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目標、分析、戦略


 昨日も終日、甥っ子と行動を伴にする。日中は勉強or仕事。夕方からはスポーツジム。夜は坐禅。

 甥っ子は子供の頃から勉強熱心な子供だった。中学は地元の公立へ行き、千葉県で一番偏差値の高い高校を受験した。自信があったらしく滑り止めの私立は受けなかった。ところが試験を受けて自己採点をすると、合格点に届いていないことに気が付いた。それから受けられる私立を探したが、ほとんどない。通えそうな都内の私立をひとつ見つけ、あわてて受験した。結果、3年間をその私立で過ごすこととなった。不本意な3年間だったようだ。
 昨年度は国立大学を一校のみ受験した。また同じ轍を踏むのではと周囲は反対したが、甥っ子は意志強固であった。結果は周囲の心配どおりとなった。

 今回、数日間を伴にして、何が原因であったのかを二人で考えた。私は次の三つを整理させた。
(1) 目標の明確化
(2) 状況の把握、分析
(3) 戦略の立案

 目標の明確化は簡単だ。今年度こそ志望校に合格することだ。そこで志望校を確認すると、昨年度の国立よりもレベルの高い国立を目指すという。実は子供の頃からその大学を志望していたが、受験の直前になって不安になり志望校を変更したという。再度、初心に帰り、挑戦したいという。私は賛成した。
 昨年度と同じ大学なら、単に入学が一年遅れたに過ぎない。志望大学を変更したのなら、そこにプラスアルファが生まれる。
 つづいて(2)について。受験科目を尋ねた。国立だからセンター試験がある。その科目は英語、数学、国語、物理、化学、日本史だそうだ。ちなみに甥っ子は理科系志望である。配点は詳しくは忘れたが、大雑把にいうと英語200、数学200、国語200、物理100、化学100、日本史100だ。
 二次試験は英語、数学、国語、物理、化学。一次と二次の配点だが、たしか1対4だそうだ。
 また、現在までの勉強の進み具合、模試や前回の入試の結果を聞き、甥っ子の現時点の科目ごとの学力を推定した。
 最後に(3)の戦略だ。これから毎日8時間、週6日勉強すると仮定する。すると合計で約1000時間の勉強時間を確保できる。この1000時間を(2)の分析を元に科目ごとに時間を割り振った。結果は英語200時間、数学200時間、国語200時間、物理150時間、化学150時間、日本史100時間。
 この科目ごとの勉強時間を元に、具体的な勉強方法を決めていった。詳細は企業秘密なのでここでは語らない(本当は面倒くさいだけです)。

 そしてこれが肝心なのだが、ふたりで百円ショップへ行き、手帳を買ってきた。この手帳に具体的なスケジュールを書き込ませたのだ。そして今後は、実際に勉強した内容を簡単に記帳させる。
 日々、手帳に書き込むことにより、スケジュールの進捗を確認できる。たとえば甥っ子は数学が好きなので、どうしても数学の勉強時間が多くなりがちだ。そして苦手な日本史は勉強しない。そこで手帳を活用する。数学が先行しがちで日本史が足りなければ、日本史に重点を移す。一ヶ月ごとに集計を出し、アジャストを次の月で行い、最終的に目標時間を達成できるようにする。

 こうした作業を二人で話しながら進めていると、思わぬ産物がもたらされた。甥っ子のやる気と自信がアップしたのだ。実は私と話し合うまでは、志望大学の変更には躊躇していたそうだ。しかしモチベーションが上がり、変更に自信が持てたという。

 この作業をしながら、私は反省をさせられた。自分のプランはどうなっているのだ。ひとのことについては客観的に、偉そうに、分析したりプランを立案したりできる。しかし自分については、何もしていない。行き当たりばったりである。
 ということで、私もノートをつけることにした。手帳はもったいないし、面倒くさいので買わない。古いノートでも使おうかと思っている。
 最近、色々なことに手を出しすぎている。改めて目標を明確化しなくてはならない。私の目標は、やっぱりり出版翻訳の実現である。今年度内に出版の目処をつける。なんだか俺もやる気がでてきたぞ。

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まだ負けない


 昨日も終日、甥っ子と“なんちゃって合宿”。朝は4時半起床。6時から散歩。その後、すぐに勉強or仕事に入る予定。だったのだが、話し込んでしまう。内容は主に、人生について。気が付けば、あっという間に3時間が経過していた。
 若者に人生を語ることは、初期老人にとっては、至高の悦楽であった。私は子供がいないし、あまり若者と話し混む経験がない。だから初めて味わった。あの至高を。老人が説教好きな理由が分かったような気がする。

 10時から、あわてて勉強or仕事に取り掛かる。そして夕方からはスポーツジムへ行く。
 甥っ子は今春からジム通いをしている。本人曰く、地元のジムでは、マシーンによってはマックスまで持ち上げられるとのこと。私ははなから信じていない。ひょろひょろの若造が、2,3ヶ月でいきなりそんな力が付くわけがない。しかし久しぶりに会った甥っ子は、たしかに逞しくなっていた。もしかしたら、本当かも。
 まずはチェストプレスを試みさせる。我がジムはベンチプレスがないので代用である。甥っ子曰く、ベンチプレスで80キロを持ち上げると。これも眉唾である。私が以前、真剣にトレーニングをしていたときには、フリーウエートだが、マックスで約百キロだった。甥っ子の80キロは、かなりの数字だ。私の見立てでは、甥っ子なら、40キロがせいぜいだ。
 はたして挑戦させると、私の読みどおりだった。チェストプレスのマシーンで50キロがようやくだ。フリーウエートのベンチプレスなら、40キロといったところだろう。
 私は最近、ジムトレーニングをまったくしていない。だから体を壊したくないので、軽めを持ち上げる。それでも60キロは、なんてことがない。
 つづいてショルダープレス、バタフライ、シーテッドロー、シーテッドプルダウンと上半身を集中的に。続いて下半身はスクワット、レッグエクステンション、レッグカールの3種目。背筋もマシーンで、腹筋はフロアで。
 結果、甥っ子はどれも18歳の初心者の実力程度だった。私の半分ほどしかできないものもあり、本人は意気消沈の様子である。一方、私の方は得意げな表情を隠すのに苦労した。
 今回は私の圧勝であった。ああ、しかし勝負するつもりはまったくなかった。だから軽めのウエートしか私は持ち上げなかったが。それでも、やはり圧勝である。えへん。
 
 甥っ子は最近、持ち上げるウエートが増えないという(まだ初めて間もないくせに、生意気な)。トレーニングの姿を見て、すぐに理由が分った。フォームが悪い。あれだと筋肉は付きにくい。より重たいウエートを持ち上げることが目的化してしまっている。筋力アップより、自己流の技術で持ち上げることが目的となっている。
 そこで正しいフォームを教える。正しいフォームだと、さらにウエートの量は減る。地元ではマックス近くまで持ち上げられると豪語していた彼だが、正しいフォームで、伯父さんの前だと、ほぼミニマムのウエートですら、ヒーヒー言っている。
 ただ、こうして威張っていることができるもの今回が最後かもしれない。正しいフォームで、今のペースで(週5日ほど通っているらしい)続ければ、来年は確実に私のウエートを超えていいるだろう。そうしたらもう、腕組みしながら激を飛ばすことは憚られるのかもしれない。いや、それでも来年も威張っている気もするが。

 ジムから帰ってきたら坐禅を線香1本。その後、甥っ子は勉強、私は夕食の準備。あっという間に夜になる。
 かみさんも夕べは早めに帰ってきて、一緒に夕食を取る。就寝は10時。布団に入るとともに、睡魔がすぐに襲ってきた。

