スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

日本人って、優秀なの?


 アメリカでは、アジア人に向けたマーケティングや広告展開が増えている。先日、仕事の関係でアメリカの広告関連の記事を読んでいて、知ったのだが。
 その理由のひとつとして、アジア人の比率とが高まっていることが挙げられる。さてアメリカの中でアジア人の割合は、どのぐらいだと思いますか。答えは4.8%。2010年の数字だ。それほど、高い数字とは言えない。ちなみに一番多い人種(エスニック・グループ)は、やはり白人で72.4%、次は黒人だと思うでしょう。でも違って、ヒスパニックで16.4%、そして黒人の12.6%が続く。アジア人はその次になり、エスニック・グループとしては第4位に位置する。
 それでもあまり比率が高いとは言えないアジア人に向けて、なぜマーケティングを行うのかといえば、それは所得が高いからだ。全米の平均年間所得(世帯)は49,800ドルだ(これも2010年の数字。以降同じ)。一方、アジア人の平均は66,000ドル。全世帯より、相当に高い。他のグループを見ると、白人は54,000ドル。ヒスパニックは40,000ドル、黒人は33,300ドル。黒人グループはアジア人の半分ほどしかない。アジア人の突出ぶりが分かる。そこでアジア人に特化した広告(マーケティング)が実施されるわけだ。

 しかしアジア人といっても多様である。「アジアはひとつ」と言ったのは岡倉天心だが、それはやはり幻想であった。アジアは多様であり、混沌なのだ。
 ではアジア人の構成比はどうなっているのかを見てみよう。アメリカに住むアジア人は合計で約1,700万人いる。そのうち最大のグループは中国系で23.2%、続いてフィリピン系19.7%、インド系18.4%、ベトナム系10.0%、韓国系9.9%、日系7.5%となる。
 かつては最大数いた(と記憶している)日系人は、今ではアジア系のメジャーグループでは最小の規模となった。日系は他グループとの結婚に寛容な傾向にあるので、他グループと混ざりあってしまったことも原因のひとつだが、より大きな原因は他グループが増加したことにある。

 さて今日はなぜこのテーマでブログを書いたかというと、記事を読んでいて、あることに驚いたからだ。それは日系アメリカ人のアジア系民族の中の位置づけだ。
 アジア系の中で、日本人の大学進学率は、あるいは世帯平均所得はどの位置にあると思いますが。僕は当然、一番だと思っていた。しかしこれが違うのだ。
 まず大学の進学率。アジア系の平均は49%だ。ちなみにアメリカ人全体だと28%。アジア系の教育熱心さが際立つ。
 アジア系ナンバーワンは、さてどこでしょう。答えはインド、なんと70%が大学を卒業している。そして2番目は韓国で53%、3番目は中国で51%。そろそろ日本が出てくると、思うでしょう。しかし豈図らんや。意外な国が日本の上に位置している。それはフィリピン。47%だ。ようやく日本が第5位に入り、46%である。メジャーグループとしてその下には、ベトナムの26%があるのみだ。
 では所得の方は、勤勉な日本人のことだから、きっと1番か悪くても2番目に来ていると思うでしょう。さて、答えは。日本はおしくも第3位で65,390ドル。
 では1位はどこかというと、またまたインドで75,000ドル。次の2位は意外ですよ。またまたフィリピンが大健闘。平均所得は75,000ドルだ。すごい数字じゃないですか。そしてようやく3位に日本が入り、65.390ドルだ。フィリピンとの差は1万ドル近くもある。次は僅差で中国が入り、65,050ドルで4位。5位はベトナムの53,400ドル。6位はこれもまた意外な国で韓国、50,000ドルちょうど。

 この結果には正直、驚かされた。僕は1984年にカリフォルニアに留学したのだが、そのときのルームメイトが日系3世だった。実家に遊びに行ったことがあるが、かなり大きな家に住んでいた。彼のお父さんは、日系人は有能だから、白人を含め他のエスニック・グループより裕福で、嫉妬の対象にさえなっていると、ちょっと誇らしげに話していた。それ以来、僕もそれを信じていた。しかしその神話はとうに崩されていたのだ。
 なんだか怠け者に見えるフィリピン系に日系人は学歴でも所得でも追い抜かされている。
 かつて日本人は、ユダヤ人と並び世界一優秀な民族であると言われていた。日本人だけが自惚れていたわけではない。84年に留学したときは、他のクラスメートや先生も、日本人=優秀という評価をしていたと記憶している。僕の成績が芳しくないと知ると、たしかラテン系だったかな、あるクラスメートが不思議そうな顔をして、「日本人なのに、なぜ?」と真顔で聞いてきたことがある。

