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今井雅之の思い出


 今井雅之が死んだ。今井とは大学の同期だった。
 同級生ではない。今井は文学部、僕は経営学部で当然クラスは違ったが、入学した年が同じだったのだ。そして数か月間だけだが、サークルが一緒だった。
 僕らは入学と同時にESSという英語のサークルに入部した。たしか今井はドラマ班で僕はリタラチュア(文学)班だった。班は別々だったが気が合って、よく二人で話したものだ。
 僕らはともにESSでは浮いていた。ESSは典型的な文化系サークルで、部員のほとんどが、いかにも文化系サークルにいそうな人たちだった。つまり真面目で、野暮ったくて、サークル内での恋愛に熱心であった。
 僕も今井も文化系サークルの対極にいた。今井は完全な体育会系だったし、僕はまったくの軟派小僧であった。
 つまり僕と今井も、もしESSに入らなければ、おそらく仲良くならない別の種族に属していたのだ。でも僕らは、練習の合間とかによくだべった。
 今井は二年間、陸上自衛隊で戦車に乗っていて、そこで学費を稼ぎ、自力で法政に入学した。僕は一浪の末、志望大学をみんな落ちて、滑り止めで法政に入った。
 今井は入学当時から、燃えていた。僕は最初から敗者気分で厭世的であった。そんな僕から見たら、ひとつ年上の今井は、カッコよく、そしてちょっと暑苦しかった。
 今井が大学に入学した理由は、役者になるためだった。ESSに入部したのも、役者になるためだった。今井は、「俺、ハリウッドスターになりたいんだ。自衛隊に入ったのは、体を鍛えるためで、ESSに入ったのは、英語力をつけるためだ。みんなスターにたるための、投資だ。いつか必ず、大物になる」、とよく言っていた。
 今井は原宿のぼろアパートに住んでいた。それは、「スターになるためには、スターと同じ場所に住まなくちゃいけない」からだった。
 毎朝、代々木公園をジョギングしてから、さらに市ヶ谷の法政まで走って通学していた。会うときはいつもTシャツが汗で濡れていた。
 僕も今井も、夏休み前にESSを自然脱退した。いつの間にか、行かなくなったのだ。今井はアルバイトと芝居の練習で忙しく、僕はアルバイトと女の子関係で忙しかったからだ。
 ある日、久しぶりに今井とキャンパスで会ったことがある。「最近、合同コンパに行くようになったんだ」と恥ずかしげに言った。当時は合コンとは言わず、合同コンパといったのだ。僕はそれまで、合同コンパというものに行ったことがなく、とても興味深く彼の話を聞いたものだ。実は具体的な話も、かなり詳しく聞かせてもらったが、ここでは書かない方がいいだろう。
 それが今井と会った最後の瞬間だった。
 大学を卒業して何年か経った頃、写真誌のFocusに「自衛隊出身の劇団員」として今井が載っている記事を、たまたま読んだことがある。当時、今井はまったくの無名の劇団員で、「ああ、まだ続けてるんだな」、ぐらいにしか、そのときは思わなかった。
 それから、おそらく10年は立った頃だろう。今井がテレビに出ていることに気づいたのは。それまでも今井雅之という役者が出ているドラマは何度も見て、顔は憶えていた。しかしあれがあの今井だとは気付かなかった。それほど今井は変わっていたのだ。
 大学時代からマッチョで男っぽかったが、どちらかというと朴訥で、大人しいタイプの男だった。それが押しの強い、個性派俳優になっていて、その変貌ぶりに、僕は今井だと気づかなかったのだ。
 今井は、大学時代望んだとおり、大きな男になっていた。

 今井は有名になる前から、僕のひとつのお手本だった。今井のような強烈な情熱を若い頃から持っていたわけではないが、今井の夢を追いかける姿を、僕はずっと後ろからだが、追いかけていた。
 僕は46歳で会社を選択退職し、翻訳者になり、小説を書くようになった。今井についての記憶が、僕の背中を押してくれたのだと思う。
 大学時代の一時期をともに歩み、そしてその後、僕のずっと先へ走り去っていった今井。強く逞しく、そして心優しき男であった今井。俺はいつも、うんと遠くても、ずっと先にある君の背中を目指して、もがきながら歩き続けてきた。その背中が消えてしまった。寂しいよ。
 


