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S先輩の告白


 もう1か月ほど前の話であるが、どうしても書けという人がいるし、面白い話でもあるので掲載する。
 1年ぶりにHSBCの同窓会に出席した。この会は4,5年ほど前から始まり、少しずつ参加メンバーが増えている。今回は20名以上が出席した。
 今回もS先輩は参加した。S先輩は我が家にも遊びに来てくれたことがある人で、銀行員時代も、その後も何かと目をかけてくれる、優しい先輩である。
 S先輩には3人の子供がいる。女の子が二人と男の子が一人だ。そのうち最年長の長女が今春、大学を卒業するという。その長女はとても美人である。なぜ知っているかというと、S先輩の年賀状は、毎年家族の写真を掲載しているからだ。小さい時から可愛らしかったが、大学生になってぐんと伸び、目を引くほどの美人さんになった。
 それもそのはずである。お母さん、つまりはS先輩の奥さんもとても美人の方なのだ。そして奥さんには二人妹がいるのだが、そのふたりも美人である。
 奥さんの妹たちはS先輩夫妻の結婚式で初めて見かけたのだが、当時20代の僕らHSBCの若手社員は、相当に舞い上がったことを今も覚えている。
 そしてS先輩である。S先輩もなかなかのイケメンである。イケメンというと、もしかしたら語弊があるのかもしれない。顔のパーツひとつずつが、よくてきているのだ。トータルでいうと中華料理の周富徳に似ている。目がつぶらで、かつ目力がある。
 美人の奥さんと周富徳の瞳をもつS先輩の合作であるのだから、美人になって当然なのである。

 その長女の就職が決まったと言う。みんなで「おめでとう」を言うと、いまひとつ浮かない様子である。しかし心底がっかりしている様子でもない。何か別の感情を隠している表情にも見える。
 「ところでどこに決まったんですか」と尋ねた。すると、いきなり次のように返してきた。
 「どこだか分かる?」
 全員の目が点になった。だってどこだか分かるはずがない。あまりに唐突である。たとえば「自動車メーカーなんだけど、どこだか分かる」とか、「外資の銀行なんだけど、どこだと思う?」、という質問なら理解できる。ところがだ。どこに娘さんの就職が決まったのかという質問に対し、いきなり「どこだと思う」と聞いてくるとは。S先輩、どうしてしまったのだろう。みなで目を合わせ、一瞬僕らは固まった。
 固まっている僕らを見て、ちょっと質問が唐突すぎると気づいたのかもしれない。もしかて、そうでもないような気もするけど。続けて先輩はのたまった。
 「多分、知らない会社だと思うよ」
 これには僕らは固まりを超えて、氷りついた。知らないと思われる会社であるにもかかわらず、敢えて「どこだと思う」と問うとは。S先輩、本当に大丈夫だろうか。
 「あの~、どこだか分からないですし。知らないかもしれないし、知ってるかもしれないですけど。それで結局、どこなんですか」
 その日の参加者は20名を超えていた。それぞれが近くの席の仲間と会話を楽しんでいた。しかしS先輩が発するへんてこな発言の数々に、いつしか全員の耳が傾けられていた。
 注目されて満足したのだろう。周富徳の目をさらに見開かせ、鼻の穴を膨らませながら、辺りを睥睨するように、ついにS先輩は言い放った。
 「多分、知らないと思うけど。あのさぁ、オスカーってところなんだけど。知ってるかなぁ。後藤久美子とか米倉涼子とかが所属しているところなんだ。やっぱり知らないかなぁ」
 かつては切れ者で通ったS先輩の、このときの呆けたような表情を僕らはきっと忘れることができないだろう。S先輩は、歓喜のあまり眼に涙までうっすらと浮かべていた。
 「知らないわけ、ないじゃないですか。超大手のプロダクションじゃないですか。それで、どんな仕事ですか。事務関係ですか」
 するとS先輩はちょっと表情を引き締めた。
 「いや、そうだったらいいんだけど。あれだよ」
 「あれって、なんですか。営業なんですか」
 「いや、それならまぁ、いいんだけどねえ。困っちゃうよ、本当に」
 「て、言うことはまさか。芸能人になるんですか」
 「ほんと、よわっっちゃうよなぁ。そうなんだよ。上戸と一緒だよ」
 「上戸って、上戸彩のことですよね」
 「まあね。まずはタレントからだな。女優はそれからだ」
 「あ、はい」

