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自動車普通免許、一発試験合格への道(14)


 そういえば今日は1月31日、自分の誕生日だ。四十、うん歳になった。ほとんど、五十だ。織田信長じゃないけど、昔だったら本当の晩年である。まあ、いいか。歳のことなど。


 さて一発免許についてだ。先週の木曜日に路上実技を受けてきた。結果は、書かなくても、分かるでしょ。そう不合格だ。仮免は難しくて、路上は簡単だと聞いていたが、全然、そんなことはなかった。今回は一緒に路上実技を4人受けたが、合格者は1名だった。やはり厳しい。
 不合格の理由だが、スピードの出しすぎと、左折の大回り。毎度のやつだ。分かっていても、止められない。
 技術的なことはいいでしょう。もう書き飽きたし、読んでいる方も、くどいと思うだろう。
 
 ただ路上は初めてなので、概要をちょっと。今回はA~Fの6コースのうち、自分はDコースでの受験だった。同乗者はEコースであった。二名一組の受験だ。DとEは続いているコースで、Dは試験場から出発して途中まで。Eはその途中の場所から試験場まで戻るのである。
 同乗者は今回で3回目の路上試験だったそうだが、必ずD、E,Fのどれかだと言う。A~Cは二俣川の駅前を通るので、ほとんどコースに選ばれることはない。そう同乗者は断言していた。ご参考までに。
 路上はコースの後、縦列駐車か方向転換があるのだが、今回は方向転換だった。しかし路上コースの途中で減点が規定をオーバーした私は、方向転換はさせてもらえなかった。後部座席で同乗者の見事な方向転換を眺めただけ。同乗者は後から聞いたが、毎日車を運転していたベテランドライバーで(おそらく年齢は私と同じぐらいの女性)、とても運転がうまかった。この女性が唯一合格した人だ。

 さて、今回はちょっとした事件がふたつあった。

 事件1:
 路上試験の前に、二俣川自動車学校(紛らわしいが、これは警察の試験場ではない。どうも間違えている人がいるようなので。ここは私営の自動車学校である。警察が認可していない、非公認の学校である。私は自分の意志で、練習のために二俣川自動車学校に来ている)で方向転換と縦列駐車、それと路上の実技教習を受けてきた。
 路上教習の帰り道、自動車学校の近くの細い道でのできごとだった。私が運転していた。一台しか入れない細い道に入ったところ、先方から対向車が来た。当然、私が先に入ったので、そのまま少し速度を上げて通過した。対向車は減速して、待っていた。
 そしたら隣に乗っている教官が「あ~あ~、そんな突っ込んじゃだめだよ。自分勝手な運転だな。相手のことを考えなくちゃ」と言ったのだ。もう試験のコースも終わっていて、自動車学校に帰る道のりで、多少私の油断もあった。でも、教習中だろうが何だろうが、先に道に入った方に優先権があるのは明白だ。私が先に道に入ったことを見ていなかったのだ、教官は。それなのに、対向車がいることにいきなり気付いて、驚いたらしく、適当なことを言ったのだ。ちょと私、頭にきた。
 「今のは、私が先に道に入ってたんですよ。あの細い道では、先に入った方が当然、優先権があるのではないですか?」
 その問いには答えずにまた、「ずんずん、入っていっちゃって。自分勝手な運転だな」と言った。益々、頭にきましたよ、私は。その後、ちょっと言い合いをした。段々、こちらもエキサイトしてきて、最後にはキツイ口調にもなった。そしたら、最後は教官が折れた。
 その後、私も教官相手にちょっと言い過ぎたかなと思い、反省。
 この一発体験が始まってから、理不尽なことの連続である。まったく無意味なテクニックをたくさん覚えさせられ、励行させられ、罵られ、プライドは傷つけられ続けた。だから、あと一回の試験で合格というところまで来て、ちょっと気が緩んだ。今まで我慢ばかりしていたので、言い返したくなったのだ。
 それでもやはり、私は教わっている身なのだ。やはり最後まで、相手を尊重しなくてはならない。
 後味の悪い教習であった。

 事件2
 午前中、二俣川自動車学校で教習を受けた後、午後の路上試験のために行った警察の試験場でのこと。路上試験では、試験の始まる前に、車中で隣に座った試験官に仮免の免許証と特定講習の証書を見せる。見せ終わると、その場で試験官は私に返した。私は運転席で荷物は後部座席にあったので、後ろに座っていた同乗者に渡した。同乗者は私のリックに書類を入れてくれた(はずだ)。
 試験後、やはり同乗者は私のリックに書類を入れておいたと言った。当然、私はそれを信じた。
 そして2時間後、結果発表のとき。何となく不安になり、リックを調べると仮免がない。特定講習の証書は確かに入っているのだが。焦りまくった。苦労して取った仮免だ。まさか書類を失くしたからといって、免許まで剥奪されるとは思わなかったが、でも嫌な気分になった。周りには沢山、人がいたのだが、リックをひっくり返して調べまくった。やはりない。同乗者も近くにいたので、そちらの鞄も探してもらった。ない。
 試験結果の発表が終わり、人はどんどん帰っていく。でも相変わらず仮免は見つからない。私は帰れない。もしかしたら車の中かもしれない。試験官に言うと、先ほどとは別の試験官が私が乗った車まで確認に行ってくれた。結果はなかった。
 同乗者もしばらく一緒に探してくれたが、自分は合格しているし、早く帰りたいみたいだし。結果、同乗者は「ごめんなさい」と言って帰っていった。
 どんどん辺りは暗くなる。人もほとんどいない。リックをひっくり返して、必死に探す私。とても惨めな気分だった。すると私の試験を受け持った試験官がやってきて、「特別だが」と言って、仮免の再交付をしてくれた(もちろん有料、1200円)。本当は受付の時間が終わっているのだが、特別計らいでやってくれた。
 試験中は固い表情を崩さない教官だった。以前、仮免でも採点されたことがある。冷たいタイプだと思っていた。それが、心底心配そうな顔をして、助けてくれた。他の試験官も同情の眼差しで接してくれた。最後は事務のおばちゃんが、書類の書き方の個人指導までしてくれた。
 結局、仮免は出てこなかった(ほんと、不思議)。再交付で新しいのを作った。余計に金もかかった。でも、鬼のように思っていた試験官の別の顔を見られたことは収穫だった。

 暗くなった道をひとり帰りながら、路上実技には落ちたが、「まぁ、それほど悪くない一日だったな」と思った。

本日の費用
 電車代 逗子→横浜 330円(JR) 
      横浜→逗子 330円(JR)
      横浜→二俣川 190円(相鉄)
      二俣川→横浜 190円(相鉄)
 試験車使用料    1,000円
 仮免再交付費    1,200円

 合計 3,240円

今までの合計 124,770円

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源泉徴収は諸悪の根源


 まだ確定申告の時期には早いが、平成22年度の私の収支決算は終わった。たまたま実際の自分の売り上げや支出をもとにしたレクチャーを鎌倉青色申告の会で受けていたからだ。鎌倉青色申告の会は税理士や税務署のプロではないが、それなりの専門家である。その目を通してあるので、きっとあの数字で大丈夫だろう。
 
 私は幸か不幸か、22年度の税額はゼロになる。これは勿論、幸か不幸かといえば、不幸なことである。しかし決算をしながら、とても得をしたような気がした。だから、決算中はちょっと幸福な気分になってしまった。
 決算をしながら改めて思ったが、税金は高い。私の税額はゼロだから、私にとっての昨年度の税金は高くないのだが。一般的には高い。昔は五公五民が一揆の起きる限界点だと言われていたようだが、今の日本はそれに近い。最高税率は50%であるが、それには社会保険料は含まれていない。さらに我々は消費税も支払っている。関税もある。これをならせば、一般庶民でも5割近くが税金で持っていかれる計算になるのではないか(私のような低所得者は別ですが)。
 こんなに税金が高いなんて、フリーになる前は知らなかった。いや、頭では分かっていたが、体感できていなかった。なぜって、給料は源泉徴収で税金や社会保険料は天引きされているから。
 税額は給料明細には載っていた。しかしむしろ、その欄は見ないようにしていた。見ると気分が悪くなるから。何年も、何十年も見ないように努めていたら、あら不思議、税金も社会保険料も概念的にはなくなってしまったのだ。だから、少しずつ給料が上がって、税金はそれ以上の率で上がっても、全然痛くも痒くもなかった。税金が高いなんてことを言う奴はバカだと思っていた。あれはないものと思えばいいのだ。そうすれば心安らかに生活ができる。それができてないなんて、心の修練ができていない奴だと考えていた。ところがバカモノは実は私の方だった。

