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下天のうちを比ぶれば


 半世紀が経ってしまった。50年。なんて長い期間なんだ。その間、休むことなく存在し続けてきたことが不思議である。一日も休まずに、呼吸をして、眠って、飯を食べて、排せつをして。
 今日は僕の生まれた日である。オヤジの誕生日なんて、敢えて公表するべきものではないが、50歳なので、ちょっと思ったことを書きたい。

 今日、散歩をしながら50年をなんとなく振り返ってみた。そしたら面白いことに気が付いた。過去の思い出は時系列でないのだと。
 幼稚園のときの砂場の思い出も、大学時代のサーフィンの思い出も、会社勤めの思い出も、みな並列な関係で記憶されている。個人の記憶とは歴史の教科書のように、時系列に並んでいない。言ってみれば曼荼羅図のように、ごちゃごちゃだ。
 しかし将来を見つめると、時は一直線に先に向かっている。1年後のことは、10年後のことよりもずっと身近である。40年先のことなどは、遠すぎて靄に霞んで見えない。
 一方、40年前のことは、つい昨日のことのように思い出せる。もちろん、思い出せることは、覚えていることだけだ。40年前のことで覚えていることは数少ない。昨日ことは、40年前のことよりも、ずっと数多く覚えている。しかし覚えていること同士を比較すれば、鮮明さはあまり変わらない。どちらも同じような過去の記憶だ。

 このことからいくつかのことを思いついた。
 過去についていうと、過去は平板でかつ混沌な状態で記憶されているが、実際におきた過去の出来事は無秩序なものではない。因果応報の原理が働き、必ず関係性を有している。結果には間違いなく原因があるのだ。
 過去の思い出はただ放置しておくと、混沌としたものだ。その混沌とした記憶は人によって、扱いに違いがあるのではないか。ある人は、そのまま無秩序な状態で放っておく。しか一部の人は、頭の中でも実際のできごとのように関係性を捉えて、整理してから収納する。もちろん、完全に放っぽらかしている人も、確実に整理できている人もいないだろう。そこにはグラデーションがあるだろう。
 経験を将来に生かせる人と言うのは、そのグラデーションの中で、整理がうまい部分に位置する人だ。漠然とした過去の記憶を、意味をつかみ、整理し、収納して、必要な時に引き出せるようにしてある人なのではないだろうか。

 もうひとつ。我々には過去と将来が与えられているが、では“今”はどちらに属するのだろうか。“今”は“今”であって、どちらでもないのだろうか。
 コウモリが動物と鳥の戦争で、どちらに付くか問われて、曖昧にしたために、結果どちらの種族からも仲間外れにされた童話がある。“今”はコウモリのような存在なのだろうか。
 僕は“今”は本当にコウモリのような存在なのではないかと思う。コウモリは哺乳類なのだから、見た目は鳥に似ているが、実際は明らかに動物の側に入る。“今”も同じだ。“今”は“今”になった時点で、実際に起きているのだから、それは過去だ。“今”は過去なのだ。

 将来について。将来は自分の意志でコントロールできるものだろうか。僕はなかなか難しいと思う。10年後に仕事で成功し、大金持ちになっていて、300坪の家に住み、健康にも留意して、体型も変わらずにいるよう自分をコントロールすることは、多分不可能だ。将来の自分を今の自分がコントロールすることは、大変難しい。
 しかしコントロールがそれほど難しくない部分もある。それは近い将来だ。とくに今日。今日だけなら、なんとかできるかもしれない。実際にはやはり難しいのだが、でも10年後と比較したら、なんとかなりそうだ。
 今日は一日8時間仕事をしようと計画を立てたとする。これぐらいはなんとかなる。だから僕らに与えられた自由は今日だけと言える。そう、だから今日を大切にしよう。
 
 ということを、散歩をしながら考えた。取り留めのない話でオチも陳腐だ。ただの思いつきである。でも50というのは、それなりにきりのいい数字なので、一応記念に記しておく。

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教養と寛容


 どういう老人になりたいか、よくそんなことを考える。僕は長い間、教養のある老人になりたいと思っていた。今も少しでも近づきたいと思っているが。
 僕は昔から教養のある老人が好きだ。例えば白川静とか鈴木大拙とか、現役の人では梅原毅とか中西進とか。長生きして死ぬまで学び続け、その結果、信じられない程の教養を得た老人を憧憬の眼差しで見つめてしまう。

