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2011年、私的10大ニュース


 本日は12月31日。大晦日である。そこで本年を振り返り、私的10大ニュースを決めてみたい。
 本年は東日本大震災を初め、大きな出来事がいくつかあった。とくに大震災は私個人へも少なからず影響を与えた。しかし私版では、そうした社会的な出来事は除いて、決めることにする。

1位 結婚
2位 節酒に成功
3位 翻訳の仕事が軌道に乗り始める
4位 自動車免許取得
5位 藤岡ゼミに参加
6位 喘息であることが発覚
7位 貯金が尽きた
8位 膵炎疑惑
9位 イタリア旅行
10位 演武会での司会
番外 鈴木晶先生の家へユズを届ける

 まず1位は「結婚」。これは当然ですね。これを1位に挙げずして、何を1位に挙げる。もし1位に挙げなければ、かみさんが何という。ということで堂々の、そして当たり前の1位は「結婚」。
 実際、生活は大きく変った。朝は4時半に必ず起き、夕食はまともな食事を毎食作る。週末は一緒に買い物にでかけ、かみさんの料理を食べる。
 酒を飲んだまま、居間で寝てしまうことはなくなった。気乗りしないことを理由に、朝から酒を飲むこともなくなった。生活は一変した。これほど大きな変化は、後は死ぬときぐらいであろう。

 2位は「節酒に成功」。これはあえて、偉業と呼びたい。ほんとうに、自分的には偉業なのだ。これは長年の悲願であったから。
 節酒、ないし断酒は何度試みただろうか。“試みる”、この言葉は適当でなないかもしれない。なぜなら節酒を図って、酒を遠ざけても、酒なしで過ごした日は、二十歳を越してから一晩としてなかったからだ。一日も酒を抜くことができずに、節酒を“試みた”とは言えないだろう。しかし心の中では、こころみ続けた。そして失敗の連続だった。
 それが結婚によって可能になった。だから1位と2位は、セットでもある。
 かみさんは、ウイークデーは飲まない。僕は飲む。かみさんは帰りが遅い。僕は家で仕事をする。なので、いつも僕が酒を飲んで、かみさんの帰りを待っていた。するとかみさんが帰るときは、僕は酔っ払っている。これが、嫌であった。赤い顔で、仕事で疲れたかみさんを迎えることに抵抗を感じていた。
 そこで酒を飲まずに待つことにした。これはできる。そして飲まずにベッドに入った。これもできた。さらに飲まずに寝る。これはできなかった。
 酒を抜いた最初の晩は、朝方まで眠ることができなかった。しかし我が家の起床は4時半である。眠くても起きなくてはならない。
 そして翌晩を迎えた。飲まずに待つ。そしてベッドに入る。さて、懸案の眠る、である。眠れるだろうか。もし眠れなかったら、2日続けて、ほぼ徹夜になってしまう。体に堪えそうだ。しかし懸案は杞憂だった。ベッドに入ったとたんに、眠気が襲ってきた。すぐに心地よい眠りが訪れた。そして翌朝まで、ぐっすり深い眠りにつくことができた。その次の朝の目覚めの快適さは、忘れることができない。幸せを感じた。
 今、僕は月曜から木曜の4日間の飲まずに過ごしている。28年間、入院したときを除き、一日も飲まない日はなかったのに。

 3位は「翻訳の仕事が軌道に乗り始める」。こう言い切るのにはちょっと抵抗を感じるが、期待を込めて、「翻訳の仕事が軌道に乗り始める」。
 春に初めてトライアルに合格をした。そこからの仕事は定期的に来ている。夏はめっきり仕事が減ったが、9月からはほぼコンスタントに仕事を受注することができている。年末には、来年の長期の仕事を受注した。
 夏は塾の講師でもしようかと考えていたが、どうにか翻訳1本で食べていけるのではと、思えるようになった。まだ「軌道に乗った」と言うのは早いように思えるので、「軌道に乗り始める」である。

 4位は「自動車免許取得」。これも大きなトピックであった。普段の年であれば、1位でもおかしくない大ニュースである。一発試験は、ほんとうに厳しい試練だった。合格の喜びは、近年にない大きな喜びだった。
 そして車のある生活。こんなに違うものとは。以前、免許と車を持っている頃は、あまり運転をする方ではなかった。だから免許がなくても、それほど不便を感じなかった。しかし、あるといいね。免許と車。ここ逗子では特に。やっぱり田舎だもん。

 さて5位は「藤岡ゼミに参加」。これも大きい。現実問題として、今現在、直接的に僕の生活に影響を与えるものではない。しかし心理的、精神的な影響はとても大きい。ベテランプロの翻訳者の生活を間近で見られ、多くのプロ翻訳者の仲間を持てたことの意味の大きさは計り知れない。
 翻訳者になって約3年経ったが、いつも手探りの状態であった。今も手探りであることには変わりがないが、イメージを掴むことはできたように思う。来年の進むべき道が、進みたい方向が、分ってきたように思う。暗中模索から光明が射してきたような感覚だ。

 6位は「喘息であることが発覚」。長年の宿痾であり、疑問であった咳の原因がようやく分った。
 7位は「貯金が尽きた」。これがために、仕事が軌道に乗り始めたともいえる。僕はお尻に火が着かなければ、駄目なタイプなのだな。
 8位は「膵炎疑惑」。これは恐ろしい体験だった。この恐ろしい体験が、僕を酒から遠ざけてくれた。結婚と並んで、節酒への貢献大である。
 9位は「イタリア旅行」。久しぶりの海外旅行だった。10年ぶりぐらいかな。旅行はいいね。これから毎年、海外旅行へ行きたいと思うようになった。
 10位は、「演武会での司会」。これ、意味が分からないでしょう。何で“司会”したこと程度でランキングされるの?、って。ところが僕にとっては大きな出来事だったのだ。僕はあがり症で、この程度の出来事が大きな出来事であるのだ。終始、あがらずに司会を務め上げた意味は、大きい。そして文京区合気道連盟に、何とか少しでも恩返しをしたいと考えていた思いが、少しだけでも実現できた。これも良かった。