 確定申告をするようになって、どれだけ今まで高い税金を支払ってきたのかを認識させられた。平均的な給与所得者であったが、過去23年間のサラリーマン生活で、払った税金はかなりの額になる。
 タイトルで「源泉徴収は諸悪の根源」と書いたが、これはサラリーマンが税金の支払いをないものと信じ込むことが悪であるという意味ではない。これはヘビに睨まれたカエルが気絶して、その場の恐怖を逃れるのと同じで、弱者の生きる方途である。問題は、税金の使われ方に関心を持たなくなることだ。これこそが、政府が仕組んだ罠だ、きっと。
 毎日、ニュースでは政治関連の話題が取り上げられる。土日は朝から政治家がテレビに出てくる。庶民は政治の話題が好きだ。でも庶民が好きなのは、権力争いやスキャンダルの話題である。国会の最大テーマである予算についてはあまり関心がない。予算内容よりも蓮舫議員がカッコよく、官僚を言いこめる姿に関心を向ける。これはすべて、源泉徴収のせいだ。

 米国や多くの国でやっているように、もしサラリーマンも確定申告をするようになれば事態は変ってくるだろう。こんなに高い税金を払わされていて、なんでさらに赤字国債を発行する必要があるのか。90兆円も越える国家予算を有しながら、いったい何に使っているのか。福祉関連費ばかりが増えるが、福祉が充実しないのはなぜなのか。人口が減りつつあって、労働人口も減っていて、人不足を危惧する声がありながら、失業者が増え続けているのはなぜなのか。これらはみな税金にしっかりリンクした問題だ。各自が確定申告をすれば、こうした政治本来の問題により視線を向けるようになるだろう。投票率も上がるだろう。
 
 確定申告って、ちょっと面倒だけど、そんなに悪いものではない。今年一年間の自分を振り返ることができる良い機会である。サラリーマン時代は、なんだか恐ろしいものと思っていたが、経験してしまえば、それほど恐ろしくもない。恐ろしいというのは、仕組まれたイメージに過ぎない。本当に恐ろしいのは関心を持たないことである。

 源泉徴収は知らないうちにされたロボトミー手術であるのだ。

湘南国際マラソンと打ち上げ


 日曜日は湘南国際マラソンの応援に行ってきた。湘南国際マラソンを見たのは初めてだ。すごい人だった。予想を遥かに超えていた。沿道は延々と応援のひと。これは福岡国際マラソンやボストンマラソンのような世界記録を狙うような選手やオリンピッククラスの選手が出場する大会ではない。たんなる市民マラソンだ。それなのに応援の人垣は湘南の海岸線沿いを途切れることなく続いていた(らしい。自分は鵠沼しか見てないが、走った参加者が言っていた)。
 選手の数も凄かった。1万以上だという。1時間ほど鵠沼海岸で見ていたが、まるで初詣の人の波のように、延々と選手が押し寄せるように走ってくる。今回、二人の友人を応援したのだが、1万の人の中から見つけるのはとても骨が折れた。運よく、二人とも見つけることが出来たが。
 今回、参加した友人は筑紫さんと小海さんだ。ふたりともフルマラソンを完走した。本当に、ごくろうさまでした。見ていて、とても感動した。一瞬だが、来年は参加したいと思ったほどだ。すぐに我に返ったが。
湘南国際マラソン
鵠沼海岸付近を走る選手と応援のひとびと

 鵠沼を走り去った2人はその後、大磯まで走る。それから合流地点の藤沢まで電車でやってくる予定だ。我々応援組は、ふたりの健闘を慰労すべく、先に店に入ることにする。12時過ぎに某居酒屋に入り、二人がやってくるまでしっかり席を確保した。その間、ビール、焼酎、ホッピーを飲み、モツ鍋、寿司、アンキモ等々、をむさぼり食いながら、4時間近くを過ごす。二人が来たのは4時近かった。我々はすっかり出来上がっていた。
 その後、一部の人は帰り、残ったメンバーでカラオケに繰り出す。2時間コースで歌いまくり終わったのは8時を回っていた。8時間も飲み続けた我々は、走っていないのにもかかわらず、フルマラソンを走ったかのごとく疲労困憊酩酊の状態とあいなった。小海さんは本当にフルマラソンを走った後にも拘わらず、しっかり8時過ぎまで藤沢で飲み続け、歌い続けた。そしてその後は都内まで電車で帰っていかれた。すごいパワーである。ああでなくては厳しいインターネット業界の最前線で戦うことはできないのだろう。

 私が家についたのは10時前。その後、フクちゃん、大チャンにご飯をあげて、すぐに就寝。起きたのは8時を回っていた。他のみんなは当然、いつも通りに起きて、出社しているはずだ。翻訳家家業はやはりお気楽なのかもしれない。今週中の締め切りがまだ、全然終わっていないのに。寝ていたければ、寝ていることができる。すべては自己責任である。
 とはいっても、今週は本業の翻訳を頑張らねば。締め切りまで全速力で、すっとばすぞ。そして締め切りを終えたら、また飲むぞ。

鈴川真一VSマーク・コールマンの試合についてフィル・バローニが語ったこと


 ちょっと長いタイトルだ。このブログはタイトルを検索エンジンで見て、やってくる人が多い。タイトルだけで内容が分かりやすいよう、書いた。今日の話は、プロレスネタだ。興味のない人はスキップしてください。

 喧嘩屋キンボ・スライスが日本で試合をするという。キンボはユーチューブで世界的に有名になったストリート・ファイターだ。そのキンボと対戦するのは鈴川真一というプロレスラーだそうだ。知らない。調べてみて、あああの選手かと気が付いた。もと若麒麟という四股名の相撲取りだ。大麻所持で逮捕され廃業している。新聞記事で若麒麟は知っていた。その後、レスラーになるという記事も読んだ気がする。そこで改めて鈴川のことをネットで調べてみた。過去1戦のみプロレスラーとして戦っている。相手は元UFCの伝説的チャンピオンのマーク・コールマンだった。
 マーク・コールマンは生で見たことがある。PRIDE GRANDPRIX 2000、東京ドームでだ。その日は一日トーナメントが行われたのだが、コールマンが優勝している。初戦を小路晃と、準決勝は藤田と、決勝はイゴール・ボブチャンチンと戦った。
 トーナメントはどれも充実していた。とても面白い試合の連続だった。藤田のパワーは日本人離れしていた。ボブチャンチンのロシアンフックは強烈だった。しかしなんといっても良かったのはコールマンだった。離れてよし、寝てよし。寝てからの繰り出されるパウンドには驚かされた。あの破壊的なパウンドは、それまで見たことがないものだった。当時はまだヒョードル以前の時代だった。そしてコールマンは強さだけでない、もうひとつの魅力があった。朴訥そうで、それでいてひとなつっこいような表情だ。ただのレスラータイプの選手(プロレスじゃなくて、レスリングの選手)だと思っていて期待していなかったが、一日でファンになった。(そういえば、優勝候補は当時世界最強と言われたマーク・ケアーだった。準決勝で藤田に破れている。こちらは期待はずれだった。勝った藤田を誉めるべきかもしれないが)

