スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

この一週間


 約1週間ぶりの更新だ。かみさんが冬休みに入ったので、つられてのんびりと過ごしてしまった。
 金曜日は東京に出た。月に一度の打ち合わせだった。午前中に打ち合わせを終え、昼食は大学時代に留学したUCRの同級生と待ち合わせをして一緒に取った。
 その後はレコード屋と本屋で時間を潰し、夜は高校時代の同級生と二人で飲んだ。彼とはスキーなどをして、高校卒業後も一緒に遊んだが、二人で飲むのは初めてだった。
 割と静かな男で、もし話が続かなかったら困ったなと多少心配していたが、二人だと饒舌で楽しい時間を過ごすことができた。彼は大手生保に大学卒業後入っていたが、会社が傾き退社を決意し、その後社会保険労務士の資格を取得した。
 僕は翻訳家になることを決断する前に、いろいろと逡巡した時代があった。司法書士を目指した時もあり、専門学校に通ったりした。専門学校のロビーで、見覚えのある顔のポスターを見つけた。それが彼だった。彼はそこで社労士の講師をしていたのだ。専門学校の事務の女性に尋ね、彼を訪ねて行ったこともある。教室で先生らしく振舞っているところに、いきなり高校時代の同級生が現れたので、驚いていた。
 今は自分で会社を起こし、社労士の講座を企画したり、大学生の就職支援を行っているそうだ。
 以前はおとなしいタイプだったが、バイタリティーの溢れる男に変貌していた。

 日曜日はこれも恒例の第九を聴きにいった。かみさんと付き合い始めてから、ほぼ毎年かかさずに聴きに行っている(1年だけ、くるみ割り人形に浮気したことがある)。演奏は去年も聞いた神奈川フィルである。ここの常任指揮者は金聖響だ。彼はおそらく今、日本一の指揮者ではないだろうか。他の指揮者は、全然知らないのだが。
 演奏も悪くはなかったが、タクティングがとにかく素晴らしかった。タクトを振る後ろ姿が、実にカッコいい。彼がいる間は、年末の第九は神奈川フィルで決まりだ。
 月曜は家でクリスマスイブをかみさんと二人でした。ラジオを付けるとクリスマスソングの特集だ。クリスマスソングを聴きながら、ワインと食事を楽しむ。
 火曜は大船に買い物に出た。クリスマスプレゼントをかみさんが買ってくれたのだ。プレゼントの内容は、毎年同じである。ユニクロに行って、1万円程度の品物を選び、かみさんに支払ってもらうのだ。
 さすがに毎年、同じ時期にユニクロへ行くと、買いたいものがない。どの商品も、持っている。それでヒートテックと部屋着を買い、あとは無印へ。そこでバッグを買ってもらう。全部で約1万円に収めた。
 僕はちょっと前に長靴を買った。かみさんが自分で買って来て、お金を支払った形だが。

 さてこれからは年賀状書きと大掃除である。天気は明日から崩れる予報だ。窓と換気扇ぐらいは、年内に済ませたい。

スポンサーサイト

リスの話の話


 前々回にリスの親子と出会った話を書いた。その話をかみさんが学校でしたそうだ。かみさんは小学校の先生をしている。
 「先生の旦那さんはリスと・・・」と話し始めると、「かわいい~」と女の子からたくさんの声が上がった。直接見ているわけでもないのに、「かわいい~」と大騒ぎする、その子たちの方がよっぽど「かわいい~」と、その話を聞いて思った。
 話が終わると、ある女の子が、「わたしはネズミを見たことがある」と言ったそうだ。ちょっとずれているようにも思えるけれども、小学生らしくて「かわいい」と思った。
 すると今まで話をじっと聞いていたある男の子が、「俺はゴキブリを見たことがある」と真顔で発言したそうだ。動物好きの女の子たちから、「なに、それ~」と一斉に顰蹙の声が上がった。その男の子は、よくその手の発言を真面目にするらしい。さらに「かわいい」と僕は思った。
 いい話だ。

 さて、今日は月一恒例の東京見物だ。打ち合わせは午前中からだ。だからそろそろ、家を出る。その後、留学時代の友人とランチを取り、夜は高校時代の同級生と一杯やる。
 この一週間、酒を抜いていた。久しぶりなので、酔っ払い過ぎないように、気をつけよう。

昨日の続き


 昨日の話の続きだ。リスの親子に出会う前に遭遇した光景である。

 家を出てから散歩コースの最初は住宅街だ。住宅街を歩いていると、軽のワゴンが停まっていた。車窓から荷物がたくさん覗いている。宅急便の車のようだ。最近は自分の車を使って、宅急便の仕事をする人が増えている。きっとそれだ。
 ところがその車の前を通り過ぎようとして、首をひねった。声が聞こえたからだ。運転手の声ではない。子供の声、多分、2、3歳の子が、大声で何か叫んでいる。
 宅急便の車の中から、どうして小さな子供の叫び声が聞こえるのだろうか。まさか荷物として運ばれているとか。そんなはずはない。お母さんを呼んでいる声だ、きっと。
 通り過ぎた後、振り返ってみた。案の定、車に戻ってきたのは若い女性だった。やっぱり。
 この女性は自分の車で宅急便の仕事を請け負い、小さな子供を連れて配達をしていたのだ。

