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私は不調、梅干しは順調



 眠い。パソコンに向かっていても、暑さと眠さで、脳みその半分は眠っているような気がする。
 オリンピックだ。昨夜は柔道の試合をライブで見てしまい、ふとんに入ったのは1時ごろだった。そして起床はいつも通りの4時半。3時間半しか寝ていない。

 この2か月間進めていた仕事は、今日中に仕上げる予定でいた。しかし案の定、遅れている。今日中に仕上げることは不可能だ。来週には旅行に行くため、それまでには必ず仕上げなくてはならない。クライアントからは、少し遅れても構わないと言質を得ているので、少し気が楽だが。
 今日も朝から仕事で、頭をフル回転で使わなければいけないのに、脳みその半分は休暇中である。残った半分も、お疲れ気味で、あまり働いてくれない。でもやらなくては。
 もうほとんど終わっている。後は最終部の年譜とConclusionの部分だ。年譜の訳はあまり頭を使わなくてよさそうだ。分量は多いが、休暇中の脳みそも、暫くしたら出社してもらい、社員総出で働いてもらおう。そうすれば、きっと今日中に終わる。でも、今夜はちゃんと休ませてあげなくちゃ。またオリンピックを見たら、明日は全員休暇を申し出てくるだろう。

 そんな切羽詰まった状況にもかかわらず、昨日は梅を天日干しした。七夕の日に梅を塩漬けした。塩漬け期間は3週間だそうだ。それで昨日は仕事を中断して、梅を甕から摘み出し、ザルに一つずつ並べて、庭で干した。
 梅は4キロだが、ザルはひとつ。間に合うのかどうか心配だったが、並べてみると丁度のサイズだった。きれいに並べた梅を見ていると、喜びが込み上げてくる。
 サイズ、色、形、どれを取っても素晴らしいではないか。これが初めて梅干しを作る男の作品だろうか。我ながら惚れ惚れする。昨日はおそらく、10回以上は庭に出て、梅干しを眺めただろう。嬉しくてかわいくて。頬ずりしたいぐらいである。
 梅を干すのは、思ったよりも時間がかからなかった。その後、何回も眺めにいったので、累計ではそれなりの時間を取られたことになるが、良い気晴らしになった。

 きちんと数えたわけではないが、梅の数は300程度だ。僕は毎日、梅干しを一つずつ食べている。大きい梅は半分しか食べないときもあるので、この量で1年持つだろう。いや、全体的に梅のサイズが大きいので、かみさんと半分こずつ食べれば、二人で一年楽しめるかもしれない。
 天日干しは3日3晩だそうだ。それが終わったら、容器に入れて熟成を待つ。年明けには食べられるそうだ。
 今からとても楽しみだ。

梅の天日干し
炎天下の梅干し達。しっかり日光浴して、美味しい梅干しになってね。


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夏の珍事と悔恨


 先週の土曜日、HSBC時代の仲間と飲んできた。昨年に続き2回目の同窓会だ。調べたら昨年の8月3日に、ブログで同窓会のことを書いているので、ほぼ丸1年ぶりの会合だった。
 今回はメンバーも少し増え、12人が参加した。僕は1年間しかHSBCにいなかったので、在職期間が重ならない人もいたが、ほとんどのメンバーが顔なじみだ。会った瞬間に、25年前にタイムスリップしたように会話がはずんだ。

 一軒目の店は品川のventoというイタリアンダイニングで、二軒目は同じく品川の名前は忘れた居酒屋だった。Ventoから居酒屋へは歩いていったのだが、その間にちょっとした珍事が発生した。
 僕は黒ちゃんという色の黒い男と話しながら歩いていた。ちなみに黒ちゃんは色が黒いから、黒ちゃんと呼ばれているのではない。苗字に黒という字があるので、黒ちゃんと呼ばれる。20メートルぐらい前方には、仲間の女性陣が二人で歩いていた。何気なく前方に目をやると、女性二人に見知らぬ男が声をかけている。きっと呼び込みだろうと思った。
 しばらく歩き、目的の居酒屋近くになると、女性陣二人が目を輝かせて、僕らを待っていた。そして堰を切ったように先ほど声をかけて来た男について話し始めた。どうもナンパであったようだ。ちなみにこの女性陣は僕と同年代である。
 それから居酒屋に入って、また飲みを再開したのだが、女性陣の興奮はしばらく続いていた。こころもち一件目のイタ飯屋よりも、色気がむわ~っと、出ていたような気がする。
 あのナンパ男に、我々も感謝しなくてはならない。きっと一日、二人は幸せであっただろう。気分を良くした、女性陣と酒を酌み交わす我々も、幸せが伝播したようで、美味しく飲むことができたし。とにかくみんな、ハッピーハッピーであった。ナンパ男くん、ありがとう。君は良いことをしました。

 と、飲み会はとても楽しいものだった。2軒目を出た後も、まだ飲み足らず、横浜に帰る黒ちゃんと横須賀線で缶酎ハイを飲むことにした。幸いボックス席が空いていて、ふたり楽しく談笑しながら、品川横浜間を過ごした。黒ちゃんが下りた後は、当然のごとく睡魔が襲ってきた。そして逗子に着いた。
 駅を降り、エスカレーターに乗り、改札に向かう。見たことがある風景だが、どうも様子が違う。うう。ここは逗子じゃない。いやな予感が脳裏を走る。
 またやってしまった。久里浜まで来てしまったのだ。時刻は11時半。すでに上りの最終は出てしまっていた。酔いは急速に冷めていった。
 夏の虫が元気に鳴くホームで、僕も泣きたい気持ちになった。選択肢はタクシーしかないのだ。タクシーに乗り込むと、乗り過ごした酔客としっている運転手は笑顔で迎える。僕は力なく、逗子と伝える。運転手は嬉しそうに、「高速を使いますか、お客さん」、と言った。結局、高速を使って、タクシーで逗子まで帰る。料金は7420円だった(高速代含む)。

