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屋久島旅行(2)


 一日目に泊まったのは屋久島シーサイドホテルである。宮之浦港から歩いて5分の場所にある。しかしホテルからは迎えが来ていた。高速艇を降りてタラップを歩くと、「山本様2名」と書かれた板紙を持った男性が立っていた。その男性がホテルの運転手で、明るい話し好きの男だった。ほんの短いドライブだったが、その間ずっと話をしていた。

 屋久島へ行くのに一番安い手立てはオリオンツアーという旅行会社を通じてのパッケージである。飛行機とホテルをバラで取るよりも相当安い。そのオリオンツアーでシーサイドホテルは予約してあった。パッケージなので、ホテル単体の料金は知らない。しかしそう高いものではないはずだ。ゆえにホテルには期待していなかった。名ばかりのホテルだろうと思っていた。
 僕らが通された部屋は地下1階であった。安いツアーに申し込んだ報いだろうと、暗い気持ちで案内の女性について部屋へ向かった。この女性も明るい人で、笑顔がかわいかったが。
 古く狭い階段を下り、地下室に行くと、そこには二部屋があるのみだった。部屋の扉は向かい合い、そのスペースは1メートルぐらいしかない。南国のホテルの階段は冷房が効いていない。窓を空けてはいるが、やはりムッとする。これからの滞在に、鬱々たる気持ちにさせられた。
 部屋のドアを開けた。冷房が効いている。それはそうだろう。まさか室内も冷房なしでは、さすがに苦情がくるだろう。いくら安いツアーの客だからといって。
 ホテルの部屋は、室内でまた区切りの扉があった。案内の女性がその扉を開けた。女性に続いて、中の部屋に入った僕らは、思わず小さな歓声をあげた。広い、そして明るい。
 ツインのその部屋は、20畳はあるのではないかという広さだった。そして窓がある。地下1階にもかかわらず、窓がある。窓の外には温室のようなガラス張りのスペースがある。そしてその先には、広い芝生が拡がっていた。
 ホテルは山の斜面に沿うように建ててあった。1階にはロビーやレストランが入っている。そこからはもちろん地上に出ることができる。しかし地下1階も斜面に沿って設えてあり、そこからもやはり地上に出られるのだ。
 僕らの部屋は、プライベートガーデンといえるような芝の庭へつながっていた。さらにその先には青い海が広がっている。

 ホテルに着いたのは、午後2時を少し過ぎた時刻だ。まだ夕食までは時間がある。そこで最寄りの海水浴場に行くことにした。ホテルまでタクシーを呼ぶ。
 このタクシーの運ちゃんもまた、話し好きな男だった。一湊(いっそう)という名の海水浴場までは20分程度かかったが、その間、ずっと話し通しだった。
 そして着いた先の一湊の海は、まさにトロピカルなビーチだった。沖縄と変わらないエメラルドグリーンの水面が波静かに横たわっている。
 日差しは強い。ものすごく強い。ビーチはきれいな砂浜だが、だれもそこにシートを敷いて横たわっている人はいない。そんなことをしたら、あっという間に火傷をしてしまうだろう。みな少し内陸にある屋根つきのコンクリート建造物に荷物を置いている。海に入って遊んでは、またそこで肌を冷ましている。
 僕らもそこに荷物を置き、さっそく海へ駆け込んだ。頭からザブンと海に飛び込んだ瞬間、自然と笑みがこぼれる。まったく違う。
 逗子の海も、最近はきれいだ。夏の海は透明で、足元には魚が見える。しかし屋久島の海は、違う。明らかに異なる。何が違うのかというと、不快感がゼロなのだ。
 海には多少、人工的な化学物質が存在し、有害なバクテリアも住んでいるだろう。ところが屋久島の海には、そうしたものが感じられない。海に身を沈めた体のセンサーが、それを微妙に感受するのだ。
 屋久島に降りたときから、感じていた。この島には毒素がない。肺に流れ込む空気は柔らかい。
 都内から帰って逗子駅に降りるときも、いつも感じる。逗子の空気の柔らかさを。そんな逗子暮らしの僕らでも、唖然とするほど屋久島には毒素が感じられない。桁外れに穢れていない土地である。それが海の中でも感じられたのだ。
 空気がきれいなことは頭で理解ができた。しかし海までもが、こんなに違うものとは。海に入った瞬間、思考が麻痺するような不思議な感覚に陥った。頭で咀嚼するには、多少の時間がかかったのだ。