 このかつてのスーパースターが世界的にはまったく無名のレスラーのデビュー戦の相手を務めた。何か事情がありそうだ。ネットには鈴川とコールマンのこの試合の映像が流れている。見てみた。それは奇妙な試合だった。
 まるでかみあっていない。鈴川はもっぱら張り手のみ。コールマンは寝技に持ち込むが、鈴川はロープでエスケープ。最後までそれが続き、戦意を喪失したコールマンがタイムを要求。TKOとなった。拍子抜けというか、コールマンらしくないというか。鈴川はやたら威嚇するし、周りがうるさいし(なんだが珍妙なラッパー軍団がセコンドについていた。こいつらが品がなくてうるさい。でも、演出的には面白かったが)。しかしこれはプロレスなのだから、そんな演出なのかとも思った。
 
 ネットで調べてみて、背景が見えてきた。コールマンは一週間前にプロレスとしての試合のオファーを受けた。シナリオは3分内にヘッドロックでコールマンが勝利するというもの。しかしヘッドロックしても鈴川はタップしない。それどころか、本気になって殴ってくる。そこでコールマンがタイムを要求したのだ。

 この辺りのことは日本語のニュースやサイトには書かれていない(私は見つけられなかった)。米国のサイトで私は読んで知った。コールマンは何も発言していないが、後日コールマンの友人のフィル・バローニが次のように語っているので、翻訳する。この試合の内幕を語っているのはバローニだけのようで、日本語ではこの発言が報道されていないようなので。

「プロレスの試合をするって聞いていた。3分以内で済むって。コールマンが勝つ予定だったんだよ。ところがあのデブでクズのクソバカ野郎が約束を破りやがった。それに流された映像は編集されている。あのデブのアホーはヘッドロックでタップするはずだったんだぜ。ところがタップしねーで、ロープに何度もエスケープしやがる。全然タップしねえもんだから、力いっぱい締め上げ続けたコールマンは疲れちゃったんだよ。
 本気の張り手と膝蹴りを何発も浴びて、ちっともデブは約束どおりに試合を運ばなくて、コールマンは言ってたぜ。リアルファイトをしたいなら、どうぞDreamか戦極でやってくれ。俺はもうこんなところはごめんだ。俺がたった一週間前に受けオファーは、3分以内のプロレスの試合なんだ。シュートの試合をするなんて聞いていねぇ」

 以上だ。若麒麟、変ってないね。次のキンボ・スライス戦もヒールで徹してくれ。

神経鞘腫体験記(10) 同室のKさんの話


 今日はまた神経鞘腫体験記だ。入院日誌の続きである。久しぶりに読み返すと、相変わらず軽いのりで、こうして改めて転記するのは恥ずかしい。ただどれも当時の正直な気持ちの記録である。
 軽いのりは、明るく振舞いたい気持ちの表れだ。正直、当時は死を意識していた。医師に相談すると、笑い飛ばされた。しかし始めての経験である自分にとって、脊椎から腫瘍を取り除く手術は100%、安全だとは思えなかった。何かのトラブルが生じ、そのままあの世へ行ってしまうかもしれないという気持ちは、どうしてもぬぐうことはできなかった。そんな気持ちが底部にあることに免じて、一人よがりの日記をお読みください。

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【入院日誌】2007年5月11日

 脊髄に造影剤を注入する検査を受けてきました。その様子は後日、機会があればお伝えしたいと思います。興味を煽っておいて、こんな書き方はメールを読んでいただいている方への失礼になってしまうのは重々承知していますが、病人のわがままと諦めご容赦ください。そうはいってもひとこと結果のみは報告いたします。
 ものすごく怖かったです。注射針が背中に当たっただけで、ビクンと反応してしまいました。しかし恐怖はそこまでで、麻酔注射もさして痛くなく、造影剤の注入はいつ始めて終わったのかも分からないほどの感触でした。脊髄に液体を注入するという信じられないような行為をほとんど無痛で行ってくれた現代の医療レベルとスタッフの方の技術は驚くほどです。

 今日は他の、でも造影剤についての話です。
 僕の同室に、僕と同じ日に入院された70代後半のKさんという方がいらっしゃいます。「入院通信No.1」で少し触れた年配の方です。最初の検査で脚を押したり、引っ張ったりで筋力を診断したのですが、その男性は痛がっていらっしゃり、うまく力をこめられませんでした。僕はその方と比較して、自分の筋力を誇り(簡単な検査ですから健康な男性なら、だれでもできる検査です)、自分が得意げになったことを書きました。
 kさんと僕は同日に入院したので、なんとなくお互いに意識しあう関係だと思います。この病院では各フロアにシャワールームが1室のみあり、交互に使います。ナースセンターの前にホワイトボードがあり、シャワーを使いたい人は名前を記入します。使用した後は、次の順番のひとに通知します。
 なぜだか入院後の数日間、僕の後の順番はKさんでした。そこで僕はシャワーのあと、「シャワーあきましたよ」とKさんにお伝えしました。その時Kさんは「いつもありがとうございます」と入浴道具を抱えながら深くお辞儀をしてくれました。Kさんはそんな方です。
 同日に入院したので、造影剤の検査も同じ昨日でした。検査はKさんが先でした。僕はKさんが検査に呼ばれたことは気付きませんでしたが、車椅子で戻ってきたKさんを見て、「あ~、そういえばKさんも今日だったな」と思い出した程度です。

 僕も無事検査を終え、車椅子での帰還とあいなりました。車椅子で戻ったあとは、4時間の静養。その間は、ベッドにて1リットルの水分を採らなくてはなりません。
 その際、水分が冷蔵庫にある場合はナースコールでナースさんを呼び、水分(僕の場合はミネラルウォーター)をコップに注いでもらい飲むことになります。1リットルも飲めばトイレも近くなります。この水分補給は造影剤を尿として排出することが目的ですので当然です。ただトイレはやはり自分の脚で行くことはまかりとおりません。毎度、ナースコールで車椅子に出動してもらい、それに乗ってトイレへと向かいます。
 車椅子を使わなくてはならないほど、足かふらついたり、立ち上がれなかったりするのかというと、そんなことは通常ないのではと思います。ではなぜ、そこまで慎重にするのか。ナースさんに伺った内容と自分なりのアテズッポですが、ふたつ理由があるようです。
 ひとつは痛み止めの麻酔が暫く効いているため。麻酔は背中の局部だけでなく、多少は体全体に循環してしいます。その結果、脚がもつれる恐れがあります。頭で感じる感覚は問題ないので、きちんと踏み込んだつもりでも、脚が動いていずに転倒するケースがあるようです。
 もうひとつの理由は。注入した造影剤の方で、これはなるべく早く体外に排出しなくてはなりません。そして注意しなくてはいけないのは、造影剤が脳に進入することです。脳に入ると副作用で気分が悪くなったり、頭痛がしたり、頭がカーッと熱くなったりします。
 そこで水分を採りながら、検査後4時間は安静にしていなくてはならないのです。
 最初の1回はナースさんを気軽に呼ぶことができました。ナースさんが様子を伺いに来てくれたものですから。しかし2回目は、中々呼ぶ勇気がもてません。ご存知だと思いますが、ナースさんって忙しいのです。いつも誰かに呼ばれて、走り回っています。そんな姿を目にしていますので、自分で歩けるのにもかかわらず、たかが小便のため車椅子を呼ぶことは憚られてしまいます。
 1回目のトイレから1時間ほどして、かなり尿意が高まってきました。ナースさん、なんかの用事で来ないかなっと思いながら、気を紛らわせるべく、本を読んでいました。
 するとその時Kさんが、すっと立ち上がり、トイレに向かいました。Kさんのベッドは窓際で自分は出入り口の脇、必然的に自分の前を通ります。
 「もう時間は過ぎたのですか」と僕が伺うと、
 「いや、まだですけど。でも全然、歩けるんですよ。トイレにお呼びするのも悪いし」とおっしゃいます。
 「そうですよね。でも呼ばれた方がいいんじゃないですか。僕がお呼びしましょうか」と僕は尋ねました。するとKさんはちょっと申し訳なさそうな顔をされて
 「あ~、でも自分で呼べます。どうもすみません」とおっしゃいました。そしてベッドに戻り、ご自分でナースコールをされました。ナースさんはすぐにが来てくれKさんは車椅子にてトイレに向かいました。
 僕は尿意を抑えながらじっとKさんの帰りを待ちました。そしてちゃっかりと、Kさんが乗って帰ってきた車椅子に今度は自分が乗りこみ、欲求を解消したのです。