 うちには猫が二匹いる。二匹とも猫だから教養はない。漢文の素養はないし、ラテン語が読めるわけではない。量子力学も知らないし、シェークスピアさえ読んだことがない。
 しかしなかなか立派な猫だと思うことがある。とくにフクちゃんの方は。
 フクちゃんは本気で喧嘩をすれば、大ちゃんよりも強い。しかしそれを誇示しない。たとえば日の当たる暖かい場所で寝ていると、大ちゃんがそこをよこせとやってくる。するとかならず、フクちゃんは場所を譲る。うちは、午前中は和室に日が射し込む。そこで大ちゃんはいつも一番良い場所を占領する。そこを譲ったフクちゃんは、リビングに場所を移す。しばらくして太陽の位置が動き、リビングに日が入るようになる。するとまた大ちゃんが、そこをよこせとやってくる。フクちゃんは、またしても大人しく場所を譲る。
 そんなフクちゃんだが、決して大ちゃんから侮られているわけではない。夜の寒い時間は、大ちゃんはフクちゃんのところにやってきて、一緒に寝かせてとお願いをする。フクちゃんの体を舐めて、ご機嫌を取る。そして大ちゃんは知っている。フクちゃんが必ず自分を受け入れてくれることを。だから大ちゃんはフクちゃんのことを大好きなのだ。
 そんなフクちゃんを、僕もいつしか尊敬の眼差しで見つめるようになった。

 今までの実人生で教養があり、立派だと思われる人に出会ったことがある。ところがあることをきっかけに、尊敬する気持ちが薄れることがある。そのきっかけは、大抵はその人の不寛容さに接したことだ。
 一方、あまり教養を感じさせず、魅力を感じない人に対し、あることをきっかけに敬意を抱くことがある。そのきっかけは、大抵はその人の寛容さに触れたことだ。
 僕には故人だが、とても敬意を抱いている人がいる。その人の大きさといったら海のようだった。僕はその人といると、寛容の海を漂うような気分にさせられた。

 最近は教養も大切だが、寛容さがもっと大切なのではないかと考えるようになった。教養がある老人にもなりたいが、それ以上に寛容な老人になりたい。
 寛容さは老人の専売特許だと思う。若い人でも優しい人はいるが、それは寛容さとは違う。生まれながらにして優しく静かな人はいるが、老人の寛容さとは何かが異なる。
 それは寛容さは、経験のみが鍛造できるものだからだ。経験を積まなければ、本物にならない。本当に寛容さが求められる時に、平静を保ち続けることは簡単なことではない。それを乗り越えるには、経験が必要なのだ。そう思う。

 毎日、フクちゃんを観察して、寛容さを学んでいるところである。

週末なんか


 最近の行動について。
 金曜日は都内に打ち合わせに出かける。毎月出している業界レポートの編集ミーティングだが、別件で翻訳の仕事をもらう。ラッキー。
 昼は産経時代の先輩と昼食。銀座の天龍で餃子をごちそうになる。ここの餃子は巨大でうまい。腹いっぱいになる。その後、先輩と河岸を変え、交通会館の最上階でコーヒーを飲む。初めて行ったが、そこは円形のレストランで、1時間に1周(おそらく)まわる仕組みだ。東京駅が真上から見える場所もあって、鉄ちゃんには垂涎の場所だろう。そこも先輩にごちそうになる。この先輩にはお世話になりっぱなしだ。いつかお返しがしたい。(先輩、出世払いでお願いします!)
 その後、横浜に場所を変え、やはり以前の仕事で知り合った人と飲む。以前は広告関係の会社に勤めていたが、今は自分で会社を経営している。2軒ばかり飲み歩き、終電よりもちょっと前の電車で帰宅する。かなり酔っぱらった。逗子からはいつも通り歩いたが、寒さのあまり途中で遭難しそうになった。
 土曜は二日酔い状態で一日過ごす。
 日曜日は早めに起床し、横須賀の農協「すかなごっそ」へ妻と出かける。いつもは昼過ぎに到着するのだが、今回は10時過ぎに着。すると駐車場が満車状態だった。どうにか駐車できたが、すごい人出だ。
 最近は野菜が高いので、みなここに来るのだろう。大根やかぶ、きゃべつ、ほうれん草、ブロッコリー、ショウガなど、新鮮な野菜をたっぷり買う。そのほか横須賀で取れた玄米、卵、梅干しなどと、昼食用の惣菜などをも買う。
 天気は素晴らしかった。このまま逗子に帰るのがもったいなくなり、葉山にある湘南国際村へ向かう。ここは山の上を切り開いた住宅地なのだが、総合研究大学院大学やセミナーが行える会場があり、公園も整備されている。その公園でランチを取る。その後、さらに見晴らしの良い場所に移動すると、相模湾に聳え立つ富士山がすそ野までくっきりと見えた。まさに絶景だった。家からすぐのところに、こんなに景色が良い場所があることに感謝である。
 駐車場の近くではフリーマーケットが開かれていた。ひやかしのつもりで覗くと、双眼鏡を売る店が出ていた。最近、バードウオッチングもどきを始めたことは、このブログで何度か紹介している。それで双眼鏡が欲しいと思うようになっていたのだ。結果、ニコンのウオータープルーフのコンパクトな双眼鏡を買ってしまった。9000円だった(後からネットで調べたら、高くもなく安くもなくの値段だった)。買ってしまった、というのは正確な表現ではないかもしれない。正確には買ってもらっただ。今月末には僕の誕生日があるのだが、妻に誕生日プレゼントとして買ってもらったのだ。
 買ってもらった後は、子供のように双眼鏡を持ち歩き、あたりかまわず覗きまくる。悪気はなかったのだが、フリーマーケットにいる人にレンズを向けると、おばさんの鼻の毛穴まで見えてしまった。
 昨日は一日、仕事。昼過ぎに息抜きで散歩をした。散歩ではもちろん、双眼鏡を持って出た。何羽かの小鳥を見ることができた。まずはシロハラ。ムクドリほどのサイズで、小さな鳥ではない。双眼鏡で見るとニワトリのように巨大に見える。ちょっと目が怖かった。つづいてカシラダカを見る。こちらはかわいい。最後に見たことがない鳥を発見。とてもきれいな鳥だった。小さくて、しっぽを振りまわす仕草がかわいい。後で調べて、ルリビタキであることが判明した。この間、妻に一番好きな鳥はなんなのかと聞かれて、答えに窮したのだが、今度尋ねられたら、ルリビタキだと答えたい。うんとかわいい。


