろう。カエルやザリガニを爆破したことがない子も、ある子より多いだろう。
 例えば我が家で言えば、僕はこのとおり、ずる賢く、残酷なタイプであったが、妹は大人しくいい子だった。子供時分は、うまく立ち回っていたつもりだったが、親は僕の性格を当然見抜いていたはずだ。
 だから親が差別をしたかといえば、うちはあまりなかったと思う。一度として、僕は感じたことがない。
 いや、それでもきっとあったのだろうl。親は表面に現さないだけで、子供に対する感情の差はあったと思う。

 うちのちびちゃん達は、とてもかわいい。どちらともとてもかわいい。しかし厳密にいうと、フクちゃんの方が大吉より可愛い。これはどうしようもないことだ。でも二匹には気付かれないようにしなくてはならない。僕の親がしてきたように。

 ところで、実は僕の可愛い気持ちだが、不変ではない。大吉の方がかわいいと思うときもあるのだ。たとえば喧嘩でフクちゃんに押されているときなど。体が小さな大吉が下になってフクちゃんに押さえつけられていると、「頑張れ、大吉!」と大吉を応援したくなる。
 フクちゃんを可愛がって、抱っこしているときに、大吉がこっちに来たいのを我慢しているとき。そのつぶらな瞳がたまらなく愛おしくなる。

 駄目な子ほど可愛いというものだろうか。これを書いていたら大吉に申し訳ない気分になり、余計大吉が可愛く思えてきた。愛情とは複雑なものである。

暑さでくばたる大福
連日の猛暑でお疲れのフクちゃん、大吉。




“裸足の泥棒”と上原さくらが共有する悲しさ


 ちょっと前の話になるが “裸足の泥棒”が捕まった。日本ではあまり話題にならなかったようなので、簡単に紹介する。
 “裸足の泥棒”ことコルトン・ハリスムーア容疑者は19歳の白人アメリカ人男性で、分かっているだけでも飛行機を5機、ボートを一艘、自動車2台の窃盗と、100件以上の住居不法侵入および窃盗、盗んだクレジットカードの不正使用の罪で指名手配されていた。
 いったん2008年4月、強盗などの罪で逮捕されるが、社会更生施設への移送中に逃亡、その後逃亡生活に入る。逃亡中に飛行機やボートなどを盗み、正式に習ったこともない飛行機やスピードボートを乗りこなし全米を逃避行。人を傷付けない盗みの手口でネット上で人気者となる。

 “裸足の泥棒”と呼ばれたのは、侵入した家屋などに裸足の足跡が残されているケースがあったからだ。いつしかネット上でニックネームが付けられた。フェースブックにはファンクラブまで現れ、英雄視されるにいたる。

 その裸足の英雄がアメリカから逃亡したバハマで7月11日、ついに御用となる。バハマで繰り広げられた逮捕劇の様子はテレビで中継され、全米の注目を集める。

 日本でもここまでは報道されているようだ。では19歳の青年がなぜか裸足で泥棒を続け、ルパンIII世のごとく巧みに飛行機やボートを乗りこなし、2年もの間逃亡生活を続けたのか。ここに触れている記事は見当たらなかったので、これも簡単に紹介する。

 ハリスムーア容疑者はワシントン州のカマノ島で生まれ、その地で育つ。父親はハリスムーア容疑者が幼いときに薬物使用の罪で服役。いったん帰ってきた父親はハリスムーア容疑者が2歳のとき、家で行っていたバーベキューで妻と口論。激高しコルトン少年に暴力を振るい、その後失踪する。
 母は別の男性と結婚するが、その義理の父もコルトン少年が7歳のときに死亡する。

 母は容疑者が幼いときから虐待、育児放棄を繰り返していたらしい。近所の住人は幾度となく母親が烈しく叱る声を聞いている。
 小学校では薄汚い格好の容疑者は苛められることもあったようだが、体が大きく、頭のよい容疑者は大抵苛める側であったようだ。また宿題は一切せず、先生の言うことをまったく聞かない態度に、問題児として扱われていた。

 12歳のころ、容疑者を担当したソシアルワーカーの記録が残っている。「コルトンはお母さんにお酒とタバコを止めて欲しい。そしてちゃんと仕事をして、家に食べ物を持ってきて欲しいと言っている」

 近くの住人の間ではコルトン少年は“島の少年”と呼ばれていた。いつもお腹を空かせ島中をさ迷っている。住居不法侵入を繰り返し、冷蔵庫の中を漁る。パソコンでネットやゲームを遊ぶ。シャワーまでもちゃっかり浴びていく。その家に住人がいない場合は、何週間も住んでいたという。
 つまりコルトン少年は家では食事をまったく与えられずに、パソコンなどの遊技もなく、シャワーさえ使わせてもらえない生活を続けていたのだ。
 虐待を繰り返す母から逃げて、幼時からひとり森で生活し、生きるための知恵を独学で身につけていった。

 飛行機を何度も盗んでいるが、ハリスムーア容疑者がなぜ飛行機を操縦できるのかはなぞとされている。おそらくマニュアルを独自に読み、コンピュータのシュミレーションゲームで学んだのではないかと推測されている。

 学校もほとんどまともに行っていないハリスムーア容疑者はワシントン州というかなり寒冷な地の森林の中でひとり生きる術を身につけていった。鬼のような母親以外、頼る家族もなく、親しい友人もいない。森の中で少年は何を考え、生きてきたのだろうか。

 ハリスムーア容疑者は数多くの犯罪を繰り返してきたが、暴力犯罪は一件も起こしていない。写真でみるハリスムーア容疑者は中々の男前だ。身長は190センチとアメリカ人としても大柄だ。表情は素朴である。

 向うの識者はコメントしているが、まともな家庭環境で育ったならば、相当の知性を伸ばすことができただろうと。

 逃避行の派手さと、裸足の滑稽さで一躍話題となったハリスムーア容疑者であるが、彼のバックグラウンドが分かるにつれ、問題の複雑さにメディアや識者は戸惑いを見せている。


 さて話は突然変わって、上原さくらだ。上原さくらに新しい恋人ができたそうだ。相手はあの青山王子である(僕は今までその存在を知らなかったが、有名みたいですね)。
 前の夫もアパレル会社社長であったという。今回も年商100億だかの会社の社長だそうだ。写真で見ると、それなりのイケメンである。

