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中森明菜


 中森明菜が免疫力低下のために、年内は仕事を入れないという報道があった。この報道を受けて特に驚いた人は少ないのではないだろうか。というのは、それだけ最近の中森明菜が不健康に見えたからだ。あの痩せ方は尋常ではない。
 この報道を目にして、ユーチューブで久しぶりにアイドル時代の中森明菜の映像を見た。可愛い。デビュー仕立ての頃は特にピチピチで、いやいやどちらかというとポッチャリ系といっていいほど健康的で愛らしい。トレードマークの、これは私がそう思っていただけかもしれないが、太目の二の腕がまぶしい。
 このピチピチの女の子が、45歳にして老女のようなやつれ方をするだろうなんて、誰があの当時思っただろうか。

 古い映像を見てみると、やせてきたのはアイドル時代から始まっている。「スローモーション」と「DESIRE」でどのぐらい年月が経っているのか知れないが、おそらく3,4年程度だとう。それでも随分と違って見える。でも10代の少女から20代の大人の女への変化の時期なので、特別ではないのかもしれない。
 やはり本格的に痩せたのは、あのマッチとの破局からである。これを境に彼女はまさに激ヤセをする。そしてその後、明菜はずっと激ヤセ状態を続けた。一回の失恋が、体質を変えてしまったのだろうか。それとも未だに傷心から立ち直れずにいるのだろうか。どちらにせよ、可哀想な話だ。

 同じように失恋を契機にすっかり変った女性に宮沢りえと華原朋美がいる。しかし変り方は対照的で、宮沢りえは明菜同様に激ヤセ。華原朋美は激太りであるが。

 この3人、ともに美人だ。それもかなりの美人だと個人的には思う。スタイルもかつては良かったし、ちょっとワルっぽいところも魅力的だった。そんな綺麗な女の子がたった一度の失恋で、生涯体質が変ってしまうほど、精神のバランスを崩してしまった。
 あれだけ綺麗なんだから、ちょっとその気になれば、いくらでも次の男はいただろうに。いや、きっと新しい恋もしてきたのだろう。でも最初の失恋を乗り越えることができないでいる。

 3人が失恋した相手には共通点がある。相手は3人とも、付き合っていた当時は、その業界のスーパースターだったことだ。そして、その後他の女性と結婚している。明菜、りえ、華原は独身であり続けているのだが(りえは結婚してる?、ちょっと不明です)。

 ここまで書いて気が付いた。3人はスーパースターのボーイフレンドと美貌を同時に失くしてしまったのだ。そしてそれに伴って自らの人気も。これは相当なショックだろう。乗り越えがたいほどのショックであろう。
 未だ3人ともショックから立ち直れていないのかもしれない。しかし3人には違う将来が待っていた。
 明菜、華原が自傷的な人生を送っているのに対し、宮沢りえは女優として成功を勝ち得ている。

 宮沢りえとふたりの違いは何なのだろうか。それほどのフアンでなもない私にはよく分からない。しかし失恋した相手を見ると、何か方向性のようなものが見えてくる。明菜や華原は破滅的な志向があるのかもしれない。

 なんだか支離滅裂なことを書いてしまった。全然、論理的でない。
 このブログの結論は、また支離滅裂だ。中森明菜へ。またデビュー当時のような健康的な女性になって戻ってきてくれ。君は案外、可愛いおばさんが似合うと思うよ。
 当時はそんなにファンではなかったけど、改めて古い映像を見て、その可愛さに驚いた同世代はそう思うのだ。

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自動車普通免許、一発試験合格への道(3)


 ここのところ更新がちょっと遅れ気味。今日は10月30日だが、これは10月27日のこと。

 27日(水)、2回目の実技講習(コース内)を受けてきた。前回はマニュアルで受講し、散々な目に会い、教官からもちょっとこのままマニュアルに進むのは厳しいかもしれないという忠告を受けていた。今回は迷った末にオートマで受けてみることにした。
 やはり躊躇はあった。オートマ限定という免許自体がカッコ悪いと思ったわけでは、実はない。そんなの本当はどうでもよかった。ただ実際にマニュアルに乗る機会があるかもしれないと考えたからだ。今から25年ぐらい前の大昔、まだ世の中がマニュアル時代だったころ、これは恒常的にマニュアルに乗っていた。それからオートマ時代が到来したが、その後も何度か乗る機会があった。前も書いたが、親戚の軽トラや自分や友人の引越しの際のトラックを運転したときだ。どれも必要な場面であった。今後、そういった機会がないとも言えない。だからできればマニュアルで受験したかった。でも、前回の講習を受けてみて思い知らされたが、かなり忘れている。いや例えば2時間ぐらい続けて乗れば思い出せるとは思う。ただ試験でいきなり乗るとなると、うまく運転できる状況ではない。やはり25年のギャップは大きい。
 そこで今回は苦渋の選択で、オートマで受講してみた。その結果。これが前回とまったく違った展開になった。すごく簡単なのだ。当然、2回目だったことも大きい。このカーブは実は交差点だと仮定しているのだな。ここは片側一車線だが、二車線だと仮定しているのだな。その場合はルームミラーで確認後、ウインカーを出し、それから首を振っての目視、三秒後に車線変更。交差点(仮想)の三十メートル前からまたウインカーを出し、曲がる際には時速10キロ以内で徐行する。そんなことが前もって頭にインプットされていた、この違いは大きい。何をしていいのかあたふたせずに、対応することができる。ただ、やはり2回目だからということだけではないと思う。乗りなれたオートマの安心感が違うと感じた。
 とういうことで今回の講習は楽しかった。コースのどこを走っても、楽チンであった。二俣川自動車学校にはまったく初めての生徒も沢山いる。その人たちがクランクやS字で縁石にぶつけてしまったり、バックで位地を戻したりしているのを余裕で見ることができた。もちろんクランクもS字も余裕であった。だって実際にはもっと狭い道を走るケースってあるのだから。約30年前に教習所へ通ったときにクランクで戸惑ったことは今も覚えている。さすがに長いドライブ経験はそれなりにだが、成長を促していたのだ。
 
