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最近のお仕事


 少し忙しい。本当を言うと、自分としてはかなり忙しい。しかし世間の標準と比較すれば、きっと大したことがないだろうから、謙遜して書いた。本当は、とても忙しい。

 今の仕事を書くと以下のようになる。
1. ネット広告関連のメールマガジンの執筆(海外サイトをウオッチして、日本語で紹介)
2. ネット広告関連の仕様書の翻訳
3. ネットマガジンの翻訳原稿のチェッカー
4. ネット広告関連資料の翻訳


 今現在、手がけているのは以上の4種だ。その他に、去年、今年と付き合いが始まった翻訳会社やクライアントからの仕事が、単発で来る。
 自分としてはこれで、ほぼ手一杯である。もうなるべく、増やしたくないと思っている。それでも結構、新規のオファーが舞い込む。貧乏性なので、くれば受けてしまう。

 上の列挙を見ていると、ネット広告関連の仕事が多いことが分かる。私は産経新聞社時代、ネット編集やネット広告販売に約10年間、従事していた。その間にできたネットワークから、仕事をいただくようなった。
 ネットやIT関連の翻訳者は世の中にあまたいる。しかしネット広告になると、非常に限られる。産業があまりにニッチなため、これを専業にする翻訳者は多分、いない。自分は専業ではないが、今現在はそれに近い形になっているので、もしかしたら日本でただ一人のネット広告翻訳者であるかもしれない。
 私が行っているネット広告の翻訳は、おもにビジネス分野の仕様や契約書を対象にしている。技術関連は含まれない。ビジネス関連だから、容易かというと、そうでもない。専門用語は頻出するし、業界動向を把握していないと、ピンとこない表現が多い。だから、経験のある自分に仕事が来るのだと思う。期待を裏切らないように、品質を高めたいと思っている。

 上記の他に、出版翻訳の企画書も作成し、売り込みにいかなければならない。ここのところ、忙しさにかまけて、ほとんど手を付けていない。
 英語の勉強もまだまだ足りない。プロとして自分の実力を鑑みれば、とても十分とはいえない。基礎力がないことは自分でも承知している。プロ野球の選手が走り込みやウエートトレーニングをするように、自分も英文法や英作文をまだまだ学ぶ必要がある。

 それと最近、興味のある分野が出てきた。アメリカ、イギリスの歴史だ。とくにアーリー・アメリカの歴史。英語で仕事をしていて、その祖国のことをあまりに知らないことに気が付くようになった。現代アメリカのニュースはテレビ、新聞、ネットなどで、毎日目に触れる。しかし歴史となると、かなり暗黒大陸状態だ。
 日本史や中国の歴史と比べ、さらにヨーロッパの歴史とも比べて、我々日本人はアメリカの歴史に明るくない。現在、これだけ生活文化で影響を受けている、その国についてあまりに無知なのではないか。そう思うようになった。そこで、少しばかりアメリカ史のお勉強を始めたいと思っている。これにも時間が欲しい。
 
 合気道の稽古は週、2,3回通っている。今週からさらに1回、追加しようかと思っている。ウエイトトレーニングは、週2回ジムで行っている。
 ああ、それと家事だ。これにとても時間を取られる。
 そんなこんなで、毎日は矢のごとく過ぎ去っていく。

 ゴールデンウイークも仕事をする予定だ。納期が迫っている仕事があるのだ。すでに納期を伸ばしてもらっていて、もう言い訳はできない。

 これだけのペースで働いて(遊んで)、収入は多いとは言えない。しかし食べられるだけで、よしとしましょう。
 

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何も考えずに


 書く内容を決めていない。いつもは書く前から、大まかな内容は決めてある。ネタは前日に思いつくこともあるし、1週間前に考えてメモをしておくこともある。本日は、まだ決めていない。ブログを書き始めてから、もしかしたら初めてのことかもしれない。

 雨が降っている。私は逗子の山側の住宅地に住んでいて、拙宅は南向き斜面に建っている。私が今いる書斎は2階にあり、机は窓に隣接して置いてある。PCの画面の後方には窓があり、PCを打ちながらでも、外の様子がよく分かる。朝からずっと雨だ。
 以前も何度か書いたことがあるが、雨の日が好きだ。それは今、こうしてぬくぬくと暖かい部屋にいて、外に降る冷たい雨を眺めている立場にあるからだ。これから逗子駅まで30分かけて歩いて出勤しなくてはならない立場なら、雨は好きでない。だから会社員時代はあまり好きでなかった。会社が休みの土日などに降られると、それはそれでもったいない気がして、やはり好きになれなかった。今、この状況にあるから好きなのだ。
 自分ひとり、家というシェルターに守られている感覚が好きなのだ。会社員時代は好きでなかったと書いたが、学生時代はどうだったかというと、やはりあまり好きでなかった。しかしもっと子供のころは、実は好きだった。小学生のとき、母や妹が出かけていて、ひとりで家にいることがごくたまにあった。それはいつも雨の日だ。晴れている日は常に外で遊んでいたので、一人でいることは雨の日しかありえなかった。そのころは一軒家に住んでいた。家でボーっとしながら、窓の外の雨を眺める。あるいは雨音を聞きながら、天井の板の模様を眺める。
 そうだ、雨音が良いのだ。小6のときにマンションに引っ越した。あれから雨の日が、それほど好きでなくなったような気がする。一軒家こそが、シェルター感覚を呼び起こさせるのだ。もしかしたら、それは子宮の中にいる疑似感覚なのかもしれない。雨音は心臓の鼓動のよう一定だ。不思議な安心感を与えてくれる。

