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「一発試験合格への道」番外編 交通違反を繰り返すパトカー


 自動車免許を取得したのは今年の3月だ。去年の丁度今頃は、試験場に通っていた。試験場は通うところではなくて、試験を受けて免許証の交付を受けに行く場所だが、試験に何度も落ちれば、通わなくてはならない。
 筆記は仮免、本免とも一発で受かった。しかし実技は仮免が5回目で、路上試験は3回目でようやく合格した。このあたりは当ブログの「一発試験合格への道」で詳しく書いた。
 僕は以前、免許を持っていて、更新を忘れていて免許取り消しとなった。免許を取ったのは18歳のときで、20年以上の運転キャリアを持っている。20代前半で駐車違反一回と、信号無視一回で切符を切られた。
 信号無視は右折信号が黄色のところに飛び込み、赤になった瞬間に右折し、待ち伏せしていた警官に捕まったのだ。ああ、それと事故はある。大学生のときカナダを車で旅行していて、スピードを出しすぎてカーブを曲がりきれずに横転したことがある。あれは死ぬかと思うほどの大事故だった。考えれば、20代前半は結構危なっかしい運転をしていた。しかし、それ以降は優良ドライバーを続けている。無事故無違反のゴールド免許であった。それがうっかり、更新を忘れ、教習所通いの身となった。

 昨日、逗子市内を車で走っているとパトカーが後ろを付いてきた。僕の車を付けていたわけではなく、たまたま後ろを走っていた。何となく気になり、ミラーでパトカーを確認しながら走行した。
 すると驚くことにそのパトカーは交通違反を繰り返しながら、走っていた。そして僕も交通違反を繰り返しながら走行した。しかし当然のごとく、パトカーは僕を検挙することはなかった。
 僕とパトカーが繰り返した交通違反は主に次のふたつである。ひとつは横断歩道での一時停止無視。みなさん、以前に免許を取得されている方は忘れられているかも知れないが、横断歩道の周囲に人が見えて、その人が横断の意志がありそうな場合は、自動車は一時停止しなくてならない。しかしこれって、普通は守られていない。よっぽど低速で走っていて、子供やお年寄りが横断歩道を渡ろうとしていることに気づいた場合でもなければ止まらない。昨日、走っていた道は制限速度が40キロで、僕は45キロぐらいで走っていた。45キロで走っていて、横断歩道の近くに人を発見して、その人が横断の意志があるのかないのかを判断することは難しい。かりに横断の意志ありと判断して、停止することはまた危険である。後続車に追突される恐れがある。だから普通は、止まらない。しかしこれは実は交通違反なのだ。
 もうひとつの違反について。歩行者が路側帯を歩いていて、そこを追い抜く場合は歩行者と安全な間隔を空けるか、徐行しなくてはならない。ここまでは、僕もパトカーも守っていた。しかし次が問題だ。安全な距離を保つために右に大きく膨らむ場合は、ウインカーを出さなくてはならないのだ。そしてその後、元の位置まで戻るときも左ウインカーを出さなくてはならない。これを僕もパトカーも一度もやっていなかった。しかし普通、そんなところでウインカーを出したら、後続車は右折するのかと勘違いしてしまい、かえって危険である。だから、やらない。しかし交通規則では、そうなっている。と思う。交通規則をききんと読んだことはないが、多分そうだ。少なくても試験場の試験官は、そういう指示をする。そして歩行者を抜き去るときにウインカーを出さなければ、何点だかを減点する。
 パトカーは歩行者が近くにいるにもかかわらず、横断歩道では停止することもなく、歩行者を抜き去るときにはウインカーを出さずに中央線をはみ出していた。あのパトカーのドライバーが、受験者ならば、100%、運手試験に不合格になる。

 運転試験場の試験官は警察官だ。昨日のパトカーのドライバーも警察官だ。異動で試験場の試験官になる場合もあるだろう。すると今まで平然と犯していた違反を、受験者に糾し、そして落第させなくてはならない。なんという自己矛盾を内包した職場だ。
 まともな男なら、そんな職場は放棄するだろう。良心を持つまっとうな人間なら、すみやかに職を辞すだろう。
 警察官個人に恨みがあるわけではない。また警察官個人の良心でどうにかできる問題でもない。だから、仮に試験場に異動になっても、辞めなくてもいいよ。しかし、恥じては欲しい。そして、ことあるときに改革に助力してほしい。
 我々は一般の国民は、こうした矛盾を抱える交通ルール、そして何より、異常な厳格さを求める試験方法を改善しなくてはならない。

 あんないんちきなルールは、誰も守っていない。守ったら、かえって危険なことが多い。あのルールはただ、試験を難しくするために存在する。
 なぜ試験を難しくするのかといえば、それは民間の教習所の利権を守るため。そして交通安全協会へ警察官僚を天下りさせるためだ。
 アメリカで僕は2回ほど運転免許を取得した。向こうには教習所がなかった。あったとしても、少ないだろうし、安価だと思う。日本みたいに半強制的に民間の教習所に入所させるなんてことをしたら、暴動が起こるよ。
 
 教習所に通うと、30万以上はかかる。この30万円をけちると、僕のように一発試験を受けなくてはならない。そしてこの一発試験は難しい。20年以上も無事故無違反で過ごした優良ドライバーでさえ、何度も落ちる異常さだ。
 だからみな、教習所に通う。30万円は小さな額ではないが、あの異常な厳密さを恐れ、試験官から受ける屈辱感を受けたくないがために、30万円を支払う。警察官僚は人の弱みに付け込んでいる。この30万円が教習所を潤し、ひいては警察官僚の懐に入る。

 日本の警察官は優秀である。個人としては正義感に溢れ、公共心に篤い人がほとんどであることを知っている。感謝もしている。しかし自動車免許の取得にまつわるシステムに善意は認められない。既得権にしがみ付く、腹黒さだけしか見えてこない。

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中心を合わせる


 夕べは久しぶりに逗子の道場で稽古をした。ここしばらく仕事が立て込んでいて、行けなかったのだ。今も途中の仕事があるが、無理をして出かけた。外は寒いし、仕事はあるし、出かけるまでは行きたくない気持ちもあったが、いつも稽古が終わった後に感じることだが、稽古に行ってよかった。

 昨日はちょっとした気付きがあった。それは自分の中心と相手の中心を合わせる効用である。逗子の道場は中心を合わせることを重視していて、普段も意識して稽古をしている。ところが自分では意識しているつもりだが、先生に注意されて改めて中心が外れていることを思い知った。
 中心を合わせるといっても、合気道未経験者や、意識した稽古をしたことがない人には、分りづらいことだと思うので、説明をする。

 まず相手の中心について。例えば相手が自分の手首をつかんできたとする。手首を解こうとしても相手に力があれば解けない。普通の人は、手首を解こうとするときに、つかまれている自分の手首とつかんでいる相手の手に意識を集中する。こうして手を振り回したり、引っ張ったりする。しかし相手に力があれば外すことはできない。
 ここで武道経験者なら、手首を捨てる。つまり手首への意識を捨てるのだ。つかまれていた手首を捨てると、突然に自由が訪れる。考えてみれば、つかまれているのは例えば左手であれば、右手は自由である。右手で相手の顔や喉元に突きを入れることができる。あるいは両脚が空いているので、蹴りを入れることもできる。
 これが恐らく最初のステップだ。逗子の稽古はさらに一歩先に歩を進める。手を引っ張るのでもよい。突きを入れるのでもよい。つかまれている手を使って、相手を投げてもよい。そのときに相手の中心線に集中して技をかけるのだ。例えばつかまれている手をただ引っ張っても、相手の方に力があれば、相手は動かない。しかし相手の中心線、できればより焦点を絞り、おヘソのした辺り(臍下丹田)に、こちらの力が直接に伝わるようにすると、相手は崩れる。突きの場合も同じだ。合気道だと、突きはあくまでも振りで、真剣に殴るわけではないのだが、ゆっくりと押すような突きであっても、臍下丹田に力が直接届くような突きであれば、相手は崩れる。