 ああそうである。ちょっと冷かすように書いてしまったので、ナンパされた二人の名誉のために最後に付け加えてこう。
 2人だが、とってもアダルトな色気を醸し出す、美人ですよ。

ビールだけが、救いです


 すごい暑さだなあ。ずーっと麦茶を飲み続けているけど、トイレに行きたいと思わない。全部、汗で排出されているようだ。

 今も、ノーエアコンで頑張ってますよ。でも扇風機は付けっぱなしだけど。
 いつもは扇風機は2,3メートル離して、首を振って使っているけど、今は1メートルの至近距離から、首を固定して風を当てている。風が直接当たる部分が、なんだがこわばるような気がするけど、でも首を振ったら、5分と持たない。

 エアコンは前も書いたが、1階の居間にはある。でも仕事部屋にはない。1階で仕事をすればよいのだが、まだ頑張れそうなので、頑張っている。なんでそんなに頑張っているかというと、別にエコを配慮しているわけではない。ただ仕事道具を持って1階に下りるのが面倒くさいのだ。面倒くささに暑さが勝ったら、そのときは下に行く、と思う。もしかしたら仕事を止めて、海の家にでも飲みに行っちゃうかも知れないけど。

 しかし僕の場合は好き好んで、ノーエアコンを通しているけど、中にはエアコンが家にない人もいるだろう。そんな人にとっては、耐えられない暑さだろうな。アメリカやヨーロッパは普段は涼しいのでエアコンを設置しない人が多く、急に猛暑に襲われると、死人が出る。日本も他人事ではない、今年の暑さだ。

 暑さは耐えられる。扇風機さえあれば。問題は、ビールだ。飲みたくなってしまうのだ。麦茶ばかり飲んでいると。
 1年前から飲むのは週末と決めていたが、最近は毎日禁を破っている。もう、飲みたくて、飲みたくて。
 ただただ、飲むために仕事をしているようなものだ。

銀座で感じたこと


 昨日は都内に出た。仕事の関係で新富町まで行ったのだ。
 新富町へは新橋から歩いた。30分ぐらいかかるのだが、大抵は歩いて行く。
 逗子から横須賀線で行くと、新橋までは780円だ。それが有楽町まで乗ると、890円になる。新橋と有楽町間は多分、1キロぐらいしかない。それなのに120円も異なる。
 120円をけちるだけで、歩いたのではない。新橋から銀座に抜け、それから京橋方向へ向かい、新富町に到る街並みを歩くのが楽しいからだ。普段、森の中ばかり歩いているので、都会の喧騒が新鮮である。

 昨日歩いていて、ふたつ気が付いたことがあった。
 ひとつは中国人が多いことだ。特に銀座であるが、銀座通りをぶらつく買い物客の半分以上は中国人だった。あてずっぽで書いているのではない。これは精緻な統計の結果だ。
 なぜわかるかと言えば、言葉で分かる。それと外見でも。言葉の場合は、まず間違いはないだろう。日本人が中国語で会話していれば、この推測は怪しいものとなるが、その可能性はかなり低いだろう。もし言葉が聞こえないときは、外見で予測を立てる。そしてしばらく聞き耳を立てるのだが、大抵は予測が当たっていた。結果を集計すると、半分以上は中国人であることが判明したのだ。ただしこの統計には、台湾人が含まれていることを、お断りしておくが。
 しかしだ。銀座を闊歩するショッパーの半分以上が中国人であるとは驚きである。会社員時代にも、よく街で中国語を耳にした。しかしそれはショッパーから漏れてきたものではなく、セラーつまり売る方、だいたいは飲食店の従業員の口から聞こえたものだった。
 会社を辞めて3年以上経ったが、随分と変わったものである。

 もうひとつの気づいたことは、それは僕自身の変容についてだ。街を歩いていて、とても違和感を覚えた。僕はこの街の住人でないという違和感だ。
 会社員時代も銀座に住んでいたわけではないけど、毎日東京に出ていて、東京は僕の体の一部だった。だから銀座を歩いても、違和感はなく、周りの人々は同朋だった。
 しかし昨日の僕はまるで外国人であった。きっと周りは僕を中国人か、あるいは韓国人と感じていたと思う。実際にガラスに映る僕は、なんだかヘンテコで、銀座にマッチしていなかった。なぜだろう。
 心の問題だろうか。ちょっとドキドキしながら歩いていたかもしれない。周りをきょろきょろ見回していたからかもしれない。心理の影響は、きっと大きい。
 しかしそれだけではない。窓ガラスに映る外貌も、明らかにヘンテコであった。
 昨日の僕はユニクロ製のコッパンとユニクロ製のポロシャツ、それとディオールの麻のジャケットを着ていた。ああ、歩いていたときは、暑かったのでジャケットは手に持っていたけど。
 ユニクロ製の上下を着ているサラリーマンは多いだろう。だからこの点では問題はないはずだ。難があるとすると、上着がワイシャツでなくポロシャツであったことだろう。そう、このポロシャツが問題だった。
 かなり古いポロシャツだ。多分、10年ぐらい前の。着古したせいで、裾がかなり伸びている。普通、ポロシャツは腰骨あたりに裾がくるだろう。ところが昨日のポロシャツは、股のあたりまでだらんと伸びきっていた。これが、とても野暮ったく、何ともいえぬ不思議な自己主張を行っていた。
 やはり手に持っていたとはいえ、ディオールのジャケットも、異彩を放っていたかもしれない。ジャケットは黄色であった。

