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彼我の差


 昨日、CNNでオバマ大統領の一般教書演説を見た。実にうまい演説だと思った。内容はところどころ聞き取れなかったが、演説の巧みさはよく分かった。まさにぴか一だ。
 僕は他の大統領の演説を聞いたことがない。CNNを見るようになってまだ数年で、見始めたときはすでにオバマが大統領だった。だからブッシュのもクリントンのも知らない。しかし想像はできる。きっとそれなりにうまいのだろう。見たことがないので比較はできないが、それでもオバマはぴか一ではないかと思う。
 ところで日本の総理の演説は当然に、見たことがある。うまいものもいたし、ヘタなのもいた。今の安部さんなんかは、上手い方に入れられると思う。その安部さんをしても、オバマと比較すると残念ながら見劣りする。しかしそれはそれでいい。
 やはり文化が違う。子供の頃よりプレゼンの機会を無数に与えられ、鍛えられてきた。子供同士で遊ぶ時も、自らの意見を強く主張することが良しとされてきた。翻って我が邦国では、謙譲が美徳である。雄弁よりも寡黙を美質とする。
 そこのところを考えれば、安倍さんぐらいできれば、これは立派な部類に入るのではと思う。
 問題は外野である。これはとても立派とは言えない。昨日の演説でオバマの雄姿を頼もしく眺めていたが、終わってから野党の重鎮のコメントを聞くと、羨ましく感じた。
 まず最初に、「とても良い演説でした」と、オバマの演説を讃えたのだ。それから、具体的に我が党との政策の違いなどを話していたが、兎にも角にもまず最初に正当な評価を述べたのだ。
 一方、我が国の野党は一部の党を除けば、口汚くののしるばかりだ。何でもかんでも反対であり、見識を疑うものであり、お粗末であると、口角泡を飛ばす。
 我が国の近隣諸国の政治家は、さらにこれに輪をかけて、お下劣な言動が見られる。こうしたことを鑑みると、これは東アジアの文化なのかとも思えてくる。
 できればそうは思いたくはない。ただ時間を要するのだと。議会制民主主義に移行したのは、いつなのかは正確に知らないが、おそらく明治の中ごろだろう。米国はワシントンの建国の当時から、命がけで民主主義を模索してきた。その差は小さくない。
 政治家にとって大切なのは、もちろん政策であるが、それと同じぐらい重要なのは佇まいである。まず人の話をちゃんと聞いて、そして受け入れてから、自らの意見を述べる。目くじらを立てずに、厳かに語る。
 野に下ったときにこそ、そんな振る舞いが求められると思うのだが。どうして我が国の野党はそんなことに気が付かないのだろうか。

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空気清浄器功罪


 ダイキンの空気清浄器を使っている。僕は喘息気味なので、なくてはならない品だ。都内から逗子に引っ越したら、咳がすっかり治まった。しかし暫くすると、また咳をするようになった。完全には治らないらしい。
 去年、この清浄機を買ってから調子がいい。使い始めてから、咳が続けて出るようなことはない。ほんと、助かっている。
 毎日、使っている。今もデスクの横で静かに起動している。
 普段はスイッチ(とは言わないかな)を、“自動”にしている。例えば清浄機の前を歩いたりすると、「ボー」と大きな音を立てて、自動的にモーターの回転が上がる。埃を感知して、がんばって空気をきれいにしてくれているのだ。
 この清浄機は「ハウスダスト」とともに「ニオイ」も清浄にしてくれる。これがちょっと怖い機能である。
 臭い人が部屋に入ると、「ニオイ」のランプが赤く灯り、「ボー」とモーターの回転が上がるのだ。しかし普段は臭くない人も要注意である。
 つまりオナラである。どんなに消音で放屁しても、機械は決して見逃すことはない。ひとりで部屋にいるときは、別に気にならない機能であるが、かみさんがいたりすると、お互いに気を遣う。
 ふたりで静かに読書なんかをしているときに、いきなり「ニオイ」マークが赤く点滅して、「ボー」が始まることがある。もちろん二人とも、気づかないふりをして、そのまま読書を続ける。
 夜も付けたまま就寝する。寝ているときに無意識に放屁してしまったりすると、大変である。「ボー」でたたき起こされてしまうからだ。
 なので寝るときは、「しずか」モードで寝るように、今はしている。これだと「ボー」は起こらない。

