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フクちゃんの夜泣き


 以前からフクちゃんはおしゃべりな子であった。昼間もよくひとりでニャンニャン言っている。喉を鳴らすのも「クルクルル~」と他の猫とは違う音を鳴らす。可愛いなぁと思っていた。
 そのフクちゃんが1,2週間ほど前から夜泣きを始めた。最初は、夜中にひとりでお話をしているのかと、無視していた。すぐに止むだろうと思っていた。でもなかなか止まない。10分程度は続き。その間にすっかり目が覚めてしまう。さらにようやく止んだと思って眠りにつくと、また数時間後に再開する。それが一晩に、5,6回も繰り返される。今は窓を開け放して寝ているので、近所に聞こえるのではとも心配になる。
 この1、2週間はそんな夜泣きと熱帯夜で、なんだか寝たんだか寝ないのだか分からない夜が何晩かあった。これではいけないと思った。最初は可愛いと思った、フクちゃんの夜中の独り言が、頭上に落ちる水滴のように、ジワジワと響いてきたのだ。
 一昨日の晩に意を決した。フクちゃんの夜泣きが始まると、自分が寝ている2階からフクちゃんたちがいる一階まですっ飛んでいって、「コラ~」と怒鳴る。びっくりして目を丸くしている、フクちゃん。ついでに恐怖でかたまっている大吉。ちょっとかわいそうだが、これを夜泣きのたびに繰り返した。2回目かからは、こちらも本当に頭に来てきて、怒鳴るだけでは収まらず、バスタオルを振り回して、追い掛け回した。
 ちょっと効果があったようだ。一昨日の晩は、3回ほど。夕べは2回まで夜泣きの数が減った。このまま治ってくれるといいのだか。

 さて、夜中のニャ~、にはバスタオル攻撃でお仕置きしたが、困るのは昼間である。昼間、体を摺り寄せて、ニャ~と来たとき。これはどうすればいいのか。これで叱らなかったら、猫はその違いを理解することができるのだろうか。混乱を避けさせるために、昼間も叱るべきだろうか。でもまったくニャ~ができないんじゃ、かわいそうだし。それにニャ~自体は、とても可愛い行為なのだ。難しい問題である。今のところ昼間のニャ~は、抱き上げて「今はいいけど、夜は駄目だよ」と教えているが。ちゃんと分かっているのだろうか。

木漏れ日のふたり
木漏れ日の中で、仲良く寝んねするフクちゃん(上)&大吉


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薄情な男


 月曜日、電車に乗ってはるばる新橋に行ってきた。アメリカ留学時代の友人2人と会うためだ。
 当時の21歳の若者は私と同じ、47歳のおじさんになっていた。しかし2人とも、面影が残る。いやいやそれどころか、少し皺ができて、髪が薄くなったかなぁ?、程度でほとんど変わっていない。新橋駅のSL前で待ち合わせをしたのだが、向うから歩いて来る20数年前の若者にすぐに気が付いた。すっかり老け込んでいたら、面白かったのに、と少し意地悪な考えを持って新橋に向ったのだが、期待(?)は大きく裏切られた。

 話した、飲んだ。20数年のブランクはまるでないように、初めから楽しい時間を過ごすことができた。
 みな、昔のことをよく覚えている。共通の友人の名前など、いったいそんな記憶が脳みそのどの部分に収納されていたのか不思議なぐらい、すらりと出てくる。この20年以上、まったく思い出すことのなかった名前なのに。それも当時はそれほど親しくしていなかった人の名前も思い出す。でも覚えていないこともある。それも大事なことを。

 当時から私は薄情な男であったようだ。友人Kがふたつのエピソードを披露した。
 ひとつは夏休みに、二人でメキシコに旅行へいく約束をしたのにも拘わらず、私がドタキャンをして、友人をひとりでメキシコ旅行へ行かせたといもうものだ。
 私は当時、アパートを借りて日本人、アメリカ人、メキシコ人の四人で生活をしていた。そのルームメイトのひとりのメキシコ人の実家に遊びに行くことになった。おそらく私が企画して。
 メキシコ人はすでにメキシコへ戻っていた。それで私が電話連絡をして、空港までメキシコ人に迎えにこさせる手はずになっていた、そうだ。私はちゃんと連絡を取ったと言ったそうだ。でも。
 メキシコ人は空港にこない。いくら待っても。段々とKの不安は募る。電話をメキシコ人にかけたくてもメキシコのコインがない。両替はクローズしている。段々と暗くなる。店も閉まってくる。人も少なくなる。外は砂漠のメキシコの地方空港だ。野宿も不安だし。
 その後、なんとかコレクトコールで連絡がついて、事なきを得たが、大変なピンチであったという。

