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台湾について書き忘れたこと


 台湾について書き忘れたことがある。とても大切なことなので、改めて書く。
 台湾はめしがうまい。どこに行ってもうまい。高い店もあるが、安い店も多い。屋台もある。それらが、どこもある一定の水準を超えている。もし失敗したなら、あなたは相当店を見る目がないということだ。しかし、このことは以前のブログに書いた。
 
 書き忘れたこととは、酒についてだ。台湾は酒飲みには、少々居づらい国ということだ。
 普通の店に入れば、おそらく酒は置いてある。しかし確実ではない。日本だって喫茶店やフルーツパーラーでアルコールを出さない店はある。でも少数だし、外観で分かる。しかし台湾の場合は、見た感じは置いてそうで、それでないケースがあるのだ。入ってから気付いたときのショックは、想像に難くないだろう。
 しかし店の場合は、大抵は置いてある。僕の場合は、外から見て、客が飲んでいることを確認してから入ることにしていた。問題は屋台なのだ。
 屋台は酒を置いていない。まずほとんどが置いていないのだ。信じられますか。Unbelievableだよ、本当に。

 台湾には夜市というのがあって、通り一杯に屋台が並ぶ。博多の中州みたいな感じだ。色々な店があり、それぞれ味を競い、どこもうまい。
 屋台には老若男女が集い、賑やかに色んなものを頬張っている。しかしちょっと変。なんか物足りない。そう、みな食べているだけだ。飲んでいる人はいない。正確には僕以外は。
 僕は夜市に来て、すぐに異変に気が付いた。それでビールを置いていそうな屋台を探し回った。しかしついに見つけることはできなかった。
 そこでコンビニに入り、500CCの缶ビールを買って来て、屋台の食材をつまみに飲んだのだ。すると当たりの視線が冷たい。
 それでも頑張って2本ばかり飲んだよ。あんまりうまくはなかったけど。そしたらついに、どこかの屋台のこわもてのおじさんが来て、出て行ってくれと言われてしまった。いや、中国語だったから、分からないのだけども、多分そう言われたと思う。すかさず「ワカリマセ~ン」というジェスチャー攻撃で返したが、多勢に無勢である。おじさんには、無数のギャラリーのバックアップがあるのだ。あまり粘って、せっかくの対日感情の良さを悪化させてもなんだし。それでもさらに5分ほど粘って、屋台を離れた。

 屋台だけではなかった。台湾には市場みたいな大きなスペースに、屋根はあるのだが、露天のような店がならぶ場所がある。プロムナードみないな感じの場所だ。そこがとてもうまそうなのだ。入ってすぐに、これはうまいと確信した。
 でも、みんな飲んでない。名前が分からないが、とても酒に合いそうな料理を食べているんだよ。それでも飲んでいない。勿論、夜の話だ。
 その時は、店の中にガラスケースの冷蔵庫を見つけ、ビールの所在を確認してから、入った。やっぱり飲んでいるのは僕だけだった。

 台湾はよい国だ。人はおおらかで人懐っこい。日本語は通じるし、物価も安い。めしはうまい。でも、欠点もあったというわけだ。
 最近は若者の間で飲み会が流行っているらしい。年配者は素行の悪さに眉をひそめていると聞くが、それでもアルコールを以前よりは受け入れる風潮が醸成されつつあるらしい。良い傾向である。
 どんどん醸成されて欲しいものだ。

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外出の一日


 月曜日は都内に出た。月に一度の取引先との打ち合わせのためだ。11時に家を出て、てくてく歩いて逗子駅へ。駅に着くまでに、汗だくとなる。
 駅近くで早めの昼食を取り、横須賀線に乗る。電車の中で、打ち合わせの書類に目を通す。1時間はあっという間に過ぎていく。
 いつも通り交通費を抑えるために、新橋駅で下車。そこからまたてくてく歩いて新富町へ。
 途中、休息と時間調整のために山野楽器に立ち寄る。炎天下の灼熱地獄からエアコンの効いた店内に入ると、そこは天国だった。2階のクラシック売り場で、まったりと寛ぐ。
 主に聞いたのはグールドだ。前回のブログに書いたが、本当に最近はグールドをよく聞く。今年は生誕80年、没後30年である。この間は朝のFMで特集をやっていた。改めて、グールドは面白い。
 特集では他のピアニストと比較して、どれだけ彼がユニークなのかを取り上げていた。聴き比べると、彼の特殊ぶりがよく分かる。
 グールドは変わっているばかりではない。胸の奥の敏感な部分に直接ぶつかってくるような演奏をする。ときたま琴線に触れて、涙が出そうになることもある。
 30分ぐらい音楽を楽しんで、何も買わずに店を出る。ふたたび炎天下をてくてく歩いて、先方の事務所へ向かう。

 僕はサラリーマン時代もそうだったが、無駄話が多い人間だ。無駄話をし過ぎて、核心の話ができずに時間が来てしまうこともある。だから打ち合わせでは、まず議題を先に進める。とんとんと調子よく打ち合わせは進む。その後、少しばかり世間話もして、打ち合わせを終了。2時間半が過ぎていた。
 最初の予定では、その後出版クラブの「洋書の森」に行こうかと考えていたが、時間がなくなってしまった。そこで久しぶりに産経新聞社に行ってみることにした。会社を辞めてから初めてのことだ。新富町から大手町まで、てくてくと歩いて行く。
 最初に元上司に連絡し、冷たいジュースをごちそうになる。昔の仲間の近況などを聞き、懐かしさがこみ上げる。
 上司と別れ、ビル内を歩いていると、後輩にばったりと出くわす。後輩が他のメンバーを呼でくれ、結果4人が集まり、15分程度お話をする。
 もっと話していたかったが、その後に予定が入っている。後ろ髪引かれながら、仲間たちに別れを告げ、再び横須賀線に乗って逗子に戻る。

