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少しずつ前進


 今日で8月は終わりだ。忙しくもあり、忙しくもない夏だった。
 まず甥っ子が遊びに来た。8日間、毎日、勉強し、ジムへ行き、海で泳いだ。18歳の若者はまるで春の野草だ。最初はうまいが、食べ過ぎると腹を壊す。甥っ子との生活も最初は楽しかったが、最後はパワー負けして疲れた。このブログを読んでいるかもしれないのであえて書くが、それでも総体的には楽しかった。また来て欲しい。
 元産経で新規就農をしたkozawanさんの家へ遊びに行った。3泊4日もさせてもらった。これもまた楽しい日々だった。私は農家を知らない。4日は驚きの連続だった。Kozawanさんの畑の野菜、まじうまかったな。
 かみさんも結構長い休みが取れたので、毎日のように近隣に遊びに行った。主に食料の買出しが目的だったが、ふたりとも食いしん坊なので、何かを仕込んできては夕食を作った。美味しい毎日であった。
 と、プライベートでは忙しく過ごした。しかし仕事の方は。

 正直に書いて、ほとんど仕事はなかった。でかけない日は仕事と称して机に向かったが、実際には英語の勉強をした。英文法の問題集、英作文をじっくりやってみた。自分の実力のなさに情けなくなった。でも少しは実力がアップした気になった。いや、きっとアップしたと思う。やはり基礎は大切だ。勉強はこれからも続けたい。

 こんな8月だが、後半になって少し仕事の方でも動きがあった。トライアルに一件合格した。随分前に受けていたので、すっかり忘れていたのだが。いきなり翻訳者の登録フォームが送られてきて、思い出した。
 ちょっと前に登録しておいた翻訳者ディレクトリーというサイトから仕事の依頼が一件来た。400文字程度の和文英訳で小さな仕事だが、新規の仕事はありがたい。今日一日、その仕事に取り組んだ。久しぶりの仕事だった。
 以前も大きな仕事をくれたクライアントがまた、仕事を発注してくれた。今回も比較的に大きな案件である。納期は10月初旬まで。私の実力だと、9月はほぼこれで手一杯になる。
 こんな感じで仕事的にはまったく暇な8月だったが、最後になって動きがあった。9月からアルバイトにでも出かけようかと考えていた矢先である。アルバイトに申し込まなくてよかった。ありがたい。

 もう一件ある。産経の先輩がこのブログを見て連絡を取ってくれたのが1週間ほど前。その後、何度かメールのやり取りをした。先輩は顔が広いので、もしや出版社に知り合いがいれば、と尋ねると、うんといるという。どんな出版社が希望かと聞かれたほどだ。正直いってどこでもよい。どんなところでも本が出せれば、万々歳なのだ。なので「先輩にお任せします」と答えると、ある某大手出版社を紹介してくれることになった。そして早速、その出版社の某幹部に私の出版企画書を送ってくれた。

 結局、人のお陰だな。今までの仕事もそうだった。会社を辞めてから、どうにか食いつないでこれたのも、いつも人の助けがあったからだ。「前進」なんて偉そうなタイトルをつけたけど、自分の力というより、人が背中を押してくれたり、手を引っ張ってくれて進めたのだ。進んだときには、いつも人の助けがあった。忘れないようにしよう。

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プロの仕事


 植木屋を入れた。2年ぶりである。
 植木屋を入れるなんて、なんて贅沢な、と思われるかもしれない。実は私も思っている。でも入れるには、理由がある。
 最大の理由は、私では剪定できない場所があることだ。下に写真を載せたが、私の家は坂の途中に建っている。家がある場所と公道に落差がある。高いところでおよそ2メートル。その2メートルの場所に植木が立つ。これの剪定が私ではできない。試みたことがあるが、命がけだった。
 坂の途中に梯子を立てると、どうしても斜めになる。地面が坂道だからだ。1メートル程度なら、梯子が倒れてもそう怖くないかもしれない。でも二メートルの場所にいて、梯子が倒れたとしたら。剪定をしている最中、恐怖で足が震えた。
 それと出来上がりがやはり違う。拙宅の周りはカイヅカイブキという木を生垣としているのだが、この剪定が難しい。私がやると直線的になる。ところがプロがやると丸みを帯びて美しい(写真参照)。まったく違うのだ。

 植木屋が入った日は猛暑であった。職人さんは60代と思しき二人だったが、汗だくになりながら朝の8時半から暗くなるまで仕事を続けた。うちの周りは蚊が多く、私はいつも蚊取り線香を焚きながら庭仕事をするのだが、二人は蚊などいないかのごとく、蚊取り線香なしで平気で作業する。
 途中、職人さんと話す機会があった。植木の種類を尋ねた。私は自分の家の植木の名前すら知らないのだ。職人さんはすらすらと答える。病気になっているものがあり、病気について尋ねる。病名、対処法も即答する。これがプロというものだろう。
 顧みて自分はどうだろうか。甥っ子に英語について質問されて、即答できないことがある。未だに新聞を読んでいて知らない単語が頻出する。仕事中、ネットサーフィンなどして何度も中断してサボる。別に直射日光の下、仕事をしているわけでもないのに。

