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好事魔多し


 昨日も「Do List」を好調に消化していった。風呂に入り、夕食を作り。後は食事を取りながらCNNを見て、その後は寝るまで原書を読むだけだ。ところが思わぬアクシデントが発生した。
 夕食の支度に時間がかかってしまった。昨日の献立は、サンマの煮物と野菜の蒸し焼き、ほうれん草の味噌汁だったのだが、野菜の蒸し焼きで問題が発生した。野菜の蒸し焼きは僕の得意料理で、よく作る。厚手の鉄の鍋に、冷蔵庫にあるあらゆる種類の野菜を放り込んで火にかける。スパイスはオリーブオイルと塩とバルサミコ酢のみ。火にかけたら、ただ待つのみで良いのだ。簡単だが、ものすごくうまい。
 こんな簡単な料理だが、時間配分を誤ってしまったのだ。他の料理ができあがり、テレビを付けた。CNNを見ながら、蒸しあがるのを待った。あと20分というところだ。蒸し焼きは大体、1時間はかかるのだ。
 CNNを見ると、Sandyの様子をやっている。Sandyとは、ハリケーンの名前だ。観測史上最大級という、すさまじいハリケーンだ。
 実は僕は台風が好きだ。家の中で、台風の猛威を報道するニュース番組を見ることは、特に好きだ。
 大変不謹慎と知りながら、爆発する変電所の様子や、濁流が走る地下鉄の線路、風に吹き飛ばされそうなアナウンサーの実況中継をドキドキしながら眺めていた。
 蒸し焼きには、まだ時間がかかる。テレビはハリケーンだ。ソファーに座って見ていると、猫がやってきて膝の上に乗る。悪くない時間だ。しかし、何かがおかしい。何かが足りないのだ。そう、お気づきですね。酒が足りない。
 台風、この場合はハリケーンだが、ときたら酒である。台風番組は酒をやりながら見るのが一番なのだ。
 蒸し焼きができていれば、きっとこんな欲求もクリアできたと思う。しかしまだ20分も間がある。20分間も、耐えることができるだろうか。いや、難しそうだ。ならばぎりぎりまで待って、直前で始めるよりも、今から始めるべきではないか。そんな思いが、CNNを見ているとすぐに湧き起こった。
 そして初めてしまった。まずはビールを。ウールのカーディガンを羽織り、膝の上に毛布をかけ、さらにはその上に猫を載せ、完全防備でビールを飲んだ。う~ん、なんてうまいんだ。昨日、抜いたから、余計にうまい。
 飲み始めると、ちょうどいい具合に、蒸し焼きができた。蒸し焼きとサンマを肴に、ビールを開け、日本酒に突入した。

 1時間はCNNを見た。でも酔っぱらってくると、英語が分からなくなる。その後、民放のバラエティー番組にチャンネルを変える。どれもつまらなくて、ザッピングに終始した。1時間ばかり、バラエティーを見て、酒も止めた。
 結局、ビール1本と日本酒1合で留めることができた。いつもの定量である。
 でもその後、本を読むことはできず、日本語の本を読みながらベッドに入った。

 一日を振り返れば、まあまあであったと言えるだろう。最後の原書講読以外は「Do List」を消化できた。もう一歩というところだったが、これで満足しよう。うん、なんか言葉の使い方が間違えているかな。
 何が言いたいかというと、人生「all or nothing」ではいけないということだ。中庸こそが大切なのだ。若い時分なら、これでやけを起こして、翌日から「Do List」自体を止めてしまおう、と思うところだが。中年になると、ここからが粘り腰である。
 今日も「Do List」を作った。今のところ、順調に推移している。まあ、これでいいのだ。
 

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「Do List」完全制覇


 昨日はフル回転で動くことができた。午前中にレギュラーの仕事を終えた。ラジオ英会話を2日分ネットで聞いた。
 ラジオ英会話は、まったくバカにできない内容だ。一応、駆け出しではあるが、プロ翻訳者がいうのだから、信じて欲しい。毎日、聞けば、ヘタに留学するよりも英語が上達すると思う。
 ブログを書いた。CNNを2時間見た。これは昼飯と夜飯を食べながらだが。ジョギングをした。筋トレをした。さらに家の窓を拭いた。年末の大掃除の一環である。溜まっていた洗濯をした。これは時間がかかった。1時間ぐらい、干すのと畳むのでかかってしまった。買い物に行った。
 そして翻訳の師匠である藤岡先生のお宅に伺った。先生は鎌倉の稲村ケ崎にお住まいである。
 車で行ったのだが、鎌倉は逗子とは雰囲気が随分と違うことに改めて気が付かされた。何といっても大きい。街も大きいし、海も広い。それに比べ、逗子の小ぢんまりしていること。街も小さいが、海も狭い。逗子の砂浜は海蝕で、毎年70センチだか、後退しているそうだ。
 鎌倉は若い。歩いている人や街並みがヤングである。ちょっと古臭いかな、この言い回し。ファッショナブルだともいえる。逗子は良く言えばアダルト、悪く言えば、年寄りくさい。ただ逗子は、小さいし、活気もあるとは言えないが、長閑であり、落ち着いていて、決して劣っているわけではない。
 先生の家に伺ったのは、夏にでかけた台湾でお土産を買って来てあり、それを届けに行ったのだ。もっと早く行きたかったが、何事もやる気が起きずに、放ったらかしにしてあった。懸案の事項だったのだ。