 ただこれも何度も書いているが、雨を見ると動物のことを考える。今日の雨はそれほど大降りでないので、トンビはたまに飛んでいる。大きな鳥はこれぐらいの雨ではくじけないのだろう。鳥は飛ぶために、体重を少なくする必要があり、胃袋は小さいらしい。脂肪も少ない。だから食いだめができない。毎日、定量を食べなくてはならない。それでトンビは雨の中もエサを探して、飛び回っているのだろう。ではスズメやシジュウカラなど小さな鳥たちはどうしているのだろうか。体が小さければ、大きな鳥よりも余計に食いだめはできない。お腹を空かせて、梢で寒さを凌いでいることだろう。

 うちの周りには野良猫がいる。今、確認しているものは2匹だ。大ちゃんとよく似た茶トラと、フクちゃんとちょっと似た白地に黒ブチが入った2匹である。あの子たちは雨の中、どうしているのだろう。やはりお腹を空かせて、どこかの家の軒下にでも隠れているのだろうか。

 あの子たちにエサを上げようか、迷っている。以前、回覧板で野良猫にエサを上げることは止しましょう、というお達しが回ってきた。うちに居つかれて、フンをされても困る。それで一度も上げたことがない。
 うちの猫は丸々太って、ぬくぬくと生活している。それに比べ野良猫は目つき鋭く、じゃっかん痩せている(すごく痩せているわけではない。誰かがエサを与えているのだろうか)、どこか怪我をしていることもある。あの子たちにエサを上げてしまおうか。毎日じゃ、くせになって寄り付くようになるだろうから。たまにだ。たまにだったら、いいんじゃないだろうか。
 今は雨だから、エサを出したとしても濡れてしまうだろう。明日、晴れたら、あげてみようかな。
 

京大式カードを始めるぞ


 昨日は仕事の打ち合わせで都内に出かけたついでに、銀座の伊東屋へ行ってきた。そこで京大式情報カードというものを買ってきた。

 梅棹忠夫の「知的生産の技術」という本を読んでいて、京大式情報カードというものを知った。京大式という名前だが、実は梅棹がデザインし、印刷屋に特注で頼んでいたものが、自然に普及したものらしい。
 B6サイズの横長式で、薄いブルーの罫線が引かれている。裏面は白地のままだ。
 梅棹はこれに何でも書き込んだ。日々の思い付きや書籍からの抜粋、感想、野外調査ノート、日記までもこれひとつですべて賄ったという。ノートと違い、カードは後からばらして、項目ごとにまとめられる。梅棹は、項目ごとにまとめたカードから、何冊も本を執筆したらしい。
 サイズも一種類なので、整理も楽だ。これはよい情報を得たと、喜び勇んで伊東屋へ向かったというわけだ。
 これさえあれば、吾輩にも。著作が自然に生まれることだろう、きっと。

 先日のブログで「借りた本は返さなくてはならない。返さなければ、不幸になるだろう」なんて、おどろおどろしいことを書いた。しかし後から考えてみて、あることに思い至った。返さない方も問題があるが、貸したことを忘れた方が罪は大きいのではないか。
 というのは、例えばだ。子供が夏休みに親戚の家へ遊びに行ったとする。そしてどういうわけか、親は子供を親戚の家に預けたことを忘れてしまう。そして月日は流れ、数十年。子供はとうに成人したある日、ふと思い出した。そういえばたしかうちには子供があったな。あれは誰かの家に預けたはずだが、さて誰の家だっただろう。という出来事があったとする。まあ、多分ありえないだろうが、あくまでも仮説の話として聞いていただきたい。
 さてこの場合、預けていたことを忘れていた親と、預かっていたことを忘れて、そのまま養育した親戚とではどちらが罪深いであろうか。私が思うに、これは間違いなく親の方が悪い。
 そして考えた。本を貸すということは、これと同じではないだろうか。いや、ちょっと違うという人がいるような気もするが、まあ、似ていなくもないであろう。あえて並列で考えていただきたい。

 私の場合は、感銘を受けた本を善意で知人に貸した。しかしその感銘を受けたはずの本を、貸したことを忘れてしまった。向こうさんはおぼえていただろう、しばらくの間は。手元に本があるのだから。
 仮にまだ読んでいなかったとしても、私がそろそろ返して欲しいといえば、拒絶する人はそうはいまい。つまり私の失念と怠惰が、貸した本が帰らないという事件を生み出したのだ。非はやはり私にあるではないか。

 そこで京大式カードである。梅棹先生は「カードは忘れるためにある」とおっしゃる。書いた時点で、忘れてもかまわない。脳みそは知識の蓄積のためでなく、創造のために使うのだとも、おっしゃる。素晴らしい考えではありませんか。これでこのカードさえあれば、心置きなくなんでもかんでも、どんどん忘れることができるぞ。