 会社を辞めてから職人と話す機会が多い。自分が家にいるので、作業をする職人と対面することが少なくないからだ。いつも思うが、職人の仕事はプロらしさが溢れている。
 まず作業時間が長い。早朝から夜まで。決して8時間労働では済まないだろう。それに基本的に週休一日である。
 仕事が専門的である。サラリーマンも専門的なように見えなくもないが、そうでもないように私は思う。というのは、頻繁に社内異動があるが、すぐに対応ができる。例えば営業から総務に移ったとしても、経理から営業に異動になったとしても、翌日からそれなりに仕事をこなす。職人の世界ではこうはいかない。最低、5年は仕事を覚えるのに要するだろう。中堅と言われるようになるには10年は必要だ。

 私も、早くプロにならなくては。

拙宅
拙宅の外観。右の丸く刈り込まれているのがカイヅカイブキ


雨の屋台村


 金曜日は鎌倉で飲んだ。鎌倉に住む産経のTさんとだ。Tさんの勧めで、由比ガ浜の海の家で飲む。由比ガ浜の海の家は、屋台村になっていてとても楽しい状況にあるという。ビキニのおねえちゃんなんかが、わんさかいるらしい。
 期待に胸を膨らませて向うと雲行きが怪しい。急いで歩く途中に降り始めた。あっという間に凄まじい雨になった。Tさんのお勧めはタイ村である。屋台村の最奥部にある。そこに向うまで、すっかりびしょ濡れとなる。

 タイ村はジャングルで出合ったスコール状態だった。こんな状況でも営業するの?、と心配になるほどのびしょびしょ、ぐちゃぐちゃ状況である。
 タイ村はテントで覆われているのだが、ひとつひとつが小さい。そのひとつひとつの間から雨がゴーゴーと滴り落ちる。ほとんどのテーブルは水浸しだ。そのなかで幾つかあった濡れていないテーブルを見つけ、席に着く。
 席は好きなところに座れた。なぜなら客は我々二人だけだったから。
 滝のような雨が、我々のテーブルのすぐ横に落下する。まったくジャングルクルーズで滝の裏を通るような感じである。
 海の家で飲むと聞いていたので、短パン、サンダル、Tシャツ姿ででかけた。いや、寒かった。ビールをグイグイ行こうかと思っていたが、飲んだのは最初の1本だけ。あとはラムのソーダ割り(氷なし)を飲んで、体を温めた。
 タイ料理は実は辛くて苦手なのだが、今回はもりもり食べた。辛くて体が温まるからだ。

 結局、ビキニのお姉ちゃんは一人も現れなかった。5時から10時までいたのだが、その間の客は4,5人程度。屋台の関係者らしきひとだけであった。もっと早く出ればよかったんじゃない?と思われるでしょう。我々も出たかった。でも出られなかった。なぜならずーっと豪雨が続いていたからだ。
 その間、ずーっと寒かった。寒いので濃いラムを飲み続けた。外に出たときは完全にフラフラ、メロメロ状態であった。

よく分らない


 首相が変るらしい。私は情報にうとい。だからかなのか、よくわからない。
 なんで首相を変えるのだろう。私が知っている範囲では、菅直人は首相を続けたがっている。鳩山も安部も福田も自分から辞めた。うまくいかないからって、すぐに辞めたくなる男を首相に選んだのは党の責任だ。猛省が必要である。ようやく辞めたがらない男を民主党は探してきた。内閣の支持率が下がろうと、メディアが叩こうと、一切動じない、タフな心臓の持ち主を見つけてきた。今の日本には最適な男ではないだろうか。
 今、日本のリーダーに求められるのは、華麗な政治操作でも、精緻な頭脳でも、権力闘争における豪腕でもない。ただ、辞めないことだと思う。誰がなっても、そう変りがないのだから。
 ここ10年も国民は、無様な首相の退陣劇を見せ続けられてきた。その結果も思い知らされてきた。なのに、どうしてまた変えたいの?

 メディアは営利企業なのだ。新聞の至上命題は販売部数を伸ばすことである。テレビは視聴率を上げることだ。そのためには平穏よりも騒乱が望ましい。政権が変れば、その場はちょっとだけだが部数は伸び、視聴率が上がる。もちろん、売上げのためだけで社論が決められているわけではない。しかし無意識には、騒乱を望んでいる。選挙やどこかで戦争が勃発したときの社内の昂揚感は、特別なものだった。
 我々はあまり、正直にメディアに踊らされないように、注意すべきだ。
 
 たしかに菅直人は嫌な奴らしい。イラ菅の異名のごとく、部下には怒鳴り散らす。権力闘争に明け暮れてばかりの政治キャリアで友人はいない。大した政策も持っていない。外交や歴史に暗い。でも、叩かれても平然としていられるタフネスを持っている。

 結局、今回もキャスティングボードを握っているのは小沢だろう。小沢の意中の男は誰だろう。
 今の候補の中で、一番小沢が操作をしやすい男。国民受けが良さそうな男。そう考えると、あの泣き虫評論家あたりが、今回は最右翼かもしれない。諸外国も喜ぶだろうな。