 上原さくらは可愛そうな女の子だと思う。今回の恋人発覚報道を見て、興味をもち彼女を調べてみたが。
 東京都足立区出身。父親は体が弱く、母親の収入のみで生活を賄う。その後両親は離婚。母の手ひとつで弟とともに育てられる。貧しい少女時代を過ごしたのだ。
 彼女が可愛そうなのは、ただ貧しい母子家庭で育ったことだけではない。彼女がひときわ美しい少女だったからだ。それに彼女は聡明であった。多分、テレビのコメントなんかを聞いていて感じるのだが。
 貧しく聡明な美少女は、自分の武器を早くから察知する。その武器は非常に強力である。当然、彼女はその武器を使いあるいは頼って、世を渡ることになる。
 幸か不幸か、彼女は芸能人となる。彼女の武器を最大に行かせる世界だ。彼女はアイドルとなる。

 彼女は知っている。いつかその武器が使えなくなる日が来ることを。それはそんなに遠い話ではない。昔の貧乏を知っているだけに、貧乏は怖い。そして彼女が選択したものはイケメン社長だ。

 青山王子の会社はそんなに長くは持たないと思う。おそらく王子の親父さんが亡くなったら、瞬時に消えてなくなるだろう。
 でもそんな先のことを考える必要はないのかもしれない。聡明な彼女は、近いうちに王子の将来性に気が付くからだ。
 ならば心配はないと思いたいのだが。でもまた同じ過ちを繰り返すだろう。それが彼女が獲得した、生きる術であるからだ。

 上原さくらは青山王子との結婚の可能性を記者会見で問われると、「今年は後厄だから結婚しない」と勝気に答える。そのあと少し表情を和らげ「とても幸せです」とも。精一杯の姿がなぜか痛々しい。

 米国と日本の貧しく聡明なふたりの若者の過去、現在、そして未来。ふたつのニュースに触れ、なんとも悲しい気持ちに襲われた。


ぼくらは家族


 暑い。夏だ、夏が来た。先週の金曜日から夏が来た。朝、目を覚ますと耳鳴りが始まった。僕は耳鳴り持ちなのだが、早朝から派手に始まったものだ。でも、ちょっと様子が違う。耳の中から聞こえて来るのでは、ない。明らかに外、それも家の外からだ。隣の家の防犯警報機でも鳴り始めたのか。いや、すぐに気が付いた。蝉だ。蝉が鳴いているのだ。
 先週の金曜日、夜明けとともに蝉が鳴き始めた。そして夏がやって来た。

 今日も暑い。午前中はそれでも頑張っていた。窓を全開にして、扇風機を回し。
 猫たちは少しでも涼しいところを探す。フクちゃんは部屋の隅の椅子の下。ここはあまり涼しくないと思うのだが、フクちゃんは暑くなるといつもここだ。大チャンは、廊下の板の上で伸びている。ここはちょっとは涼しいはずだ。僕は二階で扇風機を回し、PCに向う。う~ん。暑い。

 腹が減ってきたので、キッチンへ向う。野菜がたくさん残っているので、ミネストローネを作ることにする。野菜をブロック状に細かく刻む。包丁を動かすだけで、暑さが増す。火を付けると、さらに。汗が滴り落ちる。
 思い切って、エアコンをつけることにする。エアコンはすぐに効きはじめる。さっきまでの暑さが嘘のようだ。外はまぶしいぐらいの快晴。家の中は高原の涼しさ。文明の利器はありがたい。

 昼食は庭に自生しているシソで先週作っておいたシソペーストを絡めたジェノベーゼとミネストローネ。涼しい部屋でのんびりといただく。食事の後は、コーヒーだ。
 部屋は涼しい。お腹は一杯。僕はソファーの上で横になる。
 さっきまで猛暑の部屋が、急に涼しくなったので猫たちは嬉しくて大暴れ。しかし遊び疲れたのか、ようやく静かになる。気が付くと僕の横で二匹とも寝ている。

 二匹の顔が僕の顔のすぐ近くにある。小さな寝息を立てている。真夏の午後、涼しい部屋でお腹が一杯。横にはフクちゃんと大チャンの寝顔。僕もウトウト。
 このまま三人(三匹?)で、眠りながら死んだとしたら、それも幸せだなと考える。死んでもこの子たちと来世か、あの世かで一緒にいられたら、それもいいかな。

 猫なんて好きでもなんでもなかった。今でも特段猫好きだとは思わない。ただこの子達はかわいい。
 暑さで朦朧としたためか、涼しさで冴えわたったのか。二匹の頭をなぜながら、今まで考えたこともなかったことと考える。
 この子達は僕の家族なのだ。

豊かさについて


 最近、技術進歩とは、経済的発展とはいったいなんなのかと思うことがある。

 小津安二郎の映画には、よく昭和30年代のサラリーマン世帯が舞台となって現れる。家は広い日本家屋。部屋の真ん中にはちゃぶ台が置かれ、ちゃぶ台からは結構、広い庭が眺められる。大抵、医者や大学教授、会社の役員の家であるので、裕福な部類だと思う。しかし自分の周りを振り返ってみると、普通のサラリーマンや学校の先生なんかも、あんな感じの家に住んでいたように記憶している。

 時間の流れというか使い方というかが、今と違う。よく主役の男性は会社を抜け出して、馴染みの鰻屋あたりで昼飯を取る。連れは学生時代からの悪友か、悪友の娘さんだったりする。鰻屋までは会社の黒塗りででかけ、鰻屋では大抵ビールを頼む。昼間からビールで鰻だ。
 帰りもよく飲む。飲み始めは夕方からで、家には10時前についてしまう。残業シーンなんて、見たことがない。家に帰るとゆっくりと風呂に入り、それから着物に着替える。すると奥さんがお茶かビールなんかを運んできて、今日会ったことなどを話す。テレビは見ない(ここが、結構ポイントだと思う)。

 そういえば、うちの親父も残業する姿など、見たことがなかった。遅くなるのはマージャンか飲んでいたかのときだけで、何もないときは6時ごろには家にいた。よく夕方、庭に作った自家製の打ちっぱなしで、ゴルフの練習をしていた。それから風呂に入り、ビールを飲んでいた(今、考えるとすごい!)。
 当時は浦和に住んでいて、親父は職場まで自家用車で出かけていた。自家用車は新車で買った自慢のスカイラインであった。子供心に、かっこいい車だと思った。
 その後、習志野に引っ越したのだが、そのときは家の前まで黒塗りが毎朝迎えに来ていた。親父は別に偉くはなく、せいぜい営業所長程度だったが。