 これだけの話だ。僕はそのまま、そこを通り過ぎた。だからお母さんが戻ってきた後も、子供が叫び声を続けたのかどうかは分からない。おとなしくなったかもしれない。でもまたお母さんは他の家に向かう。そこでもまた叫ぶかもしれない。
 でも分かることもある。子供をあやしながら、配達先リストを確認し、車を運転する。そのお母さんの大変さだ。車から出ようとする度に駄々をこねる子供を連れての配達の難儀さだ。

 その後、僕は散歩を続けた。そしてリスに出会った。親リスが子リスを首に巻き付けて、安全な場所に移動しようとする場面に遭遇したのだ。
 どちらのお母さんも、必死だった。

 リスの方は、その努力を健気だと愛らしく感じた。しかし人間の方は、健気さを感じたが、それ以外の感情も湧いてきた。
 人間なんだから、もう少し利口な対応はできないのだろうか、と。
 これは人間のお母さんに対して抱いた感情ではない。政府や社会に対して抱いた感情だ。
 あのお母さんは、なぜ子供を保育園に預けないのだろうか。申し込んでも枠がなく、順番待ちの状態かもしれない。あるいは費用を考えて、見合わせているのかもしれない。
 
 今回の選挙では景気浮揚の話に押されて、子育て支援や保育所の増設の話があまりクローズアップされなかった。
 社会保障でいえば年金にスポットライトが当たりがちだ。大きな票田が老人なので、どうしても政治家はそこを配慮する。
 でも年金よりも保育所の方が、優先順位は上にすべきではないだろうか。老後の生活には、自己責任が少なからず影響する。しかし子供の生活には、自己責任は存在しない。存在する責任は、社会や大人がすべて担わなくてはならない。
 保育所はいっそ、無料化するべきだろう。もちろん政府の支出は増えるだろうが、優先的にそこに割り振って欲しい。
 子供を保育園に確実に預けられれば、お母さんは安心して働きに出られる。無料にすれば、経済的な理由で子供を諦めていた夫婦の僥倖になるだろう。子供の数も増えるに違いない。結果、経済力が底上げされ、景気も浮揚するだろう。

 一生懸命な人間とリスのお母さん。ともに頑張って欲しい。でもリスには只々頑張れだが、人間にはお母さんだけの頑張りでなく、そのまわりの社会による賢明さの必要性を感じた。

僕はフランチェスコ?


 今日は散歩中、初めての光景を2つ目にした。
 まずひとつめ。時系列的にはこちらが後だが、話の流れ上、こちらを先に紹介する。

 いつもの森の中を歩いているとリスが見えた。でもちょっと様子がおかしい。頭が異常に大きいのだ。きっと何かを咥えていて、そう見えるのではないか。近づくと、咥えているのはどうも動物のようだ。何だろう。リスも小動物を食べることがあるのだろうか。
 さらに近づくと、はっきりと分かった。咥えているのではない。首に巻きついているのだ。リスの首には小さなリスがしがみついている。子リスのようだ。
 親リスは子リスを首にしがみ付かせて、よろよろと枝を渡っている。木の幹から枝に移り、隣の木にジャンプする。普段はすばしっこいリスが、何度も枝から落ちそうになり、必死に移動している。
 リスがいた辺りは落葉樹の森だ。少し先には常緑樹の林が見える。落葉樹の木の上だと、外から丸見えだ。身を隠す場所を求めて、常緑樹の林に向かっているようだ。
 親子の引っ越しに見とれていると、近くの草むらから動物の声がした。なんだろう。コジュケイか山鳩かな。目を凝らすと、どうも違う。ネズミのようだ。その森では、ネズミを見たことはない。珍しいなと、覗きこむ。そして正体が分かった。リスだ。それも子リスである。きっとあの親リスの別の子供だ。親を探して鳴いているのだ。
 僕が覗き込むと、どういうわけかその子リスは近づいてきた。鎌倉辺りの人なれしたリスは、たまに近づいてくることがある。でもこの森のリスは人を警戒する。近づいてくることはないのだが。
 かわいい声で鳴きながら、どんどんと近づいてくる。僕もなんだか、それが当たり前のような気がして、「よしよし」、なんて子猫を呼ぶみたいに、声をかけた。するとさらに近づいてくる。そしてとうとう僕のすぐ目の前に来た。
 僕の足元に来て、僕を見上げたのだ。さすがにここまで来るとは想像もしていなかった。信じられない思いがした。カメラを持ってこなかったことが悔やまれた。子リスさえ見たのは、今回が初めてだ。それがすぐ足元までやってきて、僕の顔を見上げている。ピーターラビットの絵本に出てくるような、光景が今、僕の目の前にある。
 僕は辺りを見回した。誰かに見せたい。こんなことがあるなんて、誰かと驚きを共有したい。しかし人影すらも、そこには見えなかった。
 僕が感動しながら子リスと見つめ合っていると、さらに驚くことが起きた。子リスが僕の脚に両手をかけたのだ。小さな両手、あるいは前足は、とても小さいがそれでも触られている感覚は伝わる。優しい小さな感覚だ。なんだか人間の子供、それもものすごく小さな子供が脚にしがみついているような気分だ。
 そしてもっと驚くことが起きた。子リスが僕の脚を登り始めたのだ。ああ、どうしよう。その時、僕は体を固くした。予想を遥かに上回る事態に遭遇し、体が硬直したのだ。
 そして考えた。このまま肩にまで、這い上がってくるのだろうか。ここ数年、なかば仙人のような生活をしていたからだろうか。ついにアッシジのフランチェスコのように、動物たちがまとわりつく、そんな境地まで僕は来たのだろうか。
 しかし子リスの無邪気さはそこまでだった。硬くなった僕の様子に違和感を覚えたようだ。あるいは、僕の邪悪さを見破ったのかもしれない。膝の辺りまで来たところで、いきなり表情を変えて飛び降り、そのまま元の草むらに戻って行った。僕がアッシジのフランチェスコでないことに、気づいたのかもしれない。
 