 この数字を見る限りでいえば、日本人=優秀はやはり神話に過ぎなかったと分かる。
 日本はかつて戦争が強いっていう神話が存在した。未だにそう信じている人は少なくないと思う。しかし、本当にそうだろうか。
  

スポンサーサイト

海技免許の更新と視力検査


 昨日は横浜へ出かけた。海技免許の書き換えだ。僕はどういうわけか小型船舶2級の免許を持っている。
 実は持っているだけで一度も使ったことはない。いや正確に言えば、使ったことはある。IDとして。自動車免許の更新を忘れていて、何年間か免許がない期間があった。その際に海技免許をIDとして使ったことがある。でも本来の用途で海技免許を使用したことがない。だから更新しなくても良さそうなものだが、なんだかもったいない気がして、毎回更新している。来年で免許取得20年になる。

 更新は開港記念会館という場所で行われた。大正6年竣工とかの超レトロな建物だ。こんな重要文化財みたいなところで免許の更新をするなんて、さすが横浜だ。
 更新はその建物の1階で行われた。天井が高くて、内装は重厚。免許の更新ってのが、どうにもミスマッチな場所であったが、更新は事務的に進められていった。
 その中で、視力検査があった。以前ならまったく問題のない視力検査だが、今はちょっと不安がある。最近、かなり視力が落ちている。
 僕は右目が近視だ。左目は良い。近視になってまだ数年の新米で、眼鏡に慣れていない。それで車を運転する以外は眼鏡を使わない。昨日も近視用の眼鏡は持って行かなかった。老眼鏡は持っていたけど。
 海技免許は両目とも0.6以上が求められるのだそうだ。全然、知らなかった。僕の右目は多分、0.6はない。やばいではないか。
 右目の検査で案の定、Cの字が、あるところから見えなかった。多分、0.6ぐらいの場所だ。ここを乗り越えねば。思い切り、目を凝らし、じっくりと時間をかけてCの字を見つめた。なんとなく右側が薄いように見えた。それで、
 「右」と言ってみた。自信はないが、4分の1の確率だ。当たっているかもしれない。すると検査官が、
 「眼鏡持ってないんですか?」と言った。間違ったみたいだ。
 「一応、持ってるんですが。左はいいんで、普段は持ち歩かないんです」
 続いて左の検査が行われた。一番小さなCの字もばっちり見えた。よし、これで合格だ。と思った瞬間、再び右目にCの字が飛び込んできた。右目の再検査だ。やっぱり見逃してはくれないようだ。今度はさらに時間をかけ、でもやっぱりあてずっぽでまた「右」と言ってみた。4分の1の確率でも、2回やれば当たる確率は16分の7にアップする。約43%だ。決して、難しい確率ではない。
 僕は検査官の顔をじっと見た。
 「まあいいでしょう。でも眼鏡はちゃんと持ってきてくださいね」
 今度はどうやら当たったようだ。
 
 事前に色々、書類が送られてきた。更新料を支払えだとか、そんな書類だ。そこには視力検査のことは触れていなかった。後から調べてみたが、やっぱり何も書かれていない。「眼鏡はちゃんと持ってきてくださいね」のセリフは、できれば事前にしておいてもらいたかった。

 視力検査の後に、その検査官からお話しがあった。「今回は全員、視力検査を受かりました。視力検査はとても大事です。これに落ちると、更新ができなくなります。目の悪い人はかならず、眼鏡を着用してください」。僕の方はちらりとも見ずに話していたが、当然に僕に対して言っていたのだろう。
 実は自動車免許の試験のときも、冷やりとした。目が悪くなると、面倒が増えるものだ。この状態に早く慣れなくては。

 更新の後は、横浜で大学時代の友人と会った。昼飯時だがビールとワインを飲んだ。帰りの横須賀線では、爆睡をした。
  

秋の木漏れ日と、幸福について



 今は昼過ぎ。散歩から帰ってきたところだ。こんな時間に散歩をしているなんて、羨ましく思うかもしれないが。でも、散歩でも行かないことには、一日家を出ないことになってしまう。
 最近、太り気味だ。夏前に買ったGパンのボタンが留められない。立った状態だと何とか入るが、座るとボタンがはじけ飛びそうになる。仕方ないので、座るときは密かにボタンをはずす。
 太ってきた理由は分かっている。運動不足だ。合気道の昇段試験に落ちてから、稽古に行く気がしない。行かなくてはと自分を鼓舞するのだが、どうしても足が向かない。バッグに道着を詰めて用意をしても、いざ行く段階になると、ストッパーが働く。こんな時期もあるもんだと、最近は自らを放っておく態勢だ。そのうち、その気になるでしょう。
 稽古に行かなくなっただけでない。スポーツジムにも行かなくなってしまった。これは単なる怠惰が原因だろう。自分でもよく分からないが、あまり気乗りしない。
 しかし食欲の方は、以前と変わりがなく絶好調である。運動をしていないので、消費カロリーは落ちた。一方、食事は以前と同じ分量を取っているので、摂取カロリーは同じだ。その結果が、このお腹だ。
 そういう理由で、なるべく散歩には行くようにしている。

