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あと2か月だ


 今しがた出版関係の方から電話があり、共訳の話が流れたという連絡があった。ちょっと連絡が遅れていたので、もしやとは考えていたが、その通りになってしまった。
 年内に何とか一冊ぐらいは、出版の形だけは作りたいと思っていた。この共訳で、そのノルマが辛うじてクリアできると安心していた。しかしこれで、今日10月30日現在において、出版の目途は何も立っていないことになる。
 ただあまり落ち込んではいない。企画が流れることに慣れてきてしまったのもあるが、やはり今回は共訳であったということが気になっていた。それも企画者は自分ではない。棚ぼた式に、何も努力をせずに念願の出版が叶うなんて、ちょっと調子が良すぎるのではないかと考えていた。むしろ今回は流れてよかったのかもしれない。
 共訳といえでも、今回は下訳ですべて自分が訳す予定になっていた。もし出版が決まったら、これから3~4か月はそれにかかりきりにならなくてはならない。やはり自分の名前で本は出したい。同じ労力なら、自分の力で企画を進めたい。

 最近、ようやくお尻に火が付いて、動き始めている。今年中に何とか、とっかかりだけでも付けなくてはならないと、本気で考えている。
 共訳は期待していたが、流れることも予想していた。それにうまくいったとしても、後を続けなくてはならない。そこで他の企画も進めている。
 ひとつは以前翻訳したサーファーの本を、今も出版社に売り込んでいる。1か月ほど前に、サーフィン関連に強い某出版社から断りの連絡があった。いや、こちらから聞いたから答えてくれたのだが。
 企画書と翻訳原稿は2か月ほど前に送ってあった。なかなか返事が来ないから、メールを書いた。それでも返事がない。今度は電話をした。すると申し訳なさそうに、「難しい」との返答をもらった。若い編集者で、ちょっと調子が良い感じの人だった。こういう人は過去の経験からいうと、そのまま放っておかれることが多い。日にちばかりが過ぎていくのではと危惧していた。その通りになってしまった。
 続いて宗教関連に強い某出版社に電話をかけた。電話に出たのは年配の編集者だった。すぐに今の厳しい出版事情では冒険はできないと、断られた。しかし本の内容を説明すると、気が変わったらしく、送ってくれという。メールで送ったのだが、もしやと期待した。しかしこちらもまた、ボツとなった。
 今は大手の某社に当たっている。ここは電話すると、メールでなくプリントアウトしたものを郵送して欲しいと言う。印刷すると170ページにもなったが、プリントアウトし、郵送で送った。今は返事待ちの状態である。

 今までこの本の企画を送ったところは以下の通りだ。
 A社(知り合いの経営している小さな出版社)
 B社(知り合いの元同級生が編集長を務める大手)
 C社(人文系で渋い良書を出し続けている中堅出版社)
 D社(アウトドア系が強い準大手)
 E社(宗教系が強い中堅出版社)
 F社(海外物を得意とする大手)

 ということで現在までに6社に当たったことになる。最初のうちは伝手を頼っていたが、今は飛び込みで売り込んでいる。
 これだけ断られるということは、ビジネス的に見て劣等な本であるということだろうか。それとも僕の売り込みが下手なのか。あるいは僕が無名翻訳者だからだろうか。
 たしかに僕は無名だが、知り合いの翻訳者たちは自分と同じように無名でも、それなりに企画を決めている。売り込みだって、少しずつ成長しているように思う。ということは、最初のビジネス的な評価が問題なのだろうか。
 でもそうだとしても、まだまだ諦めるつもりはない。なんといっても完訳しているのだ。いつでも出せる状態にあるのだ。そして内容も、僕は良いと考えている。ヒットにはいたらないだろうが、ロングテールで読み継がれる本だと感じている。

 新しい企画もある。これはどうして翻訳されていないかと不思議なくらい、良い本である(売れそうという意味で)。出したら確実に売れるだろう。海外では大きな評判を呼んだ本で、テーマは日本に関係のあるものである。
 原書の出版は4年も前だ。なぜ翻訳が出ていないのだろう。きっと何らかの理由があって出版されていないのであって、一介の無名翻訳者が企画を持ち込んでも、相手にされない問題作かもしれない。それでも、トライをしてみようかと思っている。
 オリジナルの本の用意も進めている。これも諦めていない。翻訳の新しい企画とこのオリジナルは、来年のテーマになる。
 そうそう、ひとつ進んだ件もある。某業界機関誌にエッセーを売り込んでいたが、これが決まったことは書いたと思う。先日、原稿を書き上げた。12月に発行される。

 共訳が流れて、時間ができた。これからも毎日、こつこつと続けていこう。

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秋と台風


 今朝、ブログを書こうと思ったが、書くことが思い浮かばない。そこで散歩にでかけた。
 外はようやく秋の気配を漂わせている。まだ逗子では紅葉には早いが、それでも森に漂うのは秋の空気だ。
 虫がいなくなった。ぼうぼうだった下草も、夏のようには元気がない。梢の葉も、落葉が始まっている。
 何度も書いたことだが、僕は秋や冬の低山が好きだ。どういうわけか登山というと夏にでかける人が多いが、よっぽど標高の高い場所は別として、山歩きに最適な季節はこれからである。
 落葉が始まると、景色がよくなる。秋の方が夏より、森の中は明るいのだ。冷たい空気もほってった体には気持ちがよい。