 やはりオートマしかないようだ。今後、友人の引越しを手伝う機会はあるだろう。その際はマニュアルなら運転はできない。軽トラにも(マニュアルなら)乗れない。マニュアルの軽トラの運転感覚は好きだったのだが。
 残念だが仕方ない。世の中、すべてがうまくゆく訳ではないのだ。肉を切らせて骨を切る(この比喩、ちょっと違うかな)。マニュアルは捨てて、実(免許)を取りにいく作戦に変更だ。

 さて楽しい実技講習が終わった後、今回も実際の試験場のコースを下見する。こちらも今回は余裕で歩くことができた。
 前回は下見を引率した教官が無愛想、横柄なタイプの若い男だった。質問しても、あからさまに嫌な顔をした。私がある質問をしたら、「そんなことコースガイドに載ってるよ」と言って、他の生徒の前で嘲笑するような男だった。しかし今回は中年のベテランで、実に懇切丁寧に教えてくれた。おかげでコースをよく理解することができた。

 今後だが、これで練習コースはおしまいにしようかと思う。もう少し、コースでの講習を受けるつもりで、予約をしていたのだが、キャンセルをした。この感じだと、もうコースで練習する必要はないように思う。
 そこで実際の試験会場での講習を申し込む。二俣川自動車学校では、日曜日に試験場を使っての講習を受けることができるのだ。料金はちょっと高めだが、念のため2時間ばかり申し込んだ。

 さあ次は仮免学科の本番試験だ。来週か再来週に受けるつもりだ。それに受かれば仮免実技に進める。その前に試験場での講習を2時間受ける。
 希望では今年中に免許を取得したいと思っていたが、ちょっと難しそうなペースである。でも着実に、なるだけ試験を少ない回数でこなし、来年1月、あるいは2月には取得したいと思う。

 本日の費用
 電車代 逗子→横浜 330円(JR)
     横浜→逗子 330円(JR)
 試験場教習料(2時間分) 12、800円(1時間9,000円だが、前回納めた分をキャンセルしたのでその差額)
 写真    600円
 合計 14,060円

今までの合計 39,630円
 

ユズのマーマレード&ユズ酢、ゆずな日々


 先週末、庭に生えているユズを収穫した。今年は30個程度。かなり少ない。しかしこれでもここ数年では一番の収穫量だ。でも、その前はもっと取れたのだが。
 逗子に越してきて5年目の秋である。この5年の収穫量はおおよそ以下のとおり。

2006年 ゼロ
2007年 10個
2008年 100個
2009年 10個
2010年 30個

 上の数字を見て一目瞭然だが、2008年が断トツで多く、他はドングリの背比べというところだ。2008年の時点では今後はさらに増えていくだろうと予想していた。うちのユズの木はまだ若いので、成長過程だと考えたからだ。ところがどうしたことだろう。2009年以降、低迷が続いている。
 うちの木のサイズを考えると100個でも特に多いとは思わない。2~300個はできても不思議でない。
 何も肥料もやらず、剪定もしていない結果なのだろうか。最近、ちょっと反省して米のとぎ汁だけは蒔いていたのだが、今年の30個はそのちょっとした効果だろうか。あるいは2008年も特に肥料をやっていないので、ミツバチの減少が原因かもしれない。何年か前から報じられているが、その影響とも考えられる。

 さて、たった30個のユズであるが、これが結構な量の製造物に生まれ変わった。ユズ酢が500cc程度。ユズのマーマレードは2リットルぐらい。下がその写真である。真ん中の赤いラベルの小さな瓶がユズ酢である(他にもあるが現在、冷凍中)。他はすべてマーマレードだ。ちなみに後ろに見えるのは大吉。なんでも興味津々の大吉は、キッチンでの撮影に普段との違いを感じ、チェックに来る。大吉はチェックマンなのだ。我が家は監視社会といわれている。