 いつもの森の中の公園にでかけた。中央には芝生の広場がある。今日は若いお母さんが二人、小さな子供を連れてランチボックスを広げていた。
 ようやく秋が訪れ、公園には赤とんぼが乱舞していた。少し気の早い樹木は、もう葉を散らし初めている。3歳ぐらいの子供が自分のベビーカーを押して、遊んでいる。長閑な時間が流れていた。
 その光景を歩きながら眺めていて、ふと思った。天国があるとしたら、そこはこんな感じじゃないかなと。あのお母さんたちは、本人は気づいていないかもしれないが、人生でもっとも幸福で満ち足りた時間を過ごしているはずだ。あと30年ぐらいしたら、きっとそう思うだろう。
 そうすると、僕は天国を通り過ぎる通行人だ。当事者ではないが、まったく無関係でもない。僕も将来、あの時が僕の幸せの絶頂だと思うのだろうか。
 しかしそのとき僕は違うことを考えていた。わずか4年ほど前、会社勤めをしているとき。今日のような天気の良い秋のある日。ランチを取りに社外に出て、このまま家に帰れたらどれほどいいだろうかと思ったことがある。今、その希望がかなって、僕は昼時を木漏れ日の下、森の小道を散歩する。それなりに幸せを感じるが、あの渇望したイメージとは何かが違う。どうして、希望したはずの生活なのに、充実感を持てないのだろう。その理由は。
 僕は当事者ではないからだ。やはり当事者にならなくてはならないのだ。

 お母さんは子育てが仕事だから、子供を連れて芝生の広場でランチボックスを食べることに充実感を抱く。しかし僕は、ただの通りすがりだ。散歩は気晴らしに過ぎない。これ自体が目的ではない。かりに仕事をさぼって同じ場所で弁当箱を広げても、それほど楽しくはないだろう。
 やはり仕事だ。僕が今求めているものは、仕事を進めることだ。そして仕事を通じ、社会と触れ合うことだ。

 じゃあ今、仕事がないかと言えば、そうではない。午前中は仕事をしたし、散歩は仕事がひと段落したから出かけたのだ。このブログを書き終えたら、また仕事に取り掛からなくてはならない。
 では仕事をしているのに、なぜこんな気持ちになるのだろう。その答えは何となくだが、分かっている。長くなりそうなので、次の機会で。
 
  

驚きの連続


 週末にkozawanさんのところに行ってきた。Kozawanさんは産経新聞社の元同僚で、僕と同様に希望退職制度を利用して会社を辞め、今は長野で葡萄農家をやっている。
 昨年の夏も遊びに行ったが、あのときはまだ研修中で、自分の葡萄畑は持っていなかった。師匠の畑を手伝いながら、葡萄の育て方を学んでいた。
 今年から自分で畑を運営している。わずか2年目なのに、すごいことだ。2年前は農業のまったくの素人だったのだ。それが今は奥さんとふたりで、すべてを切り盛りしている。

 初めて自分で作った収穫物をいただいた。最初、葡萄を口に入れて、衝撃を受けた。美味い。どう表現していいのか分からないほど、美味い。ちょっと大げさに思えるかもしれないが、決して大げさではない。今まで食べた葡萄の中で、間違いなく一番美味いと思った。
 その葡萄は種無しの巨峰だった。名前は忘れたが、その他の種類の葡萄も食べた。どれも美味い。そして最後に種ありの巨峰を食べた。あまり期待はしていなかった。種ありの巨峰はスーパーでもよく見かけるし、知った味だと思っていた。
 しかしこれがまったく違った。甘くて濃厚で。その日食べた種類の中で、一番の味だった。つまり最初の葡萄を口に入れ、「生涯一番の葡萄だ」と感じ、それから種あり巨峰を食べて、「この中で一番うまい」と感じ。その日一日で、2回も「今まで食べた葡萄の中で一番美味い」という体験をしたのだ。

 去年、kozawnさんの家に来たときには、自分用に作っている野菜を沢山いただいた。どれも美味くて驚いた。そして今年は出荷用の葡萄をいただいて、これまたその美味さに驚かされた。もしかしたらkozawanさんは農業の天才なのかもしれない。

