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いってきま~す


 昨日のブログでは、スーツケースを買ってきたら、翻訳をすると書いた。でも全然しなかった。できなかったのだ。
 スーツケースを買い、戻ってきてから書斎に入った。PCを立ち上げ、仕事をスタートしようかと思ったときに電話が鳴った。航空チケットを購入した代理店からだった。ちょっと苛立ったような口調で、25日のアリタリアの便が成田から出発しなくなった。代わりに関空から出る。本来はキャンセルは全額返済しないことになっているが、今回は向うの都合なので、全額払い戻しになる。関空へ行く場合は、15000円までは交通費を出す。どうするか?と尋ねてきた。苛立ちたいのはこっちの方だ。しかしこのお兄ちゃん(若い男性であった)、きっと同様の電話を何件も掛けていて、その度に客と喧嘩になって、それでこの口調なのだなと考えた。そこで落ち着いた口調で、理由と詳細を聞いた。こちらの口調に引きずられるように、お兄ちゃんの口調も段々柔らかくなってきた。そして、最後は「すみません」といった。

 予定では成田発は10時の便であった。それが関空になり、出発が14時になった。間に合わない時間ではない。本来は要件だけで済むところを、お兄ちゃんは新幹線と関空まで乗り継ぎの“はるか”の時間も調べてくれた。8時に東京を出れば、間に合う。もとから逗子を朝の4時半に出発しようと考えていたのだ。8時東京なら、それよりも遅い。しかしよく聞くと、座席は指定できないらしい。つまりバラバラに座ることになるかもしれない。まあ、それも良いかとは思ったが、一応新婚旅行だし。なるべく一緒に座った方がいいだろう。そのためにはどうすべきかを問うと、関空になるべく早く入り、そこでリクエストをした方が良いという。
 ということで、明日は新横浜7時19分の新幹線に乗って、関西空港まで行ってくることになった。

 それからが大変だった。お兄ちゃんの会社は国際チケットが専門で、新幹線のチケットは取れないらしい。お兄ちゃんによると、新幹線は結構、混んでいる。電話を切って、すぐにチャリンコを飛ばし、逗子駅まで行く。幸い、新幹線も“はるか”も指定席を取ることができた。
 逗子から戻ると、ローマのホテルを取ってもらった代理店に連絡を入れた。チェックインが2時の予定だったが、おそらく夜の9時ごろになる。ディレイの連絡だ。代理店は基本はネットのみの扱いだが、電話番号を調べてその旨を告げる。代理店だけだと心配なので、ホテルにも直接メールを送る。
 朝が早いので家までタクシーの手配をしておいたが、これも時間の変更を連絡する。

 これらを終えると夕方になっていた。結局、昨日は翻訳をすることができなかった。もうひとつの課題であるセミナーの提出物がまだ残っている。これからしなくちゃ、ならない。それが終わってから、旅行の用意だ。まだ何もしていない。

 猫を9日も置いていくことになる。留守の間は、母と妹、それと甥っ子が交互で面倒をみに来てくれる。
 うちには特別のルールがある。猫がなんでも食べたり、遊んだりしてしまうので。たとえばゴミ箱は常に空にしていなくてはならない。食べ物はキッチンやテーブルの上には置いておけない。バッグの中に食べ物やクスリを入れっぱなしにしてはいけない。猫がバッグを開け、あるいは食い破って、中のものを出してしまうのだ。それらのマニュアルをこれから作るつもりだ。こんなことも、昨日までに済ませておく予定だったのだが。すべて自分のだらしなさがためだ。最後に慌てるのは。

 さてということで、明日よりイタリア旅行に行ってきます。戻ってくるのは4月2日の予定です。その間、ブログは更新できないと思います。一応、かみさんがPCを持っていくので、時間があれば写真ぐらいはアップするかもしれませんが。メールは一応、見られると思います。何かあれば、メールでお願いします。
 ではみなさん、行ってきます。


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慌しい一日


 昨日は初めて、時間指定のトライアルというものを受けた。米国の某大手マスコミが在宅翻訳者を募集していて、書類選考には通り、トライアルまで漕ぎつけたものだ。 
 トライアルは通常は課題が送られてきてから、1週間程度で送り返せばいい。しかしここは、受験者が日時を指定して、その時間に課題が送られてくる。そして2時間後に翻訳文を送り返す仕組みだ。まるで試験と同じである。受ける前からビビッた。

 一昨日は少し早めに寝た。指定時間を午前10時にしていたので(午後は計画停電の予定であった)、体調を整えるためだ。かみさんを6時過ぎに駅まで送っていき、戻ってから机に向かった。まだ時間がある。ノンビリしようかと思ったが、その前の日に訳しかけていたニューヨークタイムズのコラムがある。続きをやることにすると、面白くて止まらなくなった。つい、1時間以上、みっちり頭を使う。終了して、これから本当にノンビリしようかと思っていたら、他のトライアルも明日(23日)が締め切りであることを思い出した。ちょっと見直そうかという気持ちになった。そこで改めてトライアルを見ると、なんと締め切りは22日の午前10時ではないか。あと、2時間しかない。週末に、大雑把に訳はしてあった。しかし見直しが必要である。見直してみると、随分修正が必要だ。焦りまくり校正し、できあがったのが、9時半である。完成原稿をなんとか10時前にメールで送る。

 という感じで、結局、本番のトライアルの前に、ニューヨークタイムスのコラムと、他社のトライアルの翻訳をして、頭はパンパン状態になった。そして時間がやって来た。2分前に原稿がメールで届いた。内容は経済関係のニュース記事であった。A4で2枚程度。結構な量である。終わるだろうか。
 訳し始めると、それほど難解ではない。普通、トライアルは難文というか悪文というか、読みにくい文章が多いが、これはとてもまともである。ただニュース原稿なので固有名詞が多い。人名や会社名、組織名はすでに日本語で定着している発音や訳がある場合は、それを採用しなくてはならない。それでネットで探す。すぐに見つかるものもあるが、ないものもある。ない場合は、自分で発音等を考えなくてはならない。
 一部、ビジネス英語ならではの表現に迷うものもあった。時間さえあれば、日本語の新聞記事や専門家の文章を探すことができる。しかし2時間という制約があるので、それができない。あてずっぽで訳していく。結局終わったのは12時ジャスト。それも見直しをしないでだ。きっと誤訳、訳抜け、誤字脱字があるだろう。しかし時間厳守が優先だ。きっと評価のひとつであるはずだ。断腸の思いで、下手くそな訳を送り返す。それでも3分ほど遅れてしまったが。

 昨日はそれから、産経時代の知人がくれた仕事を完成させた。これも午後一杯かかってしまった(計画停電は中止であった)。とても慌しい一日であった。しかしお陰で、懸案の仕事はほとんど昨日一日で終了した。終わってみれば、充実した一日であった。
 あと残るのはプロ翻訳家向けセミナーの課題だけである。実はもうひとつ、出版のトライアルがあるのだが、これは時間がないので諦めた。セミナーの課題は本日、終了しよう。

 本日はまた別のノルマがある。スーツケースを買いに行くのだ。ひとつ持っているのだが、押入れから引っ張り出してみると、キャスターの車輪が壊れていた。直せるのではと思い、車輪を外して、近くにある道具屋さんに持っていくと、こういうものは全て特注なので、替えはないとのこと。この道具屋さんは、道具についてはとても詳しいプロだ。私は彼を信頼している。だから、きっとどこに行ってもないだろう。車輪だけが壊れていて、他は問題ないのだが、仕方がない。捨てることになる。もう20年、使っているから。寿命なのだろう。

 店が開く時間になったら、車で大船まで買いに行くつもりだ。帰ってきたら、また翻訳をする。

日本人から学ぶ2、3の教え by:ニコラス・クリストフ


 本日はニューヨーク・タイムスに掲載されたコラムニスト、ニコラス・クリストフのコラムを翻訳して掲載する。クリストフ氏の翻訳文は私のブログの中で、もっとも読まれるコンテンツである。前回は尖閣諸島に対する同氏のコラムを翻訳した。掲載した日は、過去最高のアクセスを記録した。

 なかなかシニカルなコラムだ。日本人を誉めているようで、実はそうではない。しかし、この人が書いていることは事実でもある。つまりスポットの当て方だ。読み方によっては、面白いコラムではある。
 では、お読みください。

 

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「日本人から学ぶ2、3の教え」 by:ニコラス・クリストフ
The NewYork Times March 19, 2011
原文:http://www.nytimes.com/2011/03/20/opinion/20kristof.html?_r=1&partner=rssnyt&emc=rss

