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行っておいてよかった、富岡製糸場


 今日で4月は9回目のブログ更新。残すはあと一日だが、明日は朝からでかけるので書けないはずだ。今月は目標に届かなかった。残念。

 富岡製糸場が世界遺産に登録されることがほぼ決まった。昨年に行っておいてよかった。
 たしか出かけたのは昨年の9月だった。あそこは公営の駐車場が3つある。かなり規模は大きい。僕が行ったときは、どの駐車場もガラガラだった。ところがこのGWは駐車場渋滞が発生しているらしい。富岡製糸場はガイドが案内する仕組みで、見て回るには一時間以上かかる。だから駐車場の回転率もあまりよくない。駐車場では相当、待たされるだろう。
 以前のブログでも書いたように思うが、富岡製糸工場は予想以上に楽しめる場所だった。かみさんと二人で見たのだが、ガイドの案内が終わった後も、しばらく二人で勝手に見て歩いた。3時間ぐらいはいたはずだ。全然、飽きなかった。
 なんでも1900年代の前半に建てられた工場が残っているケースはほとんどないそうだ。それもあの規模だと、世界で唯一らしい。
 その世界的に貴重な工場が、つい最近まで実際に稼働していた。今でこそ、大騒ぎになっているが、人知れず100年以上も大事に使い続けてきた経営者や従業員の努力は並大抵ではなかったはずだ。
 最近は産業遺跡とか言って、古い工場や産業施設の跡地などを見て回るのが流行している。あんなもの、見ても楽しいのかな、と僕は不思議に感じていた。しかし行くと、夢中になる。寺や神社もそこに歴史があるから魅力もある。工場だって、歴史を経れば、そこに物語が生まれ、見る人に感慨をもたらせる。富岡では、改めて知らされた。

 今日は世間は休日だが、かみさんは父親参観日だとかで、学校に行った。僕もいつも通り4時半に起きて、朝食を作った。これから普段と同じで仕事をする予定だ。
 かみさんが休みだと、つい自分まで仕事をさぼってしまう。今日は我が家は平日扱いである。怠惰な自分も机に向かうことが、これでできる。

 先週末は大船に苺でも買いに行こうかと思っていたが、かみさんが風邪をひいていたので土曜日は家にいた。日曜は熱が下がったので、逗子まで昼飯を食べに行った。向かった先は“ふたみ”という洋食レストランだ。日比谷で60年間営業していた店が引っ越してきたそうである。
 僕はあまり気にならない店だったが、かみさんは以前から行きたいと言っていた。60年の歴史を知ったのは、最近であり、彼女は店構えから何かを感じていたらしい。かみさんは、この手の嗅覚が異常に発達しているのだ。旅行に行っても、その鼻が間違えることはないので、いつも頼りにしている。
 その鼻を信じて“ふたみ”に入ったのだが、果たして今回もその嗅覚に間違いはなかった。非常にオーソドックスな洋食屋さんのメニューである。味も日比谷や銀座に昔からある洋食屋に近いもので、安心して食べることができる。逗子にこの手の店があることは、ジモッティーにとって僥倖と言わざるを得ない。
 食べログには厳しい意見も書いてあったが、味覚は人それぞれなのだろう。僕はハンバーグ定食(980円)、かみさんはオムレツとクリームコロッケのセット定食(1030円)を食べた。僕らの舌には、どんぴしゃりと合っていた。

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101歳の犬


 図書館からの帰り。いつもの路地を歩いていると二人の女の子がいた。小さい方の子はスケボーのようなものに乗っていた。スケボーのような、というのは車輪がふたつしかついていないからだ。スケボーはタイヤが4つあるはずだ。
 そのふたつの車輪は、前後一列についている。だからとても安定が悪い。それを蛇のように、くねくねさせながら前に進む。ちなみに女の子は4つぐらいである。とても小さい。でもちゃんとくねくねと乗っている。
 可愛いのでしばらく見ていたら、お姉ちゃんの方が小犬を連れてやってきた。僕を見て、「こんにちはー」と挨拶をしてくれた。それから会話が始まった。