 上記の理由が相まって、銀座は僕を快くは迎えてくれなかった。街を歩いていると、街自体が冷たい視線を送っているような気がした。早く逗子に帰りたくなった。
 仕事が終わると、普段は店を覗いたりするのだが、昨日はまっすぐ逗子に帰った。当然、地下鉄には乗らず、新富町から新橋までは歩いたけど。

自由と常識


 ずっと仕事をしている。僕には週末とかは関係ないにもかかわらず、普段は土日は働かない。でも先週末は、仕事をした(合気道の稽古には行ったけど)。仕事が終わらないのだ。
 朝7時には机に向かうようにして、夜は9時過ぎにかみさんが仕事から戻ってくるまで、仕事をしている。最近は1日2500ワード以上のペースで翻訳をしている。以前のブログに書いたが、僕のペースは1日2000ワード以下である。できれば1500ぐらいがベストだ。2500だと、10時間以上もかかってしまう。その間、食事を作ったり、洗濯をしたりの、主夫業もこなしているので、10時間が限界なのだ。
 でもようやく先に明かりが見えてきた。今週中、多分、土日も含めてだが、には終わりそうな気配がしてきた。来週の月火で見直しをすれば、7月中に仕事を終えることができる。そうすれば、8月からは夏休みだ。
 そんな感じで、机に向かってばかりの生活なので、あまり書くことがない。書くことがないので、コロラドの乱射事件について、感じたことをちょっと書く。

 一日、仕事をしているといっても、僕の場合はちゃんと息抜きをする。そこのところが、僕の今一つの部分なのだが、自分らしさというか(最近のキーワードですねえ)、キャラクターともいえる部分である。
 翻訳で頭がパンパンになると、ネットで新聞記事などを読む。日本語がやはり多いのだが、英語も読むことは読む。以前はニューヨークタイムズを読んでいたが、最近は有料になったので、Huffington Postというのを読んでいる。
 コロラドの銃乱射事件の記事を読んでいて、驚いた。犯人がカリフォルニア州立大学のリバーサイド校(UCR)出身だというのだ。UCRは僕の母校だ。卒業していないから母校とは言えないのかもしれないが、とにかく在籍していたことがある大学だ。
 カリフォルニア州には州立大学が10校ぐらいあって、有名なところはUCLAだとかバークレーで、UCRの名前を日本で目にすることはまずない。それが、このような事件で、触れるとは。
 UCRは場所でいうと、ロサンジェルスとサンディエゴのちょうど中間地点あたりを、内陸部に50キロぐらい入ったところにある大学だ。まわりは砂漠というか土漠で囲まれていて、西部劇の舞台みないな地形である。むこうの大学は、スプリンクラーがぶんぶん回って、芝生が整備され、フェニックスなんかも植えられているから、キャンパス内は緑で一杯だ。しかし一歩校外に踏み出すと、かなり荒涼とした土地である。だから田舎だ。
 あの田舎の大学を卒業した男が、あのような事件を犯したとは。田舎の人でも、もちろん犯罪者になることはあるだろう。それでも現実にあの場所を知っているだけに、理解が難しい。

 あの事件で、ひとつ気になっていたことがあった。それは犠牲者に子供が含まれていたことだ。だってあの映画は深夜零時に始まって、終わるのは2時過ぎだ。それも木曜日の。木曜日の深夜零時過ぎに、子供が暴力シーンの含まれる映画を見ているって、どういうことなの。子供って、夜は家で寝ているものじゃなかったっけ。
 実はあの事件を知った時に、最初に感じたのは、この疑問だ。事件自体はアメリカではさほど珍しくない、銃の乱射だ。スーパーでライフルやショットガン、ピストルを気軽に買える国だもの。そんな事件が起こるのは、むしろ当然だ。自ら銃の保持を選択しているのだから、それに伴うマイナス面も覚悟の上だろう。だから、乱射事件自身は、とくに驚くことではない。
 でも、深夜の映画館に子供がいた。それも乳幼児までもが。こちらの方が恐ろしい。
 これは由々しき問題だ。アメリカもついにここまで来たのかと、なんだか不快な気分に襲われた。そしてアメリカの子供の置かれている立場に、憐憫を感じた。とてもかわいそうだ。
 そう考えているのは、日本で息抜きにニュースを眺めている僕だけではなかったようだ。Huffington Postには、むしろこのことを問題視して取り上げるコラムが掲載された。またそれに対する同意の投稿があいついだ。アメリカ人も、これはただ事ではないと感じているのだ。
 しかし自由の国、アメリカである。子供を深夜に映画館に連れ行く権利を主張する馬鹿者もいる。実際に、コラムにはそのような反論も寄せられている。
 あの自由と法治の国では、法律で規制されていないかぎり、道徳や常識で、人を促すことはできない。
 おそらくこの問題は、さらに大きく取り上げられるだろう。その結果、法律で規制を設けると、僕は予測する。
 