(業務連絡) Mr.Blackさんへ。コメント(シークレット)ありがとう。返事の仕方が分からないので、ここで返事を書きます。メールアドレスもなくしてしまったので。今度、メールアドレス教えてね。Mの件、了解です。

敬意を抱かれない男


 医者に行ってきた。そこの医者はいつも横柄である。一昨日もいきなり「薬は一回にしますか」、と聞いてきた。何を質問しているのか分からずに考え込んでいると、「だから、一日に取る薬は1回分にするかどうか聞いてるんだ!」と、大きな声を出した。薬の処方箋を書くのに、一日分の薬の量を僕に尋ねたらしい。それなら最初からそう聞けばいいものを。怒鳴らなくてもいいではないか。
 以前、横須賀の病院に行った時も、医者に随分と威張られた。なぜ医者という人種は威張りたがる人間ばかりなのだろうか。といってもすべての医者がえばりん坊というわけではない。脊椎鞘腫で入院した九段坂病院の医者はみな紳士的だった。そして腕がよい。威張る医者は、大抵がやぶである。

 今朝、妻が、「そういえば私、今年も厄年なんだって」と言った。妻はこの前、厄年が終わったばかりである。そんなに続けて厄年が来るはずがない。それで僕は、「そんなことはないんじゃない。この間、終わったばかりだよね」と言った。
 妻は、「そうよね。でもこの間、同級生と飲んだ時に、“私たち今年は前厄なのよ”と友達が言ってたんだけど」、と首をかしげた。そこで、「それは友達が間違えているんだよ。だって女の厄年は33才だろ。34歳が後厄で、今年は数えで36歳で、それでまた厄なの。ありえないよ」、と僕は強弁した。
 ここまで読んで、知っている人は苦笑していることだろう。そう、間違えていたのは僕の方である。
 「信じてないみたいだな。理屈で考えれば分かるだろぅ。そんなに厄ばかりが続いたら大変だよ、ほんと。しょうがない。じゃあ、調べてみようか」、とぶつぶつ言いながら、僕は買ったばかりのkindleを使って、ウイキペディアを調べた。そして、読んで青くなった。
 ウイキペディアによると、女性の厄年は数えで19歳、33歳、そして37歳であった。すると数えで36歳の今年は前厄である。妻と妻の友達が正しかったのだ。
 読んだ直後に平謝りをした。自分の非が判明した場合の僕は、とても従順なのである。
 そして謝りながら、実に情けなくなった。まったく同じ過ちをなぜ、僕は繰り返すのだろうか。根拠もないくせに信じ込んでいたことを、こうまで強弁してしまうのはなぜだろうか。たださらりと、「へえ、そうなんだ。知らなかったよ」と言えば良いのである。そして後からこっそりと調べれば。しかし、それができない。
 妻は毎晩、夜が遅い。僕は先に寝ていることが多い。朝だけが、顔を合わせられる時間である。その貴重な時間を不快なときにしてしまった。まったく愚かな男である。