 アメリカ人は、現在行われている財政はどこから切り詰めるべきかの論議のような、厳しい状況の下にあると、集団の中で最も力の弱いもの、あるいは最もおとなしいものに、負担を押し付けることがある。

 そうおそらくこの点について日本から、我々は何かを学べるはずだ。地震や津波、放射能漏れで社会が分断されるのでなく、逆に以前より団結を強める結果になったこの国から。ここ数日、日本は無私の精神や禁欲さ、そして勤勉さを私達に示した。それは一言の不平も言わず、謙虚に、そして自らの危険を顧みずに、同朋をメルトダウンから守るために福島第一原発で身を呈して働く人々の姿である。

 日本で最も有名な像は、忠誠心、忍耐、責務の大切さを自らの行動で示した一匹の犬、ハチ公の像であることは間違いない。ハチ公は駅前で、仕事から帰る飼い主を待つことを日課としていた。ところが1925年のある日、飼い主は職場で死去し、二度と帰って来ることはなかった。ところが亡くなってから10年間、ハチ公は飼い主がまた駅に帰るのではないかと夕方になると毎日、駅まで迎えに行き続けたのだ。

 日本人がいつの日か、仕事に対する忠誠心と献身のもうひとつのシンボルとして、像を建立する日が来るのを私は望んでいる。原発事故のため働く人々の像を建立する日が。

 私はニューヨークタイムズの支局長として、5年間、日本に滞在した経験をもつ。その間、何度か日本に対し敵対的だと見なされることがあった。というのは日本政府の無能さと二枚舌に対して厳しく批評していたからだ。しかし本当のことをいうと、私は日本人の礼儀正しさと無私の精神に愛着を覚え始めていた。日本には独特の倫理規定が存在する。例えば突然の雨に見舞われたとき、安い食堂でさえ雨傘を貸してくれる。1,2日後に傘は必ず戻ってくると信じているのだ。地下鉄の中で財布を落としたとしても、戻ってくることを期待しても大丈夫だ。

 地震はふたつの側面を顕現化させた。日本政府が不運であり続けたこと。もうひとつは日本人は絶望的な困難の中、威厳と品位を保ち、常に立派であり続けたこと。

 ブログでも最近触れたが、私は6,000人以上の死者を出した神戸の震災について記事を書いたことがある。そのとき私は無人の店舗から略奪をする例があるのではと、いたるところで探し回った。2台の自転車を家から盗まれた人に出会ったが、取材を続けるうちに、自転車は救助の目的で持ち出されたのではと思うようになった。

 ようやく、三人の若い男が店から食料品を盗み、逃亡したところを目撃したミニマートのオーナーを取材することができた。そこでオーナーに同朋の日本人がこんなさもしいことをするなんて、落胆したのではないかと聞いてみた。

 「そりゃ違う。あんたは見当違いをしてるよ」 オーナーは私に答えた。「泥棒は日本人じゃないよ。ありゃ、外国人だ」

 日本人の不平を言わない忍耐強さ、日本語の“GAMAN”についてだが、三流の政治家にじっと耐えている国民性からも説明できる。ところが社会の結束の固さは、社会に溶け込まない人への差別を生む。“いじめ”は小学校から社会人までの共通する問題である。在日朝鮮人と部落民と呼ばれる下層民は蔑視されている。実際、1923年の関東大震災のとき、日本人は在日朝鮮人(放火をした、あるいはどうやってか地震を引き起こした、として糾弾されたのだ)に暴行を働き、推定6000人もの在日朝鮮人を虐殺した。

 このように日本人は負の面も併せ持つ。しかしアメリカ人は、日本人の特性から学ぶべきものも少しはある。日本は貧富の差が小さい。日本では大物経営者でも、アメリカでは一般的である超高給を受け取ることに躊躇をする。下層地域、在日や部落民の住むエリアでも、学校は素晴らしい。

 妻と私は子供を地元の学校に通わせていて、子供ですら集団的規範が浸透していることを目にしている。学校の先生が病気になっても、代理の教員は来ない。子供達が自分達だけで授業を進めるのだ。息子のグレゴリーが運動会から帰って来て驚いた。参加した種目のすべてが一等賞だったからだ。でもすぐに、全員一等賞をもらえたことが分ったが。

 グレゴリーの誕生会を自宅で開き、クラスメートを招待して、椅子取りゲームをさせたことがある。子供達、とくに女の子だが、椅子を取るために他の子供を押しのけることをしたがらないのだ。そこで展開されたのは、地球の歴史上もっとも礼儀正しく、弁解がましい、そして非競争的な椅子取りゲームであった。

 そう、我々は押しの強いアメリカ人である。人生や財政議論を、椅子取りゲームのように、最も弱いものを楽しげに押しやりながら競い合う。しかし無私の精神を持ち、公共の利益のためには自らの利益を我慢する日本人から、少しは学んだ方がよい。今は日本人に同情すべきときであり、同時に学ぶべきときでもある。


レントゲンの被爆量って


 もう散々四方で書かれていることなので、今更私がブログで取り上げることもないことかもしれないが。それでも、やはりおかしいと思うので書く。
 レントゲンや東京・ニューヨーク間を飛行機に乗った場合の被ばく量がこれこれで、現在の福島や周りの県の放射能量がこれだけ。だから安心であると、テレビではしきりにいう。最初にこれを聞いたときに、疑問に思った。たとえばレントゲンの被ばく量だが、テレビで例示している数字はレントゲンを1回受けた被ばく量なのか、それとも仮に1ヶ月とか1年とかレントゲンを受け続けた場合の被爆量なのか。なぜって前提が違えば、結果はまった違うものになるから。
 調べてみると、レントゲンの被ばく量は一回あたりのものらしい。そしてたとえば福島市の放射能量は1時間あたりが公表されている。レントゲンはたしかに一回だけ受けても、それほど健康に被害はないだろう。その数字を、ある地域の汚染度と比較することはできないのではないか。
 
 IAEAや日本の機関が被ばくの許容量としてきたのは1年間あたり、1ミリシーベルトである。これを超えると、子供や妊婦の健康に影響を与え始める。10ミリシーベルトを超えると、成人の男性にも影響を及ぼす。
 この数字をもとにするなら、有事であるとして多少数字を甘くして、10ミリシーベルトを基準としよう(専門家によると)。これは年間の数字だが、これも1ヶ月辺りにまで短縮する。1ヶ月は約1000時間強だから、これを1000で割ると1時間あたりの許容量となる。10ミリの1000分の1は10マイクロシーベルトである。この数字を超えると、その汚染地に1ヶ月以上滞在すれば、累計で10ミリシーベルトを超えた被爆をすることになる。1ヶ月間で国やIAEAが定めた年間被爆量の限界を超えるのだ。つまり危険だということだ。

 レントゲンの被爆量は一回あたりだいたい1ミリシーベルトである。だから1回だけなら国の基準値以内になる。でもこれを1時間に一回うければ1ヶ月で1000ミリシーベルト。命にかかわる数字だ。つまりレントゲンの被爆量はとても危険な数字であるのだ。
 だからレントゲンの被爆量もこうした累計で比較すべきである。比較すべき基準値が間違えている。私が最初にテレビで聞いて、疑問に思ったことは正しかったようだ。

 政府は情報操作を始めたのかもしれない。知人に外国人が何人かいるが、外国人は日本の政府が発表する数字を信用しなくなり始めた。地元政府や地元メディアからの情報を仕入れ始めている。
 私も原発事故については、CNNやニューヨークタイムズの報道が頼りだ。
 ここはどこの国だろうか。北朝鮮やリビアではない。日本なのだ。それもリベラルを標榜する民主党政権下の日本なのだ。ところがそのリベラルであるはずの日本政府が戦中の大本営発表のようなことをしている。そしてメディアは唯々諾々とそれに従っている。

 今回の大地震は日本人に大きな試練を与え、そして色々なことを気付かせた。以前は戦前派、戦後派とよく区分けしていった。これからは震災前派、震災後派と区別するようになるかもしれない。