 近くの海の見える丘に登った。遠方に稲村ケ崎が見える。その周りの海には白波がゆっくりと進む。
 今年は台風が多いので、サーフィンには絶好の年ではないだろうか。先日は幻のサーフィン大会といわれる「稲村サーフィンクラシック」が24年ぶりに開催された。
 この大会はチューブができるほどの大波が来た日にしか開催されない。稲村ケ崎の波は小さい。形は悪くはないが、普段はよくて腰か肩ぐらいで、凪いでいると湖のように静かである。そんな稲村ケ崎にチューブが巻くのだ。それは数十年に一度のことだろう。
 24年ぶりに開催された大会の模様をユーチューブで見た。本当にチューブが巻いている。参加したのはトッププロ達なので、見事に大波を乗りこなしている。場所が湘南だとはとても思えない光景だった。
 そういえば、逗子の海にも波が立つことがあるのだ。普段はまさに湖状態で、サーフィンはできない。ウインドサーフィンとヨットだけが、我が物顔に通り過ぎる。
 ただし台風が来ると状況は一変する。肩あるいは頭ぐらいの波がきれいにブレイクする。そこにミズスマシのように、サーファーが群がる。
 たまたまそんなときに逗子海岸にでかけ、サーフィンの様子を目にしたのだが、驚いてしまった。どうやってあの人たちは、ここに波が立ったことを知ったのだろうか。今はネットで情報が行き交うから、不思議ではないのかもしれないが、普段の静かな海しか知らない自分は、不意を突かれた。

 今日は午後、ブラインドとカーテンレールの取り付け工事がある。先日リフォームしたリビングルームは今、窓には何も遮蔽物がない。天気の良い昼間は直射日光が射し込み、夜は冷気が窓越しに伝わる。
 これでようやく我がリビングルームは、ほぼ完成を迎える。ほぼというのは、カーテンはまだ購入していないからだ。ただ4か所ある窓のうち、2か所はブラインドにするので、ほぼ完成といってもよいだろう。
 ブラインドは竹素材である。床は無垢だし、壁と天井は珪藻土、そしてブラインドはバンブー。全部、天然素材である。カーテンはリネンというこれも天然素材を予定している。

健康診断に行って、池子を考える


 昨日、はじめて市の健康診断を受診した。場所は逗子市保健センターである。池子の米軍住宅地のすぐ脇にある。
 事前に確認すると、駐車場はあるが、健康診断の受診者はなるべく駐車場を使わないで欲しいとのことだった。そこで歩いて行くことにした。昨日は晴天であった。
 我が家は丘陵地帯を切り開いた住宅地にあり、周りは山と森に囲まれている。保健センターは米軍住宅地の近くにあり、これも森に囲まれている。家から45分の行程だったが、ほとんどを山に沿うように歩いた。よい散歩になった。

 ところで池子の米軍住宅地だが、逗子市は長い間、米国政府や日本政府と交渉を重ね、返還を要求している。どうやら近々、返還されるようだ。その後は公園になり、一般に解放されるらしい。
 多くの人がとても喜んでいるようだが、僕としては複雑な気持ちである。
 逗子は緑に恵まれている。都心に近い割に丘陵地帯で開発が進まず、その結果自然が比較的豊富に残っているのだが、もうひとつ大きな理由がある。それが米軍住宅地だ。
 住宅地といっても広大である。中は入れないので詳しくは知らないが、住宅の他にグラウンドや様々な施設、大きな池までも存在する。その周りは山が取り囲み、そこも米軍が管理している。
 うちからすぐの山に登ると、尾根づたいにフェンスが設けられている。そこから先は侵入禁止だ。米軍が管理する土地であり、沖縄の基地と同じ扱いで、一般人は入れない。
 入れないのだから、当然、開発をすることもできなかった。この米軍住宅地は繰り返すが実に広大で、逗子市だけでなく横浜市にまでまたがっている。この巨大な土地が、開発の手を逃れてきたのだ。
 もし戦後にでも早々に返還されていたとしたら、おそらくデベロッパーに安価に放出され、住宅地やあるいは工場、ゴルフ場などができていたかもしれない。
 現代の日本人は驚くほど、景観に無頓着だから、郊外によくある醜悪な景色がそこに広がっていただろう。
 ネットで「池子米軍住宅地」と検索すると、ほとんどが「返還運動」や、「基地内の施設建設反対」に関するものである。僕のような考えは、相当に少数派であると思う。このブログに今、この意見を書いていることも、少々不安を感じるほど、逗子市では異端である。以前、ある市議にこの意見を述べたら、「そんなこと言ったら、大変なことになりますよ」と、釘を刺されたほどだ。
 しかし市や県、国を信じていいのだろうか。この地の開発についてだ。
 米軍が管理していたからこそ、自然が残ったこの地が市の管理となったら。自然公園として公開されるというが、どのようなものができるのだろう。たまに市から計画書が送られてくるが、それはまあ可もなく不可もなくという感じである。問題は将来だ。池子のすぐ近くの運動公園も、今大改修を行っている。こんな小さな市なのに、流れるプールまであるのだ。その線で、いつかはへんてこなビルやモニュメントが建てられるのではないだろうか。財政がひっ迫したら、売却するようなことにならないだろうか。それが仮に病院や福祉施設であったとしても、いったん民間の手に渡れば、それは民法の根幹をなす所有権に守られるのだから、その後は市は手を出せなくなる。そしてそこには、目を覆いたくなるような、看板が立ち並ぶ。
 そうならないことを願っている。

 健康診断は約一時間で終わった。会社を辞めてから初めての健康診断である。5年ぶりだ。受けられるものは全て受けた。一般の血液検査の他、大腸がん、前立せんがん、肝炎、肺がんなどの検査も受けた。胃がん検査も申し込んでいたのだが、朝ごはんを食べて行ってしまい、断られた。そんな人は、僕一人だった。よぼよぼのお爺さんですら、ちゃんと朝ご飯を抜くことを忘れていないのに。
 建物はきれいで広い。田舎の公営施設は、こういう点が恵まれている。
 駐車場は案外広いが、車で一杯だった。外の道にも路上駐車されていた。それでも周りは何もないから、問題はないようだった。
 帰りは逗子の街に立ち寄り、松屋で280円の牛丼を食べた。その後、図書館に行き、本を2冊借りて帰ってきた。

