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神経鞘腫体験記(6) ついに入院


 今日は、うーんと久しぶりに神経鞘腫の続きである。前回は6月だから半年近くほったらかしであった。最近、“神経鞘腫”や“九段坂病院”、“中井先生”で検索してこのブログにやってこられる方が多い。前回は中井先生の診察で終わっている。まだ入院もしていないのだ。せっかく“神経鞘腫体験記”を目当てに来ていただいた読者に申し訳ない。ひさしぶりに神経鞘腫体験記を読み返し、そのことに気付き本日あわてて書くことに。
 過去5回分はカテゴリー“神経鞘腫体験記”に収録されている。読まれていない方はよろしかったら、そちらから先に読んでください。

 今、2007年の手帳を開いている。1月12日に入院予約とある。そして1月23日、再度中井先生の診察を受けている。29日には循環内科の診察も受けている。しかし、正直これらのことは忘れてしまった。入院前の検査だったのだろう。
 ちなみに病気とは関係ないのだが、2月18日、合気道の昇段試験とある。2段を受けたのだ。結果はめでたく合格。合格が不合格は、このテーマとは関係ないが、関係あるのは入院が決まったのに、相変わらず合気道は続けていて、さらに昇段審査まで受けていることだ。左脚腿の知覚神経がなくなってしまったことは書いたが、そのときも勿論左腿の知覚はなかった。背中の鈍痛は続いていた。でも昇段審査を受けられる程度だったということだ。そんなに大したことはなかったのだ。
 そのほか、久しぶりに会社員時代の手帳を読んで気付いたことは、当時はよく飲み歩いていたということだ。毎週2,3度は飲みに行っている。背中が痛くても、お構いなしに飲み続けていたのだ。我ながらそのバイタリティというか酒への誘惑にたいする意思の弱さには驚かされる。

 ついにやってきた。入院の日が。5月7日である。1月12日に入院の予約を入れて、約4ヵ月後である。中井先生のスケジュールに合わせた結果である。先生はとても人気があるので仕方がない。こちらから望んだ入院時期である。
 さて当時、僕は勤め先の同僚や後輩に対し、「入院日誌」というのをメールで送っていた。入院当初はよく書いていた。まだ調子がよかったので。術後はそれどころでなくなってしまい、途絶してしまったのだが。全部で8回書いている。それを暫くは転記する。

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【入院日誌】2007年5月7日

 本日、九段坂病院に入院しました。かなりの荷物を担いで、逗子からひとり横須賀線に乗り、ひとりで入院の手続きをしました。こんなときは独り身はちょっとさびしいです。
 本日の検査は肺活量、心電図とレントゲン、他でした。肺活量は4200程度で、一般より18%多いそうです。が中学生のときに確か4500CC程度あったと思いますので、歳のためかと、少し消沈しました。そのほかは問診と脚や腕を押したり、引っ張ったりの検査でした。また屈伸や、柔軟のような体操をさせられたのですが、もとよりまったく自覚症状のない健康体(自覚的には)ですので、なんなくこなし、少し得意げになりました。ひとつベッドをはさんで、隣のご老人はどの検査も苦戦しており、その直後でしたので、思わず胸をはってしまいました。

 皆さんはご興味ないかもしれませんが、本日の献立です。

昼食 卵のあんかけ、白菜のおひたし、味噌汁、ご飯200グラム
夕食 ブリの照り焼き、筑前煮、豆の甘いやつ、グレープフルーツ半分、ご飯200グラム

以上です。正直、うまかったです。5分で平らげました。あまり早く食べると、後で腹が減ると途中で気付いたのですが、とまりませんでした。さっき夕食を食べたばかりですが、なんだかもう腹が減ってきた気がします。早く朝食が食べたい。

 今日は検査のほかは読書とDVD鑑賞をしました。木村さんに薦められ、DVDをそろえてよかった。本日の鑑賞はイングリッド・バーグマン主演のガス燈でした。途中で検査が入ったり、シャワーを浴びたりしたのですが、それでも十分楽しめました。しかしイングリッド・バーグマンって清楚な顔をしてるわりに、豊乳です。元気な病人にはちょっと刺激的でした。

 他、読書は古典の知恵袋(小堀桂一郎)を少し読みました。そこで面白かった話。「ふるまいとは進退の二字なり。身の振り回しをふるまいといふ。今時は人に食物を食わするをふるまいといふは誤りなり。人に食物くはするはもてなしという」(貞丈雑記)
 ちょっとためになったでしょ。では、元気があればまた明日書きます。
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 一回目の入院日誌だ。なにか楽しそうである。そう、実は入院は楽しかった。辛かった記憶はほとんどない。痛かった記憶はあるが。総じて入院生活を楽しんだと思う。この入院日誌を読んで、その感想を新たにした。
 暫く「神経鞘腫体験記」は入院日誌を中心に書いていくつもりだ。

 神経鞘腫体験記(7)へ


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またもや反省


 先週の金曜日、カリフォルニアに留学したときの仲間と忘年会をした。今回集まったのは、わたしを含め男四人、女一人の計5人であった。とても楽しく飲めた。わたしは、、、。

 なんだか、最近、外で飲むと駄目だ。とても酔っ払ってしまう。家では毎日、飲んでいる。ビール(第三の)350ccと日本酒一合。これより少なくも多くもない。毎日、定量を飲んでいる。飲んだ後は食器の後片付けをして、猫のトイレを掃除して、それから10分程度のストレッチ。そして本を持ってベッドに向かい、30分ほどで就寝。これが定型となっている。だからかもしれない。いつもより多量に飲むと、何かヒューズが飛ぶように、パチンと変動が生じるのだ。
 金曜日も最初は大人しく飲んでいた。大人しいとはいっても、自分は結構饒舌な方なので、本当に大人しいのではなく、結構しゃべりながらも大人のマナーを遵守できているという程度だが。でも、いつもの定量を越えたころからだろう。傍若無人な振る舞いが始まるのだ。
 一応、自分の名誉のために書いておくが、酒乱ではないと思う。暴力は振るわないし。泣かないし。それに絡むこともないと思う(たぶん)。ただ異常にテンションが上がってしまうのだ。
 ひとによっては面白がってくれる。でもそう思わない人もいるだろう。金曜日はどうだったのだろうか。このブログを読んでいたら、正直なところを教えて欲しい。
 当日はとても気分よく逗子まで帰ってきた。楽しい夜だった。でも翌日は、なんだかちょっと落ち込んだ。はしゃぎ過ぎちゃったかな、と。
 
 このままで自分はよいのだろうか。飲むと少々常軌を逸したほど明るくなる酒癖。直すべきか、いやそんなことこだわらなくても良いのかもとも思う。楽しむために飲むのだし。
 会社勤めをしていたころは、よく外で飲んだ。それに会社という枠が自分を規制していたと思う。飲んでもあまり変らなかった。ところが辞めてから、どうも酔い方が変ってしまったようだ。自由業の気ままさかもしれない。
 しかし自由業だからこそ、自分で自分を律しなくてはならないはずだ。

 さてこれから私はどんな酔っ払い方をしたらよいのだろう。できれば飲んだ当日も、翌日も気分よく過ごせるような飲み方をしたいものである。



自動車普通免許、一発試験合格への道(7)


 昨日、二回目の仮免実技試験を受けてきた。またしても不合格。情けない、不甲斐ない。今回の不合格の理由は以下の二点だそうだ。

(1) 交差点で右折の際、交差点中心部のすぐ内側を曲がらなくてはならないが、中心部よりかなり手前で曲がっていた。
(2) 車線変更の際のミラー目視、ウインカーの合図、首を振っての目視、車線変更のタイミングが短すぎる、あるいは同時に行っている。