 お気づきだと思いますが、僕はKさんを利用しました。kさんがひとり歩いてトイレに行ってしまうと、僕は自分でナースを呼ばなくてはなりません。それはできれば避けたい。それに年配のKさんが歩いてトイレに向かっているのに、若年(といってもKさんと比較してですが)の自分が車椅子を使うのはどうも都合が悪い。少し言い訳させてもらえば、Kさんに体調も考えなかったわけではありません。ただし直接的な動機は自分のことです。
 その後僕は2回ほどナースコールを利用し、トイレに行きました。規定の4時間はちゃんと車椅子を利用しました。
 一方、Kさんの方はナースコールを使ったのはその一度きりです。その後は、ひとりでトイレに歩いて行かれました。
 二人とも4時間は経過し、消灯の9時になりました。僕は気分もすぐれ、眠ろうかとした矢先です。見回りにが来たナースにKさんが気分が悪いともらされている声が聞こえてきました。僕は「だからいったじゃない」とは流石に思えませんでした。なんだか悲しく、そして申し訳ない気分になりました。

 しかしそんな気分も長くは続きませんでした。睡眠薬の力ですぐに眠りについてしまったのです。

 翌朝、つまり今朝は風が強いものの、良い天気でした。僕はいつもどおり、階段を駆け上がり、屋上に行きいつものトレーニングをこなしました。そして爽快な気分で部屋に戻ったのです。
 部屋に戻ると、Kさんは今朝は気分がそう悪くなさそうです。よかったです。
 ところが、ここでも好事魔多しなのでした。病室に戻った後から、頭痛と軽い吐き気、頭のほてりが襲ってきたのです。造影剤がまだ体内に残っていたようです。
 現在、正午ですが。頭痛は続いています。軽い吐き気を抑えながら、僕はPCに向かっています。Kさんはスヤスヤと寝息を立てています。


本日の検査ほか
1 手術の説明
2 手術の必要物品説明
3 絆創膏のテスト
4 手術前日から翌日の経過にていての説明

本日の食事
【朝食】竹輪と豆の煮物、大根おろし、ナスの味噌汁、牛乳200cc、ごはん200グラム
【昼食】卵焼き、小松菜のおひたし、とろろ昆布のお吸い物、ごはん200グラム
【夕食】メンチカツ、キャベツの千切り、パスタ少々、ポテトサラダ、おしんこ、ごはん200グラム

 昨日は検査でお伝えできませんでしたが、ごはんを200グラムに戻してもらいました。ちょっとバツが悪かったですが、年中腹いっぱい状態は避けねばなりせん。
 今度はちょっと物足りない気もしなくはありませんが、正直肩の荷が下りたような気がします。病院生活は色々と勉強させられるものです。


 今日の映画鑑賞は「ナルニア国物語」でした。本日も売店でDVDをレンタルしてきました。子供のころ「ライオンと魔女」だったかな、を読みました。ライオンがかっこいいと思った記憶があるのですが、今回も同様の感想を持ちました。自分の記憶を懐かしく感じたと同時に、この程度の感想しかない成長しない自分に少々悲しくもなりました。

 明日は土曜ですね。ここにいるとまったく曜日の感覚がなくなってしまいます。あるのは検査のスケジュールと手術までの日程感覚のみです。みなさんには待ち遠しかった週末ですね。よい週末をお過ごしください。自分は週末も「入院通信」は書くつもりです。会社のメールで読まれている方は、また来週。

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『パチンコがアニメだらけになった理由』(安藤健二著)を読んで


 安藤健二の『パチンコがアニメだらけになった理由』を読んだ。安藤のブックレビューは『封印作品の憂鬱』に続いて二冊目だ。あまりブックレビューを書かないこのブログだが、なぜ安藤の作品が二冊もあるのか。やはり種明かしをしなくてはならない。

 安藤は産経新聞社時代の後輩なのだ。同じ部署に二年程度勤めていた。
 私が産経新聞社の電子電波本部に勤めていたときだと思う。思う、と曖昧に書くのは、産経のデジタル関連の部署は頻繁に名称を変えているからだ。私はその全てに勤務している。ちょっと安藤からは脱線するが、挙げてみると。編集局電子メディア室、電子電波本部、デジタルメディア局、産経デジタル(別会社)、だと思う。全ての部署に勤務したが、ちょっと自信がない。似たような名前なので、忘れている。
 さて安藤はおそらく電子電波本部だと思うが、そこに新入社員として入ってきた。席は確か隣であった。私は希望して電子メディア関連の部署に着いたのだが、実はデジタル関係には疎かった。パソコンの設定も自分でできないほどだった。なのでその部署では主に新規企画を担当していた。ところが安藤は入社当時から、ネットにとても通じていた。だから先輩でありながら、よく色々なことを教わった。席も隣(だと記憶しているが)であり、気も合う方だったので(私はそう思ったが、安藤君どうでしたか?)、丁寧に教えてくれたと思う。もちろん、それはネットのディープな部分でのみであり、社内の誰が口うるさいだとか、飲み食いの伝票はこう書くと通りやすいだとか、こっそりサボるにはこの喫茶店がお薦めだとか、そうした本来の業務の根幹を成すことは私が安藤に教える立場であったのだが、エヘン。

 私は、いや私だけでなく、部署の誰も知らないことだったが、安藤は実はネットの世界で有名人であった。それはその後、私の下で働いていたネットに詳しい男に教わったことだ。
 安藤はあるサイトを開いていたらしい。名前は当時は覚えていたが、今は忘れてしまった。たしか掲示板であったと思う。もしかしたら普通のホームページだったかもしれない。いずれにせよ、いっときはとても繁盛(?)していたと聞く。
 ではなぜ安藤が掲示板にせよHPにせよ、それで有名人になったか。それは安藤が本名で書いていたからだ。それもかなり政治的な意見を書く。一例をあげると、安藤は神戸連続児童殺傷事件の犯人の少年の顔写真や実名の報道を積極的に擁護していた。たしかフォーカスだったかフライデーだったかが、顔写真を掲載した号を自主撤去したことがある。安藤はその編集姿勢を厳しく問うた。もちろん自分の署名入りの文章で。さらに安藤を有名にしたのはその顔写真を自分のHPに掲載したことだ。その写真誌を出版している出版社はもとより、どの新聞社も本音は別として、面倒を恐れて報道を自主規制していた。だから安藤のHPにアクセスが集中した。
 その時のある記憶がある。安藤が自分の席のパソコンで酒鬼薔薇聖斗の写真を私に見せたのだ。自分のHPに掲載していると、やはり言っていた。でもそのときは、こいつちょっと変ってるなと、思った程度だった。しかし安藤はただの変わり者ではなかった。自分のHPに自分の名前を明かしたうえで写真を掲載していたのだ。そしてそれについての意見も堂々と書いている。
 他にも色々な政治的発言を安藤はネット上で実名にてしていたらしい。ハンドル名で煽るだけの、その他のネットの住人からは英雄視されていたようだ。
 
 それから暫くして、安藤は社の方針で編集局さいたま支局に異動となった。そこでも彼らしい切り口の記事を書き、産経新聞では県版のみの扱いだったが、夕刊フジの編集の目にとまり、夕刊フジで大きく扱われたりした。なかなか優秀な記者であったようだ。
 その後、またデジタルに戻って来たが、また異動になり、今度は総務局に行くことになった。その少し前から書籍の執筆活動を始めていた安藤は、それを機に産経を辞めてしまった。産経は有能な人材を失ったのだ。