 子リスの後ろ姿を見送った後、「親リスはどうしたかな」、と親子がいた木を探した。そこにはもう見えない。きっと常緑樹の林へ到達したのだろう。
 さて、親が戻ってくるまで、あの無邪気な子供は無事に草むらで過ごせるだろうか。この辺りは野良猫もいるし、カラスも多い。しばらく親が戻ってくるまで、見守ってやろう。そう考えていると、子リスは草むらをどんどん進んでいく。そして一本の大きな木の根元まで来ると、ゆっくりと木を登り始めた。
 その木も落葉樹で身を隠す場所はない。でも草むらよりは、安全に違いない。
 5分ぐらい、親が戻ってくるのを待った。なかなか戻って来ない。子リスはかなり高いところまで登っていった。
 そこで気が付いた。もしかしたら親リスは、僕がいるので出てこられないのかもしれない。
 親リスが消えた方角に目を凝らしてみたが、戻ってくる気配はない。子リスは遥か木の上だ。あそこまで登れば、きっと大丈夫だろう。
 僕はそこを離れることにした。

 これが最初の話だ。今日はもうひとつの光景も、併せて書くつもりだった。でも長くなったので、ここまでにする。続きはまた明日だ。

アメリカの宿痾


 昼食を取りながらいつもCNNを見ている。今日はラーメンを食べたのだが、涙で喉を通らなかった。CNNではコネティカットの小学校乱射事件をやっていた。殺された子供たちの写真を一人ずつ示しながら、好きな遊びや食べ物、将来の夢などを紹介していた。どの子も近い将来、自分が殺されることなど知らずに、屈託のない笑顔で被写体となっている。みなとても可愛い。この文章を書いていても、目頭が熱くなる。
 いつも幼稚園の近くをコースに散歩をしていると以前、書いた。今日も行ってきた。もう幼稚園は冬休みに入ったらしく、閑散としていた。ただすぐ近くに保育園も併設されていて、そこからは賑やかな子供の声が聞こえてきた。この子たちと1つか2つしか変わらない子供たちが20人も殺された。先生などの大人も6人、射殺されている。先生のひとりは、教室の外の異変に気づき、とっさに子供たちをクローゼットに匿い、犯人が教室に入ってくると、「子供たちは体育の授業でここにはいない」と対応し、その場で射殺されたようだ。実に痛ましい事件だ。
 今回の事件は人数では2007年に起きたバージニア工科大学乱射事件に及ばないが、被害者のほとんどが5、6歳の子供だということから、米国民に与えたショックはそれ以上のものだろう。

 オバマ大統領は犠牲者の親たちや関係者の前で追悼のスピーチを行った。その中で、「もうこれ以上、我々は我慢することができない。こうした悲劇は終わらさねばならない。変えていかなくてはならないのだ。この手の暴力事件の要因は複雑だと言われるが、それは事実ではない。法律がないからだ。世の中から悪を排除する、あるいは社会にはびこる非常識な暴力を防ぐ一連の法律がないからだ。しかしだからといって、何もしないでいる言い訳はできない。今以上に良くすることは、必ずできる」と述べた。
 銃規制について明言はしなかったが、これは銃規制に対する覚悟を強く示した発言だ。今後、オバマは銃規制を最優先の政策として、取り上げていくだろう。