 昭和30年代まで遡らなくても、僕が入社した昭和60年代、あるいは1980年代の生活ももっとノンビリしていたように思う。
 僕は1987年にHSBCに入社し、1988年、産経新聞社へ転職した。HSBCは今や世界一の巨大金融機関だが、当時もそれなにに大きな優良銀行であった。でも社員はいわゆるエリートサラリーマン然とは全然してなくて、まさに小津の映画のように、ノンビリと働いていた。
 上のほうはやっぱり鰻屋にひとりで入って、ビールなんかを飲んでいたように思う。たまに鰻屋の前で、ちょっと顔が赤らんだ重役に会った。
 一般社員もノンビリしていた。5時を過ぎると、年配社員がウイスキーを出してきて、皆でデスクで飲みながら仕事をした。もちろん、そうなると面倒な計算なんかできないから、仕事は半分である。そのまま7時ぐらいまで会社にいて、その後ガードレール下の飲み屋に河岸を変えたりした。

 産経でも同じようなものだった。大抵、仕事は7時ぐらいまでで、その後上司が声をかけ、皆で飲みに行った。週に3回ぐらいは、部の連中と飲みに行ったと思う。飲み代は全部、上司が出してくれた。上司は必ず伝票をもらっていたが。
 当時、僕は事業部というイベントを行う部署にいたのだが、よく地方で展覧会などを開いた。そんなとき出張に行くと、地元の新聞社や百貨店から接待を受けた。6時ぐらいから、地元のうまい料理屋に連れて行ってもらい、地の魚と酒を堪能した。それは僕が24,5歳の頃だ。

 今、僕の後輩達は連日、夜中の10時、11時まで残業をしている。今はタクシー代が会社から出ないので、終電までには帰るようにしているらしいが。取引先の広告代理店など、もっと猛烈だ。朝、メールを見ると深夜3時ごろのタイムスタンプが付いたメールが着ていたりした。後から聞くと、その時間まで会社で仕事をしていたという。

 例えば今、僕の家にあるもので、昭和30年代にはないものは多い。PC,携帯、液晶テレビ、デジタルカメラ、FAX,電波時計、電子レンジ、大型冷蔵庫、ウオッシュレット、そのほかたくさん。いやいや、これらは実は昭和60年代にもなかったのだ。みな昭和63年ごろから始まるバブル、それ以降に普及したものばかりだ。沈黙の10年とかいわれる経済停滞期に普及したのだ。

 経済から今昔を比較すると、さすがに昭和60年代から経済規模はそれほど大きくなってはいない。しかし昭和30年代からだと、どのぐらい増えているのだろうか。2倍や3倍なんてものじゃないだろう。おそらく10倍以上の規模(GDP換算)ではないか。

 テクノロジーがこれだけ進化し、経済規模も大きくなりながら、なぜ僕らの生活には余裕がないのだろうか。小津の映画の舞台に、より豊かさや明るさを感じるのはなぜだろうか。

 今よりも少しでもよい生活をしたいと思う気持ち。たとえば新しい携帯電話の機種を買うとか、もっと大きなテレビを買うとか。そんな考えから、少し距離を置けば、世界は変わってくるのかもしれない。実際、僕らは数字上は貧しい国民ではないのだ。つまり数字上は豊かなのだ。でも数字上、豊かでなかった過去の方が豊かに見える。つまり数字であらわれない何かが変化し、その変化により、我々の生活は余裕を失ってしまった。

 僕の今の生活は、数字上は豊かでない。昭和30年代といい勝負だろう。そして、昭和30年代と同じように、時間はのんりびと流れている。

ちょっと自給自足


半田めん
昨日の昼食

  これは昨日の昼食。半田めんって名前のそうめんだ。左は薬味。右はアロエジュース。
 半田めんは先日母が来たときに持ってきた。重いのに何束も。こんな不肖な息子なのに、孫の顔も見せてやれず、仕事もほぼなく、家で翻訳と称しただ読書をしているだけのバツイチ中年息子のために千葉からはるばる担いできた半田めんである。すまん、かあちゃん。これ、うまいよ。
 薬味はシソとミョウガである。両方とも家の庭に自生していたものだ。
 シソはどこからか種が飛んできたのか、毎年庭の隅に生える。結構、たくさん生える。早く食べないと、虫がみんな食べてしまうので、虫と競争しながら、毎日シソを食べている。
 ミョウガはまさか、自然に種が飛んできたものではないと思う。前の家主が植えたのだろう。毎年、ほんのちょっとだけ生えてくる。
 アロエも元から庭にあったものだ。これはもの凄い勢いで生えていて、毎週10本ほどちょんぎるが、その勢いは衰えることはない。これをジュースにしたものだ。

 そんな感じで昨日の食費はほぼゼロ円。ちょっと自給自足チックを味わえた献立である。
 自給自足とはちょっと違うかもしれないが、限りなく食費がゼロの献立は別に昨日に限らない。うちにはよく人が来る。人が来ると料理を大量に作る。それを小分けにして取って置き、毎食ちょっとずつ食べつなぐ。だから自分の食費としては、感覚的にだがゼロ円に近い。もとの材料は自分で買っているので、本当はゼロ円ではないのだが。感覚的に(くどい?)、人のために用意した食事の余り物を毎日、ちょぼちょと食べている感覚(くどい?また)なのだ。

 半田めんだが、これマジにうまい。この辺りには売っていない。以前、実家に帰ったときに出て、うまいといったら、それから母は来るたびに担いでくる。
 前回は、何も母に返すものがなかったので、自宅でとれたドクダミ茶を持たせた。高血圧に良いそうである。親父の血圧が高いので、持たせたが。こんなものしか上げられない、息子を許せ。そのうちなんとかする。

