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頑張らない方がいいの?(2)


 昨日、書いた「頑張らない方がいいの?」について考えていた。一般に「頑張って!」と言うときは、それは「応援しているよ!」、とか「成功を祈ってるよ!」と言う意味がそこに含まれているのであって、「努力しろ」と言う意味は薄いと書いた。そうだと思う。
 ただ字義から取ると、「頑張る」とは「頑なに張る」が素直な解釈かもしれない。昨日は鬱病の増加が原因でないかと書いた。しかし、やはり文字が本来持つ意味に違和感を覚える人もいるだろう。そうして、「頑張って!」を拒否する風潮が生まれたのかもしれない。

 たしかに「頑なに張る」のはよくない。「頑なに張る」とは、「力む」ことであり、「気張る」ことである。肩に力が入り、緊張が高まることだ。これでは力が却って出せない。
 合気道を初めて、そのことがよく分かった。合気道は、どうやったら力を抜くことができるかを学ぶ武道だ。臨戦の場で、脱力することはとても難しい。しかし力が抜けていた方が、確実に強い。だから普段でも力がこもらないよう、稽古を重ねる。それが合気道だ。
 他の武道やスポーツも、最終的には同じ境地を目指すように思う。たとえば今、テレビで見ることができる名人が武道界やスポーツ界には数名いる。その人たちの動きを見れば、力が抜けていることが分かる。
 スポーツ界を代表するのはやはりイチローだろう。イチローはバッティングもスローイングも高度に脱力ができている。ガチガチに力が入っていたら、いくら筋肉隆々の選手でも力は出せない。だからプロならば、それなりの脱力は実現できている。しかしイチローほど、高度な脱力ができている選手はそういない。
 武道界で、誰でも知っている人といえば、白鳳である。「えっ、力が入りまくってるじゃないか」と思う方もいるかもしれない。白鳳の脱力はイチローほど、分かりやすくない。なんせ相撲である。「角力」と書いて、「すもう」と読むぐらい、相撲は力の勝負だ。力も当然、必要である。
 しかし白鳳の相撲は、相撲における脱力の極みだと思う。僕は相撲が好きで、大鵬の頃から熱心にテレビ観戦を続けている。大鵬以降の横綱を比較してみて、白鳳は技の円熟度、脱力の度合いはトップクラスだと思う。古い双葉山のビデオを見ると、白鳳に良く似ている。双葉山の脱力も芸術的な域に達していると思うが。
 その他、現存の武道家では空手の宇城憲治だ。興味のある方はユーチューブに動画がいくつかアップされているから見て欲しい。きっと驚くと思う。今の武道家では、間違いなくトップクラスだ。
 その他、亡くなった武術家では剣術の国井善弥、合気道の植芝盛平や塩田剛三、柔道の三船久蔵は、名人と呼ばれるに値する、力の抜き方を実現していると思う。どの人の技もユーチューブにアップされているので、ご興味のある方は見ていただきたい。

 つまり脱力は力そのものなのだ。逆説的だが、力を抜くことが、力を引き出す秘訣なのである。多くの武道家やスポーツ選手は、そのことに気付かずにウエートトレーニングばかりを行う。もちろん筋力は必要なのだが、問題はその使い方だ。力を抜くことによって、筋力は最大限の仕事をなしえる。
 やはり「頑なに張る」のはよくない。
 現代人、とくに日本人は体質としてか性質としてか、力みやすいタイプの人が多いように思う。アメリカに留学していたときに、クラスメートのアメリカ人や南米やヨーロッパから来た留学生を見ていて、日本人よりもリラックスが上手だなとよく思った。
 日本人の、特に若い人と接していると、「こいつ、肩に力が入っているな」、と思うことが少なくない。肩に力が入っている人と接せると、こちらも堅苦しい気持ちにさせられる。しかし本人は、より辛いであろう。

 昨日の例で出した、孫正義やイチローは、ビジネスの現場や試合の場で、リラックスをしつつ、究極の集中を実現していると思う。
 力は入らないほど、継続する。長く続けなければ、何事もある以上のレベルには達せない。
 柔よく剛を制する。上善如水(じょうぜんみずのごとし)。頑なに張らずに、力を継続してかつ、集中することが肝要なのである。難しいけど。
  

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頑張らない方がいいの?


 合気道に行かなくなって、仕事に集中している。朝4時半に起きて、家の支度をして、妻を送り出した後はずっと仕事、あるいは勉強に取り組んでいる。寝る直前まで続けている。ブログとウォーキングもあるが。
 最近、仕事に精を出していると言うと、「あまり頑張り過ぎない方がいいですよ」と言ってくれる人がいる。その数は、決して少なくない。「いやいや、それぐらいで満足していたんじゃねぇ。もっと頑張らなくちゃ、いかんよ、君」と言う人は皆無だ。どうしてだろう。

 最近は「頑張らないこと」が流行のようだ。その理由を考えてみた。思いついたのは「鬱病患者」の増加だ。鬱病になった人には、 「頑張って!」はタブーだそうだ。
 以前、会社員時代に職場の若い女性が鬱病になった、多分。なぜ多分かというと、診断書を見ていないし、傍からはよく分からなかったからだ。しかし本人曰く鬱病ということである。
 その人についうっかり口を滑らせて、そのときはメールだったから励ますつもりで、キーボードを打つ指を滑らせて、「頑張れよ」と書いてしまったことがある。そうしたら間髪を入れずメールが返ってきて、「私は鬱病なんです。鬱病の人には頑張って、て言ってはいけないんです。最低の人ですね」と、お叱りを受けた。

 「頑張って」というのは複雑な言葉だ。「頑張る」は英語で言えば、「make efforts」だ。「make efforts」はストレートに訳すと、「努力する」になる。つまり「頑張る」は字義からオーソドックスに解釈すると「努力する」になる。しかし普段、僕らが「頑張って!」というときは、そこに「努力して!」という意味は薄い。むしろ「応援しているよ!」とか、「成功を祈ってるよ!」とか、あるいは「気を引き締めろ!」なんて、意味が込められているのだと思う。
 「頑張れよ!」と言う人に、「君、もっと努力しなくちゃいかんよ」という意味で使っている人は少ない。
 ところが鬱病の蔓延で、努力が過ぎると鬱病になるという危惧から、あるいは相手が鬱病だとやばいから、「頑張れよ!」という言葉自体を避けるようになった。代わりに「頑張らなくてもいいよ!」を、相手を励ますときに使うようになってきた。
 変な話である。相手を励ますのに、「頑張らなくていいよ」なんて。