甥っ子との一日


 昨日は終日、甥っ子と“なんちゃって合宿”。4時半に起床、6時からこの近くを散策。7時から12時まで甥っ子は勉強、わたしは仕事。昼食を取り、1時から3時まで同じく勉強と仕事。それから自転車で海まで行き、泳ぐ。

 甥っ子は子供のころスイミングスクールに通っていたのだが、海での泳ぎは全然駄目だ。反対に私はプールでの泳ぎは下手くそだが、海だと結構ちゃんと泳げる。その気になれば1時間でも2時間でも泳ぎ続けることができる。だから下手くそな私がスイミングスクール経験者の甥っ子に泳ぎを教える。
 どうも波に乗る感覚が掴めていないようだ。波が来ようが来まいが、おかまいなしに自分のペースで泳いでいる。だからすぐに疲れる。水も飲む。溺れそうになったりもする。
 波に身を任せ、波の力を利用しながら泳ぐと、楽に進めるのだが。甥っ子にはそれができない。
 波に揺られる感覚は心地よい。この心地よさも知ってもらいたい。しかし18歳の若者は体力勝負に走りがちだ。
 主に足の着かない水深の場所で練習をした。甥っ子には水泳禁止区域との境界線にあるブイに摑まらせて、休憩を取らせた。それでもあまり長くいると危険なので、40分ぐらいで引き上げる。本人は上手になったつもりで、「なんか掴めたみたい」と言っていたが、果たしてどうやら。
 周りはビキニの女の子がはしゃぐ中、伯父さんとの水泳訓練。きっと恥ずかしかっただろう。それでも素直な甥っ子は満足げであった。海から上がり、海岸に設置してある水道水で顔や足を洗っているときに、「気持ちがいいね」と笑顔を見せた。浪人生の夏休みに、少しだけでも憩いの時を与えることができたのなら、伯父さんとしては幸いである。
 家に戻ってからは坐禅を組む。最近、坐禅の話題に触れなかったので、坐禅をギブアップしたと思われている方が多いかもしれない。豈図らん。何とかこうにかだか、続けている。ウイークデーだけの禁酒もうまくいっている。体調、精神状態ともに調子がよい。すべて坐禅を続けているお陰ではないかと思っている。
 線香1本分、30分強坐らせたが、ちゃんと坐り切った。

 小食の甥っ子だが、夕食ではご飯をおかわりして食べた。9時半就寝。

甥っ子、くる


 昨日から甥っ子が来ている。これから一週間、我が家に泊まる予定である。
 甥っ子に、この前会ったのは3ヶ月ほど前のことだ。3ヶ月ですっかり逞しくなっていた。
 甥っ子は18歳でただいま浪人生である。中学時代は卓球部に入っていたそうだが、高校は帰宅部。私は柔道部を強く勧めたのだが。
 身長だけはそれなりに伸びて175センチほどだが、ひょろひょろのいかにもの浪人生であった。そこで4月からジムワークをすることを勧めた。
 甥っ子は宅浪しているので刺激が欲しいらしく、この誘いには乗ってきた。5月から勉強の合間に、地元の体育館のジムに通っている。
 だから初めて、わずか2ヶ月である。それだけで胸はかなり厚くなり、腕は図太くなった。事前に電話で「オレ、随分マッチョになってきたよ」と言われていたが、まったく信用していなかった。「2ヶ月程度で、そう変るはずがないだろう。俺は20年もトレーニングをしているから分るけど、最初は蚊にさされたぐらい、胸が膨らんでくるけど、そんなもんは大したことがない。お前は、大袈裟な奴だ」、と叱責した。
 昨日、甥っ子と待ち合わせをしたのはJR御徒町駅だ。甥っ子は先に来ていた。改札口に立つ甥っ子を遠方から発見して、最初は彼だとは思わなかった。しかしもしやと、目を凝らすとやはり甥っ子である。3ヶ月で少年からすっかり青年に変身していた。本当にそれなりだが、マッチョになっていた。30代からジムワークを始めた伯父さんと、18歳の青年ではこんなに筋肉の付く速度が違うのだ。

 昨日はそれから本郷の合気道道場へ向った。甥っ子は合気道をしないが、無理やり連れて行ったのだ。3時間の稽古で、ずっと相手をしてやった。たしかに力はある。若いので飲み込みも早い。教えていて楽しい相手だった。
 せっかく本郷まで来たのだからと近くをふたりで歩いた。まずは湯島天神へ行き、来年の合格を祈願した。続いて観光気分で東大へ行く。こちらは特に意図はなかった。日本の受験界最高峰をちょっと冷やかしてやる程度の気持ちである。学食を覗き、安田講堂跡を見学し、工学部の古い建物前をほっつき歩き、三四郎池で涼を取り。
 湯島も東大も気に入ったようだった。とくに東大には相当感動したらしい。東大からの帰り道、何やらブツブツと不穏な発言を吐いていた。もしやとんでもない夢を見させてしまったかもしれない。まあ、それも良いか。

 本日はわたしども夫婦と同時の4時半に起床させた。朝の散歩にも、つき合わさせた。今は一階でひとり勉強をしている。
 これからの一週間は合宿である。早朝に起床して、日中は勉強。夕方からは二人でジムへ通う。なんだか楽しい一週間になりそうだ。

重ねた齢(よわい)と流れた月日


 昨日は昼間から酒を飲んでしまった。膵炎の疑惑が晴れたとたんに、これである。我ながらトホホである。
 昨日はHSBC時代の先輩のSさんが拙宅まで遊びに来てくれた。私はHSBCには一年しか在籍していなかった。Sさんは5,6年かな、もう少し長いかもしれないが、HSBCにいた。その後、他の外銀に移籍した。その銀行に何年いたのかは知らない。ずっと同じ銀行にいたのか、何社か渡り歩いたのか。いずれにせよ、現在は無職である。昨年の秋に、突然解雇を言い渡され、一週間後に辞めたからだ。今は雇用保険をもらっている。
 Sさんは私が思うに、当時は一番期待されていた若手であったと思う。当時のHSBCには、一流大学卒は少なかった。私の同期は私を含め4人いたが、出身大学は明治二人、青山一人、法政一人である。Sさんの同期については、詳しくは忘れてしまった。たしか男はSさんを含め2名だったはずだ(女性は3人いたとSさんは言うが、私は記憶していない)。Sさんの同期は明治だった。そしてSさんは慶応の経済だ。だからちょっと目立っていた。それとSさんはリーダーシップがあった。若手が集まると、自然とSさんが中心になっていた。上司もそこのところは分っていたと思う。だから一番、出世するだとうと予想していた。でも数年で、HSBCをさらっと辞めてしまった。
 その後、Sさんが出世したのかどうかは分らない。Sさんの以前の肩書きが話題になったことがないので。しかし今回のリストラを見ると、もしかしたら銀行内では苦労されていたのかもしれない。Sさんは優しい。優しい人間は外銀では歓迎されないから。

 Sさんのこれからについて話しを伺った。ガーデニングプランナーを目指すという。ガーデニングプランナーという職業は始めて聞いたが、公園などのデザインなどを行う職業であるらしい。欧米では非常に人気のある職業だそうだ。ただ日本では公園自体が少ないし、公園の造営は建設会社が引き受け、メンテナンスは造園会社が行う。そこにガーデニングプランナーの需要はほとんどない。では日本のガーデニングプランナーは何をしているかというと、ビルの屋上庭園や個人邸などを扱っているそうである。
 聞いただけで、なかなか難しそうな仕事だと思った。需要は少ないようだし、建築会社や造園業などのライバルは多い。私は父が土木関係の仕事をしていたので、土木の世界を多少は知っている。他所からの参入が難しい産業である。アンダーグランドの人々が暗躍もしている。
 なぜその難しい職場を選ぶことにしたのか、聞くのを忘れた。銀行員から園芸とは、唐突の感も否めない。しかしSさんは以前から盆栽いじりなどが趣味であった。夢を暖めていたのだろう。
 Sさんはとてもスペックの高い人だ。人脈も豊富である。Sさんなら、きっと困難を軽々と乗り越えていくであろう。すでに知人から協業を呼びかけられているそうだ。さすが。

