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我が愛着の品々、さらば


 金曜日の夜から甥っ子が、土曜には妹夫婦が遊びにきた。私の古着をもらいに着てくれたのだ。

 かみさんは2週間前に、移住してきた。我が家の住民が一挙に倍になったことになる。今までは私、ひとりだったので。我が家は中古で、以前は四人家族が住んでいた家だ。一般的なファミリー向けの住居で、四人家族でもまったく問題のない間取りである。それを今までは、ひとりで好き勝手に使っていた。下着は洗面ルーム、ズボンは客間(客間があるのだ、えへん)、シャツはベッドルーム、ジャケットは書斎、小物は和室、と言った具合に。そんなに物持ちではないのだが、それでも満遍なくスペースを利用していて、なんとなくどこも一杯になっていた。そこに同程度の荷物が追加されることになった。さあ大変だ。どこにしまおう。慌てて服類を処分することにした。
 ところが私は貧乏性である。服が捨てられない。最近はあまり買っていないが、それでも服の数がそれなりにあるのは、そういう理由である。
 だから私の服は古い。どのぐらい古いかというと、30年前ぐらいのものから、けっこうある。そのぐらい古い。大学生のときに、アルバイトの給料をためて買ったゴールデンベアのスタジャン。銀行員になった最初のボーナスで買ったテッドオムのトレンチコート。アメリカ留学時代にかった革のジャケット。どれも私にとっては大事な品だ。古いけど、捨てられない。ああ、それと私は靴もけっこう持っている。多分、革靴類だけで40足はあると思う。海外へ行くと、なぜだか靴を買ってしまう。向うは安いので。これも捨てられない。
 そこで甥っ子と妹の夫に引き受けてもらうことにした。ふたりとも喜んで、やって来た。

 しかし義弟は31歳の大人であり、あまり流行から乖離した服を欲しがらない。結局は靴を3足。ユニクロのシロのボタンダウンを2着だけ持っていった。ちょっと残念であったが、仕方がない。要らないものを強制するわけにはいかない。
 ところで甥っ子である。現在、高3。おしゃれ大好きな年頃である。30年前のDCブランドの服、マレリーやディオールの靴をぜーんぶ、もって行った。その数はなんと、靴14足。革ジャン3着。スーツ4着。シャツ、5枚。ジャケット5着。ズボン7本。そのほか、多数。
 甥っ子に言わせると、古着でカッコいいそうである。確かに物は結構いい。革製品は手入れをしてきたし、靴も磨いてきた。30年、大事に使いこなしてきたので、風格がでてきたと言えなくもない。正直、私は古着というより、古臭い服としか思えなかったのだが、甥っ子にそう言われると、カッコいいかもという気になる。
 それと私が着ると、やっぱり古臭いというか、ホームレスがゴミ捨て場に捨ててあったジャンパーを着ている的な風貌になるが、甥っ子が着ると、原宿を歩いているオシャレな男の子になる。やはり甥っ子の物をなるべきだろう。

 甥っ子は旅行用の大きなバックを持って来たが、それに一杯と紙袋をひとつぶら下げて帰っていった。大きな段ボール箱2つは後から送ることにした。
 妹(甥っ子の母)に、怒られなければいいのだが。甥っ子は大丈夫だと言っていたが。

 さて、おかげで部屋は随分とすっきりとした。これでかみさんの服も、どこかに納めることができそうだ。義弟と甥に感謝である。

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日々、これ洗濯


 今日は洗濯をした。昨日は曇っていたのでしなかった。一昨日も洗濯をした。その前の日も洗濯をした。つまり晴れた日は、毎日洗濯をしている。
 ちょっと前までは週に1,2度の洗濯で十分だった。ところが二人になったとたん、毎日だ。どうしたことだろう。
 当然、洗濯物は二倍に増えた。いやいや違う。3倍以上に。
 まず、かみさんの服が増えた。かみさんは小学校の先生なので、肉体労働である。だから毎日、肌着やその上に着るシャツを洗う。下着も当然である。さて、私だが。私はあまり服を洗わなかった。会社を辞めてから、毎日家にいるので、毎日同じ服を着ていた。服を選ぶのが面倒くさいのだ。昨日の服をそのまま着る。だから洗濯ができない。ちょっと臭うまで、我慢して着る。でも二人になって、多少気を使うようになった。以前よりも、臭いのセンサー基準を厳しくしたのだ。前は週一程度の着替えだったが、今は週二に増えた。だから私の服も増えた。
 それとタオルだ。バスタオルも臭ってくるまで使った。大体一週間程度。一週間も同じバスタオルを使うと、結構臭くなる。限界を越えた時点が大抵、一週間であった。でも今は、2日に一度は変えている。それとフェースタオル。これも一週間は使い通した。しかしこれは毎日、変えている。顔を拭くものだし、二人で共有しているので。臭うときっと、嫌でしょ。だからこれは週換算で7倍に増えた。
 パジャマや寝具もこまめに洗う。枕カバーなんか、以前はいつ洗ったかを忘れるほど、洗わなかった。毎日、使っているので、自分の体臭がしみ込み過ぎて、臭いのかどうかも分からなくなっていた。これも今は、毎週洗う。
 そんなこんなで、毎日洗濯物がたまる。うちは小さな庭があって、洗濯干し場は結構なスペースである。でもそれが、毎回、満員状態だ。今までは週一、あるいは週二で、ゆったりスペースであったのに。信じられない賑わいである。

 今はほぼ毎日晴れているので、いい。これから雨の多い季節に突入する。さてどうなることやら。
 でも、二人暮らし程度でぼやいていてはいけないのだろう。子供が複数いる家族は、さぞや大変に違いない。
 私には妹がふたりいる。つまり3人兄妹である。子供時代、そのそれぞれが、勝手気ままに洗濯物を洗濯機に放り込んでいた。バスタオルなんか、毎日変えていた。バスタオルだけで、毎日5枚である。当時、母はパートに出ていた。住んでいたのはマンションで、小さなベランダに洗濯物を干していた。よくやっていたなと、感心する。母の苦労が、今身に滲みる。

 ぐうたら主夫でも、学ぶことはあるようだ。

忙しいのに捗らない


 仕事があまり進まない。来週の水曜日締め切りのトライアルがある。トライアルとは仕事を取るために、訳者が提出する試訳のことだ。これでクライアント、あるいは翻訳会社が認めれば、仕事が成約する。今回の仕事は医療関連の本、まるまる一冊の翻訳である。試訳はその本のうち、6ページ程度。分量は多くないが、専門分野なので下調べが必要である。2月は28日しかないので、あまり間がない。早く進めなければならない。ところがそれが進まない。出版翻訳なので、ぜひ取りたい。でも進まない。

 昨日は一日のほとんどを航空券の手配に費やしてしまった。3月末からローマへ旅行に行く。新婚旅行だ。昨日、ネットで調べると、ほとんど空席がない。安くて、直通便で、なるたけ羽田発で。それで調べると、全滅。まず羽田発のローマ直通便は存在しない。成田からもJALとアリタリアの2社のみだ。毎日、出航しているわけではない。なのでこちらのスケジュールとの関係もある。
 探しに探して、ようやくひとつだけ見つけることができた。成田発のアリタリアだ。本当は3月26日に出発する予定だったが、26日は土曜なので埋まっていた。25日なら空いているというので、それで押さえる。結局、7泊8日の予定だったが、8泊9日に延びた。喜ぶべきかもしれないが。
 料金も予想より、ちょっと高めだった。ネットで以前調べたところ、最安値では5万円程度からある。アリタリアも8万円程度だ。それが買えたのが13万円のもの。よく調べると、ネットで記載されているのは運賃のみ。実際には空港使用税だとかサーチャージだとかがかかる。私が買ったのも運賃だけだと9万円程度だったが、諸費を合計すると13万円になるのだ。
 安く買えたと考えるべきかもしれない。直通だし。結果オーライである。でも、たどり着くまでには疲弊した。ネットをいじくり回し、最後は直接電話をした。久しぶりに航空券の手配をしたが、実に手間がかかるものだ。もう少し早く始めれば良かった。