 横柄な医者は患者から信用を得られない。一方、根拠もない意見を強弁する男は、妻から敬意を抱かれないのである。

久しぶりの雨


 久しぶりに雨が降っている。雨を眺めながらこの文を書いている。部屋には遠赤外線の電気ストーブが暖を起こしている。暖かい部屋から雨の景色を眺めるのが好きだ。
 この冷たい雨の中も鳥たちはいつもと変わらぬように飛び回っている。鳥はエネルギーの蓄えができないので、毎日エサを取らなくてはならない。
 その点、人間は幸せである。外は冷たい雨でも、部屋は暖かい。仕事がない日が続いても、過去の蓄えで食べていける。仕事がないのは不安ではあるが、急かされずに日々を送れるのは悪くない。
 今年は出版をどうにかしたい。その準備を進めているが、はっきりとした実現の予定があるわけではない。手さぐり状態で、本を読んだり、ノートを取ったりしている。暗中模索で暗闇の中を歩いているようなものだ。一寸先は闇の中だが、真っ暗も慣れてくると、面白い。想像力が掻き立てられる。

 咳がまた出るようになった。1週間ぐらい、コンコンとやっている。今日あたり、病院にでも行こうかな。ステロイドを処方されるのは分かっている。取らないと医者に怒られる。それが嫌で、足が遠のいていた。でもこのまま放っておいたら、喘息に移行してしまうかもしれない。それはもっと嫌である。
 僕が今、咳で通っている病院は漢方も処方する。漢方は歓迎だ。しかし値段が高いのが、これまた嫌なところだ。

昔のアイドルと卒都婆小町


 今日の散歩ではジョウビタキを見かけた。今年になって2度目だ。サイトで調べると、低山の開けた場所や公園などでも見かけることができる、普通に目にする鳥のようだ。今まで、まったく気づかなかった。

 いつも散歩の最後に行く池は、氷が張っていた。今年最初の光景だ。
 池には釣り人がいた。この池には錦鯉が棲んでいる。まさか錦鯉を狙っているとは思わなかったが、一応尋ねてみた。案の定、ブラックバス狙いだという。
 釣りは無益な殺生に思えて、あまり好きではないが、バスなら仕方ない。バスは鯉やフナの稚魚をかたっぱしから食いつくしてしまう。少しでも減れば、それだけあの池の生態系も守られるだろう。

 最近、歌番組をたまに見る。最近、ウイークデーでも飲んでしまう日がある。そんな日は、やはりテレビを付ける。見る番組は決まっていないが、ザッピングをして歌番組をやっていると何となく見る。
 歌番組で好きなのは、昭和歌謡である。やはり完全におじさんになっている証拠だろう。おじさんというよりも、おじいさんか。
 その昭和歌謡の中でもとくに好きなのは、昔の映像を流す番組だ。ジュリーもいいし郷ひろみもいい。でもやっぱり女性アイドルがもっといい。昔のキョンキョンや中森明菜、早見優の可愛かったこと。
 この人たちは今もきれいだ。でも比較すれば、やはり勝者は明白だ。

 30年近く前になるが、カリフォルニアに留学していたことがある。ある日、ルームメイトと紅白歌合戦を見ていた。当時もアメリカでは日本の番組を若干、見ることができた。どういう仕組みか分からないが、NHKだけでなく民放も混ぜて放映するチャンネルがあったのだ。
 そしてたまたまテレビを付けたら紅白をやっていた。そこに早見優が出ていた。ルームメイトのアメリカ人は、早見優を見て、その可愛さに狂喜乱舞した。僕が「彼女はハワイに住んでいて、英語がうまいんだよ」と教えると、手紙を書くと言い出したほどだ。
 そんな頃の彼女たちをテレビで見るのが好きだ。

 しかし最近は往年のアイドルがカムバックして、テレビに出てくることがある。あれはあまりいただけない。
 出てくる人は、容姿に自信があるのだろう。それでもやっぱり経年劣化は避けられない。僕が見たいのは、若かりし日の彼女たちの姿だ。30年の時を経た形状の変化を見ることは、それはそれで感慨深いものではあるが。
 どんなにきれいだった人も歳月の流れには逆らえない。僕はいつも往年のアイドルの再登場を目にするたびに、能の「卒都婆小町」を思い出してしまう。
 ちょっと切ない。

石川遼の英語力


 ブログの更新を怠ってしまった。1月になって今回で5回目の投稿である。少しペースを上げないと、1か月最低10回の更新を達成できない。
 
 日曜日は逗子も大雪だった。報道を見ると、どうも都内よりも積もったようだ。森の中の開けた場所は、いまだ10センチ以上の雪が残っている。
 月曜日は妻が教える小学校が休校だった。月曜日は雪の中を駅まで30分も歩くことを覚悟して、装備を整えていたのだが、日曜の夜に休校が決まった。メールで知らせが来たのだが、それを見た妻は心底嬉しそうな顔をしていた。そりゃそうだろう。いつもは自転車で通う道を、まだ暗い早朝に30分も歩かなくてはならないのが回避されたのだから。
 ということで日曜の夜も、ふたりで乾杯をした。月曜は当然、僕は普段通りに仕事を進めなくてはならないのだが、少しゆっくり6時に起床。午前中は仕事をしたが、午後はのんびりと過ごしてしまった。今は急ぎの仕事がないので。と、自分に言い訳をしながら。
 それで日曜に録画した映画「アバター」を見た。よくできている映画だと思ったが、細かい矛盾点が気になって、それほどのめり込むことはできなかった。
 この手のハリウッド映画は、もう楽しむことができないのかもしれない。そんな歳になったということなのか。あるいは、性格がひねくれてしまったせいなのか。いちいち矛盾点を指摘しながら映画を見ていた。きっと横にいる妻は楽しめなかったはずだ。僕の存在こそが集中を途切れさせていたに違いない。
 映画は静かに見なくてはならない。