 飲んだ後、いつもはひとりで散歩するコースを一緒に歩いた。
 こんなことを書くと、また“シモネタ”とH君から叱責されそうだが、書いちゃう。山道を歩くと、腸が刺激されるのか、ガスが出る。誰もいない山道で放屁することは気持ちがよい。でも昨日はSさんと一緒だったので、控えていた。それにあまりもよおさなかったし。ところがSさんは、結構なハイペースで放屁を続けていた。私は気づかない振りをしていた。
 Sさんと一緒に仕事をしていたのは24年前である。久しぶりに会ったSさんの放屁音を聞いていて、重ねた齢と流れた月日を感じた次第である。

嘘をつかない生活は楽チンである


 月曜から昨日まで母が来ていた。私の膵臓の結果を聞きに来たのだ。もちろん電話でも用は済むのだが。父が拓也の様子を見て来いと強い、母が様子を見に来たわけだ。
 前回のブログで書いたとおり、膵臓には悪いところが見当たらなかった。精神的なことが大きいのかもしれないが、問題なしの結果を聞いたとたん、背中の痛みもなくなった。食欲もある。週末は酒を飲んでいる。
 普段と変らない私の様子を見て、母は安心したようだ。年老いた両親に心配をかけたことを改めて済まなく感じた。

 本来なら結果も出る前から、膵臓の話を両親にすべきでなかったのかもしれない。しかし最近の私は妙に正直なのだ。なんでも、誰にもでも、事実を包み隠さずにしゃべってしまう。
 今回の膵臓事件も、たまたま父と電話で話していて「最近、調子はどうだ?」と聞かれ、何も考えもせずに「背中が痛む。膵炎かもしれない」と答えてしまったのだ。普通の良識ある中年息子なら、年老いた父にこのような返事はしないだろう。
 以前の私は違った。高校生のころ、ある病気を医者から告げられたことがある。非常に大きなショックを受けたのだが、そのことは両親に語らなかった。心配を掛けたくなかったのだ。
 前の結婚生活は結婚当初から、うまく行っていなかった。両親はうすうす感づいていたはずだ。しかし私は、離婚が決まるまで、はっきりとしたことを両親に告げなかった。
 ところが最近の私は妙に正直なのだ。なんでも事実を語る。結構、嘘つきだと自覚していたのだが。どうも違うようになってきた。嘘を構築するのが面倒臭くなってきたのかもしれない。
 たしかに嘘をつかない生活は快適である。嘘を考えなくて良い。嘘が発覚することを恐れなくても良い。そしてなにより、捨て身でいけるのが心地よい。
 人に知られたくない事が発生したとしても、それをあるがままに受けとめる。手を拱かない。策を弄さない。ただ身を任せる。つまり捨て身なのだ。
 捨て身とは、何て楽なものなのだろうか。もっと早くに気づいていれば、よかった。若い頃は身を繕うために、つきたくない嘘をつき続けていた。そのことで却って窮地の陥ったものだ。その結果、沢山の恥をかいた。今思うに、恥は最初に書いたほうがよい。被害は少ない。

 といっても、今も正直100%でないことは、これも正直に告白しておいた方がよいだろう。

膵炎検査の結果


 先週の水曜日に横須賀共済病院でCTスキャンを撮り、金曜日に結果を聞きに行った。結果だが、シロであった。膵炎の徴候はまったく見られないとのことだった。よかった~。
 CTも血液検査も触診も、すべてでまったく異常は見つからなかった。
 「気にしすぎですよ」とW医師。そういわれてみれば、気にしすぎたのかもしれない。たしかに背中の痛みは、ほとんどない。「筋肉痛じゃないですか」と言われた。まさかそんかことはないだろう、と思っていたが。今となれば筋肉痛だったのかもしれない。食欲も盛り返してきた。そして、酒も飲んだ。週末には3日も続けて。祝杯である。酒もうまい。その前の週末に飲んだ酒は、ちっともうまくはなかったのに。それに飲んでも痛まない。
 あの痛みは何であったのだろうか。不思議である。
 正直、今現在はまだ半信半疑である。筋肉痛であったとはやはり、思えない。痛みがあったのだから、何らかの原因があったはずだ。しかしその原因が、膵臓関連ではないことだけは明らかになった。それだけでも嬉しい。
 前に書いたが、膵炎患者の生活は厳しい。アルコール、たばこ、油もの、肉類、カフェイン、香辛料、刺激物、炭酸飲料、乳製品、これらを取ることができない。痛み、倦怠感は一生続く。この恐ろしい病気でないことが分っただけでも、最高に幸福である。

 幸福は他にもある。長年、控えたいと思っていたが、無理だとも思っていたアルコールを飲まずに済ますことができた。飲まないと眠れないと想像していたが、しっかり眠れる。これからは週末、あるいは来客があったときだけ飲むつもりだ。なんと健康的な生活だろう。この生活を手に入れただけでも、恐怖のときを過ごした甲斐がある。しかし油断禁物。また飲み続ける生活に戻らないように、心がけなくてはならない。わたくし、とくにアルコールに対しては意志薄弱なもので。

 今回の病院では、不思議なことがあった。あのタメ口のW先生が、終始敬語を使ってきたのだ。やっぱ、敬語の方がよい。こちらも先生に対して、自然と敬語が出る。表情もゆるむ。自分自身、口の悪さを自覚している。今後は自分の言葉にも気をつけよう。W先生は良い反面教師でもあった。

 しかしどうしてだろう。W先生の言葉遣いが急に丁寧になったのは。もしかして、このブログを読んでいたりして。まさかね。

これ殺生の日々


 先日、テレビを見ていたら福島県で生産された牛肉から放射能が検出されたというニュースをやっていた。そのニュースの中で、牛舎でつながれた肉牛の映像が流されていた。いつもながら殺されるためだけに産まれ、一生を狭い檻で過ごす畜産動物の悲しい目を見ると、胸が痛む。
 こうした無残な命を少しでも誕生させないために、やはり肉食は控えなくてはいけない、と改めて思う。

 とはいっても生きていくためには、完全には殺生から逃れることはできない。肉を食べなくても、魚は食べる。魚は食べなくても、野菜は食べる。
 ベジタリアンの中で最も厳しいといわれているものに、“ビーガン”がある。ビーガンは果実だけを食べて生きている。
 なぜ果物だけかというと、果実は動物に食べさせることを前提で植物が作り出したもだ、とビーガンは考えているからだ。たとえば柿やリンゴ、みかん。植物はあえて甘い果実を作り、それを動物に食べさせる。動物は動き回り、方々に排泄をする。その結果、果樹は種を遠方まで運ぶことができ、子孫繁栄の機会を高めることができる。
 私もフルーツは好きだが、毎日フルーツだけの生活は考えられない。だからビーガンには決してなれないだろう。しかし慢性膵炎になったら、それに近い食生活を余儀なくされるだろうが。
 しかしビーガンといえども、間接的には殺生に加担しているのではないか。というのは、農業に殺生はつき物だからだ。

