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最近のできごと


 今朝は7時から翻訳をしていた。パワーポイントで4ページばかり訳し終えたあと、ファイルの保存をしようとしたが、「修正できない問題が見つかりました」と表示が出て、保存できない。ファイル名を変更したり、ファイル形式を変更して何度もトライしたが、結果は同じである。修正プログラムというのを見つけてきてインストールし、試みたがこれもダメ。
 一応、主な中身をテキストファイルにコピーして保存、それからPPTを終了してみた。立ち上げ直すと、案の定ファイルは書き込まれていない。この2時間以上が完全ではないが、かなり無駄になってしまった。がっかりだ。それにまだ問題は解決していない。今、翻訳会社へ電話をして、再度同じPPTを送り直してもらうよう依頼した。さて新しいファイルでは問題は再現しないだろうか。もしそうなら、どうしよう。月曜の朝からトラブル発生である。
 今週はこの仕事を完成しなくてはならない。ワード数は8000。今回の仕事では一番大きなものだ。また一日2000ワードにトライして、4日で終わらせる予定だ。すると木曜日には終えることができ、金曜は他の仕事ができる。その予定だったが、スタートから躓いた。弱ったものである。

 さて最近のできごとを、週末から振り返る。
 金曜日は新規翻訳会社のトライアルを完成し提出する。前回のブログにも書いたが、とても難問だった。さて結果はどうなるだろうか。正直にいって自信はない。
 トライアル提出後はジム(市営体育館だけど)へ行く。約2時間のトレーニングをする。帰ってからは仕事をしようと机に向かったが、なんだかやる気が起きない。この1週間、ほぼマックスで仕事を続けてきた結果、ガス欠になったみたいだ。だらだらとネットで遊んで、2時間が過ぎていく。その後は夕食を作って、かみさんの帰りを待つ。

 土曜は久しぶりに寝坊。8時過ぎまでベッドで過ごす。睡眠時間は約8時間。やっぱり調子が良い。
 仕事が立て込んでいるので、土曜も仕事に取り掛かる。ある業界団体へ提出する新企画のデモ版の作成である。米国の最新事情をメルマガにして会員へ送るというものだ。一回分のデモを作る。ニュースの本数は6本。なかなか良いものができた。僕だったら、こんなメルマガが来たら嬉しいが。さて向こうさんの反応はどうだろう。なんとか6本の要約ニュースからなるデモ版を作成し、メールにて納品。

 日曜は都内まで合気道の稽古へ行く。久しぶりに若い男性が1名、新規で参加していた。付きっ切りで指導する。若い男性は呑み込みが早い。一日で受け身や転換がどうにかの形になる。一教や呼吸投げもけっこうできるようなった。1年も続ければ、うまくなるだろう。続けてくれるとありがたい。
 稽古の後は、久しぶりに他の合気道仲間と飲みに行く。よく行く店に入ったが、昼間の12時過ぎだというのに、人がいっぱい。御徒町は昼飲みのおじさんたちが一杯いる。
 自分もいれて5名で飲む。話題は武道からTPP、さらには老荘思想までおよび、喧々諤々、談論風発。約3時間の飲みであったが、しゃべくりまくり過ぎて、稽古以上に体力を使う。
 最近、この飲み会には参加していないのだが、「今回は話が熱かった」と誰かが言い、「こいつが火をつけるからだよ」と僕を指差した。どうも普段はもっと静かに飲んでいるようだ。ちょっと反省。でも楽しかった。懲りずに、また誘ってください。親父軍団の方々。
 日曜は家に帰るとすぐに夕食。お腹は結構一杯であったが、もちろんそんなことはおくびにもださずにモリモリ食べる。晩酌もちゃんとする。
 流石に夜は疲れ、9時過ぎに就寝。

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人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか=BookReview


 昨日は海外のテレビ制作に関するレポートの翻訳を一本完成し、朝一で納品。その後は、ある翻訳会社のトライアルに着手した。これが、難しい。なんだかいたる所に地雷が仕込まれているのが分かる。見慣れない用語が頻出している。グーグルで検索しても、一件もひっかからないものがある。つまり英米人も使わない語句だということだろう。これを前後左右の文脈から類推して、その語句(金融関連の専門用語)の意味を確定していく。
 最初は、ちんぷんかんぷんだったが、時間をかけて読み下していくと、なんとかおぼろげな姿が見えてきた。今日はこれから、推敲をするつもりだ。あまり自信はないが、いつまで考えていても仕方ない。今日中に提出したい。
 ほぼ一日、トライアルに着手していた。その後、合気道の稽古へ行く。

 先週は僕に技がかからない先輩がいて、少し気まずい状況になったと書いたが、昨日は楽しい稽古ができた。反省して“受け”の力を弱めたかというと、そうでない。先週よりも、もっと力いっぱいやった。合気道は武道なのだから、相手が抵抗して当然なのだ。そう自分で納得し、自分が信じた通りの“受け”を取った。相手をしてくれた人は苦笑していたようだが(前回とは別のひと)、それでも面白がってくれてもいた。
 僕が力いっぱいやったら、相手も力いっぱい返してきて、本日腕はアザだらけである。
 こういう稽古が僕は、好きだ。


『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るか』 水野和夫(日本経済新聞社)

 2007年発行と、経済関連としては少し古い本ではあるが、十分読みごたえがあった。
 アメリカの経済戦略がよく見える。作者は三菱UFJ証券のエコノミストのようだが、エコノミストというのはこんなに物知りで勉強しているのかと、思わされる内容だった。
 
 内田樹のブログはほとんど読んでいる。最近、TPPについての記述があった。内田先生はTPPに反対のようで、その理由として、アメリカの陰謀というのか、アメリカは日本を引きずり込みたいからTPPをしきりに誘ってくるのだ、というようなことを書いている。
 内田先生は教育や精神世界を描かせたなら抜群の実力があると思うが、経済に関しては今一つ説得力に欠ける。今回のブログでは、アメリカの製造業はまったく駄目で、唯一力があるのは農業のみだ。その農業製品を日本に輸出したいから、TPPを押し付けたがっているのだ。日本は騙されてはいけない、との論調であった。
 しかしこれは基本的に誤りから出発しているロジックであると思う。多くの日本人もそう考えているかもしれないが、アメリカは今も世界最大で最強の製造業国である。世界の大企業ベスト100を見てほしい。手元に資料がないので記憶からだが、たしか半分以上はアメリカの企業である。日本は10社程度でなかったか。そのアメリカの大企業のうち、過半数はメーカーであったと思う。
 たとえば製薬、ケミカル、食品、飲料、情報機器、製紙、輸送機器、飛行機、軍需などなど。これらの世界一はみなアメリカの企業だ。みな製造業である。対して日本の製造業で競争力があるのは、自動車と家電、その他少々といったところだろう。
 今でもアメリカは強大な製造業国家なのだ。単なる農業国じゃないのだ。