 最近、日本人の英語能力について関心がある。海外のメディアで話す日本人の動画をネットで探したりして見ている。
 CNNを見ていると、スピードラーニングのコマーシャルに石川遼が出てくる。あまり上手な英語ではないなと思っていた。
 遼くんが海外のレポーターから英語で質問を受けている動画をユーチューブで見つけた。5分程度のインタビューである。
 改めて遼くんの英語を聞くと、かなりできるじゃないか。まず聞き取り能力だが、もしかしたら僕よりも上かもしれない。というのは、一部僕はレポーターの質問が分からない部分があったが、遼くんは全ての質問を聞き返すことなく、しっかりと返答していた。内容がゴルフに関わることなので、専門用語や言い回しが聞き慣れているという点もあるだろう。しかし、それでもかなりのリスニング能力だと思う。
 スピーキングも良い。それもかなり良い。構成とか文法の問題はない。ノンネイティブスピーカーの会話としては、十分なレベルだ。ボキャブラリーもある。言いたいことがちゃんと言えている。そして一番驚いたのは発音だ。帰国子女並とはいかないが、日本で生まれ育った日本人の英語としては、非常に高レベルと言っていいと思う。スピードラーニング恐るべし、である。
 しかしスピードラーニングだけで、あれだけのレベルに到達したのではないだろう。海外の実生活と仕事が、英語を上達させたはずだ。しかし、それだけでも足りない。遼くんの場合は、継続して集中して取り組み続けているからこそ、あれだけ英語がしゃべれるようになったはずだ。これこそが大切な点だ。
 例えば海外生活がずっと長いイチローは、きっとあれぐらいは話せないはずだ。イチローの場合は、あえて野球だけに専念するために、英語の勉強の時間を取らないのだと思うが。だから比較しちゃ、いけないかもしれない。
 遼くんはまだ21歳だ。インタビューでは今後、活動の場の軸足をさらに海外に移していくと語っていた。あと10年もしたら、相当のレベルに達するはずだ。

稲妻が瞬く瞬間


 ある人のブログを読んでいたらチャールズ・エリスの著書「敗者のゲーム」について書かれていた。僕は知らなかったが調べると、株式のインデックス投資に関する古典と言われるぐらい有名な本らしい。
 インデックス投資とは、個別の株式に投資するのでなく、日本ならば東証1部の全銘柄を網羅する投資信託に投資するなど、個別株のリスクを平均化する投資スタイルだ。
 著書の中でエリス氏は株式の値動きには「稲妻が瞬く瞬間」があるという。どういうことかと言うと、株価は長い目で見れば上昇傾向にあるが、なだらかに平均的に上昇するのではない。上昇するのはある期間に限られているということだ。当たり前に思えるかもしれないが、この“瞬間”というのが、非常に急激である。この瞬間を逃すと、株価の上昇をキャッチできない。
 例えば1980年から2008年にはS&P500は年利換算で11%上昇しているらしい。すごい。ところがだ、上昇率ベスト30日を除外すると、その利率は年利5.5%に減ってしまう。
 もう少し長いスパンで見てみよう。1971年から2008年までMSCIワールドというインデックスタイプの投信に投資し続けたとする。すると元本はなんと、約4倍にもなるのだ。これまた、すごい。ところがだ、上昇月のベスト5か月を逃してしまうとリターンは約半分に急落する。この上昇率のベスト期間が、「稲妻が瞬く瞬間」だ。日本株式は、きっと今がその瞬間だろう。