 1)について、運転の最中に自分でも気が付いた。ちょっと内側を廻りすぎたかな、と思っていた。案の定、減点されていた。(2)は前回も指摘されたことだ。今回は注意をしていたのだが、同じ誤りを繰り返してしまった。これも運転中、自分でできていないことに気が付いていた。試験官はちゃんと見ている。
 2)は事前にかなりシュミレーションを行っていた。道や駅を歩く際、車に乗っているつもりでミラー、ウインカー、目視、ハンドルという一連の動作をイメージしたのだ。例えば歩いていて次の角を右折しようと思った場合、ルームミラーがあるつもりで、ルームミラーを見る。右手でウインカーを出す(イメージで)。首を回して目視(ほんのちょっと)。そして一呼吸おいてから首は正面を向けた状態でゆっくりとハンドルを右に切る(イメージで)。そして右折。当然、これは他の通行人に気がつかれないように行わなければならない。とくに近所でやる場合には注意が必要だ。ただでさえ平日の昼間に近くのスーパーに買い物に行ったりして、好奇の目で見られているのだ。おまけに変人として噂になりかねない。
 そんな涙ぐましい努力の甲斐もなく、当日はなんだか上がりまくってしまって上記の結果である。本当に情けない、不甲斐ない。

 なぜか初回目よりも試験中は上がりまくっていた今回ではあるが、終わった後はちょっと余裕を持って周りを観察することができた。そこで気が付いたことがある。この試験場に来ているひとは分類できるということ。
 まず我らのような一発屋と、公認の教習所ですでに実技が終了し、最後の学科本試験だけを受けにきた人は明らかに雰囲気が異なる。一発屋は大型や大型特殊、普通二種、あるいは私のような普通免許だが、それぞれバックグラウンドが透けて見える。大型や大型特殊はやはりトラックの運ちゃんらしい雰囲気をしっかりとすでに醸し出しているし、普通二種はこちらもすでにタクシーの運ちゃんの雰囲気がにじみ出ている。また普通免許も一発を狙う人は大抵が免許取り消しの前科があり、これもその雰囲気がやはりあるのだ。一方、公認の教習所から来た人々はいわゆる一般ピープルである。学生が多いのも特徴だ。この一発屋と公認組みは、一人でいればさほど差が気付かないのだが、集団になると差異が顕著になる。

 さらに一発屋でもそれぞれ受ける試験により、タイプが分類される。今、上に書いた通りなのだが、本当に大型、大型特殊はトラック野郎然としている人が多いのだ。試験が終わると結果待ちの席に受験者は集まる。試験はそれぞれのカテゴリーごとに行われるので、その際に受験者同志が知り合いになる。結果待ちでは、それらが自然に集まるのだ。
 昨日は大型、大型特殊組みの中に、まさしく若い頃の菅原文太によく似た男がいた。この眼光が鋭い文太兄(ぶんたにい)はすでにラック野郎の中で中心人物になっていた。その日会ったばかりにも拘わらず、辺りを睥睨している。他の連中は文太兄を恐れているというよりも、自ら文太兄の存在を受容するかのごとく秩序が出来上がっていた。この早くも芽生えた集団性は他のグループより明らかに大型、大型特殊組みで顕著であった。早めに帰るトラック野郎は文太兄に挨拶してから、帰っていった。
 普通二種は、ちょっと疲れた年配の男性が多い。こちらは群れない。待合所の四方に分散し、ひたすら孤独を愛する。しかし物理的に離れていてもどこかお互いに意識しあっていることは私にも分かった。
 さて私の属する普通免許グループである。このグループは年齢がばらけている。しかしどこか共通点がある。それは人懐っこさだ。このグループはほとんどが飲酒運転で免許を取り上げられた人々だ。聞いた限り私以外全員が飲酒で免許取り消しになっている。つまり彼らは酒飲みなのだ。それも相当の。この酒飲みのオジサン連中は人懐っこい。ちょっと目が合うと話しかけてくる。そして大抵、よく話す、明るい。とはいっても免許取り消しになるほどノンベイたちだ。健康的な明るさとはちょっと異なる。影ありの明るさである。
 そのほかに、もうひとつのグループがあった。それは外国人グループだ。外国人といっても白人はあまりいない。ほとんどアジア系、アフリカ系、ラテン系だ。前も書いたが、一発で狙うのは恐らく安いからだ。裕福な白人は公認の教習所に行くのだろう。ここにやって来るのはちょっと貧しげな外国人である。この外国人グループも明るい。とくにラテン系やフィリピン系の女性は。黒人男性をからかって大声で笑ったりしている。ブラジル人女性の話が聞こえてきたのだが、今回で8回目の挑戦だそうだ。屈託のなく、大声で自慢していた。

 今回も前回知り合った19歳の女子大生と話して時間を過ごした。帰りも女子大生とツーショットを期待していたのだが、そこに飲酒取り消し組のオジサンがひとり加わってきた。そのオジサンの話が面白かった。オジサン、なんと防衛大出身の元自衛官だそうだ。自衛隊で大型も大型特殊も、限定解除二輪も取ったそうだが、飲酒ですべてを失ってしまった。めちゃくちゃ、もったいない話だ。でもオジサン、明るくその話をしていて、あまり惜しそうではなかった。さらにオジサン、もっとすごい免許を持っていた。飛行機のだ。オジサン、自衛隊ではパイロットだったそうだ。それも戦闘機の。戦闘機で二回も畑に不時着をした話を面白おかしくしてくれた。あらゆる免許を持っていて、最高難度の戦闘機を乗り回していたそのオジサンだが、今回で3回目の仮免実技だそうだ。結果はあえなく墜落。でも全然、響いていない様子だ。
 女子大生もまた8回目の不合格だったのだが、帰路は女子大生と私の落胆振りを元パイロットのオジサンは明るく励ましてくれたのだった。

本日の費用
 電車代 新逗子→横浜 0円(京急) ※今回はJRが遅延で振り替え。定期を持っていないが振り替え券をもらってしまった。
      横浜→逗子 330円(JR)
      二俣川→横浜 190円(相鉄) ※行きは回数券を使用。帰りは時間オーバーのためNG。
 仮免試験受験料 3,100円
 試験車使用料 1,650円
 合計 5,270円

今までの合計 52,390円


確定申告の記帳指導を受けてきた


 「パソコンによる会計ソフトを利用した記帳指導」というのに本日、行ってきた。今日は2回目。
 鎌倉税務署が希望者を募り、費用を負担し、民間に指導を委託したものだ。民間の機関はいくつかあるようだが、私は社団法人鎌倉青色申告会というところに行ってきた。

 とても親切に教えてくれた。自分は経営学部出身なのだが、簿記はまったく苦手である。確か簿記の成績は“C” であったはずだ。今でも試験のことは夢にでる。
 そんな簿記音痴の自分だが、今年度は青色申告を行わなくてはならない。それも複式簿記で。青色申告は複式簿記と単純な決算書の2種類が選択できる。単純な方だと控除額は10万円だが、複式簿記で提出すると65万の控除が受けられる。そこで昨年度の申告の際、今年度は複式簿記で申告することを選択しておいたのだ。だから簿記が苦手だなんていっていられないのだ。必ず複式簿記で申請しなくてはならない。
 
 鎌倉青色申告会は会計ソフト“弥生”を使った。他の製品のことは知らないが、よく出来ている。簿記の知識がなくとも、簡単な数字の入力で損益計算書と貸借対照表ができてしまう。当然、日々の売り上げや経費は入力しなくてはならないのだが、簿記はその後が面倒なのだ(今日、知ったばかりの知識です)。これを機械がやってくれるのだから、ありがたい。