 屋久島は空気も海も、べらぼうに清冽である。

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屋久島旅行(1)


 夏休みの旅行にでかけてきた。
 我が家の場合、旅行のときの問題は、猫の世話だ。毎年、母と妹に頼む。今年も二人そろって我が家に来てくれた。これから5日間、猫のご飯とトイレの世話をしてくれる。
 そのお礼と言ってはなんだが、いつも交通費プラスアルファを渡すようにしている。そしてこの近くで見つけた美味い店の予約を入れておく。
 今年は鎌倉の天麩羅屋「大石」と、葉山のフレンチ「レストラン ラ・マーレ・ド・茶屋」を選んだ。どちらも最近、自分で行った店である。
 大石の天麩羅は、都内の一流店を見回しても、あれだけのクオリティーの天麩羅を出す店は見当たらないというものだ。値段は半分程度にもかかわらず。一方、夏のレストラン ラ・マーレ・ド・茶屋はテラスから海を眺めることができて、リゾート気分を味わえる。

 さて猫の世話の用意を万端整えて、向かった先は屋久島である。
 朝5時40分、予約したタクシーに乗り、京急新逗子駅に向かう。乗り込んだのは、羽田空港直通特急電車である。逗子は羽田に行くのに便利な土地だ。
 7時半の飛行機に乗って着いた先は鹿児島空港だ。気温こそ、最近の猛暑で関東と変わらなかったが、鹿児島空港の周りは、風景が違った。山々の緑が濃い。街路樹はフェニックスだ。道路わきの森にはバナナや棕櫚などの南方系の樹木が散見される。やはり鹿児島は南国である。
 そんな異国情緒を楽しみながらバスに揺られて、鹿児島市内に入る。港から高速艇で屋久島へ向かうのだ。
 バスの窓から見た鹿児島市内は異様であった。空港近くの明るい景色とは異なり、薄ら暗い。街は煤けている。そう、桜島が噴火し、灰が街を覆っていたのだ。
 僕らが鹿児島市内を通過したのは8月19日。桜島が噴火した日だ。実はそのときは噴火のことを知らなかった。後から宿で見たテレビのニュースで知ったのだ。
 噴火のニュースを知らずに見た鹿児島の風景は、衝撃的といってよい眺めだった。駐車する車には例外なく灰が積もっている。ディーラーに並ぶ新車ですら、灰にまみれているのだ。歩行者は晴れているにもかかわらず、みな傘をさしている。鹿児島市民は、毎日このような暮らしをしているのだろうか。これでは洗濯物も干せない。窓も開けることはできない。灰に埋もれたような日常ではないか。
 あの日は特別であったと後から知ったのだが、鹿児島市民の苦労を偲ばれずにはいられない眺めだった。
 しかし一方、鹿児島市民を羨みもした。鹿児島港近くで昼食を取ったのだが、その美味いこと。入ったのは港に隣接する商業ビルの普通の焼き肉屋である。さして期待はしなかった。せっかく鹿児島に来たのだからと、あえて夫婦ともに豚肉を注文する。かみさんは豚カルビ、僕は豚トロというものだ。値段は900円と800円。牛よりも安い。
 互いに交換して両方を食べたが、めっぽう美味い。地元の黒豚らしいが、こんなに味が違うのかと、二人で顔を見合わせたほどである。

 その後、腹を膨らませた二人は高速艇に乗り込む。二人とも、高速艇は初めてだ。
 不思議な感覚だった。屋久島は大隅半島から約60キロ離れており、高速艇は外洋を進む。しかし揺れないのだ。正確に語るのならば、揺れることは揺れる。しかしその揺れは、船のものではない。飛行機で上空を飛んでいるときのような振動が続くだけだ。どんぶらこ、どんぶらこ、といった大きな揺れはない。船に乗った時点で、体は自然と船の揺れを予期する。しかし揺れの質が違う。予期と実際の違いに、体は戸惑う。
 そんな不思議な感覚を味わいながら、高速艇は時速80キロで進む。約2時間で僕らは屋久島に到着した。

 高速艇から降りた僕らが目にした屋久島には、鹿児島とはまったく別の世界が拡がっていた。

暑いので読書


 毎日、暑い。夏は好きだし、暑いのは得意だと思っているのだが、それでも今年の酷暑はすさまじい。例年、エアコンを付ける日はほとんどないが、ここ数日はつけっぱなしだ(昨日、今日はつけていないが)。
 僕の書斎にはエアコンがない。エアコンのない部屋で根を詰めた仕事は難しい。そこで最近は、ノルマの仕事だけを早い時間に済ませ、後は1階のエアコンのあるリビングで読書をして過ごしている。

