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今年のアメリカンアイドル


 アメリカンアイドルの記事を最近はまったく書いていないが、実は今年もちゃんと見ている。今年は近年で一番の豊作の年だ。
 アダム・ランバートが出たのは第8回大会だ。アダムは強烈だった。あの年から見始めて、今年は12回大会だから5年目になる。この5年の大会を比較すれば、今年はアダムの年と並ぶハイレベルだと言えると思う。
 今年の出場者の中で、一押しはアンバー・ホルコムだ。黒人女性である。今までの大会で、黒人女性では目立った人はいなかった。アンバーは本当にピカイチだ。
 当然だが、歌はうまい。そしてルックスが抜群にいい。これだけ可愛くてスタイルがよくて、そして歌がうまい女性はプロでもあまりいないのではないか。
 もしかしたら僕の思い入れが強すぎるのかもしれない。
 アンバーは実は最初の頃は目立たない子だった。きれいだとは分かっていたが、抜群とは言えない。他にも白人ではきれいな子がいたし、特に目を引いてはいなかった。ところが回を重ねるうちに、自信が目に見えてついてきた。自信がつくと女性は美しくなるようだ。毎回、キラキラと輝きがましてきている。
 素の彼女はやっぱり恥ずかしがり屋なのだろう。その面がちらっと出るのもいい。当初のハニカミを知っているだけに、今の成長ぶりは頼もしく好ましい。だから余計に評価してしまうのかもしれない。

 アンバーはホイットニーやマライヤ、ビヨンセと並べても遜色がないシンガーになるかもしれない。みなさん、アンバー・ホルコムの名前をぜひ憶えておいてください。きっと数年後にはメジャーになっていると思いますよ。

 ところで審査員だが、今年は最低だった。中でもマライア・キャリーとニッキー・ミナージュの仲の悪さは醜悪だった。予選大会では、番組途中で言い争いなんかをしたりしてた。
 しかしこちらも段々と良くなってきた。二人は休戦した模様で、まったくの無視。これはこれで緊張感があって面白い。そしてニッキーの奔放さが目立って面白くなってきた。彼女はシャープでストレートだ。この子がいなかったら、今年の審査員は面白さが半減していただろう。
 ところでマライヤはちょっとひどい。可愛くてナイスバディーで好きだったのだが、話すとおバカとナルシズムが丸出しである。何より話が長いのがくどい。下の動画でもマライヤのコメントだけは、途中でちょん切られている。みな同じことを思っているようだ。



 
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後ろめたさ


 今日は土曜だが、かみさんの学校は父兄参観だとかということで出かけて行った。そこでいつも通りの4時半起きだ。おかげで洗濯も終わらせ、今机に向かっている。
 今日は良い天気だ。こういう良い天気の日はいつも、「今日は今までで一番いい天気だね」と言ってしまう。するとかみさんに、「いつもそう言うね」と笑われる。しかし本当にそう思っているのだから、仕方ない。理屈としては、日々天気が良くなり続けることになり、そんなことはありえないのだが。

 今日から世間はゴールデンウイークである。僕は幸いに仕事が入っているので、今週末は仕事で過ごすつもりだ。GWの後半はかみさんが実家の引っ越しの手伝いに行くそうなので、僕はひとりになる。きっと普段と同じペースで過ごすだろう。早朝に起きて、仕事をしたり本を読んだり。

 こういう過ごし方は気ままで心地よい。しかし後ろめたさも感じる。こうしているうちに、人生の終着駅は刻々と近付いていくわけだ。心地よいばかりの日々を過ごすだけで、良いのだろうか。
 日々の糧を得るための仕事だけをしているわけではない。目標となる仕事の準備も進めている。でもこれって、もう4年も続けていて、未だ結果は出ていない。
 やはり後ろめたい。
 

なんか違和感


 一昨日、昨日と連続で上京した。両日とも昼食は自宅で取り、それから出かけ、用事が済むとすぐに帰宅した。とんぼ返りである。
 二日続いたことと、週の初めであることで、特に誰かに連絡して飲みに出かけることは控えた。今日も4時半起きだから、飲まなかったのは正解だと思う。でもちょっと侘しかった。