 指導はマンツーマンであった。指導員はこちらの疑問に丁寧に答えてくれた。今日のところまではよく理解できた。明日になったら忘れているかもしれないが。

 税務上の決算(個人事業主)は12月31日の締めである。 もうひと月ちょっとで締めとなる。そろそろ準備を始めても良い頃だ。今年は残念ながら、売り上げはちょこっとだけ。どれだけちょこっとかというと、きっと青色申告の控除額に届かないぐらい。恥ずかしい話なのだが。
 そうなのだ。今年度の税金額はゼロになりそうなのだ。嬉しいような、嬉しくないような。さあ来年は控除額を超えるべく、頑張らねばならない。


 指導の後に鎌倉図書館に寄ってきた。はじめてである。私は図書館が好きなのだ。だから期待して行った。古都鎌倉の図書館だ。素晴らしいに違いない。
 場所は良いところであった。駅から10分ながら閑静な住宅地にあり、近くには紅葉の森が迫る。しかし中は思ったほどではなかった。逗子の図書館の方が立派であった。ちょっとがっかりした。古いし、いや古い図書館はむしろ好ましいのだが、古いというより古臭い、あるいは侘しいといった方がよいかもしれない。地方の役場の雰囲気である。蔵書数もあまりない。それに椅子が悪い。どれもパイプ椅子のようなものばかりであった(違うのもあったかもしれないが)。椅子こそが大切なファクターなのだ。図書館にとって。そこに気が廻らないとは、残念である。
 鎌倉市は大船に立派な武道館をお持ちである。東京都武道館よりも立派かもしれない(日本武道館とは別)。しかし図書館はそれほどではなかった。図書館の方も、もうちょっと頑張ってくれても良いかな、というのが正直な感想だ。
 
 その後、鎌倉中央図書館の隣に建つ鎌倉市立御成小学校の前を通り、帰ってきた。この小学校はすんばらしい。建物の威容、広い校庭、正面に広がる森。どれをとっても羨ましい風貌であった(中身は知らないですが)。私が知る限り、最高の設備と環境を有する小学校であった(あまり小学校を見たことはないのですが)。逗子の小学校も恵まれていると思う。近くにある久木小学校の校庭の広さは半端ではない(中学校と合同であるが)。しかし全体的に御成小学校と比較したら、慎ましいといわざるを得ない。小学校は鎌倉に軍配ありであった。

御成小
御成小の校舎。もしかしたら現在は使われていないかもしれない。鉄筋の校舎も他にある。



まんだら堂へ行ってきた


 我が家の裏にある山を少し下ったところに、まんだら堂という場所がある。名越の切り通しの近くだ。以前から、ここはいったいなんなんだろうと思っていた。山道の途中が柵で閉ざされ、「まんだら堂」の表示がある。柵は厳重に施錠されていて入ることができない。国土地理院の2万5千分の一の地図で見ると「まんだら堂跡」とちゃんと書かれている。すぐ近くには「妙行寺」というのもある。しかし周りを散策した限りでは寺らしき建物はない。まんだら堂には入ることができない。
 その辺りはなんとも不思議というか奇怪な雰囲気が充溢している。近くには山の中にポツリと一軒の洋館が建つ。逗子駅からも見えるのでご存知の方も多いかと思う。外見から“サリーちゃんの館”といわれている家だ。名越の切り通しの近くの平場には動物や無縁者の慰霊碑が立っている。火葬場もすぐ近くにある。そうだ、足元を通るトンネルは有名な心霊スポット“おばけトンネル”だ。晴れているときはそうでもないが、曇っている日に辺りを一人で歩いていると背筋がなんだか寒くなることがある。カラスがやたらと多い。

 そんななんとも不思議な雰囲気十分な場所が公開された。逗子の市報に掲載されていて知り、先週末に行ってみた。まんだら堂は想像していた以上の場所であった。
 いつも閉ざされている柵は開けられていた。興味津々で山道を登った。すぐにまんだら堂が見えた。まんだら堂は“やぐら”であった。それも凄い数の。
 やぐらとは鎌倉周辺で見ることができる防空壕のような横穴だ。鎌倉室町時代の武士や僧侶の墓だといわれている。穴の中には石灯籠のような五輪塔が並ぶ。
 このやぐらが無数にあるのだ。入り口で配っていたパンフレットによるとその数は150穴にもなる。150という数だけでも大したものだが、鎌倉にはここより多いやぐら群は1,2箇所あるらしい。まんだら堂のすごいところはやぐらが縦3段に並んでいるところだ。それはまるでシルクロードの遺跡のような景観である。案内してくれたガイドの人は“やぐらマンション”と呼んでいた。私にはトルコの遺跡、カッパドキアのように見えた。もちろん、規模はそれよりはうんと小さいが。

 残念なことにカメラを持参するのを忘れていてここで紹介することができない。おそらくまた公開されると思う。一見の価値はある。ぜひ見ていただきたい。
 当日はボランティアのガイドの方が3,4人。見学者が2,30人程度いた。その人たちと話すことができたのだが、中にはここだけで世界遺産に登録できる価値があると力説する人がいた。見てもらえば分かるが、そんな意見も決して大袈裟ではない迫力だった。

 冒頭書いた地図上の妙行寺は今はないそうである。それに元から寺としての体裁を整えた建物ではなかったようだ。有志の個人が当時荒廃していたまんだら堂を整備して、そこに庵を立て妙行寺と称していたそうだ。今はその土地も逗子市が購入していて庵もない。

 もうひとつサリーちゃんの館だが、以前は日興証券の社長さんの自宅であったそうだ。今は別の人が購入し、住まわれているという。普通の住宅なので、くれぐれも探検などしてはいけない。

 まんだら堂は現在、逗子市が整備をしており、近年中に常時公開を始めるという。鎌倉が申請している世界遺産だがまんだら堂も含まれており(むしろ中心的な扱いであるらしい)、そうなると世界遺産となるのだ。

 ところで、まんだら堂が世界遺産に登録されたら、我が家も近くなので世界遺産に登録されることになるのだろうか。それって良いことなのか、面倒なことになるのか。分からないが、なったら嬉しい気もする。


自動車普通免許、一発試験合格への道(6)


 11月18日(木)、初めての仮免実技試験を受けてきた。今、“始めて”と書いた。そう、つまり2回目があるということだ。落ちました。残念ながら。
 
 試験の手続きは13時からの予定だった。しかしなぜか窓口が開いたのは12時45分ぐらい。すぐに手続きの列ができた。ここで私はあえてすぐに並ばなかった。なぜなら受験番号が後ろの方がよかったからだ。しかし結果は3番、仮免受験者が約10人ほどいたなかでの3番であった。でもまずは1番でなくて良かった。
 なぜ1番は避けたかったかというと、実技試験では受験者の次の番号の人は、後部座席に乗ることができるからだ。つまり1番の人は、後部座席に座る機会がない。2番以降は前番号の受験者が受験する様子を後部座席から見学することができる。
 私の前は女の子であった。車が動き始めてすぐに思ったのだが、きっと免許取り消しや失効組みではない。まっさらのビギナーだ。ブレーキやアクセルが、あるときは急だしあるときは緩慢である。体にそれらの感触が滲みこんでいない様子だ。ただ他はきちんとできていたと思う。しかし、彼女は完走できなかった。コースの半分ほどのところで、出発地点に戻るよう試験官から指示があった。厳しい。まったくのビギナーにはかなり厳しい採点基準である。
 さて自分だが、自分も正確には完走ではなかった。ただほぼ最後まで行っていたので、お情けで最後まで走らせてくれたが。
 完走とか途中で戻るとか書いた。これは採点方法が減点法で、100点満点で70点以上が合格。70点を下回った時点で試験中止となる。つまりマイナス点が30点を超えた時点で終了となり、コースバックを命じられるのだ。
 試験が終わった後に、評価を試験官から聞いた。自分の場合は車線変更するときの目視確認(首を振って確認する)と同時に、あるいはそれ以前にハンドルを切り始めているとのこと。これが何回か繰り返され、減点が膨らんだそうだ。そうなのだ。同じ種類のミスでも繰り返すと減点が折り重なってしまうのだ。私の場合のような車線変更のたびに繰り返される減点だと、これ一種類のミスですぐに30点を超えてしまう。それともうひとつ指摘された。左折の際、膨らむ傾向があると。
 この両方について、言われてみれば確かに思い当たる。最初の目視とハンドル操作のタイミングだが、これは以前からの実は癖だ。実際に運転していて、確認とほぼ同時にハンドルを切り、後ろに車がいて慌ててハンドルを戻したことがある。危ない癖だ。この指摘、当然素直に受けなくてはならない。
 もうひとつの左折で膨らむ傾向だが、これは正直にいって直す自信はない。前にも書いたが、試験場ではかなり極端なキープレフトを要求される。すでに左ぎりぎりのところから左折しなくてはならないので、内輪差を考慮すると少し大きく廻らざるを得ないのだ。しかし、これもそんなことせずにシャープに曲がっている人はいるのだから、文句は言えないのだろう。自信がなくとも次回はトライしなくてはならない。脱輪しなければ良いのだが。