 たしかに上戸彩に負けないほどの美人さんである。お父さんの喜びをしっかり受け止めて、立派なタレント、および将来は女優になることだろう。しかし心配なのは、お父さんの方である。

S先輩
大きな発表を終え、満足して眠るS先輩



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リフォーム生活(3)


 まずは現在の我が家の様子をご覧ください。

リビングのリフォーム
リフォーム中のリビング

和室の耐震工事
耐震工事を進めている和室

 先々週の火曜日から工事が始まり、すでに2週間が経過している。工事は3週間の予定で、まだ1週間を残す。
 しかしそれにしても、工事現場の中に住んでいることは疲弊するものだ。休まる場所がないからだ。
 普段は生活のほとんどをリビングで過ごす。そこがこの状態だ。さらにリビングに隣接する和室もこの状態で、一階はいたるところが工事現場である。
 そうはいっても、この場で生活するしかない。実際にはキッチンで食事を作り、食べ、飲んでいるのだが、我が家のキッチンとリビングは直接つながっているので、工事現場を目の前にしながら食事をすることになる。
 なぜ疲れるのだろう。それはおそらく、非日常が日常に入り込んでいるためだ。僕ら工事関係者でない者にとって、工事現場は非日常である。それが毎日、食事をする場所にあるのだから、脳が混乱するのだ。
 しかし悪いことばかりではない。我が家のキッチンは4畳半もないスペースだ。そこには以前から小さなテーブルと椅子2脚が置いてあった。そこで食事を取っている。すると狭いので、椅子に座りながら、大抵の用事が済ませる。例えば箸やフォークといったものが、手を伸ばせば引き出しから取り出すことができる。食器の片づけも楽ちんである。それに狭い場所で生活していると、なんだかキャンプをしている気分になる。だから結構、楽しんでもいる。
 しかしだ。これが例えば、1年とか続くとしたら。きっと精神は破壊されていくだろう。被災者の避難施設や仮設住宅、あるいはシリアなどの難民キャンプの人の生活に思いをいたらさずにはいられない。彼らは終わりを知らない。いつまで続くのか分からない非日常的な日常生活は、どれほど心身を深く傷つけるのだろう。
 以前、母が防災のための模擬避難を一日だが体験した。母曰く、「私は死んでもいいから、避難施設には入りたくない。あそこにいるのならば、死んだ方がましだ」。それほど、避難施設での生活は過酷らしい。
 狭いスペースに見ず知らずの人々が、押し込められて生活することは、耐えがたいストレスなのだろう。

 今週末までにはリビングの工事が終わる。そして週末は自分で床板のオイル塗装をする予定である。先日、注文をしてあった塗装オイルを近くの“サンディー”という名のホームセンターまで取りに行った。ここのオーナーは親切な人で、今回の工事についても、色々なアドバイスをいただいた。
 しかし今回、ちょっと考えさせられた。僕が購入したのは「オスモ」というドイツのブランドで、サンディーには置いていなかった。問屋に注文し、取り寄せをした。ネットでも買うことができたが、オーナーには世話になっているし、地元の店で購入することで、地元の経済に貢献したいという気持ちもあった。ネットで買った方が安いのだが、迷わずサンディーで買うことを決めた。
 精算を済ませ、レシートを見ると、不明な項目が計上されている。尋ねると宅配料金だそうだ。金額は1800円。
 店が問屋から取り寄せる代金が商品に上乗せされている経験は初めてだった。もとから割高な商品である。それにさらに宅配料までが載せられている。
 アマゾンで買えば、商品自体の値段も安い。配送料はタダである。今回の場合なら、おそらくトータルで5000円以上は安くなったはずだ。
 オーナーは申し訳なさそうにしていた。オーナーを責めるつもりはない。しかしこれだけ価格に差があるのなら、顧客の選択は必然的にネットへ流れるだろう。地元の経済を潤したいとしても、サービスが期待できるとしても、それでもだ。
 地元の小店舗は、何らかの対策を打たないと、生き残りは難しいのではないだろうか。

 最後に昨日、近くの森でとってきたオニフスベの写真を掲載する。この写真でどれほどの大きさだか、分かるだろうか。人間の頭よりも大きい。
 昨日はこの3分の1ほどをステーキにして食べた。味ははんぺんを油でいためたような感じで、割合に美味しい。
 まだ3分の2ほど、残っている。さて今夜はどうやって食べようか。