東北大の校歌


 チューリッヒに留学している甥っ子から東北大の校歌のデータファイルが送られてきた。東北大の卒業生である小田和正が最近、作ったものらしい。
 聴いてみた。大学生活はやはりいいなと感慨にふけった。僕は法政の出身で、あそこは都心だがキャンパスは小さい。あまり特徴のある風景ではない。それに比し、地方の国立大は歌になる。
 もっと勉強しておけば、こんな情景が思い出の一ページに記されていたかもしれない。

 その甥っ子だが今は大学2年生である。今年の9月からチューリッヒ工科大に東北大から交換留学をしている。
 チューリッヒはドイツ語が第一言語なので、授業はドイツ語で行われる。甥っ子は大学一年から大学の授業で、第二外国語としてドイツ語を勉強していた。みなさんも経験がおありだと思うが、大学の第二外国語の授業はそれほど濃密ではない。たかだか1年半の間、勉強したからといって、大学の授業についていけるレベルには達しない。そんなことは最初から分かっていたはずだが、当人は相当に焦ったようだ。切羽詰まったメールが何回か送られてきた。
 そこで甥っ子は思案して、奇策に出た。大学院は世界の潮流で、英語で講義が行われている。英語ならば、まだ少しはましだろうと、大学院に変更の願いを出したらしい。そうしたら、意外にも通ってしまった。
 ということで彼は今、大学2年生のくせに、大学院の授業を取っている。彼の専攻は地学だが、チューリッヒ工科大学の地学はヨーロッパ一の実績を誇るらしい。クラスには世界中から学生が集まっており、そのほとんどが自分よりもずっと年上であるそうだ。平均年齢は30歳ぐらいじゃないかと、甥っ子は書いている。
 日本人は他の国の人と比べて、見た目が若い。甥っ子はクラスの中では、まったくの子ども扱いであるらしい。よいことだ。
 僕もアメリカでだが、大学と大学院に通った経験があるが、大学は意外とクラスメートに馴染むことが難しい。大学生はまだ若く、言葉が不自由な外国人と話すことが億劫である。院生になると、まず学生の意識が高いし、年齢も熟しており、外国人に寛容である。大学院の方が、楽しい学生生活を過ごすことができた。きっと甥っ子もこれで、安心して学問に打ち込むことができるだろう。

 甥っ子に先日、日本食を送った。麺類を中心に、インスタントの味噌汁やふりかけ、スナック菓子も梱包した。安い船便で送ろうと、最初は考えていたが、毎日学食での食事が続き、飽いているという。2週間で届く航空便で送ることにした。送料は約2万円である。3万円出せば、3日で届くコースもあるらしいが、2週間ぐらいは我慢できるであろう。甥っ子には悪いが、こうして1万円を節約した。

 大学2年で受ける異国の地の大学院の授業は、ライオンに追い立てられている気分であるそうだ。しかし辛いけれど充実していると言う。きっと地力を増して、成長して帰ってくるだろう。
 僕とは言えば、ライオンならず猫とじゃれ遊んでの毎日である。今年もあと2か月強。出版の目途はまだ確実とは言えない。猫に追いかけられながら、前に進まなくてはならない。

色んな助成


 先日、市役所に行って、リフォームの助成金と耐震補強工事の補助金を申請してきた。リフォームは費用の10%を、耐震補強は50%を補助金として受け取ることができる。
 今回の工事はリフォームの部分が全費用の7割程度で、耐震は3割程度だった。全体としては4割程度の補助であるが、大変に助かる。
 耐震補助はさらに工事費の10%が所得税の控除として認められる。また2年間は固定資産税が5割減額される。
 例えば耐震工事に100万円かかったとしよう。すると補助金は50万円。所得税の控除は10%だから、10万円が控除される。所得税率が20%としたら、2万円だ。また固定資産税が10万円だとしたら、5万円が割引される。これは2年続くので、合計で10万円。合計で62万円が、なんらかの形で市からバックされるのだ。
 これらは案外知っている人が少ないのではないだろうか。
 リフォームの1割助成も利用する人は少ない。工事をした工務店も、助成の存在を知らなかった。申請書には工務店からの書類がいくつか必要なのだが、初めて書いたと言っていた。
 それにはひとつ理由がある。大々的に宣伝をしていないのだ。僕は市報を毎回、丁寧に読んでいる方なので、以前から助成金のことを知っていた。しかし市報に小さく載せる以外は、多分広報をしていない。
 リフォームの助成金は10%の助成だが、上限がある。たしか10万円だ。市役所の窓口に聞いたら、1年間の予算は200万円とのこと。全員が上限いっぱいの10万円を助成されたと仮定すれば、20人しか対象とならない。
 おそらく予算は少ないと踏んで、僕の場合は予算が始まる4月にすぐに申し込んでおいた。市役所いわく、去年も5月には受付を締め切ったとのことだ。

 このように情報の意味は大きい。先日、最近起業した友人と話していたら、その友人は千葉市在住だが、千葉市は起業者に300万円もの助成金を支給するそうだ。このお金は返済の必要がない。つまりくれるのである。申し込めば全員が受けられるわけではく、審査に通った場合のみではあるが、それでも大変な厚遇である。
 ただ僕自身が裏を取った訳ではないので、実際はどうか定かではない。人づての情報の精度は案外と低い。僕の聞き違いのケースもあるだろう。興味のある方は、ご自分で調べてください。