 少しずつ世間とギャップが出てきたように思う。昨日は取材の後、レセプションがあったのだが、レセプションの参加者と自分の間に距離があるような感じがして、居心地が悪かった。
 レセプションにはネット広告の関係者が集まった。多分、全員会社員だ。僕だけが、風来坊である。
 最近、僕は髪も髭も伸ばし放題で、見るからに風来坊なのだが、それが理由ではない。中身の差が気になる。
 僕だってそんなに生ぬるい生活をしているわけではない。毎朝、4時半に起床し、朝食を作り、かみさんを送り出し、猫の世話をして、洗濯をし、庭の手入れをして、そして仕事だ。夕食を作り始めるまでは、ずっと机に向かっている。手を抜くこともあるが、総じて見れば、一日仕事をしている。最近は週末も仕事をしていることが多い。
 でも何というか、ギラギラ感というか、生臭さというか、ある種の波動が僕からは抜けきってしまっているように思う。レセプションに集まった人からは、一様に同じ波動が感じられたが、僕にはない。ついこの間までは、僕にも確かにあったはずなのに。
 僕はあの波動にやられ、あの場にいられなくなった。同様に彼らは僕から発せられる異種の波動を感じたはずだ。だから人があまり寄ってこなかった。
 結局、レセプションには10分程度いただけで、並んだ食事にはまったく手を付けず帰ってきた。

 途中、コンビニで缶の水割りを2本買って、横須賀線に揺られながら飲んだ。横須賀線の乗客からも、あの波動が感じられた。ここでも僕は異邦人であった。
 ただ近くに缶チューハイかなんかを飲んでいるオジサンが数人いた。この人たちもあの波動を出していたが、僕と同様に他の乗客に気を遣いながら酒を飲んでいた。そこにある種の一体感を得ることができた。これは、ちょっと嬉しかった。
 

日本とアメリカ、どちらが安全?


 CNNと日本のニュース番組を見比べていると、両国民の関心の対象の違いが分かる。
 CNNで最も時間を割いて扱っているのが、銃規制の問題だ。CNNは規制賛成の立場なようだが、反対意見の政治家や活動家も登場させ、よく討論会が行われ放映されている。
 具体的な事件の報道も途切れることはない。コロラド州の映画館の乱射事件では、12人が死亡、58人が重軽傷を負った。さらに痛ましいのはコネチカット州で起きた小学校銃乱射事件だ。小学生20名を含む26人が殺されている。このような事件が相次いでいるため、銃関連のニュースが流されない日はない。
 銃以外でいえば、テロだろう。ボストンマラソンの爆弾テロは、テレビカメラが入っていたので、衝撃の瞬間が撮影されていた。ここ数日は特番が組まれ、長い時間放映されている。
 一方、日本はと見ると。やはり地震関連の報道が目につく。淡路島で大きな地震があったかと思えば、今度は三宅島だ。東日本大震災や福島原発に関する報道も未だ多い。

 こうした報道を見ていて思うのだが、日本とアメリカはどちらがいったい安全な国といえるのだろうか。
 大震災の直後には、地震や放射能が怖くて国外に脱出したいといった意見がよく聞かれた。仮にアメリカへ移住したとして。それでより安全が確保されることになるのだろうか。
 大震災では2万人近くの方が命を落とした。痛ましい数字だ。やはり地震は恐ろしい。しかしアメリカにおける殺人の数も負けていない。年間で1万人以上が殺されている。こちらは毎年の数字だから、死者の数でいえば、地震以上の恐ろしさだ。
 ちなみに日本は年間500人程度だ。この数字もひとり一人の殺された人のことを思えば、決して少ないとは言えない。しかし数字だけを見れば、アメリカよりも断然ましである。
 するとアメリカの方がやはり危険と言えるのだろうか。ところが結論を出すのはまだ早い。

 もうひとつ数字をあげる。それは自殺者の数だ。アメリカにおける自殺者数は年間で3,000人程度。一方、日本は約3万人だ。アメリカの殺人による死者の数を大きく上回っている。アメリカの人口は日本の約3倍であることを考えれば、いかに多いかが伺える。
 さて日本とアメリカ、どちらがいったい安全な国なのだろう。
 