 ところでこの本だ。3週間ほど前にブックオフで、100円で買ったのだが。途中まで読んで、あることに気が付いた。これ、以前も読んだことがある。きっと本棚のどこかにしまってあるぞ。
 こうしたミステークも、京大カードさえあれば、今後は起きることがないであろう、たぶんきっと。
 

ある男が追ってくる


 ある男が追ってくる。神出鬼没だ。ああ、ここはいないと思って、安心していると、いきなり下から現れる。下ばかりを見ていると、上から襲いかかってくることもある。
 しかし男が現れる場所にはある特徴がある。その場所以外では現れない。現れるのはアメリカ系サイトの上だけだ。名前も分かっている。その男の名はマイク・チェン。

 男が現れるのはニューヨークタイムスのオンライン版や、その他米国系のサイトの上だ。広告として現れる。
 私がネット広告を販売していたころは、媒体は広告をひとつひとつ広告主に販売していた。例えば産経Webのトップページのバナーをトヨタに売るとする。するとその広告枠にはトヨタしか現われない。しかし、 最近のネット広告の進化は目覚ましい。そんなベタな広告販売手法は過去の遺物である。今はアドエクスチェンジやネットワークという名称の広告販売が主流である。
 媒体は枠を売る。それは以前と同じだ。しかし枠を売るのはネットワークに対してだ。ネットワークは広告主ではない。ネットワークは産経のような媒体と多数契約を結び、媒体の広告枠をまとめて販売する。販売する場はエクスチェンジというマーケットだ。エクスチェンジは東証やNASDAQのような“場”で、広告枠がやり取りされる。
 広告主はこの“場”で広告を購入する。その際の条件は産経Webのような媒体名ではない。読者や媒体の属性で買うのだ。 例えばニュースサイトに訪れた20歳代の男性、さらに最近、自動車関連のサイトに訪れたことがある、が見ている広告枠を購入する、というような感じだ。
 今まで例えば産経Webのトップページを購入していた場合より、これの方が格段に訴求力が高まる。

 なぜ上記のようなことが可能になったかというと、それはもう説明するまでもなく、みなさんご存じだとは思うが、ウエブユーザーの行動履歴はトレースされているからだ。さらにショッピングサイトなどで記載した年齢や性別などの個人情報も、データとして把握されている(これは現在のところアメリカのはなし)。

 私の場合、おそらく格闘技サイトやトレーニングサイトをよく見るので、マイク・チェンがついてくるのだ。マイク・チェンはトレーニングDVDの広告キャラクターである。以前はぽっちゃり型であったが、ある特殊なトレーニングをした結果、マッチョになった男だ。

 日本でも同様の広告手法が最近、導入されている。皆さんもネットである商品を購入したら、その後類似の商品が広告によく出るようになったことに気付かれているのではないか。これは皆さんの行動履歴がトレースされた結果だ。
 ただしまだ日本では、個人データの売買は行われていない。だから先方が把握しているのはトレースによる行動履歴だけである。性別や年齢、地域情報などは知られていない。しかしこれも時間の問題かもしれない。
 ちょっと怖い話である。しかし考えようによっては便利でもある。無駄な広告を見せられるよりも、必要な情報を広告という形で提示されているのだから。

 しかしマイク・チェンさんを見るたびに、俺って格闘技サイトばかり見ていることを、改めて気づかされる。もうちょっと違うサイトも見よう。


マイク・チャン
この男がマイク・チャン。にこやかな表情だが、なかなか手ごわい
 

幸福論



 このブログを書くに当たって「幸福論」を調べると、世には「三大幸福論」というものがあって、それはヒルティとアランとラッセルが書いた3つの「幸福論」とういうタイトルの本を指すらしい。
 三大幸福論ではヒルティのものだけは読んだ。そこで本棚を探すと、見当たらない。おそらく誰かに貸したのだ。貸したことすら忘れているので、きっと戻ってこない。

 本を借りた人は返さなくてはいけない。私はかなり強い確信を持って言えるのだが、本を借りたままで返さないと、その分人生において借りを返さなくてはならないことになる。つまりその分、不幸になる。
 私が本を貸したということは、その本に感動をして、その感動をその人と分かち合いたいと思ったから貸したのだ。しかしその好意を、借りた人は汲まない。予想するに、本を返さない人の大半は本を読んでいない。読んで感動したのなら、きっと返すだろう。その本に対する私の思いが理解できるのだから。
 私も今まで借りた本を返さなかったことがある。記憶にある限りでいえば2回だ。一度は予備校生のときに友人から借りた本。なんだか忘れてしまった。でも返さなかったことは覚えている。たしか読んだはずだ。他は叔父から借りた「チボー家の人々」。「チボー家」は途中まで読んだけど、挫折した。今でも読む気はある。読んだら、返すかもしれない。
 私はこの2回の不義理で、確実にその分の不幸になっていると思う。仕方がない。自分が招いた禍である。

 ちょっと前置きが長くなってしまった。今日、書こうと思ったのは三大幸福論についてではない。椎名林檎の「幸福論」だ。
 最近、不定愁訴で澱んでいる中年男は椎名林檎の「幸福論」を聞いて、なるほどと思わされた。 それとこういう詩と曲が書ける椎名林檎って、それだけで幸せだなと思った。