 先生にお会いできて、良かった。今、企画書を書こうとしている本が3冊あるの。それを見ていただき、感想を伺うことができた。どれも面白いと言ってくださった。ちょっと薄めの本だが、日本語にすれば倍のページ数になる。今は分量が少なめの方が読者受けが良いので、十分だとのお言葉をいただいた。
 ビジネス関係の本なので、鮮度が必要である。できれば今週中に1冊の企画書を仕上げよう。先生にお会いして、そんな気にさせられた。
 (来週にでも企画書を届けますので、T先輩。友人の編集長の方への橋渡し、ぜひお願いします。改めて、連絡させていただきます。)

 夜は企画書に仕上げるつもりの本を読んだ。夕食後、2時間ほど。仕事の本は、真剣に読むため、眠気が起きない。ベッドに入ってからは「野外科学の方法(川喜田二郎)」を読んだ。甥っ子とフィールドワークの話をしていて、読みたくなったのだ。フィールドワークの古典ともいえる本だ。読んでいるうちに、眠気が襲ってきて、そのまま就寝した。

 「Do List」完全制覇だ。起きてから眠るまで、ほぼ理想のスケジュールをこなしたと思う。テレビ時間(日本の)ゼロ、酔っぱらっている時間もゼロ。仕事と勉強と家事と、趣味の読書。それ以外は、何もしなかった。シンプルでかつ、満足感の抱ける一日だったと思う。
 これが続けられれば、きっと色々うまくいくだろう。

完全復調


 長期にわたる不調を克服した感がある。やる気が出てきた。気分は明るい。体調も良い。
 不調だった原因は分かっている。合気道の昇段試験に落ちたことだ。この10年以上、合気道に真剣に取り組んできた。数か所の道場に通い、多いときは週に5日の稽古をした。自主稽古もやってきた。まだ文京区に住んでいたころも、アパートの前の路地で、まだ暗いうちから木刀を振って、住民に怪しまれたりした。公園で四股を踏み、子供たちに笑われた。禅寺の暁天座禅に通い、気を整えた。本も読みまくった。技術的なものから、武道の歴史、武士道哲学まで。古書店にまでも通って、店主のおじさんと仲良くなった。ビデオやDVDも随分みた。この10年以上、正確には13年間だが、費やした時間と労力がかなりのものだったと思う。それが、プツンと切れてしまった。
 どうしても道場に行くことができなくなった。
 道場へ通わなくなると、生活のリズムが乱れた。多少、体調が悪くても、気分が優れなくても、稽古をすることでリズムが整えられていた。それができなくなった。
 酒を飲み過ぎれば、不調が尾を引く。仕事も集中できない。外に気分転換で出かけても、期待ほどは気分が優れない。
 7月に審査を受けてから、3か月間もいじいじと過ごしたことになる。それがようやく、回復したと言える状態にまで漕ぎ着けることができた。

 合気道については、距離を置くことに決めた。これを決断するのに、時間がかかったのだと思う。だって今までは人生の柱みたいな存在だったのだから。
 では合気道と距離を置いて、これからどうするのか、何を柱にして生きていくべきだろうか。他の趣味を始めるべきか。グルメに走ろうか。いやいや、そんなんじゃ、ダメだ。もっと良い対象があるじゃないか。そう、仕事だ。仕事にもっと打ち込もう。

 仕事については、実はフラフラとしていた。このブログでも書いたことがあるかと思うが、本当に翻訳でいいのか、迷うときがあった。でも覚悟ができた。翻訳でやっていきます。
 合気道に費やしてきた時間と労力をこれからは仕事に費やしていきます。
 普通の人なら、当たり前のことなのだろうが。でも武道の稽古を日常的に行っている人なら分かると思うが、武道はとても魅力的なのだ。軽い気持ちで初めても、いつしか生活の真ん中を占めている。仕事が段々を脇に追いやられて。
 そこで軌道を修正することにしたのだ。やっぱり男は仕事だよ。仕事が充実しなくては、趣味も楽しめない。

 今朝は「Do List」を作った。以前もやっていたが、最近ご無沙汰だった。朝一でこれを作り、終わった項目を一つずつ消していく。
 まずは目の前の仕事を確実にこなしていこう。それと将来の仕事につながる資料の収集や企画書を作成しよう。英語力のアップも図ろう。

 もしかしたら、こんな内容のブログを今までも書いたことがあるかもしれない。と、ここまで書いて思ったが。まあ、それでもいいではないか。
 とにかく完全復調を遂げたのだ。よし。
   