 味はまだ試していないが、どうだろうか。一昨年100個の大漁の際、作ったものはマーマレード、ユズ酢ともに美味しかった。今年も同じでできだといいのだが。
 これだけのマーマレード。しばらく、ランチはパンになりそうだ。

マーマレード&ユズ酢
ユズのマーマレードとユズ酢、と大吉(旧ソ連を彷彿させる監視社会の我が家)

マーマレードを作っているところ
なんだかフカひれのような見た目だが、これがユズのマーマレード。土鍋で煮込んでいるところ


芋煮会のはなし


 ちょっと古い話だ。ここのところ教習所に通ったりして、後回しになっていた。
 先週の土曜日、拙宅にて初めての芋煮会を決行した。今回は参加者の人数が少なかった(15人程度)が、天気もよく楽しい一日を過ごすことができた。
 拙宅での寄り合いの中心メンバーに山形出身が二人いる。産経のS君とライオン関係(動物じゃないですよ、会社名です)の関連会社の社長をしているKさんだ。Kさんは料理が上手で(そのうえ美人、ナイスバディである)、いつもBBQのときも、BBQ以外の料理を沢山作ってくれる。今回もそういうことで、Kさんを中心に芋煮を作った。素材の選択、下ごしらえはKさんで、実際煮る責任者はS君だ。
 芋煮には二種類あるという。山形型と宮城型だ。山形型は牛肉で宮城型は豚肉を使用する。芋はともにサトイモとのこと。ということで、我々は山形型の牛肉で芋煮を作った。甘口醤油味でとても品の良い味になった。最後にはうどん、餅なども入れて腹いっぱいになった。Kさん、S君ありがとう。そのほか、何度も買出しに行ってくれたR君や料理、BBQを手伝ってれたみんな、感謝しています。また、ぜひやりましょう。

 今回は産経の後輩のIが子連れで参加した。Iは以前はKといったが、結婚してIとなった。Iはこの会の中心メンバーで、毎回沢山のひとが来るのもほぼIの人脈、人柄である。私はたんなる場所貸し人に過ぎない。
 Iの赤ちゃんが春樹君というのだが、とても可愛かった。猫も可愛いが、人間の赤ちゃんも可愛いね。猫みたいに柔らかい。2,3日レンタルで貸してもらえないだろうか、と思ったほどであった。

 ちなみに芋煮会って、鍋どうするの?って思うでしょ。私もそれが心配でネットなどで事前に調べた。鍋はやはり家庭用のサイズでは小さすぎる。芋煮には芋煮会用のデカイのが必要なのだ。それでネットで探しまわった。分かったことはデカイ鍋は高いということ。たとえば30人分(6,70杯程度)だと安くても2万円ぐらい。高いのは5,6万円もする。そんなに高くては手が出ないので、必死になって探してみた。すると、あるものである。楽天に出展ているリサイクルショップで中古で約6000円でよいのが見つかった。
 この鍋が木のふたなんかついていて、実に味わい深い。いかにも芋煮会むけという風合いをかもし出している。

 良い鍋も手に入り、腕のよい料理人(ごめん、Kさん、あなたのことです)もいて、楽しい仲間がいて。これからも芋煮会、続けます。みんな、また来てね。

芋煮会の参加者
今回の参加者。帰り際、みんなで記念撮影!

誕生ケーキ

今回はみどり&あつこの合同誕生会サプライズ編も同時に決行した。ちなみにみどりさんはKさんと同一人物です。みどりさん、あつこさんともに上の集合写真に写ってます。さて、どの人でしょう?


自動車普通免許、一発試験合格への道(2)


 本日、初めての場内教習を受けてきた。感想。辛い、しんどい、止めたい。

 昨日のブログで、18歳のとき最短カリキュラム、全試験一発で合格、さらにアメリカで2度も免許を取得したとエバった。俺は3回も自動車免許を取った男なんだ。そんじょそこらのドライバーじゃないのだぞ、といった内容を書いた。
 すみません。私が間違えていました。馬鹿でした。過信していました。
 以前、偉そうな内容のメールを翻訳学校の先生に書き、“虚心坦懐”というタイトルで返事をもらったことがある。あのときは反省し、今後は謙虚に生きようと心に誓った。しばらくの間は座右の銘にしようこ考えていた。でもちっとも反省していませんでした。すみません、先生。あいかわらず私は自信過剰のナルシストです。

 本日はマニュアルで教習を受けた。
 申し込みの際、受付で散々、オートマを勧められた。でも以前はマニュアル(当時は全部そうだった)の免許だったし、最初に乗った青のファミリアはマニュアルだった。その後はほとんどマニュアルには乗る機会がなかったが、当然自分はマニュアルで問題ないだろうと思っていた。それに大の男がオートマ限定の免許なんて、ちゃんちゃらおかしくて屁が出ちゃう、と考えていた。受付のアドバイスを無視してマニュアルで申し込んだ。なんでも現在はオートマ率が95%ほどだそうだが。
 やはり受付の人の意見が正しかったと思う。いくら最初のマイカーがマニュアルでもそれはもう25年以上前の話なのだ。それからマニュアルに乗ったのは記憶の限り、3,4回程度。引越しでトラックを借りたときと、親戚の軽トラを運転したとき。その程度だ。案の定、すっかり忘れていたのだ。