オニフスベ
人の頭よりも大きいオニフスベ

屋久島から鹿屋へ


 屋久島旅行の続きである。旅行から帰ってきてから色々なことがあったので、そちらも書きたいが、旅行の話を完結させなくてはならない。

 屋久島から高速艇に乗り、鹿児島港に着いた。近くに台風が来ているらしく、海上は揺れを予想していたが、ほとんど揺れることはなかった。高速艇は早いだけでなく、揺れにも強いのだ。
 さて船酔いもせずに到着した港には迎えが来ていた。友人のKである。Kとは大学時代に遊学した米国の大学で知り合った。30年近い付き合いである。
 僕は大学3年を終えた時点で日本の大学を休学し、米国に1年間遊学をした。Kは同じ歳だがすでに大学を卒業しており、同じく1年間の遊学であった。
 Kの実家は鹿児島県の鹿屋市で料亭を経営しており、Kは遊学を終えると、父親の料亭を手伝うために鹿屋へ戻った。
 30歳ぐらいのことだったかと思うが、Kは結婚をした。Kは僕を含め遊学時代の友人3人を結婚式に招待した。その際、飛行機代もホテル代もKが支払ってくれた。そのときKは、父親の料亭をまだ手伝っていたと思う。
 あれから20年が経った。久しぶりに会ったKはアメリカ時代よりも20キロ以上も増量し、貫録たっぷりの男に変身していた。しかし変身したのは外見だけではなかった。
 久しぶりに会ったKは地元の実力者というか顔役となっていたのだ。
 父親が経営する料亭は10年ほど前に店じまいしたという。では今は何をやっているかというと、自動車の部品工場と福祉施設を経営している。福祉施設は何でも6か所もあるそうだ。さらに現在、所有する広大な土地を造営し、ソーラー発電所を建設中という。Kは大変な実業家となっていたのだ。
 その大社長が車でわざわざ港まで迎えに来てくれた。そしてその日と翌日は、つきっきりで大隅半島の観光に付き合ってくれたのだ。さらにまた今回も、Kは僕らに財布のひもを開かせることはなかった。
 もうひとつKが変わったことがあった。独身に戻っていたのだ。聞くところによると、随分前に別れたらしい。長いシングル生活を続けているという。独身に戻り、自分の時間と労力をすべて事業につぎ込んだのだ。
 色々なところに連れて行ってもらった。とくに印象が残っている場所は、夕食の後に行ったクラブである。クラブとは踊る方でなく、きれいなお姉さんが隣に座る方の、クラブである。
 久しぶりのクラブはそれなりに楽しかった。それなりと言うのは、かみさん同伴であったからだ。当然、隣にはきれいなお姉さんでなく、いつものかみさんの顔があった。
 かみさんは初めての経験らしく、非常に楽しんでいた。女性は意外にも、きれいな女性が好きなのである。
 クラブ活動を終えると、続いてスナックに流れ込んだ。そこではKとともに昭和50年代の歌謡曲を中心に、歌いまくった。こちらもかみさん同伴であったが、こちらは心底楽しむことができた。スナックの後は年季の入った渋いラーメン屋で最後を締めた。相当に酩酊していたが、美味かったと思う。

 ところで現在のKの私生活はというと。おそろしく美人の彼女がいた。前の奥さんもびっくりするほどの美人だったが、今回の彼女も驚愕のレベルだ。鹿屋で一番といっても、異論のある人は少ないだろう。さらに年齢は26歳である。

 ホテルでも飲み屋でもKは顔役であった。どこに行っても経営者が奥から挨拶に来ていた。そんなKは昔から女性に、モテていた。でも今の方がモテているに違いない。それはKがあの頃よりも、ずっとカッコよくなっていたからだ。
 そうそう、Kは農業もやっているのだ。施設に出すご飯は、Kが自ら収穫したものだ。農作業のおかげで、元から色黒のKは真っ黒だ。柔道の有段者のKは農業で鍛えられ、さらに腕周りが太くなっていた。日に焼けた肌に、鋭い眼光。広い肩幅。さらに町の顔役でお金持ち。モテないわけがないのである。
 しかしここで誤解されてはいけない。Kは金持ちだからモテているわけではない。夕飯は焼き肉屋に行ったのだが、超美人の彼女も同席した。Kがトイレに入っているときに、彼女にKについて聞いてみた。彼女いわく「ものすごくいい人なんです。大好きです。Kさんよりも、私の方がきっと好きだと思います」。べた褒めだった。本心だと思えた。