 さて、番外の「鈴木晶先生の家へユズを届ける」。僕は自他共に認める、鈴木晶先生のブログファンである。
 半年ほど前だろうか、単なるブログの読者に過ぎなかったのだが、思い切ってメールを書いた。すると返事が来た。2,3度、メールのやり取りをした。そのときに、ユズの話題が出て、ユズのシーズンになったら我が家の庭になるユズをお持ちすると、メールに書いた。
 さてユズのシーズンが来た。今年は生憎の不作である。台風の影響で傷も多い。差し上げようかどうか、迷っていた。そしてシーズンはどんどんと過ぎていった。人にあげたり、自分が使ったりして、ほとんどユズはなくなった。そして、いつか自分か書いた言葉を忘れていた。
 しかし今日、最後のユズをもいでいて、思い出した。年内に遣り残したことは沢山ある。しかし人と約束をして、できなかったことは多分、このことを除いてない。それに気づくと、自転車を飛ばした。鈴木先生のご自宅は、我が家から自転車で20分程度のところにあるのだ。
 先生は幸いにも、ご在宅であった。こころよくユズを受け取ってくれた。きっと心中、気持ちが悪かったと思う。だって単なるブログのファンが、公表していないご自宅に自転車に乗ってユズを届けにきたのだから。
 僕が先生のご自宅の場所を知ったのは、ブログを読んでいて、だいたいの場所を把握しており、たまたま近くの寺に参拝した際に見つけたからだ。ご自宅を知ったのは、1年近く前のことだ。先生とメールをやり取りしたときは、先生のお住まいが分っていた。そこで大胆にもユズをお持ちするなんて、書いたのだ。
 そのあたりの経緯は話さなかったので、やはり気味悪くお思いだろう。かえってご迷惑をおかけしてしまったかもしれない。
 ところで実際に拝見した先生は、非常にカッコよかった。突然、伺ったのにもかかわらず、高級そうなジャケットを着て玄関口に現れた。まるでこれからテレビに出演するようなスタイルであった。休日の家の中で、あの装いとは、さすがである。
 いつもブログでは、ご自身を“年寄り”扱いされているが、とてもお若くてびっくりした。たしか60歳ぐらいだと思うが、うんと若く見えた。

 最後の最後に、憧れの鈴木先生にも会えて、今年は総じて良い年であったと思う。十大ニュースを読み返しても、良いニュースはばかりだ。喘息が判明したことと、貯金の底が見えたことが、唯一、あまり良いとは言えないニュースではあるが、咳は25年前から続いているのであり、その原因が分ったのだから、やはり良いニュースだろう。貯金が尽きたもの、仕事が動き始めた要因ともいえる。こちらも良いきっかけとなった。
 会社を辞めて、約3年が過ぎた。最初は、繰り返すようだが、暗中模索であった。先はまったく見えなかった。不安の靄を透かして見えてくるのは、失敗や後悔という文字であった。しかし3年近く経ち、靄がようやく晴れ始めた。そこで、見えてきた文字は失敗や後悔ではなかった。それは希望という文字であった。こうはっきり書くと、恥ずかしいのだが、これは事実だ。
 今も、僕は不安を感じている。しかし、それはサラリーマン時代であっても、同じように感じていた人生のリスクだ。それはどこにでも遍在する可能性に過ぎない。より大切なのは、こころの持ちようだろう。

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まとめて更新


 ひさしぶりの更新だ。いろいろあって、ゆっくりとパソコンに向う時間がなかった。

 23日(金)は毎年恒例の第九を聴きに行った。かみさんと付き合い始めてから、欠かさず暮れには出かけている。いや、違った。去年は第九でなく、クルミ割り人形を見に行った。クルミ割り人形も第九も、年末恒例ということでは、同じようなものなので、う~ん、随分違うかな、でもとにかく毎年出かけている。これで6回目ぐらいだ。
 毎年、違うオーケストラのものを聴いている。たしか最初は有楽町の国際フォーラムで東京フィルを聴きにいった。かみさんも同意見のようだが、この東京フィルが一番よかった。僕は始めての第九だったが、心底感動した。席が前から5番目ぐらいで、コーラスの女性の奥歯まで見えるような場所で、脳随に直接声が響いてくるように感じた。オーケストラは指揮者を向いて演奏をする。しかし合唱は観客を向いて声を発する。それゆえか、直接に声がぶつかってくるのだ。その迫力はすごかった。
 次の年はたしか、NHKホールでN響だった。かみさんはピアノを弾いたりして、音楽の素養があるので、演奏はN響が一番だというが、僕にはそうでもなかった。これは理由が分かっている。席が悪かったのだ。二階だか、三階の後ろの方の席で、なおかつNHKホールは古いので、席が狭い。隣とは肘がぶつかるし、前の席のおじさんのはげ頭は、すぐ目の前だし。それと平日の夜であったことも災いした。コンサートが終わるのは夜の9時過ぎ。それから電車に乗って、逗子に帰ることを考えると、面倒くさい。気持ちが乗ってこない。
 翌年は横須賀で横須賀交響楽団。このオーケストラは素人である。こればかりは僕も理解できた。一番、下手であった。合唱も地元の有志の方々。席も後ろの方。概して、まあまあのできであった。
 そして去年はクルミ割り人形。これは奮発して、レニングラードバレー団の演舞であった。とても良かった、とかみさんは言っていた。席も前の方であった。しかし、僕は。
 僕の前の席には、巨大な白人男性が座っていたのだ。そのためステージの中央部が、ほぼ完全に遮蔽されてしまった。
 舞台の右で踊っていて、中央に来ると、巨大な頭で遮られ、左に出て、ようやく再会。これの繰り返しで、とても疲れた。まあ、たまたまかみさんの席からはよく見えたようだから、良かったが。
 そして前置きが長くなったが、今年の第九である。ああ、ここまで書いて、どうしても思い出せない。かみさんととは付き合い始めて、6年である。これは確かだ。かみさんと付き合い始めたのは、かみさんがが28歳のときで、今は33歳なので。しかし第九が4回目で、一回がクルミ割り人形。合計で5回。あともう一度、何かを見ているはずだが、思い出せない。う~、なんだろう。さてそれで、今回の第九である。
 劇場は横浜の神奈川県民ホール。演奏は神奈川フィルオーケストラ。結果は、大満足であった。演奏はかみさんいわく、N響が上だそうだが、僕には十分に聞き応えを感じさせられた。合唱はちょっと老人が多かったが、でも頑張っていた。箱はまあまあだった。席は3階席だったが。
 しかし、何だろう。エネルギーのようなものを感じた。第九はテクニックより、エネルギーだと思う。鑑賞歴、6年の僕は思うのだ。
 オーケストラと合唱の折り重なるような、波状攻撃的なパワーが感じられれば、それで第九はマルなのだ。僕的には。神奈川フィルからは、それが充分に感じられた。