 日本でも最近、深夜の繁華街で子供や乳幼児を見かけることがある。日本も法律で取り締まらなければならない、常識の通じない時代に入ってしまったのかもしれない。

夏の仕事部屋


 暑い。かなり暑い。そうとう暑い。
 あまり冷房は好きでない。だからめったなことでは冷房は付けない。でも今日は付けたい。でも付けていない。それは付けられないからだ。我が仕事部屋にはエアコンがないのだ。
 窓を開け広げ、扇風機を回せば、大抵の暑さは凌げる。でも今日は扇風機も、むわっとした生ぬるい風を吹きつけるばかりで、涼しさは訪れない。
 リビングにいけば、一応はエアコンがある。うちは無線LANを引いているので、リビングでも仕事はできる。リビングに行ってしまおうかなあ、とさっきから考えながら仕事をしている。
 でもまだ7月の中旬だ。今からリビングに逃げ込んだら、夏中リビングで過ごすことになる。
 もう少し我慢しよう。

 考えてみたら、僕がエアコン生活を送るようになったのは、社会人になってからだ。実家にエアコンが来たのは、大学生の頃だったと思う。しかしエアコンはやはりリビングに一台だった。大学生になった僕は、あまりリビングに寄り付きたくなかった。ほとんど家にいなかたし、家にいるときは自分の部屋にいた(寝てた)。
 自分の部屋にエアコンを付けたのは、社会人になってからだ。今ではあるのかどうか知らないが、エアコンというより冷房機というやつで、窓に直接はめ込むものだ。工事なんかしなかった。電気屋で買ってきて、自分で窓に取り付けた。
 かなりでかい音がゴーゴーとなる代物だった。でも涼しかった。嬉しかった。

 あのうるさい冷房機を買ってくるまで、20何年間はエアコンも冷房もない生活だったのだ。だから、今だって、何とかなる。
 何とかならないのは、スーツにネクタイを締めて、外を歩く時だ。あれは辛い。ああ、辛かったなあ。特にアホな上司と、横柄な取引先へ営業に行くときなんて、最悪だった。
 もう、あの生活はごめんだ。今はいまで、経済的に厳しくて、不安もあるが、こちらの方が断然よい。
 それに、ただ今の僕の姿は、短パンにTシャツだ。小学生の頃の恰好と同じだ。だから、小学生でも普通に過ごせたんだから、大人になった今、耐えられないはずがない。
 
 と、考えたりもするが。本当はどうだろう。あの頃よりも、暑い日は多くなっているようだし。年齢も、マイナスになっても、プラスに作用することはないかもしれない。

 ああ、そうだ。昨日、ついに水道の工事が終了した。洗面所の水も出るようになった。水が自由に使える生活って、素晴らしい。

 水道屋は冷房が不可能な屋外で、蚊がぶんぶん飛ぶ中、作業をしていた。
 俺もがんばろう。

水道のある生活

  
 昨日、水道屋が工事に来てくれた。1時間近くも水道管が破裂したまま放置していたので、さぞ床下は水浸しだと不安だったが、水は溜まっていなかった。うちの床下は土なのだ。それが幸いしたようだ。
 今の家は、いわゆるベタ基礎というやつで、コンクリートで地面を覆う。しかし拙宅は齢40うん歳なので、ベタ基礎以前の作りだ。昔風で、土に直接柱を立てて、家が土の上に直接乗っかっている。
 ベタ基礎は外からの浸水は防ぐが、中から漏れ出したら、いつまでたっても水は引かない。それが土だと、中からの水は、地中が吸い込んでくれる。

 工事はまだ途中である。昨日は漏水個所を特定し、そこへつながるパイプを塞いだ。塞いだのは洗面所へ向かうパイプだけなので、他の場所の水道はすべて使える。キッチンも風呂も、そしてトイレもだ。
 日曜日は合気道の稽古へ行き、体育館でシャワーをあびることができた。でも月曜はあびなかった。この暑さだ。体中がべとべと状態だ。昨夜は風呂を沸し、2日ぶりの行水をした。う~、気持ちがいい。
 トイレも使いたい放題だ。昨日までは小は流さず、大が出現するのを待って、まとめて流した。それも貯水タンクには、風呂から桶で水を汲んでいたのだが、けちって少ししか水を入れないため、ちゃんと流れない。なるべくトイレの底は見ないようにして、用を済ませたものである。しかし昨日からは、じゃんじゃか水を流している。トイレの底も、顔を洗いたいような清浄な水が、なみなみと溜まっている。
 それと、もしかして一番嬉しかったことは。それは手を洗えるようになったことだ。昨日までは手は洗わなかった。料理をしたり、ご飯を食べたり、せんべいを齧ったりすると、どうしても手が汚れる。なんとなく、べたべたした状態になる。でも、水がもったいないので、洗わない。ではどうしたかというと、ウエットティッシュで拭いていたのだ。これでも、かなりさっぱりする。でも完璧とはいえない。
 僕は今、一日中、キーボードを打っている生活をしている。手がべとべと状態で、キーボードを打つのは、とても気持ちが悪い。それが、今はない。だって、水道で洗ったきれいな手で、キーボードを叩いているんだもん。
 今朝はご飯を炊いた。これも久しぶりだ。日、月、火と朝はパンを食べた。我が家は、朝はごはんがスタンダードなので、なんとなく物足りない感があった。今朝はしっかり炊き立てのご飯を食べた。今日はとても、元気が出る。

 しかし、なんですな。普段、当たり前のように使っているものが、いきなり使えなくなると、その有難味が分かるってもんですね。逆に言えば、それまで有難味に気付かなかった、自分の思慮の浅さに、驚かされもしますね。
 