「その犬、かわいいね。名前はなんていうの?」
「○○(聞いたのだが、忘れてしまった)」
「ふーん、それでいくつなの」
「101歳」
「え?」
(ああ、“101匹わんちゃん”のタイトルから洒落て言っているのだなと、そのときは解釈した)
「そう、101歳だよ。」
「へえ、すごいね」
「ほんとだもん」
(僕の信じていない表情に気付き、不満げに言った)
「・・・」
「だっておばあちゃんが去年、この犬は17歳だけど人間だったら100歳って言ってたよ」
「ああ、そうか」(ここでようやく、納得)
「去年100歳だから、今年は101歳になったんだよ」
「そうだね」

 といった会話だった。その間、妹の方はずっとくねくねをしていた。僕らの会話にはまったく無関心であった。
 お姉ちゃんの歳を聞くと2年生だそうだ。2年生の意識と言うのは、そういうものなのだ。子供のいない僕にはまったく未知の世界である。
 姉妹と別れてから、坂道をぐんぐん上り、山の上の我が家に帰った。その間ずっと、101歳のことについて考えていた。

春まっさかり


 今年は大雪の影響なのか、タケノコの値段が高かった。近くのスーパーでは大き目なものが一本千円で売られていた。今年は買えないな、と考えていた。僕はタケノコが好きで、毎年楽しみにしていたのだが。
 ところが最近、うんと安くなっている。同スーパーでは五百円を切る値段で、比較的大きなものが売られている。それで続けてタケノコを買った。
 一本買うと、かなり使える。たとえば土佐煮とタケノコご飯、さらにもう一品ぐらいできるのだ。この三週間続けて一本ずつ買っていて、ここのところ毎日タケノコを食べている。タケノコ好きとしては至福の日々だ。
 タケノコはもうそろそろ終わりだろう。昨日、一本をゆでた。そのまま鍋に入れてあり、あく抜きをしている。今夜、なにかを作って、残りはかみさんの手にゆだねよう。週末はかみさんが食事担当になるので。きっと最後のタケノコ料理になると思う。
 
 タケノコの他には苺が安い。苺も頻繁に買っている。うちは毎朝、フルーツヨーグルトを自分で作って食べている。フルーツは季節で安いものを適当に買って、刻んで使う。今の季節は、苺、バナナ、プルーン、ブルーベリーだ。それにシリアルだとかナッツだとかをトッピングし、最後ははちみつをかけてできあがり。これを毎朝、食べている。
 明日でも大船に出かけ、安い苺を大量に買ってこようかと思っている。毎春、苺ジャムを作っているのだ(かみさんが)。
 我が家の朝食は、ウイークデーは僕が作っている。毎朝、和食である。和食の方が、前日の夕飯の残りなんかを使えて、簡単だからだ。別に和食だけが好きなのではない。洋食も好きだ。そこで週末の朝は、かみさんに洋食を作ってもらう。
 パンに塗るのは手作りのジャムだ。かみさんが作ることが多いが、僕も作ることがある。庭に生えていたゆずでマーマレードを作った。しかし、そのゆずの木は昨年枯れてしまい、今は作れないでいるのだが。以前、このブログの読者の方に青梅をもらったことがある。それでもジャムを作った。
 週に1、2度しかパンは食べないので、作ったジャムは何年かもつ。使う分だけを解凍して使っている。だからけっこう種類は豊富だ。

 毎日、天気がいい。先週あたりから、昼間は窓を開けている。網戸は締めているが、網戸の前で猫が昼寝をする。外の空気が好きなのだ。香りや風が自然を感じさせてくれるのだろう。
 僕の散歩にもベストなシーズンである。昼間歩いても、それほど汗をかかない。シャツ一枚でも寒くない。玉に傷は、散歩の後でビールをグヒっとやりたくなることぐらいだろう。今のところは、なんとか欲望に打ち勝っている。

家の中と外との関係


 今日は24日で、今回がブログ6回目の更新。毎月、最低10本のアップを目標にしているので、今月はちょっと厳しい。これからペースを上げなくてはならない。
 今月もペースが遅いのは、また公募の文章書きに追われているからだ。先週は1本、ある公募賞に応募した。枚数は5枚と少なかったが、何度も書き直したので時間がかかった。
 今週はまた別の賞に出す文章の構想を練っていた。なかなかテーマが見つけられずに、資料の渉猟ばかりを重ねていた。ようやく昨日、その賞に合いそうなテーマをひねり出すことができた。これからラフを書き、来週の前半ぐらいには書き終えたい。