 近くにブックオフがあるのだが、先日猛暑の中をリュックを背負って買い出しに出かけた。105円のコーナーだけを渉猟し、17冊の本を購入した。
 買った本を列挙する。
(1) 古寺巡礼 瀬戸内寂聴
(2) 中年以降 曽野綾子
(3) 男の生き方四〇選(上) 城山三郎
(4) 男の生き方四〇選(下) 城山三郎
(5) ウフフのお話し 林真理子
(6) 食通知ったかぶり 丸谷才一
(7) 軽薄のすすめ 吉行淳之介
(8) 人間というもの 司馬遼太郎
(9) さくら日和 さくらももこ
(10) 膝小僧の神様 群ようこ
(11) 結婚をつかむ女磨き 南美希子
(12) 毒言独語 山本夏彦
(13) 生き方上手 死に方上手 遠藤周作
(14) PLATONIC SEX 飯島愛
(15) 人間のBWH 丸谷才一
(16) 老年の愉しみ 中野孝次
(17) 雑文王 玉村豊男

 こうして見るとある傾向がうかがえる。まずほとんどがエッセーである。例外は飯島愛の「PLATONIC SEX」だけだ。これは今回はエッセーを買おうと決めて、出かけたからの結果である。「PLATONIC SEX」は衝動買いである。
 続いて女性作家が多い。常々思っていることだが、エッセーは女性の方がうまい。小説はというと、断然男性優位であるが、エッセーは女性のものが良い。清少納言の頃から、この傾向は今に続いていると思う。

 上記の中ですでに読んだものは、「老年の愉しみ」と「PLATONIC SEX」。「雑文王」は半分まで読んだ。買ってきたのが先週のことで、ちょっとゆっくりのペースである。しかしこの間、「デミアン(ヘッセ)」と「仰臥漫録(正岡子規)」、「ユダヤ教の人間観―旧約聖書を読む(エーリッヒ フロム)」を読んだ。
 「デミアン」は予想以上によかった。善と悪。神はこの両面を備えている。インド的な二元論をキリスト教的な一元論の小説世界に取り組んだ試みは刺激的だ。
 「老年の愉しみ」は中野孝次だが、中野孝次は今の僕の生活に少なからぬ影響を与えた人物である。彼の本は何冊も読んでいる。中野は元国学院大学教授だが、たしか50歳前後に退職し、その後作家一本で孤高かつ自由気ままに過ごした。僕がいつか会社を辞めると決意した背景には、彼の行動があったように思う。
 「PLATONIC SEX」だが、これは思った以上に読み応えがあった。彼女は文才がある。もし生き続けていれば、すぐれたエッセイストになれる資質があったろう。ただ彼女にその意思はなかったはずだ。ものを書くと言うことは建設的な行為である。破滅的志向が顕著な彼女には、負担が大きすぎるように思える。
 玉村豊男も僕の現在を形作った一人であると言っていい。そんなことえ言えば、今まで読んだ作家は全てそうとも言えるのだが、その中でも今のぐうたら生活に踏み込ませたという意味では影響力の大きな作家である。
 「仰臥漫録」は子規の闘病日記だが、中身の大部分が食事の内容だ。それもうまいとかまずいとかの表現はほどんどない。朝は何を食った。昼はどうした。夜はどうだった。というだけの内容だ。しかしこれが面白い。死期が迫ると、本能に正直になるのがよく分かる。子規は健康な人間でも食べられない量を毎日、貪欲に食す。それが悲しく痛ましい。しかし滑稽でもある。
 「ユダヤ教の人間観」は旧約聖書の解説のつもりで読んでみた。一般解説書としては読むべきところはあまりなかったが、フロムの個人的宗教感が分かった。フロムはユダヤ人で、それも本格的なユダヤ教教育を受けている。ユダヤ人は宗教のみに強く依存する民族である。ユダヤ教がなければ、ユダヤ人は存在しない。フロムの個人的宗教体験を知ることにより、ユダヤ人一般の存在的本質を垣間見ることができる。
 