 もうひとつ。これは日本に帰ってきてからのこと。留学から帰った翌年ぐらいのことだと思う。やはり同じKと、もうひとり留学仲間のC(女性)と都内で飲んだそうだ。Cは全日空のグランドホステスで、大阪在住。その日は東京に遊びにきて、六本木の全日空ホテルに宿泊の予定だったという。
 六本木で三人で飲んだ後、終電もなくなってから、なんと私とCは二人で、Kを残しどこかへ行ってしまったらしい。Kはひとり寂しくタクシーを拾って、家に帰ったのだそうだ。Kはきっと、Cとふたりで全日空ホテルに泊まったのだと、主張した。

 しかし、メキシコ旅行も六本木の夜も、正直よく覚えていないのだ。なんでクラスメートの名前は覚えているのに、そんな大イベントを覚えていないのだろう。私の頭の構造はいったいどうなっているのだろうか。そして、私は本当にCと全日空ホテルで夜を過ごしたのだろうか。

 加害者の記憶は忘却の彼方へ飛んでいってしまったが、被害者の記憶は強靭なのだ。まるで先週の話であったように、Kはどんなにそのときの自分が悲惨で惨めであったか、ちょっと信じられないようなディテールを交え、述べるのであった。
 楽しいが恐縮の夜であった。


受身の効用


 柔道もそうだろうが、合気道も黒帯ぐらいになると受身がうまい。どのぐらいうまいかというと、かなりうまい。説明になっていないかな。
 合気道や柔道、あるいはプロレスなんかの経験がない人(普通、プロレスの経験がある人は少ないと思うが)と、黒帯クラスの受身の差は、猫と犬の受身(と言うのかな)レベルの差ほどあると思う。変なたとえだが。
 僕はよくフクちゃんや大ちゃん(猫)をポーンと放り投げる。頭を下にして投げても、背中が下になるように投げても、必ずきちんと足から着地する。見事なものである。まさにニャンコ大先生で、“ニャンパラリン”ときれいに受身を取る。僕は猫を観察して、少なからず受身の妙を会得したように思う。
 ちなみに、それって虐待!?と、思うなかれ。猫は喜ぶのだ。とくにフクちゃんの方は投げられるのが好きで、何度も投げて~、と擦り寄ってくるほどだ。
 一方、犬は受身ができない。と思う。犬も飼っていたことがあるが、放り投げたことはない。当然だけど。でもプロレスごっこなどをしていて、押さえつけたり、ちょっと投げ飛ばしてみたり。そんなとき、犬は受身ができないことを知った。例えば1メートルの高さから、背中を下にして落としたら、きっと犬はそのまま背中から落ちるだろう。

 では人間はどうかというと。合気道、柔道の黒帯クラスなら、1メートルの高さから投げ落とされても、きちんと受身を取り怪我をすることはないと思う。もちろん、畳の上で。

 以前、合気道の道場の年配(70歳近く)の先輩が酔っ払って2階の階段から1階まで落ちたことがある(聞いた話だが)。先輩はまったくの無傷であったそうだ。
 僕も去年、ある経験をした。逗子駅近くの舗道をロードレース用の自転車でゆっくりと走っていたときのことだ。前から小学生ぐらいの男の子が近づいて来た。僕の自転車に向ってまっすぐ歩いて来る。舗道は結構広く、僕の横にはスペースがある。男の子が避けるのか、どうか僕は躊躇した。男の子が避けてくれれば、僕は避ける必要はない。でもまっすぐ来るのなら、避けねばならない。
 どんどん距離が縮まっていった。このまま行けばぶつかる。そう思った瞬間、僕はブレーキを踏んだ。そして足を地面に着こうとした。ところが僕の自転車は足が固定されているタイプで、すぐに抜けない。自転車は男の子の前で止まった。このままでは自転車が倒れる。足を着かなくちゃ。でも抜けない。ゆっくりとスローモーションのように、僕の自転車は横に倒れていった。僕も一緒に。
 倒れる瞬間、周りにガードレールや他の自転車などぶつかると危険な物体がないかを確認した。何もない。でもロードレース用の自転車は結構、車高がある。腰の位置で地上約1メートル。頭はさらに50センチは上だ。その位置から僕はゆっくりとアスファルトに落ちていった。
 まったく恐怖は感じなかった。足が固定され、自転車とともに横倒れするにもかかわらず、受身が取れると思ったからだ。そして僕は受身、といえるのか、真横にそのまま落下した。全身の力を抜いて、着地面積が大きくなるように、手を拡げ。頭を守って。
 結果、僕はまったくの無傷であった。ヘルメットを被っていないにも拘わらず。痛みもほとんどなかった。
 周りには人が結構、いて。驚いて僕の様子を見ていた。