 ある人のブログを読んでいたら、その人が10歳と言うのは特別な歳だということを書いていた。その人、かりにAさんとすると、Aさんには子供が三人いる。一番上の子が10歳の歳からアマチュア無線を始めたそうだ。Aさんは作家なのだが、10歳の頃に本と出会い、10年後から本を書き始め、20年後にプロの作家になった。
 Aさんの息子さんはかなりの理系男子のようで、天体望遠鏡を見ながら、無線をしているような子だ。将来は宇宙飛行士になりたいらしい。
 このブログを読んで、自分の10歳の頃のことを思い出してみた。僕の10歳は最低、最悪の歳だった。今、51歳になって振り返ってみても、あの年は最悪の年だった。
 僕は早生まれだから10歳は小学5年生である。その頃は千葉県の習志野市の公立小学校に通っていた。その学校は普通の学校だったが、僕のクラスは最低だった。今、よくいじめが話題になるが、僕には容易に想像ができる。僕の5年のクラスのいじめはすさまじかった。
 ある女の子は男の子に集団で殴られ蹴られ、耳の中にチューブの糊を挿入された。
 ある男の子は授業の時間内にクラス全員から暴行を受けた。これ、全部担任の先生の前で行われたことだ。担任は新人の女の先生で、まったくクラスをコントロールできていなかった。前述の男の子の暴行は、なんとクラス会で決められたのだ。「あいつが生意気だから、みんなでリンチしよう」という提案が、クラスで最低最悪の男子生徒から出され、誰も逆らえずにその案が採択された。そして授業中にリンチが行われた。
 僕はかなり不良グループと正面から対立していた数少ない中のひとりだったと思う。もしかしたら僕だけだったかもしれない。まともに対立していたのは。だから日常的に喧嘩をしていた。週に1回ぐらいは本気の殴り合いをしていたと思う。それ以降、僕はそれほど殴り合いに恐怖を感じない(今は怖いですが、若い頃はそうでした)。それで若い頃は何度も失敗をしたのだが、それについては今回は触れない。
 学校では暴力の嵐が吹き荒れていた。そして我が家もかなり荒れていた。うちの両親はあまり仲が良い方ではない。当時は、その両親の夫婦喧嘩が一番ひどい時期だった。母に連れられて母の実家に避難したこともあった。
 僕は10歳のあの頃、いったい人生に影響するような何に出会ったのだろうか。アマチュア無線や読書といった、子供らしく前向きなサブジェクトではなかったことは確実だ。それはいじめだとか暴力だとかといったワードでは、簡単には表現できないものだった。現実的な社会の暗部、といったら、これはまたカッコをつけすぎた表現だろう。その暗くどんよりとしたサブジェクトは、きっと今も僕の中でうごめいている。その点は、アマチュア無線や読書と同じなのかもしれない。やはり10歳のころ得たものの与える影響は、小さくはない。

 今回、僕が書きたかったことと内容が大きくそれてしまった。今回、書きたかったのは家庭についてだ。10歳のころの我が家は、子どもが安心して過ごせるような環境ではなかった。しかし父は仕事で外出しがちだったので、年がら年中ではなかった。荒々しいのは、いっときだったのだ。それでもたまの夫婦喧嘩でも、子どもには辛いものだった。
 その後、両親は以前ほど喧嘩をしなくなった。でも僕にとっては、両親のいる家族はひきつづき安住の場とは言えるものではなかった。
 最初の結婚生活も、くつろげる場所ではなかった。とくに別れる数年前からは、胃が痛くなるような経験の連続だった。その同時期、やはり仕事でも苦しい立場に立たされていた。
 こうして家庭生活を振り返って、あることに今さらながら気づかされた。もしかしたら、今が最良のときではないだろうか。こんなに家の中の居心地がよかったことは、かつてなかった。

 過去を振り返ると、家庭生活と外との生活はどうもリンクしているように思う。そうなると今の僕は、仕事もよい状態であるということになる。しかし現実はそうでもない。
 しかしだ。この安定が続けば、それに引っ張られて仕事もうまくいくのではないだろうか。そんな気が今、している。
 話が脱線してしまったが、今日はそのことを書きたかった。