 たしかに鬱病は深刻な病気だ。実は僕も鬱病にかかったことがある、多分。多分というのは、診断を受けたわけではなく、自分で感じていただけからだ。複数の上司からも、「もしかして、鬱病じゃないか」と言われたので、多分そうだと思う。電車の中で急に息ができなくなったこともあったなあ。
 その症状は5年以上は続いたと思う。でも僕の場合は軽かったので(多分)、「頑張って!」といわれることがストレスにはならなかった。しかし、コンスタントに仕事に集中することは困難だった。何をしても(武道の稽古以外)精一杯やると、すぐに疲れるので、「もっと頑張れ」と言われても、励まされた気持ちにはならなかった。
 
 とろこで鬱病の人はともかく、鬱病でない人には、以前のように「頑張って!」と言っても良いのではないだろうか。鬱病から帰還した僕は(多分)、「頑張って!」と言われれば、「OK!」と返すことができる。言われて、励まされもする。頑張れるってことは、楽しいことだ。
 頑張っていると、耐性ができる。頑張る閾値がどんどん上がっていく。例えばイチローや孫正義の頑張るレベルは、一般の人からは想像もできない高いレベルだと思う。そんな生活をイチローは小学生の頃から続けているし、孫正義だって起業以来、何十年も続けている。しかし彼らにとっては、まったく苦痛ではないだろう。むしろ、1週間休みをやるから、「まったりしていて」なんて言われる方が、辛いだろう。
 ちょっとおこがましいが、今の僕もそれに近い気持ちだ。朝起きてから寝るまでの間、家事以外は仕事or勉強を続けても、ちっとも苦痛でない。それよりも、飲み過ぎてしまったりして、つまらないテレビなんか見て過ごしてしまう方が辛い。(実は飲んでいる時間も1時間ぐらいあるのです。でもCNNを見ながらなので、勉強時間にカウントしちゃっています)

 僕に対し「あまり頑張り過ぎない方がいいですよ」と言ってくれた人は、僕を労わってそう述べてくれたのだろう。その人たちには感謝している。
 「頑張れよ!」と言う言葉自体、新しい言葉であるように思う。子供の頃は、あまり耳にすることはなかった。誤解を与えずに、誰に対しても励ましの気持ちを送れる、何かよい言葉はないのだろうか。
  

今年2本目の企画書の結果


 1か月ほど前に知り合いを通じ、翻訳出版の企画書を某出版社に提出していた。昨日、結果が出た。市販するには難しいという返答だった。残念。
 自分としては、内容は面白いものだと思う。そう思ったから売り込んだのだ。しかし分量が書籍としては少なかったかもしれない。原文で100P弱。日本語に訳せばページ数が増えるようだが、それでも書籍としては少ないのかもしれない。

 某出版社へは2回目の企画書提出である。1回目はすでに版権が取られていることが判明し、ボツとなった。2連敗だ。
 しかしどういうわけかまったくガッカリしていない。こんなもんだろうと感じている。たまたま知り合いが出版社の編集長を知っていて、その人のつてで企画書を持ち込んだ。これだけでもかなりの幸運だ。さらに1回か2回の企画書持ち込みで、成約するほど世の中は甘くない。それぐらいのことは僕も知っているのだ。
 しばらく出版翻訳への意欲が失われていた。しかし意欲は回復した。この程度の挫折は軽々と乗り越えなくてはならない。
 何とか来年中に出版にこぎつけたい。そしてその後は継続的に出版したい。できれば年間3冊程度。
 僕はまったく無名の新人翻訳者である。出版社から翻訳を依頼される可能性はない。年間3冊をこなすためには、年間3つの企画書を通さなくてはならない。そのためにはその何倍もの企画書を提出する必要がある。これからずっと、この状況が続くのだ。このぐらいで挫けるわけにはいかない。

 次の企画書のネタは仕入れてある。今はリーディングの段階だ。この本も面白い。分量も300P弱と十分だ。今回ははじめてキンドル版で購入した。この方が早く手に入るからだ。
 キンドル自体はまだ手元にない。注文はしてあるのだが、来年まで待たなくてはならないようだ。今はPCで読んでいる。
 そういえば今回断られた本もアマゾンで注文したのだが、間違えて2回注文していたようで、本が届いたら2冊だった。これにはがっかりした。とんだ散財だ。しかしこれは良い予兆かとも感じた。出版するには普通、原本が2冊以上いる。訳している最中にいろいろ書き込んで、汚れるからだ。企画書が通れば、2冊目を注文しなくてはならない。アマゾンで頼めば、本が届くのに1か月ぐらいかかる。元から本が2冊あれば、安心だ。だから2冊誤って注文したことを成約の前触れだと思ってしまったのだ。
 そういうところ、僕は楽天家というか、おっちょこちょいである。
 本は2冊あるし、せっかくだから他の出版社にでも持ち込んでみようか。
  

床面積倍増計画


 ずっと以前から考えてきたことだが選挙が近いので、この機会に書いておこう。池田勇人が所得倍増計画を打ち出して、その後の高度成長のきっかけを作ったことは有名な話だ。政治家ならば全員知っているだろう。ところがなぜ、どの政党も「床面積倍増計画」を政策の柱として打ち出さないのだろうか。

 以前から内需の拡大が叫ばれていた。しかし政府やアメリカがいくらお尻を叩いても、国民の消費は増えなかった。それはそうだろう。もう買いたいものはないのだから。家の中を見回せば物が溢れかえっている。かりに買いたいものがあったとしても、置く場所がない。ならば逆転の発想を持てばよい。物を収納するスペースを拡大すれば、消費者の態度も変わるはずだ。
 アメリカの消費意欲はすさまじい。借金をしてまでも一般庶民が物を欲しがる。国民性や文化の違いが基本だろうが、おそらく背景として家のサイズの違いも大きく影響している。