高橋竹山という衝撃


 「竹山ひとり旅」という映画をみた。たまたま昼食を食べながらCATVをザッピングしたらやっていた。途中だったが見ることにした。
 映画は高橋竹山の生涯を描いたもので監督は新藤兼人、主演は林隆三。
 竹山は知る人ぞ知る津軽三味線の巨匠だが、前半生は極貧と恥辱、そして放浪の日々であった。全盲でないが、ほとんど視力のない竹山は幼い頃から三味線を習わされ、ボサマの人生を歩む。ボサマとは盲の三味線弾きで、門付けをして旅から旅の生活をする。
 ほとんど目が見えないのにもかかわらず、東北の雪の道を歩いて旅をする。それは苦難の連続だ。竹山は母の心遣いにより、結婚を2度している。一度目の相手は、一緒に門付けをして歩いているときに、農家の主人に騙されて、妻だけ蔵におびき出され、犯される。目が見えない竹山は、妻を守ることができない。このことにより二人の関係は壊れ、ついに離縁する。想像のできない厳しい世界だ。
 その後、全盲のイタコの女性と再婚をし、もがきながらも旅を続け、腕を上げていく。やがて民謡家、成田雲竹に見出され、やがてメジャーな存在となっていく。

 竹山を初めて知ったのは20年ぐらい前のことだったと思う。深夜番組を今日と同じようにザッピングをしていた。そしてあの異様な相貌が目にとまった。演奏を聞き入った。そのインパクトは強烈だった。今でもあのときの驚きをはっきりと覚えている。こんな音楽があったのか。こんな演奏者が日本にいたのか。そしてこの男は誰なのだ。
 
 「秘伝」という武道系の雑誌がある。たまたま今月号を購入した。秘伝の中で“高岡英夫”という武道関係者が偶然、高橋竹山のレコードで聞いたときの驚きについて書いていた。そうだろう。何も前提知識がなく、いきなり竹山に出会ったら、山の中で熊に出会ったようなものだ。普通の感性の持ち主なら腰を抜かす。


 竹山の人生は山あり谷ありであった。目が見えず、三味線1本かついで、東北の農村を歩いて回るのだ。そりゃ、いろんなことが起こる。若いときの竹山は男前であったようで、たまには色っぽいハプニングにも遭遇する。
 竹山の生涯を辿っていくと、人生とは実に様々なできごとで織り成されているのだと、改めて思わされる。そしてしっかりと歩んでいけば、何とかなるものだとも感づかされる。

 
 竹山がメジャーになり演奏の場として選んだのは、渋谷のライブハウス「じゃんじゃん」であった。そして同じ時期、もう一人の盲目の天才が「じゃんじゃん」で演奏をしていた。若き日の、長谷川きよしである。

夏休み、最後の日


 今日は夏休み最後の日だ。といっても私のではない。かみさんのだ。20日間の夏休みの今日が最終日である。長いようで過ぎてみたら短い。ああ、なんと楽チンな日々であったことか。

 メシを作らない生活がこんなに楽だとは、主夫生活を始める前の私は知らなかった。主夫を始める前から、ほぼ100%自炊の私ではあった。逗子に越してきてからひとりの外食は一度しかない。都内で一人暮らしをしていたときも、月に一度程度しか外食や弁当はなかった。あとは全部、自炊だった。しかし自分だけのための自炊はかなりいい加減なものである。面倒くさいときは、ビールを3,4本飲んで寝てしまうこともあった。これは自炊とは言わないか。ところが相手がいるとそうはいかない。疲れていても、面倒くさくても、気分が乗らなくても、毎日それなりの食事を作らなくてはならない。
 ところがこの20日間は、かみさんが食事を作った。食事の間に、本なんかを読んだりして。猫のお腹をくすぐったりして。寝転んだりして。そうしてただ、食事が出来上がるのを待っていた。この夢のような日々は今日、終わる。

 それともうひとつ終わることがある。華麗なる飲酒の日々だ。
 体調を壊してからは、ウイークデーは飲まないことにした。ウイークデーは飲まない、ということはウイークエンドは飲むということだ。ウイークエンドとは休みの日である。私は毎日が休みのようなものだから、これはかみさんが休みの日という意味である。休みというものを改めて考えてみた場合、別に土日だけとは限らないことに気が付く。そう、旗日も含まれる。さらにだ。この考えを延長すると、夏休みも含まれることに私は気が付いた。
 こうした帰納法による分類で、かみさんの夏休みは「アルコールOK」ということを私はみごとに発見したのだ。
 あ~、それにしてもだ。なんか寂しい。この寂しさは。。

 夏休みの終わりはとても物悲しいものである。まだ残暑は続いているのに、暦だけは無常に夏休みの終了を線引きする。人は理屈だけで、物事を理解しているわけではない。より深層の叙情的感知というものが、実は理解に大きく影響を与えている。

 こんな屁理屈を書いていても気分は晴れない。さっきからツクツクホウシの声が聞こえてきて、物悲しさに拍車をかける。
 楽チンで、風呂上りのビールをグヒグヒいった、そんな日々よ、さようなら。また来年まで。

ヒトはイヌにより、進化を遂げた(2)


 前回の続きだ。前回は、タイトルは「進化」であるにもかかわらず、ヒトの退化の面だけを取り上げた。実は前回のブログを書いたときには、それしか思い出せなかったのだ。しかし数日して、「そういえば、ちゃんと進化部分もあった!」と思い出した。