はじめての特養


 昨日、はじめて特養、つまり特別養護老人ホームに行ってきた。知人が二か月前から入所しており、見舞いというか遊びに行ってきたのだ。
 その特養は僕の散歩コースの途上にある。すごく立派な外観である。実は知人が入所するまで、そこが特養だとは知らなかった。私立の豪華老人ホームだと思っていたのだ。
 昨日はいつも通り、散歩をしていて特養の前を通り過ぎた。そのとき知人から「絶対に遊びに来てよ」と言われた言葉を突然に思い出した。前から行かなくちゃと思っていたが、3月は忙しかった。4月になって時間ができたら行ってみようと思っていた。それで踵を返し、特養の豪華ゲートをくぐったのである。
 特養は驚きの連続だった。もしかしたらそこはちょっと異例なのかもしれない。他を知らないので、そこのところは分からない。ただ昨日の場所を見ただけの経験であるが、特養は僕の持っていたイメージとまったく違う場所だった。
 まず入り口から驚かされた。建物に入るとまず受付がある。知人の名前を告げ、面会の書面に記入した。その書面には、面会者のつまり僕の健康状態を書かなくてはならなかった。下痢、発熱の有無を記入する。よく見ると、家族に病気の人がいないかまでも問われている。驚きながらすべて「否」にチェックした。
 記入が終わると受付の女性が体温計を差し出した。これで体温を計れというのだ。まるで診察を受けに来た病院だ。測温が終わって体温計を渡すと、今度はうがいと手洗いをするよう促された。見ると近くに、洗面所がある。ガラガラとうがいをし、手をきれいに洗い終わる。すると最後にマスクを手渡された。建物の中では、マスクをしなくてはならないらしい。
 厳しい検問を通り抜け、ようやく面会に向かう。知人は二階の大部屋にいた。大部屋は病院の大部屋と、作りは基本的に同じだ。ただスペースは若干広い。24時間の生活の場なのだから、このぐらいの余裕は欲しいものだ。清潔で明るい部屋だった。
 その後、知人と約一時間話をしたのだが、その内容はまた驚きの連続だった。色々あって、書ききれないので、いくつかをかいつまんで書く。
 まずお風呂。お風呂は毎週2回入れるらしい。風呂場までは車いすの送迎付きである。風呂に入ると三助のような人がいて、頭と背中を洗ってくれる。入浴は介助付きだ。
 知人はついこの間までひとり暮らしをしており、そのときは当然自分ひとりで風呂に入っていた。でも特養では三助付き、介助付きなのである。風呂場には大きな窓があり、近くの山を眺めながらゆっくり入浴できる。風呂から出ると、きれいに洗ってある自分の服が用意されている。古い服は脱衣かごに脱ぎ捨てておくと、また洗って返却されるそうだ。
 次に、レクリエーションが毎日のようにある。知人は音楽が好きとのことで音楽イベントにとくに参加するらしい。音楽好きが大広間に集まって、「学生時代」や「高原列車」のようななつかしい曲を歌う。
 この話を聞いて思ったのだが、昔はみなが歌える曲があった。ヒット曲は全国津々浦々老若男女みな歌えた。だから特養でも、とくべつな配慮がなくても、みなが歌える曲がある。
 僕の少年期がその最後の時代ではなかったろうか。僕がもし特養に入るとしたら、そのときはみんなで「太陽がくれた季節」とか「これが青春だ」とかを歌うだろう。これらは大ヒットではないが、きっとみな歌える。もし大ヒットということで考えれば、「泳げたいやきくん」で決まりだろう。なんだか想像すると、楽しそうである。ところで今の若い子はEXILEとか“きゃりーぱみゅぱみゅ”とかになるのだろうか。老人にはちょっと難しそうな曲である。
 次に料理だ。実際に食べていないし、見てもいないのだが、かなり立派らしい。とても美味しいという。朝は7時かららしいが、知人は5時から食堂に行くという。理由は聞いたが、その理由は僕にはよく理解できないものだった。あまりしつこく聞くのもなんなので、適当に相槌を打っていたが、とにかく早く行かなくてはいけないらしい。だからとても忙しいと楽しげに話してくれた。
 次にそこで働くひとの数とホスピタリティのレベルの高さに驚かされた。そこには約100人の老人がいるらしいが、ワーカーの数も決して少なくはない。何人か聞かなかったが、食堂にも部屋にも事務室にも、どこにもいつもワーカーがいた。みな忙しそうに働いている。この多くのワーカーがみなニコニコして優しげなのだ。知人に尋ねると、いわゆる虐待のようなものは気配もないそうだ。
 彼らを見ていて、この間行った宮古島東急リゾートのスタッフを思い出した。世界最高のサービスじゃないかとブログに書いたが、なんと近くの特養も同レベルのサービスを提供していたのだ。これには驚かされた。
 最後になるがこれら、高級リゾート並のサービスと設備が完備されていて、その料金は月額10万円に満たないという(料理、洗濯、レクリエーションなどすべてが含まれる)。これには一番驚かされた。
 知人は一人暮らしをしていたときより、ずっとお金がかからないと嬉しそうに言っていた。それは嬉しいだろう。さっき宮古島東急を例に出したが、おそらく行ったことがないがサービス、設備にプラスしてレクリエーションがあり、食事も付いていることを鑑みると、それは老人限定のクラブメッドではないだろうか。1か月10万円でクラブメッドを楽しめたら、嬉しくなくないわけがないのである。知人は「これじゃ100歳まで生きそうだわ」と、本当に幸せそうだった。これには僕も嬉しくさせられた
 申し訳ないが、特養とは暗くて汚い場所ではないかとイメージしていた。しかしそこは超リーズナブルなクラブメッドだった。知人は以前よりもずっと健康そうで幸福そうに見えた。
 ところで国がつまり国民が支払っている、その費用を考えると、ちょっと複雑な気もしたのである。