 合気道を続けていて、本当によかったと思った。合気道の効用は他にもたくさんある。しかし現実的、具体的に得た大きな効用であった。


ベッド酒と安野モヨコ


 一昨日の晩のことだった。いつもどおり9時にベッドに入り、すぐに就寝した。ところが夜中に目が覚めた。暑かったからかどうか、覚えていない。夜中に目が覚めることはそう珍しくない。大抵はしばらく目をつぶって頑張っていると、また眠りに入る。ところが一昨日の晩は、その気配が訪れない。眠れない。時計を見ると、まだ12時前である。このまま朝までベッドで起きているのもなんだし。ちょっと最近、夏休み疲れ(特に夏休みなどないのだが)のようで、生活のペースが崩れているので、やはり眠りたい。そこで台所に起き出し、冷えたビールを持ってくる。そしてベッドで飲むことにする。
 冷えたビールが暑い寝室で、うまい。気持ちがだんだんよくなってきたが、やはり眠れそうにない。それで本棚から本を取り出し読み始める。安野モヨコの『働きマン』だ。1巻から4巻まで持っているのだが、久しぶりに読み返し、思わず浸りこみ4巻まで読み続ける。読み終わったのは朝、5時過ぎ。飲んだのはビール2本。日本酒ロック2,3杯。当然、その後は気持ちよく眠りにつく。

 さて久しぶりに安野モヨコを読んで、偶然彼女を見かけたことを思い出した。とても印象深かったので、そのことについて書く。
 見かけたのは恐らく昨年の秋の週末であった。場所は鶴岡八幡宮裏にある横浜国大付属中学の前の道。
 僕は知人とふたりで歩いていた。向うから背の高くスタイルの良い女性が同じく背の高い男性と歩いてくるのに気が付いた。場所は鶴岡八幡宮裏である。週末である。当然、観光客で道は埋まっていたのだが、そのふたりはとても目立っていた。とくに女性の方が。
 僕は一緒にいたのが女性だったので、彼女に気付かれないように、チラッとだけその背の高い女性を見た。
 チラッと見ただけで、その女性が只者でないことが分かった。彼女は素人ではない。では何の玄人かというと、それは“美”の玄人である。

 元から美しい女性だと思う。しかしそれ以上に、後天的に加えた“美”が際立っている。そう、一瞬に理解した。
 まず姿勢と歩き方だ。長身の女性は猫背であることが多いが、彼女は長身であることをメリットとして前面に押し出している。大きくて形の良いバストをグンと前に突き出し、首はまっすぐ上に立て、大股でも小股でもない、適度な歩幅で柔らかく歩く。
 髪型、化粧はよく見えなかった。すれ違っただけだから。しかしバランスの良さはよく分かった。軽く染めた髪は明るく、秋の日差しに輝いている。恐らく凹凸の少ない日本的な顔立ちだと思うが、それをうまく利用したメーキャップは長い間、化粧に拘ってきた自然さがうかがえる。
 そして何より、男性との距離感だ。彼女はきっと、男性とのバランスを意識して、首をかしげたり、男性から顔を背けたり、あるいは軽く肩が触れたりといった一連の行為を成していたと思う。映画の撮影のような、微妙なバランスである。
 観光客の中でこの二人はまったく、ロバの中を歩く2頭のサラブレッドであった。
 僕は連れに気付かれないよう、息を飲んだ。「すげーいい女」。

 二人とすれ違った直後、連れが言った。「今の安野モヨコだ」。連れも二人のオーラに気付いて、思わず顔を見たのだろう。そして気付いたのだ、きっと。
 僕は前述のごとく安野モヨコの読者なので、当然、彼女の存在は承知している。でも本人は知らない。だから安野モヨコだと言われ、ああ、あれがと思った程度だ。でも何となく合点した気持ちになった。
 安野モヨコの描く女性は、一様にお洒落である。このことは業界では周知であるし、本人もその意識があるのだろう。ファッションや美容関係のエッセイーなども書いているようだ。そういう仕事のオファーが多いのだろう。あの漫画やエッセイーをかくひとなら、あの風貌、雰囲気でもおかしくない。

