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いつもと違う散歩道


 まだ、ぼーっとした生活をしている。昨日は一昨日よりは、少しはましだった。最低限のやることは終えることができた。しかし出版が決まっていない本の翻訳だとか、出版が決まっていない本の資料の読み込みだとか、そんな先が見えない仕事には取り掛かることができなかった。
 一昨日は結局、ユーチューブを一日見て過ごしたことは、昨日のブログで書いた通りだ。昨日もまた、ユーチューブ地獄に落ち入りそうだったので、重たい体を動かすことにした。
 まず筋トレをした。筋トレも1週間ぶりぐらいである。腕立てと懸垂をした。たった1週間で、筋肉がたるんでいることが分かる。筋肉と精神はどうやらつながっているらしい。そして四股を踏んだ。四股は不思議だ。
 四股を継続的に踏むようになって3か月ぐらい経った。これが悪くない。筋トレも好きだが、四股は筋トレでは得られない爽快さを与えてくれる。筋トレといっても今、僕がやっているのは自重によるトレーニングだけで、なおかつ回数は少なく、体の中心線を意識したもので、これも筋力のアップというよりは精神的な側面が強いのだが。
 四股を踏むと、少し気分が晴れてきた。そこで思い切って、散歩に出ることにした。散歩は毎日、出かけているのだが、昨日はちょっと遠出をすることにしたのだ。
 向かった先はまずブックオフである。普段は読まない小説でも買おうかと向かったのだが、数冊を眺めて買うことを諦めた。ちっとも興味が湧いてこない。大抵の作家は今の僕よりも年下で、その本を書いている。彼らが書いた作り話に、どうしても身を浸すことができないのだ。ならば老齢の作家が書いた本を買えばよいのだろうが、いまひとつ良い本を見つけることができなかった。
 僕はストーリー性のある小説は読まない。推理小説やホラー、エンターテイメント系は読まないのだ。純文学と言われるものも、奇をてらったものは読まない。現実離れしていると、気持ちを投入できないのだ。
 村上春樹もデビュー当時の「風の歌を聴け」や「1973年のピンボール」は夢中になって読んだ。しかし背景や人物が非現実的なものになっていったそれ以降は、読むのが辛い。エログロな「1Q84」は、ただ時間の無駄にしか思えなかった。
 そんな男なので、読める小説が限られている。実はブックオフでは買いたい作家がいた。田中小実昌である。数少ない安心して読める作家のひとりだ。しかし小実昌の小説は一冊も置いていなかった。すでに忘れ去られた作家なのかもしれない。僕の趣向もきっと世間から乖離してしまった証拠だろう。
 ブックオフを手ぶらで出た僕は、実は帰るつもりでいた。長距離の散歩に出たつもりが、田中小実昌で打ちひしがれ、もう散歩がどうでもよくなってしまったのだ。
 そこの角を曲がって、うちに戻ろう。そう思い、角に望むと、中学生が蟻んこのように群れて歩いていた。大声ではしゃぎながら、蟻んこたちが向かってくる。さらに角の先の道は細い。あの小道をエネルギーに溢れた中学生と逆行して歩くことは、そのときの僕には苦行であった。そこで再び踵を返し、人の少ない別の路地に入り込んだ。そして人が少ない方、少ない方と進んでいった。
 着いた先は海だ。逗子海岸の端っこに、着いたのである。逗子海岸への道は精通しているつもりだった。でもこんな道があることは知らなかった。とても良い散歩コースを見つけたようである。蟻んこ中学生に感謝をしなくてはならない。
 そして逗子海岸を端から端まで、ゆっくりと歩いた。逗子海岸に来たのは数か月ぶりだ。近いと案外来ないものなのだ。
 いつも山ばかり歩いているからか、海の風は心地よい。遮るもののない明るい風景は、心を涼やかにさせる。鬱々とした気持ちは、潮風に吹き飛ばされていった。
 それからまた路地ばかりを選んで家へ戻った。3時間の散歩だった。
 今日もまた行こうかと思ったが、外は小雨が舞っている。今日は傘をさして、いつもの森を歩くことになりそうである。
 今日は少し気分がいい。