 そのパワーには、どうも理由があったようだ。演奏を聴き終わって、ホールの玄関口に出て、その理由が分かった。そこには、次のような表示があった。「神奈川フィルは消滅の危機にあります」。
 神奈川フィルはプロのオーケストラである。しかし無名だ。僕も、今回まで知らなかった。この無名オーケストラが財政難に陥り、消滅直前なのだそうだ。だからだ。彼らは必死だったのである。
 僕は彼らの演奏を今回の第九しか聞いたことがない。しかしそれでも敢えて言いたい。とても良い楽団である。どうしても生き残って欲しい。来年中には、最低1度は聞きに行こうと思う。年末の第九は神奈川フィルを定番にしたい。
 がんばれ、神奈川フィル。
 ああ、そうだ。ひとつ忘れていた。このオケ、指揮者がすごく良かった。日本人の指揮者としては(もしかして日本人じゃ、ないかもしれないけど)、トップクラスのタクティングに見えた。トップクラスというのは、小沢、岩城に次ぐクラスということだ。ちょっと大袈裟かもしれないが、本当だ。なぜなら、僕はこの二人以外は、指揮者の名前を知らないからだ。とにかく、つまり、良かったということだ。指揮者の名は、金聖響という。今、調べたら在日韓国人3世だそうだ。パワフルかつ、なかなかのイケメンである。
 
 24日(土)は横須賀の農協まで野菜を買出しにいく。ここ、ほんと、安くて新鮮でよいです。かごをふたつ、カートに載せて、それが一杯になるまで、野菜を詰め込む。
 25日(日)は合気道の稽古。高校時代の同級生が、娘を連れて参加する。稽古のあとは、この友人親子と一緒に、東大の学食でランチ。その後、本郷三丁目のスタバに河岸を変えて、おしゃべり。小3の娘は、おじさんふたりの会話に楽しめるはずもなく、テーブルに顔を突っ伏して寝ていた。かわいい。
 26日(月)、27日(火)午前中、28日(水)は大掃除&年賀書き。換気扇、台所、風呂場、窓、網戸、靴箱が僕の担当である。自分で勝手に決めたのだが。28日までに、2階の窓と網戸、靴箱を除いて終了した。ぴかぴかでとても気持ちがよい。
 27日の午後は藤岡先生のお宅へ、遊びに行く。知的刺激を沢山いただき、来年こそは出版に漕ぎつけるぞと、意を新たにする。
 29日(今日)は、午前中は年賀状書き。そして午後は、知人宅で忘年会である。
 
 なんだか、毎日、忙しいのである。仕事も勉強も全然、していないが、かといってサボってもいない。掃除をしたり、年賀状を書いたり、遊んだり。

 今日は12月29日。今年も余すところ2日となった。この1年間を振り返ると、この1週間のように、仕事はさほどしなかったが、それなりに働き、それなりに学び、大いに遊び、食べ、飲み、旅行をし。忙しくも楽しい1年であった。
 来年はさらなる発展の年にしよう。

主語について


 昨日のブログを読み返した。かなり自分の世界に入り込んでいて、恥ずかしい文章である。削除したい。でも削除しない。調子に乗りすぎて、他者への誹謗中傷に陥ってしまった場合以外は、なるべく過去のブログはいじらないことに決めているので。
 昨日のブログは、「盤上のアルファ」を読んだ勢いで書いた。主人公の言葉遣いが、あんな感じだったのだ。ちょっとアウトローな男であった。
 ブルースリーの映画を見た後、しばらくは眼光が鋭くなって、ステップが軽やかになるのと同じ理屈だ(例えが古いねえ)。

 ところで主語についてだ。僕のブログは主語が定まっていない。ブログをはじめて一番最初は、「僕」で統一をしていた。しかし、途中から「私」に変更をした。そのときは、途中変更があったとはいえ、意識的に同じ主語で通していた。でもここ数ヶ月は、ブログごとに変えている。それは、それの方が、文として自然だと考えるようになったからだ。
 女の人は、大抵主語は「私」でしょう。文章で書く場合は、「私」であったり、「わたし」であったりするかもしれないが、原則は同じものだ。でも男は違う。
 僕は普段は「俺」を使っている。現在の生活の90%は「俺」で通している。かみさんと話すときも、両親や妹、親戚なんかと話すときはみな、「俺」である。友人とも、「俺」だ。
 仕事をしていたときは、公式には「僕」を使っていた。しかし社内の酒席などでは、「俺」に変った。同じ仕事でも、相手が他社の人の場合は「私」であった。このように、男は相手や場所によって、主語を変える。
 文章を書くときも同じではないかと思うようになったのだ。昨日のような文章を書くときには、「私」や「僕」では、文章に勢いを与えられない。主語を使うたびに、文章のうねりが途絶えてしまう。

 ではどうやって、その日の主語を決めているかというと、それは文章を書き始めてから、自然と頭に浮かぶものを採用するという方法で決めているのだ。つまり僕が決めているのではなくて、文章の流れが、僕を導くのだ。今日は僕である。これも、別段決めていたわけではない。書きながら、自然に指がキーボードをなぞった結果である。
 こうして決めた主語は、自分でも自然に感じる。
 なので、僕のブログは主語が、まちまでである。複数の記事を続けて読まれていて、それが気になる場合もあるかなぁとも想像する。しかしそういう理由なので、ご勘弁を願いたい。