 本当に美味いです。うそだと思うなら、ネットで販売していますので購入してみてください。驚きますよ、絶対に。購入申し込みは以下のURLで。

http://kozawafarm.blog.fc2.com/


 それともうひとつ驚いたことがある。去年は市が用意してくれた新規就農者用の住宅に住んでいた。ログハウスのような中々洒落た作りの家だった。今年は家を購入して、そちらに住んでいるということは聞いていた。その家が、もの凄い豪邸だった。
 人の家について、ブログで書くのは失礼かもしれない。でもあまりに驚いたので、書いてしまおう。
 まず門柱がすごい。普通の家であんな立派な門柱の家を見たことがない。まるでお寺や神社の門柱である。その上に狛犬が乗っていたとしても、違和感をきっと持たないだろう。
 門柱を過ぎると、玄関までの長いアプローチがある。そのアプローチがまた凄い。天然石をカットして、階段や飛び石にしてあるのだが、その石の巨大さ。まるで料亭か旅館のようだ。
 そして玄関の扉。これも巨大だ。Kozawan さんは「象も入れる」と表現していたが、本当に象でも入れるほど扉が大きいのだ。高さはどのぐらいだろうか。背の高い人が手を伸ばしても、決して手の届かない高さだ。
 ようやく玄関だ。またこの玄関の広いこと。三和土だけで4畳半ぐらいは、あるだろう。三和土は当然、天然石だ。きれに研磨されていて、鏡のように光っていた。
 その三和土の先に、広い玄関が控えている。玄関といっても普通の家なら子供部屋ぐらいの広さですよ。
 これ以上書くと、失礼が過ぎるので、これぐらいにしておこう。いや、後ひとつだけ。Kozawanさんの寝室について。見せてもらうためにドアを開けて、中を覗いて思わず笑ってしまった。僕は想定外の出来事に遭遇すると笑ってしまう癖があるのだ。また、広い。いったいどのぐらい広いのだろう。あまりに広くて、「何畳あるの?」と聞けなかった。なぜかというと、そんな下世話な質問を受け付けないほどの広さだったから。

 あまりの豪邸に、僕ら夫婦が驚嘆の声を上げ続けると、「田舎だから」とkozawanさんは言う。果たしてそうなのだろうか。外観から周りの家と比較しても、明らかにkozawanさんの家は一番立派に見えた。

 あれだけ美味しい葡萄を作って、そしてあれだけの豪邸に住んで。素晴らしスタートを切ったものだ。さすがkozawanさんだ。

 当然、その裏には大変な努力があるに違いない。
 翌日の朝、飲み過ぎて二日酔い気味の僕が目を覚ますと、畑に出て収穫を終えたkozawanさんは葡萄の梱包作業をしていた。畑から戻った奥さんは、朝食を作ってくれていた。
  

褒めて育てる?


 以前、あるタレントがテレビで、「私って、褒められて伸びるタイプなんですよぉ」と言っているのを聞いて、不快感を抱いたことがあると書いた。
 褒めるのはよいと思う。褒められるべきことをしたならば、親なり先生なりは褒めたくなるだろう。気に入らないのは、受け手がそれを求めることだ。
 このことは漠然と感じていただけで、何で受け手が求めることを不快に思うかの理由を僕は考えたことがなかった。今日、雀鬼として有名な桜井章一の本を読んでいたら、その答えが書いてあった。

 雀鬼曰く、「そもそも“褒めてもらおう”という人間関係は卑しいものだ。褒めてもらいたいがために、自分の好みではなくても無理に取り繕って、褒めてもらえそうな行動をしようというのだから」
 そうだなあ、と思う。「私って、褒められて伸びるタイプなんですよぉ」という人は、褒められることを求める。結果、褒められことを目的に、行動を起こすようになる。目的が褒められることだってのは、あまりに短絡的でないか。それと、褒められるという、他者依存の関係に自ら身をやつしている。つまり主体的でない。

 主体的でない生き方を、どうしてしたいのだろうか。僕にはちょっと理解できない。

 もちろん僕らは多くのものに囲まれて、相互に関係し合い、頼り合って生きている。何かに寄りかかることも必要だ。しかしそれと依存は異なると思う。
 僕が普段感じている、“寄りかかる” という感覚は、“身を委ねる”という感覚に近い。依存は硬質だが、身を委ねるは柔軟だ。依存は対象に振り回されるが、委ねるはより自主的でこちらのペースである。
 褒められたがっている人は、ひ弱で卑怯なんじゃないかな。

 
 この雀鬼のおじさんは、面白いことを他にも沢山言っている。むかし“ながら族”という言葉があったが、あれは良いことだという。「なにかをしていても、目の前のことだけに囚われず、“ながら感覚”でいる。目の前のことだけに集中して囚われてしまうとまわりが見えなくなるし、変な緊張感を生んだりして、メリットはあまりない」。
 これは合気道の稽古をしていて、よく思うことだ。相手に集中しすぎると、技が硬くなる。他の人(相手以外)の動きを感じ、壁の位置に注意を払えなくてはいけない。
 初心者は相手どころか、相手が手首をつかんできたら、手首にしか注意がいかなくなってしまう。人は自然に目の前のものに集中してしまうものだ。それを稽古によって、視界を広くし、対応が柔軟になるよう、自らを練っていくのだ。