楽天カード事件


 楽天カードの使用を止めた。
 ある人が書いた貧乏暮しの本を読んでいたら、楽天カードがお得だということに気が付いた。僕は生意気にもVISAのゴールドを持っている。会社員時代に作って、そのまま毎年1万円の会費を払い続けて保持している。何度か止めようかと思ったが、止めたら最後、二度とゴールドは作れないと思い、無理して会費を払っている。それで今までは、ゴールドを使用していた。
 ところが貧乏暮らしの本を読んで考えを変えた。見栄を張らずに楽天カードを使おう。ポイントが10倍も違うのだから。ゴールドの方は1000円で1ポイントだが、楽天は100円で1ポイントだ。この差は大きい。仮に年間100万円を使ったら、1万円分もポイントがたまるのだ。
 公共料金も、替えられるものはすべて楽天カードからの支払いに替えた。これでどんどんポイントがたまるぞ。
 ところが楽天は経費節減のためか明細書を送ってこない。明細書が必要な場合は要求することができるが、発行は有料だ。もったいないので、勿論そんなことはしなかった。しかしどのぐらい使っているのか、やはり知りたい。ネットからは明細を確認できるので、見てみることにした。そして驚いた。何だかへんてこな費用が引き落とされている。
 みたらリボ払いの利息であった。僕はいつも一括で払っていて、リボなど利用したことがないのに。おかしい。
 そこで自分のカードの設定を確認してみた。そしたらなぜかリボ払いのチェックボタンがセットされている。
 ネットで調べてみた。そして分かったのだが、楽天カードは申し込むときにリボ払いがデフォルトになっているそうだ。それで知らずにリボ払いをしている人が多く、問題になっているそうだ。
 僕は毎回、一括で払っている。支払いの時に、「一括でよろしいでしょうか?」と聞かれれば、必ず「はい」と答えている。それが1回のリボ払いになっていたのだ。1回のリボってなんだろうか。
 このリボの利息が高い。ちょっと数字を見るのが面倒なので、確認しないが、記憶だと10%ぐらいの利息だ。1%のポイントを獲得するのに、10%の利息を払っていたとは。

 他にも不審なことがあった。楽天カードを作ったのは、5,000円のキックバックキャンペーンがあったときだ。しかし5,000円のキックバックは結局されなかった。
 これも後で調べて分かったことだが、カードを作った2か月以内にカードを使用して買い物をする必要があったのだ。そんなこと、作った際には知らされていない。
 リボの設定も、5,000円のキックバックもおそらく、どこかに小さな注意書きあったのだろう。しかしそんなのは普通、確認しない。

 その後、リボ払いの設定を解除した。公共料金の支払いも、銀行引き落としに戻した。普段の買い物もゴールドを使っている。

 しかし腑に落ちない。これっていわゆる貧困ビジネスって奴ではないだろうか。貧乏人の不注意を手玉に取って、金を巻き上げる。確かに法には触れないだろう。だが信用こそが肝要なビジネスとしては、やってはいけない禁じ手ではないだろうか。

 三木谷社長は新経済連盟を立ち上げ、積極的に業界のリーダーとして活躍をしている。日本経済再生本部産業競争力会議のメンバーでもある。
 しかしこの人を信用して、本当に大丈夫なのだろうか。
 

やさしくなりたい


 斉藤和義の曲を仕事の合間にたまに聴く。知ったばかりのアーティストだが、時間があると聴きたくなる。
 最近の日本の曲はメロディー軽視が甚だしい。リズムとアレンジでごまかしている。詩も魅力がない。「頑張ろう」とか、「絆が大切だ」とか。わざわざ歌にするような意味はない。それに引き替え斉藤和義の曲は、メロディーと詩に意味があって良い。

 「やさしくなりたい」は紅白で初めて聞いた。最初に聞いたときは、彼のインパクトに引き込まれ、詩の意味までは気が向かなかった。あらためてユーチューブで聞き直して、詩の力に気が付いた。
 
 若い頃は“やさしくなりたい”なんて思ったことがなかった。
 竹内まりやの曲に、「明日の私」というのがある。詩の中に「他人の痛みがわかるような、そんな大人になりたい」という言葉がある。これを聞いたときも、「へえ~、そんなことを考えている人がいるんだな」、程度にしか考えていなかった。
 若い頃の僕はもっと即物的だった。優しくなりたいとか、他人の痛みが分かるような大人になりたいだとか、抽象的な願望は持っていなかった。金持ちになりたいとか、女にもてたいとか、いい会社に入りたいとか、都心に住みたいとか、今年の夏休みはボインとハワイに行きたいとか、そんな具体的な希望しかもっていなかった。