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貴乃花と蛯名健一に教えられる


 最近、あまりやる気がでない。さぼり気味である。フリーだと、自己管理が難しい。とくに僕のように意志の弱い人間は。
 昨日はユーチューブを見て、遊んでしまった。しかしそこでいくつか、教えられることがあった。
 情熱大陸で貴乃花の回を見た。貴乃花は堅苦しく依怙地で、融通の利かない男だ。いつもイライラしていて、あまり近づきたくないタイプの男である。もし力士になるとしたら、無理に考えるとしたらだが、貴乃花部屋だけには入りたくない。そう思っていた。当然、身体検査で落ちるだろうし、その前に年齢制限で引っかかるのは分かっている。あくまでも仮定の話としてだよ、くどいようだけど。
 僕の人を見る目は、またもや節穴であったかもしれない。
 貴乃花は相撲に命を懸けているのである。覚悟を決めた男なのだ。力士時代はテレビや新聞がどう扱おうと、まったく気にしていなかったそうだ。相撲に勝つことだけを考えていて、それ以外には気が回らなくなった。だからあんなに無愛想であった。親方になってからはメディアに積極的に出るようになった。笑顔を振りまくようになった。相撲業界への注目を高めるためである。
 しかし弟子には相変わらず厳しい。松村邦洋の物まねは、オーバーではなかったのだ。本当に怒鳴りまくっている。それが、むちゃくちゃ怖い。まだ30代であの迫力。その背景には、やはり相撲への覚悟があるのだ。親方の一番の仕事は弟子の出世である。そのためには、嫌われようが、孤立しようが、そんなことは些事なのであった。
 道を究めるには、覚悟が肝要なのだ。あらためて気づかされた。

 もうひとつは蛯名健一だ。この人のことは、ご存じでしょうか。僕は動画は見たことがあった。ものすごい衝撃を受けた。まず、それをご紹介する。


 今回、見たのはまた情熱大陸である。この番組は著作権にこだわらない方針なのだろうか。番組がフルでアップされていることが多い。それで、よく見ている。
 上の動画を見ていただければ、思うだろうが、彼は傑出したダンサーである。ところが彼いわく、二流なんだそうだ。アメリカというダンスの本場で鎬を削っている彼からしたら、もっとうまいダンサーはいると言うことだろう。
 そこで彼はもっとうまくなることではなく、オリジナリティーを追及する戦略を選んだ。「dance-ish」と彼は表現している。「-ish」は、日本語でいえば「なになにっぽい」が近いかもしれない。ダンスっぽいパフォーマンスを彼は目指しているのだ。ただ中途半端を目指しているわけではない。目指すのはダンスを土台にしたエンターテインメントで、目的は観客の度肝を抜くことだ。
 蛯名はいつも、どうしたらオーディエンスが驚くようなパフォーマンスができるかを考えているそうだ。だから舞台を撮影するのに、自分でなく客席にカメラを向けている。

 貴乃花の話も蛯名健一の話も、どの職業にでも通用する話だ。
 覚悟を決めること。オーディエンスを意識すること。せっかく一日、遊んだのである。忘れないように、覚えておこう。