 というわけで、僕は翻訳に集中しないで、読書したり散歩したり、合気道をしたり、酒を飲んだりしているわけだ。
 
 

田中小実昌について


 僕は本は読む方だと思うが、小説はほとんど読まない。10代20代の頃は読むのは小説ばかりだったが、30代から読まなくなった。今は年に1,2冊を読む程度だ。だから好きな作家は誰なのかと聞かれても、すぐには答えられない。
 でもじっくり考えると何人かが浮かんでくる。その一人は田中小実昌だ。

 田中小実昌の本がなぜ好きかというと、きっと彼のことが好きだからだろう。といっても彼の性格を直接しっているわけではない。話したこともないし。
 話したことはないが、文章や写真からなんとなく人柄は分かるものだ。それにコミさん(ファンは、こう彼を呼ぶのだ)は生きている当時は、よくテレビに出ていた。11PMなんかにはレギュラーで出演していたように思う。

 コミさんは飄々としていて、そこにいるだけで面白い。文章もそうだ。飄々としていて、なんだか面白い。特にギャグがあるわけではないのに、視点がユニークで、文体もおっとりしていて、クスッと笑ってしまう。

 今日はなんで田中小実昌について書いたかというと、フェースブックがあったからだ。田中小実昌を検索したらフェースブックが現れた。コミさんが死んだのはもう10年以上前だから、フェースブックが出現する前だ。だから当然、同姓同名の人のものだろうと思った。しかし覗いてみると、コミさん本人のものだった。
 きっとファンか出版社が作ったのだろうが、不思議な感じだ。

 さっき田中小実昌と話したことがないと書いたが、実は会ったことはある。うん、会ったとは言えないかな、あれは。見たことはある。
 コミさんが死ぬちょっと前のことだ。京成ライナーで成田に行った日に、成田空港駅で見かけたのだ。奥さんと思しき女性と一緒だった。
 コミさんはテレビのまんまの姿だった。禿げ頭にウールの帽子を被っていた。
 あれは海外からの帰りだったのだろうか、それともこれから出かけるところだったのだろうか。コミさんは駅のベンチに腰かけていた。僕は急いでいたので、コミさんがこれからライナーに乗るのか、またはライナーから降りて休んでいるところか確認できずに、前を通り過ぎた。もしこれから出発をするのなら、あれが最後の日本だったのかもしれない。
 コミさんが亡くなったのは、ロサンジェルスだったからだ。

 コミさんは翻訳家としても沢山の本を出している。翻訳の方は一冊も読んだことがない。今度、読みたいと思っている。

田中小実昌


 

レジ袋とゴミ袋、どっちがエコ?


 最寄りのスーパーが、レジ袋の有料化を始めた。有料化の理由は、地球環境の保全だそうだ。顧客に対しては、「資源の有効利用にご協力ください」と訴えている。
 暫くは有料でレジ袋を購入していた。サイズごとに値段が異なり、大は3円、中は2円、小は1円である。レジへ行くたびに、「レジ袋はどうされますか?」と聞かれ、「お願いします」と答えていた。
 しかし周りを見渡すと、レジ袋を購入している人はかなり少数派である。また購入しない人に対しては、「ご協力ありがとうございます」とにこやか答え、歓迎の意を満面に表す。購入する人には、とても残念そうな表情で、「承りました」と暗い表情で答える。購入する人は、地球に優しくない、悪人のような雰囲気だ。
 そんな圧力に負け、最近は僕もマイバックを持参するようになった。これで僅かばかりだが、レジ袋代は節約でき、さらに地球に優しい人にもなることができた。全てが良い結果に落ち着いたわけだ。いや、果たしてそうだろうか。

 レジ袋は無駄に捨てていたわけではない。ゴミ袋として二次利用していた。僕はレジ袋をもらうときは、ゴミ袋として必要な分だけをもらうようにしていた。「最近、ゴミ袋のストックが少なくなってきたな」、と思えば多めにもらい、「余裕があるな」と考えれば、なるたけもらわないように努めた。
 しかし今はゴミ袋の補充がない。ゴミ袋は絶対に必要なものだ。昔のように、ポリバケツに直接捨てて、ゴミ回収の人が、中のゴミだけを回収してくれるわけではない。ゴミ袋に入れて、所定の集積所にもって行くことが、ゴミ回収の前提となっている。だから、何としてもゴミ袋は必要だ。
 仕方がないので、そのスーパーでゴミ袋を購入している。
 なんか、これっておかしくないだろうか。「レジ袋は、必要ありません」なんて涼やかに答えて、エコに貢献しているような気持ちにさせられて、その買い物かごの中身には、レジ袋と同じビニールでできたゴミ袋が入っている。本当に資源の有効利用に協力していることになるのだろうか。