みんな可愛い


 うちの近くには幼稚園がふたつある。ひとつは普通の幼稚園。規模はかなり大きい。丘の上にあって、富士山を望める絶景の地に建つ名門幼稚園である。もうひとつは英語を教える幼稚園で、規模は小さい。一般の家を改装して幼稚園として使っている。
 大きな幼稚園は園庭も広い。それゆえか、子供たちを園の外で見かけることは少ない。一方、小さな幼稚園は園庭も普通の家の庭程度だから、外で子供を遊ばせることが多い。
 先日、いつもの散歩コースを逍遥していたら、小さな子供たちが走ってきた。先頭には背の高い外人の男性が走っている。子供たちは走りながら英語で会話している。興味があって、立ち止まりしばらく眺めていた。
 子供たちの列は長かった。数はそれほど多くはないはずなのだが、それでも10分ぐらいは続いた。つまりとてもまばらなのである。ひとりでちょこちょこと走っている子がいたりする。かなりの放任教育であるようだ。
 先生は全部で3人いた。最後には女の先生が走ってきた。女先生も外国人である。
 女先生が来たのを見て、少し躊躇をした。僕が立ち止まって子供を眺めているので、訝しく思うのではないかと心配したからだ。しかしちら見でチェックしたところ、どうも女先生の表情は明るい。訝しんでいる様子はない。思い切って目を合わせると、微笑み返してきた。
 女先生の微笑みに気を大きくした僕は、先生の少し後ろを走っていた女の子の頭をちょこっと触った。実はあんまり走る子供が可愛いので、ずっと触りたかったのだ。でも今の時代、知らない子供に触ったりしたら、どう思われるか知れない。
 頭をいきなりタッチされた女の子は一瞬とまどい、走り去りながら振り返った。よい笑顔だ。そして元気に手を振ってくれた。
 女先生も女の子も、そして他の子供たちも、みんなとても可愛い。男先生はかっこいい。
 ところで大きな幼稚園の子供もかわいい。園庭で遊んでいるところを見ていると、この子たちも手を振ってこたえる。こちらも手を振りかえす。
 しかし先生はあまり歓迎していない様子である。幼稚園の先生はみんな若くて、これはこれで可愛い。しかしそれは容姿の話であって、雰囲気は固い。
 彼らに罪はないのである。きっと世の中が悪いのだ。でも同じ環境にありながら、外人先生は柔らかく、日本人のかわいこちゃん先生たちは固いのはなぜだろうか。
 日本のかわいこちゃん先生も、笑い返して来たら、もっと可愛いだろうに。


興味はありますから


 昨日、サーファーの本を大手出版社に売り込んでいるとブログに書いたが、あれから出版社に電話をかけた。昨日は3回電話をして毎回担当の方が不在で、4回目にようやくつながった。
 まだ読んでいないらしい。もしかしたらこのブログでは書き忘れているかもしれないが、たぶん書いたとは思うが、もう一度書く。サーファーの本はすべて訳が終わっている。それでこの本は企画書でなく、全訳を送っているのだ。それもプリントアウトしたものを。その全訳をまだ読んでいないという。
 プリントアウトは10月25日に郵便で送った。その後、確認の電話を4回している。昨日は5回目の電話であった。さすがにこのぐらいしつこく電話をすると、僕のことを覚えていたようだ。今回、初めて会話らしい会話ができた。
 「まだ読んでないんですよ。すみません。でもかならず読みます。興味はありますから」
 恥ずかしながら、僕は舞い上がってしまった。「興味がありますから」。
 電話を切った後、嬉しさがこみあげてきた。
 まだ読んでいないのである。タイトルを見て、あるいはちょっとアマゾンかなんかで書評を確認して、それで「多少はおもしろいかも」と思った程度に過ぎない。そんな程度の「興味」ではあるのだが、それでも僕は嬉しいのだ。
 この本はすでに何社かに企画を出している。どの社もきっと本を読んでいない。電話の対応でだいたい分かる。今回、はじめて本を読んでもらえる可能性がある。
 本を訳してかなりの時間が経った。その間、何度か自分の訳を読み直している。最初に読んだ頃よりも、良い本だと思うようになった。うん、悪くない本なのである。バカ売れはしないだろう。でもサーフィンに興味のある人、海が好きな人、自然に畏敬を感じる人。そんな人たちの間に、じっくりと時間をかけて読み広まる本ではないかと思うようになった。