本当のしあわせを探したときに
愛し愛されたいと考えるようになりました
そしてあたしは君の強さも隠しがちな弱さも汲んで
時の流れと空の色に
何も望みはしないように
素顔で泣いて笑う君にエナジーを燃やすだけなのです

本当の幸せは目に映らずに
案外傍にあって気づかずにいたのですが
かじかむ指の求めるものが見慣れたその手だったと知って
あたしは君のメロディーやその
哲学や言葉 すべてを
守るためなら少しぐらいする苦労もいとわないのです

時の流れと空の色に
何も望みはしないように
素顔で泣いて笑う君のそのままを愛している故に
あたしは君のメロディーやその
哲学や言葉 すべてを守り通します
君が其処に生きているという真実だけで幸福なのです

作詞 椎名林檎



 

不定愁訴


 男にも更年期があるというけれど、それなのだろうか。最近、気持ちが落ち込んでいる。
 家で翻訳などしていると、自由気ままで、それはそれで恵まれていると思う。しかし気分が落ち込んだ時には、この自由さが落ち込みに拍車をかける。
 サラリーマン時代も当然、気分が塞ぐ時はあった。しかし自由裁量が少ないために、自然に体が動かされた。会議があったり、外に打ち合わせに出かけたり。
 会話があるのも気晴らしになる。ランチは大抵、同僚と出かけた。1時間も取り留めのない話をしていると、落ち込んでいたことを忘れる。それでも気分が優れないときは、飲みに行けばよい。私の場合、どんなに落ち込んでいても、知人と一緒の状態で、アルコールが入れば、それでスイッチは切り替わる。落ち込んでいたら、相手に迷惑であるのだから、自ら気持ちを奮い立たせなくてはならない。最初は無理やりだが、アルコールの後押しもあり、自然と気持ちのモーターが回転を上げる。いつしか気分は明るくなる。
 しかしひとりだと、そうもいかない。なるべく仕事に熱中して気を晴らそうと努めるのだが、気分が乗ってこない。主に頭だけを使う仕事であり、気分が乗らなければ、仕事は捗らない。仕事が捗らなければ、暗鬱とした気持ちが、さらにドロンと降下する。

 昨日は調子が悪いので、仕事は諦め、夕方から酒を飲んだ。先週末、会社の元同僚などが大勢来て、花見兼BBQをしたのだが、そのときに買ってあった酎ハイが何本か残っていた。それをプシッーと開ける。飲んで気持ちが良かったのは、最初の30分だった。最初の30分は、フリーランスの気ままさを味わい、酒もうまかった。ちょっと調子が回復したかなあと、感じた。しかしそれは長くは続かなかった。一人なんだもん、会話はない。せいぜい、猫を捕まえてきて、膝に乗せて、しゃべりかけることぐらいしかできない。基本は、黙々と飲む。すると段々と気持ちが澱む。2本酎ハイを飲んで、それ以上は進まなくなった。2時間ばかり飲んで、酎ハイ2.5本が一杯であった。酒も弱くなったものだ。
 夕食も作る気がしない。そうはいっても妻はお腹を空かせて帰ってくる。重い足取りで買い物にでかけ(飲む前に)、マグロの漬けと、ホウレンソウのお浸しを作る。食欲がわかないので、そんなメニューしか思いつかない。夕食は作ってみたものの、やはり食欲はない。同じく花見で買ってあった、ポップコーンやチーズのつまみなどをつまんで、済ませてしまう。風呂を洗い、沸かしたが、自分は入らずに、少し酔って眠くなったので、妻が帰ってくる前に寝てしまった。

 春は人を狂わせるというけど、人生は秋である。秋は物憂いシーズンだ。実際の季節は狂気を誘い、人生のシーズンは静かに寂寥感を誘う。
 男の更年期なのだろうか。なんで落ち込んでいるのかというと、判然としない。色々な理由が錯綜して、気分に反映しているのだろう。ジムに真面目に通い始めて半年以上は経つ。若い頃なら目に見えて、体がビルドアップされた。今、鏡に映った自分の姿は、以前とあまり変わり映えのしない、たるんだままだ。膝が慢性的に痛い。走りたいけど、走ると悪化するのが分かっているので、走ることができない。散歩で我慢しても、それでも痛む。記憶力は前からよくないが、さらに悪くなっている気がする。渡部昇一さんは、70歳代で、過去最高の記憶力と本に書いてあり、ずっとそれを目指しているのだが、現状は落下の一方だ。仕事は最近は比較的に安定してはいる。しかし、しがないフリーの実務翻訳家である。今の仕事が落着すれば、その後の予定は未定である。今までは不思議に切れずに仕事が続いたが、それは単なる偶然の産物だ。何も保証も確証もない。合気道は、下手なまんまだ。今年は3段に挑戦するつもりで、はりきって稽古を続けていた。でもはりきったからといって、すぐに上達するものでもない。少し上達すればしたで、目が肥えてくるので、自分の下手さ加減も見えてきてしまう。