夫婦50割引き


 昨日はかみさんと横須賀まで映画を見に行った。二人で映画を見に行くのは久しぶりだ。もっと見に行きたいと思っていたが、映画は案外高い。大人はひとり1800円だから、ふたりで3600円。
 ところが夫婦のどちらかが50歳以上だと「夫婦50割引き」というのが使えるのだ。少し前に知って、ぜひ使いたいと思っていた。そしてようやく昨日、実行をした。
 事前にネットで調べると、ふたりが夫婦であることを証明できるものと、50歳以上の人間の免許証などのIDが必要であるという。かみさんは普段、免許証を持ち歩かないが、携行してもらう。
 チケット売り場で、「あのぅ、50歳以上の割引で、2枚お願いします」と言って、自分の免許証を示す。すると、それだけでチケットが2枚でてきた。料金は2000円。
 あまり厳格でないようである。つまり僕と一緒に映画に行けば、誰でも女性は1000円で映画が見られるということだ。こりゃいいや、と喜んで、かみさんに「今度は他の女の子と映画に来ても2000円だ。お得だね」と言うと、「でも二人分払うことになるから、ひとりで来た方が安いじゃない」との切り替えしが来た。たしかに。
 映画は宮崎駿の「風立ちぬ」を見た。不思議な映画だった。小さな子には、ストーリーが理解できないかもしれない。大人には楽しめる作品だが。
 何度も引退宣言をしているので、今回もどうなるかは分からないが。これで最後だとしたら残念である。またこの監督の作品は見たい。それも映画館で。

 映画を見る前に、横須賀の街を歩いた。横須賀は個性的な街だ。軍のある街はみな同じなのだろうか。他はあまり知らないので、比較できないが、東京からすぐの場所にこのような風変わりな場所があること自体が不思議だ。
 行きはJRで行ったのだが、電車の途中で軍艦が何隻も目に飛び込んでくる。軍艦の周りの港はごく普通の作りだし、その周りを取り囲む街は、どこにでもあるようなビルが建ち並んでいる。それなのに中心に軍艦がある。普通の顔をして佇んでいる。
 例えば銀座の街中の駐車場に戦車が何台もパーキングしていたとしたら、不思議な感覚にとらわれるだろう。横須賀は、そんな異次元的な街なのだ。
 軍艦だけでない。当然、外人が多い。それも大手町や有楽町にいるようなスノッブな感じの外人ではない。腕周りが僕の脚ぐらいある外人が、のっしのっしと歩いている。
 ああいうイカツイのを見ると、つい彼と闘わなくてはならないシュチュエーションになったらどうするか、という想像をしてしまう。そんなことを考えるのは、僕ぐらいのものだろうか。彼らを眺めながら、戦いのシュミレーションをする。
 シュミレーションでは、まず敵は僕の顔をめがけ、右パンチを放つ。僕はぎりぎりのところで、入り身でかわし、敵の背後にまわる。大きな背中は僕のパンチなど効くはずがないから、手刀で脊髄を一撃する。これも致命傷を与えるには及ばないが、さすが背後からの脊髄への攻撃に、敵はよろめく。そこをすかさず、近くにある何でもいい、鉄の看板だとかで、同じく脊髄に打撃を加え、止めをさす。
 あくまでも想像の中でのシュミレーションである。現実はこんな展開にならないことは、重々承知しているよ、もちろん。多分、大声を出して驚かして、それからダッシュで逃げるでしょう。

 映画の後は定食屋で食事を取る。初めての店だが、大当たりだった。僕が取ったのはキスフライ定食(750円)、かみさんはハンバーグ定食(800円)だった。僕のキスフライは4枚ものっていて、皿からあふれ出るほどだった。小鉢も二つ付いていて、味噌汁は具だくさん。かみさんのハンバーグも口に入れると、肉汁たっぷりのうまさだった。
 横須賀はこういう店があるから好きである。もっと人が来てもおかしくない場所だ。飲み屋も入ったことはないが、かなり良さげな店構えが多い。きっと楽しめると思う。
 横須賀は、人があまり多くない。すたれた感じがなくもない。このすたれ感も悪くはないが、このままいくと、店自体が減っていってしまうだろ。
 若者も中年も、老年も、もっと横須賀に遊びに来てほしい。スカイツリーばかりが込み合っているようだが、こっちの方がきっと面白いと思うよ。

人気のお能とお隣さん


 昨日は逗子の街まで降りて行った。目的はふたつ。図書館の調べものと、文化プラザでチケットの購入である。
 まずチケットを買った。昨年も行った能と狂言の舞台である。演目は能は「西行桜」、狂言は「隠狸」である。
 売り出しは今週の日曜からだったが、すでに8割ほどは売れていて。もちろん良い席からである。
 昨年は前の方だが左側だったため、柱が邪魔して舞台の一部が見えなかった。今年は良い席を買おうと勇んで行ったのだが、前述のごとく残りは2割程度。また左側しか空いていない状態だった。
 まだ売り出して5日しか経っていないのに、すごい人気である。1枚3800円と能の舞台としては破格である。仕方ないのか。
 と諦めながら、座席表を見つめていると、右の後方に2席だけ売れていないものを見つけた。後方とはいえ、逗子文化プラザは500席程度の小ホールなので、悪い席ではない。即決で購入した。
 実はチケットは先週のある日に一度買いに出かけていた。そのときはまだ売り出してなく、日曜から発売すると知らされた。10時からなので、希望の席がある場合はお早めにと忠告されていたのだが、まさかこんなに売れ行きが良いとは。想像もしていなかった。
 でもとりあえず、そこそこの席が買えて良かったのである。ちなみに講演は2月である。