 ちょっと本のことから脱線したが、この本はではアメリカの真の狙いはなんなのかが、豊富な統計をもとに解き明かされている。2007年とTPPが話題になる前に書かれた本だが、アメリカの基本戦略はそのころと変わっていないと思う。TPPを語るうえで、有用な知識を与えてくれる。
 水野はアメリカは、製品の輸出入でおもに決まる貿易収支から、金融や投資などの出入りを統計化した資本収支へ、軸足を移しているという。
 たしかに今、アメリカ企業としてすぐに思い浮かぶのは製造業でななく、ディズニーやグーグル、JPモルガンやチェースなど映画や音楽、金融、情報などのソフト関連企業だ
 製造業もまた、海外へ工場を移転させて、海外で作って、お金だけ入国させている。これらは貿易収支には影響しないファクターである。みな資本収支に含まれる。
 もうひとつ実は大きな要素があるという。それは借金だ。おもに国債を海外へ売りまくり、その金を国内で流通させ、経済を回している。
 同じ借金でも、国と個人は違うようなのだ。この辺りは僕の頭脳では、いまひとつクリアに理解できないのだが、とにかくそうらしい。
 借金の償還期限が来たら、また借りればよい。またドル安がそれを容易にする。1ドル100円のときに1ドル借りておいて、1ドル80円のときに返せば、80円だけ返せばよい。20%も割引される。
 どんどん借りて、どんどんドル安にする。ドル換算では借金は増えるが、実質上の価値は増えていない。
 
 このあたりのことが詳しく書かれている。少し統計上の数字が多いが、そこが苦手な人は飛ばして読むと良いと思う。それでも十分読みごたえはある。

ルワンダ中央銀行総裁日記=BookReview


 5000ワードの仕事を今、納品した。月曜から初めて昨日終了し、今朝校正をした。約3日で仕上げたので、1700ワード(日)のペースだ。ちょっと余裕も出てきて、火曜はジムへ行ったし、昨日は久しぶりにジョギングをした。
 こもりっきりで仕事をしていると、無性に体を動かしたくなる。それに昨日は天気が良かった。若干、気温は低かったが、むしろ走るにはよかった。いつも走るコースのうち、最短のものを考えていたが、少し距離を伸ばした。
 ゆっくり走って、30分。距離は3キロぐらいかな。その程度で、今の僕には十分だ。走るとすぐに膝とかかとが痛む。すでに今、両方に違和感がある。本当は日常的に走りたいのだけど、この足だと無理かもしれない。あまり無理して、年を取ってから歩けなくなるとやばいので、ほどほどにしている。


 最近を読んだ本を記しておく。

ルワンダ中央銀行総裁日記 服部正也(中公新書)

 有名な本である。とても誉れ高い本であったので、以前から読みたいと思っていた。偶然、妻が図書館から借りてきてテーブルに置いてあるのを見つけ、ちょっと拝借して閲読した。
 評判通りの本だ。読んだ後、なんだが力がみなぎってきた。実は最近、仕事に対して前向きというか、やる気が起きているように感じているのだが、この本が原因のような気がする。元気になりたい人、必読、お勧めだ。
 もう図書館に返してしまったので、手元になく詳細は忘れてしまったが、たしか時は1970年代。ひとりの日銀マンがIMFからルワンダに金融行政の専門家として派遣された。その職務はなんと中央銀行総裁である。
 服部正也が赴任した当時のルワンダは、今もそうだと思うけど、もうめちゃくちゃな状況で、ようやく国家として立っているのが精いっぱいな状態だった。
 このむちゃくちゃな政府と、さらにむちゃくちゃな中央銀行にひとりで挑み、かなりまともな状態まで立て直したのだ。服部の赴任後、経済は上向き、アフリカの優等生といわれるまでになる(しかしさらにその後、悲惨な状況に陥ったのはご存じのとおり)。
 この本を読んで思ったこと、それは当時の日本人の優秀さだ。こんな優秀な人が、きっと他にもたくさんいたのだろう。だから日本は戦後の復興や高度成長を遂げることができたのだ。服部クラスの人が今、ひとりでもいるだろうか。
 とにかく服部はスーパーマンのような活躍をした。困難は次から次へと襲い掛かってくる。しかし服部は実務家として、淡々と、そして確実にこなしていく。そのあまりに見事な手腕に大統領は服部に絶大な信用を寄せるようになる。やがて中央銀行だけでなく、ルワンダ経済の基本計画の策定まで任せるようになる。服部はその信頼にみごとこたえ、計画書をただひとり自宅でこっそり作成する。大統領から極秘に依頼されたので、公務中は取り掛かれなかったのだ。
 服部が経た困難と苦労を思えば、自分の今の状況など、屁の河童である。服部の仕事への姿勢は、客観性、正直、勤勉、勇気あたりがキーワードだと思う。
 こんなおじさんに、わたしはなりたい。(服部がルワンダに赴任したときの年齢は、ちょうど今の僕と同じころである)
 

ティッシュ王子から思いだしたこと


 ティシュ王子こと、大王製紙の前会長・井川意高(もとたか)氏(47)が、子会社から100億円を超える不正融資を受けていた事件がニュースになっている。
 大王製紙は王子製紙、日本製紙に次ぐ業界3位の製紙会社で本社は愛媛にある。業界3位ではあるが、大王製紙は未だ井川家の支配が及ぶ同族会社であって、井川家の力は他の2社の社長とは比較にならない。大王製紙は意高氏の祖父が実質の創業者で、意高氏は3代目。王子、日本も元はオーナー企業であったが、吸収、合併を繰り返し、今は普通の上場会社となっており、社長はサラリーマン社長である。

 このスーパーパワーを保持していた(つい最近まで)、井川意高氏とは2,3度顔を合わせたことがある。
 前職の産経新聞社は新聞社だから紙を製紙会社から購入している。私は産経で最後の職場が資材関連だった。その関係で会う機会があったのだ。
 当時、意高氏はたしか副社長だったと思う。副社長とはいえ、まだ40代前半だ。身長180センチ以上、端正なマスク。いかにも高そうなスーツと靴。そして東大法学部卒の学歴。まさに自分とは比較にならない、比較したくもないような存在だった。
 挨拶とちょっとした打ち合わせの後、私の上司が言った。
 「副社長、たしかお前と同じ年だよ(実際は私よりひとつ年下)、ずいぶん違うなぁ、なあそう思わないか、ええ?」
 「はい、そう思いますよ、はい」
 “当たり前だろ、あんただって同じだろ”、と思ったが、当然口には出さなかった(この上司は、口は悪いが、悪い人ではなかった。念のため)。

 当時、僕はデジタル部門から資材部門へ異動になったばかりだった。デジタルには10年以上在籍していて、社内ではほぼ最古参であり、業界にもそれなりにネットワークを築き、居心地は悪くはなかった。しかし体調を崩し、長期の入院と自宅療養を経て、戻るとすぐに資材へ異動となった。
 資材では末端の担当で、毎日の細かい伝票書きやジムワークをさせられた。初めての経験だったので、ミスばかりを繰り返した。体調も完治まではいたらずに、そうとう凹んでいた時期だった。
 俺の人生、思っていたものと随分違う方向に流れてきたな、と諦念さえ感じていた。
 そんなときに会った(挨拶だけだけど)意高氏は、上司に言われるまでもなく、まったく別の存在であり、比較など思いもよらない存在であった。