 洋書の森で借りた本の企画書を昨日、仕上げた。その本は人間の思考に関する本なので、「思考の本」と仮に呼ぶ。
 「思考の本」の企画書を、これから某大手出版社(サーファーの本とは別の出版社)にメールで送ろうと思う。この出版社には以前も、別の企画を何本か送ったことがある。担当の方(といってもかなり偉い管理職であるが)は、なかなかビジネスライクでクールなひとである。僕の長ったらしいメールに対して、いつも短い文面で、「すでに版権が抑えられています」とか、単刀直入な返答がくる。しかし企画には目を通してくれる。それに回答が早い。
 一番困るのは、企画を読んでもいないのに、回答を引っ張って、最後はうやむやにフェードアウトしようとする出版社である。電話をすると、申し訳なさそうにする。対応はやわらかである。
 きっと忙しいのだろう。しかしこちらが望むのは真剣勝負だ。ダメならダメと、ちゃんと企画を読んで判断し、はっきりと告げてもらいたい。その点、この担当者はむしろ誠意がある。ちゃんとはっきりと、ダメ出しをしてくれるのだから。それも即答で。
 ということで、今回のこの自信の企画は、この出版社に最初に送ることにする。

出版の仕事の現状


 昨日の続きをちょっと。昨日の数字はアメリカの新築住宅の延床面積であった。あの書き方だと古い建物も含まれるように取れる。不親切な書き方であった。
 ついでに追加の情報も書いておく。米国の新築住宅の平均敷地面積は400坪である。ニューヨークタイムスには平方フィートで書いてあったが、換算するとだいたいそうなる。そして新築の平均価格は4000万円弱である。うらやましい数字である。

 さて今日のお題だ。現在の出版関連の仕事の状況を記そうと思う。
 まずサーファーの本の翻訳を某大手出版社に持ち込んでいる。最初に電話をかけたのが10月である。未だ回答はなし。たまにこちらから電話すると、まだ忙しくて読んでないとのこと。もうそろそろ読んでいただきたい。もしこのブログを読んでいたら、担当の方、ぜひ思い出して読んでください。ほんと、お願いします。
 ある先輩に企画の持ち込み方を尋ねたら、その人は数社に股かけて持ち込むという。どうせほとんどがボツになるのだから、それで大丈夫だという。しかし僕は小心者でそれができない。なので一社でスタックすると、それで前に進めなくなる。
 次にオリジナルの本についてだ。これはある出版関係の方に企画書を渡してあるのだが、その方は現在出版社には勤務していない。その方から紹介していただく所存だ。その方には口頭で企画は説明してあり、内容に興味を持っていただいた。紹介をこころよく、引き受けてくれた。
 この企画は年初めに渡した。あれから2週間。こちらも連絡はこない。一度、確認の電話をかけたら、まだ読んでいないとのこと。ただこの方は、必ず動くと言ってくれてあるので、今は待つ時だろう。
 オリジナル本に関してはこのように、企画を売込み中であるが、ただ時間を浪費してもなんなので、現在資料を渉猟している。本を読んではカードを作り、書きとめている。すでに数百枚はたまっている。しかしこれでも、まだまだである。おそらく現在までの倍の資料は読み込まなくてはならない。するとカードは1000枚ぐらいになるかもしれない。本は夏ぐらいまでには書き上げたい。かなりきついスケジュールである。
 もうひとつ翻訳の企画がある。昨日、本を読み終えたばかりだ。この本は「洋書の森」で見つけたものだ。かなり面白い。いままで洋書の森で借りた本の中で、一番出版が実現する可能性が高いと思える本だ。
 今週中に企画書を書き上げ、出版社に売り込みを開始したい。
 ところで翻訳書のリーディングだが、僕はかなり読むのが遅い。本の内容や構成によるのだが、僕の速度は1時間にだいたい10ページぐらいである。一日に出版翻訳に当てている時間は3時間だ。すると読めるのは一日30ページ。今回借りてきた本は220ページだったので、10日ぐらいかかった。
 今、他にも読まなくてはならない本がいくつかある。とくに昨年から読んでいる本は、おそらく1000ページぐらいある。おそらくというのは、キンドルで読んでいるから、ページ数が分からないのだ。この本は、いつ読み終えられるのか、見当もつかない。そして翻訳をするとしたら、何年ぐらいかかるのだろうか。
 この本はとても良い。ぜひ翻訳をしたい。しかしきっと不可能だろう。というのは、時事性の高い内容だからだ。今でもちょっと古い。3年ぐらい前に出版された本なのだが、そこで取り上げられている数字、たとえばGDPなんかが、2009年のものであったりする。これから翻訳を初めて、たとえば3年かかって、出版が2017年になったとすると。いくらなんでも数字は差し替えなくてはならなくなる。筆者がそれを受けてくれるだろうか。きっと難しいだろう。
 しかし本当に良い本なので、企画は持ち込みたい。すると僕には手に余るということで、他の翻訳者、あるいは翻訳者グループに回されるかもしれない。そうなったら残念である。しかしそれでも日本で出版されることになれば、本を見つけてきたものとしては、これは本望といえる。