 なるほどである。僕は株式投資や投信にかれこれウン十年も挑戦しているが、平均すると負けている。怖くて計算したことがないけれども、きっと。
 平均で4倍も増えている環境で、なぜ負けることができるのか。改めて考えると、恐ろしいほど僕はセンスがない。
 もし20代からコンスタントにインデックスに投資し続けていれば、当に住宅ローンも繰り上げで完済できていたはずだ。そしたら、うんと楽なんだけど。
 そして、ふと思った。これって何もお金の話だけではないなと。例えば合気道でもそうだ。技の上達には、「稲妻が瞬く瞬間」というのがある。上達の上昇グラフはやはりなだらかな曲線や直線ではない。階段上の折れ線グラフになる。ある瞬間、一挙に上達するのだ。英語もそうだ。英語の上達にも「稲妻が瞬く瞬間」がある。
 仕事もそうだろう。同じ仕事を頑張って続けていれば、かならず「稲妻が瞬く瞬間」が訪れる。それを着実に掴んでいけば、仕事ができるようになる。昇進なんかもそうかもしれない。
 つまり続けることこそが大切なのだ。その点、僕はまさに「敗者のゲーム」のお手本のような人生を歩んできた。
 転職は1度だけだが、銀行から新聞社である。まったく前職のキャリアが生かせなかった。さらに産経に入ってからは、10回ぐらい局が変わった。同じ新聞社でも局が変われば仕事が変わる。変わるたびに、一からやりなおしだ。僕の局間の異動回数は、同世代では最多クラスだった。そして結局、退社をして、46歳から翻訳家を目指している。49歳にして、未だ新入社員みたいなものだ。

 まだまだ僕の人生には稲妻が瞬く瞬間は訪れないだろう。だって始めたばかりだもの。
 今後、何歳まで仕事を続けられるかどうか分からない。しかしなるべく長い期間、続けなくてはならない。そうしないと、一回も「稲妻が瞬く瞬間」が訪れないで仕事が、そして人生も終わってしまうかもしれない。そりゃ、困る。

甥っ子の友達


 近くにあるケーキ屋が閉店する。本日が最終日だった。僕は甘いものはあまり食べないので、舌が肥えている方ではない。そんな僕の評価なので一般的ではないのかもしれないが、美味しい店だと思っていた。とくにズコットとシュークリームは秀逸で、何度か買って食べた。今日は最後ということで、両方を買いに行ったのだが、ズコットは売り切れていた。代わりに塩キャラメルのロールケーキとシュークリームを買った。塩キャラメルは初めて買ったが、先ほど食べたらとても美味しかった。閉店、残念である。店長と思しき男性に閉店の訳を聞いたら、「経営が厳しくて」とポツリと答えた。
 この店は島根に本店があり、神奈川県内に2軒の支店を構えている。両店とも閉めるそうだ。

 先週末に甥っ子が友人を連れて泊まっていったのだが、その友人について書く。仮にニュートン君とする。アメリカ人だ。
 ニュートン君はとても頭が良い。会ってすぐに分かった。回転が速く、まだ20歳なのだが、知識も歳の割に豊富だ。
 ニュートン君は甥っ子の大学に交換留学でやってきた。1年間の滞在予定だ。昨年の夏に来日し、今年の夏に戻る予定だ。まだ日本に来て4か月しか経っていないのだが、日本語がうまい。甥っ子の英語よりも、ずっとうまい。
  ニュートン君はカリフォルニア出身だ。現在の本籍はUCバークレーで、高校まではサンディエゴに住んでいた。
 高校時代の成績は最優秀であったらしい。ご存じでない方もいるかもしれないが、バークレーはとても優秀な大学だ。西海岸ではスタンフォード、UCLAと並ぶ最難関の大学である。
 高校、大学を通じて、ほぼ全ての科目でAを取ってきたらしい。向こうの大学や大学院の入学は成績がとても重要な要件になる。ニュートン君はこれまた優秀なカリフォルニア工科大の大学院に進学を希望している。今の成績なら、おそらく問題なく入れるだろうということだ。
 甥っ子も大学院はアメリカに行くつもりでいるから、学年が2つ上のニュートン君は憧れの存在だ。
 そんな優秀なニュートン君は良家の出でもある。両親ともに医師で、お母さんは現在は専業主婦らしいが、お父さんは心臓外科医である。大病院に勤務し、自分でクリニックも経営している。

 そのニュートン君と甥っ子と3人で、近くの山を歩き、最後に報国寺に行った。報国寺は竹寺として有名で、竹の庭が美しい。外人を連れて行くと、とても喜ぶ場所だ。
 ニュートン君だけでなく、甥っ子もとても感動していた。
 報国寺のすぐ近くに、旧華頂宮邸がある。華頂宮は今は断絶してしまったが宮家である。つまり旧華頂宮邸は皇族の別荘なのだ。1000坪以上の土地に壮麗な洋館が建つ。
 その屋敷を見ていたときだ。僕は半ば冗談で、しかしもしかしたらと思いながら、「ニュートン君の実家とどっちが大きい?」と聞いた。というのはアメリカで心臓外科医はもっとも稼ぎの良い職業のひとつだ。さらにサンディエゴに住んでいると聞いたときに、「もしかして、ラホイヤ?」と、これも半ば冗談で聞いた。すると、ラホイヤじゃないけど、すぐ近くだと答えたからだ。ラホイヤはビバリーヒルズ以上ともいえる超高級住宅地である。
 僕の質問にニュートン君は答えた。「だいたい同じぐらいです。でもうちはちょっと低いです」と。旧華頂宮邸は古い洋館なので、三角屋根が大きいのだ。ニュートン君の家はもっとモダンな造りなのだろう。そして続けた。「でも庭はうちの方がもう少し広いです」。
 これを聞いて甥っ子は口をあんぐり開けて、たまげていた。僕も予想はしていたことだが、やっぱりたまげた。
 甥っ子の家は70㎡ぐらいのマンションである。そこに年末から正月にかけて、ニュートン君を招待していた。「なんだか、恥ずかしくなってきた」と甥っ子は、僕だけに聞こえるように言った。