 大王製紙の本社へも行ったことがある。本社のある愛媛の四国中央市は、まさに企業城下町であった。だから井高家は四国中央市の殿様ファミリーみたいな感じだった。タクシーの運転手も井高家の存在を知っていて、人柄までも知っているようなそぶりで、噂話をしていた。
 本社訪問の後は、有名な道後温泉に泊まった。大王の社員と二人で出かけたのだが、夜はスナックみたいな、キャバクラみたいな、とにかく女の子がいる店へ連れて行かれた。
 店には4,5人女の子がいたと思う。対して客は我々二人だけ。一応、僕は客の立場だったからか、一番可愛い女の子が横に座った。
 その子は道後温泉出身で、バツイチ。年齢はたしか24歳。両親は死んだか離婚したかで、おばあちゃんに育てられた。中学を卒業するとすぐに、地元の工場に働きに出た。18歳で中学の同級生と結婚。22歳で離婚した。子供はいないと言っていた。
 ここまでは、まあちょっと薄幸ではあるが、水商売ではありがちな話だと思う。今でもその子のことを覚えているのは、私が「何かやりたいことはある?」と聞いたときに、次の言葉を聞いたからだと思う。
 「うん、そうだな。東京とか行ってみたいな。私、愛媛を出たことがないんだ」

  ティッシュ王子の記事を読んで、なぜだかその子のことを思い出した。
 

あれこれ


 最近のできごとを記す。
 金曜日は期日だった仕事を終了することができた。未知の領域である、1日2000ワードを続けることができた。しかしこれをもって、自分の処理能力を2000ワード/日とすることはできない。今回は比較的、平易な文だったし、かなり集中して仕事に取り組むことができたから。いつもこのペースではいかないと思う。
 ところで仕事を終え、納品をすると翻訳会社からファイルが開かないと連絡があった。今回の仕事はパワーポイントで作業するものだったが、僕はパワーポイントを持っていない。買うと17000円もするので、買わずにいたのだ。そこでフリーウエアの“Open Office”というのを使って作業をした。以前もこれで納品をしたことがあるが、そのときは別に問題は生じなかった。ところが今回は、開かないという。何度かやり取りをしたあとに、結局開き、納品を終えることができたが。
 チェッカーからは「とても品質の高い訳文を納品していただきありがとうございました」とメールをもらった。そして、これからも発注したいとも。う、うれしい。
 ところが、次回以降は正規のパワーポイントを使ってほしいともリクエストされた。そしてそれが、次回以降の仕事の条件となった。
 さっそく購入しようとマイクロソフトのサイトを覗くと、60日間無料体験版というのがある。とりあえずこれをダウンロードした。
 その後、この翻訳会社から3本の仕事の発注を受けた。またすべて2000ワード/日ペースである。限界への挑戦はまだまだ続く。
 夕方はジム(市営スポーツセンターだけど)へ行く。一週間ぶりなので、筋肉が悲鳴をあげた。夜は足をつり、痛くて何度も目が覚めた。

 土曜は昨年秋もやったBBQ&芋煮会を我が家で開催した。参加者は我々夫婦を入れて22人。天気が心配され、タープを購入してそなえたが(S君がわざわざ朝早くからホームセンターにでかけ、買ってきてくれた。いつもありがとう)、ほとんど雨に当たることもなく、終日楽しく過ごすことができた。
 このメンバーでのBBQは、もう10回近くやっているのではないか。産経の元後輩達が中心だが、その友人なども加わり、いまではすっかり打ち解けた間柄になった。なんでも数をこなすことが大切なのだな。BBQすらも、毎年繰り返すことで、会の雰囲気が練れてくる。だんだんと落ち着いた、よい会合になってきたと思う。
 最近はBBQよりもI社の女性社長であるKさんの手料理が中心となりつつある。いつもキッチンで手早く作り、僕はテーブルで口を開けて待っているだけで知らなかったのだが、その手際の良さは尋常でないものがあるらしい。後からかみさんが、言っていた。
 Kさん、ほんといつもありがとう。それに今回もI社の商品をいくつもお土産に持ってきてくれた。僕はI社の歯ブラシの愛用者です。めちゃくちゃ、使いやすくて手放せません。とてもよいので、宣伝をしてしまおう。会社のURLはこちらです。(http://www.issua.jp/)
 その他、炭起こしからBBQ全般を担当してくれた男子若手、プロの技で写真を撮りまくってくれたTさん、子連れながら見事な仕切りを見せたK.、とくに担務はこなさなかったが笑顔を振りまき、あるいは激論を戦わし、あるいは爆睡を決めてくれたその他のみんな、本当にご苦労様でした。ぜひ、また来年も敢行しましょう。

 日曜は合気道の稽古。帰ってきてからは、また仕事。なんといっても2000ワードのノルマである。しかし実力は1000ワードちょっとというところなので、土日を返上して取りかからなくては終わらない。

 月曜も終日仕事。かなり進めることができた。この分だと、2本目の納期が木曜だが、水曜に終えることもできるかもしれない。実は他の仕事も残っている。こちらを優先してしまって、後回しにしているのだ。これらをできれば、木金で終えたい。そしたら、来週からまた3本目、4本目に取り掛かることになる。

ふたつの道場に通う難しさ


 昨日もほぼ予定通り、仕事が進んだ。20ページの仕事だが、18ページの半分まで終わった。残りはあと1ページ半。今日の午前中には終えて納品できるだろう。
 未知の世界の1日2000ワードの仕事だったが、なんとかこなすことができそうだ。今日は納品後、スポーツジムに行けそうだ。あと、少しだ。もうひと踏ん張り。

 昨日は5時過ぎに仕事を切り上げ、合気道の稽古へいった。ここのところ毎週木曜日の夜は地元の道場へ通っている。
 今、逗子の道場と本籍の文京区の道場の2箇所に定期的に通っている。始めたのは文京なので、僕の技は文京で習ったものだ。
 他の道場へも通ったことがあるし、講習会で他の先生に習うこともある。演武会で師範達の演武を見ることもある。そうした経験から見て、文京の技はオーソドックスだと思う。
 比べて逗子の道場は多少ユニークである。逗子の道場は湘南合気道連盟という大きな団体の下部組織で、湘南合気道連盟の一番上の先生は、武田義信先生といって、大変実力のある先生だ。日本中を見回して、現在活躍する師範の中で、もっとも技が柔らかく美しい演武をする名人のひとりだと思う。
 逗子の道場に武田先生が来ることはないが、そのお弟子さんが師範として稽古をつけてくれる。主に先生は二人いるが、お二人とも力強くて柔らかい、とても参考になる技をなされる。

 昨日は“後ろ両手取り入り身投げ”という技をやった。ここで少し戸惑った。後ろ両手取りは、本来“受け”が“取り”と攻防のすえ、後ろに回りこみ両手を押さえるという展開である。ところが逗子の道場では、“取り”が“受け”を内側に吸収するようにして巻き込み、最後は入り身投げをするという見解であるらしい。
 長年、オーソドックスな技を使ってきたので、これができなかった。
 そしてここが難しいのだが、逗子の技を体で覚えてしまうと、オーソドックスな技を体が忘れてしまう。それを考えると、技を覚えるのに躊躇してしまう。
 複数の道場を掛け持ちして稽古することの、難しい面だ。