 私は結構、気が強いと言われる。自分ではあまり自覚がない。意気地なしで弱虫な自分をさんざん見てきているので、そう評価されることに戸惑いを覚える。でもよく言われる。だからきっとそういう気質も持ち合わせているのだろう。
 こういう気質の男は攻めているときはよいが、守りは弱い。調子がよいときは、トントンと足取り軽く、前に進むのだが、いったん泥土に足を取られると、歩く気力がそがれてしまう。もうこのまま底なし沼に沈ん行ってしまおうかな、などと捨て鉢な気持ちになる。
 今、心の救いは、こんな私にも仕事を恵んでくれるクライアントの期待と、あどけない猫の表情だ。落ち込んでばかりはいられない。遅れている仕事を進めねば。そしし、二匹して競って膝に乗りたがるフクちゃんと大ちゃんは、胸の重みを下してくれる。かわいい。

 さて、階下にいるフクちゃん、大ちゃんの頭でも撫ぜてこようかな。
 

春爛漫


 桜が満開だ。我が家のある住宅地は街路樹が桜で、当たり一面が桜色で埋め尽くされる。遠方に望む丘の木々も桜が点在する。桜のパッチワークは、逗子で一番好きな風景だ。
 昨日は一日、机に向かって仕事をする予定だったが、あまりの天気の良さに、我慢ができなくなって、カメラを持って散歩に出かけた。
 木曜日だったが、家族連れがいたるところで写真を撮っていた。配送のドライバーやセールスマンらしき人々も、嬉しそうな表情で桜に見とれている。長閑な昼下がりだ。

願わくは
花のもとにて
春死なむ
その如月の望月の頃

 西行の有名な歌だが、西行は望み通り、春に死を迎えた。
 桜を見ていると、西行と同じことを考えてしまう。どうせ死ぬのなら、春がいい。それも桜の満開を過ぎ、ちょっとだけ散り始めた頃がよい。桜花の華麗さと、散る寂寥感を同時に感じられる頃がよい。
 自分は散っていくが、その後も、人の世は続く。咲き誇る花のように盛りのときもあるだろうし、散る花のように、静かに佇むときもあるだろう。そして散った花びらを見て、かつて散っていった人に思いを寄せる。自分もその人たちのところへ、これから向かう。
 そんなことを考えてしまう。

 明るさ一杯の桜だが、満開の桜は無常感を抱かせる。だから日本人は桜が好きなのだろう。

さくら
住宅街の桜のアーケード

桜渋滞
この時期はいつも渋滞になる

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森に点在する桜のパッチワーク

 

「ローマ人の物語」を読み終えた



 「ローマ人の物語」を読み終えた。塩野七海が15年もの歳月をかけて書き綴ったハードカバー15冊、文庫本だと43冊になる大部の作品だ。一昨年から少しずつ読み進め、2年近く読むのに費やした。
 まず感じたことは塩野七海の博識である。なぜこれほど古代の、それも外国の地で起こったことを知っているのか。そしてそれが可能になったのか。ただただ頭が下がる。
 自分も翻訳という仕事に携わり、海外の書物や書類に目を通す毎日である。塩野とは異なり現代の文章であり、辞書も資料も豊富に揃っている。それでも原文を正確に理解することは簡単でない。塩野の場合は古代のラテン語やギリシャ語が主な文献である。それを読みこなし、正確に理解している。その苦労はいかばかりであったろうか。
 しかし苦労を続けた甲斐はあった。あの大作を残せたのだから。あの本のおかげで、西洋文化に対する日本人の理解度は著しく向上したはずだ。
 西洋イコール、キリスト教文化と我々はとらえがちだ。しかし西洋の底流はギリシャ、ローマ文化が今でもしっかりと流れている。それが過去の物語である 「ローマ人の物語」を読んでいて、理解できる。現代の西洋文化が「ローマ人の物語」から透けて見える。
 そもそもギリシャ、ローマ文化とは何であるのか。かなり長い作品だが、作風は文学の形態をとっている。学術書でないので読みやすい。ぜひチャレンジしていただきたい。

 以前も書いたが、この本を読むとアメリカはローマ帝国をメンターとして国家を運営していることに改めて気づかされる。
 民主主導(民主党の民主でなく、peopleの民主)の政治運営、司法が優越する法治主義、移民の同化に許容的な対外政策、国土を拡張することで防衛ラインを遠ざける安全保障政策、近隣の強国とは正面対峙し屈服させる一方、遠方の強国とは優位な関係で済ませ全面戦争は避ける外交政策、原則的に小さな政府を目指す政府運営、理論よりも実践を重んじるアカデミズム、機会の平等を優先させる平等主義などなど。

 ローマ帝国という国家の誕生から衰退まで眺めると、それは一人の人物の人生のようなものだ。生まれたころは初々しいが危なっかしい。青年期は躍動感に溢れ、希望に満ち溢れている。壮年期は力強く、頼もしい。そして老齢期は、体中に病を抱え、痛々しい。
 ローマ帝国が終焉を迎えた、つまり人間でいえば、死に至らしめた病因はキリスト教であった。キリスト教を国教とする以前のローマは、多神教の国で、基本的に信仰の自由が守られていた。それが一神教のキリスト教を採用してから、偏狭な国家となり下がった。
 宗教は個人が信仰する分には、救いの手段となる。しかし国家がすがるようになると、他者に対して不寛容な社会が生まれる。その結果、国民は自由を奪われ、国家は弱体化する。