 話が戻ってキンドルについてだが、あれはやっぱり読みにくい。目に優しいし、文字もきれいであるが、まずサイズが小さい。文字は拡大できるから良いのだが、図は拡大できない。表や地図なんか小さくて、よく読めない。それとページ表示がないのも、分かりづらい。いったい今、僕は何ページまで読んだのかが、分からずに読み進めるのは大儀なものだ。たしかにパーセントで進捗状況は表示される。しかし全体のページ数が表示されていないので、いまいちピンとこない。

広いか狭いか


 今朝は8時から仕事を始めた。最近は7時からの日が多かったが、1時間遅れた。
 いつも書いていることだが、僕は朝4時半に起床している。すぐに朝食を作り始める。かみさんが朝の支度をしている間に、できあがった朝食をテーブルに並べる。かみさんが家を出るのは6時少し前だ。それからまた家事に努める。
 毎日やることとしては、食器洗いと片づけ、そして猫の餌やりとトイレの掃除。これで30分かかる。今朝は燃えるごみの日で、これがまた結構な手間である。各部屋にあるゴミ箱のごみを回収して歩かなくてはならない。ついでにやかんに水を入れて持って歩き、室内にある植物に水をやる。これもまた30分近くかかる。
 今日は洗濯もした。昨日もしたのだが、明日の天気予報が曇りだったので、洗っておいた方がよさそうなタオルやパジャマなんかを洗う。干す時間も併せると、これも30分。
 そして今日は2階の掃除をした。昨日は1階をしたので、今日は2階である。以前は両方をいっぺんにやっていたが、それだとものすごく時間がかかるので、今は分けてしている。これも30分。
 全部の時間を合わせると2時間になる。だから今朝は8時から仕事を始めた。
 普段はこれらの家事をいっぺんにいくつもこなしている。省略するものもあって、何とか1時間に抑えたいと思っている。まあ、無理な話である。たいてい1時間ちょっとはかかっている。うん、もうちょっとかな。

 以前のブログに書いたことがあるかもしれないが、僕には景気浮揚の秘策がある。「住居面積倍増計画」である。もちろん池田某の「所得倍増計画」をもじったネーミングである。
 今、東京近郊でいえば、平均的な延べ床面積は、マンションで70㎡、一軒家で100㎡といったところだろう。これをマンションで140㎡、一軒家で200㎡にするのだ。
 僕は広い家が好きである。それもあって、こんな田舎に住んでいる。それでもうちは110㎡しかない。土地は60坪である。
 やはり200坪以上の土地で200㎡以上の延床に住みたい。思えばアメリカのアパートは広かった。ひとりで住んでいたにもかかわらず、100㎡以上はあったと思う。日本式にいうと2LDKだったが、ベッドルームは16畳ぐらいあった。リビングは20畳以上だった。書斎もあって、それが12畳ぐらい。
 今朝、ニューヨークタイムズを読んでいたら、アメリカの住宅の面積が増える傾向にあるというニュースが載っていた。リーマンショック以降、縮小化していたが、最近また拡大化に向かっているそうだ。
 記事には現在の平均面積が載っていた。2,607平方フィートだそうだ。これだとちょっと分からない。試みに換算すると、242㎡である。坪数でいうと、73坪。僕の「住居面積倍増計画」をもってしても、アメリカの現状にかなわない。
 これぐらいあれば、家具もこりたくなるだろう。大きなテレビも様になるだろう。地下室を趣味の部屋にしても面白い。当然に消費を刺激して、景気を浮揚させる。
 今みたいに狭い家に住んで、部屋の中が物に溢れていて、いくら「内需拡大だ」なんて叫ばれても、買う気にはならない。まず物を入れる器を大きくして、はじめて中身の充足が図れるというものだ。アメリカの内需が隆盛なのは、家が広いからだ。