 当然、“後ろ両手取り入り身投げ”だけでなく、他の技も道場によって多少は異なる。ただ今までは、どの技も納得できた。だから体が素直に動き、覚えることにも躊躇がなかった。自分の今まで使ってきた技を、向上させる方向で、技を咀嚼できた。
 ところが昨日については、どうしても納得がいかない。それゆえ、体が言うことを利かない。
 さらにだ。昨日、その技を一緒にやられた方は道場生で師範ではない。師範クラスだと、私がまったく違ったタイプの技を繰り出しても、適当にあしらってくれる。そのあしらいを見て、自分の至らなさに気づき、技の改良に専心することができる。しかし昨日の場合、相手の技がまったく効かない。一生懸命に教えてくれるのだが、技が効かないので、こちらは理解できない。
 せっかく教えてくれた方は、きっと気を悪くされただろう。僕も納得がいかず、すっきりとしなかった。

 複数の道場へ通う効用は大きい。同じ技でも、スポットの当て方が違うので、技を立体的に理解できる。しかし昨日のような、問題が生じることもある。
 やはり複数の道場に通う場合は、その道場に対して敬意を持たなくてはならない。こちらは教えていただく立場なのだ。道場に一歩足を踏み入れたなら、謙虚な気持ちでその道場および道場の方々に臨まなくてはならない。

 だが、やはり納得したい。納得したうえで、技を吸収した。しかし謙虚でなくてはならない。難しいバランスだ。
 これからも二つの道場に通うつもりだ。自分の中で解決しなくてはならない問題である。

なんだか臭うぞ


 昨日のこと。二階で仕事をしていると、階下でドタンと大きな音がした。さて泥棒が入ったか、はたまた車が突っ込んできたか。しかし我が家でこうした大きな音が聞こえる場合、猫が原因であることが多い。そこでさして慌てずに一階へ降りていった。
 すると何かいいにおいがする。美味しそうなにおいだ。居間へ行き、猫を探すと、大チャンはソファーの陰に隠れて、こちらを伺っている。イタズラは、大抵が大チャンが犯人である。大チャンが犯人の場合は、また大抵、直後に逃げ回る。現場を押さえなくても、そこで大チャンが犯人だと分ってしまうのだ。
 今回もこの法則に則れば、大チャンが犯人であることは間違いない。ではフクちゃんはいずこ?
 テーブルの下にいた。しかし様子がおかしい。手や顔をしきりに舐めている。この動作のときは、何かをつまみ食いした後のことが多い。するとフクちゃんも共犯者か。
 さて何をやったのだろう。食べ物はすべて片付けてあるはずだ。猫がつまみ食いできるものはないは。しかし、このにおい。
 キッチンへ入ってすぐ、その理由が判明した。キッチンに醤油が飛び散っている。良いにおいは、醤油が正体だったのだ。
 普段、醤油やみりん、出汁、ポン酢などの調味料を冷蔵庫の上に置いてある。その調味料がすべて床に落ちていた。とくに醤油はペットボトルの口が開き、散乱している。猫が冷蔵庫に上り、調味料を落っことしたらしい。
 想像するに、大チャンが冷蔵庫から調味料を落とし、下にいたフクちゃんが醤油を引っかけられた。

 キッチンの床、壁、冷蔵庫、その他すべてが醤油だらけになってる。気づかずに入ったので、僕のスリッパも醤油が染みた。
 昨日は忙しくて、こんなことをしている余裕はなかった。しかしそのまま放っておくわけにもいかない。しかたなく、雑巾でキレイに拭いた。情けない。

 猫はと見ると、僕が怒らないので安心したのか、二匹とも体を舐めている。捕まえて臭いをかぐと、二匹とも醤油臭い。とくにフクちゃんは、猫の醤油漬状態だ。

 猫は叱るときは、現場を押さえて、その場で叱らなくては効果がない。時間差があると、イタズラと叱られることの因果関係を理解できないからだ。
 醤油臭い二匹の猫の頭を撫ぜて、僕は二階へ仕事に戻るのであった。

やればできるじゃないか


 昨日は朝7時から夜9時半まで机に向かっていた。新記録の更新である。その時間、14時間半。その間、もちろん食事をしたり風呂に入ったり、家事をしたりもした。でもそれ以外は、ずっと仕事をしていた。
 僕は決して仕事人間じゃない。あまり積極的に仕事に取り組んできた記憶はない。だから自分では、そんな生活は無理だと思っていた。しかし窮鼠猫をかむというか、背水の陣というか。追い詰められると、できるもんですね。それに真剣に取り組んでいる時間は、苦痛ではなかった。むしろ楽しい。
 しかしこれは訳している内容によるとも思う。今、訳しているのは海外のテレビドラマの現状報告書で、文章も平易、内容もポップ。これが契約書だとか、財務レポートだとかになると、少々事情が異なる。直近の契約書は、一段落訳すのに半日かかったりした。それに、すぐに飽きてしまって、猫と遊んだりして。3週間で終わらせるつもりが、5週間もかかった。だから今回はむしろ例外だろう。

 今日は昨日よりもハイピッチで仕事を進めるつもりだ。もしうまくいけば、明日は合気道の稽古に行きたい。それで明後日はジム(市営体育館だけど)へ行きたい。そのために、今日は突っ走るのだ。
 今週末は産経の仲間達が拙宅に来てくれて、BBQ&芋煮会をする。金曜日には、その下準備もしなくちゃ。
 さて、これから14時間、やったろうじゃありませんか。

どこまでできるか


 昨日は翻訳の仕事を始めて、おそらく一番長い時間仕事をしていたと思う。といっても12時間程度だが。これぐらいがどうも、僕の限界のようだ。
 体力的、精神的にはもっとできると感じた。しかし物理的には難しい。
 睡眠は最低6時間は欲しい。それを切ると、翌日に影響する。一日は24時間だから、24ひく6は18。残りは18時間あるのだが、それ以外の雑用が外せない。
 時間がかかるのが家事だ。三食は一応、作る。忙しいと簡単なものだが。洗濯も晴れている日は毎日。時間がタイトになり分ったのだが、洗濯もそれなりに時間がかかる。洗濯の作業自体は洗濯機がしてくれるので、ほとんど手間はかからない。しかし干すのと取り組むの。そして畳んで、箪笥にしまって。全部で小一時間はかかるのではないか。
 あと僕の場合、猫の世話もけっこうある。餌やり、水の取替え、トイレ掃除。たまにだけどブラッシング。そして、これは忙しくても外せない。猫と遊ぶこと。
 風呂の掃除もある。そうだ、買い物も。
 なんだかんだで、あっという間に時間は経つ。やはり限界の仕事時間は12時間だ。どんなに急いでいても、これ以上は不可能である。それで仕事の計画を立てなくてはならない。