 今日はホテルの予約をするつもりだ。今回の旅行はちょっと贅沢にいこうと考えている。宿泊は原則5つ星ホテルにするつもりだ。その中でもハイグレードのものだ。一泊、4万円程度を考えている。350ユーロぐらいだ。円高のおかげで、以前は10万円ほどしたホテルにこの価格で泊まれることができる。一生の思い出に、ちょっと奮発する。帰ったら、また質素に暮らそう。それもまた楽しだ。

 そんなこんなで、仕事がはかどらない。明日は甥が遊びに来る。明後日は妹夫婦も来る。日曜は合気道の稽古だ。これじゃ、いつ仕事ができるのか。
 仕事ができる男は、要領を知っている。優先項目を定め、そこに集中するらしい。私もそうすべきだとは分かっている。でもなぜか集中できない、環境が私を取り囲む。環境に絡め取られて、ただ忙しさに埋没している。そして忙しいのに、肝心のことは捗らない。これこそが、駄目男の典型的な行動パターンであろう。
 戒めねばならない。



好き、横須賀


 私の住む逗子から横須賀は近い。JRで行くと、ちょうど10分で横須賀駅に着く。逗子からは最寄の都会である。逗子にはない行政機関やデパート、コンサートホールなどがあり、度々出かける。昨日はパスポートの申請に行ってきた。

 横須賀の中心部は京急の横須賀中央駅周辺である。JRの横須賀駅からは歩くと15分程度かかる。結構、離れているので普通は京急を使う。逗子も京急が通っているのだが、線が異なり、横須賀中央駅へ行くのには金沢八景で乗り換えが必要で時間がかかる。それに料金もJRだと190円だが京急だと260円。それで昨日はJRで行ってきた。
 JRを使うのは悪くない。近いし安いし、それにJR横須賀駅周辺の景色が綺麗だからだ。景色を見ながら、横須賀中央まで歩くのは楽しい。駅の前には海に沿って公園がある。公園からは横須賀港が望めるのだ。
 来たことがある人はみな知っているのだが、初めて横須賀港に来た人はきっと驚くはずだ。なぜなら横須賀港には軍艦や潜水艦が停泊しているからだ。
 軍艦や潜水艦は巨大な兵器なのだが、なぜが恐怖感を与えない。あまりに大きいからだろうか。横須賀港の風景に溶け込む姿は、むしろ美しい。
 これが戦闘機や戦車だったら違った印象を与えるのだろう。騒音も凄まじいだろうし。だから空軍や陸軍のある街は地元民から毛嫌いされるが、海軍は愛されるのだ。
 横須賀には海上自衛隊と米軍のベースがある。規模はどちらが大きいか知らない。しかし街への影響は確実に米軍が勝っている。横須賀はアメリカの臭いが濃厚な街だ。それもベースがある土地特有のバタ臭い香りが漂っている街だ。

軍艦と潜水艦
軍艦と潜水艦が並んで停泊している。この他にも何艘もあった。

 
 今日のタイトルは「好き、横須賀」だが、私は横須賀が好きだ。好きなのはアメリカのバタ臭さが理由のひとつ。しかしもうひとつ理由がある。日本的な猥雑さだ。横須賀はインターナショナルな街だが全然、洒落た街ではない。青山よりも六本木、銀座よりも新宿に近い。いやもっと粘質でウエットな街である。
 私はB級グルメが好きだ。B級グルメという言葉ができるずっと以前からB級グルメファンである。ラーメン屋が2軒ならんでいたら、かならず汚い店を選ぶ。居酒屋が2軒あれば、古い方の店に入る。
 横須賀はB級グルメ店の宝庫である。観光客目当てのハンバーガー屋や海軍カレーの店は素通りする。ああ、でもハンバーガーは結構おいしいと思う。ただちょっと高い。かなりサイズが大きいが、ひとつ1300円ぐらいするんだもん。マックの倍以上だ。B級グルメファンとしては、あまり食指が伸びない。
 今までいくつかの店を発掘した。かなりレベルは高かった。今回は以前から入りたいと目星を付けていた店に入ってみることにした。目的地は市役所前の公園脇に立つ“岩松”。B級グルメ界の有名ブログ「恰幅の良い彼」でも絶賛をしていた店だ。
 恰幅の良い彼が頼んだ海鮮天丼を注文した。値段は700円。普通の天丼が530円だったので、注文の際は少し躊躇してしまった。しかし今回は、思い切ってど~んと、豪勢にいってみた。
 凄いのが出てきた。地元で取れたアナゴが中央に起立している。どんぶりも普通より一回り大きい。これで700円なら、断然安い。
 結構、女性客が入っていて、多くが海鮮丼を食べていた。いや、凄いですね。女性の方々。よく食べられる。私は比較的大食いだが、かなりお腹にこたえた。まったく問題なしの満腹感であった。
 味は、B級グルメらしさを貫いていたと言っておこう。都内なら“いもや” かな。ちょっとそれよりは上かもしれない。

 食べ終わって店を出たのが午後1時。夕食は午後8時であった。でも夕食時まで、しっかり濃厚な油が胃の中で蠢いてました。B級グルメ、恐るべし。やっぱり横須賀はよい。

岩松の海鮮丼
これがあなごタワーだ。食べ終えた後は、ゲップ連発間違いなし!



陸運局に行って来た


 車の名義を書き換えに、陸運局へ行って来た。神奈川の陸運局は横浜市の港北にある。家から車で出かけた。免許を取ってから、初めての遠出である。
 久しぶりに高速に乗って思ったのだが、高速料金って高い。逗子インターから第三京浜の港北インターまで、4回も料金所があった。合計で1500円かかった。電車で行くよりも、高速代だけではるかに高い。これじゃ、若者が自動車に乗らなくなるはずだ。
 民主党は日本全国の高速料金を無料にするとマニュフェストに謳ったが、実現したのは熊しか歩かない田舎の高速ばかり。首都圏はまったく手付かずである。自分で車を運転しないときですら、高速料金の無料化には賛成であった。米国滞在中にフリーウエーの有り難味を知っていたので。これではせっかく車を買ったが、あまり使わないことになりそうだ。
 民主党よ、ぐずぐずせずに早く高速を無料化せよ。約束は守るものだ。すれば景気も上向くよ。まず与えることから、関係は生まれるのだぞ。そして大きくなって返ってくる。