 ここまでは昨日の稽古ではできていたと思う。しかし自分の中心がずれていた。本来なら、相手の中心に力を加えるときは、こちらの中心から力を発さなくてはならない。しかしこれが難しい。なぜなら、相手も自分も常に動いている。中心のベクトルを常に合わせることは、とても難しいのだ。そしてちょっとでもずれてしまうと、相手はこちらの技からリリースされてしまう。とくに自分よりも上級者とやる場合は、まったく無力となってしまう。
 昨日も先生と稽古をしていて、途中までは崩すことができた。しかし途中で中心の繋がりが切れ、先生が体(タイ)を立て直してしまう。そのときは、自分では理由が分からなかった。中心は繋がり続けていると思っていた。先生に指摘され、ようやく気が付いた。その後、修正して、なんとか投げることができるようになった。

 稽古が終わってから振り返ってみた。そして、思いついた。これって普段の人間関係でも同じではないか。
 相手と話をする。一緒に何かをする。ただ場を共有する。どのような場合でも、相手の中心と自分の中心を繋げておくと人間関係はスムーズに行く。中心の繋がりが切れてしまうと、相手は思うように動いてくれない。普段の人間関係は合気道以上に複雑で難しい。しかし作用に共通点は多い。
 常に人間関係を円滑に持っていける人がいる。こういう人は無意識に相手と自分の中心点をつなげているのではないか。中心点が繋がっていると、簡単に相手を動かすことができる。相手は動かされていることに気づかない。自ら進んで動いているように感じる
 力技で無理やり動かそうとすると、相手は力む。仮に相手を力技で動かすことができたとしても、こちらは疲れるし、相手には不満が残る。
 合気道の本当の上級者は、中心線のつながりを相手に意識させない。それでいて常に相手を自在に投げ、決め、飛ばすことができる。投げられた方に不快感は残らない。自らの意志で飛んでいっているようにさえ思う。相手が自分を補助してくれているように感じる。実際は投げられているのに。
 人間関係でも達人みたいな人がいる。周りは自然と、その人の意識の上をトレースするように動く。それは不快でなく、むしろ愉快な行為となる。

 う~ん。どちらも遠い世界だな。

失態


 月曜日は大学時代の同級生4人と飲んだ。場所は横浜。時間は5時半から。
 横浜にしたのは僕の帰りが楽だから。5時半から始めたのは、早く帰りたかったから。
 同級生と飲んだきっかけは、ひとりが愛知県に住んでいて、職場の旅行で東京に来ており、夜は抜け出せそうだから飲みたいと言ってきたからだ。その同級生は東京見物に来たから宿泊は都内。たしか浅草だったと思う。だから本当は都内で飲みたかったのだと思うが、こちらは東京へ出たくない。遠いから。そこで折衷案として横浜にした。せっかく同級生と飲むのだから、少しでも参加者を増やしたいと何人かに声をかけた(僕ではなく、愛知の同級生が)。参加が決まったのは神奈川県や都内でも比較的横浜に近い大田区に住む人が、その他3人。
 飲み始めたら、やはり楽しくて時間が経つのは早い。9時ぐらいにお開きにして、すぐに家に帰るつもりでいた。翌日もかみさんの出勤があって4時半に起きなくてはならないからだ。朝飯を作らなくちゃいけない。幸い、火曜日は弁当を持っていかなくても良い日で、その支度はしなくて済んだのだが。でも絶対に4時半に起きなくちゃいけない。
 しかしあっという間に9時を過ぎ、もうちょっと、もうちょっとと飲み続け、気づいたら11時を過ぎていた。浅草に帰る愛知の同級生が終電を気にし始めた。さすがに出よう、ということで店を出たのは11時半近くだった。
 幸い、全員終電はあって、それぞれ帰途についた。僕の場合は横須賀線を下る。まだ終電には時間があって、余裕のご帰宅である。
 電車には途中から座ることができた。座るとすぐに睡魔が襲ってきた。
 そして、目が覚めた。なんだが様子がおかしい。とても静かである。あわててホームに飛び出ると、横須賀であった。時間を見ると12時半。もう上りの電車はない。冷たい夜風が、頬をなでるのみであった。
 仕方ないのでタクシーを拾った。まだ翻訳の仕事が軌道に乗っているわけでなく、収入は安定していないと言う僕の言葉に同情した同級生達は、最後の精算のときに、端数をまけてくれたりした。300円ぐらいだけど。しかし僕のおかした失態は、同級生達の同情をまったく無にしてしまうものだった。タクシー代は5000円近かかった。

 家について、歯を磨いて、パジャマに着替えて。ベッドに入ったのは1時半を回っていた。
 それでも翌日はちゃんと起きました。睡眠時間、約3時間。酔いはまったく醒めていなかった。酔っ払ったまま、朝飯を作った。さすがに自分は食べることができなかった。

 かみさんを送り出したら、一安心。ベッドに戻ったことは、言うまでもない。

神経鞘腫体験記(14) 手術前日



 今日はまた、ものすごく久しぶりの神経鞘腫体験記である。これは2007年に、当時勤めていた会社の後輩や仲間達に病院から書いたメール日記の転載だ。病気とは関係のない話が多く、ちょっとまどろっこしいが、あえてそのまま掲載する。


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【入院日誌】2007年5月15日(推定)

 いよいよ明日は手術です。本日は剃毛、爪切り、シャワー、そしてリストバンドの着用があります。
 僕は背中の手術ですが、背中をみてもらったところ毛が生えていないとのことで、剃毛はなしです。生えていないといわれましたが、少しは生えているはずですが、とにかく必要なしだそうです。剃毛の話は手術をした人からよく聞く話なので、ちょっと楽しみにしていましたので残念です。少しは生えているはずだから、剃って欲しいといってみましたが、駄目なんだそうです。ナースさんは忙しいですから。
 あ~、ただヒゲは剃らなくてはいけません。明日、自分で剃ります。ここ10年間はヒゲを生やしていますので、10年ぶりのヒゲなしです。こちらはそんなに望んでいないのですが。剃毛の方が良かったなぁ。

 リストバンドはいわば名札です。誤って違う手術をしてしまった記事を読んだことがありますが、リストバンドはそれの防止目的です。僕ら患者の立場になれば、そんな誤りは信じられませんが、医者の立場になれば毎日手術を繰り返すわけですから、誤りも起こりえます。

 今日はこれから手術の具体的説明があります。最近良く効くインフォームドコンセント(これであってる?)ってやつでしょう。体の中をいじくり回されるのですから、その様子は聞いておきたいものです。この制度があってありがたいです。なければ仮に成功しても、結局自分の体はどうゆう状態であって、それをどう修理したのか分からないわけですから。


本日の食事
【朝食】鮭の煮物、煮野菜の胡麻和え、カブの味噌汁、ごはん200グラム、牛乳200CC
【昼食】カレーライス、ふくじん漬け、サラダ、バナナ
【夕食】

本日の検査
なし
コルセットの採寸


 今日見たのはリチャード・ギアの「シャル・ウイ・ダンス」です。ストーリーは和製とだいたい同じでした。ただちょっとインパクトはなかった。薄味でした。
 ひとつは役者の力というか個性です。主役のリチャード・ギアとジェニファー・ロペスは良かったです。ただ脇が。ふたり以外はすべて物足りなさを感じました。
 もうひとつはエンディングです。和製のストーリーも覚えているわけではないのですが、なんだかもっと盛り上がって終わったような気がします。米製は消化不良みないな気持ちにさせられます。
 理由を考えてみたのですが、米製は「家族」の存在に気を使い過ぎているようです。それまでのストーリーがリチャード・ギアのダンスへの取り組みを追っているものなのに、最後でいきなり奥さんや家族のことにウエートが移ってしまう。
 アメリカという国は「家族」を過剰なほど意識的に取り扱わなくては、成り立たない国なのかな。不足しているものに対して、国は意識を向けざるを得ない宿命にあります。米国では家族がそれなのかもしれません。しつこいほど強調しなければならない不確かな“もの”なのでしょう。