 銃規制の可否はアメリカでは議論が絶えないテーマだ。先日発生したオレゴン州のモールでの銃乱射事件の後も、CNNでは銃規制推進者と反対論者が激しく意見を戦わせていた。
 これだけ頻繁に乱射事件が起きながらも、その事件の直後に銃規制反対論者が堂々と自説を述べている。反対論者は一歩も譲る気配を見せない。銃の愛好者は活発なロビー活動を展開していて、政治力が強い。
 しかし今度ばかりは米国世論も怒りが心頭に発したように見える。オバマも覚悟を決めたようだ。オバマは大統領2期目なので、再選を気にする必要がない。政治生命をかけて、この難題に取り組むだろう。政治生命ばかりでなく、本当に命がけの仕事になるだろう。
 かりに銃規制法案を通過させれば、オバマは歴史に名を刻むことになる。各州の人種隔離法を撤廃させていったケネディーと同じように、歴史に名を残す大統領になるに違いない。
 ケネディーと同じように、凶弾に倒れなければいいのだが。

尖閣の続き(中国から見た場合)


 政治についてはあまり書かないようにしている。このブログを読んでいただいている方は、僕の浅薄な知識で書く政治の話題にうんざりするかもしれないし、意見の異なる人は、今後僕のブログを読みたくなくなる恐れがある。折角、読みに来てくれた方々のことを考えると躊躇する。でも今日は政治、あるいは外交、そして戦争の話を書きたい。その手の話は目にしたくない方は、今日はパスしてください。

 先日、尖閣についての日本の対応策について書いた。今日は逆から見て、中国の立場から尖閣へのアプローチを考察してみる。
 細かい前提ははしょって、いきなり戦争の可能性について考えてみたい。僕は中国は、暫くの間は、威嚇行為以上の戦闘行為には出ないと予測する。
 竹島を考えていただきたい。竹島は韓国が実行支配していて、日本から見れば尖閣とは真逆な状況にある。日本は韓国よりもはるかに国力が大きい。軍事力も上回っている。もし戦争になれば勝てる可能性は高い。でも日本は竹島に対して、軍事行動を始める意志はまったくない。それは仮に小規模な戦闘でも竹島で勃発すれば、韓国は死に物狂いで挑んでくることが目に見えているからだ。単なる地域紛争では済まなくなる。全面戦争を覚悟してまで、竹島を奪還したいと思う国民はごくわずかだ。だから、日本から先には手を出さない。
 同じことが中国でも言えると思う。これが大前提だ。他国が実効支配している地域に軍を進めることは、大決断を必要とする。こんな大決断は、民主国家ではできない。
 でも中国は民主国家ではない。だから可能性はゼロではない。共産党の支配が揺らぐような事態が発生した場合、もしかしたらそうした選択を中国政府は採用する可能性はある。

 では戦闘が始まった場合だ。これは時期によって展開は変わってくるだろう。これから15年以内と、15以上先では異なってくる。
 15年以内に戦闘が始まった場合、地域を尖閣周辺に限定した戦闘なら日本が勝つだろう。一部の報道では日本一国でも勝てるように報じられているようだが、僕はそれには懐疑的だ。ただしアメリカが加担した場合は、おそらく楽勝だ。
 ただこれは地域紛争でとどまった場合だ。海軍と空軍だけの戦争ならば、軍事力の差は大きい。しかし陸軍を加えた全面戦争に発展した場合は、事態が異なる。僕は中国が勝つと思う。
 理由のひとつは、アメリカが全面戦争までは付き合ってくれないと思うからだ。ミサイルを太平洋を挟んで打ち込みあえば、両国は壊滅的なダメージを受けるだろう。自国が攻められたわけでもないのに、そんな事態をアメリカの国民が望むだろうか。僕はそうは思えない。だから、そうそうにアメリカは戦闘から離脱する。
 そして日本だ。日本も例えば沖縄あたりに中国軍が侵攻した時点で、厭戦気分が蔓延するはずだ。今の日本人なら、戦争のストレスには耐えられない。結局、日本は沖縄を奪われた時点で、白旗をあげるだろう。
 ならば中国は尖閣に、やはり軍事侵攻するだろうかというと、それは違うと思う。やはり本格的な全面戦争を日本が受けて立つ可能性がゼロではないからだ。韓国が竹島を守るために、死に物狂いになるように、尖閣に対しても、日本が本気で挑んでくる可能性がなくもない。その場合、やはり日本は負けるだろう。でも中国も相当な被害を被る。沿岸部の北京や上海は壊滅するかもしれない。
 今、ようやくGDPが第2位の地位まできたのだ。先頭はすぐ先に見えている。GDP第3位の日本と真剣に喧嘩をすれば、第1位の背中は見えなくなってしまう。それをきっかけに内戦が勃発したりすれば、また暗黒時代に舞い戻るかもしれない。

