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鳩山一族が大金持ちである理由


 音羽にある鳩山邸のすぐ近くに住んでいたことがある。歩いて5分程度の距離だ。犬を連れて鳩山邸の裏道を毎日のように歩いた。裏道には高い塀が続いていた。塀の長さは50メートル近くあったのではないかと思う。とてつもなく広い邸であった。すぐ近くには、パイオニアの創業者や美智子皇后陛下の生家の邸もあった(今は両方ともない)。そうだ、思い出してきた。他にも有名人の邸はいくつかあった。例えば中村勘九郎(今は名前が変ったんだっけ)姉弟、北の富士、畑村洋太郎、山田五郎の家もあった。
 北の富士は毎朝散歩をしていて、よく見かけた。散歩の最後は近くの豆腐屋で、いつも豆乳を飲んでいたな。私もたまに豆乳を買い、店で一緒になることもあった。畑村洋太郎さん(東大名誉教授、失敗学で有名)とは犬の散歩仲間であった。散歩仲間で忘年会を開いたこともある。
 ちょっと自慢げになってしまうが、つまりかなりの屋敷町だったのだ。といっても私は何も自慢できることはない。ただたまたま、住んでいただけだもの。
 その屋敷町でも鳩山邸はひときわ大きな邸であった。

 なんであんなに大きな家に住めるのか、その頃から不思議に思っていた。確かに日本を代表する政治家ファミリーである。でも政治家って、そんなに儲かる仕事なのだろうか。
 『鳩山一族 その金脈と血脈(佐野眞一)』を読んで、ようやく長年の謎が解けた。なぜあれだけの金持ちなのか。その理由は以下の通りであった。主に3点に絞られる。
 第一は、鳩山家は4代続いた政治家ファミリーであったということだ。2,3代はあるかもしれないが、4代続けて政治家を輩出した家は稀である。2代目の一郎は当然有名だが、初代目の和夫はあまり知られていない。しかし和夫こそが鳩山家を語る上で、最も重要な人物である。特異なこのファミリーの性格を形作ったのは和夫なのだ。
 和夫は東大の前身である大学南校を首席で卒業、大学初の公費留学生としてアメリカに留学している。帰国後は日本初の弁護士事務所を開設。非常に繁盛し、ここでまず一財産を築く。そしてまだ草深かった音羽の高台に二百坪の土地を買った。これが音羽御殿のルーツとなる。その後、次々に買い足していく。
 弁護士家業を続けながら、衆議院議員にもなる。連続9回当選し、衆議院議長も務めた。こちらでも当然、収入はあっただろう。
 和夫は弁護士や政治家としてだけ、稼いでいたわけではない。もうひとつの顔を持っていた。北海道の原野を政府から払い下げを受け、小作を住まわせていたのだ。地主としての顔だ。土地は広大で、広さは82万坪。東京ドーム58個分であった。
 地主としては非常に冷酷で厳しかったようだ。著者の佐野は、「まるで中世の荘園を思わせる絶対的な支配権力」を屈指していたと書いている。
 続くのは一郎だ。一郎も東大法学部を8番の成績で入学し、3番で卒業した。これ自体、すごいことだが、鳩山家では一郎はできの悪い息子であった。なぜなら一郎には弟がいて、この弟は東大開校以来の秀才といわれていたからだ。
 さて蓄財についてだが、一郎は政治家としては頂点を極めたが、こちらは特に大きな貢献をしていない。あえて言うならば、次の威一郎に財産を減らさずにバトンタッチしたことだろう。
 続いて、威一郎。こちらも東大法学部を一番で卒業し、大蔵省に入省。最後は官僚トップの事務次官まで上り詰めている。その後は参議院議員となり外務大臣を務めている。
 政治家としては、鳩山ファミリーの中では精彩を欠いた感のある威一郎だが、蓄財ではファミリー最大の貢献をしている。大金持ちの娘を嫁にしたからだ。ここはよく知られたことなので、ご存知かもしれない。妻の安子はブリジストン創業者の石橋徳次郎の孫で、莫大な資産を継承した。軽井沢の別荘も、この石橋家がらみで入手したらしい。
 そして現在の鳩山兄弟である。この二人も東大卒。兄の由紀夫は工学部、弟の邦夫は法学部を卒業している。二人とも学業優秀な兄弟である。私は知らなかったのだが、あの見た目はちょっと亡羊としている邦夫は鳩山家の頭脳を正しく継承し、最優秀な学生であったという。あまりに成績が良すぎて、弟と比べられることを避けるために、由紀夫はあえて工学部を選んだほどだ。蓄財とは離れるが、初代の和夫、一郎の弟(秀雄)、威一郎、邦夫と4代続けて東大を首席で卒業している。確かに頭の良さは、折り紙つきである。
 しかし蓄財については、この二人も特に貢献しているとは言えない。一郎同様に政治家としては活躍というか、出世はしたが、マネーメーキングにはあまり興味がないらしい。しかし、これも一郎同様に資産を死守するという面では極めて優秀な二人である。ここからは鳩山家が大金持ちであり続ける、第二の理由に入る。

 第二の理由は、ファミリーは4代を通じて、資産を誰も浪費していないことだ。ひとりぐらいおっちょこちょいがいて、資産を食い潰しても良さそうなものだが、それがいない。
 また政治家であれば、ときに身銭を切って、子分達に振舞うべきときもあるだろう。新たな政党を立ち上げれば、その原資を自ら出す必要もあるだろう。しかしこのファミリーはそれらをまったくしてこなかった。これが、田中角栄や他の政治家との一番の違いかもしれない。ちなみに田中角栄と鳩山一郎はほぼ同時期に死亡した。残した財産もほぼ同じ額、たしか200億円弱である。しかし、角栄の相続税を払うために真紀子は目白の邸の一部を売却した。鳩山邸は無傷である。
 角栄は、子分の面倒見がよい政治家として有名であった。金策に労している子分には惜しみなく札束を与えた。鳩山ファミリーはこれがない。自分の子供には、莫大な資産を残すのだが。
 この伝統は由紀夫、邦夫も守り続けている。由紀夫は総理までも務めたにも拘わらず、なおかつ大資産家にもかかわらず、身銭を切らない。例えば新党さきがけを結党したときには2億円を出資している。しかし離党する前に、ちゃんと取り戻した。また旧民主党結成の際にも15億円を出資したが、政党助成金により、しっかり返還を受けている。つまり金を出しているように見せて、実はまったく出していないのだ。見せ金なのだ。

 第三の理由は妻達にある。実は鳩山家は女系家族といわれているのだ。そのぐらい妻達が強く、優秀であった。
 やはり蓄財といえば妻である。浪費家の妻を持って財産を築くことは不可能だ。夫の方は多少金遣いが荒くとも、妻がしっかりしていれば、家計は安泰である。家の財産は実は妻が築き上げるものなのだ。
 この第三の理由が、おそらく鳩山一族の蓄財を語るうえで鍵となるであろう。そしてこれは偶然、優秀な嫁が続けて嫁いで来たわけではない。すべて計算づくの嫁選びなのだ。その面では男達に慧眼があるといえる。
 初代目和夫と二代目一郎の妻は、才女として誉れ高い女性だったと。威一郎の妻、安子は学業の方は分からないが、威一郎も頭が上がらないほど賢い女性である。そしてあの相続財産だ。現在はファミリーのゴッドマザーとして、君臨している。
 ただしこれらの話は3代目までだ。由紀夫の妻である幸(みゆき)、邦夫の妻エミーは、優秀とはいえない。強くはあるが(と本に書いてあった)。おそらく鳩山王朝は4代目で終わるだろう。もっとも大きなファクターである嫁選びで、ふたりは家訓を守ることができなかったからだ。

 本を通読して感じたこと。確かに学業は最優秀のファミリーである。よくこれだけ優秀な頭脳が引き継がれてきたと驚くほどだ。しかし人間的な魅力は誰からも、何も感じられなかった。初代目からずっとそうなのだ。はっきり書くと、どいつも、常に嫌な奴らだ。自己本位、卑怯、狡猾、異常なまでの上昇志向。次男である秀雄や邦夫は、どこか間の抜けたというか人の良さを感じさせるところもなくはないが、嫡男はそろってこの性格を継承している。

 嫌な奴らでなければ、金は残せないということであろうか。ちょっと寂しい結論で、申し訳ない。

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夏の朝


 本日も4時半起床。すぐに人間と猫の朝食を作る。人間の献立は自家製のちりめん山椒、もらい物の漬物、よこすかJAで買ってきた地卵のTKG、かなり以前に採ってあったアシグロというキノコのお吸い物。猫のは毎日同じ、ドライフードである。
 5時半にはかみさんが出勤、見送るとすぐに食器の後片付け、猫のトイレの掃除、洗濯、ゴミだし、髭の手入れ、髪のセット、歯磨きなどしているともう6時半を過ぎていた。
 それから散歩へ出動。コースはいつもの裏山である。裏山に登って、深呼吸とストレッチ。それからぐるりと公園を歩いて帰宅。所要時間は約50分であった。
 続いてプランターの植物に水遣りをした。実はプランターは8つあるのだが、そのうち植物が根付いたのは4つのみであった。その4つの種類は、バジル、イタリアンパセリ、コリアンダー、ルッコラである。その他にミツバとネギ、ホウレンソウの種を蒔いたが、芽吹かなかった。これらの種はいつ買ったのかも不明な古~い種で、蒔いた時点であまり期待していなかった。しかし奈良時代の種から蓮の花が咲いたというニュースを記憶していたので、もしやと考えた。しかしいくら待っても芽は出ない。諦めて昨日、100円ショップで種を買ってきた。2袋で100円のものだ。これもあまり期待できないかもしれないが。