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 翌日は手術である。メール日記は、悠長な感じで綴られているが、実はそうとうにビビッていた。4年前のことだが、今でもあの緊張感は思い出すことができる。
 先生は絶対ないと言っていたが、実は“死”も少しだが、考えていた。麻酔が効いて、意識がなくなって、そのまま意識のない世界に留まってしまうことも、ありえない話しではないと考えていた。それに痛みに対しての恐怖もあった。
 ただ病院の中というのは不思議な世界で、手術は日常である。毎日、ウイークデーは数人の患者が手術を受ける。まるでベルトコンベアに載せられているように、自然と自分も手術室へ運ばれる。
 僕は大部屋に入っていたが、毎日のように誰かが手術室へ運ばれる。みんな恐れている様子は見せない。だからそんな状況下で、恐怖はかなり薄められることはできた。あの淡々とした検査や、手術の説明、準備は、淡々と進められることに意味があるのだろう。機械的に進められることで、手術という患者にとっては大イベントが、日常になってしまうのだ。

 そうはいっても、手術の前日は、やはり不安で一杯だった。

かわいい


 レポートの仕事が進まない。納期は月曜。残すはあと、今日をいれて4日。土日も仕事になりそうだ。

 かみさんは小学校の先生をしている。よくかみさんから、子供達の話を聞く。ちょっと前に聞いたものだが、今でも思い出して、一人でにやけてしまう話がある。
 うちの近くの森にはリスが住んでいる。台湾リスでサイズが大きいが、遠めに見ると可愛い。かみさんと森の中を散歩して見かけると、立ち止まって見つめてしまう。げっ歯類の特徴か、小型哺乳類の特徴か分らないが、独特の動きをする。立ち止まっては辺りを見回し、ササッと動く。動きと静止に緩急を設ける。その動きがユーモラスで可愛い。
 かみさんがの教える小学校は逗子ではなく、ちょっと遠くにある。そこは普通の住宅地で森もなければリスもいない。その小学校の子供達に、ある日、「うちの周りには森があって、そこにはリスがいるんだよ」と言ったそうだ。そうしたら、一人の女の子が、「可愛い~」と大きな声で反応したという。ちなみにかみさんの教え子は、小学校4年生である。
 そこでかみさんは、「そういうときには、可愛いいだろうな、って言うんだよ。目の前にいないのに、可愛いって言うのは、おかしいよ」と教えたと言う。

 その話しを聞いて、僕はすっかり嬉しくなった。なんて可愛いいんだろう。リスよりも、その子の方が、ずっと可愛いい。

痛いには理由がある


 またもや仕事に追われている。先週の木曜日にある仕事の納品を終え、一息ついた。金曜日は終日、ボーっとしていて、土日は外出やら稽古やらで過ごした。月曜からは本格的に復帰しなくてはならなかったのだが、ノンビリと仕事をするふりなどしていた。気づいたら火曜日だ。今度の仕事の納期は来週の月曜で、今週の火曜からだとちょうど一週間だ。この間に、ふたつの仕事を終えなくてはならない。昨日から慌てて取り組んでいる。
 今回は翻訳の仕事でなく、海外のサイトを読み込んで、そこからレポートを仕上げるものだ。来週の月曜日までに20ページを仕上げなくてはならない。現在、書き終えたのはたった3ページ。
 翻訳の仕事と違って、ペースが計れない。ただかなり遅れていることだけは分る。
 なんだか学生のころと変わっていない。いつもレポートの納期には追いまくられる。今週は休みなしの予感である。

 昨日は右手の中指が痛んだ。ちょっと前から痛んでいたのだが、昨日は触れるだけで痛みを感じるほど、強い痛みを感じた。
 痛み始めた頃から、これはトゲでも刺さったかなと思っていた。痛みの種類が、それだったからだ。
 トゲは嫌いだ。ちょっと刺さると大騒ぎして取り除く。刺さったトゲが血管を移動し、最後は心臓に刺さって死んだ人がいると、昔、何かで読んだことがあるからかもしれない。信じてはいなかったが、でも怖い。
 今回はトゲかと思ったが、放っておいた。それは面倒だったからだ。なぜ面倒かというと、トゲが見えないからだ。最近は老眼が進んで、手元がよく見えない。トゲみたいな小さなものは、まったく視認できないのだ。
 本当は、以前と同様にすぐに除去したかった。でも、できないと諦めていた。そして考えないようにしていた。
 しかし昨日は放っておくのを憚られるほどに痛んだ。こりゃ、まずい。そう思い、重い腰を上げた。
 部屋の明かりを全開にして、老眼鏡をかけ、裁縫の針とピンセットを用意した。よーく見ると、なんとか見えた。やはりトゲが刺さっているっぽい。皮膚の下に黒ずんだ点が見える。針を刺して穴を開け、ピンセットで周りの肉(うんと小さいの)と皮膚を一緒につまみ出す。すると取れました。やっぱりトゲだった。

 昨日はあんなに痛かったのに、今は痛くない。傷口もほぼ塞がっている。
 人間の異物に対する知覚能力というのは実に敏感である。トゲの大きさは長さが2,3ミリ程度だった。ゴマ粒よりも遥かに小さい。そんな小さなかけらが体に入っていただけで、あの痛みを体は感知して、異常を知らせる。

 我が体ながら、あっぱれな知覚能力&対異物防御能力である。

ドラッカーからTPPを考察すると


 野田佳彦首相は、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議で環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の交渉参加方針を表明した。
 産経新聞社が実施した世論調査では、TPPの参加に不安を感じている人が56・1%に上り、「期待感」の39・3%を大きく上回った。

 反対意見の多くは、農業への影響、食料自給率の低下を心配してのことだろう。この点については、私も同様に危惧する立場である。
 しかし政治や世論とは別の流れがある。その流れを考えると、TPPへの参加は自然な道程であるように思う。今回は仮に見送ったとしても、早晩、アメリカとの関税自由化への道へ、日本は歩を進めることになるだろう。
 そう、TPPは実質上のアメリカとのFTPなのだから。将来、ここに中国も加わることになる。現在でもベトナムやフィリピンなどの環太平洋諸国も参加の意向を示してはいるが。

 今、ピーター・ドラッカーの「新しい現実(The New Realities)」を読んでいる。改めてドラッカーの慧眼に驚かされる。この本は1987年に初版された。この中でドラッカーは、ソ連邦の崩壊を予告している。予想ではない。予告だ。必ず近いうちに訪れると予告しているのだ。
 ドラッカーは政治や政策を希望や好みで判断しない。普通の政治家や学者は、自らは気づいていないのだろうが、希望や好みを政策に対する判断に織り込ませる。たとえばポール・クルーグマンは今、世界でもっとも影響力のある経済学者のひとりだが、彼はワシントンを彼が信じる経済政策に近いか遠いいかで、その良否を判断する。クルーグマンはいわゆるリベラル、大きな政府を正しいと信じているのだが、それに近ければ良し、遠ければ悪しとなる。
 ところがドラッカーは、政治や政策を俯瞰するときに、そこに自分の希望を挿入させない。ただ歴史の大きな流れに乗っているのか、外れているのかで、ときの政府を判断する。たとえばドラッカーは、近代アメリカ政治史の中で、マーク・ハナ、という日本人には耳慣れない十九世紀後半の政治家こそ、真の改革者であると断言する。それはハナが世界史の潮流を正しく読んだからだ。
 ドラッカーによると、1776年、アダム・スミスの「国富論」とともに自由主義の時代が始まった。それは1873年まで続く。この自由主義の時代の終焉を当時の政治家や学者は誰も気づくことができなかった。ひとりハナを除いて。だからドラッカーはハナを最高の政治家と評価するのだ。
 ところでその後、訪れたのは福祉国家の時代であった。国家主義の時代と呼んでも良いだろう。国家が国民の生活を向上させることができた時代だ。これは1973年まで続く。
 そして1973年以降にやってきたのは、グローバル経済の時代だ。世界の主役が国家から企業にバトンタッチされたのだ。
 ドラッカー流に言えば、この潮流の変化を正確に読める政治家や学者が、良い政治家であり良い学者である。なぜならこの流れに逆らうことは不可能で、無理に逆に向って泳ごうとすれば、ただ溺れるだけの結果しか待っていないからだ。誤った指導者に導かれた国民は、一緒に溺れることになる。
 