 用事というのは妻とご飯を食べることであった。妻も夏休みが終了し、仕事が始まっている。しかし学校はまだ休みなので、帰りは早い。そこで逗子駅近くで前から気になっていた沖縄料理の店「来楽」に行くことにしてあったのだ。
 7時に入ると、人は誰もいない。大丈夫かなと不安を他所に、出てくる沖縄料理はなかなかなものだった。酒もうまい。
 2時間ばかり、沖縄料理に舌鼓を打ち、50度近い泡盛で酔いを楽しむ。相当、食べて飲んだが会計は7000円ちょっとだった。良い店だった。また来たい。

 帰りも30分をかけて、てくてく歩いて家まで帰った。

海はエメラルドグリーン


 毎日、好天続きだ。空が青い。雲は白い。そして海はエメラルドグリーンだ。
 よく沖縄やハワイの海をエメラルドグリーンと表現することがある。その色の訳はサンゴ礁にあると僕は思っていた。逗子、葉山の海にはサンゴ礁はない。だからエメラルドグリーンになるはずがない。でも最近のここらの海はエメラルドグリーンだ。ほんとうに、そうなのだ。美しさ極まれりといった、感じである。
 海の色の原因は、きっと太陽の光にあるのだろう。最近の太陽は、まるで熱帯の太陽のようだ。透明で力強く、そして艶めかしい。

 あまり天気が良いものだから、昨日はドライブをした。といっても行く先はいつもの“すがなごっそ”という名の農協のスーパーだが。行先はいつもと同じでも、今回は途中にいつもとは違う場所に訪れてみた。ホテル“音羽の森”だ。
 “すがなごっそ”に行く際に、いつも通り過ぎていた。入ろうと思ったことはない。別世界だと感じていたからだ。視界に入っても自然とスルーをしていた。
 今回はエメラルドグリーンの魔力に引っ張られたのかもしれない。気が付くと国道134号を左に曲がり、音羽の森の急坂を車は上っていた。
 さてどこに駐車場があるのだろう。きょろきょろしながら車を進めると、いつのまにかホテルの正面玄関まで来てしまった。するとホテルマンが車の前に立ちふさがって、車の進行を遮る。さてあまりのオンボロ車に不信と思ったのだろうか。
 致し方なく窓を開ける。すると「ご利用はなんでしょうか」。
 急にそんなことを聞かれても。ちょっと怯んでしまった。あわてて「めしを食べようと思って」と答える。少し下品な物言いであった。「ランチです」、ぐらいには答えたかった。
 答えると、何人もの従業員が車を取り囲んだ。一人が車のドア開け、外へ出るように促す。あれよあれよというまに、車を降ろされた。そして僕らはレストランへ誘導され、愛するマイカーはホテルマンによりどこかへ連れ去られてしまった。
 バレー・パーキングというやつだ。海外で体験があるが、日本では久しぶりだ。
 ところで急なことだったので、CDのスイッチをオフにするのを忘れて降りてしまった。そのとき聞いていたのはハイファイセットである。車に乗り込んだホテルマンは、ほくそ笑んだに違いない。思わず、「誤解だぁ」と叫びたくなった。普段はグールドとかを聴いているのに。

 さて僕らはちょっと暑いと思ったが、バルコニー席を選んだ。そこは海外のリゾートホテルのような空間だった。
 音羽の森に来たことがある人は思うだろう。なんてオーバーなと。しかし昨日の音羽の森は、ハワイのホテルと遜色ない雰囲気であったと思う。というのは、あのエメラルドグリーンのパワーのお蔭だ。
 生ぬるい、しかし心地良い海風が、汗に濡れた首筋を涼しげに通り過ぎる。目の前は葉山のエメラルドグリーンの海。水平線の先には大島が青く、そして文字通り大きく浮かんでいる。視線を近くに寄せれば、サーファーが波打ち際で、波の飛沫を浴びて滑っている。

 僕らはランチを取りに来たのだ。景色を眺めるためだけに来たのではない。そこで運ばれてきたメニューをおもむろに開く。そして、ため息を吐いた。メニュー冒頭の料理はハンバーガーであった。その値段、1万円。
 少し視線を動かすと、カレーライス1万円なんてのもある。もしかしたら大変なところに来てしまったのかもしれない。
 よくよく探すと、まあ普通の、この場合、ホテルとしては普通の値段の料理もあった。結果、僕はシーフードカレー(1980円)、かみさんはハンバーガー、しかし1万円のものではなく、1日15品限定とかの安めのハンバーガーが最後の一品だけ残っていたので、それを注文。値段は同じく1980円だった。
 料理を注文し終えるとボーイが、「お飲み物は?」と尋ねた。かみさんは、「あ、」なんて言って、メニューに目を向けようとした。僕は、「水でいいです」と即答で返した。