 今、日本の平均的な家のサイズは首都圏で見れば、マンションで70㎡、一戸建てで30坪の土地に100㎡といったところだろう。昔に比べれば広くなったと思うが、決して先進国の平均的住宅とは言えない。少なくてもこの倍は欲しい。
 マンションで140㎡、一戸建てで60坪の200㎡ぐらいあれば、生活はかなり違ったものになるはずだ。田舎から両親が泊まりに来ても、ゲストルームで寝起きしてもらい、昼間もゆっくりと過ごしてもらうことができる。突然、夫が酔っぱらって友人を連れて帰ってきても、泊まっていってもらうことができる(奥さんはいい顔をしないだろうが)。

 最近はやりの経済成長の対策に、競争原理を導入するというのがある。基本的にこの考えに僕は賛成だ。しかしアプローチが政府とは異なる。
 政府が想定する競争は、負の競争だ。競争に勝てばそれなりの栄達があり収入が増える。しかし敗れれば、いつまでも低賃金に甘んじ、さらには失業に追いやられる。「路頭に迷いたくなければ、さあ働け」というのが、今はやりの考え方だ。
 この負の競争理念は、欧米、とくに英米では、馴染みやすい概念かもしれない。しかし日本人には、合わない考え方だ。日本人には正の競争こそが合っている。
 正の競争とは、社会全体が個人の努力を通じて豊かになることを目指す競争原理だ。つまり高度成長のとき考え方だ。「みんなで一緒に豊かになろうぜ」、というものだ。
 ほとんどの日本人には、自分だけが豊かになれるといったモチベーションは働かない。それよりも、みんなが一緒に豊かになれるといった方が、強いモチベーションとなって機能する。
 
 今は完全にゼロサムゲームに陥っている。すると「俺が勝てば、あいつが負ける。あいつが負けるのはかわいそうだから、俺は頑張らない」と、心優しい日本人は思ってしまう。
 ゼロサムゲームを抜け出すには、経済全体の拡大が求められる。経済は消費と直結しているので、消費を増やさなくてはならない。消費とは物を買うことであり、物を買うのにはスペースが必要だ。そこで冒頭の「床面積倍増計画」である。
 今と同じ値段で倍のスペースの家に住めるようになれば、働き甲斐が増すに違いない。
 
 日本は今、人口減の時代に突入している。日本中、空き家が目立って増えてきた。こんな人口が減っていく時代だからこそ、できる政策だ。
 広い家に住めると思えば、多くの人はもっと頑張って働こうと思えるだろう。そして頑張った暁には、広い家を買う。広い家が買えれば、物が欲しくなる。今よりももっと大きなテレビが欲しくなるだろうし、立派な家具を揃えたくなるだろう。駐車場に余裕があれば、車をもう一台、買ってもいいかなと思うかもしれない。

 お尻を叩くよりも、ずっと気持ちよく、国民に消費を促す方法がここにある。国民が消費を増やせば、国は富む。国民は広い家で、心豊かに暮らすことができる。
  

マンションで芋煮会


 土曜日は芋煮会に参加した。毎年、我が家の庭で行っていたが、たまには趣向を変えようということでKのマンションで行った。
 Kのマンションは東京湾に隣接するウォーターフロントに建つタワーマンションだ。今の高級マンションはホテルのような作りである。
 1階のエントランスにはフロントだかコンシェルジュだかがあり、女性がひとり微笑んで待ち構えている。その前を通過するのは、なんだか少し勇気がいる。大昔、うんと若い頃に、知り合いの女子高生が卒業パーティーを赤坂プリンスのツインルームで行って、人数オーバーだが大勢で侵入したときに、フロントの前をこっそり通ったときの心境を思い出す。あのときが初めて高級ホテルの個室に入った経験だ。思っていたよりもずっと広くて、窓からは東京の夜景が輝いていて、ドギマギした。
 今回のタワーマンションもそれに劣らずカルチャーショックを受けた。Kのマンションは2回目の来訪だが、それでも緊張する。

 実家もマンションにある。マンションといっても築40年近い老朽ビルだが。両親はそこにやはり40年近く住んでいる。つまり引っ越した時は新築だった。
 引っ越したのは、僕が小6の春だ。当時はマンションがとても珍しかった。住んでいるのは子供のいる若い家族が中心だった。マンションにはテニスコートが設置されていて、まだ若い母は張り切って、テニスウエアを購入してクラブチームに加入したりした。すぐに辞めてしまったようだが。
 入居した当時は随分と不便だった。Kのマンション同様に実家のマンションも埋立地に建ち、周りはまだ開発の途中だった。近くには買い物できる店がなく、歩くと30分もかかる商店街に自転車で向かったものだ。しかし今ではすっかり街の整備も整い、住みやすい土地に生まれ変わっている。

 Kのマンションは当然、40年前の開発地とは異なっていて、すぐ近くには大型スーパーやコンビニが並んでいる。駅も近く、都心は目の前に広がり、とても便利だ。
 しかしこの街も、時を経れば変わっていくのだろう。今でもとても便利だが、さらに住みやすくなるに違いない。土地は、こなれてくるには時間を必要とする。

 ひとつ気付いたことがある。それは子供をあまり見かけなかったことだ。実家のマンションは当時、子供であふれていた。マンションには比較的大きな公園が付属していて、そこは子供で一杯だった。僕も毎日、暗くなるまで遊びまわっていた。
 Kに聞くと、マンションには老人が多いらしい。戸建て住宅に住んでいた夫婦が、歳を取って便利な都心に住まいを替えて移ってくるらしい。
 それでもどこかに、子供はいるだろう。子供は塾に行っているのだろうか。家でゲームでもして遊んでいるのだろうか。

 芋煮会には20名以上が参加した。夜も更けるとどんどんと帰っていったが、家の遠い僕と数人はゲストルームに泊めてもらった。わずか3000円で、20畳弱の広いゲストルームを使うことができる。
 翌朝、二日酔いで目を覚まし、ゲストルームの窓を開けると、子供の声が飛び込んできた。マンションの敷地内でサッカーをして遊んでいた。目を少し遠くにやると、朝日が運河をキラキラと照らしている。窓からは冷たい空気が入ってきて、気持ちがよい。
 やっぱり町には、子供の声が必要だ。
  