忙しぶっている日々


 最近の私は忙しぶっている。現実的に時間に追われているので、忙しいとも言えるが、そう言い切ることには躊躇を覚える。最近の私が忙しいのは翻訳のトライアルに追われているからだ。
 先月末あたりから、トライアルに応募するようになった。昨年までもいくつか応募してみたが、ことごとく書類選考で落とされた。ところが今年になって応募したものがすべて書類選考を通過したのだ。どうしたわけだろう。
 昨年までと今年の履歴書の違いを比較すれば、なぜだが少し見えてくる。違いはふたつである。
 ひとつは私に書くべき実績ができたこと。昨年、特に一昨年は実績がゼロであった。だから履歴書は翻訳の実績は書けずに、新聞社時代や銀行員時代の職歴を書いた。でもそれだけじゃ、翻訳者としての履歴書としては不足なので、仕方がないのでやる気とか、興味のある分野などを書いていた。まるで学生時代の履歴書である。しかし今年のものは翻訳者としての実績をベースに記載して、付加的に新聞社時代の仕事内容と、趣味で読んでいる経済書や科学関係の本、それと関係ないかもしれないが箔付けみたいなものだけど、好きな宗教関係の本や哲学書なんかを列記した。すると自分でいうのも何だが、それなりの履歴書ができあがった。
 それともうひとつ。これが実は大きいのではと思っているのだが。履歴書がこなれてきたように思う。実際、昨年までのものは学生時代に書いたものとさほど代わり映えしないスタイルであった。こちらの都合だけを強調して、相手のデマンドを考慮していなかったのだ。今年は少し頭を使うようになった。相手の求めるものを最初に書くようにしたのだ。例えば経済関係の翻訳者を求めている翻訳会社に出す履歴書なら、新聞社時代に書いた投資や金融関連の記事を履歴書の最初で紹介した。メディカル関係なら、昨年翻訳した難病のサイトについての説明を書いた。あとはコンパクトであることと、読みやすさを心がけた。忙しい翻訳会社の担当者が一目で私の実績や実力が分るように書いてみた。きっと、これが大きいと思う。
 これが私の側の変化である。しかし相手の立場の変化もあったと考えることもできる。今までよりも採用基準を甘くしたのかもしれない。あくまでも可能性としての想像だが。
 一流の、あるいは一流まではいかなくてもプロとしての実力のある翻訳者は翻訳料が高い。今は翻訳会社自体が価格競争に巻き込まれているので、安い翻訳者を求めている。だから多少、腕が悪くても安い人の需要がある。それでギャラが安い新人を探し始めたのではないか。

 で、忙しい話の続きだが。2月の終わりから多分、4つのトライアルに申し込んだ。ひとつは前にも書いたが、不採用であった。残りの3つは書類選考を通った。落ちたものは書類選考がなかったので、書類選考だけでみると3戦全勝だ。書類選考自体は、まったく仕事に結びつかないので、あまり自慢できないが、昨年までほぼ全敗だったことを考えると、自分としてはとても嬉しい。
 先週からそのトライアルの翻訳を続けている。昨日、ひとつを提出した。17ページもあるもので1週間近く、かかってしまった。後は分量が短いものだが、それでもひとつで丸一日はかかる。
 それとこの間、産経時代の知人からもらった記事の仕事がある。これは歴とした仕事である。ギャラもちゃんともらえる。これにすでに3日ほど費やした。できれば明日中に終わらせたい。
 それと4月から日本出版クラブというところでセミナーを受ける。「出版翻訳プロの条件」というもので、すでにプロの、あるいはプロを目指す人向けの、ちょっと上級のセミナーである。この課題を仕上げなくてはならない。
 もひとつ。出版翻訳のトライアルを別に見つけた。これも来週中に出す予定だ。これは分量もあり3日ほどかかる。そんなこんなで、毎日とても忙しい。

 忙しくしているのは良い。なぜならテレビを付ける暇がないからだ。テレビを付けると不安になる。そして被災者を目にするといたたまれなくなる。だから忙しくてちょうどいいのだ。前のブログにも書いたが、今できることを精一杯やる。それが遠回りだが、今私が今回の災害に対してできる最良のことだと思う。

 もうひとつ、この理由も書かなくてはフェアではない。格好のいいことばかりを書いてはいけない。来週の金曜から新婚旅行に行くのだ。この大変な時期に何を考えているのだと、言われそうだが。
 それでも私は行くことに決めた。もっとも安い方法でエアチケットもホテルも押さえたので、キャンセルは効かない。つまり全額、戻ってこない。これが大きい。でもそれだけでは、ない。
 私達の判断と行動を見て、不快に思う人がいるかもしれない。不快にさせてしまうのは申し訳ないと思うが。私はこの時期もたんたんとしていたいのだ。仕事も今までと変らずに続ける。むしろちょっと頑張り気味で励む。そして夜は晩酌をし、週末は天気が良ければかみさんと近くの丘まで散歩する。そして楽しみにしていたイタリア旅行は、やっぱり行く。あまりはしゃげないかもしれなが、それでもそれなりに楽しむ。そんなふうに、今まで通りに生活を送りたい。生活を楽しみたい。かみさんは学校の先生なので、職場では悪く言うひともいるかもしれない。ちょっとかわいそうだが、それでも我慢してもらいたい。やはりたんたんと、そして楽しめるところは、これはそれなりに楽しむ、そんな生活を続けたい。

 それで今週、来週が忙しいのである。はい。

川に落ちた犬


 昨日、西友に行くと多くの棚が空だった。予め想像していたが、改めて見ると驚く。ソ連時代のスーパーの棚ががら空きだった報道はよく眼にしたが、まるでそれだ。
 米や麺類はある程度、余分に家にある。今回の目的は、当日食べる野菜と納豆、猫のトイレ砂、そしてビールである。野菜は根野菜を除いてほとんどあった。納豆はなし。豆腐も2,3丁ばかり残っていたが、家にあるので買わなかった。そして猫のトイレ砂。これがないと、非常に困る。餌ならば、昔のように人間の残りを猫まんまにして与えることができる。しかしトイレは人間のを使わせることはできない。どうしても猫用のトイレ砂でなければならない。かろうじて、2,3残っていたのでそれを買う。いつも買う種類とは違うが、この際仕方がない。これでしばらくは大丈夫である。
 そしてビールであった。これもなくなっているのではと危惧していたのだが、杞憂であった。ビールは家にまだ10本以上残っている。でも最近はかみさんも晩酌につきあったりして、毎日2本のペースで消費されていく。このままだと1週間もたない。買占めはいけないと分かっていても、どうしてももう少し備蓄したい。しかしこの時期にそんな不埒なことを考えているのは私だけのようだった。ビールは沢山、残っていた。喜び勇んで1ダースばかり購入する。これで暫くは大丈夫である。

 昨日は朝の6時20分から12時まで計画停電があった。昨日はかみさんが仕事を休むと決めていたので、いつもより寝坊をした。それでも6時には起きたのだが。本当なら6時20分には朝の用事はほぼ済んでいる。しかし寝坊をしたので、ちょうど朝の支度の時間であった。でもあまり不便は感じなかった。すでに外は明るい。水道とガスは使える。新しいタイプのガスバーナーだと電気で着火するが、我が家のフランス製旧式タイプはマッチ、あるいはチャッカマンで火をつける。だからガスは問題なし。
 ラジオを聴きながら朝食をゆっくり取る。その後は仕事をしたかったがPCが使えないので、簿記の勉強をする。簿記の問題を解いていると、予定より30分程度早く停電が終了した。総じて計画停電で不便は感じなかった。

 東京電力の計画停電が計画的でないと文句をいう輩が多い。計画通りに停電をしないことの、どこに問題があるのだろう。皆目不明である。ただただ、文句を言いたいがための文句に聞こえる。ストレスの発散は、必至に停電を抑えようとしている東電に向けるべきではない。
 たしかに東電の原発への対応は問題が多いように、傍からは見える。実際、技術的専門的なことが分からないので、東電の不備が多いのかどうかは分からないが。
 少なくとも、あの記者会見は決して誉められたものではない。おろおろしすぎだ。言葉が不明瞭だ。もっと堂々と、そしてオープンに話すべきだ。そこは問題があることには同意する。しかしだからといって、計画停電までも非難するべきではない。川に落ちた犬を打つべきではない。みんなで川から引き上げてあげてやらなくちゃ。


今、すべきこと


 かみさんは日曜日の夕方に戻ってきた。東海道線と横須賀線を乗り継いで。混んでいたようだが、思ったより時間はかからなかった。

 前回の自分のブログを読み返し、なんとのん気な男だろうと自分を呆れてしまった。言い訳をするとブログを書いたのは日曜日の昼で、それまでテレビはほとんど見ていない。あの時の情報は震災当日のラジオのみであった。ラジオには随分、助けられた。ラジオならではの迅速で客観的な報道は頼りがいがあった。でもあの映像はラジオでは見ることができない。それに震災の当日はこれほどまでの災害であると、メディアもそしてきっと政府すら気付いていなかったのだろう。それでも私がのん気であったことには違いない。
 あれから3日たった。昨日はほぼ一日テレビを見ていた。家や車が流される場面には恐怖を覚えた。子供達や老人が救出される場面では涙がこぼれた。