バジル
元気に育ったバジル。毎日、少しずつサラダにトッピングして食べている

 それでも本日、種を蒔いた。さてどうなるだろうか。今回、買って来たのは袋に6月でも間に合うと書いてあったホウレンソウ、ネギ、ミツバ、そしてアスパラガスである。最初の3種はリベンジだ。最後のアスパラは先日、kozawanさんから送られてきたものがあまりに美味しかったので、ちょっと試してみたくなった。もう10年近く前にもアスパラはトライしたことがある。そのときもプランターだったが。見事に失敗した。アスパラをプランターで育てることは簡単ではなさそうだ。

 散歩から戻り、プランターに種を蒔き、水をやったらすっかり汗だくになってしまった。冷たいシャワーを浴びてから、自家製フルーツのお酢漬けを水で薄めて飲む。毎日の恒例である。

 しかし逗子はすっかり真夏の装いだ。空気は海水浴の海の臭いがする。逗子はすでに海開きをしている。湘南で毎年一番早いのだ。
 ああ、海に行きたいなぁ。でも我慢をしよう。まずは仕事と将来の仕事に繋がる勉強をしなくてはならない。

幸福な週末


 土曜日は久しぶりに寝坊した。といっても起きたのは8時半だが。それでもいつもは4時半起きだから、随分遅い。最近、歳のせいか遅くまで眠ることができなくなった。寝ていられて7時程度。週末でも大抵、その前に目が覚めてしまう。
 土曜の朝、遅くまで寝ていられたのはきっと酒断ちが続いているからだ。先週の月曜から続けていて、金曜の夜で5日になった。72時間経つと、体からアルコールは完全に抜けるらしい。だから土曜日の朝は、我が体はまったくノンアルコールの状態であったわけだ。それで寝ていられたのだろう。
 心配していた不眠症状はまったく出ていない。むしろ眠たい。夕食を食べ終えて、本など読んでいるとウトウトする。これ、私の長い間の憧れであった。夕食後の読書と、ウトウト。
 夕食後、満腹で満ち足りて、猫の頭なんかを撫ぜながら、そしてウトウトしながら読書をする。私は酒を飲んでしまったら、読書はできない。飲まないからこそ、実現した憧れの時間である。
 ちなみに私の叔父のひとりに東大医学部卒の医者がいた。今は故人である。その叔父は、いつも酒を飲んでいるか勉強をしていた。私も空いている時間は大抵、酒を飲んでいるか本を読んでいる。でも前述のごとく、飲んだら読めない。だから飲んだら、さらに飲むか、寝るかの二者択一になる。しかし叔父はかなり飲んだ後も書斎で、何やら難しい本を読んでいた。そういう人もいるにはいるのだが。

 ゆっくりと起きた土曜はかみさんとドライブをした。コースはまずは小坪漁港の魚屋へ。先週も行ったので二週連続である。この魚屋は安くて新鮮でとても良いが、ビニール袋持参でないと思い切り嫌な顔をされる。先週はビニール袋を忘れていて、嫌味を言われてしまった。忘れた方が悪いのだから、仕方がない。魚屋にとってはコスト削減、お客にとっては無駄の削減。だから今週は忘れずに持っていく。
 今回、買ったのはイサキ1匹と、鮪の切り身3切れだ。
 それから逗子、葉山を通過して、向ったのは三浦半島の中央部。目的地は三浦半島のどこかにあるだろうと思われる路上野菜売り場である。前回のドライブで何箇所も目撃した場所の一箇所だ。場所はどこでも良かった。ドライブついでに新鮮な野菜が買えればいいのだ。
 ぐんぐん車で走ると偶然にJAよこすか葉山の直売所「すかなごっそ」というところに行き着いた。6月2日、オープンしたばかりである。ここがなかなかの掘り出し物件であった。

JAよこすか葉山
偶然見つけたJAよこすか葉山の直売所「すかなごっそ」の店内

 値段はおそらく路上売り場並み、あるいはより安価だ。種類はう~んと豊富である。さらに地卵だとか、パン、葉山牛、地元の米なども売っていた。
 ぐうたら主夫生活に入ってから、食料品売り場を歩くのが好きになった。そんな自分には、いるだけで楽しい場所だった。居並ぶ野菜はどれもプリンプリンの新鮮で、安い。とても良い場所を見つけた。月に一度程度来たいとかみさんと言い合う。
 我々が買ったのは、インゲン、トマト、大根、ネギ、ニンニク、ミョウガ、ナス、シメジ、地卵、玄米、それとコロッケである。帰りはコロッケを頬張りながら、運転した。

 夜は早速、小坪で買ったイサキを中華風に蒸したもの、横須賀で買った野菜の中華風サラダを作った(かみさんが)。ともに、とても美味であった。思わず一杯、飲みたい気分になったが、ぐっと抑えた。

イサキ
イサキの中華風蒸し焼き。上にトッピングしてあるのは自家製パクチー

 日曜の朝は5時半起床。昨日買った地卵でTKG(“卵かけご飯”をこういうらしいですね。かみさんに教わりました)を作った。これもまた、うまかった。よくグルメ番組で、地鶏の卵で卵かけご飯を作ったのを食べるシーンをやっているが、以前からとてもやりたかった。ついに夢の実現である。感無量。
 朝食後は文京区の道場へ合気道の稽古に出かける。いつも師範の受けを取る(投げ飛ばされる)、N君が休みだったので、師範の受けを沢山することができた。2時間半、たっぷり稽古をして体調はすこぶる良好となる。お腹もすこぶる空いて、夕ご飯もうまかった。ちなみに夕食は、昨日の野菜を使ったぺペロンチーノと、シメジ他のキノコのチーズ焼(チーズはイタリアで買ったペコリーノ)、サラダ、野菜スープ。
 幸福な週末であった。

風から“気”を頂戴する


 夕べから風が強い。昨夜は風の音で目を覚ましたほどだ。今も窓から風の音が聞こえる。これだけ風が強いと鳥達も静かだ。今、窓からはトンビもカラスも見えない。どこにいるのだろうか。風が強いからといって、餌を探さないわけにはいかない。人間のように食料が冷蔵庫に保存されている訳ではないのだから、毎日食べる分を捕食しなくてはならない。彼らはその日暮らしなのだ。しかし、決して気ままではない。トンビなんて、いつも気ままそうに見えるのだが。

 今朝も散歩にでかけた。よく行く場所に向かった。そこは自宅から歩いて10分ほどの小さな丘の頂上だ。頂上からは相模湾が見下ろせる。空気の澄んでいる日は、大島や伊豆半島も見渡すことができる。
 この丘にくるといつも軽いストレッチをした後に、深呼吸をする。最近、文京区の合気道道場でならっている地面から“気”を吸い込み、天に向かって放出しながらの深呼吸だ。師範はそうはっきり言っているわけではない。ただ師範の深呼吸の型を見ていると、地面から気を吸い込み、天に放出しているように見えるのだ。だから私は、そういうイメージをしながら深呼吸をしている。

 いつも風の強い日には感じる。大気の強い“気”を。以前はよく台風が来ると近くの海まで車ででかけたものだ。海からパワーをもらうために。
 今日も丘から相模湾を見下ろしていると、強い“気”を感じた。そして深呼吸を始めると“気”はより強く体に刺激を与えた。
 この丘の上で深呼吸をすると、普段も少し“気”を感じることができる。気のせいかもしれないが、そう思っている。今日はその“気”がいつもに増して、強いものだった。
 地面から“気”を吸い上げるイメージで吸気する。吸気は比較的短い時間でよい。そして上腕と体を天まで伸ばすイメージで吸気を最大限にもってくる。腕が頭の真上にきたときがクライマックスだ。そのタイミングで強く“気”の放出をイメージする。
 それからゆっくりと、これは時間をかけて空気を吐き出す。その際には体を少しずつ前屈させる。最後は腕をだらんと前にたらす。
 そして再び地面から“気”を吸い込むイメージで、空気を体内に取り入れる。これをゆっくりと5回繰り返す。
 
 今日は1回、2回と繰り返すうちに、後頭部に温かさを感じた。初めての経験である。“気”を頭から天に向かって放出するのだが、“気”が頭を通過するときに、ホワンと温かくなった。5回を繰り返すと、余熱がしばらく残るほど、後頭部に暖かみを感じた。
 深呼吸の5回目はとくに力強く呼吸をしたのだが、その瞬間不思議なことに突風がやってきた。飛ばされるほどの風だった。その突風から、非常に強い“気”を感じることができた。

 風と“気”は何か関係のあるものだろうか。不思議な経験をした。

稲村ガ崎
丘からの相模湾。稲村ガ崎も見える。


和文英訳に挑戦


 昨日は終日、翻訳トライアルの課題に取り組んでいた。初めての和文英訳である。この翻訳会社は1年ぐらいまえにトライアルを受けて(書類審査のみ)合格していたが、その後連絡がなかった。仕事は来ないものと諦めていたところ、先日仕事の打診があった。ただしクライアントからのトライアルに合格することが条件である。受けてみるかと尋ねられ、挑戦してみることにした。しかしそのときは問い合わせのメールをよく読んでおらずに、英文和訳だと思っていた。英文和訳のみで登録したつもりでいたのだ。実は和文英訳でも登録してあったのだ。
 もし和文英訳の仕事だと知っていたら、引き受けなかったかもしれない。なぜなら、自信があまりないので。翻訳学校では和文英訳の授業を取ったことがある。なかなか面白いと感じた。かなり前にTOEFLを受けたときに英作文が一番の高得点であった。だから興味のある分野ではあったし、少しだけ自信もあった。ただ経験がないので、あまり自信が持てない。
 課題が届いて驚いた。和文英訳だから。できるだろうか。最初は戸惑いがあったが、取り掛かり始めると興が乗って面白い。日本語は100%理解できるのだから、誤訳はありえない。ありえるのは不自然な表現と文法ミスである。これさえ気をつければよいのだ。しかしここがとても難しいのだが。ただ何と言っても、原文を正確に理解できることはありがたい。また英作文自体はパズルを組み立てるような面白さがある。