 陸運局はやはり役所であった。広い敷地に建物が散在しているのだが、ルートが滅茶苦茶であった。1番の建物から2番へ行き、続いて3番へ。番号は順番どおり。しかし配列が順番になっていない。1番と2番は遠く離れていて、3番は1番の隣。
 さらに経路が書いてある地図が一箇所しかない。それも2番の建物の前だ。私はたまたま2番の建物に最初、入った。だからすぐに地図を見つけることができた。でも1番から入ったら、どこが2番か分からない。
 もっともひどかったのは書類の書き方の指示がないということ。あらかじめ6枚だか7枚だかの書類を用意していった。それ以外にさらに、陸運局に置いてある書類を3枚記入した。その用紙の記入例がない。いやあるのだが、とても分かりにくい。どこに何を書いていいのかが指示されていない。ただ用紙の一部が拡大されて、その部分のみ記入例らしきものがある。しかし他の箇所は書かなくても良いかというと、そうでない。却って混乱する記入例である。
 それと案内の人間がいない。私は少々図々しいと思ったが、長い列の先頭に一瞬顔を突っ込み、受付の女性に尋ねた。先頭で待っている人は嫌な顔をしたが、しょうがない。分からないんだもの。銀行だったら、必ず案内がいる。ちょっと困った顔をしていれば、向こうからやってくる。
 これだけサービスが悪くて、費用が安いかというとそうでもない。3枚の書類はなんと有料である。申請には印紙も買わなくてはならない。2千数百円かかった。
 ちゃんと料金も徴収して、用紙は有料で、あれだけサービスの質が低い。民間に同じことをさせたならば、きっとより安く、分かりやすいシステムを構築するだろう。あのような書類の受け渡しのみの業務は、民間に委託すべきだろう。役所が励行する意味がない。
 用紙をすべて記入するのに一時間以上かかった。列に並ぶと、運よくたまたまほとんど人がいなかった。すぐに受け取ってもらうことができた。受付の人はきちんと対応してくれた。忙しそうでもあった。ただ受け付けの後ろのスペースには人が沢山いて、なんだかゴチョゴチョしている。あんなに人が必要なのだろうか。銀行でも後ろにゴチョゴチョ人がいるから、きっと必要なのだろう。でもあれだけ人がいるなら、ひとりぐらい案内をしてくれても良さそうなのだが。
 しかし困っている人間は私以外、あまりいなかった。それは皆、慣れているからだ。ほとんどが業者らしき人であった。
 私はたまたま時間があって、お金がない。だから自分で名義の書き換えをしに行ったが、通常はディーラーや整備工場に任せるのだろう。私も次は人に依頼したいと思った。あの時間と労力はまったく無駄である。その分、自分の仕事をした方がよい。餅屋は餅屋だ。依頼すると2,3万円かかるようだが、その分稼げばよいのだろう。次はそうしたい。そうできる立場でいたい。

 帰りは高速代をけちって、下の道を使った。当然、わが車にはナビなる文明の利器はない。あるのは数年前に買った神奈川県の地図のみだ。行きも高速のマップをしっかり事前に頭にインプットした。帰りも凡そをインプットして出発した。途中、2,3箇所本来走ろうと思っていた道からそれてしまったが、ほぼ最短距離で帰ることができた。道も覚えたし、頭も使ったし、楽しいドライブであった。
 平日の昼間は空いていて、1時間半程度で帰ることができた(行きは1時間ぐらい)。
 
 これで晴れて横浜ナンバーである。めでたしめでたし。




主夫は忙しいのだ


 お気楽な主夫生活を夢見ていた。それが実現した。しかし現実は甘くない。主夫は忙しかった。
 朝は4時半に起床する。これは今までとほぼ一緒。だからへっちゃらである。でも、ちょっと眠い。以前は早く寝ていたが、今は少し遅い。それで睡眠時間が減ったからだ。でも6時間は寝ているので、以前のサラリーマン時代よりましなのだが。
 4時半に起きると、ストーブを付ける。うちは円筒型の灯油ストーブなので、ちょっと時間がかかる。でも暖かい。それから、かみさんの朝食を作る。かみさんは支度に専念してもらい、私が朝食を作るのだ。これは以前からの約束であった。朝食はいつも大体同じ内容である。だから、これは大したことがない。ごはんに味噌汁、納豆、糠付けがメイン。それと夕べの残り物。今朝は切り昆布の煮物であった。そして締めはヨーグルトにフルーツを刻んで入れたもの。今朝はキウイ。
 続いてフクちゃんと大チャンのご飯。三人がご飯を食べている間に自分の着替えと、髭、ヘアのセット。外出はしないのだが、髭の手入れと髪のセットは必ずするようにしている。これをしないと、全てにだらしなくなりそうなので。
 次は猫のトイレ掃除。終わると洗濯。今朝は天気が悪かったので、しなかったが。今までも洗濯はしていたが、2人分だと思ったより多い。前は週一で済んだが、これからは晴れている日は毎日しなくてはならなくなりそうだ。
 そんなことししているうちに、かみさんは電動自転車に乗ってご出勤。
 ようやく自分の食事となる。食事が済んだら、食器の後片付け。
 朝の主夫の仕事はこんなものだ。書くと、そう大したことがないね。でも結構、追いまくられる気分だ。すぐに慣れると思うが。
 
 昼は自分の食事を作り、ついでに夕飯の下ごしらえをする。昨日はご飯を炊いて、味噌汁と切り昆布の煮物を作っておいた。
 ただ主夫ならではの楽しみもある。昼食を食べながらテレビが見られることだ。これは勤め人にはできないことだろう。今は12時からケーブルで「ビバリーヒルズ青春白書」を見ている。英語で聞いているので、理解度は半分程度。でも面白い。自分で作った昼飯をテレビを見ながら食べる。主夫の醍醐味を感じる時間だ。
 後は、買い物か。これは毎日ではないが、2,3日に一度は行かなくてはならなそうだ。今までも週に2回は行っていたが。ちなみに近くのスーパーでは、真昼間にしょっちゅうやって来る中年男として顔は割れているようだ。レジのおばちゃんはみな、私のことを知っている。話しかけてきたりもするよ。買い物籠をぶら下げた中年男としては、ちょっと恥ずかしい。そうそう、レジのおばちゃんだけでない。近所のおばちゃんにも話しかけられる。こちらは何でいつも昼日中にほっつき歩いているのか、興味津々の眼差しで話しかけられる。だから、なるべく知った顔を見たら、気付かれる前に逃げることにしている。

 夜は風呂の掃除と風呂沸かし。それから本格的な夕食の支度。昨夜はサンマの干物を焼いた。
 夕食の支度を済ませ、風呂に入り、一杯やりながら、かみさんの帰りを待つ。ちょうどビール一本、日本酒一合を飲み終えた頃にかみさんが帰ってくる。そして一緒に夕食を取る。

 私の主夫業は、こんな感じだ。
 当然、その間仕事をする。そう、主夫業の間に仕事をしているのだ。仕事の間に主夫業をしているのではない。主夫業がど~んと、真ん中にあって、端っこに翻訳がある感じだ。

 こうして私の主夫としての一日が過ぎていく。慌しい。本当はもっと余裕を持って望みたい。本も読みたいし、散歩もしたい。今年は梅干を作るつもりだ。家庭菜園や園芸もしたい。でも今のところ、余裕はない。早くなれて、スピーディに効率的に主夫業をこなさなくてはならない。主夫業もスキルが求められるのだな。


神経鞘腫体験記(12) 頭痛な日々


 神経鞘腫体験記の続きである。とても短い。医者の言うことを聞かずに、体を動かした結果、頭痛で書く意欲がなくなったのだ。

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【入院日誌】2007年5月14日

 木曜日も脊髄検査以来、頭痛が続いています。横になっていると楽なのですが、おきると後頭部から首の後ろが傷みます。こうしてPCに向かっていても、痛い。起きてPCに向かっていられるのは10分が限界です。
 寝ていれば楽なので、今日も“寝”中心でいきます。


本日の検査
なし

本日の食事
【朝食】高野豆腐&インゲン、野菜の煮物、おふの味噌汁、ごはん200グラム、牛乳200CC
【昼食】煮魚、サトイモの煮っ転がし、枝豆、ごはん200グラム
【夕食】大根と豚肉の煮物、もやしとキュウリの和え物、ごはん200グラム、蜂蜜ゼリー


 今日もレンタルDVD。昨日の続きの「ハリーポッター」でした。サブタイトルはメモを忘れましが、Vol.4です。昨日のVol.3と比べると、こどもって成長が早いのが分かりますね。
 この子達を見ていると「小さな恋のメロディ」のマーク・レスターやシドニー・ロームを思い出します。あの子達は大人になってから見なくなってしまったけど、ハリー君たちはどんな俳優になるんでしょうね。

神経鞘腫体験記(13)へ

出版翻訳家への道1(マジ、目指します)