 今回の屋久島旅行は印象深い旅であったが、最後の超美人彼女のインパクトは最大であったかも知れない。あんな子に惚れられているKに対し、縄文杉クラスの畏敬の念を覚えた次第である。

リビングをリフォーム(2)


 リビングルームの床張りを始めたのは2日前のことだ。そして前日、床をすべて貼り終えた。つまり2日で終了してしまったのだ。
 僕は普段、2階の書斎で仕事をしている。そこでお茶を汲みに、あるいはうがいをしに、機会をもうけてはリビングを覗きに行った。そうはいっても、1時間ごとに行くことはできない。そんなに頻繁にお茶をつぎ足したり、口をゆすいだりしていたら、職人の方々は不信に思うだろう。「この家の施主はどうもお茶好きなようだが、それにしても度が過ぎないだろうか。一時間ごとにお茶をいれているよ」、と。だからせいぜい2時間おきぐらいにしか、下に様子を見に行くことはできなかった。
 そででも2時間も経つと、様子がすっかり変わっている。それが面白くて、次を見たくて、なかなか仕事に没頭できないような状態に陥ってしまった。
 それはともかくとして、2日間ですっかりリビングの様子は一変しだ。何だか、うちじゃないみたいだ。
 ここまで書いたら写真を掲載したいところだが、実は今、フローリングには養生シートが敷かれている。だからフローリングは見ることができない。代わりに養生シートで覆われたリビングの様子を紹介しよう。これはこれで、なかなか味わいの深いものである。なんだか工事現場に住んでいるみたいだ。

リビング養生シート
養生シートが敷き詰められたリビングルーム

養生シートに寝転ぶフクちゃん
遠方に見えた変な物体の正体。フクちゃんでした。


 そうそう、昨日親方と話していて、驚くべき事実を聞かされた。今回も地元の安心工務店である安田工務店に工事をお願いした。過去、我が家の様々なメンテナンス工事は息子の3代目が当たってくれていた。今回、初めて親父さんの2代目が指揮を取ってくれることになった。2代目が親方である。
 以前、3代目の息子に工期を聞いたところ、2週間程度だと答えた。念のために同じ質問を親方にすると、3週間だそうである。今月いっぱいはかかるのではないかということだ。とくに耐震補強の工事に時間が取られるという。
 正直に言って、これには頭をかかえた。今日でまだ2日しか経っていない。工事現場のような家に住むということは、なかなかのストレスである。この状態が3週間も続くのか。
 息子はおっとりしていてかつ男気があり、好青年である。しかし、まだちょっと頼りない。詰めの甘さが、多少だがあるのかもしれない。それに今回の工事は親父さんが担当であり、息子は詳細を理解していなかったのだろう。だから、仕方のないことなのかもしれないが。だが本心を語れば、「しっかりしてくれよ」と、小声でささやきたいものだ。
 一方、親方は渋い。ダンディーである。そして頼りがいがある。まさに昔の職人で、この人は信じられると思える風貌をしている。最初の日など、あまりの渋さに声をかけられなかったほどだ。昨日、じっくり話をして、怖い人ではないと知ることができたが。
 3代目は幸せである。目の前に、あんな立派なお手本がいて。3代目もいつかは親父さんみたいな渋い職人になれるよう、これからも精進を続けてもらいたいものである。