迷惑なおとこ


 昨日は仕事の打ち合わせで東京に出た。打ち合わせは12時過ぎに終了した。ビルの外に出ると、空は青く、秋の日差しが気持ち良い。
 当初はトンボ返りをするか、出版クラブの「洋書の森」を覗いて帰るつもりでいた。でも天気がよくて、ひとりで食事をするのもつまらない。さらに一杯飲みたい気持ちが、ぬくぬくと湧き上がった。
 それから昼飯を付き合ってくれそうな、知人に電話をかけた。出ない。他にも電話した。またも出ない。結局、ひとりとつながったが、用事があり外に出られないという。最後に、産経の後輩に電話をした。彼とは来月も会う予定だったので、ちょっと気が引けたが。悪いと思いつつも、誘うと会社から出て来てくれた。
 二人で昼食に向かったのは、会社員時代よく行った、神田の中華料理屋だ。おかみさんが、とても可愛いので、それとタンメンがうまいので、よく行った店だ。店には以前のようにおかみさんがいた。挨拶をすると、僕の顔を覚えてくれていた。
 後輩には悪いと思いながら、タンメンの他、生ビールを注文した。この店で酒を飲むのは初めてだ。昼間のビールはうまかった。

 後輩と別れてから、洋書の森へ向かった。一冊ばかり本を借りる。経済関連の本だ。
 続いて高校時代の同級生と会う。さきほど電話したときには電話に出なかったが、後からかけ直してくれて、会う約束をしたのだ。
 たまたま彼の会社が近くにあり、洋書の森から歩いて行く。近くのレストランに入る。彼はコーヒー。僕はまたしてもビールを頼む。同級生に勧められるままに、2杯ばかり飲む。神田で飲んだ一杯目は結構酔った気がしたが、この時点で耐性ができており、酔わない。もっと飲みたかったが、彼に申し訳ない気がして、それで中断した。
 彼は猛烈営業マンでいつも忙しそうにしていたが、今は多少余裕のある部署に異動したようで、2時間も付き合ってくれた。彼とは高校時代もよく喫茶店でダベッたものだ。話し始めると、あの頃にワープしたような錯覚を覚える。話しぶりやしぐさが、全然変わっていない。
 ビールはごちそうしてもらった。彼は僕のブログを読んでいるそうで、僕の貧乏ぶりを知っている。それでごちそうしてくれたのだろう。いつも困窮生活を開陳していると、こういう恩恵があるものだ。

 同級生と別れた後は、ランチを一緒に食べた後輩と飲みにいく。ランチのときに、ビールの勢いで誘ったら快諾してくれたのだ。忙しいだろうに。悪い先輩である。
 有楽町の「ミルクワンタン」という有名なガード下の店に入る。この店はHSBC時代に上司に連れられて来た店だ。もう25年も前の話だ。
 店には後輩が呼んだ飲み仲間も二人やってきた。10時過ぎまでそこにいて、河岸を変える。二軒目には終電間際までいた。
 後輩も住まいが湘南なので、嫌がる彼を横須賀線に連れ込み、キオスクでウイスキーを買い、二人で飲みながら帰る。
 逗子から30分かけて、てくてく歩い帰ると、家に着いたのは1時半を回っていた。それから着替えたり歯を磨いたりして、寝床に入ったのは2時だった。
 今朝はいつも通り、4時半に起床した。さすがに二日酔いというか、酔っぱらったままの状態だった。寝ぼけたまま、かみさんの朝食を作る。作り終えると、かみさんを見送ることもせずに、すぐにベッドにカムバックしたが。
 よく飲んだ一日だった。

 急に電話をかけて呼び出したり、仕事中にも拘わらず、話し相手になってくれた関係者のみなさま。ここにお礼と、お詫びを謹んで申し上げます。
 
 
  

九段坂病院へ行く


 2年ぶりに九段坂病院へ行ってきた。神経鞘腫の手術後の診断のためだ。本当は毎年、来るようにいわれていた。しかし去年はなんとなく、タイミングを逃し、結局行かずに済ませた。
 僕の主治医は院長の中井先生なので、予約に時間がかかる。普通の診察でも2か月以上前に申し込む必要がある。院長が学会なので長期に離れていると、さらに時間を要する。それで昨年は自分の都合と調整がつかずに、結局行かなかった。

 今年は久しぶりにMRIで調べてもらった。手術を受けたあたりに痛みがある。それで詳しく診てもらうことにした。結果はまったく再発の気配はないとのことだった。
 痛みは手術を受けた箇所の筋肉が再生できずにいて、他の場所の筋肉とのバランスの悪く、それが原因らしい。
 診断まではかなりの時間、待たされた。予約をしても時間がかかるのだ。MRIは朝の10時に受けたのだが、その後待合室で1時まで待たされた。それだけ待って、しかし診断は5分もかからなかった。
 院長がMRIのフィルムを見て、「まったく大丈夫です」。これで終わりだ。後は何もなし。
 あまりにあっけないので、ふたりで黙って暫く座っていた。すると院長がフィルムを指さして、「きれいな椎間板です」といった。向こうも待ち時間の割に、短いことを苦慮したのかもしれない。「そうですか」と答えると、さらに「全然、老化していません」。
 当然、嬉しかったが、やはりちょっと複雑ではあった。医者から見れば、僕の体は当然、老化が始まっているということだろう。自分でも気づいているが、医者からそういわれると、ガクンと来る。まあ、いいか。

 長い待合時間であったが、本を読んで過ごしたので、苦にはならなかった。さらにある人を見られたので。
 大男といってよいほど背の高い老人がいた。腰を曲げて歩いているのにもかかわらず、他の人よりも頭ひとつとび抜けている。何気なく顔を見ると、往年の野球選手だった。超大物ですよ。大物中の大物。
 最近、テレビで顔を見なくなったが、腰を患っていたのだな。
 