 さてちょっと暗くなったので、久しぶりのサービスショットをお贈りする。白いのがフクちゃん。茶色いのが大吉である。かわいいでしょ。。

フクちゃん&だいちゃん
Pretty Fuku & Daikichi

カラーの夢


 昨夜、カラーの夢を見た。生涯、2回目のできごとである。
 僕の夢はいつもモノクロで、それも非常にぼんやりしている。最近、視力が悪くなったので(ずっと2.0だったのに)、分かるようになったが、僕の夢は酷く視力が悪い人の見る世界のように、ぽわーんとしている、普段は。それが昨夜はカラーでさらに繊細画像であった。
 夢を見ていて、これは夢だと気が付いていた。そしていつもと違うカラー映像であることも。「こりゃ、どうしたこっちゃ」僕は、興味津々で夢を堪能した。
 いくつか見たと思う。風景や家、あるいは城みたいなでかい家なんかが出てきたと思う。BSなんかでやっているハイビジョンの番組でヨーロッパの城とか田園風景を見せるのがあるが、あんな感じだった。僕はハイビジョンを始めてみたときのように、ドキドキしながらカラーの夢を見た。そこにストーリーはあったのかどうか。ただ画像の鮮明さに驚き、鑑賞した。

 このままヨーロッパのお城で終われば、それはそれで綺麗で、良かったということになりますが。ことはそれで治まらないのが、世の中ってものです。ちゃんと、出てきました。“あれ”が。

 “あれ”ってのは、ビデオ屋(最近のCDショップには行ったことがないので、僕にとってはビデオ屋)の一番奥にある区切られた場所に置いてある“あれ”です。
 そう、お待ちかねの、オネエチャンが出てきたのだ。
 ヨーロッパのお城から、なぜか女性の場面に変わったのかは分からない。夢の中でシーンが変わることに、違和感はなかった。チャンネルを変えるように、突然女性が現れた。
 女性は椅子に座っていた。カラー映像のカメラは女性を脚から映し出していった。こういう展開って陳腐ですよね。今、このブログを書きながら、自分の想像力と品性の乏しさに呆れてます。
 足元には靴が見えた。ハイヒールだ。ハイヒールの色は、忘れた。とにかくハイヒールが映し出された。カメラはハイヒールから段々と上に向かう。スカートが見える。そして、スカートの中が映し出された。なんと、なんと不思議なことにノーパンであった。このいきなりのノーパン画像に対し、僕は動揺しなかった。なぜか、最初から女性はノーパンであるような気がしていたのだ。夢って不思議である。
 カメラはノーパンの内部をしっかりととらえる。モザイクなんて、かかっていない。僕は冷静に、しっかりと局部を凝視した。別にエッチな気持ちにならなかったが。夢だと分かっているのに、なんか得した気がした。
 そしてカメラはさらに上にいく。女性はブラウスを着ていた。白いブラウスだ。なかなかスタイルがいい。さて、最後に顔だ。僕は女性が出現した時点で、局部よりなにより、顔を見たいと思っていた。こんな鮮明な夢の中で現れる女性の顔は誰のものであるのか。知り合いの女性か、架空の美女か。なんか顔だけグロテスクな予感もする。下からアングルが上がる展開自体、怪しい。実は女性は化け物だったりして。
 そんな興味と恐怖を味わいながら、ついにカメラは顔を映し出す。その直前、僕は目を覚ました。結局、女性の顔を見ることができなかった。

 夢から覚めて、しばらくカラーの夢について考えた。なんでいきなりカラーの夢が現れたのだろう。意味があるのか。僕の中で何かが変わったのだろうか。体調だとか、精神状態だとか。しかし大きな変化は思いつくことができない。そして、あの謎のノーパン女性の正体は。
 夢のことを考えていたら、目が覚めてしまった。起きた時点で時計を見たら1時だった。二時間ぐらい、夢について考えていたと思う。いつのまにか眠りについた。それからは夢を見ていない、と思う。
 起きたら6時半になっていた。随分、寝たものだ。

 カラーの夢ってのは、いいですね。なんだかほんと、得をした気分になる。寝ていながら、起きているようなものだ。

 こんな夢を見るって、もしかしてストレスが溜まっているのかなぁ。
 こういう夢、みなさん見ます?

咳が止まった


 僕は咳持ちだ。咳持ちなんて言葉はないのかな。とにかくよく咳をする。
 咳は20代の頃からするようになった。その頃は風邪を引いたあと、咳だけが残り、それが数ヶ月続いた。最初は1、2ヶ月程度。それが3ヶ月になり、半年になり、そして1年中になった。
 40歳のころから病院に行くようになった。レントゲンやCTスキャン、血液検査などいろいろとさせられた。喘息ではないようだった。肺がんや結核でもない。正体不明の咳だった。医者はおそらく咳喘息だと診断をした。最近、患者が増えてきたらしい。というより、以前からあったかも知れないが最近、病名がつけられたようだ。つまり正体不明の咳だ。
 咳喘息はただ咳が出るだけだ。喘息のように発作にまで至ることはなく、熱もでない。ただ咳き込む。でもこれが結構、辛い。
 産経に勤めているときは会議やクライアントとのミーティングが苦手だった。話し始めると咳が出るからだ。
 いろいろと治療を試みた。一番効果があったのはステロイドの吸引剤だった。でもこれでも完治にはいたらなかった。ちょっとましになる程度だった。
 ところが何年か前、ぱったりと咳が止まった。なぜだか分からなかった。医者に最近変わったことがありますか?、と尋ねられた。変わったことといえば、引っ越したことかな。「ああ、そういえば引っ越しました」「どこにですか?」「逗子です」「ああ、きっとそれが原因ですね」
 空気の汚れた都内から、空気がきれいな逗子に引っ越したことが原因だったのだ。
 それ以降、咳の出ない快適な生活を送っていた。ところが。
 今年の冬からまた咳が始まった。以前と同じタイプの咳だ。普段は出ない。ただ話し始めると始まる。とくに電話で。

 病院には行かなかった。なぜってお金がもったいないから。このとき始めて治療費が払えずに苦しんだ、昔の人や途上国の人の気持ちが分かった。お金がなければ病気にもなれない。
 一応、僕は国民健康保険に加入しているので、保険は利く。それでも3割は負担しなくてはならない。これが痛い。
 フクちゃんや大チャンの治療費は全額負担だが、これをケチるわけにはいかない。ところが自分の治療費は3割でも、おしくなる。
 そこで今回は根性で治すことに決めた。
 普段から呼吸を整える。規則正しい生活をする。人口調味料は使わない。添加物が入っている食物はなるべく摂らない。そしてあるものの服用。