 チンパンジーやニホンザルなどの猿の社会とオオカミの社会を比較すると、違うことがいくつかある。当然、種が違うのだから、社会行動も違うわけで不思議ではない。ところが不思議なことが存在する。それはヒトの社会とイヌの社会には共通して見られるのに、猿社会には見られないことが存在することだ。
 逆ならば問題はない。ヒトと猿に共通していて、オオカミにはない行動があっても当然だ。ヒトは猿から進化したのだから。
 テンプルさんはこの不思議を「ヒトがイヌから学んだ」と考えた。

 ヒトがイヌから学んだことは、同性間の友情と他者へのリスペクトの心だ。私は知らなかったが、チンパンジーなどのサル類には同性間の友情は存在しないらしい。そこにあるのは上下関係という力関係だけだ。またアルファー猿と他の猿の関係も力関係しか存在しないそうだ。
 ところがオオカミは違う。オオカミは同性間で“友情(人間的な表現だが)”が存在し、リーダーに対しては尊敬する心があるという。
 
 猿が集団を形成する大きな理由は生殖活動と子育を容易にすることである。これが主な理由だから、集団に複雑なルールや関係は必要ない。
 ところがオオカミが集団を形成する大きな理由はハンティングのためである。オオカミのハンティングは集団プレーだから、集団をうまく機能させなくてはならない。結果、オオカミは集団を機能させるためにある種の社会性である、友情や尊敬心を獲得した。

 この社会性をヒトが真似をした。集団を機能的に働かせることができれば、集団の競争力が高まる。ハンティングにも有利だし、戦争にも強い。時代が下って、農業を始めるようになると、この集団性がとくに重要となる。原始のヒトはイヌと暮らすようになって、自然とそのアドバンテージに気が付く。
 こうしてオオカミから高度な社会性を学んだヒトは、他の猿人とはこの部分でも決定的な差をつけることができた。そして種の競争に打ち勝つことができた。


 イヌを飼っていて、イヌに誠意や忠誠心などを教えられたと感じた経験がある方は少なくないと思う。それは当然だったのだ。人間は原始の時代より、イヌから誠意や忠誠心を学んで進化を遂げてきたのだから。今も誠意や忠誠心ではヒトはイヌにかなわない。
 ヒトの脳の深い部分は猿的な利己心が占めている。友情やリスペクト心は脳の表層にちょこんと乗っているに過ぎない。ヒトは努力して、学習や経験からこれらの社会性を獲得しなくてはならない。そして学習の後も、意識的に喚起しなくては利己心に打ち負かされる。一方、イヌは努力しなくても、学ばなくても、友情や尊敬心がしっかり脳に組み込まれている。

 このテンプルさんの説が学会でどう評価されているのかは知らない。しかし、私は躊躇なく信じたい。

ヒトはイヌにより、進化を遂げた


 テンプル・グランディンの「動物感覚」に書いてあったことだ。「動物感覚」はもう図書館に返してしまったので、忘れないうちに書いておく。

 イヌは人により進化を遂げたのは常識だろう(タイトルとは逆ですよ)。
 イヌがオオカミから進化したことはほぼ明らかになっている。少し前まではイヌはディンゴやコヨーテから進化したと考えられていた。コンラート・ローレンツの本なんかを読むと、そう強く主張している。しかし今はDNAの分析により、オオカミ説がほぼ決定的となっている。

 大昔、オオカミの子供が人間に拾われた。オオカミの性格が強い子オオカミは、人間の集団から自然と離れていっただろう。人懐っこいものだけが、残った。残ったオオカミは、何世代も交代するうちに、さらに人懐っこいものが選択され、その性格はより強められていった。そしていつか人に飼われるオオカミは、野のオオカミとはまったく違う性格を持つようになった。
 そしてイヌが生まれた。これがイヌの進化だ。
 この進化の過程でイヌは、従順で子供っぽい性格を獲得し、体格もあるものは小型化し、あるものはオオカミよりも大きくなった。

 イヌの祖先が人間に飼われ始めた時期だが、やはりローレンツの時代は数万年前と考えられていた。5,6万年前の遺跡から、イヌの化石が発掘されるからだ。しかしこれもDNAの調査により、100万年程度前からだということが分った。

 100万年前というのは、大変古い時代である。現代人はまだ出現していない。完全な原始人の時代である。この時期には現代人の祖先の他に、近種の猿人が数種類いたらしい。
 さてここからが、イヌによるヒトの進化だ。

 現在、地球上にはチンパンジーやゴリラ、オラウータンなどの類人猿が数種類いるように、100万年前の地球には猿人が何種類か存在していた。その中でヒトの祖先だけが生き残った。なぜ、ヒトの祖先だけが生き残ることができたのだろうか。テンプルさんは、それはイヌのお陰だと説明する。
 ヒトの祖先は100万年前から、イヌの祖先とともに暮らし始めた。一方、他の猿人はイヌとの生活を始めなかった。この差が決定できだった。
 イヌは人を遥かに超越する能力を持っている。嗅覚や聴覚、さらに獲物を追跡する脚力だ。ヒトはイヌをパートナーとすることにより、このすぐれた能力を機能として得たのだ。イヌと一緒に生活していれば、外敵や獣が襲ってきた場合、ヒトだけのときより早くその襲撃を察知することができる。獲物を追跡する場合は、イヌの嗅覚や脚力は強い武器となる。ヒトだけのときより、飛躍的効率的に獲物を捕らえることができた。
 火や文字を獲得する前に、ヒトはイヌというパートナーを獲得したのだ。これが他の猿人との生存競争に大きなアドバンテージとなった。