 状況や相手で主語を変えられる、日本語は豊かな言語だなぁと、改めて思う。僕は今は実務翻訳をしている。実務翻訳で出てくる主語といえば、「我社」とか「私達」とか、「当該会社」とか、「この製品」であったりして、一人称の主語を考える必要がない。しかし文芸翻訳だと、こうはいかないだろう。大抵は、「私」あるいは「わたし」にするのだろうが、ときには「俺」や「僕」を選ぶケースもあるだろう。その選択によって、主人公のイメージは大きく違ってくる。とても微妙な問題である。早く、この微妙な問題に悩む立場になりたい。俺は。

空は青く高いぜ


 「盤上のアルファ」という小説を読んだ。最近、小説現代長編新人賞を取った作品である。新人で荒削りだが、非常に力のある作品だ。ほぼ同時期に読んだ花村満月の「裂」より数段、面白かった。ちなみに満月氏は、小説現代長編新人賞の選考委員である。
 この小説の中で、33歳無職の主人公が次のように語る場面がある。「たまに夜寝られへんときがある。急に不安になるんや。そういうときに限って普段は貧弱な発想が活発になりよる。五十歳ぐらいの自分の姿がリアルに浮かぶんや。一人でな、部屋の中でポツンと立ってる。西日の強い寂れた部屋や。もうやり直しきかんやろ。このまま死ぬんやろなって思うと、気ぃ狂いそうになる」

 俺は主人公に言ってやりたい。五十歳ぐらいになって、仕事がそんなになくても、それほど悪いもんじゃないよ、と。
 俺も会社を辞める直前は、この主人公のように想像した。蓄えはやがて底を着き、ローンが残る家は手放し、四畳半一間のアパートで侘しく暮らす。家族はいない(当時は独身だった)。尋ねてくる友もいない。いるのは台所を這いずり回るゴキブリぐらいだ。
 しかし同時に、いや違う、という思いも生じた。それは心がけ次第だ。そう思えば、そうなるのだ。人は自分が顔を向けた方向に、必ず進む。
 俺はそっちに歩を進めるつもりはない。自分の行きたい方向に視線を向けて歩くのだ。経済的な挫折を味わうかもしれない。世間の風の冷たさに身震いすることもあるだろう。しかし南に向って歩きさえすれば、そんな侘しい気持ちは湧いてくることはないはずだ。
 実際、俺は侘しさを感じることはない。たまに落ち込むこともあるけども、総じて明るい。わが経済は宜しくない。生活は厳しい。将来は不確定だ。主人公の想像と、そう差異がある生活をしているわけではない。でも、気持ちが違う。俺の中にはたそがれは、存在しない。

 やる気さえあれば、何とかなるよ。俺はたまたま翻訳と出会い、それによりかろうじて糊口を凌ぐことができている。今のところ、ローンも滞納なく払い続けている。
 たしかに不安定である。先月は仕事がドサっと来たが、今月はスカスカである。来月はまったくの未知の世界だ。
 しかし空は青い。そして高い。この感覚が分るだろうか。
 サラリーマンとのきと、空の青さが、空の高さが、違うのだ。今日は晴れている。ここ逗子は南関東に位置し、冬の天気はすこぶる良い。俺の南向きの書斎は日差しが強すぎて、今はカーテンを締めているが、開ければそこには空がある。その空は青く高いのだ。
 この自由感はサラリーマンでは味わえないものだ。いや、命がけで仕事に取り組んでいるサラリーマンは違うだろう。仕事を心から楽しんでいるサラリーマンは、きっと空が高く青いだろう。しかし俺は違った。俺のサラリーマン生活は、灰色な雲が低く垂れ込んでいた。だから誰にでも当てはまる定義ではない。しかし俺の場合は、今の方が空は青く高い。

 会社を辞める数年前に、かつての上司でその後も仲の良い先輩と飯を食っていたときに言われた。「山本、絶対会社を辞めちゃいかんぞ。辞めたらしまいだ。どんなに辛くても辞めるな」と諭されたことがある。別に会社を辞めたいと相談していた記憶はないのだが、きっと俺の言動からそう推測して言ってくれたのだろう。
 しかし俺は思った。「分ってないな、このおっさん。世界は広いんだ。あんたが知っているのは、この産経新聞社という小さな社会だけだろう。しかし実はその外に、違う世界が広がっている。きっと。俺もよくは分らないけど、多分そうだ。このまま低く垂れ込めた雲の下で、一生終えたくはない。忠告はありがたいが、俺は俺の道を進みたい」
 元上司は好意で言ってくれた。だからそんな失礼なことは、当然口には出さなかった。そして、感謝を今もしている。現在でも連絡をたまにとる、敬意を抱く先輩である。

 今朝、リビングでこの小説を読んでいるときに、フクちゃんと大チャンが膝の上に来た。最近は寒いので、ここが彼らの定位置である。
 猫の頭を撫ぜながら、思う。やっぱり俺の選択は間違っていない。

膝の上の福ちゃん、大チャン
あくびするフクちゃん

膝の上の大福





「出版翻訳プロの条件」の最終回


 藤岡啓介先生のセミナー「出版翻訳プロの条件」の最終回が先週の土曜日に開かれ、参加してきた。全部で6回の講義であった。多くのことを学ぶことができたセミナーだった。楽しかった。
 ところで最終回であるにもかからわらず、課題を提出することができなかった。それについては、とても無念だ。
 単なる自分のだらしなさが主因だが、他の小さな要因もある。課題の提出締切日は12月3日だった。3日は土曜日だったので、金曜にでも取り掛かろうと考えていた。だから金曜日には予定を入れずにいた。ところが1日に納品した仕事があったのだが、その修正を求められてしまったのだ。しかも大量に。納期に間に合わせるためには、金曜日を終日使っても間に合わない。土日はまた、友人が子供を連れて泊まりに来る予定だ。いまさらキャンセルはできない。結果、セミナーの課題を犠牲にした。
 といってもこれはほとんど理由にならない。なぜなら、いつも課題はギリギリあるいは、締め切りを過ぎてから提出してきたからだ。つまりだらしがないのだ。
 翻訳の仕事は納期を厳守しなくてはならない。絶対条件である。それがこの様だ。他の生徒は僕以上に忙しいのにもかかわらず、みなきちんと課題を提出し続けた。自分のいい加減さを再認識させられる。
 学校時代から、宿題はしない方だったが、まったく進歩の跡が見られない。