リビングをリフォーム


 屋久島旅行記が続いたが、ここでいったん中断して近況を報告したい。
 本日から家のリフォーム工事を行っている。工事は大きく2段階に分かれ、今日は1段階目のリビングルームの改装に取り掛かった(第2段階は耐震補強工事)。
 何度も何度も書いているので、耳(目?)にたこかもしれないが、我が家は築40年の古屋である。作りはしっかりしているのだが、細部に劣化が見られる。外回りは以前、かなりしっかりと修繕した。壁にペンキを塗り直し、庇の板を貼り直し、破風や軒の腐食部分を修繕し、屋根はすべて張り替えた。
 外装はきれいになって、築40年というと驚かれるほどになったが、家の中に一歩足を踏み入れると、そこはやはり歴史を感じさせる。というよりも薄ら汚れている。
 そこで今回は一番、ひとの目につくリビングを全面的に修繕することにした。具体的には今までカーペットが敷き詰められていた床をフローリングに張り替える。クロスで覆われていた天井と壁を珪藻土で塗り込める。
 フローリングはブラックウォールナットを無垢で使用する。先日、かみさんと一緒にショールームを見に行ったが、一番気に入った素材である。黒に近いこげ茶で、かなり渋い。それにオイル塗装を施す。ここがポイントなのだが、実はこのオイル塗装は自分でやるつもりだ。見積もりを取ったのだが、サンディングと塗装で17万円もするそうだ。材料を購入して自分でやれば、3万円程度で済む。オイルメーカーや床材のメーカー、近くのホームセンターなどに尋ねまくったのだが、どうも自分でできるらしい。中学時代、「技術」の時間が大の苦手だった僕であるが、この差額を稼ぐ苦労を考えれば、背に腹は代えられない。腹をくくって、挑戦することにしたのだ。
 無垢材は、各方面から止めた方がいいとのアドバイスをいただいた。今、フローリングといえば、通常は合板である。合板は複数の木材を貼り合わせて、そりが出ないように調節してある。しかし無垢は一枚板なので、素材の個性が出る。そるもの、ねじれるもの、それぞれが個性を主張するので、どうしても張り上げた後、ゆがみが生じるらしい。人間の足はとても敏感で、少しでもそっていたりすると、違和感を感じる。しかし昔の家は、みな無垢材を使っていたはずだ。今でも神社や寺はそうだろう。かえって違和感を抱くことの方が自然なのではないだろうか。
 それとオイル塗装だ。これも各方面から、お勧めできないというありがたいアドバイスをいただいた。最近のフローリング塗装といえば、ほぼ確実にウレタン塗装である。合板でも無垢でも、どちらでもだ。その理由はメンテナンスの容易さにあるようだ。ウレタン塗装は板の表面にウレタンの膜を張ることで、汚れをふせぐ。汚れが付くにくく、掃除が容易だ。一方、オイル塗装は、端的に言えば油を塗り込んであるだけなので、汚れが付きやすい。掃除は原則、乾拭きオンリーである。つまり汚れたら、ジ・エンドである。
 しかしそれでもオイル塗装を選んだ。見た目の自然さと、歩いたときの足触りの優しさを選んだのだ。歪んでも、汚れてもいいじゃないか。それがきっと家の味になるに違いない。
 同様の理由で壁はクロスやペンキでなく、珪藻土を選択した。これはもうひとつ、室内の空気の清浄さを考慮してのことだ。僕は気管が弱いので、シックハウスだけは避けなくてはならない。
 
 色々と希望を述べ、注文を重ねた結果、ウォールナットの無垢材、オイル塗装、珪藻土ともっとも高いラインナップになってしまった。この家に後、何年住むのか分からない。躊躇しなかったと言えば、嘘になる。でも何年住むか分からないが、少なくても今、住んでいることは事実である。ならば今の環境を良くすることこそが大切ではないか。そう思い、思いきることにした。かみさんともども、悩みはしたが、決断してからは、楽しみが募るばかりだ。
 自然素材だけのリビングルーム、完成が待ち遠しい。

床材の張り替え作業
カーペットをはがしているところ。カーペットをはがしたら、なんと下はフローリングだった。全然知らなかった。


屋久島旅行(5)