 自分の試験は3番と早かったので、2時過ぎには終了した。不合格は分かっているのだが、ここで帰ることはできない。結果発表と同時に落ちたひとは次の試験日程が告げられるからだ。結果発表は3時50分からであった。
 時間がうんとある。そこで考えた。そうだ献血をしよう。前回、献血車が二俣川試験場では常時待機していて、献血を募っていると書いた。時間は1時間以上もあるのだ。やってみよう。少し世の中の役に立つことをすれば、次は運が巡ってくるかもしれない。
 実はわたくし、献血は初めてである。恐る恐る、献血コーナーへ行った。書類を書かされ、色々な質問を受けた。書類を書き終えたころ、ある質問をされた。「輸血を受けたことがありますか」。わたしは乳児のころ、大きな手術を受けたことがある。そのとき確か輸血を受けたはずだ。「はい」と私が答えると、「ああ、そうなんですか。それだと輸血はできないんですよ」とものすごく申し訳なさそうに、受付のひとがいう。
 わたしは仮免実技も落っこち、献血も断られてしまったのだ。正直、こちらの方が落ち込んだ。仮免は次があるが、献血は法律でも変らない限り永遠にできないのだ。献血もできない男なのだと思うと、寂しい。寂しげな私を見て、受付のひとが本来は献血をしたひとしか飲めない自販機の飲料を無料でくれた。ちょっとだけ立ち直った。

 さて献血を断られ時間をもてあました私は、ぶらぶらと試験場のビルをほっつき歩いた。すると私の後に受けたオジサン(受験番号4番)がタバコを外で吸っていた。そこでオジサンとしばらく会話。オジサン、今回で3回目の仮免受験だそうだ。過去2回とも途中で失格。今回、初めて完走できたそうだ。でもあまりうまく走れなかったので、今回も駄目だろうという。オジサンは私の試験のとき、後ろに乗っていたので、私の完走(形だけ)をしっている。初めての受験で、完走なんてすごいと誉めてくれた。でも本当は完走じゃないのだと、説明したが、それでもすごいという。ちょっと嬉しくなる。
 オジサンはそのあともタバコを吸っていたので、私は寒くなりビルの中に入る。ビルの中には食堂があり、そこへ向う。すると今度は私の前に受けた女の子(受験番号2番)がいた。そこで隣の席に腰をかけた。女の子は19歳で大学2年生だそうだ。思ったとおり、免許歴はないという。今回で7回目の受験だそうだ。今回も途中失格なので、失格ははっきりと分かっている。同じ立場ではあるが、とても可愛そうに思った。
 その後、さっきのオジサンも加わり3人で談笑。結局発表まで話しをしていた。オジサンと女の子の免許だけでなく、プライベートの話も聞けて、けっこう楽しく待ち時間を過ごすことができた。
 さて発表だが、なんとオジサンは合格していた。それも唯一の。約10人の受験者がいて、受かったのはオジサンひとりであった。自分は発表前に不合格が分かっていたので、別段自分のことは落胆せずに、ただオジサンの合格が嬉しかった。満面笑みのオジサンと握手なんかした。
 オジサンは合格者なので、次の手続きがありビルに残ったが、結局、女の子とは駅までずっと一緒だった。オジサンの合格と、ものすごく久しぶりの女子大生とのツーショットで、試験に落ちたにもかかわらず、帰りは明るい気持ちで帰路につくことができた。

 さて今度の試験は来週の木曜日。ちゃんと目視してから余裕をもってハンドルをきるぞ!

本日の費用
 電車代 逗子→横浜 330円(JR)
     横浜→逗子 330円(JR)
     二俣川→横浜 190円(相鉄) ※行きは回数券を使用。帰りは時間オーバーのためNG。
 試験車使用料 1,650円
 合計 2,500円

今までの合計 47,120円


逗子駅前駐輪場について


 11月15日(月)、JR逗子駅西口駅前に新しくできる有料駐輪場の申し込みに行ってきた。ちなみにこの新しくできる駐輪場は正式には“逗子駅裏東自転車駐輪場”というらしい。逗子駅の西口にあるにもかかわらず、“逗子駅裏東自転車駐輪場”という名称だ。なんだかややこしい。さらにややこしい話をもうひとつ。JR逗子駅には東口と西口があるが、東口が東方に、西口が西方に位地しているとう当然思うだろうが、実は違う。東口は南方に西口は北方に面しているのだ。だからこの“逗子駅裏東自転車駐輪場”は実際は北方に位置する逗子駅西口にできる駐輪場の名称である。

 さてこのややこしい正式名称を有する新設される有料駐輪場の土地は、元は無料の駐輪場があった。駅のほぼ正面にあり便利がよく、毎日多くの自転車やバイクが駐輪していた。この無料駐輪場が12月1日より有料となって生まれ変わるわけだ。なんだか芳しくない話に聞こえるが、そうでもない。なぜなら元の無料駐輪場は大変混雑していたからだ。朝早く空いているうちに奥の方に停めて置くと、夕方取り出そうとしても他の自転車が邪魔でなかなか出すことができない。ときには担いで持ってこなくてはならないほど、込み合っていた。また乱雑に停められていると、停められる自転車の数が少なくなるので、市が雇ったオジサン方が、自転車をぎゅうぎゅうと押し込んで効率的に駐輪する。このとき必ずしも元に置いた場所に押し込んでくれるわけではない。全然、違う場所に移動して押し込むことがよくある。だから帰ってきたときに自分の自転車が止めておいたはずの場所になく、夜、まっくらな中、自転車を探し回らなくてはならないことがよくあったのだ。また以前の駐輪場は屋根なしの野ざらしであり、さらに地面は土がむき出しであった。だから雨が降ると自転車は当然濡れるし、また地面は水溜りがあちこちにでき、靴は泥だらけになること必至であった。有料となれば、この点は改善されると思われる。
 新駐輪場の料金は自転車の場合、月額だと2000円。一日だと150円だそうだ。これで上記の問題が解決されるのなら、それは改善と考えてもよいであろう。