 工事は今日も続く予定である。今日は止めてある、洗面所へつながるパイプを再開させる。掘り起こした土を埋め、はがしたコンクリートを塗り直す。

 水道屋というのは、良い仕事だ。我々の生命線である、水道管を守ってくれるのだから。客の喜びも、直に感じることができるだろう。汗だくになって工事をしてくれる水道屋さんに、客と業者の関係であるが、やはり感謝の念を禁じ得ない。

水道管が破裂した


 先週の土曜のことだ。夕方、風呂に入っていたら、隣家から水が何かにぶつかるような大きな音が聞こえた。きっと庭で網戸でも洗っているのだろうと思った。それにしても何で夕方に網戸を洗っているのかと訝しくも思ったが、深くは考えずにいた。
 風呂から上がり、夕食を食べている時も音は続いていた。するとかみさんが、「お隣、大丈夫かしら。何かあったんじゃないかしら」と言った。たしかにそうだ。網戸を洗うには、長すぎる。お隣は高齢のご夫婦だから、庭で倒れたりしていたら、一大事だと考えた。それで隣家の庭が見える我が家の裏庭から確認することにした。お隣を覗くと、何事もない。それに、音の出所はお隣ではない。むむ、我が家ではないか。
 さて、どこからこの物凄い音は聞こえるのだと音源を確認すると、我が家の床下であることが確認された。そのときはすでに暗くなっていたので、懐中電灯で照らすと、床下から水が染み出ていることも分かった。
 それから大慌てである。家の真下で水道管が破裂したのだ。どうしたら、いいだろう。音が始まってから、もう一時間近く経っている。床下はおそらく水浸しだろう。放っておくことはできない。そうだ、まずは水道の元栓を閉めよう。
 元栓を閉めると、同時に音は止んだ。まずは、やれやれである。しかし、「やれやれ」なんて、村上春樹のように黄昏(たそがれ)ていても始まらない。対処しなくてはならない。

 以前、下水管が漏水したときに工事を請け負ってくれた水道屋に電話をした。あいにくその日は土曜日で、さらに夜の8時を過ぎていて、従業員はいなかった。おかみさんが電話に出たが、とても心配してくれた。それですでに水道屋を息子に譲った元親方に電話をかわってくれた。
 元親方も、「そりゃ大変だ」と同情してくれた。でも続けて、「うちは日曜は休みで、月曜も海の日で休みなんですよ。早くても行けるのは火曜日になりますが。それに火曜も、職人のスケジュールは決まっているし」と申し訳なさそうにおっしゃる。「それじゃ、どうしたらいいんでしょう」と頼りなげに聞くと、しばらく思案の後、「わかりました。じゃあ、月曜は休みですが、私が見に行きます」と言ってくれた。
 そして今日が月曜日だ。朝一に、元親方は言葉通り、様子を見に来てくれた。
 元親方の見立てでは、洗面所に通じる水道管が破裂したようだ。そこの部分だけ、地面を掘り返して、水道管を補修すれば、大丈夫ということだった。
 もしかしたら、家の床をみんなはがして、大規模工事をしなくてはならないのではと心配していた。まずはそれほどの工事ではなさそうだ。まさに、「やれやれ」だ。
 さらに職人のスケジュールを調整し、最優先で対応するように、息子である現親方に指示しておくとも言ってくれた。ありがたい。
 トイレの工事を請け負ってくれた安田工務店もそうだし、今回の水道屋さん「セツビ商会」も頼もしい。やはり地元で古くから商売を続ける職人は、本当に頼りになる。

 さて、土曜日からずっと水道栓は締めっぱなしである。つまり水道水は一切使えない生活を続けている。
 水はボトルウオーターを買ってきて、飲んだり、食事に使ったりしている。顔を洗ったり、歯を磨いたりに使うのは風呂の残り湯だ。食器もみなこれで洗っている。水道水が使える生活って、なんてありがたいことなのだろうか。

 この水欠乏生活で、一番困っていることはなんだと思いますか。それは水洗トイレです。使っても、流せないんだもん。
 風呂水を汲んで使ってはいるが、トイレはとても水を食う。どんどん減っていく風呂の様子が心配で、僕は昨日は「大」以外はトイレを使わないことにした。すべて庭で用をすませてしまった。
 さすがにかみさんに同じことを強要することはできず、かみさんはトイレを使っている。でも毎回流さずに、ためて、一度に流す。

 風呂の水で顔を洗い、歯を磨き、トイレは庭で済ませる。なんだがキャンプ生活のようで、結構楽しい。しかしこれも、土曜から火曜までと期間が限定されているから思えることだ。
 九州の大雨で家が浸水した人々は、どれほど心細く大変であろうか。

 実は庭が臭うようになった。庭での放水は、本日から中止することにした。蚊を気にせずに、安心してできるって。なんて、素晴らしいんだ。現代に生まれてよかったと、思ったのでした。

頭の中は、梅でいっぱい


 梅は順調に漬かっている。梅酢もたっぷり浮いているし、カビも生えてこない。

 梅がとても可愛い。ここ数日は、猫のフクちゃん、大ちゃんよりも可愛く思えてしまうほどだ。猫は向こうからスリスリ寄ってくるが、梅は自主的に来ることはない。いつもこちらから、伺わなくてはならない。
 女性と同じようなものかも知れない。相手が寄って来れば、なんとなく邪険に扱いたくなる。逃げれば追いたい。しかし泰然自若で動かないのは、もっとも手ごわい。こちらが寄れば、にっこりほほ笑んで迎えてくれる。しかし相手から、アプローチしてくることは決しない。いつも同じ場所にいて、近づけば、ただ芳香を漂わせ、気をそそる。実に悩ましい。