 さて味の方だが、これは満足のいくものだった。あの景色、雰囲気を鑑みれば、カレーライスとハンバーガーで約4000円の値段は、妥当なものと思えた。
 量の方だが、ハンバーガーは無難だった。しかしカレーは大変に上品なものであったと言っておこう。しかし味が上品なのは歓迎するが、量が上品なのは、ちょっとばかり心苦しい。
 かみさんと半分ずつ分け合うことで、さらに水を3倍もお変わりすることで、なんとか腹を膨らませることはできたのだが。
 全体的な感想だが、頻繁には来られないが、いつかのエメラルドグリーンの日には、また訪れてみたい。

 その後、“すがなごっそ”でたっぷりと新鮮な野菜を仕入れた。さらにいつも立ち寄る冷凍食品の専門店でクジラとマンボウを購入した。
 夜はかみさんが野菜中心の料理をたっぷりと作った。僕もお得意のクジラ汁を作り、そしてマンボウとクジラの刺身も切った。
 その夜は、ランチの分を取り返すべく、腹パンパンになるまで、食べまくった夫婦であった。

音羽の森
携帯で撮った写真。ちょっと薄暗い。本当は、もっと綺麗だったんだ、ほんとうに。

1980円のカレー
1980円のカレーライス。こうして見ても、少ない(涙)


キラキラネーム


 以前、子供に「悪魔」と名付けようとして、役所から拒絶された話がニュースになったことがある。あれは酷いと思った。
 今、山折哲雄の「ブッタは、なぜ子を捨てたのか」を読んでいる。そして知ったのだが、ブッタには子供が一人いた。ブッタはその子が生まれた当日(諸説ある)に、妻と子を捨てて家出してしまったのだが、その子の名をラーフラと名付けた。その意味は“悪魔”である。

 最近、自らの子に変わった名前を付ける親が多いと言う。変わった名をDQNネーム、あるいはキラキラネームと言うらしい。しかしブッタほどひどいキラキラネームを付けた親はいないのではないかと思い、今回のブログを書き始めた。そしてキラキラネームをネットで調べていて、ブッタはキラキラネーム親のチャンピオンではないことが分かった。もっと不思議な名前が、いっぱいあった。いくつか挙げてみる。

 世歩玲(せふれ)
 亜菜瑠(あなる)
 愛棒(らぼ)
 精飛愛(せぴあ)
 麻楽(まら)
 愛保(らぶほ)

 以上はセクシー系である。つづいて韻律がへんてこなもの。
 羽々亜(うはあ)
 爆走蛇亜(ばくそうじゃあ)
 萌羅等南(もららな)
 姫奈(びいな)
 新愛(にゅら)
 苺萌珠(まめたま)
 葉輪子(ぱりんこ)
 飛哉亜李(ひゃあい)

 続いてヒーロー名、あるいはブランド名。
 戦士太(べじた)
 園風(ぞふぃい)
 夢希(ないき)
 ビス湖(びすこ)
 美々魅(みみふ ※これはうどん屋の“美々卯” に似ているので、ここに入れる)

 カテゴライズは難しいが、ただキラキラ度が高いもの。
 ララ桜桃(ららさくらんぼ)
 犯志(ひろし)
 音壱湖(のいちご)
 振門体(ふるもんてい)
 幻の銀侍(まぼろしのぎんじ)
 親通(おやつ)
 賢一郎(けんいちろう ※女の子)
 煮物(にもの)
 腸(ひろし)

 どうです。すごいでしょう。ブッタの“悪魔”君が霞んで見えるというものだ。
 非常に不謹慎と知りながら、僕はこのDQN名を眺めていて、何度も噴き出してしまった。しかし冷静になると、なんとも複雑な心境になる。そしてこのテーマでブログを書いてよかったのか迷ってきた。というのは、実際にこうした名前を持つ子供がいるのだから。子供の名前をネタにしてよかったのだろうか。
 僕の名は拓也だ。今はありふれた名であるが、僕が子供のころは珍しがられた名前である。妹は春夏と書いて“はるか”と読む。これは今でも珍しいだろう。
 両方とも父が付けた名だ。僕には「人生を切り開く」期待を込め、妹には「春と夏の間に生まれたから」という、これは期待や願いはないが、それなりの意味を込めて名付けたそうだ。うん、ここで妹の名を挙げたことで、結論付けが難しくなってしまった。

 つまり言いたいのは、父のように、このキラキラネームの子たちの親も特別な思いを込め、子の幸せを願って名付けたことを僕は願うということだ。名は単なる識別子ではない。そこに親の思いが込められているはずだ。幸せを祈って名付けられたことを願いたい。

逆累進課税


 最近、台湾旅行やフレンチレストランなどリッチな話題が続いた。しかしこれはやはり非日常であり、足元を見れば、僕は決してリッチではない。いやむしろ今風に表現すれば下流社会の構成員かもしれない。
 最近、その下流社会と人たちのブログを読んでいる。本人が下流だと言うので、失礼かもしれないが、下流社会の人たちと呼ばせてもらう。
 その人たちのブログを読み、さらにここ数年、自分で確定申告をしてきて、感じたことがある。日本は下流社会でまともに働く人に対しては、逆累進課税を押し付けているのではないかということだ。