未だ埃にもなりえず


 進展はないのだけれど、仕事について書いておく。
 出版社からは連絡が来ない。相変わらず、僕の存在は埃よりも軽い状態が続いている。
 何度も確認の電話をかけているので、こちらから連絡するのは気がひける。しかし遠慮していても事態は前に進まないだろうから、来週にでもまた電話をかけてみようか。しかしせっついたからといって、出版社が動くとも思えない。さて、どうしよう。また来週になったら考えることにしよう。
 自分でできることは進めている。先月企画書を某出版社に提出した本は翻訳を始めている。リーディングのときは気付かなかったが、精読すると原文は難解である。心理学や哲学の話題が多いのだが、例えばディビッド・ヒュームやフロイトなんかが登場するが、用語の取扱いは注意が必要だ。専門用語は訳が確定している場合があるので、そこを間違えると専門家から指摘される恐れがある。裏を取りながら、ゆっくりと訳している。現在20ページを超えた辺りまできた。毎日、2ページが目標だが昨日は1ページもできなかった。このペースだと半年以上はかかるだろう。
 リーディングも進めている。毎月1本の企画書を書くと以前のブログに書いた。ずっと前にもそんなことを書いたことがあるように記憶している。毎回、言うだけで実行しないとカッコ悪い。それに前回のブログは「洋書の森」のブログに紹介されている。それで仕方なく、というわけではないが、やはり今月中に一本仕上げたい。
 ところでこの本だが、予想以上に面白い。ちょっと話題が古いのが気になるが、内容的にはすこぶるグッドである。アメリカのアマゾンでの評価が高いのだが、うなずける内容である。今週中に読み終えて、来週には企画書を作成する。そして売り込む。
 オリジナルの本についてだが、ちょっと止まっている。飽きたわけではない。時間が足りなくて、これが犠牲になっているのだ。もし出版社から声がかかったら、当然ばりばりと書く所存である。資料はかなり読み込んである。
 実はもう一件進めているものがある。アメリカの歴史の勉強である。ずっと先になると思うが、この分野でも何か書ければと考えているのだ。このことは以前、ブログで触れたかもしれない。それで資料を読んでいるのだ。ちょっと放っておいたのだが、思い直しまた資料の読み込みを再開した。
 それでだ。アメリカの歴史について、再度勉強をし直そうと思っていて、なのだが。ちょっと考えることがある。
 放送大学に入学しようかどうか逡巡している。大学を卒業する気はない。ただ単科をいくつか取ろうかと考えている。自分で資料を乱読するよりも、これの方が効率が良いのではと思うようになったのだ。放送大学の資料を取り寄せると、ちゃんとレポートの提出と試験がある。これなら意志の弱い自分でも、完遂できるだろう。
 しかしあまり手を広げるのも、危険な感じがする。今月28日が願書の受付締め切りである。まだ一週間あるので、ゆっくり考えてみたい。

我が家はまるで山梨県


 うちの周りはまだ雪が残っている。家の前の道は両脇に雪が寄せられ、まだまだ融けそうにない。庭は10センチ以上は積もったままだ。洗濯物を干すときには、登山靴を履いている。玄関まで行って、登山靴を履き、庭に回らなくてはならない。面倒なことだ。さらに裏庭まで眼を配れば、そこはまるで雪国である。2~30センチは優に残っている。吹き溜まりの四隅など、1メートルぐらいも積もっているのである。
 そんな大雪で我が家のトイは外側に、なんとなく垂れ下がってしまっているように見える。部分によっては亀裂が入っているかもしれない。そこから滴が絶え間なく落ちている。
 これを直すとしたら、どのぐらいかかるのだろう。頭が痛い。明日、いつもの大工に様子を見てもらうことになった。直すとしたら火災保険で賄いたい。以前、台風で屋根をやられたときには保険が効いた。
 しかし改めて保険の案内を見ると、免責額が20万円となっている。トイの工事でそんなにかかるだろうか。かかるのなら思い切って、20万円を超えて欲しい。だがそんな高額になって、保険が効かないとなったら、それはそれで大災害である。難しい問題だ。