 今年は何種類かのハーブを育てている。ほぼ毎日、バジルやパセリ、ルッコラ、シソなどを家庭菜園から取って食べている。
 季節が良くなって、これらの植物の生育が良くなった。と同時に虫が寄生するようにもなった。ルッコラなどは特に好まれるらしく、一時ほぼ全滅状態に陥った。何だか最近、元気がないなと感じていた。しかし観察することもなく放っておいた。すっかり丸坊主になってから、ようやく近くで様子を見てみた。すると小さな芋虫が大量に付着している。あわてて手で取り、殺した。そらから毎日、芋虫を殺している。おかげで、死滅したと思っていたルッコラが蘇ってきた。
 小松菜も植えた。こちらはまだ、小さなスプラウトの状態だが、それでも虫が食っている。これも芋虫だ。ということで、最近は毎朝の水遣りの際に点検をして、芋虫を駆除している。これ殺生の日々である。

ルッコラ
一時、丸坊主状態だったルッコラ。今日もここに芋虫が10匹近くいた

 完全に放っておいて、つまり虫に食われるままにして、野菜や果物を育てることは難しい。だから果物だけを食べていたとしても、その裏では農家の方々が、虫を駆除していることを忘れてはいけない。殺生にまったく関与しないで生きることは不可能なのだ。
 道を歩けば蟻を踏み殺す。手を洗えばバクテリアを殺す。抗生物質を飲めば、病原菌を殺す。
 やはり程合いが大切なのだろう。完璧はありえない。生きている限り、殺生の循環の輪からは逃れられない。

 ところで虫食いだらけの我が菜園だが、雑草の方は被害を受けていない。雑草の中にも美味しそうなのもあるのだが。あまり美味しくないと、虫はちゃんと分っているようだ。
 山に行けば、木々は茂り、足元には名もない草花が咲き誇っている。自然は力強く、不思議なものである。


小原庄助さんな日々


 昨日は横須賀共済病院で膵臓の検査。CTスキャンを撮る。九段坂病院でも他の病院でも、CTは何度も撮った。大体、2,30分は撮影にかかった。昨日もそんなつもりでいた。3,4人待っている人がいたので、1時間は待たされるつもりでいた。そこでトイレに行こうと思い、CTの受付の人にトイレの場所を聞いた。すると、「今から行くんですか」と聞かれた。「?、はい」。「行かれるのなら、お帰りになったら教えてください」。
 トイレから戻り、帰ってきたことを伝える。すると、その2,3分後にCTの順番が回ってきた。随分と早い。
 理由は最新式の機械にあった。待合所に誇らしげに“世界最新鋭のCTスキャンを導入!”というポスターが貼られていたのだが、誇りたくなるのも肯ける。撮影は3分もかからなかった。以前の10分の1だ。CTは結構な量の放射線を浴びるという。これなら被曝量も少なく済むだろう。

 今さっき、朝の散歩から帰ってきた。今日も良い天気である。私の住んでいる場所は、本当に気候に恵まれていて、冬は比較的温かく、夏は涼しい。今日も木漏れ日の森の中を歩くと、実に気持ちがよかった。家の中も涼やかな風が入ってくる。今も書斎の窓を開けてPCに向っているのだが、爽やかな風が入ってくる。今年になって、一度しかエアコンは使っていない。夜も当然、ノーエアコンである。というか、寝室には元からエアコンがないのだが。それでも涼しくて、ここのところはちょっと寒いぐらいで、羽毛布団を足元にかけて眠っている。
 散歩から帰ると、それでも少しは汗ばむ。そこでシャワーを浴びに、風呂場へ入る。風呂桶を覗くと昨日の残り湯がある。どうせ流して捨てるのだからと、体も洗わずにザブンと入る。すると温かい。40度近くはある。ほとんど湯の温度は下がっていない。朝風呂である。あ~、気持ちがよい。まったく極楽とは、このことをいうのだろう。シャワーも気持ちよいが、朝風呂もよい。小原庄助さんの気持ちがよくわかる。

 さてまだ朝の8時半だ。今日は財務レポートの翻訳を行う予定だ。本日中に1本終了させるつもりだ。明日はまたCTの結果を聞きに、横須賀中央病院に行かなくてはならない。病院に行くと、一日仕事になってしまう。本日のノルマは今日中に仕上げなくてはならない。さて、頑張るとするか。


西友と『サーフワイズ』


 今、今夜のおかずを買いに西友へ行って、帰って来たところだ。今夜の献立は高野豆腐とキンピラ、カツオのたたきとシメジの味噌汁だ。いや、献立の話ではなかった。

 外が凄いことになっていることを書きたかったのだ。凄い、すっかり夏だ。遠方の山の上には白い雲がモクモクと生え、頭上には真っ青な空が広がっている。南からは海風がそよぎ、森からは小鳥の囀りが聞こえる。まだ夏休みの時期には早いが、すっかり夏休み状態だ。
 ここは住宅地だけど、なんとなく雰囲気はリゾートである。なんでだろう。山や森が目の前にあるからだろうか。
 西友もここの西友は、実家の千葉の西友なんかとは雰囲気が違う。規格は一緒のはずなのに。なんとなくリゾートなのだ。お客だって、別段変らない。サロンパスを貼ったお年よりばかりで、アンクレットを着けたサーファーガールは一人もいない。
 どことなくリゾートの香りがするこの場所で、天気がこんなだからたまらない。海に行きたい。ものすごく行きたい。この気持ちを押さえ込むのは、なかなかしんどい。
 今もまだ(去年からずっと)、サーファーの本を訳している。三度めの校正である。だから頭の中が、サーフィンで一杯だ。そうしたら、サーフィンがしたくなった。
 サーフィンなんて大学のとき以来していないから、30年近くもご無沙汰である。絶対にボードに立てない自信がある。でも、サーフィンをしたい。

 西友へ行く前に、昼食を取りながら、ちらっとケーブルテレビを見た。ザッピングをしていると、波の画像が目に飛び込んできた。サーフィンが頭に渦巻いている状況なので、チャンネルを自然に止める。やっていたのは『サーフワイズ』というドキュメンタリー映画であった。
 最後の5分間しか見ることができなかったが、興味を引かれて、ネットで調べてみた。すると変った映画であることが分った。
 ある家族の歴史である。親父がいて、お袋がいて、そして子供がたくさん。
 親父はスタンフォードだったかな、とにかく一流大学を出た医師であったが、サーフィンとセックスをしたくて放浪の旅に出る。波と女に乗りながら、世界中を旅する。その途中、セックスの相性が抜群であったメキシコ女性と結婚する。その後もキャンピングカーで旅を続ける。医師を辞めて、セックスとサーフィンに人生を捧げたぐらいの親父だから、道中もセックスばかりしている。その結果、子供が次々にできる。たしか8人ぐらい。この子達は旅から旅の生活なので、学校に行けない。ひたすらサーフィンをさせられた。
 サーフィンばかりしているので、当然にサーフィンはうまくなる。しかし他のことは何もしらない。
 子供達は成長して、みなプロサーファーになる。最初はそれなりの成功を収める。しかし外の世界をまったく知らないので、すぐに挫折が訪れる。キャンピングカーの外の世界は、金勘定の世界であったのだ。サーフィンとセックスを信条とする親父は、金勘定が大嫌いであった。なので、子供達は世の中に、お金なんて存在しないもののようにして、育てられたのだ。
 子供達が小さいときは、仲の良い家族であった。しかし成長するにしたがい仲たがいをする。お金の問題でだ。さらに常識を欠いた人間に育てた親父を憎むようになる。
 数々の挫折を経て。現在だが。親父は80歳になった。しかしあっちの方も、サーフィンも現役であるとのこと。お袋も、お父ちゃんが今も毎晩可愛がってくれるためか元気である。
 子供達だが、なんとかこうとか生活している。主にミュージシャンや漫画家、映画プロデューサーなど自由業で生活を立てている。