 甥っ子はしかし奮い立たされたようだ。甥っ子の夢はアメリカの大学でPh.D.を取得てし、向こうの大学のプロフェッサーになることだ。向こうの大学の、それも一流大学の教授職の賃金は低くない。心臓外科医に比べたら見劣りするかもしれない。旧華頂宮邸ほどの広大な屋敷には住めないかもしれない。でもかなり大きな家に住むプロフェッサーもいる。
 「お前も向こうに行ったら、こんな家に住めるかもしれないよ。そしたら、俺が遊びに行ったときの部屋も用意しておけよ」、と言うと、甥っ子は「うん、」と、目を輝かせながら答えた。

バードウォッチング


 今日から近くの幼稚園は始まったようだ。いつもの散歩コースを歩くと、園庭から元気な声が聞こえてきた。これでまた散歩がより楽しくなる。

 キノコ狩りの相棒のkozawanさんが信州の葡萄農家になってから、キノコ狩りには一度もでかけていない。この近くにもキノコは結構生えるのだが、キノコ狩りをしなくなってから、散歩中にキノコを探さなくなった。その代わりに視線を上げて、木々や空を見つめるようになった。すると見えてきたのは鳥たちだ。

 今日は最初にトンビを見かけた。家を出るとすぐ前の電信柱に泊まっていた。近くにはカラスがいた。
 しばらく歩き森に入ると、まず最初にリスを見かけた。これは鳥ではないが、木の上にいるということで目につく。次に見つけたのはカシラダカだ。最近よく見かける鳥だ。スズメとよく似ている。もしかしたら都内にも結構いる鳥かもしれないが、スズメと思われがちだろう。スズメとの違いは、名前の通りにカシラ(頭)が高い。帽子を被っているみたいに、頭の上に毛が立っている。
 それからムクドリがいた。これもよく目にする鳥だ。鳩よりも若干小さいサイズで、からだはほっそりとしている。ギャーギャーという鳴き声と、飛び方に特徴がある。
 さらに森をすすむと頭上でカン、カン、カンという音が聞こえた。見上げるとコゲラが枝をドラミングしていた。コゲラは日本最少のキツツキでスズメと同じぐらいの大きさだ。
 それからキジバトもいた。この辺りはキジバトが多い。見かけない日はないほどだ。大抵、森の小道で遭遇するのだが、近づいて行くと進行方向にヨチヨチと歩いて逃げる。結果、僕はどんどん近づいて行き、追いかけることになる。怖がらせるのが嫌なのだが、いつも同じ展開になる。今日は少し道幅が広いところで、追い抜くことができた。
 見かけない鳥もいた。ツグミと似ているが模様がない。あとで調べてシロハラという鳥であることが分かった。藪の中に一羽でいて、僕が近づくと枝をうまく潜り抜けながら飛んで行った。
 散歩コースの最後には、池に出るのだが、そこでまた見かけないカモのような鳥を見た。カルガモよりも小さい。距離がかなりあったので、模様などは確認できなかった。

 と、ここまで読まれた方は僕が鳥に詳しいことに驚かれたのではないだろうか。しかし僕は全然、鳥に詳しくない。すべて付け焼刃の知識だ。最近、視点を上に向けるようになって、鳥に興味がいくようになった。それまで気づかなかったのだが、身の回りに棲む野鳥は少なくない。最初はただ眺めるだけだったが、少しずつ調べて名前を覚えるようになった。最近ようやく10種類程度の名前を憶えたのだ。今日のラインナップで、ほぼ僕の知識はおしまいである。

 たまにカメラを持って行き、被写体に収めることもある。でも大抵はうまくいかない。鳥は小さく、距離は遠い。あとからパソコンで拡大してみても、ぼやけてよく見えない。だから自分の目でしっかり見て、記憶するようにしている。家に帰ってから野鳥図鑑で調べられるようにだ。
 まさか自分がバードウォッチングをするようになるとは思わなかった。決して面白そうには見えなかったし、それに野暮ったいイメージがあった。バードウォッチングが趣味だなんて言ったら、ダサい奴だと思われそうだ。
 さすがにダサいと思われることに抵抗感がない年齢になってきた。人がなんと思おうとも、自分の好きなことをする。そしてそれを語る。それにもしかしたらバードウォッチングをダサいなんて思う人は、あまり多くないのかもしれない。
 僕のバードウォッチングはまったく本格的でない。目的はあくまでも散歩で、鳥を見かけるのはたまたまの結果に過ぎない。道具も持ち歩かない。映すのは自分の目で、記憶媒体は脳みそだ。