 しかしだ。今でさえ掃除にてんてこ舞いをしている。家の中以外にも、庭の掃除がある。今は冬で雑草が生えてこないので楽なのだが、春になれば毎週1回では足りない。花も植えなくてはならない。植木の剪定もある。
 もし今の倍の広さがあったとしたら、おそらく僕の一日の半分は家事に費やされることになるだろう。翻訳や物書きの時間が果たしてどれだけ取れるであろうか。今でも足りないと感じているのに。
 そう思うと、今の広さで満足すべきなのかもしれない。鴨長明の「方丈記」なんて読むと、これはこれで羨ましいと思う。良寛の五合庵なんか、憧れさえ感じる。
 しかしだ。やはり、アメリカサイズのでかい家と広い庭もよいのだ。広い書斎での仕事に飽いたら、大きな庭に面したバルコニーのロッキングチェアで読書をする。リビングでは薪ストーブがぱちぱちと炎を揺らす。
 さて、難しい選択である。考えるととても決められそうにない。と、妄想を逞しくしている暇があったら、仕事を再開した方がよいのだろう。

おじの心、甥知らず


 あんなに一生懸命に調べて送ったのに、甥っ子が冷たい。本だって曲だって、思いつきで書いたのではない。それなりに考え、調べた後に送ったのだ。とくに曲の方はユーチューブで確認したりして、数時間は要している。
 それなのに、「読んだか」、「聴いたか」との問いに、「読みました」、「聴きました」だけの返答である。あんまりなので、「感想を書くのが礼儀だ」と書いたら、「テスト前なので勘弁してください」だとさ。

 これってきっと親なら誰もが経験する事態なのだろう。僕は幸か不幸か、子供がいないので、今までこんな仕打ちに会わずに来た。「親の心、子知らず」とは、よく言ったものである。
 しかしこうして、甥っ子にせっせとメールを書いたりしているおかげで、このような経験をすることができた。よくよく考えると、悪い話ではない。甥っ子から不躾なメールが来たときには、腹が立ったが、ちょっと時間が経ってみると、面白いと思える。
 それにしても、自分は本当の親不孝であった。親は何度も、「親の心、子知らず」と思わされただろう。「子を持って初めて知る親の気持ち」というが、僕は子がいないから、危うく一生親の気持ちを知らずに終わるところだった。
 どうにかまだ両親は生きている。相変らず我儘な親父だし、ちょっとボケ気味のお袋だが、返せるうちに少しだけでも返しておいた方がよいだろう。「いつまでもあると思うな、親と金」というではないか。金については、十分経験を積んできたが、いや経験中だが、親の方はつい忘れがちであった。
 甥っ子のメールで、殊勝な気持ちにさせられた朝であった。

おじさんが達のこころを揺さぶる曲


 前回の続きである。21歳の甥っ子がカラオケで、おじさんたちを喜ばせる曲を考えてみた。以下が甥っ子に書いたメールのそのままだ。

-----------------------------以下メール-------------------------------

これ一番、おすすめです。外人にも受けますよ。(サングラスをかけて歌いましょう)
  ↓
「Livin' La Vida Loca」Ricky Martin



「The Cup Of Life」Ricky Martin




日本の曲だと、これは受けると思います。
  ↓
「伊勢崎町ブルース」青江三奈



「どうにもとまらない」山本リンダ




これは名曲です。好きな曲です。
  ↓
「トランジスタラジオ」RCSuccession




その他、思いついた曲です。聴いてみてください。それぞれ味わい深い曲ばかりです。

「山谷ブルース」岡林信康



「赤色エレジー」あがた森魚



「ヨイトマケの唄」美輪明魚



「抱きしめてTONIGHT」田原俊彦魚



「モンロー・ウォーク」南佳孝


-----------------------------以上メール-------------------------------

 どうだろうか。「ヨイトマケの唄」は、ちょっと無責任な選択だったかもしれない。これを歌える人って、いるのだろうか。まあ、それはそれとして、最初のリッキー・マーティンはとくにお勧めだ。英語で覚えれば、海外でも使える。まじめな甥っ子が、いきなりサングラスをかけて振り付けで歌い始めたら、大うけすると思うのだが。
 メールを書いていて、「よし、俺も覚えよう」と一瞬思ったが、すぐに我に返った。まず歌う機会がない。それにおじさん達に受けても、おじさんの僕としてはあまりメリットがない。
 それに僕がこの曲を英語で振り付けで覚えるには、想像を絶するトレーニングを要するだろう。まず1か月はかかるに違いない。きっと甥っ子なら、一日もあればマスターできると思うが。
 
 カラオケはあまり好きでない。でもたまに行きたくなる。行くと、しつこく歌い続ける。そして自己嫌悪に落ちいて、カラオケには二度と行かないぞという気持ちになる。
 ちゃんと人の歌を聞けるぐらいの落ち着きができたら、いつか甥っ子とカラオケに行きたい。
  