 ところで、自分でケチをつけてしまった最終回だったが、先生の講義、それとセミナーの後の打ち上げというか、クリスマスパーティーという名目であったが、その集いはとても良かった。
 先生のお弟子さんなのか、知人なのかは確認できなかったが、原田さんというプロの翻訳家がクリスマスパーティに参加された。その方が、なんとこのブログの読者だという。う、うれしい~。随分と誉めていただいた。先生もそのときに近くの席におられたが、読みたいとおっしゃられた。こちらは少し怖い。
 他の生徒さんもブログを読んでくれているという方がおられた。ブログは僕の備忘録であると、公称している。しかし、本当の日記ではない。誰でも読める環境にあえて、記事を書き続けている。やはり読んでくれている人がいると分かると、胸が躍る。とても励みになる。

 この6回のセミナーに参加して得たことは数多い。もちろん翻訳のテクニックを数多く学んだ。しかしそれは、普通の翻訳学校でもある程度、学ぶことができる。
 実は当初は、そのどこでも学べる翻訳テクニックを少しでも多く獲得することが、僕の主題であった。しかし先生は講義中には、あまりそのことに触れない。そこが最初は不満であった(テクニックについては、十分な解説をペーパーにして渡していただいた。プロが中心のセミナーである。テクニックは自分で復習すらばよい)。やはり同じように感じている生徒はいたようだ。途中で来なくなった生徒の数は、2,3ではなかった。途中、僕自身も挫けそうになったことはある。しかし、回を重ねて参加するうちに、先生の狙いを少しずつ理解し始めた。先生は僕らに、プロ翻訳者としてのテクニック以外に必要なものを伝授されようとしていたのだ。
 それは何かというと、翻訳者の生活である。実はこれが肝なのだ。
 翻訳者は、どのような家に住み、どのような生活パターを繰り返し、どのような辞書を使い、どのように編集者と付き合い、どのように生活の糧を得ているのか。それを先生は、時間一杯語り続けた。
 先生の話しはいつも、とりとめがない。一見、世間話のようにも聞こえる。しかし実はひとつの目的に向って、重畳的、波動的に、しかも螺旋を描くようにして、進められる。一見無秩序だが、どの話も、意味が込められ、目的地に向う。
 このことに気づくようになってからは、講義が実に楽しいものとなった。こんな内容の濃い講義は、他の翻訳学校では考えられない。さすが出版クラブ主催のセミナーだ。

 今回のセミナーはプロ、ないしプロを真剣に目指す人が対象であったから、すでに本を出している人が何人か参加していた。またこのセミナーの期間に出版を決めた生徒もいた。
 僕も実はセミナー参加期間に出版に漕ぎ付けたいという野望を持っていた。しかし途中で野望は、より冷静な計画に変わった。計画は、熟考を経て、企てられる。熟考の結果、今は時期ではないと思うようになった。
 先生は繰り返し僕に言われた。「山本さんは翻訳には向かない。それは文章が出来上がっているから。よほど山本さんに向いた作家の作品でなくては、山本さんの力は出せないよ。それより、自分の作品を書くべきだ」
 このことについて考えている。僕は作家に向いているのだろうか。本当だろうか。最初は、ちょっと得意になって聞いた先生のアドバイスだが、とても恐ろしい暗示のように感じる。
 しばらくこの助言を、心の奥で寝かせておくつもりだ。どう醸成されていくだろうか。

昔から由紀さおり


 由紀さおりが世界的にヒットしているそうだ。アルバム「1969」はアメリカではiTunesジャズチャートで1位、カナダではiTunesワールドミュージックチャートで1位を記録し、シンガポールなどアジア各国でも人気が急上昇している。
 このことを知ったのは2,3日前だが、僕は以前から由紀さおりが好きだ。自慢げに聞こえるだろけけど、由紀さおりをここ5年ぐらい、とてもよく聞いている(やっぱりちょっと自慢)。
 由紀さおりを知ったのは、僕が子供のころで、その頃は別に好きでも嫌いでもなかった。あの頃、好きだったのは南沙織とか浅丘めぐみで、ミニスカートからまっすぐ足が伸びたロングヘアの女の子に視線がいった。由紀さおりも20代だったと思うが、南沙織や浅丘めぐみのような少女ではなかった。僕には異性の対象というよりも、お母さんに見えた。
 ところがユーチューブで改めて、由紀さおりを見る機会があった。5、6年前のことだと思う。それはちょっと衝撃的だった。白くてふくよかで艶っぽくて、とにかく色っぽい。子供の頃にはお母さんに見えた女性が、中年になった僕には大そう魅力的に見えた。
 それに惹かれたのは容貌だけではない。歌がうまい。曲が良い。初めてユーチューブで彼女を見た日は、2、3時間も彼女の映像をトレースし続けてしまった。
 その後も、翻訳に飽きてサボりたくなると、由紀さおりをユーチューブで見る。曲を聴くと、あの頃のことなんかを思い出され、翻訳で緊張した頭が、氷解するように弛緩していく。

 今、流行っているのは現在の由紀さおりだ。これはこれで、とてもよい。彼女は今、63歳ということだが、63歳でこんなに色っぽくてよいのだろうと思わされるほど、色気は健在である。声量、歌のうまさともに若い頃と引けを取らない。しかし僕は20代のころの由紀さおりに一票入れたい。やはり若い頃の方が、美しい。しかしそれが理由じゃない。昔の歌い方のほうが、素直なのだ。今は妙にためを作る。あのためが、ちょっと苦手である。対して昔はストレートで聞きやすい。
 「1969」は最近の録音だろうから、今の歌い方だろう。よかったら昔ものもの聴いてほしい。

 「1969」に入っているのかどうか知らないが、僕のお勧めは「挽歌」だ。ヒットしているのは「夜明けのスキャット」らしいが、僕はこちらの方が肌に合う。「挽歌」はとても歌謡曲らしいメロディーと詩で構成される歌謡曲だ。「夜明けのスキャット」は、出だしが「サウンドオブサイレンス」に似ていて、それが海外の人には聞きやすいのだろう。
「挽歌」は日本的な歌謡曲の王道を行く作品で、色っぽい由紀さおりの歌声に、とてもしっくりと合うのだ。 