 テレビはNHKと民放、そしてCNNを交互に見た。それぞれが違う切り口であった。立場やロケーションの違い、報道姿勢の違いが、映像の差異に現れていた。
 どれがどうと、今は言うのは控えよう。どもれ精一杯の対処であろう。
 これに関連することだが、東京電力の計画停電の対応への批判があるようだが。東京電力はよくやっているのではないか。直前まで電力の維持を目指した結果、計画停電が中止になることがどうして問題なのだろうか。計画が何度か変ったのは、努力の結果ではないだろうか。
 安全な丘の上から眺めて、他者を批判するときではない。今はみなで力を合わせるときだ。

 今、自分ができることは何であろうか。被災地にリュックを背負って駆けつけるべきだろうか。それもありだろう。きっと日本全国から善意のボランティアが今後東北に向うであろう。
 しかし私は行かない。私ができる最良のことは、被災地に向かうことではないように感じるからだ。医療技術も土木の知識も、体力もさしてない私に、そして被災地からは距離のある逗子にいて、今私ができる最良のことは別にあるように思う。それはいつもと変らない生活を送ることだ。翻訳を続けよう。具体的な仕事がないのなら、トライアルを受けよう。トライアルに落ちたなら、また受けよう。そして出版翻訳を目指し、本を探そう。時間があれば英語力をつけるために勉強をしよう。それが私の今できる最良のことだ。
 そしてできるだけ、電気、ガス、水道の使用は控える。買占めに走らないよう自重する。こうしたことが間接的ではあるが、被災者や救助活動への小さなサポートになると、私は思う。



地震とローテク


 こんな大変なときに、ブログなど書いていていいのかどうか考えてしまうが、他にすることがないので書くことにする。かみさんはまだ帰って来ていない。迎えに行きたいのだが、連絡がつかない。携帯は電池切れのようで、勤め先の学校に電話をしても通じない。夕べは学校に泊まったのだ。幸いかみさんの学校は宿泊施設がある。寮があるのだ。どうもそこに泊まったらしい。帰れなかった子供の世話をしているようだ。
 交通情報を確認すると高速は一部開通。一般道路はほとんど通れるようだ。渋滞箇所が多いようだから、時間はかかるだろうが、迎えに行けなくもない。横須賀線は運休している。しかし東海道線は動き始めているようだし、大船・逗子間の横須賀線も動いているようだから、戻ろうと思えば電車を乗り継いで帰ってくることができる。きっとその方法で帰ってくるだろうから、行き違いになったら困るので、待っていることにする。

 昨日、地震が発生した時刻はPCに向い仕事をしていた。あ、地震だと思った。最初は大きな揺れではなかった。しかし長い。そして徐々に大きく揺れた。我が家は築40年の古家である。倒壊するかもしれない。恐ろしくなり、外に出た。猫をどうするか迷ったが、外に出して帰ってこなくなる方が危険だと判断し、家においていく。
 外に出ると、近所の人が窓から顔を出して様子を伺っている。「怖い~」と叫ぶ女性もいる。外に出たのは私と、近所の老人(男性)ひとりだけ。その老人も古い家にお住まいだ。新築の人は家の中の方が安全だと判断したのだろう。
 地震が止み家に戻る。パソコンが心配になり、2階の書斎から一階に運ぶ。猫は不安そうで、私の後ろを付いて歩く。1階に下ると、2階がみしみしと音を出し始めた。何かあったのかと上を覗いていて、また地震だと気が付いた。今度はパソコンとラジオを持って外にでる。またしても猫は置いていく。5分ばかり、パソコンを抱え、外で過ごす。
 そのときは震源地はこの辺りだろうと思っていた。きっとかみさんの勤め先や実家の千葉はあまり揺れていないだろうと考え、ちょっと自慢げにメールを打つ。「凄い揺れだったけど、そっちは大丈夫」と軽いのりで。
 ところがラジオを聴き、徐々に様子が分かってくる。ものすごい大地震だ。マグニチュード8.1(あとから8.8に訂正)。関東大震災クラスの巨大地震だ(あとでそれ以上だと判明)。家に戻り、テレビをつける。つかない。なぜだろう。あちこち見て回って、停電だと気付く。
 そこから電気なしの一日が始まった。ラジオを持っていたのは助かった。どこかで景品でもらったものだ。感度は悪いが、幸いニッポン放送とNHKが受信できた。ふたつの局を交互に聞く。ラジオの強さ、有り難味が身に滲みた。
 なかなか停電が直らないので、夜を考え、懐中電灯用の電池を西友に買いに行くことにした。西友に行くと、長蛇の列だ。それも店も停電で、入り口で災害品のみを販売している。電池も売っていたが、私が欲しかった単一は売れきれとのこと。しかたなく諦める。しかしパートのおばちゃんたちは偉い。たかがパートであるが、はやりプロだ。きっと家に帰りたいだろう、家族の安否が気になるだろう。なのに必死に災害品を売る。見ていて胸が熱くなった。
 懐中電灯はふたつあり、もうひとつは単三のものだ。単三は予備がたくさんあるので、しばらく大丈夫だ。明るいうちに夜の支度をする。

 うちはローテクである。オール電化とは対極の家だ。暖房は灯油である。一昨年までは炭だけで過ごしていたのだから、これでもかなり文明化は進んだのだが。ローソクもたくさんある。仏壇はないが、仏さんようのものを沢山買ってある。
 夜はストーブを付け、ローソクをともし、快適に過ごす。幸い、水とガスは使える。暖かい部屋で暖かい食事を取ることができた。
 最近の家は大抵、暖房はエアコン頼みであろう。きっと寒いに違いない。近くの人に声をかけるかどうか迷ったが、ほとんど近所付き合いがないので止める。あとから下の一人暮らしのおばあさんだけでも声を掛けるべきだったと反省したが。

 かみさんとは携帯のメールで何度か連絡を取り合うことができた。電車が止まっており、さらに帰れない子もいるので学校に泊まるという。実家からも連絡が入り、全員無事とのこと。安心したら、飲みたくなってしまった。ストーブの上のヤカンで熱燗を作る。ローソクのあかりで熱燗。なんだかキャンプの気分だ。つい気持ちがよくなる。不謹慎だが。
 テレビが見られなかったのは残念であった。しかしラジオで凡その様子は分かった。部屋は暖かい。猫は不安なの2匹が膝の上に乗りたがる。熱燗はうまい。かみさんには悪いと思いながらも、うつらうつらして12時ごろには布団に入ってしまった。

 深夜、街頭放送でたたき起こされた。また地震が発生したと。ラジオをつけると、長野で震度6強があったという。長野で農業を始めたkozawanさんのことが気になる。でもすぐに、また寝てしまった。
 翌日、今朝だが、kozawanさんから連絡があった。たまたま東京に戻ってきていたという。東京に残していた母子3人のことも気になっていたのだ。みな無事だという。よかった。

 あとはかみさんの戻りを待つだけだ。


確定申告と「芳むら」


 昨日は予定通り、確定申告に行ってきた。しかし予定はそこまで。愛車でびゅーんと行く予定であったが、テクテク歩いて行ったのだ。直前に駐車場が気になりネットで調べると、この時期はクローズされているという。そうだろうな、みんな車で行ったら大変なことになるもんな。せっかくのドライブを楽しみにしていたが、仕方ない。

 そういえば、以前のブログで確定申告に記入する売上高を1万円ぐらい間違えたと書いた。それを修正するかどうか迷ったのだが、結局修正しないことにした。修正すべく計算をしなおし、すべてOKというところまで行ったのだが、書類がない。大半の書類は予備を持っていたが、一部の書類が一枚しかない。さて、どうするべきか。やはり黙ってそのまま出してしまおうかとも思ったが、再提出を求められたり、脱税で御用になったりしたら嫌だ。そこで税務署に電話をかけて尋ねてみた。
 「あの、確定申告のことですが、とても収入が少ない者なんですが、一万円ほど売り上げを少なく記入してしまって。ああ、どちらにせよ税額はゼロなんですが。これって修正する必要はありますか?」 恐る恐る聞くと、
 「ああ、それぐらい、いいですよ」 と声の感じ大ベテランの税務署員の返答。なんだ、やっぱり。
 ということで1万円ばかり過少申告をすることになった。

 税務署はとても混んでいた。当初は青色申告の会が催している直前相談コーナーに寄ってから、提出しようかと思ったが、大行列ができている。聞くと一時間半はかかるという。そんなに待つ気はない。なんで金を支払う側が、そんな苦労をしなくてはならないのだ。ああ、俺の場合は払わないか。さらに源泉が戻ってくる。もらう立場であったが。そこでまっすぐ、申告コーナーへ行く。ここも行列。でも比較的、進行は早く10分程度で終了。
 昨年は申告時期開始の2日後ぐらいに行ってきた。時間も朝一。そのときは青色申告も待ちはゼロ。申告書の提出も待ちはなし。今回もそんな感じを予想していたが。やはり最終週は混む。来年度はもうちょっと早く来たほうが良さそうだ。