 多くの宗教や哲学は南方生まれだ。毎日、暑さでボーっとしながらの読書体験は、まんざら悪くない。

カッコいい日本人


 先日のニューヨークタイムスにイチローについての長文記事が載っていた。日本では日米合算のヒット数が4000を超えるニュースが頻繁に流されている。大変な快挙だと思うが、アメリカは大リーグの数字だけで見ているだろうから、あまり話題になっていないと思っていた。しかしその記事は、イチローの4000本安打についてのものだった。アメリカでも関心の的のようだ。
 ニューヨークタイムスによると、40歳を超えたばかりのイチローは引退の意思はまったくないそうだ。現在、年間150本安打のペースで試合を進めている。仮に140本でも、ピート・ローズの世界記録である4256本を2015年に破ることになりそうだ。あと2年で偉業の達成だ。アメリカでは正式な記録にならないだろうが、十分に記憶に残る記録になるだろう。
 さらにだ。ピート・ローズの記憶を破れば、あと22本を重ねれば、メジャーリーグ単独でも3000本安打を達成する。今まで3000本を超えたメジャーリーガーはわずか28人。最後に達成したのは、ヤンキースの同僚デレク・ジータである。この3000本だけでも、偉大なメジャーリーガーとして記録されるだろう。

 マリナーズ時代、ベンチでは次のように言われていたそうだ。もし内野安打であっても、ボールが2回バウンドしたら、イチローはファーストベースに到達する。1回のバウンドなら、敵はようやくアウトにするチャンスがあるだろう。そのぐらい、イチローの脚は早いのだ。
 しかしその俊足も衰えを見せている。マリナーズ時代のように、2バウンドなら確実にヒットというわけにはいかなくなった。それでもイチローは、自分の能力を最大限に発揮する努力を怠らない。暇を見つけては、ストレッチを繰り返すイチローの姿は、アメリカ人にも深い印象を与えている。

 現在、メジャーリーグでもっとも注目を集めているのはロドリゲスのドーピング事件だ。イチローの快挙は、ヤンキースに向けられた汚辱の視線から、ファンの目をそらしてくれるだろうと同記事は期待を寄せている。
 アメリカのメディアに対しても、イチローは変わらない対応を見せている。4000本安打について問われて次のように答えている。「それは目指すべき、目標ではありません。それでおしまいになる訳ではないのです。4000本を達成すれば、それは明らかに嬉しいはずです。しかしそれで、何かが変わる訳ではないのです」と、イチローのコメントは相変わらずカッコいい。


 ついでにもう一人、カッコいい日本人を紹介したい。知人のフェースブックで紹介されて、最近知ったものだ。


ぶらり鎌倉


 昨日は鎌倉の町をかみさんと一緒にぶらついてきた。まず入ったのはアウトドアグッズの「パタゴニア」と「THE NORTH FACE」だ。この2店はほぼ並んだ場所に位置している。
 といっても知らなかったのだ。この店がそこにあるということを。良く通る場所であるのだが。両店の隣にある鎌倉野菜を売る市場は知っていた。その中にある立ち飲み屋は、さらに以前から気が付いていた。しかしこの二店を知ったのは、つい先日のことだ。
 気付いた順番としてはこうである。立ち飲み屋→市場→パタゴニア→THE NORTH FACEだ。
 一般のひとは、もしかしたら逆かもしれない。店の大きさやディスプレーは逆の順番になるからだ。
 ところが僕の視線というものは、興味のあるものだけをセレクトして、キャッチするらしい。つまり興味がある順番は、立ち飲み→市場→アウトドア、なのだろう。