今年の決算


 いよいよ年末の気配が色濃くなってきた。今日は12月14日。今年も余すところ2週間と少し。
 まだ確定申告には間があるが、個人事業主の決算年度末は12月31日なので、今年の業績の結果はほぼ出揃った。とても少なくて、人様にはお伝えできない額ではあるが、年初に計画をしていた額よりはわずかながら上回ることができた。胸を撫で下ろしている。
 仕事面で振り返ると、年初には大きな仕事がひとつあった。会社員時代の知人が発注してくれた仕事だった。春にもひとつ中規模の仕事があった。これも会社員時代のつてによる仕事だ。4月に初めてトライアルに合格し、そこからも僅かながら、もの凄い低料金の仕事をもらえることができた。しかし、夏はまったく仕事が来なかった。売上がゼロの月もあった。ゼロでなくてもそれに近い月は何ヶ月間か続いた。
 貯金も底が見えてきて、もう限界だと覚悟を決めた。予備校か塾の教師でも副業で始めようかと、仕事を探し始めたそのときに、また仕事が来るようになった。HSBC時代の友人が紹介してくれた、翻訳者のIさんが教えてくれた“翻訳者ディレクトリ”というサイトに登録してあったのだが、そこから仕事が舞い込み始めたのだ。おかげで秋は仕事に追われて過ごした。
 その結果、2011年度の所得は、計画を僅かながら上回ることができた。といってもまだ貯金で賄いながらのレベルである。ただし冒頭に書いたとおり、底が見えてきたので、この生活は続けることはできない。来年度の目標は今年度の倍近くでなくてはならない。しかしどうにかなるのではと楽観している。この数ヶ月のペースで来年度も進むことができれば、十分に達成できる目標額だからだ。公表したいが、税務署が見ているかもしれないし(脱税するほどの額でもないので、見られても構わないけど)、かみさんに恥をかかせちゃいけないから、書かないが、それでも大した額ではありません。
 こうして改めて書くと、いかに人に助けられてきたかが分る。今年いただいた仕事のほとんどは、知人から、あるいは知人を介して受けたものである。みんなの協力と好意がなければ、僕は悠長に、こうして温かい部屋でブログなぞ書いていることはできなかったであろう。感謝至極だ。

 なんでまだ年末にも間があり、確定申告には程遠い今日、この内容を書いたかというと、会計ソフトの「弥生」を購入したからだ。そろそろ確定申告の準備を始めようかと思っている。去年は「青色申告の会」とかに指導を受けて、なんとか自分で申告ができた。でももうみんな忘れている。改めて弥生を学びなおし、今回は独力で申告を成功させたいと思っている。
 俺、大学と大学院で経営学を学んできたのに、あれって何だったんだろう。と弥生を目の前にして思う。ほとんどまったく、チンプンカンプンである。竹中平蔵も何かで書いていたが、簿記は経済の基本である。これが分らずして、経済を語るべからず。
 翻訳者の履歴書には、得意分野がビジネス、金融なぞと書いているが、良いのであろうか。確定申告を前にすると、去年も思ったことだが、改めて簿記を学びなおさなくてはと、思わせられる。
 

腹痛、そして暖かな週末


 金曜日の夜は鮪の漬け丼を作って食べた。そのせいとしか、思えない。夜中に何度も胃がムカつき、目が覚めた。朝方は下っ腹が痛くなった。金曜は週末ということで、12時近くまで起きていた。土曜は寝坊をするつもりでいた。でも腹が痛くて、6時ぐらいから眠れなくなった。9時近くまで頑張ったが、仕方なくベッドを抜け出した。トイレへ向うと、ものすごい下痢状態だった。
 その後、まったく食欲が湧かない。朝食と昼食は抜くことにした。ソファで横になるが気分が優れない。胃は未だムカつくし、下痢も続いた。しかしその日は予定があって、寝ているわけにはいかなかった。
 土曜は高校時代からの友人が子供を二人連れて逗子まで遊びに来てくれる予定だ。支度をしなくてはならない。痛む腹を押さえながら、布団を干す。厚手のオーバーを着込んで、家の前や玄関を掃く。かみさんは家の中の掃除をして、料理を作る。僕も1品だけ、作る。最近、よく作る鍋に野菜を多種、放り込んで、ストーブの上で長時間、煮込むものだ。

 友人は6時過ぎに逗子駅に到着した。車で迎えに行く。
 友人はMというのだが、Mは高校時代、学校一の大食いだった。大食いの逸話は数多い。たとえば大どんぶりのラーメンを3杯完食すると1万円もらえるラーメン屋へ、ほか数名の大食い自慢と出かけた話。他のメンバーは昼飯を抜いてでかけたが、ラーメンは1杯で挫折。大食いの高校生でも一杯で腹いっぱいになるほど、大きなどんぶりなのだ。しかしMはいつもどおり、昼食で馬鹿でかい弁当を食べてから、出かけ、ラーメンの2杯目まで突入した。2杯目を食べ終えたときに、店主が提案をしてきた。「本当なら2杯だけだと2杯分の料金をもらうのだが、あんたはタダでいい。だから2杯で止めておかないか」。Mは迷ったらしいが、さすが弁当を食べた直後なので、自信がなく2杯で終了したそうだ。
 僕はその場に居合わせなかったのだが、他の大食いメンバーもMの実力がずば抜けていることを再認識させられたと、翌日語っていた。
 そのMの子供も大食いらしい。上は中学1年生の男の子。下は小学三年生の女の子。いくら大食いといえでも、小学生と中学生の兄妹じゃ、そんなには食べないだろう、と考えていたが、やはりMの子供達であった。二人ともおかずを沢山食べた後に、大盛りカレーライスを2杯、ペロッと食べてしまった。ちなみに、土曜の夕食と日曜の朝飯、昼食で炊飯器で3回ほどご飯を炊いた。普段かみさんとふたりだと、一回焚くと、2,3日は持つのに。1日で3回も焚いたのだ。そのかなりを中学生と小学生の兄妹が食べてしまった。末恐ろしい。
 お腹が一杯になった子供達は10時ごろには就寝。その後はMとかみさんと飲みながらしゃべる。僕はというと、日中腹が痛くて、ろくに動けないような常態であった。飲み始めも、調子がよくなかった。箸もほとんどつけずに、わずかのつまみとビール、日本酒などをちびりちびりとやっていた。しかし子供達が布団に入った頃からか、調子が戻り、いつものペースで飲めるようになった。
 結果、かみさんは1時ぐらいまで付き合い、その後はMと二人で3時過ぎまで飲んでしまった。