 私のカルテには運転歴25年と書いてあるようだ。そうだろう、そう申告したのだから。そのカルテを見た教官は私の腕を試すべく、まず何も教えずに、車でコースを一周するよう促した。
 焦った。まず何をしたらいいのか。皆目見当もつかない。椅子の位置の調整が先か。ミラーの調整か。ドアミラーの調整はすべきなのか。シートベルトはいつ装着するのか。しかたないので順番はめちゃくちゃで自分なりにやってみた。
 さてエンジンの始動だ。これも忘れていた。クラッチとブレーキは一緒に踏むことは、体で覚えていた。でもエンジンをかけるときギアはニュートラルだったか、一速だったか。もう、イグニッションキーを入れただけで、汗をかいていた。
 それもなんとかデタラメでこなし、コースに出た。もう全然、どう走っていいのか分からないので、普通に走っちゃた。公道を普段走っていたように。それも久しぶりのマニュアルなので、ちょっと吹かし過ぎたり、逆にノックしそうになりながら。
 2周ばかり走らされて、車を止めるように言われた。「山本さん、相当長い間車に乗ってないようですね」「ははー」。それからはもう、18歳のとき以上に平身低頭、教官に最高敬語で話しましたよ。

 私の運転は、まったく駄目だそうだ。あらゆることが基本に達していないという。今日、言われたことを記してみる。
 まず発車までの動作が滅茶苦茶だそうだ。やっぱり、そうか。正しい順は。
1. ドアは後ろを確認してからゆっくりと開ける。
2. ドアはゆっくりと閉める。
3. ドアを閉めたら鍵をかける。
4. 椅子の調整。まず前後。それから背もたれの順。
5. ルームミラーを調整(ドアミラーはいじらないそうだ)。
6. シートベルトを締める。
7. ブレーキとクラッチを踏む。
8. ギアをニュートラルに入れる。
9. ウインカーを出す。
10. 前後左右を確認してから発進。

ここまでが発進。コースに出てから言われたことは。
1.直線では3速まで入れる。
2.曲がり角は2速に。徐行で(10キロ以下)。これが思ったより、遅いのなんの。
3.曲がり角のかなり前にウインカーを出す。それから首を回して、後方の確認。そして車線変更(でも車線なんて、ないんだよ。ただ右の方によるだけ)。
4.とにかくメリハリをつけて(なんじゃ、メリハリって?)。

 こんな感じだろうか。書いてみると簡単そうだが、これが難しかった。その理由はコースが小さい。あっという間に曲がり角に来てしまう。それまでに加速をし、片側一車線なのにウインカーを出してから車線変更。
 車線なんてないんだよ。だけどイメージしてちょっとばかり右に寄るのだ。そうこうしているとあっという間に曲がり角だ。これもどう見たってただのカーブだ。カーブならウインカーを出さないが、ここでもイメージの世界だ。そして徐行。これが遅い。10キロ以下なんて体感だと歩いているような速度だ。それもアナログの速度計なので、10キロなのか15キロなのかなんて、見ても分からん。ところが15キロを越えると減点だそうだ。そんな、あんなちっさな速度計じゃ、よう見えんよ。こちらは老眼なんですぞ。
 ところがだ。後から分かったが、デジタルの速度計が教官側にはついているのだ。それで教官は今15キロですよ、なんて言えていたのだ。きたねー。
 それからは教官側の速度計を盗み見て運転しましたよ。

 まあ、こんな感じで50分の教習が終わった後は、心底疲れた。クラッチ踏みっぱなしの左脚はつりそうになったほどだ(昨日、ジムでふくらはぎの運動(カーフ)をしたので余計辛かった)。

 実はそれから今日はもうひとつカリキュラムがあった。本番の試験場を歩いて下見したのだ。実はこれがあるので二俣川自動車学校を選んだのだ。
 本番コースは自動車学校のコースとは違い、距離もあるし車線も場所によっては二車線ある。それでも一般道と比べればオモチャの世界で、なんでこんなところで車線変更したり加速したり、おもいっきり減速しなくちゃならないの?、という箇所が満載であった。

 とにかく教習一時間、下見一時間の合計二時間ばかりの授業であったが、大変疲弊した一日であった。
 正直、今日終えて、もしかしたら免許は取れないのじゃないのだろうか、と思っている。頭の中をすっかり入れ替えないよ駄目なのだ。25年の運転歴の常識はすべて忘れなくてはならない。これからは運転免許試験のためのドライブテクニックだけを頭にインプットしなくてはならない。そしてそれを繰り返し訓練するのだ。それを乗り越えなければ、本当に免許は取れないだろう。
 結構、長い道のりになりそうである。