月に一度の東京


 散歩から帰ってきたばかりだ。最近は日中の暖かい時間に歩いている。夕方になるとすぐ日が暮れるし、気温も下がる。どうせなら暖かくて明るい時間の方が、気持ちが良い。
 昨日の昼間も歩いた。しかし場所が違う。昨日は月に一度のミーティングで都内に出かけたのだ。毎回のことながら、都内を歩くと逗子との違いに戸惑わされる。
 いつも通り新橋で降り、てくてくと銀座を歩いた。昼間でも銀座は艶やかだ。ただすれ違うだけの女性の香水が、いつまで香りつづける。逗子では香の種類が違う。逗子といっても僕が散歩するのは森の中だ。そこで香るのは木々や草叢の青い香りだ。どちらも良い香りだ。どちらが良いとは言うことは難しい。あえて考えれば、今の僕には日常は木々の香り、月に一度ぐらいのたまに都会の香り。そんなのがちょうど良いように思う。

 昨日は新聞社のときに付き合いのあった製紙会社の人とランチを食べた。彼とは2年ぶりぐらいの再会だ。いろいろ聞いたが、彼を含め、僕の知っている彼の会社のメンバーは全員異動になっていた。若い人は地方や海外に転勤し、偉い人はさらに偉くなっていた。悲喜こもごもだろう。
 僕は一度も転勤の経験がない。部局の異動は数えきれないぐらいしたが。
 人事では、自分の意志とはまったく無関係なところで、自分の働く場所が決められる。僕の場合、本社内の異動でもストレスがあった。まして転勤となれば、なおさらだろう。子供もいれば転校の問題も伴うだろう。
 知り合いは、サラリーマンは気楽ですよと笑っていた。住む場所や仕事を自分で決められないという犠牲があっての達観なのだろう。
 そういえばかつてある上司が、サラリーマンというのはまったく違う仕事をできて、得な業種だと言っていた。その人はコンピュータ部門や経理部門、資材部門などで、それぞれ専門的な仕事をしてきたそうだ。その話を聞いて、僕はとてもそんな風に前向きにはなれないと、サラリーマンに不向きなことに改めて気づかされた。

 製紙会社の人にランチをごちそうになった後、本題のミーティングをしに、某事務所がある新富町へてくてくと歩いて行く。2時間程度のミーティングを終え、また新富町から新橋まで、てくてくと歩く。
 途中、新橋の路地を歩いていると、目の前に国産の超高級車が止まった。こんなところに車を停めるなんて、その筋の奴かと、訝しげに、しかしちょっと恐々と様子を見ていると、車からは老人が一人降りてきた。見ると綿貫民輔氏だった。随分と小柄な人だ。最近、テレビで見なくなったが、それなりにお年を召されていた。
 向こうからは一台の高級外車もやって来た。降りたのは顔の知らない夫婦だったが、あきらかに上流階級の香りを漂わせていた。
 3人は小さな割烹のような店に入って行った。隠れた高級店なのだろうか。店構えはふつうの感じだった。
 あの人たちは運転手付の車で、これから新橋で会食である。時刻は4時半だ。僕はこれから電車で逗子まで戻り、そこから30分をてくてく歩く。それから洗濯物を片づけ、夕食をこしらえなくてはならない。猫の世話もある。まったく立場の異なる僕と、綿貫氏たちだ。
 しかし会食の嗜好は似ているようだ。僕も最近外で飲むときは、なるべく5時ぐらいをスタートにしてもらっているからだ。綿貫さんと会食する機会があったら、スタート時間では意気投合するであろう。
  

鎌倉散歩


 日曜日はかみさんと鎌倉を散歩した。うちからは、まず裏山へ登り、そこから大町へ下った。大町を抜け、妙本寺へ行く。このお寺は鎌倉の中では特に人気の寺ではないが、とても良い寺だ。朱色の門をフレームに本殿を眺める景色は一枚の絵のようだ。
 寺には猫が数匹住んでいる。どうしたことかその日は、猫が見当たらない。一匹だけ見つけ近づくと、男性が近くでストレッチをしていた。僕らが猫に興味があることを知ると、男性は話しかけてきた。男性いわく、妙本寺には猫が何匹もいたのだが、一匹外から気の強いのが侵入してきて、どれも蹴散らしてしまったそうだ。男性の近くにいた猫も、蹴散らされた一匹で、以前は本殿近くで堂々と昼寝なんかをしていたそうだが、今は境内の隅に追いやられているという。
 気の強い奴は、見当たらなかった。
 妙本寺を参った後は、鎌倉駅前を通り、小町通へ行った。小町通はいつも人で一杯だ。人ごみが嫌で、大抵は近づかないのだが、今回は敢えて通りを歩くことにした。
 初めて小町通りの全長を歩いた。毛嫌いしていたようで、悪くはなかった。原宿の竹下通りのような感じ、いやそれよりも軽井沢銀座のような雰囲気かもしれない。
 通りの両脇にはレストランやちょっとした食べ物を売る出店、小物などを扱う店が並び、たいへん賑やかだ。僕らもシイタケの串揚げとたこ焼き、濡れせんべいを次々と買い食いしながら歩いた。どれも美味かった。
 小町通を抜けると突き当りは鶴岡八幡宮だ。ここも人で一杯だった。七五三の時期らしく、着飾った子供が大勢いて、可愛い。3歳、5歳、7歳と一目で区別がつく。やはりかわいいのは3歳だ。僕らは着物を着た3歳を見つけると、思わず立ち止まって見とれてしまった。

 八幡様の後は横浜国大付属小、清泉小の前を通り、鎌倉宮の参道手前を右折して、杉本寺の前を通り、裏道を通って報告寺まで行き、宅間ヶ谷を抜けて帰ってきた。
 3時間半の行程だった。
 沢山歩いたので、夕食がうまかった。
  