 さてイヌと暮らし始めて、他の猿人との生存競争に勝ち抜いたヒトであるが、イヌにより思わぬ進化を遂げる。いや進化とはいえないかもしれない。退化を遂げたのだ。
 ヒトの祖先は、嗅覚や聴覚が今のヒトよりも優れていた。猿の聴覚や嗅覚がヒトを上回っているように。ところがイヌと暮らすようになり、ヒトはイヌに嗅覚と聴覚の役目を譲るようになる。嗅覚、聴覚に優れていたヒトの祖先だが、イヌに比べれば、足元にも及ばない。すぐれたこの点は、イヌの能力に依存するようになったのだ。
 どうしてこのようなことが分るかというと、それは現代人の脳と、ヒトの祖先の脳を化石から比較できるからだ。相対的に現代人の脳が大きいが、嗅覚、聴覚を扱う部位は小さいのだ。つまり退化したのだ
 この退化の理由が以前は分からなかった。それがDNAの分析により、イヌが100万年前よりヒトと暮らすことが分り、解明されたのだ。


 ヒトはイヌとの生活により身体的な進化(退化)を遂げた。
 これって、すごいことだとは思いませんか。私はこれを知って、大いに衝撃を受けた。ヒトはヒトであるためには、イヌとの生活が必要だということだからだ。

長野へ行って来た


 Kozawanさんの家に3泊4日で遊びに行ってきた。Kozawanさんは産経時代の同僚で、私同様に選択退職制度を利用して、今は長野で農業を営んでいる。

 Kozawanさんの家は予想以上にオシャレでかわいらしい家だった。東御市が新規就農者へ貸与している家と聞いていたので、昔の屯田兵村みたいなものを想像していた。もちろん、屯田兵村を実際見たことはないが、かなりのボロ屋を考えていた。でも実際はペンションのような木造建築で、一階は広いリビングがあり、そこは二階まで吹き抜けになっていた。中央には木製の階段が伸びている。Kozawanさん家族は物を大切にするファミリーで、無駄なものは買わない、置かない主義のようである。家の中に無駄なものは一切なく、整理がされていて、まるで貸し別荘のようでもあった。

 Kozawanさんが地元の農家から借りている一反の畑を見せてもらった。一反というのは300坪であるそうだ。田んぼ一枚分である。かなり広い。そこに無数の野菜を植えている。ひとつひとつの種類では、それほどの面積を占めていない。でもかなりの量を収穫できる。
 1時間ばかり、収穫を手伝わせてもらった。それだけの時間で、ジャガイモがダンボール一杯分、キュウリ、トマト、ナスがおよそ30個ずつ。インゲンは山盛り。枝豆も山盛り。夕顔という冬瓜みたいな巨大なウリが4つ、取れた。こんなペースで毎日のように収穫があるようだ。その他、シーズンは過ぎたがアスパラガスが取れる。アスパラはその畑のメイン作物で、面積の7割ぐらいはアスパラが占めている。アスパラはいったいどれだけ取れるのだろう。

 ご飯は朝昼晩、畑で取れた野菜を奥さんが料理してくれた。感動的なほど、すべてがうまかった。何度、「うまい。まじ、うまい」と連呼しただろうか。奥さんを喜ばせるために言ったのではない。思わず漏らしてしまったのだ。そのぐらい、「うまい!」だった。新鮮な野菜って、スーパーで売っているものとはまるで別種だ。
 野菜だけでご飯が進むこと、進むこと。朝からご飯を3杯食べたのは、いつ以来のことだろうか。

 Kozawanさんが研修を受けている、近くのベテラン農家の畑も見せてもらった。きれいに整理された果樹園であった。この何割かはkozawanさんが剪定したり摘果したものだ。Kozawanさんはプロ農家として始動したのだな、と改めて思った。

 東御には有名人が住んでいる。エッセーストの玉村豊男だ。玉村豊男は元翻訳家で、田舎暮らしをエッセーに書き、有名になった。今は田舎暮らしのスペシャリストとして名高い。元翻訳家ということで、とても興味のある人だ。そこでkozaswanさんにお願いして、玉村さんの経営する農園を見にいった。
 農園にはレストランが併設されている。レストランを覗くと、玉村さんがレジに立っていた。珍しいことみたいだ。何度も訪れているkozawanさんも初めて見たと言っていた。なかなかの男前で、60歳は超えていると思うが、胸板も厚く、農作業で鍛えているとエッセーに書いていたことは、嘘ではないと思わせられた。
 エッセーや絵が売れて、農園やレストランを経営していて、ワイナリーまで持っていて。かっこ良すぎである。
 ワインやお土産も買わず、レストランで食事もせず、ただ農園を巡り歩いて、最後はトイレを使わせてもらっただけで帰ってきた。

