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その確率は97%


 昨日は図書館まで、てくてくと歩いて行った。片道40分の行程である。
 本を返し、別の本を借りにいったのだが、ちょっと雑誌コーナーに立ち寄り、文春を読んだ。
 いつの号だか知らないが、怖い記事が載っていた。首都圏直下型地震が30年以内に起きる可能性は70%、そしてなんと南海トラフ型地震が50年以内に起きる可能性は90%だそうだ。
 するとである。仮に僕が100歳まで生きるとしよう。この可能性は、あまり高くないのだが、便宜上そう仮定する。すると死ぬまでの間に、両地震が起きない可能性は3%になる。(僕の計算によるもの)。
 ということはである、両方の地震が起きる、あるいは片方のみが起きる確率の和は、97%になるのだ。ほぼ確実に、起きるということじゃないか。
 もう、地震が近い将来、起きることを前提に、我々は生活をしなくてはならないのだ。
 一昨年、耐震補強工事を行った。計算上はこれで震度7でも、我が家は潰れることはない。はずだ。
 潰れないと仮定すれば、できれば僕とかみさんの両方が自宅にいるときに、地震は起きて欲しい。それが無理ならば、せめてかみさんが学校にいる間に起きて欲しい。最悪なのは、かみさんが通勤途中で、地震が起こることだ。もし電車に乗っている時に、地震が起きたら、電車はどうなるのだろうか。脱線するのだろうか。その辺りの、シュミレーションは、どう予測しているのだろうか。あとで、ネットで調べてみよう。
 この辺りは標高が50メートル以上ある。津波のことなど、まったく考えずにこの家を買った。通勤や街からの帰りの坂は、正直うんざりさせられることがある。でも、良かったと、今は思う。まさに禍福は糾える縄の如し、なのである。
 

ご近所の地産地消


 もう2か月ぐらい前のことだが、ウォーキングの途中、ある年配の方と話す機会があった。その際に、とても役立つ情報を教えてもらった。
 この近くに、野菜を毎日、販売している家があるという。最近、野菜が高くて、といった話をしていたら、教えてくれたのだ。こうした話を見ず知らずの人とする点で、僕の普段の主夫ぶりがわかるというものだが。
 翌日、すぐにでかけていった。その家は、我が家から徒歩3分のところにあった。
 たまたま野菜を並べていたご主人と話すことができたのだが、どうも横浜市の青果市場関係の仕事をされているようだ。毎朝、仕事のついでに仕入れ、家のガレージで販売しているという。野菜は地元で採れたものばかりだという。
 これがなかなかの野菜だった。新鮮で、そしてかなり安い。たとえば新タマネギなんかは、近くのスーパーで400円ぐらいのものが、300円。200円の人参が100円、といった具合だ。
 それから毎週、なんどか足を運んでいる。先月は雨が多く、さらに夏野菜への端境期であったため、あまり良いのが並んでなかった。ようやく最近、また良いのが目立ち始めている。
 先日は人参とトマトときゅうりを買った。きゅうりは200円で、6本はいっていた。形は不ぞろいだが、新鮮でみずみずしかった。