 最近、災害や気象を専門とする研究者と話す機会があった。どうも世界の気象はダイナミック化しつつあるようだ。夏は暑く、冬には吹雪が襲う。台風やハリケーンは暴力的なまでに巨大化する。
 暑い夏も、雪の冬も好きである。と思っていた。しかし極端はいけない。今年の雪が例年続いたとしたら。湘南も決して住みやすい地域で、なくなってしまうかもしれない。
 研究者によるとこの辺りは、というか太平洋側はほとんど日本中全てであるが、雪に対して脆弱であるそうだ。今年の雪が毎年続けば、その社会的コストは膨大なものとなる。
 山梨県がまるごと孤立化したのには驚いた。そんなことがありえるのだろうか。ありえたのだ。
 実は僕の住む地域も孤立化の可能性があるそうだ。山の上に造成した住宅地なので、どこへ行くにも坂を経なくてはならない。先日の大雪の日はバスが運休になった。タクシーも行きたがらないらしい。呼んでも断られることがあるという。そうしたら、これは山梨県状態である。
 僕の家などまだましな状態だ。逗子、葉山、鎌倉には、山の中の一軒家の風情の家がある。僕は家を買うときに、随分と心が魅かれた。実は今も魅かれたままだ。ところがああした山小屋風な家は、大変なことになっている。大抵は自動車一台がようやく通れるような道、それも急坂を上った先に家がある。そんな山の中の急坂は、未だ雪がうずたかく残ったままだ。徒歩で上り下りするのも、命がけである。八甲田山の装備で、近所の店まで買い出しにでかけなくてはならない。
 自然災害など他人事と思う生活をしてきた。それがここ数年、現実的なリスクとして目前に突き付けられるようになった。
 そうだ、自然災害だけでないのだ。有事も決して絵空ごとではない。

日々雑感


 今日も雪だ。前回のブログで雪を見ると興奮すると書いたが、今回は少しうんざりぎみである。たった2回続けて降っただけで、このざまだ。我ながら情けない。
 雪は少し離れて見る分には閑雅である。しかしずぶっとはまると、やっかいな存在なのであった。
 先週の土曜日は日中に一度、雪かきをした。日曜日に見ると、跡形もなく積もっていたのでまた雪かきをした。その後、少しずつ融けてきたので放っておいたのだが、昨日の時点でも庭や植木、屋根の上にも雪が残っていた。昨日の予報でまた大雪が降ると伝えていたので、昨日も雪かきをした。そして今、外は一面の雪景色である。また明日は雪かきであろう。しかし雪国の人を思えば、こんな弱音は吐いていられないのだ。筋トレと思って、明日も精を出さなくてはならない。

 少し前のことだ。仕事を終え、一階に下りると何だか見慣れないものが落ちている。近づいて見ると、切り干し大根であった。その日の夕食にと思い、ビニールの袋に入ったそれをテーブルの上に出しておいた。それを猫が見つけて、袋を破り、食い散らかしていたのだ。
 うちの猫は意地汚いので、外に出しておくと何でも食べる。こわくて生ごみもキッチンにはおけない。毎回、納戸にしまっている。ただ食べるのは動物性のもので、野菜はその範疇に入らない。切り干し大根も大丈夫だと油断していた。しかし奴らに油断は禁物なのであった。
 さすがにうまくなかったと見えて、食べた量は多くないようであった。拾い集めて洗い、結局その晩のおかずとなった。以前は猫に荒らされた食物は捨てていた。ばい菌が繁殖してそうで、気味が悪かったからだ。しかし最近は火を通して食べている。考えてみれば、猫たちとは毎日、無数のチューをしているのだ。
 以前、近くにある有名な店のメロンパンをテーブルに出しておいて、食べられたことがある。これもまさかパンを食べるとは考えずに、油断したのだ。
 5個入りの袋だった。それをフクちゃんが一匹で全部食べてしまったのだ。当時は、大ちゃんはまだうちに来ていなかった。
 フクちゃんの体重は約5キロである。ちょっとおデブちゃんである。その5キロの体がメロンパンを5個食べたのである。これを人間に換算すると、60キロの人ならば60個のメロンパンを食べたことになるのだ。フクちゃんが人間なら大食いコンテストで優勝できるかもしれない。

 最近は寒い。暖かな日の日中は、大福(大ちゃん、フクちゃん)は1階の和室で日向ぼっこをしている。しかしここのところは、和室に日が射さない。
 2階の書斎は暖房を付けているので暖かい。それで最近は大福が2階にやってくる。大ちゃんはストーブの前にしつらえたクッションの上で、ねんねしている。
 問題はフクちゃんだ。僕は防寒で膝に毛布をかけながら仕事をしている。その毛布の上、つまり膝の上でこれまた、ねんねをするのだ。最初は可愛いな、と思った。でもこれも雪同様に、つづくとうんざりである。
 2時間も居続けられると、足がしびれてくる。かわいいので我慢をするのだが、さすがに限度というものがある。昨日は何度も膝からおろした。しかし敵もさる者。なんどでも乗ってくるのであった。今日はまだ来ていない。そろそろ来る時間である。そうしたら脚も組めないのである。