 あれからうん十年がたった。具体的な希望は悉く現実味が薄れて行った。そして負け惜しみではないと思うが、具体的な目的に対する希求自体がなくなってきたように思う。
 今の僕は、優しくなりたいと思う。他人の痛みがわかるような、そんな男になりたいと思う。

 なぜだろうか。これは僕が大人になったという証拠だろうか。あるいは現実に諦念を抱いているだけだろうか。
 僕はあることに気が付いた。僕が本当に興味のあることは何かということに。
 僕の興味の対象は僕自身なのだ。自分にしか興味がない。コントロールできるのは、自分しかないのだから。
 人と競争して、勝つことに興味はない。ある人に勝ったとしても、相手がより強力になれば、結果は変わる。そんな不確かなことに力を注いでいる時間はない。僕は相手より強くなることよりも、自分がより強くなることに興味がある。相手がだれであろうと、どうなろうと、知ったことじゃない。
 見つめる先は自分だけなのだ。
 そういえば、イチローも同じことを言っていた。首位打者には興味がない。それは相手があることだからだ。一方、年間200安打という数字には意味がある。それは自分が定めた目標の達成だからだそうだ。20代でそのことに気が付いたイチローは、やはり天才だ。

 昨日、毎日新聞がポストに入っていた。僕は今、新聞は取っていないが、試読紙として入れられていたのだと思う。そこに31歳の女性記者の記事があった。彼女によると、今サーティーズ(30代と言えよ!)は、特別な状況に放り込まれているそうだ。前代未聞の深刻な立場にあるそうだ。
 就職難、結婚難、育児難、社会の閉塞感、将来への不安、政府への不信感。みんな政府や上の世代が悪いから、引き起こされた状況だそうだ。今、自分達が苦境に立たされているのは、自分以外の誰かが作った問題に原因があるのだそうだ。無垢な自分達サーティーズは被害者なのだそうだ。そうかもしれない。でも同じ思考は持ちえない。
 僕はこんな議論には興味がないのだ。そんなことは政治家や評論家が考えればいいことだ。僕は自分にしか興味がないから、自分の立場を変えたいと思ったら、社会を変えようとは思わない。それはとても難しいことだからだ。それよりも、自分を変える方がずっと容易だ。
 

外に出たいフクちゃん


 フクちゃんがここのところ喧しい。昨夜も2回ほど寝室のドアの前で「ニャー、ニャー」鳴いて、僕に叱られた。一回目は眠いので放っといたら諦めて鳴きやんだ。二回目は仕方なく起きてドアを開け、「こらっ」とやったら、すたこらさっさと逃げて行った。それからは静かになった。
 今朝も「ニャー、ニャー」鳴いた。今も書斎にやってきて、「ニャー、ニャー」鳴いていった。

 フクちゃんは外に出たいのだ。実は先週の週末にフクちゃんと大ちゃんが脱走した。天気がよくて、窓を僕が開けておいたのだが、網戸を閉め忘れていた。
 妻が僕の顔を見て、手招きをした。妻の指さす庭を見ると、フクちゃんが何気ない顔をして歩いていた。慌てて出ると、フクちゃんはひょこっと部屋に戻った。
 さて大ちゃんはどうしたかと探しても見当たらない。ツッカケをひっかけて、近所を探し回ったがいない。家に戻ると、妻が「大ちゃんがいたよ」と言う。妻に促されて縁の下を覗くと大ちゃんがうずくまっている。妻が引きずり出すと、暴れ出した。危ないので僕が受け取り、部屋へ連れて行こうとしたら、思い切り左手に噛みついた。しばらく耐えたが、あまりの痛さに手を放した。大ちゃんは逃げ回り、再び縁の下に。
 妻と僕は仕方なく、いったん部屋に上がる。そのうちきっと戻ってくるだろうと、窓を開けて待つが、戻ってくる兆しはない。改めて大ちゃんと見に行くと、ぶるぶる震えてうずくまっている。相変わらず興奮している様子だが、背中を撫ぜても大人しくしている。でもまた捕まえたら、大暴れをしそうな気配もある。そこで家から毛布を持ち出す。大ちゃんが大好きで、いつも寝ている毛布だ。
 そうっと首の皮をつかむ。抵抗はしてこない。しかし油断はできない。目は恐怖でらんらんとしている。静かに持ち上げ、瞬時に毛布でくるむ。毛布にくるまれると、安心したのか静かにしている。毛布ごと抱き上げ、家に戻る。
 家に戻った後も、大ちゃんとフクちゃんはしばらく、興奮が冷めやらない様子だった。
 僕の噛まれた左手には牙で貫通した穴がふたつ空いた。かなりの失血があった。