 ところがだ。実はちょっとした問題があった。日本語の原文があまり上手な日本語でなかったのだ。日本人が書いたものであることは分る。表現に不自然さがない。しかし、やたらと長い文章で、構文が乱れている。どう読んでも意味が複数に取れる箇所がある。似たような表現が続き、冗長性を感じさせる。
 これをストレートに翻訳したら、はたして外国人は意味を理解できるだろうか。もし正確に翻訳できたとしても、翻訳者の文章が下手で、意味不明な文になっている、と思われかねない。
 そこであることを、思い出した。翻訳学校で習ったことだ。実務翻訳の場合は原文の作者は文章の素人である。とんでもなく下手くそな日本語のケースが少なくない。そこで翻訳者は原作者の言いたいことを忖度して、それを一度まともな日本語に置き換え、それから翻訳しなくてはならない。
 英語を書くこと以上に、日本語の解釈に頭を使った。冒頭で原文を100%理解できることが、和文英訳のよいところだと書いた。しかし100%理解はできるが、それはあくまでも書かれている文章をである。作者が何をいいたいかではない。そこに実は問題があったのだ。

 今回はトライアルということで、あえてこのような難文を用意したのだろう。しかし実際の仕事でも、このようなケースは想定される。なかなか簡単にいきそうにない世界である。

 ただトライアルもそうだったし、もし採用された場合の本番もそうだろうと思うが、今回の仕事は楽しそうな内容である。政府の金融財政についてのレポートだ。製造機械のマニュアルなんかに比べたら、うんと楽しい。
 結果はどうなるのか分らないが、どちらにせよ、今後拡げていきたい和文英訳であり分野である。

 
 今日もアササン(朝の散歩)に行ってきた。昨日のようには快晴ではなかったが、その分涼しくて歩きやすかった。
 いつもキノコの写真ばかりなので、今回は趣向を変えてお地蔵様の写真を載せる。裏の山にひっそりと佇むお地蔵様である。作りから推測するに古いものではない。かわいらしい現代的なお地蔵様である。
 いつも花が供えられている。今朝もそうだった。写真では分りづらいかもしれないが、右に見える紫陽花がそうだ。地面から生えているように見えるかもしれないが、供えられたものだ。

お地蔵様
名越の切り通しへ行く道の、路傍に立つお地蔵様


 一応、報告。昨夜も禁酒に成功した。背中の痛みは、さらに軽減された気がする。眠りも深い。できるだけ、このまま続ける所存である。

短パンデビュー


 夏ですね、すっかり。空は青く、木々は濃緑。ウグイスとシュジュウカラが囀り、そよ風はここちよい。
 本日、初めて短パンを引っ張り出して履いた。涼しくて気持ちがよい。窓を開けっぱなしにすると涼やかな風が入ってくる。今日は30度を越えるそうだが、このぐらいなら我が家は快適である。扇風機も、もちろんエアコンも必要なし。
 スーパー・クールビスも結構だけど、みんな短パン、ビーサンで通勤するグレート・スーパー・クールビズにしたらどうだろうか。さらなる室温アップにも耐えられますよ。

 本日も朝の散歩に出かけてきた。昨日、キクラゲを取って気をよくして、今日は少し山の奥まで入ってきた。しかし結果は収穫なし。でも濃い空気を一杯吸って、気分は爽快であった。
 普段は45分程度の散歩だが、本日は一時間強も歩いた。しかもかなりの山道を。おかげで汗をびっしょりかいた。帰ってすぐにシャワーを浴びて、自家製の角砂糖とフルーツをお酢につけたものを、水で割って飲んだ。我が家の夏の定番である。とても、まいう。「ぐいぐい、うめ~」

 ああ、そうだ。昨日のブログで禁酒の報告をすると約束していたっけ。さて、結果はいかに?
 みなさん、挫折したと思っていたでしょ。いやいや、ところが。自分でもまったく自信がなかったのだが。はい、成功しました。なんとかですが。
 これで2日連続、酒絶ちをしていることになる。20歳以降、入院したときを除き、初の快挙である。
 おかげで背中の痛みも少し和らいだ気がする。
 一昨日の夜は、何度も目が覚めたが、昨夜は一度も目が覚めなかった。朝も熟睡していて、アラームが鳴った時点では深い眠りの中であった。普段は外が明るくなると、眠りが浅くなっていたようで、すぐに目が覚めるのだが。今日はまったくの夢の中で、しばらく夢と現実の区別が付かなかった。密度の深い睡眠が取れたようである。

亀
近くの池の亀。た~くさん、泳いでいた

紫陽花
池の横に咲く紫陽花の花。

クサウラベニタケ
クサウラベニタケというきのこ。この辺りに多い。猛毒である

ノウタケ
ノウタケというきのこ。脳みその形に似ているからこの名に。ソテーにするとうまい。小さいので取らなかった


飲まずに寝る


 世の中には人にとっては何でもない行為であっても、自分にとっては大きな意味を持つ行為がある。昨夜はそんな行為を体験した。
 夕べは酒を飲まずに寝た。わたしにとっては大きなできごとである。どのぐらい大きいか。酒を飲まない人や、週に何度か禁酒しているひとには分らないだろう。とてつもなく大きい。
 何度もトライをしたことがある。しかしいつも、途中で挫折した。飲まずに布団に入ると、飲まないこと自体に意識が持っていかれ眠れない。寝ようとすればするほど、眠れなくなる。結局、布団から抜け出しキッチンへ向い、一杯持って布団に戻る。でもこれはまだうまくいったケースで、大抵は夕食を目の前にするだけで、意志はもろくも崩れ落ち、冷蔵庫からビールを抜き出すことになる。

 福沢諭吉の『福翁自伝』に次のような記述がある。
 「わたしの身にきわめてよろしくないきわめて赤面すべき悪癖は、幼少のときから酒を好む一条で、しかもずぬけの大酒、世間には大酒をしても必ずしも酒がうまいとは思わずに飲んでも飲まなくてもいいという人があるが、わたしはそうではない。わたしの口には酒がうまくて多く飲みたい」
 まったくしかり。この文を見つけて、どれだけ気を強くしたことが。日本一の文化人が酒好きである。当然、彼我の実力の差、才能の差を分っている。でも、うれしい。酒飲みでも一流の仕事ができるのだ。とくに嬉しいのは、「酒がうまくて多く飲みたい」のところだ。まったく同感である。酒って、うまいもんなぁ。
 「勉強のかたわら飲むことを第一の楽しみにして、朋友の家に行けば飲み、知る人が来ればスグに酒を命じて、客に勧めるよりも主人の方がうれしがって飲むというようなわけで、朝でも昼でも晩でも時をきらわずによく飲みました」
 これもまさに、肯きながら読んだ。人の家に行けば、勝手に冷蔵庫を開けて飲み、人を呼べば朝昼関係なく酌を勧める。人のことより、自分の酒である。なんであんなに欲しくなるのか。自分でも分からない。習慣なのか依存なのか。ただの好みはとうに超越している。
 しかしこんな諭吉さんも、後年酒を控えていく。
 「こう飲んではとても寿命を全うすることはかなわぬ。・・・まず朝酒を廃し、しばらくしてから次に昼酒を禁じたが、客のあるときはやはり客来を名にして飲んでいたのを、ようやくがまんして、のちには客ばかりにすすめて自分は一杯も飲まぬことにして」
 そうして諭吉さんは断酒に成功したのだ。生来の酒飲みのところのくだりでは、「そう、そう」と肯きながら読み、断酒のくだりでは「そうはいっても」と、一万円札の肖像画の人物と同じようにいくわけがないと、言い訳をしながら読んだのだが。
 しかし自分も観念のときが来たのかもしれない。諭吉さんよりも、気付くのが遅かったような気がしないでもないが。
 
 昨日のブログで、背中が痛いと書いた。今も痛む。ネットで検索するとよからぬ病気の可能性がある。病名は書かない。書くだけで恐ろしい。いやな病気だ。
 不可逆性、つまり治らない病気なのだ。一生、酒は飲めず、肉も食べられず、コーヒー、お茶も飲めず。そんな生活を強いられる病気だ。そして当然、死ぬ。体が持って生まれた本来の寿命よりも、早く死ぬ。
 今からではもしかしたら遅いのかもしれない。しかし完全に悪化してからよりはマシであろう。
 ということで昨夜はうん十年ぶりに酒を飲まずに寝た。記憶が正しければ、酒を飲み始めてから、飲まなかったのは過去2回だけだ。酒を飲み始めたのは20歳ぐらいからだから、もう30年近くも飲み続けている。その間、飲まなかったのはたった2回だけ。一度はある泊りがけの講習会に参加したとき。もう一度は入院したとき。ともに強制的に飲むことを禁じられた。それ以外は、毎日、くどいようだが、ほんと毎日飲んでいる。
 考えてみれば、自らの意志で飲まなかったのは、昨夜が始めてなだ。我ながら恐ろしい事実だ。

 眠れないと思ったが、案外簡単に眠ることができた。しかし夜中には何度も目が覚めた。冷蔵庫を開けて、ビールをつかみ出したい気持ちになったが、ぐっと押さえた。コップに水を一杯汲み、ゴクリと飲んでこらえた。ベッドに戻ってもしばらくは寝付けなかったが、それでもいつしか眠っていた。やればできるじゃないか。
 今も背中は痛いが、それでもちょっと良くなったような気もする。今夜も頑張ってみよう。結果は明日、報告する。自信は?って、うん、まあまあって、ところです。

 今日も朝の散歩にでかけた。ちょっと前から気付いていたのだが、キノコが出始めている。今年は雨が多いので、豊作かもしれない。キノコを見ると、元気が沸く。

キクラゲ
キクラゲ。それほど量は多くないが、質は悪くない。当然、ゲット

テングタケ
これ、テングタケ。けっこう強烈な毒キノコです。

イグチのなんか
なんだか分らない種類のイグチ。取ってきたけど、食べるつもりはない。


貯金が尽きた


 貯金がついに尽きた。長年こつこつと貯めてきたが、ついに底が見えた。一巻の終わりである。後は座して死を待つべきか。いやいや、まだ挽回の余地があるぞ。よし、再チャレンジだ。
 これ、お金の話ではないです。お金の方は、なんとかこうとか、つないでいます。尽きたのは体力の方。