 例えば時給800円で、介護施設で働く人がいる。介護業界はパート従業員に依存しているようで、実際にこのぐらいの時給で働いている人は多いらしい。1日8時間、1週間5日働き、1か月を4週間で計算すると、この人の月給は128,000円だ。12か月間、祭日も正月もお盆も休まずに働いても、年収は1,536,000円にしかならない。(僕が読んでいるブログの管理人は、交通費も自己負担なので、実際はそこに交通費の負担が生じる)
 この人の、社会保険料と税金はいくらぐらいになるのかというと、逗子の場合だと以下程度だと思う。この数字は、以前自分のものを計算したときの数字の流用である。
 国民年金と健康保険で約40万円。住民税は約10万円。所得税が約5万円。合計、55万円だ。さらに消費税も当然かる。年間、80万円支出したとすると4万円。合計、60万円だ(59万だけど、だいたい60万円)。
 さらに家を持っていたりしたら、固定資産税もかかる。家の価値によるが、10万円ぐらいかな。これも含めれば、税金と社会保険料の合計は70万円だ。150万円程度の収入で70万円はかなりしんどい金額だ。

 翻訳者もこのぐらいの収入の人がゾーンとしては一番多いのではないだろうか。かくいう私もついこの間まで、このぐらいの年収だった。翻訳で月、10万円を稼ぐのは結構大変なことだ。
 毎月、10万円ちょっと稼いでいて、年度末に70万円をまとめて支払うのが、どれほど難儀なことなのか。想像は難しくないと思う。(例えばの話で、実際にはまとめて請求されるわけではないが)。

 以前、サラリーマンをしていたときには、低所得者の税金の低さに不公平感を持ったことがある。当時は収入が年間300万円だか、そのぐらいまでは無税だった。
 しかし今はどんなに少ない収入でも税金は徴収される。不公平感はむしろ、低所得者こそ感じていると思う。
 警察や消防、水道や道路など、公的サービスは誰もが受けているのだから、税金は支払って当たり前である。それはその通りだ。しかし現実として、毎月10万円ちょっとの収入でありながら、年度末に70万円の請求書(例えばのはなし)が送られてきたら、面食らうものだ。

 今は僕の収入も、多少だけど増えてきた。うちは奥さんに定職があるので、実際には生活は安定している。だから最近のブログのような、ちょっとリッチ風な生活を送ることができている。
 しかしまともに働いても、生きていくことが精一杯で、さらに公的負担で押しつぶされそうな人は多い。一方、巷間話題になりことが多いが、生活保護の不正受給者もいる。
 一元的な制度改正で、こうした問題をすべて解決することはできないだろう。しかし今の制度、および社会環境は、改善の余地が大きいように思う。
 下流社会の住人のブログを読んでいて、思ったことでした。

ラ・マーレ・ド・茶屋で、お祝い


 文京の合気道場の友人であるオランダ人のFさんが転職をした。そのお祝いに葉山のフレンチレストラン 「ラ・マーレ・ド・茶屋」へ行ってきた。
 お祝いといったら本人が招待を受けるものであり、友人の僕が招待すべきなのだが、関係は反対であった。Fさんご夫妻が、僕ら夫婦を招待してくれたのだ。というのも、少しばかりいきさつがある。

 Fさんはシンガポールに本社がある船会社でITマネージャーとして働いていた。しかし日本の不景気は長期化するばかりで回復する見込みはない。さらに追い打ちのように大震災が襲った。船舶輸送の日本の地位は低下するばかりだ。その船会社は日本から撤退することを決断した。
 Fさんはその会社に、奥さんとともに働いていた。つまり夫婦そろって失業の危機に瀕したのだ。
 その話を聞いて、僕は驚いた。一大事である。Fさんの奥さんは中国人である。夫婦ともに不慣れな日本の地で路頭に迷うことになる。
 その話を聞いてから、お節介とは承知の上で、僕は知人にFさんにふさわしい仕事がないかを聞いて回った。FさんはITの専門家だからすぐに見つかりそうに思ったが、なかなか見つからない。Fさんの日本語が、お世辞にもうまいといえるレベルではなかったからだ。
 今は会社を辞め、社会との接点が少ない僕である。それほどコネクションがあるわけではない。Fさんには済まない気持ちでいた。Fさんと道場で会うたびに、求職の話をしたのだが、肝心のFさんはいつも平気な顔だった。
 「ダイジョーブデスネエ。ヘイキヘイキ」。なんて、まるで他人事だ。こちらが一生懸命探しているのに、正直いって腹が立つこともあった。しかしこれはFさんのキャラクターである。常に平然としているのだ。Fさんに「アマリ、シンパイシナイホウガイイデスヨ。キット、ナントカナリマス」、なんて慰められちゃったりもした。

 5月の全日本合気道演武会のときだ。僕が文京とともに通う逗子の道場のB先生を、Fさんに紹介することができた。B先生もオランダ人なのだ。
 日本では数が少ないオランダ人同士の二人は、すぐに打ち解けて話し始めた。オランダ語なので意味は分からないが、地元の話や世間話をしているようだ。B先生を紹介したのは、もちろんオランダ人同士で会話を楽しんでもらいたいと思ったからだが、それだけが理由ではない。日本滞在が40年近いB先生は日本語もペラペラで、僕以上に顔が広い。Fさんに仕事を紹介してもらえないかと考えからだ。しかしFさんは世間話ばかりをしていて、肝心の就職の話はしていないようだ。
 そこで痺れを切らせて僕がB先生にFさんの窮状を訴え、仕事を紹介してもらえないかと尋ねた。Fさんは相変わらず他人事のように、にこにこ笑いながら、聞いていた。