 それからだ。フクちゃんがニャー、ニャーいうようになったのは。フクちゃんとしては面白くないのだ。外に出てもちゃんと一人で戻ってきた。「僕は自分で外に出られるし、戻ってもこられるよ」、という具合だ。それなのに、なんで自由にさせてくれないのかと文句を言っているのだ。
 極度に臆病な大ちゃんは外に出すことはできない。恐怖で固まってしまい、どこかにはまり込んで出られなくなることは必至だ。こちらが見つけなければ、死ぬまで動けないだろう。
 しかしフクちゃんは元ノラだけあって、余裕がある。きっと外に出しても、普通に戻ってこられるだろう。
 フクちゃんだけでも外猫にしてあげようかとも考えた。でも止めることにした。

 内田百閒の「ノラや」を読んだことがあるだろうか。百閒先生はノラと言う名の猫をねこっ可愛がりしていた。刺身なんかを魚屋に毎日持ってこさせて、食べさせている。僕の夕食よりも豪華である。そんなノラが、あるとき姿を消した。当時のことだから、当然ノラは外猫だ。散歩で外に出てから戻らなくなったのだ。
 それから百閒先生は考え得るあらゆる手段を尽くして,ノラを探した。警察や近所の人に聞いて回ることはもちろん、新聞折り込みに広告を出す。もしかしたら日本語が読めない外人の家に匿われているのではと思い、英字新聞にまで広告を出す。しかしノラはついに見つからなかった。

 やっぱり怖い。フクちゃんがノラのように戻って来なかったら。百閒先生はそれから寝込んでしまうのだが、僕も同様だろう。きっと何もできなくなる。想像しただけで、恐ろしい。
 フクちゃんのニャー、ニャーは煩いし、可愛そうだが、やはり外には出せない。

日本の航空会社がボーイングしか使わない理由


 今日のニューヨークタイムズに出ていた記事を読んで、目から鱗が落ちた。以前からなぜ日本の航空会社はボーイングしか購入しないのか、不思議に思っていた。その回答がこの記事には書いてあった。ちょっとネットで調べたら、このことは日本ではあまり知られていない。日本語の記事等では、同様の解説を見つけることができなかった。

 日本は戦前まで飛行機製造の最先端を走っていた。ご存じのゼロ戦は、世界最高峰の性能を誇っていた。しかし敗戦により、日本は飛行機の製造を禁じられた。日本がアメリカから許されたのは、アメリカの飛行機メーカーの部品製造、つまり下請のみであった。
 しかしアメリカの占領は終わり、日本も飛行機の製造を許される時代がやってきた。1950年代の後半から三菱重工を中心とするプロジェクトが発足し、国産飛行機の製造計画がスタートした。そして出来上がったのがYS-11である。日本期待の星であった。
 ところがYS-11は売れなかった。米国の邪魔があったというような意見も国内にはあるようだが、ニューヨークタイムズによると単純に性能が悪かったからのようだ。飛行中に雨漏りがする。エアコンが故障する。乗客からエンジン音がうるさいと苦情が来る。このような飛行機では顧客が付かない。結局、10年間で製造を中止。作った数は182機だった。
 ゼロ戦を作っていたのは三菱航空機であるが、同じ三菱が作ってなぜこのような不出来な作品になったのか。ひとつにはやはり10年超のブランクは大きかった。僅かな期間であったが、日本は大きく後れを取っていたのだ。もうひとつは日本には旅客機を作った経験がなかった。初めて作った旅客機がYS-11である。最初からうまくいかないのも旨なるかな、なのである。