得をした気分


 仕事は遅々とした進みで、計画ばかりをブログに書いている。なんだか情けない。早く成果を報告したい。
 ところで昨日、嬉しい連絡があった。残念ながら、仕事関係ではない。
 2月の大雪で我が家の雨どいは、外側に開いた状態になってしまった。我が家の雨どいは円筒を半分に切った形で、本来なら切断面は真上に向いてなくてはならない。ところが雪の重みが雨どいに集中し、重みに耐えられなくなった雨どいは、切断面がななめの状態になってしまった。これだと大降りになると、雨どいから水かこぼれる。
 以前、屋根屋に見てもらったところ、足場を組んで直す必要があるらしい。どうせ足場を組むならば、新しい雨どいに取り換えてしまった方がいいという。その費用は100万円近くかかるとのこと。
 痛い出費である。しかし我が家は火災保険に入っている。改めてパンフレットを見ると、雪害も対象範囲に入っている。そこで損保会社に工事費の申請を出しておいたのだ。
 金額が安くない。雨どいは全壊しているわけではない。無理をすれば、古い雨どいを使い続けることができなくもない。全取り換えの内容の見積もりを出していたが、保険料の審査に通るであろうか。
 それが昨日、連絡があって、全額保険で賄えることが判明したのだ。久しぶりに嬉しい報告だった。
 100万円を翻訳で稼ごうと思ったら、どれだけの時間を机にしがみ付く必要があるのだろうか。それよりも、それだけ余分に自分へ仕事が来るのであろうか。そう考えたら、喜ばずにいられない。
 あたりまえの権利だとは思うが、審査は保険会社が行うブラックボックスだ。結果が分かるまで、不安はあった。まずは我が家の雪害にも適用されて、何よりである。
 今回の大雪で、各保険会社は莫大な保険料を支払うことになったというニュースを見た。もしかしたら審査が厳しくなったのではないかと心配していた。
 7年前の台風では屋根の一部が損壊した。そのときも保険で賄うことができた。
 我が家は家を購入するときに、火災保険を30年分まとめて支払ってある。そうすると、うんと割引になるからだ。かなりの金額になるが、家の価格に比べれば、わずかなものだった。目の錯覚みたいなもので、躊躇なく支払っておいた。

 前回の台風と今回の雪害。改めて計算すると、保険会社から受け取った金額は、30年分の保険料を上回っている。なんだかとても、得をした気分なのである。こんなことで喜んでいる自分が情けない気もするが。