かみさんは夏休み


 かみさんが夏休みに入った。小学校の先生だから普通のサラリーマンよりは長い。それでも昔の先生は40日間、しっかり休めたのだから短い気もする。約20日間の夏休みだ。
 私には夏休みはない。仕事が来れば受けるし、来なければ休みみたいなものではある。そして8月はほとんど仕事の予定がないので、なぜか私もかみさんと一緒に夏休み気分を味わう。
 土曜日はいつもの横須賀JAまで野菜を買いに行った。途中、マグロの専門店の看板をかみさんが見つけ、入ってみる。これが大正解の店であった。マグロの保管冷凍庫を運営する会社が開いた店で、とても安価である。逗子の駅前の魚屋はマグロの刺身を安く売っているが、それよりも安い。今回は頬肉を買う。大きな切り身が3切れで700円だった。2切れはステーキにして食べた。その大きいこと。一切れで200グラムはあるだろう。そして見た目も味も牛肉であった。元から冷凍マグロで刺身もOKだから、レアにしても心配がない。レアステーキに舌鼓を打った。
 月曜日はかみさんのパスポートの更新に横須賀まででかけた。ひとりで行かせてもよかったが、私の横須賀好きを知っているかみさんの「一緒に行かない?」に乗せられて、夫婦で行く。横須賀では私はユニクロで、かみさんは古着屋で洋服を買う。ユニクロは夏物が安くなっており、私は満足。古着屋も掘り出し物があったようで、かみさんも満足をする。
 昼食はB級グルメの間では名高い「うどん工房さぬき」へ行く。開店時間の11時に行くと一番乗りであった。最奥の座席を確保。ふたりともぶっかけのダブル(280円)を注文する。トッピングで掻き揚げと、卵、鳥、アナゴの天ぷらを取り、ふたりで分ける。掻き揚げはたしか120円ぐらいだったと思うが、すごい大きさだった。締めて会計は1020円。それでしっかりと満腹になる。

 私は主夫業が嫌いでない。でも食事を作ってもらうのはもっと嫌いでない。かみさんの夏休みの間は、かみさんが朝昼晩とご飯を作る。書斎で仕事などしていると、ぷう~んと食事の香りが漂ってくる。階下に下りるとテーブルに料理が並んでいる。普段、自分で作って、自分で配膳しているので、とても贅沢で楽チンな気分に浸れる。
 かみさんの夏休みがもっと長ければよいのだが。

テンプル・グランディンの『動物感覚』について


 今回もまたテンプル・グランディンの『動物感覚』について。この本は、ほんとうにすごい本だと思う。「ほんとうにすごい」って表現、ものすごく稚拙な感じがするが、さておき。ほんとうにすごい本である。近年、一番感動した本だ。
 前も書いたが、テンプルさんは自閉症を患う米国の科学者である。自閉症は知能障害の一種である。このあたり誤って理解している人が多いと思うので、少し説明する。
 自閉症は脳の一部である前頭葉の機能がうまく働かない障害で、先天的な疾病である。前頭葉は脳の中で司令塔の役割を演じる箇所で、非常に大切な部位である。ここに機能障害を生じると、脳は司令官のいない軍隊状態となる。それぞれの部隊は正常に情報を収集し、正常に行動することができるのだが、統一をもった軍事行動ができない。たとえば会話中の人の顔を見る場合、視覚はひとつずつの顔の動きを伝達することはできる。聴覚は会話の内容を伝達することができる。ところがそれを統合して複合的な意味を理解することができない。怒りや悲しみなどの単純な感情の動きは分るのだが、そこに皮肉やオーバーアクションなどのプラスアルファが加わると、お手上げになる。
 さらに大抵の自閉症患者は知能に問題を抱えている。いわゆる低IQである。
 ところが自閉症を、性格の問題だと考えている人が多い。自閉という文字から連想して、引きこもりがちな性格や対人関係が不得手な性格を自閉症と誤解しているようだ。実は私も以前はそう思っていた。
 自閉症は性格の問題ではない。自閉症は脳の機能障害である。自閉症患者は相手の表情を読み取ることが、あるいは相手の話すユーモアを理解できない。これは性格の問題でなく、機能の問題なのだ。性格的に対人関係が苦手な人がいる。しかしその人たちは、相手の表情が理解できないわけではない。表情の変化に自分を合わせるのが下手なのだ。似ているけど、違う。