 逗子に越してから毎日、一往復駅まで歩いた。片道約30分、合計で1時間。休日も合気道の稽古に行くために駅まで歩いた。だからほぼ毎日、結構な坂道を1時間歩き続けた。おかげで逗子に来てから体調がよくなった。食欲は以前にも増したが、それでも太ることはなかった。少し痩せたといわれることが増えた。
 ところが会社を辞め、毎日の通勤から逃れて早2年。その間、ジムに通ったり、ジョギングをしたり、散歩をしたり。色々試みたが、どれも続かなかった。強制的に歩かされる通勤と違い、毎日の運動は強い意思がいる。やはり私は意志薄弱であった。

 昨日は駅まで歩いた。稽古に行くためだ。雨が降りそうだったので、少し早足で歩いた。すると行程の半分程度の場所で息が上がってしまったのだ。こんなことって、今までなかった。大きなショックを受けた。
 通勤はなくなったが、それなりに体を動かすことは続けてきたつもりでいた。合気道の稽古も週2回は行っている。家でも懸垂や腕立ては続けている。逗子駅に行くときも、車は使わないようにしている。大抵は自転車を使っている。
 しかし毎日決まって1時間を歩き続けていた生活とは大きな違いである。そしてついに貯金が切れたのだ。
 正直、ここ数日、背中が痛む。以前、神経鞘腫を患ったときとは違う痛みだ。多分、すい臓か肝臓だろう。通勤は途絶したけど、晩酌は励行している。やっぱりよくないのだろう。
 ちょっと心を入れ替える必要がありそうだ。今朝は、久しぶりに(朝としては)、散歩をした。ちょっと蒸す陽気だったが、やはり爽快である。なるたけ続けよう。そして晩酌は控えめにしよう。まずは、できるだけ。


 日曜は鎌倉で一番美味しいのでは、といわれる評判のイタリアンレストラン“Manna(マンナ)”へ行ってきた。江ノ電の由比ガ浜駅から歩いて5分。我々は自慢のプジョーで向ったが、電車でも便利な場所である。外観は民家のような作りで、小さいけれどおしゃれなお店だ。
 女性のシェフがひとりとホールに女性がひとり。ふたりで20席程度の店を切り盛りしている。大変、賑わっているので、予約が必要である。
 シェフはなんでも鎌倉の他の店で働いていたらしいが、独立して店を出したという。その店で働いていたころから鎌倉では有名なシェフであったらしい。
 料理は評判通りの美味であった。ただちょっと大人向きというか、玄人向きかな。というのは素材の力を重視しているようで、シンプルな味である。オリーブオイルと塩がとても生きている。
 オリーブ油も塩もきっと、どこかの名品なんだろう。おいしい。それ自体で充分、料理を引き立てる。しかしこれは裏から見れば、ちょっと淡白な料理ともいえる。普段、化学調味料の効いた料理を食べている人からすると物足りないのではないだろうか。我々夫婦は化学調味料を一切使わない生活をしているので、気に入ったけれども。
 それと若干、塩辛かった。普段、塩は控えめにしているので、その面では我々の舌には刺激が強すぎた。しかし総じて、美味しい料理であった。
 1400円のランチだったが、大食いの我が夫婦はパスタの大盛りを注文。大盛りはできないとのことで、なんとパスタが二種類も出てきた。大盛りを頼んで、2種類のパスタが出てきた。とても得した気分になった。でも会計の際、しっかり別料金がチャージされてはいたが。それでも1700円。300円多く払っただけで、パスタが一皿増えた訳だから、やはり得した気分である。リーズナブルな店でもある。
 それとシェフは愛想の良い、可愛いらしい方だった。


カボチャのスープ
カボチャの冷製スープ。すっごく美味。

サバのマリネ
サバのマリネ、だったと思う。結構な量。

ペンネ
じゃがいものペンネ

リングイネ
ツナのリングイネ


 スープとマリネはひとりずつで、私がスープ、かみさんがマリネ。パスタはひとりでふたつずつ。さらにひとつで通常の一人前。つまりパスタは二人前だった。最後にデザートを頼むつもりだったが、満腹で断念。


テレビの解説委員って


 震災直後に毎日、NHKに出ていた原子力担当の解説委員の話ではない。普段のニュース番組で司会者の横に座っているオジサンたちのことだ。
 彼らを見ていて不愉快になることが多い。みなさんはそんなことはないだろうか。
 政治番組なら元政治部長かなんかだろう。経済番組なら元経済部長だろうか。それなりに現場は分っているはずだし知識もあるはずだ。でも大抵は頓珍漢なコメントしかできない。それは専門知識の絶対量が少ないからだ。彼らはあまり勉強していない(ように見える)。
 専門的な意見を求めるなら、専門家を出演させるべきだ。それの方が見ている者も安心できる。

 しかしテレビ局の意図はそうではないのかもしれない。テレビ局は解説委員に高所から俯瞰した意見を言わせたいのではないか。ご隠居的意見というか、賢者のコメントを。解説委員もきっと、その気になって出演している。
 問題はここにある。彼らがちっとも高所から意見を言えていない。迫力がない。人間としての力を感じることができない。ご意見番として局は期待をし、本人もそのつもりかもしれないが、まったく機能を果たしていない。軽い。

 生前、野球の大沢監督がご意見番としてテレビに出ていたが、監督の方がよほど適任であった。当然、政治や経済については素人だが、言葉に重みがあった。人間的なパワーがにじみ出ていた。見ていて安心することができた。

 大沢監督と解説委員の差はなんだろうか。分らない。ただ推測するに過ぎないが。それまでの人生の過ごし方が違うのかもしれない。命がけで職業人生を過ごしてきたものと、そうでないものの。
 適当にサラリーマン生活を過ごしていて、たまたま政治部なり経済部なりにまわされて、それなりにこなし。当然、社内では実力もあった方なのだろう。運もあったろう。政治部長や経済部長になった。人事権のある役員にも気に入られて。歳も歳だから、そろそろ解説委員にでもするか。そんな感じじゃないかなあ。推測に過ぎないけど。

 人間が軽いからコメントも軽い。司会者は社内的には後輩だし、大物ぶっておかなくちゃ。そんな感じで、ちょっとご隠居的な発言をするのだが、やっぱり上滑りだ。それとやっぱり風貌もだなあ。顔がぬるい。

 たまたま今、ローマの哲学者セネカの本を読んでいる。セネカは言っている。
 「ヘラクレスに誓って言う。賢者との出会いこそが必要であると。人は賢者との出会いからだけ利益を受けられる。たとえ賢者が黙っていたとしても」
 「賢者は理屈ではない。人間力である」

 解説者は賢者を気取っているんだろうな。それにしても、テレビって残酷である。実力が現れちゃう。

 解説委員って、どの局もいるのかどうかは知らないが。ほとんどの局で抱えているように思う。役職高齢者の受け皿になっているのかなあ。そうだ新聞社にも、似たような肩書きの人がいる。

レレレのおじさんへの道


 まずは夕べの報告。おいしいご飯を作ると書いたが、まあ私的な尺度であるが、それなりのものを作ったと思う。献立は、(1)庭に生えているシソの葉で作ったジェノベーゼ・ソースを使ったパスタ。(2)イタリアで買ってきたドライトマトと小松菜、牛肉(週末は結婚のお祝いでいただいた、すき焼き鍋を使って、すき焼きをしたのだ。その残りの肉)をオリーブオイルで炒めたもの。(3)トマトをベースにした野菜スープ。
 どれもなかなか美味であった。とくにジェノベーゼはうまくいったと思う。シソはこれから本格的に生えてきそうなので、今年は沢山作るつもりだ。バジルも植えたので、これでも挑戦する予定だ。


 今朝は家の前の掃除をした。うちは道路沿いにレッドロビンという木を植えていて、これの落ち葉がすごい。とくに風や雨の翌日は道路に葉っぱが散乱している。とても気になっているのだが、頻繁には掃除をしない。
 私は家事に疎おしさを感じるタイプではないが、こと掃除は苦手であると書いたことがある。しかしその場合の掃除とは掃除機がけのことである。あれは好きでない。一方、箒がけは嫌いではない。だから家の外はもっと頻繁に箒がけすればよいのだが、あんまりやらない。
 それはなんだか、ちょっと恥ずかしいからだ。平日の朝に家の前を掃いているのは老人と相場が決まっている。だから私が箒がけをすると目立つのだ。いかにも暇そうに見える。いや、私がそう思っているだけかもしれないが。

 レレレのおじさんは、いったい幾つぐらいだろう。おじさんだから、老人ではない。きっと40代か50代であろう。私と同世代である。
 だから私はレレレのおじさんを見習うことにした。考えたら、あの人は立派な人だ。いつも公共の場である公道を掃除し、会う人ごとに挨拶を欠かさない。どんなに馬鹿にされようが、せっかく集めた葉っぱの山を蹴散らかされようが、笑顔を絶やさない。そして、人の目を気にせずに毎日、家の前を掃く。

 レレレのおじさんにはモデルがいるといわれているのをご存知だろうか。モデルの主はチューラパンタカといい、釈迦の弟子だ。チューラパンタカには兄がいて、兄も釈迦の弟子であった。兄は優秀な弟子だったが、弟は愚鈍で短いお経のひとつも覚えられない。兄が気遣い、簡単な言葉で、釈迦の教えを覚えさせようとしても、翌日には忘れてしまう。最後は兄も匙を投げてしまう。
 その様子を見ていた釈迦はチューラパンタカに箒を渡し、「ちりを払わん、あかを除かん」と唱えながら、毎日掃除をしないさいと指示を与えた。流石にこの言葉だけは覚えられたらしい。まじめなチューラパンタカは指示の通り、毎日「ちりを払わん、あかを除かん」と唱えながら、掃除を続けた。するといつか心のちりや、あかも取り除かれ、悟りを得たという。
 誰よりも愚かだったチューラパンタカが悟りを得たことに、周囲が驚いていると、釈尊は言った。
 「悟りとは、多くを学ばなければいけないというのではないのだ。短い教えの言葉であっても、その言葉の本当の意味を理解し、道を求めたならば、得ることができる」
 