 さて、ここからようやく『パチンコがアニメだらけになった理由』についてだ。
 安藤の“封印作品シリーズ”に比べると、裾野の広いテーマを扱っている。“封印作品シリーズ”はテレビドラマや漫画のある号の欠落のなぞを解き明かした。その謎解きの道程は推理小説のようで、ワクワクさせられた。しかしテーマがオタク向けで、自分のようにまったくオタク性を持ち合わせていない人間にとっては興味をもち難いものだった。安藤の緻密な取材によるその謎解きの過程は、それ自体が驚愕であったが。
 対して今回のテーマはパチンコ業界である。私はまた、パチンコにもまったく興味のない男だが、パチンコ業界には興味がある。なんでも自動車産業と同規模の巨大産業だという。しかし実体はあまり明らかにされていない。警察官僚の天下りがあったり、半島系の人々の影響力の大きさがあったり、法律的な扱いの曖昧さがあったり、とにかく見えにくい業界である。このヌエのような巨人の懐に安藤は飛び込んでいった。またいつもの緻密でねばっこい取材力を武器に。
 パチンコをしない人間でも今のパチンコにアニメが多用されていることは知っている。テレビCMでガンガン流しているし、パチンコ屋の前を通ればドデカいポスターが微笑んでいたり、睨みを効かせているからだ。
 なんとなくその理由は分かっているように思っていた。アニメ業界としては、著作権の多角的運用になる。きっと高額で売っているに違いない。もうかれば、やるだろう。そんな程度に感じていた。
 しかしでは、なぜパチンコメーカーは高額な著作権料を支払ってまで、アニメのキャラクターをパチンコ台に登場させるのだろうか。いい年をした大人が、キティーちゃんの文房具を欲しがる子供のように、著作権料を支払って(意識はないかもしれないが、実際にはきちっと支払わされている)まで、アニメのヒーローやヒロインが張り付いているパチンコ台を求めるのだろうか。
 安藤は4つの方角から、このテーマに光を当てている。アニメ業界、パチンコメーカー、パチンコ店、ユーザーだ。そこにはそれぞれの理由があった。あまり乗り気でない立場の人もいた。積極的に取り込む立場ももちろんある。夫々の思惑が複雑に絡みあい、今のアニメパチンコの盛隆を生んでいたのだ(アニメパチンコは隆盛だが、パチンコ業界自体は衰退傾向にある。アニメは麻薬のように実体を蝕んでいたのだ)。
 今回もまた謎解きである。薄明かりに佇むヌエのベールが慎重に、そして確実にめくられている。この過程が安藤だ。
 さっきも書いたが、今回の本のテーマはオタク限定でない(封印作品もテーマは別として、読み物としては一般人も楽しめますが)。ある巨大産業の存在そのものが実はテーマだ。アニメを切り口に、安藤は摩訶不思議なあの巨大産業の素顔にそっと光を当てて見せてくれる。


ある電話で思い出したこと

 
 先日、いつも庭を頼んでいるY造園を名乗る女性から電話があった。なんでも室内のクリーニングサービスを始めたとかで、今はキャンペーンを実施しているらしい。5つのオプションがあり、そのうちひとつを3000円で請け負うという。5つのオプションは、下水管の掃除、換気扇の掃除、風呂の掃除、トイレの掃除、もうひとつは忘れた。実は毎年年末には換気扇の掃除をするのだが、今年はしていない。それで、これ幸い、と頼もうかと思った。しかし、3000円は安い。ちょっと怪しいと思い、女性にもう一度身元を確認した。すると、実はY造園ではないらしい。Y造園から紹介されたメノガイアというハウスクリーニング会社の、さらにそこから電話業務を引き受けた会社の女性らしい。
 Y造園は逗子に越してから毎年植木の剪定をお願いしている。信用しても良い植木屋だ。社長もよく知っている。しかしメノガイアと言う会社は知らない。そこで相手の女性の電話番号と名前を聞き出し、こちらから改めて電話をかけると言って、電話を切った。
 ネットでメノガイアという会社を調べてみると、あまり評判の良い会社ではないらしい。大阪府からは業務改善指示が出ている。ハウスクリーニング券というのを無料で配り、掃除を依頼してきた家に上がりこむ。そこで掃除以外の点検を勝手にして、白アリがいるだの、水漏れがしているだのと不安をあおる。そして、白アリ駆除だとか水漏れ工事だとかの契約をかなり強引に結ばせるらしい。料金は通常の何倍かだ。
 今回のキャンペーンと似ている。相手の実体を知り、こちらからの電話はかけずにいた。すると暫くして同じ女性から電話があった。はっきり断った。

 このことで、ちょっと類似の経験を思い出した。それはいわゆるマルチ商法というやつだ。
 27,8歳のころだと思う。新橋のキャバクラ(当時、キャバクラはできたてででした)である女の子と知り合った。ちょっと付き合ったと思う。その子がなんでも新しいマーケティングの仕事を始めて、とても良いものなので私にも参加しないかと声をかけてきた。私は当時、たまたま産経新聞社のマーケティング局に勤めていたので、興味をもった。誘われたのが付き合っていた女の子だったので、警戒しないである集会に一緒に出かけた。
 池袋の雑居ビルの一室だったと思う。かなり広い部屋だった。中は私と同年代かそれ以下の若い人で埋まっていた。4,50人いたと思う。
 講義のようなものが始まった。若い男が壇上でしゃべり始めた。その男が所属している組織はサンフラワーといった。サンフラワーではあらゆる商品を扱っており、格安で売っているという。ただし売るのは会員のみ。そして売るのもサンフラワーではなく、会員から。商品を買いたいと思った場合、まず会員になる。それには既に会員になっている人の紹介が必要だ。そして商品を購入するときは、紹介した会員から商品を買う。??、これってねずみ講じゃない?
 2時間ぐらいの講義というか、セールストークであった。そのうち、システムについての説明は半分もなかった。半分以上は、どれだけこのシステムが素晴らしいか、そして儲かるかについての話だった。
 面白い表現をこの若い登壇者は使っていた。その男も当然、会員なのだが、自分の下に会員が沢山いて、自分は商品を買わずとも、下の会員が商品を買ってくれるのでマージンがたんまり入り、毎月、“7桁”もの収入があるという。7桁というのは100万の位だから、数百万はな~んにもしなくても、この若い兄ちゃんのふところに入るというのだ。車はポルシェに乗っていると自慢した。この7桁という表現をこの兄ちゃんは十回以上も使っていた。

 もろイカガワシイこの男の話を聞いて、私はうんざりしてきた。悪い場所に来てしまったと感じた。場の空気が何か腐敗というか、“悪”を感じさせる気に満ちているのだ。しかし途中で抜け出せる雰囲気ではなかった。それに隣には例のキャバクラ嬢が座っていて、真剣に話を聞いている。
 周りの聴衆に目を向けると、なんとほとんどがキャバクラ嬢と同じような、真剣な目である。登壇者の話に聞き入っている。ネズミ講に騙される人の話をよく聞く。誰がいったい騙されるのだろうと思っていた。目の前に今、騙されようとしている人が大勢いる。不思議な光景であった。

 2時間の講義の後、懐疑的な表情を続けていた私に気付いたのか、登壇者が近づいてきた。「いかがでしたか? とても良いでしょう」といかにもうそ臭い笑い顔で言った。私はその男の質問には答えずに、周りの人に聞こえない小さな声で、「これってねずみ講じゃないですか?」とストレートに尋ねてみた。この質問には慣れているようだった。兄ちゃんはあわてずにこう答えた。「ねずみ講は布団だとか、健康食品だとかの特定の商品だけを扱います。しかしうちはあらゆる商品を扱っています。つまり生協みたいなものです。ねずみ講とはまったく違うシステムです」。