 その後、日本は部品の下請けに甘んじた。しかしいつの日には、との野心を胸に。
 それから日本は下請けを続けたのだが、ただの下請けになり下がったわけではなかった。アメリカのメーカーが頼りにする有能な下請けになったのだ。
 アメリカの飛行機メーカーといえばボーイングだが、ボーイングの以前の主力機である767のパーツの15%は日本製である。後継機の777では21%。そして最新鋭の787では35%の部品が日本の企業によって製造されている。それもカーボン製の主翼など、最重要部分のパーツを主に引き受けている。
 このように重要な部分を任されるには、ボーイングとの絆の太さが大切になる。そこで日本のメーカーは数多くの技術者をボーイングに送り込み、現地でボーイングの社員と共に設計から製造までを引き受けているのだ。調査、プランニング、設計、製造に携わる人材の40%は日本人でだそうだ。
 このように深くまで技術者が送り込まれれば、技術の移転も覚悟しなくてはならない。ボーイングは技術移転と引き換えに、日本の市場を独占することを要求した。そして日本は飲んだ。

 しかし飛行機の製造市場に復活を遂げることは日本の夢ではあるが、それを三菱などの私企業に背負わせるには負担が大きい。三菱にとっては大きなリスクだ。
 このような負担をなぜ三菱等は選んだのだろうか。日本政府は曖昧にしているが、ニューヨーク州立大学の試算では、この10年で政府はおよそ16億ドルを部品メーカーに補助している。日本の部品メーカーはこの補助を担保に、下請け作業を続けてきたのだ。

 さて航空会社だが、日本はほぼボーイング社からだけ飛行機を購入している。これは大変、不自然なことである。日本は世界でも稀有な市場であるそうだ。
 普通の国はボーイングのライバルであるエアバスからも購入する。この2社を競わせて価格交渉をするのが常識である。
 ボーイング社からしか買わない日本の航空会社は、価格交渉で不利だ。それでもボーイングからしか買わないのは、日本政府の意向があったからだ。
 僕も日本政府の意向についての報道は、目にしたことがあるので知っていた。しかし理由は曖昧だった。政府はアメリカのご機嫌を取るために、無理に高い買い物をさせているのだろうと勝手に考えていた。しかし日本政府もそれほど愚かではなかったようだ。技術移転と引き換えに、高い買い物を続けてきたわけである。
 そして夢がようやく実現するときが到来する。今年末、悲願の純国産旅客機MRJが三菱航空機から発売される。
 現在までに165機の予約を受けていて、今後20年間に5000機を売ることが目標だ(これはNYTの誤りだと思う。試みに三菱のサイトを見たら、今後20年間で70〜90席クラスリージョナルジェット機の市場は5,000機だと書いてあった)。機体価格は4,200万ドルだ。
 ちなみに787で問題になったリチウム電池は日本製だが、MRJには旧来のカドミウムニッケル電池を使用するそうである。


元記事
http://www.nytimes.com/2013/04/10/business/global/japan-re-emerges-in-the-aerospace-arena-with-a-new-jet.html?pagewanted=2&_r=0&nl=todaysheadlines&emc=edit_th_20130410

お説教と万能感


 以前、甥っ子に対してお説教をした話を書いた。なぜ人は歳を取ると若者に対してお説教をしたくなるのだろうか。それは万能感にあると思う。

 甥っ子と話していると、常に自分に対し万能感を抱く。甥っ子の生活は暗黒の中を、悩みと希望を手さぐりに歩んでいるようなものだ。甥っ子は何も知らず、何も経験していない。そりゃ、少しは知っているし、少しは体験もあるだろう。でもそれは小学校、中学校、高校で得てきた知識や経験であり、現実の大人の世界のものとしては当然脆弱である。
 ところがこちらは大人になってからうん十年のキャリアがある。甥っ子が迷い戸惑う問題は全て経験済みであり、甥っ子の問いには悉く答えることができる。
 だから甥っ子と話していると楽しい。そしてついアドバイスと言う名のお説教をしたくなるのだ。