 驚いたことに、鎌倉のそのパタゴニアは日本法人の本社を兼ねている。ここに社長がいて、経営を指揮しているのだ。社員は400人ぐらいいるそうだから、鎌倉に本社を置くなんて、なかなかの決断であると思う。親近感を覚えた次第である。
 店の中はパタゴニア、THE NORTH FACEともにとても気持ちがよいものだった。涼しくて、清潔で、レイアウトは洗練されている。
 お客もまた、おしゃれな人ばかりであった。アウトドアショップだから、お客もその系統の人が多い。今は夏だから、短パン、Tシャツといった装いだ。それでも来ている服の質の高さが、一目で分かる。上から下まで、ぜ~んぶ一流ブランドだということが、不思議と分かるラインナップである。
 店には鏡がいくつか置いてあるが、一方そこに映る自分の姿はというと。他の客とは微妙に違う。昨日の僕は、いつも通りのことだが、オールユニクロだ。ユニクロも悪くはない。一流ブランドと言えなくもない。しかしオールユニクロともなると、それなりの雰囲気を醸し出すようである。
 ひとつだけ例外があった。それはサンダルだ。これは悪い品物ではないが、うちの猫がどういう訳が大好きで、しきりに体をこすり付けたり、噛みついたりしている。その結果、猫の歯型だらけである。履いていてもボロボロなことはすぐわかる。オールユニクロと猫の歯形だらけのサンダルで来た男は、微妙な個性を滲み出していたのだ。
 僕と同年代の男性客がひとりいたが、彼の履いている靴は、なんだがとてもおしゃれであった。ブランド物であることが、これも一目で分かる。鏡に映った、彼我の差は、なかなか興味深いものだった。
 そんな感じであったので、僕はゆっくりと店内を徘徊することができた。つまり一度も店員に声を掛けられなかった。かみさんは両店ともに、話しかけられていた。他の客も、親しげに店員と話していた。常連なのかもしれない。ところが僕は常に、ひとりぽつねんとしていた。
 疎外感を感じはしたが、悪くはない。僕は代官山とか軽井沢とかにある、セレブ御用達の店が好きだ。ビバリーヒルズ何てのも、悪くない。とくに夏は良い。高そうな夏の服を、さりなげくコーディネートした可愛い女の子と綺麗なお母さんのカップルなんかが、親しげに店員と話したりしている。鎌倉にも、そういう場所があったことに気付いてよかった。また来年の夏にでも、遊びに来よう。

 次に向かったのは小町通だ。ここも今まで気づきもしなかった店に入った。帆布を使った鞄や小物を売る店だ。かみさんと一緒だと、一人では決して入らない店を覗けるので、面白い。
 ここも軽井沢チックな店だった。店員がちょっと気取っているところが、好ましい。

 続いて鶴岡八幡宮に行った。八幡宮ではまず屋台に入った。ここは勿論、以前から知っている店だ。そこで鳥のホルモンを肴に、ビールを飲む。夕方の涼しい風を受けながら、屋台で飲むビールは格別だ。
 そして時間をつぶし、暗くなってから「ぼんぼり祭り」を楽しんだ。昨日のメインイベントである。これのために鎌倉にやって来たのだ。
 7時になると、提灯のような“ぼんぼり”にロウソクの火が灯る。巫女さんのカッコをした多分、アルバイトの女の子達が、火をつけて回る。境内一杯にぼんぼりが飾られていて、すべてに点火されるとなかなかの迫力だ。そして幽玄として涼やか。浴衣を着た若い女性も多く、たいへん良い眺めであった。

 最後は沖縄料理で締めることにした。先月も行った店で、店員は僕のことを覚えていた。前回と同じテラスの席が空いていて、そこで席を占める。こちらも夏の夜風を受けながら、沖縄料理に舌鼓を打つ。
 ホッピーを泡盛で飲んだら、2杯ですっかり酔っぱらってしまった。

毎日が地産地消


 先週末は久しぶりに何もしない週末。どこへも行かない週末だった。家でのんびりと過ごし、夏休み気分を味わった。普段でも毎日、夏休み気分だとも言えるのだが、かみさんが居て、どこにもいかない日はそう多くはないので、そんな気分だった。
 土曜はかみさんが一人で逗子の町まで降りて行き、魚屋で鯛を買ってきた。かなりのサイズだったが、3匹で550円とのこと。しかも近海で取れた天然である。天然の鯛が3匹で550円とは。こんな幸運が逗子に住んでいるとたまにやって来る。幸せを感じる瞬間である。
 初めは一人一匹ずつを塩焼きにする予定だった。うちのガスコンロはちょっと凝っている。以前の家主が置いていった物だが、フランス製で魚焼きが付いていない。そこでロースターを買って使っている。これがなかなかの優れもので、ガスに負けないぐらい美味しく魚が焼ける。ただしサイズが小さい。
 とても二匹は同時に焼けないので、一匹ずつ焼くことにする。焼き上がった鯛を見ると、かなりのボリュームだ。二人で一匹を食べるので十分な量である。
 ということで土曜日は一匹の鯛を塩焼きにして食べた。薄塩にしたのだが、鯛の身の味が濃厚で、うま味が一杯だった。
 日曜は別の一匹でアクアパッツアを作る。アクアパッツアは白身の魚や魚介類を白ワインで野菜とともに煮込んだイタリア料理で、フレンチでいえばブイヤベースのようなものだ。ブイヤベースはスープだが、アクアパッツアは煮魚のような出来栄えである。庭に生えているプチトマトを大量に入れて作る。こちらも美味だった。
 もちろん魚だけを食べていたわけではない。先週、横須賀の農協で買ってきた野菜がまだ十分にある。家庭菜園のナス、プチトマト、シシトウ、ピーマン、バジル、シソなどもある。むしろ野菜が主食と言う感じで、毎食大量に食す。
 夏場は特に、地の食材を中心にしての毎食だ。
 明日からかみさんが夏休みに入る。料理はかみさんにバトンタッチである。適当に仕事をして、もちろん気分は真剣であるが。うまい食材を調達しに、ドライブを楽しむ。料理は座っていても出来上がる。
 週内にまた農協に行こう。小坪の漁港にも行きたい。鎌倉の市場で鎌倉野菜を買うのも悪くない。もちろん逗子の魚屋は必見である。
 暫くは夏休みを楽しむことにしよう。