 後からネットで安野モヨコの写真を探して見てみた。最近のはあまりない。ちょっと古いものばかり。うーん。微妙だ。やはり地味な顔立ちだ。それにちょっと太めだ。鎌倉で見かけた、超いい女とは随分違う。
 彼女は、相当努力をしているのだ。漫画を描くことと同じように、プロ並みの意識で自分の“美”を追求しているのだ。だから、どちらかというと地味顔で、ちょっと大柄な女の子が、あれだけお洒落でイケテル女性に変貌を遂げたのだ。

 おそらく相当な努力だろう。銀座の一流ホステスや、女優やモデル。そんな自分の外見としぐさに命を懸けている女性達と同じものを彼女から感じた。

 さて隣を歩いていた長身の男性だが、夫の庵野秀明氏であった。庵野秀明はアニメ映画の監督で、『新世紀エヴァンゲリオン』などを作っている。どうやら一流のアニメ監督であるらしい。後日、鎌倉の立ち飲み屋で庵野秀明と思われる人物と一緒になった。彼もとってもカッコが良かった。

 安野&庵野(両方とも“あんの”と読む)夫婦は、僕が見かけた横浜国大付属中前から近い場所に住んでいるという。あの辺りはよく散歩しているらしい。見かけたら、まず気付くはずだ。カッコいい二人であるよ。

ヨドバシカメラとマホロバマインズ三浦とバカラの話


 暑くて、ムシムシして、ダラダラして、やる気がなくなって、それでついに2週間もブログの更新をサボってしまった。
 普段は2階の書斎でPCを使っている。夏でも大抵の暑さなら、窓を開ければやり過ごせる。かなり暑い日でも扇風機を使えば凌ぐことができる。でも今年の夏は、さらにここ1週間は扇風機では持ちこたえられない暑さだった。
 去年は一度しかエアコンを使わなかった。それも一度ぐらいは使っておかなければ機械に悪いと思い、あえて使ったのだ。
 逗子は涼しい。特にうちは丘の上の方にあるので、結構風がある。無風状態でなければ、心地よい風が部屋を通り抜ける。だが、この1週間は無風状態が続いた。これは溜まらんと、我が家でただひとつのエアコンがある居間で一日を過ごすことになった。その結果、PCは開かず、ブログの更新を怠った次第だ。一応、我が家は無線LANを引いているので、居間でも接続できるのだが、あの暑い書斎からPC(ノート)を持ち運ぶ行為自体が、面倒くさくて逃げて廻っていたのだ。
 今日は久しぶりに少し涼しい。風もある。なので、今は久しぶりの書斎である。扇風機を回して、上半身裸でこのブログを書いている。

 この2週間、さて何があったか。先週末は千葉の実家に帰った。81歳の父が地デジ対応のテレビを買いたいので付き合ってくれと言われ、千葉のヨドバシへ二人で出かけた。
 これが中々大変だった。父は早稲田の理工を出て、最初役所で技官をし、後民間に移って技術者として働いていたので、本人はメカに強いという自負がある。ところが81歳の元技官にとって最近のオーディの仕組みはそう容易なものではない。父は長い間、溜め込んだビデオに執着があり、ビデオとテレビの互換性をしきりと確認したがる。結果、購入したテレビは古いビデオデッキと接続可能だったのだが、父にそのことを納得してもらうのに、店員と私とで代わる代わる説明し、大変な労力と時間を費やした。また今後はビデオで録画は不可であり、かわりにブルーレイで録画することにしたが、これの説明が一仕事。さらに、さらにきっちり屋の父は、ヨドバシのポイントにこだわる。ヨドバシのポイントは現金だと10%付くが、クレジットカードを使用すると8%に下がってしまう。ところがヨドバシでクレジットカードを作ると11%のポイントが付くらしい。それでヨドバシカードを作る。これがまたひと悶着。
 さらにさらにエコポイントが登場。店員が何度となくエコポイントについて触れていたのだが、どうも父はヨドバシポイントと混同して聞いているようで、そこも説明しなくてはならなかった。
 こうした一連の作業、主に父への説明(ビデオが使えるか。ブルーレイとハードディスクの違い。ケーブルテレビとの接続性。ヨドバシポイントについてと、エコポイントとの違い。エコポイントの取得方法などなど)で、気が付けば3時間近くが経過していた。流石に父もくたびれたようすだった。私もがっくりきて、帰りのバスでは終始二人は無言であった。