大和魂を揺さぶられるような本


 スイスに留学している甥っ子が苦戦している。まずドイツ語ができない。そりゃそうだと思う。まだ大学2年生である。大学に入ってから第2外国語としてドイツ語を取ったばかりだ。勉強を始めてからまだ2年弱だ。それでスイスに行くことに決めた甥っ子の度胸は感服するが、無謀であったとも言えなくもない。授業はまったく分からないそうである。そこで甥っ子は秘策に出た。大学院に飛び級したのだ。
 スイスのその大学では、大学院は英語で授業が行われている。英語ならば中学から学んでいる。ドイツ語に比べたら、ましだろう。
 大学側に涙ながらに頼み込んだところ、なんとも寛容なことに、許可をしてくれたそうだ。甥っ子が交換留学生であり、単位の扱いがファジーなところが幸いしたようだ。
 ところがこの選択がまた、甥っ子を苦しめた。まだ大学で1年半しか専門科目を勉強していない。それがいきなり大学院である。年齢もずっと上のお兄さんお姉さんに囲まれて(ただでさえ外人は大人に見えるのに)、専門分野の研究をする。まったくのお荷物になってしまったようだ。言葉のハンディキャップもあり、精神的に追い込まれている。
 そんな連絡がメールで何度かあった。心配していたのだが、今は冬休みでようやく息を付くことができるようになったらしい。
 そこでただノンビリとしないところが、伯父さんとは違うところだ。1か月の休みで心を鍛え直したいという。「大和魂を揺さぶられるような本を読みたい」、と相談された。みなさんなら、どんな本を勧めますか。僕は少し悩んで、以下の本を紹介した。

(1)青春を山に賭けて(植村直己)
(2)武士道(新渡戸稲造)
(3)自警録(新渡戸稲造)
(4)高橋是清自伝(高橋是清)
(5)ヨーロッパ退屈日記(伊丹十三)
(6)氷川清話(勝海舟)
(7)プリンシプルのない日本(白洲次郎)
(8)古代への情熱(シュリーマン)

 どうでしょうか。「青春を山に賭けて」は僕が30歳を過ぎてから読んだ本だが、もっと早く読んでおけばと悔やんだものだ。新渡戸稲造の本は、やはり彼は海外に羽ばたいた偉大な先駆者として読んでおくべきと思う。高橋是清もまた、留学で非常な苦労をしている。ちなみに後述する奨学金を受けた先輩でもある。伊丹十三は、これは少しの息抜きである。しかし彼は侮れない。今の評価は低すぎるのではと、考えている。勝海舟は、これこそ大和魂の塊である。彼を語らずして、大和魂は語れない。白洲次郎もまた、洗練されたタイプの大和魂の具現だろう。留学生としては興味を持てる人物でもある。シュリーマンはヨーロッパ版の根性ものである。
 以上の8冊を勧めたら、次のような返答があった。まず植村だが、すでに読んだそうだ。それも僕に勧められて。老いた伯父さんは、自分で勧めたことを忘れているのである。
 武士道も読んだそうだ。これは伯父さんに勧められたのではなく、自発的に。それも原文で読んだそうだ。ご存じの通り、新渡戸は武士道を英語で書いている。僕らが今、読んでいるのは翻訳されたものだ。
 自警録と高橋是清、勝海舟は、ぜひ読みたいと返事が返ってきた。ようやくここで、お役に立てたわけだ。他の本はあまり興味がないようである。

 さてもうひとつ甥っ子から相談を受けた。甥っ子は某奨学金を受けている。是清翁が受けていた奨学金だ。取るのがかなり難しいもので、学生同士や卒業生の結束は固い。OBには是清翁をはじめ、大企業の会長・社長や国会議員、学者、新進の経営者などがキラ星のごとく顔を並べている。
 そのOB達が、スイスに留学をする前に壮行会を開いてくれた。ちなみにその人たちとは、そのとき初めてあったそうだ。30人も集まったのである。
 壮行会の一次会は麻布にある会員制の寿司屋だった。そんなものがあること自体、僕は知らなかったが、そういう人たちは、そういう場所に行くらしい。
 二次会はカラオケであった。六本木の豪華版カラオケルームで、シャンデリアの巨大さとソファーの豪華さ、部屋の広さにたまげたようである。
 壮行会には甥っ子だけでなく、数名の留学予定の大学生も参加していた。そこである女の子が歌を歌った。おじさんたちは、大喜びで受けに受けたそうである。女の子はAKBを振り付けで歌ったようだ。
 甥っ子はというと、何も歌えなかったそうだ。おじさんたちと共通する曲を思いつくことができなかった。そして自分の芸のなさに、おおきく落胆をした。勉強だけできても、この世は渡れない。力不足を思い知らされた。
 そして思いついた。こういうことこそ伯父さんに相談すべきではないかと。甥っ子は、なかなか人を見る目があるのである。
 さて僕はどんな曲を勧めたでしょうか。答えは次の機会に。
  