  

アル中診断テスト


 かみさんがいない一日目は、予想通りというか、まあまあの一日を送った。日中は仕事と読書をした。ジョギングをしようかとも考えたが、読んでいた本が面白くて止まらずに、パスをしてしまった。
 読んでいたのは「今夜すべてのバーで(中島らも)」だ。以前読んだことがある本だが、読みなおしてみた。中島らもはアル中で、最後は酔っぱらって階段から落ちて死んでしまった人だが、この本はほぼ自伝のようで、アル中が主人公の話だ。
 中にアル中の診断テストが載っていた。久里浜式アルコール症スクリーニング・テストと言う奴で、結構有名らしい。今はネットで簡単にできる。興味のある人は、トライしてみては。3分程度しかかからないので。以下にURLを載せておく。

http://www.enjoy.ne.jp/~ikuro/alcohol/altest.html

 僕の場合は0点で、「まあまあ正常です(問題飲酒予備軍)」だそうだ。しかし実は、最初にテストしたときは8点で「アルコール依存症として治療が必要」となった。そりゃ、びっくりし、落胆した。しかしよく読み直し、再度やると違う結果がでた。それはどういうことかというと、このテストは「最近6か月間に次のことがありましたか?」という問いなのだが、一回目のときはこの「最近6か月」を読み飛ばしてしまったのだ。
 第一問目に「酒が原因で、大切な人(家族や友人)との人間関係にひびがはいったことがある?」という質問がある。最初の答えは「はい」だった。約30年間の飲酒生活を振り返れば、酒が原因で友人と喧嘩をしたこともあるし、警察にお世話になったこともある。でもそれは、20代、30代のころの話だ。主に20代かな。若い頃には、酒の失敗は誰でもあるでしょう。でも最近6か月に絞り込めば、それは「いいえ」だ。
 第5問目は「酒を飲んだ翌朝に前夜のことをところどころ思い出せない」だが、これも最初の答えは「はい」で、二回目は「いいえ」だ。以前は確かに記憶がなくなるほど、飲むこともあった。でも今は、まったくない。10時間飲んでも、そこまでは酔わない。酔う前に自制している。

 最近、ちょっと反省しているのだ。お酒について。そんなに飲んではいないけど、でも図らずも飲んでしまう。昨年の夏に節酒を近い、1年近くは、それなりにだが励行してきた。しかしこの夏から、すっかりタガが外れてしまった。多分、7月から一日も抜かさずに飲んでいる。
 それで自制を促すべく、「今夜すべてのバーで」を読んだのだ。

 アル中にはなりたくない。二回目のテスト結果にあるように、僕はきっと“問題飲酒予備軍”だ。いつかは本物のアル中になってしまう可能性は、そう低くないはずだ。
 アル中になったら、選択肢は二つだ。飲み続けて、早死にするか、断酒をするか。
 アル中患者の平均寿命は53歳だそうだ。あと4年しか生きられない。できれば、長生きをしたいと思っている。今の僕の最大ともいえる人生目標は、実は“長寿”である。長生きをすれば、挽回の可能性も高いだろう。「最後は生き残った奴の勝だ」というわけだ。だから僕には、もうひとつの選択肢しか残されていない。それは断酒だ。
 これは考えただけで恐ろしい。もしかしたら短命の方が、ましかもと思えてしまうほど、恐ろしい選択だ。今の僕の一番の楽しみは、週末にかみさんが作った料理で一杯やること。それとたまに旧友と会い、酒を酌み交わすこと。もうひとつ、年に1、2度の旅行をし、土地のうまいものを肴に酒を飲むことだ。これができない人生なんて。
 いや、本当に恐ろしい。というわけで、なんとか問題飲酒予備軍で踏みとどまりたいと思っているのだ。そのためには節酒である。

 しかし昨日は案の定、飲んでしまった。かみさんが帰ってこないという安心感、といっちゃいけないな、開放感、これもまずいかな、とにかく気軽さがあって、夕方から飲んでしまった。飲んだのはいつもの定量+お銚子1本。そこで踏みとどまったのだから、まあまあだ。それで8時前には寝てしまった。
 今日は夕方から、地元の翻訳者数人との飲み会がある。今日はそれなりに飲むだろう。これは、まあいいでしょう。問題は明日、明後日だ。飲まずに過ごせたら、ブログで報告します。飲んでしまったら、カッコ悪いので報告はしません。
  