内容よりも型が大切


 あまり賛同を受けない意見かもしれないが。僕は日ごろ、「内容よりも型(かた)が大切」だと思っている。
 「内容よりも型」というと、「形から入る」、つまりファッション先行のイメージがあるかもしれない。しかし僕のいいたいことは、それとは違う。ファッション先行も悪くはないと思っているけれども。
 僕は自分の三大欠点を次のように思っている。気が短い、細かい、気が小さい。とても嫌な欠点である。ここで公表することにも勇気がいる。認めたくないし、周りからそう思われたくない。しかし隠しても、きっと周りもそう感じているだろう。正直に書こう。
 一方、こんな性格の悪い僕であるが、良いところもあると自己分析をしている。それは、このように分析力があるとか、理論的思考ができるという点だ。他にも蛇足だが自己弁護のために書くと、明るいとか、ユーモアがあるとか、そんなこともあるんじゃなかいなぁ、と信じてはいるが。ほんと、蛇足だが。
 それで「内容よりも型」の話だが、僕は理論的に案外正しいことを言っていることが多いと思う。その結果、相手を論破する機会が少なくない。それで相手が僕の知性に敬意を抱くかというと、決してそんなことはない。むしろ苦虫を噛みつぶしたような表情で僕に敵意を示したり、あるいはうんざりした表情で僕を侮蔑したりするのだ。僕の方も相手を論破しても、嬉しくはない。言わなければよかったと後悔することが多い。
 それに大抵は議論のトピックはどうでもいいことだ。例えば何か月か前に、実家に叔父が遊びに来たことがある。そこで叔父が「日本は法治国家ではない」と言い切った。そんな言い切るなんて、なんて不遜なと感じ、「いやそんなことはない」と僕は反論し、議論が始まった。結果は僕が言い負かしたのだが、最後は二人とも不快感だけが残ってしまった。
 日本が法治国家かどうかは、つまらないトピックではないかもしれない。しかしそれを世間になんの影響力もない、さらにまったく政治学の素人である叔父と僕が、酔っぱらって激論することが無意味なのだ。どうでも良い話なのだ。
 あのときの正しい振る舞いは、甥である僕が叔父の話を拝聴し、議論を深めあるいは盛り上げるために、疑問を呈し、たまに少々の反論をはさみ、結果は叔父に考えを大いに語らせて、気持ちよくさせて終いにすることだった。それが正しい型なのである。
 僕には尊敬する人がいた。故人なのだが、その人は多言を弄するタイプの人ではなかった。たまに口をきく時も、「今日は天気がよくて気持ちがいいね」、とか「お腹が空かないかい?」とか、中身があるようでないような話題しか口にしなかった。しかしその立ち振る舞いは美しかった。いつもにこやかで堂々としていた。どのような話題のときも、その姿勢は少しも歪むことはなかった。

 この間も妻と話をしていて、論破してしまった。途中から気づき、最後は少し曖昧に終わらせることができたが。しかしその日は、ちょっと気まずい雰囲気が残ってしまった。
 あの人なら、きっとそんなことはしないだろう。僕と妻が論ずる話題なんて、はっきり言って、どちらに転んでもどうでも良いことだ。内容に正しさを求めるよりも、振る舞いにこそ正しさを求めるべきだった。

 実は仕事に関しても、最近そう思っている。良い仕事をしたい。大きな仕事を引き受けたい。社会に貢献する仕事を成し遂げたい。著名な翻訳家になりたい。そう思っていたがそれよりも、毎日同じ時間に仕事を始め、夕食まで仕事に打ち込む。納期は守る(当たり前だが)。机の上は整理整頓をする。余裕がないときも、落ち着いて丁寧に仕事を進める。そんなことの方が大切なのではないだろうか。その結果、もしかしたら大きくて、社会性の高い仕事を成し遂げ、有名になることができるかもしれない。でもそれは、その結果に過ぎない。
 それよりも普段の型を崩さないことに気を遣うべきなのだ。
  

図書館について


 図書館はよく利用する。しかし滞在時間は少なくするように心がけている。
 先日、図書館の利用者数が増えているニュースをテレビでやっていた。ここ数年、特に伸びが著しいようだ。利用者の増加分の主な構成要素は、定年退職者だ。いわゆる団塊の世代が定年退職を迎え、難民のように図書館になだれ込んでいるのだ。
 逗子の図書館にもそれと分かる初老の人々が多い。しかし意外と若い人も少なくない。若い人というのは、ちょっと適切な表現でないかもしれない。30代~50代と思しき人々だ。予想するに、現在仕事についていない人たちだ。そうでないかもしれないけど、そう見える。

 そう、僕は失業者と思われたくないのだ。暇を持て余して、あそこで時間を潰していると思われたくない。
 だんだんと風貌に自信が持てなくなってきている。昔はけっこういい男だったんだけどなぁ。渋谷でスカウトされたこともあるんですよ、実は。はは。しかし現在の鏡に映る姿には、失望させられる。これって、本当に僕なの。
 だからこそ、なるべく服装には気遣うようにしている。ちょっと手を抜くと、ほんとうに失業者っぽくなってしまうからだ。

 定年退職者や失業者が多いのは、雑誌、新聞コーナーだ。あそこに一日座っている人もいる、きっと。確かめてはいないので断言できないが、そう思う。老人たちには割とマナーが悪い人もいる。知り合いを見つけると、大きな声で話すのだ。その内容から類推するに、おそらくそうだ。
 僕も雑誌コーナーにはよくいく。毎週、読んでいる雑誌があるからだ。いつも買わずに図書館で読んでいる。でも雑誌コーナーには1時間以上はいないようにしている。

 図書館はとても居心地が良い。最高に好きな場所のひとつだ。大学院に通っていたときは、毎日5時間以上はいたと思う。朝から晩までいることも少なくなかった。
 でもあそこは、居心地が良いからといって、ただ過ごす場所ではないような気がする。読みたい本がある人、勉強したい人の場所だ。そんな人たちにとってこそ、居心地が良い場所ではないだろうか。
 
 家に籠っているよりも、図書館に出かけた方が健康的かもしれない。でもただ雑誌や新聞を眺めるだけってのはなぁ。
 あくまでも僕個人の嗜好にすぎないが、図書館はそれなりの目的を持って使用したい。そうしていれば、失業者に間違えられないだろうし。
  