 屋久島に移住した菊池さんの話の続きだ。前回のブログで書いたが、菊池さんの前職は大手スポーツメーカーの広報マンだ。そこで移住後は、経歴を生かせる仕事を始めることにした。
 最初からすごいのだが、まずは雑誌に移住記を連載で執筆した。その雑誌の名は「山と渓谷」。超一流誌である。広報マン時代に付き合いのあった編集者に退職の挨拶に行って、その場で執筆の依頼を受けたらしい。ちょっと羨ましい出だしである。その後、その連載は本にもなっている。「屋久島で暮らす あるサラリーマンの移住奮闘記」がそれで、アマゾンで買えるので、ご興味のある方は検索してみてください。
 その後も雑誌などから依頼があれば、執筆は続けているらしい。菊池さんはカメラも名手で、フォトジャーナリストという肩書で数多くの仕事をこなしているそうだ。
 前職で信用のおける仕事を続けていたからだろう。他にも前職絡みの仕事のオファーは多い。たとえばテレビや雑誌が屋久島を特集する際にはコーディネイトを頼まれる。屋久島に詳しく、取材に精通しているのだから、引っ張り抱っこであることも頷ける。
 そして僕らが今回、お願いをしたガイドの仕事がある。現在は仕事の中心がこれであるようで、ちゃんと会社まで設立してしまった。会社の名は「屋久島メッセンジャー」。もし屋久島へ行く機会があれば、ぜひガイドを依頼していただきたい。屋久島のことは何でも知っていて、都会的なセンスを持ち合わせている。満足されること、請け合いである。
 さらに、さらに。菊池さんの活躍は、ビジネスの面でもめざましい。「屋久島メッセンジャー」は、とてもおしゃれな店舗まで島で経営しているのだ。もちろん店長は菊池さんである。ガイドの仕事のない日は、店にも顔を出すそうである。
 ビジネスは店舗だけでは終わっていない。オリジナルのアウトドア・ブランドまで立ち上げてしまったのだ。屋久島をコンセプトにしたウエアやグッズをデザイン・開発して、屋久島の店舗だけでなく、都内などの一般小売店でも販売している。もちろんネットでも購入可能である。こちらも要チェックである。
 このように菊池さんの活躍は目覚ましい。屋久島ではすっかり有名人なのである。
 会社を辞めてフリーになったり、起業を目指す人は多い。サラリーマンから見れば、どちらも憧れの対象だろう。このふたつを菊池さんは、ひとりで実現してしまった。こんな人はなかなかいない。どうりで逞しくなった訳なのである。
 
 屋久島に滞在したのは4日間だ。1日目は海に行き、2日目は川で遊んだ。そして3日目は山を歩いた。どれもこれも楽しい経験だった。
 屋久島は美しい。そして何よりも清涼である。屋久島の特徴は何かと問われれば、僕は一番に清涼さだと答えたい。
 屋久島は雨の多い土地だ。山岳部の年間雨量は8000mmを超えるという。世界有数の多雨地帯である。この雨が、屋久島を絶えず清め続ける。
 大気は雨で洗われ、常にクリーンだ。杉が多い土地だが、花粉症の人もここでは症状が軽いという。
 河川も海もきれいだ。山で浄化された水が河川を流れ、その清らかな水は海に注ぎこむ。海水浴の後にも体があまりべたつかない。
 こんなきれいな島だから、食べ物は何でもうまい。ブログでは触れなかったが、2日目から僕らは料理が有名な民宿に宿を移した。そこの夕食のうまいこと。豪勢なこと。そしてリーズナブルなこと。
 こんな清涼で美味しい屋久島であるが、さらに島を魅力的にしているのが島の人々だ。4日目はただの移動日だったが、面白い経験をした。2日目から泊まっていた民宿は高速艇の発着する港からは距離があった。そこで朝食を民宿でとった僕らはバスに乗り、港まで向かった。バスの乗客は僕ら2人だけだった。乗ってしばらく、ボーっと景色を眺めていると、車内スピーカーから声が聞こえた。行く先の案内だろうと、何気なく聞いていると、どうも様子が違う。なんと運転手が、僕らにマイクを使って話しかけてきたのだ。
 結局、約1時間のバスの道中は、運転手と会話をして過ごすことになった。タクシーの運転手と話す経験は誰でもあるだろうが、バスの運転手と昵懇になるほど話し込んだ経験のある人は、そうはいまい。屋久島のひとは、とても人懐こいのである。

 思い切りエンジョイした屋久島は去りがたかった。できればもっと滞在したかった。しかしそれは許されない願いであった。それは次に行く場所があったからだ(というよりも、高速艇のチケットは買ってあったし)。後ろ髪引かれながら、次に向かった場所は鹿屋である。

屋久島旅行(4)