イケアのデスクライト


 今朝も7時から机に向かった。外は曇っているので部屋はまだ暗い。そこでレースのカーテンを開けた。外は雨が上がったばかりで、近くの丘は靄に霞んでいる。これは幽玄な眺めだと、慌ててカメラを持ち出してシャッターを切った。それが下の写真だ。腕が悪いし、電線が邪魔で、あまり幽玄な出来栄えにはならなかったが。

窓からの眺め


 部屋が暗かったのには、もうひとつ理由がある。デスクライトの電球が切れてしまい、暗かったからだ。
 買い直さなくてはならない。買い直すというのは電球ではない。デスクライトそのものを買い替えなくてはならない。なぜかというと、電球が日本では手に入らないからだ。
 このスタンドはイケアで買った。いくらか忘れたが、安かったと思う。スタイルも北欧らしく、カッコいい。気に入って使っていた。
 買って暫くして、電球のタイプが見慣れないものであることに気が付いた。これはきっと近くのスーパーでは売っていない。切れたときに困らないように、先に買っておこうと思い立った。そして調べた。ネットで調べまわったのだが、どうしても見つけられない。最後にイケアに電話で問い合わせてみた。そして驚いた。
 イケアいわく、日本ではそのタイプの電球はどこでも発売されていないらしい。最初は自分の耳を疑った。聞き間違いではないかと聞き直した。やはり答えは同じであった。
 なんとイケアは日本では手に入らない電球が装着されたデスクライトを販売しているのだ。球が切れたら、それでおしまい。デスクライト自体を捨てるしか方法はない。
 おしゃれだ、スタイリッシュだ、リーズナブルだなんて外の仮面の下は、実に環境を無視した商売優先の狡猾な顔が隠されていることを、このとき知ったのである。それからイケアには、足を向けていない。

 お蔭でこの朝靄を眺められることができた。そう思うことにしよう。
  

トレーニングと四股


 最近はジムに行っていない。時間がもったいないと思うようになったからだ。ジムには自転車で行っていた。行きは15分、帰りは20分。ジムのトレーニングは2時間程度。シャワーを浴びたり、着替えたりで、合計3時間以上を費やす。
 この3時間をどこに持っていくかが問題だった。最初は夕方に通っていた。3時から6時。これだと午後はほとんど机に向かえない。それに6時から買い物をして、料理を作ると夜があわただしい。
 次に午前中に行くようにした。9時からジムは開くので、9時に行った。これは結構気に入った。9時だと人が少なく、マシーンの取り合いをしなくて済む。ジムから帰ってもまだ昼で、気持ちも爽やかだ。しかしこの時間に行くと、午前中はほとんど仕事ができない。
 どちらにせよ、まとまった3時間を捻出することは容易ではない。それでジムには行かなくなった。
 ジムに行かないようになって、この生活も悪くないと思うようになった。まず生活が安定した。ジムは週に2日通っていたが、この2日と行かない平日3日で生活のリズムが大きく異なっていたのだが、それが解消された。
 毎日、散歩に出かけるようになった。わが家はハイキングコースに指定されているような森と林に囲まれている。歩けば仕事で疲れた心身がほぐされる。雨の日などは行きたくないと思うこともあるが、傘をさしてでも出かけるようになった。行けば必ず良かったと思える。雨の散歩も悪くない。
 散歩以外では、自宅でのトレーニングもなんとか続けている。ジムは週に2日と書いたが、トレーニングは平日の5日間はほとんど励行している。週末はかみさんと出かけることもあるので、ケースバイケースだが、何もなければ実施している。
 トレーニングのメニューはいつも同じだ。腕立てと懸垂である。腕立てはゆっくりとした10回を5セット。懸垂は、これは途上で回数は増えつつあるが、現在のところ8回を3セット。これだけだ。これで約15分。しかしこの15分で、息があがる。その後、暫くは「はーはー」がとまらない。
 「こんな少なくて、意味があるの?」と思うかもしれないが、これで結構な効果がある。ジムに通っていたころと比べて、体が小さくなったということはない。もしかしたら、以前よりも筋肉がついたかもしれない。
 ちょっと自慢をすると、僕は結構マッチョである。まあ、ちょっとだが。合気道の稽古などで着替えをするとき、「すごい体ですね」、なんて言われることもある。本当は全然、すごくはないのだが、まぁ歳の割には、ビルトアップされているとは思う。
 つまりこんな程度のトレーニングでも、それなりに体は鍛えられるということだ。
 そして最近は四股を踏んでいる。これがとてもよい。四股は100回で10分かかる。300回だと30分。1000回だと1時間40分。時間がかかるのが問題で、今まで避けてきた。
 しかし1000回もやることはないし、やったこともない。きっとできないだろう。300回が理想だが、これも時間がもったいない。それで今は100回踏んでいる。これだけでも、相当に調子がいい。
 四股は不思議だ。単なる筋トレとは異なる。体の軸を調整し、気持ちを鎮静化させる。筋肉もいわゆるインナーマッスルを鍛えられる。体幹がしっかりとする。四股を踏んだあとは、体の芯から力が湧いてくる。続けていると、姿勢がよくなる。
 四股は相撲取りの専売特許で、今は他のスポーツ選手で踏む人は少ない。しかし昔の武道家は四股を踏んでいる人が多かったようだ。
 四股の存在について知らない人はいないと思うが、その由来や正確な踏み方を知っているひとはまたいない。ここが不思議なところだ。
 僕は四股に以前から興味があって、それなりに調べてみた。しかし四股の歴史や正統な踏み方について専門に書かれた本は存在しない。簡単なハウツー系はいくつもあるが、研究者が裏を取りながら書いた信用の置ける本は一冊もない(たぶん)。
 僕の四股は明治神宮の至誠館に通っていたときに教わったものだ。テレビで見る相撲取りのものとは、多少違う。
  