 私も今日は「ちりを払わん、あかを除かん」と唱えながら、家の前を掃いた。いや、嘘です。こんなところで嘘をついちゃ、いけない。ごめんなさい、お釈迦様。ただ気分はレレレのおじさんで、掃除をした。
 しかし、通り過ぎるひとに「お元気ですか?」と声をかけることはできなかった。うつむいて、目を合わせないようにして、掃除を続けた。
 まだまだである。レレレの道は険しいのである。

猫は猫かわいがり


 未明の雨は凄まじかった。雨音で目が覚め、家中の窓を閉めて回った。うちは一軒家だから戸締りをしなくてはならないが、夏場は鉄格子の入っている窓は網戸にしておく。一階の窓の幾つかと二階のいくつか。全部締めて回ったら、目が覚めてしまった。
 時計を見ると3時半だ。目覚ましは4時半にセットしてある。1時間、じっと布団の中で目を瞑っていて、ようやくうつらうつらし始めた頃にアラームがなった。おかげで予定よりも1時間睡眠時間が少ない。今も眠い。

 うちには猫が二匹いることは何度も書いている。フクちゃんと大ちゃんである。この二匹はとても可愛い。親ばかだと思うが、それを差し引いても可愛いと思う。まず二匹とも器量がよい。家にくるお客はそろって、その器量をほめるのだから、きっとそうだろう。
 器量はしかし、主観が入るので、あえてこれ以上は触れない。実は器量以上に可愛い要因がある。それはお利口さんだということだ。猫を飼う前は、猫ってバカなのかと思っていた。しかしうちのはどうも違うみたいだ(これも親ばかかな)。たとえばフクちゃんも大チャンも呼べば来る。これって凄くない? 猫なのに呼ぶと来るのだ。10回呼んだら、そのうち8回は来る。犬ほど確実ではないが、立派な確立である。フクちゃんは黙ってくるが、大チャンは「にゃ~」といって来る。
 あとは簡単だが芸をする。うん、芸とまではいかないかな。でもそれなりのことをする。それはソファーに投げ飛ばすと、「もう一度、やって~」と、来るのことだ。子供が何度も“高い高い”をしてくれとせがむように。家の猫、とくにフクちゃんだが、はなんども「投げ飛ばして~」とやってくる。これを人に見せたら、大笑いしていた。やはり芸と言っても、いいのではないか。
 あとは抱っこが好きである。これは、芸ではないね。行動の嗜好性なのかな。とにかく、いわゆる抱き猫なのだ。私がソファーで本を読んでいたりすると、かならずどちらかがやってきて、膝に乗る。膝に乗っているのを見た、もう一匹は焼きもちを焼いて、近くに擦り寄る。二匹にくっつかれて、とても幸せな気分になる。芸ではないが、猫の行動としては、飼い主にとって意味のある行動ではあると思う。だって、嬉しい。
 犬も何匹か飼ったことがある。そのとき思ったのだが、犬の知能は5歳児と同程度ではないか。もちろん読み書きのような能力はない。しかし道徳観(?)やお手伝いの力、こちらの気持ちの理解力なんかは5歳児並にあるように感じた。
 猫を飼って思ったことは、猫は人間なら2,3歳児と同程度だ。2,3歳児はほとんど道徳観を持たない。怒られれば、ただ怖いと思うだけで、悪いとは感じない。また暫くすると同じことを繰り返す。何度も叱られれば、それはしなくなるかもしれないが、それでもそこから同様のケースまでは類推することはできない。怒られたことだけをしなくなるに過ぎない。猫も同じだ。
 人間の子は三歳ぐらいまでは、兎に角可愛がれという。叱っても理解できないで恐れるだけだから。できるだけただ可愛がる。愛情をふんだんに降り注ぐ。猫も同じである。叱られても理由が分かるわけではない。だからただ可愛がる。猫かわいがりをするだけでいい。
 犬のときは結構、まじめに躾をした。だからそれなりに、お利口な子になった。でもフクちゃんと大チャンにはまったく躾をしていない。ただただ、可愛がっているだけだ。それで気付いたのだが、この無責任さがとても良い。
 この子達は、これから独り立ちして社会に出て行くわけではない。一生、私のところにいて、ゴロゴロ、ニャーニャーしているだけだ。だから別に立派な人格や独立心を養成する必要性がない。なんて楽チンで、いいとこ取りであろうか。
 よく犬派とか猫派とかいうが、私は犬派かなと思っていたが、案外猫派かもしれない。この無責任がとても地良いのだ。

 うちのかみさんはある小学校の先生だ。勤め先の小学校はその地域の天気予報で警報が出ると休校になる。本日は大雨のために休校になった。かみさんはいつも通りに出勤していったが、子供達は休みだそうだ。さっき連絡がはいった。子供達が休みだと普段より、少し早く帰宅できる。
 さて今夜は何を作ろうかな。なんか美味しいものを作るとするか。

逗子で工務店といえば、「安田工務店」


 トイレをリフォームした。便器とウオシュレットを新しいのに替え、壁紙とフロアマットを新調した。ついでに隣接する洗面所の壁紙も張り替えた。と~っても綺麗になった。うれしくて、用がなくても何度もトイレと洗面所に行ってしまった。そこだけまるで、新築状態だ。
 ちょっと化学物質の臭いがするが、それもなぜか嬉しい。深呼吸してしまう(喘息にはいけないと思うのだけど、つい)。う~ん、新築の香り!

 トイレは替えなくてはならなかった。本当は私自身にとっての喫緊の課題ではなかった。そのうち、替えればいいやと、優先順位は低かった。その前に耐震補強とかリビングの床とか、庭の柵なんかを替えようかと考えていた。でもかみさんに、トイレが一番と言われた。
 古いトイレは、とても水を食った。何リットルだか忘れたが、滅茶苦茶消費した。だから一回流すと、水が貯まるのに時間がかかった。どのぐらいかかるかというと、5分ぐらい。
 ひとりのときは、別に何でもなかった。私はトイレの近さでは人後に落ちない自信があるが、それでも5分以内にトイレに再訪することはあまりない。だから不便を感じなかった。しかしこれが二人になると、そうはいかない。
 朝は私の方が少し早く起きる。起きたらすぐに小用を済ます。それから暫くしてからかみさんが起きる。そして小用を済ます。私は知らなかったのだが、どうもトイレに水が貯まるのを待ってから起きていたようだ。この朝の5分が非常に貴重であったのだ。
 物欲をあまり示さないかみさんが、唯一欲しいと主張したのが、新しいトイレであった。
 そういえば、以前BBQで大勢人が集まったときもトイレがパニックになった。でかける直前にトイレに人が殺到(特に女子)し、水が貯まらずに大変なことになっていた。騒ぎを聞き、駆けつけると、異様な光景を目撃することになった。
 ある女性が自分のかつての分身が残留したままで、トイレから出られず篭城状態となっていたのだ。なんとか救出しなくてはならない。
 そこからの彼らの対応は素晴らしかった。誰とも言わず、自然発生的に風呂場の水を手桶に汲み、それをバケツリレーする。トイレまで運び、タンクに流し込む。次から次へと水が手渡され、あっという間にタンクは水でいっぱいになった。
 そして次の人がトイレを使う。またバケツリレーだ。という感じで5,6人の女性は、それぞれ自らの欲求をスムーズに満たすことができたのだ。めでたし、めでたし。
 でもやっぱり、不便。
 
 それともうひとつ。そんなに大量に水を使うのに、なぜか洗浄力が弱かった。小の方は問題がなかったが、大の場合問題が発生するケースがあった。全部は、流れないのだ。
 特に私の場合に問題が頻発した。私はなんちゃってベジタリアンなので、主食は野菜である。それにキノコ狩りを趣味にしているぐらいだから、キノコが大好きだ。大量にキノコと野菜を摂取するので、ナニに繊維質が豊富に残留している。だからナニが、とても壊れやすいのだ。
 大量の水がダムの決壊のように流れると、私のナニは繊細であるからバラバラになる。するとバラバラの一部が根性を示し、トイレから出て行ってくれない。結果、私は二度水を流さないと、かつての分身を葬り去ることができないのだった。
 これも一人のときは問題にならなかった。「居残りたい奴は、残しておけ」。の方針で済ますことができた。たしかに次にトイレに行くと、根性がある細切れ達が、私を出迎えるのだが、それはそれ。多少の懐かしさをお互いに感じるだけのことであった。ところが他者はそうはいかない。私は、自分のかつての分身だから、懐かしさを感じるが、他者は懐かしさより、嫌悪感を覚えるらしい。
 これもかみさんにとっては、トイレを替えたい理由のひとつであったと思う。

 そんなこんなで、トイレを替えた。今は水が貯まるのに、なんと“小”の場合は5秒、“大”でも15秒はかからない。なんたる違いだろうか。さらに洗浄力が素晴らしい。あの粘り強い私の分身達ですら、簡単に一掃されてしまうのだ。
 かみさんは、ごきげんである。