型の中で個性を出すということ


 大雪が降った翌日、つまり日曜日は能と狂言を鑑賞した。昨年も行った逗子文化プラザホールでの公演である。今年の演目は仕舞いが「西行桜」で、狂言が「隠狸」、能は「石橋」だった。
 昨年は席が悪かった。前の方だったのだが、舞台左手の席で、柱が邪魔をしてよく見えなかった。能の舞台は全てが同じなのかは知らないが、逗子ホールでは舞台が客席の右手に寄せられて、左は渡り廊下になっている。
 今年もきっと同じだろうと思い、発売後すぐに買いに行った。売り出してまだ2,3日で買いに行ったのだが、ほとんど右側は売り切れていた。かろうじて2席だけ後方だが残っていたので、そこを買った。皆さん、よく状況をご存じである。
 今年の売れ行きが良かったのは理由がある。狂言の演者が野村万作と萬斎だったからだ。

 はじめて野村親子の演技を見たが、なぜ人気があるのか分かったような気がした。万作は人間国宝の技がさえわたり、萬斎は個性が光り輝いていた。
 ところで親子二人の仕事とはどんなものだろうか。父を師匠とし、そして舞台では共演者とする日常とはどんなものだろうか。家元の家に生まれ、仕事が定められた境遇とは、またどんなものだろうか。
 案外と居心地が良いのではと、舞台をみて感じた。「自分探し」だとか、「天職」だとかを求めて、徒に時間を重ねて中年を迎える人は少なくない。幼少から自分の進む道を自覚できる人は、希少である。
 萬斎のように人間国宝を父に持ち、物心つく前から稽古に明け暮れる。そんな生き方は、周りが思うほど窮屈ではないのではないだろうか。
 萬斎の演技は実にユニークだった。狂言という型が決まった古典芸能の中で、個性を発揮していた。どんな仕事でも、「自分探し」はできるのである。

雪遊びと雪見酒


 僕は雪が好きだ。学生時代はスキーにはまっていて、苗場プリンスでアルバイトをしたり、スキーツアーの添乗員をして、冬の日々を雪国で過ごした。卒業してからも社会人向けのスキークラブに入って、蔵王や志賀でスキー合宿をして過ごした。30歳を過ぎてから入った大学院はアメリカのバーモント州にあり、マイナス20度の冬を体験した。
 こんな僕なので、土曜日は子犬のように喜んで、窓から外を眺めていた。気持ちは高まり、雪に心が吸い込まれるような感覚にさえ襲われた。そこでかみさんを誘って、ふたりで雪山を歩くことにした。
 かみさんの装備は万全である。彼女はスノーボード世代である。スノボ用のウエアもまだちゃんと持っている。それを着こんだ。対する僕はスキー世代である。しかし最後にスキーに行ったのは20年も前のことだ。ウエアもどこかにはしまってあるが、出すのは面倒だ。それになんか古臭いウエアを着るのがカッコ悪い。それでヒートテックのももひきに、ジーパンでごまかす。しかし上はチェッセ・ピューミニのダウンである。えっ、チェッセ・ピューミニを知らないって? イタリアのブランドで、JJガール垂涎のアイテムですよ、これは。えっ、JJガールを知らない? そんな人は、うん、どうしよう。ネットで調べてください。
 話が脱線したが、チェッセ・ピューミニのダウンを押入れから引っ張り出して、着込む。ちなみに20年もののビンテージである。
 ニット帽もかぶって完全装備で家を出る。外は一面の銀世界であった。そして、そこには人がいない。いったい子供たちは何をやっているのだろう。雪が降ったら、関東の子供なら、パンツがびしょびしょになるまで、遊びまくるのが常識ではなかったのか。
 子供も大人も、ひとっこひとりいない住宅地を抜けて、近くの丘を目指す。雪は深い。土曜の2時過ぎであったが、すでに雪が深い場所は30センチ以上もつもっていた。森の中は、「ここは軽井沢?」とつぶやきたくなる風景が続く。30分ほどかけて、丘の頂上に着く。晴れている日はここから富士山や大島が望める。しかしその日は吹雪でホワイトアウトの状態だ。別に丘の上にまで来なくてもよかったことに、ようやく気が付く。
 しかしせっかくこんなところまで来たのだからと、ふたりで雪だるまをこしらえる。雪だるまを作って、じんわりと汗をかく。気が付くと、ジーンズはびしょびしょだ。
 その後、丘を降りて、近くのスーパーに買い物で寄る。きっと人はいないだろうと予想していったのだが、不思議なことにスーパーの中にだけは人がいる。この人たちは、いったいどうやって、ここまで来たのだろうか。
 びしょびしょのジーンズでいるスーパーの中は何だか寒い。雪だるま作りで温めた体は、すっかり冷え込み、あわてて家に帰る。
 しかし、こうなることは最初からのお見通しなのであった。ちゃんと家を出る前に風呂を沸かしておいたのだった。風呂で身体が温まった後は、まだ明るかったが、雪見酒としゃれこんだのであった。