 父とヨドバシに行ったのが土曜日。実家で一泊し、日曜日は船橋の叔父の家へ行く。母の一番下の弟の還暦の祝いだ。お祝いにバカラのウイスキーグラスを持っていく。店で買うと15000円ぐらいするのをネットでさがして7000円程度で購入。綺麗にラッピングしてもらい、自慢げに差し渡したが、その場にいた人の反応はいまいち。なぜ、みんな盛り上がらないの? 私は少々、動転した。そしてみんなを観察した。そしてなぜみながキョトンとしているのかが分かってきた。みなは「なぜ、コップがひとつだけなの?」と思っているのだ。
 そう、考えれば確かにそうだ。立派に梱包された箱に小さなコップがひとつ。バカラをしらなければ、なんてへんてこなプレゼントだろう。
 わが親族はかなりの庶民派なのである。いや、そうでないかと以前から考えていたが。その日、推測は確信に変わった。我が親族は、正真正銘の庶民派なのである。
 バカラを選んだ、私がバカだったのだ。はい。
 唯一、バカラの存在を知っていたのは叔父の兄とその嫁。叔父の兄(これもつまり叔父)は「おーいいもんじゃないか」などと言っていたが、その嫁は、「お父さん、このコップ、ゴルフの景品かなんかでもらったじゃない。ふたつあって、どこかにしまってあるよ」だと。バカラを選んでほんと、バカな私です。

 別の話。
 そうだ、先週のいつだったか温泉へ行ったのだ。温泉と言っても1000メートル以上、掘って出てきた水を沸かしたものだが。一応、温度も少しはあり、また真水でないので、温泉の雰囲気を味わうことができた。
 場所は「マホロバマインズ三浦」。うちからは京急で、一時間弱で行ける。
 ウイークデーの午前中だったので、浴室には二,三人程度、ゆっくり入ることができた。お湯はなぜかグリーン。舐めるとかなり塩辛い。なかなか良いお湯なのではと思ったが、難点があった。ちょっと塩素臭いのだ。プールのように。帰りに泉質表を見ると、やはり衛生上の理由で塩素を混入してあると書いてあった。残念である。
 このマホロバマインズ三浦、なんかへんてこな建物なのだ。ホテルのようでマンションのような。ネットで調べると、リゾートマンションとして建設したが、市長からの要望で途中からホテルに改装したそうだ。道理で、である。
 へんてこな作りであったが、なぜかこれが大盛況。お風呂は空いていたと書いたが、ロビーは超満員状態で、ロビーには4、50人の行列が出来ていた。一歩外を歩くと、その日の三浦海岸は風が強くて、海水浴客は少ない。町は閑散としているのに、マホロバマインズのロビーは人でごった返し。さらにさして広くないロビーで干物や海苔などのお土産をあちこちで売りまくっていて、ロビーは年末のアメ横状態。外とのコントラストが、不思議な光景であった。
 ああ、そのあと三浦海岸駅の近くの店に入った。「さかな料理 まつばら」という店だった。事前にネットで調べて、評判が良さそうだったので行ったのだが。結果は、可もなく不可もなくというところ。わざわざ行くほどの店ではなかった。刺身盛(2人前)で約4000円。そのほか、ご飯セットとビールが一杯で合計7000円ぐらい。魚はまあまあ美味しかったが、ご飯はいまいち。量も少ない。コストパフォーマンスを考えると、ごく平均的な観光地の魚屋といった感じだった。

もっとも残酷な殺人


 大阪の2幼児置き去り事件だ。
 3歳と1歳の姉弟は、ガムテープで密閉された6月下旬の暑く蒸す部屋にふたりだけで置き去りにされた。それがどんな結果をもたらすのか分からないひとはいない。

 報道によると、姉弟は飢えと渇きに苦しみながら、涼しさを求めて冷蔵庫の扉を開けた痕跡がある。3歳と1歳の子に何ができるわけではないが、無情にも冷蔵庫の中には何一つ飲み物も食べ物も入っていなかった。部屋は足の踏み場もないほどのゴミで溢れ、わずか1畳ほどのスペースしか動くことができなかったという。そのゴミの中でふたりの姉弟は寄り添うように死んでいた。

 母は6月下旬に二人の幼児を置き去りにして、悪臭が漂うと勤務先の風俗店から連絡が入るまで1ヶ月の間、部屋には戻らなかった。
 飲み物も食べ物も与えられず、梅雨のじめじめした蒸す部屋で幼児はどれだけの間、生きながらえていたのだろう。その間の恐怖と絶望感はいかばかりであったろうか。

 幼児の母は、わが子が飢えと渇きで死んでいく間、繁華街で知り合った男達と遊び歩いていたという。地元の三重県にも度々帰り、中学の同級生の男性の供述によると、6月下旬から7月にかけ、電話で食事に誘われたという。
 この母はわが子が、飢え死にいくときに、男友達を食事に誘っているのだ。