 ところがだ。いくつか大きな問題があるのだ。以前の無料野ざらし駐輪場には常時4~500台の自転車が停まっていた(オジサンに聞いた話)。この数字は瞬間当りの数字である。ある平日の日中に停まっている自転車の数を数えてみたら、4~500台であったというものだ。その日はたまたま駐輪していなかったが、普段はよく使っているだろう自転車の数は含まれていない。これらをプラスしたら、この数字の1.5~2倍程度の自転車があるのではないかと私は思う。しかし新しい有料駐輪場の自転車スペースは323台に過ぎない(市のホームページによると)。それにこれこそが問題なのだが、323台のうち、月ぎめで契約できる数は160台に制限されるらしい。残りの163台は当日限りの駐輪(一日券)にまわすのだ。さきほど、平日の日中に停まっている自転車の数が4~500台と書いた。少ない方を取って400台としても、毎日通勤、および通学で自転車を利用し、無料野ざらし駐輪場に停めていた自転車は常時400台はあるのだ。当然、この400台の自転車保有者は月ぎめで契約を望むだろう。そのほうが安いし、確実に駐輪できるのだから。ところが実際に契約できるのは160台に過ぎない。残りの240台は忙しい朝に、毎日、150円のチケットを購入しなくてはならないのだ。しかもそれができるのは163台のみ。駅まで自転車で行ってみたら満車でしたと断られる可能性は数字上、毎日77台にもなるのだ。これらの人がまた自転車で家まで戻って、それからバスで来なおすとは考えられない。きっと路上などに違法駐輪するだろう。

 こんな簡単な概算が分からないはずがない。なぜ逗子市は現状より少ない自転車しか停められない駐輪場を建設するのだろう。ネットで探してみたが、新しい駐輪場の完成図は公表されていない。なので推測に過ぎないが、新しい駐輪場は平場になるのではないか。なぜ平場と推測するかというと、12月1日まであと2週間しかないが、ビルが建てられる兆しはない。それに新しい収容台数が今より少なくなるのだから、重層構造になるとは考えられない。
 駐輪場の場所は西口から徒歩1分の一等地である。広さも2~300坪はあるような土地である。そこに平場の駐輪場を作るとは(推測ですが)。一度、平場とは言え建設してしまえば、作りかえることは容易ではない。なぜ最初からビル方式にしないのだろう。きっと予算の問題だろうが、市の予算配分上、決して下位にくるような案件ではないはずなのだが。
 逗子駅周辺は毎朝、家族を車で送り迎えするマイカーで渋滞する。この渋滞を解消する最良の手段は自転車であろう。健康にもよいし環境にも優しい。自転車先進国のヨーロッパのみならず、中国ですら無料自転車の貸し出しを大々的に行う時世である。予算の問題はあるだろう。しかし“なぜ”逗子市は世界の潮流に抗うような、行政を行おうとするのだろうか。“なぜ”が頭の中を駆け巡るような、逗子市の対応である。

 さて11月15日だが。以前、自転車置き場の係りのひとに「そんなにすぐに一杯にならないから、1週間以内に申し込めば大丈夫だよ」といわれていたが、念のため初日の15日に出かけていった。受付開始は10時だが、係りのオジサンは1週間以内なら大丈夫だといったぐらいだから、少しゆっくりいっても大丈夫だろうと思い、10時半に到着した。ところが、見て驚いた。すでに長蛇の列ができていた。
 目算すると160人近くすでに並んでいる。列の前の方のひとに聞くと、9時から並んでいるというのだ。オジサンを信じた私が愚かだった。もしかしたら申し込めないかもしれない。

 以前、話を聞いたオジサン他が受付をしていたが、これもまた問題があった。一時間程度待ったが、列はほとんど進まない。なぜ進まないかというと、ふたりずつ、申込用紙を渡し、のんびりの記入させているのだ。列の先頭にたどり着くと、ようやく用紙を渡される。それからオジサンの前にある机で用紙に住所、氏名、使用期間を記入させられる。それだけだが、時間がかかるのだ。目の前に座るオジサンに質問しながら記入しているので。オジサン(つまり逗子市だが)が必要としているのは、記入された申込用紙だ。それさえ受け取れば、よいはずだ。ならば用紙を列に並ぶ人に一斉に配布し、それぞれ記入してからオジサンの机に来てもらえばいいはずだ。
 そこでオジサンの中でも一番偉そうな人に、その旨を言ってみた。すると書く机がないとの答えだった。市役所から持ってきたらどうかと尋ねると、それはできないとそこは強弁する。でもたとえば、建物の壁だとかを台にして記入することはできるはずだ。オジサンにそれを言っても、無理だとしか答えてくれない。しかしそんな私とのやりとりを目撃している、列に並ぶ他の人々からの援護射撃があった。オジサンに不満の視線があびせられたのだ。一人が意見しても効果は薄いが、大勢の視線は効果が大きい。するとオジサンは気が変ったようで、他のオジサンたちを集め協議を始めた。
 協議の結果は、私が意見したとおりになった。いや、それ以上に。私はその場で、書き込んでもらい回収もその場ですればよいと考えていたが、オジサンたちはさらに一歩進んだ解決策を考案した。当日の夜7時までに提出すれば受け付けることになったのだ。オジサンたち、やればできるじゃないですか。まずはやれやれである。

 さて、用紙が配られ始めたのはめでたいことだが、肝心の問題が残っている。用紙が私まで回ってくるのだろうか。
 列の最後部近くでドキドキしながら、用紙を待った。その結果。配られました、ラッキーに。申込用紙にはナンバリングがしてあったのだが、私が受け取ったのは152番であった。160人中の152番である。ぎりぎりセイフだ! そのとき実は、163人の人が並んでいた。3人の人は無情にも、NGである。
 しかしオジサンたち、ここでまた協議に入った。協議の結果は、その場にいた人は全員受け付けることに。163人全員が申し込むことができたのであった。パチパチ。よかった、よかった。天晴れな大岡裁きである

 だが、しかし。しかしである。考えてみれば、その後来た人はどうなるのだろう。きっとオジサンは私だけでなく、他の人にも今週中なら間に合うと言っていたはずだ。それを信じ、あるいは平日の10時には忙しくて来られなかった人たちは少なくないに違いない。

 列の近くにいた人が教えてくれた。オジサンたちは市の職員ではないと。市は駐輪場の運営を民間にアウトソーシングしており、オジサンたちはそこのスタッフにすぎないと。それを聞いてから、オジサンたちに言ってもしかたがないと合点した。何も決める権限がなく、ただ言われるままに受付をするオジサンたちを責めるべきではないのだ。かえって矢面に立ったオジサンたちは災難であったのかもしれない。

 市に対して不満ばかりを訴えることには抵抗がある。逗子市はそれなりによくやっていると思う点も少なくないし。しかし市民の声が届かなければ、当局も対策は打てまい。そこであえて逗子市に申し上げる。市民が足である自転車をより快適に簡便に使用できる環境を整備すべきである。駐輪場については、長期的、計画的な方針で臨んでほしい。


自動車普通免許、一発試験合格への道(5)


 11月14日(日)、二俣川の本番試験場で実技講習を受けてきた。試験場は日曜日、一般に開放されており、私が通っている二俣川自動車学校では、試験場を使って実技講習をしてくれるのだ。今回、2時間ほどを受講してきた。

 以前、自動車学校で実技を受けて、最初の1時間目で大いに落ち込み、2時間目で立ち直り自信を付けたと書いたと思う。今回の本番コースでの講習は、また大いに落ち込むこととなった。

 まず、私はまったくコースを覚えていかなかった。事前にコース図は購入してあり、学校からはなるべく覚えてくださいといわれていたのだが、地図でコースを覚えることをナンセンスに感じ、事前に地図を読むことすらしていかなかった。
 教官はコースを運転中に教えてくれた。ここはまっすぐ、突き当りは右折、といった具合で。だからなんとかコースを辿ることはできた。しかし先が分からないと道路の右側車線を走るべきか左側車線を行くべきかが判断できない。教官は間違えると指摘してくれはするが、こちらはどうしてもあたふたしてしまう。