 11時半ぐらいに提出が終わると、腹の減りが気になった。せっかく鎌倉まで来たので、何か食べていこうと考えた。鎌倉には産経のTさんが住んでいる。Tさんの仕事はシフトなので平日でも休みのときがある。もしかしたら居るのでは、居たら一緒にどうか誘ってみようと思い、電話をした。生憎、Tさんは会社にいた。しかしTさんに、うまい飯屋を聞くことができた。
 「芳むら」という魚を食べさせる割烹のような店だ。かなり親父が偏屈らしい。威張っている親父がやっている店は苦手だが、Tさんの強い勧めがあり、一応覗いてみることにした。果たして親父は偏屈であった。
 11時35分に店に行くと暖簾が出ていない。Tさんは11時半に開店だと言っていた。暖簾を出さないスタイルかと思い、ドアを開けると、仏頂面の親父が睨む。開いているかと聞くと、まだだという。何時に開くかと訪ねると、よく分からんだと。なんじゃ。さらに12時前には開くかと問うと、たぶん50分ぐらいだろう、と嫌々返答。嫌々な気持ちになるのはこっちの方だ。この時点でかなり、食欲がなくなる。そこで店を出る。
 しばらく他の店を探したが、良いのが見つからない。そうするうちに11時50分になった。一応、もういちど店を覗いてみることにした。すると丁度親父が暖簾を外に出していた。当然、私の顔を覚えているはずだが、完全に無視。ますます入る気がなくなった。しかし親父が外に出したメニューを見て、気が変わった。昼の定食が700円からなのだ。安い。安さが一番だ。親父が偏屈でも、安ければ持ちこたえることができそうだ。魚の定食で700円なのだ。それにTさんいわく、親父は素もぐりをして、自分で突いた魚を出すらしい。だから安くて新鮮なんだそうである。ならば、いっちょ入ってみっかと気が変わる。

 入ると小さなカウンターと座卓がふたつだけのこじんまりした店だ。どれも古く汚れているが、不潔感はない。掃除はきちんとされているように見える。
 メニューを再度眺めると、これがまさに偏屈度爆発の様相だった。ランチメニューは大きく三つにカテゴライズされていた。一番安い700円のものは、「貧民定食」と名打たれている。鯖の塩焼きだとか、ほか2種類。次に安いのは850円の「平民定食」。わらさの刺身定食だとかほか2種類。最上は「中流定食」で1000円。鮪定食ほか2種類。
 最上で中流だ。親父、なかなか冷静である。最上でも1000円じゃ、中流か。まあそのとおりだが。しかし、よくこれだけお客の気をくじくことばかりできるものである。ちょっと感心。
 わたしは正真正銘の貧民である。こう名を打たれたら、やはり貧民であるところの誇りを見せなくてはならない。当然、堂々と貧民定食を指定すべきだ。しかし結果は。背伸びをして「平民定食」を頼んでしまった。いや背伸びではない。わらさのさしみに惹かれたのだ。親父が銛で突いてきたものかもしれないじゃないか。
 さて、味だが。大変、満足なものであった。逗子、葉山で安い、うまいといわれる魚の店は何軒か行ったが、トップクラスである。850円であれだけの料理を出す店は、あまりない。
 さしみは切り身が厚く、新鮮。量も申し分ない。付け合せにおそらく自分で漬けた糠漬け。なかなかのできである。私の糠漬けといい勝負である。それと豆腐を魚のそぼろで包んだもの。これも美味。あとはカボチャとゴボウのなんか料理したものであった。ともに良し。そして味噌汁がうまい。化学調味料が入っていない。とても素朴だがうま味のある味だ。ごはんは普通。だが量がよし。

わらさ定食850円なり
これが平民定食じゃ。平民も悪くないのぉ。850円なり。

 親父は偏屈だが、料理はまる。トータルとしては、また来たいと思う評価だ。あれだけの料理を出して、鎌倉の中心部(ちょっと分かりづらいが)にあって。親父の愛想がよかったら、大変な行列店になってしまうだろう。あの仏頂面でちょうど良いのかもしれない。ちなみみ私の他には男性が二人だけだった。空いていて、これも良かった。

 帰りは久しぶりに鶴岡八幡宮を抜け、報国寺を通ってトイレを借りて、山をひとつ越えて戻ってきた。腹ごなしによい散歩になった。途中の側溝にはもうセリが少し出ていた。雪ノ下はうんとあった。今度、おひたしと天ぷらにでもしようかな。


トライアルの結果


 先週、応募した医療関係専門書の翻訳トライアルの結果が出た。不合格だった。なんだか「一発試験合格への道」のときみたいな書き出しである。あの頃も、辛い日々だったが、今日もちょっと落ち込んでいる。前回のブログでは、「結果は自ずとついて来る」と格好いいここを書いた。本心でそう思っているつもりだったが、やはりそれでも落ち込む。う~ん。でも何かすでに落ち込みは解消してきた感じがする。結果をサイトで見つけたときはガッカリしたが、今これを書き始めたら、「過ぎたこと、また受ければいいじゃん」という気持ちが湧いて来た。今、まさに立ち直り始めた。不思議。
 それにあのブログでも書いたが、やはり自分より良い訳を書いた受験者がいて、その人が仕事を取ったのだから、出版社や読者にとってはめでたいことだと思う。自分が力不足だっただけだ。

 さて、出版とは別に実務であるが、別会社が訳者を募集していた案件にいくつか応募している。そのうちひとつが、書類先行を通った。これからトライアルを受けることになる。海外の翻訳会社なのだが、と~ってもギャラが安い。インドや中国の田舎から出てきた出稼ぎ労働者並の賃金である。翻訳って、儲からないよ!、と散々言われたが、実際こういう額を提示されると驚いてしまう。こんな世界があるのかという驚きである。
 でも駆け出しの翻訳者は実績が欲しい。そして実践を通じての経験が欲しい。なのでトライアルを受けようと思う。
 今回のは実務だし、ギャラが安いし。力を抜いて受けられるのではないだろうか。でも、勿論精一杯の訳は出すつもりだが。

 今日は天気がよい。今、書斎でPCに向っていると、東からの日差しがまぶしい。そろそろカーテンを閉めなくてはならないほどの強い日差しだ。このブログを書き上げて、ラジオ英会話(ネットで)を聞いたら、確定申告に行こう。去年は鎌倉税務署まで1時間かけて、テクテク歩いていったが、今日は愛車(プジョーだよ、はるきママさん)で、行こうかな。明るい太陽の下、ちょっとしたドライブになりそうで、楽しそうだ。
 税務署から帰ったら、一昨日JIAAからもらった仕事の続きをしよう。気を使ってもらって、すっごく納期が長いのだが、それに甘んじていると、あっという間に時間ばかりが過ぎてしまう。早めに済ませましょう。



忘れていたビジネスマンの眼光


 昨日は東京へ仕事ででかけた。JIAA(インターネット広告推進協議会)という業界団体のセミナーの手伝いに行ってきたのだ。
 産経新聞社時代、私はネット業界の真ん中ともいえるような場所に長年いた。1995年から確か2007年まで、12年間ネット業界の住人であった。12年間の前半は制作・編集の分野におり、後半は広告の業界に身を置いていた。その後半のときJIAAと出合った。
 JIAAは日本全国で活動するネット広告周りの企業で作る業界団体である。メディアとしては産経などの新聞社やヤフーやグーグルなどのネット専業の媒体、電通や博報堂のような広告代理店やサイバーエージェントやオプトなどのネット系代理店、またIMJなどの制作会社などが会員社となっている。
 私はJIAAのあるひとつのワーキンググループの構成員であった。もう4年ほど前のことだ。

 4年前にもかかわらず、事務局や他のメンバーは私のことを覚えていてくれていた。そして今回仕事を発注してくれた。
 正直、会議などの発言は苦手。ワーキンググループの活動も決して積極的には参加していない。もっぱら元気なのは飲み会のときだけであった。そんな私であったが、なぜか覚えていてくれた。そしてありがたいことに仕事を発注してくれた。本当に、嬉しい話である。

 さて仕事の内容は書くことは控えるが、セミナーについては感じることがあったので、簡単に感想を述べる。セミナーは「新領域ケーススタディVol.4『ソーシャル・コミュニケーションと進化するメディア』」という難しそうなタイトルであった。広告におけるソーシャルコミュニケーションの現状と可能性について2人の演者から講演があり、パネルディスカッションが行われた。
 講演内容やディスカッション内容は専門的なのでこれも割愛する。ちょっと違う、私の感じたことを書く。