 続いて15年以上先の話だ。ゴールドマンサックスは2027年に中国はアメリカを抜き去りGDPで世界一位になると予測している。これが実現するかどうかは分からない。でも中国は当然、実現させるつもりでいるだろう。それをひとつの前提に外交戦略を練っているはずだ。
 GDPが世界一位になれば、軍事費も世界一位になるだろう。すれば米軍よりも強くなる。そうした状況が訪れた場合、果たして尖閣で紛争が勃発した場合、米国は最強の中国に立ち向かってくれるだろうか。中国は、そうならない可能性を嗅ぎ取っている。だから戦闘行為を起こすとしたら、15年以上先だ。
 僕が中国の政策立案者なら、それまでは手を出さない。せっかくここまで登ってきて、ようやくトップが見えた時点で、リスクは取らない。
 しかしトップを取った後。それは別だ。そのときは、小さな軍事衝突だけで事は解決する可能性が高い。アメリカは傍観するだろうし、日本は尻込みするかもしれない。そうして、簡単に手に入れる。

 結論を言うと、中国はこれから15年間は国内世論を気にして挑発行為は続けるだろう。そして経済成長を今後も続け、アメリカを抜き去り、さらに軍事力も上回れば、そのときは堂々と軍艦を尖閣に寄せるだろう。大きな戦争を犯さずに、易々と尖閣を占領する。
 これは中国から見た、と僕が予測する、シュミレーションである。だから中国から見て、楽観的なシナリオでもある。中国がこのまま経済成長と共産党独裁を続けることが前提である。前提が覆れば、当然事態は変わってくる。

風の子


 今日も散歩をしてきた。気持ちのいい日和だった。南関東の12月は清々しい。陽が射す日中は日向にいれば暖かい。空気が澄んでいて、冷たい大気はむしろ心地よい。
 歩いたのはいつものコースだ。途中に幼稚園がある。というよりも、幼稚園を目指して歩く。今日は子供たちが大勢、庭で元気に遊んでいた。小学生ぐらいだと、見られていることに意識がいく。だからこちらも、あまりじろじろと見ることが憚れる。しかし幼稚園ぐらいだと、どんなに見つめてもへっちゃらだ。目が合えば、手を振ってきたりする。僕の方は他人の目が気になるので、他に大人がいないことを確認して、手を振り返したりする。
 12月の園庭は日差しが暖かいが、それでも気温は低い。でも子供たちはまったく平気だ。裸足で駆け回っている子もいた。
 部屋の中で遊んでる子もいるが、部屋の窓も扉も開けっ放しだ。部屋は陽が射さないので寒いだろうに。気にせずに、窓を開け放して遊んでいる。子供は風の子だ。
 
 今日は幸いに親がいなかった。ちょうど帰りの時刻と重なると、自動車が列をなして子供を迎えにくる。親の前で子供を見ていると、気を遣う。不審者と思われはしないかと。
 僕は子供が好きなんだ。それは素直に可愛いと思うからだ。性的な対象なんかでは、見ているわけがない。でも最近は変な奴が多いから、親は警戒をする。変じゃない奴の方がずっと多いのに、少数派の変な奴のおかげで、子供を見ることも大変だ。

 幼稚園の周りをぐるっと回ってから、富士山が見えるポイントに出る。今日の富士も麗しい。

富士山



 それから森の中を歩き、ため池に出る。ため池にはいつも鴨のつがいがいるが、今日はいない。代わりといってはなんだが、リスがいた。ここのあたりのリスはタイワンリスで、警戒心があまりない。近づいてシャッターを押すと、さすがに逃げていった。もっと大きく撮りたかったのだが。動物の写真は難しい。

森の小道
りす

   

老後の過ごし方


 今日はいい天気だ。今、散歩から帰ってきたところだ。家から少し登ったところにある小山の上からは、富士山が見える。今日の富士は雪に裾まで覆われて、真っ白な姿だった。ここのところ、日本海側や北日本では雪が続いていると、ニュースは伝えている。富士の周辺も雪が降っていたのだろう。
 いつも通り森の中を歩いていると、年配の人をよく見かける。今の季節は朝夕冷え込むので、昼間に散歩をする人が多いのだ。
 歩いている人はきっと、リタイアして毎日のんびりと過ごしている人が多い。この辺りはよい散歩コースには事欠かない。散歩を楽しみにしているはずだ。

 僕も会社を辞めて暫くの間、いや暫くなんてもんじゃない。1年以上の間、暇を持て余していた。仕事が全然なかったので。そんなときには散歩が唯一の気休めだった。散歩も丁寧にやれば、散歩に丁寧っていうのはおかしいかもしれないが、それでも時間をかけて、噛みしめるように楽しめば、けっこうと時間を潰せる。2、3時間の散歩もよくやった。
 今日、見かけた人たちはそんなに時間はかけていないだろうが、それでも散歩が一日の中心かもしれない。
 ちょっと想像してみた。あるリタイアした男性の一日を。