 また一番戸惑ったのはスピードである。本番コースでは50キロ出さないといけない箇所があるのだが、これがそれほどの距離がない。その短い道をいきない50キロだすと、かなり違和感を覚える。しかしそこはまだましだった。短いとはいえ、初心者でも50キロだせる設計になっているコースである。こんなに飛ばしていいの?、という気はするが、別に出せないことはない。最初からそのルールを知っていれば、出せなくはない。でも知らなければ普通は50キロもださない場所である。そして50キロださないと減点だそうだ。つまり、一発で受けに来たひとは受からせないぞという、警察の意志の現れである。
 さて、それよりももっと短い箇所がまた問題だ。あらゆる直線で教官はスピードが足りないと指摘するのだ。わずか30メートルほどで右左折するような箇所でも、もっと出せという。普段、路上でもそんなに飛ばす人はいないようなスピードを要求してくるのだ。それも止まる直前までブレーキを踏ませない。なんとS字やクランク内のわずかな直線箇所でも飛ばせといわれたときには、正直驚いた。メリハリ(これがキーワードなのだが)がないと減点対象になるためだ。これも知らなくてはならない受験テクニックのひとつである。
 また戸惑ったのはキープレフトだ。教官は何度も「キープレスト」をしろと言う。つまりキープレフトのことだが。この教官、結構口がきつい。正直、キープレストと連発されるたびに、この程度のプロ意識の教官にいいように言われる自分が情けなく感じたが、自分は教えを受けることを覚悟して臨んでいるのだ。思いを正し、元気に「はい」をこちらも連発して応酬した。それでキープレフトだが、これが結構なキープレフトだ。こんなに左寄りに走って、かえって危なくない?、と思うほどを教官は要求する。さらに左折の場合は、その過激なキープレフト状態からさらに左に寄らされる。縁石との距離は50センチ以内だそうだ。しかし縁石に乗り上げたら、それで失格とのこと。う~ん。なんでこんなつまらない、しかし難しいことを求めるのだろうか。確かにこの程度の小さいコースを普通に走らせたら、みんな合格しちゃって、試験場が上がったりかもしれないが。まさにこれも試験のために設けられた基準である。
 まだある。交差点では中心部の内側を右折しなくてはならないのだが、これがまたぎりぎり中心部を右折しなくてはならない。早く右にハンドルを切り始めると怒られるのだ。そしてこれも、仮に中心部より少しでも外回りになったら失格だそうだ。なんで? もちろん中心部には印なんてない。自動車学校の教官や試験場の試験官は毎日のように走っているから、感覚で分かるかもしれないけれど、普通の受験者がどこが中心だかとっさに判断できるものではない。だからこれも試験のテクニックなのだ。ちゃんと事前に試験向けにトレーニングを受けておかなければ、試験には合格させませよというシグナルなのである。
 同じ右折でも交差点でなく、小さな道から大きな道に入る場合はまったく逆となる。左折は先ほど書いたとおり、極端なキープレスト、じゃなくてキープレフトを求められるが、右折の場合は思いっきり直進してギリギリで右折しなくてはならない。これも若干余裕をもって右ハンドルを切ると怒られる。キープレフトになっていないからだ。右折し終えた時点で、極端なキープレフト状態にもっていくために、思いっきり大回りというか直角に曲がるように右折しなくてはならないのだ。
 まだまだありますよ。交差点や曲がり角での右左折は基本的に徐行しなくてはならない。徐行とは時速10キロ以内と教本にはある。ところがここをたとえば5キロ程度で走ると、また怒られるのだ。だって10キロ以内には5キロも含まれるじゃんと思うのだが、教官は認めてくれない。交差点での徐行はタラタラ走ってはいけないどうだ。で、何キロぐらいなら良いのですかと尋ねると、10キロよりちょっと上ぐらいだそうだ。それだと徐行にはならないのではないですか?と恐る恐る聞くと、交差点の徐行はそんなもんだという。ところがです。徐行の表示がある場所があるのですが、ここは決して10キロを越えてはいけないそうだ。たとえ1キロでも越えたら減点だそうだ。同じ徐行なのになぜ?、交差点と徐行表示のある場所で速度を変えなくてはならないのだろう。これもやはり試験対策をしていない人を落とすためのものと推測される。

 もうひとつ、最後に。“止まれ”の表示がある地点がある。当然、一時停止をしなくてはならない。最初、私は気が付かずに一時停止をしなかった。もちろんそれは私のミスである。教官は最低2,3秒停止しなさいと指示してきた。次のとき、余裕をもって3を数えてから動き始めた。すると遅いという。え?、である。「あの3秒ぐらい停止したつもりですが」 すると教官は「2秒ぐらいで十分」というではないか。さっきは2,3秒は停止しなさいといったくせに。まあ、これは試験場の問題ではなく、キープレストと連呼する教官の資質の問題ではあるが、これもおとなくし聞かなくてはならないのが受講者の定めである。

 そんなこんなで、今回の実技演習はほんと疲れました。
 仮免実技の本番は今度の木曜日である。

本日の費用
 電車代 逗子→横浜 330円(JR)
     横浜→逗子 330円(JR)
     横浜→二俣川 190円(相鉄) ※以前購入した回数券は日曜日は使えず。
     二俣川→横浜 190円(相鉄) 
 合計 1,040円

今までの合計 44,620円

自動車普通免許、一発試験合格への道(4)


 またまた更新をさぼってしまった。この間、免許の件で少し進展があった。

 11月12日(金)に仮免学科を受けた。結果は合格。まずは第一段階突破である。
 学科は本屋で市販の問題集を買ってきて勉強をした。二俣川自動車学校からは提携する学科専門の “トップ教室”というのを紹介されていた。なんでもここの模擬の問題はほとんど本番と同じ内容が出るそうである。ぜひ受けたほうが良いと言われたが、授業料がおしくて行かなかった。
 市販の問題集は2回ばかり読み込み、巻末の模擬試験(5回分)も2回行った。だいたいいつも9割程度のできだった。学科は9割正解で合格なので、かなり不安感があった。特に当日のトップ教室の模試は本番とほぼ同じ内容が出るという(学科試験は13時申し込みで、午前中トップ教室に参加できる)。受けるかどうか、当日まで迷ったが、やっぱり受講料はもったいないし、朝早くラッシュの電車に乗るのが嫌で、結局行かなかった。
 結果は冒頭に書いたとおり、合格であった。それも仮免は50点満点なのだが、なんと50点だった。家ではいつもケアレスミスがいくつかあったが、本番では慎重を期し、ゆっくりと問題を読み、さらに自信がない問題はチェックして、後から再考し確認したのがよかったようだ。

 仮免学科は試験時間が30分で50問。15分が経過すると会場を退出することができる。私の場合、15分の時点でまだ30問程度しか終わっていなかった。ところが15分経つと、何人もの受験者が部屋を出て行った。このときは少し焦った。さらにその後も、ぞくぞくと退出が続き、最後まで残ったのは3人のみだった。
 途中からは退出者を気にしないようにして、自分のペースでゆっくりと問題を進め、途中チェックした自信のない箇所を再度読み、それが終わったのが25分経過した時点だった。それから他の問題ももう一度読んでいって、途中で時間終了。最後まで残った2人と一緒に退出した。
 それにしてもみんな、なんで途中で出ちゃうのだろう。余程自信があるのか、トイレにでも行きたかったのか、それともまったく手ごたえがなく諦めたのか。
 
 試験の申し込みは13時から13時半まで。実際に試験が行われたのは1時49分から2時19分まで。事前に試験官(警察官)から試験についての説明があった。これがものすごい早口であった。日本人の自分でも何を言っているのかキャッチできない箇所が何箇所もあったほどだ。一発試験は結構、外国人が受けている。多分、安いからだと思うが。彼らにはあの試験官がしゃべった内容はほとんど理解できないであろう。もう少し、配慮があってよいように思う。しかしあの彼は何をいったい焦っていたのだろう。試験開始も1時49分からと中途半端である。1分ほどゆっくりと待って50分からすればいいのに、勢いあまって突っ走って試験に突入した感じであった。
 2時19分に仮免組み(同時に本免も行われていて、そちらは1時間)は退出し、自分も退出。発表は3時50分からだった。あれだけ急がして試験を始めたのにも拘わらず、発表までには随分時間がかかった。マークシート方式なのですぐに結果が出ると思うのだが、警察官僚の考えることはよく分からない。