 先日は、梅酢を初めて使ってみた。ドレッシングの代わりにオイルと一緒に、サラダに降りかけたのだ。そのうまいこと。口の中一杯に、幸せ感が広がった。

 今日のお題は、これだけである。ちょっと短いね。
 最近は、何にも起こらない。毎日、家にずっといて、パソコンに向かい続けている。本も読まない。だから、書きたいネタに出会わない。

 早く、今取り組んでいる仕事が終わらないかな。終わったら、遊びに行こう。ジムへも行こう。本も読もう。庭の掃除をしよう。実家へも帰って、両親の様子を見に行こう。



 そうだ、閑話休題。厚生省が平均余命表というのを出しているのを、ご存じだろうか。平均寿命ではない。あれは、その年に生まれた赤ちゃんが、何歳まで生きるかの平均値だ。平均余命年数は、すでに生まれている我々が、あと何年生きられるのかの年数である。 両親について書いて、思い出したのだが。
 親父は今83歳で、後何年生きるのかを調べてみた。こう書くと、なんだか早く片付いて欲しいようだが、全然そうじゃありません。単純に、どのぐらいの余命があるのかを知りたかっただけだ。本当だよ。
 平均余命表は5才区切りなので85歳を見る。すると男は6.27年。つまり91.27歳まで生きるのだ。結構、先があるね。まずは、安心。僕の仕事がもう少し、安定して、安心させてあげたいのだ。それまでは、生きてもらわねば。それに親父は元気なので、もっと行くかもしれない。
 おふくろの場合だが。今71歳で、70歳を見ると、あと19.61年。89.61歳だ。まだ、随分、あるね。これも、よしよし。
 男の親父の寿命が長いのが不思議なようだが、それは親父がおふくろよりも12歳年上だからだ。すでに長生きした人は、その歳より以前に死ぬことがない。だから平均寿命が増える。ちなみに90歳の女性は5.71年で、95.71歳が平均寿命になる。
 ところで僕はどうかを見ると、僕は49歳だから、50歳を見る。すると、31.51年。81.51歳だ。あと、30年ちょっとである。これを長いと見るべきか、短いと見るべきか。
 そこで時間軸を逆さにしてみて考えた。30年前は19歳だった。大学に入った年だ。随分、古い過去なのだが、ついこの間のように感じる。本当に、ついさっきのようだ。例えば、今時代をワープして、ちょうど30年前に戻っても、きっと違和感なく、生活を続けられるだろう。普通に家族と接し、大学に通い、ガールフレンドとデートして。

 30年なんて、過ぎてしまえば、あっという間だ。
 歳を重ねると、年月は加速度を増して、過ぎていく。となると、これからの30年は、もっと早く流れるだろう。恐ろしいことだ。

梅干し作りに挑戦


 今年は初めて梅干し作りに挑戦している。梅干しを家庭でこしらえることは、案外難しいという。はたしてうまくできるだろうか。

 梅干しは毎朝、緑茶に入れて食している。じじむさい食べ方だと自分でも思う。でもこの習慣はもう10年以上、続けている。
 安岡正篤という東洋哲学の学者がいた。歴代の首相の精神的指南役であったと言われている。平成の元号も、一説には安岡が案出したとされる。晩年はあの細木数子を愛人とし、易経や四柱推命を細木に教えた。細木の六星占星術は四柱推命の簡易バージョンである。
 今では細木の愛人として有名になってしまった、元は偉い学者であるその安岡正篤が健康の基として、推奨していたのが、緑茶に梅干しだ。どんな用事があっても、必ず朝は家に戻り、梅干し緑茶を食したそうだ。安岡は85歳まで生きたから、きっとそれなりの効果があるのだろう。それで、私も続けているのだ。

 昨年の誕生日に妻にカメを買ってもらった。カメというのは、亀のことではない。甕の方だ。梅干しを漬け込む容器だ。
 私の誕生日は1月で、去年も梅干しを作る機会はあった。しかし、作らなかった。梅をどこで手に入れようかと思案しているうちに、梅のシーズンが過ぎてしまったのだ。梅が八百屋に並ぶのは、ほんの1、2週間だけだ。
 今年も近くの西友に、梅干しが並び始めた。しかしこの地域はいわゆる山の手カルチャーの地域で、家で梅干しを付ける人は少ないみたいだ。並んだ梅は梅酒用の青いものばかりである。梅干しには熟した黄色い梅が、必要なのだ。
 今年もどうしようかと思案していた。
 先週の土曜日にたまたま大船へ、買い物に出かけた。大船へ行くことは、1年で1程度しかない。珍しい出来事だ。
 大船はめったに行かないが、行けばとても楽しめる場所だ。昔風の商店街が続き、信じられない程安く、魚や野菜が買える。
 八百屋を眺めていると、梅が売られていた。熟した黄色い梅もある。そこで、これチャンスとばかりに、購入した。1キロ500円だった。安いのか高いのかは分からない。全部で4キロ、買った。