 帰りは前回、来たときに気になっていた中華料理屋で昼食を取った。何が気になっていたかって。「サンマーメン」っていう看板にだ。サンマ入りのラーメンなんて、面白そうじゃないか。表示には「ハマの味。うまい、安い、ボリューム満点、栄養満点」とある。結果は下の写真である。この食事も含め、前途多難が予想される一日であった。

これが噂の“サンマーメン”
これが“サンマーメン”(650円)。普通の野菜あんかけ。サンマは入っていなかった。麺は細めん。かなりの柔らかめ。量は普通。味も普通の駅前のラーメン屋の味。ただし店のおばちゃんはおしろいで顔が真っ白だったが、良さそうな人だった。


追)自動車を求めています! 
 買い替えるため、あるいは海外転勤などで不要な車のある方、ご一報ください(“honyakubiyori@”続いて“gmail.com”です。まで)。
 できれば無料で、あるいは格安でお譲りいただければ助かります。名義変更の手続きはこちらで責任を持ってやらせていただきます。車種や色にはこだわりはありません。ただ車庫の高さの関係上、車高は160センチ以下になります。


本日の費用
 電車代 新逗子→横浜 330円(JR)
     横浜←→二俣川(回数券 12枚時間指定) 1900(相鉄)
     横浜→逗子 330円(JR)
 教習料(2時間分) 10、400円
 合計 12,960円

今までの合計 25,570円


自動車普通免許、一発試験合格への道(1)


 私は自動車の免許を持っていない。でもかつては持っていた。失効になったのだ。うっかり更新を忘れて失効になった。
 長い間、無事故無違反だったのでゴールドカードだった。ゴールドは有効期間が長いことだけは知っていた。それが5年だったか10年だったか知らずにいた。私は船舶の免許も持っているのだが、こちらは確か10年だ。あるいはパスポートと混同していたのかもしれない。とにかくまだずっと先だと思っていた。でも過ぎていた。
 そんなこんなで、免許のない生活をもう5年以上も過ごしている。

 免許を取ったのは18歳のときだ。現役では大学受験を失敗し、その直後から教習所に通い始めた。私は1月生まれだから、18歳になって2ヶ月ほどのことだ。教習所では最短時間でカリキュラムを終え、試験もすべて一発で受かった。18歳の男子では普通のことなのかどうか。それでも教習所の先生に誉められた。
 その後、21歳でアメリカのカリフォルニアへ、31歳でバーモントへ留学し、二回とも現地で免許を取得した。なので今まで、合計3回自動車免許を取得したことになる。でも今はどれも失効していて、免許はない。

 私の家は逗子駅から歩いて30分ほどの場所で、近所のひとは陸の孤島と呼ぶ。車がないと少し不便な場所だ。でも私は歩くことが好きなので、まったく苦にしたことがない。だから免許をまた取ろうと考えたことはない。かえって更新の手続きがあったりして面倒だと思っていたくらいだ。
 ところが、今回免許を取る気持ちになった。理由は詳しくは書かないが、ひとつには猫のことがある。何かあったとき、実家に預けることもありえるので。

 さて、免許再取得を決心して、ネットで自動車免許の取得について調べてみた。方法はふたつあることが分かった。ひとつは18歳のときと同じ方法。公認の教習所に通い、規定のカリキュラムを履修して取る方法だ。もうひとつは都道府県の自動車免許試験場で試験を受けて、取得する方法である。これを世間では一発免許というそうだ。

 受験者から見てこのふたつには大きな違いがある。時間と費用だ。公認教習所ならはっきり調べていないが、4~50時間の授業および実技演習があるはずだ。一発なら、それはゼロ。いきなり試験を受けることができる。費用は公認教習所だと今なら、30万円以上が最低レベルだ。一発ならこれもゼロ。しかし一発でも試験の費用はかかるのだが。

 さてこれだけ期間、費用が異なり、さらにすでに3度も免許を取得したことがある自分が、今更教習所に通うことは憚られる。もったいない。ならば一発でいくしかない。
 しかし安いにはそれなりの理由がある。一発免許といっても、実は一発ではいかないらしいのだ。一発が数発、ときには十数発や数十発にもなることが普通であるようだ。それにその数発、あるいは十数発にも準備が必要である。準備なく受ければ、果てしなく落ち続けてしまう。あな、恐ろしい。
 たしかにそれには思い当たるフシがある。教習所で昔習った、細々とした確認事項や、実際にはあまり使わないポンピング・ブレーキや踏み切り時の窓明けなど、試験ならではのテクニックはとうに忘却の彼方であるからだ。やはりもう一度、学びなおさなくてはならない。
 