 翻訳家になりたいと思って会社を辞めた。辞めてもうじき2年になる。その間、わずかながら仕事が来るようになった。まだ糊口を凌ぐまでも届かない。蓄えを崩しながら、どうにかこうにか暮らしている。ほんと、質素な生活を送っているので、お金はあまり使わない。今のペースなら、しばらくやっていけそうだ。それに少しだが収入もあるし。だから余裕がまだあるうちに、本道を進まなくてはならない。ワインディング・ロードをぶらつくのは楽しいが、目的に視線を向け、ちゃんと近づいていかなくてはならない。出版翻訳家を目指すのだ。

 今の仕事はいわゆる実務翻訳である。主に英文で書かれたホームページの和訳をしている。これはこれで面白い仕事である。翻訳をするには翻訳内容をある程度、理解できなくてはならない。だから下調べが必要だ。たとえば去年はある難病を解説するホームページを翻訳した。100ページぐらいあった。症状や治療法、病因などが書かれてあった。図書館に通い、遺伝子関連や生理学の本を何冊か読んだ。社会的な意義も感じることができたし、知識も得ることができた。準備や訳をしながら、充実感があった。
 でも、これが目的ではない。会社を辞めてまで目指したものは、これではない。

 昨年はそれなりに、ほんとそれなりにだが、出版翻訳を目指して動くことは動いてみた。海外のサイトで訳したい本を見つけ、アマゾンで取り寄せて読み、企画書を書いた。正直に言おう。企画書を書いたのはたった2つだけだ。そのうちひとつは、合気道の仲間から紹介してもらった出版社に持ち込んだ。小さな出版社だったので、相手をしてくれたのは社長であった。感触は悪くはなかった。社長は販権がまだ買われていないかどうかを調べてくれた。もしまだだったら、出版化を考えくれそうな感じであった。しかし残念。販権は買われていた。
 もう一つの企画書はある病気の人の自伝についてであった。その病気関連の本を出版している出版社をネットで調べた。数社あった。片っ端から電話をかけた。1社が会ってくれることになった。喜び勇んで、その出版社に出かけた。これまた感触はよかった。もしやと期待した。しかし担当者から、後になって断りのメールが入った。
 当然、出版社は売り上げの見込みを考える。私には面白い本と思ったが、また担当者も面白いと思ってくれたようだが、それだけでは出版に結びつかない。ある程度、売れる見込みがなくてはならないのだ。その本の著者はアメリカではそれなりに有名な文化人である。でも日本ではほぼ無名だ。数冊が翻訳されているが、あまり売れた形跡はない。担当者はプロの判断で、断りを入れてきたのだ。仕方ない。
 2つの企画書を仕上げ、両方とも出版社に売り込みに行き、そして挫折をした。たった2社だ。もっと回れば結果は変わったかもしれない。でもこの方法で良いのであろうか。この方向で間違いがないのだろうか。逡巡した。そして方法を少し変えてみることにした。企画書でなく、翻訳そのものを持ち込む方法にだ。

 私は実務では、少しばかりの経験を積むことができた。でも出版はまったく未経験だ。もしそれなりの本を見つけ、それなりの企画書を仕上げたとしても、出版社は私に翻訳を任せてくれるだろうか。いわば素人の私に翻訳を依頼するだろうか。
 出版社はリスクを感じるだろう。ならば出版社のリスクを軽減してやろう。そう考えた。翻訳そのものを持ち込めば、内容もダイレクトに知ることができるし、私の実力も分かる。出版社のリスクを軽減できる。
 それとこれは出版社だけにメリットがあるのではない。私にもメリットがある。経験を積めるというメリットだ。果たして私は一冊の本を翻訳し終えることができるのだろうか。私自身が知りたかった。
 そして昨年の夏から秋にかけ、翻訳した。あるサーファーの自伝だ。やり終えました。一冊。ちゃんと翻訳できた。さあ、これをどこかの出版社に持ち込もう。
 そう思ったのだが。勇気が出なかった。いや、勇気じゃないかな。なんだか勢いがなくなってしまったのだ。言い訳だが、その頃から自動車免許の一発試験を受け始めた。不合格の連続だった。なんだか、意識がそちらに行ってしまった。そうそう、実務で大きな仕事も入った。年末からついこの前まで、ほぼこれで忙殺された。それで、そのまま。まる一冊翻訳した原稿はまだ私のPCの中にある。私以外、誰も目にしていない。

 いかん、いかん。これでは。もう会社を辞めて2年だ。2年目にはきっと一冊ぐらい翻訳できるのではないかと、甘い考えを持っていた。でもただ待っているだけでは、出版の機会はやってこない。こちらから歩まねば。
 この本も持ち込もう。きっと厳しい意見を言われるだろう。それも勉強だ。それともっと本を探そう。そして企画書を書こう。どんどん持っていこう。ちょっと恐ろしいし、不安だし、それに面倒だけど。

 ということで、「出版翻訳家への道」をスタートします。年内に出版を目指します。年内は無理だとしても、期間無制限で出版翻訳を実現させます。その軌跡を記していこうかと思います。このぐらい、自分に発破をかけないと、愚図ですから、おれ。これを奮起の材料に、出版翻訳家を目指していきます。


ぐうたら主夫日記


 大型企画(!?)の「自動車普通免許、一発試験合格への道」が終わった。そこで新企画、「ぐうたら主夫日記」を今日から始める。今までも書いていた日常的な話題であるが、ちょっと視点を変えて書いてみようかと思う。
 なぜ主夫日記かというと、今の自分って主夫なのではないかと自覚しているからだ。もちろん翻訳はする。だから職業を問われれば翻訳家であるが、しかし家事もそれなりにこなす。今までも家事をしていたが、独り身だったので主夫とはいえなかった。これまで同様に家事を続けるだけなのだが、それでもパートナーがいる。だから主夫だ。ただパートナーも土日は家事をする。それとウイークデーも、私の家事はいい加減である。遊び気分の家事である。だから“ぐうたら主夫”となる。

 パートナーなんて、なんか水臭い呼び名だ。リベラル系文化人みたいで、ちょっと嫌だ。毎回、呼び名に困る。まだ彼女は妻ではないからだ。来月、籍を入れる予定だが。それまでは同棲相手に過ぎない。ならばやっぱり“彼女”かな。いい歳した俺が、これもこっぱずかしいのだが。
 さて彼女は先週の金曜日に引っ越してきた。今年初めて東京に雪が降った日だ。彼女は都内の東部に住んでいた。引越しを彼女の家まで手伝いに行った。荷物は最小限にしてもらったので、赤帽で全て運ぶことができた。運転手の横に私が座り、逗子まで赤帽に乗って来た。彼女は後から電車で来た。
 都内はみぞれだったが、横浜を越えた辺りから雪に変わった。南下するにしたがい、雪は本格的になっていった。逗子の山々はすっかり白く覆われていた。
 雪の中、赤帽の運転手とふたりで荷物を運び込んだ。雨よりも良かった。雪は濡れない。払えば落ちる。それでも晴れには劣る。しかし運転手さんは、「雪の日に家に来るなんて、一生の思い出になりますね」と言ってくれた。きっと、生涯忘れることはないだろう。