 もし僕が甥っ子の年齢であって、甥っ子の立場にあれば、甥っ子が望む人生をスイスイと泳ぐことができるだろう。
 甥っ子はハーバードとかMITに進み、そこでPh.Dを取りたいそうだ。そして米国の大学に残り、将来はそこの教授になりたいそうだ。
 そんなことは簡単なことだ。今の大学で良い成績を取ること。TOEFLで600点以上を取ること。SATで基準点をなるべく早く取ること。推薦状を書いてもらえるような教授を見つけておくこと。これさえきちんとできれば、どんな一流の大学だって入学できる。奨学金もかたいだろう。
 大学院に入った先も、同じだ。良い成績を取ること。良いテーマを早く見つけ、良い論文を複数発表すること。教授と仲良くすること。これさえできれば、Ph.Dは取れるだろう。
 良い論文をいくつか発表しておけば、どこかの大学が拾ってくれるだろう。その後も良い論文を発表し続けて、学界にもまめに顔を出しておけば、よりレベルの高い大学から声がかかるだろう。この姿勢を続ければ一流大学からいつかは声がかかり、教授になることはできるだろう。
 実にシンプルだ。僕の目からは何の曇りもなく、明るい将来が見渡せる。

 沢木興道という有名な禅僧がいたが、彼の本にこんな話が書いてあった。ある親父が息子にお説教をしている。しかし息子はちっとも親父の言うことを信じない。弱り果てた親父が興道に相談に来たというものだ。そこで興道は親子の家に様子を見に行ってみた。そこでその理由がよく分かった。
 親父は酒を飲みながら、「息子よ。酒なんか飲むもんじゃないぞ。飲んでも碌なことはない」、なんてやっている。自分は寝坊をしているくせに、「息子よ、早起きは三文の徳だぞ」、てな具合だ。

 ある程度年齢を重ねると、確かに色々なことが見えてくる。若い時代に犯した過ちに、後から気付いたりする。だから若い奴を見ると、つい余計なひとことを言いたくなる。しかし言われた方もバカではない。言った相手をしっかりと見ている。酒を飲みながら、「酒は気違い水だぞ」、なんて言っている奴の言葉は信じない。
 その通りなのだ。若者の方が正しい。酒を飲みながら、偉そうにお説教を垂れる男の話なぞ、あまり信ずるべきでないのだ。

 当然、僕が甥っ子の年齢に戻っても、教授になんかなれないだろう。大学の授業をサボって、若さに胡坐をかいて遊びほうけること間違いないからだ。言うは易し、行うは難しだ。
 知識と言うものは持っているだけでは、ただの持ち腐れである。王陽明が言うように知行合一こそが知恵なのである。

 さて自分のことだが。甥っ子の年齢にも戻ったら、なぞという空想をしている暇があれば、他にやるべきことがあるはずだ。
 そんなことは、僕ぐらいの知識と経験があれば当然分かっているのだ。どうすれば良いのかも、手に取るように明らかである。しかしそれを行うかどうかは、また別の話なのである。

散歩とラーメンとお婆さん


 久しぶりの晴天だ。洗濯日和だ。一度では片付かず、2度洗濯機を回す。
 今日から妻が出勤を始めた。3日ばかりの短い春休みだった。僕は昨日から仕事を初めていたが、昨日は妻が家事をしてくれたので、一日机に向かうことができた。今日も洗濯を済ませてから、机に向かった。
 しかし良い天気だ。一日このまま机に向かっているのは惜しい気がする。それと箱根では食べ過ぎて、お腹の周りの肉が復活した。そこで午前中だが、思い切って、散歩に出ることにした。今日はちょっと距離を歩こう。
 10時半に家を出て、向かったのは鎌倉だ。大町を抜け、御成商店街へ。お腹をへこますための散歩だったが、帰ってから昼を作るのも面倒なので、ランチを取ることにする。入った店は静雨庵だ。ここは以前、産経のTさんに教えてもらったところで、一度来たいと思っていた店である。
 事前に食べログで調べたことがある。ラーメンランキングの2位に入っている人気店であった。
 食べログお勧めのもやしラーメンを食す。
 僕はラーメン通ではないので、それほど他の店で食べたことがあるわけではない。他と比較はできない。味はどうかというと、うまく表現ができない。
 言えることといえば、しっかりした味であったということ。600円という値段は安いように思えたこと(ラーメンは520円だった)。脂がしっかりと麺に絡みつく、濃厚な味であったということ。総じて美味しいと思った。