 ところでテンプルさんである。テンプルさんの障害は自閉症の中の、高機能自閉症とういうものに分類されるものだ。高機能自閉症患者はIQが低くない。知能は一般人並あるいは、一般人以上の水準にある。ただ前頭葉の機能がうまく働かない。そのため統合的な判断や作業が苦手である。テンプルさんも科学者になったぐらいだから知能は人並み以上なのだが、人の細かい表情の動きやユーモアが理解できない。
 代わりにとても変った特技を持っている。この特技は我々一般人にしてみればとてもユニークな特技である。しかし自閉症患者はみな持っているものだそうだ。さらに人間以外の動物も、みなもっている機能であるとテンプルさんは言う。
 自閉症は前頭葉の機能障害だと書いた。前頭葉は脳の進化の過程で最後にできた部位である。つまり人間と他の動物を分ける最も特徴的な脳の部位なのである。
 動物には前頭葉がない。あるいはあっても小さくてあまり機能していない。自閉症患者は前頭葉があり、さらにサイズも一般の人と変らない場合が多い。しかし機能が不十分である。その結果、自閉症患者の思考は動物のものと近いのだそうだ。
 だからテンプルさんは動物の気持ちが分る。例えばある牧舎の牛を移動させる通路で、牛が進みたがらない場所があった。牛の扱いになれた牧畜業者もその理由が分からずに困っていた。さてテンプルさんの出番である。テンプルさんは牛と同じ目線で、物を見ることができる。現場に連れて行かれたテンプルさんにはすぐにその理由が分った。通路の正面にある扉が開いていたのだ。牛は暗いところから急に明るくなる場所を嫌う。牧畜業者はそれに気が付かない。テンプルさんが扉を閉めさせたら、牛は何事もなかったように動き始めた。もうひとつ。例えば普段は平気で歩いていた通路を、あるとき牛が急に動かなくなった。牧畜業者には理由が分からない。またしてもテンプルさんの出番である。テンプルさんはすぐに理由を見つける。今回は通路の横にかけてあった黄色いジャンバーに問題があった。ジャンパーを退けると、牛はまた素直に動き始めた。普段ないところに刺激的な黄色のジャンパーがあり、牛が怯えていたのだ。
 一般人は統合化が得意だ。牛舎に入っても全体を見渡す。正面の扉が開いているだの、黄色いジャンバーがかけてあるだのは、小さなことだ。そうした瑣末な差異は無意識に無視するように前頭葉は命令する。ところが前頭葉の機能が不十分で、統合化が不得手な自閉症患者や動物は、差異を差異としてダイレクトに脳がキャッチしてしまう。その結果、一般人にとってはなんでもないことに自閉症患者や動物は怯える。

 テンプルさんは現在大学で研究を続ける傍ら、牧畜コンサルタントの会社を営んでいる。クライアントはマクドナルドなど大手の食品会社である。マクドナルドは取り引きする農場のすべてで、テンプルさんのアドバイスを指標として採用させている。その結果、生産性が飛躍的に向上したという。
 テンプルさんは動物の気持ちになって考え、動物に痛みと恐怖を最大限与えない屠殺システムを作り上げた。この屠殺システムは全米の半数以上の屠殺場で現在、採用されている。

 『動物感覚』は逗子図書館で借りてきた。この週末に返却した。手元に置いておきたい本である。買って読み直したい。でも3000円以上する。さて、どうしようか。

鳥のさえずりは音楽だ


 音楽は好きだがあまり聴く方ではない。むしろ鳥のさえずりを聴くことが楽しい。幸いに逗子には野鳥が多く、窓から流れ込むさえずりをいつも楽しんでいる。
 
 人間の言語は古くは音楽であったらしい。言語よりも先に音楽が生まれたのだ。人は音楽(音声)を媒介として、意志を疎通した。
 さらに人間よりも以前に音楽が発生していたという可能性がある。パトリシア・グレイというピアニストと生物学者が『サイエンス』誌上で次のように語っている。「クジラと人間は6千万年前からべつべつの進化の道を歩いてきたのに、両者の音楽に共通するものがたくさんあることは、音楽が人間よりも先に生まれたかもしれないこと---人間は音楽の発明者どころか、音楽の現場に遅れてきた者であることを示唆している」

 『動物感覚』という本がある。テンプル・グランディンという自閉症を患う科学者の書いた本だ。この本でグランディンは「動物は音楽の元祖で、ほんとうの教師といえる。人間はおそらく動物から、それもほとんど鳥から音楽を学んだ。人間が自分達の音楽をつくり出したのではなく、鳥の音楽をまねたという証拠はたくさんある。---モーツァルトが鳥のさえずりに影響を受けたのはたしかだ。ムクドリを飼っていて、自分で書いたピアノ協奏曲ト長調の一節と、ムクドリが修正したものをノートに記している。ムクドリは♯を♭に変えていた。モーツァルトは、ムクドリの終生箇所のとなりに「みごどだ」と書き記した」

 音楽はあまり聴かないが、クラシックは少し聴く。その中で一番頻度が高いのはモーツァルトだ。グランディンの文章を読んで納得がいった。モーツァルトが鳥の弟子であったのだ。鳥のオーディエンスである私は、だからモーツァルトに馴染むのだな。

HSBCの同窓会


 月曜はHSBCの同窓会へ参加してきた。正直に言って、あまり行きたくはなかったが。行きたくなかった理由は。
 第一に月曜日であること。月曜日から外で飲むのは辛い。翌朝は4時半に起きなくてはならない。かみさんの朝食を作らねばならないからだ。かみさんと約束したからには、“飲んで遅くなった”は理由にはならない。
 第二は場所が都内であったこと。日曜には合気道の稽古で都内にでかける。週二日も都内に出るのは面倒であり、不経済である。往復で2000円近くかかり。低所得者には痛い。
 第三は、HSBCのメンバーは金の話が好きなこと。私は金の話が嫌いだ。だから会話をしていても楽しくない。
 以上の理由で乗り気ではなかった。でも先々週に拙宅に来てくれたHSBCの先輩に行くと言ってある。行くと言ったからには行かなくてはならない。ゆえに行くことに決めた。
 昼間から憂鬱であった。だから2本も飲んでしまった。ビールを。どうせ夜には飲むのだからと考えた。飲んで勢いを付けようとも考えた。久しぶりに飲む昼間のビールは、あまりうまくなかった。