 ところが昨日、仕事が舞い込んだ。急ぎの仕事である。初めての翻訳会社からの依頼で、こなせば今後に繋がるかもしれない。どうしてもやり遂げなければならない。
 僕はまだビギナーで、仕事が遅い。僕の翻訳速度は一日1000ワード程度である。これを基準にスケジュールを立てていた。しかし昨日来た仕事は約6000ワード。納期は金曜。今日は火曜だから、4日しかない。それに他の仕事も実はある。おそらく使えるのは3日間だ。3日で6000ワード。一日で換算すると2000ワード。未知の世界だ。できるだろうか。
 今までは一日8時間程度の労働時間だった。今週は毎日、限界に挑むことになりそうだ。12時間やっても、今までのペースだと、一日1500ワード。まだ足りない。速度を上げるしかない。
 今日は4時半起きで、朝食、猫、洗濯、ゴミだしなどをして、朝7時から仕事を始めた。どんなに頑張っても夜9時までしかできない。全部で14時間。この間に食事と買い物と風呂の支度と、猫の、、、。それとブログも、やっぱり12時間が限界だ。
 ブログ書きは気晴らしになるが、今日はこの程度。明日は書けるかな。

フクちゃんの夜泣き


 以前にもあったのだが、フクちゃんがまた夜泣きをするようになった。
 フクちゃんはおしゃべりな子で、よく独り言をいっている。僕が近くにいるときは、話しかけてくる。それはとても可愛いので、大抵は返事をする。すると、嬉しくなるのか、さらに話しかけてくる。僕はそれに答える。こうして対話のようになって、長いときは4,5分も二人で話しこむ。まあ、話すといっても、フクちゃんは「ニャー、ニャー」いっているだけだが。

 最近、夜中にも「ニャー、ニャー」言うことがある。大抵は1,2分で止むので、放っておいた。ところが日曜の朝はいつもより長かった。それも寝室のドアの前で泣いていた。うるさくて、眠れない。
 僕は喘息があるので、猫を寝室へは入れない。普段は4時半起床だが、日曜は少し寝坊をしていた。それでフクちゃんは僕らを起こしに来たわけだ。しかしこちらは、普段の睡眠不足を補いたいので、もっと眠っていたい。それに最近、癖になっていて夜中でも泣く。近所に聞こえるのではないかと、気になってもいた。そこで、決断をした。
 ベッドを抜け、寝室のドアを開けた。案の定、フクちゃんはドアの前でお座りをして、こちらを見ていた。僕がドアを開けると、嬉しそうな表情をした(多分)。しかしそこで心を鬼にして、「こら、うるさいぞ」とフクちゃんの目を見てしかりつけた。そのときのフクちゃんの表情といったら。困惑と絶望が入り混じった、実に悲しげな表情で、僕を見つめ返した。そして、涙を浮かべた(多分)フクちゃんは、くるりと身を翻すと、階段を駆け下りていった。

 ベッドに戻った僕は、しばく階下に聞き耳を立てていた。フクちゃんは、二度と泣かなかった。静けさが戻った。さて、これで眠れるぞ、とベッドで横になってみた。しかし目をつぶっても眠れない。まぶたに、さっきのフクちゃんの悲しげな表情が浮かんでくるのだ。それから1時間は頑張ったかもしれない。しかし結局、眠れなかった。
 6時ごろにはベッドを抜け出し、1階へ降りていった。普段なら、フクちゃんと大チャンが飛んでくる。僕の足元に絡みつき、トイレまで一緒に入ってくる。しかしその日の二匹の様子は違っていた。
 大ちゃんは、寝ていた椅子の上からじっと僕を見ている。フクちゃんはソファの陰に逃げ込み、こちらの様子を伺っている。
 フクちゃんがこちらを見ている気配を感じながら、大チャンの頭を撫ぜる。すると「ゴロゴロ」と喉を鳴らした。その音を聞いて、安心したのか、ようやくフクちゃんが足元にやってきて、体を僕の足に擦りつけた。

 僕はフクちゃんと抱き上げ、ソファに腰をかけた。フクちゃんは大人しく抱かれていた。頭を撫ぜると、嬉しそうに僕の目を見た。いとおしくなって、思わず強く抱きしめた。切ない日曜の朝であった。

「自分の中に毒を持て」(岡本太郎)=BookReview=


 岡本太郎が自らの半生を紹介しながら、独自の人生観を開陳したもの。2002年、青春出版から。

 岡本太郎といえば「人生は爆発だ!」が有名だが、あれはCM用のコピーではないらしい。自らが苦悩の末に行き着いた“言葉”であるようだ。
 岡本は18歳から約10年間、戦前のパリで暮らしている。ソルボンヌ大学で哲学や文化人類学を学んだが、カフェ通いに最も心血を注ぎ込んだ。
 ある日のカフェでのことだった。

 「ある夕方、僕はキャフェのテラスにいた。一人で座って、絶望的な気持ちで街路を見つめていた。うすい夕日が斜めにさし込んでいた。
 安全な道をとるか、危険な道をとるか、だ。・・・、「危険な道をとる」。いのちを投げ出す気持ちで、自らに誓った。死に対面する以外の生はないのだ。
 その他の空しい条件は切り捨てよう。そして運命を爆発させるのだ」

 CMでは“人生”といっているが、ここでは“運命”だ。その違いがあるが、この若き日の岡本太郎がパリのカフェで、“爆発”を誓ったことに違いはない。それ以来、岡本は真摯に“爆発”に続けきた。

 若い人はあのCMを知らないかもしれないが、40代以上の人は覚えているだろう。岡本太郎といえば、「人生は爆発だ!」なのだ。
 目の玉をむき出して、「爆発!」を叫ぶ岡本を、芸術や美術などに興味がなかった少年のころの私はただの危ないオジサンだと思っていた。しかし岡本はただの危ないオジサンではない。繊細でしかし、力強く潔い。

 パリ時代の岡本は、カフェでひとり寂しげに佇んでばかりいたのではない。世界から集まる若き知識人達と議論を戦わせていたのだ。そのメンバーがすごい。ジャコメッティ、マンレイ。そしてもっとも影響を受けた人物は、ジョルジュ・バタイユだという。
 バタイユは少し年長であり、当時すでに相当の有名人だったようで、カフェで気楽に議論を戦わせていたわけではない。講演会に足を運び、その後知人の紹介で個人的な付き合いを始める。
 
 岡本はパリで知識人とばかり付き合っていたわけではない。若者らしく、積極的に異性交遊も楽しんでいる。パリ滞在中の10年間で何人ものパリジェンヌ、ダンサー、そしてオーストリア留学生などと同棲をしている。出会いは、カフェで目が合い、お互いに視線が絡み合い、気づいたら岡本のアパートに女の子が住み着いていた。本当だろうか。ここのあたり、ちょっと信憑性に問題がなくもないが、しかしかなり女性に対して積極的であったことは事実だろう。そして、かなりモテたようだ。
 ここのところは、下宿のおかみさん以外とは話すことができずにノイローゼになって帰国した、夏目漱石とは大きく異なる。

 岡本の生き方は破天荒で、精神面でも常人では真似のできない強さを持っている。だから共感できないかというと、そうでもない。この本でもっとも面白く読めたのは、「弱い自分との付き合い方」に対する彼の考え方だ。