髪の毛さらさら


 先月、縮毛矯正パーマをかけたことは書いた。ところで縮毛矯正だが、これはいったい何と読むでしょうか。答えは、「しゅくもうきょうせい」だ。ところが僕は「ちぢれげきょうせい」だと思っていた。以前のブログを読み直してもらえば分かるのだが、だから「縮れ毛矯正パーマ」と書いている。これだと、他の部位の毛みたいだ。
 先月、美容院の予約を入れたときに、受付に今回はどうされますかと問われた。
 「ちぢれげきょうせいパーマをかけたいです」、と僕は答えた。すると。
 「ストレートパーマですね」と返ってきた。
 なぜ敢えて異なる言い回しをしたのか、不思議だった。変わった奴だなと、ちょっと不快に感じたぐらいだ。しかし妻に後から言われたのだが、それは好意だったのだ。僕が、
 「ちぢれげきょうせいパーマをかけたいです」と言って、
 「しゅくもうきょうせいパーマですね」と答えたら、それは僕の誤りを訂正することになる。恥をかかされることになる。それを受付は避けてくれたのだ。立派な受付マンと言わざるを得ない。
 ちなみに僕の通う美容院は美容師が男ばかりだ。女性は店長とネール担当の2名だけだ。後は5人ぐらいいるのだが、みんな男だ。電話だったので、受付を誰がしたのか分からないが、みな好青年である。オーナーと店長の教育がきっと良いのだろう。

 ところで縮毛矯正パーマだが、これが実にすばらしい。この一言につきる。僕の語彙が乏しいからではない。志賀直哉だって、寺山修二だって、同じ表現をきっと使うだろう。それぐらい、すばらしいのだ。
 縮毛矯正パーマは安くない。カットを含めると2万円を超える。今の僕にとっては大金ではあるが、この2万円の買い物は、最高の成功体験であったと言っても過言ではない。僕の人生はすっかり変わった。
 まず朝起きて、自分の顔を見る。以前であれば、そこにいたのは葉加瀬太郎であった。ちりちりでボサボサ頭の男が、そこにはいた。あまり見たい光景ではなかった。しかし今、鏡の前に立つ男は上戸彩の旦那である。さらさらヘアのワイルドで鋭い目つきの男が、そこに立っている。
 そりゃ、顔が違うだとうというつっこみがあるかもしれない。しかしだ。髪が変わると、表情も変わってくるのだ。もしかしたら鏡の前だけかもしれないが、あきらかに精悍な表情のさらさらヘアの男がそこにいるのだ。
 手入れはうんと楽ちんだ。以前、天パアで髪をのばしていた時は、それは苦労をした。髪を水で濡らし、ブローをする。10分から20分はかかる。仮に15分としよう。その15分をかけても、できあがりは、やっぱり天パアである。ちょこっと引き延ばした、苦労の後はうかがえる。それでもやっぱり、カッコは悪い。さらに時間が経てば、カッコ悪さが増すことは言うまでもない。すぐにぼさぼさだ。
 ところが今は、何にもしなくても、上戸彩の旦那である。手櫛でとかし、ワックスで整えれば、おしまいである。3分で終了する。たった3分であるにもかかわらず、出来栄えは、葉加瀬と旦那の差なのだ。