 久しぶりに広告業界とネット業界の人に囲まれて、その雰囲気にクラクラした。会場に足を踏み入れた途端に、体の変調に気が付いた。体の芯が緊張している。でも何故かは分からなかった。しばらく会場に佇み、様子を伺っていて、理由が分かってきた。そこにいる人たちが逗子のスーパーや立ち飲みにいる人々と違うのだ。当たり前だが。
 着ているスーツが今風である。若い人は当然だが、年配も今風。髪型も今風。物理的に今風にできない年配はスキンヘッド。スーツにスキンヘッドである。迫力に満ちている。
 そして眼光が鋭い。しかし武道家の鋭さとはまったく異質の鋭さだ。どう違うのだろうか。今書いていて、思い出しながら考えているのだが。武道家は相手を前面から制する気構えが目に現れている。業界人のは、もっと複雑な視線である。前面からも挑むが、横から後ろから、そしてあとからジワジワと滲みこんでくるような視線なのだ。
 武道は、特に私が行っている程度の稽古だと、相手と面するのは道場の中だけ。それも稽古をしている相手とだけ、対峙する。しかし組み手が終われば、その人は敵ではない。まして道場を一歩でれば飲み仲間である。一方、ビジネスは違う。JIAAのメンバーは同志であり、決して敵ではない。だがビジネスに身を置く以上、常に勝負が求められる。同志といても、普段の眼光が現れる。だから全方包囲のネットリ型の視線である。それでいて、底知れずに鋭い。

 ちょっと今日は歯切れが悪いと、自分でも思う。なんだろう。うまく表現できない。あの会場で感じたものは何なんだろうか。正直、うまく表現できない。ただ今の生活ではあまり体感できない異質なものを感じた。

 セミナーが終わったあとは、古い友人達が飲みに誘ってくれた。わざわざ逗子から出てきたと言って、声を掛けてくれた。厳しいビジネスに身を置く皆さんだが、飲みの席では、みな人の良い古い友人に変った。なんだ、それじゃ合気道の仲間と変らないじゃないか。そうなのだ。だからよく分からないのだ。
 無理やりの結論だが、日々厳しいビジネスの、それもネット広告という日進月歩の業界の最先端に身を置き、戦い続けているビジネスマンの目を感じ、そして友人に戻ったときの目を感じた。そうか、逗子の立ち飲み屋で酔っ払っているオジサンたちも、会社ではあんな目をしているのだな。立ち飲み屋に来て、ホッと自分本来の目に戻っていたのだな。

 すると再認識させられたのは、業界人の異質さではない。自分が変ったということだ。ビジネスマンの目つきを忘れていた自分に、今驚かされている。書籍とネットの世界。お話しをするのはフクちゃんと大吉。そして妻だけ。そんな環境こそが、異質なのだろう。でも、そんな環境が好き。



合気道をすると字がうまくなる、かもよ


 現代人には鬱病が多い。要因は色々あるのだろうが、大きな原因のひとつに体のバランスの不調整があるように思う。現代は学業にしろ、仕事にしろデスクワークの時代である。デスクワークのみだと体のバランスが崩れる。そしてその結果、心のバランスも崩れる。
 古くからある仕事、例えば左官や大工、農業を考えてみて欲しい。どれも体を使う仕事だ。こうした仕事に従事していると体を使う。体を使いながらバランスを調節している。
 左官なら鏝(こて)を使う。平らに土を塗るには微妙な手さばき、体さばきが必要だ。壁と自分の体の位置関係も重要である。鏝を使いながら、体の位置を調整し、鏝と体と壁が一体化を心がける。と想像する。やったことがないのだが、多分そうだろう。
 農業も同じだ。たとえば葡萄農家なら。剪定をする鋏と葡萄の木、そして自分が一体化しなくてはならない。そうすることでバランスのよい剪定ができ、立派な葡萄が実る(と想像しますが、どうですかkozawanさん?)。
 こうした外物との一体化は、すなわち自分の身体のバランス調整と表裏一体である。外物とのチームワークが整うと、体の中心が整い、中心が定まる。体の中心が定まってくると、体に引きずられるように心の中心も定まるのだ。

 坐禅も同じことを目指しているのではと思う。坐禅の目的は心の平静であろう。しかしいきなり、心に照準を定め、こころの坐りを求めることは難しい。こころは目に見えないものだし、手で触れることのできない対象だからだ。そこでまず体という目に見え、触れることができるものの調整をする。正しく坐ることで、体のバランスをアジャストする。結跏趺坐あるいは半跏でできるだけのシンメトリー状態を作る。息を整える。息は可能な限りゆっくりと、そしてできるだけ同じリズムで行う。こうした体という物体を整えると、その物体にこころが付いてくる。そして、こころの平静が訪れるのだ。

 現代人は大抵、デスクワークなので仕事を通じ、体と心のアジャストをする機会を逸している。そこで合気道だ。さっき坐禅に触れたから、文脈上、坐禅なんじゃないかと思うかもしれないが、とにかく合気道である。
 合気道はまさにバランスの武道であると思う。筋力は極力使わない。使うのは合気力、あるいは気と呼ばれる力であり、これはバランスが生む力だ(と、私は思う)。バランスには沢山の意味が含まれている。相手との関係のバランス、自分の体のバランス、間という時間のバランス、そしてこころのバランス。この調整こそが合気道の稽古だ。
 だから合気道は鬱病に良いのだ(思い切った理論展開ですね)。そしてもうひとつ、思い切った展開。体と心のバランスの調整が進むと、合気道のみでなく、他の日常生活もバランスが整ってくる。例えば私は包丁捌きが結構、うまい。と自分では思う。切れ味の良くない包丁でも、人よりもきれいな切り口で大根(たとえば)を切れる。これはバランスの結果だと思う。そして文字だ。私はあまり字がうまくないが、それでも合気道を始めて字がうまくなったと自認している。多分、事実だと思う。そして字を書くのが楽しくなった。今度は逆に、字を書くことを通じて、体のバランスを確認できるからだ。
 つまり全て繋がっているのだ。合気道をすることで体とこころのバランスが整う。心と体のバランスが機能することで、包丁捌きがうまくなる。包丁捌きがうまくなることで、さらに体と心のバランスが調整される。またその結果、字がうまくなり、そしてまた体とこころの、、、。終わりがない。バランスの調整の連鎖である。
 
 山岡鉄舟は江戸を代表する剣の達人であったが、弘法大師流入木道(じゅぼくどう)という書道の家元であり、書の名人であった。そして坐禅では、長年の厳しい修行の結果、悟りを得ている。また明治維新の影の立役者であり、明治天皇の教育係としても皇室から大きな信頼を得ていたことでも有名だ。これだけ多くの道に通じていたのはバランスのおかげだ。全てがリンクし、バランスの連鎖を生んだのだ。どれも関連しているのだ。独立して剣が強くなったり、人格者になったりしたわけではない。
 山岡鉄舟だけではない。昔の偉人は政治家であっても剣の達人であったり、書の名人であったり、詩人であったりすることが多い。これは体の捌き、心の捌きを体得していた結果、つまりバランスが良かった結果である。
 いやいや偉人ばかりでない。左官も大工も百姓も、日々の仕事を通じ、体と心のバランスを整え、精神の安定を得ていた。だから鬱病にはならなかった。

 今、我々は仕事を通じてこれらのアジャストができなくなっている。合気道はひとつの選択肢である。坐禅でも書道でも、庭いじりでもよい。なんでも良いから体を通じ、調整をするのだ。するとバランスのサークルが起動し始める。そしてひとつひとつのバランスの良さが、一体化し、全体的なハーモニーを奏でるまでになる。と、思う。