 静雨庵を出て小町通りを歩く。途中、人だかりができていたので覗くと、テレビの撮影だった。マライア・キャリーの物まねをするコメディアンの女性がいた。他にも芸能人がいたようだが、知らない顔だった。マライアもどきは小さくて、太くて、かわいらしかった。
 小町を抜けてからはいつものコースを歩いた。鶴岡八幡宮の境内を抜け、清泉小学校の前を過ぎた。普段はそのまま進むのだが、今日は思うところがあり、ちょっと脇道に入り、荏柄天神に向かった。
 荏柄天神に行ったのはもちろん、お参りをするためだ。英語がもっとできるようになりますように、今年中に本が出せますようにと。学問の神様である道真公にお願いをした。
 お参りを済ませてからは、またいつものコースに戻り、報国寺の境内を通り、家に向かった。報国寺をちょっと過ぎた辺りで、歩行補助器につかまって立っているお婆さんがいた。目があったので、「こんにちは」と声をかけた。誰かと話したかったのか、それからお婆さんとのおしゃべりが始まった。
 お婆さんが話してくれたのは、3年前に亡くなったお爺さんのこと。ちょっと前に転んで腰を痛め、4か月も入院してしまったこと。それから歩行補助器を使っていること。
 お爺さんは大塔宮に祀られている護良親王と一緒に京都からやってきた武士の末裔で、鎌倉時代から鎌倉に住む名家の出であったということ。そのお爺さんは鎌倉市役所に定年まで勤め上げたこと。今は一人暮らしだが、毎日娘さんが夕ご飯を作りに来てくれること。その娘さんも孫がいること。つまりこのお婆さんにはひ孫がいるということ。
 その他にもたくさん話をしてくれた。とても楽しい時間を過ごすことができた。実はまだまだ話は続きそうだったが、30分は話し込んでいたと思う。お婆さんには申し訳なかったが、「また今度ここを通ったときに続きを聞かせてください」と、話を切り上げてもらった。
 それからお婆さんの孫が通っていたという鎌倉幼稚園の横を通り、家に戻ってきた。2時間半の散歩であった。

箱根の二日間


 月曜、火曜は箱根に行ってきた。以前、勤めていた新聞社の属する企業グループが保有する宿泊施設に泊まってきたのだ。ちょっと心配だった、知り合いがいたら気まずいかも、というのは杞憂に終わった。ほぼ全室、埋まっていたようだが、知り合いは一人もいなかった。

 しかしこの宿泊施設の食事の種類と量はすごい。ぼくら夫婦は食べる方だと自負していたが、僕は夕食を完食できなかった。妻はしっかり食べきっていたが。
 正直、僕はもうちょっと少ない方がよい。こんな風に外食で思ったことは初めてだ。どちらかというと質より量でやってきたが、いよいよ量には胃袋がついていけない年代になったのかもしれない。
 ちなみに帰ってきてから妻が作った夕食を食べて、ほっとしてしまった。何だか歳を感じた。
 それでも施設の食事は美味しく、ふたりとも満足であったことは間違いない。また来たいと話し合ったものである。

 火曜は箱根神社を詣でるつもりでいたが、生憎の雨で断念した。代わりに御殿場まで足を延ばし、アウトレットに行ってきた。
 アウトレットなんて何年ぶりだろう。10年ぐらいは行っていないと思う。
 御殿場のアウトレットは広い。店の種類も多い。以前はよく使ったブランド店が軒を並べている。ディオール、カルバン・クライン、ポロ、ブルックス、Coach、ホイヤー、Bally、バーバリーなどなど。今、書いたブランドではスーツやらジャケット、靴、財布、時計など、よく買い物をした。
 しかし今回、ちょっと冷かしで値札を見て、驚いた。以前はよくこんな高いものを買っていたものである。今回は、まったく食指さえ動かされなかった。
 代わって今回購入したのは、ギャップでカーディガン。NIKEのTシャツとジョギング用シャツ。これだけだ。妻はL.L.Beanでコートやらジャケットを購入した。体育の授業に使うとかでNIKEのジャージの類も購入した。

 安いものばかり買ったのだが、それでも買い物は楽しい。ここもまた来年も来たいと、二人で話し合った。しかしこの手の話は色々なところに行くたびにしているが、あまり実現しない。

プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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