 「自信がないと悩む。それはその人が、人生に対してコンプレックスを抱いていることの表明なのだ。弱いと自分自身思っている人ほど強くなりたいと意識する。それは別に、悪いことじゃないけれど、弱さを何とかごまかそうとしたり、強くみせかけようなどとすると、ますます弱みになってしまう。
 他に比べて弱くても自分は充実して生きている、これで精一杯だと思えば、悔やむことも嘆くこともない。人生はひらく」

 弱い自分を認めてしまう。それを受け入れてこそ、新しい人生が展開する。勇気の出る言葉だ。最近、はやりの自己啓発本よりも、ずっとパワーを与えてくれる本だと思う。
 触れたら切れる鋭さ、という表現があるが、岡本の場合は触れたら感電するパワーといったらいいだろうか。本からパワーがにじみ出ている。読んでいるうちに、いつのまにか岡本パワーが通電している。通電してみたい方には、お勧めだ。3,4時間で読了できる。

尿管結石の痛みは10万鼻毛


 痛みの単位に鼻毛というものがある。みなさんご存知ですか? 鼻毛を1本抜いたときの痛みを単位としたもので、10鼻毛とか、100鼻毛だとかで表現する。なんでも鼻毛を抜く痛みに個人差はなく、痛みを単位化するのに最適ということで、千葉だか北海道だとかの、研究所だか教授だかが提唱したそうだ。今では国際的にも認められ“Hanage”は世界的に流通している。

 ちょっと前に背中が痛くて、膵炎を疑い病院で精密検査を受けたことをブログで書いた。検査結果はシロで、膵炎ではなかった。不思議なことに、検査結果を聞いてから暫くすると痛みは治まってしまった。それから背中の痛みを忘れていた。
 ところが最近、また少し痛む。膵炎の可能性は専門医がはっきりと否定した。だからきっと膵炎ではないだろう。すると、なんだろう。またしても自分で勝手にネットを調べまわった。そして出した結論は、腎臓結石である。たぶん、そうだ。以前の思い違いがあるので、確信まではいたらないが、そう思っている。
 
 背中の痛みをネットを調べていて、あるサイトに行き当たった。「腎臓結石体験記」というサイトである。“腎臓結石”とグーグルに打ち込むと、最初に出てくるサイトだから、結構読まれているサイトだと思う。そこに“痛みの度合いを測る指数症状”というコーナーがあり、次の記述がある。

 「痛みの症状の度合いを測る指数として「鼻毛」という単位を使うことがあります。 1本の鼻毛を抜くと「1鼻毛」ですが、出産は10万鼻毛ですので、出産にも匹敵するこの尿管結石の痛みは10万鼻毛といえるでしょう」

 10万鼻毛とは、いったいどんな痛みであろう。1本でも相当痛いぞ。それの10万倍だ。想像ができないな。とにかく痛そうだ。

 この話しをかみさんにした。「俺はおそらく、腎臓結石だ。心積もりをしていてくれ。それで、その痛みは10万鼻毛だそうだ」
 腎臓結石と尿管結石はきっと親戚みたいなものだから、痛みも同じ程度だろうという判断を元に、はしょってそう言った。
 かみさんは、私が腎臓結石かもしれない、ということにはあまり興味を示さず、「鼻毛」に異常なる興味を示していた。膵炎疑惑のときも、散々大騒ぎをしたからな。私の自己診断よりも、「鼻毛」の語感にインパクトを受けたのだろう。まあ、仕方ない。

 翌日だ。かみさんは、「鼻毛」がどうも、脳裏から消えなかったようで、独自に調べたと言う。そしてのたまった。
 「やっぱり、あれ嘘みたいよ。なんかおかしいと思って、調べたんだ。あれ有名なジョークなんだって。でも結構、信じてる人がいるみたい」
 「え、え~」と、俺。

 まったく疑っていなかった。そう言われれば確かにおかしいような気はする。本当に、鼻毛を抜いたときの痛みに個人差がないのか。それに10万鼻毛って、ちょっと痛すぎではないだろうか。 
 かみさんは、最初から疑っていたのだそうだ。でも私があんまり真剣に説明するので、腰を折っては悪いと思い、その場は聞き逃していたそうだ。
 かみさん、恐るべし。そして、48歳にもなって、この程度のジョークを見抜けなかった私って、これまた恐るべしだ。

 しかしだ。本日、改めて「腎臓結石体験記」を見た。絶対、このサイト管理者は「鼻毛」を信じていますよ。そして膵臓結石を患って、情報収集に来た多くの患者も、この表記を信じてサイトを読んでいると思う。
 それとも、そんなおバカさんは、私とこのサイトの管理者だけなのだろうか。かみさんは、そうだと言うのだが。

問題のサイトは以下です。ページの最下部に「鼻毛」の話しが載っています。ご興味があれば、ご一読を。
http://kesseki.ohuda.com/kesseki/syouzyou.html

「イチローに糸井重里が聞く」(朝日文庫)=BookReview=


 「キャッチボール・ICHIRO MEETS YOU」という2004年に放映されたBS番組を書籍化したものだ。今から7年前。イチローは、そのとき30歳だった。

 30歳のイチローは、すでに完成形のイチローであったと思う。イチローは今でも進化しているとは思う。しかし7年前の時点で完成している。矛盾を孕んだ表現になってしまうが、この本を読んでそう思わされた。
 そう思った理由は、イチローが変化を否定しているからだ。糸井重里の質問に対し、さまざまなエピソードや意見を述べている。しかしそこには一貫して底に流れているものがある。それは、変化への否定だ。

 「第三者の評価を意識した生き方はしたくない。自分が納得した生き方をしたい」
 「いちばんコワイのは、相手の変化に合わせて自分が変化してしまうことです」
 「負けがこんでくると、どうしても何か変化したいという気持ちが出てきます。でも、長いシーズンを勝ち抜くためには、そこでガマンをしなくちゃならない」
 
 進化し続けているはずのイチローは変化を嫌う。しかし変化しないということは、実は変化し続けることでもある。変化し続けるという姿勢を変化させないのだ。ややっこしいけど。
 意志を曲げないといってもいい。一度決めたことは止めない。諦めない。努力を続ける。誰でも分かっているけど、でもできないことだ。それをイチローは続けてきた。いつから続けてきたかといったら、小学生のときからだ。私がこの本を読んで一番、イチローの強さを感じさせられたのは次の部分だ。

 「サッカー部に入る誘惑に負けなかったことはよかった。小学校に野球部はないし、みんなと遊びたいから、サッカーも悪くないと思って。で、サッカー部の先生に誘われたんですよ。でもやっぱり断った。野球をやりたかったから。それは大きなことですね、ぼくにとって」

 ものすごい小学生だ。イチローの小学校には野球部はなかったそうだが、サッカー部はあった。小学校に部活がないのは普通だと思うが、とにかくサッカー部はあった。運動神経抜群だったイチローは、サッカー部の監督に誘われた。友達も誘ってくる。楽しそうだ。仲間と一緒にいたい。普通なら、いやほぼ100%の子供は、こんな状況下なら迷わずサッカー部を選ぶだろう。しかしイチローが選んだのは、一度心に決めたこと、野球への道だ。
 野球部がなかたったイチローができる野球への道とは、バッティングセンターへ通うことだったらしい。それと父親とのキャッチボール。これを1年365日繰り返したという。
 わいわいと騒ぎながら楽しそうにサッカーグランドへ行く友達を尻目に、ひとりバッティングセンターへ通うのだ。繰り返すが、ものすごい小学生である。