 老人だから朝は早い。6時ごろには起床するはずだ。起きたらまずコーヒーを沸して、ゆったりとコーヒーをすすりながら朝刊を読む。1時間も読んだところで、朝食を取る。朝食を取るのだって、一口ずつ味わいながら、ゆっくりと進める。朝食の後はテレビを見て過ごす。朝の連ドラは欠かさずに見ることにしている。民放で芸能情報もしっかり仕込まなければならない。奥さんや孫との会話には、絶対に必要な情報である。
 天気が良い日は庭の掃除をする。家の前を掃いていると、隣の同年代のご主人と顔を合わせ、挨拶を交わす。そうこしていると、昼食の時間だ。昼食は大抵、麺類だ。夏場は冷麦や冷たいそばが多かったが、この季節は暖かいうどんやラーメンが中心だ。
 うどんを食べた後は、さて散歩の時間である。一日で最大のイベントである。最近は紅葉がきれいだし、空気が澄んでいて富士山もはっきりと見えるので、カメラを持参だ。立ち止まっては被写体を探し、フォーカスを絞る。あっというまに2時間以上が過ぎていく。
 散歩から帰れば、お茶の時間である。先日、妻と二人ででかけた温泉で買って来たせんべいを齧りながら、お茶を楽しむ。さて、ようやく自分の時間だ。朝からずっと自分の時間のようにも思えるが、朝から今まではいわば日課で義務のようなものだ。気分的には仕事なのだ。これからの時間こそが、真に自分のために使う時間なのだ。好きな歴史小説をゆっくりと読む。
 ようやく訪れた自分の時間はあっという間に過ぎていく。さてまた仕事だ。風呂に入らなくてはならないのだ。風呂の支度は自分の仕事だ。
 風呂にゆっくり浸かって上がると、ビールとつまみが用意されている。テレビを見ながら、ゆっくりと箸を進める。ビールは1本を1時間かけ、続いて日本酒1合も1時間をかける。これが定量だ。飲み終えると8時だ。そろそろ寝る支度の時間だ。歯を磨き、ストレッチを行っていると、もう9時だ。布団に入るとするか。布団の中では、歴史小説の続きを読みながら、眠くなるのを待つ。

 ちょっと描写がくどかっただろうか。書きながらも、少し飽きてきてしまった。なんでこんなことを細々と書いたかというと、それは僕の2年前の生活だからだ。もちろん、このままではない。英語の勉強は続けていたし、仕事もたまにはした。合気道の稽古もやっていた。連ドラも芸能ニュースも見ていない。でもたまにはこれに近い日もあった。何もしなくても、一日はあっと云う間に過ぎていくのだ。それが書きたかった。
 せっかく訪れたリタイア後の生活も、もしこのように過ごしていたらどうだろうか。充実感を覚えることができるのだろうか。僕ならきっと飽きるだろう。
 やはり何かをするべきだ。ボランティアでもよい。でもできれば、仕事がベターだ。
 仕事により、外部と触れあい、社会に貢献し、報酬を得る。仕事なのだから、責任が伴う。遊びやボランティアと違うところだ。しかしその分、充実感を得られ、喜びも大きい。
 なんてことを歩きながら考えていた。そして思った。やっぱり僕は生涯現役がいいなと。

 暫く歩くと、小学生の通学路に出た。交差点ではボランティアの人たちが、信号待ちの子供たちの誘導していた。ボランティアは年配の男性だった。60代後半といったところだ。
 また暫く歩くと、下水道の工事が行われていた。そこで交通誘導を行っていたのも、60代後半と思しき男性だった。
 同じ60代後半の男性が、同じような交通誘導を行っている。やっていることは似ているが、二人の立場は大きく異なる。

 ボランティアの男性を見て思った。僕は生涯現役が良いなと。次に現役で働く白髪の男性を見て思った。僕はもしかして、きれいごとを追い求めているに過ぎないのかな、と。
   

それぞれのお正月


 よくこのブログに登場する甥っ子が、第一志望の大学に留学することになった。
 甥っ子は今年、某大学に入学したばかりの1年生だ。某大学は大学名も過去のブログでは書いているが、やっぱり本人が特定されて迷惑がかかるかも知れないので、今後は某大学でいく。
 甥っ子は去年の今頃は、宅浪をしていた。うちに合宿と称して1週間以上泊まり込み、一緒に勉強をしたり、学習計画を立てたり、合気道の稽古で汗を流したりした。
 今年の正月は、「今年はお互いにいい年になるよう、頑張ろうな」、なんて偉そうなことを言ったりもした。