 それと値段についても、不満を感じる。スーパーで売っているゴミ袋の値段を計算したら、小は1.5円、中は2.5円、大は4円ぐらいになる。レジ袋よりも、どれも高い。
 もうひとつ袋の材質も、不満だ。レジ袋は、昔はしっかりしたものだったが、コスト削減のためか、最近は随分と薄手になった。一方、有料のゴミ袋は、しっかりとして厚い。
 同じサイズのレジ袋とゴミ袋を比較したら、製造するために要する石油の量は、明らかにゴミ袋の方が多いだろう。
 つまり値段は高いし、地球にも優しくないことを、スーパーは奨励しているように思えるのだ。

 もしかした僕が間違えているのかもしれない。やっぱりレジ袋よりも、ゴミ袋の方が、地球に優しいのかもしれない。それならば、良いのだけど。
 やっぱり今のところ、僕の知り得る情報では、レジ袋の方が地球環境負荷は少ないし、料金も安いように思える。
 
 レジ袋の再開を検討している。

 

合気道三段審査の結果


 昨日は都内の道場に稽古へ行った。そこの道場での稽古は約2か月ぶりだ。久しぶりの懐かしい顔を拝み、汗を流すと、いつもの清々しい気持ちになった。

 実は書かなかったことがある。7月の最初のブログで合気道三段の昇段審査を受けたと書いた。その結果を書いていない。ブログを読んでおられる方は、もしかしたら不思議に思われていたかもしれない。書こうと思った。でも書けなかったのだ。
 7月のブログの最後の箇所に、このような記述がある。「審査の結果は、人事みたいなものだ。本人の意思や希望とは無関係なものだ」。
 この通りだった。期せずして、予言をしていたのだ。結果は本人の意思や希望とは無関係なものだった。

 僕は特別、人事のセンスがない。会社員時代はいつも痛感していた。今回は、僕の異動はないだろうと、思っていると、異動する。そろそろ異動があるのではないかと感じていた部署では、異動がない。次の部長は誰だろうと予想していると、毫も予想をしていない人物が昇進する。まったくセンスがないのだ。
 このセンスのなさの理由は、今は分かる。人事に関する僕の尺度と会社の尺度が違っていたのだ。どんなに正確に測っているつもりでも、尺度が違えば正解は異なるに決まっている。僕は抜けているから、営業成績だとか、企画力だとか、取材力とかで、人を判断する。当然、会社もその部分は評価するだろうが、それだけではない。そのプラスアルファーの部分が、僕には見えないのだ。
 合気道の物差しに関するセンスもないのかもしれない。

 今まで結果について書かなかったのは、ショックが予想以上に大きくて、書けなかったからだ。不覚にもまったく予想だにしていなかった。ブログでは、落ちることがあるかもしれない、と書いたが、あれは嘘だった。地元の道場の先生にも、四段でも問題なく受かりますよと太鼓判を押され(勇気づけてくれたのだろう)、すっかりその気になっていた。だから、審査に落ちたことを告げられた日は、漫画の登場人物が落ち込んで、顔に縦線が入ったように、ちょっとオーバーなぐらい、放心状態になってしまった。
 妻には言えずにいた。その1か月ほど前からの、僕の稽古ぶりや、家でのトレーニングを知っていたので、恥ずかしくて言えなかったのだ。1週間ぐらい経ってから、「実は落ちたんだ」と言うと、「そう思ってた」と言われた。知っていたのだ。
 
 僕が落ち込んだのは、実は審査に落ちたこと、そのこと自体が理由ではない。大学受験や就職試験で、落第には慣れている。落ち込んだのだのは、自分にセンスがないことを知ってしまったからだ。
 実は今も、落ちた理由が分からないでいる。合気道三段は二段允可後、2年以上、300日以上稽古することが求められる。僕は二段允可後、すでに5年が経過している。都内の道場は週に一度程度しか通っていなかったが、地元の道場他には行き続けており、週平均3日程度は稽古をしている。5年間で稽古日数は600日以上あると思う。既定の倍以上だ。だからその点は問題がないはずだ。そうすると、やはり技が未熟であったということだ。でも、どう稽古すれば良いのか、分からなくなってしまった。
 今回の審査では僕以外に落ちた人もいたが、受かった人もいた。そこにきっと解がある。この2か月間、考え続けてきた。しかし未だ解けない。
 解けなければ、上達はできない。どちらの方向に進めば良いのかが、分からないのだから。進みようがない。