 今後、捜査が進み、その結果をもとに裁判が行われるだろう。そのときこの母に対して、裁判所はどういう判断をくだすのだろうか。
 私はこれほど残酷な殺人行為はないと考える。まったくの無力で頼る術は母しかない幼子を、もっとも苦しいと言われる渇死させた母の行為は、残酷な殺人行為以外のなにものでもないはずだ。

 仮にこれが業務上過失致死(刑法においての“業務上”はいわゆるビジネス上という意味ではない)、未必の故意と判定されるとしたら。
 私は今後、誰かを殺したいと考えているひとにアドバイスをしたい。殺したい相手を監禁し、放置死させなさい。そうすれば日本の裁判においては放置死は殺人に該当せず、死刑になることはないからと。
 もし放置して死ぬことを考えなかったかと裁判官から聞かれたら、幼児でも1ヶ月放置して大丈夫だと考える人がいるのだから、大人なら死なないと当然思ったと答えなさい。何人殺しても、あなたは死刑になりません。

ビリオネアの義務


 今日もニューヨークタイムスから。
 ビル・ゲーツ夫妻とウォーレン・バフェットの呼びかけに応じて、30人以上のビリオネアが個人資産の半分以上を寄付することに同意したそうだ。オラクルの創立者ラリー・エリソンは総資産の95%を寄付するという。
 この30人超の寄付金の総額はなんと6千億ドルを超える。1ドル90円で換算して54兆円だ。日本の国家予算の半分以上の額ではないか(ということはアメリカの資産家30人の総資産は日本の国家予算より多いということになる)。

 日本で孫正義あたりが、同じことを言い出したら、日本の金持ち連中はどうだろうか。相当、ビビルだろうな。まぁ、孫正義が資産の半分を寄付することは絶対ないだろうから、日本の金持ちは枕を高くして眠られるというわけだが。

 とにかくお金というのは、使って何ぼですね。前もブログに書いたが、金はいくら持っていてもそれはお守りに過ぎないと思う。試験前に真面目なクラスメートから借りたノートのコピーのようなものだ。もっているだけでは意味がないのだ。活用しなくては。でも不思議に欲しいだよね。僕も大学の生協で並んでコピーをしたものだが、結局読んだことは一度もなかったが。

 産経時代、上司がいつも「金が欲しい、金が欲しい」と言っていたので、いったいどのぐらいの金額が欲しいか尋ねたことがある。そうしたら多ければ多いほど良い。何十兆円でも欲しいと答えた。では仮に十兆円が手に入ったとしたら、どう使うのかと聞いた。しばらく考えた上司は次のように答えた。「どこか南米辺りの島を買って、爆撃機を飛ばしたり、ミサイルを撃ったりする」
 確かその話は日本橋の天ぷら屋で、今日のような暑い夏の日に交わされた。その上司と僕は気があって、好きなひとであったが、その話を聞いた瞬間、好意が軽蔑に変わったことを覚えている。(すぐに仲良しにもどって、それからも以前と同じように、毎晩のように一緒に飲み歩いたのだが)

 自分だったら何に使うだろう。う~ん。見当もつかない。
 今気付いたのだが、これは愚問というものだな。ミサイルを撃ち込むと答えた上司の気持ちが今、分かりました。

中国人がいっぱい


 今朝、ニューヨークタイムスを読んでいたら、アイオワ州立大学というところで新入生が予定より多く集まり、対応に困っているという記事が出ていた。
 新入生の枠は4500人程度なのだが、400名以上もオーバーしているらしい。通常、大学は定員より多めに受験者に入学許可を出す。しかしある割合の拒否者が必ずおり、大学はその割合を把握しているため、ほとんど誤差が出ないようになっているらしい。
 しかし、この割合って、どうやって出すのだろう。当然、過去のデータに基づくのだろうが、入学希望者は毎年、違う顔ぶれなのだから、その動きは流動的だろう。割合を算出するのはかなりの芸当を要求されるのではないか。

 ちょっと話がそれるが、会社なんかの新入社員についても同じだが。いつもよくちょうどの数を揃えると感心をしていた。

 さて、ところがこの芸当が今年のアイオワ州立大学ではうまく働かなかったようだ。なぜなら留学生が大挙して押し寄せてきたからだ。押し寄せたというのはちょっと違うかもしれない。大学が海外に向け、新入生の獲得を積極的に働いたからだ。
 新入生のリクルーティングをしたのは中国、インド、韓国だそうだ。その結果、中国からだけで350人の新入生が集まったのだ。400名の留学生のうち、中国だけで350人。