これからの4日間


 今日から4日間、ひとりで過ごすことになる。猫がいるから、ひとりと二匹か。かみさんが研究会とかで出張するのだ。
 ひとり(と二匹)で4日間も過ごすのは、いつ以来のことだろうか。もしかしたら結婚以来か。
 最近はかみさんの帰りが遅いので、先に寝てしまっている。薄情だと思うが、朝早く起きて、朝食を作らなくちゃいけないので、先に休ませてもらっている。すると夜はかみさんの顔を見ないので、朝の一時間程度しか一緒にいない。それでもやはり一緒に住んでいることには違いない。それが完全にいないとなると、様子が違う。
 気楽な気もする。最近はまた夜、飲むようになってしまった。ウイークデーは飲まないようにしていたのだけども。
 以前は夜に雨が降ると、かみさんを車で迎えに行っていた。だから飲めなかった。それが最近は、先に寝てしまうので、迎えに行かない。降ったときは、タクシーで帰ってきてもらっているのだ。だから飲める。それで晩酌が復活した。
 体にはよくないことは分かっている。アル中になるんじゃないかという恐怖感もある。でも仕方ないかとも、思っている。
 朝からひとりで机に向かい、一日を過ごす。散歩に出たり、ジョギングをしたりして、気分転換を図るが、それでも飽きが来る。ストレスを感じることもある。それが夜、飲めると思うだけで、気分が違ってくる。大げさだが、一日に充実感を抱くことができるのだ。
 量は控えるようにしている。定量があって、ビール1本と日本酒一合と決めている。もとからそんなに強い方じゃないので、それでほろ酔い気分に浸れる。一時間以上かけて、体と心の凝りをほどいていく。
 この量がちょうどいい。そんなに少なくはないが、それほど多い量でもないと思っている。以前、飲みまくっていたころは、この3倍ぐらいは飲んでいた。それから比べれば、健康的な飲み方じゃないだろうか。

 かみさんがいないともっと飲んでしまいそうなのだ。いや、大丈夫かな。以前は色々あって、酒が手段になっていた。酩酊するまで飲みかった。でも今は、酒の意味合いが違う。ほろ酔い気分で、一日を振り返り、明日の予定をボーっと練り、本を肴にあれこれ思いを巡らせれば、それでいい。あんまり酔っぱらったら、それが違うところに行ってしまう。
 でもそれでもひとりというのは、ちょっと危険だ。

 震災の被災者で、男性の一人暮らしはアル中になり易いらしい。そうだろうと思う。一日ひとり家にいれば、飲みたくもなるだろう。最初は夜だけだったのが、夕方からになり、昼からになり、最後は起きるとすぐに飲み始める。
 酒好きの一人暮らしは、要注意である。

 僕は意志が弱い。結婚してなかったら、今より酒量は増えていたかもしれない。仕事のないに日は、昼から飲み始めていたかもしれない。くわばらくわばら。
 4日間、ちゃんと過ごそう。

  

布団の中で考えたこと


 今朝は3時半に目が覚めて、それからベッドの中で眠れずに過ごした。といっても昨夜は9時半に寝たので、6時間は寝ているのだが。
 ベッドの中で甥っ子のことを考えていた。いや甥っ子のことを元に自分のことを考えていた。
 甥っ子は今年大学1年になったばかりだが、すでに大学院の進学を考えている。それも海外の大学院だ。そのために大学の交換留学制度を使って、来年は留学をしたいと考えている。留学にはTOEFLの点数が必要で、今年の夏休みは大学が主催したTOEFL講座を1か月間、朝から晩まで受講した。学内の選考が今月の末にあるそうだ。留学経験者ということで、色々と相談を持ちかけられている。
 大学受験のときも、うちに1週間泊まりに来て、学習スケジュールを二人で作った。

 いつも偉そうに、何かとアドバイスをしたり、叱責したりしているが、自分のことに考えを及ぼすと、恥ずかしくなる。
 甥っ子を見ていて、その将来の広がりに、羨ましさを感じることがある。そして考えた。もし自分が、また大学生に戻ったとしたら、彼のように目標に向かって、勇ましく歩むことができるだろうか。そんなことを布団の中で、悶々と考えた。
 その中でぼんやりと見えてきた答えは、“否”だった。今の経験や知識をそのまま持ち込んで、大学生になったとしても、きっと同じような道を歩むだろう、僕は。
 実は僕も大学の交換留学に挑戦しようと考えたことがある。交換留学にはやはりTOEFLのスコアが必要で、試験の申し込みまではした。でも結局、受けなかった。
 前の晩に、ここでは書けないような如何わしいことをしていて、寝過ごしてしまい試験を受けずに済ませた。ほぼ確信犯で、翌日目が覚めると、すでに昼近くで、ホッとしたことを覚えている。
 きっと同じように、過ごすだろう。今の僕でも。

 よく自分探しだとか、適職だとか言う。人にはそれぞれ本来進むべき道があって、それを探すべきだという考え方だと思う。アーティストだとか、アイドルだとか。そんなのがきっとその対象だろう。人によるのだろうか、僕の場合は違う。適職は、見つけるものではなく、仕方なく選択するものだ。
 どういうことかと言うと、数ある候補の中から選ぶのでなく、消去法で最後に残ったものが、「僕の仕事」という感覚だ。
 イチローや岡本太郎みたいな天才の目の前には、最初から野球選手や画家という職業が浮かび上がったのだろう。
 僕はだらだらと高校生活を過ごした。そしてスポーツ選手や芸術家になる技能を習得するタイミングを逃した。だからみんながきっと憧れを感じる職業は、すぐに候補から消えて行った。医者や科学者は大学受験で学部を選ぶときに、消えて行った。まあ、想像すらしなかったけど。板前や職人になる根性はなかった。怒鳴られたりするは苦手だ。
 仕方なくサラリーマンになった。しかし組織人としての振る舞いができなかったので、これもボツになった。そうなると、かなり対象が絞り込まれてくる。
 40過ぎで司法書士になることも考えて、専門学校に通ってみた。法律は面白いと思ったが、書類の作成が面倒くさいことに気付きこれもボツになった。
 そして何にもなくなった。僕はどうしたらいいのだろうと途方にくれた。そうした苦悩のすえに、出会ったのが翻訳だ。
 こんな決め方をして、若い時から翻訳家を目指していた人からすると不謹慎に思えるかもしれない。でも、事実の話だ。
 しかしこんな決め方でも、気に入っている。ようやくここにたどり着いた感さえある。出会えたことに感謝している。