普段の生活がいい


 1月5日から仕事を始めている。世間よりも一日だけ早い、仕事始めだ。
 会社員時代は盆も正月もゴールデンウイークも、有給休暇も病欠も、みんな大歓迎だった。1週間程度の正月休みで、会社が恋しくなるなんて話を聞くと、耳を疑ったものである。毎日が休みであればよいと、心から思った。
 ところが自分で仕事を始めてみて、ようやく世間の人の気持ちが分かるようになった。今回の正月休みは長かった。僕はフリーだから、世間に合わせる必要がなく、年末も仕事をしていたが、それでも気分はバケーションであった。9日間の休みは、随分長いものだと感じだ。早く普段の生活に戻りたいと思った。
 1月1日は僕の実家へ、正月の挨拶に行った。2日は鎌倉に初詣で出かけた。鶴岡八幡宮はあまりの人で怖気づき、鳥居の前で踵を返して退散してしまった。その後、向かったのは荏柄天神である。天神様も人で一杯だったが、それでも10分ほどでお参りができた。3日、4日は妻の実家に泊まりで挨拶に伺った。妻だけは5日まで残り、僕は4日に家へ戻った。そして5日から仕事を始めた。
 朝は早く起きる方が気持ち良い。普段の通りに朝食を取り、机に向かう。仕事に飽きたら、ぶらっと近くを散策する。戻ってまた机に向かい、飽きたら猫をからかう。こんな生活が、僕は好きだ。ようやく、この生活に戻ることができた。

 最近、ひんぱんにコジュケイを見かける。コジュケイは僕が一番好きな鳥だ。キジの仲間で、うずらほどの大きさだ。お尻が大きく、不格好で飛ぶのが下手だ。
 先日、見かけたときは通りに面する林に群れでいた。一羽が飛び立つと、また一羽と、道を渡った反対側にある森に移動を始めた。どれも道を渡るのに、勇気を要するようだ。エイやっと飛び立つのに、時間がかかる。最後の鳥はとくに臆病だった。前の鳥が飛び立ってから、1分も逡巡していた。前の鳥の姿はとうに見えない。僕も辛抱強く、最後の鳥の様子を覗った。そして漸く飛び立った。やっぱり下手だ。今にも落下しそうになりながらも、どうにか道の反対側に渡って行った。よかったと胸を撫でおろしたのもつかの間に、森の前に建つアパートの2階にぶつかってしまった。しかし勢いがなかったことが幸いして、落下せずに再度浮上。ぐるっとアパートを迂回して、なんとか森にたどり着いた。
 立ち止まって真剣にコジュケイの渡りを見ていると、その様子が目を引いたのか、通行人の女性が僕を見てクスッとした。僕も笑い返すと、会釈をして通り過ぎて行った。
  

プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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