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大手と地元工務店の違い


 前に書いたかもしれないが、我が家の二階三部屋をリフォームすることにした。現在、各部屋はカーペットが敷かれているが、すべて無垢材のフローリングにし、壁はクロスを貼って、天井はペイントしなおし、各部屋にあるクローゼットの扉をすべて取り換える。
 今回、2社の業者に見積もりを作らせた。一社は全国的な大手で、一社は地元の工務店である。毎回、この二社には見積もりを作ってもらっている。
 そして今回も、毎回と同じ結果になった。大手の数字は約200万円。工務店は約100万円。倍の差であった。
 大手は高いと知っていても、この差にはその都度、驚かされる。そしてこれだけ高くても、経営を続けられる大手の不思議にまた、驚かされる。これだけ高くても、使う消費者が大勢いるからだろうが。
 では、この差はいったい何から生まれるのだろうか。きっと営業マンの人件費やモデルハウスの運営費、宣伝費や高額の経営陣の給料、株主への配当、法人税なのだろう。
 そして今回も、この高い部分を十分に利用させてもらった。
 僕は毎回、正直に地元工務店に相見積もりを取っていることを、大手に話している。そして最終的には、金額も明示する。それでも大手の営業マンはきちんとした対応を取ってくれる。
 たとえばフローリングやクロスの見本を持ってくる。工事の仕方を丁寧に説明する。今回は行かなかったが、前回は大手保有のモデルハウスも招待してくれて、そこで無垢材を実際に使った例を見ることができた。
 こうしたサービスは、その大手を使わなければ、当方にとっては無料である。無料で大手のサービスを享受できるのだ。実際には安い地元工務店を使うのだが。
 工事に入ると、地元工務店に、しかし分がある。実際の工事では、イレギュラーな事態が必ず発生する。床板を開けてみたら、板が腐食していたり、壁紙を貼ったら、接着がうまくいかず、浮き上がってしまったり。こうした事態に遭遇しても、地元の職人はきちんと対応してくれる。もちろん追加料金を請求することはない。大手では、こうはいかない。見積もりと実際の請求額が異なることは、リフォームではよくあることなのだ。

 工事は6月末から7月になるそうだ。その間は二階のすべての荷物を一階に移動しておかなくてはならない。睡眠、仕事は二階でしているが、どちらも一階で行わなくてはならない。
 しばらくは荷物に囲まれ仕事をし、荷物の間に布団を敷いて寝ることになる。
 

家事は心がけ次第


 朝からくたくたである。なに、いつもの家事をしただけなのだが。
 今朝は朝食を作り、後片づけをして、猫にエサをやり、猫トイレを掃除して、ゴミだしをして、洗濯をして、掃除をして、花に水やりをした。これだけで3時間近くを要した。
 4時半に起きて、今は7時半。ようやく机に向かうことができた。その間、全速力で家事を続けていた。
 昼は昼食を作り、後片付けをする。夕は買い物に行き、夕食を作る。洗濯物を取り込み、畳まなくてはならない。こうした家事も約3時間ほどかかる。そうすると家事の合計で6時間である。
 家で仕事をしているので通勤時間はかからない。それなにの仕事がなかなかはかどらない。常日頃不思議に思っていた。
 一番の理由は自分の怠惰と、集中力のなさである。これは間違いがない。しかしまた、家事に時間が取られているのも事実である。
 もし経済的に余裕があるのならば、家政婦さんを頼みたい。そうしたらもっと仕事が進むだろう。
 いや、どうかな。家事はストレスでもあるが、ストレスのリリースでもある。心がけ次第だろう。
 禅僧の仕事は座禅と家事である。一日、3、4時間の睡眠以外、すべてそれらに費やしている。家事イコール修行なのである。
 自分もそう考えるようにしている。すると苦手な掃除機かけもまた、修行のようで悪くない。

 なんてことを考えながら、朝の家事をした。でもその結果、くたくたである。つまり、心がけがよろしくないと、いうことだろう。 
 

わらしべ長者な一日と健康診断


 先週の金曜日は、新聞社時代の同僚が逗子まで遊びに来てくれた。同僚は僕よりも少し遅い時期に、早期退職をして、その後いろいろなビジネスに挑戦している。そしてどれも、軌道に乗せている。新聞社時代も運動量の多い男だったが、辞めてさらにパワーアップした感じだ。
 同僚は今夏から、新たなビジネスをまたひとつ始めるという。それはカフェの経営だ。そのカフェでカレーを提供するという話を聞いていたので、マッチポイントのカレーを食べてもらいに来たのだ。
 いつもおごられてばかりなので、今回ぐらいはということで、僕がカレーをご馳走した。一口、頬張ると、同僚は「うまい」とうなった。
 参考となったのならば、嬉しいのだが。
 その後、なぎさ珈琲に河岸を変えた。同僚はアイスコーヒーを、僕は赤ワインを飲みつつ、富士山を眺めながら、初夏の海の風を楽しんだ。
 夕方になり、家に帰ることにしたのだが、同僚が夕食を一緒に食べないかと声をかけてくれた。かみさんは修学旅行でいないので、これ幸いと、快諾した。
 羽振りの良い同僚は、ご馳走してくれるという。どこでも好きな店をどうぞ、と言われ、鎌倉の天麩羅や「大石」にすることにした。
 860円のカレーをおごって、その何倍もの天麩羅をご馳走になる。なんだか、申し訳ない一日となってしまった。ただし大石の天麩羅は、相変らず絶品で、幸せな気持ちはそれを凌駕してしまっていた。