 またまた逗子のよい処を見つけた。
 

体力と、三つ気を付けていること


 今年に入って、ほぼ毎週末、合気道の稽古にでかけている。
 昨日も稽古をしたが、ひとつ年上の先輩と話していて、体力の低下の話題がでた。先輩は腰やひざが痛むし、体力の低下が目立ってきたと言っていた。
 僕は腰痛はないが、背痛はある。背骨が少し曲がっていて、筋肉がいつも緊張し、痛みが起きるのだ。
 膝の痛みもある。これはO脚のため、軟骨の減り方が均等でないために起きたものだと思う。
 背痛は、昨年末ぐらいにピークに達し、九段坂病院で神経鞘腫の年一回の定期検査の際に、中井先生に相談をした。中井先生は側弯症の大家でもあるのだ。診察の結果、大したことはないと言われた。それでほっとしたのか、痛みも消えてしまった。
 というのは、ちょっと誇張である。中井先生の診断結果に安心したのは事実だが、他に理由がある。毎日、二回、懸垂マシンに一分間ずつ、ぶらさがっているのだ。これは効果がてき面だった。おかげで、今は痛みはほとんどない。
 膝の方は歩き方に気をつけている。僕の靴底は、外側が激しく減る。外側が減らないように、意識して歩くようにしているのだ。
 僕は毎日、約一時間のウォーキングをしているのだが、その際に、三つ気を付けていることがある。ひとつは表情。これは合気道の先輩で、武道全般の達人(段数の合計は30段だとか)がいるのだが、その人に、「山本さんは、いつも眉間にしわを寄せている。力が入っている証拠だ。治した方がいいよ」と言われてから、眉間にしわが寄らないように、気をつけているのだ。
 二つ目は姿勢。僕は猫背である。高校生の頃、ジェーム・スディーンの真似をして、赤のスイングトップなんかを着ていたりしたが、猫背もまねてしまった。それ以来、ずっと猫背である。これをこの歳にして、改善しようと、今努力中である。
 そして三つ目が、足の裏にかかる荷重を平均するような、歩き方である。
 この三つ目の効果は、徐々に表れた。いっときは、ただ歩くだけで、膝が痛くて、足を引きずっていた。それが今は、ほとんど痛みがない。このままいったら、確実に近いうちに杖だなと、恐怖におののいていたのだが、どうもしばらくは大丈夫そうである。
 ところで体力だ。僕は体力の衰えを今のところ、ほとんど感じることはない。合気道の稽古をがんがんしても、ほとんど息が上がることはない。
 以前、誰か武道をやる作家が書いていたが、彼は75歳まで、体力の衰えを感じることは、まったくなかったそうだ。僕もぜひ、そのぐらいを目指したいと考えている。
 

今井雅之の思い出


 今井雅之が死んだ。今井とは大学の同期だった。
 同級生ではない。今井は文学部、僕は経営学部で当然クラスは違ったが、入学した年が同じだったのだ。そして数か月間だけだが、サークルが一緒だった。
 僕らは入学と同時にESSという英語のサークルに入部した。たしか今井はドラマ班で僕はリタラチュア(文学)班だった。班は別々だったが気が合って、よく二人で話したものだ。
 僕らはともにESSでは浮いていた。ESSは典型的な文化系サークルで、部員のほとんどが、いかにも文化系サークルにいそうな人たちだった。つまり真面目で、野暮ったくて、サークル内での恋愛に熱心であった。
 僕も今井も文化系サークルの対極にいた。今井は完全な体育会系だったし、僕はまったくの軟派小僧であった。
 つまり僕と今井も、もしESSに入らなければ、おそらく仲良くならない別の種族に属していたのだ。でも僕らは、練習の合間とかによくだべった。
 今井は二年間、陸上自衛隊で戦車に乗っていて、そこで学費を稼ぎ、自力で法政に入学した。僕は一浪の末、志望大学をみんな落ちて、滑り止めで法政に入った。
 今井は入学当時から、燃えていた。僕は最初から敗者気分で厭世的であった。そんな僕から見たら、ひとつ年上の今井は、カッコよく、そしてちょっと暑苦しかった。
 今井が大学に入学した理由は、役者になるためだった。ESSに入部したのも、役者になるためだった。今井は、「俺、ハリウッドスターになりたいんだ。自衛隊に入ったのは、体を鍛えるためで、ESSに入ったのは、英語力をつけるためだ。みんなスターにたるための、投資だ。いつか必ず、大物になる」、とよく言っていた。
 今井は原宿のぼろアパートに住んでいた。それは、「スターになるためには、スターと同じ場所に住まなくちゃいけない」からだった。
 毎朝、代々木公園をジョギングしてから、さらに市ヶ谷の法政まで走って通学していた。会うときはいつもTシャツが汗で濡れていた。
 僕も今井も、夏休み前にESSを自然脱退した。いつの間にか、行かなくなったのだ。今井はアルバイトと芝居の練習で忙しく、僕はアルバイトと女の子関係で忙しかったからだ。
 ある日、久しぶりに今井とキャンパスで会ったことがある。「最近、合同コンパに行くようになったんだ」と恥ずかしげに言った。当時は合コンとは言わず、合同コンパといったのだ。僕はそれまで、合同コンパというものに行ったことがなく、とても興味深く彼の話を聞いたものだ。実は具体的な話も、かなり詳しく聞かせてもらったが、ここでは書かない方がいいだろう。
 それが今井と会った最後の瞬間だった。
 大学を卒業して何年か経った頃、写真誌のFocusに「自衛隊出身の劇団員」として今井が載っている記事を、たまたま読んだことがある。当時、今井はまったくの無名の劇団員で、「ああ、まだ続けてるんだな」、ぐらいにしか、そのときは思わなかった。
 それから、おそらく10年は立った頃だろう。今井がテレビに出ていることに気づいたのは。それまでも今井雅之という役者が出ているドラマは何度も見て、顔は憶えていた。しかしあれがあの今井だとは気付かなかった。それほど今井は変わっていたのだ。
 大学時代からマッチョで男っぽかったが、どちらかというと朴訥で、大人しいタイプの男だった。それが押しの強い、個性派俳優になっていて、その変貌ぶりに、僕は今井だと気づかなかったのだ。
 今井は、大学時代望んだとおり、大きな男になっていた。