 甥っ子はその後、見事第一希望の大学に入学を遂げた。僕の今年の第一志望は、出版翻訳を実現することだった。甥っ子の合格を聞かされたときには、嬉しくて飛び上がったものだが、「俺も頑張らなくちゃ」と鼓舞もされもした。
 甥っ子の次の第一目標は、大学で実施している交換留学制度に受かることであった。交換留学制度は大学生だけでなく院生も受験が可能で、1年生にはなかなかハードルの高い目標である。TOEFLの点数が選考基準のひとつになっており、準備期間の長い大学2年生や院生が有利である。
 甥っ子は夏休みをTOEFLの集中講座に費やして、頑張ったのだがあまり良い点数はとることができなかった。きっと今年は無理だろうと諦めかけていた。しかし運よく、学内選考に合格することができた。
 交換留学制度は、まず学内選考がある。これになんとか合格したのだ。これに受かってさえしまえば、どこかの大学に留学ができる。続いては、留学先の大学の選定が行われる。留学希望者は第3志望まで書くことができる。
 この留学制度は交換留学なので、先方の大学からもこちらの大学に希望する人がいなければ成り立たない。また人数は大学ごとに制限があり、人気のある大学に行くには、さらに選考に勝ち抜かなければならない。
 人気のある大学は、やはり英語圏の大学だ。それもメジャーな大学が好まれる。例えばハーバードやUCバークレーなどだ。
 甥っ子はすでに提出したTOEFLの点数などを勘案して、そうした人気大学は無理だと最初から候補からはずす戦略に打って出た。
 甥っ子が目指したのは、ヨーロッパの大学だ。授業はドイツ語で行われる大学である。ドイツ語ができる日本人は少ないから、志望する学生は少ないだろうと踏んだのだ。しかしこの大学は、もの凄く一流の大学でもある。アインシュタインが卒業した大学で、東大よりも世界ランキングは上である。ドイツ語で授業が行われるということに目をつぶれば、非常に魅力のある留学先だ。場所も、めちゃくちゃ風光明媚なところだ。

 アナ狙いともいえる選択であったが、これがうまく功を奏した。みごと第一志望の大学への選考に通ったという連絡が、先日来たのだ。来年の夏から1年間、あの風光明媚な街にある、超一流大学に甥っ子は留学することに決まった。
 甥っ子はドイツ語ができない。今年の4月から第2外国語として大学で授業を受け始めたばかりなのだ。相当な苦労をすることが予想される。でも甥っ子は、あまり頓着していない。英語だって、たいしてできないのだから、同じようなものだと考えているのかもしれない。

 今年の正月に言った、僕の言葉を甥っ子は実現した。しかし言った張本人は、、、。
 もうすぐお正月だ。甥っ子も帰省する予定だ。実家で会うことになるだろう。
 さて今年はなんて言おうか。「今年はお互いにいい年になるよう、頑張ろうな」は、言えない。甥っ子にとっては、「今年は」の表現は正しくないからだ。甥っ子の立場からすれば、「今年も」になる。でも、僕はそうは言えない。
 「お前は今年も良い年になるよう、頑張れ。俺は今年こそは良い年になるよう、頑張るぞ」、あたりかな。
  

尖閣は単なる領土問題ではない


 最近、尖閣や竹島、北方領土を並列に、領土問題としていっしょくたに取り上げる言論が多いように思う。そうした言説に出合うと、いつも違和感を覚える。
 僕はこの3つの問題は、まったく異なる次元に存在していると感じている。ひとつひとつ取り上げたいところだが、長くなるので今日は尖閣についてのみ僕の意見を語りたい。

 尖閣は単なる2国間における領土問題ではない。竹島は、これは明確に日本と韓国の2国間の領土問題だと思う。しかし尖閣は異なる。
 尖閣は民主主義と、一党独裁という言わば独裁国家の衝突の物語だ。「日本vs中国」ではない。「民主国家vs独裁国家」が本当の姿だ。
 独裁国家は拡張主義に走りやすい。それは独裁者や独裁政党には、民衆の意思というストッパーが機能しないからだ。権力者は意のままに国体を運営できる。
 だからこそ中国は、そこらじゅうで紛争を引き起こしている。例えば、中印国境紛争だ。1962年、中国はヒマラヤ山脈のインド領(インドから見たら)に侵攻し、戦闘が起きた。結果、それまでインドが実行支配していたカシミール東部の国境をインド側に大きく押し広げた。
 カシミールのすぐ近くにはチベットがある。チベットは古代から独立した王国であったが、1950年に中国が侵攻し、その後併呑してしまった。
 ちょっと離れたところではウイグルがある。ウイグル、今は新疆ウイグル自治区であるが、ここは古くから漢民族とは別の民族であるウイグル族が住んでいた地域で、ウイグル帝国といった国も歴史上かなり長い期間存在していた。ウイグルは民族的、文化的にはトルキスタンに近く、トルキスタンは今はトルクメニスタンやカザフスタン、ウズベキスタン、キルギスタン、タジキスタンとして独立している。
 南に国境を接するベトナムにも侵攻している。ポルポト政権を倒すべくカンボジアに侵攻したベトナム軍の留守を突いて中国軍はベトナム領に侵入し、戦闘が勃発した。ベトナム戦争で闘いなれたベトナム軍に押し返されて、中国軍は1か月で撤退したが。
 北ではロシア(当時はソ連)とも領土戦争を起こしている。アムール川の支流であるウスリー川の中州でソ連の警備兵と中国の人民解放軍兵士が衝突を起こし、戦闘に発展した。戦局はウイグルにまで拡大し、核保有国である両国は核兵器の使用の準備まで始めたとされる。最後はソ連のコスイギン首相と中国の周恩来首相が会談を持ち、軍事的緊張は収束した。
 そして現在の侵攻のターゲットは南沙、西沙、尖閣であることは、皆さんご存知の通りだ。