 続いて図書館に行った。なんと休館であった。蔵書の整理週間に当たっていたのだ。前回、来た際に言われたような記憶があるが、うっかりしていた。
 昨日はかなり力を入れて調べものをするつもりだった。張り切って行っただけに、がっかりしてしまった。さて、これからどうしよう。
 せっかく逗子まで歩いてきたのに。海でも見に行くか。それとも昼間だけど、ビールぐらい飲んで帰るか。と考えたがともに却下。昨日もお隣さんの庭の掃除の続きをしなくてはならなかったからだ。
 せっかくだからと、しばらく図書館の横を流れる川を眺めてから、家に戻った。川を眺めていたのは5分程度である。
 ベンチを見つけて腰かけたが、昼間から長髪髭面の男が川辺のベンチに座っている様は不自然である。視線が集まるのを感じる。真面目そうな高校生の男の子が前を通り過ぎるときなど、明らかに緊張している様子だった。なので、早々に引き上げることにした。

 お隣さんは待ち構えていた。声をかけるとすぐに窓まで出てきた。僕が草むしりをしている間は、ほぼずっと何かを話していた。申し訳ないが、半分以上は聞こえなかった。適当に相槌を打っていたのだが、それでもニコニコと話し続けていた。
 一時間で終えるつもりでいたが、1時間半が過ぎた。それでも半分程度しか終わらなかった。今日も行かなくてはならない。きっと今日も待ち構えているだろう。こちらもかみさんが朝、家を出てから会話のない一日である。僕としても、話は楽しくないわけはない。
 そういえば、お隣のお宅はたいそうインテリの家系で、亡くなったご主人は官僚で、娘さんは学者なのだ。昨日は娘さんの名刺を見せていただいた。肩書は某旧帝大の准教授であった。年は僕よりもひとつ下。今度、帰宅されたときは紹介していただけるそうだ。
 お隣の老婦人は僕のことを娘さんになんと言うのだろう。いつも家にいて、たまに草むしりをしてくれる中年男性とでもいうのだろうか。はたして娘さんは僕に会ってくれるのだろうか。

おいしいお昼をいただく


 もし共訳の話が実現したら、相当忙しくなるだろう。納期がどれぐらいなのかは分からない。それにより変わるだろうが、他の仕事を抱えながら、まるまる一冊を訳すのだから、毎日かなりの時間を費やさなくてはならないはずだ。
 出版が本決まりになるまでは、まだ1,2週間かかるそうだ。その間、何かをしようかと考えた。日帰り旅行でも行ってこようか。
 と思ったのだが、止すことにした。目の前にはやらなくてはならないことが、山積している。旅行などいっている余裕はない。
 時間を取られて、かつ必要性の高いことは何か。そう思案し、ひとつの答えに帰結した。庭を掃除しよう。
 今年は植木屋を入れない年だ。去年はお願いをした。以前は毎年、植木屋を入れていたが、最近は経費削減のため隔年で入れることにしている。今年は自分で剪定する年である。
 一番手間のかかるのは、隣家との境に植えているカイヅカイブキの生垣である。20本程度が植えられていて、剪定は大仕事になる。
 植木屋に剪定してもらってから1年以上が経っていた。あちこちから伸びすぎた枝が頭を、いや肩ぐらいまで出している。何とかしなくちゃと思っていたが、今年の夏は暑すぎて、剪定をする気分になれなかった。
 そこでこれを好機にと、剪定に着手することにした。
 
 いや、大変な作業だった。一日で終わらせるつもりだったが、結局2日間もかかってしまった。一昨日、昨日と作業したのだが、今も体中が痛い。筋肉痛と杉のような尖った葉が刺さった跡が、痛痒い。まあ筋肉痛は嫌いではない。最近、ジムに行っていない。よい運動になったと思っている。
 しかし垣根の剪定はこれで最後にしようかと思った。それは恐ろしいからだ。
 我が家は山を造成した南斜面に建っている。カイヅカイブキはほぼ家を取り囲むように植えられているが、いつも自分で剪定するのは我が家の南に面する垣根である。ここが一番、伸び盛るからだ。
 我が家の庭に脚立を立てて刈ることは恐ろしいながらも、何とかできなくはない。下は芝生だし、恐怖感は少ない。問題は隣のお宅の裏庭に入らせていただいて、刈り込む作業の方だ。
 隣のお宅は我が家の南にある。我が家は南斜面に建っている。つまりお隣は、我が家よりも一段低い場所にあるのだ。そこに脚立を立てて剪定をするのだが、低い位置に土地があるので、脚立のてっぺんに立たなくてはならない。
 うちの脚立は結構、大きい。三角の状態でも、てっぺんまでは2メートルぐらいある。そのてっぺんに立つのだ。どうです、みなさんはできますか?
 僕はどちらかというと、高所恐怖症である。この作業がとてつもなく怖い。今まではどうにかできていた。やはり歳なのだろうか。今回は脚が震えて仕方なかった。
 恐ろしさを増すことに、隣のお宅の庭はコンクリートのブロックが敷き詰められている。あそこに落ちたら多分死ぬだろう。よくて骨折。骨の折りどころがわるければ、生涯寝たきりになるかもしれない。そう考えると足がすくむ。
 一昨日、昨日は恐怖との戦いだった。何とかやり遂げることができたが、決心をした。もう生垣の剪定を自分でやることは止めにしよう。
 植木屋に頼むと、それなりの金額がかかる。僕が2日間、翻訳で稼ぐよりも多い額である。稼ぐつもりで、自分でやっていたが、怪我したり死んだりしたら、元も子もないない。餅屋は餅屋なのである。
 翻訳家は書斎でおとなくし翻訳をやっていればいいのだ。仕事がなければ、将来のために企画書を書いたり、本を探すべきなのである。
 ということに気が付いた。来年以降はあの脚立のてっぺんに立たなくていいと思っただけで、気分が軽くなる。
 