 さてこんなに立派なトイレが来て、さらに壁紙もフロアマットも替えて。さらに洗面所の壁紙も替えて。これで全部で約20万円だ。大手業者にも合い見積もりを取ったが、30万円以上した。10万以上の差があるのだ。
 それに仕事がとても丁寧であった。私は家で仕事をしているので、いろんな理由を自分でつけては、二階から下りて工事を見物した。そして、色々な質問もした。しかし嫌な顔一つせずに、職人さん達は答えてくれた。
 そして、そしてだ。全部の工事が終わった後に、トイレを使うと、床の一部が柔らかくなっている。以前はなかったことだ。聞くと以前はPタイルが敷いてあり、その上のフロアマットが敷いてあったそうだ。それがフロアマットを取り替える際に、Pタイルも一緒にはがれ、下にあったベニヤ板の上に直接フロアマットを敷いたという。普通はそういう作りだから問題がないそうだ。でも我が家は築40年だから、ベニヤ板が一部腐食している。それで、その腐食部分を踏むと柔らかく凹むのだ。
 これは別に工務店の責任ではない。実は我が家にはそんな箇所がいくつもある。だからまあ、仕方がないかと思っていた。しかしそのことを、最終確認に来た若親方に告げると、本人が床を踏んで「よくねえな、よくねえ」と何度もつぶやく。そして私の顔を見て、「やりなおします」と言ったのだ。「やり直すって、もう一度フロアマットを替えるの?」と尋ねると「そうっす。便器も、もう一度外して、張り替えます。床板はその部分、取り替えます」だって。
 それって、すごい負担ではないか。なので「いいよ、そこまでしてくれなくても」と言ったのだが、若親方は譲らずに「いえ、やらせてください」の一点張りだ。

 ということで、もう一度工事をしなおすことになった。当然、その部分はサービスである。元から割安で丁寧な工事をしてくれて。若親方は男気があって、仕事に誇りを持っている。

 逗子、鎌倉、葉山周辺に住むみなさんへ。家をリフォーム、もちろん新築も、するなら「安田工務店」ですよ。絶対、安心、お勧めです。
 今日は思い切り宣伝してしまいます。私は安田工務店に、感動しました。

はたして老人は弱者なのだろうか


 逗子の市報によく“オレオレ詐欺に注意”のお知らせが掲載されている。銀行に行けばポスターが貼られ、ATMではCautionが流される。随分、沢山の老人が騙されているみたいだ。

 オレオレ詐欺は許しがたい犯罪である。知力の衰えた老人を騙すなんて。とんでもない奴らだ。でも、老人って、そんなに騙しやすい対象だったの?

 常々、不思議に感じていた。老人って、騙しやすいのだろうか。

 ちょっと前までは、老人は知者として捉えられていた。若者が人生の岐路に立つとき、困難に出会ったときは、老人に相談をしたものだ。なぜなら、老人は豊富な経験と智恵を備えていたからだ。
 でも、今の老人ってどうも違うようだ。

 確かに今の老人は、辛い立場にある。例えば職業だ。今の職業は大抵、古い経験が生かせない。私の前職はネット関連であったが、ネットの世界はドッグイヤーである。10年前の知識はすでに時代遅れだ。新しい知識をどれだけ有しているかが鍵である。私は1994年にアメリカに留学をして、黎明期のインターネットビジネスを学んできた。当時のブラウザーはMozaicであった。画像情報はほとんどなく、文字ばかりだった。当然、スクリーンはモノクロだ。当時のネット系企業の雄はアメリカオンラインやプロディジーだ。今はもう両社ともない(アメリカオンラインはあるんだっけ?)。そんな経験や知識は、今やただの自慢話にしかならない。仕事としては生かせない。
 昔の人の主な職業といえば、農業だろう。それも人力中心の。農業も技術革新があるのだろうが、例えば昭和30年代ぐらいまでの農業は、江戸時代とさほど変っていなかったと思う。そうすると、過去の経験が宝となる。いつ種をまくべきか。イナゴが発生したら、どう対応すべきか。日照りが続いたらどうしたらよいのか。そうした問題の解決策は、老人が知っていた。だから老人は尊敬された。
 昔の家の主な形態は、大家族だった。大家族の長は、偉かった。なぜって、家の所有権を握っていたから。そして長はたいてい老人である。家を継ぎたい息子や娘は、爺さんや婆さんに頭が上がらなかった。機嫌を損ねて、家を相続できなかったら困る。

 今は前述のごとく、仕事上で経験を若い人に伝授する機会は少ない。ほとんどの職業において、古い経験は役に立たなくなっている。
 またスタンダードな家族形態は核家族である。親の威光は子供達が住むマンションまでは届きにくい。

 こうしたことは現代の老人の立場を弱くしている。でも、それにしても、である。ちょっと最近の老人って、ひ弱すぎないだろうか。

 昔は騙されるのは社会経験の乏しい若者と相場は決まっていた。年寄りは海千山千で難攻不落。誤って老人を騙そうとしたりしたら、手痛いしっぺ返しを受けることを覚悟しなくてはならない。
 たしかに歳を取れば体力は低下する。脳細胞も萎縮する。しかしそれを相殺する智恵と経験を老人は蓄えていたはずだ。

 今、長谷川町子といえば「サザエさん」だろう。でも以前は「サザエさん」と同じぐらいに「いじわるばあさん」の人気があった。でも今は、あれを見ても現実感がない。あんな婆さんはいないから。いや、意地悪な婆さんはいるだろう。でも智恵のある婆さんがいない。
 昔の年寄りならば、オレオレ詐欺に今のように易々とひっかかる人は少なかったはずだ。いじわるばあさんよろしく、若者犯罪者を懲らしめる猛者もいただろうに。

 今の老人のひ弱さを嘆いてばかりいても仕方がない。老人をこれからタフにすることは難しい。現状は受け入れ、やはり社会が保護し、手を差し伸べていく必要がある。
 しかし、これからの年寄りは、まだ対応が打てる。そう、我々以降の年代は準備期間があるのだ。我々は先輩の失敗から、学ばなくてはならない。
 ただ漠然と今と同じように生活をしていたら、20年後にはオレオレ詐欺の良いお客になること間違いない。今から対策を打つべきだ。

 私が思うに、今の老人が社会的弱者になった一番の要因は、仕事である。そんな研究や記事は読んだことがないが、オレオレ詐欺の被害者は仕事を持っていないのではないか。つまりリタイアした人たちだ。現役で働いている老人でオレオレ詐欺の被害者になった人がどれだけいるだろうか。きっとほとんどいないに違いない。

 サラリーマンには定年がある。某新聞社の会長のように会社規定を曲げて居座る権力と図々しさがないかぎり、必ず定年は訪れる。普通は60歳から65歳。今、オレオレの被害に合っている方々は60歳定年組みだろう。被害に合ったのが80歳として。20年間も仕事から離れている。仕事から離れているということは、社会的責任から開放されているということだ。社会的責任を20年も持たなければ、たしかにひ弱になるはずだ。
 そこで我々世代、ないしさらに若い人達の解決策だが、それは単純である。ただ仕事を続けることだ。今は法律で65歳まで雇用を継続しなくてはならないことになっている。でも65じゃ駄目だ。生涯、働き続けなきゃ。
 そんなの、いやだって? でも昔はみんなそうだったんだ。死ぬまで畑に出ていたし、算盤を弾いていた。女性は孫や曾孫の面倒を見て、嫁達を統率していた。ボケる暇なんてなかった。
 それに働くことは決して苦役ではない。それはキリスト教の思想である。日本人は働きに生きがいを感じていた。また元に戻ればいいだけの話しだ。
 ただ、会社が雇用を90歳まで延長してくれるとは考えにくい。いつかは当然、会社を辞めなくてはならない日が訪れる。
 ならば早いうちに生きがいを持てる、新たな何かを見つけてみてはどうか。その何かは、仕事が一番だが、趣味でも良い。ただ責任があるものでなくてはならない。だからゲートボールなんかはNGである。プロを目指すのなら別の話だが。社交ダンスなんてのも、お勧めできない。これもプロを目指すのなら別であるが。ボランティアでもよい。町道場で武道を教えるのでもよい。絵を描いて、個展を開いて、販売してもよい。新たに商売を始めてもよい。なんでもよいから、何かを責任があることを始め、続けるのだ。

 そうしたら老後は楽しいものになる。やはり頼られる生活は張り合いがある。脳細胞もそんなには収縮しない、多分。
 私は白川静とか鈴木大拙とか、高橋竹山とか、レヴィ=ストロースとかが、好きだ。彼らの共通点は長命なこと。それと生涯現役であったことだ。竹山は88歳、白川静と大拙は96歳まで、超一流の仕事を続けていた(レヴィ=ストロースはなんと100歳まで生きたが、晩年の仕事振りは知られていない)。
 きっとこのスーパー爺さんたちにオレオレ詐欺が電話をかけたら、返り討ちにあったことだろう。

年功序列は悪い制度なの?


 年功序列制度は日本の組織の弊害のように、かなり以前から言われている。しかし、そうだろうか。
 なぜ今更、こんな話題を取り上げるかというと、最近読んだ本に「タイやスリランカの仏教界は、完全な年功序列社会だ」と書いてあったからだ。それが機能しているという。
 小乗仏教の組織は年功序列である。1日でも先に出家した方が、生涯上位に来る。つまり最高位は最高齢なのだ(厳密にいうと、出家の日時が問題であり、年若く出家した方が有利だが)。
 これが仏教社会ではうまく機能している。仏教修行者は“悟り”を目指す。悟りには年齢や修行日数は関係がない。数年で悟るものもいれば、数十年の修行でも悟れないものもいる。いやむしろ、ほとんどの者は生涯“悟り”まで至らない。
 ゆえに“悟り”という基準から見たら、年齢など関係がないのだ。そして地位も関係がない。真面目な僧侶は賢明に修行をする。そして悟りを目指す。そこに年齢や地位は影響を与えない。そんなものは、どうでもよいのだ。
 地位に重きを置いていないから、簡明な基準で地位を決めることに抵抗がない。それが年功序列である。「まあ、あの爺さんは悟ってないけど、一番古いから管長にしておけ」、という具合だ。

 で、日本の年功序列についてだが。年功序列に弊害があるというのならば、対抗策が必要となる。そこで登場したのが能力主義だ。まず、この能力主義について考えたい。
 概念で論じるとややこしくなるので、具体例で話しを進める。私は数年だが、能力主義を標榜する人事考課の元に働いた経験がある。
 私が以前、勤めていた会社では、“今期目標シート”(ちょっと違う名称だったが、あえてこう呼ぶ)というのを期初に配って書かせた。内容は部署全体が目指す今期の目標と、個人が設定する目標のふたつであった。
 例えば部署全体では「経費を1割削減」とか、「新規事業を積極的に立ち上げる」とか。個人としては「現在、担当している部門の売上げを1割アップさせる」とか、「新規の顧客を10社獲得する」とかである。
 この目標に対して、期末に評価を行う。達成度を測るのだ。