 私もカミングアウトすると、大学生のころは、この親父と同じようなことを考えていた。波乗りと女の子だけの生活を結構、本気で求めていた。でも私の場合は、すぐに挫折というか軌道修正を余儀なくなれた。大学卒業と同時にサラリーマンとなった。
 まったく勝手な親父で、ちっとも感心できないのだが。それでもこんな夏の日に、南風に吹かれながら歩いていると、サーフボードを抱えて世界を旅したい、と思った大学時代を思い出してしまう。

責任を伴わない権力


 松本龍が復興相を辞任した。いささか古い話題かもしれない。
 あの発言をテレビで見た。耳を疑うような、乱暴な言葉の数々であった。あれだけのメディアを前にして、カメラも回っているのを承知のうえで、信じられない横柄な言い様であった。なんて嫌な奴なんだと思った。自分の力を誇示するために、相手を恫喝まがいの言動で平伏させる。「オレが知事だったら殴ってるかも、しれんな」と思ったほどだ(思っただけで、そんな勇気はありませんが)。
 しかし、それとこれとは別ではないだろうか。これとは辞めた、正確には辞めさせられたことである。嫌な奴だってだけで、辞めさせてしまって良かったのだろうか。

 松本氏は復興相を辞めさせられた。就任後わずか9日である。これだけ短期間に辞めさせるのなら、それなりの理由が必要である。その重大な理由が、“暴言”だけとは。
 復興相を9日で辞めさせるには、それなりの理由が必要だ。それなりの理由とは、ただひとつ。復興相としての実力の如何である。実力がなければ辞めてもらうしかない。しかし復興相として力を持っていれば、性格が悪くても、言葉が乱暴でも、9日で辞めさせるべきでない。現在は緊急事態である。

 卑近な例で考えたい。たとえば自分の会社が倒産しかかっていたとする。銀行から新社長が送り込まれてきた。数日後、役員会で就任の挨拶を行った。ひとりの役員が遅れて入ってきた。そこで新社長はその役員に向って「役員は社長よりも先に席に付いているもんだ。後から入るとは、礼儀をわきまえない奴だ」。さらに「企画を出せよ。企画を出さない役員の部署は経費を削減するぞ」と言ったとする。就任の挨拶で、こんなことを言う社長は少ないと思うが、そう言ったとする。そしたらその言葉を聞いた、株主は激怒して、就任9日後に新社長を辞めさせてしまった。
 果たしてこの会社の社員は喜ぶであろうか。またこの会社に未来はあるのであろうか。

 株主はすなわち国民の例えである。国民は株主同様に絶対的な権力を持っている。社長であろうが、大臣であろうが気に食わなければ首を切ることができる。
 普通、株主は上記のような乱暴なことはしない。なぜなら、自分の会社を守らなければいけない立場であるからだ。倒産して一番、被害を蒙るのは株主である。投資額がパーとなってしまう。だから社長の実力を見る前に、乱暴な発言だけで、首を飛ばすような浅はかな行動はとらない。
 ところが国民という権力者は、株主と異なり短慮である。好き嫌いだけでもの事を判断する。国の行く末にはあまり興味がない。国家というのはあまりに大きく、そして複雑であるために、自分との利害関係が見えてこないのであろう。本当は株主同様に、国民は国家のステークホルダーである。国家が衰退したり消滅したりしたら、大変なことだ。想像を絶する悲劇が待ち受けている。

 今回の事件について、テレビの報道をいくつか目にした。東北の被災者の方々がインタビューに答えていた。みなさん、そろって眉をひそめ、松本氏を批判していた。「開いた口がふさがらない」、「呆れちゃってものが言えない」、「被災者の気持ちを理解していない」、「あんな男を大臣に選んだ総理はどうかしている」等。
 たしかにそう思われるのも不思議はない。被災地の住民として、怒りは当然だろう。しかしテレビを見ている我々は、少し冷静になるべきではないだろうか。
 政治の話題は庶民の好物だ。オルテガも『大衆の反乱』で書いている。大衆は文化も宗教にも興味がない。唯一興味を持つのは政治についてだけだ、と。
 ところが政治の話題は難しい。床屋の政談なら、それなりの意見を述べられる人も、カメラの前でマイクを向けられて、堂々と意見を言える人は少ない。しかし答えやすいトピックもある。それはスキャンダルや舌下事件、汚職などだ。これらは道徳観や好悪で判断することが可能である。だれでも、誤りのない意見を述べることができる。
 今回の松本氏の発言はそれであった。誰が見たって、ありゃ乱暴すぎる。大臣だからって、直接選挙で選ばれた知事に向ってあんな発言をして良いわけがない。あれは、失礼だ。
 答えはみんな同じ。松本氏が悪いで、決着だ。だから、大きな声で、自信を持って批判することができる。
 でもやっぱり。あれは大臣を変える理由にはならないと思う。

 国民は有権者である。有権者とは選挙権という権力を持つ人のことだ。選挙権は絶対な力である。現代の日本は主権在民である。つまり主な権力は民に在るのだ。
 通常、権力と責任はセットとなっている。ローマの皇帝ですらそうだった。暴君として悪名高いネロやカリギュラだって、責任は取らされた。失政を重ねた結果、命をもってその責任を償わされた。
 しかし現代の権力者は、何をやっても“命”を差し出す必要はない。ネロやカリギュラガが現代の有権者を見たら、心底羨ましがるかもしれない。

 菅首相もそうだが、人柄で政治家を判断するのはそろそろ控えるべきではないだろうか。判断すべきは仕事の結果であろう。以前、このブログで企業の能力評価主義を批判したことがある。評価期間の短さに問題があると書いた。政治も同じではないだろうか。もうちょっとロングスパンで政治を見る、懐の深さを有権者は持つべきだ。
 
 しかし本当は一番問題なのはマスコミかもしれない。ここまで書いてきて、気が付いたのだが。そうはいっても好き嫌いは人の常だ。感情に棹を指すことはできない。床屋の政談レベルなら、まったく問題がないのだ。その床屋にカメラを持ち込んで、気ままな政談を撮影し、あるいは取材して、それが国民の最終的な決断であるように報道する、マスコミこそが無責任な存在である。
 国民はいつしか責任を取らせられる。誤った判断を繰り返せば、国力は衰える。暮らしにくい世の中がやってくる。しかしマスコミは、それもまた良しである。ひとつメシの種が増えるに過ぎない。報道という権力を有しながら、責任を持とうとしない。
 今のマスメディアは社会の木鐸だとか、民衆の味方だとか、自分自身がイメージしている姿とは、実は程遠いところまで来てしまったようだ。

高齢者の社会保険料についての疑問


 政府もマスコミもそうだ。高齢者の社会保険料を抑制するためには、高齢者の健康を維持すること、つまり寿命を延ばすことが肝要であると言う。このロジックを耳にするたびに、いつも疑問が浮かぶ。「どうしてそうなるの?」
 例えば酒もタバコも長年続け、運動もしないでメタボニなったオジサンAがいたとする。Aは60歳で脳溢血により倒れ、闘病生活の末に65歳で死亡した。
 もうひとりのオジサンをBとしよう。Bは政府やマスコミが奨励するとおり、タバコを止め、毎週2日の休肝日をもうけ、油っぽい食事を控え、毎日ウオーキングに精を出した。おかげで90歳までそれなりに健康を保つことができた。しかし寄る年波には勝てずに、90歳で脳梗塞により入院、その後闘病生活を続けたが95歳で天寿を全うした。
 さてこのAさんとBさんだが、どちらの社会保険料が高くついたのだろうか。私の素人考えだと、Bになる。95歳まで長生きしたBさんの方が、65歳で亡くなったAさんより、社会保険料はかかっているのではと思うのだ。
 なぜって入院生活は5年間で一緒である。だからこの間にかかった医療費、保険料は同額。さらに60歳から90歳の間に一度も病院へ行ったことがないとは考えられない。おそらく年に数度、30年間なら100回を超えた通院、あるいは入院をしているだろう。その分、Aさんに対する健康保険料は支出される。
 さらにだ。社会保険料は健康保険料だけではない。もうひとつ年金も含まれる。仮にAさんBさんともに国民健康保険しか入っていなかったとして。ふたりの寿命の差は30年であるから、政府はその分もまた年金を余分に支払わなくてはならない。当然、国民年金は別会計であるから一般会計からの支出ではしない。しかし特別会計もやはり政府の予算である。出口が違うだけで、大本は一緒の政府の予算である。
 簡単に計算してみよう。仮にAさんBさんともに25年以上、まじめに保険料を支払っていたとする。すると受取金額は1ヶ月で約6万円になる。そこで生涯受け取った金額を計算すると、Bさんは30年間だから6万円の12か月分、そしてその30倍、累計で2,160万円だ。この額を政府はBさんに支出することになる。一方、Aさんは65歳で亡くなっているので、年金の受取は始まっていない。よって支出はゼロである。
 つまり健康保険料の面からも国民年金の面からも、Bさんに比べAさんに対し、政府は支出を抑えることができているのだ。