 ドラッカーは2005年に亡くなっているが、もし生きていたとしたら、世界の関税撤廃の動きは止められることができない潮流であると断言するだろう。これは私がドラッカーの思考を想像して言っているのではない。ドラッカーは、2005年で亡くなるまで、グローバル経済の時代の終焉を告げていないし、終焉の予告もしていないからだ。
 その流れから判断するならば、TPPへの参加は不可避の選択となる。

 ドラッカーは1960年以降(ちっと違ったかな、でもこのぐらい)の政治家は、自らの経済ポリシーを持つことができなくなったと言う。ポリシーを堅持すれば、それは時代に対応できないことになる。どういうことかというと、ケインズ以降、時代を正確に捉えた経済理論が生まれていないということだ。時代にマッチした経済理論が存在しない以上、仮にある政治家がひとつの理論に固執したのならば、それは固陋となる。
 1960年以降で政治的な成果をあげた政治家は、みな場当たり的な政策に邁進した者ばかりだ。たとえば、サッチャー、コール、ミッテラン。彼らは政治理念、あるいは政党名とはまったく異なった政策を取り続けた。その結果、政治的な勝利を勝ち得てきたのだ。
 ケネディーもまた、大統領在任期間に実行した政策はほぼ皆無であるにもかかわらず、現代でももっとも人気のある政治家である。それは場当たり的な政策を、ただ無難にこなしてきたからだ。
 
 ドラッカーの考えを敷衍すれば、今の政権に求められているのは、関税撤廃、あるりは貿易の完全な自由化という流れにうまく乗り、そこから発生する諸問題を一つずつ丁寧に解決していくことだろう。
 農業についていえば、作物ごとの細かい補助金制度の策定となるだろう。
 アメリカはその点、かなり先に進んでいる。農業に対する補助金は莫大で、それにより競合作物を生産する途上国の発展を阻害している。でもアメリカは、そんなことはおくびにも出さずに、関税撤廃だけに焦点を当てている。日本もそうした狡猾さは求められてくるかもしれない。

俺は昭和の男


 まずは週末のこと。金曜日は一日、ボーっと過ごした。木曜に大作(僕としてはだけど)を納品して、夜は酒を飲んでしまい、金曜はちょっと寝不足。気持ちも呆けてしまい、ただ漠然として過ごした。

 土曜は翻訳の師匠である藤岡啓介先生のご自宅へお邪魔した。先生のお宅は鎌倉にあり、僕の住む逗子からは近い。何度かお誘いを受け、行きたいと思っていたのだが、都合が重なり行けずにいた。今回は翻訳者仲間のKさんらが、僕のために同行してくれ、初めてご訪問が相成った次第だ。
 先生のお住まいは海のすぐ近くの丘の上に立つ、素晴らしい環境のお宅だった。庭には草花が咲き誇り、書斎からは鎌倉の青い丘が眺望できる。
 書斎は広く、四方が本棚に囲まれている。中央には大きな円卓があり、弟子たちはそこで先生のお話しに耳を傾けることができる。円卓は、7,8人は座れるのではという、大きなものだ。
 書棚の本は、海外の古本屋から仕入れた貴重な古書や、国内の文豪の全集、もちろん新しい書籍も豊富に揃っていた。先生の博学のわけを垣間見ることができた。当然、先生の知識はこの書棚には入りきれないのだが。
 書斎を拝見して、翻訳家として生活のひとつの理想を見ることができた。僕の書斎も駆け出しの翻訳家としては恵まれている方だとは思う。窓からは電信柱と電線越しにだけど、逗子の丘陵を眺望できる。六畳間ではあるが、比較的大きなデスクと、本棚がふたつ。仕事関係の本が並んでいる。
 しかし、先生の書斎とは比較にはならない。環境は人を変える。良い仕事をしようと思ったなら、出来る限り、仕事に関する設備は整えるべきだ。いつかはあんな書斎を持ちたいと思った。

 日曜は合気道の稽古。やはりというか、当然だが。会長先生に先週の演武会の司会についての、苦言をいただいた。先生は人柄も合気道同様に、柔らかい。こちらの気持ちを気遣いながら、婉曲的におっしゃられた。「来年の、反省にしましょうね」と。はい。肝に銘じます。です。
 稽古のあとは、道友に誘われて、御徒町で昼飲み。12時半から3時まで、ビールジョッキ2杯とグレープフルーツサワー1杯を飲む。昼間だと酔いが早い。酔っ払って、気炎を上げ、ここでもちょっと生意気なことを失言、先輩にたしなめられる。またもや、反省した次第である。反省の日曜日であった。
 昼飲みの後は、横須賀線でボックスシートの4席を独り占めして、爆睡。逗子駅から30分歩いて帰宅、。どうにか酔いを醒ます。もちろん、昼飲みの気配など微塵も出さずに、夕ご飯はもりもりと食べる。

 さてタイトルの件だが。朝方、読んだ友人からのメールに、ちあきなおみをYouTubeで見ろと書いてあった。良いらしい。久しぶりにちあきなおきを見たが、たしかに良い。歌唱力は僕には判断できないが、何か惹かれるものを発している。
 そこからリンクして、しばらく昭和歌謡を聴く。最後に響(今日)という素人の男性が歌うファイルにたどり着いた。この人、23歳の男性なのだが、女性の歌を歌う。それも、女性のキーのままで。そして、かなりうまい。米良美一よりも声が良いように思う。声の女性度は、中村中なみである。
 お勧めは由紀さおりの「挽歌」。まるっきり、由紀さおりである。ぜひ、聞いていただきたい。



 この前、カラオケに行ったときもそうだったが、やはり僕は昭和歌謡にシンパシーを感じる。昭和歌謡を聴くと、自分は改めて昭和の男だと認識させられる。
 昔、「あのおじいちゃんは明治生まれだから」とか言って、明治の男を、大正、昭和生まれと明らかに異なるカテゴリーとして区分けした。
 ところが平成の時代に入ると、昭和もまた、ひとつのアイデンティティーであったと気付かされる。
 僕は昭和38年生まれだから、25年ばかり昭和を生きたわけだ。平成はまだ23年で、昭和の方が、自分史は長い。それに幼年期、青春時代を昭和で過ごしたのだがら、骨の髄まで昭和は滲み込んでいる。あと30年経っても、きっと昭和の男であろう。
 「あのおじいちゃんは昭和の生まれだから」ときっと言われるに違いない。悪い気はしない。
 

『自己プロデュース力』by島田紳介=Book Review


 昨日は、相当にくたびれた。今も疲労感が残っている。
 長めの仕事が終わったのは、午後4時を過ぎていた。納品デッドラインは午後6時。
 海外の映画事情のレポートのようなものの翻訳だったが、訳したのは4カ国。4時過ぎに提出したのは、最後の国フィリピンだった。ページ数は22ページ。この3週間ばかり、ずっとこのレポートを訳していた。4カ国とも、ほぼ同じ内容で、最後は飽きてきた。1カ国目は当然、一番調べ物も多かったし、慣れるのに時間がかかった。しかし内容自体が新鮮で、これも20ページ以上あったが、すんなり終えることができた。2カ国目は一番、楽だった。慣れてきたし、まだ内容に興味が持てた。3カ国目からしんどくなってきた。そして最後の4カ国目。
 とくに15ページを過ぎた辺りで、集中できなくてってきた。早く終えたいと気は焦るのだが、気持ちが乗ってこない。簡単な箇所が、解読できない。日本語が乱れる。
 一応、訳は2時前には終えて、訳文をすべてプリントアウトして、確認作業に入った。びっくりするぐらいミスが多い。確認作業では、どうにか集中力を取り戻し、最後はそれなりにまとめることはできた。
 メールで納品した後は、もう何もしたくなくなった。実は昨夜は、知人にプロの邦楽の演奏家がいて、その人の演奏会の日だった。招待券をもらっていて、鑑賞に伺うつもりでいた。それもあって、早く納品したかったのだ。しかし、納品しおえると、体が動かない。ついに行かずじまいになってしまった。木曜は合気道の稽古もあったのが、それもサボってしまった。
 それで何をしたかというと、テレビを見ながら、酒を飲んだ。これが一番、したかったのだ。どういうわけか。
 しかし、疲れは却って蓄積されてしまったように思う。テレビはどれもつまらない。地上波はほぼ全滅だ。ザッピングしても、どれも食指が動かない。BSも駄目。ケーブルも、昨夜はいまひとつだった。最後は古いドリフの番組を見た。あんまり面白くなかったけど。
 子供の頃は、どうしてこれが、お腹がよじれるほど面白かったのかを、考えながら見た。加藤茶が若くて、けっこうイケメンで、それが新鮮だったかな。