一本取られました


 日本のベートーベンといわれる佐村河内守が偽物であったらしい。ご存じで無い方がいるかもしれないので、ごく簡単に説明する。佐村河内守は耳が聞こえず、目も弱い光で過剰反応するために、サングラスで過ごし、肢体にも障害を抱える作曲家で、「交響曲第一番 HIROSHIMA」を作ったことで有名である。晩年に耳が聞こえなくなったベートーベンになぞられて、日本のベートーベンと呼ばれている。その日本のベートーベンは実は、作曲していなかった。18年もの間、ゴーストが曲を作っていらしい。
 僕は以前、NHKで放映した佐村河内守のドキュメンタリーを見て、泣いた。ものすごく感動した。すぐにユーチューブで「交響曲第一番 HIROSHIMA」を聴いた。すばらしい曲だと思った。ただ長いので10分ぐらいしか聴かなかったが、これは買ってもよいかと感じさせられた。ただ高いので、それとちょっと重たい曲なので、買ってもきっと聴かないだろうと思って、買わずにいた。

 僕のように、佐村河内の苦しくも力強い人生に感動した人は少なくないだろう。今回、このニュースを聞いて、その皆さんはどう思われたのだろうか。
 僕の感想は「一本取られました。勉強させてもらいました」、である。18年間もゴーストを使い続けたのだ。ご存じのとおり、タレントや政治家、スポーツ選手の本はほとんどがゴーストの手による。しかし彼らは作家ではない。他に職があり、余暇に本を書いているので、世間は許している。しかし佐村河内は作曲家でありながら、ゴーストを18年間も使い続けていた。すごい度胸じゃないか。
 さらに今回カミングアウトしたゴーストライターの新垣隆氏によると、作曲の打ち合わせの際に佐村河内の耳が聞こえないと感じたことはなかったという。というと、障害も偽物であった可能性がある。立派な役者ではないか。いやあ、勉強させられました。

 しかし曲を他の人が書いていたとしても、いじみくもクラシックファンとして、僕は自分の耳を信じたい。あの曲は曲自体に魅力があったから、感動した。そう思いたい。だが人間とは、そんな理屈で割り切れる生き物ではないのも事実である。実際はあの佐村河内のサングラスをかけ、杖をついた痛々しい姿があって、あの曲に感動していたのかもしれない。
 それでもやはり、今さらあの曲には全然、感動しなかったとは言えない。健常者が作った曲であったとしても、それで曲の魅力が失われるとしたら、僕らにとって芸術とは何であるのかという大きな疑問にぶち当たってしまう。