 政府やマスコミはなぜ、こんな簡単な計算をできていないのだろうか。おそらく政府・マスコミは、Bさんは90歳になっても病気にかからずに老衰でなくなると踏んでいる。たしかにそういう人もいるだろう。でもそれって、ものすごく低い確率だ。老齢期を無病で過ごす人が、どれだけいるだろうか。

 政府やマスコミが喧伝する健康政策には、私も賛意を表したい。同じ体質で生まれ、本来なら同じ寿命であれば、健康に留意して長生きをしたい。AさんよりもBさんの人生を歩みたい。それは自分だけでない。みなが長生きできる社会を私は望む。だから健康政策はどんどん進めるべきだ。しかし、そこに金の話を持ち出すべきではないのだ。金の話を持ち出した途端に、話は薄っぺらなものとなる。
 堂々と「皆さんの人生をより豊かにするために、健康を維持しようではありませんか」と言えばよいのだ。医療費の抑制だとか削減なんて、話にすりかえちゃいけない。
 
 私はそう思うのだ。私の試算は間違えているのだろうか。もし誤っているのなら、ぜひ指摘していただきたい。

 老人を社会のお荷物にしゃちゃ、いけない。金がかかるとか、面倒がかかるとか、そんな切り口でのみ捕らえることは虚しい。
 20世紀初頭のスペイン人ジャーナリストであるオルテガは著書『大衆の反逆』で書いている。ローマ帝国は経済的破綻や軍事的敗北で滅びたのではない。社会のもっとも大切な構成要素である人々の“生”の力が衰えたから、衰亡したのだと。
 金勘定という尺度でばかり社会をとらえる習慣を改めないと、その“生”の力が衰えてしまう。

医者って、人種


 昨日は病院に行った。一日がかりの仕事となってしまった。病院は時間がかかる。
 最近、背中が痛むと以前、書いた。今も少しだけ続いている。自分で推測した原因は、恐ろしくて書けないとも書いた。昨日、検査した結果は、取りあえずシロであった。また来週、CTを撮るのでその結果どうなるのかは分らない。しかし先ずはシロということで、めでたしめでたしである。
 まだ本当にシロだとは言えないが、一応シロであったので、病名を書く。心配していたのは慢性膵炎である。慢性膵炎は怖い病気だ。まず徴候がほとんどない。徴候がないにも拘わらず進行する。そして症状が表れた時点で、時すでに遅し。かなり悪化しているのだ。さらに怖いのは不可逆性というところだ。進行したら、その時点の病状から改善はしない。そして悪化はちゃんと進む。決して抜けない矢を打ち込まれたようなものである。矢じりには返しがしっかりと付いていて、抜けない。もがけば、さらに深く刺さる。
 一旦、慢性膵炎になると、生活は一変する。まず酒は絶対のご法度だ。生涯、一滴も飲むことは許されない。私は吸わないので関係はないが、喫煙も絶対禁止。
 食事も大きく制限される。脂肪はNG。だから揚げ物、炒め物、オイルのかかったサラダ、みな駄目である。肉も禁忌。刺激物もペケ。カラシ、ワサビ、胡椒なんてのも取れない。さらにカフェインも許されないのだ。コーヒー、紅茶、緑茶も飲めない。これがみ~んな口にできない生活を、あなたは想像することができるだろうか。おそらく、それからの人生はまったく違ったものとなるだろう。
 何年か前に神経鞘腫と診断されたときも、恐ろしかった。死ぬことをちょっと想像した。でも食生活に制限があるわけではない。だから、医者に任せるだけ。結果は考えないようにしよう、と思うことができた。今回、慢性膵炎を疑ったときの恐怖はそれ以上であった。徹底した食事制限は、考えただけで身がすくむ思いがする。
 それと、膵炎って痛いらしい。どのぐらい痛いかと言うと、気絶するほど痛いらしい。病気の中では痛いランキングでも最上位にくる痛みという。これも、いやだな。
 神経鞘腫の手術後は、ものすごく痛かった。でも堪えることはできた。俺って、痛みに強いのかな、なんて自惚れたりした。しかしあれは時間限定であった。だから自惚れることができた。一生、続く痛みはどれほどの苦しみであろうか。
 あまり痛みが続くので、慢性膵炎の患者は心を病む人が少なくないという。

 昨日行ったのは横須賀共済病院というところだ。京急の横須賀中央駅から歩いて7分。便利な場所にある。この辺りでは比較的、大きな病院で地域の中核医療の一端を担っている。基本的には初診は受け付けず、紹介状が必要だ。私も喘息で通っているセンペルという病院で紹介状を書いてもらってから行った。
 紹介状をもらってから一応、横須賀共済に電話で予約の必要を確認した。すると必要がないという返答だった。しかし、結果は予約していけばよかった、というものだった。初診窓口で待たされること2時間半。私よりも後から来た初診の予約者がどんどん、先に受診していった。
 9時から診察が始まると聞いていたので、律儀に9時に病院に着いた。しかし私の診察は11時半であった。その後、血液検査、エックス線撮影などがあり、さらにその結果の説明があったりで、終わったのは13時半だった。5時間半もかかってしまった。

 よく思うことだが、医者というのは一般常識が欠けている人が多い。今回、診てくれたのはWという男性の医師だった。年齢はおそらく35歳ぐらい。私より随分、若い。その若い医師が、いきなり「ところで、今日はどうしたの?」とタメ口である。私に向ってタメ口をきくのは、学校時代の同級生と医者ぐらいのものだ。「W君、私は君の同級生じゃ、ないんだよ」
 続いて「で、お酒は飲むの? どのぐらい飲んでるの?」と聞くから、「30年以上、一日もかかさずに飲んでます」、と答えた。すると「別に自慢することじゃ、ないよ」、だって。君が聞くから、答えたんだよ。まったく、もう。私は別に自慢なんかしていない。正確な情報提供をしただけなのだ。
 そして「で、一日の量は?」と聞いてきたので、「だいたい3合から4合ぐらいです。ちょっと多すぎますかね」と答えた。そうしたら、私の目も見ずに「お酒、止めたら!」だ。
 まったくコミュニケーション能力がゼロの医師であった。
 この医者は医者のくせに患者の顔をほとんど見ない。患者の顔も見ずに、診断することが可能なのだろうか。患者の顔は大切な診断材料である。ちゃんと大学で習ったはずなのだが。忘れちゃったのかな、W君。
 W君はいつもパソコンの画面を見ながら会話をする。話すのが苦手なタイプなのだろう。そこで嫌がられることを覚悟であえて、色々な質問をしてみた。上記の「ちょっと多すぎますかね」なども、そのひとつだ。そして、このW君の性格を患者の側から診断した。
 私の繰り返す質問に、ちゃんと答える。あえて少し間の抜けた質問には苦笑をしながら、それでも答える。診断の結果は、「コミュニケーション能力はゼロであるが人間性は悪くない」、というものだった。
 当初は、次回以降は医師を替えるつもりであった。通常、大きな病院は最初に診た医師が主治医となってしまう。それでも注文して替えてもらおうと考えていた。しかし意外にいい奴と分ったので、今後もお願いすることにしようと思っている。