 その日はキャバクラ嬢の家に行ったと思う。キャバクラ嬢の家にはサンフラワーの安っぽいパンフレットがあった。そこには電気製品だとか食材だとかが、いろいろと載っていた。全てサンフラワーを通じ買うことができるらしい。
 パンフレットを読むと中々うまいシステムになっている。会員は普段の生活をして、日用品をサンフラワーで買うだけでよい。ほぼ日常品は全ての種類をそろえているため、買い物はサンフラワーだけですむ。つまり、普段の生活を続けるだけで、サンフラワーの商品を購入できるのだ。さらに友人や親戚を紹介して、子会員にすれば、儲かる。
 しかし、だ。よく読むとテレビやドライヤーなどの家電製品や、マヨネーズやインスタントラーメンなどの普通の食材はポイントがとても低い。つまり儲からない。それに安くない。スーパーで普通に買ったほうがずっと安い。これでは、ポイントが付いたとしても、誰も買わない。しかし布団や健康食品を見ると、とてもポイントが高いのだ。キャバ嬢に聞くと、日用品は誰も買わないという。もっぱら購入するのは布団や健康食品らしい。ポイントを稼ぎたいので。やはりネズミ講そのものだ。

 そのキャバクラ嬢は貧しい子だった。確か母子家庭に育ったと言っていたと思う。昼間は事務の仕事をしていて、夜はキャバ嬢になる。その子が目を輝かせて、「わたし、お金持ちになるんだ」と言っていた。
 その子とはそれから暫くして、別れてしまった。正直に言って、ちゃんと付き合っていたわけではない。彼女も同じ気持ちだったと思う。それでも何度か会ったので、情が無かったわけではない。何回も彼女に、あれはネズミ講だから、辞めた方がいいと忠告をした。彼女はネズミ講という言葉を知らなかった。そしてネズミ講という言葉も知らないくせに「大丈夫だよ。あれはマーケティングとういの。ちゃんとしたシステムだよ」とゆずらなかった。
 たしかあの講義に参加したのが春だったと思う。秋にはサンフラワーの仲間と儲けた金でF1のモナコグランプリを見に行くと目を輝かせて言った。
 秋までは彼女との関係は続かなかった。行ったかどうかは知らない。多分、行けなかっただろう。
 サンフラワーが詐欺だかなんだかで摘発された記事を新聞で読んだのは、その年の秋の前だったかどうかは覚えていないが。

 メノガイアからの電話で、久しぶりに思い出した話だ。


自動車普通免許、一発試験合格への道(13)


 筆記本試験を受けてきた。96点で合格だった。前回の仮免では50点(満点)だったので、今回も満点を目指したが、4点も間違えてしまった。どれが誤ったのか、分からない。でも、いいか。合格したのだから。これで筆記は全て終了である。10月から繰り返し読んだ市販の教本、今まで一階の居間に置いておいたが、今日本棚にしまった。
 もう、標識には本標識と補助標識があるだとか、路側帯の幅は0.75メートル必要だとか、牽引のときは前の車と後ろの車の総全長が25メートル以内であるとか、そんなこと、忘れてしまえ(せっかく覚えたのだから、覚えておいた方がいいのかな。でも自然にすぐ忘れてしまうだろう)。

 仮免筆記、仮免実技、筆記本試験と3つを終えた。残るは路上実技のみだ。試験は来週である。それに合格すると、その場で免許をもらえるはずだ。うまくいけば、二俣川に通うのは後、一日ですむ。なんとか、一日で終えたい。もう、仮免実技のような苦労はしたくない。でも、路上も難しそうだ。気を引き締めて、挑戦しよう。


 本日の費用
 電車代 逗子→横浜 330円(JR) 
      横浜→逗子 330円(JR)
      横浜→二俣川 190円(相鉄)
      二俣川→横浜 190円(相鉄)
 筆記本試験受験料  2,400円
 路上教習の予約   10,900円

 合計 14,340円

今までの合計 121,530円



わたくしごとの報告


 皆様にこの場を借りて、ご報告させていただきます。私、山本拓也は本年3月に結婚する所存です。本来なら直接に、あるいは文面などによりご報告させていただくのが筋であるとは思いますが、2度目ですし、オジサンですので、あまり派手やかにご披露するのは憚られ、ブログにてお伝えさせていただきます。

 相手の女性とは4,5年ぐらい前からのお付き合いです。皆さんはほぼまったくご存じなかったと思われます。それはそうだと思います。ほぼまったく口外してきませんでしたから。普段はおしゃべりな私ですが、ことそちらの関係については秘密主義者なのです、実際。

 相手の女性は一般人であり(私もですが)、仕事の関係もあり、名前や写真のブログでの公表は差し控えさせていただきたいと思います。そのうちにBBQや花見や、それ以外でもできれば機会を設けて、改めて紹介をさせていただければと考えています。それまでは秘密のベールで包み隠し続けようかと思っています。ご了承を願います。

 でもちょっとだけ。Sさんといいます。小学校の先生です。

 学校の先生は昔と違いとても多忙です。朝は滅茶苦茶早く、夜も普通の勤め人並みの時間まで働きます。学校は逗子から遠い場所にあります。通勤時間も考慮しなくてはなりません。かなりハードな生活になるのではと覚悟しています。そこで、できれば私が普段の食事などの家事を担当しようかと考えています。料理は好きですので。
 翻訳の仕事は家でできるので、家事をこなしながらの翻訳業ということになりそうです。翻訳の仕事は入ったり、入らなかったりの現状ですので、暫くは主夫業がメインになるかもしれません。
 どうなるかまったく見当も付きませんが、初めての主夫業も楽しんでやっていければと思っています。その辺りも、ブログにて報告するつもりです。

 ちっとも若輩者でない二人(とくに私が、彼女はそんなに歳ではありません)ですが、力を合わせて新しい生活を始めていく所存です。どうぞみなさん、これからも引き続きよろしくお願いします。


自動車普通免許、一発試験合格への道(12)


 特定教習というのを受けてきた。なんでも路上試験に合格する前に、受けなくてはならないと法律で規定されているそうだ。免許を取るには、色々とお金がかかるような仕組みになっている。前回も書いたが、24,900円もかかるのだ。内容は高速教習と危険予測と応急救護。

 まず「高速教習」。一時間の講義を受けた後、高速を走る。久しぶりに高速で運転をした。5,6年ぶりだろうか。でもまったく違和感はなかった。一般道路より、細かい目視確認や内回りなどを気にしなくて良い分、リラックスして受けることができた。

 続いて「危険予測」。これも一時間の講義の後、一般路上を走っての実習。本番の路上試験のDコースとEコースを使って実習を受けた。
 本番と同様に、教官が採点をしてくれたのだが、なんとマイナス130点であった。誤って駐停車禁止区域に止まってしまい、そこで100点の減点。学科では駐停車禁止の表示は覚えていたが、路上では失念していた。というよりも、あの場所は駐停車すべき場所のように考えていた。以前、免許を持って運転していた際には、よくあの斜め線が路上にペイントされた地点で停車をしていた。皆、していたと思う。かえって、車が来なくて駐車しやすいからだ。

 最後は「応急救護」。これも一時間の講義のあと、人形を使って実技を行った。初めて人工呼吸と心臓マッサージを行ったが、これはとても面白かった。そして役立つと思った。
 応急救護の技術を実際に使う場面に出会わないのが一番だが、もしそんなシーンに遭遇したとして、大変使える技術&知識であると思う。ドラマの中で主人公が行っているのは見たことがあるが、自分でやると随分と違うものだ。