 翌日は神武寺、鷹取山へ登った。神武寺は僕が逗子で一番好きな寺である。あまり名を聞かないが、良い寺だ。これこそ山寺の感がある。寺までは山道を徒歩で行くしかない。京急の神武寺駅から徒歩で30分ほど山を登ったところにある。うっそうと森茂る山懐に、さほど大きくないが風情のある寺が佇むように建っている。豪奢ではない。しかし侘しくもない。寺史を詳しくは知らないが、たしか逗子、鎌倉に多い行基の開山という伝説があると記憶している。そうすると奈良の時代の古刹である。建物はおそらく室町が江戸に作られたものだろうが、歴史を充分感じさせる雰囲気を持っている。
 寺を過ぎると、鷹取山へ向う。寺から30分ほど、結構な山道を進み、山頂に出る。山頂はおそらく以前は石切り場だったのではないだろうか。切り立った岩場が岩肌をさらす。垂直にそびえる岩場には小さな穴が無数にあけられ、クライマー達が岩にへばり付きながらよじ登っている。
 岩場から少し離れたところには芝があり、そこで家から持参したおにぎりを皆で食べる。子供達はすぐに食べ終えて、自分達もと、2メートルほどの小さな崖によじ登り、大人達はそれを見ながら、食後のコーヒーを飲む。天気は素晴らしく、暖かで楽しい午後のひとときだった。
 昨日は食あたり(?)で、気分が悪く、さらにMと話し込んで寝るのが遅く、睡眠時間は4時間弱であったのだが、その頃には気分の悪さは霧消してしまっていた。
 Mは高校のときからの一番の友人である。子供達は可愛い。だからなのか。適度に体を動かして、うまいランチを食べて、至極体はリラックス。気の循環が良くなったように感じた。夕べから動きっぱなしだった、かみさんも、疲れを見せずに楽しそうに過ごしていた。
 良い週末だ。
 
 Mの長男の名は航と書いて、わたると読む。Mは大食いだが、どちらかというと小柄だが、航はがっちりとして、どちらかというと大柄だ。腕力が強く、握手をして握力を試すと、もの凄い力だ。何年か前に逗子に遊びに来たときに、相撲を教えた。今回は相撲を取らなかったが、もししていたらきっと強かっただろう。相撲を取ればよかった。今回は勝てたと思うが、次に来たときはきっと勝てないだろう。
 女の子は香とかいてかおりという。小学三年生だが、5年生と間違えられるほど背が高い。目がパッチリしていて、とても可愛い女の子だ。今年のクリスマスプレゼントをすでにサンタさんにもらったとかで、デジカメを持ち歩いていた。山歩きのときも始終、写真を撮っていた。とてもキュートな、カメラマンだ。腕もなかなかなものだ。最後に香ちゃんが取った神武寺の写真を紹介する。アングル、フォーカスともに、かなりのものだ。

神武寺
紅葉の向うの神武寺(撮影:かおりちゃん)


 
 
 

面白いブログ


 今日は一日、のんびりと翻訳をしている。今まで慣れない報告書作成に悩まされていたが、今は本職の翻訳だ。何度か仕事をくれた某インターネット業界団体からで、内容もよく理解できるものだ。原文に癖はなく、すらすらと翻訳が進む。今日中に終わらせるつもりだったが、午前中に終了した。後はこのブログを書き終えたら、見直しをして納品をするだけ。

 昨日は久しぶりに合気道の稽古へ行った。10日ぶりぐらいだろうか。体調が優れずサボっていたのだ。昨日も体調が悪いわけではないのだが、久しぶりに行くのが面倒に感じた。それでも体を動かしたい気持ちがあり、重い腰を上げて、雨の中、車を飛ばした。
 夜の7時過ぎからであったので、畳が冷たい。「今日はあまり無理をしないで、力まずにやろう」、と始めたが。始めるといつもの癖で、真剣に技を繰り出す。怪我をしないためだけでなく、力を抜くこと自体が大切なことであるにもかかわらず、ハッスルして、力いっぱい、いつもの稽古に終始した。しかし、楽しかった。帰りの車は、清々しさで、鼻歌が思わず出た。

 今日はちょっと時間に余裕があるので、過去の自分のブログを読んでみた。う~ん。こんなことを書くと嫌われるだろうな。でも正直に書く。面白い。そうとうに、面白い。
 読んでいて、そうだよなぁ、と何度も肯かされる。当たり前だ、自分が書いた文章なのだから。
 実は僕は自分のブログを読むのが好きだ。普段も前日に書いたブログは大抵、読み返す。それだけでなく、時間があるときは、古いものを続けて読み込む。一時間ぐらい、自分のブログを読み続けることがある。面白くて、止まらなくなったりするのだ。