 咳が始まったのが1月ぐらい。そして6月、咳が止まった。完全に。以前、ステロイドを吸引していたときよりもずっと完全に。逗子に引っ越してきたときと同じように、完全に。

 なぜだろう。いろいろな生活改善が原因だとは、実は思えない。なぜならば、以前から結構、規則正しい生活を続けていたからだ。やはり、あれが原因だろう。
 あれとは、「蓮の粉」と「アロエジュース」だ。蓮の粉は以前、咳がひどいときに妹がくれた。妹の子供は喘息で、これで随分よくなったという。でもそのときは、実は服用しなかった。信じていなかったからだ。ステロイドの方を信じていたのだ。
 今回、ステロイドを買うことができない僕は、冷蔵庫の奥にしまいこんでいた、このレンコンの粉に救いを求めた。そして毎日、小さじ一杯、飲み続けた。
 そして同時にアロエジュースも飲み始めた。アロエは庭にニョキニョキはえていて、いくらでも取れる。このアロエをジューサーでジュースにし、蜂蜜をいれて味を調えた。そしてこれも毎朝飲んだ。アロエが咳に効くかどうかなんて、知らない。なんとなく体に良さそうだから、飲み続けた。

 そして数ヶ月。なんと咳が完全にとまったのだ。う~ん、気持ちがいい。電話で話しても、咳がでない。朝も大声で般若心経が読める。合気道の稽古で、大声で気合がかけられる。

 昨日、ネットで調べてみたら、アロエには喘息予防の効果があるそうだ。そして当然、蓮の粉にも。蓮の粉はもうすぐ切れてしまうが、アロエは無尽蔵だ。毎日、飲み続けていこう。そしたら花粉症も治るかもしれない。来春が楽しみだ。

朝三暮四と消費税


 “荘子”に朝三暮四の話が載っている。
 猿回しの親方がある日、猿たちに毎日やる餌のトチの実の数について尋ねた。「これからは朝に三つ、暮れに四つやろうと思うがどうだろう」と。すると猿たちは怒り狂い「それでは少なすぎる」と文句を言った。それではと親方は「では、朝に四つ、暮れに三つにするが、どうかね」と聞いた。猿たちは大喜びをしたと言う話だ。
 消費税の議論を聞いていて、よくこの話を思いだす。
 消費税論議を、当面は5%で維持し、将来は結局10%に上げなくてはならないというストーリーでとらえ、朝三暮四を思い出すのではない。
 荘子の朝三暮四に託した意味はそんなにストレートなものではない。荘子のメインテーゼは是と非とを和合させる万物斉同である。これはあらゆる差別を捨てると、見えてくるのは、すべてはひとつであり、物事には裏も表も、右も左も、前も後ろもないという意味だ。それはまた、物事は一面で捉えずに、全体を押さえなくてはならないという意味でもある。

 消費税は不公平な税金だという意見がある。そうだろうか。僕には所得税の方が不公平に思える。
 例えば裏社会の人々のなかには、例えベンツに乗っていても、毎年ファーストクラスでハワイにゴルフに出かけても、所得税を一円も払っていない人がいる。しかし裏社会の人でもベンツを買うときに、あるいはファーストクラスのチケットを購入するときに消費税を支払っている。
 消費税は食費への支払いの割合が高い貧困層に不利だという意見がある。これも、どうかと思う。
 なぜなら毎晩、300円の牛丼で夕食を済ませる人もいるが、毎晩100万円以上も飲食に使う人もいる。この両者に、消費税は等しい割合で課される。フェアーではないか。
 お金は使わないと意味がないのだ。年収10億円であっても500万円であっても、使った分だけお金はその効力を発揮する。使わないお金は虚構に過ぎないのだ。お金は使って何ぼ、である。

 もうひとつ、税制は政府の規模をどうするのかという視点から見なくてはならない。
 あらゆる国の国民は税金が少ないのを喜ぶ傾向にある。それはかつて長い間、税金とは支配者のポケットマネーの意味が強かったからだ。長い間、国民は一生懸命に働いた上前を支配者に搾取されていた。搾取された税金は多くを支配者の豪邸や宝石、遊行費として使われていた。だから、税率は低い方が良いと国民は考えた。
 しかし今は違う。ほとんどの国で、税金は支配者のポケットマネーにはならない。税金は国民のために使われているのだ。
 仮にあるときから、日本では税金をゼロにしようということになったとする。するとどんな社会が訪れるか。電灯はないから夜は真っ暗。義務教育は廃止。お金がある人だけ、子供を学校に行かせられる。しかし学費は今の私立よりもかなり高い。私学助成金なんてないからだ。医療は実費。年金もなし。道路は私道のみ。河川は氾濫し放題。警察もないから、治安は乱れまくり。
 こんな社会は当然、誰も望まない。だから税金をゼロにしようとはだれも言わない。しかし、心の中ではどうだろうか。税金がゼロの社会を志向している人は少なくないのではないか。そこに矛盾がある。

 税率は政府のサイズとういう公共サービスの質量の反映である。税金を低く抑えたいのなら、公共サービスの劣化は免れ得ない。公共サービスを充実させたいのなら、税率のアップをまた免れ得ない。

 税率のアップを言う前に、無駄を省くことを考えろと、という意見もある。それはそうだ。しかしそれ以上に、我々国民が政府にどのようなサービスを今後求めていくのかといった、より大きな全体像を考えることが重要ではないのか。

 “無駄”、あるいは消費税の税率という数字にばかり目を向けることは、ディテールの過大重視という陥穽に陥る危険がつきまとう。だから荘子が説く、物事は一面で捉えずに、全体を押さえなくてはならないという意味が大切になってくると思う。今の僕らは猿を笑うことはできない。