 もうひとつ感じたこと。それは日本の特殊性だ。ローマは常に外敵と闘い続け、国境の選定にもっとも苦心した。一方、日本は海に囲まれ、外敵や国境を意識することはまれであった。その結果、世界最長の朝廷を擁することができた。
 しかし時代は変わった。海に囲まれていることに変わりはないが、交通手段や情報手段の格段の進歩は、世界をダウンサイズさせた。もう外敵や国境を意識しないで過ごせる時代ではない。
 ならば日本もローマ的、あるいは西洋的な国家運営にシフトすべきなのだろうか。もうすでに大部分はシフトしているのだが、さらにシフトを加速すべきなのか。
 あまりにバックグランドが異なる日本である。「ローマ人の物語」を読んだことで、日本が今、直面する問題、例えば外国人の受け入れ問題などの難しさを、改めて感じさせられた。
 

一番楽しかった時



 何度かブログで触れた甥っ子が大学に入学した。メールが来た。
 甥っ子は大学の学生寮に入った。そこはちょっと変わっていて、日本人学生と留学生が一定の割合で同居する。部屋は個室だが、8部屋が一つのユニットになっていて、共同のシャワーやトイレ、キッチンを使う。甥っ子のユニットにはアメリカ人1人と韓国人1人、それと6人の日本人が共同生活を送る。
 甥っ子は留学の希望を抱いており、少しでも外国人と話す機会を作りたいと、その寮を選んだ。希望通り2人の外国人とすぐに友達になり、幸せそうだ。甥っ子は高校受験に失敗し、不本意な高校で3年間を過ごした。高校のクラスメートとは話が合わずに、ほとんど友人ができなかったそうだ。しかし今回の寮生活では、日本人とも話が合うと言う。入寮初日の夜は遅くまで、ルームメイト達と話し込んだそうだ。すごく充実していると言う。

 そうだろうな。楽しいだろうな。甥っ子の楽しげな表情が、目に浮かぶようだ。
 さて自分のことを振り返り、半世紀の人生のうち、一番楽しかった時期はいつだったのだろうと、考えてみた。やはり甥っ子と同じように大学生のときだ。それも寮生活やルームメイトと過ごした1年間だ。
 私は大学3年のとき、一年休学をして、アメリカへ語学留学に向かった。カリフォルニア州のUCRという州立大学だ。
 6月に入学しサマーセッションを受講した。その間は寮に入った。2人部屋でルームメイトはアメリカ人の大学院生だった。9月になり、アメリカの学生が戻ってくると、寮を追い出されてしまったので、ホームステイをした。ホームステイ先は外国人を積極的に受け入れている家庭で、自分を入れて4人の学生が住んでいた。そこはビジネスで学生を受け入れていたようで、あまり居心地がよくなくて、2か月程度で出てしまった。その後、ルームメイトを探し、4人でアパート暮らしをした。メンバーの内訳は日本人2人、アメリカ人1人、メキシコ人1人である。
 1年弱だが、3か所の居住先では色々な経験ができた。多くの友人に恵まれた。語学留学だったので、授業はそれほど厳しくなく、よく遊んだ。毎週末、パーティーを開いた。ロサンジェルスやビーチまで、車で遊びに出かけた。旅行も何度かでかけた。

 あの時が一番、楽しかったと今、思う。その時はそんな意識はなかったのだが。大学の寮生活というか、ルームメイトがいる生活は良い。
 日本の大学も4年間通い、それなりに楽しい思い出はあるが、あの1年間とは比較のしようがない。時間が濃いのだ。なぜ時間が濃いのかというと、それは友人と過ごす時間が長かったからだと思う。大学に行けばクラスメートがいて、寮やアパートに戻っても、ルームメイトがいる。それが煩わしいかというと、ちっともそんなことはない。きっと若かったからだろう。今、同じ生活をしても、きっと煩わしさが勝るだろう。
 
 今はサラリーマン時代に夢見た生活を送っている。机に向かい、ひとりでもくもくと仕事を進める。飽きれば近くの森を散歩する。夜は妻が帰ってくるまで、静かに本を読む。膝には猫がまるくうずまっている。
 恵まれていると感じる。でも、あの楽しさはない。

 今、うちの周りは桜が満開だ。このデスクからも、近くの丘に点在する山桜が美しく望める。シジュウカラが自慢ののどを振るわせる。春なんだ。

 大学生といえば、人生の春のようなものだ。春一番が吹いたり、花冷えが繰り返したり、それなりに厳しい季節なのだが、それでも明るい。甥っ子の気持ちも、この春のようなものだろう。

 伯父さんとは言えば、春はとうに過ぎた。夏も過ぎてしまった。そして秋を迎えている。春や夏に遊んでばかりいたため、あまり収穫は期待できない。それでも秋は静かに過ぎて行く。
 春ほどは楽しくないかもしれないが、秋は秋で空高くさわやかである。
 