 さて本題の『自己プロデュース力』by島田紳介だ。出版社はヨシモトブックス。
もちろん、伸介が突然引退したから読んだのだ。それまでの紳介には、あまり興味がなかった。むしろ嫌いなタレントだった。
 何が嫌いかというと、あの雛壇に若手芸人を並べて、苛める姿が嫌いだった。それにペコペコする芸人たち。芸人だけでない。文化人やアナウンサーまでも、異常に気を使ってるのが分り、それが嫌悪感を催させた。俺は強い奴の周りで、しなを作る奴らが大嫌いなのだ。(会社を辞めた理由のひとつ)
 昔はよく見ていた。「鑑定団」なんか好きな番組だった。しかし石坂浩二が伸介を「紳介」から「紳介さん」と呼び変えてから、見なくなった。楽屋裏の紳介のえばり具合が透けて見えるからだ。石坂浩二も不甲斐ない。だから一流の俳優になれなかったのだ。なんだか、書いていて、腹が立ってくる。

 しかし、本はなかなか面白かった。伸介が吉本の若手芸人を前にレクチャーした内容を書籍化したものだ。内容は、どうすれば成功するのか。自分はどういう過程を経て、どういう戦略をもって、ここまで駆け上がってきたのかの開陳である。
 なるほどと、思わされることが多い。しかしどれも、自己啓発本の範疇ではある。その面では当たり前のことが書かれている。やはり面白いと思わせるのは、成功例の本人が語る言葉だからだろう。
 紳介は物事を「X + Y」で考えろという。Xは本人の能力。Yは世の中の流れである。Xには才能と努力が含まれる。Yは紳介の場合は芸人だから、世のトレンドや客の嗜好などだ。
 こんなの当たり前の話である。あえて取り上げるまでもない。しかしこれが実践できるかどうかというと別の話だ。とくに20歳そこそこの若者で、これを念頭に人生の駒を進めている人は少ない。しかし伸介は実践した。
 だからこの本は、伸介が開陳した勝者になるための戦略でなく、戦略の実践のコツを、会話の節々から感じることに面白みがあると思う。

 伸介は本当に、嫌な奴である。上昇志向の塊だ。相方を選ぶのも、友達を選ぶなという。いい奴だから、一緒にいて楽しい奴だから、といった理由で選んではいけないという。
 竜介は伸介の厳しく、横柄な稽古に黙ってついてきたから相方として選んだそうだ。そしてトークも漫才も下手くそな竜介とは、もって10年だろうと最初から踏んで、相方としたそうだ。そして実際に8年で解散している。
 普通の組織もそうかもしれない。自分の能力を引き出しやすい部下を選ぶ。使い易い部下を選ぶ。人柄や倫理観や正義感なんてものは関係がない。今日の仕事が少しでも効率的に進めばよい。そう考える組織人は多い。今の時代、そういう人はまた、組織から歓迎される。評価を受ける。
 
 僕がこの本を手にしたのは、紳介から成功の秘訣を学ぼうと思ったからではない。なぜ彼が陥穽にはまったのかを知りたかったからだ。芸能界一の財産を築き上げ、日本で一番うまいMCと言われた彼が、なぜ躓いたのかに興味をもったからだ。
 僕がこの本から感じた、その理由は以下のとおりだ。箇条書きにする。

1. 目標を金銭においたこと
2. 人を単純化してとらえたこと。つまり自分との関連のみからしか、理解しようとしなかったこと。
3. 金も人脈も独り占めしたこと。

 以上である。伸介が金銭を目標でなく、結果として考えることができたなら。まわりの人々を人格として尊重することができたなら。財力と影響力を世に還元することができたなら。きっと、今回のような穴ぼこには嵌らなかっただろう。
 しかしそうしたら、あのような早い段階での大成功は収めなかったかもしれないが。
 

『田舎暮らしの猫』=Book Review


 昨日から書斎でストーブを付けている。窓から見える森は、ポツポツと茶色のまだらができ始めている。昨日は立冬。段々と、冬の気配が色濃くなってきた。

 今日は映画産業の仕事の納期の日だ。午後6時までに納品しなくてはならない。本当は昨日中に仕上げたいと思っていた。しかしまだ3Pばかり残っている。1Pに2時間かければ6時間。それから見直しをして。おそらく仕上がるのはデッドラインぎりぎりだろう(今は朝7時)。こんな綱渡りの仕事は始めてだ。
 なんてことを書いていながら、こうしてブログを書いている。さっきまでは、猫を膝に乗せ、ラジオでクラシックを聴いていた。悠長なものである。いや、急がば回れ、だ。急いでいるときほど、泰然自若としていなくてはならない。なんて、6時までには終わりそうなので、余裕をかましているだけですが。
 そうだ。また大きな仕事が来た(僕にとってはですが)。本当は、少し休みたいと思っていた。その間、出版翻訳を進めたいと考えていた。年内に企画を1本仕上げたい。しかし、今度も急ぎの仕事である。
 今度の仕事は翻訳ではない。調査レポートの仕事だ。海外のある4カ国の自然エネルギーの現状についてレポートを書くのだ。1カ国につき10P。合計40Pのレポートだ。素材はネット上の英語サイト。それらを渉猟して、必要な情報を拾い上げ、レポートに仕上げる。英語力と論文作成能力が求められるということで、どうも僕に仕事がまわってきたようだ。
 最後に論文を書いたのは16年前。修士論文である。
 たかが16年前のできごとだ。きっと書き方は、体で覚えているだろう。何とかなるさ。
 このレポートは納期が3週間。私のスペック的にはぎりぎりのラインだと思うが、少しでも早く仕上げて、出版企画に取り掛かりたい。が、どうなるかな。

 さて、本題の『田舎暮らしの猫』である。著者はデニス・オコナー、訳者はマクマーン・智子。出版は武田ランダムハウスジャパン。
 最初に結論を書こうか。猫好きな方。いやいや、猫好きに限るのはもったいない。動物好き、自然に敬意をいだいている方々へ。読むことをお勧めします。きっと後悔することはないでしょう。
 僕は自分でいうのもなんですが、本とのめぐり合わせが良い。ふと手にした本が、素晴らしい、なんてことは何度もあった。今回も幸運なめぐり合わせだった。

 最初に同書を知ったのは、たしか新聞か雑誌の書評であった。自分が猫を飼っているからだろう、興味をいだいた。次に同書と出会ったのは、アメリアという翻訳者サークルの会報誌でであった。アメリアの会員の訳書紹介コーナーに載っていたのだ。アメリアは訳者、といっても、まだ勉強中の人や、僕のような駆け出しに情報提供をする有料の会員組織だ。そこに載っているということは、まだ第一線の訳者では少なくともない。僕と同じような駆け出しかもしれない。
 そこでさらに興味を深め、逗子図書館へ向った。書評に載るぐらいだから、まだ新しい本である。やはり図書館には置いてなかった。しかし図書館は、蔵書以外も注文できる制度がある。初めて利用してみた。注文後、2週間ばかりで、本が届いた。そして読んでみた。