 日曜日に梅を漬け込む作業を行った。焼酎で甕を消毒した。梅は水で洗い、ヘタを楊枝で一つずつ取り去る。念のため、梅も焼酎で拭く。
 梅を甕に移し、塩を適量振り込む。重石は持っていないので、ペットボトルなどに水を入れ、約8キロの重しにし、落し蓋の上に乗せる。後は待つばかり。一日程度で、梅酢が浮いてくるはずだ。
 昨日は何度も梅酢のチェックをした。しかし浮いてこない。心配になった。
 そして今朝だ。甕を覗くと、梅酢がたっぷりと浮いているではないか。思わず、「やったー」と喜び、妻に呼び出し、えばって見せる。
 梅はとても良い匂いだ。今の段階では、まだ梅干しの匂いではない。もっとフルーティーで、プラムのような香りだ。とてもかぐわしい。
 このまま20日程度、漬け込む。その後、天気の良い日に、2.3日ばかり天日干しをする。それからは熟成を待ち、秋には食べられるという。しかし本当は、2年ばかり待った方が、味がこなれてきて美味しいらしいが。きっと秋から、食べ始めてしまうだろう。
 しかし梅干し作りは難しいという。カビがつくのだ。小まめに甕を覗き、カビが出てきたら、杓で掬う必要がある。
 まだまだ、始まったばかりなのだ。小まめな確認を続けなくてはならない。

 今は気になって、一日何度も甕の中を覗いている。なんだか、ワクワク楽しくて、つい覗いてしまうのだ。

梅干し

昨年、誕生日プレゼントで買ってもらった自慢の甕。ペットボトルを重石にしている。
かなり大きいので、10キロは漬けられそう。



夏はもうそこ


 ウイークデーは仕事三昧。当たり前か。

 4時半に起床して、朝飯の支度と、片づけ、猫の餌やりとトイレの掃除、洗濯にゴミ出し。これらを、もうダッシュで行う。今日は妻を駅まで送って行ったので、ちょっと時間がかかったが、うまく進むと7時前には、朝の家事が終了する。
 そして7時から仕事。できれば、これがなかなか難しいのだが、できれば5時間集中して、仕事にかかる。調子よくいくと、これだけで、かなりの仕事をこなせる。
 本来の希望は、これで仕事はThat’s it。後は散歩したり本を読んだり、ジムへ行ったりしたいのだが、今はお預けである。午後もずーっと仕事を続ける。夕方まで仕事をし、それから夕方の家事に取り掛かる。
 洗濯物を取り込んで、畳んで、しまって。夕飯の材料を買い出しに行き、風呂を掃除し、沸し、夕食を作る。
 それから、一人でテレビを見ながら、食事をする。終わるのはだいたい7時ごろ。やれやれだ。
 後はまた仕事を再開し、妻の帰りを待つ。
 妻が帰ってきたら、夕食を出し、ちょっとお話し。
 毎日、あわただしい。

 今月は幸いにも大きな仕事をいただいている。この仕事のタイムリミットは、8月のはじめ。自分としては7月中に終えたいと思っている。
 そのために、自分のスペックぎりぎりのペースで仕事を進めている。もう削る時間は睡眠時間しかない。睡眠時間は今がだいたい6時間。これ以上、削るのは、体力的にキツイと感じている。やはり今のペースが、マックスだろう。
 
 仕事が7月中に終わったら、8月はレギュラーの仕事以外は引き受けずに、余裕をかまして、遊んで暮らそうと思っている。
 昼間は本を読んだり、芝生を刈ったり。8月は妻も3週間近く休みなので、一緒に買い物に行ったり、近くをぶらつくつもりだ。夕方にぶらりと駅まで下りて(我が家は山の上なので、こういう表現になる)、海の家で一杯飲んでもいいな。最近の海の家は、とてもおしゃれなのだ。ちょっと海外のビーチにいるような気分に浸れる。
 それと旅行がある。台湾に行くのだ。楽しみである。台湾は行ったことがない。故宮も楽しみだが、食事を何と言っても期待している。今から待ち遠しい。
 そのために、今は集中のときだ。

 今日は晴れているが、涼やかな風が、窓から入る。比較的空気が乾燥していて、とても気持ちの良い日和だ。
 2,3日前から、虫の声が聞こえるようになった。何の種類か分からないが、夏の気配を感じさせる。今は聞こえないが、昨日は蝉の声も聞こえた気がした。
 もう少ししたら、近くの森に住む、河鹿蛙が鳴き始めるだろう。

 夏はもうすぐだ。

怖い揺れ方


 すごい揺れだった。昨日の地震だ。「え、」と思われる人が多いかもしれない。震度は最大で4だったから。でも逗子は揺れた。
 震源地は伊豆の方のようで、ここ逗子と近い。逗子も震度4だった。
 このブログの読者は、都内で仕事をされている方が多いと思う。東京は震度3程度で、それほど揺れなかったかもしれない。

 震度4といっても昨日の揺れは、ちょっと恐怖感を与えるものだった。それは突然に激しく縦揺れが来たからだ。3.11のときは、この辺りも震度5であった。揺れは3.11が大きかったし、時間も長かった。でも震源地が遠いからなのか、地震はじわじわとやって来た。
 ところが昨日の地震は突然だった。ガツンと下から突き上げられたような感じだった。「やばい、ついに来たか」と感じてしまった。

 うん、不安である。ついに東・南海地震が来るのかもしれない。あるいは富士山爆発か。東海地震が来れば、関東でもこの辺りは被害が大きいと予測されている。震源地に近いから。
 幸い、我が家は、標高が高い。70メートルぐらいかな。だから津波は心配ない。でも揺れはね。この家はなんといっても築40年超。ご高齢だ。耐震基準も、古いスタンダードで建てられている。果たして耐えてくれるだろうか。
 僕はほぼ1日中、家の中にいる。東海地震が来たら、おそらく家で迎えることになるだろう。崩壊しないでくれと、祈るばかりだ。