 週末は家の片付けに追われた。本格的な生活が始まったのは月曜からだ。月曜は4時半に起きて、朝食を作った。彼女は5時45分に家を出て行った。新品の電動自転車に乗って。外はまだ真っ暗だった。
 月曜の夕飯は卯の花を作った。卯の花ってのを始めて作ったが、それまでこの名前を知らなかった。レシピで見て、初めて知ったのだ。煎ったおからを干ししいたけの出汁で煮詰めたものだ。ニンジンや野菜も入る。おからの定番である。卯の花とサラダ、メインはこの前作っておいたワラサのアラ煮である。それと味噌汁か。まあまあの出来であった。おいしいと言ってくれた。就寝は10時。翌朝が早いので、早く寝なくてはならない。
 火曜日。今日だが、外はまた雪で覆われていた。昨夜は雪だったので、彼女は電動自転車を駅前の駐輪所におきっぱなしで帰ってきた。だから、今朝こそ、自動車免許の活躍のときであったのだ。こんなときのために免許を苦労して取得したのである。ところがだ。考えてみたら、チェーンがない。もちろんスタットレスを履いているわけではない。ということで、彼女には歩いて駅まで行ってもらった。せっかくの免許の出番だったのに。本番に弱い私の面目躍如である。自慢にはならない。
 いやいや、免許の出番はすぐに来た。ひとりで逗子警察署まで車庫証明を取りに、その帰り逗子市役所まで印鑑証明を取りに行くのに、車を使ったのだ。今までどこへ行くのも自転車だった。今日も別に車を使う必要はなかった。でも、せっかくだから。
 ひさしぶりの運転(教官が横に乗っていないやつね)は、面白かった。市役所の帰りには西友まで行ってしまった。西友は家から歩いて3分だが、一度車で行きたかったのだ。逗子の西友は広い駐車場があって、ちょっとアメリカチックである。買い物の後は、カートを駐車場まで持ってきてかまわない。これもアメリカチックだ。このアメリカチックをやりたかったのだ。
 でも結局アメリカチックはやらなかった。ちょっとしか買わなかったので、気が引けたのだ。でも雰囲気だけ、楽しむことができた。
 
 そういえば逗子に出たついでに駅前の魚屋でアイナメを買ってきた。大きな切り身が3切れで350円であった。今夜はアイナメをぶつ切りにして、鍋にする予定である。日本酒に合うに違いない。

自慢のマイカー
本邦初公開。これがワシのマイカーじゃ。なんと外車である。中古で10万円であった!



自動車普通免許、一発試験合格への道(16)


 つい~に、合格。。路上試験に受かった。そして免許が交付された。

 昨年の10月19日から始めた「自動車普通免許、一発試験合格への道」、今回で16回目である。二俣川に行くたびに書いていたので、全部で16回、二俣川に通ったことになる。16回目でようやく免許を手にすることができた。
 過去、15回分を読み返してみると、今年の1月、あるいは2月までには免許を取得したいとある。昨年中に取る積もりでいたと勘違いしていたが、案外自分は冷静であった。読み通りの結果となった
 前回の「自動車普通免許、一発試験合格への道」で書いたとおり、免許取得には目的があった。雨の日に、彼女を駅まで送っていくことだ。免許を取得したのは2月10日。彼女が家に越して来たのは2月11日。ギリギリセーフであった。当然、狙っていたわけではないが、劇的なほどギリギリ滑り込みセーフであった。ホッとした。
 
 今回の路上試験はソツなくこなせたと思う。制限速度30キロは厳守し、ほぼ常に25キロから30キロを維持できた。左折では小回りを決め、路上駐車の脇を通る際には、3秒前にウインカーを出し、わずかばかりの車線変更をした。ハンドルは2時50分の位置で握り、坂道ではセカンドにギアチェンジをし、坂道発進ではサイドブレーキをちゃんと使った。多分、ノーミスであったと思う。隣の試験官がペンを走らせる様子は一度もなかった。
 そして今回は方向転換であった。苦手な縦列駐車ではない。ついていた。ところが好事魔多し。路上をばっちり決めて帰ってきたまでは良かった。試験場に戻り、同乗者(自分は後部座席にいた)から自分にドライバーが替わり、方向転換の場所まで走る際のことだ。なんとシートベルトの装着を忘れていたのだ。やっぱり上がっていたのだろう。途中で気付き、停止して装着した。当然、試験官は気が付いた。これで、もはや終わりかと思った。しかし試験官は何も言わない。そのまま方向転換の場所まで走り、方向転換をした。問題なく決めることができた。試験は終わった。
 試験官からの講評は「シートベルトは締めなくちゃね」だけだった。微妙だ。
 試験後、同乗者と話をした。同乗者は「合格ですよ」と言ってくれた。シートベルトを締めずに走った場所は“慣らし運転”の区間で採点されないと言うのだ。自分もそうではないかと思ったが。でも、あの講評だ。もしかして危険運転とみなされたかもしれない。危険運転は慣らし区間でもNGとなる。
 発表まで不安は続いた。しかし幸運にも同乗者と、二俣川自動車学校で特定講習を一緒に受けたパン屋さんがいて、3人で待ち時間を過ごすことができた。あまり結果を意識せずに過ごすことができた。
 いよいよ、発表である。私の受験番号は1番だ。試験官によっては発表の仕方が異なる。しかし通常は不合格者に次の試験日を告知し、合格者への通知は後になる。今回、私は呼ばれずに2番の受験者に不合格が言い渡された。その時点で、もしや、と思った。しかしまだ油断は禁物だ。不合格者全員への告知が終わった。改めて合格者の名前が呼ばれた。「山本さん」、しっかりと私の名前が試験官の口から出た。これで間違いない、合格である。今回はさすがに嬉しかった。仮免は5回目の試験で合格であったが、あまり嬉しさを感じられなかった。路上は3回目での合格であったが、歓喜の念がすぐに沸きあがってきた。一緒にいた同乗者とパン屋さんにガッツポーズを示した。二人から握手を求められた。でもあまり嬉しさを出さない方がよいと気が付いた。2人は不合格であった。

 10月半ばから始まった自動車普通免許の取得がようやく終わった。約4ヶ月間の試練だった。試験は1週間に一度しかない。受けない週もあった。でも常に頭の中には試験があった。そんな呪縛からついに開放された。

 16回の長き期間にわたり、ブログを閲覧し、コメント、メール等で励ましてくれた方々、心から感謝します。みなさんのメッセージや言葉にはとても助けられました。

 さあ、これからは初心者マークですが、列記としたライセンスドライバーです。明日、陸運局まで車の名義変更に行ってくる予定です。中古で購入した車は春日部ナンバーですが、横浜ナンバーに変えます。
 週末には妻(まだ彼女)とドライブに行こうと話しています。逗子に越して5年ですが、車がなかったのであまり遠くには行っていません。三浦半島でも走りたいと思っています。今から、待ち遠しいです。



 本日の費用
 電車代 逗子→横浜 330円(JR) 
      横浜→逗子 330円(JR)
      横浜→二俣川 190円(相鉄)
      二俣川→横浜 190円(相鉄)
 試験車使用料    1,000円
 路上試験受験料  2,400円
 免許交付料     2,200円

 合計 6,640円

今までの合計 135,850円


出刃の切れ味


 昨年、彼女からもらったクリスマス・プレゼントは出刃包丁だった。変ってる? 今まではそれぞれが選び、当日相手に渡す普通のプレゼントだった。でも前回から私が提案して、自分の希望のものをもらうことにした。彼女とは付き合って、4回目ぐらいのクリスマスだから、そろそろネタが尽きてきたからだ。それで私は出刃包丁を所望した。
 逗子には良い魚屋さんがいくつかある。そこで私は、たまに魚を丸一匹購入する。タイとかワラサとかスズキとかだ。いつも魚屋で三枚におろして貰い、アラも別にもらう。アラは大抵、煮付けにする。ところが魚屋は忙しいので、アラの切り身が大きい。家で頭や背骨を細分化しなくてはならない。これが大変、手間であった。家にあるのは普通の家庭用包丁だけ。力を入れると、包丁の方が折れそうでこころもとない。それで出刃を欲しく思い、プレゼントでねだったわけだ。