 さて重い腰を上げて参加した同窓会だったが、行って正解だった。参加したのは自分を含め8名。うち女性が5名だった。何人かはHSBC時代にほとんど話したことがない人であった。みなさん、それぞれの人生を歩まれていたようで、興味深い話を聞くことができた。第三で心配していた金の話はまったく出なかった。参加者に女性が多かったからか、みな大人になったからかは分からない。

 HSBCのメンバーは大抵、高額所得者である。以前、産経新聞社に勤務していたときの給料は、外銀に比べると“Peace of cake”という状態であった。でも一度もHSBCを辞めたことを後悔したことはない。自分には外銀生活は向いていないと考えていたし、新聞社の自由な社風を気に入っていたし。しかし今回、初めてHSBCに残っていても良かったかなと考えた。
 5人の女性のうち二人がイギリス人と結婚していた。その二人は現在、ロンドンに住んでいる。それまでは中東だとか中南米なんかに赴任していたという。
 HSBCは採用に二種類ある。ひとつは現地採用。私はこの現地採用であった。もうひとつはIO(international officer)といって海外勤務が条件の採用である。ご主人達はどうもIOのようである。
 現地採用であってもやる気があり、能力もある場合はIOに転籍することができる。私もその気になればIOになれたのだ。実際、後輩で現地採用からIOに転籍したものもいる。
 銀行員の生活に魅力を感じていなかったが、世界中を渡り歩くIOなら悪くはない。
 
 IOになったらなったで重責を担わされるし、一生世界各地を渡り歩かなきゃならないのは、考えようでは窮屈である。言葉も習俗も異なる場所を転々としなくてはならないのだ。私のことだから途中で根を上げる可能性は高い。
 よく自分の適性を考える。もしたとえば高校生に戻れるとしたら、どんな人生を歩みなおすべきか。考える結果は、大抵は同じ人生を歩むだろうというもの。
 今もこの記事を書きながら、考える。恐らく同じような人生を歩み、最終的には翻訳の仕事を選ぶだろう。家で本に囲まれた生活をする。人に指図されずに自由に気ままに過ごす。そんなことが許されるのは翻訳家ぐらいしかないもんな。
 う~ん、でも。IOも悪くない。
 ああ、やっぱり無理かな。きつそうだもん。俺、根性ないしなあ。

甥っ子、帰る


 日曜日に甥っ子が帰っていった。慌しい8日間だった。若い人がいると、刺激をもらえて楽しいのだが、正直疲れもする。後半はちょっとばて気味だった。

 甥っ子とはもちろん長い付き合いだが、1週間以上も一緒に過ごしたのは初めてだ。色々な発見をした。18歳って、こんなだったっけ、と何度も思わされた。
 まず言葉を知らない。話していて甥っ子の表情がちょっと変るときがある。それは大抵、私の使う語彙を知らない場合だ。今、思い出して、次の単語がそうだった。俯瞰、紀州、紀伊国屋文左衛門、火事と喧嘩は江戸の華、マチュアード。その他にも沢山あった。思い出せないけど。とにかく、沢山だ。びっくりするような、簡単な単語もあった。
 次に仕事が雑であること。甥っ子には2つの仕事を依頼した。猫の餌やり、トイレの掃除などの猫の世話。食器の後片付け。猫の世話はどうにかこなしていた。しかし食器の方は、恐ろしく雑であった。本人は丁寧にやっているつもりだ。たしかにそう見えた。というのはものすごく時間がかかるのだ。わたしなら10分で洗い終えるところを30分もかかる。それなのに食器に油が残っていたり、汚れがこびりついていたり。そして洗い終えた流しが水浸しだ。
 ケアレスミスが多い。例えば、風呂場は湿気がこもるのでドアを開けておけと指示をする。そのときは「うん」と答える。それなのに、ほぼ100%、風呂上りはドアを閉める。食器を洗った後、スポンジはある場所にしまえと指示をした。「うん」と答えた。それなのに、大抵出しっぱなし。トイレは使い終わったあとに汚れている。洗面所も使い終わった後が、水浸し。入った風呂には髪の毛が浮いている。どれもちょっとした注意で避けられることだ。注意するとそのときは、「うん」という。でもすぐに忘れる。

 こんなことばかり書いたら甥っ子がかわいそうかもしれない。私も同じ程度であったと思う。甥っ子は素直で、ちゃんと「うん」というだけ、私よりもマシかもしれない。18歳にしては上出来なのかもしれない。しかし子供の生態を知らない私には驚きの連続だった。改めて感じた。親って、大変なんだな。
 今日、お袋と電話で話をした。ちょっと頼んでおいたことがあり、確認するとやっていない。なぜか尋ねると、色々な言い訳をする。ちょっと強く、こちらの不満を述べると、意気消沈した。甥っ子のことを思い出し、ついこないだ(30年ぐらい前だけど)まで、私の方が迷惑ばかりかけていたと思い当たる。言い過ぎたことを反省。

 ちょっと口うるさい伯父さんではあったが、甥っ子はいたくこの8日間を気に入ってくれた。また春にも来たいと言っていた。後半はちょっと疲れ気味、飽き気味になった私だが、私の方も総じて楽しい8日間だった。また来て欲しい。ああ、でもかみさんの意見を聞かなくちゃだな。

プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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