ジョギングはもう無理かも


 ジョギングはもう続けられないような気がする。脚の付け根が痛むのだ。ジョギングを始めて、まだ1か月弱だが、初めてすぐに痛み出した。しばらくは我慢して走っていた。どこかで「アスリートは怪我をだましながら、鍛え続ける」という内容の文章を読んだことがあった。自分もそのつもりで、走り続けた。そうしたら、痛くてたまらなくなった。
 最近では歩くのもやっとだ。しゃがんだり、片足に体重をかけたりすると痛みが起きる。歩く行為は片足荷重の連続だから、ずっと痛いのが続く。だからよろよろと歩いている。
 去年だか一昨年だかにジョギングをしたときは、まず膝が痛んだ。1か月ほど休んで再開すると、今度は足の裏が痛み出した。どれもけっこう深刻で、歩くのがやっとの状態だった。
 今回は膝、足の裏が痛まないように、気を使った。ジョギングの前と後にストレッチとマッサージを行った。とくにジョギング後のマッサージは入念に行った。それでなのか今回は膝、足の裏ともに、あまり痛まない。“あまり”というのがキーワードで、やはり痛むのだが。

 ジョギングは今一番の楽しみだ。だいたい夕方に走る。それまでの時間は、これからジョギングがあると思うと頑張れる。走った後は疲労が心地よい。すぐに風呂に入り、夕食を取るが、その後仕事関係の本を読んでいる時に、疲労感で眠くなるのがいい。なぜだか眠気と闘いながら、原書を読んでいると、喜びを感じる。その後、ベッドに入ると、すぐに眠れるのもいい。
 それができないのは辛い。
 昨日は歩いた。近くにある岩殿寺という曹洞宗のお寺まで歩いた。往復1時間半かかった。岩殿寺は小山の中腹にあり、奥之院まで行くのにはけっこうな階段を上る。
 歩いている最中には、痛みが続いた。脚を引きずるようにゆっくりと歩いた。老人が次々と僕を追い抜いていった。

 どうも僕は足が弱いようだ。骨盤が歪んでいると以前、カイロ技師に言われたことがある。それが原因かもしれない。
 もうジョギングは無理かもしれない。せっかく生活の良いリズムが作れるようになったのに。
 何か探さなくてはいけないなあ。今日も歩こうと思っているけど、無理はしないでおこう。
  

遊んでばかりの週末


 「今週末は遊んでばかりいたな」とかみさんに言ったら、「あら、そうかしら。窓を掃除したし、料理も作ったじゃない」と言われた。そうかもしれない。でも、何となく遊んでばかりでいたような気がする。
 ここのところ週末も仕事をしていた。ところが先週末は特に急ぎの仕事がなく、仕事はまったくしなかった。
 来週末にかみさんの友人が何人か来ることになっており、その準備を二人でした。土曜日は、僕は窓の掃除とカーテンの洗濯をした。今までも少しずつ始めていたが、土曜日には残りを一挙に終えた。お客さんに見える一階だけではあるが。
 残っていた窓は結構あり、磨き上げるのに半日かかった。昼前から始め、終わったら夕方になっていた。
 日曜日は料理を作った。この前の週末に横須賀の農協「すかなごっそ」で大量のショウガが買ってあったので、それでショウガ炒めを作ったのだ。これがかなり手のかかる料理だ。全部で1時間半もかかった。この料理はお客さん用ではない。僕らの普段の食事用である、ちなみに。
 そういう意味では、この週末は遊んでいたわけではない。家事をして過ごしていた。でもなんだか、遊んで過ごしたような気分だ。
 僕も少しはフリーランスの人間らしくなってきた証拠だろうか。本業の仕事をしないでいると、何となく後ろめたい。そして、不安。
 
 ついこの間まで、平日でも本業は何もしない日が結構あった。それでも、全然平気でネットで遊んだり、近くを散歩したり、逗子の立ち飲み屋で飲んだりして過ごした。あの頃は本当に呑気だった。あの頃なんて、偉そうだけど。

 ちょっと仕事が続いただけなのに、週末に本業に取り掛からないと、不安になるなんて不思議だ。
  

小規模企業共済に入った


 小規模企業共済というのをご存じだろうか。僕のようなフリーの人間や、個人事業主、規模の小さな会社の経営者が加入する退職金の積み立て基金だ。
 当たり前だがフリーの人間には退職金はない。まあ退職金だけでなくて、ボーナスもさらには月給だってないのだけど。
 そこで小規模企業共済に加入した。毎月、いくらかを積み立てて、廃業するとき、あるいは65歳を超えた任意の時点で積立金を降ろすことができる。退職金みたいな感覚で、お金が入ってくる。
 なぜこれに加入したのかというと、節税になるのからだ。積立額は全額、控除することができる。積立金の最高額は月額7万円である。年間だと84万円だ。この加入金を所得から差し引くことができるのだ。
 仮に所得税率が最低の5%だとしても、住民税の10%と合計して15%の税金がかかるので、84万円の15%だから、126,000もの節税効果がある。
 僕は全然届かないが、仮に800万円の所得があるとすると、所得税率は23%だから住民税率の10%と併せて33%。控除額は277,200円にもなるのだ。84万円の貯金で277,200円のリターンだ。すごいでしょう。
 僕の場合はそんなに余裕がないので、もっと少ない額で加入したが、それでもそれなりの節税になる。

 去年は所得が少なすぎて、経費を差し引き、青色申告控除などを除くと、所得がなくなってしまい税金をまったく払わなかった。今年はちょっとだが払うことになりそうだ。そこで節税対策として、先手を打つことにしたのだ。
 退職金がもらえるのも、悪い話ではない。自分の貯蓄と同じなのだが、気分は退職金だ。
 僕はサラリーマン時代に、会社に言われるままに、財形をやっていた。会社が契約している保険会社がモデルケースとして示した額を、そのまま財形として貯蓄していたのだ。
 これが退職時にものすごく役に立った。結構な額になっていたのだ。
 退職金と財形の解約金のおかげで、住宅ローンのかなりの額を返済できた。さらに翻訳業のスタートアップ資金として、それなりの金額を残すことができた。これがなかったら、僕はとうに干上がっていただろう。
 
 65歳のときに、自分がどのような状況であるのかは分からない。しかし退職金があっても悪い話ではないだろう。65歳のときの自分への仕送りである。
 今から積み立てていくので、それほどの額になるわけではない。それに積立額も少ないし。将来、余裕ができたなら積立額を増額することもできる。なるたけ増やして、65歳の自分に送ってやろう。
 