 昨日は逗子市の健康診断に行く。血液検査の他、眼底検査、大腸がんの検査、胃がん健診、肺がん健診、心電図を診てもらった。
 家から45分の道のりを、保険センターまで歩き、帰りもまた歩いて帰る。朝食を抜いていたので、腹ペコになり、途中で松屋に寄り、朝定を食す。バリウムを飲んでいたので、下剤を飲まされ、帰りの道中はひやひやしながら、帰路を急いだ。
 
 

密やかな楽しみ


 昨夜は夜中の3時に大雨の音に起こされた。起こされたのは、よかった。玄関脇の窓が開けたままになっていたからだ。その窓は鉄格子がついているので、夏は開けたままにしておく。
 確かめに行くと、案の定、雨が入り込んでいた。あわてて閉めて、濡れた場所を雑巾で拭いた。
 ベッドに戻って、眠ろうとしたが眠られない。結局、4時過ぎまで起きていて、4時半が起床だから、30分程だけ、うつらうつらした。
 僕は子どものころから、寝つきがいいほうではない。でも子どもの頃、若い頃は、夜中にトイレに起きても、ふとんにもぐりこめば、瞬時に寝付くことができた。それが今じゃ、一度起きてしまったら、寝るのに一苦労である。
 よく寝るのにも体力が必要だとか、そんな説明をする人がいる。しかしどうもその説には信ぴょう性がないように思う。だって本当に体力がない病人は、何時間でも眠ることができるのだから。きっと他の理由があるのだろう。さて、どんな理由だろうか。

 今日からかみさんが修学旅行の引率で家を空ける。といっても一泊だが。
 久しぶりの一人の夜は、楽しみだ。何が楽しみったって、ご飯を作らなくていいのがいい。今週は初めから今夜のことを想定して、おかずを多めに作っていた。それで今夜は十分にまかなえる。
 これが二人だと、そうはいかない。やはり残り物だけのご飯は、気が引けるのだ。もちろん、かみさんは同じおかずを続けて出しても文句はいわない。でも、出す方がそうはいかない。やはり平日の台所を任されている以上は、それなりのものを出すのが筋というものだろう。
 明日の朝も、ゆっくりしていられるのも、またいい。朝起きて、二人分の食事を用意しなくて済むのも、これもまた結構。
 今日は早く風呂に入って、大相撲でも見ながら、一杯やってしまおうかな。今日は天気もいいし、窓を開け放ち、外の風を感じながら風呂上りに、ビールをグヒッとやる。想像するだけで、楽しみである。
 


マッチポイントのカレー


 甥っ子からまだ連絡がこない。やっぱり落ちたのだろうか。とても心配である。甥っ子の就職に、こんなに気をもむ伯父は、あまりいないだろうということは分かっているのだが、心配なのだから仕方がない。

 ところで書き忘れていたので、書く。ちょっと前にマッチポイントでカレーを食べた。マッチポイントは図書館の近くにあるので、図書館に車を停めて、歩いて向かった。
 ここのカレーは、うんとうまい。あまり有名でないようだが、どうしてだろう。うまいだけでない。安いし、それに大盛りだ。男でも、普通盛りで十分にお腹がいっぱいになる。
 かみさんと出かけたのだが、ふたりとも定番のチキンカレーにした。もも肉が骨付きで、どかんと乗っている。
 しかし他も見捨てたものではないようだ。グループで来ていた若い人たちが、別々のカレーを頼んでいた。どれもうまそうだった。今度は、別のカレーにもチャレンジしてみたい。
 ところでそのグループは、昼間からビールを頼んでいた。「昼間から」なんて書くと、非難しているようにみえるが、そうではない。うらやましかったのだ。ジョキでなく、持つところがないコップで(なんか、名前があったような気がするが)飲んでいたのだが、そのコップがでかい。でかいコップになみなみつがれた金色の液体の美しく、うまそうなこと。車でなかったら、ぜったいに頼んでいたことだろう。
 ちなみに図書館の駐車場は一時間まで無料である。僕らはちゃんと本も借りたので、無断使用したわけでは、ございません。
 