 こんなことも言っている。「畑違いなことには手を出しちゃいけない」。48歳になってもふらふら腰の落ち着かない私には、実に耳に痛い発言だ。

 ところで野球を続ける上において、その中でまた、変らないことがある。
 「ぼくは個人的な打撃成績については目標を立てないんですよ。ただ、自分の能力を最大限に発揮してプレイしたいだけです」
 「日本人がアメリカで野球をやろうと思ったら、何よりも大切なことは自分で自分を教育できることだと思います。自分で自分をコーチできる、そういう能力。これは絶対に必要でしょうね」

 他者からの評価を気にしない。目指すのは潜在能力を最高に引き出すこと。自分だけしか分からない、潜在能力との戦い。かりに首位打者を獲得しても、それは他の打者という相手があってのことだ。相手がたまたまイチローより良い数字を出せなかったから、つまり偶然に過ぎない。それよりも、自分に対する自分自身の評価。これがイチローの尺度なのだ。

 とにかく30歳のイチローが繰り出す言葉は、そのまま箴言集に入れても良いようなものばかりだった。あまりに立派過ぎて、敬遠したくなるかと言えば、そうでもない。それはイチローが、心底真剣に野球に取り組んでいるからだろう。その生身の真剣さが伝わってくるので、立派過ぎる言葉も心に染み入る。

 一度だけ、生のイチローを見たことがある。7,8年前、シアトルでマリナーズの試合を見たときのことだ。
 その日のイチローは調子がよかった。たしか最初の3打席で2安打。そして第4打席(だったと思う)。場面は満塁、9回の裏(う~ん、ここは自信なし。もしかしたら8回だったような気もするが)。静まり返る場内。左打席に立ち、バットを立てて、ピッチャーを睨むいつものポーズ。見ているだけで、緊張してくる場面だ。
 ピッチャーから剛速球が投げられてきた。ピッチャーの手元をボールが離れた途端、打ちの構えに転じるイチロー。そしてフルスイング。バットに弾き返されたボールは、鋭いライナー性の当たりでグングン飛んでいく。でもちょっと弾道が低い。無理か。しかし球速は衰えず、ボールはそのままライトスタンドへ突き刺さった。満塁ホームランである。
 わたしと連れ(産経新聞の同僚)は立ち上がって万歳をした。隣にいた知らないアメリカ人も一緒に万歳だ。最後はハグまでしちゃった。
 クールなイチローは、僕らをホットにもしてくれるのだ。この一度の体験で、僕はイチローのファンになってしまったのだ、実は。
 

韓国の模倣能力


 韓流ドラマには興味がなく、ほとんど見たことがないが、どういうわけかK-POPにはチャンネルが止まる。もとから歌謡曲の類は好きで、今も昭和の歌謡曲を流す番組は見てしまう。おじさん、おばさんになった元アイドル歌手の出演でなく、若いときのビデオだとつい。
 K-POPって、昭和歌謡の香りが漂う。カッコを付けてても、どこか野暮ったい。歌詞の意味は分からないが、きっとネチッコいことを言っているのであろう。その湿潤感もよい(多分)。

 先日、たまたまBSをザッピングしていて当ったのは「スーパースターK」という、タイトルも大時代的な歌番組だった。素人によるオーディション番組だ。オーディションといえば、「スター誕生」だろう。かなり、古いかな。日本の真似が得意な韓国だが、これは違った。見てすぐに気が付いた。まったくの、まったくの「アメリカン・アイドル」のパクリであった。ここまで素直に模倣できるとは、ある意味すごい。
 基本的な構成はまったく同じである。地方予選を経て、ソウル決戦へ。優勝者はプロの切符を手にすることができる。その間、参加者たちのバックグランドや日常が紹介される。ある程度、参加者の数が絞られてくると、一箇所に集められ、練習をともにする。しばらく一緒に生活するうちに、人間関係が形成され、確執が生まれ、葛藤が生じる。そんな様子をドキュメンタリーにして、歌の間に挿入する。
 日本人も、きっとアメリカの番組を数多くパクッてきたと思う。でもこれだけあからさまにコピーをするケースってあったのかなあ。やっぱり少しはオリジナリティを入れたくなるものだろう。それがプロのテレビマンの矜持だ、きっと。ところがコリアのテレビマンの矜持は、どれだけ正確にコピーするかにあるようだ。
 以前、K-POPグループのメンバーは、皆同じ顔に見えると、ブログで書いた。そしてその製造能力(タレントを製造する)の高さに驚かされた、とも書いた。
 韓国は今や、少品種大量生産で世界をリードしているが、コピー技術もすごい。考えてみれば、少品種大量生産にとって、コピー能力は基礎技術だろう。うまくて当然か。

 このブログを書く前に、少し「スーパースターK」についてネットで調べてみた。“悪魔の編集”というのが、大問題になっているようだ。新聞の社説にまで載っていた。
 “悪魔の編集”ってのは、事実を大きく歪曲させた編集技術をいう。あっちとこっちをくっつけて、それでこれとこれは、引き離して。
 元はドキュメンタリーだが、フィクションの世界をつくり出す。例えば、参加者の誰かが怒鳴ったり、怒ったりしている部分を繋げ、その人物を傲慢に見せる。別に仲がいい訳でも、悪い訳でもない二人を喧嘩させたり、仲直りさせたり。そんな風にしてドラマを作り上げていく。

 こういう編集は、バラエティー系のドキュメンタリーにはつき物で、別に珍しいわけじゃない。そういえば、日本でも、「あいのり」だっけ?、“悪魔の編集(?)”が話題になったことがあったなあ。
 いずれにせよ、韓国の歌番組は、いま元気だな。
 

地域予選から考える地政学


 今朝は実に気持ちのよい朝だ。外へゴミを出しに行く。このまま散歩でもしたい気分になる。しかし玄関の鍵は開けっ放しだ。そうはいかないので戻ってきて、ブログを書き始める。

 昨日、ニュースを眺めていたら女子ハンドボールのオリンピック地域予選、その壮行会の映像が流れていた。地域予選は中国とか北朝鮮とか韓国とかが強豪らしく、それらの国と戦って、一位になった国のみがオリンピックに出場できるらしい。
 そのニュースを見ていて、「またか」と感じた。「またか」は「またオリンピックの予選か」、という感想ではない。「また中国や、北朝鮮、韓国と戦わなければいけないのか」である。
 スポーツは格闘技や武道関連しか最近は見ないのだが、それでも野球やサッカーのワールドカップぐらいは見ることがある。あれも地域予選があって、対戦国は同じ顔ぶれだ。
 日本はこの極東の地にあるかぎり、常に中国や半島諸国と対峙を迫られる。なんとも重苦しい気持ちにさせられる。なんとか、ならないのかなあ。
 もういい加減、中国や南北朝鮮との対決にはうんざりだ。スポーツの試合は死者がでるわけじゃないし、体裁上は友好を謳ったりしているし、平和であるには違いない。でも同じ国ばかりと対戦させられて。これじゃ、いくら文化交流を進めたとしても、ライバル視から抜け出せないのじゃないか。
 