 こうした中国の拡張主義に対して、日本が一国で対峙するのは賢明とは言えない。中国は日本と1対1で問題を処理したいだろうが、日本がそれに乗ってはいけない。領土問題から、一党独裁という非民主的な政治体制への瑕疵に、焦点を当て直すべきだ。
 アメリカがチベットやウイグルなどの人権問題に懸念を表明しているのは、正しいアプローチだ。アメリカは中国とは領土問題が起きる可能性はないが、覇権がぶつかり合う危険性は内包している。今は台湾が覇権の衝突点になっているが、その場は尖閣、さらには沖縄に移ろうとしている。しかし覇権のぶつかり合いは軍事衝突に発展する危険性が高い。そこでアメリカは、そこはあからさまにせずに人権問題というイデオロギーを争点にしようとしている。日本もアメリカに学ぶべきだろう。

 また尖閣問題を「民主国家vs独裁国家」という図式でとらえるならば、「日本人vs中国人」というやっかいな構図から脱却することもできる。国民同士のいがみ合いは、どうしても避けなくてはならない。今の時点で、これだけ両国民が憎みあっているのだ。まして戦争にでもなったら、どちらの国が勝ったとしても、将来に大きな禍根を残す。中国人も独裁国家の犠牲者なのだ。
 アメリカを中心に、日本、インド、ベトナム、フィリピン、韓国といった領土問題を抱える国のみならず、ヨーロッパなど全ての民主国家が共同でことに当たるべきだ。全民主国家が、一緒になって独裁国家と対峙する必要がある。その際には、独裁の被害者である中国人やチベット、ウイグルの人たちも、我が陣営である。みなが共同で独裁政治と対峙するのだ。
  

鎌倉を紅葉狩り


 最近、近くの森を歩いていて、紅葉が赤く色づき始めたことに気が付いた。紅葉の色の変化など、今まであまり気に留めたことはなかった。いよいよ老境に差し掛かってきた証拠だろうか。
 ということで初老の夫は週末、比較的若い妻を伴って鎌倉まで紅葉狩りに出かけてきた。
 向かったのはいつもの報国寺、浄妙寺、瑞泉寺の三つの禅寺だ。すべて歩いて出かけた。
 報国寺は竹のお寺として有名だが、紅葉も十分に見応えがあった。竹の庭に入るには入場料が求められるが、その他の境内は無料である。当然、その他の境内だけを見て回る。
 続いて浄妙寺を覗く。こちらは拝観料が100円かかる。さて紅葉だが、これはそれほどではなかった。しかし人は一杯だった。境内にあるレストランで食事を取る予定だったが、あまりの人で断念した。
 このレストランは元から境内にあった華族の洋館をお寺が購入し、レストランにとして開放している。以前、お寺の人に聞いたのだが、最初は普通のレストランとして使おうと考えたが、料理をすると水を使うので、家が傷む。そこで家が乾燥するようにと、石窯を中央に設営し、そこでパンを焼くようにしたそうだ。ここのパンは、とてもうまい。
 華族の洋館は洒落たレストランに生まれ変わったのだが、さすが禅寺、かなり徹底している。一応、境内にあり、お寺の経営するレストランである。ところがだ。クリスマスが近いということで、クリスマスのデコレーションが施されていた。あっぱれな達観ぶりである。
 浄妙寺では昼を食べられなかったので、瑞泉寺すぐ近くの「もみじや」といううどん屋に入る。妻はきつねうどん、僕はたぬきそば。さらにふたりで栗ぜんざいをひとつ食べた。とてもうまい。初めて入ったが、良い店だ。
 そして瑞泉寺だ。ここの拝観料は200円。
 この寺は鎌倉の最北部に位置し、ちょっと不便な場所にある。普段はほとんど人がいない。それが今回は、今まで見たことのないほど、人で溢れていた。
 この鎌倉散歩は、瑞泉寺が目的だった。それはこの寺が、かつて紅葉谷(もみじがやつ)と言われた場所にあるからだ。きっと紅葉が見事だろうと予想したのだ。きっと同じことを考えた人が多かったのだろう。
 ところが不思議なことに、他の場所ではすでに紅葉はちょうど盛りだったが、ここはまだ緑のままだった。張り紙がしてあり、12月半ばが見頃だと書いてある。きっと木の種類が違うのだろう。
 再来週あたりに来たら、見事なのだろう。たしかに紅葉谷の名にふさわしく、紅葉の巨木がいたるところにある。あれが一斉に真っ赤に染まったら、どんな景色になるのだろうか。今年はまた来るのも面倒なので、来年はもう少し遅い時期に来たいものだ。

DSCF2480_convert.jpg
華頂宮邸の紅葉。報国時のすぐ裏にある。

プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
最新トラックバック
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。