オスプレイ報道についての疑問


 オスプレイについての報道をよく目にする。議論が噴出しているようだ。いやいや、議論にちっともなっていない。それが不思議なのだ。
 議論というのは意見と意見がぶつかり合って、初めて成り立つものだ。オスプレイの報道は賛否両論がそろっていない。ただ反対の立場からだけ、騒いでいるように見える。
 この間、オスプレイは沖縄だけの問題ではないと言った趣旨で、基地の多い神奈川県の住民にインタビューしたニュースが放映されていた。当然、反対者だけのインタビューが流れた。
 インタビューを受けた神奈川県民は、眉間にしわを寄せ、「落ちたら怖い」と語っていた。たしかに落ちたら、怖い。僕も神奈川県民である。

 オスプレイというのは兵器だろう。ならば米軍が導入を強く望む、その理由を我々は知るべきではないか。米国の経営学では新たに何かを導入する場合、例えば新商品の発売のときなど、経営学的な分析アプローチとして「Pros & Cons」という手法を良く使う。Prosとはメリットのことで、Consはデメリットだ。両面に該当するファクターをラインナップして、その導入を検討するのだ。別に難しい言葉を使うまでもなく、日本でもどこでも、普通に行っている手法だ。
 今、我々はConsしか知らされていない。これではまともな判断は不可能だ。

 先月、「アメリカ海兵隊(野中郁次郎)」という本を読んだ。1995年の本で、新しいものではない。当時はオスプレイは存在していないが、その先輩である「ハリアー」についての記述があった。
 ハリアーはイギリス製の民間用VTOL、つまり垂直離着陸機だが、海兵隊はその導入に非常に積極的であった。
 その前にも同様の事例があった。それはヘリコプターだ。ヘリコプターがまだ実験段階のときから、海兵隊はその導入を強く望んでいたそうだ。そして実用化されると、さっそく導入した。
 海兵隊の試算では、数字はメモしていないので、はっきり覚えていないが、ヘリの利用により、ある戦闘において、数千人だかの死者を防ぐことができたそうだ。
 ハリアーにも同様の期待をしていたという。ヘリに比べ、さらに自軍の死者をかなり抑えることができると。
 オスプレイも当然、同様のシュミレーションを行っているはずだ。米国は自国の若者の死傷者を最小限にすべく、最新の技術の導入を望んでいる。軍隊を維持する国として、当然の判断だろう。

 日本のマスコミは、オスプレイ導入のPros面も報道するべきだ。日本にとってはオスプレイの導入のProsは、防衛力の向上だろう。
 オスプレイの戦闘力はどの程度で、導入すればどのぐらい防衛力がアップし、ひいては国民の犠牲をどれだけ抑えることができるのか。我々は知る必要があるのではないだろうか。
 そうして初めて、墜落した場合の被害や騒音といったConsと比較検討し、導入の賛否を論じていくべきなのだ。

 今はヘリコプターを飛ばすことに、文句をいう人は少ない。自動車が公道を走ることにクレームを付ける人もあまりいない。それは人々がヘリコプターや自動車のPros面を良く理解していて、事故や公害といったConsと冷静に比較検討した結果、利用を認めているからに違いない。
 まず情報が欲しい。
 

久しぶりに、「出版翻訳への道」


 出版翻訳について書こうと思う。このブログに「出版翻訳への道」というカテゴリがある。カテゴリを立てたのが2011年2月13日だ。あれから1年と9か月近くが経過した。
 もちろん出版は成功していない。進歩もしていない。むしろ退化していると言っていいぐらいだ。
 2年前は本を見つけ、出版社に持ち込んでいた。といっても大した数ではないが。担当の編集者が気に入って、編集会議までいったものもある。小さな出版社では社長が興味を持ってくれて、版権を調べてみたら、すでに売れていたケースもあった。
 あの頃はそれなりに動いていた。しかしその後、まったく行動を起こさなくなってしまった。
 ひとつには実務が軌道に乗り始めたことがある。やはり日々の糧を得るには実務翻訳が手っ取り早い。貯金がどんどん減ってきて、最後には後2か月収入がなければ、底をつくという段階まで行った。ネットで塾教師のアルバイトを探したりした。しかし運よく、その直後から実務の仕事が来るようになった。去年の今頃は、実務の翻訳に追いまくられる日々を過ごしていた。
 実務の仕事も次第に、慣れていった。それでも出版翻訳に対するモチベーションは上がらなかった。

 自分なりに分析すれば、理由はふたつある。ひとつは出版翻訳の道に迷いが生じていたのだ。物を書く仕事はしたい。でも翻訳が僕の仕事なのだろうかと。
 去年通った翻訳教室の先生から、「山本さんは翻訳よりも、自分で文章を書くのが向いているよ」と何度も言われた。自分としても、それで少しその気になった。
 実は小説を書きたいと思ったことがある。おもに20代の頃だ。いくつか下手くそな作品を書いた。新人賞に応募したこともある。でも出す前から結果は分かっていた。とても人に見せられるレベルではなかったから。才能がないのだと思う。小説自体、ほとんど読まないのだから当たり前な話だ。
 去年、先生からそんなことを言われ、昔の色気が復活した。もう一度、目指すべきでないか。色々考えた。大人向けの小説は、自分自身興味がないのだから、子供向けが良いのではないかとか。
 小説作法のガイドブックを読んだり、新人賞を探したりした。大まかなプロットを組んでみたりもした。
 そして気が付いた。どんなタイプでも、自分には小説は書けない。書いたとしても、良いものはできない。
 物語に興味がないのだから、当然だ。人が頭の中で空想したストーリーに、のめり込むことができない。どうせ作り事だろ、と思ってしまう。そんな男が、人を感動させるような物語を紡ぐことができるはずがないのだ。
  もうひとつの理由は、やはり合気道だ。去年は三段を受けるために準備をした。僕は二段を取ってからすでに5年以上経っており、以前から資格はあった。一昨年も去年も受けようかと思った。でも万全を期すつもりで、時期を待った。そしてとうとう決意し、受けることにした。
 稽古はかなりやった。二か所の道場に、できる限り足を運んだ。久しぶりに本を読み、名人のビデオを沢山みた。相当、打ち込んだと思う。
 しかし結果はご存じのとおりだ。落ちた後は、がっかり来て、何もやる気が起きず、ただ漫然と日々を過ごした。そしてようやく最近、復調した次第だ。