 私は当然、そこまで全然行ってないが、でも目指したいと思っている。

確定申告と簿記の勉強


 確定申告の季節だ。3月15日までに申告しなくてはならない。去年、初めて申告した。今年は2回目だが、青色申告は初めてだ。去年は白色申告であった。
 白色申告は極めて単純である。前年度の所得を記入し、控除になる項目、例えば社会保険料や医療費、扶養家族がいればその旨を記入する。それだけだ。2時間もあれば完成する。一方、青色申告は複雑で難しい。日々の売り上げと経費の記帳が必要であり、さらにそれらを元にして、損益計算書と貸借対照表を作成しなくてはならない。会社の経理部がしていることと、ほぼ同じことを一人でこなさなくてはならないのだ。
 今年はこれに挑戦した。といっても昨年、鎌倉税務署から紹介された鎌倉青色申告の会というところに6回ほど通っている。会計ソフト「弥生会計」の使い方を習ったのだが、その際、具体的な私の決算数字を使って学習した。つまり青色申告の会の確認のもと、数字は入力済みなのだ。すでにふたつの財務諸表(損益計算書と貸借対照表)はできている。あとは申告書に転記すればいいだけだ。
 ところが改めて確認すると、昨年の売り上げが1万円ほど間違えていた。私が間違えて、鎌倉青色申告の会の人に伝えたからなのだが、その数字が元になり、財務諸表ができあがっている。迷った。
 このままの数字で行ってしまおうか。多分、問題は起きないと思う。というのも昨年の私の売り上げは、ごくわずかで経費を差し引き、各種の控除をすると所得はゼロになる。1万ぐらい増えても結果は同じである。つまり税額はゼロだ。同じゼロなんだから、いいんじゃないかなとも思う。すでに申告書には細かい数字を記入済みで捺印もしてある。あとは税務署に持っていくだけだ。書き直すのは面倒くさいのだ。
 書き直す場合、元の数字が間違えているので、財務諸表自体を作成しなおさなくてはならない。今のものは青色申告の会の人に確認してもらったものだが、修正すれば、結果は変わってくる。修正後の正誤については私では判断できない。作りなおしても、自信が持てない。困ったものである。今日は一応、正しい数字を入れて、もう一度作成してみるつもりだ。でもその結果、「弥生会計」が不穏な動きを見せたなら、その際は、1万円少ない数字でいっちゃおうかと思っている。

 さて、こんな程度の税務知識しかない私だが、恥ずかしながら大学は経営学部出身である。さらに大学院でもアカウンティングを受講している。銀行にも一年間だが勤めていたことがある。それなのに。
 確かに会計の近くをうろうろしてきた私の半生であるが、巧みに簿記は避けてきた。大学、大学院時代の簿記の授業は最低限の知識とやる気ですれすれくぐり抜けたきた。仕事では経営学部出身であることをひた隠しできた。しかしこれって、良くない。今となってそう思うようになってきた。
 それで今回の青色申告を好機をとらえ、心機一転、簿記を勉強することにした。
 ということで、今年になってから簿記の勉強を始めている。書店でイラスト満載の3級テキストを購入してきて、ちょっとずつ進めている。毎朝、仕事を始める前に小一時間ばかり、勉強している。
 簿記って、結構面白いじゃないか。なぜいままで気付かなかったのだろう。大学時代に気付いていたら、違った人生を歩んでいたかもしれない。銀行を辞めずにいて、今では年収、数千万になっていたかもしれない。いや、そうじゃない。そんなことは考えるべきではない。ではなくて、より経済や経営を理解できたように思うのだ。
 今、テキストブックは8割程度終了した。あと2回、全部で3回通しでやるつもりだ。3級の試験は受けるかどうか分からない。受けてもいいようにも思うが、でも取ったところで自己満足にしかならないように思う。だから、多分受けない。ただ3回だけは読み通したい。そして完全に理解したい。

 来年の確定申告は、「弥生会計」の内容を理解した上で、記帳できるようになるつもりである。そう、あくまで、つもりである。

結果は自ずとついて来る


 昨日、締め切りだったトライアルに応募した。ある医学書の出版翻訳のトライアルである。前にもちょっと触れたが、6P程度で分量はそれほど多くない。しかし専門用語の連続で、下調べに時間がかかった。また700P超の大部の抜粋なので、全体像がつかめない。そこを想像しながらの訳となった。ゆえに1週間まるまる費やしてしまった。
 自己評価としてはそこそこの出来だと思う。1週間、自分としては精一杯努めたつもりだ。今の自分の実力が反映されている訳文だと思う。後は結果を待つだけだ。

 トライアルに合格して仕事が来たら嬉しい。初めての出版になるのだ。しかし不合格であったとしても、それは良しだと思っている。ちょっと以前だったら、そうは思わなかったはずだが。
 いくつか実際の仕事をこなしてきて、分かってきたことがある。訳者はクライアントが求めるクオリティー以上のものを作らなくてはならないということを。そうしなけらばクライアントに迷惑がかかる。仕事はあくまでもクライアントありきなのだ。訳者の生活や気持ちは関係ない。
 一昨年、昨年と数少ないがトライアルを受けた。課題文が難解であったり癖があったりしたら、翻訳会社(そのときはクライアント直ではなかった)の意地の悪さに憤った。そして何とか書き上げた訳文には、随分な自信を持った。こんな素晴らしい訳を落とす奴らはバカだと。もし落としたなら、それは翻訳会社の目がないのだと真剣に思った。そしてトライアルには落ち続けた。
 バカは翻訳会社でなく自分であった。私以外に、どんな人が何人トライアルを受けたのかは分からない。しかし翻訳会社の目から見たら、少なくても私はトップではなかったのだ。仕事を請けるためにはトップでなくてはならない。翻訳会社、クライアントが得られる訳者の中で、最高のクオリティーを提供できる訳者でなくてはならない。

 だから今回、落ちたとしても仕方がないと思う。私よりうまい訳者がいたということだ。私が訳すより正確で読みやすい訳文ができたのなら、完成した本を読む学生も喜ぶというものだ。私はちょっと落ち込むだろうが、そんなことは出版という実業の中では意味をなさない。出版社も学生も最大のメリットを享受できることこそが、善なのである。

 もっと学ばなくてはならない。英語力はまったく不十分である。日本語もあまりうまくない。語彙も少ない。表現のレパートリーも足りない。クライアントのためにも、出版社のためにも、そして読者のためにも、技術を向上させなくてはならない。
 ようは一番になればいいのだ。トライアルを受けた訳者の中で最高の訳文を仕上げれば、結果は出るのだ。結果自体に気を病んでも意味がない。そんな暇があれば、良い文章をたくさん読み、原書を多読し、文章を書こう。すれば自ずと結果がでてくるはずだ。

 本日は最近、仕事をくれた会社の社長と飲んでくる。私の訳文を誉めてくれた人だ。でもまだ不十分であることは自分でも分かっている。そんな不十分な私に仕事をくれた社長に感謝しなくてはならない。次はさらに良い仕事をしたいです、社長さん。
 しかし飲んだら、きっと偉そうなことを言うだろうな、おれ。


韓国の底力


 夕べはかみさんが会議で帰宅が遅くなり、それまで飲んで待っていた。飲むと本が読めなくなるのでテレビを付けた。地上波、BSはどれも見たいと思える番組がない。それでケーブルをザッピングしていたら、韓国のミュージックビデオを流している番組があった。最近、見る番組がないと韓国や中国の歌番組を見る。
 昨夜は男性グループが何組か出ていた。おどろいた。みんなカッコいい。相当。
 一組だけメモをとった。グループ名はSHINee。派手な化粧をしていて素顔は分からないが、クールである。背も高くて肩幅もあり、日本のアイドルに比べて男っぽい。それでいて色気がある。ダンスもうまい。歌だけはジャニーズ並みであり欧米のアイドルに劣るように感じたが、ルックスはむしろ欧米より上だ。

 最初に入った会社はHSBCという英国系の銀行だった。上司はブッカーという名のケンブリッジ卒のスコットランド人であった。なぜスコットランド人というかというと、彼がそう主張していたからだ。イングリッシュというと猛然と怒った。まあそれは、今回の話題とは関係ないのだが。そのブッカーが日本に来る前の前任地が韓国であった。それで韓国について聞いてみたことがある。当時の日本はバブル直前でとても元気があった。しかし韓国も大統領制に移行した時期で、明るい兆しが見えていた。韓国も日本に肩を並べ、あるいは追い抜く日が来るかもしれないと私は思い、ブッカーに意見を尋ねてみた。
 ブッカーはそれはない、と断言した。理由は忘れた。もしかしたら言わなかったのかもしれない。ただ彼の在韓経験と在日経験を元にした日韓比較であり、単なるフィーリングであったのかもしれない。
 ケンブリッジ出でいかにも頭の良さそうな上司の言葉は私の記憶に残った。そして私も理由なく、そうなんだろうと思い続けていた。

 最近の韓国経済の威勢の良さは周知の通りである。韓国は人口が日本の半分だから、中国のようにGDPで日本を追い抜くことはないだろう。しかし国民一人当たりのGDPなら十分、可能性はある。今はまだ半分強のようだが、この先は分からない。日本のGDPの高さは円高の影響が大きい。今の80円が120円程度になれば、おそらく韓国に抜かれる。