 昨日の血液とレントゲン検査では、まったく膵臓に問題は見られなかった。しかし、今も背中は少し痛む。食欲もあるとは言えない。やはり健康に留意することは必要だ。W君が言ったように、たしかに「お酒、止めたら!」の状態である。
 先々週の月曜から禁酒というか、節酒というかは続けている。先週末に2日飲んだだけで、他の日は一滴も飲んでいない。その結果かどうかは分らないが、背中の痛みはかなり和らいでいる。ほとんど気づかない程度である。夜はよく眠れる。眠る一時間前から、あくびが出る。こんなこと、子供の頃以来である。自分では寝つきが悪いと信じていたが、どうも今の私は違うようである。ストレスの低い生活を続けているためだろうか。

 帰りは少しだけ、横須賀の街を歩いてみた。やっぱり私は横須賀の街が好きだ。大きすぎず小さすぎず。ちょっと洒落ていて、それでいて猥雑である。表通りは観光客や若い住人相手のファッショナブルな店が並ぶ(そんなにオシャレじゃないけど、そこがまたいい)。裏通りに入ると、昭和の歓楽街の世界である。特に夏の熱気が良く似合う街だ。バタ臭いところなんか、那覇とちょっと似ているかな。

 その後、用事があるので急いで逗子に戻った。逗子は相変わらずのんびりだ。これもまた、良しである。

逗子からの通勤


 今は通勤のない身分になったが、3年半の間、逗子から東京まで通勤を続けていた。逗子に引っ越す前は東京都文京区の本郷に住んでいた。会社は大手町にあった。家の最寄り駅は丸の内線本郷三丁目で、会社までは丸の内線で3駅。乗車時間は5分程度。ドアツードアでも15分といったところだった。
 逗子に家を買う前は随分、悩んだ。果たして通勤が可能なのだろうか。その時点で通勤時間15分という非常に恵まれた環境であったため、通勤の苦労は想像すらできなかった。
 通勤を考えて、やはり家は都内に買うべきかと迷った。しかし都内であれば私の予算だと極小住宅あるいはマンションしかありえない。でも、どうしても一軒家に住みたかった。だからマンションはペケ。そして庭も欲しい。そうすると極小住宅もNG。その結果、候補は自然と郊外に絞られた。千葉や埼玉方面なら、もう少し距離の近いところでも手に入る。しかし千葉、埼玉も避けたかった。私は子供時代を埼玉で過ごし、青年期は千葉で送った。どちらももう充分、という気持ちがあった。
 逗子は以前、一度だけ来たことがあった。母の高校時代の親友が住んでいて、ご自宅に呼ばれたことがあったからだ。その際、ご自宅の近くを散歩させてもらった。ここが東京近郊か!というほど自然が溢れている場所だった。近くにはまるで国立公園の中にあるような静かな池があった。池には色鮮やかなカワセミが飛んでいた。
 色々な選択肢をひとつずつ検証し、やはり逗子に住もうと結論付けた。

 さて通勤だ。どのぐらいかかるのだろうか。事前にネットで調べてみた。ホームページ(当時はまだブログは普及していなかった)をいくつか見つけることができた。それらを読み漁る。みなそれなりに苦労はしているようだが、それでも通勤を続けている。むしろ楽しんでいる人も少なくない。できるかもしれない、と考えた。
 実は家を探し始めてから購入するまでは、2年間も費やしている。その間、見学した家は逗子、葉山、鎌倉だけで100軒以上。都内も数箇所あった。
 探し始めてから2年近く経ったころ、不動産屋がついに痺れを切らした。「そろそろ、どうですか」。私の方も、そろそろ決めなくてはと考えていた。ちょうどそのころ、今の家に出合った。ひとめ見て、ここになりそうだ、という予感があった。なかなか良い家だった。

 さて、本題の通勤だが。逗子は距離のわりに通勤に恵まれている。なぜ恵まれているのかというと、理由はおもに三つある。
 第一は、始発があること。私はJRの横須賀線を使っていたのだが、横須賀線は久里浜、横須賀、逗子、大船から出発し東京駅方面に向う。それら全部の本数のうち、2割程度は逗子が始発だ。この2割に乗れば、確実に座れる。
 また久里浜発、横須賀発の場合も、座れる可能性が高い。というのは、久里浜、横須賀から来る電車は大抵11両編成で、逗子駅で4両を増結して15両編成になる。つまり増結車両の4両は逗子発と同じことだ。この4両に乗れば、これまた座れる。
 これらの結果、逗子駅の場合はその気になれば、逗子始発も久里浜、横須賀発も、すべて座れるのだ。座席確保率は100%である。私も3年半の通勤で、逗子駅から座れなかったことは一度もない。
 これが鎌倉駅や北鎌倉駅だとこうはいかない。まず朝のラッシュ時には座ることは諦めなくてはならない。たった一駅の差なのに。この違いは非常に大きい。

 第二である。それは京急の存在だ。横須賀線はご他聞に漏れずに人身事故等で遅延することが少なくない。しかし逗子駅には京急がある。JR逗子駅に着いてから、遅延を知っても、すぐさま振り替え輸送の切符をもらって京急に行くことができる。京急は快速や急行が沢山、走っていて、結構早く東京に着ける。これで遅刻を免れることができた。

 三番目の理由はライナーの存在である。これはとても便利な乗り物だ。朝の上りを「おはようライナー」といい、帰りの下りは「ホームライナー」という。これも逗子が始発である。
 前日にチケットを購入しておかなくてはならないが(通勤定期とは別料金。料金は500円)、これでゆったりとした座席で、ちょっとリッチな気分を朝から満喫することができる。おはようライナーではコーヒーを片手に新聞を読みながら、快適な朝の時間を過ごすことができる。
 帰りの場合はコーヒーがビールに変る。湘南方面の同僚と一緒にたまに帰ったが、時間限定の格安バーラウンジとして楽しむことができた。
 そうだ、横須賀線はグリーン車もある。これも帰りにたまに利用した。帰りは座れないケースがたまにあったが、グリーン車だとほぼ確実に座れる。これも時間限定のバーとして、利用させてもらった。

 話は元にもどして、通常の横須賀線について。帰りだが、これも私はほぼ毎日、座ることができた。それはひとつには利用駅が東京駅で、結構降りる乗客がいたからだ。これは乗る駅によって状況は変るだろう
 しかし理由はもうひとつある。これは普遍的な理由である。空いている車両、時間帯を把握して、それに的を絞ったのだ。これは、どこの駅から乗ったとしても、使えるテクニックである。仮に東京駅から座れなかったとしても、品川、新橋で降りる乗客の目星をつけて、その前に立った。
 新橋、品川で降りそうな乗客の予想だが、これはアテズッポである。別段秘策はなかった。ただルーレットで複数番号にかけるように、ボックス席の前で立つことが多かった。これだと4人が対象になり、確率が4倍になる。たまに後ろのボックス席も射程範囲入れることもあった(ボックスの通路に自分ひとりしか立っていないケース)。その場合は8点がけになる。こうなるとほぼ確実に新橋、品川で座ることができた。