 しかし人生とはいかに不平等なものであるのか。今回のことで僕は痛感した。
 今、思い返すと、若い頃モテていた男は大抵がさらさらヘアの男であった。さらさらヘアは、手入れが楽である。その上、女の子に人気がある。一方、天パアは手入れがめちゃくちゃ大変である。その上、女の子には気持ち悪がられるのだ。ただ生まれながらにして、さらさらか天パアかの違いで、こんなにも人生が違ってくるのだ。まさに生まれながらの格差社会だ。
 それにしてもだ。ああ、あの頃、縮毛矯正パーマの存在を知っていたら。きっと僕の人生は変わっていただろう。
 まあ、過去を嘆いてばかりいても仕方がない。50歳と、かなり遅咲きではあるが、気づいたのだから、まだいいではないか。かなり薄くなってはいるが、くせ毛の薄毛よりも、さらさらヘアの薄毛の方がましであろう。それに僕は、十分に気に入っている。

 女の子は髪の毛に手間をかける。ところが男はあまり手間をかけない。服の方は、スーツやら何やらでお金をかける人が多い。しかし全体の印象は、服よりも髪の方が影響するように思う。
 それに髪の方が安い。1回2万円といっても、かりに年に4回としても8万円である。ちょっとしたスーツ一着分の値段だ。それで24時間、365日の効果があるのだから、費用対効果は抜群である。
 ところで折角、上戸彩の旦那になったのだが、僕の行動範囲は狭い。家と近くの散歩コース程度である。見てくれるのはフクちゃんと大ちゃん妻だけである。でも3人が見てくれれば、きっと幸せなことなのだろう。うんそうだ。そう思わなくてはならない。

ぐうたら生活の進歩


 “ぐうたら主夫兼翻訳家”生活を初めて2年以上になる。それ以前は、純然たる“ぐうたら翻訳家”生活を2年間務めていた。つまり“ぐうたら”生活は、もう4年以上のキャリアになるわけだ。
 さすがに4年以上も“ぐうたら”生活を続けていれば、それなりの進歩というものが伺える。

 平日の朝は4時半起きだが、6時過ぎまでにかなりの家事をこなせるようになった。朝食を作り、猫にエサをやり、朝食を取る。妻が出た後は、食器を洗い、猫のトイレを掃除して、ゴミ出しを済ませ、キッチンの床拭きなどの簡単な掃除を済ませる。
 以前はこれだけで7時を回ることがあった。ところが最近では、6時過ぎには終了している。その後、7時まではコーヒーをすすりながら、ゆっくりと英字新聞を読むことができる。

 さらに我ながら、かなりの進歩を遂げたと思えるのは、昼食である。だいたい蕎麦やうどん、ラーメンなどの麺類が多い。これは10分程度で作ることができる。このこと自体は、別に大したことではない。
 特筆すべきなのは、この10分の間に、夕食の準備にも取り掛かることだ。麺をゆでるには、5分から10分程度かかる。以前はこの間は、何とはなしに過ごしていた。ところがこのわずかな時間を利用して、今は夕食の野菜を刻んだり、肉の仕込みをしたりしているのだ。
 普通はやはり、この5分では夕食の準備は終わらない。大抵は昼食を食べ終えた後に、ささっと続きに取り掛かり、昼の間にかなりを終えてしまう。

 料理自体も相当に手際が良くなってきたと思う。作っているそばから、鍋や食器を洗っていく。料理が出来上がった時点では、使った用具は全てきれいに洗い終えている。
 また例えばブロッコリーをゆでるとする。以前はそのお湯は、すぐに捨てていた。しかし今は、せっかく温めたお湯を捨てる無駄は行わない。それにブロッコリーをゆでたお湯には野菜の出汁がしみ込んでいる。これを味噌汁に使えば、味わい深いものとなるのだ。
 ブロッコリーをゆでたお湯で味噌汁を作るなんて、チャレンジのように思えるかもしれない。しかし味は保証する。ぜひチャレンジしていただきたい。味噌汁に深みが増すのだ。
 ブロッコリーだけでなく、オクラでも枝豆でもモヤシでも、何でもゆでたお湯は再利用が可能である。
 こうすればお湯を再度沸かす時間を節約でき、再利用したお湯は味わい深く、お湯を沸かす光熱費を抑えることができる。一挙三得というものだ。

 日々の家事ははっきり言って、退屈で面倒くさいものだ。しかしちょっと知恵を絞り、向上心を持つと、それが不思議と楽しいものとなる。
 ぐうたら生活を続けていて、学んだことだ。

プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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