 昨夜の韓国男性アイドルを見ていて、その日は確実に来るのではと感じだ。彼らの思い切りの良さが、現代経済のシステムと親和性が高いと思うからだ。
 女性アイドルもそうだが、彼らはとても人工的である。身長、スタイル、顔を厳選し、アイドルグループを製造する。曲もダンスも躊躇なく流行を模倣する。それに比べ、日本のアイドルグループはより自然である。背が低くても、顔があまり良くなくても、きっと性格が良かったり、話が面白かったりするのだろう。それでグループの一員になれる。だからグループに人工的なまとまりがない。そして日本のファンは、むしろそれを好む。一方、韓国はためらいなく、きっと冷酷に外観でアイドルを選別する。結果、韓国のアイドルグループは美男美女ばかりである。カッコがいい。

 韓国の企業も韓国のアイドル製造と同じような規範で動いているように見える。徹底した合理主義である。

 昨夜の韓国アイドルを見ていて、韓国の底力を感じた。しばらくはこの勢いが続くだろう。しばらくは。


私の不思議な力


 今日は怖いはなし。
 私には不思議な力があるようだ。でももしかしたら皆が持っている力かもしれない。あまり話したことがないので分からないが。
 私には霊感線というのが手相にある。これは誰にでもあるものではない。しかし私にはある。それも大きいのが、はっきりと。
 手相は少し勉強をした。アメリカに留学する前に、何か日本的な特技があると良いと考え、一夜漬けで勉強をしたのだ。簡単な本を、2,3冊読んだ。その程度なので、かなりいい加減である。
 しかしこれは大いに役立った。アメリカではよくホームパーティが開かれるが、そこで手相を見た。英語が下手で、最初のうちは友人が少なかった自分であったが、手相のお陰ですぐに周りと打ち解けることができた。キャンパスでは鼻にもかけてくれないような美人が私の前に列を成したりした。
 そういうことで、ちょっとだけだが手相が分かる。その手相によると、私は霊感が強いようだ。

 電話が掛かってくる直前に、電話があることを直感することがある。「あ、電話だ」と一瞬、感じる。そのときは電話がかかってきたと、勘違いすることが多い。しかし、その時点ではかかってきていない。電話がかかってきたと勘違いし、立ち上がったその瞬間に電話がある。時間でいうと、実際電話が掛かってくる1~2秒前に感じるのだ。
 これはきっと、電話から何かの気が発せられるものではないと思う。掛けてくる相手の気を感じるのだと思う。それは相手に左右されない。相手も霊感の強い人間であるとは限らないように思う。ただ相手も、「そうだ電話をかけよう」と、私のことを考えながらダイヤル(プッシュ!?)すればいいのだ。いや、相手に霊感があるのかどうかは分からない。聞いたことがないので。でもあまり関係ないように感じる。ただ相手が、とっさに私を強く考えながら、ダイヤルすればいいだけなのだ。そうすると、不思議に私が相手の気をキャッチするのだ。でも、そう頻繁ではない。実はめったにない。でも、あることはある。何度かあった。

 もうひとつ。これは、とても強い、そして怖い力だ。今まで人に話したこともあまりない。
 私がある人を強く憎む、そして相手の不幸を念じると、それが実現してしまうのだ。過去にこんなことがあった。小学生のころ、クラスにとても狡猾で残忍な男がいた。こんな表現をするとオーバーに聞こえるだろうが、今考えても実際、そういう男(少年)だった。
 私はそいつと何度か喧嘩をしていた。口喧嘩なんかじゃない。殴り合いだ。そうとう派手なのを何回もやった。結果はほぼ私の負けであった。小学生の頃はよく、殴り合いの喧嘩をしたが、あまり負けたことがなかった。でもそいつには、ほぼ完敗であった。体が大きくて力が強く、さらに喧嘩慣れしていた。
 喧嘩の原因はいつも、そいつが私に絡んでくる、あるいは他の仲間を苛めていて、私が介入する、といったことだった。だからそいつを激しく憎んでいた。
 ときどきだが、そいつを呪った。近くの森に入り、そいつの不幸を祈った。すると不思議に、そいつは次の日に学校を休んだ。

 そいつは風邪を引いたが、腹を壊したか程度で済んでいた。私もそいつの死までは願っていなかったし。しかし私は、ある人の死を願ったことがある。それも小学生のころだ。
 ある男性教諭がいた。20代の壮健な男だった。その男性教諭はえこひいきをする先生であった。私は好かれていなかった。先生の明らかなえこひいきは、小学生の私にとって許せない行為であった。だから憎んだ。私が嫌うと、先生の私への態度はさらに冷たいものとなった。あるとき、私は「先生なんて死んでしまえ」と呪った。小学生だから、容赦がない。真剣に呪った。そしたら、先生は死んでしまった。春には普通に学校に来ていたが、夏には学校を休むようになり、秋に死んでしまった。

 それから私は人を呪わないようにしている。あれは偶然であったようにも思う。でももし、私の呪いによって死んでしまったとしたら。とても怖い。だから、あれからこの力は封印している。冗談でも他人の死を願わないようにしている。

 私の不思議な力。でもこれって、もしかしたら普通なのだろうか。みんな、持っている? 多かれ少なかれ、持っているようにも思うが。どうだろう。


ドライブ、そして発見


 一昨日の日曜の話。甥っ子を送って愛車で逗子駅まで行った。かみさんも一緒だったので、甥っ子を送った後、ドライブをすることにした。かみさんとは始めてのドライブである。
 道は考えずに適当に走った。なんとなく地図は頭に入っているつもりで走ったのだが、全然予想とは違う経路を走ることになった。
 駅前の道をずんずん行くと、見慣れた風景が現れた。先週行った、横須賀である。駅前の道をまっすぐ行くと横須賀なのだ。初めて知った。このまま盲めっぽう行くと、帰ってこられそうにないので、そこからは地図を確認しながら走った。海沿いを南下し三浦海岸まで来た。ここも見覚えがある。昨年、今年と三浦国際マラソンを応援しに(ただ酒を飲んでただけだが)来た場所だ。
 そこから内陸部に入り三浦半島を横断した。そこは畑が大きく広がる土地であった。沿道では地元の農家が取れたての野菜を売っていた。一軒に入ってみた。時間が遅かったので、どうも目玉商品である様子の大根は売れ切れていた。そこで買ったのはキャベツと何だかの葉っぱの浅漬け、それとロマネスクなる野菜。キャベツは150円、浅漬けも150円、ロマネスクなる野菜は定価が250円だったが200円にしてもらった。
 さて畑地帯を抜けると海に出た。相模湾である。そこをぐんぐん北上し逗子に到着した。

 走っていて気付いたこと。三浦半島は半島の東側と西側では風景が異なる。そして当然、内陸部も違う。横須賀や三浦海岸がある東海岸だが、庶民的な雰囲気が漂っている。実家のある千葉と似ている。国道沿いにはホームセンターやスーパーが建ち、パチンコやスロット屋が並ぶ。ほぼ途切れることなく商店や民家が軒を連ねる。人口の多さが伺える。
 内陸部だが、ここは農村地帯だった。三浦半島は小さな半島で都心に近いのだが、しっかり農村地帯を形作っている。といっても本格的な田舎でなく、千葉や埼玉の、それも都心近郊の農村地帯と似たプチ田舎であるのだが。
 そして西側だ。正直、農村地帯から西側の海に出て、さらに長者ヶ崎辺りに来たときに、ほっと安心した。ホームタウンに戻ってきたと感じた。逗子、葉山、鎌倉と同じ景色、臭いがした。こちらはまず海が岩場中心である。だから透明度が高い。そして陸地だが丘が連なる。だから平地が少なく、レストランや商店は狭い海側に集まり、丘の上にはまばらに民家が建つ。長閑だが整然とした街並みである。歩く人も少し垢抜けているように思えた。

 逗子に着いた後、家の近くの西友に寄った。野菜売り場を見ると、大根、キャベツがある。神奈川産と表示されている。しかし、さっき見た露店のものと比べると明らかに小ぶりで鮮度が劣る。安いと思っていた西友だが、値段も大根が150円(露店は100円だった)、キャベツは200円(同150円)であった。なんだ、高いではないか。スーパーは大量に仕入れているので、安いと思っていたのだが。高くて鮮度が劣るなら、確実に露店に軍配が上がる。

 良いことを発見した。逗子は魚が安くて新鮮であると喜んでいたが、三浦まで行けば、野菜も良いものが手に入る。車で30分の距離である。
 夕食ではロマネスクとレタス、トマトのサラダ。キャベツをたっぷり入れたスパゲッティ、同じくキャベツたっぷりの野菜のスープを食べた。かみさんが作った。どれも美味であった。

プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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