 朝8時半に集合し、終わったのは6時。外はすっかり暗くなっていた。講義もかなり真剣で、実技は当然、真剣そのもの。終わった後はぐったり疲れた。

 今回、同時に2人が特定教習を受講した。一人は20代半ばの女性。福祉の仕事をしているそうだ。もう一人は30代半ばの男性でパン屋さんの店長だった。
 2人とも仕事がかなり忙しいと言っていたが、パン屋の方は半端ではない。朝は5時から働き始め、9時近くまで店にいるらしい。労働時間は一日16時間だ。毎日、睡眠時間は4時間で、その生活を10年も続けているという。
 最近、翻訳の仕事で忙しいなどと、ブログで嘯いていたのが恥ずかしい。プロとは厳しいものなのだ。若い彼らから刺激を受けた一日だった。
 パン屋さんは今は雇われ店長だそうだが、今年中に独立を目指しているという。ぜひ成功してもらいたい。好青年だった。がんばれよ。


 本日の費用
 電車代 逗子→横浜 330円(JR) 
      横浜→逗子 330円(JR)
      横浜→二俣川 190円(相鉄)
      二俣川→横浜 190円(相鉄)
 合計 1,040円

今までの合計 107,190円

センター試験をやってみた


 10日ぶりの更新。仕事が立て込んでいて、サボってしまった。といっても、ここ数日はそれほどハードに仕事に没頭していたわけではない。正直なはなし、ただサボってしまった次第である。

 さて先週末は大学入試センター試験が実施された。今回の試験には、甥が某国立大学を目指し受験をした。甥の母が私の妹なのだが、先日の親族の新年会で会った際、「○○(甥の名前)がお兄ちゃんに現代社会を身代わり受験してもらいたいって言ってたわよ」と言われた。なんでも甥は私が現代社会に強い博識だと信じているらしい。嬉しい話ではないか。もちろん、こんな髭面のおじさんが身代わりなどできるわけはない。しかし調子に乗って、昨日の新聞に掲載されていた問題を解いてみた。さて、身代わりをしたとして、期待に沿うことができただろうか。

 制限時間は1時間。特に時計を見ながら解いた訳ではないが、1時間はかからなかったと思う。大チャンが横に、フクちゃんが膝の上に乗った状態で、ソファーに腰掛けて、新聞に直接回答を記入した(かなりリラックス状態)。見直しはしなかった。
 その結果は87点だった(100点満点)。解きながら、分からない設問も結構あったので、100点の自信はなかったが、もうちょっとできるかとも思った。

 さて、ではこの点数はどの程度の位置づけなのかをネットで調べてみた。今年のセンター試験の科目ごとの予想平均点が代ゼミから発表されていた。現代社会は58点だった。平均点は大きくクリアしている。
 しかし平均点は不合格者も含まれた平均なのだから、合格者の平均や最低点と比較しなくてはならない。甥の受けた大学の学部学科の最低合格点を見てみると、626点であった。900点満点だから正解率は70%。どの科目も平均して70%を取れば合格できる(2次試験が別にあるのだが)。
 この数字を見ると、87点を取ってあげたとしたら、きっと貢献はできたであろう。まずは、よかった。

 ところで間違えた13点だが、全部で4問であった。
 誤回答の一問目は正誤問題(全問、正誤問題であったが)。4つの文を読ませ、ひとつだけ正しい内容が書いてあり、それを選ぶ問題だ。正しい内容が書いてあったのだが、私は誤りだと判断した文は次。「第二次世界大戦後、日本政府は、サンフランシスコ平和条約を結ぶとともに、日米安全保障条約を結び、アメリカ軍の日本駐留を認めている」というもの。
 サンフランシスコ平和条約は戦後すぐに締結されていることは分かった。しかし日米安全保障条約はそのずっと後、おそらく日米安保闘争の第一次、つまり1960年ではないかと思った。しかし正解はサンフランシスコ平和条約、日米安全保障条約ともに1951年に同時締結されていた。私が勘違いした60年も実は日米安全保障条約が結ばれているが、これは旧安全保障条約の改定であったようだ。

 次のは誤りを見つける問題。私が正しいと思い、正解は誤りであった文は以下のとおり。「リースマンは、人々の社会的性格が、「伝統指向型」や「他人指向型」から、「内部指向型」へと変わりつつあることを説明した」である。
 リースマンなんて、聞いたことがない。他の選択肢に出てきた人名はちなみに、アドルノ、フロム、ハーバーマスである。かなり難解だ。私はこの3名の名は知っていたし、フロムに関しては著書も読んだことがある。でも彼らの業績を詳しくは知らない。リースマンなんて、繰り返すが、初耳の名前である。
 調べてみるとリースマンは「伝統指向型」や「他人指向型」、「内部指向型」という概念を作り出し、類型化したことは間違いないようだ。ただ選択肢文のような「内部指向型」への移行は述べていないようだ。なんと、難解な正解であろうか。
 3つめの誤りは明らかにケアレスミスである。見直せば、おそらく正解を導けたと思う。
 4つめ。正しい選択肢文は「一つの地方自治体にのみ適用される特別法は、当該自治体の住民投票における過半数の同意がなければ、これを制定することはできない」でった。
 これはかなり自信をもって、誤りであると思った。なぜなら、住民投票はあくまでも付随的な立法行為であって、本道は議会による立法だと思ったからだ。選択肢として住民投票を経由しての立法はありえると思ったが、住民投票を経なくてはならない法律があるとは思わなかった(憲法改正を除いて)。でも調べたらちゃんと憲法95条で規定されていた。

 他の問題も、本当のことを言って、不確かな自信のないものが相当あった。推測で回答したものも少なくなかった。全体を振り返っての感想は、こんな難しい問題を高校生が解けるのだろうかというものだ。とても範囲が広く、さらに細かい知識を求められる。一見、一番とっつき易いように見える現代社会であるが、ひょとてして一番やっかりな科目かもしれない。
 来年以降、センター試験を受けようと考えている受験生は、現代社会は要注意と覚悟しておいた方がいいと思う。

 さあ、今度は英語とか国語もトライしてみようかな。

自動車普通免許、一発試験合格への道(11)


 昨日は二俣川自動車学校で路上の実技教習を2時間受けてきた。

 神奈川の路上試験はA~Fまで、6種類ものコースがある。どのコースで試験を受けるのかは、当日まで分からない。さらに各コースは約半分ほどが課題コースとして決まっているが、残りの半分はゴールのみ決まっていて、後は自由コースとなるのだ。地図は公開されているが、試験中に地図を見ながら受けたら落ちるに決まっている。だから予めコースを覚えておく必要がある。6コースも。
 昨日は6コースのうち5コースを走った。全部で2時間。大通りばかでなく、かなり狭い路地も通る。みなさん、想像してほしい。初めての土地で2時間も、横に乗ったナビゲーターの指示で走り回って、その全コースを記憶できる人がいるだろうか。もしかしたらそういう特殊能力のある人が世の中にはいるかもしれないが、私にはできない。ただでさえ記憶力が悪い私だが、それでも全神経を集中して覚えた。でも半分も覚えていないと思う。終わってから入ったラーメン屋で必至に地図を見ながら記憶を再確認した。だいぶ、忘れている。やばい。

 2時間のコースを記憶するのも大変だが、運転も大変であった。まず最難関は制限速度である。とくに30キロの場所。30キロはかなり遅い。ちょっとメーターから目を離すと35キロを上回る。34キロまではよいそうだが、35キロになると減点だそうだ。かといって遅すぎても減点。
 それと歩行者や電信柱がくせものである。車と同じ方向に向って歩いている歩行者を追い抜く場合は1,5メートル、逆方向の場合は1メートルの距離を空けなくてはならない。電信柱や路上駐車の場合は50センチ。狭い路地なんて、電信柱がごろごろしている。メーターを見て電信柱に気を使い、首振り目視を忘れずに、左折では思いっきり内回りを厳守して、これをすべて完璧にこなさなくてはならない。そうでないと、減点だ。
 とても疲れる2時間であった。

 路上はそれでも20年間以上運転しているので、これ以上教習を受ける必要はないと感じた(お金ももったいないのが本当の理由)。後はコースを覚えるのみだ。
 それでつぎの特定教習というのに申し込んだ。24,900円もした。高い。特定教習とは一発試験をめざす人は受けなくてはならない決まりで(法律)、高速教習と危険予測と応急救護を学ぶ。※他にももうひとつ別の方法があり、それはもう少し安いそうだが、めんどくさいので、二俣川自動車学校で行っている特定教習というのを受けることにした。
 朝9時から夕方の6時まで拘束される。仕事が忙しくて、まる一日はきついのだが、法律だから仕方がない。

 今後の目標だが、今月中に特定教習を終え、本試験(筆記)は合格したい。そして2月中に路上に受かりたい。もう一発免許を取得するために10万円以上、使ってしまった。10月19日から二俣川に通い始め、3ヶ月近くが過ぎた。それなのにまだ道の半ばに過ぎないのだ。10万ぐらいで、年内で済むかと思っていたが、甘かった。あとどのぐらいかかるのだろう。
 早く取らなくてはならない。



本日の費用
 電車代 逗子→横浜 330円(JR) 
      横浜→逗子 330円(JR)
      二俣川←→横浜 0円(相鉄) ※往復とも回数券を使用。
 特定教習受講料 24,900円
 合計 25,560円

今までの合計 106,150円

神経鞘腫体験記(9) 造影剤って、痛いの?