不安な結果


 このブログで何度か書いた甥っ子が、路線を変更した。大学院へ行って、さらに博士課程を目指していたのだが、就職したいと言い出した。
 昨日はその甥っ子の第一志望の企業の最終面接が行われた。一次のときも二次のときも、面接が終わるとすぐにメールで連絡が来た。両方とも自信に満ち溢れていた。ところが今回は、まったく自信がないという。
 事前の情報によると、最終面接で落ちることは少ないらしい。それを鑑みても、「落ちていると思う」という。
 僕も昨年から、「落ちる」経験を何度もした。といっても、こちらは一次さへ受かったことがないのだが。
 どちらにせよ、「落ちる」のは、嫌な気分だ。
 まだ結果は明らかになっていないが、受かっていてほしい。甥っ子は大学四年なのだが、今年は二社しか受けない予定である。落ちたら大学院へ行くらしい。
 そういえば、僕は100社ぐらい、受けたっけ。そして受かったのは、たった二社だけだった。その受かったところも、合格通知が来たのは秋だった。初めてのスーツで汗だくで、歩いたあの夏の日々は、あまり思い出したくない経験だった。それに比べると、甥っ子はスマートで、余裕がある。
 これからの人生も、僕よりもずっとスマートで、そしてリッチに過ごして欲しい。


 「南田幹太の日常」も更新した。よかったら、覗いてみてください。
 

 3か月ぶりの更新


 「南田幹太の日常」を3か月ぶりに更新しました。よかったら、覗いてみてください。
 

住宅街のウグイス


 窓を開けて、パソコンに向かっている。涼しい風といっしょに、ウグイスの声が部屋に入ってくる。
 ここから森までは直線距離でも50メートルぐらいはある。だから普段はウグイスの声は遠くから聞こえるだけだ。しかし最近、ウグイスの声がすぐ近くから聞こえる。
 妻が先日、電線にウグイスがとまっているのを見たという。そらから数日して、実際に僕も見た。とても珍しいことだ。
 ウグイスは姿を見せない鳥だ。森の中で声が聞こえても、姿を見つけることは難しい。声の先に目をこらしても、大抵姿はそこにない。人の目に付きにくい、藪や木蔭で鳴いているからだ。
 ところがあのウグイスだ。おそらく一羽だ。まだ若い雄に違いない。今年、巣立ったばかりかもしれない。声は大きいが、節回しはぎこちない。
 なんで住宅街で鳴くようになったのだろう。こんなところでないても、メスはやってこないだろうに。
 しかしそんなおっちょこちょいのウグイスだが、住民にはありがたい存在だ。今朝も雨戸を開けると、ウグイスの声が飛び込んできた。なんだか夏休の山荘にいるみたいだ。
 僕らだけが、そう思っているわけではないようだ。先日、道を歩いていると、ふたりのおばさんが立ち話をしていた。そのとき彼女らのすぐ近くで、あのウグイスが「ホー、ホケキョ」とやった。ふたりは「最近、良く聞こえるわね」と指差して話していた。

 昨日はふたつの業者が家に来た。二階の三部屋を同時にリフォームしようと考えていて、下見を頼んだからだ。
 一昨年、一階の居間のリフォームをした。徐々に二階もやろうかと考えていただ、やるならば一斉にやった方が、面倒でない。今年は二階三部屋を一挙にやろうと決めた。
 2週間ぐらい工事にかかるらしい。その二週間はまたキャンプ暮らしみたいな生活になるだろう。
 

 伊豆旅行


 ちょうど一か月ぶりの更新だ。
 GWはかみさんと下田に行ってきた。泊ったのは下田セントラルホテルという宿。海からは遠いいが、源泉かけ流しで気持ち良い露天風呂があり、金目鯛の煮つけ他料理は食べきれないほどで、なかなか良い宿だった。近くはいわゆる里山に囲まれており、夕方散歩をすると、たき火の臭いがどこからか漂い、農作業から帰る腰の曲がった老婆がこちらを見かけて微笑みかけてきくる。ここはどこ、いつの時代?という錯覚に襲われるような、長閑な光景が広がっていた。
 伊豆は山青く、海は澄み、料理はうまい。温泉も良質だ。ほぼ満点の場所だが、唯一欠点がある。それは街道の景観が芳しくないことだ。自然の景色は良い。ただ人工物がグロテスクである。
 張りぼてのキングコングや首から下がペンギンの男。泥パックを塗りたくった女のポスター。そんな気持ち悪いディスプレーが、熱海から下田まで続く。なんであんなものを許すのだろう。あれで、どれだけイメージが悪くなっているのか。ずっとそこに住む地元民は、気にならないのだろうか。
 下田からは西伊豆を通って帰ってきたのだが、西海岸はまださほど世俗化されていず、グロテスクディスプレーはほとんどなかった。東伊豆は近くてよい。でも西伊豆まで脚を伸ばす価値はありそうである。
 そういえば熱海で、面白い話を聞いた。熱海といえば、“東洋のモナコ”といわれる。そのことを地元民に話したら、それは間違いだという。ただしくは「モナコはヨーロッパの熱海である」というのだそうだ。この心意気には感服した。街の景観をモナコ並に気づかってもらえたら、僕もそう呼ぶことに賛成である。

 

プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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