 そこで一発屋(わたしのような一発試験を受験しようと企むもの)に向けた専門の教習所がないのかを調べてみた。すぐに見つかるかと思ったが、これが全然ないのだ。なんでだろう。実に不思議なことだ。だって自分のようにうっかり失効の人も、さらに違反で失効した人も世の中には沢山いるはずなのに。
 逗子から近いとろころの教習所から順に電話をかけてみた。鎌倉市、横須賀市、藤沢市のほぼすべて、さらに横浜の戸塚周辺など合計で10数箇所の教習所に問い合わせた。その結果、すべてに断られた。一発屋向けの教習はどこも行っていないのだ。しかし教習所の人と電話で話しているうちに、神奈川では自動車試験所のある二俣川の周辺で、ひっそりと一発屋向けに教えてくれる非公認(!)の教習所があることが分かった。

 なんと教習所には公認と非公認があるのだ。そして公認はものすごく高くて、非公認は安い(この時点では知らなかったが、後から分かった)。なんだか、いわくがありげである。このあたりことについては、おいおい書いていこうと思う。

 さて、そして。二俣川にある非公認の教習所に電話をかけてみた。結果は快くOKである。いつでもきて下さいとのこと。その場ですぐに申し込もうと思ったが、他にも同様の場所があるのではと思いとどまり、その場は一旦電話をきった。
 調べた結果、二俣川周辺には何箇所か非公認の教習所があることが分かった。料金はほぼどこも同じ。ならば一番、近いところがよい。結局、最初に電話した場所に行くことに決める。二俣川自動車学校である。

 そして行って来ました。二俣川自動車学校へ。二俣川なんて、聞いたことがない駅であり、ものすごい田舎をイメージしていたが、案外近かった。横浜駅から相鉄で快速だと11分。鈍行でも20分弱である。自動車学校は二俣川駅から徒歩10分弱。途中にユニクロがあった(こりゃいい。今後、通うことにしよう)。
 学校は、学校というよりも、駅前の不動産屋のような作りであった。ガラス扉をガラガラと開けると小さなカウンターがあり、男性ひとりと女性ふたりがいた。まわりに商談用(?)テーブルが三つ。長椅子がひとつ。まさに町の小さな不動産屋そっくりである。ひょっとしてここは事務所だけで学校は別にあるのかもしれないが。きっとそうだろう。ここでは授業を行うことはできない(後から分かったが、ここでは学科向けの講習は行っていない)。
 ちょっと店構え(学校構え?)を見て、及び腰になったが、ここまで来たら覚悟するしかない。ということで入学手続きを済ませました。

 これから暫く、この学校に通います。さて私は一発試験に合格することができるのでしょうか。もし受かるとしたら、どのぐらい教習を受けなくてはならないでしょうか。今後、費用や教習内容などを記録しながら、このブログにて報告してまいります。

 本日の費用
 住民票作成費 200円(電話にて持って来るように言われていた)
 電車代 新逗子→横浜 300円(京急)
       横浜→二俣川 190円(相鉄)
       二俣川→横浜 190円(相鉄)
       横浜→逗子 330円(JR)
 入学金 5、200円
 教習料(1時間分) 5、200円
 コース図(1) 700円
 コース図(2) 300円
 合計 12,610円

追)自動車を求めています! 
 車を買い替えるため、あるいは海外転勤などで不要な車のある方、ご一報ください(コメント欄にご記入ください。「管理者だけコメントを表示する」にチェックを入れていただければ、私にしかコメントは開示されません)。
 できれば無料で、あるいは格安でお譲りいただければ助かります。名義変更の手続きはこちらで責任ももってやらせていただきます。