福島原発4号機はアルマゲドンの危険



 合気道の仲間でオランダ人のFさんから、福島原発関連の情報がたまに寄せられる。Fさんは日本語があまり得意でないので、ヨーロッパや米国のメディアをよく利用している。すると日本のメディアを中心に触れている私と、かなり違った角度でニュースをとらえていることがある。
 今回は角度云々というよりも、明らかに情報の精度というか、情報そのものの有無と言ってよいかもしれない、情報格差を思い知らされたニュース番組を教えてくれた。
 ドイツの放送局が作成した「フクシマのうそ」という番組だ。とても興味深い内容である。

 実はこの番組を見るまで、原発事故は私の中では過去の事故になっており、ほとんど気にせずに過ごしていた。もう解決積みの事故であった。
 福島といえば罹災者の悲惨な状況であり、心の痛みの問題であると捉えていた。罹災者の方々をテレビの画面で目にするたびに、胸に痛みが走った。しかし事故は過去のものであり、被害を受けた地域や人々も時間の経過とともに快方に向かっていると考えていた。ところが状況はまったく違うらしい。事故は現在進行形なのだ。さらに3.11よりもずっと恐ろしい事態に発生する危険性をはらみながらの進行形である。

 それは福島原発4号機の存在だ。4号機は建物の破損が激しく崩壊する可能性が高いそうだ。4号機には核燃料が大量に収蔵されているらしい。もしその4号機が倒壊したとしたら。番組では、それは世界を巻き込むアルマゲドンの到来だとコメントしている。

 番組には菅直人元首相や河野太郎議員が登場する。菅元首相は日本のメディアの前ではおそらく語らないだろう、タブーとされている原子力村について語っている。原子力村は原子力の利権に群がる一群のパワーを指すようだが、鵺(ヌエ)のように正体不明でありながら、巨大な力を有する。また河野議員は流ちょうな英語で、原発支持であった自らの過去の考えを誤りだったと認めている。両方とも、なかなか見ごたえがある。
 約30分の作品で、会社からこのブログを見られている方は視聴は難しいかもしれないが、ぜひ家に帰ってからでも見ていただきたい。番組はドイツ語だが日本語の字幕が付いている。


ドイツZDF フクシマのうそ

 

スクラップ&ビルド 2


 ちょっと前に「スクラップ&ビルド」というタイトルで記事を書いた。翻訳の仕事に関するものだ。今回は自分の過去を振り返ってのスクラップ&ビルドを考えてみたい。

 色々なことに手を出して、多くのことを捨て去ってきた。ミーハーで飽きっぽいタイプである。自然とそういう流れになってきた。しかし特に30代の後半から、意識的に色々なことをスクラップしてきたと思う。まずはスクラップから。

 スキー。スキーは本当に好きだった。始めたのは高校2年のとき。同級生と一緒に格安ツアーで赤倉へいった。8泊9日で5万円程度だったと思う。初めてだったのでスクールに入った。16歳だから上達が早い。その回だけで、シュテムまでできるようになった。これではまってしまった。
 それから毎年、スキーにでかけた。大学生の時は一冬、苗場プリンスでアルバイトもした。ツアーの添乗員もやってみた。仕事はほとんどしないでスキーをしていて、苗場もツアーも途中でクビになってしまったが。
 社会人になってからは社会人クラブに入った。毎年合宿があり、検定試験が受けられた。そのころが一番、一生懸命練習をしたと思う。20代の後半で1級を取得した。
 30代前半でアメリカに留学した。留学先を選ぶときにスキー場が近いところを選んだ。これ本当の話です。会社には言えないけど。冬は近くのスキー場のシーズンパスを買った。車は4輪駆動のでかいアメ車を買い、せっせと通った。
 そしてプツンと糸が切れてしまった。興味が突然なくなったのだ。その頃は色々な悩みを抱えており、スキーに手が回らなかったこともある。何かを変えたいという気持ちもあった。そこでスキーを止めた。なんとなくフェードアウトしたのではない。敢えて止めた。
 スキーはそれまでの生活で大きなウエートを占めていた。冬になったら、それ一色というシーズンもあった。多い年は30日ぐらい出かけたと思う。サラリーマンをしていて30日も山へ行くには、ほぼ毎週末、行かなくてはならない。お金もかかった。
 だから止めることは意味のあることだった。ちょっとした趣味を止めたのでは意味がない。はまり込んでいたからこそ、意味があると感じだ。

 スキーほどのめり込んだわけではないが、自転車にも一時凝っていた。ロードレースの自転車を買ったのは20代の半ばだったと思う。年に一度はレースにも出場した。仲間と遠出もよくした。東京から仙台までツーリングしたこともある。
 これも30代で止めてしまった。これも敢えて、プツンと辞めた。スキーと同様の理由だ。変化が欲しかった。

 煙草を吸っていた。喫い始めたのは16の時だ。そのころちょっとした不良仲間とよく遊んだ。仲間の一人が独り暮らしをしていて、よくそいつの部屋にたむろした。みな煙草を喫っていて、自分も当たり前のように喫い始めた。小さな部屋で7,8人が煙草を喫うもんだから、あっというまに部屋が煙でいっぱいになった。それが恰好いいと思っていた。
 でもあまり煙草は好きじゃなかった。酒を飲むと喫いたくなってひと箱ぐらい開けたが、普段はあまり喫わなかった。
 30歳のときに止めた。これはスパッとはいかなかった。実はそれまでに何度も禁煙にトライしていたのだが、飲むと喫いたくなった。そして友人から恵んでもらい、禁煙は決壊した。
 30歳のとき止められたのは留学していたからだ。大学の構内は禁煙だった。外では喫える。しかし留学先はバーモント州で、冬はマイナス20度にもなる。とても外で喫う気にはなれない。それで止められた。