 しかしきっと今は、ただ稽古を続けることに意味があるのだろう。どちらに進めばよいのか分からないが、ただ歩き続けることが必要な時なのだろう。もし方向が誤っていたとしても、それでも脚力は鍛えられるし。それに、仕事もそうだったが、自分の好きな方向にしか進めないのが、自分である。誤った方向でも、立ち止まっているよりはいいだろう。
 今はそう思っている。日曜は猛烈に暑く、汗だくになったが、爽快だった。あの爽快さだけは、未熟な自分でも実感できる。それだけでも、十分じゃないか。
 

久々の歯医者

久々の歯医者

 市から葉書が来た。50歳の歯科検診のお知らせだ。この葉書を持って行けば、500円で歯科検診をしてくれるらしい。

 最寄りの歯医者へ行ってきた。住宅地に居を構える、ベリーローカルな雰囲気を漂わせる歯医者だ。会社を辞めてからは歯医者へ行っていない。会社員時代は会社があるビルに入っている歯医者へ通っていた。会社は大手町にあり、歯医者は非常に近代的で、クラシックなんかが流れていて、おしゃれな雰囲気だった。歯科医は紳士的だった。
 それに比べて、ここの歯医者は。東京と地方の差を痛感させられた。20年は遅れているように思う。

 まず時間管理がいい加減だ。大手町では予約した時間は、つまり診察を受ける時間である。患者は時間を厳守するし、歯科医も当然、そのつもりで診察を進める。しかしここの歯医者は違った。3時半に予約していったのだが、待合室には3人が座っていた。僕の前にこの人たちが受診するらしい。予想通り、その人たちが先に診察を済ませ、僕の番が来たのは30分後だ。
 診察室も昔の雰囲気を漂わせていた。診察椅子が隣と区切られていないのだ。大手町だとパーテーションで仕切られていて、隣の様子を覗うことはできない。しかしここは、床屋のような雰囲気だった。子供やらお年寄りやらが、となりの椅子に座っているのが丸見えだ。子供にはお母さんが付き添っていて、なんか話しかけている。お年寄りは馴染みらしく、歯科衛生士と親しげに会話を楽しんでいる。
 大手町だと待ち時間がないので、待合室で他の患者を見ることはない。だから誰とも会わずに、診察を済ませることができるのだが。ここでは待合室も、診察室も、患者同士の距離が近い。

 歯医者が、なれなれしい。僕は30分も待たされたので、少々腹を立てていた。診察室に招かれたとき、雑然とした診察室の様子には目もくれず、黙って診察椅子に座った。その際に、なんか色の黒い兄ちゃんが、ぺこっと挨拶したのは気が付いていた。しかし僕は無視して、椅子に座った。
 その兄ちゃんが歯医者だったのだ。とても歯医者には見えなかった。というのは日に焼けて真っ黒で、Tシャツを着ているのだ。歯科衛生士はもちろん、白衣を着ている。なのに歯医者はTシャツだ。その上こんがりと日に焼けた若い兄ちゃんだ。誰が歯医者だと思うだろう。
 そして極めつけは、検診そのものであった。会社で検診を受けたときは、多少虫歯になりかけている歯はあるが、まだ治療の必要はないと言われた。大手町の歯医者でも、もう少し様子を見ましょうと言われていた。あれから4年ほど経っている。だから悪化している可能性はある。でもいきなり7本だ。7本も治療の必要があると言われたのだ。 
 そしてその7本が問題だった。7本とも過去に治療を受けていた歯であった。つまり被せ物がしてある。帰ってからよくデンタルミラーでチェックしたのだが、直接黒く見える箇所はない。歯医者は被せ物がしてある歯を、肉眼で見て、こりゃきっと中は虫が食ってるなと、予想したのである。
 歯が痛み、大手町で診察を受けたことがある。その時も被せ物がしてある歯だった。歯医者は肉眼で確認した後、見た目では判断できないと慎重に答えた。その後、レントゲンで調べて、その様子を僕に見せながら、虫歯が進行していると診断したのだ。治療計画もレントゲンを見せながら、丁寧に説明した。しかしここの歯医者は肉眼だけで、7本ですと断言した。
 それと治療計画もいい加減であった。僕がどのぐらいの期間を要するかと聞くと、7日間ですと答えた。1本、1日の単純計算である。大手町では1本に3日をかけた。同じように過去に治療歴のある歯を直すのに、なんでこんな違いがあるのだろうか。

 ここの歯医者は、週末はサーフィンだかヨットだとかを楽しんでいるのだろう。良い色に焼けて、健康そうである。子供のお母さん達の人気者かもしれない。
 地元の住民は、他の歯医者と比較することもなく、近くにあるからと無条件でやってくる。会話を楽しみたいお年寄りには、待ち時間も、雑然とした診察室の雰囲気も気にならないかもしれない。しかし、僕は。
 歯医者は診察を終えると、「予約はどうされますか?」と聞いた。「ちょっと予定が分からないので」と答えておいた。