 僕が最初に留学をしたのはたしか1985年のことだ。アメリカのカリフォルニア州立大学リバーサイド校ということろで約1年間の語学留学をした。当時留学生数が国別で一番多かったのは、圧倒的に日本であった。中国人はあまりいなかったと思う。その数少ない中国人もほぼ全員、台湾人であったし。
 当時の上位国は、おそらく1位日本、2位サウジアラビア、3位メキシコ、4位韓国、5位南米、って感じだ。3位のメキシコはリバーサイドがメキシコから比較的近いところにあることが原因だと思う。5位の南米は、国ではないのだが、みんなスペイン語を話していたし(ブラジル以外だが)、雰囲気も良く似ていて区別がつかなかったので、合わせてで5位入賞を与えたい。

 2度目に留学をしたのは1994年から96年までバーモント州のセントマイケルという小さな大学へ行ったのだが、ここも留学生は多かった。そのときも日本人が一番、多かったように思う。
 中国人も来始めていた。でも日本人の三分の一もいなかったように思う。

 地域性や大学のリクルート方針もあるとは思うが、中国人の留学生数増加は、全米の大学の傾向だと思う。アイオワだけの話ではないだろう。

 僕が最初に留学したときに、アメリカ人の大学教授に言われたことがある。かつて日本人留学生の数は少なかったがとても優秀で、ハーバードなどの一流校の成績上位者に日本人がかなり食い込んでいた。しかし今は数が多くても出来の悪いのばかりだと。
 勉強にまったく興味がなかった僕は、教授の嫌味に別段怒りは覚えなかったが、印象深く今も覚えている。
 最近の日本人留学生はどうだろう。おそらく数は減っているだろう。しかし質のほうも、昔大挙して押し寄せたころと同じか、さらに劣化しているのではないだろうか。

 それで中国人留学生だが。僕が1994年に行ったとき、たしかアンダー(大学)の卒業生代表は中国人だった。僕は大学院の方に行っていたが、仲の良いクラスメートがいた。彼女もとても優秀だった。中国でもずっと成績優秀で来たといたそうだ。そうでなければ何千万といる大学生の中から勝ち上がって、留学などできないと言っていた。
 今はどうだろう。相変わらず優秀なのだろうか。昔の日本人のように、数ばかり多くて、中身はいまいちという状況だろうか。

 ところでこの記事を読んで面白いと思ったことがある。大学関係者は読みを誤って、多めに新入生を採ってしまったことをあまりネガティブに評価していないことだ。なぜなら授業料を沢山取れるからだ。目算が狂ったのは、主に留学生数の予想がためで、その留学生は州内の学生に比べて授業料を3倍も多く支払ってくれる。思わぬ収入のアップになったと考えているようだ。
 日本の大学だと、あまり定員より多く採用してしまうと、文部科学省からお叱りを受け、翌年の助成金を削られ可能性もあり、マイナス評価になるのだろうが。
 ただ大学関係者の頭を悩ませていることもある。それは新入生の寮の確保についてだ。
 むこうの大学生はほぼ全員、寮に入るので、部屋が圧倒的に足りなくなりそうなのだ。なんとか近辺のアパートを寮として使用したり、構内のゲストルームやレクリエーションルームを俄仕立ての学生寮にして、しのごうと画策しているとのこと。
 すでに寮が満員状態で、大部屋に大人数が押し込められるという噂をキャッチした地元の新入生は、校外のアパートを探し始めているという。
 かつての中国人なら、大部屋に押し込められることに慣れていそうだが、一人っ子政策で育った今の若い中国人にしんどいだろう。夢見て来たアメリカ生活も、ぎゅうぎゅう詰めの寮生活になるとは。

翻訳の状況


 このブログを始めた当初は、翻訳についてのあれこれを中心に書いていくつもりでいた。だからブログの最初のタイトルは『翻訳日和』であった。しかし翻訳について書くことがあまりなく、つまり翻訳の仕事がほとんどなく、翻訳の話題に触れることが少なかった。しかしまったく翻訳をしていないわけではない。ちょっとだけ進めているものもあるので、備忘もかね、最近の翻訳状況について今日は書く。