 3時50分、電光掲示板に合格者の番号が掲示された。仮免は18人受けており(自分で数えました)、合格者は9名、丁度5割の合格率であった。この合格率を見れば、途中退席者の理由が分かる。かなりの人が問題を読んだ時点で、結果を悟り諦めたのだろう。でも一方、合格者も半分いる。彼らのうちほとんども、途中退席していることになる。なぜ最後まで見直しをしないのだろう。よほど自信があったのだろうか。
 ちなみに本試験は約50人受験しており、合格者は36人であった。実技は難しいが学科は容易であると聞くが、学科侮るべからずである。結構、落ちるひとはいる。

 そういえば2種試験も一人だけ受験していた。60歳過ぎの初老の男性だった。小柄な人で頭が禿げ上がっていて、茶色いジャンパーがなんとなく寂しげな雰囲気をかもし出していた。いかにもリストラに合い、一念発起してタクシーの運転手に活路を見出している、そんな風情であった。
 2種は一人のみだったのでどうしても目立っていた。合格発表の番号も最初であり、自然に合否が分かってしまった。残念ながら不合格であった。私は全体の数や合格者の数を掲示板で数えていて、少しの間その場に留まっていたが、その男性は自分の番号だけ見ると、すぐ立ち去って行った。
 合格発表の掲示だが、これがやたら短い。確かに自分の番号だけチェックすればよいのだから、1分もあれば十分かもしれない。でもたまたま尿意を催したり、仕事の電話で外に出ているケースもあるだろう。警察官僚はそこは考慮に入れないようだ。掲示は3分程度で終了した。本試験の合格者を数えている途中で、突然番号は消えた。

 二俣川の試験場にはいつも献血車が停まっており、献血を呼びかけている。今回は合格し気をよくしていたので、献血して行こうかと一瞬考えた。しかし5時前には横須賀線に乗りたい。ラッシュアワーの前に帰りたいのだ。献血より電車で座れることを優先した私は、献血車の前を素通りして、夕暮れの試験場を後にした。


本日の費用
 電車代 逗子→横浜 330円(JR)
     横浜→逗子 330円(JR)
     二俣川→横浜 190円(相鉄) ※以前購入した回数券は時間指定で午後4時までしか使えなかった。
 仮免試験受験料 3,100円
 合計 3,950円

今までの合計 43,580円


大人から始める合気道(普段の生活への応用、入り身)


 久しぶりに合気道について。
 禅に行住坐臥(ぎょうじゅうざが)という言葉がある。禅的な生活を意味する。禅は坐禅をしているときだけ、意識すればよいものではない。坐っていようが寝ていようが、飯を食べているときだろうが掃除をしているときだろうが、禅は常に生活全般に生きてこなくてはならない。坐禅のときだけの禅では、本当の禅とはいえないのだ。坐禅は禅的な生活の入り口である。しかしそこから先にある禅的な生活こそが大切なのだ、という教えの言葉である。
 合気道も同じであると思う。道場にいるときだけ合気道を意識すればいいというものではないと思う。いや、道場にいるときのみ合気道に意識をすればそれで良いという人を否定するものではない。そんな考えも当然あって然るべきであると思う。ただ個人的には、せっかくの“大人から始める合気道”である。ちょっと応用を利かせてみてもよいのではと思うのだ。するとより面白味が加わり深みも増してくる。
 
 例えばだ。これは作り話のように聞こえるかもしれないが、本当に自分で実践していることである。
 トイレのドアを開け、トイレに入るとき、私はよく“入り身(武道的な身体技法のひとつ)”を意識する。ドアを相手と想定し、開かれるドアとギリギリのところを入り身でかわし、すばやく相手の、つまりドアだが、後方へ入り込む。
 これが中々難しい。ひょっとして稽古で人を相手にするとき以上に難しいかもしれない。なぜならドアは円形に移動するし、こちらの動きに合わせて動いてくれないからだ。人間は普通、直線的にこちらに向ってくる。しかしドアは半径1メートル程度の小さな円で移動する。この急激なカーブをギリギリのところでかわすのが難しいのだ。どうしても距離があいてしまう。それに人間は本当にぶつかりそうになれば、自然と身をかわしてくれるが、ドアはそうはいかない。
 これが本当に入り身の稽古になるのか。疑わしく感じる方もいると思うが、私は稽古になると思うのだ。それは入り身という普段、使わない身体技法を体に馴染ませるために効果があると思うからだ。習うより慣れろ。まずは数をこなして、体に武道的な動きを馴染ませなくてはならない。
 それに最初から入り身でかわそうと考えやる余裕がいつもあれば、それはそれでよい。ただその余裕がない場合。たとえば自由演武で。相手の動きが予想できず、さらに途中で変化するような場合。考えてから入り身をしているのでは間に合わない。
 トイレの出入りは普段の生活である。これを意識せずに入り身でこなすことができようになれば、かならず自由演武でも無意識に入り身ができるようになるはずだ。入り身という非普段的な動きを無意識にできるようにするためには、非普段的な動きを普段行えばよいわけである。

 入り身の稽古をもうひとつ。これはやっている人がいるとたまに聞くのだが。一応、紹介する。
 駅などの混雑しているところを同じく入り身でかわしながら進むの稽古だ。先方から一人の男性が近づいてくるとする。ここではその人の目を睨みつけてはならない。なぜなら変人あるいは狂人だと思われる恐れがあるからだ。なので視線は相手の胸元。それも胸元に集中させることなく、同時にあたりを大きく俯瞰するように見る。相手はその男性のみではないのだ。後ろからは別の人が近づいているし、右からも左からも違う人が歩いて来る。全体を見なくてはならない。
 全体を俯瞰しながら自然に相手に近づく。そしてこれもぶつかりそうなきわどいところで、入り身でかわす。ただこの際はトイレのドアほど近づかない方がよい。当然ぶつかったら相手に迷惑がかかるし、ぶつからなかったとしても相手に不快感、あるいは恐怖感を与えてしまうからだ。相手にこちらが意識的に入り身の稽古をしていることを感じさせないことも修行のひとつである。
 混んだ駅は本当に稽古の場となる。次から次への相手が現れるからだ。これを相手に恐怖心を与えないよう配慮しながら、入り身の稽古をするのだ。これがなかなか面白い。

 混んだ駅でのより高等な稽古法もある。物理的な入り身をせずに相手の動き、あるいは相手の気を感受する稽古だ。相手がこちらに向ってくるとする。普通、人は相手はぶつかりたくないので、かなり事前に方向をすこし逸らす。その方向を読むのだ。これだと相手に多少もの恐怖感を与えることなく稽古ができる。

 またこれの応用もある。相手の動きを読むのでなく、相手の動きを導く稽古だ。正面から来た男性を右に、あるいは左に、こちらが意図する方向へ相手の動きを促す稽古だ。人間というのはとても繊細なセンサーを持っているようで、意識せずともセンサーを起動しながら生活をしている。こちらのちょっとした動きや気配を相手は無意識にキャッチするのだ。この無意識のセンサーを利用する。例えば歩く速度。ちょっとした方向の変化。視線や首の動き。そうした動きに相手はきちっと反応する。この反応を利用して、相手の動きをコントロールする。これは結構、容易にできる。子供でも女性でも老人でも、人は他者の動きに敏感に反応するものなのだ。何度も繰り返すと、相手のコントロールの精度が増してくる。
 もうひとつ。ちょっと上級編だ。今の相手の動きを導く稽古だが、これをこちらの気持ちの変化のみ、あるいはこちらの動きを最低限に抑えてやってみるのだ。こちらは視線も歩く速度もほとんど変えない。それで相手を右に左に動かしてみる。
 これは難しい。しかし可能である。私の経験からいうと、7,8割の確立で、相手はこちらの気をキャッチするように思う。嘘だと思ったら試しにやってもらいたい。少なくとも5割を下回ることはないと思う。
 開祖植芝盛平翁は門徒の心を読んだそうだが、達人でなくとも以心伝心というのはあるようだ。普通の歩行者がこちらの気持ちを無意識にちゃんとキャッチしてくれるのだ。