 お隣の裏庭で剪定をすると、どうしても切った葉や枝がそこに落ちる。昨日は作業が終了した後に、お隣の裏庭の掃除をした。入らせていただいたお礼に、ついでに雑草むしりもしておいた。
 黙って雑草を取り、そのまま退散するつもりでいた。ところがお隣さんはその様子を見ていたのだ。窓から顔を出し、しきりにお礼を述べる。当たり前の作業をしただけなのに、恐縮である。
 お隣は、高齢のご婦人がひとりで住んでいる。普段は手伝いの人に来てもらい、庭の掃除を任せているそうだ。ところがお手伝いさんが体調を崩し、最近は庭掃除ができていない。道理で普段はきれいな庭に、雑草が目についたわけである。 
 お隣さんはお礼にと、注文弁当を分けてくれた。僕のためにその日はふたつ注文してあったそうだ。おかけで昨日は、美味しいサンマの刺身弁当が昼飯となった。蕎麦でも茹でようかと思っていたのに、思わぬ僥倖である。
 
 今日もまたお隣の庭を掃除するつもりである。実はお手伝いさんの代わりに、庭全体の草むしりを頼まれたのだ。時給でお手当もいただけるそうだ。
 毎日、家にいるので、もしかしたら僕の生活を案じてくれたのかもしれない。お金はいただかないつもりでいるが、いざとなったらこの手があると気が付いた次第である。

リフォーム後の悩み


 リビングのリフォームが終了し、快適な日々を過ごしている。苦手な掃除機も毎日かけている。部屋は今のところ、ぴかぴかである。
 これはとうぜん嬉しい事実であるが、思わぬ悩みが後を追いかけてきた。
 リフォームをする前は、部屋を乱雑にしていた元凶である諸々の持ち物を思い切って処分するつもりでいた。かみさんにも、「がんがん捨てるぞ」と威勢よく宣言していた。しかし。
 主に捨てようと思ったのは布団、テープ、レコード、である。

 布団は捨てた。それなりに捨てた。しかし何だか良心が痛む。捨てたのは僕が以前、使っていたものが中心だ。この家を購入したときに、新しい布団を何組も買った。当時は独身で一人暮らし。たくさん友人に遊びに来てもらいたくて、多分5組ぐらいは布団を買った。前から持っていた布団も結構ある。その結果、我が家は布団だらけになってしまった。
 この中で捨てるのは、やはり使い古した自分の布団である。だから捨てている。一遍に捨てるとゴミ回収の支障になるのではと考え、少しずつ捨てている。今朝もひとつ捨ててきた。
 ゴミ置き場に捨ててきた。きれいに畳み、大きなビニール袋に入れて捨ててきた。振り返ると、散々お世話になった布団が、小雨に濡れながら、小さくうずくまっていた。苦楽を共にした同士である。まだ使えるのに。ごめん。とても切ない。

 次にテープ。テープとはカセットテープのことである。これはすでに全部、捨てた。
 昔はテープが中心だった。レコードもテープに録音して聞いた。エアチェックという、今はこんなことをする人はいないだろうけど、FM放送で流れてくる好きな曲だけを狙い撃ちして録音したりした。
 そうして録音したテープにはちゃんとタイトルや曲名を書き込んだ。手書きが多いが、驚いたことにタイプで打ち込んだものも結構あった。
 うんと昔の話だ。当時はパソコンやワープロさえなかった。僕はいつか留学をするつもりで高校のころ英文タイプライターを購入していた。大学時代はタイプの学校さえ行ったことがある(おかげで大学時代から、ブラインドタッチができた。今でもキーボードはかなりの早打ちである)。
 それでカセットの紙にタイプしたのだ。思い出の曲ばかりである。
 テープはまとめて不燃ごみの日に出した。そうしたら回収されなかった。テープのケースはプラスチックごみとして、中身は燃えるごみとして捨てなくてはいけないようだ。それで一つずつケースから出して、ゴミ袋に入れた。相当な数があった。100本以上、200本ぐらいあったと思う。そのどれにも手書き、あるいはタイプの文字が刻まれている。作業としては30分もあればできる仕訳である。しかしひとつずつ、思い出を反芻するようにして仕訳していると1時間以上が過ぎていた。
 作業のとき、とくに手が止まったテープがあった。それは小学6年生のとき、友人と一緒に行った銚子鉄道の音の録音テープだ。
 あの頃はデンスケだとか、僕のは違ったが、とにかくカセットデッキを肩に掛けて音を外に録りにいくことが流行っていた。
 初めての子供だけの遠出だったかもしれない。楽しかったな。
 テープのケースは銚子で買った絵葉書をカットして表紙が作られていた。銚子鉄道の切符もはさんであった。切符には小学生の印の「小」の字が赤でスタンプされていた。

 そして最後がレコードである。これは売ることに決めていた。ネットで調べたら、宅急便で送ると査定してくれて、その金額に満足すれば買い取ってくれるサービスがあるらしい。価格が不満なら、無料で送り返してくれる。
 レコードも200枚ぐらいはあるはずだ。これも一枚一枚に目を通した。
 けっこういいのを持っているのだ。僕はあまり音楽に凝る方でなかったので、そんなに持っているとは思っていなかった。なかなかのコレクションであった。
 小林麻美なんかあるのだ。それも復活してヒットした「雨音はショパンの調べ」ではなく、デビュー曲の「初恋のメロディー」のシングルとアルバムだ。これなんか、けっこう高く売れるのではないか。
 歌謡曲は、あとはピンクレディーが多い。ミーもケイも若くてかわいい。
 しかし一番多いのは、いわゆるブラコン、つまりブラックコンテンポラリーである。今はR&Bというのかな。クインシー・ジョーンズだとかコモドアーズ、クールアンドギャングズ、アル・ジャロウ、リック・ジェームス、レイ・パーカーJr.、マーヴィン・ゲイなんかがある。ジャケットを見ていたら時間が尽きない。
 結局、まだ売りに出せずにいる。プレーヤーを買おうかどうか、迷ってさえいる。