中間発表


 企画書を送ってある出版社、ならびに関係者に先週末、連絡を取ってみた。その報告をしたい。
 まずノンフィクションの翻訳出版企画を今年1月に某大手出版社へ出してあったのだが、その後の経過を電話で問い合わせてみた。
 結果はボツだった。なかなか良い本である。出せば、それなりに売れるんじゃないかと、素人なりに読んでいた。ボツになったのは、とても残念である。
 ちゃんと検討してくれたのであろうか。ただ机の上に積んでおいて、時間の経過を待っていただけではないのだろうか。
 いやいや、そんなことはないだろう。いみじくも伝統ある大手出版社の編集者である。きっと社の路線に会わなかったのだ。きっと、そうであるに違いない。
 これからも、くじけずに他社に売り込みたい。実は翻訳にすでに取り掛かっている。

 次にサーフィン関連の本の翻訳出版企画である。これは別の大手出版社に提出してある。結果を問い合わせたところ、担当者が海外出張であった。今週中に帰国の予定であるそうだ。また問い合わせてみたい。

 次にオリジナルの自著企画をある出版関係者に渡してあった。この方はとても忙しいようで、まったく連絡が取れない。いつも取れない。しかし避けられているのではないと信じている。が、今回も連絡が取れない。
 留守電に要件を入れておいた。連絡待ちの状態である。

 以上である。この3企画をできたら年内に実現化したい。できたら、とても嬉しい。
 しかしたった3本の企画をポーンとどこかに投げておいて、後は待つだけだというのは、自分のような無名の翻訳家にとって、賢明な策とは思われない。建設的、積極的、創造的に取り組み、二の矢、三の矢を次々に放っていかなくてはならない。
 まず今月中に3本目の翻訳出版企画の企画書を書き上げる。そしてまた、どこかの出版社に売り込もう。
 3本目の翻訳企画は最近の異常気象に関する本だ。現在の気象業界のメインストリームとなっている地球温暖化理論と真逆の理論を展開している本である。
 科学全般に言えることだが、最近の気象や健康に関し、人気の高い学説には、一般大衆が理解できるよう単純化されたものが少なくない。しかし科学は単純化することで、道を大きく逸れてしまうことがある。
 気象というのは、実は現代でもほとんど解明されていない分野であるらしい。なぜなら天気に影響をあたえている要素はあまりに多く、複雑だからだ。それを単純化して、結論をショートカットで導き出すことの危険性を説いた本である。
 4本目の翻訳企画も考えている。「家族の幸福」に関する本だ。これは5月中に企画書を仕上げる予定だ。
 個人の幸福に関する本はあまたある。しかし家族の幸福に関する本は多くはない、と思う。どこかが出版してくれると、思っている。

 企画以外では、この前応募した300枚の某文章がある。この結果は8月に出る予定である。
 今週中には別の公募賞へ応募する予定の文章を書き上げたい。枚数は5枚である。
 来週はまた別の公募賞へ出す文章を書く予定である。枚数は30枚以内である。
 それと某機関誌で連載しているエッセーの締め切りが近づいてきた。これは月内に書く予定である。

 仕事に関する現状は、こんな感じである。
 「この秋は雨か嵐かしらねども、今日のつとめに田草取るなり」の心境で、日々淡々と机に向かう所存である。

 仕事以外では、最近は毎日、実際に草むしりをしている。春になって、庭の雑草がいっせいにニョキニョキ生えてきたのだ。昨日は2時間やり、終わった後、一日背中が痛かった。どうも一時間が僕の限度の様だ。
 今日も一時間ほど、草むしりをしようかと思っている。