 先週末、最寄のスーパーでワラサが丸ごと売られていた。普通のスーパーなので、珍しいことだ。大きさは50センチ程度。値段はなんと380円だった。思わず購入した。
 さて、初めての出刃の出番だ。キッチンの台の上だと、力を入れ過ぎると台が壊れそうだし(そんなことはないと思うけど)、ウロコが飛ぶ。そこで庭のテラスにまな板を持ち出して、魚をさばいた。
 初めて出刃を使った。出刃って凄い。もの凄く切れる。頭だろうが、背骨だろうが、一刀両断である。ウロコもゴリゴリ取れる。大変、下手くそながら、何とか三枚におろし、アラは別に取った。肉の部分は小さくなって、アラはたっぷり取れた。
 肉の部分は当日は刺身に、翌日は酢で締めて食べた。両方ともとても美味であった。自分でおろしたからかな。
一人暮らしなので当然であるが、一人で食べた。一人でワラサを一本買い、捌いて刺身にする男も珍しいかもしれない。珍しくてもよい。とても良いのだった。
 まっことお勧めです。380円で刺身と酢締めをたらふく食べ、さらにアラはまだ手をつけてさえいない。鍋一杯作ってある。きっと6,7人前はある。しばらくご飯のおかずには困らない。それに魚を捌くのは結構、面白い。

 ただ下手くそ極まり、手まで切ってしまった。ほんのちょっと刃に触れただけなのだが、スパッといった。幸い怪我の程度は大したことがなかったが。今後は要注意である。

 こういう内容は写真で取らなくてはと気付いたのは、刺身をつまみながら一杯やっていた時であった。次回はお伝えしたい。

 そうだ、私からのプレゼントはレニングラード国立バレー団のチケットであった。演目はクルミ割り人形。バレーを見たのは二回目だが、これもとても良かった。
 それと1月の誕生日のプレゼントは梅干を漬ける甕をもらった。大人が一抱えするほどの立派なものだ。これも私の希望である。


恥ずかしい話


 今日は恥ずかしい話を書く。書くかどうか迷ったのだが、自分の記録にもなるので書くことにする。

 先週の土曜のこと。朝、トイレで大きい方をした後、トイレを覗いた。みなさん、朝、大きい方をした後、自分の分身を見ますか? 私は見る。それは嘗ての自分の体中にあった物質に親しみを覚えるからである。「これで君らとは別れになるが、短い期間であったが、我が体の中にあってくれて、ありがとう」そういう、気持ちと眼差しで、その物質を見るのだ。というのは、ちょっと嘘で(少し本当)、健康状態を知るために見るのだ。
 そうしたら、我が同朋が血まみれだったのだ。なんじゃ、こりゃ。
 正直な話し、ちょっとした血は今までもあった。でも今回は血まみれである。当然、最初は痔を疑った。でもお尻は全然痛くない。ということは?

 土曜だが近くの病院が午前中だけ開いているのは知っていた。それですっ飛んでいった。
 近くの病院の医師に詳細を説明すると、自分では分からないのでと、鎌倉の病院を紹介された。そして、今からすぐに行くようにと指示を受けた。それでその病院からタクシーを飛ばし、鎌倉ヒロ病院というところまで行った。そこも午前中だけの診察であったが、間に合った。
 そこで見てくれたのは、腕の良い先生として評判の高い佐藤先生であった。専門は肛門。
 すぐに診察室に通された。ニコニコ笑顔の佐藤先生は私のズボンを降ろし、いきなり太い指を私の肛門につっこんだ。これこそ、なんじゃこりゃ、だ。痛いし、変な感じだ。変な感じというのは、気持ちいい感じではない。実際、ちっとも気持ちよくない。当たり前か。でも気持ちいいという感想も聞いたことがあったので。

 結果、ある事実が判明した。実は私は“じぬし”だったのだ。2つばかり不動産でなく、核があるという。
 核の存在はやはりショックであった。北朝鮮の核も恐ろしいが、私も知らぬうちに核保有者となっていた事実も恐ろしい。
 それともうひとつ、恐ろしいことが。出血の理由が核にあったとは断言できないという。私の場合、痛みもないし、核も小ぶりだ。そこで大腸を内視鏡で見ることになった。

 本日、朝からまた鎌倉ヒロ病院に行ってきた。
 土曜に佐藤先生のぶっとい指が挿入されたときには、思わず声を出してしまった。今回はもっと長いスコープである。どんだけ、痛いだろう。
 結果はちっとも痛くなかった。お腹の中をスコープが走り回る違和感があったが、痛みはなかった。

 自分の腸の中を始めて見たが、とても綺麗であった。ついさっきまで、ウ○コが格納されていた場所とは思えない清浄さであった。
 そこで思ったのは、人間の体って不思議だというもの。だって下水管なんか、とても汚いではないか。大腸はいわば体内の下水管である。それももう50年近くも使い込まれた下水管だ。それなのにとっても綺麗。日々、飲酒で酷使されているのもかかわらず、とっても綺麗。私はお尻を出しながら、目の前のモニターに映る我が大腸に向って心の中で思わず「いつもぞんざいに扱ってばかりなのに、こんなに綺麗いてくれて、ありがとう」と呟いていた。

 なんだか取り留めのない話になってしまったが。大腸検査の結果はシロであった。とても綺麗な腸だと医者に言われた。「大腸くん、先生に誉められたよ。よかったね」だ。

 そして最後の結論。あの出血はやはり核の影響であった。まだごく初期であるとのこと。軟膏を7日分もらった。
 スコープを入れるとき、空気で腸を膨らませるのだが、その空気がお尻からでる。今もPCに向いながら、オナラが一杯出る。これは中々気持ちがいい。


自動車普通免許、一発試験合格への道(15)


 二回目の路上実技を受けてきた。またしても不合格だった。
 今回はかなりうまくできたと思った。路上ではほぼノーミスで来たと思う。横の試験官が採点表に書き込む気配は一度しか感じなかった。多分、減点はそのひとつだけだ。90点ペースだ。
 路上から戻り試験場の敷地内に。そのまま縦列駐車の場所まで行くように指示された。やったー。少なくとも路上はうまくいったようである。
 今回は縦列駐車である。免許を持っていた頃から一番苦手なスキルである。ついていない。
 二俣川自動車学校(非公認の私立の自動車学校)で、縦列駐車は何度も習った。細かいテクニックも教わってきた。左後ろの三角窓の枠と端のポールが重なったら、左に思い切りハンドルをきるだの、どうのこうの。教わったテクニックを思い出しながら、忠実に再現しようとした。ところが。
 焦った。試験の車の左後ろには三角窓がないのだ。後部座席の側面のガラスは一枚きり。三角で仕切られていない。これじゃ、枠とポールを重ねられない。しかしそこは何とか、イメージでクリア。ところが同じような想定外の出来事が続出。すっかり舞い上がってしまった。案の定、一発では駐車位置に決めることはできなかった。試験官に切り返しをしても良いかと尋ねると、3度まではOKとのこと。それで、2度ばかり切り替えしをした。結果は、きっちり停めることができた。もしかして、、、。これって、合格かもという思いが頭によぎった。

 試験が終了し、試験官から講評があった。
 「縦列駐車で、後方確認がまったくできていないよ」
 「は? したと思いますが」
 「いや、全然だめ。まったくできてないよ」
 なんと面妖な。ちゃんと二俣川自動車学校で教わったとおり、後方確認を行ったはずだ。なのに、全然できていないとは。
 よく聞いて理由が分かった。最初のバッグの際は、ちゃんと確認をしていた。しかし切り返しをしてバックしたときには確認をしていなかったそうだ。そんな? なぜ? 切り返しするごとに、後方確認をする必要があるの? いやきっとあるだろう。私が言う後方確認とは、ワザとらしい目視の確認のことだ。そんなの、最初だけでいいんじゃない。それに切り返しをした後も、ちゃんと後方確認をしている。ワザとらしくない奴をだ。当然だろう。後方確認をしていなくて、なんで縦列駐車ができるのだ。後ろを見ながら、バックしたじゃない。バックミラーも両方、ちゃんと見てたよ。
 しかし、そこは運転免許の試験場という異常な世界である。世間の常識は通用しないのだ。彼らだけが知っていて、外の人間には珍妙に思えるルールがあって、受験者はそのルールを正確に遵守しなくてはならない。今回、私は縦列駐車で切り返ししたときにもワザとらしい目視をする、という異常世界のルールを知らなかった。だから落ちた。