 ちなみに逗子駅から東京駅までの所要時間は約1時間である。この一時間を立って過ごすか、座ってゆくかは大きな違いである。
 私は逗子からの通勤を始める前に、ひとつ決心をした。ぜったい車内では寝ないという決心である。
 この決心が私の通勤を快適で楽しいものにしてくれた。往復の2時間を読書に当てたのだ。毎日、確実に2時間も読書に確保できることはありがたい。電車の中で、かなりの本を読むことができた。
 考えはひとそれぞれである。通勤時代、周りを見回すと、ほぼ9割の座っている乗客は眠っていた。ただ正直、もったいないと感じた。
 確かに通勤は疲れる。通勤時間が長ければ、家で取る睡眠時間も少ないのかもしれない。しかし電車の中の睡眠は家でのものとは質が違うように思う。疲れはそれほど、取れるものではない。
 それよりも、少しでも早く就寝することを心がける。そして電車では本を読む。すると長い通勤時間が貴重で楽しい時間に変ってしまう。逗子をもっと好きになる。

 ちょっと長くなってしまったが、もう一点。逗子からの通勤では、もうひとつ考慮に入れなくてはならないことがある。それは自宅と逗子駅までの距離だ。駅まで歩いていけるところは案外少ない。大抵はバスを使うことなる。
 私は普通の人はバスで通う距離に住んでいた。駅から3キロ程度の場所だ。でもほとんど歩いて行った。というのは、時間があまり変らなかったからだ。歩くと約30分であった。バスだと15分。しかし待ち時間を入れると、かなり長くなることがある。渋滞にもたまに巻き込まれることもある。その場合は歩くよりも時間がかかる。
 歩きは確実に30分で済むので、正確に時間を読むことができ、かえって便利だ。

 今日の記事は、お返しのつもりで書いた。家を買う前に、逗子在住の方のホームページが貴重な情報源となった。大変、参考になった。今度は、多少の経験でお返ししたいと考えた。今後、逗子、葉山あたりに転入を考えている方の参考になればと思っている。
 最後に。結局買った家は、母の親友の家のすぐ近くなった。まったく意識はしていなかったのだが。
 ということで、毎朝、自然の中の散歩を楽しんでいる。

裏山
自宅から歩いて5分の丘の上から。今日は風が強かった

“ほんまもん”のフレンチ


 フレンチを食べた。久しぶりだ。昔はご馳走といえばフレンチだった。そして洋食といえば、やはりフレンチであった。ところが最近、ちょっとイタリアンに押されぎみのようだ。ご馳走の王様、洋食の王様ともに王座はイタリアンに奪われた感がある。イタリアンは魚介類が豊富で日本人の舌にあうからだと思うが、それだけでもないようだ。というのは、このイタリアン嗜好は日本国内限定ではないからだ。他の国は知らないが、アメリカでは確実に同様の傾向が見られる、と思う。私の拙い見聞においてだが。
 さてそんなこんなで、最近ご無沙汰であったフレンチだが、先週の土曜日に食べる機会があった。機会があったと書くと、なんだか誰かにご馳走されたように見えるが(そうだと、much better なのだが)、そうでなく自分で機会を作り、自分で料金を支払って食べた。かみさんのウン十ウン回目の誕生日だったのだ。

 先々週だかに鎌倉一の味と評判のイタリアンレストラン“マンナ”へ出かけたと書いた。鎌倉一との情報は鈴木晶先生(法政の教授。鎌倉在住で、この辺りのレストランに詳しい)のブログで仕入れたものだ。今回も鈴木先生が鎌倉一のフレンチと推奨する店に行って来た。“レネ”である。
 レネは鶴岡八幡宮の脇にあり、拙宅から比較的近い。歩くと30分弱の場所である。今回はかみさんが、誕生日ということでオシャレをしたので、バスで向った。バスだと、10分の距離である(ところが、帰りは満腹で腹ごなしのために、歩いた。それが大変なことになったのだが)。
 レネのシェフはなんとフランス人である。フランスで修行したシェフの店は日本国中あまたあるが、”ほんまもん”のフランス人がシェフを務める店はそう多くない。この店は味も、”ほんまもん”だった。
 味が”ほんまもん”か否かは、実は私には判断できない。なぜならば、フランスでフレンチを食べた経験は遥か昔で、それも数回のみで、忘却のかなただからだ。だから”ほんまもん”かどうかは、私は言うことはできないし、言ったとしても信用はおけないだろう。しかし、鈴木先生がそういうのだ。だからきっとそうなのだろう。鈴木先生は毎年のように渡仏している。

 確かに、”ほんまもん”の味がした(ような気がする)。というのはケベックの味に似ていたからだ。
 私は渡仏経験は一度しかないが、カナダのケベックには何度も行っている。留学先が米国のバーモント州で、もっとも近い大都市がモントリオールだったのだ。あそこはフランス人が支配する土地だ。あのケベックの味がした。
 なんだか違うのだ。日本人が作るフレンチとは。どちらがうまいのかは、難しいところだ。日本人が作る方が、日本人の舌に合っているように思う。安心して食べられるのは日本人シェフのものだろう。フランス人シェフのはやはり異国の味だ。よりスパイシーで濃厚である。ちょっと胃にくる。
 しかし普段、日本人シェフの料理を食べている我々にとって最初のひとくちは、小さな驚きである。つづいて疑問が頭に浮かぶ。なんだろう、この違いは。そして最後に、喜びが到来する。うまい。
 たしかに美味しいフレンチであった。量も多かった。とてもリーズナブルなプライスなのだが、量もまた”ほんまもん”である。我々はコースとチーズを3種類食べたが、コースだけで量的には充分であった。
 あの”ほんまもん”の味で、あの値段(コースは3500円。デザートが付くと4500円。私はコースのみ。かみさんはデザートも食した)。前回のマンナに引き続き、とても良い店に行くことができた。鈴木先生、ありがとうございます。
 最後は腹いっぱいで、夫婦ふたりして、腹鼓を打ちながら、帰路についた次第である。

 そうだ、その後が大変だった。その店から家までは25分程度で、ほどよい散歩コースである。しかしそれは、昼のこと。夜にあそこを通ったことがなかった。山道を突っ切らなくてはならないのだ。昼間は小鳥囀り新緑がまぶしい、絶好の散歩コースである。が、日没後は山賊がでてきそうな、不気味な暗闇となるのだ。どれぐらい暗かったかというと、ほとんどまったく先が見えないぐらい。あまりに暗くて、立ち往生して、前に進めなくなった。足元がまったく見えないし、道がどちらに続いているのかも分らない。お化け屋敷を手探りで歩いている状態である。
 あわてて携帯の開き、その明かりで足元を照らして歩いた。
 まあ、それも良い経験であった。ちょっと危険だったけど(帰ってから反省した)。お陰で家に着くころは腹パンパン状態も治まった。

 そうだ、報告がある。禁酒であるが、実は続いていた。12日間、一滴も飲まなかった。“飲まなかった”と過去形で書くのは、途切れたからだ。
 土曜日は13日ぶりにアルコールを口にした。最初はビール、二杯目はワインを。13日ぶりのビールはうまかったかって? それが、そうでもなかったのだ。期待していたほどはうまくなかった。体がアルコールに過剰反応して、妙に酔っ払っちゃったし。リベンジで実は日曜も飲んでしまった。ビール1本と、日本酒少々。
 日本酒が一番うまかった。日本酒が、日本人の体には一番合うということだろうか。フランス人シェフを礼賛したあとで、なんだか辻褄が合わないようだが。やっぱりそうだ。普段は日本食や日本酒、特別な日にフレンチやイタリアンってのが、良いのかな。日本人には。

 今日からまた禁酒は再開する所存である。

プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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