もうひとつの理由


 昨日の続きだ。2週間近くもブログの更新をサボってしまったが、その二つ目の理由を説明したい。
 以前も書いたが、3月はある長い文章を書いていた。以前、ブログで「一冊の本を書き上げる」なんて、生意気なことを書いた。なんでそんなことを書いたのだろう。明らかに誤りだ。ただの文章である。本になればいいなあ、とは思っているが、ただの原稿である。それに取り掛かっていたのだ。
 3月の頭に、ある公募賞に応募することを思いついた。理由は以前のブログで書いた通り、いくら企画書を出版社に持ち込んでも相手にされないからだ。ここは正攻法で公募賞に応募して、コンペティションに勝ち抜いて、出版にまで持ち込めたら、これ幸いと思ったのだ。
 公募の締め切りは4月の始めだった。なので構想も含めて、書く期間は1か月のみ。
 枚数は400字換算で300ページ以内。300ページ以内であれば、10ページでもいいらしいが、過去の受賞作を見ると200ページから300ページだった。それで300ページを目標に校正を組み立てた。つまり1か月で300ページを書かなくてはならなかったのだ。
 なんとか300ページのまとまった文章を書き上げることができた。過去の最長は修士論文で200ページだった。それを100ページ上回ったことになる。修士論文は英語で書いたので、どちらがしんどかったかは比較できない。でも今回も相当にしんどかったのは事実である。
 3月27日のブログで書いた通り、なんども挫折しそうになった。単純計算でいえば、1か月で300ページだから、一日10ページ書けばいい。でもゼロページの日が続き、10ページ以内の日も続き、気づけば一日30ページは書かなくては、終わらなくなってしまった。それがさらに恐ろしいことに、あれからまたサボってしまったのだ。結局、最後の二日間は一日40ページも書かなくてはならなくなったのである。
 一日40ページは、まったくの未知の世界だった。このブログでは、毎日400字換算で5ページぐらいを書いている。一時間程度で書き上げている。そのペースで書ければ、8時間である。でもブログはあんまり頭を使わないし、資料も探さない。だから単純に8時間では、終わらなかったのである。結局、朝から晩まで書き続けることになった。起きている間は、ずっと書いていた。それでようやく終えることができた。

 結果は8月中に発表されるらしい。佳作以上に選ばれれば、書籍化される可能性がある。応募数は毎年1000点以上。後は人事を尽くして天命を待つばかりなのである。

 書き上げての感想だが、やればできるのだな、というものだ。やはり追いつめられることは必要なのだ。今の生活は制約がほとんどない。一か月に一度、企画書を仕上げる計画を立てて挫折しても、誰も咎めない。今年こそは本を出すぞと誓ってできなくても、恥をかくだけだ。
 人間は、とくに僕の場合はだが、とても弱い者なのだ。この弱い自分には、多少の制約が必要なのだ。そう、今回の応募で思い至った。
 5月にも2つばかり、応募しようかと今、考えている。ひとつは30枚、もうひとつは5枚で、両方とも書籍化はされない。でも何もないと、また無為に時間ばかりが過ぎてしまう。僕の場合は、自分でオブリゲーションを与えた方が、良いようなのである。

 翻訳の企画書も今月は1本書きたい。今、出版社に出している3本の企画も、ダメならダメで、結果を知りたい。近々、催促の電話をかけてみよう。
 やっぱり今年中に最低一冊は、なんとしても実現したいのである。

宮古島にいっちゃいました


 約2週間ぶりの更新だ。更新をしない同じページを何度も見に来ていただいた方や、コメントをしてくれた方、ご迷惑をおかけしてしまいました。申し訳ないです。

 この2週間、いくつかのできごとがあった。
 まずかみさんと旅行に出かけた。出る前に報告するつもりでいたが、後から説明する理由のため、ブログには手がまわらなかった。
 でかけた先は沖縄県宮古島である。はじめての沖縄離島旅行だった。
 まず思ったこと。沖縄はおそるべし。沖縄本島には二度ばかり行ったことがある。しかし二回とも宿泊は那覇だった。エキゾチックな都会で、それなりに楽しめた。しかし一度は仕事であったし、もう一度は一泊だけのトランジットだったので、あまり沖縄を知ることはできなかった。
 今回は三泊四日の旅だった。ずっと宮古島東急リゾートというホテルに泊まった。それなりに宮古島を知ることができたと思う。