 佐村河内の嘘はいけない。ゴーストの新垣氏も、芸術家としての矜持を持つべきであった。騙されて番組を作ったNHKは、しっかりしてもらいたい。しかし「交響曲第一番 HIROSHIMA」で感動した普通のリスナーは、泰然と事実を受け止めればよいだろう。曲に感動したのであれば、今まで通り曲を聴き続ければよい。
 ところでゴーストの新垣氏だが、こんなに佐村河内がビッグになるとはきっと思っていなかったのだろう。世界的作曲家なんてもてはやされるようになって、あわてたのだろう。「日本のベートーベンは実は僕でした」と言いたかったのが、記者会見の本当の理由だったと思う。

作戦変更


 同じことを続けることも必要だが、変わることも必要である。
 このブログのURLは名刺にも刷っていているので、きっと読まれてしまうかもしれないが、敢えて隠すこともないだろう。相変らず、出版社の反応はよろしくない。
 大手A社には原稿を送ってある。昨年のことだ。何度か電話をしているが、先日も改めて電話をかけた。まだ読んでいないそうである。あの原稿は3か月間、どこに大切にしまわれているのだろうか。
 大手B社には企画書を2週間前に送付した。電話をすると、こちらにもまだ読んでいないそうである。いい企画だと思う。切実に読んでいただきたい。
 オリジナル本の企画を提出した出版関係者にも、電話をかけた。こちらは電話に出てもらえない。メッセージを残したが、ノーリターンである。きっと企画書を読んでいただいていると、信じたい。
 
 一連のことから、無名の翻訳者の存在というのは、出版社から見ると塵よりも軽いということがよく分かる。大手新聞社に勤めていては知ることができないことだ。50を過ぎて知る世間の厳しさだ。
 正直に書くと、電話をかけた当日はがっかりした。年も変わり、何かが動き出すのではと予感していただけに、失望はあった。
 しかし失望は、こちらの単なる感情である。失望したからといって、世間になんのインパクトを与えるものではない。ただ自分の体調が悪くなったり、不機嫌になったりするだけだ。考えると何もそこにメリットは見出せない。そこで考えた。
 原稿や企画書に目を通してもらえないのは、自分が彼らにとって魅力的な存在でないからだ。例えば僕が山形浩生のような著名翻訳家であれば、先方からベストセラー候補を抱えて、逗子までやって来るに違いない。だから著名翻訳家になった方が得だ。しかし今は著名翻訳家ではないのだから、これは先のことで、今はどうすることもできない。
 今すぐに著名翻訳家になることは、どうすることもできないことだが、できることもある。まずは著名翻訳家になるための、ステップをひとつずつ踏むことだ。
 第一は、まず一冊を出版する。当たり前である。これについては、今現在、鋭意努力をしている最中である。
 つづいてだが。これに今まで気づいていなかったのだ。
 一冊を翻訳しても、すぐに著名翻訳家にはなれるわけではないのだ。まず一冊と考えていて、先のことを考えていなかった。これでは将来に明るい展望を抱くことはできない。
 少なくても10冊。いや10冊ではまだ新人の部類だ。少なくても30冊は訳さなくては、世間に知られる翻訳家にはなれないだろう。ならばまず30冊を出そう。そのためには、どうしたら良いだろうか。それは今のペースを打破することだ。
 今、僕は3冊の本を売り込んでいる。これでも以前よりはずっと進歩している。これでいいのだ、と思っていた。しかし現状を鑑みると、あまり良くはないようだ。なぜなら、企画書を出したとしても、大抵の場合その企画書は編集者の机の上、あるいはPCのハードディスク上に収まっている。編集者の目に触れるのには時間を要するのだ。すぐに見てくれる編集者はまれで、大抵は見てくれるだけで2,3か月を要する。運よく編集者の琴線に触れたとしても、その後社内の会議を経なくてはならない。これも数か月を要するだろう。
 例えば編集者の目に触れるのに3か月を要し、さらに出版会議にも3か月を要したとしたら。合計で半年が経過する。しかし半年でもよい。もし出版が決まったのならば。問題は半年後にボツが判明した場合だ。同じことをまた一から始めなくてはならない。
 3冊の企画を抱えていても、今の僕の環境では、うんと時間がかかることに、ようやく気が付いたのだ。ならば、どう対処すればよいか。
 答えは自明である。もっと企画書を書くことだ。そしてもっと多くの出版社に売り歩くことだろう。
 僕は小心者なので、同じ企画を複数社に送付することはできない。ひとつの企画は、同時期には原則一社に提案することを守りたい。
 ということで、4つ目の企画を今月中に仕上げたいと思う。昨日からある本のリーディングを始めた。想像以上に良い本である。
 実はまだま他にもストックはある。1か月に1企画は簡単なことではないが、しばらくはやってみようかと思っている。
 そうすれば、いくらなんでもそのうちに、決まっていくのではないだろうか。