 そこからトントン拍子に話が進んだ。B先生は世界的規模のドイツメーカーに勤めていたのだが、そこが業務拡張で人材を募集しているといる。とくにITの専門家を探している。B先生はすぐに会社に当たってくれて、面接までたどり着くことができたのだ。
 面接日が終わり、Fさんに電話で様子を尋ねた。「ダイジョーブデスネエ」とFさんは答えた。心の中でガッツポーズを取った。
 その数日後に逗子の稽古があり、B先生にFさんの面接がうまくいったようだという話をした。すると普段でも赤鬼のようなおっかない顔のB先生が、さらに赤い顔をして怒りだした。理由を聞くと、せっかく会社にFさんを紹介したのに、Fさんがやる気を見せない。会社側も本当にこの人は転職するつもりなのかと不安になっているという。
 慌ててB先生にFさんの人の好さと、日本人以上に謙虚な態度について説明した。B先生は納得してくれたが、問題は会社の方だ。
 まさか僕が会社に電話をかけて、「Fさんはいつもヘラヘラしているようですが、とても真面目な男です。ああ見えて、闘志もあります。腕っぷしも強いです」なんて、説明することはできない。すぐにFさんに電話をして、会社側は誤解しているようだから、すぐに電話をしてやる気を示した方が良いと、少し強い口調で指示を出した。「ソウデスカア。ヘンデスネエ。デモ、ツギノメンセツヲシマスノデ、ソノトキデ、ダイジョウブデス」、なんて相変わらずの返事だったが。
 しかし僕の心配は杞憂であった。Fさんの言った通り、「ダイジョウブ」だった。日本ブランチの面接は無事に通過しており、次の海外支社の上司とのテレビ電話による面接もパス。結局、Fさんの言うとおり、「ダイジョウブ」な結果で合格をした。

 そういう理由で、Fさんご夫妻が僕らを招待してくれたのだ。僕らの家が遠いいことを配慮して、わざわざ東京から葉山まで来てくれた。ものすごく可愛い娘のEちゃんを連れて。

 ラ・マーレ・ド・茶屋はなかなか良い店だった。もっと高級志向かと思ったが、外見よりは庶民的な店だった。味は日本人好みのフレンチで、うまい。店員のサービスもよい。楽しいお祝いの席となった。

 Fさんの新しい職場は横浜だ。現在、住んでいるマンションは都内の北部なので、ちょっと遠い。逗子葉山地域は子育てに良い場所である。都内に比べれば土地も安い。自然も豊富だ。外国人も多く住んでいる。職場が横浜なら、通勤にも悪くない。しきりに僕は、引っ越しを勧めた。
 Fさんが引っ越してきて、B先生の教える逗子の道場に一緒に通えたら。そりゃきっと楽しいだろ。と、自分勝手な妄想を膨らませてしまった。

甥っ子と戦略会議2


 甥っ子の話の続きだ。甥っ子と戦略会議を開いたことは書いた。海外留学のためのTOEFLの対策を練った。実はもうひとつのテーマが戦略会議にはあった。TOEFLの方は早々に終了させ、主にそちらを討議した。
 第2のテーマは彼女作りである。僕もどちらかというと、こちらの方が得意のテーマだし、甥っ子も興味のあるテーマだったので、こちらのテーマは大いに盛り上がった。

 会議の進行中、甥っ子が面白いことを言った。
 「トンペイ(東北大のこと)の女の子って小鳥みたいなんだ」。意味がよく分からず聞いた。
 「どういう意味?」
 「自由なんだよ」
 「うん。よく分からないな」
 「東京の女の子って、ファッションに拘束されてるでしょ。でもトンペイの子は、自由なんだ。流行とか関係ないし、高い服を買う必要もない。自然の中の小鳥みたいに、自由なんだよ」

 甥っ子は東京の私立の高校に通っていた。だから東京の女の子のことも多少だが知っているようだ。付き合ったことはないみたいだけど。
 甥っ子にフェースブックに載っている友人の写真を見せてもらった。たしかに小鳥のような女の子ばかりだ。みんなスッピンで、髪は真っ黒。服もごく普通のもの。ファッション雑誌の拘束は、トンペイまでは及んでいないようだ。
 その子たちは純朴そうで、ちょっと野暮ったい。それでいて聡明さがにじみ出ている。
 この子たちの良さが理解できるなんて。こいつ、大学時代の俺よりも数段上だ。

 僕の大学時代は、まさにファッションの拘束に雁字搦めにされていたものだった。あの当時はブランド物が出回り始めた時代で、ポロシャツはタッキーニやエレッセ、ポロ。ジーパンもリーバイスやリー、ときにはアルマーニまではいた。髪は長髪で潮焼けした髪をさらに脱色して、茶髪というか部分的には金髪みたいな髪をしていた。
 遊ぶ女の子にも同じような基準を求めた。大学の1年の頃は、当時は僕はサーフィンをしていたので、サーファーの女の子を追い掛け回していた。2年ごろからはいわゆるニュートラ、JJファッションの女の子に興味がいった。女の子に人柄や知性なんて求めなかった。連れていて格好良ければ、よかった。ファッション雑誌の思うつぼの状態だった。
 それに引き替え、甥っ子の鑑識眼は遥かに大人だ。ファッション雑誌の誘惑や、コマーシャリズムをちゃんと抑え込んでいる。