 一時、肉食を止めた。3年ぐらいはまったく食べなかった。会社の忘年会がしゃぶしゃぶだったときも、ひたすら野菜だけを食べていた。しかし今は、この菜食生活もうやむやになっている。今も積極的には食べないが、出されれば食べる。
 他にいくつも止めたことはある。サーフィン、スキューバーダイビング、それと色々な遊び。内容については、ひ・み・つ。あ、それと大事なこと。サラリーマンを止めた。

 と、このように、私はかなり意識的にスクラップを繰り返してきた。当然、その裏にはビルドが伴っている。ビルドについては、また別の機会で。
 

最近のできごと



 1週間ぶりの更新だ。随分と長い間、さぼってしまった。さぼった期間のことを記すと。
 木曜日は合気道の稽古。木曜の稽古は、2週間ぶりであった。やはり稽古は楽しい。金曜日はジムでトレーニング。土曜日はかみさんを近くの漢方医へ連れて行く。私が行った鎌倉の田中医院とは別の病院だ。田中先生は良い医者だと思うが、ご老人の男性である。かみさんは特に病気があるわけでなく、体質改善のために漢方にトライしたいといいうことなので、逗子市内の女医さんで、中医を専門とするところに連れて行った。日曜はまた合気道の稽古。文京区まででかける。稽古の後は、高校時代の同級生とその娘と昼食とコーヒー。3時間ぐらいだべる。彼は最近、私に誘われて、我が文京区合気道連盟に加入した。月曜と火曜は旅行に出ていた。

 千葉の千倉へ一泊の旅行へでかけた。久里浜からフェリーに乗り、金谷へ渡った。久しぶりのフェリーはいい。高速道路を走っているのとは、まったく別次元の旅気分を味わえる。月曜日は好天で、海はなぎ、青空が広がっていた。
 金谷に着いたら、目の前に聳え立つ、のこぎり山へ登る。のこぎり山には日本寺という古い寺がある。日本中に建つ、行基の開山伝説のある寺だ。行基が実際に建立したのかどうかは分からないが、古い寺であることは事実のようだ。
 この寺には日本最大の大仏が鎮座している。奈良の大仏の1.5倍の大きさだ。
 ただし大仏も建物も、そう古いものではない。建物は昭和になり再建されたもので、大仏は江戸(?)だったかな、たしかそのぐらいの時代に作られたものだ。
 その後、館山を回り、洲崎を経由して安房神社へ。この神社もとても由緒ただしきお社である。「延喜式」では明神大社に叙されている。
 安房神社に入った途端、なんとも清々しい気分になった。今、はやりのパワースポットなのかしら。かみさんも、その不思議な雰囲気に驚きの声を上げていた。
 夜は「萬兵衛」という名の民宿に泊まる。漁師の経営している民宿だとネットには書かれていたが、料理は期待外れ。以前、泊まった下田の「千鳥」という民宿の料理があまりに素晴らしかったので、それを期待していたのでがっかり。
 日曜は暴風の天気予報を知っていたので、速攻でフェリーに向かう。まだ運航している時間に金谷に着き、海も荒れる前で、無事に久里浜へたどり着く。
 お昼前だったので、せっかくの機会ということで、三崎へ向かいマグロを食べる。
 三崎を出たら、いつも行く「すかなごっそ」というJAが運営するスーパーに立ち寄り、野菜を購入。家に着くとちょうど大雨、突風がやってくる。雨にも風にも当たらずに、無事に旅を終えることができた。

 さて旅行から戻ったのは火曜だが、今日は木曜。では昨日は何をしていたのかというと、本を読んでいたのだ。昨日のうちにブログを更新したかったのだが、本から離れることができずに、ブログを書くことができなかった。
 読んでいたのは増田俊也の「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」だ。
 労作だった。「木村の前に木村なし、木村の後に木村なし」といわれた不世出の柔道家、木村正彦の生涯が力道山との一戦を中心に描かれている。
 木村はグレーシー柔術の始祖、エリオ・グレーシーを腕がらみで破り、グレーシー一族から今でも史上最強の格闘家と崇敬されている柔道家だ。
 いかに木村が強かったかがよく描かれている。例えばへーシングや山下とやったらどちらが勝ったであろうかという格闘技ファンなら誰でも抱く疑問を、木村の実力を知る弟子や知人の証言で解き明かしてある。
 ちなみに夢の対戦は、木村を知る全てのひとが口をそろえて、木村の圧勝であろうと答えている。

 この本があまりに面白くて、他のことが手に付けられなかった。週末から時間を見つけては本を開き、佳境に迫った昨日は、ほぼ終日、読み入っていた。そして読み終わったのは、本日のちょっと前である。700ページもある本で、手に取ると怯んでしまうほどだが、お勧めの一冊だ。
 
 

プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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