 幸せというか、バカなのかなあとも思う。プロの作家も同じことをするのだろうか。そして、「こりゃ、面白くてたまらん」なんて、思うのだろうか。
 

何とかなるさ


 更新を1週間も怠ってしまった。この間は、仕事に追われ、体調を崩し、気持ちも多少は萎え、ブログにまで気持ちが至らなかった。

 報告書の仕事が暗礁に乗り上げた。海外のある4カ国の自然エネルギー政策について調べているのだが、報告書は1週間以上前に書き上げ提出は終わっていた。ところがエージェントから繰り返し、書き直しを命じられたのだ。
 翻訳であれば、納品したら、後は翻訳会社の仕事になる。誤訳があっても、修正は翻訳会社が行う。訳者に差し戻されて、修正を指示されることはない。ところが報告書は様子が違う。「ここのところが、記述が曖昧だから、書き直して欲しい」、「内容に矛盾点があるから、調べなおして欲しい」。そうした要望が、箇条書きで下され、修正を迫られる。たしかに翻訳と違って、元資料を読んでいるのは私なのだから、私が修正するのが効率的である。しかし元資料は英語のサイトで、読んだサイトは数百ページに及ぶ。どのサイトを読み直せば、矛盾点を解決できるのか、足りない部分を補うことができるのか。修正を指示するのは簡単だが、修正するのは、非常に面倒なのだ。
 特に難しかったのは、技術面での記述だ。まず、専門技術を扱っているサイトがほとんどなかった。4カ国で探したが、若干の記載があったのは1カ国だけ。それはまた、非常に専門的なレポートであった。
 また正直、自然エネルギーの技術的側面についての記述は私の手に余る作業だった。結果、ほとんど記述することができなかった。一般的なことをさらっと書いて、それで済ませようとした。
 ところがエージェントは許してくれない。もっと具体的に、もっと詳細にとメールでリクエストが来る。しかし元から技術についての知識はゼロである。英語の資料を読んでもチンプンカンプンで、どこを取り上げればいいのか分らない。用語も普通の辞書を引いても載っていない。サイトで調べても、専門的な用語の意味は分からないケースがほとんど。まさにお手上げ状態だった。エージェントからのメールが怖くて、メーラーを開くのが怖くなったぐらいだ。
 昨日、何度目かの納品を行った。事前に時間的に余裕がないので、これ以上の修正はできないと伝えておいた。今朝、メールを開くのが恐ろしかったが、エージェントからのメールは届いていなかった。もう、今回の納品で、あの報告書の仕事はおしまいにしたい。

 報告書の仕事がプレッシャーになったのがひとつの原因かもしれないが、先週から肩こりがひどい。普段はあまり肩こりのないタイプだが、左肩が重い。触るとはっきり分るコリがある。手で揉み続けていたら、揉みすぎたためか、触るだけで痛くなるほど悪化してしまった。暖めてストレッチをしたりして、今は何とか収まっている。
 体調が悪いので、先週は一度も合気道の稽古に行かなかった。これもまた、もしかしたら体調、精神状態を悪化させる要因だったのかもしれない。体を動かすことが常態なのにもかかわらず、動かさないものだから、調子が良くないもの当然かもしれない。

 そんなこんなで、気分も優れなかった。別に深刻なほどではなかったが、どうも鬱屈ぎみであった。しかし、「もうこれ以上は無理~」と電話でエージェントに訴えて、昨日の納品を終えてからは、復活を遂げた。
 朝早くに納品をし、その後1時間程度だが、庭弄りをした。先週末、かみさんと一緒に近所で買った花が庭に放置してあった。雨で作業ができなかったのだ。
 それをプランターに植え替えた。プランターに肥料を混ぜて、植え替えなおし、2階の窓の花置きに載せた。昨日は天気も良くて、気持ちの良い作業だった。1時間も土を触っていると、気分はかなりほぐれてきた。
 その後は別の翻訳作業に取り組んだ。翻訳はある面、頭を使わなくても良い。ただ訳せばよいからだ。報告書はそこに資料の選択や構成といった、自由裁量が伴う。これが結構、きつかった。翻訳は与えられた範囲をただ訳す。誤訳を犯さず、なるべく読みやすく、日本語としてスムーズなものを書き上げる。これはこれで頭を使うし、クリエーティブな作業でもある。しかし、やはり慣れているからかなあ(なんて、生意気な)。安心して作業に没頭できる。
 今日も一日、翻訳をする。納期は今週一杯。今日、明日はこれだけに集中するつもりだ。
 でも、それが終わったら、仕事がない。う~ん。考えるのは止そう。大掃除でもするか。
 

2011年11月度アクセス集計


 2011年11月のアクセス集計です。総アクセス数は4,042でした。9月は4,540で、10月は4,109でしたから、ここ3ヶ月は減少傾向にあります。

 このブログの一番の目的は僕にとっての日記機能です。つまり備忘録です。その意味ではアクセス数は気にすべきことではありませんが、しかし正直に言って、やはり気になります。多くの人に読んでもらうことで、直接的なメリットが生じるとは思えません。当ブログでは広告は掲載していません。ブログから仕事が派生したらいいな、とは思っていますが、現在までそのようなことはないし、あまり期待もしていません。なのに、なぜだがアクセス数が気になる。
 実はアクセス数は毎日、チェックしています。ブログを書く前に、前日のアクセス数を必ずチェックしているのです。そしてアクセス数が多いと嬉しい。ということで、11月度のアクセス数は予想していたことですが、やはり少なくて、ちょっとがっかりしました。
 しかし、それでもこのような個人のブログに月間、4000件以上のアクセスがあることは嬉しいことでもあります。サイトを訪問していただいた方々に改めて、感謝の意を表したいと思います。

 UU(ユニーク・ユーザー)の総計は2,212人でした。1日平均で74名です。毎日、74名の方が、検索サイトを通じ、あるいはブックマークから訪れてくれています。

 月間の検索キーワード、ベスト10は以下のようになっています。

1位 日高義樹
2位 神経鞘腫 名医
3位 鎌倉 浄妙寺
4位 山本拓也 逗子
5位 山本拓也 逗子
6位 鎌倉浄妙寺
7位 神経鞘腫名医
8位 逗子 山本 産経
9位 鎌倉 浄妙寺
10位 レントゲンの被爆量


 相変わらず、日高さんがトップです。グーグルでも日高さんの名前を入力すると、上位に来ているようです。なんとも複雑な気持ちです。偉そうなことを書いてますので。
 神経鞘腫も相変わらず、強いです。今月は久しぶりに「神経鞘腫体験記」を更新しました。真剣に読んでいただいている方が多いようですので、なんとか続編を書き続けなくてはなりません。記憶も段々、薄れてきていますし。
 4位と5位は同じようですが、間が半角か全角かの違いです。8位も僕の名前ですので、この3つを合わせると1位の日高さんを抜きます。おそらくブックマークをされていずに、毎回検索サイトを通じて来訪される方が多いと思われます。ありがたい話です。
 鎌倉の寺社ですが、11月は浄明寺が多かったです。以前は報国寺の方が多かったように記憶しています。最近、テレビか雑誌かで浄明寺が取り上げられたのでしょうか。

 こんな感じで、最近は足踏み状態の我がブログですが、12月も最低2日に1度の割合で、更新してまいります。今後もごひいきに。


プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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