 今、この文を書いていて思い出したことがある。21歳でカリフォルニアに留学していたときのことだ。
 ホームステイ先で東北大生の男と一緒になった。そいつは酒も煙草もやらず、それどころかコーヒーもお茶も、さらにお菓子までも食べない変わり者だった。本人いわく、そうした嗜好品はすべて無駄だから、あえて遠ざけているとのことだった。自己修練だと言った。
 茶髪でブレスレットやネックレスをぶら下げている僕とは話が合うはずもなく、同じ家にいながらほとんど話すことはなかった。しかし僅かに交わした言葉で、今も覚えていることがある。
 「僕は“人物”になりたいと思っています」
 「何、それ?」
 「東北ではよく使う言葉なんです。つまり“男”です。男らしい男。強い男。怯まない男。大きな男。懐の深い男。そういう男を人物っていうんです」
 「へー、」
 まったく興味のない話だった。彼も僕の理解度の低さをすぐに察知して、それ以上は語らなかった。しかしその言葉は、心のどこかに、引っかかり続けた。

 僕のようなファッション雑誌に籠絡された男には、当然に同じタイプの女の子しか寄り付かない。トンペイの小鳥ちゃんのような子は、青春時代には現れることはなかった。小鳥ちゃんにはきっと、“人物”が似合うのだろう。
 甥っ子は結構、トッポイところがあって、ファッションも好きだ。ボディービルをやっているのも、マッチョになってタンクトップが似合うようになりたいからだそうだ。でもファッション雑誌には籠絡されていない。

 今の年齢になって、ようやく小鳥ちゃんの良さが分かってきた。破れ鍋にとじ蓋というか、類は友を呼ぶというか。小鳥ちゃんの良さを理解するには、それなりの資質が求められる。なかなか若いときには、持ち合わせない資質である。甥っ子にはその資質が、どうもある。
 甥っ子も男を磨き、あの東北大生が言ったような“人物”に是非なってもらいたいものである。そして願わくば、小鳥ちゃんを捕まえてもらいたい。

久しぶりに甥っ子と


 台湾旅行からは先週の木曜日に帰ってきたのだが、週末は親戚の集まりがあり行ってきた。集まりは叔父の家だったが、その後は実家へ行き泊った。叔父の家の集まりには、このブログで何度か書いた甥っ子が来ていた。今春、東北大に入学してから、初めて顔を見たことになる。
 話したいと思っていたし、彼もそう感じていたらしく、私の実家へ一緒に泊まりに来て、翌日逗子に戻った際は、一緒についてきた。2日間、たっぷりと話すことができた。
 
 去年の夏も甥っ子は逗子に来た。宅浪中だった彼と、将来の戦略会議を開いた。その時に東北大を目指すことを決めたのだ。それまでは東北大の存在さえ、甥っ子は知らなかった。
 甥っ子は前年に千葉大を受験し、みごと落第。翌年の千葉大の受験を考えていた。しかし一浪で千葉大に受かっても、それは1年無駄にしたことと同じではないかと、僕は考えた。自分の受験の時は、そんな考えは及びもつかなかったが、さすが大学受験から30年も経ていると、多少は知恵がつくものだ。甥っ子に話すと、甥っ子もそうだと相槌を打った。そこでランクアップして東北大に挑戦してみることにしたのだ。
 
 今年逗子に来た甥っ子は、昨年とは別人になっていた。去年は表情が暗かった。眠れない、肩がこると愚痴をこぼしていた。それが明るく、自信に満ち溢れた表情に変わっていた。体もたくましくなっていた。大学では、ボディービル部に所属しているそうだ。去年、ジム通いを勧めたのは僕だが、ボディービル部にまで入るとは!
 去年は、大学受験の戦略を二人で綿密に練った。今年は次の目標である留学への戦略を考えた。東北大学には交換留学制度があり、東北大の授業料を払えば、海外の大学の高い受領料を払わずに1年間、留学できるそうだ。さらに国の奨学金も取ることが可能で、そうなれば日本にいるときよりも費用的には楽に、1年間学ぶことができる。
 10月に申し込みがあり、それまでにTOEFLで目標点を取らなくてはならない。大学に入学してから1度だけ、TOEFLを受けたことがあるそうだが、目標点には届かなかったという。10月の申し込みまで、あと2回チャンスはある。まずはTOEFLの目標を目指す勉強法などを話し合った。
 戦略会議といっても前回の大学受験とは違い、今回のTOEFLは対象がシンプルだ。何も戦略会議を開くほどのことはなく、このテーマの話はすぐに終了してしまった。
 戦略会議が終わった後は、甥っ子の大学生活について聞いた。

 甥っ子は大学の寮に住んでいる。そこはちょっと変わっていて、外国から来た留学生が寮生の2,3割を占めている。部屋は完全個室で、冷暖房完備だ。寮生活はまるで海外留学をしているようなものであるらしい。
 そこでは毎週末、パーティーがどこかで開かれているそうだ。甥っ子はパーティーが開かれている場所を毎回掌握し、参加しているとのこと。そこのところは僕の大学時代とよく似ている(学力では当時の僕を遥かに引き離しているが)。僕も留学時代は、よくパーティーに顔を出した。

 甥っ子の話を聞いていて、羨ましい気持ちが湧いてきた。俺も大学3年で留学したときは実に楽しかった。勉強も精一杯したつもりだし、遊びもおおいに励行した。しかし日本での大学生活は、あまり楽しいものではなかった。勉強はほとんどしなかった。遊びはかなり一生懸命な方だったが、東京の大学で遊ぶには金がかかる。遊ぶためにアルバイトに追われていた。日本の大学時代を振り返ると、そこに見えるのはアルバイトのイメージが中心だ。やはりしっかり勉強してこそ、遊びも楽しいというものだ。大学1年でそこに気付いた甥っ子は立派だ。
 