 田舎暮らしは明の部分もあるが、暗の部分もあると、思い知らされた歯科検診だった。
 

実は格差は縮小方向へ


 日本では格差の拡大が叫ばれている。大学を卒業しても、ろくな職にありつけない。ようやく手にした職は外食チェーン店や量販店の社員。正社員でも年収は2~300万円程度だろう。初任給が低くても、その後昇給するのなら問題はない。しかし30代、40代になってもさして給料は変わらない。40代で一番、お金がかかるときでも4~500万円もいけば良い方だ。一方、大手商社や大手銀行、大手マスコミなんかだと、40代で1000万は軽く超える。そんなに出世しなくても、1500万から2000万円ぐらいは、普通だろう。格差は大きい。
 アメリカでも傾向は同じだ。今日のHuffington Postを読んでいたら、アメリカの新卒者の就業実態の記事があった。今、アメリカの大卒者の割合は63%にもなるそうだ。その大量の大卒者が折角、高い授業料を払って大学を卒業しても、職がないそうだ。日本と同じだ。
 多くはやはり、サービス業に流れる。サービス業は賃金が安いから、その結果、全体的な平均賃金を押し下げる。20-24歳の平均年収は約23,000㌦だそうだ。日本円に換算すると180万円程度だ。
 しかしこれはまだ良い方の人々だ。やはり日本同様、職にありつけない若者が多い。アメリカ全体の失業率は8.3%である。しかしこの世代に絞り込むと、失業率は13.5%に跳ね上がる。
 大学を卒業しても、仕事がない。運よく職にありつけても、低賃金だ。

 先日、ネットで中国で働く日本人の番組を見た。フジテレビで深夜に放送した番組のようだ。
 中国には今、日本人の若者が大量に職を求めてやってきているそうだ。番組で取り上げていたのは、電話オペレーターであった。
 大連にインド資本のオペレーティング会社があり、日本人を大量に採用している。採用は日本で行われ、採用者は大連へ向かう。日本人の顧客相手のオペレーターになる目的で。 
 オペレーターの給料は月、7万円から10万円程度だ。日本人の感覚でいえば、かなり安い。それで、なぜ日本人が勤めたがるかというと、大連の生活費が安いからだ。
 番組が取り上げていたある男性は、給料約10万円で、2万8000円ぐらいのマンションに住んでいた。間取りは60平米以上あり、30階だか40階だかの高層マンションだ。高級マンションといっても良いだろう。エントランスはホテルのようにゴージャスだった。
 大連には日本の居酒屋やレストランがある。そこで日本人の仲間と飲み会を開く。日本人がカットする美容院もある。日本語の本も売っている。
 さらにこの男性は40歳ぐらいだったが、20代の可愛い中国人の彼女までできていた。この男性は日本で生活していたころよりも、ずっとリッチで快適な人生を大連で送っているのだ。

 しかしこの男性がやっと掴んだリッチな生活の平穏は、長くは続きそうにない。中国人が職場に進出してきているのだ。日本に一度も来たことがない中国人が、大学などで日本語を学び、日本語をマスターしている。オペレーターとして十分通用する日本語を身に着けているのだ。
 日本からやってきた男性は3年も中国に住んでいるのに、日本語に囲まれた生活をしているので、中国語が使えない。流ちょうな日本語を操る中国人の方が、当然企業としては利用価値が高い。
 なぜそんな優秀な中国人がオペレーターの仕事などをするのかというと、給料が高いからだ。日本語オペレーターの給料は、大連の大卒初任給の3倍にもなるそうだ。

 日本国内や米国国内をドメスティックに見れば、格差は拡大している。高技能を求められる、例えば医師や弁護士、会計士、あるいは銀行マン、上級管理職などは以前よりも、賃金は上昇傾向にある。一方、低技能の職業、例えば小売店の販売員、飲食業の店員、単純な肉体労働、簡単な事務職(オペレーターも含む)などは、以前と比して低賃金化の傾向にある。
 しかし視点を広げれば、事態は異なった様相を示す。以前は日本やアメリカに住んでいるというだけで、高い生活レベルを享受することができた。同じ仕事をしていても、日本と中国では賃金の格差は、すさまじく大きかった。その格差が縮まってきているのだ。水平方向で国際的に比較した場合、同一の職業での賃金格差は、縮小している。

 こうしたことを考えると、日本国内の要素だけで格差を語っても仕方ないと思えてくる。我々、職業人は賃金の上昇を叶えるためには、新たな技術や技能を獲得する必要が、以前に増してあるのだろう。同じ職業にこだわり、新たな知識、技能を身に付ける努力はしたくないと考える人、しかし生活の向上を求める人は、海外に職を求める時代になってきているのかもしれない。


プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
最新トラックバック
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。