僕は体が固い


 僕は体が固い。ものすごく固い。たとえば前屈なんかだと、ようやくつまさきを触れる程度だ。開脚してだと、ほとんど胴体は垂直のまま動かすことができない。
 僕はほぼ毎晩、寝る前に15分程度ストレッチをする。もう何年も続けている。それなのに、すごく固い。もしストレッチをしていなかったら、どれだけ固いのか、想像するにも恐ろしいほどだ。
 ただし柔らかい部分もある。これが不思議なのだが。たとえば股関節は柔らかい。座った状態で両脚の裏を合わせて、膝を床に押し付ける柔軟があるが、これは膝がしっかりと床につく。そのまま状態を前に倒すと、もうすぐおでこが床につくまで曲げることができる。上体反らしなんかも得意だ。
 なんでこんなに部位によって柔軟性に差があるのだろう。以前、ちょっと柔軟に詳しい人に聞いてみたことがある。僕の場合、関節は結構柔らかいそうだ。だから関節だけを曲げたり伸ばしたりすることは得意だ。でもその運動に筋肉が伴うとダメになる。筋肉が固いからだ。前屈だと脚の裏の筋肉が伸びることを要求される。これができない。開脚だと脚の内側の筋肉が、固くて伸びてくれない。
 確かに僕の筋肉は固いのだ。腕を曲げて力こぶを作って、そこを触るとカチカチだ。ここが柔らかいひともいる。柔らかいほうが良質なのだそうだ。僕の筋肉は悪質ということになる。

 しかし僕は昔から力持ちだ。体格のわりには力がある。腕相撲はほとんど負けたことがないし、相撲も強かった。高校のとき体育の授業で3クラス合同の相撲大会があったのだが、身長170センチ、体重60キロの僕が優勝した。大会は2回あったのだが、1回目は優勝。2回目は何回戦目かで対戦相手を投げ飛ばし、相手が身をかばうため腕を床に付き骨折してしまった。それで、その後やるきがなくなり、負けてしまった。その男は野球部で力はかなり強いほうだった。骨折の結果、その直後から始まる夏の高校野球の試合に出られなくなり、泣いていた。その事故がなかったら、再度優勝していたかもしれない。あまり負ける気がしなかった。
 だから力はあるのだ。それなのに悪質の筋肉なのだ。じゃあ、悪質でもいいか。
 今日は筋肉の話を書こうと思っていたのではなく、柔軟性の話だ。

 うちの猫、フクちゃんと大チャンだが、体格はほとんど同じだが、体質は全然違う。フクちゃんは体が柔らかい。大チャンは固い。二匹を抱くと、その違いが良く分かる。フクちゃんはフニャフニャで、いかにも猫を抱いている感じがする。大チャンは猫というより犬を抱いているように、ガチっとしている。
 その結果か、フクちゃんはジャンプ力がある。信じられないほど高い箪笥の上に飛び上がったりする。大チャンは1メートル程度の場所でも飛び上がれない。
 でも力は大チャンの方がある。よく二匹で相撲のような、じゃれあいをしているのだが、常に大チャンが上になる。下になったフクちゃんは哀れな声を出す。

 僕もあまりジャンプ力があるほうではなかった。中学のとき陸上部に入って、毎日走り幅跳びとか高飛びの練習をさせられていたので、クラスの中では上位に入っていたが、大会ではビリのほうだった。
 僕と大チャンは似ているのかもしれない。体は固いが力持ち。早食いで、さらにやきもち焼きのところなんか。

 僕と大チャンの例だけで判断することはできないと思うが。もしかして固い筋肉は力があるけど、ジャンプ力が劣ると言えるのでは。さてどうだろう。


 力があっても抱っこした感じはフクちゃんの方が、気持ちがいい。だからというわけではないが、僕は体の柔らかい女性の方が好きだ。エッチな意味(?)ではないよ。それも、ないとは言えないけど。。姿勢とかしぐさがが女性らしくて良いと思うのだ。

大チャンと僕
体が固い大チャンと筆者のツーショット


『ザ・コーブ』と捕鯨問題について


 先日、NHKで『ザ・コーブ』という映画のやらせについて放送していた。
 ご存知かもしれないが『ザ・コーブ』は和歌山県の太地町で行われているイルカ漁を撮影した反捕鯨(イルカはクジラの一種)映画である。
 この映画の中で、漁師がイルカを撲殺するところを白人女性が涙を流しながら見つめるシーンがある。これが、やらせだったのだ。イルカが撲殺されているシーンと、女性が泣くシーンは別々に撮影され、それが合成されていた。女性が泣くシーンをたまたま目撃していた地元の漁師がいるのだが、なぜ女性が海を見つめ泣いているのか、そしてなぜその場面が撮影されているのか不思議に思ったそうだ。
 もうひとつ、ある。最後のテロップで関係者の名前が掲載されているが、ある日本人の役人の名前の後でカッコ書きで(辞職)と書かれていたそうだ。この役人はイルカ漁を保護する立場のひとだ。彼の名前の後に(辞職)の文字を入れ、彼がその責任を取らされ、あるいは責任を感じ辞職したようなイメージを観客に植え付けることを目的でなされたと思われる。しかし実際には、その役人は今も同じ職場に勤めている。NHKの取材に対し、この役人は映画を見て自分の名前の後に(辞職)と書かれていることを発見し、非常に不愉快であったと語っている。この明らかな作為的誤りについて、NHKが映画監督に問い合わせたところ、監督はその役人の友人とたまたま飛行機の中で出会い、役人が辞職したと教えられたからテロップに入れたと答えている。NHKは監督の発言を確認するために、その友人にも取材をしている。監督と飛行機の中で乗り合わせたことは事実だが、そのような嘘を監督に言った事実はないと友人は答えている。

 この映画はなんとアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞しているそうだ。ドキュメンタリーとは事実に基づくものかと思ったが、どうもアカデミー賞の考えは違うようだ。フィクションのことをドキュメンタリーと定義している。こんなやらせ映画にドキュメンタリー部門の大賞を授与するとはアカデミー賞も自らの底の浅さを証明したようなものだ。

 さて、日ごろ捕鯨問題が欧米やオセアニアで騒がれるのを聞くたびに思うことがある。クジラが可愛そうで、ウシやブタが可愛そうでない理由はなんなのか。知性の高低が理由であると答えるのか。ならば例えば猫はどうだろう。僕は猫を現在2匹飼っているが、彼らの知性はあまり高いとは感じない。恐らくウシやブタと同程度、あるいはそれよりも低いかもしれない。ならば猫を食べることはどうだろうか。あるいは虐待することは。そんなことを彼らは容認できるだろうか。おそらく動物愛護上、認めないであろう。朝鮮や中国での犬食にも強く反対する彼らであるから、必ずや反対の声を上げるだろう。