 この方式は私が属していた会社のオリジナルではない。どこの会社でも導入している、一般的な能力主義の評価方法である。私は前社を否定する者ではない。前社が導入していた、能力主義を標榜する評価方法に、その制度に疑問を感じる者である。
 それで、あえて書くが、これっておかしい。
 一見、個人の意志で目標を決めさせる自由でリベラルな方法に見えなくもない。でも矛盾を抱えている。達成度で測るのなら、「予め目標は低くしておいた方が得だ」、と人は考えるものだ。
 組織は組織の目標を低く見積もる。個人は個人の目標を低く見積もる。それが期末の評価の際のリスクヘッジになる。
 先ほど個人の目標で「売上げ1割アップ」と書いたが、利口な社員は普通、こんな目標は設定しない。だって、自らを苦しい立場に追い込むことは目に見えているのだから。心の中では1割アップを目指していても、シートには5%と書き、そして、密やかに1割を目指す。
 しかし人間とは不思議なもので、密やかに1割を目指していても、シートに書いた数字が低ければ、期中には心の目標もシートの数字と入れ替わる。
 つまり“今期目標シート”は自然と、目標を低下させる働きがあるのだ。

 もうひとつ具体例を。能力主義はリベラルでフェアーをうたっているから、結果をディスクローズする。つまり人事評価を個人に伝える。そして結果が、収入に直結する。
 これって、とってもいやなものだ。例えば目標に達しなかった場合。当然、自分でも結果は分る。しかしそれが、他者の評価として現れたら。その時点で評価は、自分の働きの結果から、上司の恣意的な好き嫌いと変化する。自分でも、「今期は頑張りが足りなかった」と思っていても、「部長が俺を嫌っているからだ」となる。結果、上司に対して個人的な恨みの感情が残る。

 実際、仕事の成果や能力を評価することは簡単ではない。完璧な評価は不可能だともいえる。常に評価は不完全なものだ。だからどう評価されても、評価される方は不満が残る。以前の人事制度ならば、その部分は曖昧にすることで逃れることができた。しかし今は、そこを白日にさらす。

 能力主義、あるいは能力評価主義は、評価結果を個人に伝えることで、個人のやる気を引き起こせると考えている。前回は“A評価”だったが、今回は“B評価”だ。次回はもっと頑張ろう。あるいはボーナスが10万円減ってしまった。次回は頑張ろうと。

 能力評価主義はあまり人間を分っていない。人間はそんなに単純なものではない。給料が上がったからさらに頑張るだとか、下がったから、次回は挽回しようとか、そんな単純思考で人は動くものではないのだ。
 また、能力評価主義は仕事を見下している。仕事とは崇高なものなのに。たとえば原発事故に対応している作業員を考えて欲しい。彼らは命を懸けて働いている。それはなぜだろうか。査定を良くするためだろうか。そんなはずがない。100%断言できる。査定のために被爆を覚悟で働いている作業員は一人もいない。
 では何が彼らを突き動かしているのか。それは家族や日本の将来のため、であろうか。きっとそれもあるだろう。しかし私はそれだけではないと思う。もっと身近な要素がある。それは仕事に対する誇りと責任感だ。家族は離れたところに住んでいて、原発の被害を受けないかもしれない。日本の将来には、貢献したい気持ちはあるだろうが、あまりに遠大でピンとこないかもしれない。でも、原発現場に向う。それは日々従事している仕事に誇りを持っているからだ。自分が与えられた仕事に責任を感じているからだ。

 原発作業だけではない。普通のサラリーマンだって原則は同じだと思う。みな仕事に誇りと責任感を持っている(差異はあるだろうが)。それこそが仕事へ対する原動力だ。

 さて本題の年功序列についてだが。
 冒頭にはちょっと極端な話を書いたが、最近までどこの組織でも採用していた日本の年功序列制度って、実際年齢だけで人事考課をする制度であっただろうか。そんなはずはない。それだけじゃ、いくらなんでも長い年月を渡れない。
 たとえば役所のように、今も年功序列が残るといわれる社会がある。しかしそこでも能力はそれなりに影響する。事務次官にまで上り詰めるのは、同期に一人だけだ。その一人を決めるのは能力である(おそらく)。そしてそれは、長年かけて人物を見極めた能力評価の結果である。
 そうなのだ。日本の年功序列は時間をかけた能力評価主義でもあるのだ。
 
 現在、各社が競って採用をしている能力評価主義はショートタームで人を評価をする。一方、年功序列は10年、20年の単位のロングタームで人を見極めていく。

 もうひとつ年功序列制度の特徴は、評価者が複数であるということだ。ロングタームの評価であるから、上司は複数になる。たまたま気が合う上司もいるだろうし、合わない上司もいるだろう。つまりどうしても恣意的になりがちな評価を客観的に変える力が年功序列にはある。

 古くて現在の社会に対応できていない制度はある。そうした制度は改良すべきだろう。しかし古い制度がすべて悪とはいえない。古いということは、長い風雪に耐えてきたということだ。それだけ安定しているともいえる。その長い間に、マイナーチェンジは繰り返しているのだろうから、精度は上がっているし。

 年功序列にも問題はある。しかし日本の社会はそれにかなりの改良を加えてきた。名称は年功序列だが、実際にはかなり能力主義を取り入れた制度である。名前に惑わされてはいけない。
 能力主義はよい名称だ。でもこれも名前に惑わされてはいけない。能力を正確にくみ取ることに、能力主義は未だ成功していない。未熟な制度だ。
 
 賢明な日本人のことだから、もうすでに気付いていると思う。こんな私でも感じているのだから、多くの優秀な経営者は理解しているはずだ。だから変っていくのだろう。今の能力主義は、あまりに稚拙である。
 年功序列は名称を変えた方がよいだろう。換骨奪胎は日本のお家芸である。年功序列がさらに磨きをかけて、カムバックする日は遠くないだろう。

ありがとっす


 土曜日は予定通りBBQを行った。逗子は晴天だった。
 参加者は我々夫婦も含めて15名程度。小さな庭が人でいっぱいになった。

 今回のBBQの目的のひとつはBBQ仲間にかみさんを紹介することであった。独身時代には一度もかみさんをこのBBQ会に呼んだことがない。付き合って5年ぐらいにはなるのだが、一度も呼んだことはない。なぜ呼ばなかったのかを何人かに聞かれた。かみさんは、呼ばれなくて不満じゃなかったのかと聞かれていた。
 私の答えは「めんどくさかった、あるいは恥ずかしかったから」である。日本男児とはそんなものなのだよ。付き合っている女性をオフィシャルな会合に呼ぶ人もいる。人はひとだから、文句はない。でも私は日本男児だから、呼ばない。では、呼ぶ人は日本男児ではないかと問われれば、それはそれである。決して、だからといって日本男児でないとは、言わないのである。ここのところは、複雑である。
 そして、かみさんの答えは「No」であった。さすが、日本婦女である。立派な答えに、満足した次第だ。

 みんなからお祝いの言葉とかプレゼントをもらった。とても嬉しい。我々は式を挙げていない。今後も挙げるつもりはない、かというと、そうでもない。でも今のところ予定はない。
 先日も合気道の仲間に席を設けてもらい、祝福された。良い仲間や先輩に恵まれて、幸せなことだと思う。
 今は会社を離れ、ひとりで書斎に籠もって仕事をしている。世間との仕事上の接点は、ネットと電話だけだ。冗長で頻繁な会議や、組織上の人間関係に疲れた私にとっては、とても快適な仕事環境である。それでも孤独は感じる。だからかつての仕事仲間から、こうした友情を受けると、感無量になる。好き勝手に世間と距離を置きながら、都合のよいときには、人を呼んで。とても自分勝手なのに。みんな優しい。

ウエディング・ケーキ
サプライズで、突然現れたウエディング・ケーキ

 宴席は午後1時ぐらいから始まって、夜の11時まで続いた。最後の人はバスの最終便で帰っていった。後片付けをすると、さすがに始めての人と過ごし疲れたかみさんは、先に寝た。10時間も飲み続けた私も、なんとか日課のストレッチを終えると、倒れこむように床に着いた。
 翌日は、軽い二日酔いだった。合気道の稽古はサボってしまった。久しぶりに一日、何もせずに過ごした。テレビは見ないと、BBQでは威張っていたのに、日曜はたっぷり見てしまった。頭がぼーっとしていて、本も読みたくない気分だったので。

 久しぶりにみた「アメリカン・アイドル」は、決勝戦まで進んでいた。今年の決勝戦は、なんと16歳の女の子と17歳の男の子によるものだった(月曜日に結果を知った。男の子が優勝だった)。去年は一生懸命に見続けたのだが、あれから一年が過ぎたとは。光陰矢のごとしである。



バチが当った


 明日の土曜日は我が家でBBQをする。古巣の産経の仲間、その他の友人達が集まる。毎年1,2回やっている恒例の行事である。

 あんまり掃除をしていなかったので、昨日は掃除をする予定でいた。そのために、今週はちょっとハイピッチで仕事を進めていた。おかげで今週のノルマは木曜の午前中までに終わってしまった。さて掃除をしようと、始めたのだが、気が乗らない。雨が降ってるし、「今まで頑張ったのだから、ちょっとぐらいサボりってもいいかなぁ」という気分がムクムクと生じて。
 掃除は途中で投げ出して、ユーチューブをダラダラと見てしまった。そんなに見るつもりはなかった。すぐに掃除に戻ろうと思っていた。ところがあるものにはまってしまった。そして結局、2時間近くも、あるものを見てしまった。
 あるものは、なんだかすごいものだった。結構、有名みたいだから、みなさんは知っているかもしれないが。私は始めて、見た。う~ん下品。
 