 甥っ子は一泊して帰って行った。次に会えるのはいつになるだろう。
 もし留学試験に受かれば、来年の夏は海外だ。再来年の夏に戻ったときは3年になっている。どこかの研究室に入り、逗子に遊びにくる余裕などはないだろう。その後はまた海外の大学院を希望している。そうすると、もう逗子に泊まりに来ることはないかもしれない。

 去年は1週間も逗子に居た。帰ったときは正直ほっとした。しかし今年はたった1泊で帰って行った。帰った後は、やたらと寂しくなった。

台湾旅行


 台湾へ行ってきた。3泊4日で、台北のコスモスホテル(天成大飯店)という台北駅の真ん前のホテルに宿泊した。
 安いツアーのホテルだったが、場所は一等地、小奇麗でサービスもよくとても良いホテルだった。台北へ行く方、お勧めです。

 初日は2時過ぎにホテルにチェックインして、それから地下鉄で龍山寺というお寺に行った。
 台湾のお寺というのは、とても不思議な場所だ。寺であるが、仏教寺院ではないような佇まいだ。龍山寺のご本尊は観音菩薩のようだが、儒教、道教の神々がいっしょくたになって祀られている。参拝者は線香を手に、お堂を巡り、大きな声を出して、お経を読んでいる。お経は仏典ようのうだが、詣でるのは、孔子や関帝(三国志の関羽)であったりする。
 日本のお寺も、七福神のような、国籍不明の神様を祀っていたりするから、同じなのかもしれないが。キリスト教もカソリックになると、聖人やらケルト系の精霊を祀ってあるところもあるし。民衆は小難しい教義よりも、日々の無病息災が大事だから、そこのあたりを宗教側はうまく汲んでいるのだろう。それにしても、台湾の寺院は非常に合理的というか、実利的というか、世俗の欲望と救いをうまくミックスさせているように見えた。
 僕は日本では、壮麗な本殿に祀られている大日如来や釈迦如来もそうだが、本殿の裏山あたりにひっそりと佇む小さな祠に鎮座する白蛇様やカラス天狗なんかのお像に手を合わすことが好きだ。最近よく耳にするパワースポットなる言葉があるが、なぜか後者に静謐とパワーを感じることがある。
 台湾の寺院は、すべてが裏山的だ。アムニズムのパワーが満ち溢れている。


龍山寺
とても派手で賑やかな龍山寺

  龍山寺を出てからは近くにある華西街観光夜市という名の夜市を歩いた。夜市は楽しみにしていた場所だったが、この夜市はいきなり上級編で、面食らった。
 食べ物はいわゆるゲテ物系が多く、店先に蛇に食べさせるネズミがケースに入れられていたりする。そのネズミを蛇が食べて、その蛇を人間が食べるようだ。僕はゲテ物系は大丈夫だと思っていたが、この店の前では正直、足がすくんでしまった。もちろん、店に入ることはしなかった。
 それとこの夜市は元花街ということで、その形跡がいたるところにある。これも上級者向けの外貌をした御嬢さんやかつての御嬢さんたちが、店先で太腿あらわに妖艶に微笑んでいたりする。こちらもまた、足がすくんでしまった。

 というわけでこの夜市は早々に立ち去り、あらかじめ予約していた極品軒という名の上海料理レストランに行ってきた。ここの名物は東坡肉(トンポーロー)である。日本語でいうと豚の角煮だ。
 相当な量でこれだけでお腹いっぱいになるほどだ。有名なだけあってうまかったが、ちょっと日本人には甘過ぎな味付けだ。もう少し甘さを控えて、カラシでもあれば、口当たりが良いのにと思った。総じて味はまあまあだった。

 この後、全日程を書いても退屈と思われるので、他の3日分は割愛する。総括して語れば、台湾は食の国だということだ。どこへ行ってもうまい。正直に書くと、最初に行った高級レストラン(僕らにとっては)の極品軒がもっともイマイチであった。逆に言うと、それだけ総体的なレベルが高いということだ。極品軒だって、東京にあれば、間違いなく食べログの上位店になるだろう。
 一応、一番うまいと感じた店だけは記録のために、記しておこう。それは九份という「千と千尋の神隠し」のモデルになったといわれる街が台北から1時間の場所にあるのだが、その帰りに寄った瑞芳という駅の近くにあった市場の店である。そこで麺と、ピータンなど2,3のつまみ類を食べた。そのピータンのうまかったこと。あれはいったい何だったのだろう、と今も思う。口の中に入れたとたんに黄身(といってもピータンなので黒いが)がとろけ、クリーミーな味が口いっぱいに広がった。思わず妻と顔を見合わせたうまさだった。あのピータンを食べるだけのために、もういちど瑞芳に行きたいと真剣に思う。

市場
瑞芳の市場の中の店。この麺もよかったけど、ピータンは絶品

 食以外で感じたこと。それは台湾人のおおらかさと人懐っこさだ。以前、大陸の中国へ言った時に出会った中国人とはまったく異なっていた。
 前のブログで書いたが、旅行前に林語堂の「中国=文化と思想」を読んだ。中国文化の懐の深さと、中国人の自然や隣人を愛するおおらかな魅力を認識させられたが、中国でそれを感じることはなかった。しかし今回の台湾では、林悟語堂が紹介した100年前の中国人がそこにいたように思えた。
 中国は共産党の支配で、古い中国はみな壊されてしまったのかもしれない。一方、孫文が開き、蒋介石が確立した台湾には、故宮の宝物だけでなく、古い中国の文化と人情も持ち込まれ、守られ続けてきたのだと気づかされた。