 屋久島旅行の3日目は、いよいよ旅行の目的のひとつでもある縄文杉へのトレッキングを決行した。僕は晴れ男である。1週間のうち8日も雨が降るといわれる屋久島で、初日、二日目と天気に恵まれている。当然、天王山である縄文杉トレッキングも晴れるだろうと信じていた。天気予報では雨マークがしっかりついていたが、屋久島に天気予報は通じない。晴れ男の僕が立つその場所は、雲がぽっかり口を開け、太陽が射し込むはずであると確信をしていた。
 しかし僕の神通力も縄文杉の雨パワーの前にはまったく歯が立たなかった。朝の4時10分に宿にツアーガイドが迎えに来てくれた。その時点ですでに小雨が降っていた。そのうち晴れるだろうと楽観的に考えていたが、結果的には一日雨の中のトレッキングに終始してしまった。
 こんなにびしょ濡れになって、それも一日中歩いたことは初めてだ。これはこれで良い経験になったのだが。しかし寒くてつらいトレッキングであったことも事実である。そんなびしょ濡れのトレッキングの様子を詳しく書いても、読者の方には面白い内容ではないだろう。パンツまでびしょ濡れになりながら、屋久杉の中を歩き、苔むした森を眺め、混雑したトイレで長蛇の列を作り(というのは屋久島は、森の中ではおしっこ厳禁なのだ)、そして雨で濡れた岩に足を滑らせ、お尻を強打したり、そんなこんなの道中は、面白いはずがない。そこで今日は別の話を書くことにする。

 さきほど縄文杉トレッキングは旅の目的のひとつと書いたが、今回の旅行には他にいくつかの目的があった。そのひとつが、縄文杉トレッキングのツアーガイドを頼んだ菊池さんと会うことだった。
 菊池さんとは旧知の間柄である。旧知とは言っても、以前仕事で1,2回の付き合いがあっただけだが、それ以来、年賀状のやり取りを続けている。もう10回ぐらいは、年賀状を送り合っているだろう。
 なぜ1,2回しか付き合いのなかった菊池さんと今も年賀状のやり取りが続いているのかというと、菊池さんは出会ってからしばらくして会社を辞め、屋久島に移住してしまったからだ。仕事で知り合った人の大部分は、僕が会社を辞めた後は年賀状を寄越さなくなった。しかし出会ってすぐに屋久島へ移住した菊池さんは、その時点で仕事の仲間ではなくなった。初めての年賀状を書いたときはすでに屋久島の住人だった。だから仕事上の知人というよりも、仕事で出会った友人と言う感覚にすぐになっていたのだ。
 後から聞いた話だが、サラリーマン時代から、菊池さんは会社をいつかは辞めるつもりだったらしい。菊池さんはある大手のスポーツ用品メーカーの広報部に勤めていた。その会社の主力商品はスキーウエアだった。スキーは僕が大学生の頃は、猫も杓子もと言う感じで、隆盛を誇っていた。しかし人の気持ちは移ろいやすい。そのブームはしばらくして下降線を描き、やがて冬の時代がやってきた。そこで以前から辞める気持ちのあった菊池さんは、あっさり会社を辞めた。
 さて、会社を辞めたはいいが、どうしよう。最初はハワイに移住したいと考えていたそうだ。菊池さんには奥さんと子供が2人いる。子供が生まれる前は、奥さんと2人で何度もハワイには遊びに行っている。アウトドア派の二人は、いつかハワイの田舎で生活をしたいと夢を語り合ったそうだ。
 ハワイに移住したい。しかし移住の前にはハードルがいくつも横たわっていた。ビザ、永住権、教育、仕事、生活。どれもが簡単には乗り越えられない問題であった。そこであっさり菊池さん夫婦は方向転換をする。「ハワイの自然の中で自由な生活を送りたい」、これは紛れもない事実である。しかし文面をよく読み解くと、違和感を覚える部分もある。本当にそうだろうか。僕らは本当にハワイの自然の中で生活を送りたいのだろうか。
 そこでじっくり考えると、さらに深層に潜む本心が見えてきた。別にハワイでなくてもいいんじゃないか。「ハワイみたいな自然」でもと。
 ここまでは、まあよくある話かもしれない。しかしよくない話がこの後に続く。ハワイみたいな自然があって、ビザも言葉も学校も問題のない場所なんか、実際にあるのだろうか。ああ、ある。テレビで見たことがあるぞ。
 そう、屋久島だ。そう考えた菊池夫妻は、なんと、一度も行ったことがない屋久島に移住を決断しまう。これって現代では、あまり聞かない話じゃないか。昔ならばブラジルとかカリフォルニアとかの見知らぬ土地に移住を決意した人がわんさかいたが。この豊かで交通手段の発達した現代において、子供をふたりも抱えた夫婦が、行ったことのない遠方の離島にいきなり移住を決意する話なんて、聞いたことがない。
 そんな菊池さんに僕はどうしても会いたかった。縄文杉も見たかったし、うまい地元の魚も食べたかった。でもそれよりも、菊池さんに会いたかったのだ。