 でも結果がでるまで、実はちょっとは期待していた。というのも、前回同乗した女性も、試験官からバックのとき(そのときは方向転換)、後方確認ができていないと言われていたにも拘わらず合格したからだ。しかし結果は無情なものだった。きっと試験官の違いだろう。前回の人なら、きっと受かっていたと思う。異常世界のルールは実はちっとも厳格ではないのだ。試験官ごとに異なる、かなり恣意的なものなのだ。だから運も相当大きい。

 あーあ、また落ちてしまった。次回はどうしても受からなくてはならない。本当に、受からなくては困るのだ。
 実は明かしていなかったが、免許証を取りたいと思ったのには理由がある。結婚すると以前、ブログで書いたが。来週の週末に彼女(妻?)が引っ越してくるのだ。彼女(まだ入籍前だから、やはり彼女ですね)は小学校の先生で勤務校はとても遠い。朝は早くて、まだバスが走っていない。普段は自転車で逗子駅まで通う予定だが、雨の日には車で送ろうかと思っているのだ。
 実は先月、車も買った。彼女は来週来る。でも免許がない。雨が降ったら、どうしよう。30分も雨の中を歩かせるのはかわいそうだ(私はだいたい雨でも雪でも歩いてましたから、やればできると思うけど)。
 来週、木曜日が次の試験である。合格するとその場で免許がもらえる。彼女は金曜日に越してくる。受かればギリギリセーフだ。受からなかったら、どうしよう。雨が降らなければ、いいけど。
 だから絶対、次は合格しなくてはならないのだ。


本日の費用
 電車代 逗子→横浜 330円(JR) 
      横浜→逗子 330円(JR)
      横浜→二俣川 190円(相鉄)
      二俣川→横浜 190円(相鉄)
 試験車使用料    1,000円
 路上試験受験料  2,400円

 合計 4,440円

今までの合計 129,210円


三木谷浩史の英語と楽天の英語戦略


 夕べ、CNNの“トーク・アジア”という番組に、楽天の三木谷浩史が出演していた。
 三木谷氏の英語だが、初めて聞いたが思ったよりもうまかった。話した内容は、楽天の社内英語戦略と事業展開についてで、おそらく百回も話してきたことだから、洗練されていたのだとは思うが。
 発音は普通の日本人英語。語彙は、思ったことがいえる程度には十分。言い回しもこなれていた。難点といえば、早口になり勝ちなところ。おそらく、日本人英語に慣れていないネイティブ・スピーカーならキャッチできないだろうワードが結構あった。あと、“you know”が多過ぎる。口癖なんだろうな。ちょっと耳に障った。でも、全体的には自分の思ったことをほぼ完璧に話せるレベルだと思う。
 番組で知ったが、三木谷氏は日本興行銀行からハーバードに留学している。ハーバードではちゃんと勉強していたんだね。少なくとも、話好きのようだから、クラスメートとは相当ディベートはしたんだろう。
 こんなこと、書いていると、私の英語のカンバセーションは相当のように思われてしまうだろうが、私のは大したことがない。リスニングも全然で、CNNも半分程度しか理解できない。昨夜の三木谷氏のインタビューは100%分かったが。だから、偉そうに人の英語を批評する立場ではない。しかし個人的なブログだから、ご容赦願いたい。格闘技の素人がヒョードルの敗戦を批評するようなものである。

 次に楽天の社内英語戦略である。もう色々なところで議論されていることなので、今更なのだが。結果から言うと、私は大いに進めてもらいたいと思う。自分が若くて、サラリーマンをやっていたなら、何年間か入ってみたいと思う。何年間ってのは、あまり長くいられる雰囲気ではないように感じたから(会社の雰囲気が悪いというのではないですよ。私には勤まらないという意味です)。
 今、朝はお茶を飲みながらニューヨークタイムズを読み、昼はランチを取りながらCNNのニュースを聞き、夜は一杯やりながら「アメリカンアイドル」を見ている。仕事では英語サイトを読み、インターネット上ではほとんど日本にいない。日本の田舎にいながら、意識と頭はアメリカやイギリス、あるいは英語上のバーチャル世界にあることが多い。そんな自分から見ると、東京の方が遠く霞んでいる。
 私の仕事が翻訳という特殊なものだから、という訳ではないと思う。情報世界においては、英語がスタンダードであることが確立しているからだ。ビジネスやアカデミックな世界では、とくにそうだろう。
 私がかつて勤めていたのは新聞社という、これこそ特殊な企業であった。商品は日本語そのものだ。海外との取引はほとんどない(外信があるけど)。海外からの参入の可能性はほぼゼロで、海外へ進出する可能性は確実にゼロであった。だから社員の意識としては、英語や海外は自分の世界にはなかったと思う。
 しかし一般企業は違うだろう。閉塞した日本市場だけで、今後もやっていこうと思っている企業はそうないに違いない。海外からの参入も激しい。ビジネスパートナーは海外企業で、使用言語はもちろん英語だ。
 だが、そんなビジネスの世界でも、やっぱり日本にいる普通のサラリーマンにとっては、海外は海の向うで、英語はできれば近づきたくないものだろう。
 だけど、もうそれじゃやっていけない時代なんではなかろうか。ビジネスの世界では英語が共通言語であることを認め、あるいは英語というコミュニケーション手段を共通基盤とする世界にいることを受け入れなくてはならないと思うのだ。

 私の英語は大したことがないが、それでもちょっと時間をかければ海外のサイトは読めるし、ニュースも半分ぐらいは分かる。これだけでも世界は広がる。そして意識も変ってくる。
 小沢がだだをこねて権力の座にしがみ付いたり、引きこもりが社会問題になったりする世界とは違う世界が、すぐ外にあることに気付くようになる。そしてその世界から隔離された生活を続けることは困難であることも直感できるようになる。

 前も書いたが、だからといって義務教育を英語で受けさせることには強く反対する。日本語はこれからも守っていかなくてはならない。古文や漢文は、もっと学ばなくてはならない。英語は現代という社会の横をつなぐツールだが、古文や漢文は歴史という社会の縦をつなぐツールだから。
 あくまでビジネスやアカデミックな世界のみでだ。英語をスタンダードにすべきなのは。

 楽天は従業員の1割だか2割だかも外国人にするという。社内の会議は英語だそうだ。今、そのニュースに触れた大方の日本人の目には珍妙に写っているのだろう。
 しかし20年後には、どうなっているのだろうか。賢明な日本人である。世界の潮流をうまく乗りこなし、英語も、それなりに使いこなしているのではないだろうか。奈良、平安時代、いや徳川の時代までの公式文書はすべて漢文という中国語でかかれていたんだ。現代人だって、やればできる。それにやらなくちゃ、ならなくなる。


神経鞘腫体験記(11) 怖い話


 今日は神経鞘腫体験記の続きである。今回の入院日誌は、ちょっと背景の説明が必要である。

 この日(2007年5月13日)、私は朝から頭痛に苦しんでいた。吐き気もしていた。それはそれは、とても気分が悪かった。それには理由があった。
 その2日ほどまえ脊椎に造影剤を注入してCTを撮影した。造影剤を注入すると脊髄の圧が通常より高くなる。脊髄は脳と直結しているので、刺激が加わると脳内の圧も高まる。脳内の圧が高まると、気分が悪くなるらしい。そこで安静が求められるわけだ。ところが私は、脊椎注射をした翌日、そのときは気分が悪くなかったので、屋上まで階段を駆け上がり、屋上で腕立てと四股のトレーニングを数十回したのだ。入院から毎日、続けていたトレーニングで、その日もいつも通り実施したのだが。
 そうしたらバチが当った。医者からは安静を求められていたのにも拘わらずに、勝手な行動をとった報いが来たのだ。
 トレーニングの数時間後から猛烈な吐き気と頭痛が襲ってきた。吐き気と頭痛は、その後1週間も続くことになった。
 さて、そんな無茶な背景があることを念頭に、5月13日の入院日誌をお読みください。