 これだけ交通機関が進化しているのだから、地域予選という概念を超越したシステムを構築できないのだろうか。日本人で、アイルランドやスウェーデン、ウルグアイやパラグアイを嫌いな人は少ないだろう。それは彼らが、ちょっと大袈裟な言い方かもしれないが、地域予選のライバル国ではないからだと思う。もし頻繁にサッカーや野球、ラグビーなんかの試合をさせられて、それでオリンピックやワールドカップの出場権がかっかっていたりしたら、きっと反感を持つ人も出てくるだろう。
 だから地域予選は、スポーツごとに、大会ごとにシャッフルして欲しい。そうすれば特定の国に対する嫌悪感はかなり軽減されるはずだ。
 まあ、絶対無理な話だろうが。でも100年後ぐらいには、実現しているかもしれない。そうなって、欲しい。いや、ホント最近飽きてきたのだ。

 スポーツの地域予選を見ていて、もうひとつ気になることがある。他のスポーツの予選は知らないが、サッカーだ。サッカーの地域予選では、日本はアジア地区(名称は違う?)、最近はオセアニアも含まれるようだが、まあアジアで考えて、とにかくアジア地区として出場権を争う。その中にどうして、中東が入るの?
 これって思いっきり、西洋人の思考というか都合の反映だと思う。西洋から見たら、キリスト文明諸国以外はみな一緒くたで、イスラム国だろうが、ヒンズー国だろうが、儒教国家だろうが、仏教国だろうが一緒なのだ。自分達だけは価値観、文明を同じくするお友達のグループを形成して、それ以外はみなひとつ。なんか、だなあ。物を知らないというか、思慮が浅いというか。利己的というか。そんな風に感じてしまうのだ。
 日本とイスラム諸国の共通点は、日本とヨーロッパ諸国より少ないと思う。ましてイスラムとヨーロッパと比べれば、隔たりは大きい。
 イスラムとヨーロッパはお互いに嫌い合っているが、文明的にも歴史的にもとても近い。イスラム教とキリスト教は、ユダヤ教を長男とする兄弟宗教である。3つとも一神教で、その唯一の神様は同じ神だ。ユダヤ教ではヤーべ、キリスト教ではゴッド、イスラム教ではアラー。名称は違うがみな同じ対象である。
 ちなみにキリスト教のゴッドは日本語では神と訳されていて、ヤーべやアラーのような固有名詞とは違う。それはキリスト教が最初に日本に入ってきたから、神の訳語を獲得したまでだ。ヤーべもアラーも信仰する国では神という意味である。
 歴史的に見てもヨーロッパと中東諸国のつながりは強い。アレキサンダーはインドまで征服したし、ローマは今のイラクと頻繁に戦争をしている。十字軍は言わずもがなである。
 その点、日本は中東諸国とは文化的にも遠いいし、当然戦争もしたことがない。ああ、湾岸戦争があるか。
 とにかく全然、というかほとんど歴史的、文化的に関係のない国なのだよ。中東諸国は。それに遠いいいし。
 インドも、そうだ。あそこもアジアといっても、ヨーロッパから見ればアジアの総本山らしいが。日本から見たら、ちょっと遠い。わたくし的には、あそこもヨーロッパ予選に含めて欲しい。インド人って、日本人や中国人から見たら、やっぱりヨーロッパなのだ。色は黒いけど、それを除けば、顔やスタイルは白人そのものだ。どっちもアーリア人なんだから。
 たしかに日本は仏教国で、お釈迦様はインド人だろうけど。現在のインドは仏教国とはいえないし。
 インド人と個人的に付き合った人は分ると思うが、あの人たちと私達の共通する価値観は多いとは言えない。そうイスラムの人たちとも。

 地政学というのがある。地理的な位置関係が、政治や軍事に与える影響を研究する学問だ。地政学的にみたら、日本は極東で、どうしても中国や南北朝鮮の影響を直接受けることになる。引越しでもしないかぎり、どうすることもできない宿命である。
 スポーツの地域予選を見るたびに、地政学の宿命を痛感させられるのだ。
 

2011年9月度アクセス集計


 今月から当ブログのアクセス数を発表しようと思う。他の人のブログを見ていたら、アクセス数を1ヶ月ごとに公表していた。自分がブログを書いているからか、興味深く読んだ。その人はもう5年以上もブログを更新していて、初めからアクセス数を出していた。ブログの成長度合いが分って、とても良い。それで真似をすることにした。


 さて、当ブログの2011年9月のアクセスだが、4,540だった。アクセス数の一日平均は138。みなさん、この数字どう思われますか。「少ね~」って、思ってるんだろうな。私も第三者なら、きっとそう思う。
 でもこのブログの数字をずっと見てきた自分としては、そんなに悪くない、愛おしい数字だ。

 それと、これが大切な数字だと捉えているのだが、ユニークユーザー数(UU)である。こちらは月間2,156で、一日平均72であった。毎日、72人の人が当ブログを訪れてくれているのだ。この個人の独り言のようなブログに、毎日70人以上が訪れてくれた。大変、感謝しています。

 もう少し分析すると、一人当たりが一回に見る閲覧ページ数の平均は2.11。72人が毎日、訪れてくれて、2.11ページを読んでくれている。
 9月の更新回数は15回であった。

 さきほど愛おしい数字と書いたが、それは最初の頃の数字と比較するからだ。当初は、当然なのかもしれないが、ほとんど誰も来ないブログだった。その誰も訪れないブログを、今と同じようにほぼ平日は毎日、更新していた。気楽といえば気楽だが、寂しいといえば寂しい状態でもあった。あの頃に比べれば、一日72人は嬉しい限りだ。
 
 今回は初回なので、過去のユニークユーザー数の推移を記す。

2010年/UU/一日平均
2月   60   2
3月   116   4
4月   221   7
5月   460   15
6月   702   23
7月   ---   --- 記録するのを失念
8月   579   19
9月   680   23
10月  849   27
11月 1,031   34
12月 1,297   42
2011年
1月 1,643   53
2月 1,528   55
3月 1,656   53
4月 1,525   51
5月 1,610   52
6月 1,990   66
7月 1,909   62
8月 1,970   64
9月 2,156   72

 以上である。どうですか、こう見ると、牛歩の歩みではあるが、着実に数字が増えているのか分るでしょう。最初なんて、“2”ですよ。毎日、2人しか来なかった。しかしこのうち、1人は自分だから、実数は1人。毎日、1人しか見に来ていなかった。それに比べれば、今の72人は立派な数字だと思う。

 私は産経新聞社時代、ウエブを担当していて、当時の数字に感覚が染み付いていた。新聞社系のサイトだと、立ち上げ当日から、数万のユーザーが訪れる。数十万に届くのは直だ。その感覚があったので、当初の数字はうまく理解できなかった。しかし世間に元から広く知られている新聞社と、世間でまったく無名な個人を比較することはできない。1年以上、自分のブログの数字を見つめてきて、ようやく個人ブログの数字の意味が分かるようになってきた。

 こんなよちよち歩きのブログですが、これからも更新を続けていきます。みなさん、引き続き、ご贔屓に。

プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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