釣り人のマナー


 近くにわりと大きな池がある。散歩コースにあり、毎日のように周辺を歩いている。
 そこの池は釣りが禁止されている。「釣り禁止」の看板も3か所設置されている。しかし毎日のように釣り人を目撃する。釣っているのはブラックバスとブルーギルである。

 先日、家のリフォームに来た職人と話をした。ずっと地元らしく、この周辺も詳しい。子供時代には、よくその池で遊んだそうだ。職人は30代後半なので、30年近く前の話だ。
 その池がバス釣りのスポットになっていると言ったら、驚いていた。以前は、鮒やタナゴなどが沢山いたそうだ。もちろんバスもブルーギルもいなかった。今は逆転して、鮒もタナゴもまったくいない。いるのはバスとギル、そして外来魚にも負けない鯉と亀だけである。鯉も錦鯉で、亀はミドリガメが中心だ。みんな後から持ち込まれたものばかりである。

 そこの池は公園として指定されていて、散策を楽しむ人やハイキングの途中で休憩を取る人がベンチに寛いでいたりする。
 池の周りは深い森で、池に面するまで、そこに誰がいるのかは見ることができない。池に通じる小道を歩いていると、しかし池にいるのがハイカーなのか釣り人なのかは気配で知ることができる。
 ハイカーは賑やかに談笑していて、明るい。一方、釣り人はしゃべらないし、暗い。魚に気配を感じさせないためだろうが、それだけでもないようだ。後ろめたい雰囲気を醸し出しているのだ。そのどんよりとした薄暗さが、遠くからも感じられる。
 あんな風にはっきりと「釣り禁止」の看板が掲げられているそのすぐ近くで、禁を破っているのだから当然だろう。横を通り過ぎても、決して目を合わせようとはしない。ハイカーの方は、待ってましたとばかりに、こちらの目をしっかり見つめ、「こんにちは~」と挨拶してくるのとは対照的だ。

 あの場所は条例で釣りを禁じられているのだから、それはいけない行為である。ただ本心を言えば、あれだけ魚がいるのだから、釣りをしたい人がいることは理解できる。とくに小学生の子供たちが夢中になって、ザリガニを釣り上げている姿は、好ましくもある。
 しかしあのバス釣りという釣りのスタイルだけは、いただけない。キャッチアンドリリースだから魚に優しいと本気で思っているひとがいるようだが、そうだろうか。そういう人はぜひ一度、30センチぐらいの先の鋭いフックを買って来て、咥えたところを、友人にでも引きずり回してもらったらどうだろうか。本当に魚に優しい行為なのかが分かるはずだ。
 カヌーイストで素潜りの達人でもある野田知佑は、千葉の亀山湖の近くに住んでいたときに、なんども素潜りをして、喉の周りが化膿して苦しんでいるバスを見かけたと書いている。

 食べればいいのだ。人は生きるためには、他を殺生しなくては生きていけない。それは生ある者の定めでもある。しかし他の生物の命を弄ぶようなことはしてはいけない。
 僕もアメリカに留学していたころは、車に釣り棹を常時乗せていた。授業の合間に、近くの川にマスを釣りにいったし、少し離れた湖にキャンプをして、バスやブルーギルを釣った。マスはもちろんだが、バスもギルもみんな食べてしまった。バスは臭いとかいうけど、そういう人は本当に食べたことがあるのだろうか。揚げてしまえば、普通の味の良い白身の魚である。塩焼きにしたこともあるが、淡水魚としては食べやすい部類だと思う。

 疚しい気持ちのある釣り人は、やはり疚しい行為をしがちである。ゴミをすてるのだ。釣り糸、釣り針は当然のように投げ捨ててある。もしかしたら根がかりでもしたのかもしれない。それで仕方なく放棄したのかもしれない。しかし弁当箱やペットボトルを捨てていくのは、言い訳はできない。
 ハイカーでゴミを捨てていく人は、まずいない。一方、釣り人でポイ捨てをする人の割合は驚くほど多い。釣り人のカルチャーなのだろうか。

少し前進


 会社を辞めて4年以上になるが、未だ進む道を模索している。実務翻訳者として日々の糧を稼いではいる。しかしこれ一本に打ち込む気持ちはない。良い仕事ばかりいただいていると思う。ただこれが会社を辞めて、たどり着いた最終点だとは思っていない。
 翻訳は続けたい。しかしできれば軸足を出版翻訳に持って行きたい。収入が比較的に安定している実務は続けつつ、出版に挑戦したい。
 現在、翻訳を終えた本をある出版社に持ち込んでいる。代表に電話をかけて、まわしてもらった編集部の男性に企画書と訳文を送ったのはもう1か月も前のことである。一度、確認のメールを送ったが、まだ訳文は読んでいないという。ただ企画書の感じからは、まったく歯牙にもかけない、といった様子ではないようだ。訳文を読んでから、社内で検討するとのことであった。もう少し、待つことにしよう。

 今日のことだが、ある方から共訳の話をいただいた。こちらの方が可能性は高い。出版社は出版の意思があるようだ。これが通れば、初めての訳書の出版になる。共訳といえども、嬉しい話だ。

 と、翻訳は少しだが進んでいる。今年の始めのブログに書いたと思うが、今年中に何かひとつでも出版のきっかけをつかみたい。自分で訳し終えた本も、共訳の企画も、どうにか出版まで漕ぎ着ければと思う。

 翻訳と並行して挑戦したい分野がある。それはオリジナルの文を書くことだ。いくつか書きたいテーマはある。実は少し前から、具体的に取材を始めたものがある。
 僕の場合、まったく実績がなく、大した履歴も持ち合わせていないのだから、企画だけでは出版社は取り合ってくれないだろう。これも思い切って、書き上げてしまおうかと思っている。書き上げたら、訳書のときの同じように、出版社に売り込むつもりだ。