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【入院日誌】2007年5月13日

 昨日は頭痛が止まず、このメールを書き終えることができませんでした。今日は続きを書き、お送りします。

 一昨日、回診でナースさんがやってきたときです。
 「手術のことで質問があるのですが」僕は以前から疑問だったこと、でもなんとなく聞くことが憚れていた質問をぶつけてみることにしました。
 「ちょっとあるひとの書いた文章を読んだのですが」
 「なんですか」いつもの笑顔です。ここのナースさんは大抵笑顔で患者と接するのです。
 「あのですね。あるネットで読んだのですが」僕は入院が決まってから、病気のこと入院のこと、手術のこと、そんなことを調べるためにかなりの数の病院や医者、患者のホームページやブログを読んできました。そのなかのひとつに、ある患者の体験談がありました。

 「麻酔が途中で醒めるってことがあるようですが、本当ですか」
 体験談の方の病名は忘れてしまったのですが。なにかの大きな手術を受けられたときの話です。
 その方は手術を何回か受けたことのある、いわば手術というか被手術のベテランです。だからといって気軽に手術を受けた訳ではないと思いますが、それでも割りと冷静に準備を整え、ベッドに乗せられ、全身麻酔を打たれて、手術室に向かったようです。
 暫くして、意識が戻ってきたとのことでした。この方は被手術のベテランですから、自分が手術を終えて全身麻酔から醒めるときの感覚を知っているのです。それで、「あ~、手術が終わったんだな」と朦朧とする意識の中で思ったそうです。ところがです。なんだかいつもとちょっと様子が違う。いやいや、かなり様子が違うことに気付きました。なぜなら体が痛い。術後で痛むのは当たり前で慣れてはいるものの、いつもの痛さと違うのです。ものすごく痛いのです。それは我慢のできないほどの激痛だったそうです。
 そこでその方は状況を悟ったそうです。まだ手術中だという状況を。
 そこの辺りはあっさり書いてあるのですが、これはこの上ない恐怖だったと思います。目覚めると誰かが自分の腹を割いているですから。
 その直後、何やらバタバタした気配を感じたようです。きっと意識が回復しつつあることに周りが気付き、麻酔を追加したのでしょう。じきに覚醒の世界に戻っていきました。
 その体験談は底知れぬ恐ろしさを僕に与えました。そして自分の身には絶対起こって欲しくない。

 それで聞いてみたのです。「麻酔が途中で切れることなんか、ないですよね」と。
 「えっ、そんなことはないと思いますよ」軽くおっしゃります。
 「でも、読んだんですよ。それに僕はどうも麻酔が効きにくいタイプみたいなんですよ」
 「ふうん」ぼくは食い下がりました。 
 「いや、本当です。以前、親知らずを抜いたときも麻酔注射が効かなかったんですよ」
 そうなのです。僕は下の親知らずを2本とも手術で抜いたのですが、麻酔が効かず2本も余計に注射されたのです。その間の痛かったこと。きっと僕は麻酔の効きにくい体質なのです。
 すると「大丈夫ですよ。ちゃんと麻酔医も立ち会いますから。それに手術中麻酔が切れたなんて、聞いたことないですよ」と、嬉しいことをおっしゃる。そうなのか。ナースさんが聞いたこともないことなのか。じゃあ、心配する必要もないとこなんだな。ナースさんに聞いてよかったと安心した次第です。

 ナースさんが去ると、隣の隣のベッドのKさんがベッドに横たわりながら、ニコニコして話しかけてきました。
 「山本さん、随分心配してますね」
 「あ、はい。なんかそんな話をインターネットで読んだもんで。しかしそんなことめったにあるわけじゃないみたいです」と、自分の臆病さが恥ずかしくなって、Kかんの温顔に答えました。
 「やぁ、わかります。心配になりますよね」なんだかKさん、嬉しそうにおっしゃいます。
 「でも心配してもしかたないですよね。そんなありえないようなことを」僕もベッドに横たわりながら答えました。するとKさんは僕の目をみて、少し表情を厳しくしました。
 「ありゃ、痛かったです」
 「は?」僕は聞き返しました。
 「わたしも以前、手術中に麻酔が切れたことがあるんですよ。ありゃ、痛いですよ」と驚がくの発言をされました。
 Kさんによると、Kさんの場合は局部麻酔だったようです。途中で麻酔が切れてどうにもたまらず、麻酔注射を追加してもらったそうです。
 現実はすぐ近くにありました。杞憂なんかじゃない。
 Kさんはニコニコと怖い話をされ、話し終えると背中を向け眠ってしまいました。



12日の検査
検査はなし。術後の食事と洗面の練習あり。

本日の検査
検査なし。
術後のコルセットのつけ方練習。側臥位・起立の練習。絆創膏テストの判定。


12日の食事
【朝食】スクランブルエッグ、カリフラワーほかのサラダ、トースト2枚、マーガリン、牛乳200cc
【昼食】煮魚(ムツ?)、白菜の煮物、キャベツの味噌汁、ごはん200グラム
【夕食】豚肉のすき焼きみたいなの、インゲンの胡麻和え、ごんぶ巻き、ごはん200グラム

本日の食事
【朝食】ロールパン2つ、ツナサラダ、野菜スープ、牛乳200cc
【昼食】三色ごはん200グラム、なすの煮物、豆腐の味噌汁
【夕食】豚肉とピーマンの生姜炒め、カボチャと野菜の煮物、オレンジ半分、ごはん200グラム


 昨日は頭痛で映画鑑賞する気になれず、映画鑑賞はなしでした。
 本日は「ハリーポッター(アズガバンの囚人」です。みなさん、内容はよくご存知だと思いますので、内容についてのコメントは書きません。ただひとつ気付いたこと。ハリーくんて、この回は13歳らしいのですが、なんだか“ヨン様”化しているように思いました。映画を見ていて、終始ヨン様とオーバーラップしてしまい、困りました。

 今日もまだ頭痛が残っています。早く直るといいのですが。では、また。

神経鞘腫体験記(12)へ

空飛ぶ自動車“テラフージア”


 ラジオ英会話を聴いていたら、教材のニュースが「空飛ぶ自動車“テラフージア”」についてのものだった。これを聞いて始めて“テラフージア”について知った。すごい、発想だ。アメリカ人、恐るべし。
 昔からアニメの中には空飛ぶ自動車は登場する。「マッハGoGoGo」も確か、ピンチでは空を飛んでいたと思う。だから以前からあったシンプルな発想なのだが、それを実現化しようと思うところがすごいと思う。
 ちょっと調べたら、何でもアメリカでは20時間の講習を受けるだけで、この空飛ぶ自動車に乗ることができるらしい。そんなに簡単なら(日本の自動車免許取得より、百倍楽だぜ)、購入したいと思う人が多いだろう。実際、まだ予約段階だが、70人からすでに注文が来ているという。価格は1700万円。ベンツの高級クラスと同じ程度だ。
 問題はやはり、離着陸に滑走路が必要なこと。できれば、高速道路なんかから離陸できると便利だが、さすがにそれは無理のようだ。普段は羽を折りたたんでいるが、飛ぶには拡げなくてはならない。結構、横幅を取る。一般道では収まり切れない横幅だ。
 しかし最寄の飛行場までテラフージアまで行って、そのままフライトして、目的地近くの飛行場に着陸をする。帰省なんかで使えると、すごく便利だ。動画がユーチューブにアップされているが、これを見ていると、将来はこん空飛ぶ自動車が一般化して、空が自動車で一杯になる日も遠くないような気がしてくる。
 私は高所恐怖症なので、無理だと思うが、でも使ってみたい交通手段である。




プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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