 上記、普段の生活での稽古方法。トイレや混んだ駅での入り身についてだが。トイレの場合は家族に、駅での場合は通行人に、くれぐれも変な人と思われないような配慮が肝要である。ここのところが一番、難しいかもしれない。

願わくば,,,


 今日の空は、秋らしく天高い日本晴れだ。気温が低いとの予報だったが、日差しが当る場所は暖かい。気持ちが良いので窓と網戸の掃除をした。昨日も実はして、二日続けての窓掃除だ。これで一階の居間と和室の窓はすっきりきれいになった。窓がきれいになると部屋の雰囲気が変る。気持ちがよい。

 前回のブログでハゲと人生の四季について書いた。脱毛と落葉を対比させたのだ。
 以前より禿げることや死を恐れなくなってきていると書いた。段々とその時期に近づいていくにつれ、これは生まれたばかりの乳児でも同じであるが、自然とこころの準備が進むからであろうか。

 秋晴れの空の下、気分よく窓拭きなどをしていて死について考えた。
 
 願わくば花の下にて春死なん
 その望月の如月のころ

 上は西行の歌だ。有名だからご存知の方は多いと思う。今日の澄みわたった青空を見ていて、僕なら秋のこの季節に死にたいものだ、と思った。

 願わくば陽だまりのなか秋死なん
 その望月の長月のころ

 こんな感じかな。長月は9月だが旧暦の9月なので新暦にすると10月から11月。望月とは満月のこと。
 初代のゴッドファーザーは孫とふざけながら、陽だまりの中庭で死んだ。映画を見て、ああいい死に方だなと思った。でも今の僕は猫を膝に乗せて、陽だまりの部屋で死にたい。今日のような気持ちの良い秋の日がいい。

陽だまりでまどろむ大吉
膝の上でなく、ひとりソファでまどろむ大吉。窓から秋の日差しが暖かい



ハゲから思う、人生について


 ハゲについては昔からとても興味があった。禿げている人がいると自然と視線が頭に向かう。若くて髪の毛がある人でも、将来禿げそうかどうかを無意識に観察してしまう。
 それは自分もいつかは必ず禿げるだろうと予測していたからだ。うちは親父がハゲなのだ。体質が似ている親父からハゲのDNAを受け継いでいると思っていた。きっと私も禿げるだろう。記憶だと親父は40歳のころから禿げ始めている。30代の頃も少し薄かった。
 
 長年の観察の結果、ハゲる人にはある程度だが共通する特徴があるように思う。ちょっとリストアップしてみる。

1 髪の毛が細い
2 頭が横に大きい。
3 絶壁
4 元から髪が薄い
5 脂性
6 フケ症
7 喫煙者
8 愛飲家
9 肥満
10 毛深い

 上記の特徴は絶対ではもちろんない。1と10は大抵、共存しない。髪の毛が薄いひとは毛深くないし、毛深い人は髪の毛が豊かなケースが多い。
 頭が小さい人でハゲの人もいるし、頭の形が良くてもハゲの人もいる。喫煙者、愛飲家で白髪の老人は少なくない。
 だから絶対ではないのだが、傾向はあるように思う。カツラメーカーや養毛剤メーカーなどで、きちっと調べているとは思うが。ただ数十年にわたり、興味をもって巷間を観察し続けた結果は、それなりの精度があるのではとも思う。ちなみに私は1,4,6,8の4項目に該当する。

 ハゲについて、他に思うこと。
 最近、ハゲが少ないように思う。昔は例えば50代の半分近くは禿げていたように思う。今はどうだろう、2,3割ぐらいだろうか。
 このことについては理由が思い当たる。それは養毛剤の普及と洗髪の習慣だ。
 何を隠そう、私は養毛剤というのか育毛剤というのかの愛用者である。24歳から使い続けている。使っているのは花王のサクセスだ。たまに他の商品が安売りされていると浮気をすることがあるが、大抵はサクセスである。安いし変な臭いがしなくてよい。
 これを毎日、洗髪の後、しっかりと地肌にすり込んでいる。もう20年以上も。
 そして洗髪だ。昔は毎日、頭を洗う習慣はなかったと思う。ちなみに私が子供の頃、我が家では風呂は二日に一度。洗髪は4日に一度であった。子供の私だけでなく、家族全員がそうしたペースで過ごしていた。他の家も、同じようなものではなかったか。
 でも今は毎日、風呂あるいはシャワーを使い、洗髪も毎日する。
 この結果が最近のハゲ減少化に寄与しているのではないだろうか。

 ハゲについてさらに他に思うこと。禿ている人は同窓会に来ない。
 大学の同窓会を2年ぐらい前にやった。きっとハゲ上がったのが何人かいるだろうと楽しみにしていた。それがなんと一人もいなかったのだ。若干、薄くなったのは数名いた。ところが期待していた禿げ上がった男は一人もいなかった。
 大学は男女共学のクラスで50人ほど。そのうち男は30人ぐらいだと思う。同窓会に来た男は大体半分の15人程度であった。40代の半ばでハゲが一人もいないのはおかしい。どんなに養毛剤をすり込んでも、毎日頭をゴシゴシ洗っていても、それでも禿げる人がある程度の割合で出現するはずだ。それがゼロというのは、何か前提条件が間違っているのだ。答えは簡単である。ハゲている人は意識的に同窓会に来ないのだ。来なかった人を実際に見ていないので断言はできないが、きっとそうなんじゃないかと思う。

 私はハゲを蔑視するものではない。ちなにに今、私は禿げていない。20数年の努力のたまものか、それとも実はハゲ因子を親父から引き継いでいなかったのかは分からない。いや多分、因子は遺伝していると思う。ちょっと薄くなってきているし。やはり後天的な努力がハゲの進行を抑えてきたのだと思う。そんな私が、ハゲの人を蔑視しているわけがない。同類への親愛の情である。ただ興味があり、客観的に観察し、そしてある印象を受けてきたに過ぎない。

 なぜ私はハゲを恐れるのだろうか。ハゲが不恰好だと思うからだろうか。うん、どうだろう。たしかに若い頃はそう思っていたように記憶している。でも今は不恰好だとは思わない。
 それよりきっと老化の象徴として恐れているのだと思う。老化とはすなわち死の前兆である。
 でも今は、以前ほどは恐れていない。ハゲも死も。いつか必ず訪れるのだ(とくに死は)。
 人生を四季に例えるならば、春を出生の季節として。仮に人生、90年(平均寿命でなく、40代の平均余命で考えると90歳弱になると思うので)とすると、47歳は折り返しを過ぎた時点である。暦でいうのなら、10月に入ったところだろうか。そろそろ山の上では紅葉が見られ、落ち葉が舞う。髪の毛も、早い人では落葉を始める。
 これから段々と寒い季節になっていくが、それもまた悪くはない。もしまた夏がくるとしたら、決して歓迎はできない。やはり静かに秋を迎えたいのだ。

 ハゲからしんみりとした話になってしまった。実際の季節ももう11月。私の年齢も暦でいうと10月。ちょっと先をゆく実際の季節を感じながら、人生の四季をハゲを通じて考えてみた本日のブログでした。

プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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