 前に書いた家の修繕積立金があるのだが、もう少し貯まったら、耐震補強をしようかと考えていた。でも早めに処置した方が良いように思うようになった。
 去年はたしか、市が助成してくれたはずだが。今年はどうだろう。今度、市役所に確認しなくてはならない。

合気道三段昇段審査


 週末は色々、あった。まず土曜日は文京区の道場に稽古へ行った。日曜は審査だったので、1時間ほど早く道場へ行き、一緒に三段を受けるオランダ人Fさんと稽古をした。
 その後、普段の稽古を終え、帰る。が、家には帰らずに、鎌倉駅で降りる。鎌倉駅周辺をぶらぶらと歩く。鎌倉に出かけても、足早に目的地へ向かうことが多い。しかし土曜日は時間があったので、ゆっくりと歩く。いつもは通り過ぎても、気づかずにいたが、良さそうな店をいくつか見つける。普段、鎌倉に出かけることが少ないのだが、せっかく近くに住んでいるのだから、たまには出かけるべしと思う。鎌倉駅の雰囲気は逗子駅とはまったく異なる。賑やかで派手やか。そしてしぶい。

 歩いて向かったのは八幡宮裏にあるフレンチのレストラン「レネ」である。かみさんの誕生日祝いだ。夜は6時に開店のようで、我々は6時に待ち合わせ。私は6時前に到着。かみさんもすぐに着いた。
 レネのディナーは基本がコースのみ。といってもとても安い。前菜、メイン、デザート、飲み物のセットで、4700円(だったと思う)だ。
 我々はフランス産の白ビールというのを1本ずつ、それと白ワインを1本頼む。
 料理もビールもワインも、とてもうまかった。この店は夫婦で営まれているが、シェフはフランス人である。奥さんは日本人。二人はフランス語で話なんかをしている。味は本場のものだし、店内の雰囲気もフランスである。帰りはバスですぐに着ける位置にある。バスで行ける、フランスなのだ。
 とても楽しむことができた。

 さて日曜日は合気道の審査だった。前週は初段以下の審査だったが、今回は3段のみ(2段の受験者はなし)。3段受験者は5人いたはずだった。いたと過去形にするのは、結局3人しか受けなかったからだ。
 1人は体調を崩し、辞退をした模様。もう一人は、稽古日数が足りずに、審査を受けさせてもらえなかった。そのもう一人が、土曜に一緒に稽古をしたオランダ人のFさんである。
 Fさんとは、その前の週も、さらにその前の週も、一緒に審査向けの稽古をした。本人に受けられなかったことを尋ねると、「ダイジョーブ、デスネエ」、なんて言って笑っていた。
 Fさんは、合気道歴はすでに25年ぐらい。とうに3段どころか、4段になっていてもおかしくないキャリアと腕だと思う。本人はとても奥ゆかしく、進んで審査を受けたがらない。今回は私が受けるということで、受ける気になったようだ。たしかに2段に昇段した後は、子供が生まれ、以前のように頻繁に稽古はしていなかった。でも既定の300日に届いていないのだろうか。週1日でも年間で50日になる。300日には届いているように思えるのだが。
 審査当日に受けられないことが、知らされて、気の毒であった。

 本番の審査だが、可もなく不可もなくといったところだった。審査に出ると思われる技は、事前に何度も練習をした。日頃の稽古ではあまりやらないような技が多い。審査は師範が技の名称を口頭で言い、その技を行う。普段、あまりやらない技ばかりなので、戸惑ってしまう人が少なくない。私はFさん他と、かなり事前に稽古していたので、戸惑うことはなかった。
 ただやはり緊張はしており、体が硬かった。そのために中心線がぶれてしまい、普段よりもバランスの悪い技が多かった。

 審査が終わり、ほっとしていると、先輩方から声をかけられた。特に5段のYさんや、合気道だけでなく空手、柔道、剣道の有段者で、銃剣道と日本泳法では師範の資格を持ち、全部の段を合計すると30段とか言われるFさんに、褒めていただいたのは、嬉しかった。「落ち着いていて、とてもよかったですよ」と、おっしゃっていただいた。自分では緊張で、技が硬かったイメージだが、どうにか最低限の技ができたようだ。
 もしそれなりの審査ができたとしたら、それは普段の稽古の積み重ねだと思うが、はやり事前の審査向けの準備は大きかったと思う。それとシュミレーションも。
 シュミレーションとは、事前に合気道の高段者の演武をかなり見続けたのだ。審査の前の週は、毎日1時間程度、ユーチューブや手持ちのDVDを見た。いわゆる達人の技は、華麗すぎて、かえって混乱の基なので、オーソドックスな技を使う、現役の師範たちの技を見た。これが良かったのではと思っている。

 と、安心してしまっているのだが、審査は受けただけだ。結果が出たわけではない。落ちているかもしれない。
 ただ審査の結果は、人事みたいなものだ。本人の意思や希望とは無関係なものだ。結果のことは、今は考えないようにしよう。今はただ、意外とプレッシャーだった審査が終わって、ほっとしている。

 審査の後は、親父軍団が慰労の意味を込めて飲みに誘ってくれた。思い切り汗をかいた後のビールは、至高の味だった。

プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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