 ではウシブタは家畜だから屠殺されてもよいという理屈だろうか。僕はこれこそが欧米人の横暴であると考える。
 子牛のカツレツを、食べたことがあるひとは多いだろう。この子牛、どうやって飼育しているか、みなさんはご存知だろうか。子牛は小さい。だから肉が少ない。でも子牛の肉は高く売れるから、飼育業者は少しでも大きな子牛を作りたいと思う。そのために、サイズは大きくとも、肉は子牛という奇形牛を業者は作るのだ。作り方は、筋肉をつけさせないために、寝返りも打てないような狭い檻で育てる。また肉の色を赤くさせないために、親から早く離し、乳を飲ませない。代わりに鉄分をまったく含まない餌を与える。鉄分が体中で不足すると子牛は苦しむ。少しでも苦しみを和らげるため、檻が鉄でできている場合だと檻を必死でなめるのだそうだ。それを知っている業者はだから鉄の檻では子牛を飼わない。こうして一年程度、ひたすら栄養の偏った餌を食べさせられ、体のサイズとほぼ同じ大きさの檻で育てられたぶよぶよに太った子牛は、サイズの大きな良質の肉を有する子牛として出荷される。業者は儲かる。
 この子牛を人間で想像してもらいたい。生まれた直後に親から引き離され、その後まったく動けないような狭い部屋で何年間も育てられた子供を。この子供は親の顔も知らない。外の世界もしらない。走り回る喜びも知らない。知っているのは自分のサイズの部屋の中だけだ。栄養のバランスが極端に悪い食事をただ無理やり食べさせられるだけの毎日。そして出来上がったのは、ぶくぶくに太った6歳程度の白痴の子供だ。筋力はないから自分で立ち上がることもできない。

 こんな家畜の一生を見て、捕鯨問題を訴えるひとびとは不憫さを感じないのだろうか。
 もし感じるのならば、毎年何万、何十万と屠殺される動物たちをまず最初に救うべきだ。たしかに捕獲されるクジラもかわいそうだ。しかし彼らの人生(鯨生)と、畜産動物の人生を比較して、どちらが不幸だろうか。
 捕鯨に一番強く反対している国はオーストラリアとニュージーランドだ。両国とも世界有数の畜産国である。自国では上記のような動物虐待を平然と繰り返していている。彼らには自省という能力がないのだろうか。
 オーストラリアとニュージーランドのひとびとへ。まず国内で続けられる動物虐待に目を向けよう。そして足元をまずきれいにしよう。

 僕は捕鯨に反対も賛成もする人間ではない。知能の高い生き物をあえて捕食する必要はないかとも思う。しかし捕鯨反対を畜産国の人間から言われると腹が立つのだ。

政党の名称について


 名前は大切である。画数などから決めてはいけない。画数は非常に分かりやすいので、子の名前を決めるとき頼りがちだが、あれはまったくのまやかしだ。たかが画数などで、人生は左右されない。それより大切なのは、その意味だ。名前は呼ばれることを前提にしている。普通、人は死ぬまでに何万回、何十万回と名前を呼ばれる。言葉は言霊(ことだま)だから、そこに力を有する。毎日、言霊の力を浴びて、その人間はその名前の導く方向に自然と歩むことになる。本当である。これは僕が勝手に作り上げた説ではない。安岡正篤が言っているのだ。晩年、細木数子の色香に溺れ、もうろくしてしまったが、かつては政界財界のお歴々を指導した東洋哲学の大家がそう言っているのだ。
 さて人の名前も大切だが、組織の名前も大切である。これも人の名前と同じ理屈で、その言霊の影響を強く受けるからだ。

 今度の参院選では候補者を出す政党の数が多い。小政党ブームである。主だった政党を挙げると、民主党、国民新党、自由民主党、公明党、日本共産党、新党改革、社会民主党(社民党)、たちあがれ日本、みんなの党、女性党、幸福実現党、日本創新党。

 その政党の名前だが。まず、“新”が付く政党は、組織の命名としては失格だ。なぜなら“新”は常に短命だからだ。“新”は “新”であるために、自ら短命を志向する運命にある。国民新党、新党改革、日本創新党は、恐らくもって数年、確実に10年は続かないだろう。
 かつて“新”の文字を名に背負った政党を思い出して欲しい。日本新党、新進党、新党さきがけ、どれも短命に終わっている。それぞれその時代の主要プレーヤーではあったが、組織の継続はできなかった。国民新党、日本創新党も同じ道を歩むであろう。

 さて民主党だ。これは良い名前だ。僕は新党さきがけから鳩山由紀夫や菅直人らが離脱し、小沢一郎率いる新進党を飲み込み、民主党を立ち上げたとき、この政党は長命になるかもしれないと思った。こんなこと、今更言っても嘘臭いのだが、たしかにそう思った。自由民主党と名前がダブる謗りをあえて選び、オーソドックスなこの名称に決めた時点で、名前の神様は味方するだろうと思った。
 公明党、日本共産党、社会民主党は無難な名前だ。よく組織の実を表していると思う。名は体を表す。公明党は宗教的、精神的世界の呪縛を受けながら、その庇護も同時に受けるだろう。共産党はマルクスやスターリンの力と、そして呪いを今後も受け続けるだろう。社会民主党は、まぁ、名前はよろしいのでは。ただ実体はどうでしょうか。

 たちあがれ日本、みんなの党だが。名称は悪くない。しかしあえて仮名を選んだ、その影響だ。これについてはなんの根拠もないのだが、良くはないように思う。まぁ、個人的なセンスとして、好きになれないというに過ぎないが。なんだか大衆に媚びているような感じがして。きっとこのふたつも短命に終わるだろう。

 女性党、幸福実現党である。このふたつも名称としては悪くない。中身についてはまったく知らないので、名前だけで判断するのなら、政党が目指す方向をよく表していると思う。あくまで名前からの推測だが、長命になるかもしれない。

 ああ、忘れていた自民党だ。これはもう実績があるので、それが証明していると思うが。まぁまあ良い名前だろう。ただ自由党と民主党をジョイントして作った名前の来歴だ。これはやはり内部抗争を含意しているように思う。自民党の歴史は派閥抗争の歴史でもあったわけだが、それは名前の力かもしれない。