 オリジナルの文として、もうひとつ考えている分野がある。それはエッセーだ。無名の人間で、さらに男性のエッセーなど読む人はいないらしい。もっとも実現が難しい分野であるようだ。しかし僕としては、もっとも実現させたい分野でもある。
 このブログもその準備という面がなくもない。会社を辞めてからすぐに書き始めたので、もう4年以上になる。毎月10本以上は書いているので、500本ぐらいは書いたことになる。なんとなく書きたいテーマは見えてきた。
 そこでこれも売り込んでみた。出版社に持ち込んでも門前払いだと考え、ちょっと違った場所に持って行った。知人から紹介を受け、ある業界の会報誌に載せてもらえないかと聞いてみたのだ。3か月ぐらい前のことである。その返事が先週来た。採用してくれるそうだ。
 その会報は季刊なのだが、冬号から載せてくれるようだ。原稿の締め切りは11月である。
 エッセーのタイトルは「サラリーマンはもう嫌だ」だ。実はこういう内容を書きたかったのだ。企画ではエッセーだけでなく、海外ニュースの要約などもあった。しかし心中、あまり書きたいとは思っていなかった。もっと身の回りのことを書きたかった。
 このエッセーでは、会社を辞めるまでの心境や準備、辞めてからの貧しいながらも楽しい生活などを綴るつもりである。
 翻訳、ノンフィクション、エッセーと、それぞれ少しずつだが前に進んできたようだ。

リフォームが終わったぞ


 ようやくリフォームが終わった。9月の第2週から初めて3週間の工期だった。この3週間、リビングと和室は養生シートに覆われ、工具や脚立が置かれ、塗装の臭いがした。前にも書いたが、日常の空間に非日常の風景が出現し続けた3週間だった。
 3週の間、家を出たのは1日のみで、あとはずっと家に居続けた。買い物ぐらいは出かけたが。 
 僕は工事を手伝うわけではない。ただその場にいるだけだ。さらに工事の間が、あまり顔を出さないようにしていた。職人が気を遣うからだ。普段は2階の書斎にいて、ときたまお茶をくみにキッチンまで下り立つときに、様子を覗うだけだ。
 それでもくたびれた。そんなに意識していなかったのだが、どうもくたびれたようだ。体調を少し崩してしまった。なんだか耳の中が痛い。初めての経験である。中耳炎かもしれない。
 胃の調子が悪い。飲むのを控えればきっといいんだろうけど、この3週間は毎日、飲んでしまった。自業自得でもある。
 空気があまり良くないせいか、咳がでる。そんなに深刻な状態ではないが、喘息がはじまりそうな気配でもある。
 が、工事は終わった。ついに終わった。我がリビングと和室は、それはピカピカの空間に生まれ変わった。
 体調も一気に回復したように思える。

 なんといっても嬉しいのは、フローリングである。ブラックウォールナットの無垢である。仕上げはオスモのオイル塗装だ。塗装は自分でやった。
 もうすごい、素敵なのだ。塗装を自分でやったこともあるのかもしれない。愛着がある。でも、それを除いたとしても、非常に素晴らしい出来栄えだと言っても過言ではないだろう。
 もう嬉しくて、床板に頬ずりしちゃいたいぐらいだ。
 さらに壁と天井もパーフェクトである。壁は珪藻土をあえてコテの跡を残して塗ってもらった。天井は同じく珪藻土だが、漆喰のように滑らかな仕上げだ。
 
 今回の職人仕事も素晴らしかった。大工仕事はいつもの安田工務店である。工事が終わった後は、親方が掃除だけのために一人でやってきた。リビングルームと和室をきれいに磨き上げて帰って行った。オーディオラックや食器棚は扉を開けて、埃をふき取っていった。前よりもきれいになったぐらいである。
 そして今回、感動したのは左官である。大木工業という、逗子で長い間、店を構える左官屋さんにお願いした。
 壁を塗ってもらっている時だ。どうも僕らの希望とは違う、仕上げになっていた。まだ一面しか塗り終えていなかったが、どうしても気に入らない。その旨を伝えると、翌日塗り直してくれた。
 壁は全部で3回も塗った。下地が1回。珪藻土が2回。すべての左官仕事が終わった。
 珪藻土が乾くには2日程度かかる。乾き上がってみると、ある面に気泡のような跡があった。そこの壁だけは、以前はペンキが塗ってあった。他はクロスであった。ペンキの面だけ、気泡が浮いてきてしまったのだ。
 最後に確認に来た左官の親方に、気泡のことを告げた。すると嫌な顔ひとつせずに、「そうですね。わかりました」とだけ言って、翌日その面を全て塗り直してくれた。一日、余分に仕事が増えたのだ。
 親方は謝らなかった。しかし不快さも一切見せなかった。たんたんと受け入れ、黙って仕事に取り掛かった。その姿は、まさに職人そのものであった。

リフォーム後
リフォームを終えたリビングルーム
リフォームと大吉
貼り終えたばかりのフローリングから外を眺める大ちゃん

 リフォームとともに進めた耐震工事も無事に終了した。これで耐震判定が0.88から1.24に向上した。0.88だと「倒壊の可能性がある」だが、1.24だと「一応倒壊しない」になる。「一応」という文言に多少の不安がないことはない。が、築40年の家としては、十分な結果だろう。“一応”、国は1.0以上を問題なしとして認めている。
 ちなみに1.5以上だと単なる「倒壊しない」になる。しかし細かいところは“一応”気にしないようにしよう。
 我が家が建つ土地は地盤が岩盤で、非常に盤石な土地である。東日本大震災のときも、逗子駅近くの地盤が弱い所に比較して、震度で1も違ったのだ。東南海地震が起きても、“”一応”大丈夫であろう。
 とにもかくにも、リフォームと耐震補強の工事が終わって、とても嬉しいのである。きれいな家って、いいなぁ。

プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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