 そしてこれが不思議なのだが、大学生に戻ったとしても、やはりすぐには翻訳家を選ばなかったと思うことだ。
 やはり如何わしい夜を過ごしたり、お気楽サラリーマンとして飲み歩いたり、会社の金で留学させてもらったり、そんなことをもし若返っても、もう一度やってみたい。
 布団の中で、考えたことだ。
  

のろいの館事件


 野良猫が庭にやって来て、うちの猫と大声で叫びあい、ついには網戸越しに喧嘩を始めたことは書いた。その後だが。
 一向に改善されていない。毎日、一度はやってくる。
 僕は二階で仕事をしているのだが、仕事をしている最中に大抵、騒動が起こる。階下でフクちゃんの叫び声が聞こえて、下へ飛んでいくと、野良猫と睨み合っている。
 まず僕も睨み付ける。以前はこれで退却したのだが、最近はこれが効かなくなってきた。しかたなく窓を開けて追っ払う。しかし事態は、さらに悪い方向へ向かっていった。

 フクちゃんの断末魔の叫び声を聞いて、すわ一大事とおっとり刀で飛んでいくと、いつもの庭には見当たらない。フクちゃんはどこ、と探すと、リビングにあるサイドボードの上にいた。サイドボードは窓の下にあって、フクちゃんは窓に向かって、毛を逆立てている。そこで世にも恐ろしい光景を目にすることになった。
 野良猫が窓に張り付いていたのだ。窓はガラス窓を開けてあり、網戸は閉まった状態だった。その網戸に野良猫が四肢をひっかけ、モモンガのように張り付いていた。これには、恐怖を感じた。
 中学生のころ、楳図かずおの「赤んぼう少女(のろいの館)」という漫画を読んで恐ろしくなり、しばらく夜中に電気を付けて寝ていたことがあった。野良猫はあの中に出てくる、赤んぼう少女“たまみ”のような姿だったのだ。
 目を吊り上げて、牙をむき出しにした猫が、いるはずのない場所に張り付いて、こちらを凝視している。それを予測せずに、目にしてしまった僕の恐怖を想像していただきたい。
 窓は室内では床からはおよそ1メートルちょっとの位置にある。しかし外の土地からは、2メートル近くの位置にあるのだ。そこに猫の姿があってはならない場所だ。
 たまみも、外見は赤ん坊なのに、信じられない跳躍をしたりする。その意外性が恐ろしいのだが、まさにその状況だった。

 一瞬、恐怖で凍りついたが、すぐに近寄り、「こらっ」とやると、網戸から離れて、下に落ちた。すぐにツッカケを履いて、裏に回ると、まだ野良猫がいた。どういう訳か、この野良猫は僕になついている。近づくと、「にゃー」と甘えた声を出した。しかし放置できない状況まで、事態は悪化したのだ。ついに決断のときが来たようだ。
 僕は感情を押し殺し、できるだけ怖い顔を作って、野良猫に突進した。いつもと様子が違うと理解した野良猫は、後ずさりをした。さらに詰め寄る。
 何度か、「どうして?」と、可愛い顔で返したが、僕は最後まで怖い顔で猫を追いかけた。観念した野良猫は、ついには隣家の庭に逃げて行った。

 実はこの「のろいの館事件」は2度発生している。2回目は一昨日のことだった。昨日も庭には来たが、サイドボードの窓は締めておいたので、僕が怒るとそのまま逃げて行った。
 今日は天気がいいので、庭の窓もサイドボードの窓も網戸にしてある。こうして二階でパソコンに向かっていても、落ち着かない。フクちゃんの叫び声が聞こえないでくれることを、願いながら仕事をしている。
  

朝まで飲む


 一週間ぶりの更新だ。さぼりぐせの復活である。最近、本当にグータラ生活が身についてしまって、恐ろしい。ひとりで家にいるので気を引き締めないと、すぐにグータラ地獄に入り込んでしまう。今回はちょっと重症だ。
 原因は色々あると思うが、とくに大きいのは合気道の稽古に行っていないことだ。体を動かさないと、心まで澱んできてしまう。
 昨日、母と電話で話していて、「あなた太ったわね」と言われた。先月、墓参りをしたときに、思ったそうだ。電話ではノーベル賞を受賞した山中教授の話が出て、「どんなに忙しいときも、毎日ジョギングをしているそうよ」と、ちくりとやられた。
 山中教授は僕と同じ歳だ。山中教授を見れば、母は当然、僕と比較する。実は僕もノーベル賞受賞のニュースを見ていて、きっと母は僕を思い出し、複雑な心境になっているだろうと想像した。そして申し訳ない気持ちになった。ノーベル賞受賞は嬉しいけれど、自分のことを考えると、ちょっと悲しい。
 しかし母の電話を切った後に、少しばかりやる気が復活した。それで近くを走ってきた。1年ぶりぐらいのジョギングである。
 走ったおかげで、昨日は一日気分がよかった。やはり引きこもっていてはいけない。今日も走ろう、なるたけ。