 それは“あやまんJAPAN”という、3人の女性グループである。本当はもっとバックに沢山控えていて、100人ぐらいのメンバーがいるそうだ。でもテレビに主に出てくるのは3人である。
 3人は別に芸能人ではない。合コン好きな女の子(年齢不詳だけど、女の子という年齢ではないかな)の集団である。その子たちが、宴会芸を披露するのだ。六本木、西麻布当たりで、毎日(本当に毎日と言っている)、合コンを繰り広げ、その界隈ではでは超有名人らしい。とんねるずの番組に素人芸として、登場して、そのインパクトで一躍有名になった。

 それで、何がバチなのかというと、その子達の歌う変てこなメロディーが頭から離れないのだ。昨日から、ずっと「「ぽいぽいぽいぽぽいぽいぽぴー」が鳴り止まない。普段、世間と隔絶した生活を送っていると、こんなことぐらいで刺激を受けてしまう。
 掃除をさぼったバチがあたったみたいだ。

 もうみんな知ってるでしょうけど、一応下に動画を上げてきます。興味があれば見てください。





同期の仲間のその後


 最近、フェースブックを始めた。そこで知人のフェースブックを眺めていたら、共通の知人がいた。大学卒業後に最初に入社した銀行の同期の仲間だ。彼のフェースブックを見て、昔のことを思い出した。

 私が入社した銀行はHSBCという。現在、世界最大級の銀行である。当時は香港上海銀行と言っていた。
 同行は実は日本最古の銀行である。日銀よりも古い。日本に支店を構えたのは、確か江戸時代の末期である。横浜に日本最初の銀行支店を開業したのだ。
 そんなに古い銀行だが、私が入行する以前は細々と業務を行っていた。主にアジア向けの輸出入と送金業務であった。しかし私が入行する4,5年前から日本での業務を拡大する方針に転換した。外国為替や個人客の開拓に力を入れ始めたのだ。
 当時の外銀は今とは様子が随分と違っていた。行員はほとんどが高卒だった。管理職はみな外人で、下はみな日本人というスタイルであった。入行して最初に感じたことは、「植民地に来た」、というものだった。
 しかし業務拡大方針を打ち出してから、大卒を採るようになった。私が入行したときは、だから高卒のオジサンたちと大卒の若手社員という日本人の構成だった。

 たしかに外銀は派手な世界である。当時もそうした面はあった。オジサンたちの間にも実は何人かの大卒がいた。その人たちはみな邦銀からの転職組みであった。彼らは高給取りであった。フェラーリとポルシェを持っている人や、結婚歴が何度もある人がいた。一方、プロパーのオジサンたちは、昔の事務屋の装いだった。白いワイシャツを腕まくりして、タイプライターを打ちまくっていた。恐ろしく早く、そしてまったくミスをしなかった。

 複雑な職場環境であった。植民地支配のために本国から派遣されてくるイギリス人(HSBCは英国の銀行である)がトップに。邦銀から転職してきた大卒のオジサンたちが次ぎに。プロパーの高卒オジサンと新人の大卒組が混在して最下層に。ああそれと、専門卒、高卒の女の子達もいた。

 私は入行と同時に転職を決意した。こんな植民地にいたら卑屈な人間になってしまうと考えたのだ。同期の4人とはよく、将来の不安を嘆きあったものだ。

 当時は月の半分が半ドンであった。半ドンの土曜は結構、楽しみであった。12時に終業すると、同期の4人で銀座なんかに昼飯を食べにいった。その日も、そんな土曜日であった。
 ある男がいきなりランチの席で泣き出した。「もう辞めたい」。みんなで慰めたが、複雑な気持ちだった。だって、同じことを考えているのだから。
 その男は入社一年目の秋に公務員試験を受け、冬には退職していった。埼玉県庁に採用されたのだ。実は私も、こっそりと入社試験を受けていた。産経新聞社だ。結局、私も3月に退職し、丸一年の銀行員生活にピリオドを打った。

 先日、フェースブックで懐かしい顔を見たのは、残りの二人のうちの一人である。今は別の外銀に勤めているようだ。履歴が掲載されていたが、20年間もHSBCに勤めていたらしい。よく頑張ったな。元気そうな写真を見て、嬉しくなった。

 さて4人のうちもう一人だが。風の噂によるとまだHSBCに残っているという。ということは4人のうち、3人が辞めたのだ。一つ上の代とも仲が良かったので、たまに連絡を取るが、一つ上の代は全員、すでに転職している。だから当時の新人大卒君のメンバーで生き残った(その上の人は知らないが)のは彼ひとりである。

 唯一の生き残りとは、当時毎日一緒に昼飯を食べていた。部署が同じだったので。大人しい男だった。ガッツを感じさせるタイプではなかったが、でも粘っこさがあった。同じ部署の、結構かわいい女の子と結婚した。

 彼は今、HSBCの日本人トップに上り詰めているという。世界最大の銀行の日本人トップである。いつも一緒に昼飯を食べていたあの大人しい男が。僕らは大抵、同じ店に行き、いつも一番安い定食を食べていた。今は、きっと毎日ホテルなんかでランチを取っているのだろう。

 ランチはいつも一緒だったが、帰りは別だった。私は7時には会社を出ていたが、彼はいつも最後まで残業をしていたから。

私のオナラは臭くない


 以前から不思議に思っていたことがある。それは、私のオナラは臭くないということ。普通、オナラって臭うでしょ。でも私のは無臭なのだ。別に自分を美化しようと思って嘘をついているわけではない。本当なのだ。嘘だと思うのなら、今度うちに来たときに嗅がせて進ぜます。きっと納得するでしょう。
 最初はかみさんも信じていなかった。しかし何度か被爆し、信じるようになった。ただそれでも、良い顔はしないが。当たり前か。
 先日、下水工事の結果、排水溝から出ていた臭いがなくなったことを書いた。そして人間の体同様に、家にとっても排泄は重要な機能であり、健康のバロメータであるといった意味の記事を書いた。
 しかし本当にオナラと健康は関係があるのだろうか。そう思って書いたが、確信はない。それで調べてみた。

 その結果分ったこと。オナラの要因は3つあるのだそうだ。
(1)口から摂取するコーラやビールなどの炭酸飲料。
(2)口から飲み込んだ空気。
(3)食物を分解する際に発生するガス。

以上の3つである。(1)と(2)がオナラとなった場合は無臭だそうだ。問題は(3)である。(3)が臭いの元なのだ。しかし実は(3)もさらに2種類に分類できるという。悪いガスと良いガスである。悪いガスは臭い。良いガスは臭くない。

 私の場合はまずビールを毎日飲むから、(1)の要素が大きい。それと(2)だが、口から空気を飲み込むとはどういうことかというと、食事の際に空気も一緒にパクリと食べてしまうことがあるという。早食いの人がよくやる行為だ。たしかに私は早食いの方だ。だから(2)の要素も多い。
 さて(3)だが、これは誰もが該当する。問題はその際、良いガスを発生するのか悪いガスを発生するのかだ。悪いガスはなぜ悪いと判断されるかというと、“臭い”からだ。という訳だけではない。臭いことも確かに人迷惑であり、歓迎されない現象ではあるが、それだけではない。腸内の環境が宜しくないことを示しているからだ。
 さてその宜しくない環境はなぜ起こるかというと、肉食が原因である。腸内には沢山の細菌が棲息しているのだが、肉を好んで分解する菌がたちの良くない奴ららしい。肉を多食するとその悪者達の数が増える。こいつらが悪さをする。腸をいじめるのだ。さらにこいつらは肉を分解する際に臭いガスまでも発生させる。乱暴者の上、臭いのだ。人間にもいそうなタイプである。
 一方、良いガスは植物を分解する際に発生される。こちらも細菌が絡んでいるのだが、この細菌は性格温厚で、悪さをしない。おとなしく植物を分解し、臭いガスも発生させない。こつこつと真面目に働き、清潔である。これらも人間にもいるタイプである。

 私はほぼベジタリアンである。一切食べないわけではないが。外で人と食事をする際や、家に客人を招く際は、一緒に肉を食べる。肉はむしろ好きである。でも普段は、ほとんど食べない。
 今はそうやって、多少は食すようになったが、以前はもっと厳格なベジタリアンであった。2000年から菜食を始めたのだが、最初の5,6年はまったく口にしなかった。忘年会などでしゃぶしゃぶを食べたときも、ひとり野菜のみを食べていた。その頃に比べると、かなりいい加減になったが、それでも今も肉はあまり食べない。私のオナラが無臭なのは、それが原因だったのだ。

 大人が一日にするオナラの回数は平均で5回から20回だそうだ。量は0.5~1.5リットルである。結構、みなしている。私は人よりもオナラの回数、量ともに多い方かと今まで信じていたが、実はそうではないらしい。みな、こっそりとしているのだ。
 私は人より回数、量とも多い方と自認していたが、それでも会社や公共の場ではほとんどしなかった。いや、こっそりしていたが、消音を心がけていた。もとから無臭であるので、気付かれたことはないと思う。
 今、在宅で仕事をするようになって、嬉しいことのひとつに、思い切り放屁できることがある。無臭のやつを思い切りする喜びは他に例えようもない。他の排泄行為と同様に、人間の根源的な快感であるといえる。

 たまに混んだ電車の中で、臭い一発をするけしからん者がいる。いつも腹立たしく感じていた。だって、自分のは臭くないから。
 臭いの方角をたどって、犯人を伺うと、その人間の推測はつく。大抵は太って脂ぎった中年であった。きっと肉ばかり食べているのだろう。だから太っちゃうのだ。そして、そんな人の腸は悪者菌で占領されているのだ。

 オナラの臭いひと。肉食は控えた方がいいですよ。腸内が大変なことになっているみたいです。悪者に占拠され続けると、病気になりやすいそうですよ。ご注意を。



プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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