二俣川自動車学校
ここが新たな学び舎である二俣川自動車学校

隣のラーメン屋
隣のラーメン屋。暗くて見えにくいが「合格」とビルに文字が。最初はここが学校かと思い、かなり衝撃を受けた。


今年最初で最後のキノコ狩り


 先週の土曜日、キノコ狩りへ行って来た。場所はいつもの群馬県某所である。毎年、秋は毎週末のように出かけていたが、今年はこれで最後だと思う。一緒にキノコ狩りへ出かけていた人も、実は僕と同様会社を辞めて今、新しい人生の準備をしている。僕も会社員時代と違って、週末は本来ないし、お金もない。なので今年はこれでおしまい。それすらもかなりの贅沢だと思っている。
 それにもしかしたら、今回がほんとに最後になるかもしれない。群馬県某所にでかけるのは。
 会社を辞めた連れだが、新しい人生は長野県で過ごす予定だ。だからわざわざ群馬まで足を伸ばさなくとも、キノコが生えている山は近くにあるに違いない。彼は良い人なので、群馬県にもこれからも一緒に行くと言ってくれているが、新しい仕事が始まったら、そんな余裕はしばらくはないだろう。彼が行かないのであれば、車のない、免許もない僕がひとりで群馬某所に行くことはない。だから、これが最後になるかもしれない。
 そう覚悟してでかけたキノコ狩りだが、生憎の雨であった。僕は雨のキノコ狩りがあまり好きでない。いや、雨のキノコ狩りは嫌いでもないのだが。帰りが嫌なのだ。友人は帰り、僕を赤羽の駅まで送ってくれる。そこからは電車で帰るのだが、濡れた体で電車に乗るのは辛い。だから雨のキノコ狩りは避けるようにしている。しかし今回は何と言っても最後になるかもしれない。なので天気予報を見て、重いのだが着替えを持って出かけた。
 そして望んだ雨のキノコ狩り。これが凄いことになった。何が凄いって、その釣果が。
 友人は今までもこのぐらい採ったことがあると言う。そうかもしれない。でも、僕の記憶では過去最高ではないかというぐらいに採れたのだ。
 こんなに楽しいキノコ狩りは久しぶりだった。雨なんかなんのそのだ。やっぱり採れなくてはキノコ狩りは始まらない。
 ここ数年、山の植生が変化してきて、毎年キノコは取れなくなってきた。そして釣果が下がるにしたがい、こちらのテンションも下がってくる。毎年、キノコ狩りへの意欲が薄れてきていた。それがキノコの採れる量と比例しているとは気付かなかった。ただ、もう飽きてきたのかと思っていた。でも違った。採れなかったから楽しくなかったのだ。採れるキノコ狩りは楽しい。他と比較できないほど、楽しい。もう楽しくて、雨の山の中で大声で歌を歌ってしまったぐらいだ。
 ちなみに今回の釣果を記す。

ハナイグチ 大漁
アミハナイグチ 大漁
シロナメツムタケ 大漁
ブナハリタケ 大漁
ナラタケ かなり
キナメツムタケ 数本
チャナメツムタケ 数本
キノボリイグチ 10本程度
シロヤマイグチ 数本
ホコリタケ 数本
クロサカズキシメジ 20本程度
アシグロタケ 20本程度
ハタケシメジ 10本程度
エノキダケ 100本程度
ツエタケ 1本
カバイロツルタケ 3本程度
ホテイシメジ 数本
ブナシメジ 数本
ムキタケ 数十本
オシロイシメジ 数十本
クリタケ 数十本
アンズダケ(不明) 数十本
他数種類

 写真を撮るつもりでカメラを持っていったのだが、雨と期せずの大漁で、我を忘れ、写真を撮らずに帰ってきてしまった。虫出しで一晩、塩水に漬けたところだけ撮っておいたのでお見せします。これじゃ、よく分からんですよね。

キノコの虫出し
バケツの中は底までキノコが入っている。右下は私の足ではありません。サンダルが置いてあっただけ。




言い訳


 久しぶりに更新。忙しくて更新できなかった。というよりも、一日の行動パターンが変わって、ブログの更新ができない日が続いていた。ブログ自体は自分にとって大切なものであることは変わりないのだが。

 坐禅を始めたことは書いたと思う。今でもなんとか続けている。坐禅を始めたのは山折哲雄の「早朝坐禅」という本がきっかけだったとも書いた。その本の中で山折先生は坐禅以外についても書いている。時間の使い方だ。
 午前中は一番集中力が沸く時間らしい。そこで、もっとも集中力を要することを午前中に片付けるとよいという。山折先生の場合は、執筆活動にその時間を当てている。
 これだ。私の翻訳が遅々として進まない理由は。私の翻訳が進まないのは、取り組む時間に問題があったのだ。
 今までは朝、机に向かうとまずニューヨークタイムス(ネット版)を読んでいた。朝一番で新聞を読むのは世の習いだからだ。何も考えずに、習慣化していた。
 それから朝食をとって、その後ラジオ英会話、入門ビジネス英語、実践ビジネス英語をやった。理由は朝一はヘビーな作業より、軽作業の方が良いと思ったからだ。いってみればウォーミングアップ。あるいは助走期間。脳みそも筋肉である(違うか)。だからいきなりの運動は禁物である。そんなふうに感じていた。だから食後にラジオで英語を勉強していたのだ。続いて英単語の書き取り(自分で毎回作って、採点して)。この理由は、ラジオ英語をやっていると午前10時ぐらいになってしまい、昼食まで少ししか間がないからだ。本格的作業(翻訳)がぶつ切れになるとまずい。そう思っていたのだ。そして昼食。それからようやく、本番の翻訳に取り掛かっていた。
 この順序だと、他に予定が入るとどうしても翻訳が犠牲になる。予定は大抵、午後にあるからだ。来客があったり、庭の掃除をしたり、ジムに行ったり、読みたい本を読んだり。そんな大切な、または大切でない予定が入ると、翻訳が割愛された。

 これってまずいのではないか。実は以前から、そう思っていた。当然ですね。翻訳家が翻訳より庭の掃除やジムを優先するなんて。プロじゃないよね。だから何とかせねばとは思っていた。でも惰性でスケジュールが固定化されてしまっていた。
 それを救ってくれたのが山折先生である。宗教学者の山折先生はたくさん硬い本を書いている。この本はその中でも出色の軽い本である。でもこのぐらいが私にはよいのだろう。