 週末に友人が泊まりに来た。産経新聞社の元同僚だ。産経は選択退職制度や早期退職制度を、僕が辞めた後も続けているようで、友人は制度を利用して9月末に会社を辞めたのだ。
 夜7時過ぎにやって来て、すぐに飲み始めた。同じ境遇ということもあり、話に花が盛んに咲いた。途中、妻が帰ってきて、一緒に飲んだのだが、先に休んでもらい、延々と飲み、話し続けた。気が付くと外が白み始めていた。6時を過ぎていた。明るくなった外を見て、さすがに我に返り、あわてて布団に入った。
 
 友人は以前から顔が広く、フットワークが良い男だ。何人もの知人から、一緒に事業を始めようと声を掛けられているようだ。執筆活動を中心に、新たなビジネスにも取り組むようである。
 同僚が会社を辞める時、話を聞くことが少なくない。色々な夢やプランを話してくれるが、ピンとこないことが多い。「これはうまくいく」という予感を与えるケースは少ない。逆にピンと来た場合は、その後うまくいっている。
 今回の友人の話も、ピンときた。きっとうまく行くだろう。こういうときの僕の感は鋭いのだ。頑張れ、修ちゃん。
  

繰り返される領海侵犯


 ここ毎日、領海侵犯が繰り返されている。このままでは不足の事態に突入する恐れがある。心配でたまらない。

 1か月前ぐらいから奴が来るようになった。どこからともなく庭に現れ、しばらく遊んでいる。ちょっと見た目には、長閑な光景のようだが、実はそうではない。奴が現れると、大変騒がしいことになるのだ。
 奴とはノラクロのことだ。ノラクロとは、漫画のノラクロによく似た顔をした野良猫の名前だ。僕が勝手に命名した。
 うちには猫が二匹いる。フクちゃんと大ちゃんだ。この子たちがノラクロが来ると、大騒ぎをする。めちゃくちゃ、騒がしい。
 
 といってもうちのネコが好戦的であるわけではない。いつもノラクロが挑発してくるのだ。他にも野良猫がうちの庭にはやってくる。しかしみなうちのネコに遠慮して、決して窓の近くにはやって来ない。ところがノラクロは必ず窓のすぐ近くまで来て、ガンを飛ばす。
 大ちゃんは気が小さいので、すぐに隠れてしまう。家では大ちゃんよりもおとなしいフクちゃんだが、フクちゃんとて、かつてはノラでならしたものだ。勝手に庭に入られたうえ、さらにガンまで飛ばされて、黙っているわけにはいかない。
 ふすまの陰から覗いているだけの大ちゃんの前を悠然と通り過ぎ、窓に接近。するどい視線で、睨み返す。するとノラクロも、「おお、そうかい。やる気があるのかい。家猫のくせに、生意気な」とばかり、網戸に顔がくっつくほどまで近づいてくる。
 これはフクちゃんとしては我慢の域を超えた行為である。領海内といえる庭に侵入され、さらに領土である家の窓に顔をくっつけるとは。 
 最大限の警告の意味を込め、フクちゃんは大音響で「にゃー」と叫ぶ。しかし「ニャー」はやはり単なる警告に過ぎない。警告は相手が警告として受け止めれば意味をなすが、相手が無視をすればただの音だ。
 ノラクロは警告レベルとしては一段上、というよりも前哨戦的な、低いうなり声で「ウー」攻撃をしかけてくる。「ウー」攻撃を受ければ、受けた本人は退散するか、交戦するしか道はない。自領が侵略されることは確実である。もうフクちゃんに選択肢はない。それでも一縷の望みを託し、もう一度、警告音「ニャー」で、こちらには交戦の意思がないことを相手に伝える。
 しかし相手にはそんなフクちゃんの気持ちは通じない。やる気満々だ。さらに近づき、大胆にも網戸に前足をかけ、立ち上がる。まるで襲い掛かるような姿勢だ。
 領海侵犯を繰り返され、さらに自陣の網戸に手をかけられた状態は、もはや見逃すことができない。フクちゃんとしては、何度も大声で警告を発していたのだ。向こうは外界という広い領土を有しているにも拘わらず、フクちゃんの小さな領土に土足の足をかけたのだ。これはまさに宣戦布告そのものだ。
 フクちゃんは精一杯の勇気を振り絞り、網戸のノラクロに猫パンチ砲を発射。ついに実弾が放たれたのだ。ノラクロは一瞬たじろいだ様子を見せたが、さすが外界では実戦経験を積んでいる。すぐにこちらも猫パンチ砲で応戦。完全な交戦状態に入った。
 このまま両猫が戦争を続ければ、やがて網戸は破られる。その後はノラクロが我が家に侵入、あるいはフクちゃんが庭に飛び出すことになるだろう。どちらにせよ、被害は甚大だ。
 そこでついに、絶対的軍事力の登場だ。そう、僕の参戦だ。僕はフクちゃんの家族だから、安全保障上の立場は明確だ。フクちゃんを防衛する義務がある。しかし絶対的パワーを有するものは、狡猾でなくてはならない。僕の軍事力の前では、ノラクロなど赤子も同然だ。一蹴することは簡単なことだ。しかし覇権国は戦後のことも考えなくてはならないのだ。ノラクロに恨みを残すようなことは、極力避けねばならない。
 相手へのダメージや感情も配慮して、スリッパミサイルの発射のような、直接的な攻撃は避けることにした。
 ただ僕の態度を示せばいいのだ。僕がフクちゃんを絶対に守る意思があることを。
 そこで僕はおもむろに二匹の間に割り込む。そしてただノラクロに厳しい視線を投げつける。フクちゃんのガンではびくともしなかったノラクロだが、さすが絶対的パワーの前では無力であった。僕が視線を5秒ほど送り続けると、状況を理解し、背中を向けて退却した。
 あー、やれやれだ。