 さて出版翻訳だが。今、やっとやる気になってきている。長い間、のんびりし過ぎたと反省している。昇段試験に落ちたことも、奇貨としようじゃないか。合気道に費やした時間を仕事に向けようじゃないか、そんな気持ちになってきている。
 そして具体的に動き始めた。2か月ぐらい前から、本を仕入れている。ビジネス関係の本で、なかなか良い本だ。
 一冊は企画書を仕上げた。そして知人の伝手で、編集者に見てもらった。結果は版権が既に売れていて、NGだった。自分としては面白いと思える本だったので、もしやと思い、翻訳も開始していた。しかし版権が売れていては、可能性はない。翻訳した部分は無駄になってしまった。
 しかし不思議とがっくりとこなかった。最初の一冊でうまくいくほど、世の中は甘くないのだ。翻訳を先に進めたことだって、マイナス面はなにもない。書籍化を意識して、真面目に訳したのだから、とても勉強になっただけだ。
 すでに二冊目は読み始めている。当初は来月あたりに企画書を書くつもりでいたが、一冊目がボツになったので、急遽企画書を作成することにした。遅くとも来週中には仕上げようと思っている。今週末はリーディングに費やすぞ。
 書籍化が実現するまで、毎月1本は企画書を作ろうと思っている。来年中には実現したい。
 

「Do List」を完全公開


 「Do List」のことを連日書いているので、もしかしたら中身が気になられているのではないか。全然、という方もいられるかもしれないが、そういう方には我慢していただいて、本日は中身を公表してみましょう。
 
・翻訳書の企画書作成
・原書リーディング(2時間)
・ラジオ英会話
・ブログ
・レギュラーの仕事
・自転車の修理
・知人へメール
・ジョギング
・筋トレ
・CNN(2時間)
・海外サイトのチェック
・知人へ電話

 以上が昨日の「Do List」だ。全部をこなすと12時間以上かかった。その他に洗濯と朝食、夕食の支度、片づけ、日本語の読書、英字紙の購読があり、だいたい起きている時間は、これで終わる。
 改めて、禅僧みたいな生活だ。まさに理想的だ。僕はこういう生活が本来好きだ。しかし種々の誘惑や怠け癖に負けて、大抵はこれとは程遠い生活を送っている。しかし、理想はこんな形だ。
 昨日も見事、「Do List」完全制覇をこなした。酒も一滴も飲まなかった。今朝はすこぶる調子がいい。

 「Do List」について少し解説する。まず順番だが、意味はない。思いついた順に書き記したに過ぎない。
 まず最初の「翻訳書の企画書作成」だが、これは売り込みたい本があり、それを出版社に持ち込むための企画書の作成だ。原書はすでに読んであった。一昨日に半分程度書き、昨日は仕上げを行った。2時間程度で終了した。
 「原書リーディング」は別の本で、やはり翻訳したい本があり、それを読んでいるものだ。夕食の後の時間を当てている。結構、眠くなった。いや、内容は面白いのだ。でもお腹がいっぱいになった後なので。
 「ラジオ英会話」はネットで聞いている。うちは山の裏側なので、電波の届きが悪く、テレビもラジオもエアチュエックできない。それでネットで聞いている。1週間前の放送分を無料で聞くことができる。僕は日常会話が苦手なので、とても勉強になる。
 「ブログ」は、今書いているこれだ。10月は12回の更新だった。目標は10回で、ほぼ毎月達成できている。しかし最近、ブログを読んでくれている知人に会うと、もっと頻繁に更新しろと言われることが多い。なるべく毎日、更新したい。
 「レギュラーの仕事」は今の生活の生命線だ。これがあるから、何とか露命をつなぐことができている。毎日、海外サイトをウオッチし、それを記事にまとめている。
 「自転車の修理」はかみさんの自転車がパンクしたとかで、修理にでかけたのだ。家に空気入れがあり、空気を入れてから出かけたのだが、自転車屋についても空気が入っている。自転車屋で自分で空気をさらに満タンにし、自転車に乗って帰ってきた。家についても空気は抜けていなかった。単に空気が自然に抜けただけかもしれない。
 「知人へメール」。これはここで説明するほどのことではない。単に、自分で忘れないために書いただけ。
 「ジョギング」は現在、一番の楽しみだ。これがあるから、飲まずにいられる。大体30分強走るのだが、結構こたえる。うちは山の中腹にあるので、周りは坂道ばかりだ。坂道を30分走ると、しんどい。ただ森の中を走ると、気分爽快だ。今から、待ち遠しい項目だ。
 「筋トレ」。ジョギングの後に行っている。今は始めたばかりなので、ほんのちょっとだ。腕立て10回と懸垂5回を2セットだけ。かなり少ないね。でも毎日やっているので、まずはこんなもので。今後徐々に増やしていく予定だ。
 「CNN」は昼飯と夕飯のとき、食事を取りながら見ている。食べながらだと、実は聞き取りにくい。日本語だと、食べながらでも飲みながらでも100%理解できるでしょ。ところが英語だとそうはいかないのだ。ただでさえ7,8割しか理解できないのに、食べながらだと内容によっては2,3割しか聞き取れない。それでも聞きまくることが大事だと思い、毎日見るようにしている。そのうち日本語みたいに、100%分かるようになりたい。
 「海外サイトのチェック」。これはルーチンで行っている。いくつか決めているサイトがあって、それを毎日見に行っている。ある業界の動向をチェックしているのだが、法律が改正されたとか、新しい基準ができたとかした場合は、それをクライアントに連絡する。うまくいくと、新しい仕事に結び付く。
 「知人へ電話」。これも備忘のため。とくに意味はない。

 こんな感じだ。「Do List」を始めて、まだ1週間程度だが、だいたい毎日同じような内容だ。
 「Do List」はメモに、手書きで記入している。終わった項目には、ペンで横線を入れるのだが、項目が次々に消えていく感じがいい。今までも同じような仕事をしていたのだが、進み具合が違う。次の項目を消したくて、仕事が進むのだ。取りこぼしがないのも良いところだ。
 

プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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