掃除と包丁研ぎ


 夏休みだ。土曜日は一日、掃除をした。風呂場を掃除し、玄関を掃除し、洗面所を掃除し、庭一面にはびこった雑草を引っこ抜き、掃除じゃないけど、包丁を研いだ。
 僕は包丁を研ぐことが好きだ。うちは普段使っている包丁が5本あるが、5本を持って、風呂場に行き、桶に水を満たし、無心に研ぐ。雑念を払い、砥石の上を一定の角度で包丁を滑らせる。両刃のものは左右対称に、片刃のものは非対称に研いでいく。
 包丁を研いでいると、頭の凝りがほぐれていく。例えば仕事で頭を使いすぎて、ボーっとしている時、何か面白くないことが起きて、腹を立てている時、包丁を研いでいると、カチカチに固まった頭の凝りが、少しずつほぐれていく。
 雑草むしりも同じような効果がある。昨日は午前中に家の中のことをして、夕方から雑草を取った。雑草は3時間ぐらいむしっていたのだが、頭のてっぺんから汗だくになった。包丁研ぎと雑草むしりをした後は、ザブンと暑い風呂に入った。風呂は窓を開け、外からの風を入れながら、入った。
 2か月かかりきりだった仕事も無事、終わったし、夏休みに突入したし、包丁研ぎと雑草むしりで、頭の凝りはほぐれたし、夏の風呂は気持ちよいし、その後のビールは実にうまかった。

 今日も掃除をした。今日は午前中に庭の掃除をした。9時から初めて12時まで、主に雑草をむしった。この二日間は、雑草と格闘し続けたことになる。格闘はようやく終わり、庭はかなりすっきりとした状態になった。最近、雑草が繁茂する庭に出る気がしなかったのだが、今日は気持ちがよくて、庭に何度も降りた。
 雑草を取り、家の周りに箒を掛けると、今日も汗だくになった。昼過ぎに風呂に入った。昼風呂は気持ちが良い。


 さて明日からは旅行に出る。台湾に行く。台湾は初めてだ。今回の旅行は食べることが中心の旅になると思う。故宮博物館にも行くが、後は主に、うまいところ巡りである。

 台湾に行く前に、中国関係の本を何冊か読んだ。とても良かったのは林語堂の『中国=文化と思想』だ。日本で言えば明治時代の本だが、中国人の考え方や生活の大本がよく分かる。今ではすっかり変わってしまった面もあるが、基本は同じだろう。昔の日本人は中国が大好きだった。読書といえば、漢籍だった。その理由が少し分かったように思った。中国文化は懐が深く、魅惑的だ。

 今は台湾の歴史を読んでいる。知らなかったが、台湾に最初に本格的に入り込んだ外国は、中国ではなくオランダだそうだ。まずオランダの東インド会社が台湾の南部を植民化して、台員という町を作ったそうだ。台員はそのまま島全体を指す呼称になり、後に台湾となった。
 清が入り込んだのは、オランダの後だ。最初に台湾の原住民の言葉や習俗を調べ、資料として残したのはオランダだそうだ。興味深い。

 では行ってきます。来週末には日本に戻ってきます。

※1週間も放っておいたら、フクちゃん大ちゃんは干物となっちゃうんじゃないかと、お思いの方。お気遣い、ありがとうございます。でも大丈夫。お袋と妹が、この家に来て、面倒を見てくれることになっています。

終わったぞ


 2か月前から取り組んでいた大きな仕事が終わった。予定よりも1週間かかってしまったが、それでも2か月以内に終えることはできた。
 嬉しくって、散歩に出かけてしまった。この暑い中を。といっても実は、ここ3日間は、毎日真昼間に散歩へでかけている。
 最近仕事に追われ、合気道の稽古へも行かずに、ひたすら机に向かっていた。すると背中が痛くなってきた。それと便秘。
 これはいかんと思い、3日前に散歩に出たのだ。思い立ったのがたまたま昼過ぎだったので、そのまま家を飛び出した。向かったのはいつもの裏山で、そこからは稲村ケ崎や大島までが見渡せる。富士山も驚くほど大きく、目に飛び込んでくる。
 山の上から夏の海と見ていたら、背中の痛みが止んでしまった。
 それ以来3日間、昼間に散歩を続けている。夏の海は、それと森もそうだけど、近づく人にエネルギーを直接的に与えてくれるようだ。
 お通じも快調だ。。

 仕事の話を再開。今回の仕事は僕が受けた仕事で、過去Biggest3に入る分量だった。この3本の分量はほぼ同程度である。翻訳した日本語でいうと400字詰め換算でほぼ400ページだ。以前の仕事のときは、それを3~4か月程度で訳した。今回は2か月である。なかなかの速度じゃないですか。
 400字詰め400枚というのは、書籍1冊分の分量である。1冊を2か月で訳す翻訳家はまずいないでしょう。そう考えると、自信が湧く。

 散歩から帰ったら、仕事を再開しようかと思っていたが、シャワーを浴びたら心変わりした。ということで、今はビールを飲みながら、キーボードを叩いている。
 こんなこと、一仕事終えたサラリーマンじゃ、できないでしょう。今はまだ午後3時半ですよ。

 これぞフリーの人間の醍醐味である。不安的でも、ローインカムでも、独立独歩は偉いのだ。唯我独尊で、天衣無縫にやっていくぞ。
 とちょっと酔っぱらっているようなので、このあたりで。


プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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