 神経鞘腫の話になる前に、現在の話。今日は4時起き。布団の中は湯たんぽで暖かいけど、出ると寒い。外は真っ暗。出たくない。でも起きなくては。
 今日は9時から鎌倉青色申告会のマンツーマン講義、最終日である。本当は4回の予定であり、昨年で終了のはずであったが、お願いして一回延長し、今日が最後だ(出来が悪いので、4回では終わらなかったのだ)。
 早起きしたのは(いつもよりちょっとですが)弥生会計に最後の入力を済ませておくためだ。未記入であった12月の支払いや、過去の分の再確認に2時間程度費やす。これですべて入力は終了した。あとは鎌倉青色申告会の人に確認をしてもらい、出力をしておしまい。完全な損益計算書と貸借対照表ができあがるはずだ。できあがってしまえば、3月の確定申告にその数字をもとにした書類を出せばよい。早く終わって、助かる。
 これから歩いて鎌倉へ向う。ノートPCをリックに入れて、いつもの大町経由で45分。テクテク歩いて行く。今日も天気が良いので富士山が見えるだろう。ハイキングのようできっと気持ちがいい。

 さてここから神経鞘腫の話だ。相変わらず以前書いた入院通信のコピー&ペーストだ。久しぶりに読み返すと、変にハイテンションで恥ずかしい、これも入院と検査の日々が影響かもしれないので、正直にあえてそのまま掲載する。では、お読みください。
 
----------------------------------------------------------------
【入院日誌】2007年5月10日
ハロー、みなさん。

 本日は、ハロー、おはようさんです。なぜなら本日は午後6時から検査が予定されていて、以降メールを書けないと予想されるからです。だから、まだ午前中ですが、このメールを書き始めています。

 本日の検査は例のやつです。ついに来てしまいました。脊髄に造影剤をズブリと注入し、脊髄に造影剤を行き渡らせてからCTスキャンを取ります。痛そうです。
 昨日、検査の説明にナースさんが来たときに、ストレートに「その検査っていたいですよね」と聞いてみました。すると「造影剤を注入する前に痛み止めの麻酔を注射するから大丈夫だと思いますよ」とのこと。しかしそんなの背骨の中の神経まで麻酔は届くのだろうか? 僕が不安げな顔をしていると何か言わなくちゃと思ったらしく「そうですね。今まで外に悲鳴が聞こえるほど痛がった患者さんは一人もいません」となんだか慰めだか、脅しだか分からないような説明をしてくれました。
 本日はその検査に行ってまいります。
 ちなみに検査の後は自分で動いてはいけない、または動けないらしく、車椅子で病室まで帰還するそうです。ナースさんは「車椅子なんて乗ったことないでしょっ」とこれも喜ばせてくれるつもりで付け加えてくれました。大変、待ち遠しくなった次第です。


本日の検査
1 脊髄に造影剤を注入してのCTスキャン

本日の食事
【朝食】たまねぎの卵とじ、海苔、おふと菜っ葉の味噌汁、牛乳200グラム、ごはん250グラム
【昼食】イカの煮物、インゲンの胡麻和え、サトイモの蒸かし、ごはん250グラム


 本日の映画鑑賞は「ブリジットジョーンズの日記(きれそうなわたしの12ヶ月)」です。実は本日の検査は造影剤が強いため、検査後に大量の水分を取らなくてはなりません。その水分は水でもお茶でもコーラでも何でもよいらしいのですが、自分で用意するよう求められました。それで病院の2階にある売店で先ほどペットボトルのミネラルウォーターを買ってきたのです。そこで偶然、レンタルDVDを発見。たまには新しい映画もよいかと思って借りてきました。全然、新しくないって声が聞こえてきそうですが、日々50年以上前の映画を観ている身からしては、十分新しい映画です。

 とここまで書いていて、コールが来てしまいました。では、言ってきます。明日、元気があれば結果を報告します。

チャオ!

神経鞘腫体験記(10)へ

お正月


 本年、最初の更新です。みなさん、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

 さて年末は仕事漬けであったことは書いたと思う。31日まで机にしがみ付いて翻訳。夜はダイナマイトと紅白を見たが、途中で眠り込み、除夜の鐘を聞く前にベッドに入る。翌日は7時に起きて実家へ向う。それから実家の近くの登戸神社へ父と母で初詣。そこで不思議な体験をした。

 いつも我が家では本殿を拝んだあと、裏山にひっそりと建つ白蛇を祀る小さな社に行く。今回は急な裏山の階段を登る自信のない父をおいて、母とふたりで登った。元日の登戸神社はかなりの人ごみだが、いつも白蛇の社には人がまったくいない。今回も人ひとりいない静かな裏山だった。先に拝み、母に場所をゆずって社の後ろに立つ巨木を見上げると、風がないのにもかかわらず大きく枝葉がざわめいた。山の下には大勢の参拝客のざわめき。裏山には母と私のみの静寂。上を見上げると青い空に、風もないのにゆれる枝。一瞬、清涼な空気が流れたような気がした。なんとも不思議で神秘的な雰囲気だった。神社で霊感を感じるといった話を聞いたことがあるが、今回のこれがそうなのかと思った。元旦に実家近くの氏神様を詣で、神気を感じるとは縁起がいい。気持ちが明るくなった。

 家に帰ってからは上の妹夫婦と息子2人。下の妹夫婦。父と母。私。この9人で新年を祝う。去年から私はネットでアブラガ(タラバガニの安いバージョン。味はタラバと遜色がないと思う)を購入し、実家に送りみんなで食べる。1万円程度だが、8人(甥っ子のひとりはアレルギーで食べられない)で腹いっぱい食べることができる。そして今回のカニは前回より美味だった。酒もたらふく飲み、大いに盛り上がる。酔った父は上の妹の夫を捕まえて、いつもの自慢話。この夫はとても偉い男で、毎回この嫌な役回りをひとりで引き受けている。30年間、連夜のごとく付き合わされた私は、もう簡便と甥っ子達のグループに加わりUNOをした。

 翌日は父のパソコンの調子を見たりしてから、昼過ぎに帰宅。夕方に逗子に到着。昨日の酒が少し残っていて、その日は早く就寝する。
 3日、4日(今日)は朝5時から7時の夕食までぶっ続けで翻訳をする。夕方になるとさすがに頭がボーっとしてくる。頭を使いすぎて、あまり食欲がわかない。

 さて、このペースで納期までに仕事が終わるだろうか。計算するとかなりギリギリだ。頼んでいた翻訳学校の元クラスメートの訳がいくつか戻ってきたが、修正がかなり必要のようだ。土日は休みとしてカウントしていたが、1月一杯はよほどの予定がない限り、仕事に当てなくてはならないようだ。やれやれ。
 でも、仕事があると、やっぱり嬉しい。


プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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