 イギリスに住む、オコナーという心理学者が20代のころ、猫を拾い、育て、ともに生活をし、たまには冒険をし、喜び、驚き、心配をし。そんな話である。
 オコナー先生は大学で教鞭を振るっていたが、今は引退をしている。そう、かなり昔の話である。オコナー先生が若い頃の一時期を一緒に過ごした猫の話を、引退して時間に余裕ができて、本にまとめたのだ。どうしても本に書きたかったぐらい、この猫は可愛く、不思議で、頭の良い猫だった。
 オコナー先生は大学の先生だが、決して有名人ではない(当時は。今はこの本のおかげで、立派な有名人のようだ)。なので出版のツテもなく、最初は自費出版で本を出した。それが、まずは地元で火がつく。やがて正式な出版ルートに載るようになる。そしてイギリス全体で読まれ始める。さらに、評判が広がり、海外でも出版が相次ぐ。ついに、今回日本でも出版に相成った次第だ。つまり、そのぐらい魅力的な本なのだ。
 この猫、名前はトビー・ジャグというが、はとにかく利口で可愛い猫だ。読んでいてたまらず、本を放り出し、フクちゃんと大チャンを捕まえて、何度頬ずりしたことだろう。本に触発されてしまうのだ。
 僕の拙い紹介では、あまり気持ちが動かされないかもしれない。しかし騙されたつもりで、今回は僕の話に乗っても良いと思う。5時間もあれば読了できるはずだ。心がポッと温かくなるだろう。
 本は昨夜、寝る直前に読み終えた。終わった後は感動して、しばらく寝付くことができなかった。心の中で、美しいシーンを何度も反芻した。またフクちゃん、大チャンを抱っこしたくなった。でも布団から出るのは寒いので、よしたが。

 ちなみに訳者のマクマーン・智子さんは、訳者紹介で、「小説、伝記の翻訳を手がける」とあるので、歴とした翻訳者のようだ。訳文は素晴らしい。大変、勉強になった。

 図書館から借りた本なので、来週には返さなくてはならない。しかし手元に置いておきたい本だ。購入しよう。そして、猫好きな両親にも貸してあげよう。

IKEAってどうよ


 IKEAでは結構、いろいろな物を買った。まず今、打っているPCが置かれているデスク。これはIKEAで買ったものだ。最初、店内で展示されているのを見て、一目ぼれをして買った。横幅は160センチ以上あり、かなり大きい。造作物はほとんどなく、上辺はまっさら。広いスペースが確保できる。薄いベージュの合板でできていて、デザインはシンプルである。展示で見たときは、こんな机で仕事がしたいと思った。
 当時はまだ産経新聞社の社員だったが、すでに会社を辞める決意をしていた。まだ希望退職制度が発表されるずっと前だったが、なるべく早く辞める心積もりはできていた。でも当時は翻訳者になるとは決めていなかった。選択肢のひとつに過ぎなかった。ただ書く仕事をしたいとは漠然と思っていた。
 この机を使って、仕事をしたい。そう思って、まだサラリーマンで、広い机など必要がなかったが、購入した。
 椅子。今、座っている椅子がそうだ。デスクに向うときに使っている。これは、まあ安いから購入した。それでもIKEYAでは一番高いものを買った。普通、椅子の値段は高い。上を見ればきりがない。
 本当はもっと高級な椅子が欲しかった。将来、仕事で使うつもりでいたので。でも、予算というものがある。机を購入したときに、一緒に買った。
 机の上にある、書類置き。それとペン立てが3つ。そしてデスクライト。
 そう、つまりこれらはまとめて買ったのだ。机を購入したときに。

 先日、デスクライトの電球の明かりがパチンという音とともに消えた。球が切れたのかな。電球を外してみた。以前から、電球の形が気になっていた。見たことがないタイプである。電球が切れたら、どうしたらよいのかと考えていた。その心配が現実のものとなったようである。しかし、IKEAで買ったのだ。球の換えなど、簡単にできるだろうと想像していた。
 すぐにネットで探してみた。僕は普段は朝から夕方まで、仕事をしている。だからデスクライトはあまり使わない。最近は夜も仕事をしているが、しばらくはベッドサイドで使っているランプを持ってきて代用すればよいだろう。しかし、それでも早く球を換えたい。すぐに注文を出すつもりだった。
 ところが期待していたIKEAのネット通販がない。あるのは、個人が代理販売するサイトのみだ。IKEAのサイトはあるにはある。しかしそれは、いわゆる普通のホームページで、会社概要や商品の説明だけだ。仕方なく電話をかけた。
 すると驚くことが判明した。IKEAは通販を行っていないそうだ。そして。僕が買ったデスクランプの球は変った形をしたハロゲンで、日本ではIKEAしか売っていないそうだ。そしてIKEAは通販をしていない。ならば、どうしたら手に入れられるのかを聞いたら、店に来て欲しいとのこと。
 僕は逗子の田舎に住んでいて、最寄のIKEAは横浜である。電車にのって行けば、往復3時間はかかる。電車代だって、1000円じゃ、すまない。電球がいくらなのかは聞かなかったが、おそらく数百円だろう。数百円の品物を買うために、3時間以上、1000円以上をかけて買いに行くバカはいない。どうにかならないか聞いてみた。電話口の女性は、しかしとても感じのよい人だった。
 「大変、申し訳ないんですが、他に方法はないんです。よくそういったお話を伺っており、上に報告しておりますが。現在では対応できていない状況です。あ、ただ一部の商品はホームセンターで買えるものもあります。お客さんの商品を調べてみます」
 調べてもらうと、残念ながら僕のは、ホームセンターでも扱っていないらしい。つまりIKEAまで行くしか解決策はないのだ。ちなみに、事前に個人で代行販売をしているサイトはいくつか探してみた。どこも電球の販売は行っていなかった。

 IKEAって、安くてオシャレっぽい。最初に、店舗に入って驚いた。まるでディズニーランドだなと感じた。入り口から出口まで、完璧な構成である。あの店に入って、何も買わずに出ることは難しい。しかし。
 
 ああそうだ。肝心のことを書くのを忘れていた。実はハロゲンライトは切れていなかったのだ。ただ電球が差し込みから、外れていただけだったのだ。なので一応は問題が解決した。しかし、いつかこの電球は切れる。僕の買ったデスクライトは3900円だったと思う。すでに5年ほど使っている。おそらく電球が切れても、換えの球は買わないだろう。新しく、デスクライト自体を購入するつもりだ。IKIA以外で。やはりアフターサービスというか、購入してから顧客の立場を考えてくれる会社の製品を、次は買いたい。

 今も机と椅子を使っている。机は少し揺れるし、椅子は背もたれが極端に柔らかい。しかし大きな不便は感じていない。これからもずっと使い続けるだろう。
 でも新たに他の商品をIKEAで購入したいかというと、今はその気にはなれない。電話のお姉さんは、いい人だったのだけども。

試練は続く


 3日は朝から午後2時まで、猛ダッシュで仕事。仕事を終えてからは、友人が出場する湘南国際マラソンの慰労会に参加。本当は沿道の応援から参加したかったが、仕事がタイトで断念。
 久しぶりに外で飲んだが、楽しかった。2次会はこれまた久しぶりにカラオケに出陣。30代1名、40代3名の構成で、僕が最年長だったが、僕に合わせてくれたのか、彼らの好みなのかは知らないが、僕の知っている曲が続き、これも楽しい。最近、カラオケはちっとも面白くない。知らない曲ばかりで。それに僕の歌いたい曲はみなが知らず、しらけさせるのも不本意である。自分もいよいよ本格的なおじさんになったのだといつも思い知らされるのだが、今回はただただ楽しかった。

 4日はかみさんが休みであった。なので食事は作らずに済み、一日仕事に専念できた。しかしパソコンが相変わらず調子悪い。真剣に新しいものの購入を考えさせられた。でもなあ。我が収入を考えると、あまりに大きな負担である。しかし先行投資はすべきだと、先輩方はみな一様に口を揃える。年内に買うか。