 久しぶりに再会した菊池さんは、10年ぶりにもかかわらず、ほとんど歳を取っていなかった。むしろシャープになって逞しくなっていた。以前よりも、いい顔の男になっていた。

屋久島旅行(3)


 屋久島シーサイドホテルの従業員に聞いたところ、屋久島の見どころは山、海、そして川だそうだ。普通、屋久島といえばトレッキングである。屋久島には標高1,963メートルの宮之浦岳がそびえる。宮之浦岳は九州一の高さを誇る。屋久島はほぼまん丸の島で、面積は東京23区より少し小さい程度。そのほとんどが山岳地帯である。山岳地帯は亜熱帯から寒帯までの森が拡がる。その大部分に屋久杉が林立する。だから島中、いたるところにトレッキングコースがあるのだ。もっとも人気のあるコースは世界一の樹齢と目される縄文杉へ歩くコースだ。僕らはそのコースは3日目に歩く予定である。
 初日は一湊に海水浴にでかけた。3日目は縄文杉を見に登山をする。ならば残るのは川だろう。ということで2日目は川遊びをすることにした。
 ホテルに置いてあったパンルフレットで適当に選び、ガイドを予約した。もちろん有料だが、折角屋久島まできたのだから、できるだけディープに遊びたい。ただ川を眺めるだけではもったいない。そこで僕らが申し込んだのは沢登りとカヌーの一日コース、ひとり1万5千円のツアーだった。ちょっと贅沢なコースである。
 
 ガイドは8時半にホテルに迎えに来る手筈である。少し前からロビーで待つことにした。僕ら以外にもガイドを待つ宿泊客が何組もいた。それぞれが雇ったガイドはどんどんとやってくる。ガイドは若い男性が多い。
 僕らのガイドは時間丁度に現れた。50代半ばのおばちゃんであった。正直な感想を言えば、ちょっとがっかりした。他のガイドはおしゃれなスポーツウエアに身を包んだ筋骨たくましい青年達である。振り返って僕らのガイドは小太りのおばちゃんだ。この人で大丈夫であろうか。
 おばちゃんガイドが乗ってきた車もかなりの旧式であった。冷房はあるようだが付けていない。普段は真夏でも使わないそうだ。僕らが車に乗り込むと、あわてて冷房のスイッチを入れた。しかし窓のガラスは閉まらない。電動が壊れているそうで、僕が手で引っ張り上げて、なんとか窓を閉めることができたのだが、ちょっと先が思いやられる出だしであった。
 
 しかしこのおばちゃんガイド、結果からいうと大正解の人であった。何でも夫と二人でガイド会社を経営しているのだが、夫は屋久島で一番古いガイドのひとりだそうだ。
 屋久島は世界遺産に登録されてから、観光客が急増した。それに合わせるように、島外から多くの若者が移住して来てガイドを始めたそうだ。しかしおばちゃんガイドの夫は、その遥か昔からガイドをやっている。30年以上のキャリアであるそうだ。そしておばちゃんガイドもキャリア十分である。
 おばちゃんガイドも元は観光客であったそうだ。それが夫ガイドに飲み屋でナンパされ、その後めでたく結婚。結婚直後からガイドを務めており、こちらも30年超の経験の持ち主である。
 おばちゃんガイドは奄美諸島のひとつである喜界島の出身だが、すっかり屋久島のロコになりきっている。

 おばちゃんガイドが連れて行ってくれた沢登りの場所は、僕ら以外は誰もいない秘密の川だった。僕は少しだが沢登りの経験がある。ものすごく楽しい経験だったが、怖い思いも何度かした。しかし今回の沢登りは、さらに楽しく、そして危険をまったく感じることはなかった。かみさんも大笑い、大喜びの沢登りであった。島を知り尽くしているおばちゃんガイドのガイドは、実に頼もしく、ユーモア満載、抱腹絶倒の中身の濃いものであった。
 午前中に沢登りを楽しみ、続いて安房川へ場所を移しカヌーに乗った。かみさんは沢登りもカヌーも初めてで、とくにカヌーは付いてくるのがやっとの状態だったが、大満足の様子だった。

滝

流される

カヌー

ブーゲンビリア





プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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