 今井は有名になる前から、僕のひとつのお手本だった。今井のような強烈な情熱を若い頃から持っていたわけではないが、今井の夢を追いかける姿を、僕はずっと後ろからだが、追いかけていた。
 僕は46歳で会社を選択退職し、翻訳者になり、小説を書くようになった。今井についての記憶が、僕の背中を押してくれたのだと思う。
 大学時代の一時期をともに歩み、そしてその後、僕のずっと先へ走り去っていった今井。強く逞しく、そして心優しき男であった今井。俺はいつも、うんと遠くても、ずっと先にある君の背中を目指して、もがきながら歩き続けてきた。その背中が消えてしまった。寂しいよ。
 


大手と地元工務店の違い


 前に書いたかもしれないが、我が家の二階三部屋をリフォームすることにした。現在、各部屋はカーペットが敷かれているが、すべて無垢材のフローリングにし、壁はクロスを貼って、天井はペイントしなおし、各部屋にあるクローゼットの扉をすべて取り換える。
 今回、2社の業者に見積もりを作らせた。一社は全国的な大手で、一社は地元の工務店である。毎回、この二社には見積もりを作ってもらっている。
 そして今回も、毎回と同じ結果になった。大手の数字は約200万円。工務店は約100万円。倍の差であった。
 大手は高いと知っていても、この差にはその都度、驚かされる。そしてこれだけ高くても、経営を続けられる大手の不思議にまた、驚かされる。これだけ高くても、使う消費者が大勢いるからだろうが。
 では、この差はいったい何から生まれるのだろうか。きっと営業マンの人件費やモデルハウスの運営費、宣伝費や高額の経営陣の給料、株主への配当、法人税なのだろう。
 そして今回も、この高い部分を十分に利用させてもらった。
 僕は毎回、正直に地元工務店に相見積もりを取っていることを、大手に話している。そして最終的には、金額も明示する。それでも大手の営業マンはきちんとした対応を取ってくれる。
 たとえばフローリングやクロスの見本を持ってくる。工事の仕方を丁寧に説明する。今回は行かなかったが、前回は大手保有のモデルハウスも招待してくれて、そこで無垢材を実際に使った例を見ることができた。
 こうしたサービスは、その大手を使わなければ、当方にとっては無料である。無料で大手のサービスを享受できるのだ。実際には安い地元工務店を使うのだが。
 工事に入ると、地元工務店に、しかし分がある。実際の工事では、イレギュラーな事態が必ず発生する。床板を開けてみたら、板が腐食していたり、壁紙を貼ったら、接着がうまくいかず、浮き上がってしまったり。こうした事態に遭遇しても、地元の職人はきちんと対応してくれる。もちろん追加料金を請求することはない。大手では、こうはいかない。見積もりと実際の請求額が異なることは、リフォームではよくあることなのだ。

 工事は6月末から7月になるそうだ。その間は二階のすべての荷物を一階に移動しておかなくてはならない。睡眠、仕事は二階でしているが、どちらも一階で行わなくてはならない。
 しばらくは荷物に囲まれ仕事をし、荷物の間に布団を敷いて寝ることになる。
 

プロフィール

山本 拓也

Author:山本 拓也
職業:翻訳者
過去の職歴:HSBCを経て産経新聞社
家族:妻、フクちゃん(猫オス 3歳)、大吉くん(猫オス 2歳)
住まい:逗子

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