 5日(土)も仕事。普段の土曜日は仕事はしない。しかし現状、そのような悠長なことを言っていられる状況ではない。なので、朝から夜までずっと仕事。それでも多少、寝坊はしたし、土曜もかみさんがいたので食事は作らずに済んだので、いつもよりはずっと楽であった。そしてなんとか、1件の仕事を終えて、納品できた。大きな仕事(僕にとっては)は、残るすところあとひとつ。これは木曜までに仕上げなくてはならない。来週も、このハイピッチペースは続く。
 さらに財務レポートの仕事が、2件も来てしまった。客観的にみて、とても終えることはできないと判断した。そして初めて、仕事を断るという蛮勇を奮った。翻訳会社に怒られるのではと、恐る恐る断りのメールを送ると、形式的な「キャンセル受領」のメールが返ってきた。翻訳会社としては、日常茶飯事なできごとに過ぎないのだろう。考えてみれば、当たり前だが。

 そして6日(日)がやってきた。この数ヶ月間、ずっと頭にあったビッグイベントの日である。第25回文京区民合気道演武大会の開催日である。
 演武自体は別に問題はない。いつものとおり、普段の稽古どおりの演武をすればいいだけだ。合気道を始めた最初の頃は、格好をつけようとして悪あがきをした。普段、使ったこともないような派手な技を演目に入れて、失敗してかえって恥をかいたりしたものだ。でも最近は、無理はしない。今の実力通りの技を見せるだけである。それどころか、技を予め決めてもおかない。ただ受けのひとに、最初の5本は片手取りね、とか横面打ちね、とかお願いしておくだけだ。後は、自分の体が動くのにまかせている。やはり僕にとっては合気道は武道なのである。ささら踊りではないのだ。なるべく、実践に近い状況を想定したい(実際は、全然実践とは違うけど)。
 演武は下手くそながら、無事にこなすことができた。さて問題は、司会である。今年からメイン司会を引き受けることになったのだ。
 僕は軽口叩きの男で、普段は比較的おしゃべりな方であると思う。そこで司会などもうまいのではと、誤った想像をされ、よく結婚式の司会やスピーチを頼まれる。スピーチぐらいは、最近はどうにかできるようになったが、司会は常に散々な目に会ってきた。僕は自他共に認める上がり屋で、なおかつ滑舌がよくない。モゴモゴ籠もった声でしゃべって、さらに上がってしまってどもったり躓いたりして。アドリブもできない。ジョークもいえない。かつて僕に結婚式の司会を頼んだ友人知人は、みな後悔の念にかられ、結婚式のビデオは押入れの奥にしまいこまれる、といった運命に陥るのだ。
 さて昨日はどうだったかというと、それほど酷いものではなかったと思う。アドリブができないので、あらかじめ参加者にコメントを記入してもらい、演武中はそのコメントを読み上げた。さらにさる美人女子が、サブ司会を飛び入りで引き受けてくれた。ひとりだと、きっとはちゃめちゃな状態になったところ、美人女子がフォローを入れてくれたりして、どうにかこうにか無事に終えることができた。
 終わったあとは、色々な方から、「よかったですよ」と声をかけていただいた。お世辞であったとしても、涙が出るほど嬉しかった。自分が下手なのは分っている。しかし会にとって年に一度の大イベントである。文京区長や他団体の先生方も参加されている。司会が下手で、ぶち壊すことは避けたかった。そこそこのできで充分である。まずは胸を撫で下ろした次第である。
 しかし師範の先生からは、少々きつめの講評をいただいた。「ちょっとフランク過ぎでしたね」。はい、おっしゃるとおり。ただ僕はコメントを読んで、ちょと感想をいれただけなのだが。たしかにふざけ気味のコメントもあり、それをそのまま読んでしまった。臨機応変に飛ばすなり、表現を変えるなりしなくてはならないということでろう。
 そして「来年はもっとがんばってください」と最後は締めくくられた。「?、来年もって」。
 よき師とは、常に試練を与えてくれるものなのだなあ。ありがたく拝受しなくてはならない。

だましだまし


 昨日は、パソコンに悩まされ続けた。朝から調子が悪かった。昼過ぎにスパイウエア・チェックのソフトを起動させた。作動させながら仕事を続けたのだが、それが悪かったようだ。しばらくすると完全にフリーズしてしまった。それも仕事をしていたワードだけ。立ち上げていた他のソフトをすべて終了して、しばらく待った。しかしワードは動かない。1時間ほど前に保存をしたが、それ以降はしていない。つまり今、ここでクラッシュすると、1時間分の仕事成果が消えてなくなる。もう少ししたら、動くだろう、きっと。しょうがないのでジョギングへ行く。

 最近、合気道の稽古やジムへ行かない日はジョギングをしている。
 まだ時間は2時過ぎ。あまりこの時間に走ることはない。明るい時間に走るのは気持ちがよい。僕は走るとすぐに足を痛める。それが怖くて、あまり距離を走っていない。しかし昨日は早く帰っても、パソコンが動いていなさそうだし、昼間で気持ちが良いので、普段より少し距離を伸ばす。小一時間、走ったかな。
 戻るをすぐに2階へ上がり、パソコンをチェック。ガガーン、動いていない。こりゃ、駄目だ。
 思い切って、パソコンをシャットダウンする。しばらく放置しておこう。
 それから洗濯物を取り込んで、片付け、風呂を沸かし。そして風呂に入っちゃった。昼風呂である。でもそのときは、すでに4時過ぎだったが。
 風呂から出て、猫に餌をやり、自分の食事を作った。献立はサンマの塩焼きと、ほうれん草のお浸し、カボチャの煮物、味噌汁のラインアップであった。
 できあがったら、食べちゃった。まだ時間は6時前だったけど。
 6時過ぎ、さて、どうなったかと、2階へ上がり、パソコンを立ち上げた。うう。どうにか動くぞ。それもかなり調子がよい。それにワードも、保存前のデータが残っていた。ありがたい。すぐに保存する。
 結局、パソコンはうまく作動して、6時から9時まで3時間ほど、仕事ができた。昨日の予定分には届かなかったが、8割がた完了。

 今日は昼過ぎから湘南国際マラソンの走者の慰労会へ行く。本当は沿道での応援も頼まれたが、仕事がこんな状況なので、そちらは遠慮させてもらった。せめて慰労会、というか飲み会だけでも参加する。

 今朝はパソコンの調子がよい。夕べは一晩、スパイウエアチェックを動かしていたのが、効果あったのかもしれない。まずは、やれやれである。さて、これから昼過ぎまで、昨日の分を取り戻すぞ。

 しかし、仕事でパソコンを一台しか使わないのは、やはりリスクが高いことを思い知らされた。2台は必要かもしれない。でも今、買うのはなあ。懐が心もとない。これだけ仕事をして(といっても、仕事があったのは、ここ2か月ばかりだが)、相変わらずの財政状態である。これも考えなくてはならない。

ああ、負けた


 パソコンが遅い。信じられないぐらい遅い。今朝は7時にパソコンを起動して、今ちょうど8時。まだメールのチェックをしただけだ。本当ならブログを書き上げて、翻訳に取り掛かっていたいところだ。しかしPCの動きが遅すぎて、何をするにも時間がかかる。今、ようやくブログを書き始めたところだ。
 ちょっと前も遅くて、かなりのソフトを削除した。一番、足を引っ張っていたと思われるスカイプと、シュガー何とかという、クラウドに自動保存してくれるソフト、その他、必要のなさそうなものをまとめて削除した。
 スカイプはアンニュアル・レポートの仕事をくれる翻訳会社が、必要条件としてインストールを指示してきた。連絡が取れないときの手段だという。そこと仕事を初めて半年。しかしまだ一度もスカイプで連絡が来たことがない。なので思い切って削除。
 シュガー何とかというソフトは便利ではあった。指定したフォルダーに入っているファイルは自動的に向こうのクライアント・サーバーに保存してくれる。こちらのPCにトラブルが発生した場合、向こうに入れてあるファイルを守ってくれる。いざというときに心強い味方であった。しかしこれが常に交信するので、こちらのPCへの負荷が大きい。そこでこれも思い切って削除。代わりに今は、一日に一度、外付けハードディスクへ手動でコピーをしている。
 このふたつを削除したことで、激的にスピードがアップした。やれやれであった。
 ところが月曜日にパワーポイントに保存ができないというトラブルが発生し、その対応ソフトをインストール。結果はまったく使えないソフトだったのだが、これをインストールしてから、また動きが遅くなった。当然、すぐにアンインストールしたが、なぜだかスピードは改善されない。
 今朝は仕方なくAd-Awareというスパイウエアチェックのソフトをインストールして、PCをチェックさせている。今、起動中である。果たしてこれで、改善されるだろうか。