 それで、何がおそるべしかというと、いくつかある。まず海が途方もなくきれいだった。東急リゾートの前は、プライベートビーチになっている。なんでもそこは、東洋一美しいビーチといわれているらしい。砂浜はまっ白で、海は透き通った水色だ。
 東急の前のビーチもきれいだったが、他のビーチも、どこもかしこもビューティフルだった。東洋一がいたるとろこにあるのだ。
 私感で書けば、東急のビーチよりもきれいなビーチはいくらでもあった。宮古島は川崎市よりもちょっと広い。けっこう大きな島なのだ。その島をレンタカーでほぼ一周した。気が向くと、名もないビーチに立ち寄った。そこには10代のブルック・シールズが半裸で泳いでいそうなビーチが必ず広がっていた(注:映画『青い珊瑚礁』)。そしてそのビーチには誰も人がいない。まさに青い珊瑚礁の世界なのだ。なので、僕もすっぽんぽんで泳ぎたくなりましたよ。
 残念なことに沖縄も寒波が来ていて、泳ぐにはちょっと寒かった。それで“すっぽんぽん”にはならずにすんだが、もうちょっと気温が高ければ、危ないところであったのである。
 だけど泳ぐことは泳いだ。東急の前で。ちゃんと水着をつけてだが。泳げないことはないのだ。ちょっと寒いけど。子供たちは、ばんばん泳いでいた。僕は相当な寒がりなので、一時間も泳いだら、芯まで冷えてしまい、その後風呂に直行したが。
 普段の年は4月で泳げるらしい。ちなみに今年の海開きは4月6日だった。でも観光客も地元の人も、行政の決めた期日をとくに気にしていないようだった。けっこう、勝手に泳いでいた。

 つぎに恐ろしかったこと。それは料理だ。沖縄料理は日本料理と同一にできないと改めて思った。北海道や九州、その他どこに行っても、それなりに土地の料理を楽しめる。しかしそれらはどれも日本料理のひとつだと認識することができる。だけども沖縄の料理は、中華料理やベトナム料理ほど、日本料理と距離がある。
 その異国的な料理が居酒屋でうんと安く食べることができる。宮古島は居酒屋文化隆盛の土地なのだ。人口5万弱。逗子よりも少ないのだが、その小さなマーケットに、数十の居酒屋が点在している。
 3泊のうち、2日は車で街に出かけ、居酒屋で夕食を取った。どれも安くてうまくて、大満足だった。最後の夜はホテルで食べたが、これはまあまあだった。宮古島に来たら面倒でも、街にでかけて食べた方がよいと思う。今回は居酒屋しか行かなかったが、それ以外の店も、相当レベルが高いようだ。知り合いになった現地在住の人がそう言っていた。
 ところで居酒屋へはレンタカーで行ったのだが、帰りは代行というサービスを使った。はじめて使ったが、これがいい。街からホテルまでは10キロ程度なのだが、それを2,000円で請け負ってくれる。タクシーだと、片道2,000円なので、半額ですむ。
 二日間とも同じ代行を使い、ドライバーと仲良くなった。184センチ130キロの超ど級の大男だった。僕は格闘技が好きなので、「その体なら、格闘技をやればいいんじゃない?」と言ったら、なんと彼は選手だった。素人の喧嘩祭りみたいな大会が福岡で行われている。その沖縄予選で優勝したことがあるそうだ。夜中の駐車場に急に彼が現れると、かなり肝を冷やされるが、仲良くなるととても頼もしい。

 つぎに恐ろしかったこと。それは「お・も・て・な・し」の精度の高さだ。東急リゾートのサービスのレベルは、今まで海外で泊まったどのホテルをもはるかに越えていた。
 海外のホテルに泊まると、多少緊張を強いられる。嫌な思いをするのではないかと身構えるからだ。ところが東急は、どうやっても、なにをやっても、どこにいっても嫌な思いをする気配がゼロなのだ。常に心地よい。
 おもてなしの心は、ホテルだけではなかった。レンタカー屋も空港も居酒屋も定食屋も、海で出会ったおじさんも、みんな親切だった。海でであったおじさんは、1時間以上も珊瑚礁を案内してくれた。
 改めて日本はいい国だと思った。これだけきれいな海があって、料理がうまくて、サービスのレベルが高い島が、日本にはある。もうまったくハワイやグアムに行かなくても、いい。それどころか、世界最高といわれるハワイよりも、“much better”である。

 ああ、楽しい旅であった。今回は初めての宮古島だったので、けっこう忙しく、飛び回った。しかし次回は本をどっさり持ち込んで、ホテルのプールサイドやプライベートビーチのチェアで、まったりと読書三昧を楽しみたい。
 屋久島も、うんと良かった。でも屋久島は道中に時間を要する。でも宮古島は直通便がある。
 東急リゾートを定宿にして、年に一度ぐらい行ってみるのもいいかな。当然そんな余裕はないのだけど、そんなことを夢想させられる旅だった。

 長くなってしまったので、もうひとつの理由はまた明日。

プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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