 最後に、政党とはまったく関係のない話しをする。僕が以前属していた産経新聞社の名称についてだ。産経新聞社は産業経済新聞社の略称だ。なので産業経済新聞社の名前についてだが。
 名前は悪くない。日本経済新聞社の名が悪くないと同様に。ただし日経と異なり、産経は自ら名前と違う方向に向かって歩き始めた。この時点で産経は名前の神様の怒りを買ってしまったと思う。
 産経はかつて日経と同じような経済紙であった。そのときは部数も変わらなかった。それが伸びている朝日や読売の真似をして、一般紙を目指したのだ。そのこと自体は構わない。しかしそのとき、名前も変えなくては。
 日経と同じように、経済ニュースを中心に扱う新聞であり続けたなら、産経は日経と並ぶ経済紙となっていたかもしれない、多分。またはあのとき名称を変えていたのなら、朝日や読売に、今ほど部数で差をつけられなかったかもしれない、多分。
 産経は名前が進もうとするベクトルと、組織が志向するベクトルの又裂き状態にあるのだ。名前だけからみたら産経の将来は明るいとは言えない。こんなこと書くと、今も残って頑張っているかつての同僚や後輩に悪いのだが。

 名前の神様を侮ってはいけないという話しだ。

安藤健二の『封印作品の憂鬱』を読んで


 安藤健二の作品を読むのはこの『封印作品の憂鬱』で二冊目である。前に安藤のデビュー作『封印作品の謎』を読んでいる。
 『封印作品の謎』を読んだときに、何か不思議な感じがした。そして、『封印作品の憂鬱』を読み感想を同じくした。この不思議感はなんなのだろうか。今回、ブログで取り上げるに当たり、考えてみた。
 安藤の作品はいわゆるノンフィクションで、元新聞記者の著者による調査報道の一タイプであるともいえる。しかしオーソドックスなノンフィクションの定義とは少し外れているように思う。特に安藤が自ら言及する“新聞記者時代に学んだ取材の力を生かし”という、新聞報道とは大きく異なっている。
 どう違うのだろうか。安藤の作品は既存のノンフィクションの枠に収まらない。むしろそれは学術の世界に近いのだ。そう民俗学である。
 実は『封印作品の謎』を読んだとき、そこのところまでは気が付いていた。周到な調査、綿密な取材。そこまで裏を取る必要があるのだろうか。正直、ちょっとくどい、と感じるときもあった。しかしああ、これは民俗学なんだな。それが分かった時点で、ストンときた。そして、安藤ワールドを楽しむことができた。
 今回、『封印作品の憂鬱』を読み、もう一歩踏み込んで理解ができた。民俗学、たしかにそうだ。しかし柳田国男ではない。もっと粘質で、もの悲しい。しかしそれと同時に明るく素っ頓狂な面も併せ持つ。そう、これは宮本常一の世界だ。安藤が書いているのは、現代の『忘れられた日本人』なのだ。

 宮本常一は昭和を代表する民俗学者だ。大学卒業後、いったんは教師になるが、その後、渋沢栄一の孫で財界人でありながら学者でもあった渋沢敬三と出会い、民俗学の道に入る。その研究の手法は徹底したフィールドワークが中心で、日本全国を行脚し、無数のインタビューを行っている。
 民俗学の雄といえば柳田国男だが、宮本は柳田が強い力をもつ学会からは長い間さほど認められる存在ではなかった。なぜなら宮本が得意としたのは、柳田を表とするなら、裏の民俗学であったからだ。調査対象は漂白民や被差別民までも含み、また庶民の性にまつわる習俗やエピソードも積極的に取材した。
 
 安藤もまた圧倒的な取材数を特徴とする。いったい安藤は一冊の本を書くために、どれだけの人間に取材を申し込み、具体的にインタビューを行ってきたのか。おそらく数百人に取材のオファーを出し、100人を越えるインタビューを敢行したはずだ。その分量が安藤の魅力である、安藤の書く本の説得力である。
 また安藤が選ぶテーマは、現代のノンフィクションの分野において、やはり“裏”ものといわざるを得ないものばかりだ。今回読んだ『封印作品の憂鬱』を見てみよう。3つの封印事件が取り上げられている。
 一つ目は『ドラえもん』にまつわるものだ。藤子不二雄の『ドラえもん』は小学館発行の雑誌で連載されていたが、その後テレビアニメが放映される。僕らがよく知っているあのアニメだ。テレビ朝日で30年以上も放送が続く長寿番組だが、実はその前に日本テレビで最初のアニメ版が放送されていた。しかし今はその存在は完全に消し去られている。日本テレビ版『ドラえもん』はなぜ、封印作品となったのか。
 安藤が切り込んだ二つ目の封印事件は『ウルトラマン』だ。1966年から始まったウルトラマンシリーズは、多くのヒーローを生み出し、今なお人気のコンテンツだ。その中で『ウルトラ兄弟VS怪獣軍団』という作品が封印されている。アジアンテーストたっぷりの、ハヌマーンという白猿の神が主人公でウルトラマンシリーズでは異色の作品だ。
 最後は『涼宮ハルヒの憂鬱』だ。この作品のオリジナルはいわゆるライトノベルである。その後、メディアミックス展開でコミック、アニメへと舞台を広げていった。その中で最初のコミック版(みずのまこと)が封印されている。

 まったく“裏もの”のテーマばかりだ。よくこのような小さなテーマを見つけて来るものだと、驚くばかりだ。しかしこれら小さなテーマが実は深遠な背景をもつ。
 宮本常一が聞き取り調査で集める、古老の話もそうだ。母の思い出話であったり、夜這いの自慢話、隣村との喧嘩など、どれもが非常にローカルで個人的なものばかりだが、それが集積されることで、深遠なストーリーを紡ぎ出す。

 ドラえもんの日本テレビ版アニメがあったことなど、仮に安藤が調べ本にしなかったとしたら、一部のマニアの記憶には暫く残ったとしても、おそらく近い将来忘れ去られる。しかし本に残った。そしてその背景が、粘り強い調査と、分析で浮かび上がる。そこには冷徹なビジネスルールがあり、日本人の気質が伏流する。一見オタク向けのテーマが、実は社会学や心理学を含んだ、大きな民俗学になっているのだ。
 安藤は卑近でありながら、忘れ去られ行くものを収集し、そこにストーリーを紡ぎ出す。やはり宮本常一なのである。
 

プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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