 ある本について企画書を書き、某出版社に持ち込んでいる。現在、出版化の返答待ちである。
 この本はニューヨークタイムスの書評欄で見つけた。書評欄を読んで、すぐに興味を持ち、アマゾンで本を取り寄せた。読んでみて、面白いと思った。そして企画書を書いた。
 向うでは結構著名な文化人の自伝なのだが、その人物がちょっと変わっている。小さい頃から百科事典を一回読めば、丸暗記をしてしまう驚異的な記憶力の持ち主なのだが、対人関係は恐ろしく下手。学生時代はむしろ劣等生として過ごす。その後、ある分野の評論で認められ、ピュリッツァー賞を受賞するまでになるのだが、常に社会との違和感で悩み続ける。40歳を過ぎたときに、アスペルガーシンドロームであると診断を受ける。40を過ぎて、ようやく社会との齟齬の原因を突き止めることができたのだ。
 主に幼年から大学生までの記録であるが、変人ぶりを示すエピソードが並ぶ。しかし少年や青年はみな程度の差はあれ変人であろう。最初から世間との違和感を覚えずにいられたものなどいないはずだ。僕は作者に共感を覚えながら、最後まで読むことができた。
 この本を見つけたのが昨年で、企画書を最初の出版社に持ち込んだのが今年の3月だった。それから2ヶ月ほどして、その出版者から断りの連絡を受ける。そこは小さいところで社長に直談判したのだが、2ヶ月も待たされてしまった。それもこちらが催促をして、ようやくだ。社長さんはいい人で、途中ランチをご馳走になったりして、感謝しているが、もう少し早く回答を出して欲しかった。しかし、そんなものかもしれない。僕は一業者なのだがから。
 その後、あわてて今の出版社に持ち込む。そこはかなり大きいところなので、社長とは当然いかず、担当者に当る。幸いなことに、そこの担当者からは好感を得る。まずは第一関門の突破だ。次は担当者を通じ、向うの出版社に版権がまだ残っているのかの確認をしてもらう。結果はまだ大丈夫だというものだった。第二関門の突破である。残すはあとひとつだ。社内の出版会議を通さなければならない。現在はその回答を待っている状態である。決まればよいのだが。

 とても良い本なので、日本の読者にもぜひ読んでもらいたい。
 企画書を書くときに調べたのだが、日本でもアスペルガーと診断される人の数が増えているようだ。ちょっと変わっていると回りから見られ、自分も世間との違和感で悩んでいる人が、最近になってアスペルガーと診断を受けることが多いようだ。そういう人に読んでもらえたら、勇気がでるのではと思う。もちろんアスペルガーでない人も楽しめる。

 もうひとつ。これはどこで見つけたのかは忘れた。多分、アマゾンでだと思う。これも自伝だ。こちらは有名人でなく、ただのサーファーの自伝である。
 ああ、思い出してきた。サーフィン関連の本を探していて、アマゾンで見つけたのだ。サーファーが書いたエッセーのようなものがないかを探していたのだが、これが全然ないのだ。サーファーはあまり本を書かないようだ。だから貴重な本であるのだが、逆を考えるとサーファー関連の本は売れないのかもしれない。サーファーは本を書かないだけでなく、読みもしない可能性があるからだ。でもそれを考えるのは止そう。

 で、今このサーファーの自伝をいきなり訳している。企画書も書いていないし、当然、出版社に持ち込んでいない。版権がすでに日本の出版社に買われているかもしれない。
 なぜかというと時間がかかるからだ。今までの経験から考えて、これから企画書を書いて出版社に持ち込み、担当者にプレゼンをして、担当者から了解を得て、海外の出版社に版権の問い合わせをしてもらい、それから社内の出版会議に諮り、なんてことをしているとすぐに半年ぐらいが経ってしまう。半年も待つ時間がおしい。ならば思い切って、翻訳を完成させ、その翻訳を持って出版社に売り込もうかと考えたのだ。無謀かもしれないが。しかし採用されればいつかは翻訳をすることになる。それにかりに版権が買われていて僕に翻訳の機会が廻ってこなかったとしても、駆け出しの翻訳者としては、一冊仕上げたという自信にはなる。座して、時を無為に過ごすよりは良いとの判断した。
 7月から翻訳を初め、現在80P程度まできた。250Pほどの本なので、まだ暫くかかりそうだ。夏の間に終わらせたいと思っていたが、ちょっと難しそうだ。
 
 さて実務翻訳の方だが、ここ2,3ヶ月の間でいくつか依頼があった。しかしすべて断ってしまった、あるいは断られた。断ったのは納期が自分の能力を超えていたり、ギャラが低すぎたり。断られたのは、こちらが提案したギャラが高すぎた場合。
 今、実務翻訳の世界の状況はとても厳しいものになっている。産業界の不況の波が、下請け業者である翻訳者へ直撃しているのだ。もとからマニュアルや契約書など、興味を持ちにくい分野の仕事が多いのだが、ギャラや納期までもが厳しくなり、こちらの気持ちは萎えるばかりだ。

 やはりなんとしても出版翻訳を進めねばならない。今年度内に何冊か目処をつけたいと思っている。

プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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