誕生日はフレンチで


 今日はこれから雪が降るそうだ。外は曇り空だ。そういえば今年はまだ一度も雪が降っていない。夏が暑い年は冬が寒いと言われていたが、最近はそうではないようだ。温暖化の影響なのか。
 北極の熊はかわいそうだが、夏が暑いのは好きだ。しかし冬の冷気も悪くない。とくにここ湘南の冬は実に気持ちがいい。澄んだ青い空が毎日続き、近くの丘からは富士山と大島が望める。深呼吸すると、冷たい空気が気道をひんやりと刺激する。
 僕は毎日、「今日は人生最高の日ではないか」と思ってしまうおめでたいタイプなのだが、まさに最近の天気は、「人生最高の天気である」と感じさせられるものだ。もちろん今日のようなどんよりとした曇り空も、たまには悪くない。部屋をうんと温めて、加湿器で湿度を整える。そんな快適な部屋から寒そうな外の景色を眺める。これがなかなかおつなものなのである。

 土曜は鎌倉のフレンチレストランの“レネ”に行ってきた。僕の誕生日を妻が祝ってくれたのだ。
 冬にレネに行くのは初めてだそうで、妻は楽しみにしていた。レネにはもう何度も通っている。しかしその季節を僕は記憶していない。きっと妻の言うことが正しいのだろう。
 妻は前菜をサーモンにし、メインを牛の胃袋の煮物にした。もちろんこの臓物料理にはちゃんとカッコのよい名前がある。しかし失念しているので、これで失礼。こう書くとなんとなく御徒町周辺の一杯飲み屋で出てくる料理っぽいが、正体はちゃんとしていた。僕も少しもらったが、とても美味だった。
 一方、僕の前菜はなんかの臓物のペースト。これもちゃんとした名前がある。それもよく聞く名前だったが、残念ながら失念。これを小さなパンに乗せて食べる。このパンもちゃんとした固有の名前があり、書けばきっとみんな知っているものだが、これも失念。しかしながら、この臓物ペーストもなかなか結構なお味だった。そしてメインはチキンのクリーム煮みたいなやつ。これもくどいが、ちゃんと良い名前がある。
 やはり次からは、ちゃんとメモをしておかなくてはいけない。ブログに書いても、これでは読んでいる人はちっとも料理が分からないだろう。
 僕のメインは家庭的な味だと思ったが、妻いわく家で作るのとは全然違うとのことだった。しかし僕も美味いとは感じているのだ。悪い意味で、家庭的と言ったわけではない。念のために。

 このレネという店は、シェフがフランス人だ。店はこのフレンチシェフと日本人の奥さんとの二人で切り盛りされている。二人はフランス語で会話をしている。だからこの店は本場の味を味わえて、さらにフランスにいるような気分にもなれる。
 逗子、鎌倉には他にも行ってみたい店が、わんさかとある。しかし結局、いつも同じ店に行く。レネはその中でも、頻度の高い店である。それは全てにおいて、満足させられる店だからだ。味よしサービスよし、そして価格よし。
 ふたりでワインなどを飲し、ほろ酔い加減になって、バスで帰った。レネのすぐ近くにバス停があり、そこから我が家の近くまでバスが通じている。これもレネをひいきにする理由のひとつである。

プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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