 さて昨日のできごと。
 昨日はほぼ一日、タイのテレビ、映画業界についてのレポートを翻訳していた。それにしても、タイというのはのんびりしている国ですね。今、バンコクの洪水が大変なことになっているが、現地の映像など見ると、慌てているのは日本企業ばかりで、現地の住民は膝まで増水しているような路地で普通に商いをしている。その路地を小舟に乗ったじいさんがスーッと過ぎたりしている。
 レポートでもタイのテレビ、映画業界がどれだけ世界から注目されているかについて書かれているのだが、成功例はランボーだとかのロケ舞台になったというような日和見な例ばかりだ。自分の国が自ら発案し、奮励して新技術だとかビジネスプランだとかを作成して、海外の制作会社を呼び込んだものは一件もない。成功例は、そう言えるのならばが、ただジャングルがあって、そこを撮影用に開放して、ハリウッドだとかが勝手に来ただけ。それを誇らしげに取り上げている。
 僕は学生時代、タイとの交流会のようなものに入っていて、2度ばかりタイへは行っている。2回ともビザが必要な期限一杯の2週間ほど滞在した。
 まっことのんびりしていて、みな人柄は明るく、楽しい2週間だった。
 良い国ではある。

 夕方まで翻訳を続け、ジム(市営体育館だけど)へ行った。2時間ばかりトレーニングをする。ここで、ちょっとしたことがあった。トレーニングを終えて、シャワーを浴び、ロッカールームで着替えようとすると、ある男がこちらを見ている。その男はたまに見かける男で、いつも僕のことをじろじろ見る。最初は、そのあからさまな視線に腹が立った。睨み返したこともある。ところが態度を変えない。
 しばらくして気が付いた。どうもちょっと知的な障害を抱えている人であるらしい。そのことに気付いた後も、それでもロッカールームでじろじろ見られることは、気持ちの良いことではなく、多少な不快に思っていた。
 昨日、シャワーから出て素っ裸な状態で、その男に出会った。こちらはその男の顔は見ないようにしていたからはっきりとは分からないが、おそらくまたこちらを見ている。無視してその男の前を通り過ぎた。
 するとその男が、「こんにちは」と言ったのだ。顔を見ると、笑顔さえ浮かべている。その男はいつも表情を変えない。ところが小さな笑みを浮かべていた。
 僕もあわてて「こんにちは」と言い返した。それから少しばかり会話をした。その体育館で働いているらしい。
 僕は大きく後悔をした。あの男は僕と話がしたかったのだ。それで僕を見ていたのだ。なぜそれに気づいて先に話しかけなかったのか。あの男の笑顔は精いっぱいの努力だったはずだ。
 ああ、負けた。と思った。日々、合気道の稽古をしたり、座禅を組んだりしてて。なんの成長もしていない。改めて、自分の至らなさに気付いたのだった。

2011年10月度アクセス集計


 10月のアクセス集計へ行く前に、まず昨日のできごと。
 昨日のブログで触れたが、昨日はちょっとした問題が発生した。パワーポイントの翻訳の仕事を朝からしていて、9時過ぎに保存し、ファイルをいったん閉じて、開いてみると保存されていない。2時間分の仕事がおじゃんになってしまったのだ。
 まず自分のパソコンの不具合を疑った。ネットで調べると、パソコン側に問題があって生じるトラブルと似ていたからだ。色々調べて、手当てをするが、まったく効果なし。仕方なく、もう一度翻訳会社にファイルを送り直してもらうことにした。依頼してから1時間ほどして、翻訳会社からメールが来た。どうも向こう側で作成したPPTファイルに問題があったらしい。
 まずはこちら側に問題がなかったことにホッとした。こちら側の問題ならば、解決の目処が立っていないからだ。
 新しく送られたファイルを試しに保存すると問題なくできる。これで仕事が進められる。やれやれ、だ。しかし考えてみたら、腹が立ってきた。なぜって、その時点で時間は12時近く。僕の場合、午前中勝負なのにかかわらず、午前中一杯を相手側のミスに振り回され、仕事にまったく手を付けられなかったからだ。
 フリーの仕事は出来高払いだから、いわば時間仕事である。7時から12時までの5時間をただ働きさせられてようなものだ。正直言って、この分を上乗せして請求させて欲しいといいたくなった。当然、そんなことは言わなかったが。
 考えてみれば、僕も会社員時代、フリーや小さな事務所の人と仕事をする際に、正規の仕事とは別に、ちょっとした仕事を頼むことがあった。当然、費用は支払わない。先方は大抵、快く引き受けてくれた。しかし彼らの心中はどうであっただろうか。こちらはサラリーマン感覚で、就業時間中の空き時間に、ちょっと手を回してくれれば良い、程度に考えていた。しかし彼らは出来高払いなのだ。その分の仕事はただ働きとなる。今、思い返せば悪いことをしたものだ。自分が逆の立場になって、初めて気が付いた。


 さて本題である。先月に引き続き、アクセス数を発表する。
 10月の「YAMATAKU-TIMES」のアクセス数は4,109だった。9月は4,540だったので若干の減少だ。さらに9月は30日だったから、一日当たりにならすと151アクセスから133に大幅減少。10月は出だしが悪かったので、予想はしていたのが、数字として表れるとちょっと残念。
 しかし実はアクセス数はあまり気にしていない。僕が重視しているのはユニークユーザー(UU)の数だ。こちらは2,221で、9月の2,156より若干増加した。一日当たりにならすと72と変わらなかった。毎日、平均で72人の人が見に来てくれている。ありがたいと思う。

 今月はリファラーも記す。リファラーとは、我がサイトにどこから来てくれているのかを示すログ解析のことである。具体的には、検索用語はなんであったかだ。
 第1位は「日高義樹」で88件。これは予想していたことだが、ちょっと複雑な気持ちである。以前、書いた日高さんの英語力(ワシントンリポート)についてのネガティブなコメント記事へのアクセスがとても多い。あれは正直に書いたもので、今でも同じ考えではあるが、自分が翻訳者という英語を専門とする職業についていながら、他者の英語を批判的に書いてよかったのだろうか。と、考えてしまう。まして自分の英語力は棚に上げて書いた記事だ。僕の英会話能力は、日高さんより若干低いと思う。なので、ちょっと複雑な気持ちなのだ。
 しかし、原則的にこのブログは、過去の記事は削除しないことにしている。心苦しいところもあるが、あえて掲載を続ける。ちなみに日高さんの名前で検索すると、僕のブログはWikipediaの次当たりにくる。すごい、ことだ。しかし、日高さんも、きっと読んでるだろうなあ。怖い。
 第2位は、「神経鞘腫 名医」である。このほかにも“神経鞘腫”関連は、10位に「神経鞘腫」、11位に「神経鞘腫名医」、12位に「九段坂病院 中井」が入っている。多くの神経鞘腫患者、あるいはその家族の方々が見に来てくるているようだ。
 神経鞘腫経験記は最近、まったく更新をしていない。いつも気になっている。早く更新をして、最後まで書き終えなくてはならない。以前、患者さんが早く先を進めて欲しいといったコメントを送ってこられた。責任を感じる。
 第3位は「山本拓也 逗子」であった。これは知人、友人が検索してくれたのだろう。ありがたいです。
 第4位は「上原さくら 貧乏」であった。これはとても不思議なことだと思っている。以前1度、上原さくらにちょっと関連する記事を書いたことがある。これがどういうわけか、グーグル等で上位に来ている。結果、多くの方が検索経由で来てくれるのだが。でもあまり期待に添えている内容ではない。きっと、がっかりして去っていくのだろうな。

 長くなってもなんなので、5位までの報告でおしまいにしたい。
 とにもかくにも、皆さんのお引き立てあっての「YAMATAKU-TIMES」である。みなさんのご閲覧、ありがたく感謝しております。

プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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