 何度も書いているが冬の南関東はとても良い。晴天が続くし、空気は爽やかだ。そして木々が葉を落とすので、鳥やリスがよく眺められる。歩いて汗が出ないのも、汗かきの僕としてはありがたい。よい趣味ができたなと思っている。

今年の目標


 平成25年、最初のブログだ。約2週間ぶりの更新である。
 先週の金曜日が仕事始めの方が多かったと思うが、自分は今日から普段の生活が始まる。かみさんに合わせてのことだ。
 年末、正月ともに例年通りに過ごした。年末は大掃除、正月は酒である(年末も飲んでたけど)。1日は自分の、3日はかみさんの実家へ挨拶に詣でる。4日には甥っ子が友人を連れて遊びに来た。6日まで泊まっていった。その間、ずーっと飲んでいた。さすがに2週間も飲み続けると、もう一杯といった気持ちだ。以前は1年365日、飲み続けて、それが平気というか、望ましい状態だったが、少し酒から離れることができてきたようだ。今日からはまた昨年同様に平日は飲まない。そう思うと、むしろ気が楽だ。そして仕事がしたい。

 今年こそはと思っている。昨年もそんなことを書いたかもしれないが、ちょっと違う。今年はなんだが、待ちに待ったというか、ダムが決壊しそうというか、とにかく事を成したいという気持ちのレベルがかつてない値に達しているように感じる。
 会社を辞めて3月で丸4年になる。つまり今年で5年目だ。そして今月末に50歳を迎える。随分と長い雌伏のときを過ごしてきた。休養は十分に取ってきた。寝過ぎで気持ちが悪くなった朝のような気分である。そろそろ、いっちょやったるかという気持ちに、遅ればせながらなってきた。

 まずは大目標を達成する。いや、これだけが今年の目標である。そのためには、他の全てを犠牲にしなくてはならない。
 それは本を出すことだ。
 昨年も出版翻訳を目指していた。でも正直に書くと、今一つ乗り気でなかった。一昨年通っていた翻訳セミナーの藤岡先生に、「君は翻訳よりも、自分のオリジナルな文章を書く方が向いているよ」と、アドバイスを受け、それがずっと頭にあった。そのことを考え続けていた。俺は翻訳家には向いていないのだろうか。それよりも自分の本を書くべきなのだろうか、と。1年考え続けてしまった。そしてようやく結論に達した。
 結論は両方を目指すということだ。

 今年はまず翻訳で本を出したい。そのためには、昨年から続けている1か月に1本ずつ企画書を作成するというノルマを続ける。それで出版にまで漕ぎ着けることができるのかどうかは分からない。もしかしたら、そんなに甘くはないのかもしれない。しかし企画書を書き続ければ、そしてもし失敗し続けたとしても、何かが見えてくるのではないか。その結果、足りないことに気付き、そこを補足していけば、結果が付いてくるのではないだろうかと考えている。
 そして、もうひとつ。大胆な目標を掲げたい。それは、オリジナルな書籍を書き上げることだ。翻訳でなく、自分の文章で本を一冊、書き上げたい。こちらの方は、今年は出版までは目指していない。とにかく、書くこと。1冊書き上げることが、まずは目標である。
 書き上げた暁には、出版社に持ち込みたいとは思っている。それが出版にいたるかどうかは、正直分からない。自信もない。自分で、本当に本を書けるのかどうかを、まず試してみたい。
 テーマについては、実は決めてある。これから関連書籍を読み漁り、ある程度、形と自信が見えてきたら、発表したい。

 昨年の1月のブログをいくつか読み返してみた。そうしたら昨年の目標は、現金を獲得できる仕事をすることだった。この目標は、なんとか達成することができたようだ。昨年は会社を辞めてから初めて、収支がとんとんまで漕ぎ着けることができた。今年も最低限、昨年レベルの収入は稼がなくてはならない。
 しかし今年は、収入を目的にした活動は、新たに起こさない予定だ。今までお付き合いをいただいたところからの仕事を受けることだけに専念する。そして他の時間は、すべて大目標に当てる。

 今までかなり意識してインプットを行ってきた。30代、40代は自分の時間のほとんどを読書と合気道に費やしてきた(飲酒時間は除く)。それなりにストックはできて来たのではと感じている。そろそろアウトプットがしたい。
 インプットはこれからも続けるつもりだ。同時にアウトプットを行う。50代からは循環型人生を目指す。

プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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