 こうしたことが最近、続いている。そのたびに僕が介入している。正直、最近はうんざり状態だ。
 やはり血をみるところまで行かなくてはならないのだろうか。心配な事態である。
  

「年収100万円の豊かな節約生活」って本当に可能なのか計算してみた


 「年収100万円の豊かな節約生活」という本を読んだ。東大経済学部卒の52歳の男性筆者が、20数年間実践した年収100万円の生活術を著した本だ。
 著者は山崎寿人という人。3浪の後、東大に入学。卒業後、某大手酒造メーカーの宣伝部に勤務。7年間(今、妻に貸していて手元に本がないので、記憶があいまい)の勤務の後、小説家を目指して退職。その後は親から譲り受けた築30年のマンションを賃貸して、その収入だけで生活してきたとのこと。その賃貸収入が年間100万円である。小説家になる夢は、そうそうに諦めたそうだ。

 本では年収100万円で、どのように生活しているのかをある部分では詳細に述べている。
 著者は生活費を、固定費と変動費に区分けしている。固定費は社会保険料や住居費。変動費は食費と電気などの公共料金、それと趣味などに使う小遣いだ。この中で著者は変動費のみを、細かく具体的に公開している。
 例えば食費は月間1万5千円以内に抑えているそうだ。小遣いは5千円。毎月、2万円の現金を引きだし、これで両方を賄っているという。
 公共料金は1万円である。しめて全部で3万円。年間で36万円だ。

 それで固定費だが、ここはまったく触れられていない。社会保険料や住居費は家族構成により、大きく変わるので、自分の例を示しても、参考にならないから割愛したそうだ。しかし僕は、どちらかというとこの固定費に興味がある。なぜなら、この金額が大きいからだ。そこで試みに著者の固定費を類推で計算してみた。本に描かれた様々な情報からの推測である。
 まず確実なもの。それは年金だ。著者は国民年金にしっかり加入しているそうで、この金額は誰でも同じだから、間違いなく分かる。年間、174,633円だ。しかしこの数字は、今年の数字で昨年はこれよりも安かった。また年初にまとめて払うと、割引がある。そうしたことを考慮して、約17万円とする。
 続いて健康保険料だ。これは各市町村で異なるので、確実な数字は分からない。しかし自治体によって、そんなには変わらないだろうということで、逗子市の場合で計算してみる。年収100万円の場合は約9万円だ。
 続いて税金。一応、年間収入があるので考えてみる。しかしこれはゼロに抑えることが可能だ。青色申告をすれば控除が65万円ほど受けられる。さらに基礎控除は38万円なので、このふたつを合わせると103万円になり、控除額が年収を上回り、税金はゼロになる。
 続いて家賃だ。この数字は、固定費の上限から逆算してみよう。年金と健康保険の合計が26万円。税金はゼロ。固定費は64万円なので、家賃に回せる金額は38万円になる。月額にすると3万1600円。果たしてこの金額で、実際に間に合うのだろうか。
 著者は川崎市内の木造アパートに住んでいるそうだ。本には室内の様子が写った写真が掲載されているが、それから推測するところ6畳一間の1DKといったところだ。こんな物件が3万1600円以内で借りられるのだろうか。そこでYahooの賃貸情報で検索してみた。すると、ありました。例えば麻生区の26平米の木造アパート。6畳一間で台所は別に4.2畳。バス・トイレ付で3万円ちょうどである。あるんですねえ。

 実はこのブログを書く前は、100万円で生活するなんて無理だと思っていた。それできちんと計算して、矛盾を暴こうと考えていたのだ。しかし実際に計算していると、これができる。

 ちなみに変動費の方だが、こちらの実践はそれほど難しくないと思う。僕も以前は食費を1万円ちょっとに抑えていた。光熱費はもうちょっと高かったけど、それは一軒家だからだと思う。アパート暮らしなら3万円で可能であろう。
 ところで僕の生活費だが、ひとり暮らしの時も、100万円を大きく、大きく上回っていた。食費は同じように、月額1万円超だったのに。たしかにローンはある。家の維持費もかかる。でもそれにしても、かかり過ぎていた。節約していたようで、全然であったのだなあと、今更おもう。
  

プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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