 さて最近の生活は。朝、坐禅を組んで、すぐに翻訳を始める。最初は、いきなり力勝負を求められる翻訳を、まだ暗い時間から取り組むことに不安があった。頭が帰って廻らないのではないかと。ところがここで早朝坐禅が利いてくるのだ。坐禅で頭がすっきりした後なので、すぐにトップスピードにギアを入れることができる。その後、朝食を取ってから、また翻訳を始めるのだが。実はこれがいい。煮詰まった頭がクールダウンして、ぶっ続けでやるより効率が上がる。

 おかげでここ2週間は翻訳が進んだ。前に書いたサーファーの自伝がようやく215Pまで来た。残すは20P程度。なんとか来週には終わらせることができそうだ。夏には終わらせる予定だったが、10月まで延びてしまった。それでも、一応目処がついた。さあ、もうちょっとだ。

 ということで今日は言い訳でした。書きながら、自分の情けなさが身にしみるなあ。


 上記の内容とはまったく関係ないのだが、自分の写真をアップします。写真を整理していたら出てきたので。これは産経新聞社時代、勤続20周年の際、会社から提出を求められた取った写真です。普通は家族旅行のときの写真や、仕事中の写真を提出するのですが。
 こんな写真を会社に出す人も世の中にはいるのです。ご参考までに。

サムライだぁ
合気道着を着て、模造刀を構え、その気になっている筆者


中学生のカップル


 今、ジムから帰ってきた。時間は午後6時ちょうど。あたりはほぼ真っ暗。その帰り道、中学生の帰宅とバッティングした。中学校の前の道にはガキどもがたむろしていた。そいつらの前を自転車で通るとき危なかったので、ベルを鳴らした。そしたら、メスのガキが「チリリリンだって」とほざきやがった。腹が立ったが、そのまま通り過ぎた。大人をからかいやがって。なんだ、オヤジがチャリに乗っちゃ悪いのか。ベルをチリリリンと鳴らしちゃ、いけねえのか。こんちくしょう。このブスめ。

 と、腹を立てながら進むと、先に一組の中坊カップルが歩いていた。そこは坂で私は自転車を降りて押して登る。とてもキツイ坂なのだ。一度だけ、根性でこいで登ったことがあるが、サウナに入った後のように汗だくになったので、その後、素直に押して歩くことにした。
 とにかく、その坂を自転車を下りて歩いていたのだ。すると前に、そのカップルが歩いていた。そいつらがまた、歩くのが遅いこと。自慢じゃないが、私も自転車を押して歩いているので、遅い。そのガキどもはその自転車を押している私より、さらに遅いのだ。どうなってるんだ、いったい、若者よ。それで、そいつらにすぐに追いついてしまった。
 その前にも沢山、中坊がいたが、そいつらはその日始めて見たカップルである。さて、なぜ彼らは中学生の恋愛市場で勝者となりえたか。中年オヤジは羞恥心が欠如しているので、追い抜きざまに男女の容姿をチラリと見た。さすがにジロジロは見れなかった。
 男子は身長、173センチ、細身。日に焼けて、ニヤケた奴。ハンサムじゃないが、なんとなく中学時代にはモテるタイプだと見受けられる。勉強ができそうで、ちょっとワルっぽくて。
 して、女子だが。身長158センチ。細身。スカートの丈短し。オッパイはなし。これがやっぱりというか、案の定、かわいい子であった。それも不機嫌そうな表情なんかして、ちゃんと女をしていた。男との駆け引きを心得ていると見た。
 その女子の方だが、どこかで見覚えがある。そうだ、小学生の頃、よく見かけた子だ。その子は小学生の頃から可愛いかった。髪の毛もサラサラで、今時の小学生らしくお洒落であったし。
 そうか、そのまま育ったな。ちゃんと、色気まで備えちゃって。
 やはり、中学生の恋愛市場は非情なのである。可愛い子とカッコいい子はモテるのだ。シンプルな弱肉強食の世界である。

 そういえば、私は中学の頃、全然モテなかったな。結構、カッコいい方だったのに(自己評価による)。自分でその理由は分かっている。それは、子供っぽかったからだ。今でも子供っぽい中年であるが、中学生の頃はさらに子供っぽい中坊であった。モテなくて、当然である。
 あのカップルはその点、可愛いだけでなくて、その歳なりだが、大人っぽい雰囲気を持っていた。きっと、二人ともモテるだろうよ。しばらくは。。

 しかしな、君ら。中坊の頃、モテた奴は、結構大人になってモテなくなる奴が多いのだぞ。不思議なことに。反対に中坊時代は、女っけ(男っけ)がない奴の方だ、努力の甲斐かどうか知らぬが、モテてきたりするのだ。ほんと、不思議である。
 かく言う私も、黄金時代は20代から訪れたのだ。はぁ~。何書いてるんだろ。

プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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